ESI超詳細解説
ESI(ISFP)というタイプを、ソシオニクスの研究者がどう観測し記述したかを、原典の引用で比べる論考です。このページは研究文献からの引用を資料として示し、その比較と分析で構成します。対象は、創始者のアウシュラ・アウグスティナヴィチューテ(Aushra Augustinaviciute)と、後に続く研究者です。後続の研究者は、Reinin、Bukalov、Stratiyevskaya、Filatova、Yermak、Karpenko、Gulenkoです。
先に結論を知りたい方は、14章「研究者間の差分を総括する」をご確認ください。
01ESIは一般にどう言われているか
ESI(ISFP)は、一般に、人との関係に自分なりの一貫した基準を持つ人として紹介されます。主導機能はFi(内向倫理)で、相手が信頼できるかどうかを自分の基準で測るとされます。創造機能のSe(外向感覚)は、その基準を守るために必要な場面で行動に出る、と説明されます。
また、誰とでもすぐ打ち解けるのではなく、時間をかけて相手を見てから距離を決める、と言われます。作家の名から「ドライザー」と呼ばれることもあります。
よく挙げられる場面はこうです。例えば、初対面の場では口数が少なく、相手の言動を見てから話す、と言われます。一度信頼を裏切られた相手とは、謝られても距離を戻さない、とも紹介されます。一方、身内と決めた相手には手を尽くし、必要なら自分の負担を引き受ける、と書かれます。
ですが、この人とどう付き合うかはその場で決まるのに、なぜそう決めたのかを筋道立てて示すとなると、言葉が出てこない、とも説明されます。そのため、厳しい人と見られる場面でも、本人の側には、理屈を組み立てて説明する負担と、先がどう転ぶか見通せない不安が残るとされます。
この像は、あとで見る研究者の記述から切り出されて広まったものです。関係に一貫した基準を持つ・基準を守るために行動する・理屈での説明と先行きの見積もりに負担がある、という要素は、研究者の記述にもおおむね出てきます。
ただ、研究者ごとに力点が違い、この一貫性を守る側の資質として書くか、相手を測り続ける負担として書くかは、研究者によって異なります。24章では、この一般像のどこが残り、どこが言い直されるかに戻ります。
読この記事の読み方
想定読者は、ESIプロファイルなどの基礎ページを読み終えて、出典まで確かめたい人です。各章で研究者の記述を引用で示し、そのすぐ下に当サイトの読み方(何が共通し、どこが違うか)を書きます。
流れは、01章が一般に言われている像、02〜04章が前提(系譜、モデルA、情報要素)、05〜13章が研究者別の記述(このページの中心)、14章が横断比較、15〜23章が各論、24章が当サイトのまとめです。引用には初出順の番号が付き、押すと巻末の索引へ飛び、索引から本文へ戻れます。引用の扱い方(逐語性、訳出、編集操作)は末尾の「この記事の方法論」にあります。
ページ冒頭の「コピーしてAIで要約!」を押すと、要約用の指示文とこのページの本文がクリップボードに入ります。AIに渡して、要約のほか、引用の意味を聞く、研究者ごとの違いを整理させる、といった使い方ができます。長すぎるときは、章ごとに分けて渡す方法もあります。
タイトルの「ISFP」は、MBTIで近いとされるタイプの表記です(19章)。
02系譜 ユングから情報代謝へ
ESIという記述は、3つの原典から来ています。ユング『心理学的類型』(1921年)の類型論、Kempinskiの情報代謝の概念、そしてアウシュラによる両者の接合です。
ユングの類型論(1921年)
ソシオニクスの16タイプは、スイスの精神科医カール・グスタフ・ユングの『心理学的類型』を出発点とするとされます。ユングは心の働きを4つの基本機能に分け、それぞれが外向・内向のどちらかの構えで働くと考えました。定義の章で、機能は次のように説明されます。
心理学的機能とは、さまざまな状況のもとでも理論上同一であり続ける、心的活動の特定の形式のことと私は理解している。(中略)私は全部で4つの基本機能を区別する。2つの合理的機能と、2つの非合理的機能である。
原文を表示
By psychological function I understand a certain form of psychic activity that remains theoretically the same under varying circumstances.(中略)I distinguish four basic functions in all, two rational and two irrational
合理的な2つは思考・感情、非合理的な2つは感覚・直観です。そのうえでユングは、人によって最も分化した機能が違い、それが生活への適応の主役になると書きます。
まず特に注目すべきは、私が「内向型」と「外向型」と分類した2つの基本的なタイプについてである。(中略)個人の適応や人生への方向性において、最も発達した機能が主要な役割を果たすという特異性を持つ特定のタイプ
原文を表示
my first concern must be with the two general types I have termed introverted and extraverted.(中略)those special types whose particularity is due to the fact that his most differentiated function plays the principal role in an individual's adaptation or orientation to life.
まず外向・内向という2つの一般類型があり、その内側に、最も分化した機能が主役を担う「機能類型」が置かれる、という二重の分類です。この組み合わせで8つの型が記述されました。ソシオニクスの文献では、この4機能×2構えの枠組みを「ユングの基底」と呼ぶことがあります。
ユングの内向的感情型
ソシオニクスのESIの祖形とされるのが、第10章の内向的感情の節です。ユングはまず、この感情を何が決めているかを書きます。
内向的感情は、主として主観的な要因によって決定される。これは、その感情判断が、思考の内向が外向と異なるのとまったく同じ本質的な意味で、外向的感情とは異なるということである。(中略)内向的感情の過程を知性的に提示すること、あるいはそのおおよその(中略)記述を与えることさえ、疑いなく困難である。とはいえ、この種の感情に固有の性格は、いったんそれに気づきさえすれば、そのまま際立って現れる。
原文を表示
Introverted feeling is determined principally by the subjective factor. This means that the feeling-judgment differs quite as essentially from extraverted feeling as does the introversion of thinking from extraversion.(中略)It is unquestionably difficult to give an intellectual presentation of the introverted feeling process, or even an approximate(中略)description of it, although the peculiar character of this kind of feeling simply stands out as soon as one becomes aware of it at all.
言い換えると、内向的感情の判断を決めるのは、対象ではなく本人の主観の側だということです。この決め手の置き方が、後のFi記述の起点になります。
ユングは、内向的感情と外向的感情の違いを、内向的思考と外向的思考の違いと同じ種類のものとしています。そのうえで、記述しにくさを断りつつ、それでも固有の性格は際立つと続けます。
ユングは、この感情が何のために働くのかを、別の章でもう一段はっきり書いています。
しかし内向的感情型では事情が逆になる。その感情は抽象的で普遍的な性格に達し、持続する価値を打ち立てることができる。(中略)これは内向的感情一般の特質であるように思われる。それは本物である。それがあるのは、ただそれがあるからである。それはその人のより深い本性に根ざしている。それはいわば自分自身から湧き出し、自分自身を自分の目的としている。それは他のどんな目的にも仕えず、どんなものにも身を貸さず、自分を成し遂げることで満ち足りる。
原文を表示
This appears to be a peculiarity of the introverted feeling in general : it is genuine ; it is because it just is ; it is rooted in the man's deeper nature; it wells up out of itself as it were, having itself as its own aim ; it will serve no other ends, lending itself to none, and is content to accomplish itself.
つまり、内向的感情は何かの手段として働くのではなく、それ自体が目的になっているということです。定義の節が「主観的な要因が決める」と言ったことを、ここでは目的がどこにあるかの側から言い直しています。
また、ユングは内向的感情型の節で、この構えが外からどう映るかまで、こう書いています。
表面的な判断は、いくぶん冷たく控えめな振る舞いに欺かれて、この型にはいっさい感情がないと言いかねない。しかしそうした見方はまったくの誤りである。実のところ、彼女の感情は外延的であるより内包的なのである。それは深さへと発展する。
原文を表示
A superficial judgment might well be betrayed, by a rather cold and reserved demeanour, into denying all feeling to this type. Such a view, however, would be quite false; the truth is, her feelings are intensive rather than extensive. They develop into the depth.
上の引用にある外延的は外へ広がること、内包的は内へ深まることです。言い換えると、この型の感情は表に出る量が少なくても、深さの方向に育っているということです。表に出る量が少ないことを感情の欠如と読むのは誤りだ、とユングは順序立てて否定しています。
そのため、ESIの記述に繰り返し現れる「冷たい」という語は、ユングの側では反論と一組で置かれていました。なお、ユングのこの節は1920年代の臨床観察の語彙で書かれ、原文は女性代名詞を主語としています。
ユングは、誤読がどこから来るかについても、同じ節でこう説明しています。
外の世界にとって、あるいは外向型の見えない目にとって、この同情は冷たさに見える。目に見える形では何もしないからであり、外向的な意識は目に見えない力を信じることができないからである。こうした誤解は、この型の生に特徴的に起こる出来事である
原文を表示
To the outer world, or to the blind eyes of the extravert, this sympathy looks like coldness, for it does nothing visibly, and an extraverted consciousness is unable to believe in invisible forces. Such misunderstanding is a characteristic occurrence in the life of this type
言い換えると、内向的感情型の同情は、外へ行動として出ないために、外向型の目には冷たさに見えるということです。同情が無いのではなく、外へ出る手段を持たないために外側からは見えない、という順序で説明されています。ユングはこの誤解を、個別の不運ではなく、この型の生に特徴的に起こる出来事として書きました。
ユングの外向的感覚型
ESIの2番目の機能Se(外向感覚)に対応する祖形は、同じ第10章の外向的感覚型の節にあります。ユングは、この型をこう書いています。
現実性において、外向的感覚型に並ぶことのできる他の人間類型はない。客観的事実に対する彼の感覚は並外れて発達している。彼の生は、具体的な対象との現実の経験の集積であり、この型が顕著であればあるほど、彼は自分の経験を利用しない。ある場合には、彼の生の出来事は「経験」という名にほとんど値しない。彼は、この感覚された「経験」を、新たな感覚への案内役として役立てる以上の使い道を知らない。
原文を表示
other human type can equal the extraverted sensation-type in realism. sense for objective facts is extraordinarily developed. life is an accumulation of actual experience with concrete objects, and the more pronounced he is, the less use does he make of his expert ence. In certain cases the events of his life hardly deserve the name c experience '. He knows no better use for this sensed * experience * than to make it serve as a guide to fresh sensations
言い換えると、外向的感覚型は、客観的な事実を感じ取る力が並外れて発達しているということです。経験さえも、次の感覚への案内役以上には使われません。ですが、ESIでは感覚が主導ではなく2番目に来るので、ユングの純粋型とソシオニクスの2機能構成は単純には重なりません(23章で再論します)。
ユングは、その差を、同じ節のなかで判断機能の側からこう書いています。
さらに、合理型が対象と結ぶつながりは、判断が存在するというまさにそのことによって、感覚型が対象に対してもつような無条件の関係になることは決してない
原文を表示
Moreover, the rational type's link to the object, from the very existence of a judgment, never means such an unconditioned relation as that which the sensation-type has with the object
つまり、判断の機能を持つ合理型では、判断があるというそのことによって、対象とのつながりが無条件のものにならないということです。ESIは主導が判断機能なので、この条件はESIにもそのまま及びます。対象をどれだけ強く感覚しても、それを受け入れるかどうかは別に決まる、という構えです。
判断型が非合理の機能を2番目に持つ組み合わせについて、ユングは主機能と補助機能を論じた節で、こう規則を書いています。
しかし、無意識への道、そして最も抑圧された機能への道は、意識の立場をより十分に守りながら、いわばおのずと開かれる。それは、発達の道が第二の機能を経由するとき—すなわち合理型の場合には非合理機能を経由するとき—である。
原文を表示
But the approach to the unconscious and to the most repressed function is disclosed, as it were, of itself, and with more adequate protection of the conscious standpoint, when the way of development is via the secondary function thus in the case of a rational type by way of the irrational function.
言い換えると、合理型の発達は、2番目の非合理機能を通るとき、意識の立場を保ったまま無意識へ向かうということです。ユングは補助機能の側を、そのための通り道として位置づけました。ESIは判断の要素を主導に、知覚の要素を2番目に持つので、ユングのいう合理型が非合理機能を補助に持つ組み合わせに対応すると読めます。この、判断の機能に知覚の機能を添える組が、モデルAの自我ブロックの形につながっていきます。
Kempinskiの「情報代謝」
「情報代謝(Information Metabolism)」の語は、ポーランドの精神科医Antoni Kempinski(アントニ・ケンピンスキ、1918〜1972)に由来するとされます。Kempinskiは情報の処理を2つの相に分け、第1相を環境への基本的な定位として記述しました。
他方、第1相で問題になるのは外的・内的状況への素早い定位である。この定位に、接近・逃走・闘争という基本的構え(「へ」―「から」)と、生体の力学の設定(気分)がかかっているからである。
原文を表示
W pierwszej fazie chodzi natomiast o szybkie zorientowanie się w sytuacji zewnętrznej i wewnętrznej, bo od tej orientacji zależy zasadnicza postawa - zbliżenia, ucieczki lub walki ("do" - "od") i ustalenie dynamiki ustroju (nastrój).
言い換えると、第1相は、状況にすばやく向き直り、近づくか、逃げるか、闘うかの構えと気分を決める段階だということです。「へ」と「から」は好悪の表明ではなく、対象へ向かうか離れるかの方向です。
評価の向き(接近か逃走か)と力の行使(闘争)が、どちらも同じ第1相に置かれている点は、FiとSeを自我ブロックに持つESIの組み合わせと重ねて読むこともできます。
この二相の背景として、Kempinskiは神経系の2つの原理を、こう対比しています。
アナログ原理(緩電位)は刺激の量的な再現を可能にする。これにより「どの程度か」という問いへの答えが得られる。他方デジタル原理(スパイク電位)は「はい」か「いいえ」かの答えを可能にする。前者は本質的弁別、後者は差異的弁別と呼ばれる。
原文を表示
Zasada analogowa (potencjały generacyjne) pozwala na ilościowe odtworzenie bodźca. Dzięki niej znajdujemy odpowiedź na pytanie: "w jakim stopniu". Natomiast zasada cyfrowa (potencjałów iglicowych) pozwala na odpowiedź: "tak" lub "nie". Pierwszą określa się jako essential discrimination, a drugą jako differential discrimination.
言い換えると、神経系には、刺激の量を段階で受け取る働きと、有無で受け取る働きの2つがあるということです。Kempinskiは、情報代謝そのものの動きを、次のように書いています。
情報代謝は固有の脈動によって特徴づけられることになろう。すなわち第1相では生体の外部環境とも内部環境とも結合し、第2相ではそれに対して距離を取る。
原文を表示
Metabolizm informacyjny charakteryzowałby się swoistą pulsacją: złączeniem się ze środowiskiem zarówno zewnętrznym, jak wewnętrznym ustroju w pierwszej fazie i nabraniem w stosunku do niego dystansu w drugiej.
この一節によれば、情報代謝は、環境と結びつく第1相と、そこから距離を取る第2相を繰り返すということです。
つまり、環境と結合する相と、距離を取って行動を選ぶ相の往復として、心の情報処理を扱う枠組みです。ですが、Kempinskiの著作にタイプ論はまだありません。ここにあるのは、心を情報の交換系として扱う視点と、その交換に向かうか離れるかの向きがあるという観察です。
アウシュラによる接合
アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ(Aushra Augustinaviciute、1927〜2005)は、この語を借りたことを自分で書いています。
「情報代謝」という用語はポーランドの精神医学の古典A.ケンピンスキから借りたことを思い出してもらいたい。おそらく彼は、人間の心理的不快の基盤にはその情報代謝の障害が横たわっていると最初に語った人物である。
原文を表示
Можно напомнить, что термин «информацион- ный метаболизм» мы заняли у классика польской психиатрии А. Кемпинского. По-видимому, он пер- вый заговорил о том, что в основе психологичес- кого дискомфорта человека лежит нарушение его информационного метаболизма.
ソシオニクスは、ソシオン、人間のソシオン的本性、社会のソシオン的構造についての学であり、人々の情報代謝のさまざまなタイプと、そのあいだのさまざまな関係の形についての学である。ソシオニクスは、K. G. ユング、E. クレッチマー、A. E. リチコの類型論と、A. ケンピンスキの情報代謝の理論をもとに生まれた。
原文を表示
Соционика — наука о соционе, соционной при- роде человека и соционной структуре общества, о разных типах информационного метаболизма (ИМ) людей и разных формах взаимоотноше- ний между ними — родилась на основе типологий К. Г. Юнга, Э. Кречмера, А. Е. Личко и теории ин- формационного метаболизма А. Кемпинского.
1本目で、アウシュラは、語をKempinskiから借りたことと、Kempinskiが心理的不快の基盤に情報代謝の障害を見た最初の人物であることを書いています。2本目のソシオニクスの自己定義では、ユング、クレッチマー、リチコの類型論と、Kempinskiの情報代謝理論が並記されています。
アウシュラは、情報代謝そのものを、こう説明しています。
パーソナリティタイプは、パーソナリティの形態、または人間の思考が収まる形態、彼の情報代謝の形態である。奇妙で慣れないが、身体が食物で養われエネルギーを生産するのと完全に同じく、心理は情報、受け取る信号、刺激で養われ、エネルギーを生産する。心的エネルギーまたは情報的エネルギーである。
原文を表示
Итак: тип личности — это форма личности, или форма, в которую укладывается мышление человека, форма его информационного метаболизма. Как это ни странно и непривычно, но ровно так, как тело питается пищей и производит энергию, так психика питается информацией, получаемыми сигналами, раздражителями и тоже производит энергию. Психическую энергию или информационную энергию.
言い換えると、身体が食物で養われるように、心は情報で養われるということです。アウシュラはこの並べ方で、タイプを能力の量ではなく、情報を受け取る形態として定義しています。どの情報を最初に受け取り、どれを後回しにするかで型が分かれます。
そのため、ユングが主観的な要因で決まると書いた感情は、ここでは1つの情報要素(Fi)として扱われます。ESIは、それを1番の主導機能として最初に受け取る側に置かれました。
後代の研究者が語る系譜
この接合を、後の研究者はそれぞれの力点で語り直しています。Reininは、Kempinskiとアウシュラのあいだにある情報観の質的な違いを、こう対比しています。
アントニ・ケンピンスキは精神科医として、各人がそれぞれ自分固有の世界に生きていることをよく理解していた(中略)概念を導入するにあたり、ケンピンスキは純粋に物理的な類比—エネルギー代謝・物質代謝との類比—を用い、情報を諸対象が相互に交換する一種の実体として表象した(中略)アウシュラ・アウグスティナヴィチューテは(中略)自らの情報代謝タイプ理論を構築するにあたって、明らかに「情報」現象の仮想的性質を理解していた。
原文を表示
Анатолий Кемпинский, будучи врачом психиатром, прекрасно понимал, что каждый человек живет в своем особенном мире [6]. […] При этом, вводя понятие «информационный метаболизм», Кемпинский воспользовался чисто физической аналогией с энергетическим и материальным метаболизмом, представляя информацию как некоторую субстанцию, которой обмениваются объекты [5]. […] Однако, Аушра Аугустинавичюте [1], […] создавая свою теорию типов информационного метаболизма, безусловно, понимала виртуальный характер феномена «информация».
言い換えると、Kempinskiは情報を物のようにやりとりされる実体として扱い、アウシュラは情報の仮想的な性質を理解していたということです。引用中の「アントニ」は訂正した表記です(Reininの原文では「アナトリー」と書かれていますが、Kempinskiの名は実際にはアントニ(Antoni)です)。
Stratiyevskayaは、転換を成し遂げたのは心理学者ではなく数学者だったと、こう書いています。
それでもなお、この領域における根本的な転換は、心理学者ではなく(本来そう期待されるはずだったのだが)、数学者によって(より正確には、心理学者というよりもむしろ数学者によって)成し遂げられた—それまで誰にも知られていなかったリトアニアの学者、アウシュラ・アウグスティナヴィチューテによってである。彼女ただ一人が、ユングのタイポロジー(類型論)を解読し、彼のタイポロジーへの「鍵」となる、構築的な心理学的モデルを開発し、自身のタイポロジーと自身の新しい、拡張され改良された人間心理の構造のモデル(「モデルA」)を創造することに成功した。
原文を表示
И тем не менее кардинальный переворот в этой области был совершен не психологом (как этого следовало бы ожидать), а математиком (точнее, не столько психологом, сколько математиком) — дотоле никому не известным литовским ученым Аушрой Аугустинавичюте. Ей единственной удалось расшифровать типологию Юнга, разработать конструктивную психологическую модель, послужившую "ключом" к его типологии; создать свою типологию и свою новую, расширенную и усовершенствованную модель структуры человеческой психики ("Модель "А").
つまり、ユングの類型論を解読してモデルAを作ったのは、心理学者ではなく数学者のアウシュラだったということです。Stratiyevskayaは、それを、それまで無名だったリトアニアの学者ただ1人の仕事として書いています。
Filatovaは、アウシュラとユングの出会いを本人の言葉ごと記録しています。
それから数十年後、リトアニアの研究者アウシュラ・アウグスティナヴィチューテが、さらに先へと歩を進めた。(中略)「ユングは私をたちまち引きつけた。なぜなら、彼は構造を提示していたからである。しかも16もの構造を!」
原文を表示
Несколько десятилетий спустя исследователь из Литвы Аушра Аугустинавичюте пошла дальше. […] «Юнг заинтересовал меня сразу. Потому что предлагал структуру. И даже шестнадцать структур!»
つまり、アウシュラをユングへ引きつけたのは、16の型が構造として示されていたことだったということです。
Yermakは、系譜全体を1文でまとめています。
こうして、A. アウグスタは、ユング流のタイポロジー(類型論)を、A. ケンピンスキの心の情報代謝の理念の立場から研究して、心のモデルを創造し、N. メドヴェージェフは、心と世界の情報的相互作用のアスペクト構造の根拠を提示することで、モデル化に基づく特徴の「明晰化」と精緻化の基礎を据えた。
原文を表示
Так, А.Аугустинавичюте, исследовав юнговскую типологию с позиций идеи А.Кемпинского об информационном метаболизме психики, создала модель психики, а Н.Медведев, предложив основания аспектной структуры информационного взаимодействия психики с миром, заложили основы “прояснения” и уточнения признаков на основе моделирования.
言い換えると、アウシュラは、ユングの類型をケンピンスキの情報代謝の考え方で読み直してモデルを作ったということです。
文中のメドヴェージェフ(N. Medvedev)は、情報の側面(アスペクト)構造の根拠づけに関わった人物として言及されています。
つまり、Yermakは系譜を、ユングの類型論、Kempinskiの情報代謝の考え、アウシュラの心のモデル、メドヴェージェフの側面構造という、順に積み重なる段階として書いています。
小括します。4機能×2構えの枠組みはユングに、情報代謝の語はKempinskiに由来し、両者を1つのモデルにつないだのがアウシュラです。ここまでは各研究者の記述が一致します。食い違うのは力点です。Reininは情報観の質的転換を、Stratiyevskayaは数学的な解読を、Filatovaは構造との出会いを強調します。
また、ESIについては2点が以降の全章の前提になります。1つは、ユングの内向的感情型が祖形であり、外に出る手段を持たないために冷たさと読まれるという記述が、最初からその一部だったことです。もう1つは、ユングの感覚型が対象と結んでいた無条件の関係が、ソシオニクスでは判断機能に従う2番目の位置へ置き直されたことです。
03モデルAにおけるESI
モデルAは、8つの情報要素を8つの機能位置に配置した心の構造モデルです。当サイトが基準とするESIの配置は次のとおりです。
- 1(主導機能):Fi(内向倫理)
- 2(創造機能):Se(外向感覚)
- 3(規範機能):Ti(内向論理)
- 4(脆弱機能):Ne(外向直観)
- 5(暗示機能):Te(外向論理)
- 6(動員機能):Ni(内向直観)
- 7(観察機能):Fe(外向倫理)
- 8(実演機能):Si(内向感覚)
ユングの補助機能—2機能構成の原点
モデルAの中核である「強い2機能の組」は、ユングの補助機能論に遡るとされます。ユングは、主機能と同等の力を持つ第2の機能は存在できない、と書きます。
同等の力を持つ第二の機能が存在することは本来許されないことである。したがって、この第二の機能は必然的に二次的な重要性しか持ちえず(中略)補助的あるいは補完的な役割として作用するからである。
原文を表示
the presence of a second function of equivalent power is naturally forbidden. This other function, therefore, can have only a secondary importance(中略)but comes into play more as an auxiliary or complementary function.
言い換えると、2番目の機能は1番目と同じ力を持てず、補助にとどまるということです。
どの機能が補助になれるかの規則も、続けて明示されます。
経験的事実が示すところによれば、第二機能は常に、主導機能とは異なる性質を持ちながらも対立関係にはない機能である。例えば、主導機能が思考の場合、補助機能としては直観と容易に組み合わさることができるし、同様に感覚とも同等に組み合わせることが可能であるが、すでに述べたように、感情とは組み合わせることができない。
原文を表示
the secondary function is always one whose nature is different from, though not antagonistic to, the leading function: thus, for example, thinking, as primary function, can readily pair with intuition as auxiliary, or indeed equally well with sensation, but, as already observed, never with feeling.
つまり、補助になれるのは、主機能と性質は違うが対立しない機能だけです。
例に挙がっているのは思考が主導の場合ですが、条件は「対立関係にはない」ことです。感情が主導なら思考が外れ、ESIの組は感情(Fi)と感覚(Se)でこの規則の範囲内に収まります。ソシオニクスの文献では、この2機能の組が自我ブロックの原型になったと説明されます。
アウシュラの機能理論—第1機能と第2機能
アウシュラは機能位置の理論(フンクツィオニカ)で、各位置の性格を定式化しました。第1機能と第2機能については、こう書いています。
第1機能は人間の世界知覚、彼の「情報的職業」、イメージを規定する。人間はこの要素について最大限の情報を持っており、最も確信をもってそれを使用する。最も強い機能、「個人的恣意の領域」と言うことができる。
原文を表示
Резюме : 1-я функция определяет мировосприятие человека , его "информсационную профессию" , имедж . Человек имеет по этому элементу максимум информации , наиболее уверенно ей пользуется ; можно сказать, что это самая сильная функция , "зона личного произвола".
第2機能は創造機能であり、ここで人間は自分以前には知られていなかった新しいものを創造する。第1機能の目的の達成と自己肯定のための創造である。
原文を表示
Резюме : 2 функция творческая , здесь человек создает новое , до него не пзвестное . Творчество ради достижения цели по первой и самоутверждения .
2本を合わせると、1番は世界の受け取り方そのもの、2番はその目的のために新しいものを作る要素ということです。1番は、人が最も確信をもって使う要素でもあります。
さらにアウシュラは、機能が単独ではなく対で働くことを、こう書いています。
機能はモデルAの静的構造をなしている。それらは単独では働かず、常にペアで—ブロックとして働く。ブロックのアクセプト(受容)機能は可能な限り現実を反映し、プロダクティヴ(生成)機能は反応し、創造的に適応する。これはほぼ同時に起こり、機能が強く分化されているほど速い。
原文を表示
Функции - составляют статическую структуру модели А. Они не работают по одиночке , но всегда парами - блоками . Акцептная функция блока по возможности отражает действительность , продуктивная реагирует , творчески приспосабливаясь . Происходит это почти одновременно , тем быстрее , чем более сильно дифференцирована функция.
上の引用にあるアクセプト機能は奇数番の受容の位置、プロダクティヴ機能は偶数番の生成の位置のことで、この2つの対がブロックです。
ESIに当てはめると、1番のFiでは、人と人のあいだに何が成り立っているかを意識することが「情報的職業」になります。2番のSeは、その基準を守るために意志と力を使う創造です。つまり、Fiが受け取り、Seが応答するという組み合わせです。
ESIの自我ブロック—Fiが決め、Seが守る
アウシュラは、ESIの第1機能が何を感じ取っているかを、ESI章でこう書いています。
個人は、人々の間の倫理的諸関係を明瞭に感じ取る。誰がどのような感情を経験しており、彼が誰に対していかなる感情 — 愛、憎しみ、共感、軽蔑等々 — を呼び起こしているかを、過誤なく知っている。これらの諸感情を評価する。誰に、どの程度影響しているか、なぜ影響しているかを評価する。誰が誰を何ゆえに望んでいるかを、常に知っている。
原文を表示
Индивид отчетливо чувствует этические отношения между людьми. Безошибочно знает, кто какие чувства испытывает и какие сам вызывает у других — любовь, ненависть, симпатию, пренебрежение и т. д. (中略) Оценивает, кто на кого и в какой степени влияет, почему влияет.
ESIは、誰がどんな感情を持ち、それが誰に向き、どれほど強く影響しているかを、取り違えずに感じ取るとされています。愛・憎しみ・共感・軽蔑のどれを、誰が誰に呼び起こしているかまで含まれます。第1機能の「最大限の情報を持つ」領域が、ESIでは人と人のあいだの感情の中身と向きと強さの識別として書かれています。
Filatovaは同じ2機能を、プログラムとその実現という2段で、こう定式化しています。
ESIの主導ブロックの意識の構え—正常な生活の条件とは、人間関係の調和、倫理・道徳・モラルの規範の遵守、伝統の大切な保持である(内向倫理—プログラム機能)。そして、この価値体系を維持し支えるためには、意志の力を注ぐ必要がある(外向感覚—プログラムの実現)。
原文を表示
Установка сознания ведущего блока ЭСИ: Условие нормальной жизни — гармония человеческих отношений, соблюдение норм этики, морали и нравственности, бережное хранение традиций (БЭ — программная функция), и следует прилагать волевые усилия для сохранения и поддержания этой системы ценностей (ЧС — реализация программы).
言い換えると、何を守るかは内向倫理が決め、外向感覚は意志の力でそれを守る手段になるということです。実現の側に置かれているのは意志の力で、アウシュラの第2機能=「第1機能の目的の達成のための創造」という定式と、順序が同じです。
Compositeは複数の資料を1つにまとめた編纂プロファイルで、この対が何を焦点にするかを、1文でこう示しています。
自我ブロックにおいてFiがSeとブロックされていることで、ESIの人生における主要な焦点は、個人的な関係に対する安定した内的基準、つまり自分自身と他者の行動やアイデアを評価する倫理的原則にある。それは理想主義や想像力、あるいは人々の実証されていない潜在能力ではなく、現実の世界で人々が実際にどうであるかの知覚に裏打ちされている。
原文を表示
With Fi blocked with Se in their ego block, ESIs’ primary focus in life is on stable inner criteria for personal relationships, therefore ethical principles through which they evaluate their own and others’ behavior and ideas, backed by input from what they perceive as the real world and how people really are rather than idealism, imagination or not-demonstrated potential in people.
Compositeによれば、ESIは人を、まだ試されていない可能性ではなく、現実の場で実際にどうふるまったかで評価するということです。評価の軸は「安定した内的基準」とされ、潜在能力の側は材料に入りません。4番の脆弱機能にNe(外向直観)が入るESIの配置と、そのまま重ねて読めます。
また、Yermakの定式化でも、4ブロックの要素構成は冒頭の基準配置と一致します。自我がFi・Se、超自我がTi・Ne、超イドがTe・Ni、イドがFe・Siです(単行本付録の和訳には位置の入れ替わりがあるため、露語原文に拠ります)。
Bukalovは、モデルAを、どの機能もほかの機能を直接は管理しない線形・対称の構造として書いています。機能ごとの処理能力の差は16章(次元性)で扱います。
アウシュラ旧式の4列表記
アウシュラの初期著作では、タイプは8つの位置ではなく4つの機能で記述されます。ESIの旧式表記は、I(主導)=Fi、II(プロダクティヴ)=Se、III(MHC=最小抵抗の場)=Ne、IV(サジェスティヴ)=Teです。現行の8位置との対応は、I=位置1、II=位置2、III=位置4、IV=位置5になります。旧式の4列には現行の位置3(規範機能)が入らず、番号が1つずつずれるので、番号だけで照合すると取り違えます。
また、研究者ごとの独自番号もあります。たとえばFilatovaの第IV(暗示)はTe(位置5)を指し、旧式のIVと同じ位置です。
小括します。ESIの8位置の配置(Fi・Se・Ti・Ne・Te・Ni・Fe・Si)は、アウシュラのブロック論からYermakの定式化、後代の編纂プロファイルまで要素の中身が一致しています。一方で、位置の番号づけと名称は研究者・時期によって別体系が併存します。原典を読むときは、番号ではなく「どの要素がどの意味の位置にあるか」で照合するのが確実です。
04情報要素から見るESI
ESIの自我ブロックはFi(内向倫理)とSe(外向感覚)です。この章では、この2要素の定義を研究者横断で比べ、最後にESI固有の論点(Seが働く向きをFiが決める結合)を扱います。各要素の一般解説はFi(内向倫理)とSe(外向感覚)の詳細ページにあります。
感情と感覚—ユングの定義
出発点として、ユングは定義の章で、感情をこう定義しています。
感情とは第一に、自我と与えられた内容とのあいだで起こる過程であり、しかもその内容に、受容か拒絶かという意味での明確な価値を与える過程である
原文を表示
Feeling is primarily a process that takes place between the ego and a given content, a process, moreover, that imparts to the content a definite value in the sense of acceptance or rejection
ユングの定義では、感情とは、ある内容を受け入れるか拒むかの価値を与える働きです。定義に情緒や気分は入っていません。受容か拒絶かを決める働きなので、この機能は知覚ではなく判断の側に置かれます。
ユングは、感情型を2種類に分けてもいます。
感情型には疑いなく2種類あり、一方の態度はより自分の感情経験によって、他方はより対象によって方向づけられている。
原文を表示
there are, undoubtedly two sorts of feeling-types, the attitude of one being orientated more by his feelingexperience, the other more by the object.
つまり、2種類の感情型を分けるのは、自分の感情経験に向くか、対象に向くかだということです。感情の強さで分けているのではありません。この線引きが、FiとFeを別の要素として扱う根拠になります。
次に、ユングは感覚を、感情と区別しながらこう定義しています。
感覚、すなわち感覚することとは、身体的な刺激を知覚へ伝える心理機能である。(中略)感覚は感情から厳密に区別されねばならない。後者はまったく別の過程だからである
原文を表示
Sensation, or sensing, is that psychological function which transmits a physical stimulus to perception.(中略)Sensation must be strictly distinguished from feeling, since the latter is an entirely different process
言い換えると、感覚は身体の刺激を知覚へ伝える働きで、感情とはまったく別の過程だということです。ESIは感情(Fi)を位置1、感覚(Se)を位置2に持つので、この2つが隣り合います。そのため、ESIの記述では、評価すること(Fi)と力を使うこと(Se)が別の働きとして書かれていきます。
また、ソシオニクスの通説では、この感情を外向・内向に分けたものがFe・Fi、感覚を分けたものがSe・Siに対応するとされます。
Fi(内向倫理)—各研究者の定義
アウシュラは、Fi(内向倫理)を、2つの担い手のあいだの引力と反発として、こう定義しています。
これは、ポテンシャル・エネルギーまたは運動エネルギーの二つの担い手のあいだの主観的関係であり、ある対象あるいは主体の他の対象や主体への引力(あるいは反発)を示すものである。この情報要素のおかげで、人間はどの対象が自分を引きつけ、どれが反発するかを感じる。
原文を表示
Это субъективное отношение между двумя носителями потенциальной или кине- тической энергии, показывающее притягиваемость (или отталкиваемость) одного объекта или субъек- та с другими объектами и субъектами. Благодаря этому элементу ИМ человек чувствует, какие объ- екты его притягивают, какие — отталкивают.
言い換えると、Fiは、ある対象が別の対象を引きつけるか、反発するかという、両者のあいだの関係を扱うということです。主語が人ではなく二つの担い手のあいだに置かれているので、判断の単位は個々の相手ではなく、相手との間柄になります。
Stratiyevskayaは、理論編でFiをこう定義しています。
人間の間の関係を通じての世界の知覚、外交性、繊細さ、自分の行為に対する責任、寛容、寛大、愛、善意、慈しみ、憐れみ。
原文を表示
Восприятие мира через отношения между людьми, дипломатичность, деликатность, ответственность за свои поступки, терпимость, снисходительность, любовь, доброта, милосердие, сострадание.
上の引用は、Fiが扱う領域を表す語を並べたものです。つまり、Stratiyevskayaは、Fiを人と人の関係を通じて世界を受け取る要素とし、寛容や慈しみといった価値の語で書いているということです。知覚の話は先頭の1句だけで、あとは価値語です。ここにあるのは要素が扱う領域であって扱い方ではなく、ESIの記述で目につく厳しさの語は出てきません。
Filatovaは、基本概念の章で、Fiの基準を人々の交わりの規則の側に置いて、こう書いています。
内向的な意識は人間的価値の領域における自分自身の構えに依拠するから、ここで私たちが扱うのは、人々の交わりの領域に属する基準の評価である。彼らにとって第一に来るのは、モラル、道徳性、良心、公正、伝統の遵守といった概念—要するに、人類が何世紀もの歴史の中で練り上げてきた交わりの規則の総体である。内向性はこの人の情動性を内側へ向ける。だから彼は非常に抑制的に振る舞い、内側では文字どおり「煮えたぎって」いるかもしれない感情を、外には表さないことがある。
原文を表示
Поскольку интровертное сознание опирается на собственную установку в области человеческих ценностей, то здесь мы имеем дело с оценкой критериев, относящихся к сфере общения людей. Для них на первом месте такие понятия, как мораль, нравственность, совесть, справедливость, соблюдение традиций — словом, весь тот набор правил общения, который выработало человечество на протяжении многовековой истории. Интровертность обращает эмоциональность этого человека внутрь, поэтому он может вести себя очень сдержанно, внешне не проявляя тех чувств, которые у него могут буквально «кипеть» внутри.
言い換えると、Fiの評価の基準は、個々の相手ではなく、人類が練り上げてきた交わりの規則だということです。後半は表出の話で、内側で動く量と外に出る量が一致しないという但し書きが、定義の段階から付いています。
Yermakは、同じ側面(アスペクト)の意味を「関係」の1語にまとめて、こう書いています。
一定の関係は、ときに 愛 として定義される(愛—関係)。エネルギー状態の関係に関する情報を含む情報構成要素(アスペクト)の意味論は、「関係」という用語で定義することができる。憎しみ、道徳 などの語も、意味の上で、ある状態の関係に関する情報を含む。ソシオニクス文献では、このアスペクトの他の名称も見られる—内向倫理、関係倫理。
原文を表示
Определенные отношения иногда определяются как любовь (любовь-отношение). Семантику (смысл) информационной составляющей (аспекта), который содержит информацию о соотношении энергетических состояний можно определить термином “отношение”. Такие слова, как ненависть, мораль и ряд других тоже по смыслу содержат информацию об отношении неких состояний. В литературе по соционике встречаются и другие наименования этого аспекта: интровертная этика и этика отношений.
つまり、愛も憎しみも道徳も、どれも状態どうしの関係を指すので、同じFiの担当になるということです。評価の向きが正でも負でも担当は同じです。名称は「内向倫理」「関係倫理」と揺れますが、指している側面は同じで、記号は▽です。
Karpenkoは、この要素が強い人の知覚の形を、こう書いています。
強いR(▽(Fi))をもつ人々には、他人の感情の直接的な知覚は難しく、必ず対置を立てなければならない: 私と彼、彼ら、私たちの間の関係、彼らの間の関係、というふうに。そして問いは「どうしたの?」ではなく、「なぜあなたは私に(彼に)そういう態度をとるの?」という形で立てられる。
原文を表示
Для людей с сильной R ( ) непосредственное восприятие эмоций другого человека затруднено, обязательно нужно создать оппозицию: я и он, они, отношения между нами, между ними. И вопрос ставится не "что с тобой?", а "почему ты так ко мне (к нему) относишься?".
言い換えると、Fiが強い人は、他人の感情を直接感じ取るのではなく、人どうしの関係を先に立ててから問いを出すということです。目の前の感情より、その感情が向いている相手との関係を先に意識するので、聞き方が「どうしたの?」から離れます。アウシュラの引力と反発が、会話の水準で書かれています。
Se(外向感覚)—各研究者の定義
Se(外向感覚)についても、アウシュラはこう定義しています。
対象の「運動エネルギー」と呼べるものについての情報が知覚される。たとえば、人間の外的組織性についての情報、その身体的・エネルギー的データ、自分の意志を使いこなし、地位・立場を利用し、自分の意志を他の人々の意志に対置する能力についての情報である。(中略)それによって、自分の意志とエネルギーを他の人々の意志とエネルギーに対置する能力あるいは無能力が規定される。
原文を表示
Воспринимается информация о том, что можно назвать «кинетической энергией> объектов, например: информация о внешней организованности человека, его физических и энергетических данных, умении пользоваться своей волей, служебным положением, противопоставлять свою волю воле других людей. (中略) Им определяется способность или неспособность человека противопоставлять свою волю и энергию воле и энергии других людей.
言い換えると、Seは、相手がどれだけの意志と力を持ち、それを人にぶつけられるかを受け取る要素だということです。知覚されるのは対象の外形より、動かす側の力の量です。末尾が能力と無能力の並記になっているとおり、強弱の差がそのまま出る種類の要素として定義されています。
Stratiyevskayaは、理論編で同じ要素を「意志的感覚」と呼び、こう定義しています。
「意志的感覚」(空間)—(外向感覚、●(Se))。 空間を統制し、影響圏を獲得する能力。目的志向性、動員、支配性、規律性、勝利への意志、外的圧力への抵抗と自身の利益の擁護、力による対抗、相手の力と抵抗能力を評価する能力。野心性、権威性、権威主義性、リーダーシップへの志向。
原文を表示
"волевая сенсорика" (пространство) — (экстравертная сенсорика, ЧС). Способность контролировать пространство и завоевывать сферу влияния. Целеустремленность, мобилизация, властность, дисциплинированность, воля к победе, отпор внешнему давлению и защита собственных интересов, силовое противостояние, умение оценить силу противника и его способность к сопротивлению. Амбициозность, авторитетность, авторитарность, стремление к лидерству.
つまり、Seの定義には、攻める側の語と並んで、外からの圧力に抵抗し自分の利益を守る側の語が入っているということです。どちらへ働くかは、要素の定義では決まりません。
Yermakは、同じ側面の意味を「意志」にまとめて、こう書いています。
情報アスペクト。人間による空間の実体の知覚を反映する。主観的観点から、空間の実体は、物質または仮想的現実の力的影響による現実または潜在的な限定(物理的、他の人々を含む、または仮想的対象の内部空間の形成)、また物理的または仮想的対象の力的影響(圧力または反撃)による現実または潜在的な分離(隔離)(現実または仮想的外部空間の形成)の意味を持つ。意味論的に、空間の実体は主観的知覚において、現実または仮想的な力または意志的発現に帰着する。
原文を表示
информационный аспект, отражающий восприятие человеком сущности пространства; с субъективной точки зрения сущность пространства имеет смысл реального или потенциального ограничения силовыми воздействиями вещества или виртуальной реальности (формирование внутреннего пространства физических, в том числе других людей, или виртуальных объектов), а также реального или потенциального отделения (разделения) силовыми воздействиями (давление или отпор) физических или виртуальных объектов (образование реального или виртуального внешнего пространства); семантически сущность пространства сводится в субъективном восприятии к реальным или виртуальным силам или волевым проявлениям
上の引用にある限定は力で内側の空間をつくること、分離は外側と隔てることです。言い換えると、Seは、力で自分の場を区切り、外からの圧力を押し返して隔てる働きだということです。Stratiyevskayaの定義にある守る側の語(抵抗・擁護)は、この区切る働きから出てくると読めます。名称は「外向感覚」「意志的感覚」と揺れ、記号は●です。
ESIにおけるFi・Seの結合
ESIのタイプ記述では、この2要素が組みで現れます。アウシュラは、働きかけの経路を外向と内向で対比したうえで、その代表にESIを名指しします。
外向タイプは対象を直接ヒットで「叩く」。内向タイプは関係を「叩く」。外向タイプは対象への打撃により、被保護者あるいは自身から危険な対象を遠ざける。こうして場における距離、時間、あるいは—力関係を変える。内向タイプは関係そのものに作用しようとする。そして関係に作用しつつ、対象を行き止まりへ追い込み、その後—変化を強いる。たとえば、対象が私と結婚したくないなら、変化して「望む」しか選択肢が残らないような条件に彼を置かねばならない、というふうに。この具体的な思考の仕方は、内向タイプのすべてのタイプに固有ではない。このように圧迫しようとするのは、まず倫理タイプ(特に私の知る限り、▽(Fi)●(Se)—ドライザー)だが、概略では何か似たことが起こる。
原文を表示
**外向タイプ**は対象を直接ヒットで「叩く」。**内向タイプ**は関係を「叩く」。外向タイプは対象への打撃により、被保護者あるいは自身から危険な対象を遠ざける。こうして場における距離、時間、あるいは――力関係を変える。内向タイプは関係そのものに作用しようとする。そして関係に作用しつつ、対象を行き止まりへ追い込み、その後――変化を強いる。たとえば、対象が私と結婚したくないなら、変化して「望む」しか選択肢が残らないような条件に彼を置かねばならない、というふうに。この具体的な思考の仕方は、内向タイプのすべてのタイプに固有ではない。このように圧迫しようとするのは、まず倫理タイプ(特に私の知る限り、Т▽●――ドライザー)だが、概略では何か似たことが起こる。
上の引用にある▽●はFiとSeを表す記号で、ドライザーはESIの愛称です。言い換えると、ESIは相手を直接動かすのではなく、相手が置かれた関係の条件を変えて、選べる道を1つにしてしまうということです。結婚したくない相手を、望むしかない条件に置く、という例が挙がっています。
対比の軸は、働きかけが対象に直接及ぶか、関係を経由するかです。関係に作用して相手の選択肢を絞る、という経路の代表として、アウシュラは倫理タイプ、なかでもESIを挙げます。「圧迫」も「叩く」も彼女自身の語で、Seの力がFiの扱う関係を通って相手に及ぶ、という、この節で続けて見る定式の最初の形です。
Stratiyevskayaは、Seが強く出る場面に、こう条件を付けています。
ESI〔原文: ドライザー〕の創造的意志感覚は、極限的状況において特に鮮やかに発現する — 自分の利益の防衛時、そして主要なのは — 自分の関係の利益の防衛時に。自分の関係を、ESI〔原文: ドライザー〕は誰にも侵害させない。(中略)友人のため、愛する人のためなら、危険を考慮せずに火の中にも水の中にも入っていく。
原文を表示
Творческая волевая сенсорика Драйзера особенно ярко проявляется в экстремальной ситуации — при защите его интересов и главное — при защите интересов его взаимоотношений. На свои взаимоотношения Драйзер никому не позволяет посягать.(中略)За друга, за любимого человека пойдет в огонь и воду, не рассуждая и не считаясь с опасностями.
言い換えると、ESIの意志感覚が最も強く出るのは、自分の関係を守るときだということです。条件は「極限的状況」で、その中身が自分の関係の利益の防衛と言い直されています。守る対象が決まってから意志感覚が出る、という順序です。
Filatovaは、同じ順序を実行の側から、こう書いています。
Se プログラムの実行。 倫理的プログラムをESIは意志的感覚タイプの粘り強さで人生に持ち込む。しかし、距離を置いて彼女と接すると、彼女がその指針を現実の生活に実行する決意、固さ、献身を認識することはしばしば困難である。なぜなら、この特性はしばしば外面的な適合性と、他者の気分やその周囲に起こっていることに対する態度を察知する能力(Fi)によって仮面されているからである。
原文を表示
Se Implementation of the program. Her ethical program ESI brings into into life with persistence of a volitional sensing type. However, interacting with her at a distance, it is often difficult to recognize the resoluteness, firmness, and dedication with which she implement her directives into real life, because this trait is often masked by external conformity and ability to pick up on the mood of another person and his attitude towards what is occurring around him (Fi).
つまり、何を実行するかはFiが決め、やり抜く粘り強さはSeから出るということです。後半はその力が外から見えにくい理由で、周りに合わせる態度と相手の気分を察する力、つまりFiが、その粘り強さを隠しているとされます。
Karpenkoは、バーンの図式でいう「あなた−」、つまり相手を否定的に見る構えをとったときのESIの例を、こう挙げています。
また、たとえば「あなた−」の(ESI)は、自分の第2機能(中略)によって、他の人のごくわずかな感情の発現に対しても、こう咎める。「どこからそんな攻撃性が出てくるの?」。つまり、意志の感覚による否定的評価を下すのである。相手が攻撃性を発現する暇どころか、感情的に反応する暇さえまだなかったとしても、である。しかし、「どこからそんな攻撃性が?」という問いはすでに発せられ、言ってみれば、まだ起きてもいない意志的発現を抑えつける試みは、すでになされてしまっている。
原文を表示
А, например, (ЭСИ) с «Ты–» по своей 2-й функции (中略) другого человека при его малейших эмоциональных проявлениях упрекает: «Откуда такая агрессия?» (中略) Даже если человек не то, что не успел агрессию проявить, он еще не успел и эмоционально-то отреагировать.
言い換えると、相手がまだ何もしていないうちに、ESIは2番のSeで相手の攻撃性をとがめてしまうということです。観察されているのは、評価が下りる時点です。相手が反応する前に、まだ起きていない発現へ向けて評価が出ます。この評価の前に、関係を感じ取るFiの働きがあり、そこからSeの評価が出る、という順序で読むこともできます。
小括します。Fiは「担い手どうしの引力と反発を関係として知覚し、価値を与えること」、Seは「空間を力の側面から知覚し、意志を対置すること」で、研究者間の定義は語彙の揺れを除けば収束しています。
一方、ESI固有の論点は結合の向きです。FiとSeは並列の2技能ではなく、Fiが守る対象を決め、Seがその防衛に使われる構成として記述されます。弱い側の要素(Ti・Ne・Te・Ni)は、各研究者章と16章(次元性)で扱います。
05アウシュラの記述
創始者アウシュラのESI記述は、系譜と情報代謝の定義(02章)、ブロック記述(03章)、Fi・Se記号の定義(04章)、双対関係(18章)、著名人タイピング(22章)にも分かれて出てきます。この章では、それ以外の人物像の中心になる記述を扱います。底本は『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(1998年)のESI章です。
判定の基準は、その人が呼び起こす感情
アウシュラは、ESIが人をどう判定するかを、こう書いています。
倫理的諸関係および諸感情に基づいて、ESI〔原文: クライド〕は相互作用する人々の倫理=美的諸特質について結論を下す。人間の関係が周りの人々と良好で、しかも持続的に、肯定的諸感情を呼び起こしているならば、影響力をもっているならば、これは — 真の人間であり、意志的人格である。否定的諸感情を呼び起こす者は — 哀れな失敗者か悪人だと思われる。個人によって体験される諸感情がうつろいやすければ、これもまた弱い、悪人である。彼は近しい者たちに、とりわけ高い要求を寄せる。そして、まさに彼らに対して、最もしばしば恥ずかしさを覚える。
原文を表示
Если отношения человека с другими людьми хорошие, если он вызывает — и притом постоянно — положительные чувства, пользуется влиянием, это — стоящий человек, волевая личность. Тот, кто вызывает отрицательные чувства, кажется жалким неудачником или негодяем.
上の引用にあるクライドは、ESIの別の愛称です(由来は22章)。言い換えると、ESIは人を、周りにどんな感情を、どれだけ長く呼び起こしているかで判定するということです。肯定的な感情を持続して呼び起こす人は「真の人間」、否定的な感情を呼び起こす人は「哀れな失敗者か悪人」とされます。
また、うつろう感情しか呼び起こさない者は、否定的な感情を呼び起こす者と同じ側へ置かれます。そして、この基準は近い相手ほど厳しくなります。
譲歩しないことに理由が置かれている
アウシュラは、この判定を保留しない理由を、譲歩性の項目でこう書いています。
譲歩性. ESI〔原文: クライド〕は、悪人を生むのは原則のなさからの譲歩性であることを、疑いはしない。愚かであれ、原則のない無償の利他主義であれ — そうしたものが少なければ、悪人ももっと少なかっただろう。無意志な人々にもまた、彼らが無意志だと言ってやる必要がある、と彼は言う — 悪への寛容はすでに犯罪である。(中略)「悪い人物を許してはならない、たとえ謝罪してきたとしても。ただ、力がないだけだ。許すことはできるが、どうやって忘れるのか?(中略)悪人については、死後でさえ — 悪人だ」と、ある ESI〔原文: クライド〕が我々に語ってくれた。
原文を表示
Уступчивость. КЛАЙД не сомневается, что негодяев рождает уступчивость непринципиальных. (中略) Безвольным тоже необходимо сказать, что они безвольны. Терпимость к злу — уже преступление, говорит этот тип.
ESIは、原則なしに譲ることが悪人を生むと考え、悪い人物を許さないとされています。この項目でアウシュラが問題にしているのは、譲る側の優しさではなく、譲られた側に何が育つかです。動機は同じ章で、倫理的関係を素早く正し、人々の道徳的地位を高めることに置かれています。証言では、許すことと忘れることが別に扱われます。
社会にとって機能的に必要な者
アウシュラは、ESIが社会の中で果たす役割を、こう書いています。
ESI〔原文: クライド〕 — 最も近しい周囲の倫理的・美的諸感情の、巧みな鑑定家にして操作者である。彼のこれらの諸性質ゆえに、また周囲が彼の倫理=美的評価を尊重するゆえに、彼は社会にとって機能的に必要な者となる。彼はあたかも倫理者として、情報代謝の論理タイプと社会との間の連結環、ないし媒介者の役を果たす。
原文を表示
КЛАЙД — искусный знаток и манипулятор этическими и эстетическими чувствами ближайшего окружения. Из-за этих своих качеств и того, что окружающие дорожат его этико-эстетическими оценками, становится необходимой функциональной частью социума. Как и все этические, исполняет роль связующего звена или посредника между логическими типами ИМ и обществом.
上の引用にあるIMは情報代謝のことです。言い換えると、ESIは周りの人の倫理的・美的な感情をよく見分け、その評価が周りに尊重されることで、論理タイプと社会のあいだをつなぐ役を果たすということです。鑑定の腕前だけで役割は成立せず、評価が受け取られてはじめて機能的に必要な者になります。
アウシュラは、同じ役割を時代の側からも、こう書いています。
その時代の倫理的諸関係の精神に最もよく対応するものを意識的に普及させる者は、まさにこのタイプである。彼を、新しい、進歩的な倫理的諸関係を教える専門家と呼んでよい。彼は — 彼が認める倫理的諸感情と諸関係の宣伝者である。
原文を表示
Сознательным распространителем наиболее соответствующих духу времени этических отношений бывает именно этот тип. Его можно назвать специалистом по обучению новым, прогрессивным этическим отношениям и чувствам. Он — пропагандист признаваемых им этических чувств и отношений
つまり、ESIは、その時代にふさわしい新しい倫理的関係を、人に教え広める役を担うということです。アウシュラはこれを「教える専門家」「宣伝者」と呼んでいます。規範を受け継ぐ側ではなく、入れ替える側です。ただし普及の対象は彼が認めた関係に限られ、最初の節の判定基準が何を広めるかの範囲を決めます。
言葉ではなく視線とイントネーション
アウシュラは、ESIが人との関係をどう調整するかを、こう書いています。
人々との関係を ESI〔原文: クライド〕は調整する。自分の感情を多分に表に出さず、人物を自分のところへ近づけるのは、言葉ではなく、視線とイントネーションによる。観察的、表現豊かな視線あるいは適切に投げ出された一言で、各々を「ふさわしい」位置へと適切なイントネーションで据える。視線は感情を伝える — 賛嘆、愛、献身、軽蔑、憎しみ。要となれば、視線は短刀へと変わる。
原文を表示
Отношения с людьми КЛАЙДЫ регулируют, свои чувства к ним высказывают и приближают человека или отдаляют его от себя не столько словами, сколько взглядом и тоном. (中略) Взглядом передаются чувства — восхищение, любовь, преданность, пренебрежение, отвращение и ненависть. Когда нужно, взгляд превращается в кинжал.
ESIは、感情を言葉ではあまり出さず、視線と声の調子で相手との距離を決めるとされています。抑えられるのは表に出す量で、伝える経路は言葉の外へ移されます。賛嘆や愛から軽蔑や憎しみまでが視線で伝わり、必要なら視線は「短刀」にもなるとアウシュラは書いています。
自分の可能性についてだけ評価が定まらない
一方、4番の脆弱機能に入るNe(外向直観)、つまり自分の潜在的な可能性については、同じ確かさが書かれていません。アウシュラは、こう書いています。
ESI〔原文: クライド〕は、自身の能力の発露において、極めて慎重である。あらゆる能力に対し非常に批判的であり、披露し誇示するのを愛さず、控え目を欠く者と呼ばれることを恐れる。自身の潜在的諸可能性についての自分の意見は、確信なく、不安定である。彼はあらゆる風の息吹に依存している、と言ってよい。
原文を表示
КЛАЙД в проявлении своих возможностей и способностей исключительно осторожен. Ко всем своим способностям очень критичен, не любит их демонстрировать, афишировать, боится прослыть нескромным. Его собственное мнение о своих потенциальных возможностях очень изменчиво и непостоянно.
つまり、他人どうしの関係には迷わず結論を出すESIが、自分の可能性の評価だけは周りの言葉で揺れるということです。他者の関係については結論を下すと書いた同じ章に、自己評価だけは外からの言葉で動くと書かれています。確かさと不確かさを、アウシュラはこの線で分けており、4番にNeが入る配置と重ねて読めます。
小括します。アウシュラのESI記述の骨格は3点です。第一に、人物の判定が、その人が呼び起こす感情の中身と持続に基づくことです。第二に、その判定が、論理を扱うタイプと社会をつなぐ位置、そして新しい倫理的関係を広める役割として規定されることです。第三に、他者の関係については結論を下す一方、自分の可能性についての評価だけが安定しないという書き分けです。
また、記述は、判定の基準と当人の証言を並べる形で、定式化よりも観察の記録に近くなっています。この観察群を後の研究者がどう体系化し、どこで食い違ったかが、以降の章の主題になります。
この章の要点は、研究者ごとのページに短くまとめています。
06Reininの記述
Grigory Reininは数学者で、15の二分法特性(レイニン特性)と小集団理論の提唱者として知られます。ESIの記述は、主著『ソシオニクス:類型論・小集団』(英語版2010年)のタイプ記述と、同書第III部の状況別の助言にあります。二分法特性(15章)と関係(18章)を除き、この章では人物像の記述を扱います。
注意が1つあります。Reininは機能を、第1〜第4機能と、陰性の第-1〜第-4機能という独自の番号で呼びます。ESIでは第1がFi、第2がSe、第3がNi、第4がTe、第-1がFe、第-4がTiです。当サイトの位置番号とは体系が違い、Reininの第3機能(Ni)は位置6、第-4機能(Ti)が位置3です。
自信の領域—固定される態度
Reininが「自信の領域」と呼ぶ第1機能に、ESIではFiが来ます。Reininは、こう書いています。
機能 #1 — 白い倫理(▽(Fi)):何かや誰かに対する人物の態度が自信の領域にある。この領域では人物の関係は最も重要でなく、しばしばそれらは彼に全く関係しない。ここでは彼の態度のほうがはるかに重要であり、彼はむしろそれを永久に固定しておきたいと願う。(中略)もしESI〔原文: ドライザー〕が誰かについて良い意見を形成したならば、それを変えるには何か大きな要因が必要となるであろう。彼の悪い態度や意見はなおさら変えにくい。
原文を表示
(中略) In this area person’s relationships are of the least importance, often they do not concern him at all. His attitude is much more important here, and he would rather have it permanently fixed. (中略) If a Dreiser has formed a good opinion of someone, it would take some major factors to make it change. Even more so his bad attitude or opinion is hard to change.
言い換えると、ESIは、人に対して一度形成した態度を、変えずに保とうとするということです。軸にあるのは関係そのものではなく、関係に対してとる態度のほうです。Reininは「永久に固定しておきたい」願いとして書き、良い意見より悪い意見のほうが変えにくいと続けます。評価の厳しさより、評価が動かないことが中心です。
Reininは、同じ領域を、本人の側から言葉になりにくいものとしても、こう書いています。
ESI〔原文: ドライザー〕の第1機能は言葉でほとんど描写することができない。本質的にそれは意識的な態度をもつことができることへの必要性である。(中略)他者や外的世界に対する個人的態度のこの領域は、強く感じられているが、貧弱にしか言語化されていない。この領域には絶え間ない活動がある。
原文を表示
Dreiser's first function can hardly be described with words. Essentially it is the need for being able to have a conscious attitude.〔中略〕This realm of personal attitudes to other people and the external world is strongly felt but poorly verbalized. There is constant activity in this realm.
つまり、ESIの第1機能は強く働き続けているのに、本人にもうまく言葉にできないということです。一般像が結果の側から語られるのに対し、Reininは言葉にならない性質を書きます。
無視の領域—観察者という位置
陰性の第-1機能をReininは「無視の領域」と呼びます。ESIではFe、外的な関係そのものがここです。Reininは、こう書いています。
機能 #-1 — 黒い倫理(▼(Fe)):関係の無視。ESI〔原文: ドライザー〕は観察者である。パーティでは彼女はほとんど黙って観察している。しかし彼女は喜んで踊るだろう—彼/彼女は楽に動き、踊るのが好きだ—彼女が考えるところによれば、踊りには仲間意識も関係性もないからである。
原文を表示
A Dreiser is an observer. At a party she is mostly quiet and observant. But she would dance with pleasure – he/she moves with ease, likes to dance: there is no fellowship or relationship in a dance as she thinks.
言い換えると、ESIはパーティでは黙って観察するが、関係の無い活動と考える踊りは喜んでするということです。「観察者である」という一語は第III部の助言でも繰り返されます。Reininは、踊りには「仲間意識も関係性もない」と添え、黙っていることと踊ることの2つの行動を、関係の有無という同じ理由で説明しています。
創造の領域—形式と外見
第2機能は創造の領域で、ESIではSeが来ます。Reininは、その中身を形式・行動・運動として、こう書いています。
機能 #2 — 黒い感覚(●(Se)):形式、行動、運動。このタイプの本質は、洗練され上品に装う女性である。以前はブリジット・バルドーの名がこのタイプの一般的な指標として用いられた。(中略)ESI〔原文: ドライザー〕はより程度において女性的なタイプであると言うのは公正であろう—もっとも、ソシオニクスにおいては純粋に「男性的」あるいは「女性的」なタイプは存在しないのだが。
原文を表示
Function #2 - objective sensoring ( ): a form, an action, a movement. The essence of this type is a woman who dresses exquisitely and daintily. Earlier the name of Brigitte Bardo was used as a common label for this type. (中略) It would be fair to say that a Dreiser is to a greater degree a female type; though in socionics there are no purely 'male' or 'female' types.
Reininは、タイプの本質を「洗練され上品に装う女性」と言い切ったうえで、純粋に男性的・女性的なタイプは存在しないと断っています。Reininの書き方はこの二重です。つまり、ESIのSeは、身なりや動きの洗練として現れるということです。
なお、前の節の踊りについて、Reininは関係の無い活動として、無視の領域(第-1機能)の側で理由を書いています。ただ、同じ引用の「楽に動き、踊るのが好きだ」という身のこなしは、この形式・運動の領域と重ねて読むこともできます。
問題の領域—内的状況の全体性
Reininが「問題の領域」と呼ぶ第3機能には、ESIではNi(位置6)が来ます。Reininは、こう書いています。
機能 #3 — 白い直観(△(Ni)):内的状況の全体性が問題の領域にある。「私の内的状況は常に完全で、安定していて、保護されているべきだ」。このタイプにとって内的平和をもつことが重要である。社会において、彼らは内的状況の安定性が保証される社会的ニッチを探す—たとえそれがより少ない金銭と威信しか提供しないとしても。
原文を表示
“My internal situation should always be complete, stable and protected”. It is important this type to have inner peace. In the society they look for a social niche where the stability of the internal situation is guaranteed even if it provides less money and prestige.
ESIは、内面の安定が保てる居場所を選び、そのためなら収入や地位が下がってもかまわないとされています。金銭と威信を下げてでも安定を取る、という交換の形で、望みと、それに合わせた生活条件の選択が1つの引用で結ばれています。
Reininは、この安定が放っておいて保たれるとは書いていません。こう続けます。
この内的世界は、外で起こっていることと調和していなければならない。それゆえESI〔原文: ドライザー〕は、自分の内的世界を自分の周りの世界と調和させるためにより懸命に働かねばならない。(中略)当然、世界が再びESI〔原文: ドライザー〕の内的調和を乱すのにそう時間はかからない—それは絶え間なく彼の内的心理的領域に侵入してくる。
原文を表示
This inner world should be in tune with what is going on outside. Therefore a Dreiser has to work harder to harmonize his inner world with the world around him. (中略) Naturally it does not take long before the world disturbs the Dreiser’s inner harmony again, it is constantly invading his inner psychological realm.
言い換えると、ESIの内面の安定は、外の世界と合わせる努力を続けて保たれるということです。外が乱すのを待つのではなく、内と外を合わせ続ける労力が先にある、という順序です。その作業に終わりはなく、世界は「絶え間なく」侵入するとReininは続けます。
事実は受け取り、説明は避ける
第4機能は暗示の領域で、ESIではTe(位置5)が来ます。Reininは、こう書いています。
機能 #4 — 黒い論理(■(Te)):人物は説明によってではなく事実によって暗示される。「事実をくれ」。ESI〔原文: ドライザー〕は「説明」を必要としない—「説明するな、ただ事実をくれ、お前の解釈には興味がない!」。ESI〔原文: ドライザー〕は現実の出来事と証明された事実のみを考慮に入れる。
原文を表示
Function #4 - objective logic ( ): a person is suggested not by explanations but by facts. “Give me the facts.” A Dreiser does not need "explanations": “Do not explain, just give me the facts, I am not interested in your interpretation!” A Dreiser considers only real events and proven facts.
ESIは、他人の解釈を情報として数えず、現実の出来事と証明された事実だけを受け取るとされています。判断の材料は、相手の言い分ではなく起きたことの側に置かれます。
同じ「説明」が逆の側からも出てきます。「恐怖の領域」=第-4機能は、ESIではTi(位置3)です。Reininは、こう書いています。
機能 #-4 — 白い論理(□(Ti)):私の理解。ここではすべてを理解することへの恐怖がある。それゆえ、ときにESI〔原文: ドライザー〕の説明は他の人々には短く曖昧に思えることがある。このタイプは事物を説明するよりも事実について話すことを好む。彼女は事物を説明する必要のある状況を避ける傾向がある。「目の前にあって、自分の目で見ることができる事物を、なぜ説明するのか。私は知りたいのだ、何かを説明する必要はない」。
原文を表示
Here is the fear to understand everything. Therefore sometimes a Dreiser's explanations seem short and vague to other people. This type would rather talk about facts than explain things. She tends to avoid situations when it is necessary to explain things.
求めないのは他人の説明で、恐れるのは自分が説明することです。Reininは同じ「説明」を2つの領域に振り分け、事実を話すほうを好む・説明を要する場面を避けるという2つの行動を導きます。短く曖昧に見えるのは他人の側からの見え方です。
助言という体裁
主著の第III部は、12の状況ごとに、相談に来た人へ二人称で助言する形式です。Reininは、その冒頭で、こう断っています。
ここでは意識的に厳格な文体を採らず、「クライアント — コンサルタント」状況をモデル化することを試みる。また、ここではすべてのタイプをすべての可能な状況において検討するわけではない。
原文を表示
Here we consciously will not adhere to an austere style, but shall try to model the "client - consultant" situation. Besides, here we will not consider all types in all possible situations.
言い換えると、第III部の助言は、相談する人と助言する人という場面を仮に立てて書いたもので、すべての状況を扱うものではないということです。「クライアント — コンサルタント」という枠が先に置かれるので、次の引用の二人称は読者ではなく、相談に来た人という設定の相手です。助言の形は観察を渡すための様式です。
12の状況の1つ目「能動的な社会協力」で、ReininはESIにこう助言しています。
あなたの本性は、要求の厳しい社会的相互作用にそれほど適応していない。自分自身を見守りなさい。しばしばあなたは観察者の立場にあり、能動的な動きをしない。社会はあまり注意深くないので、あなたが評価されないかもしれず、単に気づかれないままかもしれない。(中略)残念ながら、他人にはあなたの内なる調べが聞こえない。世界は調和を欠き、聞いてもらうにはかなりの努力が必要である。(中略)助言:感情に支配されてはならない。それは時にあなたを圧倒しうる。状況の催眠に屈してはならない。
原文を表示
Your nature is not that well adapted to the demanding social interactions. Watch yourself. Quite often you are in the position of an observer, not making any active moves. The society is not too attentive, therefore your may not be appreciated or you may simply remain unnoticed. (中略) Other people, unfortunately, could not hear your inner tune. The world is inharmonious and in order to be heard it is necessary to make considerable efforts. (中略) Advice: do not let the emotions rule you; they can sometimes overpower you. Do not give in to the hypnosis of the circumstances.
言い換えると、観察者でいるESIは、社会の中で評価されず、気づかれないままになるかもしれないということです。観察者の位置が、ここでは代価と一緒に書かれ、「他人には内なる調べが聞こえない」と続きます。前の節の、第1機能が言葉にならないという記述が、周りに受け取られないという形でここに戻ってきていると読めます。そのうえで、Reininは感情や状況に流されないよう助言しています。
小括します。ReininのESI記述の軸は4つです。第一に、第1機能を関係ではなく関係への態度に置き、それが固定され言葉にならないと書いたことです。第二に、関係そのものを無視の領域に置き、観察者という位置と、形式・外見という創造の領域を同時に説明したことです。
第三に、内的状況の全体性を問題の領域とし、それを保つ労力と世界の侵入を負担と書いたことです。第四に、説明について、他人の説明は要らず(第4機能のTe)、自分が説明する場面は避ける(第-4機能のTi)という対を書いたことです。
このように、資質を評価せずどの領域に何が置かれているかで人物像を組み立て、読者への助言という体裁まで持ち込むのがこの記述の形です。
この章の要点は、研究者ごとのページに短くまとめています。
07Bukalovの記述
Aleksandr Bukalovは、キエフの国際ソシオニクス研究所を率い、機関誌『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』を主宰してきた研究者です。この章の底本は、Bukalov名義のESIプロファイルと、機関誌に発表された本人の論文です。この章では、理論からの割り当て、プロファイルのESI記述、集団への適用を扱います。機能の次元性をめぐる主張(16章)、クアドラ論(17章)、関係の記述(18章)、名前の挙がる作家と作品(22章)は、それぞれの章にあります。
「正義」のモジュールに割り当てる
Bukalovは共著論文で、人類の進化を情報代謝の機能構造から書き直し、行動の型をモジュールとして番号で並べています。その第13が「正義」です。
権利、義務、それらの違反の感覚、怒りと復讐の感情を含む。モジュールは、行動の正しさ・誤りを評価する(つまり道徳的評価)倫理的多次元機能と、違反に対する厳しい感覚的処罰の可能性との組み合わせに結びついている。倫理感覚内向(ESI、▽(Fi)●(Se))に対応する。このタイプの代表者はしばしば、社会における行動の「道徳規範」の創造者・守護者、不道徳な行動の批判者、厳しい道徳家として登場する。
原文を表示
Модуль связан с этической многомерной функцией оценки правильностинеправильности поведения (то есть нравственной оценки) в сочетании с возможным жестким сенсорным наказанием за нарушения. Соответствует этико-сенсорному интроверту (ЭСИ, ). Представители этого типа нередко выступают как суровые моралисты, критики безнравственного поведения, создатели и хранители «морального кодекса» поведения в социуме.
Bukalovらの割り当てでは、ESIは、行動の正誤を道徳として評価する働きと、違反を厳しく罰しうる働きを合わせ持つため、「正義」のモジュールに入るとされています。割り当ての根拠は、人物の印象ではなく、この二つの働きの組み合わせに置かれています。以下のプロファイルは、この組み合わせが日々の行動にどう出るかの記述です。
誰が誰をどう思っているかが見える
Bukalovのプロファイルは、ESIが何を感じ取っているかから、こう始まります。
このタイプの人々は、対人関係をよく理解している—誰が誰を愛し、誰が誰を憎み、誰が誰を好きかなど。特に、自分に向けられた態度をよく見て、感じ取る。
原文を表示
Люди этого типа прекрасно разбираются в межличностных отношениях - кто кого любит, ненавидит, симпатизирует и т.д. Особенно хорошо видят и чувствуют отношение к себе.
つまり、ESIは、誰が誰を好み、誰が誰を嫌っているかという、人と人のあいだの感情をよく感じ取るということです。見えているのは個々の人物の性質より、誰と誰のあいだにどんな感情があるかです。Bukalovは「感じ取り」と「見抜く」を並べて書いており、印象として受け取ることと、言い当てることの両方を含めていると読めます。
道徳を語る好みと、作品に出る評価
Bukalovは続けて、ESIが何を話題に選ぶかを、こう書いています。
彼らは道徳的原則について、義務に忠実である必要性について、自分の義務を遂行することについて語るのが好きだ。もし作家であれば、登場人物の行動に対する道徳的・倫理的評価に特別な重点を置く。
原文を表示
Любят говорить о моральных принципах, о необходимости быть верными долгу при выполнении своих обязанностей. Если это писатель, то делает особое ударение на морально-этической оценке поступков своих персонажей.
ESIは、道徳の原則や義務について語るのを好み、作家であれば登場人物の行動を道徳の面から評価するとされています。関係が見えることと、それを道徳の語で語ることは別で、Bukalovは後者を好みとして書いています。作家であればという条件つきの後半は、観測の範囲を本人の言動から作品にまで広げたものです。
世界の側が道徳的に欠陥している
Bukalovは、その関心が繰り返し口に出る形も、こう書き留めています。
「ESI〔原文: ドライサー〕」はしばしば、世界は道徳的に欠陥があり、すべてのトラブルの原因はそこにあると言う。彼には独特のペシミズムがしばしば見られる。
原文を表示
"Драйзер" часто считает, что мир нравственно испорчен, и причина всех бед именно в этом. Ему часто свойственен пессимизм.
つまり、ESIはトラブルの原因を、世界そのものの道徳的な欠陥に求めるということです。原因の所在を一つに寄せる言い方で、道徳の欠陥は個々の相手についてではなく、世界について言われています。Bukalovはそれを「独特のペシミズム」と呼び、気分の暗さではなく原因の見立てから出るものとして置いています。
長期の圧力に持ちこたえる
Bukalovは、意志の面を、行使する側ではなく向けられる側から、こう書いています。
自分に向けられた長期的な意志的圧力に耐えることができ、驚くべき忍耐力とスタミナを発揮することができる。この一例がイタリアのテレビシリーズ「タコ」に出てくるカタニア署長の姿であり、彼は容赦ない粘り強さでマフィアを追い詰める—「ESI〔原文: ドライサー〕」を止められるものは何もない。
原文を表示
Он способен выдерживать длительное волевое воздействие, направленное на него, и сам может проявлять незаурядные волевые качества. Один из примеров этого - образ комиссара Катаньи в итальянском телесериале "Спрут", где он с неослабевающим упорством преследует мафиози - "Драйзера" ничто не может остановить.
ESIは、自分に長く向けられる圧力に耐え、粘り強く相手を追い続けられるとされています。一度の衝突ではなく、圧力がかかり続ける場面が想定されています。実例はテレビドラマの人物で、そこから粘り強さの一点だけが取り出されています。人物を根拠に置くのは、Bukalovのプロファイルに共通する形です。
自分を説明する場面
Bukalovは、ESIが自分の側を語る場面を、二つ書いています。1つ目は、相手に説明する場面です。
会話の中で、相手に何かを説明する際、「ESI〔原文: ドライサー〕」は論理的に考えようとし、時に列挙する—「第一に…第二に…第三に…」しかし、自分の行動を純粋に論理的に正当化することは必ずしもできない。
原文を表示
В разговоре, объясняя собеседнику что-либо, "Драйзер" старается рассуждать логически, иногда перечисляет: "Во-первых... во-вторых... в-третьих... Но свои поступки ему не всегда удается обосновать чисто логически.
言い換えると、ESIは説明のときに「第一に、第二に」と論理立てようとするが、自分の行動の理由を論理だけで示すことはいつもできるとは限らないということです。Bukalovは論理を使えないとは書かず、使ったうえで及ばない範囲を名指ししています。3番の規範機能にTi(内向論理)が入る配置と重ねて読めます。
2つ目は、自分が評価される側になる場面で、同じ向きの記述があります。
自分の能力や才能を評価されることを好まない。仕事によってのみそれを示すことができる—彼はそう信じている。
原文を表示
Не любит, когда оценивают его способности и таланты. Это может показать только работа - считает он.
ESIは、自分の能力を言葉で評価されるのを好まず、仕事の結果で示そうとするとされています。拒まれているのは評価そのものではなく、言葉で測られることで、示す手段が結果の側に限られます。「彼はそう信じている」という結び方で、Bukalovはこれを本人の信条として書き、外からの評定と分けています。
集団のタイプを測る
Bukalovはこの枠組みを、個人ではなく人の集まりにも使っています。1998年に国際ソシオニクス研究所がウクライナ国立科学アカデミー社会学研究所と共同で行ったチェルノブイリ移住者の調査では、1,072通の回答が分析にかかりました。
これによりチェルノブイリ移住者のインテグラル・タイプを決定することができ、それは次にこの人々の共同体に固有の心理的特性および社会的ステレオタイプを記述するのみならず、社会的リハビリテーションに関する提案を定式化することをも可能にした。(中略)これにより、移住者のインテグラル構造を倫理感覚内向(ESI)のソシオニクス・タイプとして決定することが可能となった。彼らは論理直観外向(LIE)の社会的支援を必要としている。
原文を表示
Это позволило определить интегральный тип чернобыльских переселенцев, что, в свою очередь, дало возможность не только описать присущие этой общности людей психологические черты и социальные стереотипы, но и сформулировать предложения по социальной реабилитации. (中略) Это позволило определить интегральную структуру переселенцев как соционический тип этико-сенсорный интроверт, который нуждается в социальной поддержке логико-интуитивного экстраверта.
上の引用にあるインテグラル・タイプは、集団をひとまとまりの人格と見たときのタイプのことです。言い換えると、移住者の集団がESIとされ、ESIの双対であるLIEの社会的支援が要ると提案されたということです。決定されているのは個人のタイプではなく集団のインテグラル構造で、社会学のデータと突き合わせたうえでESIが割り当てられています。タイプを個人の観察から取り出す他の研究者と、Bukalovの用途はここで分かれます。
小括します。BukalovはESIを、道徳的評価の機能と違反への処罰が組み合わさる進化のモジュールに割り当てたうえで、人物記述に入ります。プロファイルは対人の配置が見えるところから始まり、それを道徳の語で語る好み、世界そのものに欠陥があるという見立てへ進みます。意志の面は、押し返す強さではなく、長期の圧力に持ちこたえる時間の長さで書かれます。
また、自分を語る二本は、行動を論理で正当化しきれないことと、評価より仕事で示すことを選ぶことで、どちらも自分を説明する場面の記述です。このように、Bukalovには、理論の側からタイプを割り当てる書き方と、具体の場面や集団の調査でそれを示す書き方が、どちらもあります。ESIを道徳の評価と処罰の組み合わせとして割り当て、その像を人物の場面と集団の調査の両方で示しています。
この章の要点は、研究者ごとのページに短くまとめています。
08Stratiyevskayaの記述
Vera Stratiyevskayaは、16タイプの長文プロファイルと、クアドラ・関係中心の著書『お別れしないために』で知られる研究者です。理論編の要素定義(04章)、双対(LIE)との関係記述(18章)、クアドラの記述(17章)は、それぞれの章にあります。書籍のESI章は機能位置ごとに節が立ち、この章ではそのうち、関係の原理と人物の見立て、それが行動に出るところまでを扱います。筆致は具体例が多く断定が強いのが特徴で、その強さも含めて引用します。
倫理のプログラムが課題にするもの
StratiyevskayaのESI記述は、性格の特徴ではなく、プログラムが自分に課している課題の定義から、こう始まります。
ESI〔原文: ドライザー〕のプログラムは、まず第一に存在する否定的倫理傾向を見出し、それらを完全な根絶までと闘うことを自分の課題とする。これらの理由により、ESI〔原文: ドライザー〕にとって受け入れられるのは、自分と社会にとって不快事の可能性が最も低いと自分で見る関係だけである。
原文を表示
Программа Драйзера ставит своей задачей в первую очередь выявить существующие негативные этические тенденции и бороться с ними до полного их искоренения. В силу этих причин для Драйзера приемлемы только те отношения, в которых он видит для себя и для общества наименьшую вероятность неприятностей.
言い換えると、ESIは、良い関係を作るより先に、悪い傾向を見つけて根絶まで闘うことを自分の課題にしているということです。そのため、受け入れる関係にも、「最も良い」ではなく「不快事の可能性が最も低い」という条件がつきます。良いものを探すのではなく、不快なものを除いて残ったものを選ぶ、という向きが章の記述の元になっていると読めます。
関係を作る二つの戒律と、選び終えたあと
その課題が相手との間でどう運用されるかを、Stratiyevskayaは二つの戒律という形で、こう書いています。
最も多くは、ESI〔原文: ドライザー〕の人々との関係は二つの戒律に基づいて構築される: 「自分にして欲しくないことを他人にもするな」と「目には目を、歯には歯を」。つまり、ある人があなたに何も悪いことをしていないなら、あなたはその人に悪く接する権利がない。しかしその人が悪い行為をする能力があると予想するなら、その人を信頼しない権利があり、さらに、他人に警告するのはあなたの義務である。この動機を理解しないと、ESI〔原文: ドライザー〕がゴシップ屋、「他人の骨を洗うのを好む者」のような印象を受け得る。(中略)他人についても自分についてもゴシップを言うことを耐えられない。悪口を不値で危険な行為と考えるのである。しかし警告 — それは彼らの神聖な権利と義務であり、彼らは常にそれを擁護する用意があり擁護する術を心得ている。
原文を表示
Чаще всего взаимоотношения с людьми у Драйзера строятся на двух заповедях: "Не делай другим того, чего не желаешь себе" и "Око за око, зуб за зуб". То есть, если человек не сделал тебе ничего плохого, ты не имеешь права к нему плохо относиться, но если ты в нем предполагаешь способность совершить дурной поступок, твое право ему не доверять, и, более того, твоя обязанность — предостеречь других. Если не понимать этой мотивации, может сложиться мнение о Драйзере, как о сплетнике, "обожающем перемывать косточки другим".(中略)терпеть не могут сплетничать ни о других, ни о себе, считая злословие делом недостойным и опасным, но предостережение — это их святое право и обязанность, и они всегда готовы и умеют его отстоять.
ESIは、何もしていない相手に悪く接することはせず、悪い行為の予想が立った相手にだけ、信頼を引いて周りに警告するとされています。外から目立つのは後半の戒律ですが、著者が先に置くのは前半です。信頼を引くのも警告するのも、悪い行為の予想が立ったあとに限られます。
そのため、周りからはゴシップ屋という印象を受けることがあります。ですが、当人の側は悪口を恥ずべき危険な行為と見ており、その両方が同じ段落に書かれています。
選別が済んだ相手に対しては、記述の向きが反転します。Stratiyevskayaは、こう書いています。
極端主義者である。愛、友情に完全に身を捧げる。持っているすべてを、さらには持っていないものさえ与える。(友人の借金を返済するためにローンを組むこともありうる。)
原文を表示
Максималист. Любви, дружбе отдается полностью. Отдает все, что имеет, и даже то, чего не имеет. (Может взять ссуду, чтобы оплатить долги своего друга.)
つまり、選別を通った相手には、ESIは持っていないものまで差し出すということです。「極端主義者」という一語が、ここでは献身の側に使われています。持っていないものまで与えるという書き方は程度の強調ではなく、出し惜しみの余地が残らない、という記述です。ローンの例を括弧で添えるのが彼女の具体の入れ方です。
人物の見立ては第一印象で決まる
では、その選別はどう行われるのでしょうか。Stratiyevskayaは、速さと正確さを同じ箇所で、こう書いています。
ESI〔原文: ドライザー〕は見事な人相判断者であり、極めて観察力が鋭く、ほとんど捉えられない、彼一人だけに目立つ特徴によって、人物の性格と行動の動機について非常に正確な表象を作る能力がある。
初めて自分の視野に入った各人物を、ESI〔原文: ドライザー〕はあたかも自分の貫くような「レントゲン的」視線で「解剖する」かのようである。その視線の下では、ほとんど誰も居心地よく感じない。人物の「倫理性」、彼の行動の動機についての最も正確な表象が、ESI〔原文: ドライザー〕にはまさに最初の印象によって形成される。
原文を表示
Драйзер — великолепный физиономист, исключительно наблюдателен, способный по едва уловимым, только ему одному заметным признакам составить очень точное представление о характере человека и о мотивах его поведения.
言い換えると、ESIは人の性格と動機を、ほかの人には目立たない特徴から、最初の印象で正確につかむということです。細かさと結論の出る速さが一つの能力として並び、「レントゲン的」「解剖する」という語は、視線を向けられた側の居心地から選ばれています。
Stratiyevskayaは、この見立てが否定的なときの確かさを、こう続けています。
形成された否定的見解において、彼は原則として間違わない。最初の印象を放棄することに同意するとしても、それは余計に自分を再検証するためだけである。(自然はこの貴重な資質を彼に授けることで、直観と論理にあれほど恵まれなかったことを詫びるかのようである。)
原文を表示
В сложившемся негативном мнении он, как правило, не ошибается, а если и соглашается отказаться от первоначального впечатления, то только для того, чтобы лишний раз себя перепроверить.
言い換えると、ESIの人を見る目の鋭さは、直観と論理が弱いことの埋め合わせのように書かれているということです。上の引用にある直観はESIの位置4のNe、論理は位置3のTiの要素です。断定のあとに、著者は括弧でこの理由づけを添えています。
また、「原則として間違わない」と書かれているのは、形成された否定的な見解についてです。第一印象の放棄も、相手の像を書き換えるためではなく自分を再検証するためです。
見立てが外れる場面
一方、Stratiyevskayaは同じ章に、見立てが外れる場面も、こう書いています。
倫理的洞察力にもかかわらず、ESI〔原文: ドライザー〕はしばしば友人、相談相手、パートナーの選択で間違える。しばしば、まさに彼の信頼、彼の友情、彼の感情を濫用する者にチャンスを与える。(中略)彼は他の者よりも頻繁に詐欺と投機の犠牲者となる。その結果、ESI〔原文: ドライザー〕は自分の行為、言葉、決定、関係において特に注意深くあろうとする。(他方、彼が用心深ければ用心深いほど、自分の周囲により多くの緊張と敵意を生み出し、自分のためのチャンスをより少なく残す。)
原文を表示
Несмотря на свою этическую проницательность Драйзер нередко ошибается в выборе друзей, советчиков или партнеров. Часто дает шанс именно тому, кто злоупотребляет его доверием, его дружбой, его чувствами.(中略)он чаще других становится жертвой афер и спекуляций. Вследствие этого Драйзер старается быть особенно осторожным в своих поступках, словах, решениях и взаимоотношениях. (С другой стороны, чем больше он осторожничает, тем больше напряжения и враждебности он создает в собственном окружении, и тем меньше оставляет шансов для себя.)
この引用によれば、ESIが間違えるのは、信頼して友人や相談相手、パートナーを選ぶ側です。外れる相手として挙がるのは、信頼・友情・感情を濫用する者、つまり利害で近づく相手です。前の引用の「原則として間違わない」と食い違って見えますが、そちらは否定的な見立てについての記述なので、両方が同じ章で両立します。
括弧の一文が対の後半で、用心を強めるほど緊張と敵意が増え、機会が減る、という循環が書かれています。
闘うことと、先に手を出さないこと
見立ては判定で終わらず行動に出ます。Stratiyevskayaは、その出方にも条件を置いて、こう書いています。
ESI〔原文: ドライザー〕は、自分の存在の全意味を構成する自分の倫理的・道徳的価値観の体系に人々を従わせる術を心得ており、できる。彼は最も少なく、社会の倫理的問題の傍観者であり続ける傾向にない。それゆえ道徳的・倫理的規範からのあらゆる逸脱と積極的に闘い、それで「闘争的モラリスト」の名声を得たのである。
原文を表示
Драйзер умеет и может подчинять людей системе своих этических и нравственных ценностей, которая составляет весь смысл его существования. Он менее всего склонен оставаться сторонним наблюдателем этических проблем общества. Поэтому активно борется с любыми отклонениями от нравственных и моральных норм, чем и снискал себе славу "воинствующего моралиста".
つまり、ESIは社会の倫理的な問題を傍観せず、規範からの逸脱と積極的に闘うということです。行動の側の条件は「傍観者であり続ける傾向にない」に置かれています。「闘争的モラリスト」という名声は、基準の高さからではなく、その基準を外へ出すところから生じたものとして説明されています。
一方で、Stratiyevskayaは、闘い始める順序には縛りがあると、こう書いています。
時に周囲の敵対的気分を感じて、ESI〔原文: ドライザー〕は自分が「攻撃」される前に「防御」を始めることがある。しかしほぼすぐに自分の非を認め、最も厳しい良心の呵責を体験する。ESI〔原文: ドライザー〕は最初に攻撃することはできない — それは彼の倫理プログラムに矛盾するのだ。
原文を表示
Иногда, чувствуя враждебное настроение окружающих, Драйзер может начать "защищаться" еще до того,〔中略〕как на него "напали", но тогда почти сразу же замечает свою неправоту и испытывает жесточайшие угрызения совести. Драйзер не может первым нападать — это противоречит его этической программе.
ESIは、自分から先に攻撃することができず、先に身構えてしまったときは、すぐに非を認めて強く悔やむとされています。ここで条件になっているのは反撃の強さより順序です。闘う相手の選び方ではなく、闘い始める時点がプログラムの側から縛られています。
意志感覚を強みとするタイプは他にもいて、Stratiyevskayaはその違いを一文で、こう書き分けています。
LSI〔原文: マクシム〕の意志感覚は、ESI〔原文: ドライザー〕の好戦的・道徳家的感覚や、SLE〔原文: ジューコフ〕の行政的・「マフィア的」感覚とは違って、「軍事・行政的」性格を帯びる—ディアード「EIE〔原文: ハムレット〕-LSI〔原文: マクシム〕」の社会的特性ゆえである。
原文を表示
Волевая сенсорика Максима, в отличие от воинственно-морализаторской сенсорики Драйзера и административно-"мафиозной" сенсорики Жукова, носит "военно-административный" характер — в силу социальной специфики диады "Гамлет — Максим".
上の引用で「ディアード」と訳されている語は、双対ペアのことです(EIEとLSIは双対の組)。つまり、同じ意志感覚でも、ESIでは道徳のために闘う形をとるということです。3つのタイプで別々の形容が与えられており、ESIに使われた「好戦的・道徳家的」は、力の強さではなく力が何に向けられるかの指定です。前の引用の「最初に攻撃することはできない」と重ねると、意志を動かす合図は道徳の側から出ています。
競争の場について、本人が語ったこと
章の中で一度、Stratiyevskayaは説明を止めて、当事者の言葉をこう置いています。
勝者があらかじめ分かっているコンクールに、ESI〔原文: ドライザー〕は原則として参加しない。ESI〔原文: ドライザー〕はおしなべて健全でない競争の条件下で具合が悪くなる。(中略)「オーディション待ちの間、私は無料スープの列にいるかのように感じた。周りには失業中の、未整備な音楽家たちがいて、皆の目が悪く、飢えていた。出演しなければならなかったのは、まさに自分の競合相手たちの前であり、それは極限まで難しい — 物理的に彼らの嫉妬と不好意を感じる。なぜなら誰もがこのコンクールを自分の最後のチャンスと見なしているのだから…」
原文を表示
В конкурсе, где победитель заранее известен, Драйзер, как правило, не участвует. Драйзер вообще плохо себя чувствует в условиях нездоровой конкуренции: "В ожидании прослушивания я чувствовала себя как в очереди за бесплатной похлебкой. Вокруг безработные, неустроенные музыканты, глаза у всех злые, голодные. Выступать пришлось перед своими же конкурентами, а это предельно трудно — физически ощущаешь их зависть и недоброжелательность, ведь каждый рассматривает этот конкурс как свой последний шанс..."
言い換えると、ESIがつらいのは、負けることではなく、競合相手の前で評価を受ける場に置かれることだということです。「無料スープの列」が指すのは、順番を待たされている状態です。そこから「物理的に彼らの嫉妬と不好意を感じる」へ進み、不快の中身が語られます。著者の説明の側は「健全でない競争」の一語です。
小括します。StratiyevskayaのESI記述には3つの特徴があります。第一に、関係を選ぶ基準を消去法で書きます。良いものを探すのではなく、不快事の可能性が最も低いものを残す、という向きが冒頭の定義から通ります。
第二に、能力とその代償を同じ箇所に並べます。第一印象の正確さには直観と論理の弱さが、用心深さには周囲の緊張と機会の減少が添えられます。
第三に、行動に出る条件と出せない条件を対で書きます。規範からの逸脱とは積極的に闘う一方、先に攻撃することはプログラムに矛盾する、という縛りが置かれます。
「原則として間違わない」のような強い言い方が続くのも、この著者の特徴です。そのため、表現の強さと観察の内容は、分けて受け取る必要があります。
この章の要点は、研究者ごとのページに短くまとめています。
09Filatovaの記述
Ekaterina Filatovaは、簡潔な4機能の枠組みと、写真資料を併用したタイプ記述で知られる研究者です。彼女はESIを主導(Fi)・創造(Se)・最小抵抗(Ne)・暗示(Te)の4チャンネルで記述します。彼女が使うI〜IVの番号は、当サイトの位置1・2・4・5です(03章)。系譜(02章)、Fi・Seの一般定義(04章)、サブタイプ(20章)、識別問題(21章)は、それぞれの章にあります。この章では、『ソシオニクスの鏡の中の人格』のESI章と、同書のクラブ「ソシアル」の比較分析、および別のタイプ記述から、人物像の記述を扱います。
「守護者」という名前
Filatovaは「ソシアル」クラブの4タイプを並べた箇所で、ESIに与えた名称の理由を、自分でこう説明しています。
内向的で合理的なESIドライザーは、控えめで、内面的には警戒心が強く、モラリストであり、道徳的な基盤の守り手であって、それを力ずくの手段によっても守り抜くことができる。それゆえ、彼の意味づけとしての名前が守護者であるのも理解できよう。彼には自制心と規律が特徴的である。何をしてはいけないかを明確に把握しており、自分の原則の番人として立ち、自分の道徳的な領域を守る。距離を置いたコミュニケーションにおいては、穏やかで協調的な人物である。しかし、自分の原則が損なわれると、厳しく、時には妥協を許さない態度を取ることもある。
原文を表示
Интровертный и рациональный ЭСИ Драйзер — человек сдержанный, внутренне настороженный, моралист, хранитель нравственных устоев, которые он способен отстаивать и силовыми методами. Понятно, поэтому его смысловое имя — Хранитель.
言い換えると、ESIが「守護者」と名づけられたのは、道徳の基盤を、力ずくの手段も使って守り抜くからだということです。名前の根拠は、面倒見の良さではなく何を守るかに置かれています。距離があるうちの穏やかさと、原則が損なわれたときの厳しさが、同じ構えの表と裏として並んでいます。
不確実性を恐れる、という理由づけ
続く段落で、Filatovaは、その守り手が枠を求める理由を、こう書いています。
守護者は不確実性を恐れるため、あらかじめ定められた規則の枠内にいるときの方が、はるかに自信を持って自分を感じられる。この理由から、強力な上司の後ろ盾があるときに最も自信を感じ(中略)その際、有益で重要な仕事に関わっているという感覚を得る一方で、その仕事の全体的な責任は負わずに済む—それは彼にとって道徳的にかなり重荷になることだろう。同じ理由から、軍務に非常に適していることがある。何ができて何ができないかが規定によって正確に定められている、厳格な軍隊組織の条件下では、ESIは自分に自信を持ち(中略)そこに自分の居場所を占めることができる。
原文を表示
Хранитель боится неопределенности, поэтому гораздо увереннее ощущает себя в рамках заранее установленных правил. По этой причине чувствует себя наиболее уверенно за спиною сильного шефа (中略) При этом ощущает себя причастным к полезному и важному делу, одновременно не неся за него общей ответственности, что для него было бы очень тяжело морально.
Filatovaによれば、ESIは先の分からない状況を恐れるので、規則が決まった場や強い上司のもとで自信を持てるということです。後ろ盾を求める理由は権威への従属ではなく、全体の責任を負わずに済むことに置かれ、全体の責任はESIにとって道徳的な重荷になるとされています。
つまり、恐れから軍務までを1本の理由でつないでいます。特徴を列挙せず理由を切らずに書くのが、彼女の筆致です。
伝統と儀礼という指針
ESI章では、『風と共に去りぬ』のエレンが記述の軸になります。Filatovaは、こう書いています。
ESIにとって、伝統と儀礼は非常に重要であり、彼の深い確信によれば、それらは困難な状況において助けとなりうる、必要不可欠な指針である。とりわけエレンは、貧しい人々を助けようと努め、黒人女性の出産を手伝うために一晩中その枕元に付き添うことさえできる。(中略)また、ESIは如才なさを発揮する術を心得ており、無用な対立を避けようと努め、相手の話をうまく「正しい」方向へと導く。エレンの夫でスカーレットの父であるジェラルドは、必ずしもいつも上品な言葉遣いをするわけではなく、エレンはそれを巧みに正す。
原文を表示
Для ЭСИ очень важны традиции и ритуалы, которые, по его глубокому убеждению, являются необходимыми ориентирами, способными помочь в трудных ситуациях. В частности, Эллин старается прийти на помощь бедным людям, в том числе способна всю ночь просидеть у постели негритянки, чтобы помочь ей разрешиться от бремени.(中略)Отметим также, что ЭСИ умеют проявить такт, стараются понапрасну не конфликтовать, умело направляя речь собеседника по «правильному» руслу. Джералд, муж Эллин и отец Скарлетт, далеко не всегда выражается салонным языком, и Эллин умело его поправляет
つまり、ESIにとって伝統と儀礼は、困難な状況で頼りにする指針だということです。規範が守るべき決まりとしてより、指針と呼ばれているところに、この段落の力点があります。その中身は、一晩の付き添いという行為で示されます。また、相手の話を「正しい」方向へ導くという後半の記述は、対立を起こさずに基準を守らせる振る舞いと読めます。
彼女は同じエレンの記述を、感情の見えにくさで、こう締めています。
エレンの姿において、私たちはこの心理タイプの信念の確固たること、信頼性を特によく感じ取った。一見すると、ここには感情の入り込む余地が特にないようにさえ見えるかもしれない。しかし、そうではない。ESIの感情は深く隠されており、それに気づけるとは決して限らないのである。
原文を表示
В образе Эллин мы особенно хорошо почувствовали твердость убеждений этого психотипа, надежность. На первый взгляд даже может показаться, что эмоциям здесь нет особенного места. Но это не так. Эмоции ЭСИ запрятаны глубоко, и далеко не всегда их можно заметить.
つまり、ESIの感情は深く隠れていて、外からは見えないことが多いということです。「気づけるとは決して限らない」は観察する側の限界を認める書き方で、外から見て感情が乏しいという判断を、著者が先に止めています。
感情が無いように見えるのは誤りだという点は、02章のユングの記述と同じです。外見から倫理型と見抜きにくいという21章の論点は、ここから出ています。
外面は見えるが、内側は見えない
最小抵抗チャンネル(Ne、当サイトの位置4)の節は、見えるものと見えないものの線引きから、こう始まります。
起こっていることの外面はよく見えるものの、ESIはその内部の仕組みや原因をうまく思い描くことができない。人間の深い本質にも入り込みにくいため、人生の伴侶を選ぶのに長い時間をかけ、数多くの具体的な日常の状況の中で、将来の配偶者の資質を入念に確かめる—その相手は必ず信頼でき、ESIの道徳的規範に合致していなければならない。
原文を表示
Прекрасно видя внешнюю сторону происходящего, ЭСИ плохо представляет себе его внутренние пружины и причины. Поскольку ему трудно вникнуть также и в глубинную сущность человека, долго выбирает себе спутника жизни, тщательно проверяя во множестве конкретных бытовых ситуаций качества будущего супруга (супруги), который обязательно должен быть надежным и соответствовать нравственным нормам ЭСИ.
ESIは、物事の外面はよく見えるが、その内部の仕組みや人の深い本質を思い描くのは苦手だとされています。そのため、伴侶選びの慎重さの理由も、相手を疑うからではなく内部の仕組みが見えないからだ、と書かれています。長い時間と数多くの日常の状況という確かめ方は、見えない部分を具体的な出来事で埋める手順です。
同じ節で著者は、自己評価の低さと、論理が強い機能ではないための知的な領域での力不足の感覚を挙げます。「正しさ」への固執はそこから説明され、Filatovaはこう書いています。
ESIは自分の活動において、社会が作り上げた一定の規則と規範に従う。概して、自分の人生に何かを変えよう、何か新しいものを取り入れようとは考えつかない。それゆえに、彼は内心そうした「正しさ」を誇りとし、それにしがみつき、周囲の目に対してあらゆる形でそれを主張する。それは、起こっていることをより広い視野で見ることができないという、自分でも意識していない無力さを感じ取っているからでもある。
原文を表示
В своей деятельности ЭСИ придерживается определенных правил и норм, которые выработало общество. Ему, как правило, не приходит в голову что-то изменить в своей жизни, привнести что-то новое. Поэтому он внутренне гордится такой «правильностью», держится за нее, всячески ее утверждает в глазах окружающих, подсознательно чувствуя свою неспособность шире взглянуть на происходящее.
つまり、ESIが「正しさ」にしがみつくのは、広い見通しを持てないことを、自分でも気づかないうちに感じているからだということです。頑なさとして見える振る舞いを、著者は本人の自覚の外にある事情から説明しています。「自分でも意識していない」という但し書きが、この説明を人格への評価から機能の位置づけへ移しており、4番の脆弱機能にNe(可能性)が入る配置と重ねて読めます。
準備の段階に時間が要る
暗示チャンネル(Te)の節で、Filatovaは、仕事の進め方に現れる負担をこう書いています。
秩序を大いに好み(内向感覚—強い機能)、ESIはすべてを誠実に、丹念に行おうとする。仕事のための資料を長い時間をかけて集め、どうすればより良くできるかを長く考え抜くことができるが、準備の段階だけでも、仕事は彼から多くの時間と労力を奪う。
原文を表示
Большой любитель порядка (БС — сильная функция), ЭСИ стремится делать все добросовестно и тщательно. Он может долго собирать материал для работы, долго продумывать, как сделать дело лучше, однако работа даже на стадии подготовки отнимает у него много времени и сил.
ESIは、丁寧に仕事をしようとするあまり、準備の段階だけで多くの時間と労力を使うとされています。括弧の中でSi(内向感覚)を強い機能と断ったうえで、その丁寧さが準備の段階で時間を奪うと続けており、強い機能の側から負担を説明する運びです。
別に書かれたタイプ記述では、同じ観察がTiの見出しの下に、こう置かれています。
Ti 役割機能。 いかなる課題やプロジェクトの開始時にも、ESIは注意深く必要な資料を集め準備し、すべてを慎重に考え抜くが、その後はエネルギッシュかつ断固として行動に移る。しかし、この機能の弱さは、この準備期間が彼女の時間とエネルギーに莫大な投資を消費するという事実に示されている。(中略)客観的に優先順位をつけ、一次的なものと二次的なものを区別することも困難である。(中略)こうしてしばしば、達成できたはずのものほど達成せずに、仕事で自分を過負荷にし疲弊させることがある。
原文を表示
Ti Role function. At the beginning of any task or project, ESI attentively collects and prepares the necessary material, carefully thinks things over everything, but afterwards she takes action energetically and decisively. However, the weakness of this function is exhibited by the fact that this preparatory period consumes huge investments of her time and energy.(中略)She also finds it difficult to objectively prioritize, to distinguish primary from the secondary(中略)Thus it often happens that she overloads and exhausts herself by work, while not achieving as much as she could have achieved.
言い換えると、ESIは準備に時間とエネルギーを使いすぎ、優先順位もつけにくいため、仕事で自分を疲れさせてしまうということです。中身は書籍の暗示チャンネルの節と同じで、見出しだけがTe(位置5)からTi(位置3)になっています。
ですが、書籍のFilatovaは4つのチャンネルで書いており、「役割機能」は8つの位置の呼び方です。そのため、この見出しの付け替えがFilatova本人の判断かどうかは、この2つの資料からは決まりません。
実現の場
Filatovaは、ESIが力を発揮する職業を、こう挙げています。
ESIは社会分野の生まれつきの働き手である。医療、あらゆる経済活動において能力を見事に実現する。動物と農業労働を愛し、軍においてふさわしい場所を見つけ、若者の教師・教育者として、世話を受ける者たちのために良い生活条件を作り出す方法を知っている。
原文を表示
ESI is the innate worker of the social sphere. Wonderfully realizes abilities in medicine, in any economic activity. Loves animals and agricultural work, finds a worthy place in the military, as a teacher and educator of young people knows how to create good living conditions for those under care.
つまり、医療・教育・農業など、人や動物の世話をする仕事が多く並ぶということです。多くは、相手が目の前にいて、世話の結果がその場で確かめられる場です。軍が並ぶのは、不確実性を恐れて規則の決まった場で自信を持つ、という前の節の理由づけと重なります。「生まれつきの」は彼女の見立てで、統計が示されているわけではありません。
小括します。FilatovaのESI記述は、4チャンネルの簡潔な枠組みの上に、名称の由来の自己解説、恐れから軍務までを1本でつなぐ理由づけ、頑なさを機能の欠けから説明する記述を載せています。評価語を避けて、構造の帰結として書く姿勢が通っています。
また、準備に時間がかかるという同じ観察が、書籍では暗示チャンネル(Te)の節に、別のタイプ記述では役割機能(Ti)の見出しの下に置かれています。
この章の要点は、研究者ごとのページに短くまとめています。
10Yermakの記述
Volodymyr Yermakは、ソシオニクスをシステム工学の言葉で組み直した研究者です。タイプを「TIM(情報代謝タイプ)」と呼び、人物像ではなくモデルの帰結としてタイプを書きます。彼のESI材料は、系譜の要約(02章)、Seの意味論(04章)、機能パラメータ(次元性、16章)、関係の記述(18章)、同定の手続き(21章)にも分かれて出てきます。
この章では、彼がESIを記述するときの様式そのものを扱います。資料は、2005年の単行本『人を理解することを学ぶには』の付録2「心のTIMモデルの記述」(Roslankinaとの共著、初出は1999年の機関誌)と、2009年の機関誌論文です。
1段落に圧縮されるESI
付録2では16の型が同じ枠で並び、各型の冒頭に「社会的(個人的)特性」の1段落が置かれます。Yermakは、ESIの社会的な特徴を、ブロックの働きからこう定式化しています。
TIMの社会的(個人的)特性: 人々に対する、また人々のあいだの、否定的な関係と肯定的な関係をよく見て取り、理解する(中略)自分と身近な者たちを(中略)否定的な関係から、そして一般に「自分の輪」へのいかなる侵入からも守る用意がある(中略)それを行うのは、具体的な事の利害において(中略)出来事の展開を予測し、否定的な出来事から肯定的な出来事へ抜ける道を見いだす必要と結びついた状況に反応するときである
原文を表示
Социальная (личностная) характеристика ТИМ: хорошо видит и понимает негативные и позитивные отношения к людям и между людьми(中略)готов защитить себя и ближних от(中略)негативных отношений и, вообще, любого вторжения в «свой круг»(中略)делает это, реагируя на ситуации, связанные с необходимостью в интересах конкретного дела(中略)прогнозировать развитие событий, находить пути ухода о негативных событий к позитивным
ESIは、人どうしの肯定的・否定的な関係をよく見て取り、自分と身近な人の「自分の輪」を、否定的な関係や侵入から守る用意があるとされています。前半は自我ブロックのFiとSe、後半は超イドブロックのTeとNiが働く場面を書いています。
守る対象は人一般ではなく「自分の輪」に区切られ、その外側は定式に入りません。逸話も評価語もなく、位置の連なりと働く条件だけでESIが規定されています。
続く各位置には、扱う情報アスペクトの名と1文の規定が割り当てられます。2番のSeについて、Yermakは括弧書きを1つ添えて、こう書いています。
機能すること—情報アスペクト「意志」(「意志感覚」)において。いかなる圧力にも抵抗することができ(防御の手段としての意志的資質)、自分の見解を守り抜き、自分と最も近い周囲、すなわち「自分の輪」を守ることができる。
原文を表示
функционирование — в информационном аспекте «воля» («волевая сенсорика»); умеет сопротивляться любому давлению (волевые качества как средство обороны), отстоять свою точку зрения, защитить себя и ближайшее окружение «свой круг».
つまり、ESIのSeは、押し出す力ではなく、受けた圧力に対して自分と身近な人を守る力だということです。括弧の中の「防御の手段としての意志的資質」が、この位置の性格を決めています。守る先も「自分の見解」と「自分の輪」に限られ、外へ広げる働きは書かれていません。
個人ではなく民族に当てはめる
Yermakは2009年の機関誌論文で、この枠を個人ではなく集団に使っています。ウクライナの社会的心理の統合情報代謝タイプ(ITIM)をESIと同定し、その自我ブロックから、こう定式を引き出します。
言い換えれば、ウクライナの民族的な社会的心理のITIMのモデルは、原理的に重要な事実を明らかにする(中略)周囲との関係におけるウクライナの民族的理念は、能動的に防御的な教義の上に有機的に立脚している(中略)イデオロギー的に重要で概念的に意義のある文書、ウクライナのイデオローグ・政治家・作家の発言、外国人の観察(「外からの視線!」)の中に、「防衛」「防御」「闘争」といった語がしばしば現れるのは偶然ではない。
原文を表示
Иначе говоря, модель ИТИМа национальной социетальной психики Украины обнаруживает принципиально важный факт(中略)национальная идея Украины в отношениях с окружением органично базируется на активно оборонной доктрине(中略)В идеологически важных, концептуально значимых документах и высказываниях украинских идеологов, политиков, писателей, в наблюдениях иностранцев («взгляд со стороны!») неслучайно часто употребляются слова «защита», «оборона», «борьба» и т. п.
言い換えると、ESIとされたウクライナの社会的心理は、周りとの関係で能動的に守る考え方に立っているということです。引き出されているのは、行動の観察ではなく自我ブロックの構成からの帰結です。関係を見る位置と守る位置が並ぶ配置に、「能動的に防御的」という向きが割り当てられます。裏づけに挙がるのも人物の逸話ではなく、文書や発言に現れる語の偏りです。
同じ論文の脚注で、Yermakは、この定式が誰に何を期待する形で現れるかを、こう書いています。
ちなみに、救世主思想のイデオロギーは、ウクライナの民族的な社会的心理の統合情報代謝タイプであるESIと十分に一致する(中略)公たち、ヘトマンたち、ロシアの皇帝陛下、ポーランドの王、タタールのハン、アタマンの頭領たち、そして現在の大統領や首相に至るまで—ウクライナはそのすべてに、守護者を、「自分の者」には善良でよそ者には善良でない存在を見たいと望んだのである。
原文を表示
Кстати, идеология мессианства вполне согласуется с интегральным типом информационного метаболизма (ИТИМ) национальной социетальной психики Украины ЭСИ(中略)князья, гетманы, российский царь-батюшка, польский король, татарский хан, батьки-отаманы и так до нынешних Президентов и Премьеров --- всех их Украина хотела видеть защитниками, добрыми к «своим» и недобрыми к чужим.
つまり、ウクライナが指導者に望んだのは、「自分の者」には善良で、よそ者には善良でない守護者だったということです。末尾の一句で、善し悪しの基準が相手の性質ではなく「自分の者」かどうかに置かれています。守り手という役どころと、内と外で扱いが分かれることが、1文のうちに並びます。ここでESIの語で書かれているのは個人ではなく、民族の統合情報代謝タイプです。
小括します。YermakのESI記述に人物像はほとんど出てきません。あるのは要素の意味論(04章)、パラメータの次元(16章)、同定の手続き(21章)で、性格描写はその演繹の結果に置かれます。
ESIについて彼の定式が名指しするのは、守る対象が「自分の輪」に区切られること、意志が防御の手段として規定されること、その内と外で扱いが分かれることの3点です。そのため、記述は検証しやすい一方で、行動の具体例は少なくなっています。
この章の要点は、研究者ごとのページに短くまとめています。
11Karpenkoの記述
Olga Karpenkoは、キエフの国際ソシオニクス研究所でBukalovとともに活動し、機関誌の編集にも携わってきた研究者です。ESIのまとまった肖像を書いた人ではなく、その観察は機能の位置を主題にした論文の中に例として置かれています。この章の底本は、位置ごとに語り口がどう変わるかを扱った1995年の論考、タイプに「構え」という条件を重ねた2011年の論文、第4機能だけを主題にした1999年の論文です。
機能番号は当サイトの位置番号と同じ対応で、ESIでは第1機能がFi、第2機能がSe、第3機能がTi、第4機能がNeになります。要素の定義は04章、次元数は16章にあります。引用の括弧に数字だけが残っている箇所は、アスペクトの記号が脱落したもので、数字は機能の位置を指します。
位置によって、語れる量が変わる
Karpenkoは機能の位置を、処理の強さではなくそのアスペクトについてどれだけ言葉にできるかで並べ、第1機能をこう書いています。
第1機能のアスペクトについて語るのは、それほど容易ではない—情報があまりに畳み込まれ、圧縮されていて、いくらか常識的な時間内にはとても展開しきれないのだ。だから私たちはたいてい、大きな塊を陰に残したままにする。
原文を表示
Об аспектах первой функции говорить не так уж легко — слишком свернута, спрессованна информация, ее просто не успеть развернуть за сколько-нибудь разумное время. Поэтому мы чаще оставляем больший кусок в тени
言い換えると、1番の要素の情報は圧縮されすぎていて、語ろうとしても大半が言葉にならないまま残るということです。語りにくさの理由は、量の不足ではなく圧縮に置かれ、展開に時間がかかるとされています。ESIでこの位置に入るのはFiで、なぜその相手と距離を取るのかを尋ねられたときに答えが短くなるのは、この形だと読めます。
Karpenkoは、第2機能の側を、これと逆にこう書いています。
第2機能はもっと恵まれた位置にある。これはもう、どの端を引っぱればどこに行き着くか分からない、もつれた糸玉ではない。そうではなく、こぎれいな小さな糸巻きである: 転がせば—ほら、道筋のできあがり。「お望みなら、すべてをこちらの言葉でお話ししましょう。お気に召さなければ、あちらの言葉で」。(中略)イメージやぼんやりした感じの言語から、言語そのものへの翻訳は—単純で自然である。
原文を表示
Вторая функция оказывается в более выгодном положении. Это уже не спутанный клубок ниток — за какой конец ни потяни — не знаешь, куда придешь. Нет, тут аккуратненький моточек: покатился — вот тебе и дорожка. «Хотите, мы все вам расскажем на этом языке, а не хотите — на том».〔中略〕перевод с языка образов и смутных ощущений на собственно язык — прост и естествен.
つまり、2番の要素については、感じたことを言葉に移すのが楽で、相手に合わせた言い換えもできるということです。イメージやぼんやりした感じを言葉へ翻訳する作業が、ここでは負担になりません。ESIでこの位置に入るのはSeなので、どこまで押すかを相手ごとに加減して言葉にできる、と読めます。
残る2つの位置について、Karpenkoはまた別の言い方で、こう書いています。
第3機能となると、もはやそのような自由は与えてくれない。その言語は同義語やニュアンスにきわめて乏しいが、そのかわり極度に具体的で正確である—それは詩ではなく辞書である。そして第4機能の言葉少なさは、他のTIMたちを当惑させかねないほどである。
原文を表示
А третья функция уже не дает такой свободы. Ее язык очень беден синонимами и оттенками, но зато предельно конкретен и точен — это словарь, а не поэма. Лаконизм же четвертой функции способен другие ТИМы привести в замешательство.
言い換えると、3番の要素の言葉は正確だが言い換えが利かず、4番の要素についてはほとんど言葉が出ないということです。Karpenkoは位置3を「詩ではなく辞書」と呼び、ESIではTiがそこに入ります。末尾の1文は位置4のNeで、言葉少なさが他のTIM(情報代謝タイプ)を当惑させる、と外から見た効果で書かれています。
構えが加わると、同じ位置から別のものが出る
2011年の論文では、タイプの上に「構え」(自分・相手・周囲・世界のそれぞれを肯定的に見るか否定的に見るかの立場)が重ねられます。周囲の人々を否定的に見る構え(「彼ら−」)を扱った節で、KarpenkoはESIについてこう書いています。
それが(ESI)なら、彼は皆に、仕事は論理的に(□(Ti)3)どう仕上げるべきか、自分の研究を論理的にどう裏づけるべきかを語って聞かせる。
原文を表示
Если это (ЭСИ), то он всем рассказывает, как нужно логически ( 3) оформлять работу, как нужно логически подтверждать свои исследования.
言い換えると、周囲を否定的に見る構えのESIは、3番のTiで、仕事の仕上げ方や研究の裏づけ方を人に説いて聞かせるということです。位置3のTiが、黙る側ではなく説く側に出ています。得意だから語るのではなく、規範として蓄えたものを人に向けて出す形です。弱い位置を沈黙ではなく饒舌として書くのが、この論文でのKarpenkoの力点になります。
世界そのものを否定的に見る構え(「これ−」)の節では、Karpenkoは位置4を名指しして、こう書いています。
(ESI)。世界への基底的態度としての構え「これ−」は、この場合、可能性の直観が第4機能にある(▲(Ne)4)ことによって強められ、このタイプに固有でないはずの恐れや迷信を通して表現される。「黒猫が横切った。私はあっちへは行かない!」。そもそも「これ−」には恐れと迷信の増加が特徴的なのだが、(ESI)においては、これが見つけやすいマーカーになる。
原文を表示
Установка «Это–» как базовое отношение к миру в такой ситуации усиливается тем, что интуиция возможностей в 4-й функции ( 4), и выражается через несвойственные этому типу страхи, суеверия: «Черная кошка пробежала, я туда не пойду!». Вообще для «Это–» характерно увеличение страхов и суеверий, но для это становится легко заметным маркером.
つまり、世界を否定的に見る構えのESIでは、4番のNeが恐れや迷信を強め、それがタイプを見分ける手がかりになるということです。説明は二段になっています。恐れと迷信そのものは構えの側から来ていて、ESIに固有のものではないとされます。ただし位置4のNeがそれを強めるので、ESIでは見つけやすいマーカーになるとされます。固有性ではなく見つけやすさで言い分けるのは、タイプ判定の手続きに関わる書き方です。
位置4のやり方は、変えにくい
1999年の論文でKarpenkoは、第4機能を最も弱い機能としてではなく、その人の個人的経験を蓄える機能として見ることを提案します。この「個人的経験」は、機能を支える4つのベクトル(グローバル性・状況・規範・「私」)のうち、第4機能に残るのが「私」だけだ、という数え方から出た名前です。Yermakが同じ位置に与える「社会的経験の機能」とは、別の体系の語です。
Karpenkoは、位置4のやり方について、こう書いています。
対応する行為(アルゴリズム)もまた最大限に詳細化されており、可能な限り、不変である。「私(私の母、祖母…)はいつもこうしてきた…」—「違うやり方を試してみたら!」—「なぜ? 下手をすると、うまくいかないかもしれないじゃないか!…」。慣れ親しんだ行為の手法と行動のステレオタイプを変えたがらないこの態度は、その習得の困難さと長さによって条件づけられている。しかし、いったん人が、何らかの手法ややり方を身につけようと自らに課題を立てたなら、それに多大な努力を捧げ、その際、うらやむほどの粘り強さを発揮する。
原文を表示
Соответствующие действия (алгоритмы) также максимально детализированы и, по возможности, неизменны: «Я (моя мама, бабушка…) всегда делала так…». — «Попробуй иначе!». — «Зачем? Еще, чего доброго, не получится!..». Это нежелание менять привычные приемы действия и стереотипы поведения обусловлено трудностью и длительностью их усвоения. Но если уж человек ставит себе задачу научиться какому-то приему или способу, то посвящает этому значительные усилия и проявляет при этом завидную настойчивость.
言い換えると、4番の要素のやり方は、身につけるのに苦労したぶん、いったん覚えると変えたがらないということです。変えたがらない理由は、好みではなく習得にかかった労力に置かれています。ESIでこの位置に入るのはNeです。末尾の1文は逆向きで、自分で課題として立てた場合には粘り強さが出るとされます。
位置4から出る、思いがけないもの
同じ論文の終わり近くで、Karpenkoは位置4を欠損の側からだけ見ることをやめて、こう書いています。
個性の創造的自己開示は、8つの情報チャネル—情報代謝のアスペクト—のいずれを通じても可能である。このアスペクトが第4機能に対応する場合、創造は特別な、固有の特徴を帯びる。この機能は情報的に一次元であり、それを通じて人の個人的経験が伝達されるのだから、創造は何よりもまず、独創的で、多くの点で思いがけない、独自の世界の見方として発現する。このようにして、この世界についての個人的なヴィジョンが表現され、創造的人格に固有の、あの固有で個人的な特徴が発現するのである。
原文を表示
Творческое самораскрытие индивидуальности возможно через любой из восьми информационных каналов — аспектов информационного метаболизма. В том случае, когда этот аспект соответствует четвертой функции, творчество приобретает особые, специфические черты. Поскольку эта функция информационно одномерна и через нее транслируется индивидуалный опыт человека, то творчество проявляется прежде всего как оригинальный, во многом неожиданный и самобытный взгляд на мир. Таким образом выражается индивидуальное видение этого мира и проявляются те специфические, индивидуальные черты, которые присущи творческой личности.
つまり、4番の要素からは、その人にしかない、思いがけない見方が出てくるということです。一次元であることが、ここでは独自の見方が出てくる条件として書かれています。参照できる材料が自分の経験しかないぶん、そこから出るものは他人と揃いません。ESIでこの位置に入るのはNeで、可能性の見立てが定型から外れることは、不足の現れであると同時に、その人にしかない見方の現れでもあると読めます。
小括します。KarpenkoのESI観察は、肖像としてではなく、機能の位置を扱う論文の例として現れます。位置を「どれだけ語れるか」で並べる1995年の論考では、ESIのFi・Se・Ti・Neが、圧縮されて語りにくいもの、相手の言葉へ翻訳できるもの、辞書のように正確で言い換えの利かないもの、言葉の少ないもの、という4つの質として並びます。
また、2011年の論文はそこに構えという条件を足し、同じ位置3から説教が、同じ位置4から迷信が出ることを示します。1999年の論文は、位置4の変わりにくさを性質ではなく習得の労力の帰結として書き、同じ位置から他人と揃わない見方が出る条件も並べます。タイプだけでは発現の仕方までは決まらないという立場が、3本に共通しています。
この章の要点は、研究者ごとのページに短くまとめています。
12Gulenkoの記述
Viktor Gulenkoは、キエフで「人道主義ソシオニクス」学派を主宰する研究者です。その体系は標準のモデルAから離れた後発の独自体系で、独自のモデルG、DCNHサブタイプ、独自のタイプ名(ESIは「守護者」)を持ちます。用語が紛らわしいため、本章に分離して他章の記述と混ぜません。底本は『64の肖像』(2019年)のESI章と、旧プロファイルの職場記述です。引用に出てくる「役割」「操作」などの名称はモデルGのもので、モデルAの位置番号とは対応しません。DCNHサブタイプは20章で扱います。
プロファイルから—評価を口にする範囲
Gulenkoの人物紹介は、何を評価するかではなく、その評価を誰の前で口にするかから、こう始まります。
ESIは原則的で自立的である。外見上は、均衡が取れて感情を表に出さないように見える傾向がある。人物の行動についての道徳的評価を提供するが、通常はそれを馴染みのある輪の中でのみ口にする。潜在的な敵対者や悪意ある者に対する良い感覚をもち、人々を「自分の味方」と「他者」に鋭く分ける。ESIは、相互的でない、感情が応じ合わない友情や愛情を認めない。
原文を表示
ESI is principled and self-sustained. Externally, she tends to look balanced and unemotional. She provides moral evaluations of the actions of a person, but usually voices them only within a familiar circle. She has a good sense for potential foes and ill-wishers, sharply dividing people into “mine” and “others.” ESI does not recognize friendship and love if they are unrequited and the feelings aren’t mutual.
ESIは、人の行動に道徳的な評価を下すが、それを口にするのは身内の輪の中だけだとされています。評価の中身より、それを口にする相手が最初から限られている点が、この記述の特徴です。「自分の味方」と「他者」の線引きが評価の宛先を決め、相互的でない友情や愛情を認めないという最後の一文も、同じ線引きの帰結です。
Gulenkoが同定の手がかりとして挙げるのは、体格や服装ではなく視線です。
ESIは特徴的な突き刺すような視線と、警戒心と抵抗の意志が書かれた顔の表情によって認識される。(中略)ESIは考えるとき、対象や人物をじっと見つめることができる。この場合、顔は陥った状況の不確実性に対する困惑を反映する。ESIは人を見るが、視線が返されると、原則として、目を逸らす。長時間同じ姿勢を保つことができる。(中略)倫理成分が強化されると、顔の表情は不満、批判的な気分、ときには怒りを描く。
原文を表示
ESI is recognized by a characteristic piercing gaze and a facial expression, on which her alertness and willingness to resist are written. (中略) ESI looks at a person, but with a reciprocated look, as a rule, looks away.
つまり、ESIは人をじっと見るが、視線を返されると目を逸らすということです。表情の種類より、視線の向きが一方通行であることが、この記述の中心です。評価する側に立つことと、評価されることを避けることが、1つの動作に同居しています。
内輪で口にされる評価は、助言のかたちを取ることがあります。Gulenkoは、こう書いています。
いかなる事柄においても、ESIは典型的に批判的で、最初に重大な短所を指摘する。あらゆる側面から状況を吟味し、感情なしに物事を解明するため、論理的・客観的であろうとする。倫理基準の違反に気づき、親しい友人の輪で会話するときは、人々の行動の個人的評価を与える。評価では、義務の概念に方向づけられる。(中略)時には否定的倫理の観点から助言を与える。それは「彼に対して思っていることを全部言いに行きなさい!」という、否定的感情の率直な表現として要約できる。
原文を表示
In any matter, ESI is typically critical and points to substantial shortcomings first. (中略) Sometimes she gives advice from the point of view of negative ethics, which can be summarized as an open expression of negative emotions: “Go tell him everything that you think about him!”
ESIは、どんな事柄でも最初に重大な短所を指摘し、ときには否定的な感情をそのまま相手に言うよう助言するとされています。末尾の助言は、Gulenkoが「否定的倫理」と呼ぶ働きの実例です。前段の「感情なしに物事を解明する」と対になっているので、この率直さは当人の側では公平さの手続きと読めます。
モデルG—番号が標準体系と揃わない並び
ESI章の後半は、同じ人物像をモデルGの8つの位置に置き直します。番号が標準体系と一致するのは1番と3番だけです。Gulenkoは、モデルGの3番の役割の節で、こう書いています。
あらゆる側面から状況を分析し、客観的で一義的な結論を引き出そうとする。公の場では、乾いて感情を表に出さない人物のマスクをつける。確立された規範と実証された行動方法に依存する。すべてが常識と合理的な利己主義の観点から判断される。ゲームのルールが要求することを自分に強い、他者にも同じことを求める。物理的距離を必要とし、苛立たせる人から離れている。また、大きな人混みも避ける。
原文を表示
She strives to analyze situations from all sides and draw objective, unambiguous conclusions. In public, she puts on the mask of a dry and dispassionate person. She depends on established norms and proven methods of action. Everything is judged from the point of view of common sense and reasonable egoism. She makes herself do what the rules of the game require and demands the same from others. She needs physical distance and stays away from annoying people. She also avoids large crowds.
言い換えると、ESIは状況を分析して一義的な結論を出し、それを常識と合理的な利己主義で確かめるということです。Gulenkoはここで、論理を目的ではなく手段として書いています。分析は一義的な結論を出すために行われ、結論は常識と合理的な利己主義で検算されます。ゲームのルールを自分に強い、他者にも同じものを求める、という使い方です。
取り違えが起きやすいのは6番です。モデルGの6番の操作は、モデルAの位置6ではなく、暗示機能のTe(位置5)を指します。Gulenkoは、この節でこう書いています。
ESIは有用な結果をもたらした緊張した仕事の後で本当にリラックスし落ち着く。日常のビジネス上の事柄では実践的で、ビジネス活動に巻き込んでくれる人々を好む。周囲のものを何でも有用なものに変えることができる。機能的で美しくデザインされたものを大いに好み、有用で維持に最小限の努力で済むものを高く評価する。心地よい仕事の条件を自分に提供することができる。労働集約的なタイプの仕事を素早く遂行し、長く戻らなくてもよいようにする。仕事や習慣的な生活様式の変化にはほとんど耐えられない。
原文を表示
ESI really relaxes and calms down after tense work that has brought a useful result. She is practical in everyday business affairs and likes people who involve her in business activity. She can turn anything around her into something useful. She is very fond of functional and beautifully designed things, and appreciates what is useful and requires minimal effort to maintain. She is able to provide herself with comfortable working conditions. She quickly performs labor- intensive types of work, so she doesn’t have to return to them for a long time. She can barely tolerate changes in her work or her usual way of life.
つまり、ESIが本当に落ち着けるのは、緊張した仕事が役に立つ結果を出したあとだということです。緊張した仕事でも、結果が出なければ落ち着きは来ません。実務へ引き込む相手が好まれるのも、機能的で美しいものが選ばれるのも、同じ条件の下です。
立体的な精神のモデルと、標準体系からの離脱宣言
Gulenkoは、タイプを1枚の分類ではなく、深さの違うレベルの重なりとして、こう扱います。
人道主義ソシオニクスにおいて精神がどのように層が層の上に積み重なった立体的な体系として考えられているかを、より精確に見てみましょう—深い核、中間層、そして表層です。HSS のアプローチで考察される精神のすべての層の範囲は、次のようになります—ソシオタイプ(当サイトでいうタイプ)、サブタイプ、機能プロフィール、機能状態。
原文を表示
Let’s look more precisely at how the psyche in Humanitarian Socionics is considered a volumetric system of layers stratified one upon another: the deep core, the middle layers, and the surface. The whole scope of the considered layers of the psyche in the HSS approach looks like this: sociotype, subtype, functional profile, functional state.
上の引用にあるHSSは人道主義ソシオニクスのことです。言い換えると、Gulenkoの体系では、ソシオタイプは精神の4つのレベルの1つにすぎないということです。ソシオタイプはその最上位に置かれているだけで、サブタイプから下は場面に応じて変わるレベルとして扱われます。そのため、標準体系が1つのタイプに帰していた事柄が、ここでは複数のレベルに振り分けられます。
レベルを増やした結果は、標準体系の二分法との関係にも及びます。Gulenkoは、こう書いています。
特に、安定的な組織的リーダーになるためには、ビジネス論理(P(Te))および/または力の感覚(F(Se))が機能プロファイルの中で強化されている必要があります。この場合、SLE(元帥)またはLSE(管理者)のタイプである必要はありません。このような機能の複雑性の強化は、どのタイプの代表者にも、レイニンの周知の特性とその意味において一致しない(あるいはむしろ部分的にしか一致しない)新しい二分法的特徴があるという事実につながりました。(中略)「機能」を強調するのは、これらのタイプが、ある特定のコミュニケーションの環境の中で機能する過程で生じるもので、標準的なソシオニクスのタイプが持つ、生まれつきの変わらない構造とは結びついていないからである。
原文を表示
Such an intensification of the complexity of functions led to the fact that representatives of any type had new dichotomous features that did not coincide (or rather, only partially coincided) in their meaning with Reynin’s well-known features. […] I emphasize functional, as they arise in the process of functioning in a specific communicative environment and are not related to the innate and unchanging structure that a standard socionic type has.
つまり、Gulenkoの二分法は、場面の中で生じるものなので、Reininの特性とは一致しないか、部分的にしか一致しないということです。一致しないと書いているのはGulenko本人です。理由も挙げられていて、彼の二分法はコミュニケーション環境の中で生じるもの、標準体系の側は生得で不変の構造とされます。
職場での「守護者」と、当人へ向けた助言
旧プロファイルには職場での姿が置かれ、「守護者」という名づけの根拠もそこにあります。Gulenkoは、上司としてのESIをこう書いています。
これは真面目で落ち着いた人物であり、内面では常に他者における否定的態度の表出の可能性に警戒している。彼の倫理基準は、周囲の人々の行動を評価し判断するためのプロクルステスの寝台である。行動規範に違反する者に対して批判的である。状況が生じて相手が敵意を示すまで、誰かに対する否定的態度を外に見せないことが多い。そのような場合、ESIは攻撃者に圧力をかけ、反撃された場合には抵抗し、自分の態度と立場を断固として守る。この内面の空間を外的な力の侵入から「守る」能力こそが、「守護者」の管理スタイルを定義するものである。
原文を表示
This is a serious and composed person, who is inwardly always wary of possible manifestations of negative attitudes in others. (中略) Often won’t outwardly show his negative attitude towards someone until a situation arises when the person demonstrates hostility. (中略) This ability to “protect” his internal space from the invasion of external forces is what defines the style of management of “The Guardian”.
言い換えると、ESIの「守護者」という名は、自分の内面の空間を外からの力の侵入から守る能力に由来するということです。名づけの根拠が、庇護の意思ではなく境界の防衛に置かれています。倫理基準が他者を測る寸法として働き、それが侵されない限り否定的な態度は外へ出ません。プロクルステスの寝台は、寸法に合わない者を切り縮める神話の逸話です。
同じプロファイルは、部下としての問題領域を、そうなる理由まで含めて、こう書いています。
不正義と非倫理的行動に痛々しく耐える。傷つきやすく、印象を受けやすい。善にも悪にも同じように応じる。他者の個人的な欠点を容易に見つける。人に対する評価の鋭さで際立つ。誰かへの態度を言葉よりも声のトーンと視線で表現する。人を「身内」と「他人」に分ける傾向がある。(中略)疑い深く、予測不可能性と曖昧さを嫌い、頻繁な変化を好まない。人の能力を客観的に評価することが難しく、そのため全ての人に自分の高い倫理基準を適用する。自分の資質を誰かに評価されることを好まない。内面では常に自分に確信があるわけではないため、抑え込もうとする者に対して過度に論争的になりうる。
原文を表示
Painfully endures injustice and unethical behavior. (中略) Finds it difficult to objectively assess abilities of people, thus to all extends his high ethical standards. Does not like it when someone evaluates his own qualities, since internally he is not always certain in himself; in his attempts to suppress him can be overly contentious.
つまり、評価の鋭さも、同じ基準を誰にでも向けてしまうことも、内面の確信の不足から出るということです。最後の「内面では常に自分に確信があるわけではないため」が、それまでの列挙の理由づけになっています。
自己改善の節は二人称で書かれ、Gulenkoは次のように助言しています。
他者の利益を考慮するよう努めよ。そうすれば、彼らも今度はあなたの願いの実現を助ける気になるだろう。彼らに自然に備わっていない資質を見せるよう要求するな。個人的な欠点や、他者にある特定の資質の欠如にあまり集中するな。周囲の者の短所により寛容になるよう努めよ。
原文を表示
Try to take into account the interests of other people so that they in turn will be inclined to help you in the realization of your wishes. Don’t demand that others display qualities that do not come naturally to them. Don’t focus too much on personal flaws or the lack of certain qualities in others; try to be more tolerant of the shortcomings of those around you.
言い換えると、他人の欠点に集中せず、備わっていない資質を求めず、短所に寛容になるよう、ESIに勧めているということです。助言は、前の節で挙がった観察へそのまま返されています。「備わっていない資質を見せるよう要求するな」は誰にでも同じ基準を求めることへ、「短所により寛容になるよう努めよ」は欠点に気づく速さへ向きます。
この節はESI本人に向けて書かれているため、観察した短所と、それへの処方が同じ段落に並びます。
小括します。GulenkoのESI記述で一貫しているのは、倫理の内容ではなく倫理が及ぶ範囲のほうです。誰の前で評価を口にするか、いつ否定的な態度を外へ出すかが書かれています。「守護者」という名づけも、問題領域を確信の不足から説明する箇所も、この範囲の話です。
この章の要点は、研究者ごとのページに短くまとめています。
13その他の論者の記述
主要な研究者の記述のほかにも、ESIのプロファイルは多くの論者が書いてきました。この章では、記述の系譜を補う小さめの資料を著者ごとに短く引用します。知名度にも記述の確度にも幅があり、個人の著作ではないコミュニティ編纂の資料も含みます(出典行で区別できます)。狙いは網羅ではなく、形式がこれだけ違っても観察の中身がどこで重なるかを見ることです。
Prokofieva—一行で置かれる定式
Prokofievaのプロファイルは短く、タイプの位置づけを冒頭の一文で、こう言い切ります。
倫理感覚型内向(ESI) は、真のストイックであり、社会の道徳的基盤の守護者である。このタイプの代表者の中には多くの弁護士、医師、調査官、教師がいる(第1機能としての関係の倫理)。
原文を表示
Ethical-sensing introvert (ESI) is a true stoic and a guardian of moral foundations of society. Among representatives of this type there are many lawyers, doctors, investigators, and teachers (ethics of relations as first function).
言い換えると、ESIが守るのは身近な誰かではなく、社会の道徳の基盤そのものだということです。続く職業の列挙も、規範の適用や人の状態の判定を仕事にする職で揃えられています。括弧の注記は、この定式をモデルの機能へ結び直すためのものです。
Prokofievaは、ESIの女性について、こう続けています。
ESIの女性は家族への深い愛着で際立っている。仕事、子供の世話、家事という形の重く骨の折れる負担を引き受けて、ESIは自分の人生について不平を言うことなく、困難を英雄的に乗り越えていく。献身、コミットメント、安定性、信頼性において、他のどのタイプもESIに比べることはできない(創造機能としての意志的感覚)。
原文を表示
ESI women are distinguished by their deep attachment to their families. Taking on heavy, labor-intensive burdens in form of working, taking care of children, and household matters, the ESI’s doesn’t complain about own life but heroically goes through the difficulties. In dedication, commitment, stability and reliability no other types can compare to the ESI (volitional sensing as creative function).
つまり、ESIの女性は家族への深い愛着から、重い負担を不平なく引き受けるということです。献身と安定性の出どころを、Prokofievaは倫理の側ではなく意志的感覚(Se)の側に置いています。愛着の深さが先に来て、そこから重い負担を引き受ける力が導かれます。不平を言わないことも、感情の抑制より負担の担い方として書かれています。
Meged & Ovcharov—まなざしから入る記述
Meged & Ovcharovは、外見の描写から入り、視線と表情に紙幅を割いて、こう書いています。
ESIは注意深く、警戒したまなざしを持ち、時に少し恐れているか控えめに見える。何も彼の目から逃れない。すべてを記録し、分析する。(中略)ESIの笑顔はしばしば少し強制的か不安げに見える。(中略)ESIの表情はやや単調で、顔は時に凍りついたように見えることさえある。
原文を表示
ESI has an attentive, alert gaze, that sometimes seems a little fearful or modest. Nothing escapes from his sight; he takes note of everything and analyzes it. (中略) ESI’s smile is often seems a little forced or anxious. (中略) ESI’s mimicry is somewhat monotonous; sometimes his face even seems frozen.
ESIは、警戒したまなざしで周りのすべてを記録し分析しており、表情はやや単調に見えるとされています。視線の描写が、「記録し、分析する」という働きの記述へつながっています。表情の乏しさも、感情の薄さより観察の姿勢の側から読めます。外見からの同定がどこまで使えるかは21章で扱います。
Zamanskaya—判断を下すまでの手順
Zamanskayaは、人物の評価をひとつの手順として、こう書いています。
人を感じ取る能力を持ちながらも、ISFjはすぐに最終的な結論を出すことなく、まずその人がさまざまな人生の状況でどう行動するかを観察する:この人は信頼に値するか?この人は他者にどのような影響を与えるか?ESIは特定の人物の具体的な現実の行動を観察し、内面的にそれらに倫理的判断を下す。
原文を表示
Even with his or her ability to feel people, the ISFj, nevertheless, does not jump to make a final conclusion about someone quickly, but first observes how a person acts in different life situations: is this person worthy of trust? how does this person influence others? The ESI watches concrete real life actions of a specific person and inwardly endows them with an ethical judgment.
上の引用にあるISFjは、ソシオニクス式の4文字でESIを表した表記です。つまり、ESIは人を感じ取れても、すぐには結論を出さず、さまざまな場面での実際の行動を見てから内心で倫理的に判断するということです。感じ取る能力があることと、結論を保留することが、同じ文の中に並べて置かれています。
また、材料は印象ではなく「具体的な現実の行動」に限られ、問いも信頼に値するか、他者にどう影響するかの二つに絞られます。下した判断は、その場で外へ出るのではなく「内面的に」置かれます。
Zamanskayaは、判断の材料について、こう続けています。
ISFjは言葉による賛辞や単なる言葉、弱点につけ込む行為によって惑わされない。ISFjは人を実際の行動によって判断し、個人的・倫理的側面からその行動を分析する。ESIには愛する人々をありのまま愛し、より良くなる手助けをする勇気がある。また、自分の内なる倫理的志向に対応しない行動をとる人との関係を断つ勇気もある。
原文を表示
The ISFj cannot be misled by verbal compliments, by mere words, by playing on one’s weaknesses. The ISTj judges a person by their actual actions, analyzing their behavior from personal and ethical side. The ESI has the courage to love the people close to him/her as they truly are, and help them to become better, as well as the courage to leave relations with a person who by their behavior don’t correspond to ISFj’s inner ethical orientation.
言い換えると、ESIは言葉ではなく実際の行動で人を判断し、愛する人を支えることにも、関係を断つことにも同じ勇気を使うということです。ありのまま愛することと関係を断つことが、どちらも「勇気」という同じ語で受けられています。受け入れと切断を別々の資質に分けず、同じ基準の両端に置く書き方で、その基準で測られるのは人柄ではなく、その人の行動です。
socionics.ua—厳しい語に理由を添える
socionics.uaのプロファイルは特徴を短く積む定型ですが、評価の語を置くたびに理由を添えて、こう書いています。
一般的に人々を信用しない。なぜなら、出会う人々の個人的な資質における欠陥に鋭く同調しているからである。自分を失望させた人々、自分を傷つけた人や侮辱した人、悪意、裏切り、卑劣さ、臆病、偽善をもたらす者を許容しない。同時に、ESIは人々の変化の可能性を容易に見ないため、このような厳しい判断から思いとどまらせることが難しいことがある。
原文を表示
She is generally mistrusting of people because she is is acutely attuned to deficiencies in personal qualities of those whom she meets. She does not tolerate people who have disappointed her, offended or insulted her, who bring evil, betrayal, meanness, cowardice, hypocrisy. At the same time it may be difficult to dissuade her from such harsh judgements because she doesn’t easily see people’s potential for change.
ESIは、人の欠点に敏感なので、まず人を信用しないとされています。信用しない理由は、性格の閉鎖性より、「欠陥に鋭く同調している」という知覚の側に置かれています。判断を翻しにくい理由も頑固さには求めず、人が変わりうるという見通しの立ちにくさに求めます。人が変わる可能性はNe(外向直観)の領域なので、4番の脆弱機能にNeが入る配置と重ねて読めます。
続けて、批判の出し方も、こう書かれています。
知人の行動における欠陥や、自分が暮らす社会の欠陥に気づくと、それを批判し、こうして物事の実際の状態を注意に持ち込む。しばしばESIが下す判断はあまりにも鋭く、あまりにも急いで導かれたように見えるが、これがESIの自己主張の方法である。時にはその結論は表面的に見えることがある。
原文を表示
Noticing deficiencies in behavior of her acquaintances, or in society that she lives in, she criticizes them, thus bringing to attention the actual state of things. Often the judgement that she makes are too sharp and seem too hastily drawn, but this is how she asserts herself. Sometimes her conclusions may seem superficial.
つまり、ESIにとって、身近な人や社会の欠陥を批判することは、自分を主張する方法だということです。「これがESIの自己主張の方法である」という一文が、批判を性格の欠点から自己主張の形式へ移しています。鋭さと速さは、そう見えるという断りつきで残され、結論が表面的に見えるという留保も同じ段落に置かれたままです。
Golihov—外に出ないものと、出るとき
Golihovは機能ごとの短評を並べる形式で、外から見える姿と本人の内側を対にして、こう書いています。
外からは道徳家と見なされることが多い。なぜなら彼の感情と評価は人生の主要な部分だからである。しかし実際には、主要機能の「製品」は世界に出されることを好まず、しばしば自分の中に留めておくため、それが最も頻繁に表に出るのは何かが彼の評価の観点からイライラさせるときである。
原文を表示
On the side is often perceived as a moralist, since his feelings and assessment - the main part of his life. But the fact is that since the main function of “product” does not like to be given out in the world, and often holds in itself - then it happens most often when something irritates him in terms of its assessments.
言い換えると、ESIは評価を自分の中に留めておくので、外に出るのは、何かが評価に照らして苛立たしいときが多いということです。「道徳家と見なされる」という外からの印象に対し、Golihovは中身が外へ出ていないことを理由に挙げます。そのため、観察者が受け取るのは否定の側に偏る、という順序です。
Golihovは、一貫性についても、こう書いています。
外からは、常に非常に一貫した原則的な人々に見える。常に同じことを考え、行い、語る。つまり、決して自分自身と矛盾しない。残りの人々にも同じことを期待し、このためにある人は彼らを「あまりに正しすぎる」と見なし始める。内的バランスを破壊する危険を含まない情報のみを受け入れるため、非常に頑固である。決して自分の原則と妥協しない。
原文を表示
From the side, they always seem to be very consistent and principled people. They always think, do and say the same thing, that is, never themselves do not conflict with the same waiting for the rest of someone for this reason that begins to consider them “too right”. Any information taken them only when it does not carry the danger of destroying the internal balance, so it is very stubborn. Never make a deal with its principles.
ESIは、考え・行い・語ることが常に一貫しており、同じ一貫性を他人にも求めるため、「正しすぎる」と見られるとされています。一貫性という肯定の語と、頑固という否定の語が、同じ観察から続けて導かれています。分岐点は、同じ一貫性を他人にも期待するかどうかに置かれます。頑固さの理由も、意志の強さより、受け入れる情報の条件の側に求められています。
Piatnitskiy—弱い側に条件をつける
Piatnitskiyの短評はブロックごとに数行で、余分な描写を省いて位置の働きだけを、こう書きます。
隠された特徴と固有の潜在能力はもっぱら自分自身の理解に基づいてのみ推定される。それが一般的に受け入れられた理解と一致するかどうかを評価することができない。(中略)そのため、柔軟性や洞察力の欠如に関する指摘、新しい選択肢を見つける必要性に関する指摘には敏感になる。
原文を表示
Hidden features and inherent potential is estimated only based on their own understanding. Not able to assess whether it coincides with the generally accepted understanding. (中略) So sensitive about remarks the lack of flexibility, insight, about the need to find new options.
言い換えると、ESIは人の隠れた資質を自分の理解だけで推し量り、それが世間の理解と合っているかを確かめられないということです。できないことの所在が、見立てを作ることではなく、それを世間の理解と照らし合わせることに絞られています。指摘に敏感になる理由も、指摘が痛いからではなく照らし合わせる手立てがないからという順序です。弱さを能力の不足ではなく照合の不能として定式化した例です。
Beskova—外見と場面で書く肖像
Beskovaは男女別に肖像を立て、外見の描写と本人の証言を並べます。女性のESIについては、こう書いています。
均整の取れた優美な体つきのESI〔原文: ドライゼルカ〕は、自分の体をうまくコントロールしている—自信を持って美しく動き、まっすぐに座り、素晴らしい姿勢を見せる。服装はきちんとしていて体型に合っている。彼女の全体的な外見は立派な印象を与える。少しの肌の露出も彼女の見た目を損なうことはなく、むしろ引き立てるだけである。
原文を表示
Well-built and graceful, DREISERKA is in good control of her body - she moves confidently and beautifully, sits straight, demonstrating her great posture. Her clothing looks tidy and befitting of her figure. Her entire appearance makes a worthy impression. Some bare skin does not spoil her look, but only enhances it since she usually has nothing to be ashamed of concerning her figure.
上の引用にあるドライゼルカは、ESIの愛称の女性形です。言い換えると、ESIの女性は体をよく制御し、美しく動き、姿勢がよく、服装がきちんと体に合っているということです。動き方、座り方、服の合い方と、容姿の美醜より本人が制御している側面が選ばれています。肌の露出についての一文も、見え方の良し悪しより、本人の管理が及ぶ範囲の話として置かれています。
Beskovaは、ESI本人の証言も、こう載せています。
実生活からの話:「夕方に自分のために服を準備して、翌朝、天気が予報と違っていて、急いで別のものを着なければならなくなったら、一日中うまくいかないことがある。なぜなら、私の気分はこの新しい服と新しい天気に合わせて作られていなかったから。」
原文を表示
Story from real life: “If in the evening I prepared clothing for myself, and in the morning of the next day the weather has proven to be not as it was promised, and it was necessary for me to rapidly put on something different, then the entire day can go wrong for me, because my mood was not made to match this new clothing and new weather.”
この証言では、ESIが前の晩に服と一緒に翌日の気分を用意しており、それが崩れると一日がうまくいかないと語られています。一日が崩れる理由が、服でも天気でもなく、気分を用意する側に置かれています。前夜に組み立てたものが翌朝の条件と食い違うと戻せない、という一人称の証言です。機能の働きとして書かれることの多い内容が、ここでは生活の一場面として出てきます。
男性の肖像は、周囲への要求の出し方から入ります。Beskovaは、こう書いています。
自分の内なる道徳律の厳格で厳しい遵守者であるESI〔原文: ドライザー〕は、周囲の人々に真剣な要求を課し、それを隠そうともしない。友人、同僚、親族のあいだの関係がどうあるべきかを、彼はよく知っている。このタイプの男性は、良く、思いやりのある父親になる。彼らは子どもにとって本物の友人であり、それでいて同時に、要求が厳しく多くを求める。
原文を表示
Being austere and strict adherent of his inner moral code, DREISER imposes serious demands on those surrounding him and does not attempt to hide this. He knows well what respectable relations between friends, colleagues, and relatives should be like. Man of this type make for good, thoughtful fathers. They are real friends to their children, although at the same time they are exacting and demanding.
言い換えると、ESIの男性は、自分の内なる道徳律に従って、周りにも厳しい要求をはっきり出すということです。要求の出どころは、他人への不満より自分の内なる道徳律に置かれています。関係が「どうあるべきか」を知っている、という言い方も、規範の側から人を見ていることを指します。父親の記述では、本物の友人であることと要求が厳しいことが、打ち消し合わずに並びます。
Beskovaは、男性のESIの実話も、こう載せています。
実生活からの話。「最終学年のとき、ESI〔原文: ドライザー〕は数学の卒業試験がひどく怖くて、腕を折ろうと決めた。彼はスケートボードで加速し、最高速度でそこから飛び降り、渾身の力で欄干へ突っ込んだ。計画したとおりに、すべてが運んだ。少年は数学の試験を免除された」
原文を表示
Story from real life: "Last year of school, DREISER was so afraid of the final examination in mathematics that he decided to break his arm. He accelerated on a skate-board, jumped off from it at maximum speed and, with his full force, flew against the parapet. As he planned it, so everything went. From the examination in mathematics the boy was freed."
つまり、数学の試験をひどく恐れたESIの少年は、腕を折る計画を立て、そのとおりに実行して試験を免れたということです。「ひどく怖くて」という動機が先に置かれ、そこから段取りが組まれるところまでが一続きに書かれています。計画性が向いているのは試験そのものではなく、試験を避ける手立てのほうです。実話ひとつで肖像を組む書き方が、最も強く出た一例です。
その他の論者
Blohinは散文を持たず、名詞句の列挙だけで肖像を作ります。ESIの語群では、尊厳・自尊心・約束の厳守・倹約といった語と、執念深さ・恨みがましさ・秘密主義・猜疑心といった語が同じ列に並びます。何をどう観察したのかは追えませんが、長所の語と短所の語が分けられずに、1つの肖像の中で並んでいることは分かります。
一方、Voroschenkoは、モデルAを使わずに精神医学のアクセンチュエーション(性格の際立ち)の枠でESIを記述する例で、「心配性・衒学型」という類型名を当て、不安の強さが年齢とともに減ることを挙げます。健常者の類型に臨床の類型を当てることの是非は23章で扱います。
Wikisocion編纂・Socioscope・Gulenko—「悪」を名前のあるものとして扱う
最後に、系統の違う3つの資料が同じところへ行き着く例を並べます。1つ目の、Wikisocionのコミュニティ編纂プロファイルは、こう書いています。
ESIは人々の倫理的行動を「それがどうであるか」で評価し、「どうありうるか」や「文脈や別の人の視点に従ってどう解釈されうるか」では評価しない傾向がある。(中略)「悪は罰されなければならない」あるいは「滅ぼされなければならない」はESIのモットーの一つである。
原文を表示
ESIs tend to evaluate people’s ethical behavior “as it is” and not “as it could be” or “as it could be interpreted according to the context or another person’s point of view”. (中略) “Evil must be punished” or even “destroyed” is one of the ESI’s mottos.
ESIは、人の行いを、文脈でどう読めるかではなく、行われたとおりに評価するとされています。評価の基準から外されているのは、可能性と解釈の余地です。モットーとして掲げられるのも、評価ではなく処遇の側の文です。
2つ目のSocioscopeは台詞や標語を見出しに置く長編で、冒頭は次の一文から始まります。
「人生は私たちにある種の義務を課している。それは私たちの存在そのものの事実から生じるものだ。」(中略)ESIの人生における三つの主要なものとは何か?それは義務、義務、そして義務だ。
原文を表示
Life puts on us certain obligations, that follow from the very fact of our existence. (中略) What are the three main things in the life of ESI? They are duty, duty, and duty.
つまり、Socioscopeは、ESIの人生で主要なものを「義務」の一語で言い切るということです。義務の根拠が「私たちの存在そのものの事実」に置かれ、そのうえで「三つの主要なもの」が三度とも同じ語で埋められます。定義ではなく標語として書かれていて、誰に対する義務なのかはここでは示されません。
Socioscopeは、その範囲を、悪との向き合い方の中でこう絞っています。
悪は彼女にとって何か抽象的な「哲学的」理論化の領域ではない。悪は具体的な倫理的状況に、個人または集団の不道徳な行動に関わっている。それにはESIにとって常に名前があり、おそらく顔さえある。悪は滅ぼされなければならない、彼女はこのことに疑いを持たない。(中略)彼女は自分と「自分の」人々の周りに防護壁を築く—難攻不落の要塞であり、悪が自分の世界に侵入するのを防ぐと信じているもの。
原文を表示
Evil for her is not some abstract, “philosophical,” region of theorization. Evil pertains to a concrete ethical situation, to the immoral actions of an individual or collective entity. It always has a name to the ESI, and perhaps even a face. Evil must be destroyed, of this she has no doubt. (中略) She raises protective walls around herself and “her” people: impenetrable fortresses which will, she believes, prevent evil from infiltrating into her world.
言い換えると、ESIにとって悪は抽象的な理論ではなく、名前も顔もある具体的な行いで、滅ぼすべきものだということです。二つの資料をつないでいるのは「滅ぼされなければならない」という同じ一文です。ただしSocioscopeは、そのあとに範囲を書き足します。防護壁が囲うのは世界全体ではなく「自分の」人々の周りで、悪の扱いが使命ではなく、境界の内側を守る作業として置かれます。
三つ目は、倫理ではなく認知の形式の側から書かれた記述で、Gulenkoはこう書いています。
ホログラフィック認知は、貫き通すような、骨格をあらわにする「X線」的な性格を持つ。それは細部とニュアンスを躊躇なく切り落とし、対象を粗く一般化して表す。(中略)ESIはまず人に近づき、それから離れ、あらゆる側面からその個人を探るかのようにして、自分を失望させうる者を切り捨てる。
原文を表示
Holographic cognition has a characteristic penetrating, skeletal-revealing, 'x-ray' nature. It unhesitatingly cuts away details and nuances, giving a coarsely generalized representation of the subject.(中略)*ESI* first draws near to a person, then moves away, seeming to probe the individual from all sides, cutting off those who could let them down.
言い換えると、ESIの認知は、細部を切り落として対象の骨格をつかみ、人を多方面から探ったうえで、失望させうる者を切り捨てるということです。枠は違いますが、記述の終点は前の2本と重なります。近づいてから離れ、あらゆる側面から探るという順序は、Zamanskayaの書いた手順と同じ段取りです。細部を切り落とすという性格づけも、解釈の余地を基準から外すという記述と方向が揃います。
小括します。形式はばらばらで、一行の定式、まなざしからの肖像、判断の手順、機能ごとの短評、男女別の肖像、名詞句の列挙、臨床の類型、認知の形式、標語から入る長編まであります。それでも中身には同じ観察が繰り返し現れます。
つまり、判断の材料を言葉ではなく行動に置くこと、下した判断を内に留めたまま翻しにくいこと、悪を抽象ではなく名前のある具体として扱うことの3つです。最後の一致は、倫理の記述と認知の形式という別の枠から出てきたもので、同じ観察が枠を変えても残ることを示します。確認した範囲では、ここに出てくる観察が前章までの研究者の記述と正面から食い違う箇所はありません。一方で、外見からの同定や臨床の類型の流用といった、方法論の側で検証が難しい記述の伝統も、この章の資料に集中しています。
14研究者間の差分を総括する
この章には新しい引用はありません。05〜13章で示した記述を、当サイトの責任で突き合わせます(根拠は各章の引用番号のとおりです)。
反復して現れる観測
研究者・時代・学派をまたいで繰り返される観測は、次の5つに整理できます。
- 人と人のあいだの配置が見え、いったん定まった評価が動かない。「倫理=美的諸特質について結論を下す」(アウシュラ)、「それを永久に固定しておきたい」「彼の悪い態度や意見はなおさら変えにくい」(Reinin)、「誰が誰を愛し、誰が誰を憎み、誰が誰を好きか」(Bukalov)、「まさに最初の印象によって形成される」(Stratiyevskaya)、「決して自分自身と矛盾しない」(Golihov)、「人々の変化の可能性を容易に見ない」(socionics.ua)
- 判断の材料が、言葉ではなく行われたことに置かれる。「説明するな、ただ事実をくれ」(Reinin)、「人を実際の行動によって判断し」(Zamanskaya)、「仕事によってのみそれを示すことができる」(Bukalov)、「それがどうであるか」で評価する(Wikisocion編纂)、「数多くの具体的な日常の状況の中で」確かめる(Filatova)、「感情なしに物事を解明する」(Gulenko)
- 評価そのものは言葉にならず、視線と声の調子へ移る。「言葉ではなく、視線とイントネーションによる」(アウシュラ)、「言葉でほとんど描写することができない」(Reinin)、「深く隠されており、それに気づけるとは決して限らない」(Filatova)、「顔は時に凍りついたように見える」(Meged & Ovcharov)、「言葉よりも声のトーンと視線で表現する」(Gulenko)、主導機能の産物を「自分の中に留めておく」(Golihov)
- 守る範囲が線で区切られ、意志はその線の防御に使われる。「自分の輪」への侵入から守り、意志を「防御の手段としての意志的資質」と規定する(Yermak)、「自分の味方」と「他者」に鋭く分ける(Gulenko)、「難攻不落の要塞」としての防護壁(Socioscope)、「最初に攻撃することはできない」(Stratiyevskaya)、「長期的な意志的圧力に耐える」(Bukalov)、「力ずくの手段によっても守り抜く」(Filatova)
- 自分の可能性についての評価だけが定まらない。「確信なく、不安定である」(アウシュラ)、「自分でも意識していない無力さ」(Filatova)、世間の理解と「一致するかどうかを評価することができない」(Piatnitskiy)、「内面では常に自分に確信があるわけではない」(Gulenko)、「自分の能力や才能を評価されることを好まない」(Bukalov)、「下手をすると、うまくいかないかもしれない」(Karpenko)
ただし、この一致を独立した観測の収束と呼ぶことはできません。アウシュラ以後の研究者は同じ理論共同体に属し、用語も先行記述も相互に継承しているからです(ユングとKempinskiからアウシュラへ、アウシュラから後続研究者とWikisocion系の編纂へ、という継承の系譜は02章のとおりです)。3つ目については上流がさらに手前にあり、外に出る手段を持たないために冷たさと読まれるという記述は、ユングの内向的感情型の側に既に置かれていました。正確には、相互に参照し合う文献系列の中で、論者・時期・記述様式を変えて反復されてきたモチーフであり、その意味でESI記述の共有された部分と見てよい範囲です。
観測点の食い違い
一方で、単純に合成できない食い違いもあります。
第一に、規範に対する向きです。アウシュラはESIを、その時代に最もよく対応する倫理的関係を意識的に普及させる者とし、「新しい、進歩的な倫理的諸関係を教える専門家」「宣伝者」と書きます。Filatovaは同じ対象に「守護者」の名を与え、「道徳的な基盤の守り手」であり「不確実性を恐れる」ため「あらかじめ定められた規則の枠内にいるときの方が」自信を持てると書きます。Gulenkoの独自体系ではタイプ名そのものが「守護者」で、Prokofievaは「社会の道徳的基盤の守護者」と書きます。Bukalovだけが道徳規範の創造者と守護者の両方を並べています。広める対象がその人の認めた関係に限られるなら、普及と防衛は同じ判定の表と裏として両立すると読めます。原典どうしが、この点で互いを参照しているわけではありません。
第二に、見立てが定まるまでの時間です。Stratiyevskayaは人物の表象が「まさに最初の印象によって形成される」とし、否定的な見解については「原則として間違わない」と書きます。Zamanskayaは「すぐに最終的な結論を出すことなく」行動を観察すると書き、Filatovaは伴侶の選択に「長い時間をかけ」ると書き、Gulenkoは近づいてから離れ「あらゆる側面からその個人を探る」順序を書きます。像がその場で立つことと、関係を結ぶ決定に確かめの手順が要ることを分ければ、両立すると読めます。
また、これに近い書き分けは、1人の研究者の内側にもあります。Stratiyevskayaの章には、「原則として間違わない」と「しばしば友人、相談相手、パートナーの選択で間違える」が並んでいます。前者は否定的な見立てについての記述なので、否定的な見立ては外れないが、信頼して相手を選ぶときには間違える、と同じ章で書き分けていることになります。
第三に、意志感覚がどこに出るかです。Reininはそれを「形式、行動、運動」とし、タイプの本質を「洗練され上品に装う女性」と書きます。Beskovaも「自信を持って美しく動き」姿勢と服装が整っているところから肖像を立てます。一方Yermakは同じ位置を「防御の手段としての意志的資質」と規定し、Bukalovは「長期的な意志的圧力に耐える」忍耐として、Gulenkoは敵意を示されたときに「攻撃者に圧力をかけ」ると書きます。形として現れる面と力として現れる面に分ければ、両立すると読めます。ただし、Reininは「楽に動き、踊るのが好きだ」という身のこなしを、Seの第2機能の節ではなく、関係を無視する第-1機能(Fe)の節で、踊りには関係性がないという理由とともに書いています。そのため、要素の区別だけでは整理し切れない部分が残ります。
第四に、主張の強さの水準です。Filatovaは本人写真の集合を添え、Meged & Ovcharovはまなざしと表情から記述を始め、Gulenkoは「特徴的な突き刺すような視線」で認識されると書き、Beskovaは体の使い方と服装から書き起こします。Voroschenkoは精神医学のアクセンチュエーションの枠をそのまま当てます。いずれも原理としては検証できる形の主張ですが、追試の記録は確認できません(23章)。同じ対象についてYermakは外見に触れず、要素の意味論とモデルからの演繹だけで書きます。
これらの食い違いは、3つの経路から生じていると読むことができます。1つは観測された場面の違いで、内輪か初対面か、平常時か敵意を向けられたときかで、同じ人の現れは変わります。
もう1つは用語の体系の違いです。Reininは機能を陰陽の番号で呼び、Filatovaは4つのチャンネルで書き、Gulenkoは独自のモデルと独自のタイプ名を使うため、同じ語が同じ位置を指すとは限りません。準備段階に時間と労力を奪われるという同じ観察が、Filatovaの著書ではTeの節に、別のタイプ記述ではTiの見出しの下に置かれているのも、この経路の例です。
最後は継承の経路の違いで、アウシュラを直接読んだ研究者と、編纂資料を経由した資料では、受け取った記述の粒度が違います。このうち2つ目と3つ目は文献の側の事情です。1つ目も、同じ人の別の場面での現れを書き留めた違いで、観測された型そのものの食い違いではありません。
記述ジャンルの偏り
05〜13章の資料は、記述の様式が研究者ごとに違います。アウシュラは判定の基準と社会での役割の規定を並べ、そこへ当人の証言を差し込みます。Reininは機能ごとに領域の名を与えた定式を並べたうえで、「クライアント — コンサルタント」という設定で本人へ二人称で助言する節を別に置きます。Bukalovは進化のモジュールへの割り当てという理論の側と、テレビドラマの人物、1,072通の回答による調査を、同じ枠の中で使います。
また、Stratiyevskayaは「極端主義者」のような強い断定と、友人の借金のためのローンやオーディションの待ち時間といった生活の具体を交互に置きます。Filatovaは4つのチャンネルの簡潔な枠に、小説の主人公と本人写真という2つの外部資料を添えます。Yermakは人物像を書かず、位置の連なりと働く条件だけで型を並べ、同じ枠を民族の統合的なタイプにも使います。
一方、Karpenkoは肖像を書かず、機能の位置を主題にした論文の例としてESIを置き、そこへ構え(自分・相手・周囲・世界を肯定的に見るか否定的に見るか)という条件を重ねます。Gulenkoは独自体系の内側で、視線と表情から人物像を組み立て、当人へ向けた助言の節まで置きます。その他の論者の資料はさらに幅が広く、一行の定式、まなざしからの肖像、判断の手順、機能ごとの短評、男女別の肖像と実話、名詞句の列挙、臨床の類型、標語から入る長編が並びます。
このように、演繹だけで書くYermakと、実話だけで書くBeskovaのあいだに、引用した論者はこの幅のどこかに位置します。そのため、同じESI像でも、どの様式の記述から出たかで、確からしさの種類が違います。
この総括の使い方
ESIについて確からしいのは、複数の文献に反復して現れる5つの観測です(実証の水準は23章で扱います)。逆に、単一の研究者にしか現れない記述—写真による同定(Filatova)、構えごとに現れが変わるという条件づけ(Karpenko)、タイプの本質を「洗練され上品に装う女性」に置く規定(Reinin)、認知の形式の側から書く記述(Gulenko)、精神医学の類型の流用(Voroschenko)—は、その研究者の主張として帰属つきで扱う必要があります。個人ではなく集団の統合的なタイプへ当てる用法も、BukalovとYermakの2人に限られます。以降の章(15〜23章)は、この区別を前提に、二分法・次元性・クアドラ・関係という理論の各論へ入ります。
15二分法から見るESI
二分法は、16タイプを8対8に分ける切り口です。基礎になる4つ(外向—内向、直観—感覚、論理—倫理、合理—非合理)はユングに由来し、ESIは内向・感覚・倫理・合理に属します。Reininはこれを15の特性へ広げました。この章では、基礎4つの原典定義、15特性でのESIの極、クラブ(小集団)を扱います。特性ごとの一般解説は二分法のページにあります。
基礎の4二分法—内向・感覚・倫理・合理
内向は、ユングが外向を定義したうえで反対側に置いた極です。ユングは、外向をこう定義しています。
対象や客観的事実への指向性が非常に強く、最も頻繁に行われる重要な判断や行動が、主観的な価値観ではなく客観的な関係性によって決定される場合、これを外向的態度と呼ぶ。
原文を表示
when the orientation to the object and to objective facts is so predominant that the most frequent and essential decisions and actions are determined, not by subjective values but by objective relations, one speaks of an extraverted attitude.
ユングの定義では、外向は判断や行動を客観的な関係で決める構えで、内向はその反対に、決め手を主観の側に残す構えです。ESIはこの反対側に入ります。02章で見た内向的感情の定義は、その感情版です。
合理—非合理には、ソシオニクス側からの定義があります。Stratiyevskayaは、こう書いています。
合理的人格タイプは合法則的なものに方向を定める—そのため彼らは周囲の環境と一貫して、計画的に、合法則性を観察しつつ、結論に基づいて相互作用する。あらかじめ自分の行動を考え、置かれる状況をあらかじめプレイし、何より重要なのは、そこからの出口を考え抜こうとする傾向で区別される。(中略)非合理タイプは予測不能、振る舞いの自発性で区別され、即興の状況においてよりよく感じ、合法則性ではなく偶然性に多く方向を定める。
原文を表示
Рациональные типы личности ориентируются на закономерное — поэтому они взаимодействуют с окружающей средой последовательно, планомерно, наблюдая закономерности и основываясь на выводах. Отличаются стремлением заранее продумывать свои действия, заранее проигрывать ситуацию, в которую они попадут, а главное — продумывать выход из нее. […] Иррациональный тип отличается непредсказуемостью, спонтанностью поведения, он лучше себя чувствует в импровизированной ситуации, больше ориентируется на случайности, а не на закономерности.
つまり、合理タイプは法則性に沿って計画的に動き、非合理タイプは即興と偶然性に沿って動くということです。ESIが置かれるのは前半です。先に組み立てられるのは段取りだけでなく、相手とどこまで付き合うかの判断でもあります。合理が指すのは判断機能が主導だという構造で、慎重さの多寡ではありません。
残る感覚と倫理は自我の2機能の組で、感覚は第二の要素の側に来ます。アウシュラは、その配置の現れを、こう書いています。
第二要素の位置に感覚をもつ個体は、受け入れられた秩序からのいかなる逸脱も過大に鋭く察知する。彼らの眼差しが多くの人に不快で棘があり悪意あるものに見えるのはおそらくそのためだろう。家庭の秩序(特に心理的に補完する者が周囲にいないとき)を規範にし、時間や体力のコストを惜しまない。
原文を表示
Индивидуумы с сенсорикой на месте второго элемента часто любое отклонение от принятого порядка замечают гипертрофированно остро. Возможно, поэтому их взгляд многим кажется неприятным, колючим и злобным. Из домашних порядков (особенно если в окружении нет нсихически дополняющего партнера) делают канон, не считаясь ни с затратами времени, ни с затратами энергии.
言い換えると、2番に感覚を持つタイプは、決まった秩序からの逸脱にすぐ気づき、それが周りには棘のある眼差しに見えるということです。眼差しへの言及は、その気づきが表情に出るという観察です。家庭の秩序を保つためなら、時間も体力も惜しまないとアウシュラは書いています。
また、要になっているのは「いかなる逸脱も」の範囲です。物の配置から人の振る舞いまで対象が切れ目なく続くので、当人には見張っているつもりが無いとも読めます。
15特性でのESIの極
Reininはユング由来の4つに11を足しました。ESIの極は、基礎の4つに果敢・客観主義・民主主義・質問・静的・戦術・構成主義・資源・臨機応変・結果・否定が加わります。以下は、このうち散文の記述が残る4つです。
まず、静的—動的です。Reininは、こう書いています。
A.アウグスティナヴィチューテによれば、静的タイプは対象の不変的特性により多くの注意を払い、適応する必要があるときには、より柔軟で能動的である。動的タイプは対象の変化する特性により多くの注意を払い、可動性が低く、観察を好む。この特性は、心理的可動性の度合いに従ってソシオンを2つの部分に分割する。すなわち、8つの静的タイプ、8つの動的タイプである。
原文を表示
According to A.Augustinavičiūtė, statics pay more attention to the constant characteristics of objects; when they need to adjust they are more flexible and active. The dynamic people pay more attention to the changing characteristics of objects, they are less mobile and are inclined to observing. This attribute divides a socion into two parts according to a degree of psychological mobility: eight static types, eight dynamic ones.
つまり、静的タイプは対象の変わらない性質に注意を向け、動的タイプは変わる性質に注意を向けるということです。ただし、名前と中身が逆に見えます。静的の側が「より柔軟で能動的」とされ、動的の側に「可動性が低く、観察を好む」が当てられています。ESIは静的で、注意が向くのは変わらないほうの性質です。
戦術—戦略では、アウシュラがESIを戦術の側に置き、待ち時間への反応として、こう書いています。
ESI〔原文: クライド〕は本物の戦術家として、待つことだけでなく、待つことを恐れる。たとえば、もし彼が知っているなら、チケットを買って、一週間後には演劇に行かねばならない、神経質になる、束縛を感じ、不自由を。
原文を表示
КЛАЙД как настоящий тактик не только не умеет ждать, он боится ожидания. Допустим, если знает, что куплены билеты и через неделю придется идти в театр, нервничает, чувствует себя связанным и несвободным.
ESIは、一週間先に予定が決まっているだけで、縛られているように感じて落ち着かなくなるとされています。一週間先の予定が決まっていること自体が拘束として体験される、という観察です。戦術の側が、能力としてではなく、先に置かれた枠へ自分を合わせられない負担の形で書かれています。
構成主義—情緒主義について、Reininは関係の始め方の違いを、こう書いています。
この分割は、関係性の確立の異なる方法に基づいてなされる。「構築型」の人々は「ビジネス」会話を気軽に始め、対話のかなりの部分をビジネスに捧げる(たとえビジネスがまったくないとしても、彼/彼女は連絡を取り続けるための理由を考え出すだろう)。「情動型」の人々にとっては、対話の感情的側面が非常に重要であり、関係を始めるのにそれだけで十分である。構築型の人物は、ビジネス上の理由でのみ誰かに近づく。情動型の人物は、感情が誰かに近づくのに十分な理由であると考える。
原文を表示
This division is made on the basis of different ways of establishing a relationship. 'The constructive' people begin a “business” conversation with ease, and devote a significant part of the dialogue to business (even if there is no business at all, he/she would think it up to have a reason to stay in touch). For 'the emotional' people the emotional aspect of a dialogue is very important and it is sufficient enough for them to initiate a relationship. The constructive person would approach someone for a business reason only; the emotional person thinks that an emotion is a good enough reason to approach a person.
上の引用の「構築型」は構成主義の別訳で、ESIはこちらです。言い換えると、構成主義のESIは、人に近づくのに用件という理由を必要とし、無ければ理由のほうを作るということです。書かれているのは冷たさより手続きです。倫理が主導のタイプが感情の側に来ないのは、名前の印象と逆です。
否定—肯定については、Gulenkoが社会的な現れまで続けて、こう書いています。
否定タイプ は状況を評価するに際し、そこに欠けている性質を識別する。例えば「天気は悪くない、空に雲がない」。(中略)社会的レベルでは、肯定/否定は、知り合いの初期段階における他者への信頼の度合いとして現れる。肯定タイプは、否定タイプよりもはるかに見知らぬ人を信頼する。否定タイプは信じやすくなく、用心深い。
原文を表示
Negativists in assessing the situation identify those qualities that are lacking in it. For example: «The weather is not bad; there are no clouds in «.the sky (中略) On the social level, positivism/negativism manifests itself as a degree of trust in others at the initial stages of acquaintance. Positivists trust strangers much more than negativists. Negativists are incredulous and wary.
つまり、否定主義者は状況を足りないものの側から評価し、初対面の相手を信じにくいということです。ESIは否定の側で、初対面の相手を信じにくいという現れが同じ特性の続きに置かれます。用心深さを性格ではなく認識の順序から説明した点が力点です。
極の実測と、15特性の使いどころ
BukalovとKarpenkoらは、15特性と性別の結びつきを集団のデータで調べ、こう書いています。
レイニン特性 [3, 5, 10] と性別との結びつきの分析は、たった一つの特性—論理‐倫理—が「男性‐女性」特性と十分に高い度合で相関することを確認している。すなわち女性の68%は倫理タイプ、男性の71%は論理タイプである。
原文を表示
The analysis of link of Reinin attributes [3, 5, 10] with sex confirms, that only one attribute, namely the logic-ethics, correlates in a rather high degree with "male-female" attribute: 68 % of the women are ethics, 71 % of the men are logicians.
言い換えると、15の特性のうち、性別と相関したのは論理—倫理の1つだけだということです。残る14の極は男女で分かれません。同じ著者たちは、別の論文で、この1軸を含む4つの極によってESIを次のように名指ししています。
同時に、タイプ ESI (ドライザー) —倫理、静的、民主、感覚—は、より多く女性ステレオタイプ行動に対応する。これは [10] でなされた、「父‐男性」と「母‐女性」のタイプ的イメージに関する結論と一致し、タイプの「男性性‐女性性」議論に新たな転回を与える。
原文を表示
В то же время тип (ЭСИ) — этический, статик, демократ, сенсорик — в большей степени соответствует женскому стереотипу поведения. Это согласуется со сделанными в [10] выводами о типных образах «мужчины-отца» и «женщины-матери» и создает новый поворот в дискуссии о «мужественности– женственности» типов.
つまり、倫理・静的・民主・感覚の4つの極をあわせ持つESIは、女性ステレオタイプの行動に多く対応するということです。結ばれているのは当人の性別ではなく、職業集団で期待される行動の型です。
ですが、前の引用は性別そのものとの相関で、こちらは社会的な期待との対応なので、調べている変数が違います。性別と相関したのは倫理の1軸でしたが、女性ステレオタイプとの対応には4つの極が並べて挙げられています。
一覧の使い道については、Karpenkoが手続きの側から書いています(引用中のTIMは情報代謝タイプ)。
逆に、異なるTIMの代表者の間に現実に観察される類似は、その任意のペアで15のうち8つのレイニン特性が一致するという事実を通して、形式的表現を得る。タイプ判定を行うエキスパートは、この類似を見て取り、形式的に名指す可能性を得る。そのうえ、類似した2タイプの現れを区別するのに必要な細部をどの領域で探すべきか—すなわち残りの7つのレイニン特性の中で—についての明晰な表象を得る。まさにこのゆえに、レイニン特性の意味論の精密化は、ソシオニクスの今後の発展にとって非常に大きな意義をもつのである。
原文を表示
Наоборот, реально наблюдаемое сходство представителей различных ТИМов обретает свое формальное выражение через тот факт, что у любой пары из них совпадают 8 (из 15) признаков Рейнина. Эксперт, проводящий типирование получает возможность увидеть и формально обозначить это сходство. Более того, он получает четкое представление о том, в какой сфере следует искать необходимые детали для разграничения проявления двух сходных типов, а именно — среди оставшихся 7 признаков Рейнина. Именно поэтому уточнение семантики признаков Рейнина имеет огромное значение для дальнейшего развития соционики.
上の引用では「15のうち8つ」が一致し、差は「残りの7つ」にあるとされています。ですが、15特性は基礎の4つの組み合わせから作られるので、定義から数えると、異なる2タイプで一致する特性は7つ、違う特性は8つです。例えば、ESIとEIIで一致するのは内向・倫理・合理を含む7つで、違うのは感覚—直観を含む8つです。
つまり、似て見える2タイプでも、違いは15のうち決まった8つの特性に表れるということです。ESIとEII・SEI・LSIのように似て見える相手との差も、その8つのどこかにあります。Karpenkoの力点は、一覧をタイプを当てる道具ではなく、違いを探す場所を絞る道具として使うことにあります。
クラブ—社交者(SF)
論理—倫理と直観—感覚の2軸の組み合わせは、16タイプを4つのクラブ(小集団)に分けます。ESIは感覚と倫理の組で、Wikisocionはこのクラブをこう書いています。
社交者: 感覚型かつ倫理型(SF)、すなわちSEE、SEI、ESE、ESI。
原文を表示
Socials: sensing and ethical (SF), or SEE, SEI, ESE, and ESI.
つまり、ESIは、SEE・SEI・ESEと同じ、感覚と倫理の社交者クラブ(SF)に入るということです。ESIの双対LIEはここにいません。LIEが属するのは直観と論理の研究者クラブ(NT)で、双対のペアはクラブを異にします。強い2要素が完全に入れ替わることは、18章の双対の記述を読む前提になります。
小括します。ESIの位置は内向・感覚・倫理・合理で、基礎の4軸からReininの15特性まで、確認した範囲では資料間の食い違いがありません。動いているのは帰属ではなく、極の名前と中身の対応です。静的の側が適応時にはより能動的だとされ、倫理が主導のタイプが「構築型」に置かれ、「否定」が用心深さの説明になります。そのため、名前から中身を推すと外れます。
また、統計で性別と相関したのは論理—倫理の1軸だけでした。一方、ESIに付きまとう女性像は、倫理・静的・民主・感覚の4つの極と女性ステレオタイプの行動との対応として書かれており、Reininの「洗練され上品に装う女性」という規定(06章)もあります。特性を1つずつ当てはめて像を組むより、似たタイプとの差が、違いのある8つの特性のどこにあるかを探すほうが、この一覧の使い道に近いと考えることもできます。
16機能の次元性とESI
機能の次元性は、各機能位置が参照できる情報の幅を1〜4次元で記述する後代の拡張理論です。提唱者はBukalovで、Yermakがパラメータの定式化を整備しました。通説では、位置1と位置8が4次元、位置2と位置7が3次元、位置3と位置6が2次元、位置4と位置5が1次元とされます。ESIではFiとSiが4次元、SeとFeが3次元、TiとNiが2次元、NeとTeが1次元です。この章では、起源の主張、パラメータの定義、次元の割り当ての根拠、そしてESIへの適用を原典で扱います。
起源—Bukalovの主張と8つの位置への配分
Bukalovは、次元性の発見について、こう書いています。
著者によって1990年に発見された、情報代謝機能(心的機能)の情報処理パラメータの次元性 [9] は、人間の思考と行動の特徴、特定の型間関係のニュアンスを正確に記述することを可能にし、国際ソシオニクス研究所のスタッフおよび他のソシオニクス専門家による専門家・コンサルティング業務において実用上の重要な応用を持つ [10, 14]。
原文を表示
Обнаруженная автором в 1990-м году мерность параметров обработки информации психических функций или функций информационного метаболизма [9], позволяет точно описывать особенности мышления и поведения человека, нюансы конкретных интертипных отношений и имеет значительные практические приложения, используемые на практике в экспертно-консультационной работе как сотрудников Международного института соционики, так и других специалистов по соционике [10, 14].
言い換えると、Bukalovは次元性を1990年に自分が発見したものとし、その価値を専門家の業務での使い勝手に置いているということです。裏づけとして置かれているのは、理論の導出ではありません。
配分そのものについて、同じ著者は別の論文で、第1〜第4機能の次元と第5〜第8機能の名を、こう並べています。
最初から始めるなら、もちろん思い出すのは、人間 ― より正確にはその情報代謝タイプ ― には、第1機能 ― 4次元、第2 ― 3次元、第3 ― ロール、2次元、第4 ― 機能は1次元、あるいは「最も抵抗の少ない場所」とも比喩的に呼ばれる:つまり弱く非常に敏感な機能。第5機能 ― 暗示的、または示唆の機能、第6 ― 活性化、活性化の機能、第7 ― コントロールし、第8 ― デモンストレーションのもの。
原文を表示
Если мы начнем с самого начала, то мы конечно вспомним, что у человека, точнее его типа информационного метаболизма, есть 1-я функция — 4-мерная, у него есть 2-я — 3мерная, 3-я — ролевая, 2-мерная, 4-я — функция 1-мерная, или, как ее образно еще называют, «место наименьшего сопротивления»: то есть функция слабая и очень чувствительная. 5я функция — суггестивная, или внушения, 6-я — активационная, функция активации, 7-я — контролирующая и 8-я — демонстрационная.
つまり、第4機能は1次元で、「最も抵抗の少ない場所」とも呼ばれる、弱く敏感な位置だということです。数の割り当てと同じ文の中で、第4機能にこの別名が与えられており、配分は強さの序列であると同時に、負荷のかかる位置の指定でもあります。ESIでそこに置かれるのはNeです。第5から第8には、数ではなく役割の名が与えられています。
4つのパラメータ—Yermakの定義
次元を数えるための4項目を、Yermakは経験・規範・状況・時間の順に、こう定義しています。
Ex(英語 experience から)—経験のパラメータ —出生時からの、人生を通じて意思決定と影響の執行の過程で人間が獲得した、個人的(Ex)または人格的(社会的)経験(Ex*)の特徴。(中略)Nr(規範 norm から)—規範のパラメータ —意思決定または管理影響の執行の過程で遵守すべき規範、規則、習慣、認められた手法、基準(個人的—Nr または社会的—Nr*)の特徴。(中略)St(英語 situation から)—「状況」のパラメータ —意思決定または管理影響の執行の条件、「情況」(個人的 St または社会的 St*)の特徴。(中略)Tm(英語 time から)—パラメータ的時間 —意思決定または執行がなされる、過去・現在・未来の個人的(Tm)または社会的(Tm*)時間の瞬間。
原文を表示
® Нх (от англ. ехриепсе) — параметры опыта — характеристика индивидуального (Ех) или личностного (социального) опыта (Ех*), полученного от рождения и наработанного человеком в течение жизни в процессе принятия решения и исполнения воздействий ; (中略) ® М (от англ. погт) —- параметры норм - характеристика норм, правил, обычаев, принятых приёмов и стандартов (индивидуальных — Мг или социальных — Мг *), которых следует придерживаться в процессе принятия решения или исполнения управляющих воздействий “; (中略) ® 5 (от англ. 5ИлаНоп) — параметры “ситуации” - характеристика условий, "обстановки" (индивидуальной 51 или социальной 5*) принятия решения или исполнения управляющих воздействий; (中略) ® Тт (отангл. ите) - параметрическое время — момент индивидуального (Ти) или социального (Ти\*) времени в прошлом, настоящем или будущем относительно которого принимается или исполняется соответственно индивидуальное или социальное решение; иными словами, время как точка на шкале времени, т.е. как параметр "привязки" обработки информации к некоторому моменту в прошлом, настоящем или будущем.
言い換えると、1次元は経験、2次元は経験と規範、3次元は状況まで、4次元は時間までを参照する積み上げだということです。1次元の、ESIの位置4のNeと位置5のTeは、この読み方では、自分が経験した範囲の外へ出にくいことになります。
Bukalov側は、同じ4つを別の語彙で呼び、こう書いています。
次元性を考慮した情報代謝機能の一般構造を、グローバル性、状況、規範、個人的経験のベクトルによって図的に表されるとおり、思い出しておこう。
原文を表示
Напомним общую структуру функций информационного метаболизма с учетом мерностей, графически выражаемых векторами глобальности, ситуации, норм и личного опыта.
つまり、Yermakの「時間」に対応する4本目のベクトルを、Bukalovは「グローバル性」と呼んでいるということです。同じ理論の内部でも語彙が統一されていない点は、原典を読むときの注意点です。
次元の割り当て—規範のベクトルとその上
経験の次に加わる規範のベクトルが何を指すかを、Bukalovは管理のレジームという言い方で、こう説明しています。
それでは2次元管理レジームを考察する。管理空間内の個別経験のベクトルに加えて、新たなパラメータ—規範のベクトル—が現れる。これは他ならぬ情報代謝タイプ(TIM)そのもののステレオタイプ的反応である。(中略)すなわちTIMの働きの自動的テンプレートである。
原文を表示
Рассмотрим теперь двумерный режим управления. Помимо вектора индивидуального опыта в пространстве управления, появляется новый параметр — вектор норм. Это не что иное, как стереотипные реакции уже собственно типа информационного метаболизма — ТИМа. (中略) То есть, автоматические шаблоны работы ТИМа.
言い換えると、2次元で加わる規範とは、外から与えられた規則ではなく、そのタイプ自身の自動的な反応の型だということです。ESIで2次元なのは位置3のTiと位置6のNiで、この読み方では、そこで出るのは筋道や見通しの検討ではなく、型どおりの応じ方になります。
3次元より上を、Yermakは時間パラメータの有無で、こう言い直しています。
知性の機能(「知性」—第1機能)は4次元—受容される社会的に有意な(人格的)情報を全面的に処理し(アイデア、課題の解決などを探す)、これには時間パラメータについて(過去、現在、未来において)の処理も含まれる;(中略)社会的創造の機能(「創造」—第2機能)は3次元—「創造する」、すなわち過去、現在、未来のある時間の瞬間に対して知性の機能が見出した社会的に有意な決定、アイデア、思考を実現する。ここから社会的経験、状況、規範の考慮が現れるが、創造機能は時間パラメータについて不変(独立)である
原文を表示
– функция интеллекта («интеллект» — ф.1) четырѐхмерна — всесторонне обрабатывает воспринимаемую социально значимую (личностную) информацию (ищет идею, решение задачи и т. п.), в том числе и по параметру времени (в прошлом, настоящем или будущем), функция социального творчества («творческая» — ф.2) трѐхмерна — «творит», т. е. реализует социально значимые решения, идею, мысль, которые найдены функцией интеллекта относительно некоторого момента времени в прошлом, настоящем или будущем — отсюда учѐт социального опыта, ситуаций и норм, но инвариантность (независимость) функции творчества по параметру времени (функция «творит» в той точке или в том периоде на временной шкале, которые ей определила функция интеллекта (ф.1));
つまり、4次元の第1機能は時間も含めて情報を扱い、3次元の第2機能は時間に左右されずに働くということです。分かれ目に置かれているのは処理の量ではなく、時間パラメータを扱うかどうかです。ESIに当てはめると、Fiは過去に築いた関係も、いま目の前にある関係も、この先どうなるかも同じ枠で扱い、Seは時間から独立に、そのつどの場面に対して働くという区別になります。
ESIへの適用—4次元のFiと規範の論理
4次元の第1機能に何ができるとされるかを、Karpenkoは次のように書いています。
第1機能の四次元性はその包括的な性格を与え、その持ち主に、対応するアスペクトにおいて、状況や規範、さらには個人的経験が課す枠や制限を乗り越えることを可能にする。(中略)この機能の四次元性は、世界の慣れ親しんだ幾何学を「引き裂き」、新しい地平を開き、アイデアと発見と予見を贈り届ける。
原文を表示
Четырехмерность первой функции задает ее всеобъемлющий характер, дает возможность ее обладателю преодолеть по соответствующему аспекту рамки и ограничения, налагаемые ситуацией, нормами и даже личным опытом.〔中略〕Четырех- мерность этой функции «разрывает» привычную геометрию мира, открывает новые горизонты, дарит идеи, открытия и предвидения.
言い換えると、4次元の第1機能は、状況や規範や自分の経験の枠を越えて、新しい見方を開くということです。Karpenkoが第1機能に与えているのは、処理の正確さより、枠を越える性格です。
ESIでは第1機能にFiが入るので、越える対象は、誰とどうつき合うかについての状況・規範・自分の経験になると読めます。この対応づけは当サイトの整理で、Karpenkoは要素を特定していません。
Bukalovは、ESIを含む合理的倫理タイプと職業の関係を、こう書いています。
何らかの平均的な経理を取れば、通例どんな経理にも非常に多くの合理的倫理タイプがいる。なぜか?経理は ― 計算、計算、論理圏のように見えるのに、なぜかそこには多くの倫理タイプの人格がいる。だが答えは単純であることが分かる:機能には創造的 ― 多次元と、規範的 ― 低次元のものがある。そしてあらゆる経理は99%、非常に厳格に規定された規範的活動分野で、何かを思いつく必要はなく、ただ厳密に指示に従うだけ。(中略)それで、すべての合理的倫理タイプは、実際そこで穏やかに働く、彼らには規範的な2次元論理がある。
原文を表示
Если мы возьмем какую-нибудь среднюю бухгалтерию, то обычно в любой бухгалтерии очень много рациональных этиков. А почему собственно? Ведь, казалось бы, бухгалтерия — это расчеты, вычисления, логическая сфера, а там, почему-то, много этических типов личности. Но отгадка оказывается простой: дело в том, что функции есть творческие — многомерные и нормированные — маломерные. А вся бухгалтерия на 99% очень жестко регламентированная нормированная сфера деятельности, там ничего придумывать не надо, а только строго следовать инструкциям. (中略) И оказывается, все рациональные этики, действительно, там работают спокойно, у них нормированная 2мерная логика.
言い換えると、規定が細かく決まった経理のような仕事では、2次元の規範的な論理で足りるので、合理的倫理タイプが穏やかに働けるということです。ここでBukalovは、次元の数を職業の向き不向きにそのまま結びつけています。ESIの論理は位置3のTiで2次元なので、規定が細かく定まっている場ほど負担が小さいという読みになります。強い機能ではなく、規範までで足りる機能のほうが持ち場を得るという向きです。
強い主張への注記
次元性理論には、検証手続きが示されないまま数値を伴う強い主張も含まれます。Bukalovらは、こう書いています。
心的機能の次元性の階層は、注意・記憶・思考の容量の階層を定める。生物種が違えばこれらの容量は大きく異なりうる。我々が示したとおり、人間にとって次元性の階層は、記憶・注意・思考の容量に関する「ブカロフの魔術的列」を定める:6(±1)、10(±1)、16(±1)、26(±1)。この列の最初の数はミラーの「マジカル・ナンバー」および作業記憶(オペレーショナルメモリ)の容量に対応する。心的機能の次元性に結びつけられた各ベクトルに、それぞれの注意・思考・記憶の容量を対応させることができる [6–13]。
原文を表示
Иерархия мерностей психических функций задает иерархию объемов внимания, памяти и мышления. Для разных биологических видов эти объемы могут очень сильно различаться. Так для человека, как было показано нами, иерархия мерностей задает «магический ряд» Букалова для объемов памяти, внимания и мышления: 6(±1), 10(±1), 16(±1), 26(±1), в котором первое число соответствует «магическому числу» Миллера и объему оперативной памяти. Каждому вектору, связанному с размерностью психической функции, можно сопоставить свой объем внимания, мышления и памяти [6–13].
つまり、次元の階層が、記憶・注意・思考の容量を表す6(±1)、10(±1)、16(±1)、26(±1)という数の系列を決めるという主張です。最初の数は、認知心理学の古典的な作業記憶の目安であるMillerの7±2に対応させています。この系列を支える独立の実験データは、当サイトが確認した範囲では引用文献の外に示されていません。
小括します。次元性は、ESIの強いFi・Siと弱いNe・Teを、参照できるパラメータの数として言い直す理論です。関係の評価を過去から先までひと続きに扱えるという記述と、目新しい見立てが自分の経験の外へ出にくいという記述が、同じ軸の両端に並びます。一方で、4本目のパラメータの呼び名は著者ごとに違い、次元の数を外から測る手続きも示されていません。理論運用上の弱点は23章でまとめます。
17ガンマ・クアドラのESI
ESIは、SEE・ILI・LIEとともにガンマクアドラを構成します。4タイプが共有する価値要素は、内向倫理(Fi)・外向感覚(Se)・外向論理(Te)・内向直観(Ni)です。この章では、原典の定義、呼び名の揺れ、ガンマの気風の記述、そのなかでESIに割り当てられた持ち分を扱います。相手ごとの関係の向きは18章です。
クアドラとは何か—アウシュラの規定
クアドラ。クアドラはソシオンの4分の1で、4つの情報代謝タイプ、つまり互いを活性化する2つの双対ペアからなる。2つの双対ペアの一方は一方の社会的進歩リングに、もう一方はもう一方の環に属する。クアドラの成員を結びつけるのは一定の関心の共通性であり、何よりも衝突の起きる余地がないことである。成員は互いをいつも理解し、言葉や行いの裏に傷つくものを何も見ない。共同の仕事はきわめて実り多く、生産的である。
原文を表示
Квадра. Квадра — одна четвертая социона,' об-` разованная из четырех типов ИМ или двух активи- зирующих друг друга диад, одна из которых отно- сится к одному, другая — к другому кольцу соци- ального прогресса. Участников квадры объединяет определенная общность интересов, а главное — от- сутствие возможностей конфликта. Друг друга они всегда понимают, за словами и поступками не заме- чают ничего обидного. Исключительно нлодотворна и производительна совместная работа.
上の引用にあるソシオンは16タイプがそろった全体のことです。言い換えると、クアドラは、関心が共通し、互いの間に衝突が起きない4つのタイプの集まりだということです。条件として挙がっているのは、関心の共通性と、衝突の起きる余地がないことの2つです。どちらも個人の資質ではなく、4人が揃ったときの関係の状態を指しています。ガンマの中身はこの定義では決まらず、後代の研究者がそれぞれの語で埋めます。
呼び名の揺れ—「第二」とガンマ
アウシュラの同書はクアドラをギリシャ文字ではなく順序数で呼び、ESIを含む組は「第二」として、こう列挙されています。
第二。 論理直観外向と倫理感覚内向、感覚倫理外向と直観論理内向。
原文を表示
Вторая. Логико-интуитивный экстратим и этико-сенсорный интротим, сенсорно-этический экстратим и интуитивно-логический интротим.
上の引用にあるエクストラティムは外向型、イントロティムは内向型のことです。つまり、「第二」のクアドラは、LIE・ESI・SEE・ILIの4タイプで、いまガンマと呼ばれる組だということです。列挙は情報要素の組み合わせで書かれ、ESIは最初の対の後半、倫理・感覚的な内向型です。
同じ著者の別の著作には、ギリシャ文字の名で呼ぶ記述もあり、アウシュラはこう書いています。
悲劇主義と感情的高所恐怖症への傾性が、ベータとガンマのクアドラに固有である、また — 最も真面目なものをファルスとコメディに転じる傾性 — アルファとデルタのクアドラに。
原文を表示
Склонность к трагизму и эмоциональной высокомерности присуща квадрам бета и дельта, а к превращению самого серьезного в фарс и комедию — квадрам альфа и дельта.
言い換えると、悲劇に傾く気風はベータとガンマに、深刻なことを喜劇に転じる気風はアルファとデルタに固有だということです。番号とギリシャ文字が、同じ著者の中で併存しています。
呼び名は資料間で揺れるため、クアドラの照合は構成タイプで行うのが安全です。例えば、アウシュラの「第二」と、あとで見るStratiyevskayaやKarpenkoの「第三クアドラ」は、どちらも同じガンマのことです。内容の側では、悲劇主義でガンマと組になるのはベータで、後で見る民主・貴族の軸とは相棒が入れ替わります。
気風の記述—実利の基準と関係の倫理
Gulenkoは、ガンマで何が認められるかを一語で置き、こう書いています。
γクアドラの根本価値は実利主義である。ご存じのように、それはアングロサクソン諸国の伝統的イデオロギーに基づく。実利主義の哲学においては、利益をもたらすすべてのものだけが本当に認められる。絶対的真理、あるいはそれへの欲求さえ拒否される。
原文を表示
The root value of gamma quadra is pragmatism. As you know, it is based on the traditional ideology of the Anglo-Saxon countries. In the philosophy of pragmatism is truly recognized only all that brings benefits. Absolute truth, or even the desire for it, is rejected.
つまり、Gulenkoはガンマの根本価値を実利主義に置き、利益をもたらすものだけが認められるとしているということです。Gulenkoはガンマを、情報要素ではなく既存の哲学の名で押さえており、絶対的真理もそれへの欲求も拒否されます。
では、実利で測れない人と人との関係はどう扱われるのでしょうか。Karpenkoはそこに次元数で答え、こう書いています。
しかし関係の倫理(▽(Fi))に目を向ければ、別の絵が見えてくる。第3クアドラ(ガンマ)はこのアスペクトで真の革新者ぶりを見せることができる。γクアドラには、通例にない、伝統に沿わない関係の形態への寛容と忍耐の精神が君臨している。それでいて、現実の人々とその関係は、厳しい批判と非難にさらされることがある。実のところ、情報アスペクトの多次元性は、個別に取り上げた事実や出来事についてこのアスペクトで言い表しうる判断の、多次元性と多様性を前提とするのである。
原文を表示
Но если обратиться к этике отношений (), то мы увидим иную картину. Третья квадра может показать себя подлинным новатором по этому аспекту. В γ-квадре царит дух толерантности и терпимости по отношению к необычным, нетрадиционным формам отношений. При этом реальные люди и их отношения могут подвергаться суровой критике и осуждению. Дело в том, что многомерность информационного аспекта предполагает многомерность и многообразие суждений, которые могут быть высказаны по этому аспекту относительно отдельно взятого факта или события.
言い換えると、ガンマは、型にはまらない関係の形には寛容だが、現実の人とその関係は厳しく批判することがあるということです。許容されるのは関係の形態のほうで、目の前の人とその関係は評価の対象になる、という分け方になっています。Karpenkoはこの幅を、アスペクトの次元数の高さから説明します。
Karpenkoは、意志感覚にも同じ順位を与えて、こう書いています。
他方、意志感覚(●(Se))のアスペクトでは、第3クアドラ(ガンマ)の代表者はソシオン全体にハンデをやれるほどである。力の配置を評価し、相手の弱点を見抜き、それに付け込み、それでいて他のタイプの意志的・力的な要求を屈託なく無視するか軽蔑的に退けることにかけて、彼らに勝る者はいない。(中略)力の相互作用の枠の外では、第3クアドラの黒い感覚は、一方では世話をし、守り、庇護のもとに置こうとする志向に、他方では周囲の空間の形と色との活発な相互作用に現れる。
原文を表示
А вот по аспекту волевой сенсорики () представители третьей квадры могут дать фору всему социону. Никто лучше них не может оценить расстановку сил, увидеть слабости противника, сыграть на них и в то же время беспечно проигнорировать или презрительно отвергнуть волевые или силовые претензии других типов. (中略) Вне рамок силовых взаимодействий черная сенсорика в третьей квадре проявляет себя, с одной стороны, в стремлении опекать, защищать, брать под свое покровительство, а с другой — в активном взаимодействии с формой и цветом окружающего пространства.
言い換えると、ガンマは、力の配置を読み、相手の弱点を突くことでは16タイプの中で最も強いということです。「ソシオン全体にハンデをやれる」という比較が、その評価です。一方で、押し引きの場面の外では、世話をし、守り、庇護のもとに置こうとする志向も、同じアスペクトの現れとして並びます。力の側で終わらせない点が、Karpenkoの扱いの特徴です。
Reininは、同じクアドラを関係様式の軸から、こう特徴づけています。
民主的なクアドラは2つある。アルファクアドラとガンマクアドラである。貴族的なクアドラも2つある — ベータクアドラとデルタクアドラである。(中略)ガンマクアドラは「思想の民主主義者」であり、彼らの思想は民主的だが、彼らの関係性においてはやや距離を置き「ボタンを締めて」いる。
原文を表示
There are two democratic quadras: the alpha-quadra and the gamma-quadra. There are two aristocratic quadras – the beta-quadra and the delta-quadra.
つまり、ガンマは民主のクアドラだが、民主的なのは思想で、関係ではやや距離を置くということです。「思想の民主主義者」という限定がつき、思想と関係で振る舞いが分かれるのがこの記述の要点です。
Stratiyevskayaは、その距離の中身を、こう書いています。
第三クアドラ(ガンマ)の代表者は実際に非常に信じやすく、コミュニケーションにおいて単純で、本質的に民主的な人々である。(中略)彼らは個人的な共感と反感のみに導かれて、人々を「身内」と「他人」に分ける権利が自分にあると考えている。まさにこの「区分」が彼らの倫理的防御である。理由?—「可能性の直観」が弱いからである—それはここで排斥された価値であり、それゆえ頼られない。しかし疑い深さもここでは尊ばれない—支配的な「関係の倫理」がこれを許さない。しかし用心深さ、ある程度の距離の保持は禁じられず、まったく許容されると考えられる。
原文を表示
они и считают себя вправе делить людей на "своих" и "чужих", руководствуясь исключительно личными симпатиями и антипатиями. Именно это "деление" и является их этической защитой. (中略) Но и подозрительность здесь не в чести — доминирующая "этика отношений" этого не позволяет.
言い換えると、ガンマは人を「身内」と「他人」に分けることで身を守り、疑い深さの代わりに用心深さと距離を保つということです。彼女はこの区分を倫理的防御と呼び、理由を2つ挙げます。1つは、可能性の直観が弱く頼れないことです。もう1つは、疑い深さを関係の倫理が許さないことです。残るのが用心深さと距離の保持だ、という消去法です。
ガンマのなかでESIが担うもの
4人の持ち分を最も細かく分けているのはBukalovで、こう書いています。
クアドラγの社会的役割は人間活動のあらゆる領域における事物の現状の批判—その中にはクアドラβの仕事も含まれる—にある。(中略)感覚倫理外向(SEE)は、他者の主観的過誤を批判的に再考し、修正しようとする。(中略)その双対、直観論理内向(ILI)は、世界の現実に懐疑的に関わる;(中略)倫理感覚内向(ESI)は、風俗の批判者、道徳の擁護者である;(中略)論理直観外向(LIE)は、有害な習慣、外的環境汚染等の批判者である。
原文を表示
социальная роль квадры г заключается в критике существующего положения вещей во всех сферах человеческой деятельности, в т.ч. того, что сделано квадрой в. (中略) сенсорно-этический экстраверт, СЭЭ, критически переосмысливает и пытается исправить субъективные ошибки других.
つまり、ガンマの4タイプは現状を批判する役割を共有し、ESIはそのなかで風俗を批判し道徳を擁護するということです。批判という一つの役割を、Bukalovは4つの対象へ割り振ります。SEEは他者の過誤、ILIは世界の現実、LIEは習慣と環境で、ESIだけが風俗と道徳という規範の側です。的の種類だけが分かれ、役割そのものは4人に共通します。
Karpenkoは、その規範の厳しさをデルタと並べて、こう書いています。
第4クアドラ(デルタ)では関係の倫理(▽(Fi))の次元数は3に等しい。(中略)だから赦しも、γクアドラよりδクアドラでのほうが得やすい—過ちが抗しがたい条件の、外的または内的な条件の影響下で犯されたのだと説明できさえすれば。たとえば▽(Fi)▲(EII)は、過ちには弁明が見つかりうる(中略)と非常によく言う。同様の状況での▽(Fi)●(ESI)の見解はより断固としている:「人が一度つまずいたのなら—気の毒に思うこともある。だがそれが常態なら—そういう人間は私に何の感情も呼び起こさない。そういう状況で私は容赦しない」
原文を表示
В четвертой квадре мерность этики отношений () равна трем. 〔中略〕 Поэтому и прощение легче получить в δ- квадре, нежели в γ, если только удастся объяснить, что проступок был совершен под влиянием непреодолимых условий, внешних или внутренних. Так, (ЭИИ) очень часто говорят, что про- ступку может быть найдено оправдание, 〔中略〕 Мнение (ЭСИ) в подобных ситуациях более категорично: «Если человек оступился один раз — мне может быть его жалко, но если это постоянно - у меня эмоций этот человек не вызывает, я в та- ких ситуациях беспощаден»
言い換えると、デルタでは事情を説明できれば過ちが赦されやすいが、ESIは過ちが常態になっている人を赦さないということです。対比の焦点は赦しの得やすさで、ESIの発言は一度か常態かで区別します。「気の毒に思うこともある」という留保も同じ発言の中にあり、区別は情の有無ではなく反復の有無でなされています。
Stratiyevskayaは、このクアドラの価値をESIの具体的な行動に結びつけて、こう書いています。
ESI〔原文: ドライザー〕は自分の時間を大切にする。なぜならこれは彼のダイアドの価値観の一つだけでなく、クアドラ的価値観でもある — できるだけ多くを成し遂げる志向、自分の潜在能力を実現する志向。これらすべてが、ESI〔原文: ドライザー〕にとって時間の要因を特に重要なものにしている。
原文を表示
Драйзер ценит свое время, поскольку это не только одна из ценностей его диады, это и квадровая ценность — стремление сделать как можно больше, стремление реализовать свой потенциал. Все это делает фактор времени для Драйзера особенно значимым.
つまり、ESIが時間を大切にするのは、できるだけ多くを成し遂げ自分の潜在能力を実現するという、双対ペアとクアドラが共有する志向から来るということです。時間を惜しむ理由は、個人の性向ではなくクアドラの価値から説明されています。ESIの時間の使い方を、双対ペアの価値とクアドラの価値の両方から説明するのが、彼女の書き方です。
ただし、共有物には負担の側もあり、Stratiyevskayaはこう書いています。
第三クアドラ(ガンマ)の代表者は「人生から外される」のを大変嫌う—この状態は彼らを殺す。(中略)彼らは自身の創造を部外者の目から守り、「自分のためだけに」創造し始める—「『けちな騎士』のコンプレックス」が発展する。しかもこの現象は第三クアドラの内向—ILI〔原文: バルザック〕とESI〔原文: ドライザー〕—に、より特徴的である。
原文を表示
Представители третьей квадры очень не любят быть "выключенными из жизни" — это состояние их убивает. (中略) они начинают оберегать свое творчество от посторонних глаз и творить только "для себя" — у них развивается "комплекс "скупого рыцаря". Причем это явление более характерно для интровертов третьей квадры — Бальзака и Драйзера.
上の引用にある「けちな騎士」は、財宝を誰にも見せずに溜め込む男爵を描いた、プーシキンの戯曲の題です。つまり、ガンマの内向の2人は、作ったものを人に見せず、自分のためだけにしまい込みやすいということです。このコンプレックスは、ガンマの内向の2人、ILIとESIにより特徴的だと限定されています。クアドラコンプレックスはStratiyevskaya独自の用語で、診断名ではありません。
小括します。ガンマの構成、つまりFi・Se・Te・Niを共有するESI・SEE・ILI・LIEの4タイプは、研究者間で一致します。呼び名は「第二」とガンマが同じ著者の中で併存し、番号での照合は成り立ちません。
一方、気風では力点が分かれ、Gulenkoは実利主義を根本価値に置き、Karpenkoは関係の倫理と意志感覚を最も次元数の高いアスペクトとして扱います。ESIの持ち分では、Bukalovの風俗の批判者・道徳の擁護者が最も具体的で、Karpenkoの引く発言とStratiyevskayaの区分がこれに重なります。負担の側は「けちな騎士」が内向の2人に限定されています。
18タイプ間の関係のなかのESI
タイプ間の関係の理論では、ESIの主要な相手は、双対=LIE、活性化=ILI、鏡像=SEE(以上ガンマ)、衝突=ILEなどです。また、ESIが監督する相手はSLE、ESIを監督する相手はIEEです。ESIが恩恵を与える相手はIEI、ESIに恩恵を与える相手はSLIです。関係ごとの一般解説は関係のページにあります。この章では、ESIを名指しした原典記述を、双対を中心に集めます。
双対関係の一般定式
Reininは、双対関係を一般的に、こう定式化しています。
この種類の関係においては、当該タイプの弱い機能が、他方のタイプ(双対、完全に補完的なタイプ)の強い機能の領域にある。補完的なタイプの人物こそが最良の教師である。(中略)双対タイプは私の弱い機能を保護し、同時に、私の弱い機能の領域においてさえ成功に至る行動プログラムを提供してくれる。
原文を表示
In this type of relationships the weak functions of the type are in the zone of strong functions of the other type (dual, completely complementary type). A person of the complementary type is the best teacher. […] The dual type protects my weak functions, at the same time providing a behavioral program for me to reach success even in the area of my weak functions.
言い換えると、双対の相手は、自分の弱い機能を守り、その領域でも成功する行動の仕方を示してくれるということです。ESIに当てはめれば、弱い機能はTeとNiで、双対LIEの主導・創造がそのまま同じ2つです。選ばれている語が「教師」である点は、双対を情緒の相性ではなく技能の受け渡しで見る立場を示します。
この向きの偏りを、Bukalovらは統計の側から、こう書いています。
論理タイプは同一関係と鏡像関係で優勢である。明らかに、倫理タイプにとっては補完性、すなわち「対極が結びつく」という考えのほうが近い。一方、論理タイプは完全な類似、近親、相互理解、感受性の隣接—深くはないが、即時的なもの—をより頻繁に求める。
原文を表示
Logicians prevail in identity and mirror relations. Apparently, for ethical types is closer an idea of complementarity, that “opposites converge”. And logicians search more often full similarity, kinship, understanding, contiguity of apprehensions — not deep, but immediate.
つまり、倫理タイプは対極と結びつく補完の関係を、論理タイプは似た者どうしの関係を、より多く求めるということです。力点は関係の良し悪しではなく、成立しているペアにどの関係が多いかにあります。倫理タイプであるESIの側に「対極が結びつく」が置かれるので、双対への志向は理論の要請ではなく観測された傾向として書かれます。
ESIとLIE—アウシュラの記述
ESIの双対はLIEです。アウシュラは、ESIが自分では埋められない側から、こう書き始めます。
自分の労働と、それが何に至るかを、価値づけることが、彼にはまったくできない。彼を愛するのは、この点で彼を助け、いつも何もかも間に合うと褒めてくれる者である。(中略)そして、まさにそのような自身の価値の称賛ゆえに、彼は気を強く張る。彼が双対を驚かせるのは、彼の働きぶり、忍耐、巧みさだ。(中略)ESI〔原文: クライド〕へ最高の賛辞は、彼に何でも間に合うと言うときである。
原文を表示
Своего труда и того, к чему он приводит, ценить совершенно не умеет. Его любит тот, кто ему в этом помогает, кто его хвалит за то, что он всегда и все успевает, (中略) Дуала он удивляет своей трудоспособностью, терпеливостью, умением.
ESIは、自分の仕事の値打ちを自分では測れず、双対に働きぶりを認められ、何でも間に合うと言われることで力が出るとされています。双対が驚くのは結果ではなく働きぶり、忍耐、巧みさだ、と書かれるので、外から入る評価の対象は成果ではなく過程です。
時間の側でも、欠けている範囲が先に置かれます。アウシュラは、こう書いています。
倫理感覚内向は明日のことを考えず、今日だけを生き、期待を好まない。今日できることは明日に延ばすな。そして今日できることは今やったほうがよい。このタイプは頑固で妥協を知らず、だから論理直観外向—今日ではなく、かつてあったこととこれから起こることに生きる、今日の出来事に注意を向けない人物—と見事に友情を結ぶ。
原文を表示
Этико-сенсорный интроверт не думает о будущем, а живет лишь сегодняшним днем и не любит ожидать. (中略) Этот тип неуступчив и упрям, поэтому так удачно дружит с логико-интуитивным экстравертом, живущим не теперешним днем, а тем, что было и что будет, и не обращающим внимания на сегодня.
つまり、今日だけを生きるESIは、今日ではなく、これまでとこれからに関心を向けるLIEと、よく友情を結ぶということです。双対に結びつく理由は、性格の似通いではなく、自分の注意が及ばない範囲を相手が持つことに置かれます。「頑固で妥協を知らず」は難点ではなく前提の側に並びます。
境目は、能力の見せ方にも出ます。アウシュラは、こう書いています。
ESI〔原文: クライド〕は、自分の潜在的諸能力を自慢しないし、他者がそうするのに耐えられない、第一に、その第一自我要素 ▲(Ne) — つまり直観論理外向 および 直観倫理外向 がそうである人々 — に対しても。一方、自身の能力を双対 — 論理直観外向 — の誇示的開示は、彼の魂を、自分自身の不確かさ、煩悶、良心の呵責から救い出す香膏となる。
原文を表示
КЛАЙДЫ своими потенциальными способностями не хвастаются и не переносят, когда это делают другие, во-первых, те, у которых А — первый элемент ЭГО, то есть ИНТУИТИВНО-ЛОГИЧЕСКИЕ и ИНТУИТИВНО-ЭТИЧЕСКИЕ ЭКСТРАТИМЫ. А вот демонстративное раскрытие своих способностей дуалом — ЛОГИКО-ИНТУИТИВНЫМ ЭКСТРАТИМОМ — является тем бальзамом, который избавляет их душу от неуверенности, терзаний и угрызений совести.
上の引用にある▲は外向直観(Ne)の記号です。言い換えると、ESIが誇示に耐えられないのは衝突相手のILEとESIを監督するIEEで、救いになるのは双対のLIEの誇示だということです。分け目は誇示そのものではなく、誰の何が開かれるかです。
可能性を第一に置くILE・IEEの誇示は耐えられない側に、業務論理を第一に置くLIEの誇示は「香膏」の側に分かれます。つまり、相手の1番の要素がESIの4番のNeか5番のTeかで受け取り方が逆になり、受け取れる範囲が要素の単位で分かれています。
後代の研究者によるESI-LIE
Stratiyevskayaは、ESIがLIEから受け取る情報に条件をつけて、こう書いています。
ESI〔原文: ドライザー〕は絶えず業務論理のアスペクトの情報を得る必要がある。「何をすべきか?」「どうすべきか?」という問いに対して、明確で、自分の倫理プログラムに矛盾しない答えを必ず知らねばならない。そして彼の双対のLIE〔原文: ジャック〕だけが、彼を完全に満足させる形ですべての指示とすべての説明を与えられる。
原文を表示
Драйзеру необходимо постоянно получать информацию по аспекту деловой логики. Он обязательно должен знать четкие и не противоречащие его этической программе ответы на вопросы "Что делать?" и "Как сделать?". И только его дуал Джек может дать ему все указания и все объяснения в той форме, которая полностью его удовлетворит.
言い換えると、ESIは「何をすべきか」「どうすべきか」への明確な答えを必要とし、それを倫理に矛盾しない形で与えられるのは双対のLIEだけだということです。条件は、答えが明確であることと、自分の倫理プログラムに矛盾しないことの2つです。業務の指示が倫理の側の審査を通らなければ受け取られません。
時間の見積もりも、同じ分担の形で、こう書かれます。
十分に充実した時間体制で、ESI〔原文: ドライザー〕は自分の必要性を感じる。しかし最良なのは、彼の双対が「テンポを設定する」ときである — 彼だけが、ESI〔原文: ドライザー〕の問題ある直観(自分の仕事のテンポを過小評価または過大評価する)を考慮してそれをできる。
原文を表示
В достаточно насыщенном временном режиме Драйзер чувствует свою востребованность. Но лучше всего, когда ему "задает темпы" его дуал — только он может это сделать с учетом проблемной интуиции Драйзера, недооценивающего или переоценивающего темпы своей работы.
ESIは、自分の仕事のテンポを見積もり違えやすいので、双対のLIEにテンポを決めてもらうのが最もよいとされています。直観の弱さが「過小評価または過大評価」という誤差の形で特定されています。時間が見えないのではなく、見積もりが両方向にずれます。アウシュラが今日だけを生きる傾向として書いた場所が、ここでは分担の設計になっています。
反対向きの記述は、遠い距離の扱い方に置かれ、Stratiyevskayaはこう書いています。
遠い距離で見知らぬ人と交流する際、LIE〔原文: ジャック〕たちは時に、明らかな理由なく「とげを出す」。(中略)そのような「とげとげしいLIE〔原文: ジャック〕」に優しい言葉で接近するには、並外れた倫理的勇気が必要である。幸いなことに、彼の双対のESI〔原文: ドライザー〕にとってこれは何の問題もない。彼はLIE〔原文: ジャック〕の外面的なとげとげしさの背後に、特別に細心の取り扱いを要する深く傷つきやすい魂だけを見る。
原文を表示
Общаясь на далекой дистанции с малознакомым человеком, Джеки, иногда без видимой причины, "выпускают колючки". (中略) Нужно обладать незаурядной этической смелостью, чтобы обратиться к такому "колючему Джеку" с ласковым словом. К счастью, для его дуала Драйзера это не представляет никаких проблем. Он за внешней джековской колючестью видит только глубоко ранимую душу, требующую к себе исключительно бережного отношения.
言い換えると、見知らぬ相手にとげを出すLIEにも、双対のESIは気おくれせずに優しく近づけるということです。必要とされる資質が倫理的勇気と名指され、ESIの側にはそれが要らない、と書かれます。とげとげしさを、敵意ではなく細心の取り扱いが要るしるしとして受け取るので、近づく前の判断が省かれます。
Karpenkoは、こうした双対の記述そのものに、脚注で次のような留保をつけています。
ソシオニクスの初期の仕事はとりわけ、双対関係の理想化(および他のすべての関係の絶対化)という罪を犯している。どんな関係にもそれ自身の動態が、それ自身の問題があり、双対どうしもまた、相補性を獲得するために少なからぬ力を注がなければならないのである。
原文を表示
ранние работы по соционике особенно грешат идеализацией дуальных (и абсолютизацией всех прочих) отношений. Любые отношения имеют свою динамику, свои проблемы, и дуалам таже приходится приложить немало сил для обретения дополнительности.
つまり、双対でも、補い合う関係になるには2人の努力が要るということです。向けられているのは個々の観測ではなく、関係の型が結果を保証するかのように読まれることです。補完は初めから備わるものではなく、力を注いで獲得するものとして置かれています。
活性化—ESIとILI
同じガンマクアドラのILIとの関係は活性化と呼ばれます。Stratiyevskayaは、ILIが抱える人間関係の難問(本人の言う「倫理パズル」)を、ESIでも解けないと、こう書いています。
実践が示すように、他のいかなる倫理タイプも、彼にクアドラ的に最も近いESI〔原文: ドライザー〕ですら、ILI〔原文: バルザック〕的「倫理パズル」を上手く解決することはできない。
原文を表示
Практика показывает, что никакой другой этик, даже ближайший к нему по квадре — Драйзер, не в состоянии успешно справиться с бальзаковскими "этическими головоломками".
言い換えると、同じクアドラで最も近いESIでも、ILIの人間関係の難問はうまく解けないということです。同じクアドラに属することが倫理の噛み合いを保証しない、という限定で、活性化は双対の弱い版としては書かれていません。
また、Stratiyevskayaは、ILIにとってどの力の加え方が抑圧に感じられるかも、次のように書き分けています。
(倫理的操作によって実現されるSEE〔原文: カエサル〕の意志的影響力は、彼によって自分自身の人格の抑圧として知覚されない。それに対して、SLE〔原文: ジューコフ〕、LSI〔原文: マクシム・ゴーリキー〕、ESI〔原文: ドライザー〕の直線的な意志的影響力 — 「●(Se)」 — や、ESE〔原文: ヒューゴー〕の誇示的な押しの強さは、彼を抑圧する。)
原文を表示
(Волевое воздействие Цезаря, реализованное этическими манипуляциями, не воспринимается им как подавление собственной личности. В то время как прямолинейное волевое воздействие — "волевая сенсорика" Жукова, Максима или Драйзера, равно как и демонстративная напористость Гюго — его подавляет.)
上の引用の「彼」はILIのことです。つまり、同じSeでも、SEEのように倫理的な操作を通して働きかければILIは抑圧と感じず、ESIのようにまっすぐ力をかけると抑圧と感じるということです。分け目は要素の種類ではなく働きかけ方です。関係を守る場面で前に出す資質が、活性化の相手の側では負担になります。
衝突—ESIとILE
反対の極として、ESIの衝突相手はILEです。Bukalovらは噛み合わない場所を、行動のまとまりの単位に置いて、こう書いています。
それでは、行動様式において完全に対立するモジュール同士の相互作用の結果としての、潜在的に衝突する関係を検討してみよう。(中略)新しいものの探索モジュール(ILE、▲(Ne)□(Ti))、新しい領土の探索および確立された行動の無視を含む、と、ESI(▽(Fi)●(Se))モジュール、これは権利、義務、それらの違反の感覚、確立された行動規範と領土、物理的・心理的境界の違反を含む。
原文を表示
модуль ЭСИ (), включающий в себя чувства права, обязанности и их нарушения, в том числе установленных норм поведения и территории, физических и психологических границ.
言い換えると、新しいものを探して確立された行動を無視するILEと、規範や境界の違反を感じ取るESIは、行動のまとまりの段階で対立するということです。対立の単位が性格ではなくモジュール、つまり行動のまとまりです。ILE側には確立された行動の無視が、ESI側にはその違反を検知する働きが入るので、一方が普段どおり動くだけで他方の側では違反になります。Reininは同じ関係を、一つの場面が二重に見える形で、こう書いています。
二人の人物が衝突関係にある場合を想像してみよう。夫はILE〔原文: ドン・キホーテ〕で、妻はESI〔原文: ドライザー〕である。(中略)友人が訪ねてくるとき、二人の人物はそれをまるで異なる二つの出来事を体験しているかのように、二つの異なる仕方で見る。一方は第三機能を通じて肯定的強化を受け、もう一方は客が残した混乱、汚れた皿、カーペットの泥の足跡を見る…。ここでの潜在的衝突は次の通りである。「あなたは私の問題を無視する。」
原文を表示
Imagine, two people are in a conflict relationship: a husband – a Don Quixote and a wife – a Dreiser. (中略) When friends come to visit the two people see it in two different ways as if they were experiencing to different events: one receives a positive reinforcement through the third function, while the other sees a mess left by the guests, dirty dishes, dirty footprints on the carpet…
上の引用の第三機能はReininの番号で、ILEでは当サイトの位置6、動員機能のFeです。言い換えると、同じ来客でも、ILEは第三機能を通じて肯定的な強化を受け、ESIは散らかった部屋として受け取るということです。食い違うのは出来事ではなく、同じ出来事のどこが目に入るかです。ESIの「私の問題を無視している」という訴えは、悪意ではなく、相手に見えていないことへの申し立てだと読めます。
小括します。ESIの関係記述の中心は双対LIEで、自分の労働を価値づける言葉が外から入る(アウシュラ)、「何をすべきか」の答えが倫理の審査を通って受け取られる(Stratiyevskaya)、仕事のテンポを相手が設定する(同)という3つの定式が重なります。双対は、ESIが自分で測れない価値と時間を外から補う相手として書かれています。
また、活性化ではクアドラの近さと倫理の噛み合いが切り離され、衝突ではBukalovが行動のまとまりの対立を、Reininが同じ場面の見え方の分岐を扱います。
なお、双対の記述が理想化に傾きやすいことはKarpenkoが脚注で名指しており、その実証は事例と自己報告に限られています。限界は23章で扱います。個別の組み合わせはタイプ間の関係のページで確認できます。
19MBTI®のISFPとの比較
当サイトはESIをISFPと併記しています。詳しい一般解説はMBTIとの比較のページにあります。
対応の根拠—内向タイプのJ/Pスイッチ
ソシオニクスとMBTIは、どちらもユングの類型論から枝分かれした別の理論です。当サイトのESI=ISFPという併記は、両体系の機能配列が同一だとする仮定に基づきます。ソシオニクスのESIは位置1が内向倫理(Fi)、位置2が外向感覚(Se)です。これをMBTI側の主機能Fi・補助機能Seという並びに対応させると、ISFPになります。
末尾文字の定義は両体系で異なります。ソシオニクスの小文字j/pは、主導機能が判断機能か知覚機能かを示します。ESIは主導がFiで判断機能なので、4文字表記はISFjです。MBTIの大文字J/Pは、外界に向ける機能の種類を示します。ESIは内向タイプなので、外界に向くのは位置2のSe、つまり知覚機能で、MBTI側の末尾はPになります。このため、ソシオニクスのISFjとMBTIのISFPでは末尾が反転します。この反転が起きるのは内向の8タイプ(LII・LSI・ESI・EII・ILI・IEI・SLI・SEI)で、外向の8タイプでは末尾がそのまま一致します。
ESIの場合、混線の条件がもう一つ重なります。ソシオニクス表記のISFjと字面が近いMBTIのISFJは、別のタイプ(SEI)への対応です。末尾の1文字だけを見て突き合わせると、ESIとSEIを取り違えます。この2つはモデルA上では準同一関係で、記述も一見似た方向を向くため、表記の取り違えが内容の取り違えに直結しやすい組み合わせです。
外から見た関係—Bukalovの反論
心理学の側からソシオニクスがどう見えるかについて、Bukalov自身が書いています。
一方、たとえば類型論を専門とする心理学者は、ソシオニクスをマイヤーズ-ブリッグス類型論より良くも悪くもない単なるポストユング類型論として扱う。それは彼らの権利ではあるが、われわれは彼らがソシオニクスをタイプの抽出にのみ矮小化しており、それで打ち切ってしまっている、と考える。
原文を表示
А, скажем, психологи-типологи рассматривают соционику всего лишь как постюнговскую типологию, не лучше и не хуже типологии Майерс-Бриггс. Это их право, но мы считаем, что они низводят соционику до выделения типов, да и только, и этим ограничиваются.
外部からは「MBTIと同水準のポストユング類型論の1つ」と見なされ、内部はそれを「タイプ抽出への矮小化」と反論する—両者の認識の溝がそのまま残っている構図です。ソシオニクス側が独自性の根拠に挙げるのは、モデルA、タイプ間の関係の理論、次元性などの理論装置です(その実証状況は23章)。
ESI読者への実務的な注意
MBTIでISFPと判定された人がこのページを読む場合、ESIの記述がそのまま自分に当てはまるとは限りません。ISFj⇄ISFPは、Fi・Seの配列が同じだとする体系間の対応であり、診断結果の互換ではないからです。そのため、末尾の文字の見た目ではなく、このページが扱う位置1のFi、位置2のSeを含む8位置全体で照らし合わせる必要があります。
小括します。ESI=ISFPは、機能配列同一の仮定と、内向タイプでは末尾が反転するJ/Pスイッチに基づく体系間の対応づけです。ソシオニクス表記のISFjとMBTIのISFPは、この仮定のもとで対応します。
20サブタイプとタイプ内変異
同じESIでも、人から受ける印象は大きく違います。この章では、その違いをタイプの内側の変異として説明しようとした後代の理論群を扱います。アウシュラの区別、Meged & Ovcharovの2分割、Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001年)第III部の2変種、Gulenko『64の肖像』(2019年)のDCNHです。
いずれもモデルAへの後代の拡張で、相互に互換性はありません。ここでの問いは、研究者ごとに開いたESIの記述を、変種の違いとして整理できるかどうかです。
アウシュラ—タイプと人格の区別
サブタイプ理論が前提にしている区別を、アウシュラ自身がこう書いています。
パーソナリティとパーソナリティタイプは、疑いなく同じものではない。同じパーソナリティタイプを持つ人間でも、わが国の文化と何らかのアステカ文化では、まったく異なるものである。
原文を表示
Личность и тип личности, несомненно, не одно и то же. Человек с тем же самым типом личности в нашей культуре или в какой-либо ацтекской культуре — это что-то совершенно разное.
言い換えると、同じタイプでも、文化が違えば人格はまったく違うものになるということです。この区別が置いているのは、タイプは人格の全体ではなく形式だという線引きです。同じ段落でアウシュラは、同じタイプの「変種」はいくらでも見つかる、とも書いています。後代のサブタイプ理論は、この形式の内側に残る幅をどう区分するかの試みとして現れます。
Meged & Ovcharov—接触型と惰性型
2分割の代表として名前が挙がるのが、Meged & Ovcharovの体系で、Wikisocionはこう記録しています。
接触型/惰性型サブタイプ(Contact/Inert)(中略)V. Meged と A. Ovcharov によって提唱されたシステム。
原文を表示
Contact / Inert Subtypes(中略)This system of subtypes was proposed by V. Meged and A. Ovcharov.
つまり、接触型・惰性型のサブタイプは、MegedとOvcharovが提唱した区分だということです。Wikisocionの同じ項目によると、この体系は、強化されるのが惰性側(位置1・4・6・7)か接触側(位置2・3・5・8)かで、同じタイプを2つの変種に分けるものです。ESIならFi強化型とSe強化型です。ただし当サイトが確認できた範囲では、Meged & Ovcharov本人のESIの記述(13章)にサブタイプ論への言及はなく、整理はコミュニティ編纂資料に依っています。
Filatova—倫理サブタイプと感覚サブタイプ
Filatovaは16タイプを2変種ずつの32水準で記述します。ESIの倫理サブタイプについて、Filatovaはこう書いています。
倫理サブタイプ。 外見的には、穏やかで従順な人物という印象を与え、必要とあらば助けに駆けつける用意ができており、それを控えめに、押しつけがましくなく行う。(中略)しかし、その柔和な外見の裏には、誰にも破ることを許さない、確固たる原則の堅さが隠れている。時折、彼の努力が評価されていないと感じると、叫び声を上げたり、抑えの効かないヒステリーに陥ったりすることがある。というのも、彼は周囲が自分をどう扱うかに非常に敏感だからである。
原文を表示
Этический подтип. Внешне производит впечатление мягкого и уступчивого человека, готового при необходимости прийти на помощь, и делает это скромно и ненавязчиво. (中略) Однако за мягкой внешностью скрывается твердость принципов, которые нарушать никому не позволяется. Может иногда сорваться в крик, неуправляемую истерику, если, как ему кажется, его усилия не ценят, поскольку он очень чувствителен к тому, как к нему относятся окружающие.
つまり、倫理サブタイプは穏やかで控えめに見えるが、その裏に誰にも破らせない原則の堅さがあるということです。周囲の扱いに敏感なため、努力が評価されないと感じると、感情を抑えられなくなることもあるとされます。
一方、感覚サブタイプについて、Filatovaはこう書いています。
感覚サブタイプ。 これは、硬い内面的な確信を持つ人物であり、かなり断定的で、対立においては非妥協的である。管理職の仕事に引かれ、秩序を厳しく守るが、それをいくぶん一本調子に行う。秘密主義的で疑い深い。内心では自信がなく傷つきやすいが、それを見せないように努め、彼の防御は、彼自身が従い、他人にもその遵守を求める、確固たる行動規範である。(中略)彼には、突き刺すような、厳しい、まるで断罪するかのようなまなざしが特徴的である。
原文を表示
Сенсорный подтип. Это человек жестких внутренних установок, достаточно категоричный, в конфликтах — непримиримый. Тяготеет к административной работе, строго следит за порядком, но делает это несколько прямолинейно. Скрытен и недоверчив. Внутренне неуверен в себе и раним, однако старается это не показывать, его защита — твердый свод правил поведения, которым он следует сам и выполнения которых требует от других. (中略) Для него характерен пронизывающий, жесткий, будто осуждающий взгляд.
言い換えると、感覚サブタイプは、内心の自信のなさと傷つきやすさを隠すように、断定的で硬い態度を最初から表に出すということです。2変種の差は硬さの量ではなく、硬さが表に出ているか裏に置かれているかです。倫理サブタイプでは穏やかさが外側に見え、原則の堅さはその裏に隠れます。感覚サブタイプでは硬さが先に立ち、Filatovaはその由来まで書いています。行動規範は守るべきものであると同時に、傷つきやすさを見せないための防御でもある、という順序です。
Filatovaは、感覚サブタイプの見分け方を、まなざしから、こう書いています。
まず何が目を引くだろうか。意志的感覚を感じさせる、特徴的な硬いまなざしである。もちろん、主導機能として意志的感覚を持つ者—SLE—にも、いくぶん似たまなざしが見られることがあるが、ここでは意志的感覚が第2チャンネルにあり、明らかに強化されている。
原文を表示
Что сразу обращает на себя внимание? Характерный жесткий взгляд, в котором чувствуется волевая сенсорика. Конечно, несколько похожий взгляд бывает и у волевого сенсорика по ведущей функции — СЛЭ, но здесь — волевая сенсорика во втором канале и явно усилена.
つまり、同じ硬いまなざしでも、Seを主導に持つSLEと、Seを第2チャンネルに持って強めたESIの感覚サブタイプとでは、表れ方が違うということです。ここではSeの位置が切り分けの根拠に使われています。ただし、まなざしの違いを見分けるのは観察者の目に任されています。
Gulenko—DCNHの4サブタイプ
Gulenkoの区分は2分割ではなく4分割です。分け方は機能の強化で与えられ、Gulenkoは規範型をこう定義しています。
均衡‐安定的機能(L(Ti)と R)—□(Ti)と ▽(Fi) —の強化は、規範型サブタイプを作り出します。形式的規則の集合としての構造論理は、非公式の規範や伝統に導かれる関係倫理によって支えられます。
原文を表示
Strengthening of the balanced-stable functions (L & R) creates the normalizing subtype. Structural logic as a set of formal rules is supported by relational ethics, which are guided by informal norms and traditions.
言い換えると、規範型は、Ti(L)とFi(R)を強めた変種で、形式的な規則を非公式の規範と伝統が支えるということです。サブタイプが機能の強化として定義されている点は、ESIに直接関わります。ESIの1番はR(Fi)、3番はL(Ti)なので、規範型はESIの1番と3番を強めた変種になります。
また、同じ定義の仕方で、創造型はF(Se)とI(Ne)を強める変種とされ、ESIでは2番のSeと4番のNeを強めます。そのため、ESIでは規範型と創造型の2つが、自我ブロックの要素を強める変種になります。
『64の肖像』の書名は16タイプ×4サブタイプ=64変種に由来します。GulenkoはESIを守護者と呼び、4変種に維持者(支配型)・装飾者(創造型)・糾弾者(規範型)・慰め人(調和型)の下位呼称を与えます。まず支配型の維持者を、Gulenkoはこう書いています。
支配型ESIは、愛する者や友人と一緒のときには表情豊かでおしゃべりである。冗談を言ったり会話を盛り上げたりするのが好きである。態度を評価するためには、特定の応答を受ける必要がある。他者に同情を感じ、絆作りで率先することがあるが、関係が役に立たなくなると断ち切ることがある。価値あるパートナーと出会えば、高い生活水準を彼らに提供し、忠実な人生の伴侶となり、多くの犠牲を払うことができる。家族に忠実で、しばしば家族を率いることになる。
原文を表示
Dominant ESI is expressive and talkative with loved ones or friends. She loves to joke and stir up a conversation. In order to assess attitudes, she must receive specific responses. Feeling sympathy for others, she can be the first to take the initiative in bonding, but she may break relationships when they have outlasted their utility. If she meets a worthy partner, she is capable of providing them with a high standard of living and becoming a faithful life companion, making many sacrifices. She remains faithful to her family, which she often happens to lead.
言い換えると、支配型のESIは、身内には表情豊かで尽くすが、関係が役に立たなくなると断ち切ることがあるということです。4変種の基準になる記述です。惜しみなく払う側と、「関係が役に立たなくなると断ち切る」が同じ段落に並びます。続けるか断つかの引き金が有用性で書かれているのがこの変種で、残る3つはこの引き金を別のものに替えます。
創造型の装飾者について、Gulenkoはこう書いています。
創造型ESIは人々に対する良い本能をもつ。表情やマナーを読み取ることで、不誠実さや、何かが間違っているときに振る舞いの変化を感じ取ることができる。この問題の感知は直観的ではなく、自分の経験によって駆動される。それゆえ、彼女を騙すのは難しい。(中略)横柄さや傲慢さを許容しない。適切な瞬間に、敵の最も脆弱な点を利用し、彼らを辱めたり嘲ったりすることができる。共感を、言葉ではなく、対人距離の収束を介した行動によって表現する。
原文を表示
Creative ESI has a good instinct for people. Reading facial expressions and mannerisms, she can sense insincerity or changes in behavior when in fact there is something wrong. This sensing of problems is not intuitive, but rather driven by her own experience; therefore, it is hard to fool her. (中略) She will not tolerate insolence or impudence. At the right moment, she can take advantage of the most vulnerable spot of her foe, humiliating or ridiculing them. She expresses her sympathy not in words, but through actions via the convergence of interpersonal distance.
つまり、創造型のESIは、表情やマナーから不誠実さを感じ取り、必要なときには敵の弱点を突くということです。人を見抜く働きの出どころに、Gulenkoは断りを付けています。「直観的ではなく、自分の経験によって」と書き、同じ観察力を直観の側には置きません。断つ動作はここでは、敵の脆弱点を突く形で出ます。
規範型の糾弾者については、こう書かれています。
他者の短所に気づいているが、必要なしにそれを表明する傾向はない。人物の否定的な側面が耐えがたくなったときにのみ、彼らに対峙する必要を感じる。問題が解決されなければ、彼らとのすべての関係を終わらせるかもしれない。一般に、強い価値観を堅持する道徳家とみなされる。不正や非倫理的な振る舞いは彼女に大きく影響する。非常に敏感で、善には善を、悪には悪を返す。他者が彼女の勤勉さも専門性も気づかないとしばしば信じている。
原文を表示
While noticing other people’s shortcomings, she is never inclined to express them without necessity. When a person’s negative aspects become intolerable, only then will she feel the need to confront them, and if the issue is not resolved, she may end all relations with them. She is generally considered a moralist who upholds strong values. Injustice and unethical behavior affect her greatly. She is very sensitive, returning good for good and evil for evil. She often believes that others neither notice her diligence nor her professionalism.
言い換えると、規範型のESIは、相手の短所に気づいても黙っており、耐えがたくなってはじめて対峙し、解決しなければ関係を終わらせるということです。規範型では、引き金が有用性から耐えがたさへ替わります。短所に気づいていても表明しない抑制が先に置かれ、対峙はその後、関係の終了はさらに後です。応報の「善には善を、悪には悪を」も、有用性の計算とは別の基準です。
調和型の慰め人について、Gulenkoはこう書いています。
しばしば目標を変え、危機的な瞬間に過激な歩みを取ることがあり、それは後にしばしば後悔する。一般に、移動したり緊張したりしたくない。「我が家、我が城」の原則に従って自分の領域にいることを好む。独立して別々に住み、邪魔されたり他者を煩わせたりしないことを好む傾向がある。調和型ESIは周りの安らぎと休息を大いに高く評価する。突然の怒りと抵抗は、誰かが自分の領域に侵入したときにのみ現れる。
原文を表示
She often changes her goals, and can take radical steps at critical moments, which are often subsequently regretted. Generally, she will not want to move or be strained, preferring to be in her own territory on the principle of “my house — my fortress.” She is inclined to live independently and apart, not wanting to be disturbed or to trouble others. Harmonizing ESI appreciates the peace and rest around her greatly. Sudden anger and resistance manifest only when someone intrudes on her territory.
つまり、調和型のESIは、自分の領域で安らぎを保つことを好み、怒りや抵抗はそこに踏み込まれたときにだけ出るということです。家や自分の領域にとどまる記述が中心になり、支配型の「家族を率いる」のような、率いる・組織する側の語彙は出てきません。断つ動作も、領域への侵入という条件でだけ現れる「突然の怒りと抵抗」に縮んでいます。家族を率いる維持者から、別々に住むことを好む慰め人までの幅は、変異をよく捉えているとも、タイプ概念の識別力を薄めているとも読めます。
サブタイプ理論への批判
コミュニティ編纂資料自身が、批判点をこう記録しています。
タイプの誤判定を隠すために使われることがある
原文を表示
Critics say that in many cases the basic type has been incorrectly diagnosed, and the addition of a “subtype” simply masks the contradiction.
つまり、サブタイプは、タイプの判定が合わないときに、後から説明を足す道具として使われることがあるということです。この章の2分割も4分割も、率いる像から人目を避ける像までを同じタイプの内側に収めます。収まる幅が広いほど、外れた観測を変種として吸収する余地も広がります。そのため、反証されにくくする説明になりうるという批判で、23章の反証可能性の議論につながります。
小括します。変異の存在自体はアウシュラの時点で書かれていますが、区分は2分割(Meged & Ovcharov、Filatova)と4分割(Gulenko)が併存します。Filatovaは硬さが表に出ているかどうかで、Gulenkoは関係を断つ引き金の違いで分けており、分ける軸そのものが違います。
このように、サブタイプは観察の記述としては使えても、理論としては未統一の領域です。ESIの読者にとっての実用は、05〜13章の記述の開きを「どの変種を書いた記述なのか」という問いで整理できる点にあります。
21識別と誤同定
「この人はESIか」をどう決めるか。ESIは、誰と取り違えやすいかが具体的に名指されてきたタイプです。この章では、判定の手続き論と、ESI固有の識別手がかり・誤同定の実例を扱います。手続きそのものへの内部批判は23章で扱います。
手続き論—アウシュラとYermak
判定の手順を最初に書き留めたのはアウシュラ自身で、その基準はモデルが動くかどうかでした。アウシュラは、こう書いています。
研究の第1段階は、K.G.ユングのモデルを全知人で検証することだった。それは絶対的に正しいことが分かり、それゆえモデルが作動するか作動しないかで、タイプが正しく確立されたかどうかが見えた。モデルが作動しなければ、タイプ診断の誤りを意味した。
原文を表示
Первым этапом изучения была проверка модели К. Г. Юнга на всех знакомых людях. Она оказалась абсолютно правильно, и потому, срабатывает или не срабатывает модель, было видно, правильно ли установлен тип. Если модель не срабатывала, то это обозначало ошибку в диагнозе типа.
言い換えると、アウシュラは、タイプの判定が正しいかどうかを、モデルが作動するかどうかで確かめたということです。基準に置かれているのは、当人の申告でも面接の印象でもなく、モデルという外側の基準です。この文では、作動しなかった原因はタイプの取り違えの側に置かれます(モデルの側を疑う論点は23章)。
Yermakは、これを2段階の手続きに、こう書き直しています。
心のTIMの 同定の手続き は、専門家による心のタイプの 仮説 の選択と、選ばれた心のタイプに対応する心のTIMモデルの 検証 からなる。
原文を表示
Процедура идентификации ТИМ психики состоит из выбора экспертом гипотезы типа психики и верификации модели ТИМ психики, соответствующей выбранному типу психики.
つまり、同定は、先に候補のタイプを立て、あとでそのモデルに合うかを確かめる、という2段階で行うということです。この順序がここで固定されます。アウシュラが知人全員で試したことは、この定式では検証の段です。仮説をどこから得るかは、面接する側の判断に預けられたままです。
面接者の構え—Karpenko
その判断をする者にKarpenkoが求めたのは、両立しにくい2つの構えでした。Karpenkoは、こう書いています。
エキスパートは距離を置いた者ではありえない。彼はバイタルな衝動に応答することを余儀なくされ、義務づけられている。さもなければ彼とコミュニケーションすることは不可能になり、さもなければ被験者とのコンタクトは失われてしまう。注意深く、同情し、共感し、心から人々を愛し、しかし感情の、関係の、影響の遊びには巻き込まれていない—これがエキスパートの理想である。非巻き込まれ性は、ILEのエキスパートが、ESIがある考えの展開の中で発した、しかし事実上ILEに宛てられたフレーズ—「たとえば、あなたのことは、私、好きじゃありません」—に平静に対応することを可能にする。そう、分かっている—衝突である。しかしこれはインタータイプ関係であって、この2人の具体的な人間同士の関係ではない。
原文を表示
Эксперт не может быть отстраненным, он вынужден, обязан откликаться на витальные импульсы, иначе с ним невозможно будет общаться, иначе контакт с испытуемым будет утрачен. Внимательный, сочувствующий, сопереживающий, искренне любящий людей, но не вовлеченный в игру эмоций, отношений, влияний — вот идеал эксперта. Невовлеченность позволяет эксперту-ИЛЭ спокойно отреагировать на фразу ЭСИ, произнесенную в развитие какой-то мысли, но адресованную фактически ИЛЭ: «Вот вы мне, например, не нравитесь». Да, понятно, — конфликт, но это интертипное отношение, а не отношение этих двух конкретных людей.
言い換えると、面接する専門家は、相手に共感しながらも、関係の駆け引きには巻き込まれない構えが要るということです。例に選ばれているのは、被験者のESIが面接者へ向けて発した拒絶の一言です。Karpenkoはそれを、自分個人への評価ではなく、引用が衝突と呼ぶ組み合わせの効果として扱えと書いています。面接する側の反応そのものが判定に混ざる、という前提です。
ESI固有の識別手がかり
外から先に見えるのは外見で、Filatovaはそこで起きる取り違えの向きを、こう名指しています。
なお、古典的な規範に照らすと、ESIの外見に倫理型らしさを見出すのは難しいことが多く、その冷たい眼差しゆえに論理型のように見えることが多いと言っておこう。しかし、この点は積み重ねた経験が助けとなる。
原文を表示
Заметим, что по классическим канонам трудно бывает увидеть во внешности ЭСИ этиков, часто они кажутся логиками из-за холодного взгляда. Но здесь уже помогает наработанный опыт.
つまり、ESIは冷たい眼差しのため、外見からは論理型に見えやすいということです。取り違えの向きが一方向に決まっている点が要です。眼差しの冷たさが内向倫理の現れとしてではなく論理の現れとして受け取られるため、判定はまず論理型の側へ寄ります。Filatovaが挙げる対策は、別の手法ではなく判定者の経験の量です。
外見以外の手がかりとして、Reininは返答の言葉そのものを挙げ、こう書いています。
ESI〔原文: ドライザー〕が「いいえ」と言うなら、それは少なくとも「たぶん」または可能性として「はい」を意味する。異なるタイプにとっては、異なるタイプの心の中の単語の意味場は大きく異なりうる。
原文を表示
If a Dreiser says "no" it means at least "maybe" or possibly "yes". For different types the semantic fields of words in the minds of different types may differ to a great extent.
言い換えると、ESIの「いいえ」は、少なくとも「たぶん」、ときには「はい」を意味するということです。判定に使えるのは、ESIの「いいえ」が否定の最も強い側ではない、という一点です。額面どおりなら拒絶に見えるものが、実際は保留か肯定の側に寄っています。Reininは語の意味場の違いとして説明し、手がかりを語の使われ方の側へ移します。
同じ社交者(SF)の群にいるSEIと比べたとき、Karpenkoは判断の強さの側で区別し、こう書いています。
スタイルの感覚。何が何に合うか、どんな条件で何がふさわしいかについての観念。この種のテーマについての判断はSEEやESIほど断定的ではないが、観念そのものは十分に明確である。
原文を表示
スタイルの感覚。何が何に合うか、どんな条件で何がふさわしいかについての観念。この種のテーマについての判断はСЭЭやЭСИほど断定的ではないが、観念そのものは十分に明確である。
言い換えると、SEIもESIも何がふさわしいかははっきり持っているが、ESIのほうがそれを断定的に言うということです。何がふさわしいかという観念自体はSEIも十分に持っており、違いが出るのは判断の語調の側になります。外から「趣味にうるさい」と見える水準では区別がつかず、断定の度合いを聞き分けることになります。
誤同定されやすい相手—EII
取り違えの相手として最も名前が挙がるのは、ESIとは同属関係のEIIです。Stratiyevskayaは両者を、同じ倫理のプログラムを別の手段で実行する2つの型として、こう分けています。
社会に倫理性を植えつけるにはさまざまなしかたがある。一つの場合、人間は力による影響の方法—強制、禁止、制限、罰、つまり「意志的(外向)感覚」のアスペクトの手段で教育される。そしてこの方法はおそらく感覚タイプの倫理的な者—より正確には倫理感覚内向(ESI)(プログラムは内向だ!)が用いるだろう。(中略)だが内向的・倫理的プログラムを実現するもう一つのしかた、直観的なしかたもある。(中略)この場合、彼に対して肯定的な例の提示という方法で影響が及ぼされる
原文を表示
Но нравственность в обществе можно насаждать различными путями: в одном случае человека воспитывают методами силового воздействия — принуждением, запретами, ограничениями, наказаниями, т. е. средствами аспекта "волевой (экстравертной) сенсорики". И этим методом скорее всего воспользуется сенсорный этик, точнее — этико-сенсорный интроверт (программа-то интровертная!) Но существует и другой способ реализации интровертно-этической программы — интуитивный. (中略) В этом случае на него воздействуют методом демонстрации положительных примеров
つまり、同じ倫理のプログラムでも、強制・禁止・罰で実現するのがESI、肯定的な例を示して実現するのがEIIだということです。分け目に置かれているのは、目的ではなく手段です。見るのは何を良しとするかではなく、それをどう実現するかになります。
対比は洞察の向きでも、こう書かれています。
倫理直観内向(EII)—洞察力があり、忍耐強く、自制心のある楽観主義者であり、人々の性格における肯定的な傾向がよりよく見え、まさにそれに依拠して影響を及ぼす。倫理感覚内向(ESI)の洞察力は、ただちに根絶を必要とする否定的な傾向を識別することに向けられる。
原文を表示
Этико-интуитивный интроверт — проницательный, терпеливый, выдержанный оптимист, ему лучше видны позитивные тенденции в характере людей, именно на них он и опирается в своем воздействии. Проницательность этико-сенсорного интроверта направлена на то, чтобы выявлять негативные тенденции, требующие немедленного искоренения.
言い換えると、同じ洞察力でも、EIIは人の肯定的な傾向に向き、ESIは取り除くべき否定的な傾向に向くということです。EIIは肯定的な傾向に依拠して働きかけ、ESIの側は、ただちに取り除くべき否定的な傾向を先に見つけます。そのため、相手のどこを先に意識したかが、そのまま判定の材料になります。
Gulenkoは同じ2タイプを、論理の側から分けています。引用の守護者はESI、人道家はEIIを指し、機能LはTi(内向論理)です。Gulenkoは、こう書いています。
内的に感情的な人々であり、人間関係を深く経験するこれらのタイプは、外的には無関心と客観性を示す。しかしながら、この役割では、反対のサイン、論理(機能 L)もまた明確に区別できる。守護者は本性的に個人主義者であり、逸脱への拒絶を示し、すべての人にとって公正な単一の論理スキームを順守することを主張する。人道家は、集団主義者ではあるが、それでもなお、自分自身の論理、個人性、一つのスキームへの不服従に対する人権を擁護する。
原文を表示
Being internally emotional people, deeply experiencing human relationships, these types demonstrate external impassivity and objectivity. However, in this role, the opposite sign, logic (function L), is also clearly distinguishable. The Guardian, who is an individualist by nature, demonstrates a rejection of deviations and insists on observing a single logical scheme that is fair for all. The Humanist, although a collectivist, nevertheless defends human rights to their own logic, .individuality, and disobedience to one scheme
つまり、ESIは、誰にとっても公正な単一の論理スキームを人に守らせようとする一方、EIIはそのスキームに従わない権利を擁護するということです。判断の拠り所が、両者の強い側ではなく役割の側にあります。外に出る倫理の現れが似ていても、論理の扱いは逆を向きます。
誤同定の実例—公開実験での判定
誤同定が実際に起きた例は、機関誌の論争の中に残っています。批判者側が挙げた実演実験の報告と、それへのReininの返しで、Reininの覚書にはこうあります。
実践例から:2002 年 2 月、T. N. プロコフィエワがサンクトペテルブルクで実演実験を行った際、被験者について 4 つのユング特徴と残りの「レイニン特徴」が判定された(結果の信頼性を高める目的で)。にもかかわらず、後者の使用は、ユング尺度のうちの 2 つに最初に犯された誤りを修正することに何ら役立たなかった(実際は ESI なのに LSE と判定された)。(中略)ところでその際、何の機器によって ESI が信頼性をもって判定されたのか?私が思うに、ソシオニクスにおいて実演実験の時はまだ来ていないのである、残念ながら。
原文を表示
Из практических примеров: в феврале 2002 г. Т. Н. Прокофьева проводила в Санкт-Петербурге показательный эксперимент, когда у испытуемого определялись и 4 юнговских признака, и остальные «признаки Рейнина» (с целью повышения достоверности результата). Тем не менее, использование последних никак не помогло исправить первоначально допущенную ошибку по двум из юнговских шкал (ЛСЭ вместо реального ЭСИ). (中略) Каким прибором при этом достоверно определили ЭСИ? Я полагаю, что время демонстрационных экспериментов в соционике, увы, пока еще не настало.
言い換えると、2002年の実演実験では、実際はESIの被験者がLSEと判定され、レイニン特徴を足しても誤りは直らなかったということです。1つの事例が、2つの向きに使われています。批判者側は、特性を足しても最初の誤りが直らなかった証拠として出します。一方、Reininは、実際はESIだったと確かめた機器は何かと問い返します。誤同定の実例であり、同時に、正解の側をどう決めるのかという問いです。
小括します。手続きは「仮説+モデル検証」に定式化されましたが、仮説の出どころは書かれず、面接する側の反応も材料に混ざります(Karpenko)。ESIの手がかりは、論理型の側へ寄せて受け取られる冷たい眼差し(Filatova)と、額面どおりには取れない否定の言葉(Reinin)でした。
また、取り違えの相手はEIIが最も多く、分け目は倫理のプログラムを力で実現するか肯定的な例で実現するか(Stratiyevskaya)、役割の論理をどう使うか(Gulenko)に置かれます。判定の正解を外から確かめる手段は、引用した原典の範囲では示されていません。
22著名人と思想のタイピング
著名人のタイピングは文献に長く残ってきた慣行ですが、本人に確かめる手立てがありません。この章は「誰がESIか」の正解表ではなく、誰が誰を挙げ、どこまで根拠を書いたかの記録です。ESIでは愛称そのものが実在の作家の名前なので、タイプの名前と人物本人の切り分けが先に要ります。章の最後に、当サイトの独自整理を1節だけ、試論と明示して置きます。
愛称「ドライザー」の由来
愛称の出どころはアメリカの作家セオドア・ドライサーですが、アウシュラがこのタイプに与えた名前は、その作家の小説の主人公のほうでした。アウシュラは、こう書いています。
倫理感覚内向を本作では、ドライザーの長編『アメリカの悲劇』の主人公の名にちなみ、クライドと呼ぶことにする。T・ドライザー自身が倫理感覚内向であり、クライドの悲しい物語を語ることで、この情報代謝タイプに固有の疑念と煩悶を見事に示してみせた。
原文を表示
ЭТИКО-СЕНСОРНОГО ИНТРОТИМА в этой работе будем называть КЛАЙДОМ, согласно имени главного героя драйзеровского романа «Американская трагедия». Сам Т. Драйзер был ЭТИКОСЕНСОРНЫМ ИНТРОТИМОМ и, рассказывая грустную историю Клайда, отлично показал сомнения и переживания, присущие этому типу ИМ.
言い換えると、アウシュラはESIを、ドライザーの小説の主人公クライドの名で呼び、作家本人も同じタイプだとしたということです。名前の根拠として書かれているのは、作品の主人公と作者が同じタイプだ、という一点です。先に立つのは作中人物のクライドで、作家の名は「本人も同じ」という補足です。後代に定着した「ドライザー」は、この補足のほうを採りました。
Bukalovは、ドライサーの作品の主題を、このタイプと結びつけて、こう書いています。
ツルゲーネフは高い道徳性と義務への忠誠心によって特徴づけられる、卓越した女性像のギャラリーを生み出した。セオドア・ドライサーの小説もまた、大部分が道徳の問題に捧げられている。
原文を表示
Тургенев дал замечательную галерею женских образов, отличающихся высокой нравственностью и верностью долгу. Романы Теодора Драйзера также в основном посвящены вопросам морали.
つまり、ツルゲーネフやドライサーの作品は、道徳の問題を主題にしている点でESIと結びつけられるということです。挙がっているのは文体でも生涯でもなく、書かれた題材で、作品が何を主題に選んだかで同じ枠に入れる書き方です。
同じ著者は、その主題の受け取られ方が割れてきたことにも、こう触れています。
これに関連して、ドライザー(中略)の作品の大部分が人間関係に捧げられ、高度に倫理的な視点から書かれていることを指摘しておきたい。同時に多くの批評家が、これらの著作における性的要素の過大な役割を指摘していた。
原文を表示
В связи с этим, можно отметить, что большинство произведений Т.Драйзера (中略) посвящены отношениям между людьми и написаны с высокоморальной точки зрения. В то же время, многие критики отмечали преувеличенную роль сексуального элемента в этих книгах.
言い換えると、ドライザーの作品は、高度に倫理的な視点で書かれていると同時に、性的要素が大きすぎるとも批評されてきたということです。一つの作品群に、逆向きの評が同時に立っています。Bukalovはどちらも退けず、並べたまま残しました。作品を根拠にタイプを言うとき、その作品の評価自体が定まらないことがある、という例です。
アウシュラが当てた人物と作中人物
アウシュラが実在の人物を挙げるのは、名簿の形ではなく、タイプの働き方を説明する途中で、こう書いています。
ESI〔原文: クライド〕は、社会において事実上行われている倫理的関係を、明らかにし解明する。彼は — これらの倫理的諸感情を作り出した者ではなく、むしろ、人々の目を、それらの本来の姿へ、その本質へと開く者である。(中略)マキャヴェッリ(T▽(Fi)●(Se))が、自分の時代の外交における倫理的諸法則性を記述したとき、彼が記述したのは、自分が見たものだけだった。
原文を表示
КЛАЙД раскрывает и разъясняет фактически действующие в обществе этические отношения. Он — не изобретатель этих отношений, он тот, кто открывает глаза людей на настоящую их суть (中略) Когда Макиавелли (ТЬ®) описывал этические закономерности дипломатии своего времени, он описывал лишь то, что видел.
上の引用にあるT▽●はESIを表す記号です。つまり、ESIは倫理的関係を作り出す者ではなく、社会で実際に行われている倫理的関係を明らかにする者で、マキャヴェッリはその例とされるということです。マキャヴェッリを挙げる根拠は、書いた内容より書き方の側にあります。倫理の法則を作ったのではなく、実際にどうなっているかを記述しただけだ、という区別で、人物を先に選んで特徴を当てはめる順序ではありません。
作中人物のほうは、脚注で4人まとめて、こう割り当てられています。
クライドとドライサーは倫理感覚内向(T▯●(Se))、従兄のギルバートは感覚論理内向(T○(Si)■(Te))、ロベルタは直観倫理内向(T▲(Ne)▯)、ソンドラ・フィンチリーは論理直観外向(T■(Te)▲(Ne))。(著者注。)
原文を表示
Клайд и Драйзер — ЭТИКО-СЕНСОРНЫЕ ИНТРОТИМЫ (ТЬ®), двоюродный брат Гильберт — СЕНСОРНО-ЛОГИЧЕСКИЙ ИНТРОТИМ (ТОМ), Роберта — ИНТУИТИВНО-ЭТИЧЕСКИЙ ИНТРОТИМ (ТА), Сопдра Фиичли — ЛОГИКО-ИНТУИТИВНЫЙ ЭКСТРАТИМ (ТД). (Примеч. автора.)
上の引用にあるイントロティムは内向型、エクストラティムは外向型のことで、今のコードでいえば、ギルバートはSLI、ロベルタはIEI、ソンドラはLIEです。つまり、1つの小説の主人公・従兄・恋人・令嬢に、それぞれ別のタイプが振られているということです。主人公クライドが心を寄せるソンドラは、ESIの双対のLIEになります。
人物ごとの根拠は無く、結論だけが脚注にあります。登場人物を読み分ける道具としてタイプを使う書き方は、創始者の段階で既にありました。
別の論考の著者注では、判定の手続きに、こう断りが入ります。
ESI〔原文: ドライザー〕は全寛容を知らず、人物が一度愚かに誓ったら必ずその誓いを遂行すべきだと考える。将来の意味論的研究が私の予想を裏付けることを願う。私見では、人物がどんな思考タイプから働き書くかをチェックする方法は、意味論以外にない。
原文を表示
**注**:作家Ф.М.ドストエフスキーの全小説が**◆思考**から書かれているわけではない。『悪霊』では◆と並んで**▯(ドライザー)**が聞こえる。ドライザーは**全寛容を知らず、人物が一度愚かに誓ったら必ずその誓いを遂行すべきだと考える**。将来の意味論的研究が私の予想を裏付けることを願う。私見では、**人物がどんな思考タイプから働き書くかをチェックする方法は、意味論以外にない**。
言い換えると、書き手のタイプを確かめる方法は、言葉の使い方の分析しかないとアウシュラは考えていたということです。最後の一文で、本人がそう断っています。前半の特徴も、確かめられた結論ではなく、その分析を待つ予想という位置づけです。
後代の研究者が並べた名前
後代の研究者は、より長い名簿を残しました。Reininは、16タイプの講義で、こう挙げています。
このタイプの著名人:セオドア・ドライザー、フランシス・スコット・フィッツジェラルド、アレクサンドル・デュマ、イワン・ツルゲーネフ、ニコラ・マキャヴェッリ、リチャード・ニクソン、ベナジル・ブット、ナンシー・レーガン、ブリジット・バルドー。
原文を表示
Celebrities of this type: Theodore Dreiser, Francis Scott Fitzgerald, Alexander Dumas, Ivan Turgenev, Nicola Machiavelli, Richard Nixon, Benazir Bhutto, Nancy Reagan, Brigitte Bardot.
つまり、Reininの挙げた9人のうち、4人が作家、4人が政治に関わる人物だということです。マキャヴェッリはアウシュラの記述にも出ており、創始者の例を引き継いだ部分があります。アレクサンドル・デュマは作家本人のことで、SEIの愛称「デュマ」とは別です。
Stratiyevskayaは、ESI章の冒頭に、こう名前を並べています。
セオドア・ドライザー、レフ・トルストイ、イワン・トゥルゲーネフ、A.N.オストロフスキー、ハンス・クリスチャン・アンデルセン、シュテファン・ツヴァイク、O・ヘンリー、エヴゲニー・エフトゥシェンコ、シモン・ペレス、ナンシー・レーガン、ブリジット・バルドー、カトリーヌ・ドヌーヴ、ミケーレ・プラチド、イヴァル・カルニンシュ、アナスタシヤ・ヴェルチンスカヤ、リュドミラ・ヒテヤエワ、ソフィア・ロタル、イオシフ・コブゾン、イーゴリ・ヴェールニク
原文を表示
Теодор Драйзер, Лев Толстой, Иван Тургенев, А.Н. Островский, Ханс Кристиан Андерсен, Стефан Цвейг, О'Генри, Евгений Евтушенко, Шимон Перес, Нэнси Рейган, Брижит Бардо, Катрин Денев, Микеле Плачидо, Ивар Калниньш, Анастасия Вертинская, Людмила Хитяева, София Ротару, Иосиф Кобзон, Игорь Верник
言い換えると、Stratiyevskayaの19人のうち8人が作家・詩人で、残りの多くは俳優や歌手だということです。Reininと重なるのはドライザー・ツルゲーネフ・レーガン・バルドーの4人で、残りは新しい名前です。トルストイ・アンデルセン・ツヴァイクなどの作家に加えて、ドヌーヴやロタルなどの俳優・歌手が多く加わり、作家の比重はReinin(9人中4人)とほぼ同じです。重なる部分にも増えた部分にも、選び方の説明はありません。
Gulenkoの当てはめは、名簿ではなく外見の記述の中に、こう置かれています。
ESIは特徴的な突き刺すような視線と、警戒心と抵抗の意志が書かれた顔の表情によって認識される。この特徴は、アメリカの女優ジェーン・フォンダにとてもよく辿れる。(中略)ESIの中では、バレエ(マイヤ・プリセツカヤなど)のように、非常に細く長い脚で伸びた体型がしばしば見られるか、またはがっしりして堂々として肩幅の広い体型である。
原文を表示
ESI is recognized by a characteristic piercing gaze and a facial expression, on which her alertness and willingness to resist are written. This feature is very well traced in the American actress Jane Fonda. (中略) Figures among ESI are often very thin and elongated with long legs, such as those in ballet (Maya Plisetskaya), or stout and stately with broad shoulders.
ESIは、突き刺すような視線と警戒した表情で見分けられるとされ、女優ジェーン・フォンダがその例に挙がっています。名前が出るのは、先に書いた特徴が誰に見えるかという順序です。挙げられた根拠は体つきと佇まいに限られ、経歴や作品には触れていません。
小説の登場人物へ当てる読み
実在の人物と並んで、小説の登場人物にもタイプが割り当てられてきました。Filatovaはトルストイの人物を材料にして、こう書いています。
ソーニャ自身は、倫理感覚内向、守護者、ESI〔原文: ドライザー〕として描かれている。彼女は控えめで、物静かで、思いやりがあり、道徳の規範や伝統に非常に忠実である。ナターシャが家出をしようとしたときに、ソーニャがどれほど恐怖したかを思い出してほしい。そして、まさにソーニャが、当時娘たちが滞在していたモスクワのマリヤ・ドミトリエヴナにそのことを話すことで、ナターシャの家出を未然に防いだのである。
原文を表示
Сама Соня описана как этико-сенсорный интроверт, Хранитель, Драйзер. Она скромна, тиха, заботлива, очень привержена нормам морали, традициям. Вспомните, в какой ужас она приходит, когда Наташа готовится к побегу из дома, и именно Соня предотвращает побег Наташи, рассказав об этом Марье Дмитриевне, у которой девочки в это время гостят в Москве.
つまり、トルストイのソーニャは道徳と伝統に忠実なESIとして描かれ、ナターシャの家出を年長者に知らせて防いだということです。根拠に置かれているのは、性格の形容ではなく1つの行動です。家出を止めるのに本人を説得せず、家の年長者へ伝える手を選んでいます。性格の形容だけなら誰にでも当てはまりますが、行動が添えられていれば読み手が確かめられます。
一方、Bukalovが挙げるのは、行動ではなく語り手の内側で、こう書いています。
このタイプの人物の内面世界はJ・D・サリンジャーの物語『ライ麦畑でつかまえて』に見事に描かれている。
原文を表示
Внутренний мир человека этого типа великолепно описан в повести Д. Сэлинджера "Над пропастью во ржи".
言い換えると、Bukalovは、ESIの内面世界がサリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』によく描かれていると見ているということです。指しているのは作者ではなく、作中で語る人物のほうです。文学作品をタイプの内側を見せる資料として扱う読み方が、著者をまたいで続いています。
根拠が書き残された例—フロイトのタイピング
この章の資料のうち、判定に使った材料が明記されているのは1件だけで、Karpenkoはこう書いています。
伝記的データ、回想録および文書に基づき、A. V. ブカロフとO. B. カルペンコは、精神分析の創始者ジークムント・フロイトの心理学的ポートレートの詳細な分析を行った[31, 106, 107]。彼らは、Z. フロイトのソシオニクス・タイプが倫理感覚内向(ESI=ドライザー)であることを示し、もし精神分析が別のタイプの人間によって創られていたなら、精神分析とその実践はどのようなものになっていただろうか、という問題を論じた。
原文を表示
На основании биографических данных, мемуаров и документов А.В. Букалов и О.Б. Карпенко провели детальный анализ психологического портрета основателя психоанализа Зигмунда Фрейда [31, 106, 107]. Они показали, что соционический тип З. Фрейда — этико-сенсорный интроверт (ЭСИ, ), и обсудили вопрос, каким бы был психоанализ и его практика, если бы он создавался человеком другого типа.
つまり、BukalovとKarpenkoは、伝記・回想録・文書からフロイトをESIと判定し、別のタイプが精神分析を作っていたらどうなったかを論じたということです。材料が3つ名指しされています。伝記的データ・回想録・文書で、名簿の並びには無かった部分です。そのうえで、別のタイプの人間が精神分析を作っていたらどうなっていたか、という問いが立てられます。タイピングを結論ではなく、思想の成り立ちを読む前提として使った例です。
名前の並びが示すもの—独自整理(試論)
以下はこの節だけ、引用ではなく当サイトの独自整理です。検証できないタイピングの上に載る、その程度の確からしさの見立てです。
研究者がESIに挙げてきた顔ぶれには作家が多く、しかもドライサー・ツルゲーネフ・トルストイ・アンデルセン・ツヴァイクと、人の間で何が許され何が許されないかを書いた作家が並びます。政治の側のマキャヴェッリも、引かれているのは政策ではなく、人の振る舞いをどう見て書いたかです。04章の定義と突き合わせると、各研究者は「ESI的な観察の産物」の典型として、関係の可否を扱った作品という形を選んで例示してきた、と整理できます。これらの名簿は、実在の人物のタイプの記録としてより、研究者がESIという概念で何を指したかったかの記録として読むほうが、資料の性質に合っていると考えることもできます。
小括します。この章の資料に共通するのは、結論だけが残り、選び方が残っていないという形です。Reininの9人もStratiyevskayaの19人も、名前が並ぶだけで手続きは添えられていません。例外はフロイトの一件で、材料が名指しされ、そこから何を論じるかまで書かれています。愛称の由来にあたるドライサー本人の判定も、根拠は作品の主人公と同じタイプだという一点でした。名前の一致だけではタイプを確かめられないという前提は、23章の論点として残ります。
23先行研究への懸念点
この章は、ここまで引用してきた文献群への懸念の整理です。外部からの批判ではなく、できる限り研究者たち自身の言葉で、方法論の弱点がどこまで自覚されていたかを示します。
観察者依存—ユング自身の警告
出発点のユングに、すでに方法論的な自己言及があります。
ただし、このような心理状態について全く正反対の概念を持つことも同様に可能であり、それに基づいて説明することも認める。 私自身が異なる個性心理学を持っていたとしたら、無意識を「非合理的」と見なす観点から、合理的タイプの特徴を正反対の方法で記述していただろうと確信している。
原文を表示
I am prepared to grant that we may equally well entertain a precisely opposite conception of such a psychology, and present it accordingly. I am also convinced that, had I myself chanced to possess a different individual psychology, I should have described the rational types in the reversed way, from the standpoint of the unconscious as irrational, therefore.
言い換えると、ユングは、自分と違う心理学を持っていれば、合理的タイプを正反対に記述していたと認めているということです。ユングの例は合理的タイプの記述で、ESIはその合理側に置かれ、警告の範囲にそのまま入る位置です。
また、ユング自身はこの型の冷たさを外からの誤解として書き(02章)、後代は同じ冷たさをESIを見分ける手がかりに使いました(21章)。同じ振る舞いが見る側の位置で反転する例です。
判定信頼性への内部批判
タイプ判定の信頼性は、学派内部で最も率直に語られてきた弱点です。
現在ソシオニクスが抱える最も痛切な問題は、心理タイプ判定の信頼性である。今のところ、これは科学というよりむしろ技芸に近い。
原文を表示
самый больной вопрос соционики в настоящее время — это надежность определения психотипов. Пока это скорее искусство, чем наука.
人々は中立的な質問(たとえば「人々は…についてどう考えていると思うか?」)には自発的に回答するが、評価的質問(「あなたはこちらが好きか、それともあちらか?」または「自分自身を…と…のどちらと考えるか?」)は無意識の緊張を引き起こす。(中略)私は既存のテストは最大40%の精度しか許さないと考えている。
原文を表示
People answer neutral questions (for example: "What do you think people think about …?") spontaneously, but an evaluative question ("Do you prefer this or that?" or "Do you think of yourself as of … or …?") causes an unconscious tension. […] I believe that existing tests allow for maximum of 40 % accuracy.
2本を合わせると、タイプの判定はまだ技芸に近く、既存のテストの精度は最大40%ほどだと、学派の内側で見積もられているということです。2つの見積もりが指しているのは、判定の結果を照合する相手が無いという条件です。このページのESI記述も、その手前に誰かの判定を置いた資料です。公開の実演実験でESIをLSEと判定した記録が機関誌に残り、そこではReininが、ではESIだと確かめたのは何かと問い返しています(21章)。
検証されない強い主張
このページで引用した記述には、確かめられる形をしているのに確かめた記録がない主張が含まれます。Bukalovがサブタイプの成り立ちを論じた箇所が、その代表で、こう書いています。
同様に、子供時代におけるサブタイプ形成の現象も説明される。両親のタイプに応じて、子供には、両親のタイプと双対あるいは同一なサブタイプが優勢に固定される。大人が、その情報的影響が両親や養育者の情報的影響に近い状況に陥ったとき、彼の中で対応するサブタイプの発現が「起動」する。
原文を表示
Аналогично объясняется и феномен формирования подтипов в детстве. В зависимости от типов родителей у ребенка преимущественно фиксируются подтипы, которые дуальны или тождественны типам родителей. Когда взрослый попадает в ситуацию, информационное воздействие которой близко к информационному воздействию родителей или воспитателей, в нем «запускается» проявление соответствующего подтипа.
言い換えると、子どものサブタイプは両親のタイプに応じて固定され、大人になって似た状況に置かれると現れるという主張です。この主張は、親子の組で照合できる形をしていますが、何組を調べ、両親と子のタイプをどう判定したのかは示されていません。ESIで言えば、20章で見たサブタイプの分かれ目が、育った家の側から説明されることになります。
まなざしや外見から型を見分ける記述(13章)も同じ形です。強い主張が積み上がる一方で、それを落とす手続きがありません。ここが実証面での中心的な懸念です。
記述の継承の選択性
系譜の各段階を、ここで一度並べます。一見連続していますが、継承のたびに何を残し何を組み替えたかの検証は示されていません。
- 祖形の組み替え。ユングの規則では、感情が主導のとき、思考は補助機能になれない対立側に置かれます(03章)。ソシオニクスのESIは、主導のFiにSe(外向感覚)を位置2の創造機能として加え、Ti(位置3)とNe(位置4)を別々の位置へ振り分けます(03章)。最も弱い側は思考から直観へ移りました。ユングにも主機能と補助機能の組はありますが(02章・03章)、それを8つの位置に広げ、最も弱い位置を入れ替えた配置の変更は理論の再設計であって、ユングからの導出ではありません
- 代表像の入替え。ユングの内向的感情型は、外へ出る手段を持たないために冷たく見える側に書かれています(02章)。後代のESI記述の重心は、道徳の基盤を必要なら力ずくでも守る側の像です(08章・09章)。入替えを正当化する観察を示した文献は、確認した範囲では見つかっていません
- 臨床の枠の流用。系譜の起点には、Kempinskiが臨床の場で立てた情報代謝の概念があり、アウシュラは自分の定義にクレッチマーとリチコの類型論を並記しました(02章)。病理や気質の記述で作られた枠を健常者の類型へ転用することの妥当性は、引用した範囲では検証されていません
資料の非独立性—同一原稿の再録・別訳
このページの資料には、独立した証言として数えられない組があります。Reinin・Stratiyevskaya・Gulenkoには、著者の書籍として読める版と、Wikisocionに再録された「ESI」の版があります。当サイトが突き合わせた範囲では、後者はいずれも前者と同じ原稿の別訳でした。本ページは3人とも書籍の側から引き、Gulenkoだけ書籍に無い節を補っています。13章の小論者の記述とWikisocionの編纂資料も、同じ経路を通った資料です。同じ記述を2か所で見たことは、2人が別々に観測したことを意味しません。
逆の側もあります。Filatovaの「ESI」タイプ記述は『ソシオニクスの鏡の中の人格』のESI章とは別の文章で、構成も例示も重なりません。準備に時間がかかるという同じ観察が、書籍では暗示チャンネル(Te、位置5)の節に、この別の文章では役割機能(Ti、位置3)の見出しの下に置かれていたのは(09章)、この事情によります。
帰属の断りは、創始者自身の記述にも付いています。
特性記述に対し、エイギルダス・グジンスカス(T△(Ni)■(Te))の文章(私の訳)を添える。
原文を表示
К характеристике прилагаю текст (мой перевод) Ейгирдаса Гуджинскаса (ТАГ).
上の引用にあるT△■は、書き手のグジンスカスのタイプ(ILI)を表す記号です。つまり、アウシュラのESI章には、別の書き手であるグジンスカスの文章が添えられているということです。書き手が別にいることを、アウシュラは自分で断っています。創始者の章の中でも、どこまでが誰の観察かは一様ではないことになります。
学派の分裂と用語の混乱
体系間の互換性の欠如は、各章で繰り返し現れました。機能の番号だけでも、現行の位置番号とアウシュラ旧式の4機能(03章)、陰性の番号を含むReininの体系(06章)、Filatovaの4チャンネル(09章)、GulenkoのモデルG(12章)が併存します。そのため、番号や機能名だけで対応づけると別の概念を同じ位置に重ねることになります。
また、MBTIとの対応表も割れています。当サイトはESIをISFPと併記しますが(19章)、Gulenkoが1996年にMBTIと比較した論文では、ESIがISFJ、SEIがISFPに置かれています。末尾の文字を反転させるかどうかで、対応する先が入れ替わります。
名づけそのものへの異論もあり、Karpenkoはこう書いています。
V. D. イェルマークはこの機能を「社会的経験の機能」と呼んでいる[5]。しかし私の観点からは、これは完全に正確とは言えない。個人的経験は、社会的接触の中でも獲得されるとはいえ、この経験の意義と価値は、何よりもまず個人的なものである。それは、万人に通用する社会的価値を持たない。そのような価値を獲得しうるのは、この機能による完成された「発言」だけ、つまり、対応するアスペクトについて人が自分の個性を表現したものだけである。
原文を表示
В. Д. エルマクはこの機能を「社会的経験の機能」と呼んでいる[5]。しかし私の観点からは、これは完全に正確とは言えない。個人的経験は、社会的接触の中でも獲得されるとはいえ、この経験の意義と価値は、何よりもまず個人的なものである。それは、万人に通用する社会的価値を持たない。そのような価値を獲得しうるのは、この機能による完成された「発言」だけ、つまり、対応するアスペクトについて人が自分の個性を表現したものだけである。
つまり、4番の機能にたまる経験を、社会に通じるものと見るか、その人個人のものと見るかで、YermakとKarpenkoの名づけが分かれるということです。Yermakは社会的経験の名を、Karpenkoは個人的経験の名を与えます。ESIでこの位置に入るのはNeで、名前が変われば、そこに何がたまると見るかも変わります。
理論の外縁には、確かめにくい主張も現れます。Reininは、2008年の機関誌でこう書いています。
懐疑的である。検証する必要がある。タイプが何らかの形で遺伝で伝わるとは考えていない。ソシオンは、何らかの形で人間に体現されるノオスフェアの一般的構造かもしれない。A.ブカロフの仕事がこの点に光を当てているかもしれない。
原文を表示
Скептически отношусь. Проверять надо. Я не думаю, что типы как-то по наследству передаются. Возможно, социон — это какая-то общая структура ноосферы, которая каким-то образом воплощается в людях. Пожалуй, работы А. Букалова проливают свет на это.
Reininは、タイプの遺伝性には懐疑を示す一方、ノオスフェア(人類の思考圏)という検証の難しい仮説も提示しています。検証を求める姿勢と、検証しにくい概念への傾きが、同じ研究者の記述内に共存する例です。
制度化の主張と外部の視線
学派側は、普及の規模を示す数字を挙げます。
ソシオニクスが科学的方向性として広範に普及していることは、過去15年間にわたり、人文諸科学のあらゆる部門および一連の技術科学において、約800本の学位論文においてソシオニクスの諸概念および諸方法が用いられてきたという事実によって裏付けられている。これら学位論文を分野別および主題別に分析した。さらに、ソシオニクスに関する学術出版物の集合体を分析した。現時点において、ソシオニクスはロシア、ウクライナ、CIS諸国、ならびに欧州連合加盟諸国の150を超える大学で教授されている。
原文を表示
Широкое распространение соционики как научного направления подтверждается тем, что за последние 15 лет соционические идеи и методы использованы примерно в 800 диссертациях по всем разделам гуманитарных наук и в ряде технических наук. Проведен анализ таких диссертационных работ по отраслям и темам. Проанализирован массив академических публикаций по соционике. В настоящее время соционика преподается более чем в 150 университетах России, Украины, стран СНГ и стран Европейского союза.
800本の学位論文、150超の大学という数字はBukalovらの集計であり、独立の確認はありません。また、利用の広がりは妥当性の証明とは別の事柄です。学派の自己認識の強さは、Stratiyevskayaの一節に典型的に現れます。
ソシオニクスが伝統的心理学と異なるのは、化学が錬金術と異なるのと同じである—ソシオニクスには体系がある、構築的アプローチがある、それは既存の知識体系と矛盾せず、それどころか、最も多様な科学・領域で並行して行われている多くの研究によって裏づけられている、科学的方法に基づいている。
原文を表示
От традиционной психологии соционика отличается так же, как химия от алхимии — в ней есть система, в ней есть конструктивный подход, она основана на научных методах, которые не противоречат существующей системе знаний, а, наоборот, подтверждаются многими исследованиями, проводимыми параллельно в самых различных науках и областях.
言い換えると、Stratiyevskayaは、ソシオニクスと従来の心理学の違いを、化学と錬金術の違いにたとえているということです。体系があるという主張と、そこから出た個々の判定が確かめられているかは、別の事柄です。このページで見た記述にも、外見からの識別、育ちによるサブタイプの固定、著名人の同定が含まれますが、どの手続きで確かめたかの記録は付いていません。
最後に、判定する側の質の問題が、内部から指摘されています。Filatovaは、こう書いています。
ソシオニクスに対する不信の、もう一つの原因は、この人間についての新しい知識領域に、専門的な訓練どころか、単純な人生経験さえ持たないことも少なくない、熱心な支持者たちの一大勢力が押し寄せたことに関係している。そして、そうした若者たちが、自分が正しいと絶対的な確信を持って、決して単純ではない心理的問題の解決策をあちらこちらで提示するとき、それが思慮深い研究者たちの十分に根拠のある批判を招かずにはいないのである。
原文を表示
Другая причина недоверчивого отношения к соционике связана с тем, что в эту новую область знаний о человеке пришла большая армия энтузиастов, не имеющих зачастую не только специальной подготовки, но и простого жизненного опыта. И когда такие молодые люди с абсолютной уверенностью в своей правоте предлагают направо и налево рецепты решения совсем непростых психологических проблем, это не может не вызывать у вдумчивых исследователей вполне обоснованных нареканий.
つまり、専門の訓練も人生経験も乏しい熱心な支持者が、確信をもって心理的問題の解決策を示すことが、ソシオニクスへの不信を招いているということです。批判の向け先は、理論そのものより、判定し助言する側の質です。
ここまでの懸念は、5つに整理できます。
- 判定の信頼性:技芸に近いという内部評価、質問紙は最大40%という見積もり、実演実験に残った取り違えの記録
- 反証手続きの不在:サブタイプの固定や外見からの識別に、標本・比較群・追試が伴わないこと
- 継承の選択性:祖形の組み替えと臨床の枠の転用が、検証を示さないまま定着したこと
- 資料の非独立性:同一原稿の別訳・再録を、独立した証言として数えられないこと
- 体系の非互換:番号・名称・モデルが併存し、MBTIとの対応表も研究者で割れること
あわせて、このページ全体で扱ってきた主張の水準を区別しておきます。
-
文献上の事実:誰がいつ何を書いたか。索引と出典で確認できます。
-
理論内部の帰結:モデルを前提にした導出(例:ESIの位置4はNeで1次元)。モデル内で整合していても、モデル自体の妥当性は別の問題です。
-
文献系列内で反復される観察:14章の5つの観測。相互に参照し合う文献群での反復であり、独立した再現ではありません。
-
独立に実証された主張:測定・標本・追試を伴うもの。当サイトが確認した範囲では、この水準に達したESI記述は本ページにはありません。
これらの懸念の多くが研究者自身の言葉で残っていることは、少なくとも一部の研究者が弱点を自覚して書き残していた証拠であり、同時に未解決の課題の一覧でもあります。このページの引用群は、その両面を示すことを意図して選びました。
24ESIとは何か
最終章です。この章に新しい引用はありません。ここまでの各章の引用と、14章・23章で行った比較・整理だけを材料に、ESIというタイプの記述を1つのまとめへ再統合します。資料の提示ではなく、資料についての当サイトの解釈であるぶん、確からしさは各章の引用より一段下がります。
反復して現れる記述
14章では、研究者・時代・学派をまたいで繰り返される観測を5つに整理しました。第一・第二・第四は、判断が作られ、それが行動になるまでの一続きの記述です。材料は相手が実際に行ったことに置かれ、そこから出た像はあとから動かず、その像で決めた区切りが、意志の働く境になります。第三はその判断が外へ出るときの経路で、言葉ではなく視線と声の調子に移ります。第五だけが反対側で、対象が自分自身の可能性に向いたときには評価が定まりません。
つまり、5つのうち4つは、判断の材料が、すでに行われたことに限られるという一点から出ていると読むこともできます。他人の行いは材料がそろうので見立てが決まり、どこまで付き合うかの区切りまで決まります。まだ行われていない自分の可能性には材料が無いので、そこだけ評価が定まりません。
01章に置いた一般像、つまり、関係に一貫した基準を持つ、基準を守るために行動する、理屈での説明と先行きの見積もりに負担がある、という像は、この意味では文献に残ります。
ですが、言い直されるのは2点です。1つは「時間をかけて相手を見てから距離を決める」の中身で、文献が書いているのは像が定まるまでの遅さではなく、関係を結ぶ決定に確かめの手順が要ることです。人物の表象は「まさに最初の印象によって形成される」(Stratiyevskaya)と書かれる一方、伴侶の選択には長い時間がかかり(Filatova)、近づいてから離れてあらゆる側面を探る順序が置かれます(Gulenko)。
もう1つは「なぜそう決めたのかを説明する段になると言葉が出てこない」で、一般像はこれを説明の負担として1つにまとめていますが、文献では2つに分かれます。筋道を組み立てる負担は位置3のTi(内向論理)の側にあり、評価が言葉にならないのは主導Fiの側です。後者は不足の記述ではなく、出力の経路が別にあるという記述で、「言葉ではなく、視線とイントネーションによる」(アウシュラ)がその形です。
ただし、この反復を独立した観測の一致と呼ぶことはできません。アウシュラ以後の研究者は同じ理論共同体に属し、用語も先行する記述も相互に受け継いでいるからです(02章)。ESIの場合はさらに、Reinin・Stratiyevskaya・Gulenkoの「ESI」記述に同じ原稿の別訳が流通しており、13章の小論者の記述の多くも同じ編纂経路を通っています(23章)。反復の数がそのまま証言の数になりません。正確には、相互に参照し合う文献系列の中で、論者と様式を変えて反復されてきたモチーフです。その意味で、ESI記述の共有された部分と見てよい範囲にとどまります。
確定しない点と実証の限界
一方で、単純にまとめられない点もあります。規範に対する向きは、研究者で食い違います。アウシュラはESIを、その時代に最もよく対応する倫理的関係を意識的に普及させる「宣伝者」と書き、Filatovaは同じ対象に「守護者」の名を与えました。Gulenkoの独自体系ではタイプ名そのものが守護者で、Bukalovだけが道徳規範の創造者と守護者の両方を並べています。広める対象がその人の認めた関係に限られるなら、普及と防衛は同じ判定の表と裏として両立すると読めます(14章)。
また、意志感覚の現れも同じです。Reininは「形式、行動、運動」として書き、Beskovaは姿勢と服装から肖像を立てます。一方、Yermakは同じ位置を「防御の手段としての意志的資質」と規定し、Gulenkoは敵意を示されたときの圧力として書きます。形として現れる面と力として現れる面を分ければ両立すると読めますが、Reininは身のこなしと踊りを、関係を無視する第-1機能(Fe)の節で書いており、要素の区別だけでは整理し切れません。
見立てが定まるまでの時間については、Stratiyevskayaが否定的な見立てと相手選びを書き分けているように、1人の研究者の記述の内側にも近い書き分けがあります(14章)。こうした食い違いは、観測した場面の違い(内輪か初対面か)、用語の体系の違い、編纂資料を経由したかどうか、という3つの経路から出ていると読めます(14章)。
記述の土台そのものにも懸念が残ります(23章)。タイプ判定の信頼性は学派の内部から技芸に近いと評価され、質問紙の精度には最大40%という見積もりが提唱者本人から出ています。ESIで目立つのは外見からの識別で、本人写真の集合(Filatova)、まなざしと表情(Meged & Ovcharov)、突き刺すような視線(Gulenko)、体の使い方と服装(Beskova)が判定の手がかりに挙がりますが、判定者を分けた照合の記録は確認できません。誤同定の実例は機関誌の論争に残っている一方、そこで問い返されたのは、正解の側を何で確かめたのかでした(21章)。
ESI像の要約
ここまでを、確実に間違いとは言えない範囲でまとめます。以下は当サイトの統合で、この形で書かれた文献が1つあるわけではありません。文献上のESIは、自我ブロックの主導機能にFi(内向倫理)、創造機能にSe(外向感覚)を置くタイプとして記述されます(03章)。Fiは担い手どうしの引力と反発を関係として知覚し、そこに価値を与える要素、Seは空間を力の側面から知覚し、意志を対置する要素とされます(04章)。ESIではこの2つが並列の技能として置かれるのではなく、Fiが守る対象を決め、Seがその防衛に使われる構成として説明されます(04章)。この構成の記述とは別に、複数の文献では、人と人のあいだの配置の知覚と評価の固定、行われたことを材料にする判断、視線と声の調子へ移る評価、線で区切られた守る範囲と防御に使われる意志、自分の可能性についての評価だけが定まらないことが反復して記述されています(14章)。
このように、ESIを短くまとめるなら、関係の質の判定と、その判定を守るための意志を強い側に持つと文献上は記述されるタイプ、となります。
かみ砕いて言うと
最後に、同じまとめを、タイプ解説で一般的な語り口に寄せて書いておきます。変えたのは文体だけで、内容は前節と同じく、根拠はここまでの章の資料のみです。
ESIは、人と人のあいだに何が成り立っているかを意識し、その相手と関係を続けられるかどうかを自分の基準で決めるタイプとして描かれてきました。材料になるのは言葉や説明ではなく、その人が実際に何をしたかで、一度そこから出た見立ては、あとから事情を足されても動きにくい、と繰り返し書かれています。評価そのものは言葉になりにくく、視線や声の調子のほうに出る、とも記述されます。守ると決めた範囲の内と外では扱いが変わり、その境に踏み込まれたときには、譲る側ではなく押し返す側の力が出てくる、という書き方が多くの文献にあります。ただし、その力が身のこなしや装いの形として現れると書く研究者と、防御の手段として現れると書く研究者がいて、どちらの面から書くかは一つではありません。自分の能力やこれから何ができるかについては、他人を測るときの明快さが働かず、内側では確信が持てないままだ、とも書かれます。
一文に圧縮するなら—ESIは、少なくとも「人と人のあいだの関係を行われたことで判定し、その判定で引いた線を守る側に意志を使う一方、まだ行われていない自分の可能性については評価が定まらない」と文献上繰り返し記述されてきたタイプだと言えるかもしれません。
25この記事の方法論
引用を用いる理由と範囲
ソシオニクスの文献では、同じESIというタイプについて、研究者ごとに観測点も語彙も評価も食い違います。食い違う記述を1つの要約にまとめると、どの研究者も書いていない「平均像」ができあがります。要約には書き手の解釈が混ざるため、研究者の記述は逐語の引用で示します。引用は、本文で設定した論点の検討に必要な範囲にとどめます。そのうえで、出典の関係・記述の違い・当てはまる範囲を、当サイトの本文で分析します。各引用の位置づけの説明、各章末の小括、14章の横断比較、22章・23章の整理がこのページの本文で、ここには当サイトの判断が入ります。最終の24章はその延長で、記事全体の資料をまとめ直す独自の統合です。
引用の逐語性と翻訳
引用の訳文は当サイトによる訳出です(ユングはドイツ語原著の英訳版から訳出しています)。底本の綴りは各引用の「原文を表示」で確認できます。
引用内の愛称は、コード表記へ置換したうえで原語を併記します(例:「ESI〔原文: ドライザー〕」)。
本ページの引用は、公表された著作物からの、批評・研究を目的とする引用です。引用部は引用ブロックで明瞭に区分し、すべてに出所を番号つきで明示しています。索引には著者・資料名と、確認できた範囲の刊行年・初出・該当箇所を掲載し、出所に留保が要る資料は注記で示します。本文と引用の関係は、本文の分析が主で、引用は各論点の根拠として示す資料です。出典・掲載についての指摘があれば対応します。
タイプ愛称の置換
ソシオニクスの原典には、16タイプを著名人や文学人物の名で呼ぶ愛称が頻出します。ESIの場合は「ドライザー」で、資料によっては「ドライサー」とも表記されます。当サイトはタイプをコード表記(ESI、LIEなど)で統一しているため、引用内の愛称は「ESI〔原文: ドライザー〕」の形式で置換します。愛称の由来と著名人タイピングの問題は22章で扱います。
索引の使い方
引用の末尾には初出順の番号が付きます。番号を押すと巻末の索引に移動し、著者・書名と、確認できた範囲の年・該当箇所を確認できます。索引の各項目からは、本文の引用位置へ戻れます。
注釈
- ※1MBTIとの対応は機能の並びの解釈にもとづく便宜的なものです。詳しくはMBTIとの違い、MBTIとソシオニクスのタイプはどう対応するのかをご確認ください。
+索引(引用文献)
- [1]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第11章 定義 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [2]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [3]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [4]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [5]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [6]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [7]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 外向的感覚型 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [8]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [9]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [10]Kempinski『Lęk(不安)』 本文へ
- [11]Kempinski『Lęk(不安)抜粋訳』(原題:Lęk) 「アナログ原理とデジタル原理」の節 死後刊行の著作。著者はAntoni Kępiński(1918–1972) 本文へ
- [12]Kempinski『Lęk(不安)抜粋訳』(原題:Lęk) 「アナログ原理とデジタル原理」の節 死後刊行の著作。著者はAntoni Kępiński(1918–1972) 本文へ
- [13]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) Kempinskiの抜粋訳内の再録(原出典はアウシュラ『ソシオニクス入門』) 本文へ
- [14]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998)著者序文 Kempinskiの抜粋訳内の再録(原出典はアウシュラ『ソシオニクス入門』) 本文へ
- [15]アウシュラ『ユング論考集(当サイト編纂アーカイブ)』(1984)第4篇「パーソナリティとパーソナリティタイプ」 心理学者エレナ・ドゥボヴァ宛書簡(1984年11月18日付)。機関誌『ソシオニクス、メンタロジー、人格心理学』2005年№4(通巻No.202)に再録 本文へ
- [16]Reinin「情報、その伝達、および情報代謝について」(原題:Об информации, её передаче и информационном метаболизме)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1-2(2021年) 機関誌への再録掲載 出典リンク 本文へ
- [17]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第I部 理論編 刊行年は底本(露語電子テキスト)に記載がなく未確認 本文へ
- [18]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001)前書き 本文へ
- [19]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей — Соционика: новый метод познания человека、2005)第1章 本文へ
- [20]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [21]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [22]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика) 「第1機能」の節(要約) 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [23]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика) 「第2機能」の節(要約) 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [24]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика) 「情報代謝モデル」の節 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [25]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [26]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [27]Composite『「ESI」編纂プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [28]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [29]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [30]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [31]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [32]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [33]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [34]Yermak『人を理解することを学ぶには』(2005) 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [35]Karpenko「世界のアスペクト知覚」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1995年) 本文へ
- [36]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998)第4章 1982年執筆「ソシオン、またはソシオニクスの基礎」の再録部からの引用 本文へ
- [37]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [38]Yermak「情報流のアスペクト辞典」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1998年) 出典リンク 本文へ
- [39]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(1998) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [40]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [41]Filatova『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [42]Karpenko「バーン=ブカロフによる構えがタイプの発現に及ぼす影響」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 本文へ
- [43]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [44]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [45]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [46]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [47]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [48]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [49]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [50]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [51]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [52]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [53]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [54]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [55]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [56]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [57]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [58]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [59]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成(第2部)」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2018年) 出典リンク 本文へ
- [60]Bukalov & Boiko『ESIタイプ記述』(原題:Драйзер (Букалов, Бойко)) 原文欄は socioniko.net 収録の露語テキスト。同ページの帰属表記はブカロフ・ボイコ『Почему ошибся Саддам Хуссейн, или Что такое соционика』 出典リンク 本文へ
- [61]Bukalov & Boiko『ESIタイプ記述』(原題:Драйзер (Букалов, Бойко)) 原文欄は socioniko.net 収録の露語テキスト。同ページの帰属表記はブカロフ・ボイコ『Почему ошибся Саддам Хуссейн, или Что такое соционика』 出典リンク 本文へ
- [62]Bukalov & Boiko『ESIタイプ記述』(原題:Драйзер (Букалов, Бойко)) 原文欄は socioniko.net 収録の露語テキスト。同ページの帰属表記はブカロフ・ボイコ『Почему ошибся Саддам Хуссейн, или Что такое соционика』 出典リンク 本文へ
- [63]Bukalov & Boiko『ESIタイプ記述』(原題:Драйзер (Букалов, Бойко)) 原文欄は socioniko.net 収録の露語テキスト。同ページの帰属表記はブカロフ・ボイコ『Почему ошибся Саддам Хуссейн, или Что такое соционика』 出典リンク 本文へ
- [64]Bukalov & Boiko『ESIタイプ記述』(原題:Драйзер (Букалов, Бойко)) 原文欄は socioniko.net 収録の露語テキスト。同ページの帰属表記はブカロフ・ボイコ『Почему ошибся Саддам Хуссейн, или Что такое соционика』 出典リンク 本文へ
- [65]Bukalov & Boiko『ESIタイプ記述』(原題:Драйзер (Букалов, Бойко)) 原文欄は socioniko.net 収録の露語テキスト。同ページの帰属表記はブカロフ・ボイコ『Почему ошибся Саддам Хуссейн, или Что такое соционика』 出典リンク 本文へ
- [66]Bukalov & Karpenko「学術分野としてのソシオニクス」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2013年) 出典リンク 本文へ
- [67]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [68]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [69]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [70]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [71]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [72]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [73]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [74]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [75]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [76]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [77]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [78]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [79]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [80]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [81]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [82]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [83]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [84]Filatova『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [85]Filatova『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [86]Yermak, Roslankina『人を理解することを学ぶには』(2005) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [87]Yermak, Roslankina『人を理解することを学ぶには』(2005) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [88]Yermak『ウクライナのための大統領』(2009) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [89]Yermak『ウクライナのための大統領』(2009) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [90]Karpenko「私たちは何を話しているのか?」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1995年) 本文へ
- [91]Karpenko「私たちは何を話しているのか?」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1995年) 本文へ
- [92]Karpenko「私たちは何を話しているのか?」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1995年) 本文へ
- [93]Karpenko「バーン=ブカロフによる構えがタイプの発現に及ぼす影響」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 本文へ
- [94]Karpenko「バーン=ブカロフによる構えがタイプの発現に及ぼす影響」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 本文へ
- [95]Karpenko「第4機能について」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1999年) 本文へ
- [96]Karpenko「第4機能について」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1999年) 本文へ
- [97]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [98]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [99]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [100]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [101]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [102]Gulenko『64の肖像』(2019)理論編 本文へ
- [103]Gulenko『64の肖像』(2019) DCNH編 本文へ
- [104]Gulenko『「守護者」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [105]Gulenko『「守護者」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [106]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [107]Prokofieva『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [108]Prokofieva『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [109]Meged & Ovcharov『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [110]Zamanskaya『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [111]Zamanskaya『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [112]socionics.ua『「ESI」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [113]socionics.ua『「ESI」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [114]Golihov『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [115]Golihov『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [116]Piatnitskiy『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [117]Beskova『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [118]Beskova『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [119]Beskova『ESI男性の肖像』(2005) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [120]Beskova『ESI男性の肖像』(2005) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [121]Wikisocion『「ESI」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [122]Socioscope『「ESI」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [123]Socioscope『「ESI」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [124]Gulenko『認知の形式』(2005) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [125]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [126]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第I部 理論編 刊行年は底本(露語電子テキスト)に記載がなく未確認 本文へ
- [127]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [128]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [129]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [130]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [131]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [132]Bukalov, Karpenko & Chikirisova「夫婦ペアにおけるインタータイプ関係の統計」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 刊行年は底本に記載がなく未確認 本文へ
- [133]Karpenko, Bukalov & Chikirisova「レイニン特性: ジェンダー差と社会的期待」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2000年) 本文へ
- [134]Karpenko「レイニン特性: 起源・存在・応用」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 本文へ
- [135]Wikisocion『「Clubs」(コミュニティ編纂)』(2026) コミュニティ編纂。底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [136]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成」(原題:Эволюция человека: формирование структуры ФИМ и социона)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2018年) 出典リンク 本文へ
- [137]Bukalov「職業的成功とソシオニクス・タイプ」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2023年) 出典リンク 本文へ
- [138]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей — Соционика: новый метод познания человека、2005)第3章 本文へ
- [139]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成」(原題:Эволюция человека: формирование структуры ФИМ и социона)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2018年) 出典リンク 本文へ
- [140]Bukalov「意識機能の管理的役割」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2016年) 本文へ
- [141]Yermak「ソシオニクスにおける範疇〈時間〉」(原題:Категория «время» в соционике)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(2007年) 出典リンク 本文へ
- [142]Karpenko「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 本文へ
- [143]Bukalov「職業的成功とソシオニクス・タイプ」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2023年) 出典リンク 本文へ
- [144]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成」(原題:Эволюция человека: формирование структуры ФИМ и социона)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2018年) 出典リンク 本文へ
- [145]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [146]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [147]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [148]Gulenko『64の肖像』(2019)クアドラ論 本文へ
- [149]Karpenko「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 本文へ
- [150]Karpenko「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 本文へ
- [151]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [152]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [153]Bukalov「情報代謝機能の形成メカニズムについて—個体誕生過程における機能形成」(原題:О механизме формирования функций информационного метаболизма в процессе рождения индивидуума)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №168、pp. 19–34(1996年) 出典リンク 本文へ
- [154]Karpenko「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 本文へ
- [155]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [156]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [157]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010) 参照は2010年英語版(露語版の初出年は確認中) 本文へ
- [158]Bukalov, Karpenko & Chikirisova「夫婦ペアにおけるインタータイプ関係の統計」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 刊行年は底本に記載がなく未確認 本文へ
- [159]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [160]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [161]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [162]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [163]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [164]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [165]Karpenko「私たちは何を話しているのか?」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1995年) 本文へ
- [166]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [167]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [168]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成(第2部)」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2018年) 出典リンク 本文へ
- [169]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [170]Bukalov & Karpenko「学術分野としてのソシオニクス」(原題:Соционика как академическая научная дисциплина)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(2013年) 出典リンク 本文へ
- [171]アウシュラ『ユング論考集(当サイト編纂アーカイブ)』(1984)第4篇「パーソナリティとパーソナリティタイプ」 心理学者エレナ・ドゥボヴァ宛書簡(1984年11月18日付)。機関誌『ソシオニクス、メンタロジー、人格心理学』2005年№4(通巻No.202)に再録 本文へ
- [172]Wikisocion『「Subtypes」(コミュニティ編纂)』(2026) 2026-07-15閲覧 底本はWikisocion掲載の英訳テキスト。著者の原語初出は未確認 本文へ
- [173]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [174]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [175]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [176]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [177]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [178]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [179]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [180]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [181]Wikisocion『「Subtypes」(コミュニティ編纂)』(2026) 2026-07-15閲覧 底本はWikisocion掲載の英訳テキスト。著者の原語初出は未確認 本文へ
- [182]アウシュラ『ユング論考集(当サイト編纂アーカイブ)』第2篇「なぜユングを読むのは難しいか?」 執筆・初出は篇ごとに異なる編纂物(第2篇は機関誌2006年№4再録の論考) 本文へ
- [183]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей — Соционика: новый метод познания человека、2005)第9章 本文へ
- [184]Karpenko「エキスパートの立場」(原題:Позиция эксперта)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(1999年) 出典リンク 本文へ
- [185]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [186]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [187]Karpenko, Karjuk『感覚倫理内向型: 自然観察の試み』(2010) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [188]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [189]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [190]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [191]Reinin「レイニン特徴論議への覚書」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2003年) 本文へ
- [192]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [193]Bukalov & Boiko『ESIタイプ記述』(原題:Драйзер (Букалов, Бойко)) 原文欄は socioniko.net 収録の露語テキスト。同ページの帰属表記はブカロフ・ボイコ『Почему ошибся Саддам Хуссейн, или Что такое соционика』 出典リンク 本文へ
- [194]Bukalov「個体誕生過程における情報代謝機能の形成メカニズムについて」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1996年) 本文へ
- [195]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [196]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [197]アウシュラ『女性の役割と社会』(1997) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [198]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [199]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [200]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [201]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [202]Bukalov & Boiko『ESIタイプ記述』(原題:Драйзер (Букалов, Бойко)) 原文欄は socioniko.net 収録の露語テキスト。同ページの帰属表記はブカロフ・ボイコ『Почему ошибся Саддам Хуссейн, или Что такое соционика』 出典リンク 本文へ
- [203]Karpenko「ブカロフ・アレクサンドル・ヴァレンチノヴィチ:科学伝記 第2部」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2022年) 本文へ
- [204]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [205]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001)前書き 本文へ
- [206]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010) 参照は2010年英語版(露語版の初出年は確認中) 本文へ
- [207]Bukalov「TIMとソシオンの16成分モデル」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1996年) 本文へ
- [208]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [209]Karpenko『第4機能について』(1999) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [210]Reinin「ソシオンとその記述」(原題:Социон и его описания)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2008年) 出典リンク 本文へ
- [211]Bukalov & Karpenko「学術分野としてのソシオニクス」(原題:Соционика как академическая научная дисциплина)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(2013年) 出典リンク 本文へ
- [212]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第I部 理論編 刊行年は底本(露語電子テキスト)に記載がなく未確認 本文へ
- [213]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001)前書き 本文へ

