ベータクアドラ 詳細解説
EIE・LSI・SLE・IEI
ベータクアドラは、EIE・LSI・SLE・IEIの4タイプで作るクアドラです。この記事は、ソシオニクスの研究者たちがベータをどう記述してきたかを原典の逐語引用で通読し、横断して残る中核像(集まりの雰囲気、大事にすること、決め方、苦手)を出します。クアドラという概念そのものの解説と、引用・翻訳の方法規約は共通記事に置いてあり、この記事は最初から最後までベータの話をします。クアドラの全体像について知りたい人は、クアドラ詳細解説を参照してください。
01ベータクアドラとはどんな人たちか
最初に、この記事全体の答えを短く置きます。研究者の記述を横断した上での当サイトの統合で、根拠になる原文は次章以降で全て示します。
ベータの集まりの中心は、目標と結束です。誰が何を受け持つか、いま全体がどこへ向かっているかがはっきりしていて、感情は個人のうちにとどまらず、集団の状態として扱われます。個人の深い感情から集団規模の感情状態までが同じ要素の射程に入り、人の感情に働きかける腕前が高く評価されます。
大事にするのは4つです。Se(外向感覚)の力と実行、Ti(内向論理)の構造と規律、Ni(内向直観)の時代の流れと時機、Fe(外向倫理)の共有される感情。逆に、根拠のない楽観、実利だけの損得勘定、個別の事情を優先して全体を崩すことは価値の外にあります。
決め方の前提にあるのは、階層と分業です。誰がどの持ち場かが先にあり、序列は押し付けられるものというより、読めるもの・使えるものとして扱われます。苦手の側にあるのは、可能性を可能性のまま広げておくこと、規格の外の個人差を扱うことです。Stratiyevskayaはこれに、自分の弱さを認めることへの恐怖をベータの負担として挙げています。
以降の章は、この答えの根拠です。研究者ごとに何と書いたかを逐語で読み、一致と食い違いを整理し、最終章でこの答えをフル版の人物像に拡張します。
読この記事の読み方
本体は研究者ごとの章です。01章に短い答えを置き、02章でなぜこの4タイプが同じクアドラなのかを押さえ、03〜10章でアウシュラからGulenko、機関誌の研究者までの記述を逐語で読みます。11章以降で一致と食い違いを整理し、会話、4タイプの違い、他のクアドラから見た姿、社会の中の位置、見分け方まで進み、最後に人物像の章で締めます。急ぐ読者は、01章の答えと各章末尾のまとめ、最終章だけでも通読できます。クアドラという概念そのものの解説と、引用・翻訳の方法はクアドラ詳細解説にあります。
ページ冒頭の「コピーしてAIで要約!」を押すと、要約用の指示文とこのページの本文がクリップボードに入ります。AIに渡して、要約のほか、引用の意味を聞く、研究者ごとの違いを整理させる、といった使い方ができます(長すぎるときは章を分けて渡してください)。
02ベータクアドラはなぜこの4タイプか
ベータの枠組みを先に確認します。所属する4タイプ、価値として共有する4要素、そして内側の関係です。
ベータの4タイプが共有する価値要素は、Se(外向感覚)・Ti(内向論理)・Ni(内向直観)・Fe(外向倫理)です。同じ4要素を、各タイプは別の位置で担います。
| タイプ | 主導 | 創造 | 動員 | 暗示 |
|---|---|---|---|---|
| EIE | Fe | Ni | Se | Ti |
| LSI | Ti | Se | Ni | Fe |
| SLE | Se | Ti | Fe | Ni |
| IEI | Ni | Fe | Ti | Se |
表は横に読みます。EIEの主導にあるFe(外向倫理)は、LSIでは暗示(外から補ってほしい位置)に入り、この主導と暗示の対応が双対関係です。ベータではEIE–LSIとSLE–IEIの2組が双対ペアです。
クアドラの中で成り立つ関係は、同一・双対・活性化・鏡像の4種だけで、残りの12関係は相手が別のクアドラに属するときに生じます。だからベータの内側には、価値がぶつかる組み合わせが構造上ありません。
03Aushraのベータ
Aushraがベータを記述するのは、ソシオンを特性で分割するときで、ベータがどちら側に入るか、そこで何が「公然と議論される」かという形を取ります。この章では、ベータに関わる3つの分割と、エネルギー循環のベータ部分、そしてベータとガンマに帰属された気質の1行を解説します。
声に出してよい話題
1つ目の分割で、ベータはアルファと同じ側に入ります。
特性が現れるのは、ソシオンを2部に分け、第1グループにクアドラ アルファとベータ、第2にガンマとデルタが入る場合。(中略)第1ペアでは、外的関係と客観的必要の問題(□〔Ti〕)、気分、鼓舞、無関心または陽気、興奮、憤慨、体験(▼〔Fe〕)が自由に議論される。(中略)第2グループ—ガンマとデルタ—は、願望、愛、憎悪(▽〔Fi〕)と行為(■〔Te〕)の問題を自由に議論する。
ベータの会話で自由に話せるのは、論理の話題(外的関係・客観的必要)と感情の話題(気分・鼓舞・興奮)—理屈と感情が同じテーブルに載る側で、ベータはアルファと同席します。2つ目の分割で、ベータはガンマと同じ果敢側に入ります。
賢明グループでは、潜在的可能性、能力の問題、対象と主体の内的内容と構造の問題が公然と議論される。(中略)体調、快・不快な感覚、痛み、要するに様々な感覚的喜びと不快の公然たる議論。(中略)果敢では、物質的・人的資源—運動エネルギー源—を蓄積する能力、自分の意志を示すこと(このため果敢と呼ばれる)が公然と議論される。
ベータが入る果敢側に割り当てられるのは、資源を蓄積する能力と、自分の意志を示すことの公然たる議論です。果敢という特性名自体が、この「意志を示すこと」から来ています。3つ目の分割は民主/貴族で、ベータはデルタとともに貴族側です。
この特性はプログラム的である。(中略)この特性が現れるのは、ソシオンを2部に分け、第1グループ「民主主義者」に反対のクアドラ アルファとガンマが、第2グループ「貴族主義者」に反対のクアドラ ベータとデルタが入る場合である。反対のクアドラのペア—私たちがオクターブと呼ぶもの—は、各オクターブが2つのブロック化から形成されるという興味深い特性で異なる。
3つを重ねると、Aushraのベータは「感情と論理を自由に話し、資源と意志を公然と議論する、貴族側」です。会話に載る話題の集合でクアドラを特定する書き方は、アルファの記事と同じです。
エネルギー循環の中のベータ
クアドラ別エネルギー循環の発見(中略)
| クアドラ | 構成 | 機能 |
|---|---|---|
| α | ▲〔Ne〕▼〔Fe〕 | 潜在エネルギーと点火 |
| β | ▼〔Fe〕●〔Se〕 | 燃焼と運動エネルギーへの転換 |
| γ | ●〔Se〕■〔Te〕 | 運動エネルギーと使用、労働 |
| δ | ■〔Te〕▲〔Ne〕 | 運動エネルギー使用と追加潜在エネルギー自給 |
ベータの構成はFe(外向倫理)とSe(外向感覚)で、機能は「燃焼と運動エネルギーへの転換」。アルファが点火した可能性を、実際に燃やして動く力に変える位置です。内向の要素の側でも同じ形の表があります。
白い要素でも同様:
| クアドラ | 構成 | 機能 |
|---|---|---|
| α | ○〔Si〕□〔Ti〕 | 自己感覚が距離を決める |
| β | □〔Ti〕△〔Ni〕 | 距離が時間を決める |
| γ | △〔Ni〕▽〔Fi〕 | 時間の流れが欲求・引力を生む |
| δ | ▽〔Fi〕○〔Si〕 | 欲求満足が自己感覚を変える |
こちらのベータはTi(内向論理)とNi(内向直観)で、機能は「距離が時間を決める」。距離と時間が何を指すかの説明は原文に付いておらず、位置関係が次の出来事の時期を決める、と読むのは当サイトの思索です。気質の面では、Aushraはベータとガンマに固有とした傾性を1行で書き残しています。
悲劇主義と感情的高所恐怖症への傾性が、ベータとガンマのクアドラに固有である、また — 最も真面目なものをファルスとコメディに転じる傾性 — アルファとデルタのクアドラに。
悲劇主義への傾性はベータとガンマに固有—同じFe(外向倫理)を価値にしても、アルファの感情が笑いへ向かうのに対し、ベータの感情は悲劇の高みへ向かう、という分かれ方です。
Aushraのベータは、感情と論理の話題を自由に話す主観側でありながら、資源と意志を公然と議論する果敢側、序列を保つ貴族側に立ちます。エネルギーの面では、点火された可能性を燃焼させて運動に変える位置。感情の向きは悲劇の側です。「意志を声に出してよい場」としてベータを定義し、その役を燃焼に置く—これがAushraのベータの中核です。
04Reininのベータ
Reininは、クアドラごとに一致する3つの特性を、数理的な導出と小集団実験の両方から扱った研究者です。ベータが属する側(貴族・主観(別名は陽気)・果敢)のうち、実験でいちばんはっきり観測されたのは貴族側のふるまいです。
ベータは貴族・主観の側
第1の基準、伝達手段:それらすべては貴族か民主のいずれかである。2つの「貴族」クアドラと2つの「民主」クアドラがある。(中略)客観的人々はガンマおよびデルタクアドラに属する。主観的人々はアルファおよびベータクアドラに属する。
伝達手段(貴族/民主)でベータは貴族、主観/客観でベータは主観の側です。貴族側が実験でどう見えたかを、Reininはこう振り返ります。
「貴族/民主」を取ったとき、集団は非常に興味深く構造化されました。貴族型には個人的な距離があり、順番に発言し、相手の話を遮らず、序列が観察されます。民主型はたえず互いに発言を遮り、距離が近く、丁寧な話法は少なめです。
貴族側(ベータとデルタです)は個人的な距離を保ち、順番に発言し、相手を遮らず、序列が観察される。同じ観察は著書にもあります。
実験中、これらのグループは区別しやすい。貴族タイプはできるだけ自身を他者から距離を置こうとし、決して誰かを遮らない。民主タイプは皆同時に話し、しばしば礼儀の共通規範を顧みない。
同じ描写がインタビューと著書の双方に残っており、Reininが一貫して報告していた観察です。観察の対象もベータ単独ではなく、ベータとデルタを合わせた貴族側です。遮らない・順番を守る・距離を保つという型は、後の章で読むStratiyevskayaの、秩序と構造の導入という記述と同じ方向を向いています。
ベータが入る側
「主観主義/客観主義」—これは「陽気/深刻」と呼ばれているものです。なぜそう名づけられたか—単に外見上そう見えたからです。話の方向によって分かれました。(中略)一方は世界の記述に対して関わり、もう一方は記述から世界像へと関わる。
ベータはアルファとともに陽気側です。「陽気」は明るい性格のことではなく、記述・理論・説明へ向かう認識の方向を指します。3つ目の特性では、ベータは果敢側です。
「賢明/果敢〔原文:рассудительность-решительность〕」。外見上はまったく同じです。(中略)何が同じだったのか—心地よさです。集団内で—もっとも心地よい集団。(中略)両者を分けるのは性的プログラムです。一方のプログラム—パートナーへの志向。もう一方—プロセスへの志向。(中略)意味論は自己報告とインタビューから取り出されました。
果敢側(ベータはこちら)と賢明側は外見が同じで、分かれるのは本人がどの集団を心地よく感じるかの自己報告です。行動の観察だけでは取り出せない特性がある、という方法上の注意ごと受け取ります。
まとめると、Reininの実験で「距離を保ち、順番に発言し、遮らず、序列を観察する」側として観測されたのは、ベータとデルタを合わせた貴族側です。3特性のうち貴族は外から見え、主観(陽気)は名前の通俗理解が罠になり、果敢は心地よさの自己報告でしか判別できません。ベータの一体感は、貴族側の共有特性として、序列と順番の一致という形で観測される—これがReininの記述から取り出せるベータの位置です。
05Bukalovのベータ
Bukalovとキエフ学派のベータ記述を、役割→世界感覚→組織→歴史の順で解説します。アルファの「作る側」に対して、ベータは「打ち立てる側」として一貫して書かれます。
選別と物質化
- βクアドラは、静的で変形された理論と、それを導入(物質化)する動的な実践のクアドラである。理論の発展は乏しく、図式主義と教条主義の特徴が与えられる。言い換えれば、情報はほとんど生産されない。αクアドラが生産した情報量から、自らの志向に従い、現実を顧みず実践へ導入できるものが選ばれる。すなわち、選別された情報の物質化が生じる。(中略)理論上のプログラムはEIEが設定する。βクアドラのプログラムを実現し、実践で優勢なのはLSIである。優勢なEIE–LSIダイアドの性格により、βクアドラは合理的、内向的、果敢である。
ベータは情報を生産する側ではなく、アルファが生産した情報から実践へ導入できるものを選別し、物質化する側—理論のプログラムはEIEが設定し、実践で優勢なのはLSIという分担まで書かれています。世界感覚の側の記述はこうです。
クアドラβの世界感覚は実践的活動に向けられており(中略)クアドラβは次の情報代謝タイプから構成される: 1)倫理直観外向(EIE、▼(Fe)35▼(Fe)36); 2)論理感覚内向(LSI、□(Ti)37□(Ti)38); 3)感覚論理外向(SLE、●(Se)39●(Se)40); 4)直観倫理内向(IEI、△(Ni)41△(Ni)42)。(中略)クアドラβの世界は閉鎖的・限定的であり、その狭く実践的な志向性ゆえに、設定された目標からの逸脱を効果的に抑圧する。(中略)クアドラβの世界感覚は実用主義的志向を伴った悲観主義である。
目標からの逸脱を抑える力と引き換えに、世界は閉じて限定される。世界感覚は「実用主義的志向を伴った悲観主義」—Aushraの「悲劇主義」と同じ場所を、Bukalovは認識の構えとして書いています。この構えが社会の規模になったときの記述もあります。
クアドラβの支配体制を持つ社会において、人間は完全に無力で、国家の没個性的で強大な力に抵抗する一切の可能性を奪われていると感じる。
これはベータの個人の性格ではなく、ベータの価値が支配体制になった社会の記述です。結束と規律の裏面が、社会規模では個人の無力感になる、という歴史からの観察です。
組織の中のベータ
第1クアドラ(アルファ)の組織内では、人は通常、同志のチームの一部と感じ、思想生成者として、共通の風潮の創出に貢献する心地よい対話相手として評価される。第2クアドラの組織では、人はしばしば自分が大きな機械の歯車、この巨大なメカニズムの一部だと感じる。(中略)第3クアドラの社会または組織では、個人的成功が前面に押し出され(中略)第4クアドラの社会では、強調はもう個人的成功にではなく、個人的実現とそのための好ましい条件の創出に置かれる。(中略)安定した集団の中核には、しばしばクアドラが形成される。(中略)そのときリーダーは自分の指示を部下の言語に翻訳するのに多くの労力を使わなくて済む。
ベータ組織の中の人は、自分を大きな機械の一部だと感じる—巨大なメカニズムに組み込まれている感覚は、負担にも誇りにもなり得る両義の記述です。階層の扱いは明確です。
レイニン特性に「貴族‐民主」がある。それはクアドラに関わる。第1クアドラ(アルファ)では雰囲気は非常に民主的で、このクアドラの代表者は社会的・階層的・行政的慣例外での接触に向けられる。(中略)第2クアドラでは逆に、階層が何かを非常によく理解し(中略)第3クアドラでは民主的運営の性質、組織構造は階層的に浅く、水平的か、あるいはしばしば各種の機能グループが作られる。第4クアドラでは再び階層の要素が現れる。
ベータは「階層が何かを非常によく理解する」側です。序列は押し付けられるものではなく、読めるもの・使えるものとして扱われます。
Bukalovのベータは、アルファの着想から実践に載るものを選別して物質化する「実現のクアドラ」です。世界感覚は実用主義的な悲観主義で、目標からの逸脱を抑える力を持ち、組織では機械と階層の言葉で描かれます。ベータは構造を現実に打ち立てる段階を担い、その力の裏面まで記録されている—これがBukalovのベータの中核です。
06Stratiyevskayaのベータ
Stratiyevskayaは『お別れしないために』第II部で、ベータを「アルファから受け継いだ要素が別の意味に変わるクアドラ」として書き始めます。この章では、継承、支配する価値、退けるもの、緊張の常態、生き方、そして負担の中核の順で解説します。
同じ要素、別の中身
どのような価値が第二クアドラ(ベータ)を特徴づけるのか?(中略)支配的アスペクトの一部は第一クアドラから第二クアドラへ移行した。これは同時にそれに対応する価値も第二クアドラに移行したことを意味するか?(中略)クアドラ価値の性格と、それに対応するアスペクトの性格は、ここではすでにいくらか別物だ。(中略)第一クアドラのアスペクトが第二クアドラで別の意義を獲得し、別の意味、別の内容で満たされたことだ。
アルファからTi(内向論理)とFe(外向倫理)が持ち越されますが、同じ要素が別の意味で満たされる—Stratiyevskayaは、継承を価値の中身の変質として書きます。その変質の中心が、意志的感覚です。
大事にする価値
われわれは第二クアドラ(ベータ)の価値の分析を非合理的アスペクトから始める。すなわちマイナス符号のついた「意志的感覚」のアスペクト(-●(Se))から(中略)マイナス符号は、われわれがすでに知るように、このアスペクトの否定的方向性を示す。この場合、それは弱さを許さないという志向、その結果として、自分の力の潜在能力を高めるという志向に表現される。また、弱さへの軽蔑、欠乏や力で勝る対立者との闘いで剛毅さを発揮する能力、より大きな力に対抗し、それによって尊敬と権威への自分の権利を獲得する能力に表現される。
彼女はベータの価値をSe(外向感覚)から説き起こします。符号がマイナスであることの中身は、弱さを許さない志向と、そこから来る力の蓄積です。この符号は、集団の内側でどう働くのでしょうか。
第二クアドラ(ベータ)では弱いことは恥ずかしい(!)弱者は屈辱される。(中略)第二クアドラとは選ばれた、強い人々の共同体である。形式的な特徴—出自、人種的所属、賞状、卒業証書、勲章(中略)による「選ばれていること」と一種の「例外性」の思想は—常に第二クアドラに伴う。(中略)このクアドラが「貴族のクアドラ」と呼ばれるのは偶然ではない。威信と個人的権威は、その代表者の誰にとっても重要だ。階級の尊敬、年功の尊敬—ここでは無条件で絶対的な概念だ。
弱さが恥になる共同体では、選ばれていることの印(出自、賞状、勲章)が意味を持ちます。「貴族のクアドラ」という呼び名の由来を、Stratiyevskayaはここに置きます。次に来るのが時間の扱いです。
第二クアドラ(ベータ)の代表者は、誰よりもよく「現在の瞬間の意義」を自覚する。さらに彼らは、この瞬間と結びついた何らかの利益や優位を逃さないことに心を砕く。(中略)第二クアドラでは運命を信じ、最高の使命を信じる。
いまこの瞬間の意義を誰よりも自覚し、同時に運命と使命を信じる。目先の警戒と長い時間の物語が同居する、というのがベータのNi(内向直観)の書かれ方です。その緊張を緩めるのが感情の側です。
第二クアドラ(ベータ)では「生活はより良くなった、生活はより楽しくなった」。それゆえ第二クアドラへこのアスペクトはプラス符号を伴って踏み入り、ここに活気、熱意、祝祭性、霊感、感情の高揚の充電をもたらした。すなわち、絶え間ない極限性の環境、第二クアドラの内部における内的対立と内輪揉めによって引き起こされた陰鬱な緊張を緩和するすべての色合いを。
アルファではマイナスだったFe(外向倫理)が、ベータではプラスに変わって活気と祝祭性をもたらす—緊張した場を保たせているのが感情の高揚だ、という説明です。そして4つ目が論理です。
まさにこのアスペクトが第二クアドラ(ベータ)の社会構造を、閉鎖的、中央集権的、階層的なシステムとして形成する。(中略)第二クアドラの価値はその社会的役割をも規定する—周囲の環境の抵抗の条件下で新しい構造と新しい秩序を導入することだ。
Ti(内向論理)は閉じた中央集権的な階層を作り、その階層が社会的役割を規定する。抵抗する環境の中に新しい秩序を入れる、という役割は、この4つの価値の合成として出てきます。
第二クアドラ(ベータ)の価値はその社会的役割をも規定する—周囲の環境の抵抗の条件下で新しい構造と新しい秩序を導入することだ。
環境が抵抗する条件下で、新しい構造と秩序を導入する—楽な場面ではなく、押し返してくる現実を相手にする役割です。
退けるもの
第二クアドラ(ベータ)には「個人主義」と「異論」の居場所はない。それゆえ「黒の直観」—「可能性の直観」—がここでは「船外」となったのは偶然ではない。思考の独創性は怖がらせ、警戒させる(中略)「白の倫理」—「関係の倫理」—も余計なものとなった。憐れみ、慈悲、隣人愛は、第二クアドラでは弱さと無原則性の発現として受け取られる。
可能性の直観と関係の倫理が、そろって外に置かれます。思考の独創は具体的な実現を妨げるものとして、憐れみと慈悲は弱さの現れとして扱われる、という記述です。退けられるものは、ほかにもあります。
余計となったのは「協力的」、運営的論理のアスペクトだ。経済がイデオロギーに従属し、意志的方法で管理されるところでは(中略)そしてもう一つの「下品な」、第二クアドラ(ベータ)の観点からは「忌まわしい」とすら言えるアスペクトがある—「感覚の感覚」のアスペクトだ。第二クアドラの代表者の、快適、心地よさ、その他の「些細な」「俗物的な」喜びへの軽蔑的な態度に表現される。
実利の論理と快適さの感覚も、ベータでは価値の外にあります。アルファの記述で中心にあった心地よさが、ここでは「俗物的」の側に回る—同じ要素が、隣のクアドラで正反対の位置に来ます。
弛緩しないという生活形式
第二クアドラ(ベータ)では弛緩しない—その意味は、ここでは弛緩は非自然な存在の形態であるということだ。(中略)ここでは絶え間ない生存のための闘争、最強者と最も選ばれた者の絶え間ない選別が行われている。さもなければ、第二クアドラに固有の社会構造の階層性が、何によって形成されるというのか? このクアドラの代表者の数人が一つの集団に集まれば、すぐに彼らは一種の階層的グループを組織する。形式的か非形式的かは問題ではない。
弛緩が不自然な形式になる、という書き方です。数人集まればすぐ階層ができるという観察も、選別が常時走っていることの帰結として置かれます。
「意志的感覚」のアスペクトのこのような発展は、第二クアドラ(ベータ)に絶え間ない緊張の状態、状況の絶え間ない極限性の状態を伝える。
Se(外向感覚)が価値の中枢に入ることで、ベータは絶え間ない緊張と、状況の極限性の感覚の中に生きる—アルファの「軽さ」と正反対の基調です。
生き方
彼らは防御を軽蔑し、もっぱら攻撃することを好む。勇敢者の狂気と闘争のロマンを讃える。彼らは能動的な市民的立場で際立つ。痛みを軽蔑し、試練を培う。忍耐力と剛毅さを称揚する。(中略)理想への忠誠と献身はここでは崇拝に高められ、絢爛たる儀礼で装われる。(中略)劇場、戯曲、音楽、詩—彼らの創造のための最も広範で最も恵み豊かな分野だ。
防御より攻撃、痛みへの軽蔑、忍耐と剛毅の称揚。そして理想への献身が儀礼で装われます。劇場・戯曲・音楽・詩を創造の場に挙げる点は、感情を集団の状態として扱うという記述と地続きです。美学もこの線上にあります。
第二クアドラ(ベータ)の美学もイデオロギーに従属し、もっぱらプロパガンダ的な性格を帯びる。(中略)性は—異質な、小ブルジョア的な概念。第二クアドラの代表者の何人かの意見では、それはここに単に存在しない。それに引き換え、性的倒錯は過剰に存在する。まさに「関係の倫理」と「感覚の感覚」がここでは排除されたアスペクトであることの結果として。
美が美のためにあるアルファと違い、ベータの美学は理念に仕えます。式典・行進・記念碑のような、意味を運ぶ美です。
「シェスチョルカ」のコンプレックス
Stratiyevskayaは4つのクアドラそれぞれに固有の「クアドラのコンプレックス」を置きます。ベータのそれは、力の序列の裏面です。
「意志的感覚」のアスペクトの、弱さの最小化(弱さを最小限に抑える)に向かう方向性は、それに対応する「裏面」—対応する「クアドラ・コンプレックス」を生む。「『シェスチョルカ』(下っ端、子分)コンプレックス」だ。自分自身の弱さを認めることへの恐怖は—まさに第二クアドラ(ベータ)の代表者の誰もが、社会タイプの如何にかかわらず恐れているものだ。屈辱され、「踏みつけられ」、「利用され」、「カモとして扱われ」、こき使われ、「水を運ばされる」者となることへの恐怖。
Stratiyevskayaの整理では、アルファの負担が「話させてもらえないこと」だったのに対し、ベータの負担は「弱い側に置かれること」です。自分の弱さを認めることへの恐怖、序列の下に固定されることへの恐怖—彼女の記述では、ベータの規律と強さの追求はこの恐怖と対になっています。ただし彼女は、この章をベータへの否定では締めません。
それでも第二クアドラ(ベータ)についての話を陰鬱な調子で終えたくない。「悪い」「良い」社会タイプはないように、「悪い」「良い」クアドラもない。(中略)第二クアドラの運命—大胆な社会的実験とそれを自分自身で試すこと。
良いクアドラも悪いクアドラもない、という但し書きです。ベータに割り当てられるのは大胆な社会的実験と、それを自分の身で試すことだ、と書かれます。循環の中の位置づけも、彼女は明確に書いています。
このようにして、クアドラ間の相互関係、一つのクアドラから他のクアドラへの交代、そしてクアドラサイクルの完結を辿ることができる。それは常に質的な社会的飛躍—より高い社会的レベルでの第四クアドラ(デルタ)から第一クアドラへの移行—によって特徴づけられる。
つまり、Stratiyevskayaのベータは、アルファから受け継いだ要素を別の中身で満たし直したクアドラです。支配する価値は力・時機・高揚・階層の4つ、退けるのは独創・憐れみ・実利・快適の4つ、基調は弛緩しない緊張、役割は抵抗の中での構造と秩序の導入、美学は理念に仕えるプロパガンダ的な美。そして全体の裏面に「弱い側に置かれることへの恐怖」が1つ置かれます。抵抗の中で構造を押し通す力と、弱さを見せられない負担が対になっている—これがStratiyevskayaのベータの中核です。
07Filatovaのベータ
Filatovaは『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001年)で、クアドラを関係の側から記述します。特定のクアドラの肖像ではなく、クアドラという4人組がどんな関係でできているかを書く章立てで、この記事ではその機構をベータの4タイプ(EIE・LSI・SLE・IEI)に当てて解説します。
双対関係
ソシオニクスでは、この種の関係は、完全な相補、すなわち双対化の関係と呼ばれる。実際、この「相補性」は、モデル・ユングにおいて諸機能がその強さにおいて逆の順序を持つという点によく表れている。
ベータでは、EIEとLSI、SLEとIEIがこの逆順の組です。守られ感の記述も同じ機構から出ます。
双対のペアにおいては、これほどまでに見事な支えと理解が実現されるため、それぞれが自分は守られていると感じる。そのとき、それぞれが何をしても、何を言っても—すべてが適切であり、すべてが良く、すべてが正しい。これ自体が、自分は良い人間、善良な人間であるという感覚をもたらし、自分自身の高い価値の感覚をもたらす。そしてこの感覚こそ、あらゆる人間の基本的な欲求の一つである。
「何をしても適切に受け取られる」という支えは、どのクアドラの双対にも同じ形で置かれています。
数年の共同生活を経た夫婦は、互いに依存し合うようになり、常に相手の存在を自分の人生に必要としていると感じる。ちょっとした口論でさえ、すぐにそれを鎮め、すべてを和らげたいという欲求を引き起こす。なぜなら、そうしなければ、常に感じ、あまりにも慣れきってしまったあの均衡、あの支えが失われ、まるで足元の地面が崩れ去るように感じられるからである。
クアドラへの拡張
クアドラは二つの双対ペアから成るが、ここで、一方のペアの代表者ともう一方のペアの代表者との間の関係がどのようなものかを分析してみよう。ここで私たちは、双対とは異なる性格の関係に出会うことになる。クアドラの中で、一方の双対ペアの各人は、何らかの形で、もう一方の双対ペアの代表者たちと関係している。これらの関係は活性化の関係、および鏡像関係と呼ばれる。それでは、これらについて取り組んでいこう。
ベータに当てると、活性化はEIE–SLEとLSI–IEI、鏡像はEIE–IEIとLSI–SLEです。4人がそろうと、単位としての強さが出てきます。
まったく注目に値する事実に気づいてほしい。それぞれの4人組の各行には、4つの機能すべてが(ただし、その向き〔外向・内向〕を考慮しなければ)そろっているのである。つまり、それぞれの4人組は、外的な条件に見事に適応しているということになる—必要な瞬間には常に、その場に適した強い機能を持つ者が見つかるのである。実際、ここには論理、倫理、感覚、直観が—最初の、主導のチャンネルに—そろっている。同じことは、残りの3つのチャンネルについても言える。
ベータの主導の行は、Fe(EIE)・Ti(LSI)・Se(SLE)・Ni(IEI)。倫理・論理・感覚・直観の4つが、主導の行だけでそろいます。
Filatovaのクアドラは、守られ感を供給する2組の双対を中心に、活性化と鏡像でつながった4人組で、ベータではEIE–LSIとSLE–IEIがその2組です。各行に4つの機能がそろうので、場面に応じて強い機能の持ち主が見つかります。ここまでは全クアドラ共通の関係論で、ベータに固有の色はつきません。
08Karpenkoのベータ
Karpenkoの次元ランキング(8つの情報アスペクトの働きの幅(1〜4次元)をクアドラごとに数える方法)のベータの回です。ベータの得意と苦手が、この章でいちばん細かく出ます。
四次元と三次元にあるもの
では、もうひとつの直観—時間の直観Ni(内向直観)〔原文:△(Ni)〕—はどうなっているか。自然と社会の中で進行する時間的な、その他の動的な過程についてのもっとも深い時間感覚と理解が第2クアドラ(ベータ)の代表者に備わっている、という点に異を唱えるのは難しいように思う。まさに彼らこそ、具体的なタイプによらず、一種の「メトロノーム」、変化のインジケーター、時間と記憶の守り手なのである。(中略)かくして、第2クアドラにおける時間の直観(Ni(内向直観)〔原文:△(Ni)〕)は四次元である。
ベータのNi(内向直観)は四次元—時間と記憶の守り手、変化のインジケーター。アルファで一次元だった時間の扱いが、ベータでは最上位に入ります。意志の側は三次元です。
第2クアドラ(ベータ)もクアドラ価値の中に黒い感覚(Se(外向感覚)〔原文:●(Se)〕)を含んでいる。しかし私の見るところ、この感覚はクアドラγほどスケールが大きくも多次元でもない。そのかわりより具体的で、現実により完全に対応している。第2クアドラの感覚的・意志的「応答」は、ほぼ常に適切で、働きかけと釣り合っている。(中略)もっとも成功した将帥たち、名高い格闘家や戦士たちは、まさにこのクアドラの出身である。クアドラβの意志感覚は三次元である。
ベータのSe(外向感覚)は三次元で、ガンマより規模は小さい代わりに、応答が働きかけと釣り合う—過不足のない力の使い方として書かれています。論理はこうです。
第2クアドラ(ベータ)の、築き上げられた論理体系—科学的なものであれ社会的なものであれ—への態度は、はるかに「責任感のある」ものである。βクアドラにとって論理的原理は行動への刺激であり、論理体系は現実の反映—いやそれどころか、ほとんど現実の相似物である。第2クアドラでは、論理的に仕上げられた判断への敬意が驚くほど発達している。(中略)三次元の白い論理(Ti(内向論理)〔原文:□(Ti)〕)は、第2クアドラの生活の織地にしっかりと編み込まれている。
ベータのTi(内向論理)も三次元。アルファが体系をあっさり捨てるのに対し、ベータにとって論理体系はほとんど現実の相似物で、行動への刺激です。同じTi(内向論理)の価値でも、扱いがここまで違います。感情はNi(内向直観)と並ぶ四次元です。
おそらく、感情の倫理(Fe(外向倫理)〔原文:▼(Fe)〕)をグローバルと呼べるのは第2クアドラ(ベータ)においてだけである。ここではこのアスペクトの意味論のあらゆる色合いが発現している: 個々の人間の真に劇的な、深い、それどころか深層の感情から、人々の集団の、さらには民族やエトノスの感情状態まで。(中略)他人の情感と感情に働きかける腕前は、このクアドラでは芸術の水準にまで引き上げられている—この芸術は誇りの種であり、この腕前は活発に使われる。
個人の深層感情から民族規模の感情状態まで—Fe(外向倫理)をグローバルと呼べるのは、おそらく第2クアドラにおいてだけだろう、という評価です。順位づけの上では、Fe(外向倫理)はNi(内向直観)と並ぶ四次元に置かれます。
二次元と一次元にあるもの
第2クアドラ(ベータ)での可能性の直観の扱いは、さらに苛烈である。「必要以上に実体を増やすな」。「そんなに頭がいいなら、なぜ隊列を組んで歩かないのか?」。強調しておきたいが、ここで問題なのはアイデアを受け取る能力の欠如ではなく、唯一の正しい説明、教義、公準の代わりに、説明と理論のスペクトル全体を、集積を、体積を受け入れる用意がないことである。(中略)第2クアドラの社会で個人差の平準化が起こるのも、可能性の直観(Ne(外向直観)〔原文:▲(Ne)〕)の一次元性のゆえである。
ベータのNe(外向直観)は一次元。可能性を複数のまま持っておくことが苦手で、唯一の正しい説明へ収束させたくなる—教義への傾きを、能力の欠如ではなく「スペクトルを受け入れる用意のなさ」として精密に書いた一節です。感覚の快適さの側は二次元です。
第2クアドラ(ベータ)の白い感覚のアスペクトへの態度はまったく別物である。その現れを画一化し、規範化し、秩序づけようとする志向が、あらゆるところに透けて見える: 制服の着用から幾何学式庭園の造成まで、河川転流の計画から、科学的に根拠づけられた住居面積と食事配分の規範(実のところは—最低限)の導入まで。そのような感覚は、二次元的、平板と呼ぶほかない。
Si(内向感覚)は二次元・平板。快適さは個人の楽しみ(アルファ)ではなく、制服や規格のように画一化・規範化されます。実務と関係の側は次の2つです。
第2クアドラ(ベータ)はこのアスペクトを役割的なものとして扱う。必要なら使うし、その必要がなければ済ませてしまう。第2クアドラの社会でビジネス活動が規範化され厳格に統制された性格を帯びるのは偶然ではない。それは第2クアドラにおけるビジネス論理のアスペクトの全体的な二次元性から生まれるのである。
Te(外向論理)も二次元。実務は役割として扱われ、必要がなければ手放されます。ベータ的な社会でビジネス活動が規範化され、厳格に統制された性格を帯びるのは、この二次元性から来ている、という説明です。関係の側はもっと低く出ます。
第2クアドラ(ベータ)では関係の倫理(Fi(内向倫理)〔原文:▽(Fi)〕)は一次元である。社会成員の「道徳的風貌」への気のもみよう、そして「道徳規範集」—党由来のものであれ宗派由来のものであれ—の存在は、関係の倫理のアスペクトの一次元性と、これほど複雑な問題を一義的に、そして永遠に解いてしまいたいという願望から生まれる。この特性こそ、第2クアドラのイデオロギーの上に築かれたあらゆる社会に固有のものではないだろうか。
Fi(内向倫理)はNe(外向直観)と並ぶ一次元。個別の関係の機微は、道徳規範集という既製の型で一義的に解きたくなる—関係の複雑さがベータの苦手の側にある、という診断です。
順位表は優劣の表ではない
ベータの強い側はNi(内向直観)とFe(外向倫理)、弱い側はNe(外向直観)とFi(内向倫理)でした。
表6からは、次の法則性を取り出すことができる。第一に、「クアドラの価値」であるアスペクトは、3以上の次元数をもつ。第二に、どのクアドラにも、次元数4、3、2、1の情報アスペクトが2つずつある。つまり、処理される情報の「総出力」において、4つのクアドラはみな等しい。
どのクアドラにも四次元・三次元・二次元・一次元が2つずつ配られていて、合計は等しい。ベータの強さと弱さの差は、量ではなく配置の差だという読み方になります。対称性はもう一段あります。
第四に、合理アスペクト(▼(Fe)、▽(Fi)、■(Te)、□(Ti))と非合理アスペクト(▲(Ne)、△(Ni)、●(Se)、○(Si))の次元数の和も、外向アスペクト(▲(Ne)、●(Se)、▼(Fe)、■(Te))と内向アスペクトのそれも、すべてのクアドラについて等しい。かくして、私たちの考察はすべてのクアドラに対してある種の対称性をもっている。
合理と非合理、外向と内向のどちらで束ねても、次元数の和はクアドラをまたいで等しくなります。Karpenkoはこの順位表の意味を、優劣の指標ではなく世界知覚の説明として置きます。
かくして、情報流のアスペクトの現れの次元数がクアドラごとにどう違うかを考察することで、私たちはクアドラ内部の世界知覚、「クアドラの精神」の理解を深めただけでなく、クアドラと個々のタイプがソシオンの中で演じる役割についての表象をも深めたのである。
次元数の比較は、クアドラごとの世界の見え方と、ソシオンの中での持ち場を説明するために使う—著者自身が置いた射程です。
対の和は5になる
順位表には、もう1つ細かい規則があります。同じ知覚・同じ判断でも、外向と内向で次元が配り分けられる、というものです。
同じ名称で向性(色)の異なるアスペクトの次元数の和は、すべてのクアドラ、すべてのアスペクト対について等しい。たとえばクアドラαで▲(Ne)の次元数が4なら、△(Ni)の次元数はわずか1で、その和は5である。一方このクアドラで○(Si)の次元数は3で、対応して●(Se)のアスペクトの次元数は2だが、和はやはり5である。言い換えれば、直観性という特性は(次元数の意味で)クアドラにおいて感覚性と同じ度合いで発現しているが、異なる向性のアスペクトへの次元の数の配分は等しくない。
ベータではNi(内向直観)が四次元でNe(外向直観)が一次元、Se(外向感覚)が三次元でSi(内向感覚)が二次元で、どちらの対も和は5です。変わるのは、どちらの向きに厚みを置くかだけです。四次元を実際に担うのが誰かも、表で名指しされています。
次元数の異なるアスペクトが、クアドラの中のタイプにおいてどう現れるかを見よう:(中略)四次元アスペクトの持ち主(中略)▼(Fe)△(EIE)(中略)△(Ni)▼(IEI)
ベータで四次元を持つのはEIE(Fe(外向倫理)とNi(内向直観))とIEI(Ni(内向直観)とFe(外向倫理))です。この2タイプが、ベータの価値のうち最も広い射程を受け持つ側です。
ここまでを整理します。Karpenkoのベータの順位は、四次元がNi(内向直観)とFe(外向倫理)、三次元がSe(外向感覚)とTi(内向論理)、二次元がSi(内向感覚)とTe(外向論理)、一次元がNe(外向直観)とFi(内向倫理)です。日常語に直すと、時機の読みと感情の運用が最上位、実行の力と論理体系の扱いがそれに続き、快適さの規格化と実務の統制は中位、可能性を開いたまま置くことと個別の関係の機微が最下位。ベータの得手不得手も次元の高低として一続きに説明できる。これがKarpenkoのベータの中核です。
09Gulenkoのベータ
Gulenkoのベータ記述は、この記事の研究者の中でもっとも強い言葉で書かれています。集団の結束、ロマン主義、英雄主義、正義、生活様式、エネルギー—順に解説します。
結束の作り方
βクアドラには、最も御しがたいタイプの人々が集中している。彼らをまとめるためには、強い家父長的家族 ― 数世代が1つの屋根の下に住み、その長の確固たる手によって導かれる ― が必要である。
出発点が意外です—ベータは従順な人々の集まりではなく、最も御しがたい人々の集まりで、だからこそ強い形の結束が要る、という順序で書かれています。結束の仕組みはこうです。
クアドラβは最大の集団主義を特徴とし、それは敵のイメージによって支えられている。このイメージは、最初は明確な対立「我々/彼ら」から形成される。β社会の信頼できる「セメント化」の手段は、単一の宗教とイデオロギーである。いかなる異論も基盤を損なうものとして知覚され、それゆえ何らかの方法で抑圧される。
最大の集団主義は「我々/彼ら」の線引きで支えられ、単一の宗教とイデオロギーが結束を固める—これはベータの価値が社会の支配原理になったときの記述です。Karpenkoが「唯一の正しい説明への収束」と次元で書いた同じ傾きの、社会規模の姿です。
ロマン主義・英雄・正義
このクアドラにおいてのみ、ロマン主義は心理学的に真正に見える。このクアドラのタイプにおいて、いかなるロマン主義的作品の登場人物の三角形(2人の男 ― 1人は値する者、もう1人はそうでない者 ― が女のために争う)が構築される。麗しい若い英雄たちは、滅びるか、勝って結婚するかである。しかし彼らは静かな家庭生活を味わうことはできない。彼らの運命は闘争である。それゆえ、もし著者が彼らの物語の続編を書くのなら、外部からの突然の脅威や内部からの脅威(裏切り)の形である種の悪化を考え出さねばならない。いかなる場合も、敵のイメージなしでは、彼はどうすることもできない。
ロマン主義が心理学的に真正なのはベータだけ—物語の型(闘争・英雄・滅びか勝利か)が、ベータの世界感覚の型と一致している、という文学経由の観察です。
βクアドラの他の尊重される価値は、英雄主義と無私の献身である。それは、四重の情熱性と正当に呼びうる。情熱性は、歴史家レフ・グミリョフによれば、闘争の名の下に、自分の生命に至るまで多くを犠牲にできる人物を記述する。
犠牲を払える人物像と並んで、ベータでもうひとつ大きく扱われるのが正義です。
βクアドラの最も人気のあるモットーの1つは、正義である。歴史は、奴隷の蜂起や農民戦争から現代の政治的ポピュリズムに至るまで、このアイデアの下での多くの大衆運動を知っている。それらは常に、力による財産の再分配と関連した平等主義的感情を伴っている。
英雄主義と無私の献身、そして正義。アルファの正義が論理的調和(公正な理屈)だったのに対し、ベータの正義は力による再分配を伴う大衆運動の旗です。同じ語の中身がクアドラで変わる実例です。
生活様式とエネルギー
クアドラβは、禁欲、肉体的・精神的な絶え間ない訓練、ならびに強制的な集団主義を提案する非常にスパルタ的な生活様式によってその理想を強化する。この社会組織は、時間における並外れた安定性を与える。良い歴史的な例はスパルタであり、約5世紀にわたって存在した。
禁欲と訓練の生活様式は、引き換えに並外れた時間的安定を与える—約5世紀続いたスパルタが例に挙げられます。エネルギーの評価は最大級です。
最も秩序‐エネルギー的なのは第2のクアドラ(β)であり、社会において最大の拡張を遂行する。社会における第2クアドラ(ベータ)の期間中、社会的動性は最大の上昇の軌道で頂点に向かい、その後、降的な、エネルギー吸収的な発展期間が来る。第2クアドラはエネルギーに非常に満ちているため、もし闘争の目的を見失うなら、自らを破壊し始める。
4クアドラ中で最も秩序エネルギー的で、最大の拡張を行う。ただし闘争の目的を見失うと、そのエネルギーは内側へ向かう—強さの条件が「目的があること」だという診断つきです。
Gulenkoのベータは、最も御しがたい人々を最強の結束でまとめるクアドラです。結束は「我々/彼ら」と単一のイデオロギーで固められ、価値の柱は英雄主義・無私の献身・正義、生活様式は禁欲と訓練、エネルギーは4クアドラ最大。ベータの強さは目的を持った闘争の中で発揮され、目的を失うと自分に向かう—これがGulenkoのベータの中核です。
10その他の研究者と機関誌
機関誌と後続の研究者のベータ記述です。主要系列とは別の書き手による記述と、ベータ像への異論までを解説します。
Savchenkoの「保持と基礎固め」
βクアドラは、保持と基礎固めを志向する。貴族主義者のクアドラであるため、1000点目のゴールを決めなければならないペレにブラジル代表が仕えるように、リーダーであるSLEのために働く。
チーム全体がリーダーの得点のために働く—序列が搾取ではなく分業として機能する形の説明に、サッカー代表の比喩が使われています。社会規模の記述では、危険の側も明示されます。
社会における単独支配は、ほぼ必然的に単純な単一理念を、のちには原始的な単一理念を生む。βクアドラ的社会には、驚くべき心理現象である狂信が観察され、それはβクアドラ的社会をタイプ判定する特性となりうる。
単独支配が理念を単純化させ、社会規模では狂信が現れる—GulenkoとKarpenkoが別の言葉で書いた「唯一の説明への収束」の、歴史側からの記録です。
Meged・Tsypin・Devyatkin
第二クアドラ(ベータ)。標語:「耐えて、勝つこと」。(中略)感情を強度で試そうとする志向が特徴的である。不信は、嫉妬まじりの独占的な気分を伴う、強固な関係への傾向を生む。深く強い(中略)ここから、行動の対照性と、予期しない感情的な効果が生まれる。
標語は「耐えて、勝つこと」。親密な関係でも感情は強度で試され、結びつきは強固で独占的になりやすい—ベータの緊張の基調が、関係の場面にも現れるという観察です。
IIクアドラのタイプの持ち主は—強くイデオロギー化され、熱狂と、理想への信によって際立ち、周囲を自分の感情で感染させることができ、出来事と人物のまわりに感情の場を作り出し、それを自分の利益のために操る。(中略)今日の成功に囚われすぎ、遠い展望を無視し、技術進歩を信じない。
強みと弱みを1枚に収めた知識人像です。感情の場を作る腕前(KarpenkoのFeグローバル性と同じ観察)と、遠い展望の無視が同居します。
第二クアドラ(ベータ)。熱狂、精力性、活発な行動、仕事、キャリア、戦い、競争、志といった概念と結びつく。「共産主義は世界の若さであり、それを建てるのは若者だ」。働き、働き、さらに働くこと。(中略)大きな戦いと、同じくらい派手な勝利の祝賀。活性化の関係にも、第二クアドラの世界感覚にも、共通の調子が見てとれる—「活発な行動なしに勝利は得られない」「寝ている石の下に水は流れない」。
ベータを人生の段階にたとえる系列では青年期に当てられ、標語は「活発な行動なしに勝利は得られない」。戦いと同じくらい派手な祝賀、という一句が、ベータの感情の場の使い方をよく示します。
「ベータは教条的」への反対の証言
ちなみに、βが教条主義や「敵探し」に傾きやすいという主張に対しては、ソシオニクスの歴史そのものが反対の証言をする。A. V. Bukalov—V. V. Gulenkoのクアドラ交替の法則に完全に一致して、ソシオニクスへクアドラβから最初に来たのは、IEIタイプの人々—S. E. KashnitskiyとG. A. Shulmanだった。
原文を表示
К слову, против утверждения о склонности беты к догматизму, «поиску врага» и т. д. говорит даже история соционики. В полном соответствии с Законом сменяемости квадр А. В. Букалова — В. В. Гуленко, в соционику первыми из квадры бета пришли люди ТИМа ИЭИ — С. Е. Кашницкий8 и Г. А. Шульман.
この章までに並んだ「教条」「狂信」の系列の記述に対して、機関誌の内側から異論が出ています。Gromが挙げるのは、新しい学問(ソシオニクス)へベータから最初に来たのがIEIタイプの2人だった、という経緯です。個人2例ですが、ベータの記述を個人に直付けすると外れる、という注意として受け取れます。
まとめると、Savchenkoは保持と基礎固め、Megedは「耐えて、勝つこと」、Tsypinは感情の場を作り操る理想家、Devyatkinは青年期の戦いと祝賀としてベータを書きます。主要系列と同じ方向の像が、別の書き手のもとで反復されています。同時に、教条への傾きの記述には、機関誌の内側からの異論(Grom)が付いています。ベータの結束と理想の像は複数の書き手に反復されるが、その像を個人に直付けすると外れる—これがこの章の中核です。
11ベータクアドラとは結局何か
研究者章の小括を突き合わせます。一致するもの、反復されるもの、単独のもの、食い違うものの順に見ていきます。
複数の系列を横断して残るもの
第一に、結束と序列—Aushra・Reinin・キエフ学派の3系列に、機関誌の別の書き手(Savchenko)が重なります。貴族側の帰属(Aushra)、距離と順番と序列の実験観察(Reinin。ただしベータとデルタを合わせた貴族側の観察です)、階層をよく理解する組織(Bukalov)、リーダーのために働く分業(Savchenko)。第二に、構造を現実に打ち立てる役割。キエフ学派・Stratiyevskaya・Gulenkoの3系列。選別と物質化、抵抗の中での秩序の導入、最大の拡張。第三に、感情の場の共有と強さ。キエフ学派の1系列に、機関誌の別の書き手2本(Tsypin・Devyatkin)が重なります。Fe(外向倫理)のグローバル性、感情の場を作り操る腕前、派手な祝賀。
ここに時機の読みを並べたくなりますが、Ni(内向直観)の四次元という順位づけを書いているのはキエフ学派1系列で、Tsypinの「遠い展望を無視する」という記述とは向きが逆です。
同じく複数の系列に現れるもの
- 緊張の基調。Stratiyevskayaは絶え間ない緊張と極限性、Megedは感情を強度で試す関係、Bukalovは実用主義的悲観主義と書きます。
- 唯一の説明への収束。Ne(外向直観)の一次元=スペクトルを受け入れる用意のなさ(Karpenko)、単一イデオロギーによる結束(Gulenko)、単独支配下の理念の単純化と狂信(Savchenko—社会規模の記述)。
- 英雄と闘争の物語。Gulenkoはロマン主義の真正さ、Aushraは悲劇主義への傾性、Devyatkinは青年期の戦いと書きます。
単独の主張
家父長的家族という結束の形(Gulenko)、「シェスチョルカ」のコンプレックス(Stratiyevskaya)、スパルタ5世紀の例(Gulenko)、Ni(内向直観)の四次元という時機の評価(Karpenko)は1系列だけの主張です。
食い違いと、その由来
教条への傾きをめぐって、Karpenko・Gulenko・Savchenkoの記述の系列に対し、Gromが反対の証言(新しい学問へベータから最初に来たのはIEIタイプの2人だった)を置いています。ここからは当サイトの思索ですが、両者は水準が違うのかもしれません。前者はベータの価値が支配原理になった社会・集団の記述で、後者は個人2例の記録です。個人の記録は集団の傾向を論理的に否定しませんが、集団の傾向は個人の予言にならない—第13章の一般則が、この対にも当てはまります。もう1つ、エネルギーの評価を4クアドラ最大と書いているのはGulenko1系列です。割れているのは強さの評価ではなく、その強さが何に向かうか(建設か、収束か、内向か)の記述です。
横断の結論です。抵抗の中で構造と秩序を打ち立てるために、序列で結束し、感情を集団の状態として扱う。ここまでが、複数の系列を横断して残るベータの中核です。緊張の裏面に置かれる「弱い側に置かれることへの恐怖」は、Stratiyevskaya1系列が中心に据えたものです。
12ベータクアドラの会話
研究者章で出た会話と集まりの記述を、場面の順に並べ直します。会話の型、共同生活の型、式典と美学、の3つです。
会話の進み方
Reininの章で見たとおり、距離を保ち、順番に発言し、遮らず、序列が観察されるのは、ベータとデルタを合わせた貴族側の実験上の特徴でした。これはアルファを含む民主側の遮り合いの正反対です。同じ主観側(感情と論理の話題を自由に話す側)でありながら、発言の作法が逆になる—話題の自由と、話法の規律が両立しているのがベータの会話の型です。感情の側は、Karpenkoの章で見たとおり、個人の深い感情から集団規模の感情状態までが同じ要素の射程に入り、人の感情に働きかける腕前が芸術の水準と評されるところです。Tsypinは、出来事と人物のまわりに感情の場が作られる、と書いています。
共同生活の型
日常の型は訓練です。第9章で読んだGulenkoの記述—禁欲と絶え間ない訓練、強制的な集団主義からなるスパルタ的な生活様式が、時間における並外れた安定を与える—を場面に置き直すと、稽古・鍛錬・規律のある生活が理想を支え、その見返りが安定という形になります。部活動や道場のような集まりを思い浮かべると、ベータの共同生活の型に近くなります。志向の全体像はこうまとめられています。
このように、βクアドラは個人的なものを公的なものに犠牲にしつつ、他者への志向、すなわち大集団への志向を堅持する。この意味で、それは最も社会的に影響力のあるクアドラとして第1位に置かれるべきである。それは、一般に東洋的価値と呼ばれているイデオロギー的体系を最も完全に体現している。
個人的なものより公的なもの、小さな輪より大集団—集まりの規模の好みも、アルファの「近しい輪の楽しみ」と対照的です。
式典と美学
Stratiyevskayaの章で見た「美学はイデオロギーに従属し、プロパガンダ的な性格を帯びる」は、場面に置き直すと式典の美学です。行進、制服、記念の儀式、勝利の祝賀(Devyatkinの「同じくらい派手な祝賀」)—美しさそのものではなく、意味と結束を運ぶための美が、ベータの集まりの晴れの場を作ります。Karpenkoの章の「制服の着用から幾何学式庭園まで」という画一化の記述も、同じ美意識の日常面です。
ベータの場面の中核は、話題は自由でも話法は序列を守り、感情は場として作られ、働きかけられるという会話の型と、訓練が日常で、式典が晴れの場という生活の型です。個人の楽しみより大集団の結束が場の目的になります。
13ベータクアドラの4タイプ
同じベータの中でも、タイプで役割が分かれ、場でふるまいが変わります。役割の交代、タイプごとの持ち場、場での変化の3層で見ます。
役割は固定ではない
クアドラで誰がアクセプト(受容)またはプロダクティヴ(創造)の役割を演じるかを規定できるか?私見では、交代でである。だとすれば、クアドラは新しい質—役割の交代をもたらす!(中略)クアドラでの活動は、特別な力の高まり、創造的自己開示、独特の幸福感(エウフォリア)を伴う。(中略)しかし、本当の社会進歩は1つのクアドラでは生まれない。そのためにはソシオンが必要であり、それについては本論文の第III部で語る。
序列の印象が強いベータですが、Aushraの一般則はここにも効きます—受け取る役と作り出す役は交代します。タイプごとの持ち場の割り当てもあります。
クアドラ〔β〕における実現者は(ESTP、SLE)である—これは(中略)何らかの過程や状況のビジネス的・時間的側面に方向づけられたタイプである。
Bukalovの言う機能的役割の枠では、ベータの中で外へ向けて実現する役はSLEです。これはAushraのアクセプト/プロダクティヴの役とは別の枠組みで、そのまま重ねることはできません。第5章の「理論上のプログラムはEIEが設定し、実践で優勢なのはLSI」と合わせると、持ち場が書かれているのはEIE(理念の設定)・LSI(実践の優勢)・SLE(対外的な実現)で、IEIの持ち場を割り当てた記述はありません。
場でふるまいが変わる
具体的状況における人間の行動は、その個人的特性と情報代謝タイプ、考察対象の状況の特殊性のみならず、その瞬間に彼が属している微小集団のタイプ間特性によっても、大きく左右される。(中略)集団における関係の変化は、人格の特定の性質の発現に本質的な影響を及ぼす。(中略)本論はタイプ間関係の理論 [1, 2, 3] の立場からの小社会集団の類型論の構築に充てられる。
行動を決める変数は個人・タイプ・状況・その場の集団の4つで、クアドラはその一部です。同じ人がベータの部隊の中と、アルファの雑談の中では別のふるまいになります。
4タイプは4つの気質に1人ずつ散る
Gulenkoは、エネルギー交換の強度で16タイプを4つの気質に分けます。合理か非合理か、外向か内向かの組み合わせです。
ソシオニクス気質は、社会タイプ(または機能)の環境とのエネルギー交換の強度レベルを特徴づける。基本的なソシオニクス気質は4つある。(中略)線形‐主張型ソシオニクス気質 ― 4つの合理的外向(中略)ソシオン内のすべてのタイプの中で最高のエネルギーを特徴とし、そのエネルギーは線形的方法で適用される。(中略)柔軟‐適応型ソシオニクス気質 ― すべての非合理的外向(中略)エネルギーと、その適用方向を素早く変更する能力との結合を特徴とする。(中略)均衡‐安定型ソシオニクス気質 ― すべての合理的内向(中略)エネルギーが最も少ないタイプだが、堅実かつ確実に働く。(中略)受容‐適応型ソシオニクス気質 ― すべての非合理的内向(中略)最小限のエネルギー消費で存在の周囲条件に適応する能力を特徴とする。
ベータの4タイプは、この4つに1人ずつ入ります。EIE(線形‐主張)、SLE(柔軟‐適応)、LSI(均衡‐安定)、IEI(受容‐適応)です。同じ価値を共有していても、エネルギーの出し方と保ち方はこれだけ分かれます。「ベータっぽさ」を1つの活動量で測ろうとすると、外れます。
2つの領域に2人ずつ寄る
もう1つの分け方は、力を出せる領域です。こちらは4タイプが4つに散らず、2つに寄ります。
活動タイプのマインドセットは、問題を解決する最も自然な方法であり、また当該社会タイプの代表者がその潜在力を最も完全に実装できる領域である。(中略)技術‐管理型マインドセット(中略)感覚論理および論理感覚タイプを結び、彼らは公式管理構造または技術的・物質的生産の領域で働くとき、最大の価値をもたらす。(中略)社会‐コミュニケーション型マインドセット(中略)感覚倫理および倫理感覚タイプを含み、彼らは流通領域および社会的コミュニケーションにおいて最も効果的である。(中略)人道‐職人型マインドセット(中略)直観倫理および倫理直観タイプを含み、人間文化の超越的側面、すなわち精神性、イデオロギー、宗教、文学と芸術、人文学、教育、人格発達、心理的援助に取り組むことを召命とする。(中略)科学‐研究型マインドセット(中略)直観論理および論理直観タイプを含み、その使命は客観的、再現可能な方法による周辺世界の理論的および実験的研究にある。
ベータが入るのは人道‐職人型(EIE・IEI)と技術‐管理型(SLE・LSI)で、残り2領域にはベータの中に担い手がいません。ここからは当サイトの思索ですが、この寄り方は貴族側の2クアドラ(ベータとデルタ)で共通していて、民主/貴族の分割線と重なります。同じ4人でも、測る軸を変えると散りもし寄りもします。
つまり、ベータの中で誰が何をするかは固定ではありません。役は交代し(Aushra)、理念の設定・実践・対外実現はタイプで分かれ(Bukalov)、ふるまいは場の変数で変わります(Reinin)。この記事のベータ像は4人の平均像であって、1人ずつの予言ではない。
14他のクアドラから見たベータ
ベータの輪郭を、他の3クアドラとの対比で締めます。構造上の前提は第2章のとおりです—隣接するアルファ・ガンマとは価値2要素を共有し、対角のデルタとは1つも共有しません。
対角のデルタ
第1クアドラ(アルファ)と第3クアドラ、また第2クアドラと第4クアドラのアスペクトは、外内向性によって互いに対立している。これらのクアドラは直交している。直交するクアドラの代表者間の関係—最も緊張し、先鋭化した関係である。まさにここで、相互理解が最も少ない。(中略)隣り合うクアドラ間の相互関係は、比較的良好である。それゆえ、相互に衝突する直交するクアドラにとって、それらは一種の「仲介者」「翻訳者」となる。
Stratiyevskayaの一般則です。直交するクアドラどうしが最も緊張し、隣り合うクアドラがその翻訳者になる。ベータにとって直交するのはデルタで、隣り合うのはアルファとガンマです。
第二クアドラ(ベータ)との遠い類似はそれだけにとどまらない。これらのクアドラの間の共通点は、両者ともに自分の社会的安定と保守主義を大切にすることである。(中略)第二クアドラが — 論理的、厳格、実用主義的、そして主要なのは — 閉鎖的であり、その世界が制限され、狭い実用主義的方向性を特徴とし、目的からの逸脱を抑圧するのに対し、第四クアドラは — 倫理的、高度に精神的、深く傷つきやすい。世界観の開放性、楽観主義と人道主義を特徴とする — そしてこれが両クアドラの間の絶え間ない衝突と矛盾の原因の一つである。
ベータとデルタはどちらも安定と保守を大切にする—似ているのに、閉じた厳格さ(ベータ)と開いた傷つきやすさ(デルタ)で中身が逆になり、それが衝突の原因になる、という診断です。機構の説明もあります。
第二と第四クアドラ(デルタ)の目的と課題は、相互対立的なアスペクトの手段によって実現される — そしてこれが彼らの絶え間ない不和と衝突の原因である。(中略)そのような衝突の原因の一つ — 第二クアドラで支配的だが第四では押しのけられた、否定的意志感覚(-●(Se)=-Se)のアスペクトである: 外部からの意志的圧力、空間的制限。(中略)ここで押しのけられた第二の価値観 — これも外向だが、すでに合理的な — 肯定的感情倫理(+▼(Fe)=+Fe)である。第四クアドラの代表者はまったくイデオロギー化されていない
ベータで支配的な意志的圧力と感情の高揚が、デルタではどちらも押しのけられた側にある—同じ手段が一方の道具で他方の負担になる、価値の完全な入れ替えの実例です。
隣接のアルファ
(「黒」の倫理と「白」の論理は第一クアドラ(アルファ)でも支配しており、この「共通性」は第一クアドラと第二クアドラの代表者を本質的に近づける。)
アルファとはTi(内向論理)とFe(外向倫理)を共有します。Stratiyevskayaはこの共通性が両クアドラの代表者を「本質的に近づける」と書きます。理屈の議論と感情の熱は共通言語です。分かれるのは作法で、Reininの実験が示したとおり、同じ話題を、アルファを含む民主側は遮り合いで、ベータを含む貴族側は順番と序列で話します。そしてAushraの1行(第3章)のとおり、アルファとデルタの感情は笑いへ、ベータとガンマの感情は悲劇へ向かいます。
隣接のガンマ
「黒」感覚と「白」直観は第二クアドラ(ベータ)でも支配的であり、これは(中略)第二クアドラと第三クアドラの代表者の間の相互理解をいくらか容易にする。
ガンマとはSe(外向感覚)とNi(内向直観)(力と時機)を共有し、相互理解はいくらか容易になります。それでもこの2つは、思想史で最も頻繁に対置されてきた組です。
哲学者や社会学者は、βクアドラとγクアドラを最も頻繁に対置してきた。すでに見たように、この対置には現実のソシオニクス的意味がある。たとえば、G・スペンサーは軍事的なβクアドラ社会と産業的なγクアドラ社会を対極として記述している。
対置の系譜と並んで、両者を1人の人物のうちに統合できるかという議論も古くからあります。
二つのクアドラの統合という問題を最初に提起したのは、イタリア人N・マキャヴェッリだった。彼は、支配するβエリートをライオンに、その地位を占めようとするγエリートをキツネにたとえた。一人の人間のうちにライオンとキツネの資質が結合することこそ、理想的な君主である。第二クアドラ(ベータ)と第三クアドラの闘争は、もう一人の著名なイタリア人V・パレートによるエリート循環論のソシオニクス的本質である。
軍事社会と産業社会(スペンサー)、ライオンとキツネ(マキャヴェッリ)、エリートの循環(パレート)—Gulenkoは、ベータ–ガンマの対置を社会理論の古典に対応づけています。いずれも社会や支配層の規模の議論です。
エネルギーを出す側と吸う側
Gulenkoは4クアドラを、社会に対するエネルギーの向きで2つに分けます。昇(アルファ・ベータ)と降(ガンマ・デルタ)です。
昇社会タイプは社会発展の軌道を上方に動かす。彼らは長期的コミュニケーションにおいて集団主義原理を担うので、社会的・心理的エネルギーのドナー(donors)である。(中略)昇クアドラにおける発展過程の加速のもう1つの説明は、彼らの優先事項の中に、人の感情エネルギーの目的的使用に責任を持つ情報アスペクトEとLがあることである。
昇の側は、感情の共有と論理の計画という2要素を優先することで社会へエネルギーを出す、という説明です。反対側の説明も対になっています。
降社会タイプは、それを社会にもたらすよりも、周囲の社会からエネルギーを吸収する。それゆえ、彼らは社会的・心理的エネルギーの受容者とみなしうる。(中略)降社会タイプは本性上、集団主義者というよりも個人主義者であり、それゆえ集団全体の潜在力を増加させるために力を結束する欲望を持たない。(中略)降クアドラは共通の優先事項PとRを持っており、それら自体は動機ではない。事業論理Pは、以前に蓄積されたエネルギーによる動きであり、関係の倫理Rは、確立された関係体系への愛着を象徴する。
ベータは昇の側で、Gulenkoは4クアドラで最も秩序‐エネルギー的だと書きます。ベータから見ると、隣接のアルファも同じ昇で、隣接のガンマも対角のデルタも同じ降に入ります。
次元の差が非難になる
隣り合うクアドラの摩擦は、価値の違いだけでなく、同じ要素をどれだけ広く扱えるかの差からも説明されています。
Г. В. チキリソヴァが正しく指摘したように、ある情報アスペクトの次元数が3であるクアドラが、同じアスペクトの次元数が4であるクアドラに文句をつけることはかなり多い。たとえば、クアドラαのアイデア(▲(Ne))を空想的で、非現実的で、根拠がないと非難するのは、まさにクアドラδの代表者である。クアドラβの観点からは、クアドラαの論理的構築物は「十分に論理的でない」(□(Ti))し、クアドラγはどうも意志感覚(●(Se))を過剰に発揮している。
この例でベータは、アルファの論理的構築物を「十分に論理的でない」と評する側に置かれています。ベータのTi(内向論理)は三次元で、アルファの四次元より狭い。狭い側が広い側に文句をつける、という向きです。批判の言葉は相手の欠点を指しているようで、実際は自分の側の次元が足りない領域を指しています。
外から見たベータの輪郭は3本の線でできています。デルタとは価値が全て入れ替わり、同じ保守を閉じた厳格さと開いた柔らかさで実装し合う、もっとも張った関係。アルファとは理屈と感情の熱を共有しつつ、会話の作法と感情の向き(悲劇か笑いか)で分かれます。ガンマとは力と時機を共有し、相互理解はいくらか容易になります。この2つを対置してきたのは社会理論の古典で、Gulenkoはそこにソシオニクス的な意味を読みます—ただしそれは社会と支配層の規模の議論です。ベータの対立は価値の断絶(デルタ)と、価値の重複(ガンマ)の2種類がある。ここが要点です。
15社会とベータクアドラ
交替論の中でベータが受け持つとされる区間と、その実例です。理論の一般形は共通記事にあります。
ベータが受け持つ区間
第一クアドラ(アルファ)のバトンを、第二クアドラ—クアドラ「ベータ」—が受け取る。(中略)このクアドラの価値からは、その社会的役割も導かれる—新しい秩序の導入である。
新しい秩序の導入がベータの社会的役割だ、というGulenkoの定式です。同じ区間を、Bukalovはエスノスの歴史段階に重ねて書きます。
社会・国家の発達におけるフェーズα・β・γ・δは、クアドラ交代によって特徴づけられる。L. S. グミリョフの理論における民族集団進化の枠内では、また4つの段階が抽出され(中略)これに対応して、民族集団形成のフェーズはフェーズαと一致し、国家性確立と官僚機構の硬化フェーズはフェーズβと、旧構造解体フェーズはフェーズγと、民族集団衰退フェーズはフェーズδと一致する。
アルファが作った構想を受け取り、新しい秩序として導入する—これがベータの区間の仕事です。エスノス史との対応では、ベータの区間は国家性確立と官僚機構の硬化のフェーズに当てられます。グミリョフのエスノス進化の4段階に、クアドラ交替をそのまま重ねる書き方です。この学説を1人の人物に当てはめた例が、Karpenkoのピョートル1世論です。
ピョートル1世の人格に取り組むことを強いたのは、2つの矛盾だった。彼についての私自身の考えと、ソシオニストたちの輪のなかで通用していた、彼をILEタイプとする分類との矛盾。さらに、彼のタイプのそのような判定が、歴史過程におけるクアドラの交代という、活発に展開されつつあった構想—それは彼の位置に第2クアドラ(ベータ)の人間を想定する—に、どうしても収まらなかったことである。
研究の動機自体が交替論との整合です。交替論を外から検証したのではなく、交替論に合うようにタイプ判定を組み直した研究だ、ということになります。時代の判定はこう論じられます。
ソシオニクスの観点からは、ロシア帝国建設の時代は、歴史過程における第2(中略)クアドラの時期に対応する—国家の、明確な国家構造とヒエラルキーの創出は、通例、第2クアドラ(ベータ)によって実現される。なぜならそれは、このクアドラの代表者たちの深層の志向が社会的・政治的生活へ投影されたものであり、クアドラの精神の発現だからである。構造論理—中心的なクアドラ価値の一つ—は、このようにして自分を現す—最も複雑な構造の一つである国家という構造において。
国家構造とヒエラルキーの創出は通例ベータが実現する—Ti(内向論理)というクアドラ価値が、国家という最大の構造物に投影される、という読みです。人物の側はこう締められます。
ピョートルの最も重要な仕事、注意の中心にあったのは、国家建設だった。(中略)しかし、工業の発展も、軍事的成功も、新しい教育水準も、自己目的ではなかった—これらすべては、ロシアの国家性の強化と確立に仕えていたのである。
工業も軍事も教育も、国家性の確立という1つの目的に仕える手段だった—1人の統治者の事績に学説を当てはめた適用例です。誰がどの時代をどのクアドラに当てたのかは、別の書き手が整理しています。
原始共産制をアルファ・クアドラの時代として同定したのはS. V. Savchenkoである。第二クアドラ(ベータ)は、社会構造の創造者たちのクアドラである。人は青年期に学び、まさにこの時期に、いわゆる社会化の時期が来る(中略)(世界宗教の発生と国家形成の時代)をベータ・クアドラの時代として同定したのはV. V. Gulenkoである。第三クアドラは、物質的価値をめぐる闘いに携わるプラグマティストたちのクアドラである。
Afoninの整理では、国家形成期=ベータという同定はGulenkoに帰属されています。
まとめると、交替論の中のベータは、アルファの構想を受け取り、抵抗の中で国家性・構造・秩序として確立する区間を受け持ちます。適用例(ピョートル1世)では、工業・軍事・教育のすべてが構造の確立に仕える手段として整理されました。ベータは循環の中で「形にする」区間として記述され、その記述の単位は国家規模まで届く。
16ベータクアドラの見分け方
ベータの見分け方と、間違いやすい点です。判定の一般則(クアドラはタイプより先に判定できる・自己同一視はそのまま使えない)は共通記事に譲り、ベータ固有の罠を解説します。
「貴族」の語義の罠
彼らは特徴の最も日常的な解釈に依存している。すなわち、「貴族」とは社会のなかでヒエラルキーを是認する者である、「民主」とはこのヒエラルキーを蔑む者である、等々。(中略)完全に正しい。残念ながら、こうした日常的解釈の流布に少なからず貢献しているのは、インターネットを介して利用可能で多くの人にテストとして利用されている「レイニン特徴計算機」である(実際にはテストでもなんでもないにもかかわらず)。
「貴族=ヒエラルキー好き」という日常的解釈への、命名者側からの苦言です。ベータの貴族性は「上下関係が好き」ではなく、集団と位置を通じて人と関わる伝達の様式を指します。序列を作ることと、序列を楽しむことは別です。
中央クアドラの判定の難しさ
それゆえこの特徴を実践でどう判定するかは想像が難しい。(中略)たとえ「中央」クアドラの代表者の中であっても。(中略)私にとってこれは「与える者/受け取る者」である。性的プログラムによる最も顕著な分割:パートナーに快楽を与える/プロセスから快楽を得る。
果敢側(中央クアドラ=ベータ・ガンマ)の代表者の中でさえ、果敢/賢明の実践判定は難しい—「決断力がありそうだからベータ」という見た目判定が効かない、という命名者自身の証言です。
使える手がかり
行動水準でベータに寄る手がかりは、この記事で読んだ範囲では次の3つです。会話の作法(話題は自由でも、順番と序列と距離が保たれる—Reininの実験。ただしこれはベータとデルタを合わせた貴族側の観察なので、これだけではベータとデルタを分けられません)、感情の場(出来事と人物のまわりに感情の場が作られ、それに働きかける腕前が高い—Karpenko・Tsypin)、そして本人の快適さの自己報告(どの集団を心地よく感じるか。Reininは、この特性の意味論を行動の観察ではなく自己報告とインタビューから取り出したと述べています)。逆に使えないのは、見た目の強さ・怖さの印象です。第10章のGromの異論(「ベータは教条的」という像に、機関誌の内側から反対の証言が出ている)も、印象判定への歯止めとして効かせてください。
判定の一般則
ここでは、ベータの判定で前提になる分を再掲します。
- クアドラへの所属の判定は、ソシオニクスのタイプの判定なしに可能である。 2. 人格が自覚的に特定のクアドラと自分を同一視することは、そのタイプに対応すると想定される選好と一致しないことがある。
クアドラの判定はタイプの判定より先に立ち、自己申告はタイプの選好と食い違うことがある—判定の順序と、自己申告の扱いを定めた2点です。
個人のクアドラへの帰属は、具体的な情報代謝タイプ(TIM)への帰属より早期に形成されることが導かれる。すなわち、より一般的な概念であるクアドラはまた進化的により早期のものであり、その4つのTIMによって、より遅い進化発達段階で分化する諸機能の相互作用システムを反映する一定の共通マトリクスを規定する。(中略)その答えは明らかに、個人の心の発達の最も早期の諸段階—おそらくは胚成長段階および臨床的出産段階—における心の形成史にある。
クアドラへの帰属はタイプへの帰属より早く形成される、という主張です。判定の入口としてクアドラを先に置く根拠がここにあります。
クアドラへの所属は、思考の全体的な方向、人生の価値、選好を規定する。
クアドラが決めるのは思考の方向・人生の価値・選好までで、行動の細部までではない—判定に使える手がかりの射程を示す1行です。
他の若干のレイニン特徴と同様、この特徴の名称は非常に人を惑わせうる。多くの場合、陽気さや深刻さを通常の理解で診断しようとしている。(中略)私の見解からすれば、これは 主観主義者/客観主義者 の特徴である。すなわち、「陽気」とは記述・理論・説明に方向づけられている者である。「深刻」とは客観的世界の論理に方向づけられている者である。本件における名称が不適切であることに同意する。
特性の名称を日常語で読むと外す、という当人の注意です。
ベータの判定でいちばん外れやすいのは、「貴族」「果敢」という特性名の日常語読みと、強さの印象からの直感判定です。使えるのは、貴族側まで絞る会話の作法(順番・序列・距離)と、感情の場の作られ方、そして本人の快適さの自己報告—この章で押さえるのはここです。
17注釈
この記事の記述の水準を短く仕分けします。定義から確定するのは第2章の構造(価値・ペア・関係の制約)だけです。実験系はReininの小集団実験の観察が中心で、残りの大半は観察と学説です。ベータは特に、歴史・政治の実例(帝国建設・イデオロギー社会)で語られることが多く、社会規模の記述を個人の性格に直訳しない、という注意がこの記事では繰り返し必要になります。
クアドラで人を遠ざけない
タイプ間の相性に関する思想を普及する過程で、ある現象が現れた。それは「類型論的ショーヴィニズム」のようなものとして記述しうる。(中略)「間違ったタイプ」や「他のクアドラ」に属するように思える人々を遠ざける必要がない(中略)各人は何らかの情報を発信しており、通常それは、まさにあなたがその人と交流するその瞬間にあなたが必要としている情報なのである。受け取り方を学ぶ必要がある。
クアドラ論の普及そのものが「他のクアドラの人を遠ざける」誤用を生んだ、という当事者の警告です。ベータの記述は帝国・イデオロギーといった強い歴史例を含むぶん、人を裁く材料に転用されやすくなります。
どこまで確かめられているか
ソシオニクスにおける集団の相互作用は、理論的にも実践的にも、対応する研究を実施する複雑さのために、今のところ完全に不十分にしか研究されていないことを指摘すべきである。「しかし、いくつかの観察は既にある」(A.アウグスティナヴィチューテ [69])。たとえば、70年代に、A.アウグスティナヴィチューテ と彼女の集団、N.メドヴェージェフ、V.リャシキャヴィチュス らによって興味深い結果が得られた。80年代にはいわゆる「ヴィルニュス・ソシオニクス学派」[^125] によってさまざまな集団が積極的に研究された。1987-88年にこのコレクティブが実施した大規模な実験サイクルの主な結果は、シェフテル F.Ya. および コブリンスカヤ L.M. の論文[77]に公表されている。
集団の相互作用の研究は不十分で、あるのは観察の蓄積—システム論の立場から書くYermakの評価です。この記事のベータの集団像(共通の目標・序列・感情の高揚)も、その蓄積の上に立っています。
同じ関係でもペアごとに違う
厳密に言えば、それぞれの具体的なペアについて、それぞれの種類の関係を個別に検討すべきであろう—それぞれの場合において、単にその心理タイプ自体の特性に関わる、独自の特徴が現れうるからである。これは、とりわけ同一の関係についても当てはまる。例えば、SEI、仲介者、SEI〔原文:デュマ〕は、それぞれが対立を和らげようとする者たちであり、同一の関係においても難なく共存するだろう。しかし例えば、SLE、SLE〔原文:ジューコフ〕、リアリストたちは、非常に権威主義的な人間であるため、首位を争って戦い始めるだろう。その鮮やかな例を、私たちはまさにスカーレットとレット・バトラーの関係の中に見出す。彼らは絶えず言い争い、互いに生意気な態度を取り、決して譲ろうとしない。
同じ「同一関係」でも、SEIどうしなら穏やかに共存し、SLEどうしなら争いになる—関係のラベルはタイプの中身を素通しにしない、という方法上の注意です。ベータという枠も4タイプの個性を消しません(第13章で見たとおりです)。
ベータの記述で確定と呼べるのは構造だけで、性格と社会役割の記述は観察と学説です。歴史例の強い言葉(帝国・イデオロギー・狂信)は社会規模の記録であって、ベータの個人の予言ではありません—歴史からの反例(第10章のGrom)も既に系列の内側にあります。ベータの記述を人の選別と断定に使わず、場面の理解と自己理解の道具にとどめる—この線は研究者自身が引いています。
18ベータクアドラの人物像
第1章の答えを、本文で読んだ研究者の言葉で書き直します。5つの軸で並べます。軸の立て方は当サイトの整理で、各文の根拠は括弧内の研究者の章にあります。
集まりの雰囲気と会話の調子。 ベータの集まりの中心は目標と結束です。会話は話題こそ自由(理屈と感情がどちらもテーブルに載ります(Aushra))ですが、作法に序列があり、距離を保ち、順番に発言し、遮りません(Reinin。ベータとデルタを合わせた貴族側の観察です)。感情は個人のうちにとどまらず集団の状態として扱われ、人の感情に働きかける腕前は芸術の水準と評されます(Karpenko・Tsypin)。笑いより悲劇に寄る感情の向き(Aushra。ベータとガンマに帰属された記述です)と、派手な勝利の祝賀(Devyatkin)が同居します。
大事にすること。 Se(外向感覚)の力と実行、Ti(内向論理)の構造と規律、Ni(内向直観)の時機と記憶、Fe(外向倫理)の共有される感情の4つが同時に効きます。ただし時機の読みを最上位に置く評価はキエフ学派1系列で、Tsypinの「遠い展望を無視する」という記述とは向きが逆です(第11章)。論理体系は現実の相似物として敬意を受け(Karpenko)、価値の柱は英雄主義・無私の献身・正義(Gulenko)。美は理念に仕え、式典と訓練が生活の型になります(Stratiyevskaya・Gulenko)。
物事の決め方。 前提にあるのは階層と分業です。階層が何かをよく理解し(Bukalov)、理念の設定・実践・対外実現はタイプで持ち場が分かれます(Bukalov)。新しい着想は自分たちで生むより、使えるものを選別して現実に導入する側です(Bukalov)。
苦手なこと、負担になること。 可能性を複数のまま置いておくこと—唯一の正しい説明へ収束させたくなります(Karpenko)。規格の外の個人差の扱い(Karpenko)。個別の関係の機微—道徳規範集で一義的に解きたくなります(Karpenko)。負担の側では、Stratiyevskayaが「シェスチョルカのコンプレックス」を挙げます—自分の弱さを認めること、弱い側に置かれることへの恐怖です。彼女の整理では、ベータの規律と強さの追求はこの恐怖と対になっています。これは1系列だけの記述です。
どんな人たちか—まとめ。 抵抗の中で構造と秩序を打ち立てるために、序列で結束し、感情を集団の状態として扱うクアドラ。社会の中では、アルファの構想を受け取って国家規模の形にする区間を受け持つと記述され(Bukalov・Karpenko)、そのエネルギーは4クアドラ最大とされます(Gulenko)—目的を失うと内側へ向かう、という条件つきです。4人は同じ価値を別の位置で担い、役割は交代し、ふるまいは場で変わるので、この像は4タイプの平均像であって1人ずつの予言ではありません。それでも、目標が場を作り、序列が作法を作り、感情は場の状態として扱われる—この3点は、主要な記述系列を横断して最後まで残りました。
+索引(引用文献)
- [1]アウシュラ『レイニン特性理論』(1998年)第6部 本文へ
- [2]アウシュラ『レイニン特性理論』(1998年)第6部 本文へ
- [3]アウシュラ『レイニン特性理論』(1998年)第6部 本文へ
- [4]アウシュラ/Reinin「アウシュラとReininの書簡断片(第2部)」(原題:Фрагменты переписки)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №213、pp. 39–48(2007年) 出典リンク 本文へ
- [5]アウシュラ/Reinin「アウシュラとReininの書簡断片(第2部)」(原題:Фрагменты переписки)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №213、pp. 39–48(2007年) 出典リンク 本文へ
- [6]アウシュラ『ソシオニクス: 心理タイプ・テスト』(1998年) LSIの章 本文へ
- [7]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)小集団の形態論 本文へ
- [8]Reinin(聞き手: Vladimir Mironov)「二分法的特徴の理論の創造について」(原題:О создании теории дихотомических признаков)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №209、pp. 67–69(2006年) インタビュー 出典リンク 本文へ
- [9]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)ソシオンの空間モデル 本文へ
- [10]Reinin(聞き手: Vladimir Mironov)「二分法的特徴の理論の創造について」(原題:О создании теории дихотомических признаков)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №209、pp. 67–69(2006年) インタビュー 出典リンク 本文へ
- [11]Reinin(聞き手: Vladimir Mironov)「二分法的特徴の理論の創造について」(原題:О создании теории дихотомических признаков)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №209、pp. 67–69(2006年) インタビュー 出典リンク 本文へ
- [12]Bukalov「4つの進化段階とクアドラ交替の法則について」(原題:О четырех эволюционных стадиях развития и законе сменяемости квадр)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №165(1995年) 本文へ
- [13]Bukalov「情報代謝機能の形成メカニズムについて—個体誕生過程における機能形成」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №168、pp. 19–34(1996年) 本文へ
- [14]Bukalov「情報代謝機能の形成メカニズムについて—個体誕生過程における機能形成」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №168、pp. 19–34(1996年) 本文へ
- [15]Bukalov「インタータイプ関係の記述」(原題:Описания интертипных отношений)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №126、pp. 19–30(2012年) 出典リンク 本文へ
- [16]Bukalov「インタータイプ関係の記述」(原題:Описания интертипных отношений)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №126、pp. 19–30(2012年) 出典リンク 本文へ
- [17]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [18]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [19]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [20]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [21]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [22]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [23]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [24]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [25]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [26]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [27]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [28]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [29]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [30]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [31]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [32]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [33]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第2部第3章第1節 本文へ
- [34]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第2部第3章第1節 本文へ
- [35]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第2部第3章第1節 本文へ
- [36]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第2部第3章第1節 本文へ
- [37]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第2部第3章第1節 本文へ
- [38]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [39]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [40]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [41]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [42]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [43]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [44]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [45]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [46]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [47]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [48]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [49]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [50]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [51]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [52]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [53]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [54]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [55]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [56]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [57]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [58]Sergei Savchenko「記号ソシオニクスはクアドラの発生をどう説明するか」(原題:Как символьная соционика объясняет возникновение квадр)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №177、pp. 72–75(1997年) 本文へ
- [59]Sergei Savchenko「クアドラ。クアドラのイデオロギー。クアドラの時代」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №106、pp. 28–35(2000年) 本文へ
- [60]Valentina Meged「クアドラのエロス的プログラム」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №134、pp. 56–58(2001年) 本文へ
- [61]Paul Tsypin「機能の符号とクアドラ的世界観」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №205、pp. 14–17(2006年) 本文へ
- [62]Alexander Devyatkin「クアドラ価値観とクアドラ内の統合関係」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №210、pp. 27–32(2007年) 本文へ
- [63]Yuliya Grom「関係の一種・世界認識の方法としての対立(ベータ・デルタクアドラ間関係を例に)」(原題:Конфликт как вид отношений и способ познания мира (на примере отношений квадр бета и дельта))『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №156、pp. 7–17(2009年) 出典リンク 本文へ
- [64]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [65]アウシュラ『レイニン特性理論』(1998年)第4部 本文へ
- [66]Bukalov「クアドラとソシオンにおけるタイプの機能的役割」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №182、pp. 22–24(1996年) 本文へ
- [67]Reinin「小集団の類型論」(原題:Типология малых групп)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №170、pp. 21–24(1996年) 出典リンク 本文へ
- [68]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [69]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [70]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [71]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [72]Stratiyevskaya『お別れしないために』(刊年不詳)第II部 本文へ
- [73]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [74]Stratiyevskaya『お別れしないために』(刊年不詳)第II部 本文へ
- [75]Gulenko「クアドラ価値—社会的不平等の心理学的ルーツ」(原題:Квадральные ценности. Психологические корни социального неравенства)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №106(2000年) 本文へ
- [76]Gulenko「クアドラ価値—社会的不平等の心理学的ルーツ」(原題:Квадральные ценности. Психологические корни социального неравенства)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №106(2000年) 本文へ
- [77]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [78]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [79]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [80]Gulenko「クアドラとその社会心理学的特徴」(原題:Квадры и их социально-психологические особенности)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №165(1995年) 本文へ
- [81]Bukalov「情報代謝機能の形成メカニズムについて—個体誕生過程における機能形成(第2部)」(原題:О механизме формирования функций информационного метаболизма в процессе рождения индивидуума (2))『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1996年) 本文へ
- [82]Karpenko「ソシオニクスから見たピョートル1世の人格」(原題:Личность Петра I с точки зрения соционики)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1996年) 本文へ
- [83]Karpenko「ソシオニクスから見たピョートル1世の人格」(原題:Личность Петра I с точки зрения соционики)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1996年) 本文へ
- [84]Karpenko「ソシオニクスから見たピョートル1世の人格」(原題:Личность Петра I с точки зрения соционики)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1996年) 本文へ
- [85]Vyacheslav Afonin「ソシオニクスの社会哲学的構想をめぐって。長期・中期・短期の歴史的展望におけるクアドラの交代」(原題:К вопросу о социально-философской концепции соционики)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №159、pp. 36–44(2009年) 本文へ
- [86]Reinin「レイニン特徴をめぐる議論への若干の覚書」(原題:Некоторые заметки к дискуссии о признаках Рейнина)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2003年) 本文へ
- [87]Reinin「レイニン特徴をめぐる議論への若干の覚書」(原題:Некоторые заметки к дискуссии о признаках Рейнина)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2003年) 本文へ
- [88]Sergei Savchenko「クアドラの進化と交代」(原題:Эволюция и сменяемость квадр)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №107、pp. 37–40(2000年) 本文へ
- [89]Bukalov「情報代謝機能の形成メカニズムについて—個体誕生過程における機能形成」(原題:О механизме формирования функций информационного метаболизма в процессе рождения индивидуума)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №168、pp. 19–34(1996年) 出典リンク 本文へ
- [90]Yuliya Grom「関係の一種・世界認識の方法としての対立—ベータクアドラとデルタクアドラの関係を例に」(原題:Конфликт как вид отношений и способ познания мира)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №156、pp. 7–17(2009年) 本文へ
- [91]Reinin「レイニン特徴をめぐる議論への若干の覚書」(原題:Некоторые заметки к дискуссии о признаках Рейнина)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2003年) 本文へ
- [92]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)ソシオンの空間モデル 本文へ
- [93]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей、2005年)第8章 本文へ
- [94]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第2部第3章第2節 本文へ
