デルタクアドラ 詳細解説
LSE・EII・IEE・SLI
デルタクアドラは、LSE・EII・IEE・SLIの4タイプで作るクアドラです。この記事は、ソシオニクスの研究者たちがデルタをどう記述してきたかを原典の逐語引用で通読し、横断して残る中核像(集まりの雰囲気、大事にすること、決め方、苦手)を出します。クアドラという概念そのものの解説と、引用・翻訳の方法規約は共通記事に置いてあり、この記事は最初から最後までデルタの話をします。クアドラの全体像について知りたい人は、クアドラ詳細解説を参照してください。
01デルタクアドラとはどんな人たちか
最初に、この記事全体の答えを短く置きます。研究者の記述を横断した上での当サイトの統合で、根拠になる原文は次章以降で全て示します。
デルタの集まりの中心は、安心と実務です。落ち着いた歓談と、手を動かす共同作業が集まりの型で、大声の盛り上がりや力の押し合いは好まれません。一人ひとりの空間と事情が尊重され、内的世界への不干渉が価値として書かれます(Stratiyevskaya)。
大事にするのは4つです。Te(外向論理)の実務の確かさと品質、Fi(内向倫理)の個別の誠実さ、Ne(外向直観)の可能性の育成、Si(内向感覚)の穏やかな快適さ。逆に、力での圧迫、体系のための体系、感情の煽りは価値の外にあります。
決め方は「実務の資質と経験がある人の判断を尊重し、各自の領分には干渉しない」が基本形です。功績と経験は名乗ってよいものとして扱われます。苦手の側にあるのは、力の押し合い、期限で追い立てられること、そして抽象理論のための議論です。Stratiyevskayaはこれに、自分の空間と内的自由を侵されることをデルタの負担として挙げています。
以降の章は、この答えの根拠です。研究者ごとに何と書いたかを逐語で読み、一致と食い違いを整理し、最終章でこの答えをフル版の人物像に拡張します。
読この記事の読み方
本体は研究者ごとの章です。01章に短い答えを置き、02章でなぜこの4タイプが同じクアドラなのかを押さえ、03〜10章でアウシュラからGulenko、機関誌の研究者までの記述を逐語で読みます。11章以降で一致と食い違いを整理し、会話、4タイプの違い、他のクアドラから見た姿、社会の中の位置、見分け方まで進み、最後に人物像の章で締めます。急ぐ読者は、01章の答えと各章末尾のまとめ、最終章だけでも通読できます。クアドラという概念そのものの解説と、引用・翻訳の方法はクアドラ詳細解説にあります。
ページ冒頭の「コピーしてAIで要約!」を押すと、要約用の指示文とこのページの本文がクリップボードに入ります。AIに渡して、要約のほか、引用の意味を聞く、研究者ごとの違いを整理させる、といった使い方ができます(長すぎるときは章を分けて渡してください)。
02デルタクアドラはなぜこの4タイプか
デルタの枠組みを先に確認します。所属する4タイプ、価値として共有する4要素、そして内側の関係です。
デルタの4タイプが共有する価値要素は、Ne(外向直観)・Fi(内向倫理)・Si(内向感覚)・Te(外向論理)です。同じ4要素を、各タイプは別の位置で担います。
| タイプ | 主導 | 創造 | 動員 | 暗示 |
|---|---|---|---|---|
| LSE | Te | Si | Ne | Fi |
| EII | Fi | Ne | Si | Te |
| IEE | Ne | Fi | Te | Si |
| SLI | Si | Te | Fi | Ne |
この表は横に読みます。LSEの主導にあるTe(外向論理)は、EIIでは暗示(外から補ってほしい位置)に入っていて、この対応が双対関係です。デルタの双対ペアはLSE–EIIとIEE–SLIの2組です。
クアドラの中で成り立つ関係は同一・双対・活性化・鏡像の4種だけで、デルタの内側には価値がぶつかる組み合わせがありません。このうち双対と活性化が実際にどう見えるかは、Filatovaの章で扱います。
03Aushraのデルタ
Aushraがデルタを記述するのは、ソシオンを特性で分割するときで、デルタがどちら側に入るか、そこで何が「公然と議論される」かという形を取ります。この章では、デルタに関わる3つの分割と、エネルギー循環のデルタ部分、そして気質の1行を解説します。
声に出してよい話題
1つ目の分割で、デルタはガンマと同じ第2グループに入ります。
特性が現れるのは、ソシオンを2部に分け、第1グループにクアドラ アルファとベータ、第2にガンマとデルタが入る場合。(中略)第1ペアでは、外的関係と客観的必要の問題(□〔Ti〕)、気分、鼓舞、無関心または陽気、興奮、憤慨、体験(▼〔Fe〕)が自由に議論される。(中略)第2グループ—ガンマとデルタ—は、願望、愛、憎悪(▽〔Fi〕)と行為(■〔Te〕)の問題を自由に議論する。
デルタの会話で自由に話せるのは、願望・愛・憎悪(個別の関係の実質)と行為(実際にやること)です。2つ目の分割では、デルタはアルファと同じ賢明側に入ります。
賢明グループでは、潜在的可能性、能力の問題、対象と主体の内的内容と構造の問題が公然と議論される。(中略)体調、快・不快な感覚、痛み、要するに様々な感覚的喜びと不快の公然たる議論。(中略)果敢では、物質的・人的資源—運動エネルギー源—を蓄積する能力、自分の意志を示すこと(このため果敢と呼ばれる)が公然と議論される。
潜在的可能性と能力の議論、そして体調・快不快の公然たる議論—可能性の話と心地よさの話が同じテーブルに載るのは、アルファとデルタの共有財産です。3つ目の分割は民主/貴族で、デルタはベータとともに貴族側です。
この特性はプログラム的である。(中略)この特性が現れるのは、ソシオンを2部に分け、第1グループ「民主主義者」に反対のクアドラ アルファとガンマが、第2グループ「貴族主義者」に反対のクアドラ ベータとデルタが入る場合である。反対のクアドラのペア—私たちがオクターブと呼ぶもの—は、各オクターブが2つのブロック化から形成されるという興味深い特性で異なる。
3つを重ねると、Aushraのデルタは「関係と行為を率直に話し、可能性と快不快を公然と議論する、貴族側」です。賢明側でありながら貴族側—アルファと快の側を共有しつつ、距離と序列の作法をとる組み合わせが、デルタの位置の特徴です。
エネルギー循環の中のデルタ
クアドラ別エネルギー循環の発見(中略)
| クアドラ | 構成 | 機能 |
|---|---|---|
| α | ▲〔Ne〕▼〔Fe〕 | 潜在エネルギーと点火 |
| β | ▼〔Fe〕●〔Se〕 | 燃焼と運動エネルギーへの転換 |
| γ | ●〔Se〕■〔Te〕 | 運動エネルギーと使用、労働 |
| δ | ■〔Te〕▲〔Ne〕 | 運動エネルギー使用と追加潜在エネルギー自給 |
デルタの構成はTe(外向論理)とNe(外向直観)で、機能は「運動エネルギー使用と追加潜在エネルギー自給」。力を使いながら、次の可能性を自分で補充する—循環の終点であり、次の周回の仕込みでもある位置です。内向の側はこうです。
白い要素でも同様:
| クアドラ | 構成 | 機能 |
|---|---|---|
| α | ○〔Si〕□〔Ti〕 | 自己感覚が距離を決める |
| β | □〔Ti〕△〔Ni〕 | 距離が時間を決める |
| γ | △〔Ni〕▽〔Fi〕 | 時間の流れが欲求・引力を生む |
| δ | ▽〔Fi〕○〔Si〕 | 欲求満足が自己感覚を変える |
デルタはFi(内向倫理)とSi(内向感覚)で、「欲求満足が自己感覚を変える」。関係の充足が体の調子まで変える—デルタの快適さが人間関係と地続きである理由を、循環の言葉で書いた行です。気質の面では、アルファと同じ側に置かれます。
悲劇主義と感情的高所恐怖症への傾性が、ベータとガンマのクアドラに固有である、また — 最も真面目なものをファルスとコメディに転じる傾性 — アルファとデルタのクアドラに。
最も真面目なものを笑劇とコメディに転じる傾性は、アルファとデルタに固有—デルタの静かな見た目の中に、笑いへ向かう感情の向きがある、という1行です。
Aushraのデルタは、関係と行為を率直に話し、可能性と快不快を公然と議論する、賢明側の貴族です。エネルギーの面では、力を使いながら次の可能性を自給する循環の終点。感情は悲劇でなく笑いの側に向かいます。「関係と快を声に出してよい場」としてデルタを定義し、その役を自給に置く—これがAushraのデルタの中核です。
04Reininのデルタ
Reininの3特性のうち、デルタが属するのは貴族・深刻側・賢明の側です。
デルタは貴族・客観の側
第1の基準、伝達手段:それらすべては貴族か民主のいずれかである。2つの「貴族」クアドラと2つの「民主」クアドラがある。(中略)客観的人々はガンマおよびデルタクアドラに属する。主観的人々はアルファおよびベータクアドラに属する。
この分け方は、定義だけでなく集団の振る舞いとしても観察されています。
「貴族/民主」を取ったとき、集団は非常に興味深く構造化されました。貴族型には個人的な距離があり、順番に発言し、相手の話を遮らず、序列が観察されます。民主型はたえず互いに発言を遮り、距離が近く、丁寧な話法は少なめです。
距離の取り方と発言の順番は、別の記述でも同じ見分けどころとして挙がります。
実験中、これらのグループは区別しやすい。貴族タイプはできるだけ自身を他者から距離を置こうとし、決して誰かを遮らない。民主タイプは皆同時に話し、しばしば礼儀の共通規範を顧みない。
ここで観測されているのは貴族側の2クアドラ(ベータとデルタ)に共通する型で、デルタ単独の観測ではありません。個人的な距離を保ち、順番に発言し、遮らない—ベータと同じ作法です。この距離がデルタでは序列でなく互いの領分の尊重として働く、という読みは当サイトの思索で、根拠の突き合わせは第11章で行います。3つ目の特性では、デルタはアルファと同じ賢明側です。
「賢明/果敢〔原文:рассудительность-решительность〕」。外見上はまったく同じです。(中略)何が同じだったのか—心地よさです。集団内で—もっとも心地よい集団。(中略)両者を分けるのは性的プログラムです。一方のプログラム—パートナーへの志向。もう一方—プロセスへの志向。(中略)意味論は自己報告とインタビューから取り出されました。
賢明側の判定は外見では付かず、本人の快適さの自己報告でしか取り出せません。
著書に残ったデルタの場面
Reininの著書には、デルタの空気を伝える場面の引用が1つ残っています。
IEE〔原文:ハクスリー〕は態度を示すことについても無頓着である。「おい、あんた、馬鹿か何かか!」と彼はついでのように言う。彼は冗談を言い、からかう。アルファ・クアドラの観点からすると、これらの冗談はまったく不適切だ。私には友人にIEE〔原文:ハクスリー〕がおり、彼が冗談を言うたびに私はびくっとし、毎回驚く。私の内なる存在が必ず反応するのだ。何ができるだろうか?ここでは本質的に何もできない。
記録されているのは、IEE1人の物言いの無頓着さと、その冗談がアルファの側(Reinin自身)には毎回こたえる、という一人称の反応です。同じ物言いをデルタの側がどう受け取るかは、この記録からは分かりません。ユーモアの質がクアドラで分かれるという彼の一般論に、クアドラをまたいだ1例が付いた形です。
まとめると、Reininがデルタを置くのは、貴族側の2クアドラに共通する観測(距離を保ち、順番に発言し、遮らない)の一方で、話の方向は事実とデータの客観側、気質は賢明側です。デルタの位置は3つの二分法の交点として与えられ、デルタ単独の観測はインタビュー由来の1例にとどまる—これがReininのデルタの中核です。
05Bukalovのデルタ
Bukalovとキエフ学派のデルタ記述を、性格づけ→役割→組織→次の周回への接続の順で解説します。デルタには「楽観的実践家」という名前が与えられています。
楽観的実践家
クアドラδは楽観的実践家のクアドラである。(中略)クアドラδには次の情報代謝タイプが含まれる: 1)論理感覚外向(LSE、Te(外向論理)〔原文:■(Te)55■(Te)56〕); 2)倫理直観内向(EII、Fi(内向倫理)〔原文:▽(Fi)57▽(Fi)58〕); 3)感覚論理内向(SLI、Si(内向感覚)〔原文:○(Si)59○(Si)60〕); 4)直観倫理外向(IEE、Ne(外向直観)〔原文:▲(Ne)61▲(Ne)62〕)。(中略)クアドラδでは実用性とともに友好性、利他性、発明への志向などが支配的である。クアドラδはクアドラαの思想を受容するが、クアドラγの後継者として実践的に実現し、その思想を埋め込み、その隠れた可能性が完全に汲み尽くされるまで磨き上げる。
実用性と友好性と利他性が同時に支配する—そしてデルタの仕事は、アルファの思想を受け取り、隠れた可能性が完全に汲み尽くされるまで磨き上げることです。ベータの「悲観主義」と正反対の、楽観の実務が性格づけになっています。役割の定義はこうです。
- δクアドラは、理論を静的に発展させ(増分はわずか)、達成・物質化され定着した成果を動的に導入するクアドラであり、成果は改善・完成されるだけである(技術)。これは発明家と合理化者のクアドラである。現状が定着しているため、人間の精神生活に多くの注意が集中する。優勢ダイアドはLSE–EIIである。クアドラ特性は、現状に満足すること(同調主義)、決断性の欠如、内向性(人間の内面世界への集中による主観主義)である。
発明家・合理化提案者のクアドラ—理論発展の伸びは微弱で、達成された成果を改善し洗練し続けます。既存の秩序への満足と、人間の内面世界への集中が、静かな安定の中身です。
組織の中のデルタ
第1クアドラ(アルファ)の組織内では、人は通常、同志のチームの一部と感じ、思想生成者として、共通の風潮の創出に貢献する心地よい対話相手として評価される。第2クアドラの組織では、人はしばしば自分が大きな機械の歯車、この巨大なメカニズムの一部だと感じる。(中略)第3クアドラの社会または組織では、個人的成功が前面に押し出され(中略)第4クアドラの社会では、強調はもう個人的成功にではなく、個人的実現とそのための好ましい条件の創出に置かれる。(中略)安定した集団の中核には、しばしばクアドラが形成される。(中略)そのときリーダーは自分の指示を部下の言語に翻訳するのに多くの労力を使わなくて済む。
デルタ組織の強調は、個人的成功(ガンマ)ではなく個人的実現と、そのための好ましい条件の創出に置かれます。勝つことより、各自が力を発揮できる環境を整えること—第1章の答えで置いた「干渉しないことが優しさ」の組織版です。継承の機構では、ガンマから受けた要素が組み替わります。
第4クアドラ(デルタ)に残るのは関係倫理(Fi(内向倫理)〔原文:▽F(Fi)i〕)であるが、それは可能性の直観(Ne(外向直観)〔原文:▲Ne〕)と結合する。(中略)第4クアドラでは、人の個人的特殊性、その実現可能性への関心がはるかに強い。(中略)第3クアドラにあったビジネス論理(Te(外向論理)〔原文:■T(Te)e〕)は、第4クアドラでは白い感覚(Si(内向感覚)〔原文:○S(Si)i〕)と結合し、それゆえ関心は財務領域から生産領域へ移行し(中略)最高の要求を満たすという領域へ移行する。
Fi(内向倫理)はNe(外向直観)と組んで「人の個人的特殊性と実現可能性」への関心になり、Te(外向論理)はSi(内向感覚)と組んで財務から生産・品質へ移る—ガンマと同じ2要素が、デルタでは人を育てる方向と物を仕上げる方向に働きます。循環の続きも書かれています。
彼は第4クアドラ(デルタ)の萌芽を指摘する—組織間の市場・消費者をめぐる競争が、個々人間の自分の個性を発現する可能性をめぐる競争に移る、と。そして企業は提供サービスのレベルを上げることで、特に幅・スペクトル・品質などで、個別消費者をめぐって戦い始める。(中略)第4クアドラの段階でプロセスは終わらない、その進行は続く。(中略)少しずつ新しい思想がさまよい、その後それが何らかの反響を得て、社会活動家、政治家などのイニシアチブ・グループが生じ、すべてが新たに始まる。
競争がなくなるとは書かれていません。競争の軸が市場の勝敗から「個性を発現する可能性」へ移り、企業は提供サービスの幅と品質で個別の消費者をめぐって戦い始める—デルタ段階でも個人間・企業間の競争は続く、という記述です。そしてデルタの段階で過程は終わらず、新しい思想が芽生えてすべてが新たに始まります。デルタは終点であると同時に、次のアルファへの折り返しです。
Bukalovのデルタは、楽観的実践家—実用性と友好性と利他性を同時に持ち、アルファの思想をその可能性が汲み尽くされるまで磨き上げる、発明家と合理化提案者のクアドラです。組織では個人的実現の条件づくりが軸になり、関心は財務より生産と品質、人の特殊性とその実現に向かいます。デルタは成果を磨いて人を育て、次の始まりに折り返す段階を担う。これがBukalovのデルタの中核です。
06Stratiyevskayaのデルタ
Stratiyevskayaのデルタ記述を、構成、継承、価値、生き方、貴族性、負担の中核の順で解説します。
ベータと同じクラブ、逆の支配
第四クアドラ(デルタ)の特徴(中略)第四クアドラは倫理-直観タイプと論理-感覚タイプから成り、この点で第二クアドラと似ている。(中略)まず第一に「黒」論理(Te(外向論理)〔原文:■(Te)=Te〕)と「白」倫理(Fi(内向倫理)〔原文:▽(Fi)=Fi〕) — これらは第四クアドラを第三クアドラに近づけるアスペクトである。さらにここでは再び「黒」直観(Ne(外向直観)〔原文:▲(Ne)=Ne〕)と「白」感覚(Si(内向感覚)〔原文:○(Si)=Si〕)が現れる — これらは第四クアドラを第一クアドラに近づけるアスペクトである。
デルタはベータと同じクラブ(倫理・直観と論理・感覚)でできていて、支配する側面が反転しています。価値の側では、実務と誠実(ガンマと共有)に、可能性と快適(アルファと共有)が再び加わる—2つの隣人の良いところを併せ持つ構成です。
第四クアドラ(デルタ)では以下の双対・ダイアドが形成される:(中略)合理ダイアド シュティルリッツ — ドストエフスキー(中略)そして非合理ダイアド ハクスリー — ギャバン
人道主義の受け取り
第三クアドラ(ガンマ)から遺産として、第四クアドラは、鮮やかに発現された人道主義的傾向を持つかなりよく整備され安定化した社会を受け取る。(中略)その世界感覚において、世界知覚の非合理アスペクトにおいて、第四クアドラは第一クアドラに似ている — これは大多数が開放的で好意的な人々で、自分の人生経験を体験し、自分の家での居心地と幸福、地球上の平和と平穏を評価する術を心得た人々である。(中略)世界観で第四クアドラが第一クアドラに似ているなら、実現において第三クアドラに似ている — 「業務論理(■(Te)=Te)」のアスペクトはここで、すでに試験され確立した技術的達成を導入する道具として現れる。
世界観はアルファに似て(開放的・好意的・居心地と平和の評価)、実現の仕方はガンマに似る(確立した技術の導入)—デルタの位置づけが1段落で出ています。実務の中身は品質です。
第四クアドラの業務論理 — それは進歩的な技術と高度に熟練した労働、安定した経済の条件下での発明性と合理化である。肯定的業務論理のアスペクトは、論理感覚外向(シュティルリッツ)によって第三クアドラにもたらされ、肯定的関係倫理のアスペクトは — 倫理直観内向(ドストエフスキー)によってもたらされた。
進歩的な技術、高度に熟練した労働、安定した経済での発明と合理化—デルタの実務は突破(ガンマ)ではなく熟練と改善の形を取ります。向かう先はこう書かれます。
第四クアドラ(デルタ)は自分にそのような課題を立てず、すべて前へ向かう — 社会の倫理的完成へ、道徳的理想へ、最高の人道主義と高い精神性へ。古いもの — 残酷さと暴力 — への回帰はもはや不可能だと考えながら。(中略)第四クアドラでは、第三クアドラのときよりもはるかに大きな程度で、人格の権利が体系の権利よりも優越する。
人格の権利が体系の権利に優越する—デルタの人道主義は宣言ではなく、優先順位の構造として書かれています。
価値と生き方
安定した社会、この場合は第四クアドラ(デルタ)の社会的使命は、まさに、社会のその後の形態における生命を延長できる新しい、生まれつつある社会的関係のための肥沃な土壌を準備することにある。(中略)第四クアドラには再び、「可能性直観(−Ne(外向直観)〔原文:-▲(Ne)=-Ne〕)」のような支配的価値観が現れる。それは未来に属する価値観である。なぜなら、その先それは新しい社会的螺旋の第一クアドラに移行するからである。
この可能性は、デルタの中では関係の倫理と組みで扱われます。
第四クアドラ(デルタ)では、それは肯定的関係倫理によって守られている — 個性と自己表現の自由への人格の権利として。社会的・政治的安定性の条件下でのみ、精神的・倫理的解放、人物の個性の認識、その内的世界への不干渉といった価値観が発達できる。そしてまさにそのような社会的条件下で、第四クアドラの代表者は最も心地よく感じ、最も完全に自分を実現できる。
個性の認識と、内的世界への不干渉—干渉しないことが価値として明文化されています。快適さの側はこうです。
第四クアドラ(デルタ)の最後の支配的価値観は —「Si(内向感覚)〔原文:○(Si)〕」のアスペクト — 感覚論理内向(SLI〔原文:ギャバン〕、SLI)のプログラム・アスペクトである。(中略)例えば、便利な労働条件の創出、一度確立した秩序を変えたくないという気持ち、不快な感覚を最小限に抑える志向としてである。(中略)第四クアドラではリスク、強行軍、過剰緊張、混乱の状況下で働くのを好まない — それは不快である。職場の便利さとともに、ここでは集団の調和と仲間内の好意的な関係が評価される。労働は、人間の自分を創造的に実現する自然な必要性として知覚される。
リスクと強行軍と過剰緊張を避け、便利な労働条件と仲間内の好意的な関係を整える。労働そのものが自己実現の自然な必要—ベータの「訓練」ともガンマの「突破」とも違う、デルタの働き方の型です。
貴族性と、負担の中核
第四クアドラ(デルタ) — 「貴族のクアドラ」である。(中略)第四クアドラでは、人物をその称号と職位で紹介すること、また自分の個人的功績、経験、権威、識別の印に言及することが規範とみなされる。(中略)第四クアドラでは、多面的興味、並外れた能力、傑出した功績を持つ人物であることが非常に名声の高いものとされている。個人的功績はここで人物の能力実現の度合いの指標であり、第二クアドラでは個人的功績 — それは体系への忠実の指標である。
デルタの貴族性は、称号と功績を名乗ってよい作法です。ただし功績の意味がベータと違う—ベータでは体系への忠実の指標、デルタでは能力実現の度合いの指標。序列のためではなく、その人が何をどこまで実現したかの表示として、肩書が機能します。負担の中核は防衛の側にあります。
外部からの不快な干渉から自分を守る志向が、第四クアドラ(デルタ)の代表者に絶えず自分の最小限の生活空間を守ることを強いる(「我が家は我が城」)。(中略)第四クアドラの代表者は、何らかの外的条件と状況によって縛られることを非常に恐れる。外部からの圧力を恐れ(意志感覚(−Se(外向感覚)〔原文:-●(Se)=-Se〕)のアスペクトはここで押しのけられた価値観である)、自分の便利さ、自分の幸福、個人の権利、内的自由への侵害を恐れる。
アルファの負担が「話させてもらえないこと」、ベータが「弱い側に置かれること」、ガンマが「人生から外されること」だったのに対し、デルタの負担は「自分の空間と自由を侵されること」です。「我が家は我が城」—絶えず最小限の生活空間を守り、外的条件に縛られることと外からの圧力を恐れます。その防衛の実例も書かれています。
第四クアドラ(デルタ)のいかなる代表者と同じく、SLI〔原文:ギャバン〕は自身の内的自由と独立を非常に大切にし、誰にもそれを侵害させない:上司の前で怖気付かず、命令調に従わず、号令に反応しない—いかなる状況でも、自身の判断のみに従って行動する。
つまり、Stratiyevskayaのデルタは、ガンマから人道主義と実務を、アルファと同じ側から開放的な世界観を受け取ったクアドラです。人格の権利が体系に優越し、干渉しないことが価値になり、労働は熟練と改善と自己実現の形を取ります。貴族性は功績を名乗る作法で、負担の中核は空間と内的自由の防衛。自分の空間を守りながら、着実に完成へ向かう。これがStratiyevskayaのデルタの中核です。
07Filatovaのデルタ
Filatovaのクアドラ記述は関係の機構が中心で、デルタの節には生活場面の実例が付いています。彼女の実例はレマルク『三人の仲間』の人物と、著者自身の知人から取られています。
2組の双対
第4クアドラ(デルタ)
双対:
- LSE、プロフェッショナル、LSE〔原文:シュティルリッツ〕、Te-Si
- EII、EII〔原文:ドストエフスキー〕、ヒューマニスト、Fi-Ne
双対:
- IEE、IEE〔原文:ハクスリー〕、イニシエーター、Ne-Fi
- SLI、マスター、SLI〔原文:ギャバン〕、Si-Te
プロフェッショナルとヒューマニスト、イニシエーターとマスター—実務の側と人を見る側が組む、デルタの2ペアです。双対の一般機構(完全な相補・守られ感)は他クアドラの記事と共通なので、ここでは実例に進みます。
双対のペアにおいては、これほどまでに見事な支えと理解が実現されるため、それぞれが自分は守られていると感じる。そのとき、それぞれが何をしても、何を言っても—すべてが適切であり、すべてが良く、すべてが正しい。これ自体が、自分は良い人間、善良な人間であるという感覚をもたらし、自分自身の高い価値の感覚をもたらす。そしてこの感覚こそ、あらゆる人間の基本的な欲求の一つである。
文学と実生活のデルタ
第4クアドラ(デルタ)におけるこの関係の例を、ケステルとロベルトの間で見てみよう。(中略)この関係はどこか双対関係を思わせるが、そこには完全な補償はない。(双対関係では、相互作用は第1機能と第4機能を通じて行われることを思い出そう。)それでもなお、ここでもパートナー同士は互いをうまく支え合うことができる。ただし、彼らは合理性―非合理性の尺度において異なるため、何らかの状況で生活のリズムの違いがそれを妨げない限りにおいてであるが。(中略)最も円満な夫婦の割合が高いのは、まさに双対関係とともに、活性化関係にある配偶者たちの間であると言えば十分だろう。
『三人の仲間』のケステルとロベルトが、デルタの活性化関係の例に使われます。双対に次いで円満な夫婦が多いのが活性化—という彼女の観察つきです。実生活の例はこうです。
興味深いことに、著者の知人の一人(SLI型)も、まったく同様のことを行った。彼の娘(EII型)が家庭内のいざこざのためにストレス状態にあったとき、彼は単に、かなり荒れた海でモーターボートに乗ることを彼女に提案した。その結果、若い女性はすぐに落ち着きを取り戻し、困難な人生の状況を冷静に評価できるようになった。
言葉で慰める代わりに、荒れた海のモーターボートに乗せる—SLIの父がEIIの娘のストレスに、感覚の体験で応じた1例です。Filatovaが挙げているのはこの1件だけです。
活性化の関係は、パットとレンツをも結びつけている。(中略)銃士の4人組においては、この種の関係をアトスとポルトスの間、そしてダルタニャンとアラミスの間に見ることができる。残念ながら、彼らの具体的な現れとしての特徴的な状況を見つけるのは難しいが、明らかなのは、彼らの関係が実際に良好であるということであり、銃士たちを固い友情が結びつけているのも当然のことなのである。
クアドラへの拡張
ソシオニクスでは、この種の関係は、完全な相補、すなわち双対化の関係と呼ばれる。実際、この「相補性」は、モデル・ユングにおいて諸機能がその強さにおいて逆の順序を持つという点によく表れている。
デルタの主導の行は、Te(LSE)・Fi(EII)・Ne(IEE)・Si(SLI)。実務、誠実、可能性、快適—生活を成り立たせる持ち場が主導の行だけでそろいます。活性化はLSE–IEEとEII–SLI、鏡像はLSE–SLIとEII–IEEです。
Filatovaのデルタは、プロフェッショナルとヒューマニスト、イニシエーターとマスターが組む4人組で、デルタの節には活性化関係の実例が文学と実生活から1つずつ残っています。デルタはまず、生活の場面で互いを支える関係の単位。これがFilatovaのクアドラ記述から取り出せるデルタ像です。
08Karpenkoのデルタ
Karpenkoの次元ランキングのデルタの回です。8つの情報アスペクトを次元数で順位づける章で、デルタの並びは4段階に分かれます—四次元がSi(内向感覚)とTe(外向論理)、三次元がNe(外向直観)とFi(内向倫理)、二次元がNi(内向直観)とFe(外向倫理)、一次元がSe(外向感覚)とTi(内向論理)。以下、原典に説明のある要素から順に解説します。
四次元と三次元にあるもの
白い感覚(Si(内向感覚)〔原文:○(Si)〕)がもっとも強力に現れるのは第4クアドラ(デルタ)のタイプにおいてである。まさにこのクアドラでこの機能は芸術の高みにまで引き上げられており、美的—という規定が完全な度合いで当てはまる。(中略)周囲の空間を整えることに関わる事柄では、親身な助言と具体的な助けを常に当てにしてよい。しかもこれは、タイプによらず、クアドラδのほぼすべての代表者に当てはまる。(中略)空間とその中にあるすべてのものの改善、完成は—自己目的ではなく、四次元の白い感覚の働きの「副産物」にすぎない。
Si(内向感覚)はデルタで芸術の高みに達する四次元—空間を整える事柄では、タイプによらず親身な助言と具体的な助けを当てにしてよい、とまで書かれています。実務も同じ四次元です。
実際、ソシオンで最大の次元数をもつビジネス論理(Te(外向論理)〔原文:■(Te)〕)が現れるのは第4クアドラ(デルタ)である。第3クアドラと第4クアドラの「品質」概念への態度の違いに注目しよう。(中略)第4クアドラにとっても第3クアドラにとっても黒い論理(Te(外向論理)〔原文:■(Te)〕)は価値である。(中略)品質が自己価値的で自己充足的な概念であるのは第4クアドラにとってだけだと気づくだろう。(中略)第3クアドラでは、この問いはいくぶん違ったふうに解かれる: 品質の改善・向上への支出の水準は、全体としての経済的合目的性と釣り合わされる。(中略)かくして、第4クアドラのビジネス論理(Te(外向論理)〔原文:■(Te)〕)は四次元でグローバル、第3クアドラでは三次元で状況的である。
Te(外向論理)はソシオンで最大の次元数—そして品質が採算から独立した自己価値になるのはデルタだけです。ガンマの品質が費用対効果と釣り合わされるのに対し、デルタの品質はそれ自体が目的になります。関係は三次元です。
第4クアドラ(デルタ)では関係の倫理(Fi(内向倫理)〔原文:▽(Fi)〕)の次元数は3に等しい。これは、クアドラδが、家庭であれ、職場集団であれ、社会であれ、関係の構築と発展の問題に創造的に、関心をもって取り組むことを意味する。道徳と倫理の問題についての判断、さまざまな倫理的評価は、第4クアドラでは常に、具体的な生活状況に、人が置かれた条件に結びつけて定式化される。(中略)
倫理的な判断がつねに具体的な生活状況と本人の条件に結びつけて下される—ガンマの全人類的規範(四次元)と違い、デルタの倫理は個別の事情に寄り添う三次元として書かれています。
クアドラαを、同じく「価値」の中に可能性の直観をもつ第4クアドラ(デルタ)と比べてみてほしい。クアドラδにとってアイデアとは、実用的価値をもつ何か、現実の生活に—その説明のためであれ、その変革のためであれ—適用できる何かである。まだ適用できないアイデアは、クアドラδにとっては仮説、おもちゃ、遊びにとどまる。(中略)第4クアドラにおける黒い直観(Ne(外向直観)〔原文:▲(Ne)〕)の三次元性がはっきり見て取れる。
Ne(外向直観)はデルタでは三次元—Fi(内向倫理)と同じ段で、アルファの四次元より1つ下です。価値の側にはありますが、アイデアは適用できてはじめて本物として扱われ、そうでないものは仮説とおもちゃにとどまります。
二次元と一次元にあるもの
ここから低い側です。まず論理体系は一次元です。
第4クアドラ(デルタ)における白い論理(Ti(内向論理)〔原文:□(Ti)〕)の一次元性は、私の考えでは、論理的判断の構築にこのアスペクトを使いたがらないことや、可能なあらゆる場面で黒い論理(Te(外向論理)〔原文:■(Te)〕)を優先することよりも、むしろ社会的・公共的生活における構造的・論理的構築物の忌避に現れる。たとえば第4クアドラの企業では、構造的組織の形式的特徴(Ti(内向論理)〔原文:□(Ti)〕)があっても、義務と責任の配分は何よりもまず機能的性格(Te(外向論理)〔原文:■(Te)〕)を帯びる。
Ti(内向論理)は一次元—組織図はあっても、実際の分担は機能で決まる。体系そのものへの関心の薄さが、企業の形にまで現れます。圧力と感情の側はこうです。
もちろん、クアドラαとδがもつSe(外向感覚)〔原文:●(Se)〕のアスペクトはこれほど強力ではない。しかも、クアドラαはまだしも、このアスペクトの現れを—自分自身のも周囲の人々のも—秩序づけ、統制し、規範化しようとする志向をどうにか示すのに対し、クアドラδは、苛烈な意志的働きかけの状況でまったく一次元的に反応する—衝突を回避するか、さもなければいかなる妥協にも応じず、妥協を探すことすらせず、最後まで踏みとどまるかである。
苛烈な圧力への反応は一次元—回避するか、妥協なしに最後まで踏みとどまるかの二択です。Stratiyevskayaの「我が家は我が城」の防衛が、次元の言葉ではこの全か無かの反応として出ます。
第4クアドラ(デルタ)の感情的な現れへの態度は、完全に規範化されている。感情を礼節の枠に、社会で受け入れられた規範が与える境界の内に抑えておこうとする志向が、はっきりと宣言され、執拗に実行される。δクアドラではFe(外向倫理)〔原文:▼(Fe)〕は二次元である。
感情は礼節の枠の内に収める—場の高揚で動くベータと正反対の、感情の規範化です。8つ目のNi(内向直観)もデルタでは二次元ですが、この記事に引いた範囲に単独の説明はなく、順位づけの位置だけが分かります。
順位表は優劣の表ではない
デルタの強い側はSi(内向感覚)とTe(外向論理)、弱い側はSe(外向感覚)とTi(内向論理)でした。
表6からは、次の法則性を取り出すことができる。第一に、「クアドラの価値」であるアスペクトは、3以上の次元数をもつ。第二に、どのクアドラにも、次元数4、3、2、1の情報アスペクトが2つずつある。つまり、処理される情報の「総出力」において、4つのクアドラはみな等しい。
どのクアドラにも四次元から一次元が2つずつ配られていて、合計は等しい。デルタの強さと弱さの差は、量ではなく配置の差です。
第四に、合理アスペクト(▼(Fe)、▽(Fi)、■(Te)、□(Ti))と非合理アスペクト(▲(Ne)、△(Ni)、●(Se)、○(Si))の次元数の和も、外向アスペクト(▲(Ne)、●(Se)、▼(Fe)、■(Te))と内向アスペクトのそれも、すべてのクアドラについて等しい。かくして、私たちの考察はすべてのクアドラに対してある種の対称性をもっている。
合理と非合理、外向と内向のどちらで束ねても、次元数の和はクアドラをまたいで等しくなります。
かくして、情報流のアスペクトの現れの次元数がクアドラごとにどう違うかを考察することで、私たちはクアドラ内部の世界知覚、「クアドラの精神」の理解を深めただけでなく、クアドラと個々のタイプがソシオンの中で演じる役割についての表象をも深めたのである。
次元数の比較は、クアドラごとの世界の見え方と、ソシオンの中での持ち場を説明するために使う—著者自身が置いた射程です。
対の和は5になる
同じ知覚・同じ判断でも、外向と内向で次元は配り分けられます。
同じ名称で向性(色)の異なるアスペクトの次元数の和は、すべてのクアドラ、すべてのアスペクト対について等しい。たとえばクアドラαで▲(Ne)の次元数が4なら、△(Ni)の次元数はわずか1で、その和は5である。一方このクアドラで○(Si)の次元数は3で、対応して●(Se)のアスペクトの次元数は2だが、和はやはり5である。言い換えれば、直観性という特性は(次元数の意味で)クアドラにおいて感覚性と同じ度合いで発現しているが、異なる向性のアスペクトへの次元の数の配分は等しくない。
デルタではSi(内向感覚)が四次元でSe(外向感覚)が一次元、Ne(外向直観)が三次元でNi(内向直観)が二次元。どちらの対も和は5で、変わるのはどちらの向きに厚みを置くかだけです。四次元を実際に担うのが誰かも、表で名指しされています。
次元数の異なるアスペクトが、クアドラの中のタイプにおいてどう現れるかを見よう:(中略)四次元アスペクトの持ち主(中略)■(Te)○(LSE)(中略)○(Si)■(SLI)
デルタで四次元を持つのはLSE(Te(外向論理)とSi(内向感覚))とSLI(Si(内向感覚)とTe(外向論理))です。この2タイプが、デルタの価値のうち最も広い射程を受け持つ側です。
ここまでを整理します。Karpenkoのデルタは4段階に並びます。四次元がSi(内向感覚)とTe(外向論理)—空間を整える力と、品質を自己価値とする実務。三次元がNe(外向直観)とFi(内向倫理)—適用できてはじめて本物になるアイデアと、具体的な生活状況に結びつく倫理。二次元がFe(外向倫理)とNi(内向直観)—礼節の枠に収める感情と、順位だけが示される時間の見通し。一次元がTi(内向論理)とSe(外向感覚)—体系の忌避と、回避か籠城かの二択。日常語に直すと、整えることと仕上げることと個別の気遣いが得意で、力の押し合い・体系論議・感情の即興が苦手です。デルタの得手不得手も次元の高低として一続きに説明できる。これがKarpenkoのデルタの中核です。
09Gulenkoのデルタ
Gulenkoのデルタ記述は、本物の人道主義、科学への懐疑、新しい宗教性、生活の組織、未来像、そして循環の終わり方でできています。
宣言ではない人道主義
その礎石は、宣言的ではない、本物の人道主義である。この概念の背後にあるものは、βの社会タイプEIE〔原文:指導者〕とδの社会タイプEII〔原文:人道家〕の比較によって明らかになる。EIE〔原文:指導者〕は普遍的道徳原理を言葉で説くが、実際にはそれらはしばしば違反される。EII〔原文:人道家〕については、彼が成功した公的な説教者になることはありそうにない。なぜなら自然は彼に雄弁を与えなかったからだ。しかし日常的事柄においては、彼は他のいかなる社会タイプよりも、定言命法 ― 隣人に対して自分が望むことをせよ ― に近い。
デルタの人道主義は説教ではなく日常の実践—雄弁に語るベータと、語らず実行するデルタの対比で定義されます。知の側の変化はこうです。
δクアドラには、産業主義の段階を支配した科学的な態度はない。社会進歩の原動力としての科学への希望は去り、希望は人間自身の道徳的感覚に置かれる。δは、アメリカのγ映画が未来について満載しているロボット、クローン、ミュータントなどの科学的生産物の世界とは完全に異なるものとなろう。科学的発見の流れは尽きるであろう。
教団のかたちではありませんが、科学が退いたあとに入るものとしてGulenkoは宗教を挙げます。
宗教は再び前面に出てくるであろう。しかしながら、現在は教義と教会組織に基づいており、それゆえδの価値とほとんど共通点を持たない宗派的宗教について語っているのではない。宗教はネオパガニズム、すなわち「宇宙の知性」への信仰のようなものである。
科学万能への希望が去り、希望は人間の道徳的感覚に置かれる。宗教性は戻るが、教義と組織によらない形で—デルタ社会の知と信の予想図です。これはGulenkoの未来社会論で、観察というより構想の水準にあります。同じ著者が現在のアルファ・デルタについて書くのは「宗教を凌駕する科学、知識の崇拝」で、未来像はそこから向きを変えています。
生活の組織と未来像
δの社会タイプは穏健な集団主義によって結ばれている。彼らは時の試練を経た伝統への志向を堅持する。彼らの生活は、小集団の体系として存在する中規模集団の枠内で組織される。
小集団を束ねた中規模の集団という単位は、デルタでは個人の満足の条件にも関わります。
この社会においてこそ、最高レベルの精神的安らぎを達成することができる。双対関係と居心地の良い家庭だけでは、人が人生の充実を体験するには明らかに不十分である。
穏健な集団主義、時の試練を経た伝統、小集団の体系—ベータの大集団ともガンマの個人とも違う、中規模の輪がデルタの生活の単位です。そこで最高レベルの精神的安らぎが達成できる、ただし家庭と双対だけでは足りない(小集団の輪まで要る)、という条件つきです。
未来は、共通の目標によって結ばれた小集団のためのものとなろう。この場合、協力は競争に勝るであろう。
協力は競争に勝る—ガンマの原理(競争と選択)からの転換が、デルタの未来像の一文です。
循環の終わり方
第4クアドラ(デルタ)は穏やかな性格と、人生に対する冷静な視点を備えている。それゆえ、エネルギー備蓄は第3クアドラほど抑制を欠いて消費されることはない。第4クアドラの降下は、安心した老年のようである。すなわち快適で、急な落下がなく、人々は健康で活力ある感じがする。それゆえ、減衰はほとんど感じられない。それでもなお、それは深まり、最終的には苦悶 ― 通常の生活リズムにおける一貫性の鋭い違反と過去の達成への関心の喪失 ― に至る。
デルタの降下は安心した老年のよう—快適で、急な落下がなく、減衰はほとんど感じられない。それでも最後には、過去の達成への関心が失われる転換が来る—循環の終点の記述です。
Gulenkoのデルタは、宣言でなく日常で実践される本物の人道主義を礎石に、科学万能への懐疑と教義によらない信、穏健な集団主義と伝統、小集団の輪の生活で描かれるクアドラです。未来像は「協力は競争に勝る」で、循環の終わりは穏やかな減衰として来ます。デルタは体系の円熟(語らず実行する人道と、小さな輪の安らぎ)の価値を担う—これがGulenkoのデルタの中核です。
10その他の研究者と機関誌
機関誌と後続の研究者のデルタ記述です。
Savchenkoの「理想主義的ヒューマニズム」
δクアドラの原則に基づいて築かれる社会は、概して臨界量の要因を考慮しない。「一人ひとりの上院議員は立派な人物だが、上院全体は恐ろしい怪物である」。δクアドラのイデオロギーは、理想主義的ヒューマニズムと定義できる。残念ながら、理想主義的ヒューマニストは社会的激変の際に真っ先に命を落とす。
イデオロギーは理想主義的ヒューマニズム—そしてその弱点は、集団規模の悪(臨界量)を想定しないことだ、という厳しい診断が付きます。一人ひとりの善良さが、全体の怪物化を防がない、という警句ごと記録されています。
Meged・Tsypin・Devyatkin・Yermak
第四クアドラ(デルタ)。標語:「守り、助けること」。(中略)このクアドラの精神の特徴は、身体的・道徳的な不快への鋭い反応である。それゆえ、あらゆる面での完全な調和への志向が、特別な意味をもつ。(中略)すべてにおける相互扶助。(中略)関係のわずかな不作法や行き違いも、抑圧的に働く。
標語は「守り、助けること」。不快への反応が鋭いぶん、調和への志向が強く、わずかな不作法も重く響く—デルタの繊細さの記述です。
IVクアドラのタイプをもつ人格は—実務の活動を重んじ、効率よく働き、あらゆる資源を合理的に使うことを志向し、無軌道で恣意的な行動を避ける。秩序だった(生活を築く)(中略)好きな仕事や日々の関心の領域のことなら、粘り強く、頑固である。競争の闘いは避けようとする—それを力の無駄遣いと考えるからだ。すべては、人々の実務の資質と可能性(能力)が決めるべきだ、と。
競争を避けるのは弱さではなく、力の無駄遣いと考えるから—決めるのは実務の資質と能力であるべきだ、というデルタの原理が1文に出ています。
そして最後に、第四クアドラ(デルタ)と双対関係。双対関係は、相互扶助という性質に最もよく対応する。それは、言葉や提案に、しかるべき機転をもって、時を得て正しく応じる能力を意味する。(中略)第四クアドラの代表者の口から聞かれる「私にとって家族がいちばん」と、双対どうしが互いに閉じることの間には、相関が見てとれる。「家庭の炉の神聖さ」—この概念は、第四クアドラの世界感覚の本質と、双対関係の本質を、ともに言い表している。
「私にとって家族がいちばん」—家庭の炉の神聖さが、デルタの世界感覚と双対関係の本質を同時に言い表す、という整理です。システム論の側の要約も残っています。
クアドラの社会的特徴(機能的指向と価値観)— 具体的・実務的、肯定的・関係的な思考、グローバルな可能性と実務上の便宜のイデオロギー、快適な労働条件と関係という観点から、現実を技術面・可能性面で把握する傾向。
実務的で関係的な思考、可能性と便宜のイデオロギー、快適な労働条件と関係—Yermakの圧縮された定式は、この章までのデルタ像の要約になっています。
まとめると、Megedは「守り、助けること」、Tsypinは競争を力の無駄遣いとみなす実務家、Devyatkinは家庭の炉の神聖さ、Yermakは実務的・関係的思考としてデルタを書きます。別の書き手による記述で、主要系列と同じ方向の像が反復されています。ただしYermakの定式は先行する記述の要約の性格が強く、資料どうしの依存関係も確認していないので、独立した追試とは呼べません。独自の追加はSavchenkoの警句です。理想主義的ヒューマニズムは集団規模の悪を想定しない。デルタの記述は、優しさの像とその代価の両方で閉じます。
11デルタクアドラとは結局何か
研究者章の小括を突き合わせます。一致するもの、反復されるもの、単独のもの、食い違うものの順に見ていきます。
複数の系列を横断して残るもの
第一に、実務と品質。キエフ学派とStratiyevskayaの2系列に、機関誌の別の書き手(Tsypin)が重なります。Bukalovは楽観的実践家、KarpenkoはTe(外向論理)四次元と自己価値としての品質、Stratiyevskayaは熟練と改善の労働、Tsypinは資源の合理的使用と書きます。第二に、個別の関係と誠実—Stratiyevskaya・キエフ学派・Gulenkoの3系列に、機関誌の別の書き手(Meged)が重なります。Stratiyevskayaは人格の権利が体系に優越すると書き、Karpenkoは生活状況に結びつく倫理、Gulenkoは語らず実行する人道主義、Megedは「守り、助けること」を挙げます。第三に、穏やかな快適さと防衛。キエフ学派とStratiyevskayaの2系列に、機関誌の別の書き手(Meged)が重なります。Si(内向感覚)四次元(Karpenko)、便利な労働条件と不快の最小化(Stratiyevskaya)、不快への鋭い反応(Meged)。第四に、可能性の育成。キエフ学派とStratiyevskayaの2系列で。アルファの思想を磨き上げる(Bukalov)、新しい社会的関係の土壌を準備する使命(Stratiyevskaya)。
二〜三系列で反復されるもの
- 小さな輪の生活(3系列)。Gulenkoは小集団の体系、Devyatkinは家庭の炉の神聖さ、Stratiyevskayaは仲間内の好意的関係と書きます。
- 競争への態度(2系列)。Tsypinは競争を力の無駄遣いと呼び、Gulenkoは協力は競争に勝ると書きます。一方でBukalovは、デルタの段階でも競争は続き、その対象が市場から個性の発現可能性へ移って、企業は幅と品質で個別の消費者をめぐって戦う、と書いています。割れているのは「競争が消える」のか「競争の軸が移る」のかです。
単独の主張
干渉しないことの価値化は、この記事で読んだ範囲ではStratiyevskaya1系列の主張です。内的世界への不干渉を価値として明記するのは彼女だけで、Bukalovの「個人的実現の条件づくり」とKarpenkoの「全か無かの防衛」は方向が近いものの別の主張です。同じく「我が家は我が城」の定式(Stratiyevskaya)、ネオパガニズム的な信の予想(Gulenko)、臨界量の警句(Savchenko)、モーターボートの実例(Filatova)も1系列だけの主張・記録です。
食い違いと、その由来
はっきり割れるのは2箇所です。貴族性の中身—Stratiyevskayaは「称号と功績を名乗る作法」を書き、Reininの実験では貴族側2クアドラに共通する「距離と順番」が観測され、Gulenkoは穏健な集団主義に整理します。ここからは当サイトの思索ですが、ベータの貴族性が序列(上下)として働くのに対し、デルタの貴族性は領分(内外)として働く、と読むと3つは両立します—距離も称号も、上下ではなく境界の表示だという読み方です。これは研究者の定義に取って代わるものではなく、割れている記述を並べたまま置いておく仮説にすぎません。楽観と防衛の同居も一見矛盾します。楽観的実践家(Bukalov)と、絶えず空間を守る恐れ(Stratiyevskaya)。これも当サイトの思索ですが、防衛が成功している平時のデルタは楽観の面を見せ、圧力がかかると全か無かの防衛(Karpenko)に切り替わる—観察の場面の違いが記述の違いに写っている可能性があります。
横断の結論です。品質と誠実で生活を仕上げ、穏やかな快適さを保ち、可能性を育てて次の始まりへ渡す—ここまでが複数の系列を横断して残るデルタの中核です。干渉しない距離と、空間や自由を侵されることへの恐れは、Stratiyevskaya1系列が中心に据えたものです。
12デルタクアドラの会話
研究者章で出た会話と集まりの記述を、場面の順に並べ直します。
会話の進み方
デルタの会話の作法は貴族側です。Reininの実験で観測されたのは、貴族側の2クアドラ(ベータとデルタ)に共通する型(距離を保ち、順番に発言し、遮らない)でした。この距離がデルタでは序列でなく互いの領分の尊重として働くという読みは、当サイトの思索です(第11章)。公然と議論される話題は関係と行為、可能性と快不快で(Aushra—第3章)、逆に内的世界への不干渉が価値として書かれています(Stratiyevskaya—第6章)。わずかな不作法が重く響く繊細さも記録されています(Meged)。内輪の率直さについて残っているのは、IEEの物言いにアルファの側の観察者が毎回驚いたという1例だけです(Reinin)。
集まりの型
デルタの集まりは、手を動かす共同作業と落ち着いた歓談に寄ります。生活の単位は家庭と、その外側の小集団の輪(Gulenko—中規模集団の枠内で組織される生活)。双対と家庭だけでは充実に足りず、小さな輪までが「必要な広さ」です(Gulenko)。集まりの晴れの場は式典(ベータ)や祝祭(ガンマ)ではなく、居心地の整った場そのもの—空間を整えることに関わる事柄では、タイプによらず親身な助言と具体的な助けが期待できます(Karpenko)。
Filatovaが残した1例
支え方の場面として残っているのは、Filatovaの実例1件です。家庭のいざこざでストレス状態にあったEIIの娘に、SLIの父が荒れた海のモーターボートを提案し、体験のあとで彼女は落ち着きを取り戻した—言葉で慰める代わりに、感覚の体験と環境を差し出した1件です。労働の側にはStratiyevskayaの記述があります。リスクと強行軍を避け、便利な条件と仲間の好意的関係を整えた上で、労働そのものを自己実現として受け取る—働く条件を先に整えることが、デルタの働き方に含まれます。
デルタの場面の中核は、距離と順番を保つ会話、作業と歓談の小さな輪、整えられた条件のもとでの労働の3点です。場の演出は静かで、居心地の整った場そのものが集まりの中心にあります。
13デルタクアドラの4タイプ
同じデルタの中でも、タイプで役割が分かれ、場でふるまいが変わります。
役割は固定ではない
クアドラで誰がアクセプト(受容)またはプロダクティヴ(創造)の役割を演じるかを規定できるか?私見では、交代でである。だとすれば、クアドラは新しい質—役割の交代をもたらす!(中略)クアドラでの活動は、特別な力の高まり、創造的自己開示、独特の幸福感(エウフォリア)を伴う。(中略)しかし、本当の社会進歩は1つのクアドラでは生まれない。そのためにはソシオンが必要であり、それについては本論文の第III部で語る。
受け取る役と作る役は交代します。デルタの4タイプの持ち場の違いは、Filatovaの職業名(プロフェッショナル・ヒューマニスト・イニシエーター・マスター—第7章)が簡潔です。実務を受け持つ側(LSE・SLI)と、人と可能性を見る側(EII・IEE)、外へ開く側(LSE・IEE)と内を保つ側(EII・SLI)—同じデルタでも組み合わせで日々の姿はかなり違います。ペア単位の気質の分裂も、Aushraの特性論に記録されています。
第XI特性が現れるのは、社会進歩の各環〔原文:社会進歩(СП)の各環〕を半分に分け、ジアード アルファI と デルタI、およびベータII と ガンマII が一方のグループに、残りすべてがもう一方のグループに入るときである。第1グループのジアードでは、自分と他者を仕事と隣人愛で評価する。第2グループでは—気分と距離で。
模範的な労働者であろうとする傾向と、勤勉と親切のみが人を飾るという確信から、第1グループを労働者、お人好しと呼ぶことができ、身体的衝突を避ける傾向から—譲歩的、防御において受動的と呼べる。第2グループ—任意の状況で適切な距離と適切な気分でいようとする者—は芸術家と呼びたい。しかし譲歩を要求する者がより強いことが証明される前に譲歩する傾向の不在から、頑固と呼ぶ方がよい。最良の防御は攻撃であるという原則を実際に実現するのは、これらの人々のみである。
デルタI(LSE–EIIのペア)は「労働者・お人好し・譲歩的」の側に入ります—自分と他者を仕事と隣人愛で評価する組です。もう一方のペア(IEE–SLI)は距離と気分の側で、押されたときの反応もペアで割れます。同じデルタの中に、譲る組と譲らない組がある、という記録です。
場でふるまいが変わる
具体的状況における人間の行動は、その個人的特性と情報代謝タイプ、考察対象の状況の特殊性のみならず、その瞬間に彼が属している微小集団のタイプ間特性によっても、大きく左右される。(中略)集団における関係の変化は、人格の特定の性質の発現に本質的な影響を及ぼす。(中略)本論はタイプ間関係の理論 [1, 2, 3] の立場からの小社会集団の類型論の構築に充てられる。
行動を決める変数は個人・タイプ・状況・その場の集団の4つで、クアドラはその一部です。
4タイプは4つの気質に1人ずつ散る
Gulenkoは、エネルギー交換の強度で16タイプを4つの気質に分けます。
ソシオニクス気質は、社会タイプ(または機能)の環境とのエネルギー交換の強度レベルを特徴づける。基本的なソシオニクス気質は4つある。(中略)線形‐主張型ソシオニクス気質 ― 4つの合理的外向(中略)ソシオン内のすべてのタイプの中で最高のエネルギーを特徴とし、そのエネルギーは線形的方法で適用される。(中略)柔軟‐適応型ソシオニクス気質 ― すべての非合理的外向(中略)エネルギーと、その適用方向を素早く変更する能力との結合を特徴とする。(中略)均衡‐安定型ソシオニクス気質 ― すべての合理的内向(中略)エネルギーが最も少ないタイプだが、堅実かつ確実に働く。(中略)受容‐適応型ソシオニクス気質 ― すべての非合理的内向(中略)最小限のエネルギー消費で存在の周囲条件に適応する能力を特徴とする。
デルタの4タイプは、この4つに1人ずつ入ります。LSE(線形‐主張)、IEE(柔軟‐適応)、EII(均衡‐安定)、SLI(受容‐適応)です。同じ価値を共有していても、エネルギーの出し方と保ち方はこれだけ分かれます。「デルタっぽさ」を1つの活動量で測ろうとすると、外れます。
2つの領域に2人ずつ寄る
もう1つの分け方は、力を出せる領域です。こちらは4タイプが4つに散らず、2つに寄ります。
活動タイプのマインドセットは、問題を解決する最も自然な方法であり、また当該社会タイプの代表者がその潜在力を最も完全に実装できる領域である。(中略)技術‐管理型マインドセット(中略)感覚論理および論理感覚タイプを結び、彼らは公式管理構造または技術的・物質的生産の領域で働くとき、最大の価値をもたらす。(中略)社会‐コミュニケーション型マインドセット(中略)感覚倫理および倫理感覚タイプを含み、彼らは流通領域および社会的コミュニケーションにおいて最も効果的である。(中略)人道‐職人型マインドセット(中略)直観倫理および倫理直観タイプを含み、人間文化の超越的側面、すなわち精神性、イデオロギー、宗教、文学と芸術、人文学、教育、人格発達、心理的援助に取り組むことを召命とする。(中略)科学‐研究型マインドセット(中略)直観論理および論理直観タイプを含み、その使命は客観的、再現可能な方法による周辺世界の理論的および実験的研究にある。
デルタが入るのは人道‐職人型(IEE・EII)と技術‐管理型(LSE・SLI)です。人道‐職人と技術‐管理の側に厚みがあり、残り2領域はデルタの中に担い手がいません。ここからは当サイトの思索ですが、この寄り方は貴族側の2クアドラ(デルタとベータ)で共通していて、民主/貴族の分割線と重なります。
つまり、デルタの中で誰が何をするかは固定ではありません。役は交代し、職業の持ち場はタイプで分かれ、ペア単位で譲る側と譲らない側が割れ、ふるまいは場で変わります。この記事のデルタ像は4人の平均像であって、1人ずつの予言ではない。これがこの章の中核です。
14他のクアドラから見たデルタ
デルタの輪郭を、他の3クアドラとの対比で締めます。構造上の前提は第2章のとおりです—隣接するガンマ・アルファとは価値2要素を共有し、対角のベータとは1つも共有しません。
対角のベータ
第1クアドラ(アルファ)と第3クアドラ、また第2クアドラと第4クアドラのアスペクトは、外内向性によって互いに対立している。これらのクアドラは直交している。直交するクアドラの代表者間の関係—最も緊張し、先鋭化した関係である。まさにここで、相互理解が最も少ない。(中略)隣り合うクアドラ間の相互関係は、比較的良好である。それゆえ、相互に衝突する直交するクアドラにとって、それらは一種の「仲介者」「翻訳者」となる。
デルタの対角はベータです。もっとも張った関係で、アルファとガンマがその翻訳者になります。似ているのに逆、という診断がベータ–デルタでは明確に出ます。
第二クアドラ(ベータ)との遠い類似はそれだけにとどまらない。これらのクアドラの間の共通点は、両者ともに自分の社会的安定と保守主義を大切にすることである。(中略)第二クアドラが — 論理的、厳格、実用主義的、そして主要なのは — 閉鎖的であり、その世界が制限され、狭い実用主義的方向性を特徴とし、目的からの逸脱を抑圧するのに対し、第四クアドラは — 倫理的、高度に精神的、深く傷つきやすい。世界観の開放性、楽観主義と人道主義を特徴とする — そしてこれが両クアドラの間の絶え間ない衝突と矛盾の原因の一つである。
どちらも安定と保守を大切にするのに、ベータは閉じた厳格さで、デルタは開いた傷つきやすさで実装する—同じ目的の逆の実装が、絶え間ない衝突の原因になります。機構の説明はこうです。
第二と第四クアドラ(デルタ)の目的と課題は、相互対立的なアスペクトの手段によって実現される — そしてこれが彼らの絶え間ない不和と衝突の原因である。(中略)そのような衝突の原因の一つ — 第二クアドラで支配的だが第四では押しのけられた、否定的意志感覚(-●(Se)=-Se)のアスペクトである: 外部からの意志的圧力、空間的制限。(中略)ここで押しのけられた第二の価値観 — これも外向だが、すでに合理的な — 肯定的感情倫理(+▼(Fe)=+Fe)である。第四クアドラの代表者はまったくイデオロギー化されていない
ベータの道具(意志的圧力と感情の高揚)が、デルタでは押しのけられた側にある—デルタが最も恐れるもの(圧力と空間の制限)が、ベータの通常の手段だという配置です。ベータとデルタの二極の意味は、螺旋の言葉でも書かれています。
時間直観(△(Ni)=Ni) — ここでもまた押しのけられた価値観である。(中略)第四の押しのけられたアスペクト — 肯定的「□(Ti)」(+□(Ti)=+Ti)。体系の論理、階層の論理、「役人の論理」 — はここで不条理として表現され、論争され、非難されたり嘲笑されたりする(中略)第二と第四クアドラ(デルタ) — それは社会的進歩の同じ螺旋の二つの対立する安定の極だが、両者ともに動的なクアドラ — 不安定化のクアドラ — によって破壊される: 革命的気分で感情的に飽和した第一クアドラ、エネルギッシュで決断的で押しの強い — 第三クアドラによって。
ベータとデルタは同じ螺旋の2つの安定の極で、どちらも動的なクアドラ(アルファとガンマ)に壊される—4クアドラ全体の力学が1文に収まっています。デルタでは階層の論理が不条理として嘲笑される、という対比も明確です。
隣接のガンマ
ガンマとはTe(外向論理)とFi(内向倫理)を共有します。Stratiyevskayaの整理では、デルタはガンマから人道主義と整備された社会を遺産として受け取る後継者です(第6章)。分かれ目は品質と採算(Karpenkoの対比—デルタの品質は自己価値、ガンマの品質は費用対効果)と、競争への態度(ガンマは競争で選別し、デルタは競争を力の無駄遣いとみなす—Tsypin・Gulenko)。前段と後段の関係で、対立は対角ほど張りません。
隣接のアルファ
アルファとはNe(外向直観)とSi(内向感覚)を共有します。可能性の話と心地よさの話が通じ、最も真面目なものを笑いに転じる傾性も共有します(Aushra—第3章)。分かれ目は論証です。
第4クアドラ(デルタ)による第1クアドラのアイデアの拒絶は、もしかすると論証体系の違いから生まれるのかもしれない。(中略)2つの論理的論証体系の衝突が起きているのであり、ソシオニクスの観点からは向性〔原文:(вертность)〕—色—を異にする体系の、実践においては推論の組み立て方を異にする体系の衝突である。(中略)αクアドラにとって構造論理(□〔Ti〕)は四次元、δクアドラにとっては一次元である。しかしビジネス論理(■〔Te〕)については逆の関係が成り立つ。
アルファはTi(内向論理)の体系で論証し、デルタはTe(外向論理)の実務で論証する—同じ話題を共有しながら、根拠の出し方で衝突します。アルファのアイデアがデルタに拒絶されるのは中身ではなく論証の形式のせいかもしれない、という診断です。
エネルギーを出す側と吸う側
Gulenkoは4クアドラを、社会に対するエネルギーの向きで2つに分けます。昇(アルファ・ベータ)と降(ガンマ・デルタ)です。
昇社会タイプは社会発展の軌道を上方に動かす。彼らは長期的コミュニケーションにおいて集団主義原理を担うので、社会的・心理的エネルギーのドナー(donors)である。(中略)昇クアドラにおける発展過程の加速のもう1つの説明は、彼らの優先事項の中に、人の感情エネルギーの目的的使用に責任を持つ情報アスペクトEとLがあることである。
昇の側は、感情の共有と論理の計画という2要素を優先することで社会へエネルギーを出す、という説明です。デルタが入るのは反対側です。
降社会タイプは、それを社会にもたらすよりも、周囲の社会からエネルギーを吸収する。それゆえ、彼らは社会的・心理的エネルギーの受容者とみなしうる。(中略)降社会タイプは本性上、集団主義者というよりも個人主義者であり、それゆえ集団全体の潜在力を増加させるために力を結束する欲望を持たない。(中略)降クアドラは共通の優先事項PとRを持っており、それら自体は動機ではない。事業論理Pは、以前に蓄積されたエネルギーによる動きであり、関係の倫理Rは、確立された関係体系への愛着を象徴する。
デルタは降の側です。事業論理と関係の倫理という、蓄積されたものを使う2要素を優先すると書かれます。デルタから見ると、隣接のガンマも同じ降で、隣接のアルファも対角のベータも同じ昇に入ります。
次元の差が非難になる
隣り合うクアドラの摩擦は、価値の違いだけでなく、同じ要素をどれだけ広く扱えるかの差からも説明されています。
Г. В. チキリソヴァが正しく指摘したように、ある情報アスペクトの次元数が3であるクアドラが、同じアスペクトの次元数が4であるクアドラに文句をつけることはかなり多い。たとえば、クアドラαのアイデア(▲(Ne))を空想的で、非現実的で、根拠がないと非難するのは、まさにクアドラδの代表者である。クアドラβの観点からは、クアドラαの論理的構築物は「十分に論理的でない」(□(Ti))し、クアドラγはどうも意志感覚(●(Se))を過剰に発揮している。
この例でデルタは、アルファのアイデアを「空想的で、非現実的で、根拠がない」と非難する側に置かれています。デルタのNe(外向直観)は三次元で、アルファの四次元より狭い。狭い側が広い側に文句をつける、という向きです。批判の言葉は相手の欠点を指しているようで、実際は自分の側の次元が足りない領域を指しています。
外から見たデルタの輪郭は3本の線でできています。ベータとは価値が全て入れ替わり、同じ安定を閉じた厳格さと開いた柔らかさで実装し合う、螺旋の2つの安定極。ガンマとは実務と誠実を共有し、選別の前段と完成の後段として並びます。アルファとは可能性と快を共有し、笑いの傾性まで共有しながら、体系か実務かの論証形式で分かれます。構造上の対角はベータ1つ。隣接する2つとの共有は無対立を意味せず、アルファとはアイデアの拒絶に至る論証体系の衝突があり(Karpenko)、ガンマとは品質と競争への態度で分かれる。
15社会とデルタクアドラ
交替論の中でデルタが受け持つとされる区間です。理論の一般形は共通記事にあります。
デルタが受け持つ区間
Bukalovのエスノス史対応では、デルタの区間は循環の最終フェーズに当てられます(共通記事の交替論の章を参照)。Stratiyevskayaの定義では、デルタの使命は「社会のその後の形態における生命を延長できる、新しい生まれつつある社会的関係のための肥沃な土壌の準備」でした(第6章)。維持と完成だけでなく、次の周回の仕込みまでが仕事です。歴史学の枠組みとの対応づけは、後続の研究者による参照と適用の側で扱われています。
結論: クアドラ交替のソシオニクス的構想と、マルクス主義の構成体・階級アプローチ(古典的な形でも、V. L. イノゼムツェフの解釈でも)は、完全に互いに整合する。より広い結論は、社会経済構成体〔原文:ОЭФ〕と発達の年齢段階の比較から引き出せる(中略)情報を持ち、自己組織化の能力を備えたシステムは、特定の発達段階(情報の水準)にあるなら、同じ発達の諸段階を通過し、同様の仕方で情報を処理する。
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Вывод: соционическая концепция сменяемости квадр и марксистский формационно- классовый подход (в классическом варианте и в интерпретации В. Л. Иноземцева) полно- стью согласуются друг c другом. Более широкий вывод можно сделать из сравнения ОЭФ и возрастных этапов разви(中略)формацию и обладающие способностью к самоорганизации, проходят одни и те же фазы развития и перерабатывают информацию подобным образом, если находятся на определен- ной стадии развития (уровне информации). Далее рассмотрим краткосрочную историческую перспективу.
クアドラ交替の構想とマルクス主義の枠組みが整合する、という主張です。経験的な検証ではなく、枠組みどうしの対応づけにあたります。思想史の側からの対応づけも、同じ章で扱われています。
20世紀において、心理学者にして哲学者のエーリッヒ・フロムはγからδへの移行について多くを書いた。彼は「人道主義的理想主義」と呼んだそのような社会の体系を夢見た。この苦痛なプロセスを、彼は所有(中央性)から存在(周辺)への態度の変化として想像した。ソシオニクス的に言えば、非暴力的な「存在」は、人々の「掌握する」F価値を自発的に放棄したのであり、これが第4のクアドラのイデオロギーによって規制された社会である。それは、δクアドラの非暴力的、協力的、生態学的社会となろう。
思想史の側では、ガンマからデルタへの移行はフロムの「所有から存在へ」に対応づけられています。デルタの未来社会像(協力が競争に勝り、小集団の輪が生活の単位になり、語らない人道主義が実践される)は、Gulenkoの章で読んだとおりです。そして循環はデルタで終わりません。Bukalovの記述(第5章)のとおり、デルタの段階の中で新しい思想がさまよい始め、イニシアチブ・グループが生まれ、すべてが新たに始まります。
まとめると、交替論の中のデルタは、達成されたものを維持・完成しながら、次の周回の土壌を準備する最終区間を受け持ちます。降下は穏やかで(Gulenkoの「安心した老年」)、区間の終わりは崩壊ではなく、新しい始まりへの折り返しとして書かれています。デルタは循環の終点であり、同時に次の周回の土壌を準備する区間。ここが要点です。
16デルタクアドラの見分け方
デルタの見分け方と、間違いやすい点です。
「貴族」の語義の罠
彼らは特徴の最も日常的な解釈に依存している。すなわち、「貴族」とは社会のなかでヒエラルキーを是認する者である、「民主」とはこのヒエラルキーを蔑む者である、等々。(中略)完全に正しい。残念ながら、こうした日常的解釈の流布に少なからず貢献しているのは、インターネットを介して利用可能で多くの人にテストとして利用されている「レイニン特徴計算機」である(実際にはテストでもなんでもないにもかかわらず)。
デルタは貴族側ですが、Reininは「貴族=ヒエラルキーを是認する者」といった最も日常的な解釈への依存を問題として書いています。実際、Stratiyevskayaの記述ではデルタは階層の論理を不条理として嘲笑する側です(外から見たデルタの章)。デルタの貴族性は上下ではなく領分の内外(距離・称号・功績の表示)として働く、という読みは当サイトの思索です(第11章)。この読みに立つと、ベータとの取り違えは上下と内外の混同から生まれます。
規定される範囲と、使える手がかり
個人のクアドラへの帰属は、具体的な情報代謝タイプ(TIM)への帰属より早期に形成されることが導かれる。すなわち、より一般的な概念であるクアドラはまた進化的により早期のものであり、その4つのTIMによって、より遅い進化発達段階で分化する諸機能の相互作用システムを反映する一定の共通マトリクスを規定する。(中略)その答えは明らかに、個人の心の発達の最も早期の諸段階—おそらくは胚成長段階および臨床的出産段階—における心の形成史にある。
形成が早いぶん、クアドラが決めるとされる範囲も広く取られます。
クアドラへの所属は、思考の全体的な方向、人生の価値、選好を規定する。
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ной иной. И, очевидно, принадлежность к квадре задает общую направленность мысли, жизненных ценностей, предпочтений. «Представителей второй квадры вы внешне узнаете по мимике гнева и непримири- мости, которая время от времени появляется на их лицах. Их лицевые мышцы как бы при- способлены для выражения превосходства и аристократической избранности. Их жесты
クアドラへの帰属はタイプへの帰属より早く形成され、規定するのは思考の方向・価値・選好までです。行動水準の手がかりは、この記事で読んだ範囲では次のようになります。会話の作法(距離を保ち、順番に発言し、遮らない)で分かれるのは貴族側と民主側までで、これだけではベータとデルタを分けられません。ベータとの分岐は価値の側にあります—意志的圧力と感情の高揚を手段とするか(ベータ)、それらを押しのけた側に置くか(デルタ)。アルファとの見分けには会話の作法(遮り合うアルファ/順番のデルタ)と論証の形式(体系のアルファ/実務のデルタ)、ガンマとの見分けには品質と競争への態度(費用対効果のガンマ/自己価値としての品質のデルタ)が効きます。本人の快適さの自己報告(干渉されないこと、作業と歓談の小さな輪を心地よいと感じるか)も手がかりです。賢明側と果敢側の判定はもともと外見では付かず、自己報告からしか取り出せないと書かれています(Reinin—第4章)。
判定の一般則
判定の手順そのものは共通記事にまとめてあります。ここではそのうち、デルタの判定で前提になる分を再掲します。
- クアドラへの所属の判定は、ソシオニクスのタイプの判定なしに可能である。 2. 人格が自覚的に特定のクアドラと自分を同一視することは、そのタイプに対応すると想定される選好と一致しないことがある。
クアドラの判定はタイプの判定より先に立つ、そして自己申告はタイプの選好と食い違うことがある—判定の順序と、自己申告の扱いを定めた2点です。デルタの判定でも、この順序が前提になります。
他の若干のレイニン特徴と同様、この特徴の名称は非常に人を惑わせうる。多くの場合、陽気さや深刻さを通常の理解で診断しようとしている。(中略)私の見解からすれば、これは 主観主義者/客観主義者 の特徴である。すなわち、「陽気」とは記述・理論・説明に方向づけられている者である。「深刻」とは客観的世界の論理に方向づけられている者である。本件における名称が不適切であることに同意する。
特性の名称を日常語で読むと外す、という当人の注意です。デルタの判定でも、名称の日常語読みは最初の落とし穴になります。
デルタの判定で外れやすいのは、「貴族=ヒエラルキー好き」という語義の罠と、物静かさからの内向断定です。会話の作法だけでは貴族側と民主側までしか分かれない。ベータとの分岐は価値の側(圧力と感情の高揚が手段か、押しのけられた側か)で見て、賢明側の判定は本人の快適さの自己報告による。
17注釈
この記事の記述の水準を短く仕分けします。定義から確定するのは第2章の構造だけで、大半は観察と学説です。デルタは特に、Gulenkoの未来社会像(ネオパガニズム・小集団の未来)のように、観察ではなく構想の水準の記述を含みます—本文でその都度水準を明示しました。
クアドラで人を遠ざけない
タイプ間の相性に関する思想を普及する過程で、ある現象が現れた。それは「類型論的ショーヴィニズム」のようなものとして記述しうる。(中略)「間違ったタイプ」や「他のクアドラ」に属するように思える人々を遠ざける必要がない(中略)各人は何らかの情報を発信しており、通常それは、まさにあなたがその人と交流するその瞬間にあなたが必要としている情報なのである。受け取り方を学ぶ必要がある。
クアドラ論の普及そのものが「他のクアドラの人を遠ざける」誤用を生んだ、という当事者の警告です。デルタの穏やかさの記述は、ベータやガンマを避ける理由には設計されていません。
どこまで確かめられているか
ソシオニクスにおける集団の相互作用は、理論的にも実践的にも、対応する研究を実施する複雑さのために、今のところ完全に不十分にしか研究されていないことを指摘すべきである。「しかし、いくつかの観察は既にある」(A.アウグスティナヴィチューテ [69])。たとえば、70年代に、A.アウグスティナヴィチューテ と彼女の集団、N.メドヴェージェフ、V.リャシキャヴィチュス らによって興味深い結果が得られた。80年代にはいわゆる「ヴィルニュス・ソシオニクス学派」[^125] によってさまざまな集団が積極的に研究された。1987-88年にこのコレクティブが実施した大規模な実験サイクルの主な結果は、シェフテル F.Ya. および コブリンスカヤ L.M. の論文[77]に公表されている。
集団の相互作用の研究は不十分で、あるのは観察の蓄積—システム論の立場から書くYermakの評価です。この記事のデルタの集団像(小集団・穏健な集団主義・個別の誠実)も、その蓄積の上に立っています。
同じ関係でもペアごとに違う
厳密に言えば、それぞれの具体的なペアについて、それぞれの種類の関係を個別に検討すべきであろう—それぞれの場合において、単にその心理タイプ自体の特性に関わる、独自の特徴が現れうるからである。これは、とりわけ同一の関係についても当てはまる。例えば、SEI、仲介者、SEI〔原文:デュマ〕は、それぞれが対立を和らげようとする者たちであり、同一の関係においても難なく共存するだろう。しかし例えば、SLE、SLE〔原文:ジューコフ〕、リアリストたちは、非常に権威主義的な人間であるため、首位を争って戦い始めるだろう。その鮮やかな例を、私たちはまさにスカーレットとレット・バトラーの関係の中に見出す。彼らは絶えず言い争い、互いに生意気な態度を取り、決して譲ろうとしない。
同じ「同一関係」でも、SEIどうしなら穏やかに共存し、SLEどうしなら争いになる—関係のラベルはタイプの中身を素通しにしない、という方法上の注意です。デルタという枠も4タイプの個性を消しません(第13章で見たとおりです)。
デルタの記述で確定と呼べるのは構造だけです。優しさの像も、その弱点の指摘(臨界量の警句)も、観察と学説の水準にあります。デルタの記述を人の選別と断定に使わず、場面の理解と自己理解の道具にとどめる—この線は研究者自身が引いています。
18デルタクアドラの人物像
第1章の答えを、本文で読んだ研究者の言葉で書き直します。5つの軸で並べます。軸の立て方は当サイトの整理で、各文の根拠は括弧内の章にあります。
集まりの雰囲気と会話の調子。 デルタの集まりは静かで、落ち着いた歓談と手を動かす共同作業が型です。会話の作法は貴族側で、距離を保ち、順番に発言し、遮りません—ただしこれはベータと共有する、貴族側2クアドラの観測です(Reinin)。この距離が序列でなく領分の尊重として働くという読みは、当サイトの思索です(第11章)。わずかな不作法が重く響く繊細さは記録されており(Meged)、内輪の率直さについて残るのは、IEE1人の物言いにアルファの側の観察者が驚いたという記録です(Reinin)。最も真面目な話題を笑いに転じる傾性は、アルファと共有する持ち物です(Aushra)。
大事にすること。 Te(外向論理)の実務と品質、Fi(内向倫理)の個別の誠実、Ne(外向直観)の可能性の育成、Si(内向感覚)の穏やかな快適さ。品質は採算から独立した自己価値で(Karpenko)、倫理の判断はつねに具体的な生活状況に結びつけられ(Karpenko)、人道主義は語られず実行されます(Gulenko)。人格の権利は体系の権利に優越し、内的世界への不干渉が価値として明文化されています(Stratiyevskaya)。
物事の決め方。 実務の資質と経験がある人の判断を尊重し、各自の領分には干渉しません。功績と称号は名乗ってよいものとして扱われ、それは序列ではなく実現の度合いの表示です(Stratiyevskaya)。競争は力の無駄遣いとみなされ、決めるのは実務の資質と能力であるべきだとされます(Tsypin)。組織の軸は勝敗ではなく、各自が力を発揮できる条件づくりです(Bukalov)。一方でBukalovは、デルタの段階でも競争は続き、その対象が市場から個性の発現可能性へ移ると書いています(第5章)。
苦手なこと、負担になること。 力の押し合い—苛烈な圧力への反応は、回避か、妥協なしの籠城かの二択になりがちです(Karpenko)。体系のための議論—階層の論理は不条理として映ります(Stratiyevskaya・Karpenko)。感情の即興—感情は礼節の枠の内に収められます(Karpenko)。負担の中心に置かれるのは、自分の空間と内的自由を侵されることです(Stratiyevskaya「我が家は我が城」)。リスクと強行軍と期限の圧迫も、働きの質を直接下げます(Stratiyevskaya)。
どんな人たちか—まとめ。 品質と誠実で生活を仕上げ、干渉しない距離で人を守り、可能性を育てて次の始まりへ渡す、安定と成長のクアドラ。社会の中では、達成されたものを磨き上げながら次の周回の土壌を準備する最終区間を受け持ち(Bukalov・Stratiyevskaya)、その降下は安心した老年のように穏やかです(Gulenko)。4人は同じ価値を別の位置で担い、役割は交代し、ペアで気質が割れ、ふるまいは場で変わるので、この像は4タイプの平均像であって1人ずつの予言ではありません。それでも、品質そのものが誇りになり、個別の誠実が人の評価の基準になり、穏やかさが守るべき条件として扱われる—この3点は、主要な記述系列を横断して最後まで残りました。干渉しないことを価値として明記するのはStratiyevskaya1系列で、他の系列に残るのは近い方向の別の記述です。
+索引(引用文献)
- [1]アウシュラ『レイニン特性理論』(1998年)第6部 本文へ
- [2]アウシュラ『レイニン特性理論』(1998年)第6部 本文へ
- [3]アウシュラ『レイニン特性理論』(1998年)第6部 本文へ
- [4]アウシュラ/Reinin「アウシュラとReininの書簡断片(第2部)」(原題:Фрагменты переписки)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №213、pp. 39–48(2007年) 出典リンク 本文へ
- [5]アウシュラ/Reinin「アウシュラとReininの書簡断片(第2部)」(原題:Фрагменты переписки)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №213、pp. 39–48(2007年) 出典リンク 本文へ
- [6]アウシュラ『ソシオニクス: 心理タイプ・テスト』(1998年) LSIの章 本文へ
- [7]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)小集団の形態論 本文へ
- [8]Reinin(聞き手: Vladimir Mironov)「二分法的特徴の理論の創造について」(原題:О создании теории дихотомических признаков)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №209、pp. 67–69(2006年) インタビュー 出典リンク 本文へ
- [9]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)ソシオンの空間モデル 本文へ
- [10]Reinin(聞き手: Vladimir Mironov)「二分法的特徴の理論の創造について」(原題:О создании теории дихотомических признаков)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №209、pp. 67–69(2006年) インタビュー 出典リンク 本文へ
- [11]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)デルタ・クアドラ 本文へ
- [12]Bukalov「情報代謝機能の形成メカニズムについて—個体誕生過程における機能形成」(原題:О механизме формирования функций информационного метаболизма в процессе рождения индивидуума)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №168、pp. 19–34(1996年) 出典リンク 本文へ
- [13]Bukalov「4つの進化段階とクアドラ交替の法則について」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №165(1995年) 本文へ
- [14]Bukalov「インタータイプ関係の記述」(原題:Описания интертипных отношений)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №126、pp. 19–30(2012年) 出典リンク 本文へ
- [15]Bukalov「インタータイプ関係の記述」(原題:Описания интертипных отношений)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №126、pp. 19–30(2012年) 出典リンク 本文へ
- [16]Bukalov「インタータイプ関係の記述」(原題:Описания интертипных отношений)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №126、pp. 19–30(2012年) 出典リンク 本文へ
- [17]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [18]Stratiyevskaya『お別れしないために』(刊年不詳)第II部 本文へ
- [19]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [20]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [21]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [22]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [23]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [24]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [25]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [26]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [27]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [28]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第2部第3章第1節 本文へ
- [29]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第2部第3章第1節 本文へ
- [30]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第2部第3章第2節 本文へ
- [31]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第2部第3章第2節 本文へ
- [32]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001年)第2部第3章第2節 本文へ
- [33]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第2部第3章第1節 本文へ
- [34]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [35]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [36]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [37]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [38]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [39]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [40]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [41]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [42]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [43]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [44]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [45]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [46]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [47]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [48]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [49]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [50]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [51]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [52]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [53]Sergei Savchenko「クアドラ。クアドラのイデオロギー。クアドラの時代」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №106、pp. 28–35(2000年) 本文へ
- [54]Valentina Meged「クアドラのエロス的プログラム」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №134、pp. 56–58(2001年) 本文へ
- [55]Paul Tsypin「機能の符号とクアドラ的世界観」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №205、pp. 14–17(2006年) 本文へ
- [56]Alexander Devyatkin「クアドラ価値観とクアドラ内の統合関係」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №210、pp. 27–32(2007年) 本文へ
- [57]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей、2005年)付録2 本文へ
- [58]アウシュラ『レイニン特性理論』(1998年)第4部 本文へ
- [59]アウシュラ『レイニン特性理論』(1998年)第5部 本文へ
- [60]Reinin「小集団の類型論」(原題:Типология малых групп)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №170、pp. 21–24(1996年) 出典リンク 本文へ
- [61]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [62]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [63]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [64]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [65]Stratiyevskaya『お別れしないために』(刊年不詳)第II部 本文へ
- [66]Stratiyevskaya『お別れしないために』(刊年不詳)第II部 本文へ
- [67]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 本文へ
- [68]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [69]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [70]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [71]Vyacheslav Afonin「ソシオニクスの社会哲学的構想をめぐって。長期・中期・短期の歴史的展望におけるクアドラの交代」(原題:К вопросу о социально-философской концепции соционики. Сменяемость квадр в долгосрочной, средне- и краткосрочной исторической перспективе)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №159、pp. 36–44(2009年) 出典リンク 本文へ
- [72]Gulenko「クアドラ価値—社会的不平等の心理学的ルーツ」(原題:Квадральные ценности. Психологические корни социального неравенства)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №106(2000年) 本文へ
- [73]Reinin「レイニン特徴をめぐる議論への若干の覚書」(原題:Некоторые заметки к дискуссии о признаках Рейнина)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2003年) 本文へ
- [74]Bukalov「情報代謝機能の形成メカニズムについて—個体誕生過程における機能形成」(原題:О механизме формирования функций информационного метаболизма в процессе рождения индивидуума)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №168、pp. 19–34(1996年) 出典リンク 本文へ
- [75]Yuliya Grom「関係の一種・世界認識の方法としての対立(ベータ・デルタクアドラ間関係を例に)」(原題:Конфликт как вид отношений и способ познания мира (на примере отношений квадр бета и дельта))『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №156、pp. 7–17(2009年) 出典リンク 本文へ
- [76]Sergei Savchenko「クアドラの進化と交代」(原題:Эволюция и сменяемость квадр)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №107、pp. 37–40(2000年) 本文へ
- [77]Reinin「レイニン特徴をめぐる議論への若干の覚書」(原題:Некоторые заметки к дискуссии о признаках Рейнина)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2003年) 本文へ
- [78]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)ソシオンの空間モデル 本文へ
- [79]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей、2005年)第8章 本文へ
- [80]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第2部第3章第2節 本文へ
