ソシオニクスの15の二分法 · 第1軸(基本の4軸)
外向/内向
判定ルール: 第1(主導)の情報要素が外向(Ne・Se・Te・Fe)か、内向(Ni・Si・Ti・Fi)か
外向/内向は、ソシオニクスにある15の二分法のうち1番目の軸です。16タイプを8タイプずつに分けます。
外向の側は関心とエネルギーが外の対象へ向かい、外的な事象を基準に考えて、刺激に行動で応じるとされます。
内向の側は関心とエネルギーが内面へ向かい、自分の中の構えを基準に考えて、ひとりの時間で消耗を回復するとされます。
ユングが1921年に立てた最も古い軸であり、後年の検証でも15本の中で最も強い統計的裏づけを持つ軸です。同時に、日常語へ深く入り込んだ軸なので、定義と日常の意味のずれも大きい軸です。この記事では、ユング(Carl Gustav Jung)の原典と、ソシオニクスの創始者アウシュラ(Aushra Augustinaviciute)、レイニン(Grigory Reinin)、フィラトワ(Ekaterina Filatova)の記述、統計的な検証研究を引用しながら、両極が何で分かれ、どう違って見え、どう見分けるのかを解説します。
01何で決まるか
まず、ソシオニクスでの判定はタイプのモデルA(8つの情報要素の配置図)から機械的に決まります。8つの情報要素には外向的な要素と内向的な要素の区分があり、判定に使うのは主導機能がどちらの区分に属するかです。
- 主導が外向要素(Ne・Se・Te・Fe) → 外向(ILE・ESE・SLE・LIE・SEE・EIE・LSE・IEE)
- 主導が内向要素(Ni・Si・Ti・Fi) → 内向(LII・SEI・IEI・LSI・ILI・ESI・SLI・EII)
この軸は残り3本の基本軸(直観/感覚、論理/倫理、合理/非合理)とともに、レイニンの15軸すべての素材になる第1の軸です。互いを補い合うとされる双対関係は、必ず反対の極に分かれます。ILE(外向)の双対はSEI(内向)、EIE(外向)の双対はLSI(内向)です。
02レイニンはどう定義したか
レイニンは1980年代に、ユング由来の4つの基本二分法を掛け合わせると16タイプを8対8に割る二分法が全部で15本作れることを示しました。その出発点がこの軸です。レイニンは2005年の著書(英訳2010年)で、数ある定義の中から自分の採る定義をこう書いています。
これらの極の定義はいくつかある。我々の観点からは、最も正確なのは以下の定義である。すなわち、外向とは内的に外的対象に向けられた人物であり、内向とは内的に主体に向けられた人物である。このソシオン分割は、全体に向かう人物の内的方向に従って行われていると言ってよいだろう。一方の場合(内向)には全体は内側にあり、他方の場合(外向)には外側にある。
「内的に外へ向く/内的に内へ向く」。行動の派手さではなく、関心の向きの定義です。「全体」という言い方は独特ですが、自分を含む世界のまとまりを外側に感じるか、内側に感じるか、と読めます。
レイニンは著書の締めくくりで、この4軸の位置づけについても率直な見方を残しています。「ユングは4つの特性をランダムに選んだ。それは彼の思考方法、物事の見方の結果であった。もし彼が異なるアプローチを使っていたなら、他のいくつかの特性を発見していたかもしれず、タイプは今日異なる名前を持っていただろう」。基本4軸は15本の等価な軸の中で、最初に見つかった4本だというのがレイニンの立場です。
03アウシュラはどう記述したか
創始者アウシュラは1998年の連載で、この軸を情報の入り口の違いとして説明しました。なお、リングを指す資料の「環」は、引用の中も本記事の表記(メンタルリング)に揃えています。
外向―内向は情報の選択の二つの方法である。外向タイプにとって、メンタルリングのIPEの源は対象—「諸物体」であり、内向タイプにとっては—対象間の関係、それらの状況—「諸場」である。
IPEはアウシュラの略語で、情報的潜在エネルギー、つまり取り込まれて思考と行動の材料になる情報のことです。外向の側の思考は、人や物そのものから始まります。関係はその帰結として扱われます。内向の側の思考は、関係と状況から始まります。対象の質はその帰結として扱われます。自分自身の位置づけも変わります。
外向タイプは自分を、他の対象のなかの活動的な対象として感じる。彼らのなかでの自分の場所は、自身またはその活動の質によって規定される。内向タイプは、自分を他の状況のなかの一つの状況として見、他の人々の感情の海に自分の感情を関連づけて考察する。
「自分はプレイヤーのひとり」と感じるか、「自分は場の一部」と感じるか。自分の居場所を活動の質で測る側と、周囲との釣り合いで測る側、と言い換えることもできます。内向の側の判断の型について、アウシュラは例を挙げています。
内向タイプの意識は、同じように外的世界の関係、状況に向けられる。内向タイプにとって対象の質は、その状況の帰結である。子どもがあたかも何でも書ける「白紙の紙」だという主張は、純粋に内向的・衝動的判断の例である。
「子どもは白紙で、環境がすべてを書き込む」という有名な考え方は、対象そのものの性質を状況の帰結と見る内向的な発想の典型だ、という指摘です。人の性質を資質から語るか、環境から語るかという日常の議論も、この対比の一例です。逆に外向の側なら、子どもそのものの資質から話を始めることになります。アウシュラはこの節を、ある外向タイプの言葉で締めくくっています。
「最も難しい時間は朝だ。朝には経験がない」とある外向タイプが言った。まさにそのとおり—毎朝、ある「経験」の獲得から始めなければならない。
外向の側は、外から入る情報で自分を起動します。そのため、まだ何も起きていない朝がいちばん難しいという生活の実感です。
04ユングまで遡る
この軸はソシオニクスの発明ではありません。ユングが『心理学的類型』(1921年)で立てた対がそのまま土台になっています。ユングは序論で、2つの構えの違いをこう要約しました。なお、ユングの引用は英訳からの日本語訳です。
定式化の多様性にもかかわらず、共通の基盤、根本の考えは絶えず透けて見える。すなわち、一方の場合には関心が客体へ向かう外向きの運動があり、他方の場合には関心が客体から離れ、主体と、主体自身の心理過程へと向かう運動がある。第一の場合、客体は磁石のように主体の傾向に働きかける。それゆえそれは、主体を大きく規定する引力である。
巻末の定義の章では、それぞれをより厳密に定めています。
外向とはリビドーの外への転回を意味する。(中略)外向の状態にある者はみな、客体との関係において思考し、感じ、行為する。しかも直接的で、明瞭に観察できる仕方でそうするため、客体への肯定的な依存について疑いの余地がない。
内向とはリビドーの内への転回を意味し、主体の客体への否定的な関係を表す。関心は客体へ向かわず、主体へと退く。内向的な構えの者はみな、動機づけの主要因が主体であることをはっきり示す仕方で思考し、感じ、行為する。客体はせいぜい二次的な価値しか受け取らない。
外向の定義には「明瞭に観察できる」という語が入っています。外向は行動に直接現れる構えとして定義されています。リビドーはユングの用語で、性的な意味に限らない心のエネルギー一般を指します。エネルギーが客体に注がれるのが外向、主体に留まるのが内向です。この定義が、そのままソシオニクスの要素の「黒(外向)/白(内向)」の区分に引き継がれています。要素記号の後ろに付くeとiは、ユングのこの対に由来します。
05行動は何が違うか
では、日常の行動としては何が違って見えるのでしょうか。後年の研究者フィラトワは、この軸の現れを状況への構えとして整理しています。
つまり外向型は外的状況の主人であり、それを自分の裁量でうまく操作する。
内向型は外向型と違って、自分の行動において、起きていることについての自分自身の構えに依拠する。だから外的印象が多すぎると疲れることがある。というのも、新しい印象のひとつひとつを、内向型はそれへの特定の態度を形成するために、自分の意識の中で処理しなければならないからである。
状況が合わなければ変えにいくのが外向の側です。変えるより自分の構えを作って適応するのが内向の側です。フィラトワはこの対比を、トルストイ『戦争と平和』の登場人物で説明しています。
つまりN・A・ボルコンスキーはより自分の考えに集中しており、内的な構えのかなり硬い体系を持っていて、自分がそれに従うだけでなく、周囲の人々にも従うことを要求する。ニコライ・ロストフは反対に、自分の活動において、周囲で起きているすべてに開かれており、その構えは外的条件とその変化によって決まる。
書斎で回想録と数学に打ち込む内向の老公爵と、畑と脱穀場を歩き回って天候の変化に一喜一憂する外向のニコライ。同じ「領地の経営」でも、構えの出どころが逆です。フィラトワは、内向のピエールが外向のヴァシーリー公爵の結婚の思惑に抗しきれない場面も、両極の力関係の見本として引いています。状況を握って決定的な一歩を踏み出すのは外向の側です。状況に抵抗しながらも変えられないのが内向の側です。フィラトワのまとめから、対比の要点を並べます。
- 状況への構え。外向の側は、合わない状況を作り変える。知り合いたい相手には自分からイニシアチブを取る。内向の側は、新しい状況を変えるより適応する方を選び、状況の方が自分を支配していると感じやすい。
- 情報の取り込み。外向の側は新しい情報を絶えず受け取り続けられ、新しい印象を求める。内向の側は印象のひとつひとつに自分の態度を作る処理が要るので、少量ずつ受け取る方を好み、多すぎると疲れる。
- 接触の幅。外向の側は容易に接触に入る。内向の側は接触を狭い範囲の人々に限ることを好み、騒がしい集まりに長くいるのがつらいことがある。特に必要がなければ、内向の側は見知らぬ人に自分から話しかけない。
- 印象の位置づけ。外向の側にとって、外的な印象が自分を揺さぶり引っ張っていくこと自体が大事で、そこに存在の張り合いを見る。内向の側にとって印象は、自分の態度を練り上げるための素材で、処理が追いつく速さで来てほしいもの。
アウシュラの「対象から入るか、関係から入るか」と、フィラトワの「状況を変えるか、適応するか」はよく重なります。同じ違いを、情報の入り口と行動の出口から見た記述です。
なお、レイニンは実験でのグループ観察について、質問/宣言や肯定/否定の極の方が「外向―内向や合理―非合理よりも、ソシオン内の実験中にずっとよく観察される」と書き残しています。定義の上では最も基本の軸が、その場の観察では意外に紛れうる—という提案者自身の記録です。
06相手からどう見えるか
二分法では、反対側の極が「欠点を持った自分」に見えることがあります。この軸は日常語に深く入り込んだぶん、誤解の型も定まっています。
内向の側から外向の側を見ると、考える前に動き、場を占領する人に見えることがあります。外向の側から内向の側を見ると、反応が遅く、付き合いが悪い人に見えることがあります。どちらも情報の入り口と処理の順序が違うだけです。外向の側の「即応」は、外の対象から直接起動する速さです。内向の側の「間」は、印象に態度を与えてから動く処理の時間です。「外向的なのに家が好き」「内向的なのに人前が得意」という混乱は、日常語の社交性とユングの定義のずれから来ています。
なお、この軸は双対ペアが必ず反対の極に分かれる軸です。ソシオニクスの相性論では、外向と内向は衝突する性質ではなく、補い合う組み合わせの前提になっています。アウシュラは、家庭でまず内向の側が起動し、外向の側の状態を整えて一日へ送り出し、そのかわり自分は外向の側から行動の指針を受け取る—という朝の分業まで描いています。03の「朝には経験がない」という外向タイプの言葉は、この分業の裏面です。
07見分け方と実証研究
見分けるには何を手がかりにすればよいでしょうか。実用的な観察点は4つあります。
第一に回復の仕方。消耗したとき、人と会って回復するか、ひとりになって回復するか。第二に新しい状況への初手。合わない状況を変えにいくか、まず自分の構えを作って適応するか。第三に知り合いのイニシアチブ。興味を持った相手に自分から接触しにいくか、状況が接点を作るのを待つか—フィラトワが外向の側の徴標に挙げた観察です。第四にすり減る場面。刺激の多い場に長くいた後に消耗しているか(内向の側)、逆に何も起きない時間が続くと気力が下がるか(外向の側)。ただし、社交の技術は訓練で身につくので、「人前で明るいかどうか」だけで判定するのは危険です(07で扱います)。
この軸が15本の中で特別なのは、統計的な裏づけの強さです。心理学者タラノフ(Viktor Talanov)は2003年、合計1,800人超の大規模標本で、基本4軸とレイニンの派生11軸をまとめて検定しました。結論は対照的でした。
外向・合理性・論理・直観の二分法については、職業選択との絶対的に信頼できる統計的関連が観察される。レイニン特徴については帰無仮説—関連の不在—が裏づけられる。
外向/内向は数字がはっきりしています。職業選択(1,446人)との関連は偶然では説明できない強さで、質問紙240問との相関は検定した15軸の中の最大値です。下の図のとおり、派生11軸とは桁が違います。
タラノフの実験(2003年・447人)。点線(0.91)を下回る値は、偶然のばらつきと区別できない。
数値はタラノフ「レイニン特徴の実験的研究」(2003年、ソシオニクス新聞 №07-08)表3より
340問版の検定では、この軸の相関二乗和は14.31まで上がり、やはり全軸の最大でした。同じ検定でソシオニクスの外の因子「善意・謙虚—攻撃性・貪欲」が7.28でしたから、その2倍です。質問紙で人の違いを測ると、最も太く現れるのがこの軸です。タラノフの結論は派生11軸に対して否定的でしたが、その同じ実験が、基本4軸、とりわけ外向/内向の実在を強く裏づけました。
観察研究の側でも、この軸は扱いが別格です。サンクトペテルブルクの検証グループが2000年代に行った観察実験は、レイニンの派生軸の検証を目的としたため、この軸そのものの節を持ちません。しかし実験はソシオタイプの判定で専門家の意見が割れない被験者を選ぶところから始まっており、その判定は基本4軸の合意の上に立っています。
つまり現状はこう整理できます。外向/内向は、15軸の中で最も強い統計的裏づけを持つ、争いの少ない軸です。派生11軸の弱さを測る物差しの原点も、この軸の8.94という値です。各記事の図解が比較の最上段にこの軸を置いてきたのは、そのためです。判別の注意は、統計の弱さではなく、名前の日常的な意味との混同に集中します。
08使うときの注意
最後に、この軸を使うときの注意をまとめます。
社交性と混同しないこと。日常語の「外向的=社交的で明るい、内向的=無口で人見知り」は、この軸の定義ではありません。02と03bで見たとおり、定義は関心の向き—対象から始めるか、関係と構えから始めるか—です。人前で朗らかな内向タイプも、少人数を好む外向タイプもいます。社交の振る舞いは訓練と環境で大きく変わるので、宴会での様子だけで判定すると、定義とずれた判定になります。
優劣の軸として読まないこと。外向/内向は、行動力や社会性の点数ではありません。ユング自身、2つの構えを等価な適応の型として記述しました。ソシオニクスでも両極は8タイプずつの対等な束で、相性論では補い合う前提です。
全か無かで読まないこと。フィラトワは、この軸の読み方についてこう釘を刺しています。
どの人の振る舞いにも、各尺度の主要な極のほかに、第2の、より弱い極も現れる。(中略)人の振る舞いの外向的ないし内向的な方向づけについて語るとき、私たちが念頭に置いているのは、どちらかの構えが優勢だということであって、一方が完全に欠けたまま他方が絶対的に優越しているということでは決してない。
どの外向タイプもときに内向的にならざるをえず、その逆も同じ—軸が指すのは優勢な側だけです。
この軸単独でタイプを決めないこと。外向/内向が分かっても、候補は8タイプ残ります。ソシオニクスのタイプ判定は、残る3本の基本軸(直観/感覚、論理/倫理、合理/非合理)と合わせて初めて1タイプに絞れます。この軸は最も測りやすいぶん、ここで自己診断が止まりがちです。外向/内向が定まったら、それを固定せずに次の軸へ進んでください。
09両極のタイプ一覧
両極の8タイプずつを一覧で再掲します。自分のタイプがどちらの束に入っているかを見たうえで、状況への構えと回復の仕方に心当たりがあるかを確かめてみてください。社交性ではなく、何から起動し、どう回復するかを見るのが要点です。合わないと感じたら、それはタイプ判定そのものを見直す手がかりにもなります。二分法は、判定の答え合わせにも使えるからです。
引用索引
本文で引用した出典を、登場した順にまとめます。引用の日本語は原文から訳出したものです。
- [1]グリゴリー・レイニン『Socionics: Typology. Small Groups.』(2010)第III部 本文へ
- [2]アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ「レイニン特性理論」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 第2部(№2)(1998年) 本文へ
- [3]アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ「レイニン特性理論」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 第2部(№2)(1998年) 本文へ
- [4]アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ「レイニン特性理論」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 第2部(№2)(1998年) 本文へ
- [5]アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ「レイニン特性理論」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 第2部(№2)(1998年) 本文へ
- [6]カール・グスタフ・ユング『心理学的類型』(1921) 引用は英訳(Baynes訳)からの重訳 本文へ
- [7]カール・グスタフ・ユング『心理学的類型』(1921) 引用は英訳(Baynes訳)からの重訳 本文へ
- [8]カール・グスタフ・ユング『心理学的類型』(1921) 引用は英訳(Baynes訳)からの重訳 本文へ
- [9]エカテリーナ・フィラトワ『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001)第II部 本文へ
- [10]エカテリーナ・フィラトワ『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001)第II部 本文へ
- [11]エカテリーナ・フィラトワ『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001)第II部 本文へ
- [12]ヴィクトル・タラノフ「レイニン特徴の実験的研究」『ソシオニクス新聞』誌 №07-08(2003年) 本文へ
- [13]エカテリーナ・フィラトワ『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001)第II部 本文へ
