アルファクアドラ 詳細解説
ILE・SEI・ESE・LII
アルファクアドラは、ILE・SEI・ESE・LIIの4タイプで作るクアドラです。この記事は、ソシオニクスの研究者たちがアルファをどう記述してきたかを原典の逐語引用で通読し、横断して残る中核像(集まりの雰囲気、大事にすること、決め方、苦手)を出します。クアドラという概念そのものの解説と、引用・翻訳の方法規約は共通記事に置いてあり、この記事は最初から最後までアルファの話をします。クアドラの全体像(概念の生まれ、仕組み、クアドラどうしの関係、交替論)について知りたい人は、クアドラ詳細解説を参照してください。
01アルファクアドラとはどんな人たちか
最初に、この記事全体の答えを短く置きます。研究者の記述を横断した上での当サイトの統合で、根拠になる原文は次章以降で全て示します。
アルファの集まりの中心は会話です。思いついたことをすぐ口に出してよく、話題が脱線しても構いません。アルファを含む民主側の集団では、発言が重なり、距離が近く、儀礼が薄いことが観測されています。冗談と理屈の話が同じテーブルに載り、場が明るく保たれていること自体が価値になります。
大事にするのは4つです。Ne(外向直観)の面白い着想、Ti(内向論理)の筋の通った説明、Si(内向感覚)の心地よい環境、Fe(外向倫理)の明るく共有される感情。逆に、力で押すこと、上下関係で黙らせること、実利のためだけに動くことは価値の外にあります。
決め方は「全員で議論して、筋が通って面白い案を選ぶ」が基本形です。誰が言ったかより、言っていることが面白いか、筋が通っているかが効きます。苦手の側にあるのは、期限と実行の管理、力での押し合い、着想を実務に落とす持久戦です。思いつきが実現まで届かないことは、アルファ自身にとっても負担になります。Stratiyevskayaはこれに、発言を遮られると激しく苛立つことをアルファの負担として挙げています。
以降の章は、この答えの根拠です。研究者ごとに何と書いたかを逐語で読み、一致と食い違いを整理し、最終章でこの答えをフル版の人物像に拡張します。
読この記事の読み方
本体は研究者ごとの章です。01章に短い答えを置き、02章でなぜこの4タイプが同じクアドラなのかを押さえ、03〜10章でアウシュラからGulenko、機関誌の研究者までの記述を逐語で読みます。11章以降で一致と食い違いを整理し、会話、4タイプの違い、他のクアドラから見た姿、社会の中の位置、見分け方まで進み、最後に人物像の章で締めます。急ぐ読者は、01章の答えと各章末尾のまとめ、最終章だけでも通読できます。クアドラという概念そのものの解説と、引用・翻訳の方法はクアドラ詳細解説にあります。
ページ冒頭の「コピーしてAIで要約!」を押すと、要約用の指示文とこのページの本文がクリップボードに入ります。AIに渡して、要約のほか、引用の意味を聞く、研究者ごとの違いを整理させる、といった使い方ができます(長すぎるときは章を分けて渡してください)。
02アルファクアドラはなぜこの4タイプか
アルファの枠組みを先に確認します。所属する4タイプ、価値として共有する4要素、そして内側の関係です。
アルファの4タイプが共有する価値要素は、Ne(外向直観)・Ti(内向論理)・Si(内向感覚)・Fe(外向倫理)です。同じ4要素を、各タイプは別の位置で担います。
| タイプ | 主導 | 創造 | 動員 | 暗示 |
|---|---|---|---|---|
| ILE | Ne | Ti | Fe | Si |
| SEI | Si | Fe | Ti | Ne |
| ESE | Fe | Si | Ne | Ti |
| LII | Ti | Ne | Si | Fe |
表は横に読みます。ILEの主導にあるNe(外向直観)は、SEIでは暗示(外から補ってほしい位置)に入っています。この対応が双対関係で、アルファの双対ペアはILE–SEIとESE–LIIです。
クアドラの中で成り立つ関係は同一・双対・活性化・鏡像の4種だけで、アルファの内側には価値がぶつかる組み合わせが構造上ありません。この4種が実際にどう見えるかは、Filatovaの章で扱います。
03Aushraのアルファ
Aushraがアルファを記述するのは、ソシオン(16タイプ全体)を特性で分割するときで、アルファがどちら側に入るか、そこで何が「公然と議論される」かという形を取ります。この章では、アルファに関わる3つの分割と、Reininとの書簡に書かれたエネルギー循環のアルファ部分を解説します。
声に出してよい話題
Aushraは、クアドラごとに一致する特性を「どの話題が自由に議論されるか」で記述します。1つ目の分割で、アルファはベータと同じ側に入ります。
特性が現れるのは、ソシオンを2部に分け、第1グループにクアドラ アルファとベータ、第2にガンマとデルタが入る場合。(中略)第1ペアでは、外的関係と客観的必要の問題(□〔Ti〕)、気分、鼓舞、無関心または陽気、興奮、憤慨、体験(▼〔Fe〕)が自由に議論される。(中略)第2グループ—ガンマとデルタ—は、願望、愛、憎悪(▽〔Fi〕)と行為(■〔Te〕)の問題を自由に議論する。
アルファとベータの側では、論理の話題(外的関係・客観的必要)と感情の話題(気分・鼓舞・興奮)が自由に話せる、という記述です。のちに「陽気/深刻」と呼ばれる特性に当たります(名称の経緯はReininの章で扱います)。2つ目の分割では、アルファはデルタと同じ賢明側に入ります。
賢明グループでは、潜在的可能性、能力の問題、対象と主体の内的内容と構造の問題が公然と議論される。(中略)体調、快・不快な感覚、痛み、要するに様々な感覚的喜びと不快の公然たる議論。(中略)果敢では、物質的・人的資源—運動エネルギー源—を蓄積する能力、自分の意志を示すこと(このため果敢と呼ばれる)が公然と議論される。
ここでアルファの側に割り当てられるのは、潜在的可能性と能力の議論、そして体調・快不快の公然たる議論です。可能性の話と心地よさの話が同じグループの持ち物になっている—アルファの価値4要素のうちNe(外向直観)とSi(内向感覚)に当たる領域が、Aushraの特性記述では「公然と議論してよい話題」として現れます。3つ目の分割は民主/貴族で、アルファはガンマとともに民主側です。
この特性はプログラム的である。(中略)この特性が現れるのは、ソシオンを2部に分け、第1グループ「民主主義者」に反対のクアドラ アルファとガンマが、第2グループ「貴族主義者」に反対のクアドラ ベータとデルタが入る場合である。反対のクアドラのペア—私たちがオクターブと呼ぶもの—は、各オクターブが2つのブロック化から形成されるという興味深い特性で異なる。
3つを重ねると、Aushraのアルファは「感情と論理の話題を自由に話し、可能性と快不快を公然と議論する、民主側」として位置づけられます。本人たちの性格を描写する代わりに、会話に載る話題の集合でクアドラを特定する書き方です。
エネルギー循環の中のアルファ
Reininとの書簡でAushraは、4クアドラを社会のエネルギー循環の4段階として整理しています。外向の要素の側で、アルファは循環の起点です。
クアドラ別エネルギー循環の発見(中略)
| クアドラ | 構成 | 機能 |
|---|---|---|
| α | ▲〔Ne〕▼〔Fe〕 | 潜在エネルギーと点火 |
| β | ▼〔Fe〕●〔Se〕 | 燃焼と運動エネルギーへの転換 |
| γ | ●〔Se〕■〔Te〕 | 運動エネルギーと使用、労働 |
| δ | ■〔Te〕▲〔Ne〕 | 運動エネルギー使用と追加潜在エネルギー自給 |
アルファの構成はNe(外向直観)とFe(外向倫理)で、機能は「潜在エネルギーと点火」。まだ運動になっていない可能性を見つけ、点火までを受け持つ位置です。内向の要素の側でも、同じ形の表が書かれています。
白い要素でも同様:
| クアドラ | 構成 | 機能 |
|---|---|---|
| α | ○〔Si〕□〔Ti〕 | 自己感覚が距離を決める |
| β | □〔Ti〕△〔Ni〕 | 距離が時間を決める |
| γ | △〔Ni〕▽〔Fi〕 | 時間の流れが欲求・引力を生む |
| δ | ▽〔Fi〕○〔Si〕 | 欲求満足が自己感覚を変える |
こちらのアルファはSi(内向感覚)とTi(内向論理)で、「自己感覚が距離を決める」。心地よさの感覚が、人や物事との距離の取り方を測る起点になる、という記述です。どちらの表でもアルファは循環の先頭に置かれ、後続のベータ・ガンマ・デルタへ受け渡していきます。
Aushraのアルファは、性格描写ではなく構造上の位置として書かれます。会話の面では、感情と論理の話題を自由に話し、潜在的可能性と快不快を公然と議論する民主側。エネルギーの面では、可能性を見つけて点火する循環の起点。「何を声に出してよいか」でアルファを定義し、その役を循環の先頭に置く—これがAushraのアルファの中核です。
04Reininのアルファ
Reininは、クアドラごとに一致する3つの特性を、数理的な導出と小集団実験の両方から扱った研究者です。アルファの性格を直接描く文章は少なく、その代わり、アルファが属する側(民主・陽気側・賢明)が実験でどう見えたかの記録が残っています。どの側もアルファともう1つのクアドラの共有で、以下の観察はその側全体のものです。
アルファは民主・主観の側
第1の基準、伝達手段:それらすべては貴族か民主のいずれかである。2つの「貴族」クアドラと2つの「民主」クアドラがある。(中略)客観的人々はガンマおよびデルタクアドラに属する。主観的人々はアルファおよびベータクアドラに属する。
伝達手段(貴族/民主)でアルファは民主、主観/客観でアルファは主観の側です。割り振り自体はAushraの章で見た分割と同じで、Reininの持ち分は、それを観測の言葉に変えたところにあります。
実験でわかった民主側のふるまい
インタビューでReininは、「貴族/民主」で集団を分けたときの様子を振り返っています。
「貴族/民主」を取ったとき、集団は非常に興味深く構造化されました。貴族型には個人的な距離があり、順番に発言し、相手の話を遮らず、序列が観察されます。民主型はたえず互いに発言を遮り、距離が近く、丁寧な話法は少なめです。
貴族側は順番に発言して序列を保ち、民主側(アルファはこちらです)はたえず遮り合い、距離が近く、丁寧な話法が少なめになる。同じ観察は著書にも、実験手順の説明として書かれています。
実験中、これらのグループは区別しやすい。貴族タイプはできるだけ自身を他者から距離を置こうとし、決して誰かを遮らない。民主タイプは皆同時に話し、しばしば礼儀の共通規範を顧みない。
同じ描写がインタビューと著書の双方に残っており、Reininが一貫して報告していた観察です。
「陽気」「賢明」という名前の由来
「主観主義/客観主義」—これは「陽気/深刻」と呼ばれているものです。なぜそう名づけられたか—単に外見上そう見えたからです。話の方向によって分かれました。(中略)一方は世界の記述に対して関わり、もう一方は記述から世界像へと関わる。
「陽気/深刻」という通称が、内面の楽しさではなく外見の印象から付いた、という証言です。中身の分かれ目は話の方向(世界の記述へ向かうか、記述から世界像へ向かうか)に置かれています。3つ目の特性は、外見では見えません。
「賢明/果敢〔原文:рассудительность-решительность〕」。外見上はまったく同じです。(中略)何が同じだったのか—心地よさです。集団内で—もっとも心地よい集団。(中略)両者を分けるのは性的プログラムです。一方のプログラム—パートナーへの志向。もう一方—プロセスへの志向。(中略)意味論は自己報告とインタビューから取り出されました。
賢明(アルファはこちらの側です)と果敢は外見がまったく同じで、集団の中でもっとも心地よいと感じる点でも同じだ、というのがReininの証言です。両者を分けるのは性的プログラム(パートナーへの志向か、プロセスへの志向か)で、その意味論は自己報告とインタビューから取り出されました。外から見た行動だけでは取り出せない特性がある、という方法上の注意が、ここに含まれています。
まとめると、Reininのアルファは、性格ではなく所属する側で書かれます。民主側アルファとガンマは実験の場で「皆が同時に喋り、距離が近く儀礼が薄い」と観測され、主観側アルファとベータは話の方向が世界の記述へ向かう側として分けられます。賢明と果敢は外見では分かれず、Reininが挙げる分割は性的プログラムです。Reininがアルファについて残したのは、アルファがもう1つのクアドラと共有する側の観察です。
05Bukalovのアルファ
Bukalovはキエフ学派の主宰者で、国際ソシオニクス研究所の機関誌を長く編集してきた研究者です。クアドラ論では、各クアドラの社会的役割の定義から、組織の中でのふるまいの記述、形成過程の仮説まで踏み込みます。アルファについての記述を、役割→組織→形成仮説の順で解説します。
動的理論のクアドラ
Bukalovは、あらゆる思想や事業が発生から衰退まで4つの段階をたどるという交替法則の論文で、アルファの役割をまとめて定義しています。
こうして、各クアドラの役割を次のように定義できる。1. αクアドラは動的理論のクアドラである。その役割は、自然と社会の客観的法則性を確立し、理論や概念などの形で情報を生産・普及することにある。αクアドラでは理論家が優勢である。クアドラ、そして部分的にはソシオンの行動プログラムをILEが設定する。実践への導入はわずかで、静的である。ILE–SEIダイアドが設定する優勢特性により、このクアドラは非合理的、外向的(客観的)、革命的である。現状に満足しない、すなわち非同調的だからである。これは民主主義者のクアドラである。
理論家が優勢で、行動プログラムはILEが設定し、実践への導入はわずか。非合理的・外向的・革命的で、民主側のクアドラ—短い定義の中に、アルファの担当(法則性の確立と、理論・概念の形での情報の生産)と、アルファがやらないこと(実装)の両方が書き込まれています。では、作った概念はその後どうなるのか。別の論文で追跡されています。
クアドラαが定式化した概念は実生活へと具現化されるが、その実装方法のために結果は当初の構想とほとんど似つかない。(中略)第三段階ではクアドラγが事を引き継ぐ。クアドラγはクアドラβの成果を批判・否定し、クアドラαの当初の思想に立ち戻る。(中略)第四段階では、思想は最大限可能な実用的具現化にまで到達する。この段階を遂行するのはクアドラδである。(中略)これが、社会的進歩のリングを通じて実現するメカニズムの大枠である。
アルファが定式化した概念は実生活へ具現化されるが、実装のされ方のせいで、結果は当初の構想とほとんど似つかなくなる—という観察です。そして巡り巡って、ガンマがベータの成果を批判し、アルファの当初の思想に立ち戻る。アルファの着想は本人たちの手を離れてから社会を一周する、という経過で、アルファは循環の起点に置かれています。
組織の中のアルファ
役割の定義は抽象度が高い分、Bukalovは同じことを職場の言葉でも書いています。
第1クアドラ(アルファ)の組織内では、人は通常、同志のチームの一部と感じ、思想生成者として、共通の風潮の創出に貢献する心地よい対話相手として評価される。第2クアドラの組織では、人はしばしば自分が大きな機械の歯車、この巨大なメカニズムの一部だと感じる。(中略)第3クアドラの社会または組織では、個人的成功が前面に押し出され(中略)第4クアドラの社会では、強調はもう個人的成功にではなく、個人的実現とそのための好ましい条件の創出に置かれる。(中略)安定した集団の中核には、しばしばクアドラが形成される。(中略)そのときリーダーは自分の指示を部下の言語に翻訳するのに多くの労力を使わなくて済む。
アルファ組織の中の人は、同志のチームの一部と感じ、思想生成者として、共通の風潮を作る心地よい対話相手として評価される。歯車と感じるベータ組織、個人的成功が前面に出るガンマ組織との並びで書かれているため、対比でアルファの輪郭が出ます。評価されるのが成果や地位ではなく「対話相手としての心地よさ」と「思想の生成」だという点は、後のStratiyevskayaやGulenkoの記述とも重なります。階層の扱いも同じ論文にあります。
レイニン特性に「貴族‐民主」がある。それはクアドラに関わる。第1クアドラ(アルファ)では雰囲気は非常に民主的で、このクアドラの代表者は社会的・階層的・行政的慣例外での接触に向けられる。(中略)第2クアドラでは逆に、階層が何かを非常によく理解し(中略)第3クアドラでは民主的運営の性質、組織構造は階層的に浅く、水平的か、あるいはしばしば各種の機能グループが作られる。第4クアドラでは再び階層の要素が現れる。
第1クアドラの雰囲気は非常に民主的で、肩書や行政上の慣例の外で人と接触したがる。AushraとReininが分割の名前として置いた「民主」を、Bukalovは組織運営の記述で具体化しています。
周産期マトリクスという仮説
Bukalovには、クアドラの志向を出生過程の体験と対応づける仮説の系列もあります。
このように、クアドラαにおける志向は、基本的周産期マトリクスによって規定された無意識の超意識を開示することへの志向である。(中略)実際にはこれは、自我ブロックによって実現される外的世界の反映と、無意識(超意識)に反映された内的世界・その構造との均衡化の志向である。(中略)ここからクアドラαの革命化役割が導かれる
アルファの志向を、外の世界の反映と内側の無意識の釣り合わせに置き、そこから「革命化」の役割を導く論じ方です。周産期マトリクス(Grofの理論に由来する概念)への依拠は、この記事で扱う記述の中でもっとも仮説寄りの水準にあります。
Bukalovのアルファは、自然と社会の法則性を見つけ、理論と概念の形で情報を作って広める「動的理論のクアドラ」です。組織に置き直すと、同志のチームと民主的な雰囲気になり、人は思想の生成と対話の心地よさで評価されます。作った概念は他のクアドラの手で形を変えながら実現され、ガンマの段階で再び当初の思想へ立ち戻られます。アルファは考えを作る段階を担い、実装は循環の後続に渡す。これがBukalovのアルファの中核です。
06Stratiyevskayaのアルファ
Stratiyevskayaは『お別れしないために』第II部で、4つのクアドラを順に取り上げ、支配的な価値がどんな気質と場面に現れるかを記述しています。クアドラごとに支配的なアスペクトを挙げ、それぞれに価値・禁忌・場面を割り当てていく書き方で、この記事の研究者の中では場面の記述がもっとも厚い書き手です。この章では第一クアドラ=アルファの記述を、構成、世界知覚、価値、退けるもの、生き方、苦手の順に解説します。
2つのクラブと2組の双対
出発点は、どの4タイプがアルファを構成するかです。
第一クアドラ(アルファ)(また第三も)は、「直観タイプ―論理タイプ」と「倫理タイプ―感覚タイプ」によって構成される。(中略)第一クアドラの支配的アスペクト—「黒」直観、「白」論理、「黒」倫理、「白」感覚。(中略)直観タイプ―論理タイプは、非合理的な外向タイプ—直観論理外向(ILE)・ILE〔原文:ドン・キホーテ〕と、合理的な内向タイプ—論理直観内向(LII)・LII〔原文:ロベスピエール〕で代表される。(中略)倫理タイプ―感覚タイプは、合理的な外向タイプ—倫理感覚外向(ESE)・ESE〔原文:ヴィクトル・ヒューゴー〕と、非合理的な内向タイプ—感覚倫理内向(SEI)・SEI〔原文:アレクサンドル・デュマ〕で代表される。
直観・論理の組と倫理・感覚の組(強い領域を同じくするタイプの組をソシオニクスではクラブと呼びます)を、合理・非合理と外向・内向の交差で4タイプに割る並べ方です。理屈の側の2人と、感覚・感情の側の2人が1つのクアドラに同居する、という構図が先に置かれます。この4タイプが2組の双対ペアを作ります。
ILE〔原文:ドン・キホーテ〕はSEI〔原文:デュマ〕を補完し、彼と双対ペアを構成する。(中略)ESE〔原文:ヒューゴー〕はLII〔原文:ロベスピエール〕を補完し、彼と双対ペアを構成する。
世界の受け取り方
4タイプに共通する世界の受け取り方を、Stratiyevskayaは一つの段落にまとめています。
第一クアドラ(アルファ)の代表者の世界知覚は、容易さ、機動性、開放性で区別される。これは極めて社交的で、夢中になりやすい人々で、生まれつき民主的で、いかなる残虐性と権威主義も否定する(中略)ここでは意志的感覚のアスペクト(●〔Se〕)は人気がなく、排除された、抑圧されたアスペクトだからだ。(中略)ここでは物事への非伝統的な見方が大変尊重され、社会的思考でも科学的思考でも、変革をもたらすことが好まれる。
社交性と民主性を性格の長所としてではなく、意志的圧力のアスペクトが価値の外にあることの帰結として説明する組み立てです。押しの強さが尊重されない場では、権威で黙らせる動きが成立しない—だから民主的になる、という順番で書かれています。非伝統的な見方と変革への好みも、同じ理由づけの中に置かれています。
大事にする価値
価値の中身は、アスペクトごとに割り当てて記述されます。
公正への志向、真理の探求、論理的調和への志向—これらすべては、このクアドラで支配的な第2のアスペクト—マイナス記号付きの関係の論理(−□〔Ti〕)のアスペクトと関連する価値である。このアスペクトは、論理直観内向(LII)・LII〔原文:ロベスピエール〕のソシオタイプ(当サイトでいうタイプ)においてプログラム的であり、第一クアドラ(アルファ)の科学的、社会的、創造的活動の最重要な方向を表し、その社会的役割を啓蒙的なものとして規定している。
公正・真理・論理的調和の束をLIIのプログラムに帰し、クアドラの社会的役割を啓蒙と規定しています。アスペクトに付くマイナス記号はStratiyevskayaの符号用語で、その中身は次の引用が示しています—全体を見渡して誤りを正す側の論理です。
関係の論理のアスペクトは、第一クアドラ(アルファ)の解釈において—主としてグローバルな、構造的な論理であり、包括的な体系分析である。(中略)あらゆる伝統的な慣習や制約を無視し、彼らはそれまで動かしがたい真理だと考えられていたすべて、批判には到達不能だと思われていたすべてを、大胆に対比し、分析し、再考し、批判することができる。(中略)あらゆる老朽化した、時代遅れの、絶滅に運命づけられたものの破壊—これが彼らの第一の社会的機能である。
動かしがたい真理という前提を認めず、古くなった枠組みの組み替えまでを「第一の社会的機能」と呼ぶ位置づけです。Bukalovが役割の言葉で書いた「現状に満足しない」を、Stratiyevskayaは論理の使い方(聖典を作らない体系分析)として書いています。
退けるもの
価値の外に置かれるものも、同じ精度で列挙されます。
時間の直観のアスペクト(△〔Ni〕)もここではあまり意義がない。(中略)現代性、見方や信念の時代との同期性を意味するなら、ここではこれもあまりふさわしくなく、ほとんど理解されない。なぜなら、このクアドラの代表者の見方や信念は、(直観タイプ―論理タイプを念頭に置いている場合は)自身の時代を著しく先取りするか、(第一クアドラ(アルファ)の感覚タイプ―倫理タイプにそうであるように)永遠の人間的価値を表現するために、時間の外で存在するからだ。
時代との同期がアルファの尺度にならない理由を、時代の先取りか、時間の外の価値か、の2通りで説明しています。流行に合わせる発想自体が薄い、という記述です。
時間的制限のほかに、第一クアドラ(アルファ)では道徳的・倫理的制限も大変嫌う。戒律、規範、規則の厳しい枠の中に押し込まれるのを嫌う。(中略)社会的道徳の概念は、第一クアドラでは社会的良心と社会的公正の概念に置き換えられる。
時間の制限に道徳・倫理の制限が並びます。規範そのものを捨てるのではなく、外から課される「道徳」を、自分の内側の「良心」と全体の「公正」に置き換える—という語の置き換えまで特定した記述です。抑えつけられたときの反応は、会話の場面で最も具体的に書かれています。
第一クアドラ(アルファ)では論争し、切迫した問題を議論することが大変好まれる。発言を遮られること、議論を中断されることに激しく苛立つ。「黙れ!」という叱声は、このクアドラの代表者の誰もを狂気じみた怒りにする。言論の自由、自己表現の自由は、ここでは第一義的な価値である。(ここから「クアドラのコンプレックス」—「塞がれた口のコンプレックス」も生まれる。人格の抑圧は、ここではまず第一に、言論の自由、自由意志表明への禁止と結びつけられる。)
発言を遮られることへの怒りと「塞がれた口のコンプレックス」は、アルファの負担の側をStratiyevskayaが名指しした箇所です。彼女は4つのクアドラそれぞれに固有の「クアドラのコンプレックス」を1つずつ置いており、アルファのそれは、抑圧が何よりもまず「話させてもらえないこと」として体験される、という形をしています。Reininが実験で見た「遮り合う会話」と同じ場面を、内側の感受性から書いた記述です。
生き方
重さを避ける生活態度は、もう一方の外向タイプのプログラムに帰されます。
人生を軽く受け入れるように努め、問題で複雑にすることを好まない。そしてここでもう、このクアドラの第3の支配的アスペクト—倫理感覚外向(ESE)、第一クアドラ(アルファ)の第二の合理的な外向タイプ、その外向的実現者である「ESE〔原文:ヴィクトル・ヒューゴー〕」のプログラムによってもたらされたアスペクトが姿を現す。
問題を複雑にしない姿勢を、ESEの明るさの側に接続する記述です。探求の側(ILE・LII)だけではアルファの像は半分で、場を明るく保つ側が生き方の調子を決めている、という配分になっています。その延長に、アルファが社会へ渡したものの列挙が来ます。
洗練されたファッション、料理、美学だけが、第一クアドラ(アルファ)が人類に贈ったものでない—民主主義、本来のヒューマニスティックで進歩的な社会組織の形態は、まさにここで生まれた。(中略)第一クアドラの(ロベスピエール的な)あまねき正義と幸福の理念は、論理直観内向(LII)のソシオタイプ(当サイトでいうタイプ)が優勢であるスウェーデン、また他の北欧諸国・ヨーロッパ諸国の、絶え間なく完成されていく民主主義的な生活様式に、その今日的な体現を見いだしている。
美学と民主主義を同じ列に並べ、今日の体現として北欧の生活様式を挙げています。快適さの追求(Si)と公正の理念(Ti)が、彼女の中では同じクアドラの2つの出力として扱われています。
苦手の側
支配的な価値の一覧には、敬意を払われないアスペクトの明示が伴います。
自身の理論的発見の実際的な実現は、第一クアドラ(アルファ)の直観タイプ―論理タイプにとって、決して第一義的な意義を持たない。(中略)実用的な「ビジネス論理」(■〔Te〕)のアスペクトは、ここでは敬意を払われていない。プラグマチズム、実利主義は共感を呼び起こさない、しばしば非難さえも引き起こす。
実現よりも発見、実利よりも関心、という順位づけが、ここでも価値の割り当てで説明されています。Bukalovの「実践への導入はわずか」と同じ観察が、こちらでは本人たちの共感の向きとして書かれています。
この章の記述を、Stratiyevskaya自身が1文にまとめています。
ヒューマニズムの理念、活発な社会的・啓蒙的活動、公正な社会的秩序の理念—これらすべては、第一クアドラ(アルファ)—ロマン主義者、空想家、夢想家、「大人の子ども」と一風変わった天才たちのクアドラ—の不可分の特徴である。
つまり、Stratiyevskayaのアルファは、公正・真理の探求・論理的調和を掲げて古くなった枠組みを組み替える側と、人生を軽く受け入れて美学と楽しさを作る側の2つでできています。全体を守る第一の価値が言論と自己表現の自由で、時間と道徳の制限、そして発言を遮る抑えつけを退けます。実現と実利はこの順位の下位です。制限のない議論と軽さ。これがStratiyevskayaの描くアルファの中核です。
07Filatovaのアルファ
Filatovaは『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001年)で、クアドラを関係の側から記述します。特定のクアドラの肖像ではなく、クアドラという4人組がどんな関係でできているかを書く章立てで、この記事ではその機構をアルファの4タイプ(ILE・SEI・ESE・LII)に当てて解説します。
双対関係
ソシオニクスでは、この種の関係は、完全な相補、すなわち双対化の関係と呼ばれる。実際、この「相補性」は、モデル・ユングにおいて諸機能がその強さにおいて逆の順序を持つという点によく表れている。
双対関係を「機能の強さが逆順」という形で定義しています。アルファでは、ILEとSEI、ESEとLIIがこの逆順の組です。一方の強い領域が他方の弱い領域を補う配置が、次の記述の土台になります。
双対のペアにおいては、これほどまでに見事な支えと理解が実現されるため、それぞれが自分は守られていると感じる。そのとき、それぞれが何をしても、何を言っても—すべてが適切であり、すべてが良く、すべてが正しい。これ自体が、自分は良い人間、善良な人間であるという感覚をもたらし、自分自身の高い価値の感覚をもたらす。そしてこの感覚こそ、あらゆる人間の基本的な欲求の一つである。
双対ペアの中では、何をしても何を言ってもすべてが適切に受け取られ、守られている感覚と自己価値の感覚が生まれる—Filatovaはこれを人間の基本的欲求の充足として書きます。長く続いた双対関係については、実例からの観察もあります。
数年の共同生活を経た夫婦は、互いに依存し合うようになり、常に相手の存在を自分の人生に必要としていると感じる。ちょっとした口論でさえ、すぐにそれを鎮め、すべてを和らげたいという欲求を引き起こす。なぜなら、そうしなければ、常に感じ、あまりにも慣れきってしまったあの均衡、あの支えが失われ、まるで足元の地面が崩れ去るように感じられるからである。
数年の共同生活を経た双対の夫婦は、相手の存在を人生の均衡そのものとして感じるようになる、という記述です。守られ感が習慣になり、揺らぎがすぐ修復欲求に変わるところまで書かれています。
クアドラへの拡張
双対ペアはクアドラの半分です。残りの関係を、Filatovaはこう導入します。
クアドラは二つの双対ペアから成るが、ここで、一方のペアの代表者ともう一方のペアの代表者との間の関係がどのようなものかを分析してみよう。ここで私たちは、双対とは異なる性格の関係に出会うことになる。クアドラの中で、一方の双対ペアの各人は、何らかの形で、もう一方の双対ペアの代表者たちと関係している。これらの関係は活性化の関係、および鏡像関係と呼ばれる。それでは、これらについて取り組んでいこう。
クアドラ=2つの双対ペア+ペアをまたぐ活性化・鏡像、という構図です。アルファに当てると、活性化はILE–ESEとSEI–LII、鏡像はILE–LIIとSEI–ESEです。そして4人がそろったとき何が起きるかを、Filatovaは機能の配置から説明します。
まったく注目に値する事実に気づいてほしい。それぞれの4人組の各行には、4つの機能すべてが(ただし、その向き〔外向・内向〕を考慮しなければ)そろっているのである。つまり、それぞれの4人組は、外的な条件に見事に適応しているということになる—必要な瞬間には常に、その場に適した強い機能を持つ者が見つかるのである。実際、ここには論理、倫理、感覚、直観が—最初の、主導のチャンネルに—そろっている。同じことは、残りの3つのチャンネルについても言える。
各4人組の主導の行に、論理・倫理・感覚・直観がそろう—アルファでは、Ti(LII)・Fe(ESE)・Si(SEI)・Ne(ILE)です。Filatovaはこれを「外的な条件への見事な適応」として意味づけます。どの場面が来ても、その場に強い担当が誰かいる、という単位としての強さの話です。
Filatovaが書いているのは、どのクアドラにも同じように当てはまる機構です。クアドラは2組の双対を中心に、活性化と鏡像でつながった4人組で、主導に論理・倫理・感覚・直観がそろうため、どの場面にも強い担当がいる単位になります。この構図はアルファに固有のものではなく、4つのクアドラすべてに同じ形で成り立ちます—これがFilatovaのクアドラ記述から取り出せる読み方です。
08Karpenkoのアルファ
Karpenkoは国際ソシオニクス研究所の研究者で、Bukalovの長年の共同研究者です。クアドラ論での持ち分は「順位づけ」—8つの情報アスペクトそれぞれについて、4つのクアドラでの現れの幅(次元性)を比べていく方法です。次元性は、働きの幅を1〜4の段階で測るモデルAの道具で、この記事では「高いほど柔軟に、低いほど型どおりに働く」とだけ押さえれば読めます。アルファの得意と苦手が、この章でいちばん細かく出ます。
Karpenkoの順位表は、8つの要素をアルファでの現れの幅で四段に並べます。上から順に見ていきます。
四次元と三次元にあるもの
実際、クアドラα、そのすべてのタイプを際立たせているのは、可能性の直観のアスペクト—▲〔Ne〕—への特別な注意である。新しいアイデア、新しい概念、新しい理論は、磁石のようにこのクアドラの代表者たちを引きつける。(中略)「面白い」という言葉は、このクアドラでもっともよく使われる言葉のひとつである。しかもこの面白さは、ありうる実用的利益とも、認識的欲求以外のどんな欲求の充足とも結びついていない。第1クアドラ(アルファ)のタイプに固有のある種の「子どもっぽさ」、新しいものへの感嘆ぶり、未知のものへの熱中もまた、▲〔Ne〕の四次元性を反映している。
「面白い」はアルファでもっともよく使われる言葉のひとつで、その面白さは実用と切り離されている—冒頭の答えで置いた「誰が言ったかより面白いか」の決め方に、語彙の観察がつきます。同じNe(外向直観)を価値にもつデルタとの比較も、この論文の見どころです。
クアドラαを、同じく「価値」の中に可能性の直観をもつ第4クアドラ(デルタ)と比べてみてほしい。クアドラδにとってアイデアとは、実用的価値をもつ何か、現実の生活に—その説明のためであれ、その変革のためであれ—適用できる何かである。まだ適用できないアイデアは、クアドラδにとっては仮説、おもちゃ、遊びにとどまる。(中略)第4クアドラにおける黒い直観(▲〔Ne〕)の三次元性がはっきり見て取れる。
同じ要素を価値にしていても、次元が違えば扱いが違う—アルファのアイデアは適用できなくても価値があり、デルタのアイデアは適用できてはじめて価値になる、という対比です。価値の一致だけではクアドラの違いを説明しきれない、というこの論文の中心の主張がここに出ています。論理の側でも同じ形の観察があります。
第1クアドラ(アルファ)では構造論理(□〔Ti〕)は、価値であり情報を秩序づける道具であるだけではない。それは何よりもまず、世界秩序の構築の仕方である。(中略)そしてだからこそ、奇妙なことに、築き上げた論理体系を、より一層すっきりした、論理的で包括的な新しい体系をつくるために、あっさり捨てるのである。(中略)第1クアドラにおける白い論理の四次元性は、教条主義からの頼れる防護壁の役を果たしている。
築いた体系をあっさり捨てられるのは、体系そのものより「より良い体系が作れること」に軸があるからで、Karpenkoはこれを教条主義からの防護壁と呼びます。Ne(外向直観)と並ぶもう1つの四次元が、このTi(内向論理)です。Stratiyevskayaが「動かしがたい真理を認めない論理」と書いた同じ動きが、ここでは次元性の言葉で説明されています。ここから三次元の段に下ります。まず、心地よさが世界の受け取り方の土台になる側です。
第1クアドラ(アルファ)では白い感覚はより状況的で、より具体的である。ここでそれは、快適さ、便利さ、健康、楽しみにより多く関わる。その現れは通常、具体的な状況に条件づけられており、特定の時間と特定の場所でこそふさわしい。第1クアドラのタイプにとって白い感覚は、なんらかの社会的欲求のためというより、むしろ「自分のための楽しみ」、あるいは近しい人々の小さな輪のための楽しみを保証するものである。(中略)その三次元性、豊かさ、多面性が、このクアドラの世界感覚をかなりの程度形づくっている。
アルファのSi(内向感覚)は、義務や体裁のためではなく、自分と近しい輪の楽しみのために働く—集まりの心地よさが目的そのものになる、という記述です。
三次元はもう1つあり、Fe(外向倫理)がそこに入ります。アルファの価値4要素の内側でも幅は一様ではなく、着想(Ne)と体系(Ti)が四次元、快適さ(Si)と場の感情(Fe)が三次元という並びです。価値の側にあることと、幅が最大であることは別だ、という順位づけです。
二次元と一次元にあるもの
価値の外にある4要素も、同じ精度で二次元と一次元に分かれます。まず、いちばん低い一次元の側、時間から見ていきます。
では「下の次元」では何が起きているのか。△〔Ni〕のアスペクトについては、おそらくクアドラαの代表者がもっとも弱い成績を示すだろう。実際、このクアドラのタイプと近づきになれば、時間の扱いの弱さに気づかずにはいられない。彼らは絶えず時間の予定表から「こぼれ落ち」、遅刻し、あわてる。
遅刻し、予定からこぼれ、あわてる—このNi(内向直観)が、アルファでは一次元です。Stratiyevskayaが「時間的制限を嫌う」と価値の言葉で書いたものを、Karpenkoは日常の観察として書いています。嫌うから弱いのか、弱いから嫌うのかは分けられませんが、両者が同じ場所を指していることは確かです。次は圧力への対応で、こちらは一段上の二次元です。
もちろん、クアドラαとδがもつ●〔Se〕のアスペクトはこれほど強力ではない。しかも、クアドラαはまだしも、このアスペクトの現れを—自分自身のも周囲の人々のも—秩序づけ、統制し、規範化しようとする志向をどうにか示すのに対し、クアドラδは、苛烈な意志的働きかけの状況でまったく一次元的に反応する—衝突を回避するか、さもなければいかなる妥協にも応じず、妥協を探すことすらせず、最後まで踏みとどまるかである。
意志的圧力の場面でアルファは強くはないものの、押し合いそのものを規範の側に引き取って「秩序づけよう」とはする—これがアルファのSe(外向感覚)の二次元と、同じアスペクトが一次元であるデルタとの差です。同じく圧力が苦手なデルタとの反応の違いまで分けて書かれています。実務の空間では、また一次元に戻ります。
ビジネスの問題における、より広くはビジネス論理(■〔Te〕)の空間全体における第1クアドラ(アルファ)の代表者のある種の無力さと素朴さは、明白である。このクアドラ出身の運のよいビジネスマンの例は一般則を裏書きするだけである。というのも彼らの成功は主として、うまいアイデアに、新しい方法とアプローチの適用に、つまるところ可能性の直観と構造論理の駆使に基づいているのであって、商業的合目的性の詳細な計算に基づいているのではないからだ。
アルファ出身の成功したビジネスの例も、採算計算ではなく着想と構造の力で説明される、という観察です。Te(外向論理)はNi(内向直観)と並ぶもう1つの一次元で、実務がうまくいく場合も、その理由は採算計算の外にある、という整理になります。Stratiyevskayaの「実利は共感を呼ばない」と対になる記述です。最後は関係の扱いで、こちらはSe(外向感覚)と同じ二次元です。
第1クアドラ(アルファ)は関係の倫理の領域で、周知の保守性、伝統的な規範と価値への愛着によって際立つ。第1クアドラにおけるこのアスペクトの二次元性は、「関係を白黒つける」ことへの気の進まなさ、展開された倫理的評価を要する状況を避けようとする志向に現れる。
人間関係の評価では型どおりで保守的になり、関係を白黒つける場面を避けたがる、という記述です。ここは注意して読む価値があります。Stratiyevskayaは「アルファは道徳的制限を嫌う」と書き、Karpenkoは「アルファは関係の規範に保守的」と書く—一見逆向きのこの2つがどう両立するかは、「アルファクアドラとは結局何か」の章で扱います。
順位表は優劣の表ではない
アルファの強い側はNe(外向直観)とTi(内向論理)、弱い側はNi(内向直観)とTe(外向論理)でした。
表6からは、次の法則性を取り出すことができる。第一に、「クアドラの価値」であるアスペクトは、3以上の次元数をもつ。第二に、どのクアドラにも、次元数4、3、2、1の情報アスペクトが2つずつある。つまり、処理される情報の「総出力」において、4つのクアドラはみな等しい。
どのクアドラにも四次元・三次元・二次元・一次元が2つずつ配られ、合計は等しくなります。アルファの得意と苦手の差は、量ではなく配置の差だという読み方です。対称性はもう一段あります。
第四に、合理アスペクト(▼(Fe)、▽(Fi)、■(Te)、□(Ti))と非合理アスペクト(▲(Ne)、△(Ni)、●(Se)、○(Si))の次元数の和も、外向アスペクト(▲(Ne)、●(Se)、▼(Fe)、■(Te))と内向アスペクトのそれも、すべてのクアドラについて等しい。かくして、私たちの考察はすべてのクアドラに対してある種の対称性をもっている。
合理と非合理、外向と内向のどちらで束ねても、次元数の和はクアドラをまたいで等しくなります。Karpenkoはこの順位表の意味を、優劣の指標ではなく世界知覚の説明として置きます。
かくして、情報流のアスペクトの現れの次元数がクアドラごとにどう違うかを考察することで、私たちはクアドラ内部の世界知覚、「クアドラの精神」の理解を深めただけでなく、クアドラと個々のタイプがソシオンの中で演じる役割についての表象をも深めたのである。
次元数の比較は、クアドラごとの世界の見え方と、ソシオンの中での持ち場を説明するために使う—著者自身が置いた射程です。
対の和は5になる
順位表には、同じ知覚・同じ判断でも外向と内向で次元が配り分けられる、という規則もあります。
同じ名称で向性(色)の異なるアスペクトの次元数の和は、すべてのクアドラ、すべてのアスペクト対について等しい。たとえばクアドラαで▲(Ne)の次元数が4なら、△(Ni)の次元数はわずか1で、その和は5である。一方このクアドラで○(Si)の次元数は3で、対応して●(Se)のアスペクトの次元数は2だが、和はやはり5である。言い換えれば、直観性という特性は(次元数の意味で)クアドラにおいて感覚性と同じ度合いで発現しているが、異なる向性のアスペクトへの次元の数の配分は等しくない。
アルファではNe(外向直観)が四次元でNi(内向直観)が一次元、Si(内向感覚)が三次元でSe(外向感覚)が二次元。どちらの対も和は5で、変わるのはどちらの向きに厚みを置くかだけです。四次元を実際に担うのが誰かも、表で名指しされています。
次元数の異なるアスペクトが、クアドラの中のタイプにおいてどう現れるかを見よう:(中略)四次元アスペクトの持ち主(中略)▲(Ne)□(ILE)(中略)□(Ti)▲(LII)
アルファで四次元を持つのはILE(Ne(外向直観)とTi(内向論理))とLII(Ti(内向論理)とNe(外向直観))です。この2タイプが、アルファの価値のうち最も広い射程を受け持つ側です。
ここまでを整理します。Karpenkoのアルファは、8つのアスペクトが四段に並びます。四次元がNe(外向直観)とTi(内向論理)、三次元がSi(内向感覚)とFe(外向倫理)、二次元がSe(外向感覚)とFi(内向倫理)、一次元がNi(内向直観)とTe(外向論理)。日常語に直すと、着想と体系づくりがもっとも広く、心地よさと場の感情がそれに次ぎ、圧力への対処と関係の評価は型どおりで、時間管理と採算計算がいちばん苦しい、という順です。アルファの得手不得手は、価値かどうかの二分ではなく、8アスペクトの四段の順位として説明される—これがKarpenkoのアルファの中核です。
09Gulenkoのアルファ
Gulenkoは人道主義ソシオニクス学派を主宰する研究者で、クアドラ論では、価値の一覧に加えて「体系の生命周期のどの段階を担うか」という時間軸を持ち込みます。アルファの位置づけ→知識のあり方→人物モデル→エネルギーの順で解説します。
生命周期の第1段階
これらの価値は、いかなるコミュニケーション的体系の進化における第1段階、すなわち生命の早期に存在する。そこには最大の安らぎと認知的潜在力がある。社会におけるその使命は、根本的に新しい知識の発端と普及である。
どんな共同体・組織・運動にも発生期があり、アルファの価値はその段階の価値だ、という枠組みです。最大の安らぎと最大の認知的潜在力が同居する—ここまで読んできた「心地よさ」(Karpenko)と「着想の生成」(Bukalov)が、1つの段階の2つの面として1つにまとめられています。その知識のあり方には、他クアドラとの対比が付きます。
αクアドラの科学者の知識は、最も純粋で良性の形態を取り、主に単純な好奇心に基づいている。それはβにおいて起こるような、狂信的支持者を自分の側に勧誘する教義や強力な学説に決して変わることはなく、γにおけるような物質的関心や直接的な金銭的利益(応用科学)を手段として生産に投入されることもない。
アルファの知識は好奇心に基づき、教義にも商品にもならない—Karpenkoが語彙の観察(「面白い」がよく使われ、実用と切れている)で示したものと同じ性質を、Gulenkoは知識の社会的な運命の側から書いています。研究の様式についても具体的です。
αの知識のためには、特殊な道具や高価な研究実験室は必要ない。このクアドラは根本法則を研究し、通常の生活活動の過程で調査される物質と接触する。それゆえ、それが切り開く法則は厳格な依存性の性質を持たない。これらは頻繁に繰り返される事象の経験的一般化に過ぎない。しかしながら、そのような思考様式なしには、成熟した特化した科学はあり得ないであろう。
日常の中で根本法則を考える様式で、成果は経験的一般化にとどまるが、この様式なしに成熟した科学はあり得ない—限界と不可欠さを1つの段落で言う書き方です。人物の側のモデルも与えられています。
調和した個人と周辺の価値
αの価値によって結ばれた人々は、調和した個人のモデルに近づいている。すなわち、自分自身と自分の子孫のために必要なすべてを提供するのに十分なほど勤勉だが、拡張に必要な余剰生産物を作り出すほど洗練されておらず競争的でない。
必要なぶんは働くが、拡張のための余剰は作らない—「調和した個人」の定義が、勤勉さの量ではなく競争性の不在で書かれています。この非拡張の性質は、Gulenkoのクアドラ特性では「周辺」に整理されます。
周辺クアドラはαとδである。周辺社会は、周辺(αとδ)クアドラの価値が支配する社会である。そのコミュニケーション的優先事項は、安らぎ、非暴力、世話(価値としての機能S〔Si〕)、好奇心、宗教を凌駕する科学、知識の崇拝(価値としての機能I〔Ne〕)である。
中央(ベータ・ガンマ)が社会の中央の座をめぐって争うのに対し、周辺(アルファ・デルタ)は競争の外で安らぎ・非暴力・世話・好奇心・知識を優先します。アルファとデルタが共有するNe(外向直観)とSi(内向感覚)が、そのまま優先事項の一覧になっています。
周期的なインパルス
エネルギーと戦闘能力に基づくと、第1クアドラ(α)は第2クアドラよりはるかに劣るが、時にそれでも社会運動にエネルギーをもたらす。(中略)それは加速の使命を部分的に、周期的に遂行し、静かに、無頓着に生きる人々の心に新しい生活様式の胚を持ち込む。第1クアドラの始まりは静と休息に関連しているが、新たな始まりの発展に伴って、それから発するインパルスはますます強くなり、第2クアドラが点火するまで続く。
アルファは持続的な高出力では戦えず、静かな状態から周期的にインパルスを送り、ベータが点火した時点で加速の役目が終わる—Aushraの章で見たエネルギー循環表(アルファ=潜在エネルギーと点火)と同じ対応を、Gulenkoは社会運動の言葉で書いています。
Gulenkoのアルファは、体系の生命周期の第1段階(最大の安らぎと認知的潜在力が同居する発生期)の価値を担うクアドラです。知識は好奇心に基づき、教義にも商品にもならず、人物は競争へ向かわない調和のモデルに近づきます。エネルギーは穏やかで、周期的なインパルスとして新しい生活様式の胚を社会へ持ち込み、ベータに引き継がれます。アルファの使命は、根本的に新しい知識の発端と普及。これがGulenkoのアルファの中核です。
10その他の研究者と機関誌
キエフの機関誌には、ここまでの主要研究者以外にも、クアドラを主題にした論文が積み重なっています。この章では、その中からアルファを直接記述したものを解説します。1本ごとの分量は短くても、主要系列とは別の書き手による記述が入ります。
Savchenkoの四重唱
Savchenkoは、クアドラの発生を記号の側から説明する研究者です。アルファの説明には合唱のたとえを使います。
αクアドラは、ソプラノ、アルト、テノール、バスという4声からなる四重唱にたとえられる。各声部は自らのパートを受け持ち、それぞれに固有の機能がある。全体として響きの調和が生まれる。
4つの声部が別のパートを歌って1つの響きになる—Filatovaの章で見た「主導の行に4機能がそろう」という観察と同じ構造を、音の言葉で書いたものです。歴史の面では、Savchenkoのアルファは組織を作る側に置かれません。
αクアドラは安定した国家形成を生み出さない。歴史的な出来事の面では、民族大移動、十字軍の一部、レコンキスタ、コンキスタがαクアドラに対応する。αクアドラのイデオロギーは、アメリカ独立闘争、フランス大ブルジョア革命、デカブリストの蜂起、ロシアにおける二月革命から十月革命までの時期の理念にたどることができる。
安定した国家を作らず、移動と革命の理念の側に現れる、という位置づけです。その理由も書かれています。
実際には、αクアドラの活動は過剰なエネルギーによって条件づけられ、このクアドラはそれを行動や理念などへ変換する。αクアドラは新しいものの創造者であるのと同じ程度に古いものの破壊者でもあり、建設的プログラムと破壊的プログラムを同時に実現する。これは一つの過程の二つの構成要素ではなく、同時に進む二つの異なる過程であることを強調しなければならない。αクアドラのイデオロギーは「理想主義の攻撃」と定義できる。比喩的に言えば、このクアドラは、のちに地獄への道を敷く善意の企てを過剰に生み出す。
アルファは新しいものの創造者であるのと同じ程度に古いものの破壊者でもあり、建設と破壊が同時に走る。Stratiyevskayaの「古くなった枠組みの組み替え」やBukalovの「革命的」と同じ場所を、Savchenkoは二面性として言い切り、「理想主義の攻撃」と名づけます。結びの一文は、この記事で読めるアルファへの評価の中でもっとも厳しい側のものです。
Megedの標語
Megedの系列では、各クアドラに親密な関係の場面での標語が与えられます。
第一クアドラ(アルファ)。標語:「思索し、楽しむこと」。(中略)このタイプ群では、問題のない心地よい関係を作ろうとする全体の調子が優勢であり、それはいくぶん表面的な性格を帯びる。(中略)関係では、屈託のなさと開放性が重んじられる。(中略)言葉の刺激よりも、触れることと愛撫にこそ反応しやすい。娯楽とおいしい食事が刺激として働く。
標語「思索し、楽しむこと」に、問題を持ち込まない心地よい関係、屈託のなさと開放性、娯楽とおいしい食事—Stratiyevskayaの「人生を軽く」とKarpenkoの「自分のための楽しみ」が、親密な関係の場面で反復されています。
Tsypinの知識人像
Iクアドラのタイプをもつ人格は—科学技術あるいは自然科学の性格をもつ新しいアイデアを軽々と生み出し、何の問題もなく新しい活動方向へ切り替わり、現実への新鮮な視線をもつ。(中略)あらゆる目先のものより上にあり、「あらゆる時代のために」作られている。現代性と時宜の理解は弱く、未来は子どもっぽく素朴に—多くの場合、最も肯定的で非現実的な形で—思い描く。
新しいアイデアを軽々と生み、切り替えが速く、視線が新鮮—その同じ人物が、現代性と時宜には弱く、未来を子どもっぽく肯定的に思い描く。強みと弱みを1つの肖像に収めた記述で、Karpenkoの次元ランキング(Neの四次元・Niの最弱)と同じ高低が、人物スケッチの形で書かれています。
Devyatkinの「子ども時代」
第一クアドラ(アルファ)。ふつう第一クアドラの代表者は、理解、世界の直接的な知覚といった性質で特徴づけられる。これは子ども時代の年齢であり、すべてが新しく、周囲の世界の活発な認識が進む。未知のものへの志向、学習。(中略)どちらの記述でも優勢なのは、興味の豊かさ、理解、探究、学習、快適さと平穏である。同一関係にも、第一クアドラの世界感覚にも、「私たちは同じ血だ—君も、私も」という標語が見て取れる。
アルファを人生の段階にたとえる整理で、Gulenkoの生命周期第1段階と同じ型です。興味の豊かさ・理解・探究・学習・快適さと平穏、という列挙は、ここまでの研究者章の要点の一覧とほとんど重なります。
まとめると、Savchenkoは四重唱、Megedは「思索し、楽しむこと」、Tsypinは軽やかで時宜に疎い知識人、Devyatkinは子ども時代の年齢としてアルファを書きます。別々の書き手のもとで、主要研究者と同じ方向の像が反復されています。資料どうしの依存関係までは確かめられないので、独立した追試とは呼びません。独自の追加はSavchenkoの二面性の指摘です。アルファの理想主義は、建設と破壊を同時に走らせる。この側面は、「社会の中のアルファ」の章の歴史記述と地続きです。
11アルファクアドラとは結局何か
研究者章の小括を突き合わせます。一致するもの、反復されるもの、単独のもの、食い違うものの順に見ていきます。
複数の系列を横断して残るもの
4つあります。第一に、アルファの中心は議論と着想です。声に出してよい話題でアルファを定義したAushra、民主側の遮り合う会話を観測したReinin、思想生成者の組織風土を書いたBukalov、論争好きと言論の自由を書いたStratiyevskaya、「面白い」をアルファでもっともよく使われる言葉のひとつに挙げたKarpenko、好奇心の知識を書いたGulenko、討論的な空気を書いた機関誌の研究者たち—本文で読んだ6系列のうちFilatovaを除く5つと、機関誌の別の書き手がここで重なります。
第二に、実装と実利は価値の下位です。Bukalovは実践への導入はわずかと書き、Stratiyevskayaは実現を第一義に置かず、Karpenkoはビジネス論理の空間では素朴と評し、Gulenkoは知識は商品にならないと書きます。この3系列です。第三に、民主的で階層の外。Aushraの分割の名前、Reininの実験観察、Bukalovの組織の雰囲気、Stratiyevskayaの世界知覚—この4系列で同じ帰属が出ます。ただし民主側にはガンマも入るので、この4経路はアルファとガンマを分けません。第四に、軽さと快適さ。Stratiyevskayaは人生を軽く、Karpenkoは自分と近しい輪の楽しみ、Gulenkoは最大の安らぎと書きます。この3系列に、機関誌の別の書き手(Megedの「心地よい関係」)が重なります。
一部の系列で反復されるもの
- 循環の起点。Aushraはエネルギー循環表の「点火」、Bukalovは動的理論のクアドラ、Gulenkoは周期的なインパルス、Savchenkoは過剰エネルギーの変換と書きます。
- 時間の弱さ。Stratiyevskayaは時間的制限を嫌うと書き、Karpenkoは遅刻し予定からこぼれると書き、Tsypinは時宜に疎いと書きます。
- 子ども・発生期の比喩。人にかけるものが3系列—「大人の子ども」(Stratiyevskaya)、子どもっぽさ(Karpenko)、子ども時代の年齢(Devyatkin)。体系の段階にかけるものが1系列—生命周期の第1段階(Gulenko)。
単独の主張
周産期マトリクスとの対応(Bukalov)、四重唱の記号論(Savchenko)、病棟のクアドラ配置実験(Reinin)、「塞がれた口のコンプレックス」(Stratiyevskaya)は、それぞれ1系列だけの主張・報告です。反復のあるものと同列には扱いません。
食い違いと、その由来
はっきり食い違うのは2箇所です。
規範への態度。Stratiyevskayaは「アルファは道徳的・倫理的制限を大変嫌う」と書き、Karpenkoは「アルファは関係の倫理で保守的、伝統的規範に愛着」と書きます。ここからは当サイトの思索ですが、両者は対象が違うのかもしれません。Stratiyevskayaが書いたのは外から課される規範への反応で、Karpenkoが書いたのは自分の関係を処理する様式です。外からの禁止は退けるが、人間関係の扱い自体は型どおりで新しい流儀を発明しない—価値でない領域は既製の型で済ませる、と読めば両立します。
エネルギーの評価。Savchenkoは「アルファの活動は過剰なエネルギーに条件づけられる」と書き、Gulenkoは「エネルギーと戦闘能力はベータにはるかに劣る」と書きます。これも当サイトの思索ですが、測っている量が違う可能性があります。Savchenkoが見たのは理念へ変換される瞬発の熱、Gulenkoが見たのは持続する出力です。アルファは点火はするが燃焼を続けられない、と読めば、AushraとGulenko自身の循環記述とも噛み合います。
横断の結論です。少なくとも次の像は、系列を横断して残ります。制限のない議論と着想を楽しみ、場の明るさと快適さを保ち、実装と実利は循環の後続に渡す、民主的な発生期のクアドラ。割れているのは規範とエネルギーの2箇所です。
12アルファクアドラの会話
研究者章で出た会話と集まりの記述を、場面の順に並べ直します。会話の進み方、学びと仕事の場、冗談、同席の効果、の4つです。
会話の進み方
Reininの章で見たとおり、発言が重なり、距離が近く、儀礼が薄いというのは、アルファを含む民主側についての観測でした。その騒がしさとアルファの側で組み合わさるものを、Gulenkoの機関誌論文が価値の順位として挙げています。
第一クアドラ(アルファ)のソシオタイプ(当サイトでいうタイプ)は、発生した問題を議論するとき、共通の価値に依拠する。第一に、それはFe〔原文:Е〕—否定的感情の最小化である。口論とスキャンダル、そもそも感情的な不安定を許さないことのほうが、このクアドラにとっては重要になる(中略)その使命は、社会発展の新しい構想の創出と普及である。この役割は、短く「啓蒙」と呼ぶことができるだろう。
議論そのものは激しくても、口論とスキャンダル、そもそも感情的な不安定を許さないことが先に立つ—これがGulenkoの挙げるアルファの価値の順位です。一方でStratiyevskayaは、発言を遮られ議論を中断されることにアルファは激しく苛立ち、「黙れ!」という叱声は狂気じみた怒りを引き起こす、と書いていました。発言が重なることと、話を打ち切られることは、別の事柄として扱う必要があります。
学びと仕事の場
学習の場面のアルファを、Dotsenkoが教育の論文で記述しています。
第一クアドラ(アルファ)のタイプは、潜在的な可能性—すなわち、開き、発見し、現すことのできる新しい何か—に強い関心をもち、その新しいアイデアに論理的な形を与えようとする。ここでは科学的発見とさまざまな実験が高く評価され、(中略)真理と公正が重んじられ、その公正を論理的に根拠づけることがとても重要になる。(中略)生まれたアイデアを実現する事業を立ち上げる話になると、そこには第一クアドラの代表者が多くなることがよくあり、議論の空気そのものが討論的である。
学びの対象は「開ける新しい何か」で、発見と実験が歓迎され、公正まで論理で根拠づける。事業の立ち上げの席でも空気が討論的になる、という観察は、アルファの会話の型が遊びの場に限らないことを示しています。
冗談と笑い
ユーモアの質の違いを、Reininは診断の道具になるほどだと書いています。
各クアドラには独特のユーモアがある。彼らには独自の独特なジョークがあり、異なる場面で笑う。ガンマクアドラのユーモアは、アルファクアドラの人々には粗野、卑猥、下品に思える。一方、アルファクアドラのユーモアは、ガンマクアドラの構成員にはあまりに無味、抽象的に思えるかもしれない。これもまた効果的な診断ツールとなりうる。
アルファの笑いは、外(対角のガンマ)から見ると無味で抽象的に見える—言い換えると、状況の生々しさより、言葉と発想のずらしで笑う側だ、という対比です。笑う場面が一致すること自体がクアドラの一致の証拠になる、という使い方まで書かれています。
同席の効果
アルファに限らずクアドラ一般の話ですが、同じクアドラで集まること自体の効果を測った実地調査をReininが報告しています。
同じクアドラの人々を一つの部屋に共に置くほうが理にかなっている。クアドラは追加のエネルギーを生成し、構成員を支援するであろう。(中略)我々はロシア・セストロレツクのリハビリテーションセンターで現地調査を実施した。(中略)実験中に患者がクアドラに従って病棟に配置されたとき、彼らはより速く回復し、客観的により良好な健康状態で1ヶ月未満で病院を去る準備が整った。残念ながら、我々は実験の有益な効果が明白であったにもかかわらず、ロシアの他のいかなる病院にもこの実験を拡張することはできなかった。
追試が広がらなかったことまで本人が書いている1件の実地報告ですが、病棟をクアドラ別に分けたら回復が速かった、という記録です。
場面のアルファの中核は、議論そのものが娯楽で、否定的感情の最小化がその条件に置かれるという組み合わせです。発言が重なる騒がしさは民主側に共通する観測で、そこにアルファの価値の順位—口論とスキャンダルを許さないこと(Gulenko)と、話を打ち切られることへの強い反発(Stratiyevskaya)—が重なります。同じ討論的な空気は学びと事業の席にも持ち込まれます。笑いは抽象寄りで、外のクアドラからは無味に見えることがあります。
13アルファクアドラの4タイプ
同じアルファの中でも、タイプで役割が分かれ、ペアで気質が割れ、場面でふるまいが変わります。「アルファだから全員こう」とは読めない、その材料を研究者の記述からそろえます。
役割は固定ではない
クアドラ内の役割分担について、Aushra自身が問いを立てています。
クアドラで誰がアクセプト(受容)またはプロダクティヴ(創造)の役割を演じるかを規定できるか?私見では、交代でである。だとすれば、クアドラは新しい質—役割の交代をもたらす!(中略)クアドラでの活動は、特別な力の高まり、創造的自己開示、独特の幸福感(エウフォリア)を伴う。(中略)しかし、本当の社会進歩は1つのクアドラでは生まれない。そのためにはソシオンが必要であり、それについては本論文の第III部で語る。
受け取る側と作り出す側の役は固定でなく交代する、というのがAushraの答えです。役割の交代そのものがクアドラの新しい質だ、とまで書かれています。一方で、タイプごとの持ち場をはっきり割り当てる研究者もいます。
クアドラ〔α〕における実現者は(ESFJ、ESE)であり、クアドラに生まれたアイデアを広め、宣伝し、導入する。
アルファの中で外へ広める役はESE、というBukalovの割り当てです。ILEが着想を出し(第5章の「行動プログラムはILEが設定」)、ESEが広める—同じアルファでも、章の前半で見た「探求の側」と「明るさの側」が、役割の言葉でも分かれています。
ペアで気質が割れる
Aushraの特性論には、クアドラを丸ごとではなくダイアード(双対ペア)単位で分ける特性もあります。
第XI特性が現れるのは、社会進歩の各環〔原文:社会進歩(СП)の各環〕を半分に分け、ジアード アルファI と デルタI、およびベータII と ガンマII が一方のグループに、残りすべてがもう一方のグループに入るときである。第1グループのジアードでは、自分と他者を仕事と隣人愛で評価する。第2グループでは—気分と距離で。
模範的な労働者であろうとする傾向と、勤勉と親切のみが人を飾るという確信から、第1グループを労働者、お人好しと呼ぶことができ、身体的衝突を避ける傾向から—譲歩的、防御において受動的と呼べる。第2グループ—任意の状況で適切な距離と適切な気分でいようとする者—は芸術家と呼びたい。しかし譲歩を要求する者がより強いことが証明される前に譲歩する傾向の不在から、頑固と呼ぶ方がよい。最良の防御は攻撃であるという原則を実際に実現するのは、これらの人々のみである。
アルファIはILE–SEIのペア、アルファIIはESE–LIIのペアです。前者は「労働者・お人好し・譲歩的」の側、後者は「芸術家・頑固」の側に入ります。同じアルファの中で、押されたときに引くペアと引かないペアがある—クアドラの一枚岩の像を、Aushra自身がペア単位で割っている記述です。
場でふるまいが変わる
最後に、この章全体の理論的な土台になる一節です。
具体的状況における人間の行動は、その個人的特性と情報代謝タイプ、考察対象の状況の特殊性のみならず、その瞬間に彼が属している微小集団のタイプ間特性によっても、大きく左右される。(中略)集団における関係の変化は、人格の特定の性質の発現に本質的な影響を及ぼす。(中略)本論はタイプ間関係の理論 [1, 2, 3] の立場からの小社会集団の類型論の構築に充てられる。
行動を決める変数は、個人的特性・タイプ・状況・その場の集団の4つで、クアドラはこのうち1つに関わるだけです。同じ人でも、アルファの集まりの中とベータの職場の中では別のふるまいが出ます。
4タイプは4つの気質に1人ずつ散る
Gulenkoは、エネルギー交換の強度で16タイプを4つの気質に分けます。
ソシオニクス気質は、社会タイプ(または機能)の環境とのエネルギー交換の強度レベルを特徴づける。基本的なソシオニクス気質は4つある。(中略)線形‐主張型ソシオニクス気質 ― 4つの合理的外向(中略)ソシオン内のすべてのタイプの中で最高のエネルギーを特徴とし、そのエネルギーは線形的方法で適用される。(中略)柔軟‐適応型ソシオニクス気質 ― すべての非合理的外向(中略)エネルギーと、その適用方向を素早く変更する能力との結合を特徴とする。(中略)均衡‐安定型ソシオニクス気質 ― すべての合理的内向(中略)エネルギーが最も少ないタイプだが、堅実かつ確実に働く。(中略)受容‐適応型ソシオニクス気質 ― すべての非合理的内向(中略)最小限のエネルギー消費で存在の周囲条件に適応する能力を特徴とする。
アルファの4タイプは、この4つに1人ずつ入ります。ESE(線形‐主張)、ILE(柔軟‐適応)、LII(均衡‐安定)、SEI(受容‐適応)です。同じ価値を共有していても、エネルギーの出し方と保ち方はこれだけ分かれます。「アルファっぽさ」を1つの活動量で測ろうとすると、外れます。
2つの領域に2人ずつ寄る
もう1つの分け方は、力を出せる領域です。こちらは4タイプが4つに散らず、2つに寄ります。
活動タイプのマインドセットは、問題を解決する最も自然な方法であり、また当該社会タイプの代表者がその潜在力を最も完全に実装できる領域である。(中略)技術‐管理型マインドセット(中略)感覚論理および論理感覚タイプを結び、彼らは公式管理構造または技術的・物質的生産の領域で働くとき、最大の価値をもたらす。(中略)社会‐コミュニケーション型マインドセット(中略)感覚倫理および倫理感覚タイプを含み、彼らは流通領域および社会的コミュニケーションにおいて最も効果的である。(中略)人道‐職人型マインドセット(中略)直観倫理および倫理直観タイプを含み、人間文化の超越的側面、すなわち精神性、イデオロギー、宗教、文学と芸術、人文学、教育、人格発達、心理的援助に取り組むことを召命とする。(中略)科学‐研究型マインドセット(中略)直観論理および論理直観タイプを含み、その使命は客観的、再現可能な方法による周辺世界の理論的および実験的研究にある。
アルファが入るのは社会‐コミュニケーション型(SEI・ESE)と科学‐研究型(ILE・LII)です。この2領域に厚みがあり、残り2領域はアルファの中に担い手がいません。ここからは当サイトの思索ですが、この寄り方は民主側の2クアドラ(アルファとガンマ)で共通していて、民主/貴族の分割線と重なります。同じ4人でも、測る軸を変えると散りもし寄りもします。
つまり、アルファの中で誰が何をするかは固定ではありません。受け取る役と作る役は交代し(Aushra)、広める役はESEに寄り(Bukalov)、押されたときの反応はILE–SEIとESE–LIIのペアで割れ(Aushraの第XI特性)、そもそも行動は場の変数で変わります(Reinin)。この記事のアルファ像は4人の平均像であって、1人ずつの予言ではない。これがこの章の中核です。
14他のクアドラから見たアルファ
アルファの輪郭は、他の3クアドラとの対比で締まります。構造上の前提は第2章で見たとおりです—隣接するベータ・デルタとは価値4要素のうち2つを共有し、対角のガンマとは1つも共有しません。この章では、その対比を研究者の記述で解説します。
対角のガンマ
Stratiyevskayaは、直交(対角)クアドラの関係を最初に一般則として置きます。
第1クアドラ(アルファ)と第3クアドラ、また第2クアドラと第4クアドラのアスペクトは、外内向性によって互いに対立している。これらのクアドラは直交している。直交するクアドラの代表者間の関係—最も緊張し、先鋭化した関係である。まさにここで、相互理解が最も少ない。(中略)隣り合うクアドラ間の相互関係は、比較的良好である。それゆえ、相互に衝突する直交するクアドラにとって、それらは一種の「仲介者」「翻訳者」となる。
対角どうしがもっとも張り、隣接がその間の翻訳者になる、という配置です。対立の中身は価値の反転として説明されます。
直交するクアドラの一つで支配的なアスペクトは、もう一つでは排除された、従属的なアスペクトとなる。これによって、相互直交する(相互対立する、相互衝突する)クアドラの代表者の見方の体系と価値の体系の原則的な対立性もまた説明される。一方のクアドラで賞賛を呼び起こし、模倣の例となるものは、もう一方の、それに対し直交するクアドラでは、非難と嫌悪を呼び起こす。
アルファで賞賛されるものがガンマで非難を呼び、逆も同じ—価値の表が正反対だから、評価も反転する、という機構です。ただしStratiyevskayaは、アルファとガンマを単純な敵どうしとは書きません。
第一・第三クアドラ(ガンマ)間の矛盾は、まさに、本質的に類似した観念が本質的に対立する側面で表現され、原理的に互いを排除する方法によって実装されることに存している。だからこそ「衝突」クアドラの代表者は互いに「異なる言語で」話しているかのようであり、同じ概念に完全に対立する意味を与えるのである(中略)第三クアドラにとって強い感情—それは良い関係の結果なのである(関係が一次、感情は二次)。一方、第一クアドラでは逆である:良い関係—それは強い感情の結果である(感情が一次、関係は二次)。
アルファとガンマは、公正や自由といった似た観念を掲げながら、対立する側面で表現し、排除し合う方法で実装する—「異なる言語」の比喩はここから来ています。末尾の対比は具体的です。アルファでは感情が一次で、良い関係は強い感情の結果。ガンマでは関係が一次で、強い感情は良い関係の結果。同じ「仲の良さ」を、逆の順序で組み立てています。キエフ学派も同じ対立を確認した上で、分業として整理します。
直交クアドラ(1–3、2–4)は、異なる価値体系を持っており、それゆえ対立する関係、抵抗、理解の欠如を持つ。(中略)- 観念の生成、提案・プロジェクトの作成 — 第1クアドラ(アルファ); - プロジェクトの実現、結果の導入と同化、知識システムとしての観念の固定 — 第2クアドラ; - 観念の批判的再考、欠陥の暴露 — 第3クアドラ; - 欠陥の除去と完成への到達、完成品・技術の大量実現 — 第4クアドラ。(中略)ある特定の問題に「特化した」四つのクアドラの一つが、観念の発展のそれ自身のアスペクトに責任を持つ。
アルファが生成した観念を、ガンマが批判的に再考して欠陥を暴く—対立は、観念の発展の分業でもある、という位置づけです。
隣接のベータ
ベータとの共有部分を、Stratiyevskayaは括弧書きで短く記しています。
(「黒」の倫理と「白」の論理は第一クアドラ(アルファ)でも支配しており、この「共通性」は第一クアドラと第二クアドラの代表者を本質的に近づける。)
Fe(外向倫理)とTi(内向論理)の共有が、アルファとベータを本質的に近づける—感情の熱と理屈の議論は、2つのクアドラの共通言語です。分かれ目のほうは、Aushraが1文で書いています。
悲劇主義と感情的高所恐怖症への傾性が、ベータとガンマのクアドラに固有である、また — 最も真面目なものをファルスとコメディに転じる傾性 — アルファとデルタのクアドラに。
悲劇に向かうのがベータとガンマ、最も真面目なものを笑劇とコメディに転じるのがアルファとデルタ。この分割線はFe(外向倫理)の共有とは別のところに引かれていて、Fe(外向倫理)とTi(内向論理)を共有するアルファとベータが、ここでは反対側に置かれます。
隣接のデルタ
デルタとはNe(外向直観)とSi(内向感覚)を共有します。それでも摩擦が起きる理由を、Karpenkoが次元の言葉で説明します。
第4クアドラ(デルタ)による第1クアドラのアイデアの拒絶は、もしかすると論証体系の違いから生まれるのかもしれない。(中略)2つの論理的論証体系の衝突が起きているのであり、ソシオニクスの観点からは向性〔原文:(вертность)〕—色—を異にする体系の、実践においては推論の組み立て方を異にする体系の衝突である。(中略)αクアドラにとって構造論理(□〔Ti〕)は四次元、δクアドラにとっては一次元である。しかしビジネス論理(■〔Te〕)については逆の関係が成り立つ。
アルファはTi(内向論理)の体系で論証し、デルタはTe(外向論理)の実務で論証する。話題(新しいアイデア・快適さ)は共有しているのに、根拠の出し方が衝突する、という診断です。一方で、アルファとデルタが同じ側に立つ特性もあります。
各クアドラには、教養、礼儀、ふさわしいこと・ふさわしくないことの異なる理解がある。(中略)この特性対が現れるのは、ソシオンを2部に分け、第1グループに アルファとデルタ、第2に ベータとガンマが入る場合。
礼儀とふさわしさの理解では、アルファはデルタと同じ側です。第3章で見た賢明側の分割と同じ線で、快と可能性の話を公然とできる者どうしの近さがここにも現れます。
クアドラを移るとき
クアドラ間の差異そのものを主題にした文章としては、AushraのReinin宛書簡が残っています。
- 1984.XII.3 — クアドラ間差異論(中略)>「クアドラからクアドラへ移行するとき、2半拍は同じまま、2半拍は変わる」(中略)自我(同時に超イド)に出てくる半拍:「率直かつ十分に鋭く話し、咎める『俺は言ったろ』、誰も傷つかない、自我が解明し、超イドが従順だから」。だが「双対や同一者には許される鋭さは、活性化や鏡像には少し場違い」
隣のクアドラへ移ると2つの半拍が入れ替わる。隣接クアドラと価値を2つ共有することを、Aushraは拍の言葉で書いています。後半は距離の話で、同じクアドラの中でさえ、双対や同一の相手には許される鋭い物言いが、活性化や鏡像の相手には少し場違いになる、という注意まで含まれています。
エネルギーを出す側と吸う側
Gulenkoは4クアドラを、社会に対するエネルギーの向きで2つに分けます。昇(アルファ・ベータ)と降(ガンマ・デルタ)です。
昇社会タイプは社会発展の軌道を上方に動かす。彼らは長期的コミュニケーションにおいて集団主義原理を担うので、社会的・心理的エネルギーのドナー(donors)である。(中略)昇クアドラにおける発展過程の加速のもう1つの説明は、彼らの優先事項の中に、人の感情エネルギーの目的的使用に責任を持つ情報アスペクトEとLがあることである。
昇の側は、感情の共有と論理の計画という2要素を優先することで社会へエネルギーを出す、という説明です。反対側の説明も対になっています。
降社会タイプは、それを社会にもたらすよりも、周囲の社会からエネルギーを吸収する。それゆえ、彼らは社会的・心理的エネルギーの受容者とみなしうる。(中略)降社会タイプは本性上、集団主義者というよりも個人主義者であり、それゆえ集団全体の潜在力を増加させるために力を結束する欲望を持たない。(中略)降クアドラは共通の優先事項PとRを持っており、それら自体は動機ではない。事業論理Pは、以前に蓄積されたエネルギーによる動きであり、関係の倫理Rは、確立された関係体系への愛着を象徴する。
アルファは昇の側です。集団主義の原理を担い、社会へエネルギーを出す側に置かれます。ただしGulenkoは、アルファの出力を持続ではなく周期的なインパルスとして書きます(第9章)。アルファから見ると、隣接のベータも同じ昇で、ガンマとデルタは同じ降でひとくくりになります。
次元の差が非難になる
隣り合うクアドラの摩擦は、価値の違いだけでなく、同じ要素をどれだけ広く扱えるかの差からも説明されています。
Г. В. チキリソヴァが正しく指摘したように、ある情報アスペクトの次元数が3であるクアドラが、同じアスペクトの次元数が4であるクアドラに文句をつけることはかなり多い。たとえば、クアドラαのアイデア(▲(Ne))を空想的で、非現実的で、根拠がないと非難するのは、まさにクアドラδの代表者である。クアドラβの観点からは、クアドラαの論理的構築物は「十分に論理的でない」(□(Ti))し、クアドラγはどうも意志感覚(●(Se))を過剰に発揮している。
この例でアルファは、デルタから「空想的だ」と、ベータから「十分に論理的でない」と言われる側に置かれています。どちらもアルファが四次元で扱う要素を、相手が三次元で扱っているために起きる評価です。批判の言葉は相手の欠点を指しているようで、実際は自分の側の次元が足りない領域を指しています。
外から見たアルファの輪郭は3本の線でできています。ガンマとは価値が全て入れ替わり、似た理念を逆の言語で実装するもっとも張った関係。ベータとはFe(外向倫理)とTi(内向論理)を共有しますが、悲劇へ向かう側(ベータ・ガンマ)と真面目なものを笑劇へ転じる側(アルファ・デルタ)の分割では反対側に置かれます。デルタとはNe(外向直観)とSi(内向感覚)の話題と礼儀の側を共有しつつ、Tiの体系かTeの実務かで論証がぶつかります。どのクアドラと何を共有するかは価値の集合から確定し、その共有がどこで摩擦に変わるかは研究者ごとの観察である。
15社会とアルファクアドラ
クアドラ交替論(社会がアルファ→ベータ→ガンマ→デルタの順に段階を移るという学説)の中で、アルファが受け持つとされる区間を解説します。定式と受容と留保は共通記事にあります。
アルファが受け持つ区間
Bukalovは、社会と国家の発達のフェーズをクアドラに対応づけ、歴史学の理論とも突き合わせます。
社会・国家の発達におけるフェーズα・β・γ・δは、クアドラ交代によって特徴づけられる。L. S. グミリョフの理論における民族集団進化の枠内では、また4つの段階が抽出され(中略)これに対応して、民族集団形成のフェーズはフェーズαと一致し、国家性確立と官僚機構の硬化フェーズはフェーズβと、旧構造解体フェーズはフェーズγと、民族集団衰退フェーズはフェーズδと一致する。
アルファの区間は、民族集団(エスノス)がまだ形になっていく最初のフェーズに当てられています。歴史への適用では、研究者どうしの相互参照も残っています。
原始共産制をアルファ・クアドラの時代として同定したのはS. V. Savchenkoである。第二クアドラ(ベータ)は、社会構造の創造者たちのクアドラである。人は青年期に学び、まさにこの時期に、いわゆる社会化の時期が来る(中略)(世界宗教の発生と国家形成の時代)をベータ・クアドラの時代として同定したのはV. V. Gulenkoである。第三クアドラは、物質的価値をめぐる闘いに携わるプラグマティストたちのクアドラである。
原始共産制=アルファの時代という同定はSavchenkoに、国家形成期=ベータという同定はGulenkoに帰属されています。後発の論者が、先行の同定を誰の仕事として引き継いだかがこの一節から見えます。
アルファからベータへの引き継ぎ
アルファの区間が終わるところを、Gulenkoはこう書きます。
第一クアドラ(アルファ)のバトンを、第二クアドラ—クアドラ「ベータ」—が受け取る。(中略)このクアドラの価値からは、その社会的役割も導かれる—新しい秩序の導入である。
アルファが作った構想を、ベータが秩序として導入する。第5章で読んだBukalovの循環(アルファの概念は実装で形を変える)と同じ引き継ぎが、リレーの言葉で書かれています。
ガンマによる再解釈
一周の後半で、アルファの理念はもう一度呼び出されます。
第三クアドラ(ガンマ)はある程度、第一クアドラの社会的傾向の直接的継承者である。なぜなら大局的に見て同じ人生価値に方向づけられているからである。しかしここではすでにこれらの価値が別の解釈を獲得し、別の意味で現れる。(これによって、本質的に相互衝突するこれらのクアドラの代表者の間に、遠い距離で生じるある種の共感も部分的に説明される。
ガンマはアルファの社会的傾向の直接的継承者で、ただし価値は別の解釈をまとって現れる—前章で見た「同じ理念、逆の言語」の時間版です。対角どうしなのに遠い距離では共感が生じる、という観察までがこの一文に入っています。
まとめると、交替論の中のアルファは、まだ形のないものが生まれて形になっていく最初の区間を受け持ちます。構想を作るところまでがアルファの仕事で、秩序化はベータに渡り、ガンマが同じ理念を別の解釈で引き継ぎ直します。アルファは循環の起点であり、アルファの理念は一周して他人の手で戻ってくる。複数の研究者が別々の言葉で書いたこの筋が、この章の中核です。
16アルファクアドラの見分け方
アルファをどう見分けるか、そしてどこで間違いやすいか。判定の手順そのものは共通記事に置き、この章はアルファに関わる判定の根拠と罠を解説します。
タイプより先に決まる、という主張
Bukalovは、クアドラ帰属がタイプ帰属より根が深いと論じます。
個人のクアドラへの帰属は、具体的な情報代謝タイプ(TIM)への帰属より早期に形成されることが導かれる。すなわち、より一般的な概念であるクアドラはまた進化的により早期のものであり、その4つのTIMによって、より遅い進化発達段階で分化する諸機能の相互作用システムを反映する一定の共通マトリクスを規定する。(中略)その答えは明らかに、個人の心の発達の最も早期の諸段階—おそらくは胚成長段階および臨床的出産段階—における心の形成史にある。
クアドラが先、タイプはその後の分化—後半の発生論は第5章で見た周産期仮説と同じ系列ですが、「タイプが決めきれなくてもクアドラは判定できることがある」という実務上の含意は、それとは別に使えます。Savchenkoも判定について同じ順序を明言し、さらに注意を1つ足しています。
- クアドラへの所属の判定は、ソシオニクスのタイプの判定なしに可能である。 2. 人格が自覚的に特定のクアドラと自分を同一視することは、そのタイプに対応すると想定される選好と一致しないことがある。
クアドラ判定はタイプ判定なしに可能。ただし、本人が「自分はアルファだ」と思うことと、実際の選好は食い違うことがある—自己申告をそのまま判定に使えない、という注意です。
「陽気」で探すと外す
アルファの判定でいちばん起きやすい誤りは、特性の名前を日常語で当てはめることです。Reinin自身がこう書いています。
他の若干のレイニン特徴と同様、この特徴の名称は非常に人を惑わせうる。多くの場合、陽気さや深刻さを通常の理解で診断しようとしている。(中略)私の見解からすれば、これは 主観主義者/客観主義者 の特徴である。すなわち、「陽気」とは記述・理論・説明に方向づけられている者である。「深刻」とは客観的世界の論理に方向づけられている者である。本件における名称が不適切であることに同意する。
「陽気」は明るい性格のことではなく、記述・理論・説明へ向かう認識の方向のことで、名称が不適切であることには命名者側が同意しています。つまり「明るいからアルファ」は判定として二重に誤りです。もう1つの特性についても、実践判定の難しさを本人が認めています。
それゆえこの特徴を実践でどう判定するかは想像が難しい。(中略)たとえ「中央」クアドラの代表者の中であっても。(中略)私にとってこれは「与える者/受け取る者」である。性的プログラムによる最も顕著な分割:パートナーに快楽を与える/プロセスから快楽を得る。
第4章で見たとおり、賢明と果敢は外見が同じで、Reinin自身が挙げる分割は性的プログラム(与える者と受け取る者)です。行動の観察だけでアルファの賢明側を判定するのは難しい、という限界の自認です。
判定の一般則
ここでは、アルファの判定で前提になる分を再掲します。
クアドラへの所属は、思考の全体的な方向、人生の価値、選好を規定する。
クアドラが決めるのは思考の方向・人生の価値・選好までで、行動の細部までではない—判定に使える手がかりの射程を示す1行です。
この章で読んだ範囲でアルファの手がかりになるのは、話題の型(可能性と快不快を公然と議論する側。Aushra)と、笑いの型(抽象寄りで、ガンマからは無味に見える。Reinin)です。発言が重なる議論の型は民主側の観測なので、それだけではアルファとガンマを分けられません。クアドラのほうが先だという主張はBukalovとSavchenkoにありますが、Bukalovが言うのは形成の時期の早さ、Savchenkoが言うのはタイプ判定を経ずに判定できることで、同じ主張ではありません。ただし「明るい人=アルファ」という名称の通俗理解と、本人の自己同一視は、どちらもそのままでは判定に使えません—ここが要点です。
17注釈
この記事の記述がどの水準の知見なのかを、短く仕分けします。定義から確定する構造(第2章の価値・ペア・関係の制約)、少数の実験(Reininの小集団実験と病棟調査、Bukalovの統計)、そして大半を占める観察と学説です。使い方の注意も、研究者自身の言葉で残っています。
クアドラで人を遠ざけない
タイプ間の相性に関する思想を普及する過程で、ある現象が現れた。それは「類型論的ショーヴィニズム」のようなものとして記述しうる。(中略)「間違ったタイプ」や「他のクアドラ」に属するように思える人々を遠ざける必要がない(中略)各人は何らかの情報を発信しており、通常それは、まさにあなたがその人と交流するその瞬間にあなたが必要としている情報なのである。受け取り方を学ぶ必要がある。
クアドラ論の普及そのものが「他のクアドラの人を遠ざける」誤用を生んだ、という当事者の警告です。アルファの心地よさの記述は、ガンマやベータを避ける理由には設計されていません。
どこまで確かめられているか
ソシオニクスにおける集団の相互作用は、理論的にも実践的にも、対応する研究を実施する複雑さのために、今のところ完全に不十分にしか研究されていないことを指摘すべきである。「しかし、いくつかの観察は既にある」(A.アウグスティナヴィチューテ [69])。たとえば、70年代に、A.アウグスティナヴィチューテ と彼女の集団、N.メドヴェージェフ、V.リャシキャヴィチュス らによって興味深い結果が得られた。80年代にはいわゆる「ヴィルニュス・ソシオニクス学派」[^125] によってさまざまな集団が積極的に研究された。1987-88年にこのコレクティブが実施した大規模な実験サイクルの主な結果は、シェフテル F.Ya. および コブリンスカヤ L.M. の論文[77]に公表されている。
集団の相互作用の研究は不十分で、あるのは観察の蓄積—システム論の立場から書くYermakの評価です。70〜80年代の実験史(ヴィリニュスの集団研究)への言及は、この分野の実証がどこにあるかの道しるべにもなっています。
同じ関係でもペアごとに違う
厳密に言えば、それぞれの具体的なペアについて、それぞれの種類の関係を個別に検討すべきであろう—それぞれの場合において、単にその心理タイプ自体の特性に関わる、独自の特徴が現れうるからである。これは、とりわけ同一の関係についても当てはまる。例えば、SEI、仲介者、SEI〔原文:デュマ〕は、それぞれが対立を和らげようとする者たちであり、同一の関係においても難なく共存するだろう。しかし例えば、SLE、SLE〔原文:ジューコフ〕、リアリストたちは、非常に権威主義的な人間であるため、首位を争って戦い始めるだろう。その鮮やかな例を、私たちはまさにスカーレットとレット・バトラーの関係の中に見出す。彼らは絶えず言い争い、互いに生意気な態度を取り、決して譲ろうとしない。
同じ「同一関係」でも、SEIどうしなら穏やかに共存し、SLEどうしなら争いになる—関係のラベルはタイプの中身を素通しにしない、という方法上の注意です。クアドラのラベルにも同じことが言えます。アルファという枠は4タイプの個性を消しません(第13章で見たとおりです)。
この記事で確定と呼べるのは、定義から導かれる構造だけです。実験はReininの小集団実験・病棟調査とBukalovの統計など少数で、残りの大半は熟練した観察者の記述と学説です。だからこの記事の正しい使い方は、アルファの記述を人の選別に使わず、場面の理解と自己理解の道具にとどめることです。この線は研究者自身(Reinin・Yermak・Filatova)が引いています。
18アルファクアドラの人物像
第1章の答えを、本文で読んだ研究者の言葉で書き直します。5つの軸で並べます。軸の立て方は当サイトの整理で、各文の根拠は括弧内の章にあります。
集まりの雰囲気と会話の調子。 アルファの集まりの中心は会話です。思いついたことをすぐ口に出してよく、発言は重なり、話題は脱線し、儀礼は薄い(Reininの実験観察。ただしこれはアルファとガンマを含む民主側についての観測です)。その騒がしさと並んで、口論とスキャンダル、感情的な不安定を許さないことが価値の先頭にあります(Gulenkoの機関誌論文)。議論そのものが娯楽で、切迫した問題ほど熱を帯びます。ただし話を打ち切られることは別で、発言を遮られ議論を中断されると激しく苛立ちます(Stratiyevskaya)。笑いは言葉と発想のずらしに寄り、外のクアドラからは抽象的で無味に見えることがあります(Reinin)。最も真面目な話題さえ、笑劇とコメディに転じる側です(Aushra)。
大事にすること。 面白い着想(Ne)、筋の通った説明(Ti)、心地よい環境(Si)、明るく共有される感情(Fe)の4つが同時に効きます。「面白い」はアルファでもっともよく使われる言葉のひとつで、その面白さは実用と切り離されています(Karpenko)。公正・真理の探求・論理的調和が探求の側の価値で(Stratiyevskaya)、知識は好奇心に基づき、教義にも商品にもなりません(Gulenko)。快適さは義務ではなく、自分と近しい輪の楽しみのためにあります(Karpenko)。言論と自己表現の自由が第一義で、抑圧はまず「話させてもらえないこと」として体験されます(Stratiyevskaya)。
物事の決め方。 全員で議論して、筋が通って面白い案を選ぶのが基本形です。誰が言ったかは効かず、肩書と行政上の慣例の外で人と接触したがります(Bukalov)。築いた体系すら、より良い体系のためならあっさり捨てます(Karpenko)。動かしがたい真理という前提を認めず、古くなった枠組みの組み替えまでが仕事の内です(Stratiyevskaya)。決めた後の実装は苦手の側で、構想は本人たちの手を離れてから、他のクアドラの手で形を変えながら実現されます(Bukalov)。
苦手なこと、負担になること。 時間の管理—遅刻し、予定からこぼれ、あわてる(Karpenko)。時間的制限と道徳的制限を課されること(Stratiyevskaya)。力での押し合いと、意志的圧力の持久戦(Stratiyevskaya・Karpenko)。採算計算と実務の空間(Karpenko)。関係を白黒つける場面(Karpenko)。そして発言を遮られること—これはアルファにとって単なる不快ではなく、人格の抑圧として体験されます(Stratiyevskaya)。
どんな人たちか—まとめ。 制限のない議論と着想を楽しみ、場の明るさと快適さを保ち、実装と実利は循環の後続に渡す、民主的な発生期のクアドラ。社会の中では、まだ形のないものが形になる最初の区間を受け持ち、可能性を見つけて点火し、ベータに秩序化を渡し、ガンマに理念を再解釈されて戻ってきます(Aushra・Bukalov・Gulenko・Stratiyevskaya)。4人は同じ価値を別の位置で担い、役割は交代し、ペアで気質が割れ、場面でふるまいが変わるので、この像は4タイプの平均像であって1人ずつの予言ではありません。それでも、話すことが自由で、面白さが通貨で、心地よさが土台。この3点は、主要な記述系列を横断して最後まで残りました。
+索引(引用文献)
- [1]アウシュラ『レイニン特性理論』(1998年)第6部 本文へ
- [2]アウシュラ『レイニン特性理論』(1998年)第6部 本文へ
- [3]アウシュラ『レイニン特性理論』(1998年)第6部 本文へ
- [4]アウシュラ/Reinin「アウシュラとReininの書簡断片(第2部)」(原題:Фрагменты переписки)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №213、pp. 39–48(2007年) 出典リンク 本文へ
- [5]アウシュラ/Reinin「アウシュラとReininの書簡断片(第2部)」(原題:Фрагменты переписки)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №213、pp. 39–48(2007年) 出典リンク 本文へ
- [6]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)小集団の形態論 本文へ
- [7]Reinin(聞き手: Vladimir Mironov)「二分法的特徴の理論の創造について」(原題:О создании теории дихотомических признаков)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №209、pp. 67–69(2006年) インタビュー 出典リンク 本文へ
- [8]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)ソシオンの空間モデル 本文へ
- [9]Reinin(聞き手: Vladimir Mironov)「二分法的特徴の理論の創造について」(原題:О создании теории дихотомических признаков)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №209、pp. 67–69(2006年) インタビュー 出典リンク 本文へ
- [10]Reinin(聞き手: Vladimir Mironov)「二分法的特徴の理論の創造について」(原題:О создании теории дихотомических признаков)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №209、pp. 67–69(2006年) インタビュー 出典リンク 本文へ
- [11]Bukalov「4つの進化段階とクアドラ交替の法則について」(原題:О четырех эволюционных стадиях развития и законе сменяемости квадр)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №165(1995年) 本文へ
- [12]Bukalov「情報代謝機能の形成メカニズムについて—個体誕生過程における機能形成」(原題:О механизме формирования функций информационного метаболизма в процессе рождения индивидуума)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №168、pp. 19–34(1996年) 本文へ
- [13]Bukalov「インタータイプ関係の記述」(原題:Описания интертипных отношений)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №126、pp. 19–30(2012年) 出典リンク 本文へ
- [14]Bukalov「インタータイプ関係の記述」(原題:Описания интертипных отношений)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №126、pp. 19–30(2012年) 出典リンク 本文へ
- [15]Bukalov「情報代謝機能の形成メカニズムについて—個体誕生過程における機能形成」(原題:О механизме формирования функций информационного метаболизма в процессе рождения индивидуума)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №168、pp. 19–34(1996年) 出典リンク 本文へ
- [16]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [17]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [18]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [19]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [20]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [21]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [22]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [23]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [24]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [25]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [26]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [27]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [28]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第2部第3章第1節 本文へ
- [29]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第2部第3章第1節 本文へ
- [30]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第2部第3章第1節 本文へ
- [31]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第2部第3章第1節 本文へ
- [32]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第2部第3章第1節 本文へ
- [33]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [34]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [35]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [36]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [37]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [38]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [39]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [40]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [41]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [42]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [43]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [44]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
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- [46]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [47]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [48]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [49]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [50]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [51]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [52]Sergei Savchenko「記号ソシオニクスはクアドラの発生をどう説明するか」(原題:Как символьная соционика объясняет возникновение квадр)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №177、pp. 72–75(1997年) 本文へ
- [53]Sergei Savchenko「クアドラ。クアドラのイデオロギー。クアドラの時代」(原題:Квадры. Идеология квадр. Время квадр)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №106、pp. 28–35(2000年) 本文へ
- [54]Sergei Savchenko「クアドラ。クアドラのイデオロギー。クアドラの時代」(原題:Квадры. Идеология квадр. Время квадр)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №106、pp. 28–35(2000年) 本文へ
- [55]Valentina Meged「クアドラのエロス的プログラム」(原題:Эротические программы квадр)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №134、pp. 56–58(2001年) 本文へ
- [56]Paul Tsypin「機能の符号とクアドラ的世界観」(原題:Знаки функций и квадровое мировоззрение)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №205、pp. 14–17(2006年) 本文へ
- [57]Alexander Devyatkin「クアドラ価値観とクアドラ内の統合関係」(原題:Квадральные ценности и интегрирующее отношение в квадре)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №210、pp. 27–32(2007年) 本文へ
- [58]Gulenko「クアドラとその社会心理学的特徴」(原題:Квадры и их социально-психологические особенности)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №165(1995年) 本文へ
- [59]Oksana Dotsenko「第1クアドラと第4クアドラの論理型による学習と知識伝達の特徴」(原題:Особенности обучения и передачи знаний логиками 1 квадры и логиками 4 квадры)『対人関係の心理学とソシオニクス』誌(2017年) 本文へ
- [60]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)小集団の形態論 本文へ
- [61]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)小集団の形態論 本文へ
- [62]アウシュラ『レイニン特性理論』(1998年)第4部 本文へ
- [63]Bukalov「クアドラとソシオンにおけるタイプの機能的役割」(原題:Функциональные роли типов в квадре и соционе)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №182、pp. 22–24(1996年) 本文へ
- [64]アウシュラ『レイニン特性理論』(1998年)第5部 本文へ
- [65]Reinin「小集団の類型論」(原題:Типология малых групп)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №170、pp. 21–24(1996年) 出典リンク 本文へ
- [66]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [67]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [68]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [69]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [70]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [71]Bukalov/Karpenko/Chikirisova『ソシオニクス: 心的構造と対人関係予測の効果的理論』(原題:Socionics: the effective theory of the mental structure and the interpersonal relations forecasting、刊年不詳) 本文へ
- [72]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [73]アウシュラ『ソシオニクス: 心理タイプ・テスト』(1998年) LSIの章 本文へ
- [74]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 本文へ
- [75]アウシュラ『レイニン特性理論』(1998年)第6部 本文へ
- [76]アウシュラ/Reinin「アウシュラとReininの書簡断片(第2部)」(原題:Фрагменты переписки)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №213、pp. 39–48(2007年) 出典リンク 本文へ
- [77]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [78]Gulenko『64の肖像』(2019年)クアドラ論 本文へ
- [79]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [80]Bukalov「情報代謝機能の形成メカニズムについて—個体誕生過程における機能形成(第2部)」(原題:О механизме формирования функций информационного метаболизма в процессе рождения индивидуума (2))『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1996年) 本文へ
- [81]Vyacheslav Afonin「ソシオニクスの社会哲学的構想をめぐって。長期・中期・短期の歴史的展望におけるクアドラの交代」(原題:К вопросу о социально-философской концепции соционики)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №159、pp. 36–44(2009年) 本文へ
- [82]Gulenko「クアドラとその社会心理学的特徴」(原題:Квадры и их социально-психологические особенности)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №165(1995年) 本文へ
- [83]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 本文へ
- [84]Bukalov「情報代謝機能の形成メカニズムについて—個体誕生過程における機能形成」(原題:О механизме формирования функций информационного метаболизма в процессе рождения индивидуума)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №168、pp. 19–34(1996年) 出典リンク 本文へ
- [85]Sergei Savchenko「クアドラの進化と交代」(原題:Эволюция и сменяемость квадр)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №107、pp. 37–40(2000年) 本文へ
- [86]Reinin「レイニン特徴をめぐる議論への若干の覚書」(原題:Некоторые заметки к дискуссии о признаках Рейнина)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2003年) 本文へ
- [87]Reinin「レイニン特徴をめぐる議論への若干の覚書」(原題:Некоторые заметки к дискуссии о признаках Рейнина)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2003年) 本文へ
- [88]Yuliya Grom「関係の一種・世界認識の方法としての対立—ベータクアドラとデルタクアドラの関係を例に」(原題:Конфликт как вид отношений и способ познания мира)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №156、pp. 7–17(2009年) 本文へ
- [89]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)ソシオンの空間モデル 本文へ
- [90]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей、2005年)第8章 本文へ
- [91]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第2部第3章第2節 本文へ
