ソシオニクスの15の二分法 · 第6軸(クアドラ系の軸)
主観主義/客観主義
判定ルール: Ti・Feを価値要素とするなら主観主義、Te・Fiを価値要素とするなら客観主義
クアドラではアルファ・ベータ=主観、ガンマ・デルタ=客観
主観主義/客観主義は、ソシオニクスにある15の二分法のうち6番目の軸です。16タイプを8タイプずつに分けます。
主観主義の側は「正解は人それぞれ」を前提に、言葉の定義や見方をすり合わせながら話し、初対面でも早く打ち解けるとされます。
客観主義の側は「物事には一般に正しいやり方がある」と考え、事実と定石に沿って進め、段階を踏んで関係を築くとされます。
古い資料では、「陽気/深刻」という名前で呼ばれてきた軸でもあります。ここでは、両極が何で分かれ、どう違って見え、どう見分けるのかを解説します。引用するのは、この軸を提案したレイニン(Grigory Reinin)と、ソシオニクスの創始者アウシュラ(Aushra Augustinaviciute)の原典、それに後年の検証研究です。
01何で決まるか
どちらの極に入るかは、性格診断の点数ではなく、そのタイプのモデルA(8つの情報要素を8つの位置に並べた図)から決まります。判定に使うのは、そのタイプが「価値」として扱う判断の要素の組です。
- TiとFeを価値の要素とするタイプ → 主観主義
- TeとFiを価値の要素とするタイプ → 客観主義
価値観を共有する4タイプの組であるクアドラでは、アルファとベータが主観主義、ガンマとデルタが客観主義です。主観主義はILE・SEI・ESE・LII・EIE・LSI・SLE・IEI、客観主義はSEE・ILI・LIE・ESI・LSE・EII・IEE・SLIの各8タイプになります。
Tiは「体系の中でつじつまが合っているか」を扱う要素、Feは「場の感情をみんなで動かすこと」を扱う要素です。そのため、この2つを価値とする側では、概念の定義と場の盛り上がりが表の話題になります。
一方、Teは「事実として何が効率的か」、Fiは「自分と相手の個別の関係」を扱う要素です。こちらを価値とする側では、確かな事実と一対一の関係の築き方が表の話題になります。例えば、同じNe主導の外向タイプでも、ILE(Ti・Feが価値)は主観主義、IEE(Te・Fiが価値)は客観主義に分かれます。
02レイニンはどう定義したか
この軸の出どころは、1980年代にレイニンが行った数学的な仕事です。レイニンは、ユングに由来する4つの基本の二分法(外向/内向・直観/感覚・論理/倫理・合理/非合理)を掛け合わせると、16タイプを8対8に分ける二分法が全部で15本作れることを示しました。主観主義/客観主義はそのうち、基本の軸を3つ掛け合わせて得られる軸のひとつです。
ですが、数学的に軸が作れることと、その軸に心理的な中身があることは別問題です。そしてこの軸の場合、名前そのものが誤解を生んできました。アウシュラは1998年の連載で、この軸に「陽気─深刻」という名前を与えましたが、その名づけに本人が留保を付けています。
選んだグループ名は、これら2グループに固有の特性の内容を充分正確に表現していないかもしれない。将来、より適切なものが見つかるかもしれない。
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Названия групп, на которых пришлось остановиться, недостаточно точно выражают содержание присущих этим двум группам свойств, возможно, в будущем удастся найти что-то более подходящее.
名前を付けた本人が、その名前では中身を正確に表せていないかもしれないと認めています。
実際、後年の論争では逆説も指摘されました。映画で悲劇の役を演じるのはむしろ「陽気」の側とされるタイプで、コメディの役は「深刻」の側とされるタイプが演じることが多い、というものです。そのため、レイニンは、軸の中身を名前から切り離して言い直しています。
私の見解からすれば、これは主観主義者/客観主義者の特徴である。すなわち、「陽気」とは記述・理論・説明に方向づけられている者である。「深刻」とは客観的世界の論理に方向づけられている者である。本件における名称が不適切であることに同意する。日常的理解はここで議論されている二分法からあまりにかけ離れている。
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С моей точки зрения — это признак субъективисты–объективисты. Т. е. «веселые» — это те, кто ориентируется на описание, теорию, объяснение. «Серьезные» — ориентированы на логику объективного мира. Согласен, что название в данном случае неудачное. Обыденное понимание слишком далеко от обсуждаемой дихотомии.
言い換えると、レイニンのいう「陽気」は記述や理論、説明に向かう人、「深刻」は客観的な世界の論理に向かう人のことです。そのうえでレイニンは、日常の意味とかけ離れたこの名前が不適切だと認めています。このページの名前に使っている「主観主義/客観主義」は、この言い直しから来ています。
レイニンの2005年の著書(英訳2010年)では、2つの側が次のように定義されています。
主観主義者は理解、説明、記述、概念により多く頼る。新しい課題が現れたときには、彼らは知識を拡張し、自身の立場を決定しようとする。彼らは「陽気な集まり」とラベル付けされうる。客観主義者は客観的世界、事実、権威、信頼できるデータにより集中している。彼らの代替的な名称は「深刻」である。
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The subjectivists lean more on understanding, explanations, descriptions, and concepts. When a new task presents itself they try to extend their knowledge and determine their position. They may be labeled as the cheerful bunch. The objectivists are more focused on the objective world, facts, authorities, and reliable data. The alternative name for them is serious.
つまり、「陽気/深刻」は気分の明るさの評価ではなく、頼る先が自分の理解か、客観的な事実かの違いだということです。性格の明るさと結びつけた読み方がなぜ危ないかは、「使うときの注意」の章で改めて扱います。
03アウシュラはどう記述したか
名前には留保を付けつつ、アウシュラ自身は、この軸の中身を「何を人前で話し、何を隠して処理するか」の入れ替わりとして具体的に書きました。
賢明/果敢の軸は、体調や資源といった知覚の側の話題の表裏を入れ替えます。それに対し、この軸は、合理性の議論と、願望や行為の話という判断の側の話題の表裏を入れ替えるとされます。「どの判断の要素を価値とするか」と同じ点を、話題の側から見た記述です。なお、資料ごとに訳語(陽気/深刻、陽気/真面目など)が揺れています。引用の中も、名前そのものを話題にする箇所を除き、このページの表記「主観主義/客観主義」に揃えています。
まず、主観主義の側です。
主観主義は外的繋がり、必要のシステム、社会階層内の人物の場所を自由に議論し、嘲笑する。何が合理的で何がそうでないか、名誉、尊敬、何かに介入するか距離を保つ意志について多く論じる。
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Веселые свободно обсуждают и высмеивают внешние связи, системы потребностей, место человека в социальной иерархии. Много рассуждают о том, что разумно и что нет, о почете, уважении, желании или нежелании во что-то вмешиваться, оставаться на расстоянии.
言い換えると、主観主義の側では、「あれは理にかなっているか」「誰を尊敬するか」「自分の立ち位置はどこか」が、冗談まじりに堂々と語られる話題だということです。一方で、自分の願望と行為は、むしろ裏側に置かれます。
事業や偉業については—黙する—いわば「邪眼」を恐れるかのように。行為は概してほとんど隠される。語るときは「そうすべきだった」とのみ言い、自分が何をするつもりかは語らない。
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О делах и подвигах — молчат как бы боясь «дурного глаза». Поступки вообще почти что скрываются. Когда говорят, говорят лишь о том, что «следовало бы», а не о том, что сами собираются делать.
つまり、主観主義の側は自分がこれから何をするつもりかを語らず、行為の話をしても「そうすべきだった」という形にとどめるということです。上の引用にある「邪眼」は、ねたみの視線が災いを招くという言い伝えの目のことです。
客観主義の側は、これがちょうど裏返ります。まず、閉ざされる話題です。
客観主義は逆に、情緒、何が鼓舞または抑圧するか、気分を良くする・悪くするかについては閉ざしている。必要な対象との関係、すなわち自分の必要のシステムとその満足度も隠す。社会階層内の場所も。
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Серьезные, наоборот, скрытны в эмоциях, в том, что их воодушевляет или подавляет, улучшает или портит настроение. Скрывают они и нужные им отношения с объектами, то есть систему своих потребностей и степень их удовлетворенности. Как и место в социальной иерархии.
言い換えると、客観主義の側は、気分や感情の内情と、自分の必要や社会的な立ち位置を表に出さないということです。
次に、表に出る話題です。
誰かに愛を告白して、それを皆に語る、または自分が告白されたと語ることも機転のなさとは見なされない。自分や他人の願望は平静に議論される。
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Признаться кому-то в любви и потом всем об этом рассказывать или рассказывать о том, что тебе кто-то признался, тоже не считается бестактностью. Преспокойно обсуждаются все свои и чужие желания.
つまり、客観主義の側では、誰が誰を好きか、自分が何をしたかが表の話題だということです。賢いことも、愚かな行為も語られます。一方、気分や場の空気の内情、自分の社会的な立ち位置の話は、威厳をもって黙る事柄とされます。
アウシュラは、物静かに見えるSLI(感覚論理内向)の信頼を得たければ、恋愛の話を持ちかけるのがよいという具体例まで書いています。どちらの側にも「話せない話題」があるのではなく、どの話題が表で、どの話題が裏かが正反対なのです。
この表裏の違いは、小さな出来事の解釈にも表れるとされます。
主観主義の足を踏んだ場合、彼は常にそれが偶然だと確信している。客観主義は意図的だと知り、それに応じて反応する。
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Если наступили на ногу веселому, он всегда уверен, что это нечаянно. Серьезный знает, что это специально, и соответствующим образом реагирует.
足を踏まれたときに、主観主義の側は悪意がないことを前提に置き、客観主義の側は行為をまず意図の表れとして読むということです。
04行動は何が違うか
では、日常の行動としては何が違って見えるのでしょうか。2000年代にサンクトペテルブルクの研究グループが、タイプ判定済みの被験者を集めて、この軸の表れを観察する検証を行いました。その報告(2003年にロシア語で公開されました)は、2つの側の違いの中心を、「正しさ」の扱い方に見ています。
まず、主観主義の側です。
主観主義者は、客観主義者と違って、自分や他人の経験を一般化して「客観的に正確な」規則や法則性を引き出そうとはしない。そのかわり、どんな状況についても他の人々には別の基準・別の見方があると想定する。だから自分や他人の行為が正しかったかどうかは、自分の「主観的な」見方—自分の個人的な概念、「自分のシステム」、自分の意図—と照らして判定する。
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The Subjectivist, in contrast to the Objectivist, is not inclined to derive "objectively accurate" rules and regularities, generalizing for this purpose his own experiences and experiences of others. Instead, the Subjectivist assumes that other people have different criteria and their own views on any situation, therefore he determines whether his or someone else's actions were correct or incorrect by comparing them with his "subjective" view—he evaluates them in accordance to his personal concepts, "his system", his intentions
言い換えると、主観主義の側は、人それぞれに別の見方があると考え、正しかったかどうかを自分の見方に照らして決めるということです。
次に、客観主義の側です。
客観主義者には、一般の共通経験に保持された「客観的に知られた」事実・規則・法則・法則性という観念がある。彼らの知覚では、「一般に正しい」「常に正しい」規則や指針が存在する。(中略)唯一の最適解があると考えるときには、自分が最良と考えるやり方そのもの(主観主義者のように自分の見方ではなく)を提案(または強制)する傾向がある—「いや、正しいやり方でやれ」。
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Objectivists have a notion of what constitutes "objectively known" facts, rules, laws, regularities held in general (common) experience; in their perception there exist rules and guidelines that are "true in general" and "always correct". (中略) When they think that there is only one optimal solution, they are inclined to propose (or impose) ways to accomplish an activity (not their views or concepts like Subjectivists) which they think are the best: "No, do it the right way".
つまり、客観主義の側は、誰にとっても正しいやり方があると考え、それを相手に勧めるということです。
同じ報告は、ここから分かれていく違いをいくつも挙げています。要点をまとめると、次のようになります。
- 誤りへの声のかけ方。主観主義の側は「何をしているの?」と、相手の意図と見方を確かめにいく。客観主義の側は「誰がそんなやり方をする?」と、正しいやり方からの逸脱として指摘する。
- 提案するもの。主観主義の側は「別のやり方をしろ」ではなく「別の見方で見ろ」と、見方の枠組みごと提案する。客観主義の側は、見方ではなく「最も効果的なやり方」そのものを提案する。
- 用語の扱い。主観主義の側は、同じ言葉でも人によって意味の取り方が違う前提で、「ではこれをこう呼ぶことにしよう」と定義をすり合わせる。客観主義の側は、用語には確立した正しい意味があるものとして使い、相手がそれを知っているかを確かめる。
- 楽しさの区切り方。主観主義の側は、感情的な盛り上がりを、それ自体ひとつの活動として区切る(「何をしていたの?」に「楽しんでいた」と答えられる)。客観主義の側は、「楽しみ」を独立した活動として切り出さず、仕事の中にも娯楽の中にも混ぜ込む(働きながら楽しみ、楽しみながら真剣な用事を進める)。
報告には、知り合いになる手続きの違いも記録されています。
客観主義タイプにとって、新しい人と知り合うことは、距離を縮めるために必要な特別な儀式である。この儀式が行われなかった場合、客観主義タイプは自分たちを知り合いとは見なさない(例:「我々は紹介されていない」)。(中略)距離を縮めるために、客観主義タイプは名前や、そのほか新しい人物を特徴づける情報を知ることを大切にする—だから正式な紹介は、知り合いになる過程で必要な段階である。
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For Serious types, becoming acquainted with a new person constitutes a special ritual necessary for bridging the distance (If this ritual did not take place, then Serious types do not consider themselves to be acquainted, for example: "We did not introduce ourselves"). (中略) For association, Serious type needs to know the name, title, any other information that describes the new person—therefore formal introduction for them is a very important stage of getting acquainted with someone.
言い換えると、客観主義の側にとって、名乗り合う手続きは、知り合いになるための大事な段階だということです。
一方、主観主義の側は、知り合いになることを段階に分けません。必要な感情的な距離を、その場で直接決めるとされます。相手の名前は二の次で、「熱烈にキスした後だったのに、相手の名前を覚えたのは1週間後だった」という被験者の回答まで記録されています。ページの冒頭にある「初対面でも早く打ち解ける/段階を踏んで関係を築く」という対比は、この観察と対応しています。
05相手からどう見えるか
二分法では、反対の側が「欠点のある自分」のように見えることがあります。この軸でも、互いの印象はすれ違うとされます。
主観主義の側から客観主義の側を見ると、正解を1つに決めつけ、やり方を押し付ける人に見えることがあります。冗談で場を作ろうとしても乗ってこないので、堅苦しくも見えます。逆に、客観主義の側から主観主義の側を見ると、事実の話を見方の問題へ持ち込み、いきなり距離を詰める人に見えることがあります。
検証グループの観察は、このすれ違いを説明します。「いや、正しいやり方でやれ」は、客観主義の側にとっては、みんなで共有している定石を教えることです。ですが、主観主義の側には、自分の見方の否定に聞こえます。反対に、「別の見方で見ろ」は、主観主義の側にとっては、枠組みごとの提案です。ですが、客観主義の側には、具体的な答えを避けているように聞こえます。
相手が頑固なのでも不誠実なのでもなく、「正しさ」の置き場所が逆だと知っておくと、この種の不快感の一部には説明がつきます。
なお、この軸では、互いを補い合うとされる双対関係の2人が、必ず同じ側に入ります。例えば、ILEの双対はSEIで、どちらも主観主義です。LIEの双対はESIで、どちらも客観主義です。つまり、この軸のすれ違いは、相性の良し悪しより、集団の空気の違いとして表れやすいものです。
クアドラ系の軸は3本あります。賢明/果敢がアルファ・デルタとベータ・ガンマに分けるのに対し、この軸はアルファ・ベータとガンマ・デルタという別の組み合わせで分けます。もう1本は民主主義/貴族主義です。このうち2本を組み合わせれば、4つのクアドラが1つに決まります。
06見分け方と実証研究
見分けるときの手がかりとして、検証グループの報告は、話し方の語彙を2つの側の指標に挙げています。まず、主観主義の側です。
語彙:行為や共同作業を論じるとき、主観主義者は「私の観点からは」「私の理解では」「私の知るかぎり」「個人的な基準」「私の理解に合っている」「私はこう結論した」「彼は主張した」などの表現を使う。言葉でのやり取りを詳しく描写する—状況への自分の介入がどう進んでいるか、なぜ介入しないのか。
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Lexicon: when discussing actions and joint activities they use expressions such as "From my point of view", "According to my understanding", "To my knowledge", "personal criteria", "it corresponds to my understanding" "I have concluded" "he insisted" and so on. They describe verbal communication in detail—how their intervention in the situation is transpiring or why it's not happening.
言い換えると、主観主義の側は、「私の理解では」のように自分の見方を前置きして話し、言葉のやりとりを詳しく描くということです。
一方、同じ報告によれば、客観主義の側は、説明の言葉の代わりに多くの実例を挙げます。正しいやり方も正しくないやり方も、実例の中で描かれるとされます。つまり、自分の見方を示すか、実例を並べるかが違います。ほかにも、検証グループは次の手がかりを挙げています。
- 誤りを見つけたときの第一声が、「何をしているの?」型か、「誰がそんなやり方をする?」型か。
- 初対面の相手と名乗り合わないまま話が進むことを、気にするかどうか。
ただし、この軸を質問紙で測ろうとした研究は、否定的な結果を出しています。心理学者のタラノフ(Viktor Talanov)は2003年、合計1,800人を超える大きな標本で、基本の4軸とレイニンの派生の11軸をまとめて検定しました。
我々のシリーズの6つの実験のいずれにおいても、レイニン特徴に心理学的内容は検出されなかった。すべての実験において、レイニン特徴の心理学的な内容的充実の確からしさに関して、帰無仮説が裏づけられた。
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Ни в одном из 6-ти экспериментов нашей серии у признаков Рейнина не выявлено психологического содержания. Во всех экспериментах в отношении вероятности психологического содержательного наполнения признаков Рейнина подтвердилась нулевая гипотеза.
上の引用にある帰無仮説は、統計で「関連はない」とする仮説のことです。つまり、レイニンの派生の軸には、質問紙で測れる心理的な中身が見つからなかったということです。主観主義/客観主義は、職業選択(1,446人)との関連が、検定した11軸の中で最も「関連なし」に近い値(P=0.99)でした。質問紙240問との相関も、偶然と区別できる水準に達しませんでした。基本の4軸との差は、下の図のとおりです。
タラノフの実験(2003年・447人)。点線(0.91)を下回る値は、偶然のばらつきと区別できない。
数値はタラノフ「レイニン特徴の実験的研究」(2003年、ソシオニクス新聞 №07-08)表3より
340問版の検定でも同じ構図でした。ソシオニクスの特徴ではない「善意・謙虚—攻撃性・貪欲」という因子が7.28で、レイニンの派生の特徴(0.24〜0.37)よりはるかに強く質問と結びついていました。
タラノフは同じ論文で、ペテルブルクの検証グループの観察研究についても、「仮説を精緻にする仕事ではあるが、検証にはまだ着手すらしていない」と評しています。なお、この批判の相手と、「行動は何が違うか」の章で引用した検証グループは、同じ系譜の研究チームです。「行動の記述」と「統計の不在」は、同じ対象をめぐる賛否両論として読むのが正確です。
まとめると、質問紙で測れる「性格の強さ」としては確認されていません。一方、原典と観察報告は、「正しさをどこに置いて話すか」「知り合いの手続き」という、質問紙に乗りにくい振る舞いを記述しています。そのため、判別に使うなら、誤りの指摘、用語のすり合わせ、初対面の距離の詰め方を、時間をかけて観察する必要があります。
07使うときの注意
最後に、この軸を使うときの注意を3つにまとめます。
名前で判定しないこと。この軸は旧称の「陽気/深刻」で紹介されることがありますが、性格の明るさ・暗さの評価ではありません。レイニンの章で見たとおり、名前を付けたアウシュラ自身が「内容を充分正確に表現していない」と留保を付け、レイニンも「名称が不適切であることに同意する」と明言しています。主観主義の側にも物静かな人はいくらでもいますし、客観主義の側にも場を沸かせる人はいくらでもいます。
今の「主観主義/客観主義」という名前にも、同じ注意が要ります。主観主義は「主観的でわがまま」の意味ではなく、客観主義は「常に客観的で正しい」の意味ではありません。
この軸だけでタイプを決めないこと。主観主義/客観主義は、タイプから導かれる15軸のひとつで、逆にこの軸ひとつからタイプは決まりません。8タイプずつの大きなまとまりなので、「自分は定義のすり合わせをしたがるから主観主義、だからアルファかベータ」のような推論では、16タイプのうち8タイプまでしか絞れていません。
実証の水準を混ぜないこと。見分け方の章で見たとおり、この軸には、大規模な質問紙で否定的な検定結果があります。原典の記述と観察報告は読み物として豊かですが、「統計的に確認された性質」として引用できる段階にはありません。
08両極のタイプ一覧
両極の8タイプずつを、クアドラの並びで再掲します。自分のタイプがどちらに入っているかを確かめたら、「正しさ」の扱い方と話題の表裏に心当たりがあるかを照らし合わせます。合わないと感じたら、それはタイプの判定そのものを見直す手がかりにもなります。二分法は、判定の答え合わせにも使えるからです。
引用索引
本文で引用した出典を、登場した順にまとめます。引用の日本語は原文から訳出したものです。
- [1]アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ「レイニン特性理論」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 第6部(№6)(1998年) 本文へ
- [2]グリゴリー・レイニン「レイニン特徴をめぐる議論への若干の覚書」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №2(2003年) 本文へ
- [3]グリゴリー・レイニン『Socionics: Typology. Small Groups.』(2010)第III部 本文へ
- [4]アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ「レイニン特性理論」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 第6部(№6)(1998年) 本文へ
- [5]アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ「レイニン特性理論」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 第6部(№6)(1998年) 本文へ
- [6]アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ「レイニン特性理論」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 第6部(№6)(1998年) 本文へ
- [7]アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ「レイニン特性理論」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 第6部(№6)(1998年) 本文へ
- [8]アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ「レイニン特性理論」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 第6部(№6)(1998年) 本文へ
- [9]サンクトペテルブルクのソシオニクス作業グループ『レイニン特徴の中身: 実地研究の結果』(原題:Наполнение признаков Рейнина: результаты практических исследований、2003) 「陽気/深刻」の節 露語の報告。公開元の dynamicsocionics.ru は閉じており、Internet Archive の写しで読める。英訳は Wikisocion「Reinin Dichotomies: Study Results」 出典リンク 本文へ
- [10]サンクトペテルブルクのソシオニクス作業グループ『レイニン特徴の中身: 実地研究の結果』(原題:Наполнение признаков Рейнина: результаты практических исследований、2003) 「陽気/深刻」の節 露語の報告。公開元の dynamicsocionics.ru は閉じており、Internet Archive の写しで読める。英訳は Wikisocion「Reinin Dichotomies: Study Results」 出典リンク 本文へ
- [11]サンクトペテルブルクのソシオニクス作業グループ『レイニン特徴の中身: 実地研究の結果』(原題:Наполнение признаков Рейнина: результаты практических исследований、2003) 「陽気/深刻」の節 露語の報告。公開元の dynamicsocionics.ru は閉じており、Internet Archive の写しで読める。英訳は Wikisocion「Reinin Dichotomies: Study Results」 出典リンク 本文へ
- [12]Wikisocion「Reinin Dichotomies: Study Results」(コミュニティ編纂、2026-09-01閲覧) 本文は英語ページからの訳出 出典リンク 本文へ
- [13]ヴィクトル・タラノフ「レイニン特徴の実験的研究」『ソシオニクス新聞』誌 №07-08(2003年) 本文へ
