ソシオニクスの サブタイプ調べたら そこには 厄介オタクが いた 件
本記事は、当サイト筆者(Ryo・自認ILE)の個人的な意見・検討です。「研究者比較」などの資料ページとは扱いを分けた、いちソシオニクスファンとしてのコラムとして読んでください。初出は筆者のX投稿(2026年4月20日)で、サイト掲載にあたり体裁のみ整えています。
ソシオニクスやってると必ず出てくる「サブタイプ」。DCNHとか64タイプ論とか、"俺はLIE-Cだから〜"みたいな表現、一度は見たことあるはず。
でもあれ、どんな経緯で作られたか知ってる?
僕は知らなかった。最近ちゃんと一次資料読んでみて、あれ、これ根拠ちょっとおかしくない?ってなった。今日はそのモヤモヤを整理する記事。結論を先に言うと—
サブタイプって概念、たぶん"タイプを分けるもの"じゃなくて"そのときのたまたまの状態に名前つけただけ"なんじゃない?
っていう話をします。
そもそもサブタイプって何?
ざっくり説明すると、「同じタイプでも人によって全然違うよね?」って疑問に答えるために作られた、タイプの下位分類。とされている。
たとえばILE同士を2人並べても、1人はガンガン前に出てリーダーっぽく、もう1人は隅で黙々と考えてる、みたいなことがある。「これ同じタイプで括っていいの?」って話。
これを体系化したのがDCNHっていう4分割:
- Dominant(優勢型)—リーダー気質、前に出る
- Creative(創造型)—アイデアマン、破天荒
- Normalizing(規範型)—きっちり屋、ルール重視
- Harmonizing(調和型)—場を整える、穏やか
16タイプ×4サブタイプ=64ポートレート。これが最近よく出てくる「64タイプ論」の正体。
作った人:Victor Gulenko
DCNHを作ったのはVictor Gulenko(ヴィクトル・グレンコ)っていうウクライナ・キーウのソシオニスト。"Humanitarian Socionics School"(HSS)っていうスクールの創設者で、要するにソシオニクスの一大家元。モデルAに対抗する独自のモデルGも作ってる人で、ロシア語圏ソシオニクスではかなりの大物。(プロファイルはHSS公式サイト: https://socioniks.net/en/author/?id=1 )
だけどこの人がソシオニクスを考えたわけじゃない()
経緯を追うとこんな感じ。
- 1980年代末・キーウ — グレンコたちは「同じタイプ・同性・同年齢の人間を2人並べても、心理的に同一だとは認めがたい」って気づいた。ここは普通に誠実な観察。最初は2分割(始動型/終結型、initial / terminal)で対応した
- 2006年・HSS実験 — 同じタイプ4人を集めて作業させると、自然に4つの役割に分かれる—という観察を得た。これがDCNHの直接の根拠
- 2014年・公開 — 内部資料から世間向けへ
- 2019年・英訳本出版 — Psychological Types: Why Are People So Different? 64 Portraits in Socionics(Iana J. Goldmanとの共同プロジェクト)で西側市場に進出
ここまでの経緯、別に悪いもんじゃない。「タイプだけじゃ個人差を説明しきれない」って問題意識はいいし、30年かけて体系化した粘り強さは素直に評価していい。
ただ、Gulenkoのスタンスがちょっと…
問題はここから。本の前書きでグレンコが結構な熱量で書いてる。
Aushraのパイオニア的仕事の範囲を超えるものをすべて否定するソシオニスト達に、私は不愉快な驚きを感じる
これ、Aushra原理主義者(原典派)への明確な宣戦布告。ちなみに僕は結構原典派ね。
一方で彼は「モデルGはモデルAを置き換えない、補完する」とも繰り返し書いてる。つまり立ち位置は「私こそがAushraの正統後継者、ただし体系を内側から発展させる」って構え。言ってることは
「ワイがAushraのことを一番わかってるんや!!!ワイが彼女の、後を継ぐ!(ドンッ!!!!!!!!!!)」
ってことね。
でも中身見ると—クアドラの再定義、4つの思考様式、軽快/重厚(Vivacity/Gravity)軸、DCNH 64ポートレート、モデルG—どう見ても独自要素だらけなんだよね〜。
さらに「西側類型(16personalitiesとか)は私のサブタイプを独立再発見した」とか「私が先に発見した」系のアピールが随所に出てくる。
表向きは慎ましい継承者ポーズ、本音は総元締め野心。同じ本の中でこの二声が分離せず同居してる。正直、スタンスに矛盾を感じるわけ。
で、本題。そもそもこれモデルAで説明できない?
ここが今日一番言いたいところ。
グレンコが2006年に観察した現象—「同じタイプ4人を集めたら4つの役割に分かれる」。これ、ソシオニクス外の理論でとっくに報告されてる。
ベルビンのチームロール理論(1981年)
メレディス・ベルビンっていうケンブリッジの経営学者が1981年に発表したチームロール理論。どんなメンバー構成でも、集団は必ずPlant(アイデア出し)/ Coordinator(調整役)/ Finisher(仕上げ役)/ Monitor-Evaluator(監視評価役)等の役割に分化する—って話。
グレンコの実験の25年前。しかも経営学の古典として世界中で引用されてる。つまりグレンコが見てた現象は:
「同じタイプだから4役割が現れた」んじゃなくて「集団だから4役割が現れた」
…って可能性がある。
社会心理学で何十年も研究されてる小集団の役割分化っていう標準現象を、個人の形質だと勘違いしちゃった—って読み方ができる。
もしDCNHが本当に個人の形質なら、Dominantな人を1人で部屋に閉じ込めてもDominantのはず。でもDCNHの実験設計ではそれ検証されてない。
Gulenko本人の発言が決定打
DCNH本文でグレンコはこう書いてる。
十分な外的圧力と内的動機があれば、サブタイプは変化する。人はタイプをサブタイプにアップグレードすることも、逆に一段下げることもできる。
え、変化するの?😳
構造的な形質なら変化しないはず。血液型は変化しない、遺伝子型も変化しない。変化するってことは、それは構造じゃなくてただの状態でしょ。
これ、グレンコ自身が「これはサブタイプじゃなくて環境応答です」って言ってるのと同じなんだよね。本人気づいてないっぽいけどさ。
モデルAには既に「環境応答」が組み込まれてる
そしてここが決定的なんだけど、モデルAは元から「環境に応じて特定機能が表面化する」構造を持ってる。
特に第3位置の役割機能(role)。これは「社会適応のために意識的に活性化される弱い機能」って定義されてる。つまりモデルAは環境応答を最初から考えとして持ってるわけ。
グレンコがDCNHで描いた現象の多くは、役割機能+状況的活性化パターンでモデルA内部で記述可能。わざわざ新しいレイヤーを追加する必要、本当にある?
Big Fiveとの対応の皮肉
グレンコは自分の功績として「initial / terminalとBig Fiveの神経症傾向が対応する」って誇ってる。16personalitiesの-A/-T(Assertive/Turbulent)がそれに当たる、という主張。
でもこれ、自爆してないか?
Big Fiveの神経症傾向は状態変動を大きく拾う尺度。環境ストレスで上昇、回復期で下降、っていう状態依存的変動が繰り返し報告されてる。
つまり「私のサブタイプはBig Fiveの神経症傾向と対応する」って誇った瞬間、「サブタイプは状態である」って自分で認めてることになる。誇りたかったポイントが、そのまま環境論的批判を強化してしまう。ちょっと切ない構造。
結論(というか仮説)
サブタイプという現象を否定したいわけじゃない。俺の仮説はこう:
DCNHは、モデルAの各タイプがそのシチュエーション・ケースにおいて外的に観察可能になった"その時々の状態"を、Gulenkoが勝手に"独立したタイプ"として命名しちゃっただけに見える。
整理すると:
- 観察されている現象は本物—同じタイプでも人によって違って見える、集団で役割分化が起きる
- でもその現象は、追加のサブタイプ層じゃなくて、モデルA内の環境応答機構で説明できる
- グレンコは集団力学と個人形質を混同している疑いが濃い
- 本人が"サブタイプは変化する"って認めてる時点で、それはもう形質じゃない
グレンコさん、「正統後継者」標榜する前に、自分の体系がモデルAで既に説明されてる現象を独立レイヤーとして命名し直しちゃってるだけじゃないかを、もう一度考え直した方がよくないですか?…というのが、素直な感想。
みんなはどう思った?
(ちなみにこれ書いてる俺自身はILE。ソシオニクスの創始者のAushraと一緒なのよ。グレンコ目線だと「ほら、ILEはすぐAushra体系をNe-Ti的に解体したがる!」って言われそうって自覚はある。苦笑。でも逆に、それ込みで読んでもらえたら嬉しい。)
最後に:読んでくれた人へ
ここまで書いたけど、別にサブタイプを使うのを否定したいわけじゃない。便利な道具ではあると思う。
ただ使うなら、何を根拠に使ってるかは一度点検してもいいかもしれない。
- 「Gulenkoがそう言ってるから」?
- 「自分の観察と合うから」?
- 「なんとなくSNSで流行ってるから」?
三つ目だったら、ちょっと立ち止まってみるのいいかも。
「64タイプ論」みたいな粒度の細かい体系は、アイデンティティとして居心地がいいから広がる。でも居心地のよさと理論の正しさは別物と思ってる。
俺も昔は「なるほど、DCNHで自分はILE-Cかな?」って無邪気に考えてた時期がある。そこから掘っていって、今のスタンスに落ち着いた。
だから「お前ら分かってない」って言いたいんじゃなくて、「良かったら、一緒に掘ってみない?」って感じ。考えることの楽しさってあると思うしさ。
サブタイプ使うときは「これ、状況や状態じゃなくて本当にその人の性格タイプ?」って一回だけ自問してみてほしい。目の前にいる人の動機や感情の揺らぎを見つめるきっかけになるといいな。って、思ったり。
ちなみにご本人ご存命なので、本人から「やめろ」と連絡きたら消します。
参考・出典
- Gulenko『Psychological Types: Why Are People So Different? 64 Portraits in Socionics』(2019)
- Belbin『Management Teams: Why They Succeed or Fail』(1981)
