ソシオニクスの15の二分法 · 第3軸(基本の4軸)
論理/倫理
判定ルール: 自我(第1・第2)の判断要素が論理(Te・Ti)か倫理(Fe・Fi)か
論理/倫理は、ソシオニクスにある15の二分法のうち3番目の軸です。16タイプを8タイプずつに分けます。
論理の側は事実・仕組み・効率を物差しに判断し、人を「何をしたか」で見るとされます。
倫理の側は人の気持ち・関係・価値を物差しに判断し、人を「なぜしたか」で見るとされます。
感情があるかないかの軸ではなく、判断の物差しがどちらの現実に置かれているかの軸です。ユングに由来する基本の4軸のひとつで、後年の統計による検証では、職業選択との結びつきが15軸の中で最も強い軸でした。ここでは、両極が何で分かれ、どう違って見え、どう見分けるのかを解説します。引用するのは、ユング(Carl Gustav Jung)の原典と、ソシオニクスの創始者アウシュラ(Aushra Augustinaviciute)、レイニン(Grigory Reinin)、フィラトワ(Ekaterina Filatova)の記述、それに統計による検証研究です。
01何で決まるか
論理か倫理かは、そのタイプのモデルA(8つの情報要素を8つの位置に並べた図)から決まります。1番と2番の位置からなる自我ブロックには、知覚の要素と判断の要素が1つずつ入ります。判定に使うのは、自我ブロックの判断の要素が、論理か倫理かです。
- 自我ブロックの判断の要素が論理(Te・Ti) → 論理(ILE・LII・LSI・SLE・LIE・ILI・LSE・SLI)
- 自我ブロックの判断の要素が倫理(Fe・Fi) → 倫理(ESE・SEI・EIE・IEI・SEE・ESI・IEE・EII)
この軸は、ほかの3本の基本の軸とともに、レイニンの15本の軸すべての素材になる軸です。また、互いを補い合うとされる双対関係の2人は、必ずこの軸の反対の側に分かれます。8組の双対は、すべて論理と倫理の組み合わせです。例えば、ILE(論理)の双対はSEI(倫理)、LSI(論理)の双対はEIE(倫理)です。
02レイニンはどう定義したか
レイニンは1980年代に、ユングに由来する4つの基本の二分法を掛け合わせると、16タイプを8対8に分ける二分法が全部で15本作れることを示しました。この軸は、その素材になった基本の4軸の1本です。レイニンは2005年の著書(英訳2010年)で、この軸をこう書いています。
この特性もまたユングの基本的特性の1つである(思考―感情)。ソシオンには8つの論理タイプと8つの倫理タイプがある。論理タイプは理解と説明に頼る人々であり、一方、倫理タイプは関係性と感情を信頼して人生を導かれる人々であり、その人生は感情によって支配されている。(中略)これは、選択の問題を解決する方法による人々の区別であると言ってよい。一部の人は感情に基づいて選択をする。他者の選択は知識と論理に基づく。
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This attribute is also one of the Jungian basic attributes (thinking – feeling). A socion has eight logical types and eight ethical types. The logicians are the people who rely on understanding, explanations, whereas the ethicals are the people who trust in relationships and emotions to guide them in their lives, their lives are ruled by emotions. (中略) It is possible to say that this is a distinction of people by the way they solve their problem of choice. Some make choices based on their emotions; the choices of others are based on knowledge and logic.
言い換えると、選択のたびに使う物差しが、知識と説明の側にあるか、関係と感情の側にあるかの違いだということです。短い定義ですが、「どちらを信頼するか」という言い方が大事です。
どちらの側も、もう一方の物差しを持っていないわけではなく、頼る順番が違います。この「信頼の順番」という見方は、「感情の有無の軸ではない」という注意にもつながります。
03アウシュラはどう記述したか
創始者のアウシュラは1998年の連載で、この軸の呼び方を大きく変えようとしました。従来の「論理的/倫理的」という呼び名を、外因的/内因的に改めようという提案です。なお、引用の中の外因的/内因的、倫理タイプ/論理タイプという訳語は、原文の exogenic/endogenic などをこのページの表記に揃えたものです。
しかしこれらタイプの思考をより客観化していくと、論理的タイプは外因的な過程・関係を扱い、倫理的タイプは劣らず客観的な内因的な過程・関係を扱うことが分かるので、前者を外因的、後者を内因的と呼ぶことができる。(中略)前者は外因的な過程を研究し、それを外的状況で説明する。後者は内因的な過程を研究し、それを内的状況、欲動、必要、引力で説明する。
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Но так как при большей объективизации мышления этих типов оказывается, что логические занимаются экзогенными процессами и экзогенными отношениями, а этические не менее объективными эндогенными процессами и эндогенными отношениями, то первых можно назвать экзогениками, а вторых — эндогениками. (中略) Первые изучают экзогенные процессы и объясняют их внешними обстоятельствами, вторые — эндогенные процессы и объясняют их внутренними обстоятельствами, влечением, потребностями, притягательной силой.
上の引用にある外因的は人の外で起きる過程、内因的は人の内側で起きる過程のことです。つまり、倫理の側が扱う「人の内側で起きていること」も、論理の側が扱う外の事実に劣らず客観的な現実だということです。感情は主観的であいまいなものではなく、研究して働きかけることのできる現実だという位置づけです。アウシュラは「内因的な現実は、外因的な現実に劣らず客観的である」と繰り返しています。
この呼び名そのものは、その後あまり広まりませんでした。ですが、倫理の側はもう1つの客観的な現実を扱うという見方は、この軸についてのアウシュラの記述すべての元になっています。
この対等の見方から、アウシュラは職場の一場面を説明しています。
ある観察によれば、倫理的タイプは職場でのスキャンダルがあると働けず、論理的タイプは働ける。なぜか?なぜなら論理的タイプは周囲の感情の嵐の中で何も理解できず、意味を見ないからである。彼にとっての意味は仕事にある。(中略)スキャンダルやいざこざは—自然災害のようなものである。
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Согласно некоторым наблюдениям, этический при скандалах на рабочем месте не способен работать, а логический способен. Почему? Потому что в эмоциональных бурях окружения логический ничего не понимает и не видит смысла. Для него смысл в работе: (中略) А скандалы и склоки — что-то наподобие стихийных бедствий.
つまり、職場でもめごとが起きると、倫理の側は働けなくなり、論理の側はそのまま仕事を続けられるということです。論理の側にとって、感情の嵐は意味の読めない天災のようなもので、やり過ごすしかありません。
一方、倫理の側にとって、感情の嵐は読み取れる情報です。そのため、その場に意味を見つけて関わります。アウシュラによれば、それは権威を示す機会にも、人々を動かすものを学ぶ機会にもなります。感情の場から情報を受け取れるのは倫理の側だけで、論理の側は人々の反応が読めないので、そこから学ぶことができない、とまで書かれています。
もう1つ、社会的な結果についての観察があります。
自分の近しい者についても自分自身についても宣伝(広告)ができるのは、倫理タイプのみである。(中略)それゆえ論理的タイプは、単独で活動すれば奇跡を起こせるが、誰もそれを早く知ることはない。論理タイプのダーウィンの偉業について、倫理タイプのハクスリーが応援に来なかったら、誰がこれほど早く知ることができただろうか?
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Поэтому рекламу своим близким, как и себе, способен делать только эндогеник. (中略) Потому логический, если действует в одиночку, то может творить чудеса, но про них так никто и не узнает. Кто бы узнал так скоро про подвиг экзогеника Дарвина, если бы ему в подмогу не вызвался эндогеник Гексли?
言い換えると、自分や身近な人を売り込めるのは倫理の側だということです。宣伝は、感情と好感への働きかけだからです。そのため、論理の側は1人で優れた成果を上げても、それが知られるまでに時間がかかります。
上の引用にあるハクスリーは、進化論を唱えたダーウィンを擁護した生物学者です。アウシュラは、この2人の組み合わせを、2つの側の分業の見本にしています。クルチャトフとヨッフェの組も、同じ例として挙がっています。
04ユングまで遡る
この軸の元になったのは、ユングが『心理学的類型』(1921年)で立てた、思考と感情という2つの判断の機能の対です。なお、ユングの引用は英訳からの日本語訳です。
まず、思考の定義です。
思考とは、それ自身の法則に従って、与えられた表象を概念的な連関へもたらす心理機能である。それは統覚的な活動であり、能動的な思考活動と受動的な思考活動とに区別されねばならない。
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Thinking is that psychological function which, in accordance with its own laws, brings given presentations into conceptual connection. is an apperceptive activity and, as such, must be differentiated into active and passive thought-activity.
言い換えると、思考とは、受け取った像や考えを、概念どうしのつながりの中に組み立てる働きだということです。
次に、感情の定義です。
感情とは、自我と所与の内容とのあいだで起こる過程であり、その内容に、受容か拒絶か(「好き」か「嫌い」か)という意味での特定の価値を与える過程である。(中略)気分もまた、全体的であれ部分的であれ、価値づけを意味する。
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Feeling is primarily a process that takes place between the ego and a given content, a process, moreover, that imparts to the content a definite value in the sense of acceptance or rejection ('like* or Dislike'); (中略) But even the mood, whether it be regarded as a general or only a partial feeling, signifies a valuation;
つまり、ユングのいう感情とは、内容に「好き」か「嫌い」かの価値を与える働きだということです。気分も、この価値づけの1つとされています。
見落とされがちですが、ユングの定義では、感情も「価値づけ」をする判断の機能です。思考は概念のつながりで判断し、感情は受け入れるか拒むかの価値で判断します。どちらも判断であって、感情は判断が欠けた状態ではありません。
ユングはこの2つを、合理/非合理の軸で扱う「合理的機能」の対として整理しました。ソシオニクスはこの対を外向と内向に分け、Te・Ti・Fe・Fiの4要素として引き継ぎました。そのとき、感情ではなく「倫理」という呼び名を使っています。扱う対象が一時の情動ではなく、人と人の関係と価値の全体だからです。「感情も価値づけの判断だ」というユングの整理は、この呼び替えの根拠にもなっています。
05行動は何が違うか
では、日常の行動としては何が違って見えるのでしょうか。後の研究者のフィラトワは、4つの判断の要素を主導機能に持つタイプを描き、この軸の2つの側を日常の姿で説明しています。まず論理の側から、Ti(内向論理)が主導の人の描写です。
内向論理型の意識は、周囲世界についての自分自身の観念に集中している。彼は自分を取り囲むすべてのものの中に構造と秩序を探し、自分の周りにそうした構造を組織し、その中での自分の位置を感じ取ろうとする。(中略)あらゆる情報を分類し、グラフや図式を作る傾向がある。
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Сознание интровертного логика сосредоточено на собственных представлениях об окружающем мире. Он ищет структуру и порядок во всем, что его окружает, старается организовать такую структуру вокруг себя, почувствовать свое место в ней. (中略) Он склонен всю информацию классифицировать, составлять графики и схемы.
言い換えると、Ti主導の人は、身の回りのものに構造と秩序を探し、情報を分類して整理するということです。
次に、Te(外向論理)が主導の人です。
外向タイプの論理型は、主要な注意を周囲世界の物質的な対象に向ける。彼が興味を持つのは生産の過程、テクノロジー、工業製品や農業生産物の利用の効率である。(中略)自分の行動においてはもっぱら事実に依拠し、事実を真理の根本的な基準と考える。
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Логик экстравертного типа главное внимание уделяет материальным предметам окружающего мира. Его интересуют процессы производства, технологии, эффективность применения промышленной или сельскохозяйственной продукции.〔中略〕Он опирается в своих действиях только на факты, считая их основополагающим критерием истины.
つまり、Te主導の人は、物の生産や利用の効率に関心を向け、事実を判断の基準にするということです。
体系と構造のTi、事実と効率のTe。内向と外向で向きは違っても、どちらも人の気持ちの外にある現実を物差しにする点で、論理の側です。
次に倫理の側です。まず、Fe(外向倫理)が主導の人です。
これは概して、開かれた感情の人であり、感情を容易に表現する。外向倫理型にとって決定的なのは、感情、気分、情動体験の領域である。自分自身が非常に情動的な人間であるだけに、他の人々の感情もみごとに理解し、必要なら操ることもできる。
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Это, как правило, человек открытых эмоций, которые он легко выражает. Для экстравертного этика определяющей является сфера чувств, настроений, переживаний. Он сам, будучи человеком очень эмоциональным, прекрасно понимает также чувства и других людей, может при необходимости ими управлять. Настроение экстравертного этика легко меняется на противоположное, свои чувства он не обязательно считает нужным скрывать: свободное их выражение — естественное для него состояние.
感情を開いて表し、他人の感情もよく理解して、必要なら働きかけることもできる。それがFe主導の人の姿です。
次に、Fi(内向倫理)が主導の人です。
彼らにとって第一に来るのは、モラル、道徳性、良心、公正、伝統の遵守といった概念—要するに、人類が何世紀もの歴史の中で練り上げてきた交わりの規則の総体である。内向性はこの人の情動性を内側へ向ける。だから彼は非常に抑制的に振る舞い、内側では文字どおり「煮えたぎって」いるかもしれない感情を、外には表さないことがある。
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Для них на первом месте такие понятия, как мораль, нравственность, совесть, справедливость, соблюдение традиций — словом, весь тот набор правил общения, который выработало человечество на протяжении многовековой истории. Интровертность обращает эмоциональность этого человека внутрь, поэтому он может вести себя очень сдержанно, внешне не проявляя тех чувств, которые у него могут буквально «кипеть» внутри.
言い換えると、Fi主導の人は道徳や良心などの人づきあいの規則を第一にし、強い感情があっても外に出さないことがあるということです。
感情を外へ動かすFeと、関係と道徳を内に保つFi。振る舞いは対照的でも、どちらも人間の側の現実を物差しにしています。とくにFi主導の描写は、倫理の側が、必ずしも感情表現の豊かな人ではないことを示しています。
ここまでの記述を、日常の対比にまとめると次のようになります。
- 判断の第一言語。論理の側は「正しいか、効率的か、筋が通るか」で語り、倫理の側は「誰がどう感じるか、関係がどうなるか、それは善いことか」で語る。
- 人の評価。論理の側は、行為と結果(何をしたか)から人を測る。倫理の側は、動機と関係(なぜしたか、誰に対してか)から人を測る。
- 感情の読み取り。倫理の側は、場の感情の動き、人と人の好き嫌い、隠れた動機をよく読み取り、働きかけられる。論理の側はそこが読みにくく、感情の場面では手持ちの手段(距離を取る、事実を示す)で応じることになる。
- 不和への対処。論理の側は、距離と行為で解決する。自分が離れるか、相手を遠ざける。倫理の側は、相手を研究し、どう働きかければ好感が表れるかを探す。
- 得意な説明。論理の側は、仕組みと因果の説明がなめらかで、感情を言葉にするのに手間取る。倫理の側は、気持ちと関係を言葉にするのがなめらかである。
アウシュラはさらに、立ち直り方も対になっていると書いています。
仕事における誤りが論理的タイプに新しい探求への意欲を与えるように、感情的場面における一時的な敗北は倫理的タイプを奮起させる。逆のものは両者を道徳的に押し潰す。
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Как ошибка в работе вдохновляет логического на новые поиски, так этического временные проигрыши в эмоциональных сценах. Противоположное же их обоих морально подавляет, потому что бьет по базисным блокам.
つまり、仕事での失敗は論理の側に次の探求への意欲を与え、感情の場での負けは倫理の側を奮起させるということです。ですが、逆の組み合わせは、どちらの側も押し潰します。仕事の失敗を突きつけられた倫理の側と、感情の場でやり込められた論理の側です。そのため、叱る場面や励ます場面では、この向きを間違えないことが大事です。
06相手からどう見えるか
二分法では、反対の側が「欠点のある自分」のように見えることがあります。この軸は、日常の人間関係で摩擦のもとになりやすい軸です。
倫理の側から論理の側を見ると、気持ちを無視して正論を通す、冷たい人に見えることがあります。反対に、論理の側から倫理の側を見ると、事実の議論に感情を持ち込み、筋より空気を優先する人に見えることがあります。「正論だけれど、言い方があるだろう」と「言い方の問題にすり替えないでくれ」という日常のやりとりは、そのままこの軸の言葉です。
アウシュラの見方に沿えば、どちらも、自分に読める現実で判断しているだけです。論理の側の「冷たさ」は、感情の情報を読み取りにくいことであって、悪意ではありません。倫理の側の「感情的」は、内因的な現実を読んでいる状態であって、非合理ではありません。
すれ違いの質について、アウシュラは鋭い観察を残しています。
論理タイプは、倫理的タイプは互いに永遠に喧嘩しており、互いに執着し、嘲笑し、皮肉を言う、要するに彼らの間にはいかなる平和もありえないと確信している。倫理タイプはそのような自分たちの関係に何も常軌を逸したものを見ない。それどころか、その逆だ。論理的タイプが互いに沈黙している—共通の話題を見つけられないので—こちらの方が恐ろしい。沈黙が恐ろしい。なぜならそれはいかなる情報ももたらさないからである。
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Экзогеники уверены, что этические между собой вечно дерутся, пристают друг к другу, издеваются, язвят, в общем, что между ними невозможен никакой мир. Эндогеники же в таких своих отношениях не видят ничего из ряда вон выходящего, даже — наоборот. Вот логические, которые между собой молчат, потому что не находят общего разговора, вот это — страшно. Страшна тишина, потому что она не несет никакой информации.
言い換えると、倫理の側のにぎやかな衝突は論理の側には「永遠の喧嘩」に見え、論理の側の静かな並走は倫理の側には「不気味な沈黙」に見えるということです。どちらの側も、相手のふだんの状態を、異常な事態として読み違えています。
アウシュラの観察では、倫理の側は、気分を害することまで働きかけの手段として使えます。一方、論理の側が声を荒げるのは、関係を動かすためではなく、「離れさせるため」の防御にとどまるとされます。同じ怒りの表し方でも、片方は相手を動かす手段、片方は距離を取るための防御です。そのため、防御を働きかけと読み違えると、「怒って圧をかけてきた」という取り違えが起きます。
なお、この軸は、双対の2人が必ず反対の側に分かれる軸です。ダーウィンとハクスリーの例のように、作る側と広める側、仕組みを整える側と関係を整える側という分業が、タイプ間の関係の基本の形に組み込まれています。
07見分け方と実証研究
見分けるときに実際に使える手がかりは、次の4つです。
- もめごとの語り方。人間関係のトラブルを話してもらうと、論理の側は、出来事と行為の順に語る(感情の描写が薄い)。倫理の側は、誰がどう感じ、関係がどう動いたか、その裏に何があったかで語る。
- 頼みごとの形。人を動かすとき、論理の側は理由と損得を並べて相手の判断に任せ、倫理の側は気持ちと関係に直接働きかける。
- 褒め方と怒り方。成果を褒めるか、人柄を褒めるか。仕組みの欠陥に怒るか、不義理に怒るか。
- 沈黙への反応。2人で黙って作業する時間を、心地よい並走と感じるか、情報のない不穏な時間と感じるか。「相手からどう見えるか」の章で見た、アウシュラの観察と対応します。
加えて、この軸は職業選択との統計の結びつきが最も強い軸なので、どんな仕事を面白いと感じるかの話題にも違いが出ます。
この軸は、統計による裏づけが最も強い側の軸です。心理学者のタラノフ(Viktor Talanov)は2003年、合計1,800人を超える大きな標本で、基本の4軸とレイニンの派生の11軸をまとめて検定しました。
外向・合理性・論理・直観の二分法については、職業選択との絶対的に信頼できる統計的関連が観察される。レイニン特徴については帰無仮説—関連の不在—が裏づけられる。
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Для дихотомий экстраверсии, рациональности, логики, интуиции наблюдается абсолютно достоверная статистическая взаимосвязь с выбором профессии. Для признаков Рейнина подтверждается нулевая гипотеза – отсутствие взаимосвязи.
言い換えると、基本の4軸は職業の選び方とはっきり関連していたということです。一方、レイニンの派生の11軸には関連が見つかりませんでした。
なかでも論理/倫理は、職業選択(1,446人)との結びつきが、検定した15軸の中で最も強い軸でした。どんな仕事を選ぶかに、最も強く関わる軸だということです。質問紙240問との相関も、下の図のとおり、派生の11軸とは桁が違います。
タラノフの実験(2003年・447人)。点線(0.91)を下回る値は、偶然のばらつきと区別できない。
数値はタラノフ「レイニン特徴の実験的研究」(2003年、ソシオニクス新聞 №07-08)表3より
340問版の検定では、相関二乗和が13.68に上がり、外向/内向(14.31)に迫る2番目の強さでした。447人にホランド職業指向質問紙(職業への興味の向きを測る心理検査)を使った別の検定でも5.39で、閾値の0.91を大きく超えています。
340問版では外向/内向と並ぶ上位の2本、240問版では3番目、職業選択では単独の1位でした。測り方によって順位は動きますが、常に最上位のグループに入る軸です。
観察研究の側でも、この軸は判定の元になる1本です。サンクトペテルブルクの検証グループの観察実験は、専門家のあいだでタイプの判定が割れない人を被験者に選ぶところから始まっています。その判定そのものが、基本の4軸についての合意の上に立っています。
まとめると、論理/倫理は、統計の裏づけが最上位の基本の軸です。見分けるときには、感情の有無や知能との混同に注意が要ります。
ちなみに、アウシュラは、タイプ論そのものの使い方まで、この軸で分かれると書いています。論理の側は、不快な相手から距離を取るための防御の道具として使います。倫理の側は、衝突を避けてうまく働きかけるための道具として使います。
08使うときの注意
最後に、この軸を使うときの注意を3つにまとめます。
感情の有無の軸として読まないこと。論理の側にも感情はあり、倫理の側にも論理はあります。ユングの定義では感情も判断の機能で、アウシュラは倫理の側が扱う内因的な現実を「劣らず客観的」と位置づけました。Fi主導の描写のとおり、倫理の側が感情表現の豊かな人とも限りません。分かれるのは、判断の第一の物差しがどちらに置かれているかです。
頭の良さの軸として読まないこと。論理/倫理は、知能の軸ではありません。関係と動機を読み解く知性と、仕組みと因果を読み解く知性は、対等な2つの知性です。「論理的な人=賢い」という日常の語感を持ち込むと、この軸が優劣の軸として読まれてしまいます。
この軸だけでタイプを決めないこと。論理か倫理かが分かっても、候補は8タイプ残ります。統計で最も強い軸だからこそ、ここで判定を止めたくなります。ですが、残る基本の軸と合わせて絞り、派生の軸で答え合わせをするのが確実です。
09両極のタイプ一覧
両極の8タイプずつを、一覧で再掲します。自分のタイプがどちらに入っているかを確かめたら、判断の第一言語と、もめごとの語り方に心当たりがあるかを照らし合わせます。合わないと感じたら、それはタイプの判定そのものを見直す手がかりにもなります。二分法は、判定の答え合わせにも使えるからです。
引用索引
本文で引用した出典を、登場した順にまとめます。引用の日本語は原文から訳出したものです。
- [1]グリゴリー・レイニン『Socionics: Typology. Small Groups.』(2010)第III部 本文へ
- [2]アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ「レイニン特性理論」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 第3部(№3)(1998年) 本文へ
- [3]アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ「レイニン特性理論」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 第3部(№3)(1998年) 本文へ
- [4]アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ「レイニン特性理論」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 第3部(№3)(1998年) 本文へ
- [5]カール・グスタフ・ユング『心理学的類型』(1921) 引用は英訳(Baynes訳)からの重訳 本文へ
- [6]カール・グスタフ・ユング『心理学的類型』(1921) 引用は英訳(Baynes訳)からの重訳 本文へ
- [7]エカテリーナ・フィラトワ『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001)第II部 本文へ
- [8]エカテリーナ・フィラトワ『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001)第II部 本文へ
- [9]エカテリーナ・フィラトワ『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001)第II部 本文へ
- [10]エカテリーナ・フィラトワ『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001)第II部 本文へ
- [11]アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ「レイニン特性理論」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 第3部(№3)(1998年) 本文へ
- [12]アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ「レイニン特性理論」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 第3部(№3)(1998年) 本文へ
- [13]ヴィクトル・タラノフ「レイニン特徴の実験的研究」『ソシオニクス新聞』誌 №07-08(2003年) 本文へ
