ESI超詳細解説
ESI(ISFP)というタイプを、ソシオニクスの研究文献からの引用で読む長編解説です。当サイトの通常ページは理論を短く言い換えて説明しますが、このページは研究文献からの引用を資料として示し、その比較と分析で構成します。対象は、創始者アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ(Aushra Augustinaviciute)から、Reinin、Bukalov、Stratiyevskaya、Filatova、Yermak、Karpenko、Gulenkoまでの各研究者です。多数の研究者が同じESIをどう記述したかを、1つの要約にまとめず、引用で示し、本文で比較・分析します。
01ESIは一般にどう言われているか
ESI(ISFP)は、一般にはこんなふうに紹介されます。人との関係に一貫した線を引く人。主導機能はFi(内向倫理)で、相手が信頼できるかどうかを自分の基準で測り、創造機能のSe(外向感覚)が、その線を守るために必要な場面では前に出る。誰とでもすぐ打ち解けるのではなく、時間をかけて相手を見てから距離を決める。ドライザーと呼ばれることもあります—おおよそこんな像です。
よく挙げられる場面はこうです。初対面の場では口数が少なく、相手の言動を見てから話す、と言われます。一度信頼を裏切られた相手とは、謝られても距離を戻さない、とも紹介されます。一方、身内と決めた相手には手を尽くし、必要なら自分の負担を引き受ける、と書かれます。この人とどう付き合うかはその場で決まるのに、なぜそう決めたのかを筋道立てて示すとなると、言葉が出てこない。厳しい人と見られる場面でも、本人の側には、理屈を組み立てて説明する負担と、先がどう転ぶか見通せない不安が残ります。
この像は、あとで見る研究者の記述から切り出されて広まったものです。関係に線を引く・守るために踏み込む・理屈での説明と先行きの見積もりに負担がある、という要素はたいてい合っています。ただ、研究者ごとに力点が違い、この一貫性を守る側の資質として書くか、相手を測り続ける負担として書くかも一つではありません。02〜04章で系譜とモデルAの土台を置き、05〜13章で研究者ごとの記述を順に見ます。14章が横断比較、24章ではこの一般像のどこが残り、どこが言い直されるかに戻ります。
読この記事の読み方
想定読者は、ESIプロファイルなどの基礎ページを読み終えて、出典まで確かめたい人です。長いページですが、読み方は単純です。各章で研究者の記述を引用で示し、そのすぐ下に当サイトの読み方(何が共通し、どこが違うか)を書きます。一致と食い違いを確かめながら、ESIというタイプの輪郭を自分で考えていく構成です。
流れは、01章が一般に言われている像、02〜04章が土台(系譜、モデルA、情報要素)、05〜13章が研究者別の記述(このページの中心)、14章が横断比較、15〜23章が各論、24章が当サイトのまとめです。引用には初出順の番号が付き、押すと巻末の索引へ飛び、索引から本文へ戻れます。引用の扱い方(逐語性、訳出、編集操作)は末尾の「この記事の方法論」にあります。
ページ冒頭の「コピーしてAIで要約!」を押すと、要約用の指示文とこのページの本文がクリップボードに入ります。AIに渡して、要約のほか、引用の意味を聞く、研究者ごとの違いを整理させる、といった使い方ができます(長すぎるときは章を分けて渡してください)。
タイトルの「ISFP」はMBTIに慣れた読者のための参照用の表記で、ソシオニクスのESIとMBTIのISFPを同じタイプとして扱う趣旨ではありません(19章)。
02系譜 ユングから情報代謝へ
ESIという記述がどこから来たのかを、3つの原典で辿ります。ユング『心理学的類型』(1921年)の類型論、Kempinskiの情報代謝の概念、そしてアウシュラによる両者の接合です。この章の引用が、以降の全章の土台になります。
ユングの類型論(1921年)
ソシオニクスの16タイプは、スイスの精神科医カール・グスタフ・ユングの『心理学的類型』を出発点とするとされます。ユングは心の働きを4つの基本機能に分け、それぞれが外向・内向のどちらかの構えで働くと考えました。定義の章で、機能は次のように説明されます。
心理学的機能とは、さまざまな状況のもとでも理論上同一であり続ける、心的活動の特定の形式のことと私は理解している。(中略)私は全部で4つの基本機能を区別する。2つの合理的機能と、2つの非合理的機能である。
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By psychological function I understand a certain form of psychic activity that remains theoretically the same under varying circumstances.(中略)I distinguish four basic functions in all, two rational and two irrational
合理的な2つは思考・感情、非合理的な2つは感覚・直観です。そのうえでユングは、人によって最も分化した機能が違い、それが生活への適応の主役になると書きます。
まず特に注目すべきは、私が「内向型」と「外向型」と分類した2つの基本的なタイプについてである。(中略)個人の適応や人生への方向性において、最も発達した機能が主要な役割を果たすという特異性を持つ特定のタイプ
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my first concern must be with the two general types I have termed introverted and extraverted.(中略)those special types whose particularity is due to the fact that his most differentiated function plays the principal role in an individual's adaptation or orientation to life.
まず外向・内向という2つの一般類型があり、その内側に、最も分化した機能が主役を担う「機能類型」が置かれる、という二重の分類です。この組み合わせで8つの型が記述されました。ソシオニクスの文献では、この4機能×2構えの枠組みを「ユングの基底」と呼ぶことがあります。
ユングの内向的感情型
ソシオニクスのESIの祖形とされるのが、第10章の内向的感情の節です。ユングはまず、この感情を何が決めているかを書きます。
内向的感情は、主として主観的な要因によって決定される。これは、その感情判断が、思考の内向が外向と異なるのとまったく同じ本質的な意味で、外向的感情とは異なるということである。(中略)内向的感情の過程を知性的に提示すること、あるいはそのおおよその(中略)記述を与えることさえ、疑いなく困難である。とはいえ、この種の感情に固有の性格は、いったんそれに気づきさえすれば、そのまま際立って現れる。
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Introverted feeling is determined principally by the subjective factor. This means that the feeling-judgment differs quite as essentially from extraverted feeling as does the introversion of thinking from extraversion.(中略)It is unquestionably difficult to give an intellectual presentation of the introverted feeling process, or even an approximate(中略)description of it, although the peculiar character of this kind of feeling simply stands out as soon as one becomes aware of it at all.
決め手を対象ではなく主観的な要因に置いたことが、後のFi記述の起点になります。外向的感情との隔たりを、ユングは思考における内向と外向の隔たりと同じ幅に見積もりました。記述しにくさを断ったうえで、それでも固有の性格は際立つと続けます。
この感情が何のために働くのかは、別の章でもう一段はっきり書かれています。
しかし内向的感情型では事情が逆になる。その感情は抽象的で普遍的な性格に達し、持続する価値を打ち立てることができる。(中略)これは内向的感情一般の特質であるように思われる。それは本物である。それがあるのは、ただそれがあるからである。それはその人のより深い本性に根ざしている。それはいわば自分自身から湧き出し、自分自身を自分の目的としている。それは他のどんな目的にも仕えず、どんなものにも身を貸さず、自分を成し遂げることで満ち足りる。
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This appears to be a peculiarity of the introverted feeling in general : it is genuine ; it is because it just is ; it is rooted in the man's deeper nature; it wells up out of itself as it were, having itself as its own aim ; it will serve no other ends, lending itself to none, and is content to accomplish itself.
他のどんな目的にも仕えずという一句が、この引用の中心です。感情が何かの手段として働くのではなく、それ自体を目的として完結しているという規定になっています。定義の節が「主観的な要因が決める」と言ったことを、ここでは目的の所在の側から言い直しています。
内向的感情型の節では、この構えが外からどう映るかまで書き込まれています。
表面的な判断は、いくぶん冷たく控えめな振る舞いに欺かれて、この型にはいっさい感情がないと言いかねない。しかしそうした見方はまったくの誤りである。実のところ、彼女の感情は外延的であるより内包的なのである。それは深さへと発展する。
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A superficial judgment might well be betrayed, by a rather cold and reserved demeanour, into denying all feeling to this type. Such a view, however, would be quite false; the truth is, her feelings are intensive rather than extensive. They develop into the depth.
外延的と内包的の対が、ここでの判断の中心です。表に出る量が少ないことを感情の欠如と読むのは誤りだ、とユングは順序立てて否定しています。ESIの記述に繰り返し現れる「冷たい」という語は、ユングの側では反論と一組で置かれていました。なお、ユングのこの節は1920年代の臨床観察の語彙で書かれ、原文は女性代名詞を主語としています。
誤読がどこから来るかについても、同じ節に説明があります。
外の世界にとって、あるいは外向型の見えない目にとって、この同情は冷たさに見える。目に見える形では何もしないからであり、外向的な意識は目に見えない力を信じることができないからである。こうした誤解は、この型の生に特徴的に起こる出来事である
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To the outer world, or to the blind eyes of the extravert, this sympathy looks like coldness, for it does nothing visibly, and an extraverted consciousness is unable to believe in invisible forces. Such misunderstanding is a characteristic occurrence in the life of this type
効いているのは目に見える形では何もしないという条件です。同情が無いのではなく、外へ出る手段を持たないために外側からは検出されない、という順序で説明されています。ユングはこれを、個別の不運ではなくこの型の生に特徴的に起こる出来事として書きました。
ユングの外向的感覚型
ESIの2番目の機能Se(外向感覚)に対応する祖形は、同じ第10章の外向的感覚型の節にあります。
現実性において、外向的感覚型に並ぶことのできる他の人間類型はない。客観的事実に対する彼の感覚は並外れて発達している。彼の生は、具体的な対象との現実の経験の集積であり、この型が顕著であればあるほど、彼は自分の経験を利用しない。ある場合には、彼の生の出来事は「経験」という名にほとんど値しない。彼は、この感覚された「経験」を、新たな感覚への案内役として役立てる以上の使い道を知らない。
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other human type can equal the extraverted sensation-type in realism. sense for objective facts is extraordinarily developed. life is an accumulation of actual experience with concrete objects, and the more pronounced he is, the less use does he make of his expert ence. In certain cases the events of his life hardly deserve the name c experience '. He knows no better use for this sensed * experience * than to make it serve as a guide to fresh sensations
客観的事実に対する感覚の発達が、この型の中心に置かれています。経験さえも、次の感覚への案内役以上には使われません。ESIでは感覚が主導ではなく2番目に来るので、ユングの純粋型とソシオニクスの2機能構成は単純には重なりません(23章で再論します)。
その差は、同じ節のなかで判断機能の側から書かれています。
さらに、合理型が対象と結ぶつながりは、判断が存在するというまさにそのことによって、感覚型が対象に対してもつような無条件の関係になることは決してない
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Moreover, the rational type's link to the object, from the very existence of a judgment, never means such an unconditioned relation as that which the sensation-type has with the object
判断が存在するというまさにそのことが、対象との関係から無条件性を外します。ESIは主導が判断機能なので、この条件がそのまま当てはまります。対象をどれだけ強く感覚しても、それを受け入れるかどうかは別に決まる、という構えです。
判断型が非合理の機能を2番目に持つ組み合わせについては、主機能と補助機能を論じた節に規則が書かれています。
しかし、無意識への道、そして最も抑圧された機能への道は、意識の立場をより十分に守りながら、いわばおのずと開かれる。それは、発達の道が第二の機能を経由するとき—すなわち合理型の場合には非合理機能を経由するとき—である。
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But the approach to the unconscious and to the most repressed function is disclosed, as it were, of itself, and with more adequate protection of the conscious standpoint, when the way of development is via the secondary function thus in the case of a rational type by way of the irrational function.
合理型の場合には非合理機能を経由するという条件が、ESIの構成をそのまま指しています。ユングは補助機能の側を、意識の立場を保ったまま無意識へ向かう通り道として位置づけました。判断の機能に知覚の機能を添える組が、モデルAの自我ブロックの形につながっていきます。
Kempinskiの「情報代謝」
「情報代謝(Information Metabolism)」の語は、ポーランドの精神科医Antoni Kempinski(アントニ・ケンピンスキー、1918〜1972)に由来するとされます。Kempinskiは情報の処理を2つの相に分け、第1相を環境への基本的な定位として記述しました。
他方、第1相で問題になるのは外的・内的状況への素早い定位である。この定位に、接近・逃走・闘争という基本的構え(「へ」―「から」)と、生体の力学の設定(気分)がかかっているからである。
第1相にかかるものとして、接近・逃走・闘争の構えと気分が名指しされています。「へ」と「から」は好悪の表明ではなく、対象へ向かうか離れるかの方向です。評価の向きと力の行使がどちらも第1相に属する点は、ESIの自我ブロックが扱う範囲と重なります。
この二相を支える仕組みとして、Kempinskiは神経系の2つの原理を対比します。
アナログ原理(緩電位)は刺激の量的な再現を可能にする。これにより「どの程度か」という問いへの答えが得られる。他方デジタル原理(スパイク電位)は「はい」か「いいえ」かの答えを可能にする。前者は本質的弁別、後者は差異的弁別と呼ばれる。
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Zasada analogowa (potencjały generacyjne) pozwala na ilościowe odtworzenie bodźca. Dzięki niej znajdujemy odpowiedź na pytanie: "w jakim stopniu". Natomiast zasada cyfrowa (potencjałów iglicowych) pozwala na odpowiedź: "tak" lub "nie". Pierwszą określa się jako essential discrimination, a drugą jako differential discrimination.
情報代謝は固有の脈動によって特徴づけられることになろう。すなわち第1相では生体の外部環境とも内部環境とも結合し、第2相ではそれに対して距離を取る。
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Metabolizm informacyjny charakteryzowałby się swoistą pulsacją: złączeniem się ze środowiskiem zarówno zewnętrznym, jak wewnętrznym ustroju w pierwszej fazie i nabraniem w stosunku do niego dystansu w drugiej.
環境と結合する相と、距離を取って行動を選ぶ相の往復として、心の情報処理を捉える枠組みです。Kempinskiの著作にタイプ論はまだありません。ここにあるのは、心を情報の交換系として扱う視点と、その交換に向かうか離れるかの向きがあるという観察です。
アウシュラによる接合
アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ(Aushra Augustinaviciute、1927〜2005)は、この語を借りたことを自分で書いています。
「情報代謝」という用語はポーランドの精神医学の古典A.ケンピンスキーから借りたことを思い出してもらいたい。おそらく彼は、人間の心理的不快の基盤にはその情報代謝の障害が横たわっていると最初に語った人物である。
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Можно напомнить, что термин «информацион- ный метаболизм» мы заняли у классика польской психиатрии А. Кемпинского. По-видимому, он пер- вый заговорил о том, что в основе психологичес- кого дискомфорта человека лежит нарушение его информационного метаболизма.
ソシオニクスとは、ソシオンについて、人間のソシオン的本性と社会のソシオン的構造について、人々の情報代謝(情報代謝)のさまざまなタイプとそれらのあいだのさまざまな形態の相互関係についての学問であり、K.G.ユング、E.クレッチマー、A.E.リチコの類型論と、A.ケンピンスキーの情報代謝の理論を基盤として生まれた。
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Соционика — наука о соционе, соционной при- роде человека и соционной структуре общества, о разных типах информационного метаболизма (ИМ) людей и разных формах взаимоотноше- ний между ними — родилась на основе типологий К. Г. Юнга, Э. Кречмера, А. Е. Личко и теории ин- формационного метаболизма А. Кемпинского.
ソシオニクスの自己定義に、ユング、クレッチマー、リチコの類型論と、Kempinskiの情報代謝理論が並記されています。彼女自身による情報代謝の説明は次のとおりです。
パーソナリティタイプは、パーソナリティの形態、または人間の思考が収まる形態、彼の情報代謝の形態である。奇妙で慣れないが、身体が食物で養われエネルギーを生産するのと完全に同じく、心理は情報、受け取る信号、刺激で養われ、エネルギーを生産する。心的エネルギーまたは情報的エネルギーである。
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Итак: тип личности — это форма личности, или форма, в которую укладывается мышление человека, форма его информационного метаболизма. Как это ни странно и непривычно, но ровно так, как тело питается пищей и производит энергию, так психика питается информацией, получаемыми сигналами, раздражителями и тоже производит энергию. Психическую энергию или информационную энергию.
タイプを能力の量ではなく情報を受け取る形態として規定した言い方です。どの情報を最初に受け取り、どれを後回しにするかで型が分かれます。ユングが主観的な要因で決まると書いた感情の層は、ここでは1つの情報要素として扱われ、ESIはそれを最初に受け取る側に置かれました。
後代の研究者が語る系譜
この接合を、後の研究者はそれぞれの力点で語り直しています。Reininは、Kempinskiとアウシュラのあいだにある情報観の質的な違いを対比します。
アントニ・ケンピンスキーは精神科医として、各人がそれぞれ自分固有の世界に生きていることをよく理解していた(中略)概念を導入するにあたり、ケンピンスキーは純粋に物理的な類比—エネルギー代謝・物質代謝との類比—を用い、情報を諸対象が相互に交換する一種の実体として表象した(中略)アウシュラ・アウグスティナヴィチューテは(中略)自らの情報代謝タイプ理論を構築するにあたって、明らかに「情報」現象の仮想的性質を理解していた。
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Анатолий Кемпинский, будучи врачом психиатром, прекрасно понимал, что каждый человек живет в своем особенном мире [6]. […] При этом, вводя понятие «информационный метаболизм», Кемпинский воспользовался чисто физической аналогией с энергетическим и материальным метаболизмом, представляя информацию как некоторую субстанцию, которой обмениваются объекты [5]. […] Однако, Аушра Аугустинавичюте [1], […] создавая свою теорию типов информационного метаболизма, безусловно, понимала виртуальный характер феномена «информация».
引用中の「アントニ」は訂正した表記です(Reininの原文では「アナトリー」と書かれていますが、Kempinskiの名は実際にはアントニ(Antoni)です)。
Stratiyevskayaは、転換を成し遂げたのは心理学者ではなく数学者だったと書きます。
それでもなお、この領域における根本的な転換は、心理学者ではなく(本来そう期待されるはずだったのだが)、数学者によって(より正確には、心理学者というよりもむしろ数学者によって)成し遂げられた—それまで誰にも知られていなかったリトアニアの学者、アウシュラ・アウグスティナヴィチューテによってである。彼女ただ一人が、ユングのタイポロジー(類型論)を解読し、彼のタイポロジーへの「鍵」となる、構築的な心理学的モデルを開発し、自身のタイポロジーと自身の新しい、拡張され改良された人間心理の構造のモデル(「モデルA」)を創造することに成功した。
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И тем не менее кардинальный переворот в этой области был совершен не психологом (как этого следовало бы ожидать), а математиком (точнее, не столько психологом, сколько математиком) — дотоле никому не известным литовским ученым Аушрой Аугустинавичюте. Ей единственной удалось расшифровать типологию Юнга, разработать конструктивную психологическую модель, послужившую "ключом" к его типологии; создать свою типологию и свою новую, расширенную и усовершенствованную модель структуры человеческой психики ("Модель "А").
Filatovaは、アウシュラとユングの出会いを本人の言葉ごと記録しています。
こうしてユングは、人間の一生を通じて保たれる安定した特徴によって互いに区別される、合計16の心理学的タイプを見出したのである。それから数十年後、リトアニアの研究者アウシュラ・アウグスティナヴィチューテが、さらに先へと歩を進めた。(中略)「ユングは私をたちまち引きつけた。なぜなら、彼は構造を提示していたからである。しかも16もの構造を!」
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Несколько десятилетий спустя исследователь из Литвы Аушра Аугустинавичюте пошла дальше. […] «Юнг заинтересовал меня сразу. Потому что предлагал структуру. И даже шестнадцать структур!»
Yermakは、系譜全体を1文に圧縮します。
こうして、A. アウグスタは、ユング流のタイポロジー(類型論)を、A. ケンピンスキーの心の情報代謝の理念の立場から研究して、心のモデルを創造し、N. メドヴェージェフは、心と世界の情報的相互作用のアスペクト構造の根拠を提示することで、モデル化に基づく特徴の「明晰化」と精緻化の基礎を据えた。
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Так, А.Аугустинавичюте, исследовав юнговскую типологию с позиций идеи А.Кемпинского об информационном метаболизме психики, создала модель психики, а Н.Медведев, предложив основания аспектной структуры информационного взаимодействия психики с миром, заложили основы “прояснения” и уточнения признаков на основе моделирования.
文中のメドヴェージェフ(N. Medvedev)は、情報の側面(アスペクト)構造の根拠づけに関わった人物として言及されています。
小括します。4機能×2構えの枠組みはユングに、情報代謝の語はKempinskiに由来し、両者を1つのモデルに接いだのがアウシュラである—ここまでは各研究者の記述が一致します。食い違うのは力点です。Reininは情報観の質的転換を、Stratiyevskayaは数学的な解読を、Filatovaは構造との出会いを強調します。ESIについて言えば、ユングの内向的感情型が祖形であり、外に出る手段を持たないために冷たさと読まれるという記述が最初からその一部だったこと。そして、ユングの感覚型が対象と結んでいた無条件の関係が、ソシオニクスでは判断機能に従う2番目の位置へ置き直されたこと。この2点が、以降の全章の前提になります。
03モデルAにおけるESI
モデルAは、8つの情報要素を8つの機能位置に配置した心の構造モデルです。当サイトが基準とするESIの配置は次のとおりです。
- 1(主導機能):Fi(内向倫理)
- 2(創造機能):Se(外向感覚)
- 3(規範機能):Ti(内向論理)
- 4(脆弱機能):Ne(外向直観)
- 5(暗示機能):Te(外向論理)
- 6(動員機能):Ni(内向直観)
- 7(観察機能):Fe(外向倫理)
- 8(実演機能):Si(内向感覚)
この章では、この配置を支える原典記述を確認します。順序は、ユングの2機能構成、アウシュラの機能理論、ESIの自我ブロック、そして初期著作の旧式表記です。
ユングの補助機能—2機能構成の原点
モデルAの中核である「強い2機能の組」は、ユングの補助機能論に遡るとされます。ユングは、主機能と同等の力を持つ第2の機能は存在できない、と書きます。
同等の力を持つ第二の機能が存在することは本来許されないことである。したがって、この第二の機能は必然的に二次的な重要性しか持ちえず(中略)補助的あるいは補完的な役割として作用するからである。
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the presence of a second function of equivalent power is naturally forbidden. This other function, therefore, can have only a secondary importance(中略)but comes into play more as an auxiliary or complementary function.
どの機能が補助になれるかの規則も、続けて明示されます。
経験的事実が示すところによれば、第二機能は常に、主導機能とは異なる性質を持ちながらも対立関係にはない機能である。例えば、主導機能が思考の場合、補助機能としては直観と容易に組み合わさることができるし、同様に感覚とも同等に組み合わせることが可能であるが、すでに述べたように、感情とは組み合わせることができない。
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the secondary function is always one whose nature is different from, though not antagonistic to, the leading function: thus, for example, thinking, as primary function, can readily pair with intuition as auxiliary, or indeed equally well with sensation, but, as already observed, never with feeling.
例に挙がっているのは思考が主導の場合ですが、条件は「対立関係にはない」ことです。感情が主導なら思考が外れ、ESIの組は感情(Fi)と感覚(Se)でこの規則の範囲内に収まります。ソシオニクスの文献では、この2機能の組が自我ブロックの原型になったと説明されます。
アウシュラの機能理論—第1機能と第2機能
アウシュラは機能位置の理論(フンクツィオニカ)で、各位置の性格を定式化しました。第1機能と第2機能の記述です。
要約:第1機能は人間の世界知覚、彼の「情報的職業」、イメージを規定する。人間はこの要素について最大限の情報を持っており、最も確信をもってそれを使用する。最も強い機能、「個人的恣意の領域」と言うことができる。
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Резюме : 1-я функция определяет мировосприятие человека , его "информсационную профессию" , имедж . Человек имеет по этому элементу максимум информации , наиболее уверенно ей пользуется ; можно сказать, что это самая сильная функция , "зона личного произвола".
要約:第2機能は創造機能であり、ここで人間は自分以前には知られていなかった新しいものを創造する。第1機能の目的の達成と自己肯定のための創造である。
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Резюме : 2 функция творческая , здесь человек создает новое , до него не пзвестное . Творчество ради достижения цели по первой и самоутверждения .
機能は単独ではなく、対で働くとされます。
機能はモデルAの静的構造をなしている。それらは単独では働かず、常にペアで—ブロックとして働く。ブロックのアクセプト(受容)機能は可能な限り現実を反映し、プロダクティヴ(生成)機能は反応し、創造的に適応する。これはほぼ同時に起こり、機能が強く分化されているほど速い。
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Функции - составляют статическую структуру модели А. Они не работают по одиночке , но всегда парами - блоками . Акцептная функция блока по возможности отражает действительность , продуктивная реагирует , творчески приспосабливаясь . Происходит это почти одновременно , тем быстрее , чем более сильно дифференцирована функция.
引用のアクセプト機能・プロダクティヴ機能は、奇数位置の受容機能・偶数位置の生成機能にあたります。この2つの対がブロックです。ESIに当てはめると、第1機能=Fi(人と人の間に何が成り立っているかを読むことが「情報的職業」になる)、第2機能=Se(その基準を通すために意志と力を使う創造)で、Fiが受け取り、Seが応答します。
ESIの自我ブロック—Fiが決め、Seが通す
アウシュラはESI章で、この第1機能が何を捉えているかを具体的に書いています。
個人は、人々の間の倫理的諸関係を明瞭に感じ取る。誰がどのような感情を経験しており、彼が誰に対していかなる感情 — 愛、憎しみ、共感、軽蔑等々 — を呼び起こしているかを、過誤なく知っている。これらの諸感情を評価する。誰に、どの程度影響しているか、なぜ影響しているかを評価する。誰が誰を何ゆえに望んでいるかを、常に知っている。
「過誤なく知っている」の対象は、感情そのものではなく、それが誰から誰へ向いているかです。愛・憎しみ・共感・軽蔑の並びも、強さの段階ではなく向きで分かれています。第1機能の「最大限の情報を持つ」領域が、ESIでは関係の向きの識別として書かれています。
Filatovaは同じ2機能を、プログラムとその実現という2段で定式化します。
ESIの主導ブロックの意識の構え—正常な生活の条件とは、人間関係の調和、倫理・道徳・モラルの規範の遵守、伝統の大切な保持である(内向倫理—プログラム機能)。そして、この価値体系を維持し支えるためには、意志の力を注ぐ必要がある(外向感覚—プログラムの実現)。
実現の側に置かれているのは意志の力です。何を守るかを決めるのは内向倫理の側で、外向感覚はそれを通すための手段になります。アウシュラの第2機能=「第1機能の目的の達成のための創造」という定式と、順序が同じです。
Compositeは複数の資料を1つにまとめた編纂プロファイルで、この対が何を焦点にするかを1文で示します。
自我ブロックにおいてFiがSeとブロックされていることで、ESIの人生における主要な焦点は、個人的な関係に対する安定した内的基準、つまり自分自身と他者の行動やアイデアを評価する倫理的原則にある。それは理想主義や想像力、あるいは人々の実証されていない潜在能力ではなく、現実の世界で人々が実際にどうであるかの知覚に裏打ちされている。
効いているのは「安定した内的基準」という語です。評価の材料は現実の場で人がどうふるまったかに限られ、まだ試されていない潜在能力の側は入りません。ESIの位置4にNeが来る配置と、そのまま対応する書き方になっています。
Yermakの定式化でも、4ブロックの要素構成は自我=Fi・Se、超自我=Ti・Ne、超イド=Te・Ni、イド=Fe・Siと、冒頭の基準配置と一致します(単行本付録の和訳には位置の入れ替わりがあり、ここでは露語原文に拠ります)。
モデルA自体は、どの機能も他を直接管理しない線形・対称の構造とされます(Bukalov)。機能ごとの処理能力の差は16章(次元性)で扱います。
アウシュラ旧式の4列表記
アウシュラの初期著作では、タイプは8つの位置ではなく4つの機能で記述されます。ESIの旧式表記は、I(主導)=Fi、II(プロダクティヴ)=Se、III(MHC=最小抵抗の場)=Ne、IV(サジェスティヴ)=Tiです。現行の8位置との対応は、I=位置1、II=位置2、III=位置4、IV=位置3になります。旧式のIIIとIVは、現行の位置4・位置3と逆順に並ぶので、番号だけで照合すると取り違えます。研究者ごとの独自番号もあり、たとえばFilatovaの第IV(暗示)はTe(位置5)を指すので、旧式のIV(Ti・位置3)とは別の位置です。
小括します。ESIの8位置の配置(Fi・Se・Ti・Ne・Te・Ni・Fe・Si)は、アウシュラのブロック論からYermakの定式化、後代の編纂プロファイルまで要素の中身が一致しています。一方で、位置の番号づけと名称は研究者・時期によって別体系が併存します。原典を読むときは、番号ではなく「どの要素がどの意味の位置にあるか」で照合するのが確実です。
04情報要素から見るESI
ESIの自我ブロックはFi(内向倫理)とSe(外向感覚)です。この章では、この2要素の定義を研究者横断で確認し、最後にESI固有の論点(Seが働く向きをFiが決める結合)を見ます。各要素の一般解説はFi(内向倫理)とSe(外向感覚)の詳細ページにあります。ここでは、ESIの構成に関わる範囲に絞ります。
感情と感覚—ユングの定義
出発点として、ユングの定義の章から。まず感情です。
感情とは第一に、自我と与えられた内容とのあいだで起こる過程であり、しかもその内容に、受容か拒絶かという意味での明確な価値を与える過程である
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Feeling is primarily a process that takes place between the ego and a given content, a process, moreover, that imparts to the content a definite value in the sense of acceptance or rejection
定義の中心にあるのは価値で、情緒や気分は入っていません。受容か拒絶かを決める働きなので、この機能は知覚ではなく判断の側に置かれます。
感情型には疑いなく2種類あり、一方の態度はより自分の感情経験によって、他方はより対象によって方向づけられている。
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there are, undoubtedly two sorts of feeling-types, the attitude of one being orientated more by his feelingexperience, the other more by the object.
2種類を分けるのは感情の強さではなく、方向づけの先です。この線引きが、FiとFeを別の要素として扱う根拠になります。次に感覚です。
感覚、すなわち感覚することとは、身体的な刺激を知覚へ伝える心理機能である。(中略)感覚は感情から厳密に区別されねばならない。後者はまったく別の過程だからである
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Sensation, or sensing, is that psychological function which transmits a physical stimulus to perception.(中略)Sensation must be strictly distinguished from feeling, since the latter is an entirely different process
ESIではこの2つが位置1と位置2で隣り合うので、別の過程だという断りがそのまま効いてきます。ソシオニクスの通説では、この感情を外向・内向に分けたものがFe・Fi、感覚を分けたものがSe・Siに対応するとされます。
Fi(内向倫理)—各研究者の定義
アウシュラ自身によるFi(内向倫理)の定義です。
これは、ポテンシャル・エネルギーまたは運動エネルギーの二つの担い手のあいだの主観的関係であり、ある対象あるいは主体の他の対象や主体への引力(あるいは反発)を示すものである。このIM要素のおかげで、人間はどの対象が自分を引きつけ、どれが反発するかを感じる。
主語が人ではなく、二つの担い手のあいだに置かれています。判断の単位は個々の相手ではなく、相手との間柄です。Stratiyevskayaの理論編の定義を並べます。
人間の間の関係を通じての世界の知覚、外交性、繊細さ、自分の行為に対する責任、寛容、寛大、愛、善意、慈しみ、憐れみ。
知覚の話は先頭の1句だけで、あとは寛容・慈しみといった価値語です。ここにあるのは要素が扱う領域であって扱い方ではなく、ESIの記述で目につく厳しさの語は出てきません。
Filatovaの基本概念章の定義です。
内向的な意識は人間的価値の領域における自分自身の構えに依拠するから、ここで私たちが扱うのは、人々の交わりの領域に属する基準の評価である。彼らにとって第一に来るのは、モラル、道徳性、良心、公正、伝統の遵守といった概念—要するに、人類が何世紀もの歴史の中で練り上げてきた交わりの規則の総体である。内向性はこの人の情動性を内側へ向ける。だから彼は非常に抑制的に振る舞い、内側では文字どおり「煮えたぎって」いるかもしれない感情を、外には表さないことがある。
評価の基準が個々の相手ではなく、交わりの規則の側に置かれています。後半は表出の話で、内側で動く量と外に出る量が一致しないという但し書きが定義の段階から付きます。
Yermakは同じ側面(アスペクト)の意味論を1語に圧縮します。
一定の関係はしばしば 愛 として定義される(愛—関係)。エネルギー状態の関係に関する情報を含む情報構成要素(アスペクト)の意味論は、「関係」という用語で定義することができる。憎しみ、道徳 などの語も、意味の上で、ある状態の関係に関する情報を含む。ソシオニクス文献では、このアスペクトの他の名称も見られる—内向倫理、関係倫理。
愛と憎しみと道徳が同じ列に入るのは、どれも状態どうしの関係を指すからです。評価の向きが正でも負でも担当は同じです。名称は「内向倫理」「関係倫理」と揺れますが、指している側面は同じで、記号は▽です。
Karpenkoは、この要素が強い側の知覚の形を書きます。
強いR(▽(Fi))をもつ人々には、他人の感情の直接的な知覚は難しく、必ず対置を立てなければならない: 私と彼、彼ら、私たちの間の関係、彼らの間の関係、というふうに。そして問いは「どうしたの?」ではなく、「なぜあなたは私に(彼に)そういう態度をとるの?」という形で立てられる。
差が出るのは問いの立て方です。目の前の感情ではなく、その感情が指している間柄を先に読むので、聞き方が「どうしたの?」から離れます。アウシュラの引力と反発が、会話の水準で書かれています。
Se(外向感覚)—各研究者の定義
Se側も同じ順で見ます。アウシュラの定義です。
対象の「運動エネルギー」と呼べるものについての情報が知覚される。たとえば、人間の外的組織性についての情報、その身体的・エネルギー的データ、自分の意志を使いこなし、地位・立場を利用し、自分の意志を他の人々の意志に対置する能力についての情報である。(中略)それによって、自分の意志とエネルギーを他の人々の意志とエネルギーに対置する能力あるいは無能力が規定される。
知覚されるのは対象の外形ではなく、動かす側の量です。末尾が能力と無能力の並記になっているとおり、強弱の差がそのまま出る種類の要素として定義されています。
Stratiyevskayaの理論編は、同じ要素を「意志的感覚」と呼びます。
「意志的感覚」(空間)—(外向感覚、●(Se))。 空間を統制し、影響圏を獲得する能力。目的志向性、動員、支配性、規律性、勝利への意志、外的圧力への抵抗と自身の利益の擁護、力による対抗、相手の力と抵抗能力を評価する能力。野心性、権威性、権威主義性、リーダーシップへの志向。
列の中ほどに外的圧力への抵抗と自身の利益の擁護が入っています。攻める側の語と守る側の語が同じ定義に並んでおり、どちらへ働くかは要素の定義では決まりません。
Yermakは同じ側面の意味論を「意志」に圧縮します。
情報アスペクト。人間による空間の実体の知覚を反映する。主観的観点から、空間の実体は、物質または仮想的現実の力的影響による現実または潜在的な限定(物理的、他の人々を含む、または仮想的対象の内部空間の形成)、また物理的または仮想的対象の力的影響(圧力または反撃)による現実または潜在的な分離(隔離)(現実または仮想的外部空間の形成)の意味を持つ。意味論的に、空間の実体は主観的知覚において、現実または仮想的な力または意志的発現に帰着する。
空間の知覚が限定と分離の2つの操作で書かれています。Stratiyevskayaの守る側の語がどこから出るかが、この定義で見えます。名称は「外向感覚」「意志的感覚」と揺れ、記号は●です。
ESIにおけるFi・Seの結合
ESIのタイプ記述では、この2要素が組みで現れます。アウシュラは、働きかけの経路を外向と内向で対比したうえで、その代表にESIを名指しします。
外向タイプは対象を直接ヒットで「叩く」。内向タイプは関係を「叩く」。外向タイプは対象への打撃により、被保護者あるいは自身から危険な対象を遠ざける。こうして場における距離、時間、あるいは—力関係を変える。内向タイプは関係そのものに作用しようとする。そして関係に作用しつつ、対象を行き止まりへ追い込み、その後—変化を強いる。たとえば、対象が私と結婚したくないなら、変化して「望む」しか選択肢が残らないような条件に彼を置かねばならない、というふうに。この具体的な思考の仕方は、内向タイプのすべてのタイプに固有ではない。このように圧迫しようとするのは、まず倫理タイプ(特に私の知る限り、▽(Fi)●(Se)—ドライザー)だが、概略では何か似たことが起こる。
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**外向タイプ**は対象を直接ヒットで「叩く」。**内向タイプ**は関係を「叩く」。外向タイプは対象への打撃により、被保護者あるいは自身から危険な対象を遠ざける。こうして場における距離、時間、あるいは――力関係を変える。内向タイプは関係そのものに作用しようとする。そして関係に作用しつつ、対象を行き止まりへ追い込み、その後――変化を強いる。たとえば、対象が私と結婚したくないなら、変化して「望む」しか選択肢が残らないような条件に彼を置かねばならない、というふうに。この具体的な思考の仕方は、内向タイプのすべてのタイプに固有ではない。このように圧迫しようとするのは、まず倫理タイプ(特に私の知る限り、Т▽●――ドライザー)だが、概略では何か似たことが起こる。
対比の軸は、働きかけが対象に直接届くか、関係を経由するかです。関係に作用して相手の選択肢を絞る、という経路の代表として、彼女は倫理タイプ、なかでもESIを挙げます。「圧迫」も「叩く」も彼女自身の語で、Seの力がFiの扱う関係を通って届く、という後続の定式の最初の形にあたります。
Stratiyevskayaは、Seが強く出る場面に条件を付けます。
ESI〔原文: ドライザー〕の創造的意志感覚は、極限的状況において特に鮮やかに発現する — 自分の利益の防衛時、そして主要なのは — 自分の関係の利益の防衛時に。自分の関係を、ESI〔原文: ドライザー〕は誰にも侵害させない。(中略)友人のため、愛する人のためなら、危険を考慮せずに火の中にも水の中にも入っていく。
条件は「極限的状況」で、その中身が自分の関係の利益の防衛と言い直されています。守る対象が決まってから意志感覚が出る、という順序です。Filatovaは、同じ順序を実行の側から見ます。
Se プログラムの実行。 倫理的プログラムをESIは意志的感覚タイプの粘り強さで人生に持ち込む。しかし、距離を置いて彼女と接すると、彼女がその指針を現実の生活に実行する決意、固さ、献身を認識することはしばしば困難である。なぜなら、この特性はしばしば外面的な適合性と、他者の気分やその周囲に起こっていることに対する態度を察知する能力(Fi)によって仮面されているからである。
運ぶ中身がFi側で決まり、運ぶ力がSe側から出る、という分担が1文に収まっています。後半はその力が外から見えにくい理由で、見えにくくしている側もFiだとされます。
Karpenkoは、相手を否定的に構えたときのESIの例を挙げます。
また、たとえば「あなた−」の(ESI)は、自分の第2機能(中略)によって、他の人のごくわずかな感情の発現に対しても、こう咎める。「どこからそんな攻撃性が出てくるの?」。つまり、意志の感覚による否定的評価を下すのである。相手が攻撃性を発現する暇どころか、感情的に反応する暇さえまだなかったとしても、である。しかし、「どこからそんな攻撃性が?」という問いはすでに発せられ、言ってみれば、まだ起きてもいない意志的発現を抑えつける試みは、すでになされてしまっている。
観察されているのは、評価が下りる時点です。相手が反応する前に、まだ起きていない発現へ向けて評価が出ます。Fiの読みが先にあり、そこからSeの評価が出る、という順序の記述です。
小括します。Fiは「担い手どうしの引力と反発を関係として知覚し、価値を与えること」、Seは「空間を力の側面から知覚し、意志を対置すること」で、研究者間の定義は語彙の揺れを除けば収束しています。ESI固有の論点は結合の向きです。FiとSeは並列の2技能ではなく、Fiが守る対象を決め、Seがその防衛に使われる構成として記述されます。弱い側の要素(Ti・Ne・Te・Ni)は、各研究者章と16章(次元性)で扱います。
05アウシュラの記述
創始者アウシュラのESI記述は、このページの複数の章に分かれて登場します。系譜と情報代謝の定義は02章、モデルAのブロック記述は03章、Fi・Se記号の定義は04章、双対関係の記述は18章、著名人タイピングは22章にあります。この章では、それ以外の人物像の中心になる記述を集めます。底本は『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(1998年)のESI章です。
判定の基準は、その人が呼び起こす感情
ESI章は、人物をどう判定するかの基準から始まります。
倫理的諸関係および諸感情に基づいて、ESI〔原文: クライド〕は相互作用する人々の倫理=美的諸特質について結論を下す。人間の関係が周りの人々と良好で、しかも持続的に、肯定的諸感情を呼び起こしているならば、影響力をもっているならば、これは — 真の人間であり、意志的人格である。否定的諸感情を呼び起こす者は — 哀れな失敗者か悪人だと思われる。個人によって体験される諸感情がうつろいやすければ、これもまた弱い、悪人である。彼は近しい者たちに、とりわけ高い要求を寄せる。そして、まさに彼らに対して、最もしばしば恥ずかしさを覚える。
判定を分けているのは感情の中身ではなく、それが持続しているかです。うつろう感情しか呼び起こさない者は、否定的な感情を呼び起こす者と同じ側へ置かれます。基準は近い相手ほど厳しくなります。
譲歩しないことに理由が置かれている
この判定を保留しない理由は、譲歩性の項目にまとめられています。
譲歩性. ESI〔原文: クライド〕は、悪人を生むのは原則のなさからの譲歩性であることを、疑いはしない。愚かであれ、原則のない無償の利他主義であれ — そうしたものが少なければ、悪人ももっと少なかっただろう。無意志な人々にもまた、彼らが無意志だと言ってやる必要がある、と彼は言う — 悪への寛容はすでに犯罪である。(中略)「悪い人物を許してはならない、たとえ謝罪してきたとしても。ただ、力がないだけだ。許すことはできるが、どうやって忘れるのか?(中略)悪人については、死後でさえ — 悪人だ」と、ある ESI〔原文: クライド〕が我々に語ってくれた。
この項目でアウシュラが問題にしているのは、譲る側の優しさではなく、譲られた側に何が育つかです。動機は同じ章で、倫理的関係を素早く正し、人々の道徳的地位を高めることに置かれています。証言では、許すことと忘れることが別に扱われます。
社会にとって機能的に必要な者
役割の規定は章の前半、人物像の記述に入る前に置かれています。
ESI〔原文: クライド〕 — 最も近しい周囲の倫理的・美的諸感情の、巧みな鑑定家にして操作者である。彼のこれらの諸性質ゆえに、また周囲が彼の倫理=美的評価を尊重するゆえに、彼は社会にとって機能的に必要な者となる。彼はあたかも倫理者として、情報代謝の論理タイプと社会との間の連結環、ないし媒介者の役を果たす。
周囲がその評価を尊重するという一句が、この規定を支えています。鑑定の腕前だけで役割は成立せず、評価が受け取られてはじめて機能的に必要な者になります。媒介の相手として名指されているのは社会一般ではなく、論理を扱うタイプです。
同じ役割を、アウシュラは時代の側からも書いています。
その時代の倫理的諸関係の精神に最もよく対応するものを意識的に普及させる者は、まさにこのタイプである。彼を、新しい、進歩的な倫理的諸関係を教える専門家と呼んでよい。彼は — 彼が認める倫理的諸感情と諸関係の宣伝者である。
教える専門家と宣伝者の二語が、この役割の性格を決めています。規範を受け継ぐ側ではなく、入れ替える側です。ただし普及の対象は彼が認めた関係に限られ、最初の節の判定基準が何を広めるかの範囲を決めます。
言葉ではなく視線とイントネーション
関係を動かす手立ては、別の項目に書かれています。
人々との関係を ESI〔原文: クライド〕は調整する。自分の感情を多分に表に出さず、人物を自分のところへ近づけるのは、言葉ではなく、視線とイントネーションによる。観察的、表現豊かな視線あるいは適切に投げ出された一言で、各々を「ふさわしい」位置へと適切なイントネーションで据える。視線は感情を伝える — 賛嘆、愛、献身、軽蔑、憎しみ。要となれば、視線は短刀へと変わる。
感情を多く表に出さないことと、視線が感情を伝えることが、同じ文に並んでいます。抑えられるのは表に出す量で、伝える経路は言葉の外へ移されます。賛嘆から憎しみまでが視線に載せられ、上限が短刀で示されています。
自分の可能性についてだけ評価が定まらない
潜在的可能性(Ne)を扱う側には、同じ確かさが書かれていません。
ESI〔原文: クライド〕は、自身の能力の発露において、極めて慎重である。あらゆる能力に対し非常に批判的であり、披露し誇示するのを愛さず、控え目を欠く者と呼ばれることを恐れる。自身の潜在的諸可能性についての自分の意見は、確信なく、不安定である。彼はあらゆる風の息吹に依存している、と言ってよい。
確信の切れ目が、ここで自分の可能性の側に来ます。他者の関係については結論を下すと書いた同じ章に、自己評価だけは外からの言葉で動くと書かれています。確かさと不確かさを、アウシュラはこの線で分けています。
小括します。アウシュラのESI記述の骨格は3点です。第一に、人物の判定がその人が呼び起こす感情の持続に基づくこと。第二に、その判定が、論理を扱うタイプと社会をつなぐ位置、そして新しい倫理的関係を広める役割として規定されること。第三に、他者の関係については結論を下す一方、自分の可能性についての評価だけが安定しないという書き分けです。記述は、判定の基準と当人の証言を並べる形で、定式化よりも観察の記録に近くなっています。この観察群を後の研究者がどう体系化し、どこで食い違ったかが、以降の章の主題になります。
06Reininの記述
Grigory Reininは数学者で、15の二分法特性(レイニン特性)と小集団理論の提唱者として知られます。ESIの記述は、主著『ソシオニクス:類型論・小集団』(英語版2010年)のタイプ記述と、同書第III部の状況別の助言にあります。二分法特性は15章、関係は18章で扱い、この章では人物像の記述を集めます。
読む前に1つ注意があります。Reininは機能を第1〜第4機能と陰性の第-1〜第-4機能という独自の番号で呼び、ESIでは第1=Fi、第2=Se、第3=Ni、第4=Te、第-1=Fe、第-4=Tiに対応します。当サイトの位置番号とは体系が違うので、引用の「第3機能」を位置3と読まないでください(第3=Niは位置6、第-4=Tiが位置3です)。
自信の領域—固定される態度
Reininが「自信の領域」と呼ぶ第1機能に、ESIではFiが来ます。
機能 #1 — 白い倫理(▽(Fi)):何かや誰かに対する人物の態度が自信の領域にある。この領域では人物の関係は最も重要でなく、しばしばそれらは彼に全く関係しない。ここでは彼の態度のほうがはるかに重要であり、彼はむしろそれを永久に固定しておきたいと願う。(中略)もしESI〔原文: ドライザー〕が誰かについて良い意見を形成したならば、それを変えるには何か大きな要因が必要となるであろう。彼の悪い態度や意見はなおさら変えにくい。
軸にあるのは関係そのものではなく、関係に対してとる態度のほうです。Reininは「永久に固定しておきたい」願いとして書き、良い意見より悪い意見のほうが変えにくいと続けます。評価の厳しさではなく評価が動かないことが中心です。
同じ領域は、本人の側から言葉になりにくいものとしても書かれます。
ESI〔原文: ドライザー〕の第1機能は言葉でほとんど描写することができない。本質的にそれは意識的な態度をもつことができることへの必要性である。(中略)他者や外的世界に対する個人的態度のこの領域は、強く感じられているが、貧弱にしか言語化されていない。この領域には絶え間ない活動がある。
「言葉でほとんど描写することができない」と「絶え間ない活動がある」が同じ領域に並びます。強く働いているのに言語化されないという組み合わせです。一般像が結果の側から語られるのに対し、Reininは言葉にならない性質を書きます。
無視の領域—観察者という位置
陰性の第-1機能をReininは「無視の領域」と呼びます。ESIではFe、外的な関係そのものがここです。
機能 #-1 — 黒い倫理(▼(Fe)):関係の無視。ESI〔原文: ドライザー〕は観察者である。パーティでは彼女はほとんど黙って観察している。しかし彼女は喜んで踊るだろう—彼/彼女は楽に動き、踊るのが好きだ—彼女が考えるところによれば、踊りには仲間意識も関係性もないからである。
「観察者である」という一語は第III部の助言でも繰り返されます。目を引くのは黙っていることと踊ることを同じ理由でつないだ点です。踊りには「仲間意識も関係性もない」と添え、2つの行動を関係の有無で説明しています。
創造の領域—形式と外見
第2機能は創造の領域で、ESIではSeが来ます。Reininはその中身を形式・行動・運動と書きます。
機能 #2 — 黒い感覚(●(Se)):形式、行動、運動。このタイプの本質は、洗練され上品に装う女性である。以前はブリジット・バルドーの名がこのタイプの一般的な指標として用いられた。(中略)ESI〔原文: ドライザー〕はより程度において女性的なタイプであると言うのは公正であろう—もっとも、ソシオニクスにおいては純粋に「男性的」あるいは「女性的」なタイプは存在しないのだが。
タイプの本質を「洗練され上品に装う女性」と言い切り、そのうえで純粋に男性的・女性的なタイプは存在しないと断る。Reininの書き方はこの二重です。前の節で踊りが好きだとされたのは、踊りがこの領域に入るからです。
問題の領域—内的状況の全体性
Reininが「問題の領域」と呼ぶ第3機能には、ESIではNiが来ます。
機能 #3 — 白い直観(△(Ni)):内的状況の全体性が問題の領域にある。「私の内的状況は常に完全で、安定していて、保護されているべきだ」。このタイプにとって内的平和をもつことが重要である。社会において、彼らは内的状況の安定性が保証される社会的ニッチを探す—たとえそれがより少ない金銭と威信しか提供しないとしても。
この要求のすぐあとに、社会的ニッチの選び方が続きます。金銭と威信を下げてでも安定を取る、という交換の形になっているのが具体的です。望みと、それに合わせた生活条件の選択が1つの引用で結ばれます。
この安定は、放っておいて保たれるとは書かれません。
この内的世界は、外で起こっていることと調和していなければならない。それゆえESI〔原文: ドライザー〕は、自分の内的世界を自分の周りの世界と調和させるためにより懸命に働かねばならない。(中略)当然、世界が再びESI〔原文: ドライザー〕の内的調和を乱すのにそう時間はかからない—それは絶え間なく彼の内的心理的領域に侵入してくる。
「より懸命に働かねばならない」が、ESI側の作業として名指しされています。外が乱すのを待つのではなく、内と外を合わせ続ける労力が先にある、という順序です。その作業に終わりはなく、世界は「絶え間なく」侵入すると続きます。
事実は受け取り、説明は避ける
第4機能は暗示の領域で、ESIではTeが来ます。
機能 #4 — 黒い論理(■(Te)):人物は説明によってではなく事実によって暗示される。「事実をくれ」。ESI〔原文: ドライザー〕は「説明」を必要としない—「説明するな、ただ事実をくれ、お前の解釈には興味がない!」。ESI〔原文: ドライザー〕は現実の出来事と証明された事実のみを考慮に入れる。
「お前の解釈には興味がない」は、他人の解釈を情報として数えないという線引きです。受け取るのは現実の出来事と証明された事実だけ。判断の材料は、相手の言い分ではなく起きたことの側に置かれます。
同じ「説明」が逆の側からも出てきます。「恐怖の領域」=第-4機能は、ESIではTiです。
機能 #-4 — 白い論理(□(Ti)):私の理解。ここではすべてを理解することへの恐怖がある。それゆえ、ときにESI〔原文: ドライザー〕の説明は他の人々には短く曖昧に思えることがある。このタイプは事物を説明するよりも事実について話すことを好む。彼女は事物を説明する必要のある状況を避ける傾向がある。「目の前にあって、自分の目で見ることができる事物を、なぜ説明するのか。私は知りたいのだ、何かを説明する必要はない」。
求めないのは他人の説明で、恐れるのは自分が説明することです。Reininは同じ「説明」を2つの領域に振り分け、事実を話すほうを好む・説明を要する場面を避けるという2つの行動を導きます。短く曖昧に見えるのは他人の側からの見え方です。
助言という体裁
主著の第III部は、12の状況ごとにタイプへ二人称で助言する形式です。冒頭に断りが置かれています。
ここでは意識的に厳格な文体を採らず、「クライアント — コンサルタント」状況をモデル化することを試みる。また、ここではすべてのタイプをすべての可能な状況において検討するわけではない。
「クライアント — コンサルタント」という枠が先に置かれるので、以下の「あなた」は読者ではなく、相談に来た人という設定の相手です。扱う状況を絞った限定も同じ場所にあります。助言の形は観察を渡すための様式です。
12の状況の1つ目「能動的な社会協力」の、ESI宛の項です。
あなたの本性は、要求の厳しい社会的相互作用にそれほど適応していない。自分自身を見守りなさい。しばしばあなたは観察者の立場にあり、能動的な動きをしない。社会はあまり注意深くないので、あなたが評価されないかもしれず、単に気づかれないままかもしれない。(中略)残念ながら、他人にはあなたの内なる調べが聞こえない。世界は調和を欠き、聞いてもらうにはかなりの努力が必要である。(中略)助言:感情に支配されてはならない。それは時にあなたを圧倒しうる。状況の催眠に屈してはならない。
観察者の位置が、ここでは代価とセットで書かれます。評価されない・気づかれないままかもしれない、という帰結が名指しされ、「他人にはあなたの内なる調べが聞こえない」と続きます。第1機能が言葉にならないことが、届かなさとして戻ってきます。
小括します。ReininのESI記述の軸は3つです。第一に、第1機能を関係ではなく関係への態度に置き、それが固定され言葉にならないと書いたこと。第二に、関係そのものを無視の領域に置き、観察者という位置と、形式・外見という創造の領域を同時に説明したこと。第三に、内的状況の全体性を問題の領域とし、それを保つ労力と世界の侵入を負担と書いたことです。資質を評価せずどの領域に何が置かれているかで人物像を組み立て、読者への助言という体裁まで持ち込むのがこの記述の形です。
07Bukalovの記述
Aleksandr Bukalovは、キエフの国際ソシオニクス研究所を率い、機関誌『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』を主宰してきた研究者です。この章の底本は、Bukalov名義のESIプロファイルと、機関誌に発表された本人の論文です。機能の次元性をめぐる主張は16章、クアドラ論は17章、関係の記述は18章、名前の挙がる作家と作品は22章で扱い、ここでは理論からの割り当てと、プロファイルのESI記述、そして集団への適用を読みます。
「正義」のモジュールに割り当てる
Bukalovは共著論文で、人類の進化を情報代謝の機能構造から書き直し、行動の型をモジュールとして番号で並べています。その第13が「正義」です。
権利、義務、それらの違反の感覚、怒りと復讐の感情を含む。モジュールは、行動の正しさ・誤りを評価する(つまり道徳的評価)倫理的多次元機能と、違反に対する厳しい感覚的処罰の可能性との組み合わせに結びついている。倫理感覚内向(ESI、▽(Fi)●(Se))に対応する。このタイプの代表者はしばしば、社会における行動の「道徳規範」の創造者・守護者、不道徳な行動の批判者、厳しい道徳家として登場する。
割り当ての根拠が、人物の印象ではなく二つの働きの組み合わせに置かれています。行動の正誤を評価する働きと、違反へ厳しく処罰しうる働きが揃う配置としてESIが名指されます。以下のプロファイルは、この機構が日々の行動にどう出るかの記述です。
誰が誰をどう思っているかが見える
プロファイルは、ESIが何を見ているかの名指しから始まります。
このタイプの人々は、対人関係をよく理解している—誰が誰を愛し、誰が誰を憎み、誰が誰を好きかなど。特に態度をよく感じ取り、見抜く。
見えているのは個々の人物の性質ではなく、誰と誰のあいだにどんな感情があるかです。Bukalovは「感じ取り」と「見抜く」を並べて書き、印象として受け取ることと、言い当てることを分けています。
道徳を語る好みと、作品に出る評価
観測はここから、ESIが何を話題に選ぶかへ移ります。
彼らは道徳的原則について、義務に忠実である必要性について、自分の義務を遂行することについて語るのが好きだ。もし作家であれば、登場人物の行動に対する道徳的・倫理的評価に特別な重点を置く。
要点は、語る話題が義務の側に寄っていることです。関係が見えることと、それを道徳の語で語ることは別で、後者を好みとして書いています。作家であればという条件つきの後半は、観測の範囲を本人の言動から作品にまで広げたものです。
世界の側が道徳的に欠陥している
Bukalovは、その関心が繰り返し口に出る形も書き留めています。
「ESI〔原文: ドライサー〕」はしばしば、世界は道徳的に欠陥があり、すべてのトラブルの原因はそこにあると言う。彼には独特のペシミズムがしばしば見られる。
原因の所在を一つに寄せる言い方が、ここでの中心です。道徳の欠陥は個々の相手についてではなく、世界について言われています。Bukalovはそれを独特のペシミズムと呼び、気分の暗さではなく原因の見立てから出るものとして置いています。
長期の圧力に持ちこたえる
意志の面は、行使する側ではなく、向けられる側から書かれます。
自分に向けられた長期的な意志的圧力に耐えることができ、驚くべき忍耐力とスタミナを発揮することができる。この一例がイタリアのテレビシリーズ「タコ」に出てくるカタニア署長の姿であり、彼は容赦ない粘り強さでマフィアを追い詰める—「ESI〔原文: ドライサー〕」を止められるものは何もない。
効いているのは長期的という条件です。一度の衝突ではなく、圧力がかかり続ける場面が想定されています。実例はテレビドラマの人物で、そこから粘り強さの一点だけが取り出されています。人物を根拠に置くのは、Bukalovのプロファイルに共通する形です。
自分を説明する場面
自分の側を語る場面の記述が、二つ続きます。
会話の中で、相手に何かを説明する際、「ESI〔原文: ドライサー〕」は論理的に考えようとし、時に列挙する—「第一に…第二に…第三に…」しかし、自分の行動を純粋に論理的に正当化することは必ずしもできない。
判断の中心は後半の必ずしもできないです。列挙の形は取れても、自分の行動の理由づけまでは届かない、という二段で書かれています。Bukalovは論理を使えないとは書かず、使ったうえで届かない範囲を名指ししています。
評価される側に回る場面にも、同じ向きの記述があります。
自分の能力や才能を評価されることを好まない。仕事によってのみそれを示すことができる—彼はそう信じている。
拒まれているのは評価そのものではなく、言葉で測られることです。代わりに置かれるのが仕事で、示す手段が結果の側に限られます。「彼はそう信じている」という結び方で、Bukalovはこれを本人の信条として書き、外からの評定と分けています。
集団のタイプを測る
Bukalovはこの枠組みを、個人ではなく人の集まりにも当てています。1998年に国際ソシオニクス研究所がウクライナ国立科学アカデミー社会学研究所と共同で行ったチェルノブイリ移住者の調査では、1,072通の回答が分析にかかりました。
これによりチェルノブイリ移住者のインテグラル・タイプを決定することができ、それは次にこの人々の共同体に固有の心理的特性および社会的ステレオタイプを記述するのみならず、社会的リハビリテーションに関する提案を定式化することをも可能にした。(中略)これにより、移住者のインテグラル構造を倫理感覚内向(ESI)のソシオニクス・タイプとして決定することが可能となった。彼らは論理直観外向(LIE)の社会的支援を必要としている。
決定されているのは個人のタイプではなく、集団のインテグラル構造です。社会学のデータと突き合わせたうえでESIが割り当てられ、LIEの社会的支援を要するという提案にまで進みます。タイプを個人の観察から取り出す他の研究者と、Bukalovの用途はここで分かれます。
小括します。BukalovはESIを、道徳的評価の機能と違反への処罰が組み合わさる進化のモジュールに割り当てたうえで、人物記述に入ります。プロファイルは対人の配置が見えるところから始まり、それを道徳の語で語る好み、世界そのものに欠陥があるという見立てへ進みます。意志の面は、押し返す強さではなく、長期の圧力に持ちこたえる時間の長さで書かれます。自分を語る二本は、行動を論理で正当化しきれないことと、評価より仕事で示すことを選ぶことで、どちらも自分を説明する場面の記述です。この章で読んだBukalovには、理論の側からタイプを割り当てる書き方と、具体の場面や集団の調査でそれを示す書き方が、どちらもあります。
08Stratiyevskayaの記述
Vera Stratiyevskayaは、16タイプの長文プロファイルと、クアドラ・関係中心の著書『お別れしないために』で知られる研究者です。理論編の要素定義は04章、双対(LIE)との関係記述は18章、クアドラの記述は17章で扱います。書籍のESI章は機能位置ごとに節が立ちます。この章ではそのうち、関係の原理と人物の見立て、それが行動に出るところまでを集めます。筆致は具体例が多く断定が強いのが特徴で、その強さも含めて引用します。
倫理のプログラムが課題にするもの
StratiyevskayaのESI記述は、性格の特徴ではなく、プログラムが自分に課している課題の定義から始まります。
ESI〔原文: ドライザー〕のプログラムは、まず第一に存在する否定的倫理傾向を見出し、それらを完全な根絶までと闘うことを自分の課題とする。これらの理由により、ESI〔原文: ドライザー〕にとって受け入れられるのは、自分と社会にとって不快事の可能性が最も低いと自分で見る関係だけである。
課題として置かれているのは、良い関係を作ることではなく否定的な傾向を見つけることです。関係の側にも「最も良い」ではなく「不快事の可能性が最も低い」という条件がつきます。探すのではなく残す、という向きが章の記述の下敷きになっていると読めます。
関係を作る二つの戒律と、選び終えたあと
その課題が相手との間でどう運用されるかを、Stratiyevskayaは二つの戒律という形で書きます。
最も多くは、ESI〔原文: ドライザー〕の人々との関係は二つの戒律に基づいて構築される: 「自分にして欲しくないことを他人にもするな」と「目には目を、歯には歯を」。つまり、ある人があなたに何も悪いことをしていないなら、あなたはその人に悪く接する権利がない。しかしその人が悪い行為をする能力があると予想するなら、その人を信頼しない権利があり、さらに、他人に警告するのはあなたの義務である。この動機を理解しないと、ESI〔原文: ドライザー〕がゴシップ屋、「他人の骨を洗うのを好む者」のような印象を受け得る。(中略)他人についても自分についてもゴシップを言うことを耐えられない。悪口を不値で危険な行為と考えるのである。しかし警告 — それは彼らの神聖な権利と義務であり、彼らは常にそれを擁護する用意があり擁護する術を心得ている。
外から目立つのは後半の戒律ですが、著者が先に置くのは何もしていない相手に悪く接する権利はないという前半です。信頼を引くのも警告に回るのも、悪い行為の予想が立ったあとに限られます。ゴシップ屋という印象と、悪口を「不値で危険」と見る当人の側が同じ段落にあります。
選別が済んだ相手に対しては、記述の向きが反転します。
極端主義者である。愛、友情に完全に身を捧げる。持っているすべてを、さらには持っていないものさえ与える。(友人の借金を返済するためにローンを組むこともありうる。)
極端主義者という一語が、ここでは献身の側に振られています。持っていないものまで与えるという書き方は程度の強調ではなく、選別を通った相手には出し惜しみの余地が残らない、という記述です。ローンの例を括弧で添えるのが彼女の具体の入れ方です。
人物の見立ては第一印象で決まる
では、その選別はどう行われるか。速さと正確さが同じ箇所に書かれます。
ESI〔原文: ドライザー〕は見事な人相判断者であり、極めて観察力が鋭く、ほとんど捉えられない、彼一人だけに目立つ特徴によって、人物の性格と行動の動機について非常に正確な表象を作る能力がある。
初めて自分の視野に入った各人物を、ESI〔原文: ドライザー〕はあたかも自分の貫くような「レントゲン的」視線で「解剖する」かのようである。その視線の下では、ほとんど誰も居心地よく感じない。人物の「倫理性」、彼の行動の動機についての最も正確な表象が、ESI〔原文: ドライザー〕にはまさに最初の印象によって形成される。
判断の重心は「まさに最初の印象によって」に置かれています。彼一人だけに目立つ特徴を拾う細かさと、結論の出る速さが一つの能力として並び、「レントゲン的」「解剖する」という語は、視線を向けられた側の居心地から選ばれています。
形成された否定的見解において、彼は原則として間違わない。最初の印象を放棄することに同意するとしても、それは余計に自分を再検証するためだけである。(自然はこの貴重な資質を彼に授けることで、直観と論理にあれほど恵まれなかったことを詫びるかのようである。)
断定のあとに、著者は括弧で理由づけを添えます。直観と論理にあれほど恵まれなかったことを詫びるかのようという言い方で、この鋭さは他の弱さと引き換えに置かれます。第一印象の放棄も、相手の像を書き換えるためではなく自分を再検証するためです。
見立てが外れる場面
同じ章に、その見立てが外れる場面も並びます。
倫理的洞察力にもかかわらず、ESI〔原文: ドライザー〕はしばしば友人、相談相手、パートナーの選択で間違える。しばしば、まさに彼の信頼、彼の友情、彼の感情を濫用する者にチャンスを与える。(中略)彼は他の者よりも頻繁に詐欺と投機の犠牲者となる。その結果、ESI〔原文: ドライザー〕は自分の行為、言葉、決定、関係において特に注意深くあろうとする。(他方、彼が用心深ければ用心深いほど、自分の周囲により多くの緊張と敵意を生み出し、自分のためのチャンスをより少なく残す。)
外れる相手として挙がるのは信頼・友情・感情を濫用する者で、倫理の判定ではなく利害の側です。前の引用の「原則として間違わない」と食い違って見えますが、両方が同じ章にあります。括弧の一文が対の後半で、用心を強めるほど緊張と敵意が増え、機会が減ります。
闘うことと、先に手を出さないこと
見立ては判定で終わらず行動に出ます。その出方にも条件が置かれます。
ESI〔原文: ドライザー〕は、自分の存在の全意味を構成する自分の倫理的・道徳的価値観の体系に人々を従わせる術を心得ており、できる。彼は最も少なく、社会の倫理的問題の傍観者であり続ける傾向にない。それゆえ道徳的・倫理的規範からのあらゆる逸脱と積極的に闘い、それで「闘争的モラリスト」の名声を得たのである。
行動の側の条件は「傍観者であり続ける傾向にない」に置かれています。「闘争的モラリスト」という名声は、基準の高さからではなく、その基準を外へ出すところから生じたものとして説明されています。
時に周囲の敵対的気分を感じて、ESI〔原文: ドライザー〕は自分が「攻撃」される前に「防御」を始めることがある。しかしほぼすぐに自分の非を認め、最も厳しい良心の呵責を体験する。ESI〔原文: ドライザー〕は最初に攻撃することはできない — それは彼の倫理プログラムに矛盾するのだ。
ここで条件になっているのは反撃の強さではなく順序です。敵意を感じて先に構えた場合は、ほぼすぐに非を認めて良心の呵責に変わります。闘う相手の選び方ではなく、闘い始める時点がプログラムの側から縛られています。
意志感覚を強みとするタイプは他にもいて、その違いも一文で書き分けられます。
LSI〔原文: マクシム〕の意志感覚は、ESI〔原文: ドライザー〕の好戦的・道徳家的感覚や、SLE〔原文: ジューコフ〕の行政的・「マフィア的」感覚とは違って、「軍事・行政的」性格を帯びる—ディアード「EIE〔原文: ハムレット〕-LSI〔原文: マクシム〕」の社会的特性ゆえである。
同じ意志感覚が、3つのタイプで別々の形容を与えられています。ESIに振られた好戦的・道徳家的は、力の強さではなく力が何に向けられるかの指定です。前の引用の「最初に攻撃することはできない」と重ねると、意志を動かす合図は道徳の側から出ています。
競争の場について、本人が語ったこと
章の中で一度、Stratiyevskayaは説明を止めて当事者の言葉をそのまま置きます。
勝者があらかじめ分かっているコンクールに、ESI〔原文: ドライザー〕は原則として参加しない。ESI〔原文: ドライザー〕はおしなべて健全でない競争の条件下で具合が悪くなる。(中略)「オーディション待ちの間、私は無料スープの列にいるかのように感じた。周りには失業中の、未整備な音楽家たちがいて、皆の目が悪く、飢えていた。出演しなければならなかったのは、まさに自分の競合相手たちの前であり、それは極限まで難しい — 物理的に彼らの嫉妬と不好意を感じる。なぜなら誰もがこのコンクールを自分の最後のチャンスと見なしているのだから…」
「無料スープの列」が指すのは、順番を待たされている状態です。そこから物理的に彼らの嫉妬と不好意を感じるへ進み、不快の中身が、負けることではなく評価の場に競合相手が同席していることだと語られます。著者の説明の側は「健全でない競争」の一語です。
小括します。StratiyevskayaのESI記述には3つの特徴があります。第一に、関係を選ぶ基準を消去法で書きます。良いものを探すのではなく、不快事の可能性が最も低いものを残す、という向きが冒頭の定義から通ります。第二に、能力とその代償を同じ箇所に並べます。第一印象の正確さには直観と論理の弱さが、用心深さには周囲の緊張と機会の減少が添えられます。第三に、行動に出る条件と出せない条件を対で書きます。規範からの逸脱とは積極的に闘う一方、先に攻撃することはプログラムに矛盾する、という縛りが置かれます。「原則として間違わない」のような強い言い方が続くので、読むときは表現の強さと観察の内容を分けて受け取ると使いやすくなります。
09Filatovaの記述
Ekaterina Filatovaは、簡潔な4機能の枠組みと、写真資料を併用したタイプ記述で知られる研究者です。彼女はESIを主導(Fi)・創造(Se)・最小抵抗(Ne)・暗示(Te)の4チャンネルで記述します。読むときの注意として、彼女が使うI〜IVの番号は現行の位置1・2・4・5にあたり、第IVの暗示チャンネルはTe(位置5)です。番号だけを他のモデルと突き合わせると位置がずれます。系譜の記述は02章、Fi・Seの一般定義は04章、サブタイプは20章、識別問題は21章で扱います。この章は『ソシオニクスの鏡の中の人格』のESI章と同書のクラブ「ソシアル」の比較分析、および彼女が別に書いたタイプ記述から、人物像の記述を集めます。
「守護者」という名前
Filatovaは「ソシアル」クラブの4タイプを並べた箇所で、ESIに与えた名称の理由を自分で説明しています。
内向的で合理的なESIドライザーは、控えめで、内面的には警戒心が強く、モラリストであり、道徳的な基盤の守り手であって、それを力ずくの手段によっても守り抜くことができる。それゆえ、彼の意味づけとしての名前が守護者であるのも理解できよう。彼には自制心と規律が特徴的である。何をしてはいけないかを明確に把握しており、自分の原則の番人として立ち、自分の道徳的な領域を守る。距離を置いたコミュニケーションにおいては、穏やかで協調的な人物である。しかし、自分の原則が損なわれると、厳しく、時には妥協を許さない態度を取ることもある。
名前の根拠は、面倒見の良さではなく何を守るかに置かれています。守る対象は道徳的な基盤で、手段には力ずくも数えられています。距離があるうちの穏やかさと、原則が損なわれたときの厳しさが、同じ構えの表と裏として並んでいます。
不確実性を恐れる、という理由づけ
続く段落は、その守り手が枠を求める理由を書いています。
守護者は不確実性を恐れるため、あらかじめ定められた規則の枠内にいるときの方が、はるかに自信を持って自分を感じられる。この理由から、強力な上司の後ろ盾があるときに最も自信を感じ(中略)その際、有益で重要な仕事に関わっているという感覚を得る一方で、その仕事の全体的な責任は負わずに済む—それは彼にとって道徳的にかなり重荷になることだろう。同じ理由から、軍務に非常に適していることがある。何ができて何ができないかが規定によって正確に定められている、厳格な軍隊組織の条件下では、ESIは自分に自信を持ち(中略)そこに自分の居場所を占めることができる。
ここで効いているのは観察の並びではなく、恐れから軍務までを1本の理由でつなぐ運びです。後ろ盾を求める理由は権威への従属ではなく、全体の責任が道徳的な重荷になることに置かれています。特徴を列挙せず理由を切らずに書くのが、彼女の筆致です。
伝統と儀礼という指針
ESI章では、『風と共に去りぬ』のエレンが記述の軸になります。
ESIにとって、伝統と儀礼は非常に重要であり、彼の深い確信によれば、それらは困難な状況において助けとなりうる、必要不可欠な指針である。とりわけエレンは、貧しい人々を助けようと努め、黒人女性の出産を手伝うために一晩中その枕元に付き添うことさえできる。(中略)また、ESIは如才なさを発揮する術を心得ており、無用な対立を避けようと努め、相手の話をうまく「正しい」方向へと導く。エレンの夫でスカーレットの父であるジェラルドは、必ずしもいつも上品な言葉遣いをするわけではなく、エレンはそれを巧みに正す。
規範が守るべき決まりではなく指針と呼ばれているところに、この段落の力点があります。その中身は、一晩の付き添いという行為で示されます。相手の話を「正しい」方向へ導くという後半の記述は、対立を起こさずに基準を通す振る舞いにあたります。
彼女は同じエレンの記述を、感情の見えにくさで締めます。
エレンの姿において、私たちはこの心理タイプの信念の確固たること、信頼性を特によく感じ取った。一見すると、ここには感情の入り込む余地が特にないようにさえ見えるかもしれない。しかし、そうではない。ESIの感情は深く隠されており、それに気づけるとは決して限らないのである。
「気づけるとは決して限らない」は、観察する側の限界を認める書き方です。外から見て感情が乏しいという判断を、著者が先に止めています。外見から倫理型と見抜きにくいという21章の論点は、ここから出ています。
外面は見えるが、内側は見えない
最小抵抗チャンネル(Ne)の節は、見えるものと見えないものの線引きから始まります。
起こっていることの外面はよく見えるものの、ESIはその内部の仕組みや原因をうまく思い描くことができない。人間の深い本質にも入り込みにくいため、人生の伴侶を選ぶのに長い時間をかけ、数多くの具体的な日常の状況の中で、将来の配偶者の資質を入念に確かめる—その相手は必ず信頼でき、ESIの道徳的規範に合致していなければならない。
慎重さの理由は、相手を疑うからではなく内部の仕組みが見えないからだ、と書かれています。長い時間と数多くの日常の状況という確かめ方は、見えない部分を具体的な出来事で埋める手順にあたります。
同じ節で著者は、自己評価の低さと、論理が強い機能ではないための知的な領域での力不足の感覚を挙げます。「正しさ」への固執はそこから説明されます。
ESIは自分の活動において、社会が作り上げた一定の規則と規範に従う。概して、自分の人生に何かを変えよう、何か新しいものを取り入れようとは考えつかない。それゆえに、彼は内心そうした「正しさ」を誇りとし、それにしがみつき、周囲の目に対してあらゆる形でそれを主張する。それは、起こっていることをより広い視野で見ることができないという、自分でも意識していない無力さを感じ取っているからでもある。
頑なさとして見える振る舞いを、著者は本人の自覚の外にある事情へ帰しています。「自分でも意識していない」という但し書きが、この説明を人格への評価から機能の位置づけへ移しています。
準備の段階に時間が要る
暗示チャンネル(Te)の節は、仕事の進め方に現れる負担として書かれます。
秩序を大いに好み(内向感覚—強い機能)、ESIはすべてを誠実に、丹念に行おうとする。仕事のための資料を長い時間をかけて集め、どうすればより良くできるかを長く考え抜くことができるが、準備の段階だけでも、仕事は彼から多くの時間と労力を奪う。
丹念さと負担が同じ一文に置かれています。括弧の中でSi(内向感覚)を強い機能と断ったうえで、その丁寧さが準備の段階で時間を奪うと続けており、強い機能の側から負担を説明する運びです。
別に書かれたタイプ記述では、同じ観察がTiの側に置かれています。
Ti 役割機能。 いかなる課題やプロジェクトの開始時にも、ESIは注意深く必要な資料を集め準備し、すべてを慎重に考え抜くが、その後はエネルギッシュかつ断固として行動に移る。しかし、この機能の弱さは、この準備期間が彼女の時間とエネルギーに莫大な投資を消費するという事実に示されている。(中略)客観的に優先順位をつけ、一次的なものと二次的なものを区別することも困難である。(中略)こうしてしばしば、達成できたはずのものほど達成せずに、仕事で自分を過負荷にし疲弊させることがある。
中身は同じで、帰属先だけがTe(位置5)からTi(位置3)へ動いています。どちらが正しいかは、この2つの資料からは決まりません。観察が先にあり、機能への割り当ては後から動いた、と見ることもできます。
実現の場
職業の見立てにも、規則の枠という同じ理由が効いています。
ESIは社会分野の生まれつきの働き手である。医療、あらゆる経済活動において能力を見事に実現する。動物と農業労働を愛し、軍においてふさわしい場所を見つけ、若者の教師・教育者として、世話を受ける者たちのために良い生活条件を作り出す方法を知っている。
挙がっているのは、相手が目の前にいて、世話の結果がその場で確かめられる場です。軍が並ぶのは、不確実性を避ける枠という先の理由づけと重なります。「生まれつきの」は彼女の見立てで、統計が示されているわけではありません。
小括します。FilatovaのESI記述は、4チャンネルの簡潔な枠組みの上に、名称の由来の自己解説、恐れから軍務までを1本でつなぐ理由づけ、頑なさを機能の欠けへ帰す説明を載せています。評価語を避けて構造の帰結として書く姿勢が通っています。同じ観察の帰属先が資料によってTeとTiに分かれる点は、機能の配置よりも観察が先にあることの現れとも受け取れます。
10Yermakの記述
Vladimir Yermakは、ソシオニクスをシステム工学の言葉で組み直した研究者です。タイプを「TIM(情報代謝タイプ)」と呼び、人物像ではなくモデルの帰結としてタイプを書きます。彼のESI材料はこのページの各所に既に出ています。系譜の要約は02章、Seの意味論は04章で引用しました。機能パラメータ(次元性)は16章、関係の記述は18章、同定の手続きは21章で扱います。この章で確認するのは、彼がESIを記述するときの様式そのものです。読むのは、2005年の単行本『人を理解することを学ぶには』の付録2「心のTIMモデルの記述」(Roslankinaとの共著、初出は1999年の機関誌)と、2009年の機関誌論文です。
1段落に圧縮されるESI
付録2では16の型が同じ枠で並び、各型の冒頭に「社会的(個人的)特性」の1段落が置かれます。ESIの段落は次のとおりです。
TIMの社会的(個人的)特性: 人々に対する、また人々のあいだの、否定的な関係と肯定的な関係をよく見て取り、理解する(中略)自分と身近な者たちを(中略)否定的な関係から、そして一般に「自分の輪」へのいかなる侵入からも守る用意がある(中略)それを行うのは、具体的な事の利害において(中略)出来事の展開を予測し、否定的な出来事から肯定的な出来事へ抜ける道を見いだす必要と結びついた状況に反応するときである
原文を表示
Социальная (личностная) характеристика ТИМ: хорошо видит и понимает негативные и позитивные отношения к людям и между людьми(中略)готов защитить себя и ближних от(中略)негативных отношений и, вообще, любого вторжения в «свой круг»(中略)делает это, реагируя на ситуации, связанные с необходимостью в интересах конкретного дела(中略)прогнозировать развитие событий, находить пути ухода о негативных событий к позитивным
前半が自我ブロック(Fi→Se)、後半が超イドブロック(Te→Ni)の発動条件です。守る対象は人一般ではなく「自分の輪」に区切られ、その外側は定式に入りません。逸話も評価語もなく、位置の連なりと発動の条件だけでESIが規定されています。
続く各位置には、扱う情報アスペクトの名と1文の規定が割り当てられます。第2機能に当たるSeには、括弧書きが1つ添えられています。
機能すること—情報アスペクト「意志」(「意志感覚」)において。いかなる圧力にも抵抗することができ(防御の手段としての意志的資質)、自分の見解を守り抜き、自分と最も近い周囲、すなわち「自分の輪」を守ることができる。
原文を表示
функционирование — в информационном аспекте «воля» («волевая сенсорика»); умеет сопротивляться любому давлению (волевые качества как средство обороны), отстоять свою точку зрения, защитить себя и ближайшее окружение «свой круг».
括弧の中の「防御の手段としての意志的資質」が、この位置の性格を決めています。同じSeでも、ここで書かれるのは押し出す力ではなく、受けた圧力に対して立てる守りです。守る先も「自分の見解」と「自分の輪」に限られ、外へ広げる働きは書かれていません。
個人ではなく民族に当てはめる
Yermakは2009年の機関誌論文で、この枠を個人ではなく集団に当てています。ウクライナの社会的心理の統合情報代謝タイプ(ITIM)をESIと同定し、その自我ブロックから定式を引き出します。
言い換えれば、ウクライナの民族的な社会的心理のITIMのモデルは、原理的に重要な事実を明らかにする(中略)周囲との関係におけるウクライナの民族的理念は、能動的に防御的な教義の上に有機的に立脚している(中略)イデオロギー的に重要で概念的に意義のある文書、ウクライナのイデオローグ・政治家・作家の発言、外国人の観察(「外からの視線!」)の中に、「防衛」「防御」「闘争」といった語がしばしば現れるのは偶然ではない。
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Иначе говоря, модель ИТИМа национальной социетальной психики Украины обнаруживает принципиально важный факт(中略)национальная идея Украины в отношениях с окружением органично базируется на активно оборонной доктрине(中略)В идеологически важных, концептуально значимых документах и высказываниях украинских идеологов, политиков, писателей, в наблюдениях иностранцев («взгляд со стороны!») неслучайно часто употребляются слова «защита», «оборона», «борьба» и т. п.
引き出されているのは、行動の観察ではなく自我ブロックの構成からの帰結です。関係を見る位置と守る位置が並ぶ配置に、「能動的に防御的」という向きが割り当てられます。裏づけに挙がるのも人物の逸話ではなく、文書や発言に現れる語の偏りです。
同じ論文の脚注では、この定式が誰に何を期待する形で現れるかが書かれます。
ちなみに、救世主思想のイデオロギーは、ウクライナの民族的な社会的心理の統合情報代謝タイプであるESIと十分に一致する(中略)公たち、ヘトマンたち、ロシアの皇帝陛下、ポーランドの王、タタールのハン、アタマンの頭領たち、そして現在の大統領や首相に至るまで—ウクライナはそのすべてに、守護者を、「自分の者」には善良でよそ者には善良でない存在を見たいと望んだのである。
原文を表示
Кстати, идеология мессианства вполне согласуется с интегральным типом информационного метаболизма (ИТИМ) национальной социетальной психики Украины ЭСИ(中略)князья, гетманы, российский царь-батюшка, польский король, татарский хан, батьки-отаманы и так до нынешних Президентов и Премьеров --- всех их Украина хотела видеть защитниками, добрыми к «своим» и недобрыми к чужим.
効いているのは末尾の一句で、善し悪しの基準が相手の性質ではなく「自分の者」かどうかに置かれています。守り手という役どころと、内と外で扱いが分かれることが、1文のうちに並びます。ここでESIの語で書かれているのは個人ではなく、民族の統合情報代謝タイプです。
小括します。YermakのESI記述に人物像はほとんど出てきません。あるのは要素の意味論(04章)、パラメータの次元(16章)、同定の手続き(21章)で、性格描写はその演繹の結果に置かれます。ESIについて彼の定式が名指しするのは、守る対象が「自分の輪」に区切られること、意志が防御の手段として規定されること、その内と外で扱いが分かれることの3点です。記述の検証可能性を重んじる読者には扱いやすく、行動の具体例を求める読者にとっては具体例の少ない体系です。
11Karpenkoの記述
Olga Karpenkoは、キエフの国際ソシオニクス研究所でBukalovとともに活動し、機関誌の編集にも携わってきた研究者です。ESIのまとまった肖像を書いた人ではなく、その観察は機能の位置を主題にした論文の中に例として置かれています。この章の底本は、位置ごとに語り口がどう変わるかを扱った1995年の論考、タイプに「構え」という条件を重ねた2011年の論文、第4機能だけを主題にした1999年の論文です。機能番号は当サイトの位置番号と同じ対応で、ESIでは第1機能がFi、第2機能がSe、第3機能がTi、第4機能がNeになります。要素の定義は04章、次元数は16章、超自我にあたる位置と適応の関係は03章で扱いました。引用の括弧に数字だけが残っている箇所は、アスペクトの記号が脱落したもので、数字は機能の位置を指します。
位置によって、語れる量が変わる
Karpenkoは機能の位置を、処理の強さではなくそのアスペクトについてどれだけ言葉にできるかで並べます。
第1機能のアスペクトについて語るのは、それほど容易ではない—情報があまりに畳み込まれ、圧縮されていて、いくらか常識的な時間内にはとても展開しきれないのだ。だから私たちはたいてい、大きな塊を陰に残したままにする。
語りにくさの理由が、量の不足ではなく圧縮に置かれています。展開に時間がかかるので、大半は言葉にならないまま残る。ESIでこの位置に入るのはFiで、なぜその相手と距離を取るのかを尋ねられたときに答えが短くなるのは、この形に当たります。
第2機能の側は、これと逆に書かれます。
第2機能はもっと恵まれた位置にある。これはもう、どの端を引っぱればどこに行き着くか分からない、もつれた糸玉ではない。そうではなく、こぎれいな小さな糸巻きである: 転がせば—ほら、道筋のできあがり。「お望みなら、すべてをこちらの言葉でお話ししましょう。お気に召さなければ、あちらの言葉で」。(中略)イメージやぼんやりした感じの言語から、言語そのものへの翻訳は—単純で自然である。
効いているのは翻訳の語です。内側の感じを言葉に移す作業がここでは負担にならず、相手に合わせた言い換えまで利く。ESIでこの位置に入るのはSeなので、どこまで押すかを相手ごとに加減できることが、この記述の当てはまる先になります。
残る2つの位置には、また別の言い方が与えられます。
第3機能となると、もはやそのような自由は与えてくれない。その言語は同義語やニュアンスにきわめて乏しいが、そのかわり極度に具体的で正確である—それは詩ではなく辞書である。そして第4機能の言葉少なさは、他のTIMたちを当惑させかねないほどである。
詩ではなく辞書が判断の中心です。正確さは残るが言い換えが利かない、という限定の仕方で位置3が描かれ、ESIではTiがそこに入ります。末尾の1文は位置4のNeで、言葉少なさが他のTIM(情報代謝タイプ)を当惑させる、と外から見た効果で書かれています。
構えが加わると、同じ位置から別のものが出る
2011年の論文では、タイプの上に「構え」(自分・相手・周囲・世界のそれぞれを肯定的に見るか否定的に見るかの立場)が重ねられます。次の引用は、周囲の人々を否定的に見る構え(「彼ら−」)を扱った節に置かれたものです。
それが(ESI)なら、彼は皆に、仕事は論理的に( 3)どう仕上げるべきか、自分の研究を論理的にどう裏づけるべきかを語って聞かせる。
位置3のTiが、黙る側ではなく説く側に出ています。得意だから語るのではなく、規範として蓄えたものを人に向けて出す形です。弱い位置を沈黙ではなく饒舌として書くのが、この論文でのKarpenkoの力点になります。
世界そのものを否定的に見る構え(「これ−」)の節では、位置4が名指しされます。
(ESI)。世界への基底的態度としての構え「これ−」は、この場合、可能性の直観が第4機能にある( 4)ことによって強められ、このタイプに固有でないはずの恐れや迷信を通して表現される。「黒猫が横切った。私はあっちへは行かない!」。そもそも「これ−」には恐れと迷信の増加が特徴的なのだが、(ESI)においては、これが見つけやすいマーカーになる。
説明が二段になっています。恐れと迷信そのものは構えの側から来ていて、ESIに固有のものではない。ただし位置4のNeがそれを強めるので、ESIでは見つけやすいマーカーになるとされます。固有性ではなく見つけやすさで言い分けるのは、タイプ判定の手続きに関わる書き方です。
位置4のやり方は、変えにくい
1999年の論文でKarpenkoは、第4機能を最も弱い機能としてではなく、その人の個人的経験を蓄える機能として見ることを提案します。この「個人的経験」は、機能を支える4つのベクトル(グローバル性・状況・規範・「私」)のうち第4機能に残るのが「私」だけだ、という数え方から出た名前で、Yermakが同じ位置に与える「社会的経験の機能」とは別の体系の語です。
対応する行為(アルゴリズム)もまた最大限に詳細化されており、可能な限り、不変である。「私(私の母、祖母…)はいつもこうしてきた…」—「違うやり方を試してみたら!」—「なぜ? 下手をすると、うまくいかないかもしれないじゃないか!…」。慣れ親しんだ行為の手法と行動のステレオタイプを変えたがらないこの態度は、その習得の困難さと長さによって条件づけられている。しかし、いったん人が、何らかの手法ややり方を身につけようと自らに課題を立てたなら、それに多大な努力を捧げ、その際、うらやむほどの粘り強さを発揮する。
変えたがらない理由が、好みではなく習得にかかった労力に置かれています。身につけるまでが長かったぶん、覚えた形をそのまま保つ。ESIでこの位置に入るのはNeです。末尾の1文は逆向きで、自分で課題として立てた場合には粘り強さが出るとされます。
位置4から出る、思いがけないもの
同じ論文の終わり近くで、Karpenkoは位置4を欠損の側からだけ見ることをやめます。
個性の創造的自己開示は、8つの情報チャネル—情報代謝のアスペクト—のいずれを通じても可能である。このアスペクトが第4機能に対応する場合、創造は特別な、固有の特徴を帯びる。この機能は情報的に一次元であり、それを通じて人の個人的経験が伝達されるのだから、創造は何よりもまず、独創的で、多くの点で思いがけない、独自の世界の見方として発現する。このようにして、この世界についての個人的なヴィジョンが表現され、創造的人格に固有の、あの固有で個人的な特徴が発現するのである。
一次元であることが、ここでは独自の見方が出てくる条件として書かれています。参照できる材料が自分の経験しかないぶん、そこから出るものは他人と揃いません。ESIでこの位置に入るのはNeで、可能性の見立てが定型から外れることは、不足の現れであると同時に、その人にしかない見方の現れでもあることになります。
小括します。KarpenkoのESI観察は、肖像としてではなく、機能の位置を扱う論文の例として現れます。位置を「どれだけ語れるか」で並べる1995年の論考では、ESIのFi・Se・Ti・Neが、圧縮されて語りにくいもの、相手の言葉へ翻訳できるもの、辞書のように正確で言い換えの利かないもの、言葉の少ないもの、という4つの質として並びます。2011年の論文はそこに構えという条件を足し、同じ位置3から説教が、同じ位置4から迷信が出ることを示します。1999年の論文は、位置4の変わりにくさを性質ではなく習得の労力の帰結として書き、同じ位置から他人と揃わない見方が出る条件も並べます。タイプだけでは発現の仕方までは決まらないという立場が、3本に共通しています。
12Gulenkoの記述
Viktor Gulenkoは、キエフで「人道主義ソシオニクス」学派を主宰する研究者です。その体系は標準のモデルAから離れた後発の独自体系で、独自のモデルG、DCNHサブタイプ、独自のタイプ名(ESIは「守護者」)を持ちます。用語が紛らわしいため、本章に分離して他章の記述と混ぜません。底本は『64の肖像』(2019年)のESI章と、旧プロファイルの職場記述です。引用に出てくる「役割機能」「双対機能」などの名称はモデルGのもので、モデルAの位置番号とは対応しません。DCNHサブタイプは20章で扱います。
プロファイルから—評価を口にする範囲
Gulenkoの人物紹介は、何を評価するかではなく、その評価を誰の前で口にするかから始まります。
ESIは原則的で自立的である。外見上は、均衡が取れて感情を表に出さないように見える傾向がある。人物の行動についての道徳的評価を提供するが、通常はそれを馴染みのある輪の中でのみ口にする。潜在的な敵対者や悪意ある者に対する良い感覚をもち、人々を「自分の味方」と「他者」に鋭く分ける。ESIは、相互的でない、感情が応じ合わない友情や愛情を認めない。
効いているのは道徳的評価の中身ではなく、それを口にする相手が最初から限られている点です。「自分の味方」と「他者」の線引きが評価の宛先を決め、相互的でない友情や愛情を認めないという最後の一文も、同じ線引きの帰結です。
同定の手がかりとして挙がるのは、体格や服装ではなく視線です。
ESIは特徴的な突き刺すような視線と、警戒心と抵抗の意志が書かれた顔の表情によって認識される。(中略)ESIは考えるとき、対象や人物をじっと見つめることができる。この場合、顔は陥った状況の不確実性に対する困惑を反映する。ESIは人を見るが、視線が返されると、原則として、目を逸らす。長時間同じ姿勢を保つことができる。(中略)倫理成分が強化されると、顔の表情は不満、批判的な気分、ときには怒りを描く。
判断の中心にあるのは表情の種類ではなく、視線の向きが一方通行であることです。人を見ますが、視線が返されると逸らします。評価する側に立つことと、評価されることを避けることが、1つの動作に同居しています。
内輪で口にされる評価は、助言のかたちを取ることがあります。
いかなる事柄においても、ESIは典型的に批判的で、最初に重大な短所を指摘する。あらゆる側面から状況を吟味し、感情なしに物事を解明するため、論理的・客観的であろうとする。倫理基準の違反に気づき、親しい友人の輪で会話するときは、人々の行動の個人的評価を与える。評価では、義務の概念に方向づけられる。(中略)時には否定的倫理の観点から助言を与える。それは「彼に対して思っていることを全部言いに行きなさい!」という、否定的感情の率直な表現として要約できる。
末尾の助言は、Gulenkoが「否定的倫理」と呼ぶ働きの実例です。先に重大な短所を挙げ、その場で言い切ります。前段の「感情なしに物事を解明する」と対になっているので、この率直さは当人の側では公平さの手続きにあたります。
モデルG—番号が標準体系と揃わない並び
ESI章の後半は、同じ人物像をモデルGの8つの位置に置き直します。番号が標準体系と一致するのは1番と3番だけです。
あらゆる側面から状況を分析し、客観的で一義的な結論を引き出そうとする。公の場では、乾いて感情を表に出さない人物のマスクをつける。確立された規範と実証された行動方法に依存する。すべてが常識と合理的な利己主義の観点から判断される。ゲームのルールが要求することを自分に強い、他者にも同じことを求める。物理的距離を必要とし、苛立たせる人から離れている。また、大きな人混みも避ける。
Gulenkoはここで、論理を目的ではなく手段として書いています。分析は一義的な結論を出すために行われ、結論は常識と合理的な利己主義で検算されます。ゲームのルールを自分に強い、他者にも同じものを求める、という使い方です。
取り違えが起きやすいのは6番です。モデルGの「双対機能」はモデルAの位置6ではなく、暗示機能にあたるTeを指します。
ESIは有用な結果をもたらした緊張した仕事の後で本当にリラックスし落ち着く。日常のビジネス上の事柄では実践的で、ビジネス活動に巻き込んでくれる人々を好む。周囲のものを何でも有用なものに変えることができる。機能的で美しくデザインされたものを大いに好み、有用で維持に最小限の努力で済むものを高く評価する。心地よい仕事の条件を自分に提供することができる。労働集約的なタイプの仕事を素早く遂行し、長く戻らなくてもよいようにする。仕事や習慣的な生活様式の変化にはほとんど耐えられない。
効いているのは「有用な結果をもたらした」という条件です。緊張した仕事でも、結果が出なければ落ち着きは来ません。実務へ引き込む相手が好まれるのも、機能的で美しいものが選ばれるのも、同じ条件の下です。
層状の精神モデルと、標準体系からの離脱宣言
Gulenkoは、タイプを1枚の分類ではなく、深さの違う層の重なりとして扱います。
人道主義ソシオニクスにおいて精神がどのように層が層の上に積み重なった立体的な体系として考えられているかを、より精確に見てみましょう—深い核、中間層、そして表層です。HSS のアプローチで考察される精神のすべての層の範囲は、次のようになります—ソシオタイプ(当サイトでいうタイプ)、サブタイプ、機能プロフィール、機能状態。
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Let’s look more precisely at how the psyche in Humanitarian Socionics is considered a volumetric system of layers stratified one upon another: the deep core, the middle layers, and the surface. The whole scope of the considered layers of the psyche in the HSS approach looks like this: sociotype, subtype, functional profile, functional state.
数えられている層は4つで、ソシオタイプはその最上位に置かれているだけです。サブタイプから下は場面に応じて変わる層として扱われるため、標準体系が1つのタイプに帰していた事柄が、ここでは複数の層に振り分けられます。
層を増やした結果は、標準体系の二分法との関係にも及びます。
特に、安定的な組織的リーダーになるためには、ビジネス論理(P(Te))および/または力の感覚(F(Se))が機能プロファイルの中で強化されている必要があります。この場合、SLE(元帥)またはLSE(管理者)のタイプである必要はありません。このような機能の複雑性の強化は、どのタイプの代表者にも、レイニンの周知の特性とその意味において一致しない(あるいはむしろ部分的にしか一致しない)新しい二分法的特徴があるという事実につながりました。(中略)「機能的」と強調するのは、それらが特定のコミュニケーション環境での機能発揮の過程の中で生じ、標準的なソシオニクスのタイプが持つ生得的で不変の構造とは関連していないからです。
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Such an intensification of the complexity of functions led to the fact that representatives of any type had new dichotomous features that did not coincide (or rather, only partially coincided) in their meaning with Reynin’s well-known features. […] I emphasize functional, as they arise in the process of functioning in a specific communicative environment and are not related to the innate and unchanging structure that a standard socionic type has.
一致しないと書いているのはGulenko本人です。理由も挙げられていて、彼の二分法はコミュニケーション環境の中で生じるもの、標準体系の側は生得で不変の構造とされます。出所の違う主張が混ざるのを避けるという扱いは、この自己申告に沿ったものです。
職場での「守護者」と、当人へ向けた助言
旧プロファイルには職場での姿が置かれ、「守護者」という名づけの根拠もそこにあります。
これは真面目で落ち着いた人物であり、内面では常に他者における否定的態度の表出の可能性に警戒している。彼の倫理基準は、周囲の人々の行動を評価し判断するためのプロクルステスの寝台である。行動規範に違反する者に対して批判的である。状況が生じて相手が敵意を示すまで、誰かに対する否定的態度を外に見せないことが多い。そのような場合、ESIは攻撃者に圧力をかけ、反撃された場合には抵抗し、自分の態度と立場を断固として守る。この内面の空間を外的な力の侵入から「守る」能力こそが、「守護者」の管理スタイルを定義するものである。
名づけの根拠が、庇護の意思ではなく境界の防衛に置かれています。倫理基準が他者を測る寸法として働き、それが侵されない限り否定的な態度は外へ出ません。プロクルステスの寝台は、寸法に合わない者を切り縮める神話の逸話です。
同じプロファイルは、部下としての問題領域を、そうなる理由まで含めて書きます。
不正義と非倫理的行動に痛々しく耐える。傷つきやすく、印象を受けやすい。善にも悪にも同じように応じる。他者の個人的な欠点を容易に見つける。人に対する評価の鋭さで際立つ。誰かへの態度を言葉よりも声のトーンと視線で表現する。人を「身内」と「他人」に分ける傾向がある。(中略)疑い深く、予測不可能性と曖昧さを嫌い、頻繁な変化を好まない。人の能力を客観的に評価することが難しく、そのため全ての人に自分の高い倫理基準を適用する。自分の資質を誰かに評価されることを好まない。内面では常に自分に確信があるわけではないため、抑え込もうとする者に対して過度に論争的になりうる。
最後の「内面では常に自分に確信があるわけではないため」が、それまでの列挙の理由づけになっています。評価の鋭さも、同じ基準を誰にでも当ててしまうことも、確信の不足から出るものとして置き直されます。
自己改善の節は二人称で書かれ、指摘と処方が同じ段落に並びます。
他者の利益を考慮するよう努めよ。そうすれば、彼らも今度はあなたの願いの実現を助ける気になるだろう。彼らに自然に備わっていない資質を見せるよう要求するな。個人的な欠点や、他者にある特定の資質の欠如にあまり集中するな。周囲の者の短所により寛容になるよう努めよ。
助言は、前の節で挙がった観察へそのまま返されています。「備わっていない資質を見せるよう要求するな」は誰にでも同じ基準を当てることへ、「短所により寛容になるよう努めよ」は欠点に気づく速さへ向きます。読者が当人なので、指摘と処方が離れません。
小括します。GulenkoのESI記述で一貫しているのは、倫理の内容ではなく倫理が及ぶ範囲のほうです。誰の前で評価を口にするか、いつ否定的な態度を外へ出すか。「守護者」という名づけも、問題領域を確信の不足から説明する箇所も、この範囲の話です。ただしモデルGの番号と名称は標準体系と対応しないため、本章の位置名を他章の機能位置の説明へ持ち込むことはできません。二分法についても一致しないとGulenko自身が書いているので、本章を分けているのはその申告に沿った措置です。
13その他の論者の記述
主要な研究者の記述のほかにも、ESIのプロファイルは多くの論者が書いてきました。この章では、記述の系譜を補う小さめの資料を著者ごとに短く引用します。知名度にも記述の確度にも幅があり、個人の著作ではないコミュニティ編纂の資料も含みます(出典行で区別できます)。狙いは網羅ではなく、形式がこれだけ違っても観察の中身がどこで重なるかを見ることです。
Prokofieva—一行で置かれる定式
Prokofievaのプロファイルは短く、タイプの位置づけを冒頭の一文で言い切ります。
倫理感覚型内向(ESI) は、真のストイックであり、社会の道徳的基盤の守護者である。このタイプの代表者の中には多くの弁護士、医師、調査官、教師がいる(第1機能としての関係の倫理)。
守護の対象に置かれているのは特定の相手ではなく「社会の道徳的基盤」です。続く職業の列挙も、規範の適用や人の状態の判定を仕事にする職で揃えられています。括弧の注記は、この定式をモデルの機能へ結び直すためのものです。
ESIの女性は家族への深い愛着で際立っている。仕事、子供の世話、家事という形の重く骨の折れる負担を引き受けて、ESIは自分の人生について不平を言うことなく、困難を英雄的に乗り越えていく。献身、コミットメント、安定性、信頼性において、他のどのタイプもESIに比べることはできない(創造機能としての意志的感覚)。
献身と安定性の出どころを、倫理の側ではなく意志的感覚の側に置いたのがこの記述の角度です。愛着の深さが先に来て、そこから重い負担を引き受ける力が導かれます。不平を言わないことも、感情の抑制ではなく負担の担い方として書かれています。
Meged & Ovcharov—まなざしから入る記述
外見の描写から入り、視線と表情に紙幅を割く構成を取ります。
ESIは注意深く、警戒したまなざしを持ち、時に少し恐れているか控えめに見える。何も彼の目から逃れない。すべてを記録し、分析する。(中略)ESIの笑顔はしばしば少し強制的か不安げに見える。(中略)ESIの表情はやや単調で、顔は時に凍りついたように見えることさえある。
視線の描写が「記録し、分析する」という働きの記述へ折り返しています。表情の乏しさも、感情の薄さではなく観察の姿勢の側から説明されます。外見からの同定がどこまで使えるかは21章で扱います。
Zamanskaya—判断を下すまでの手順
Zamanskayaは、人物の評価をひとつの手順として書きます。
人を感じ取る能力を持ちながらも、ISFjはすぐに最終的な結論を出すことなく、まずその人がさまざまな人生の状況でどう行動するかを観察する:この人は信頼に値するか?この人は他者にどのような影響を与えるか?ESIは特定の人物の具体的な現実の行動を観察し、内面的にそれらに倫理的判断を下す。
感じ取る能力があることと、結論を保留することが同じ文の中に並べて置かれています。材料は印象ではなく「具体的な現実の行動」に限られ、問いも信頼に値するか、他者にどう影響するかの二つに絞られます。下した判断は、その場で外へ出るのではなく「内面的に」置かれます。
ISFjは言葉による賛辞や単なる言葉、弱点につけ込む行為によって惑わされない。ISFjは人を実際の行動によって判断し、個人的・倫理的側面からその行動を分析する。ESIには愛する人々をありのまま愛し、より良くなる手助けをする勇気がある。また、自分の内なる倫理的志向に対応しない行動をとる人との関係を断つ勇気もある。
ありのまま愛することと関係を断つことが、どちらも「勇気」という同じ語で受けられています。受け入れと切断を別々の資質に分けず、同じ物差しの両端に置く書き方です。物差しに掛かるのは人柄ではなく、その人の行動です。
socionics.ua—厳しい語に理由を添える
サイトのプロファイルは特徴を短く積む定型ですが、評価の語を置くたびに理由を添えます。
一般的に人々を信用しない。なぜなら、出会う人々の個人的な資質における欠陥に鋭く同調しているからである。自分を失望させた人々、自分を傷つけた人や侮辱した人、悪意、裏切り、卑劣さ、臆病、偽善をもたらす者を許容しない。同時に、ESIは人々の変化の可能性を容易に見ないため、このような厳しい判断から思いとどまらせることが難しいことがある。
信用しない理由が、性格の閉鎖性ではなく「欠陥に鋭く同調している」という知覚の側に置かれています。判断を翻しにくい理由も頑固さには求めず、人が変わりうるという見通しの立ちにくさに求めます。
知人の行動における欠陥や、自分が暮らす社会の欠陥に気づくと、それを批判し、こうして物事の実際の状態を注意に持ち込む。しばしばESIが下す判断はあまりにも鋭く、あまりにも急いで導かれたように見えるが、これがESIの自己主張の方法である。時にはその結論は表面的に見えることがある。
「これがESIの自己主張の方法である」という一文が、批判を性格の欠点から自己主張の形式へ移しています。鋭さと速さは、そう見えるという断りつきで残され、結論が表面的に見えるという留保も同じ段落に置かれたままです。
Golihov—外に出ないものと、出るとき
Golihovは機能ごとの短評を並べる形式で、外から見える姿と本人の内側を対にして書きます。
外からは道徳家と見なされることが多い。なぜなら彼の感情と評価は人生の主要な部分だからである。しかし実際には、主要機能の「製品」は世界に出されることを好まず、しばしば自分の中に留めておくため、それが最も頻繁に表に出るのは何かが彼の評価の観点からイライラさせるときである。
「道徳家と見なされる」という外からの印象に対し、Golihovは中身が外へ出ていないことを理由に挙げます。留めておくものが表に出る条件は、評価が乱されたときに絞られます。観察者に届くのが否定の側に偏る、という順序です。
外からは、常に非常に一貫した原則的な人々に見える。常に同じことを考え、行い、語る。つまり、決して自分自身と矛盾しない。残りの人々にも同じことを期待し、このためにある人は彼らを「あまりに正しすぎる」と見なし始める。内的バランスを破壊する危険を含まない情報のみを受け入れるため、非常に頑固である。決して自分の原則と妥協しない。
一貫性という肯定の語と、頑固という否定の語が、同じ観察から続けて導かれています。分岐点は、同じ一貫性を他人にも期待するかどうかに置かれます。頑固さの理由も意志の強さではなく、受け入れる情報の条件の側に求められています。
Piatnitskiy—弱い側に条件をつける
Piatnitskiyの短評はブロックごとに数行で、位置の働きだけを削ぎ落として書きます。
隠された特徴と固有の潜在能力はもっぱら自分自身の理解に基づいてのみ推定される。それが一般的に受け入れられた理解と一致するかどうかを評価することができない。(中略)そのため、柔軟性や洞察力の欠如に関する指摘、新しい選択肢を見つける必要性に関する指摘には敏感になる。
できないことの所在が、見立てを作ることではなく、それを世間の理解と照らし合わせることに絞られています。指摘に敏感になる理由も、指摘が痛いからではなく照らし合わせる手立てがないからという順序です。弱さを能力の不足ではなく照合の不能として定式化した例です。
Beskova—外見と場面で書く肖像
Beskovaは男女別に肖像を立て、外見の描写と本人の証言を並べます。
均整の取れた優美な体つきのESI〔原文: ドライゼルカ〕は、自分の体をうまくコントロールしている—自信を持って美しく動き、まっすぐに座り、素晴らしい姿勢を見せる。服装はきちんとしていて体型に合っている。彼女の全体的な外見は立派な印象を与える。少しの肌の露出も彼女の見た目を損なうことはなく、むしろ引き立てるだけである。
書かれているのは容姿の美醜ではなく、体の使い方です。動き方、座り方、服の合い方と、本人が制御している側面が選ばれています。肌の露出についての一文も、見え方の良し悪しではなく本人の管理が及ぶ範囲の話として置かれています。
実生活からの話:「夕方に自分のために服を準備して、翌朝、天気が予報と違っていて、急いで別のものを着なければならなくなったら、一日中うまくいかないことがある。なぜなら、私の気分はこの新しい服と新しい天気に合わせて作られていなかったから。」
一日が崩れる理由が、服でも天気でもなく気分を用意する側に置かれています。前夜に組み立てたものが翌朝の条件と食い違うと戻せない、という一人称の証言です。機能の働きとして書かれることの多い内容が、ここでは生活の一場面として出てきます。
男性の肖像は、周囲への要求の出し方から入ります。
自分の内なる道徳律の厳格で厳しい遵守者であるESI〔原文: ドライザー〕は、周囲の人々に真剣な要求を課し、それを隠そうともしない。友人、同僚、親族のあいだの関係がどうあるべきかを、彼はよく知っている。このタイプの男性は、良く、思いやりのある父親になる。彼らは子どもにとって本物の友人であり、それでいて同時に、要求が厳しく多くを求める。
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Being austere and strict adherent of his inner moral code, DREISER imposes serious demands on those surrounding him and does not attempt to hide this. He knows well what respectable relations between friends, colleagues, and relatives should be like. Man of this type make for good, thoughtful fathers. They are real friends to their children, although at the same time they are exacting and demanding.
要求の出どころが、他人への不満ではなく自分の内なる道徳律に置かれています。関係が「どうあるべきか」を知っている、という言い方も、規範の側から人を見ていることを指します。父親の記述では、本物の友人であることと要求が厳しいことが打ち消し合わずに並びます。
実生活からの話。「最終学年のとき、ESI〔原文: ドライザー〕は数学の卒業試験がひどく怖くて、腕を折ろうと決めた。彼はスケートボードで加速し、最高速度でそこから飛び降り、渾身の力で欄干へ突っ込んだ。計画したとおりに、すべてが運んだ。少年は数学の試験を免除された」
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Story from real life: "Last year of school, DREISER was so afraid of the final examination in mathematics that he decided to break his arm. He accelerated on a skate-board, jumped off from it at maximum speed and, with his full force, flew against the parapet. As he planned it, so everything went. From the examination in mathematics the boy was freed."
「ひどく怖くて」という動機が先に置かれ、そこから段取りが組まれるところまでが一続きに書かれています。計画性が向いているのは試験そのものではなく、試験を避ける手立てのほうです。実話ひとつで肖像を組む書き方が、最も強く出た一例です。
その他の論者
Blohinは散文を持たず、名詞句の列挙だけで肖像を作ります。ESIの語群では、尊厳・自尊心・約束の厳守・倹約といった語と、執念深さ・恨みがましさ・秘密主義・猜疑心といった語が同じ列に並びます。何をどう観察したのかは追えませんが、語の選び方そのものがこの形式の中心を示します。Voroschenkoは、モデルAを使わずに精神医学のアクセンチュエーション(性格の際立ち)の枠でESIを記述する例で、「心配性・衒学型」という類型名を当て、不安の強さが年齢とともに減ることを挙げます。健常者の類型に臨床の類型を当てることの是非は23章で扱います。
Wikisocion編纂・Socioscope・Gulenko—「悪」を名前のあるものとして扱う
最後に、系統の違う3つの資料が同じところへ行き着く例を見ます。
ESIは人々の倫理的行動を「それがどうであるか」で評価し、「どうありうるか」や「文脈や別の人の視点に従ってどう解釈されうるか」では評価しない傾向がある。(中略)「悪は罰されなければならない」あるいは「滅ぼされなければならない」はESIのモットーの一つである。
評価の基準から外されているのは、可能性と解釈の余地です。行為を文脈でどう読めるかではなく、行われたとおりに評価する。モットーとして掲げられるのも評価ではなく処遇の側の文です。
Socioscopeは台詞や標語を見出しに置く長編で、冒頭は次の一文から始まります。
「人生は私たちにある種の義務を課している。それは私たちの存在そのものの事実から生じるものだ。」(中略)ESIの人生における三つの主要なものとは何か?それは義務、義務、そして義務だ。
義務の根拠が「私たちの存在そのものの事実」に置かれ、そのうえで「三つの主要なもの」が三度とも同じ語で埋められます。定義ではなく標語として書かれていて、誰に対する義務なのかはここでは示されません。相手が絞られるのは次の引用です。
悪は彼女にとって何か抽象的な「哲学的」理論化の領域ではない。悪は具体的な倫理的状況に、個人または集団の不道徳な行動に関わっている。それにはESIにとって常に名前があり、おそらく顔さえある。悪は滅ぼされなければならない、彼女はこのことに疑いを持たない。(中略)彼女は自分と「自分の」人々の周りに防護壁を築く—難攻不落の要塞であり、悪が自分の世界に侵入するのを防ぐと信じているもの。
二つの資料をつないでいるのは「滅ぼされなければならない」という同じ一文です。ただしSocioscopeは、そのあとに範囲を書き足します。防護壁が囲うのは世界全体ではなく「自分の」人々の周りで、悪の扱いが使命ではなく境界の内側を守る作業として置かれます。
三つ目は、倫理ではなく認知の形式の側から書かれた記述です。
ホログラフィック認知は、貫き通すような、骨格をあらわにする「X線」的な性格を持つ。それは細部とニュアンスを躊躇なく切り落とし、対象を粗く一般化して表す。(中略)ESIはまず人に近づき、それから離れ、あらゆる側面からその個人を探るかのようにして、自分を失望させうる者を切り捨てる。
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Holographic cognition has a characteristic penetrating, skeletal-revealing, 'x-ray' nature. It unhesitatingly cuts away details and nuances, giving a coarsely generalized representation of the subject.(中略)*ESI* first draws near to a person, then moves away, seeming to probe the individual from all sides, cutting off those who could let them down.
枠は違いますが、記述の終点は前の2本と重なります。近づいてから離れ、あらゆる側面から探るという順序は、Zamanskayaの書いた手順と同じ段取りです。細部を切り落とすという性格づけも、解釈の余地を基準から外すという記述と方向が揃います。
小括します。形式はばらばらです。一行の定式、まなざしからの肖像、判断の手順、機能ごとの短評、男女別の肖像、名詞句の列挙、臨床の類型、認知の形式、標語から入る長編。それでも中身には同じ観察が繰り返し現れます。判断の材料を言葉ではなく行動に置くこと、下した判断を内に留めたまま翻しにくいこと、そして悪を抽象ではなく名前のある具体として扱うこと。最後の一致は、倫理の記述と認知の形式という別の枠から出てきたもので、同じ観察が枠を変えても残ることを示します。確認した範囲では、ここに出てくる観察が前章までの研究者の記述と正面から食い違う箇所はありません。一方で、外見からの同定や臨床の類型の流用といった、方法論の側で検証が難しい記述の伝統も、この層に集中しています。
14研究者間の差分を総括する
この章には新しい引用はありません。05〜13章で示した記述を、当サイトの責任で突き合わせます(根拠は各章の引用番号のとおりです)。
反復して現れる観測
研究者・時代・学派をまたいで繰り返される観測は、次の5つに整理できます。
- 人と人のあいだの配置が見え、いったん定まった評価が動かない。「倫理=美的諸特質について結論を下す」(アウシュラ)、「それを永久に固定しておきたい」「彼の悪い態度や意見はなおさら変えにくい」(Reinin)、「誰が誰を愛し、誰が誰を憎み、誰が誰を好きか」(Bukalov)、「まさに最初の印象によって形成される」(Stratiyevskaya)、「決して自分自身と矛盾しない」(Golihov)、「人々の変化の可能性を容易に見ない」(socionics.ua)
- 判断の材料が、言葉ではなく行われたことに置かれる。「説明するな、ただ事実をくれ」(Reinin)、「人を実際の行動によって判断し」(Zamanskaya)、「仕事によってのみそれを示すことができる」(Bukalov)、「それがどうであるか」で評価する(Wikisocion編纂)、「数多くの具体的な日常の状況の中で」確かめる(Filatova)、「感情なしに物事を解明する」(Gulenko)
- 評価そのものは言葉にならず、視線と声の調子へ移る。「言葉ではなく、視線とイントネーションによる」(アウシュラ)、「言葉でほとんど描写することができない」(Reinin)、「深く隠されており、それに気づけるとは決して限らない」(Filatova)、「顔は時に凍りついたように見える」(Meged & Ovcharov)、「言葉よりも声のトーンと視線で表現する」(Gulenko)、主導機能の産物を「自分の中に留めておく」(Golihov)
- 守る範囲が線で区切られ、意志はその線の防御に使われる。「自分の輪」への侵入から守り、意志を「防御の手段としての意志的資質」と規定する(Yermak)、「自分の味方」と「他者」に鋭く分ける(Gulenko)、「難攻不落の要塞」としての防護壁(Socioscope)、「最初に攻撃することはできない」(Stratiyevskaya)、「長期的な意志的圧力に耐える」(Bukalov)、「力ずくの手段によっても守り抜く」(Filatova)
- 自分の可能性についての評価だけが定まらない。「確信なく、不安定である」(アウシュラ)、「自分でも意識していない無力さ」(Filatova)、世間の理解と「一致するかどうかを評価することができない」(Piatnitskiy)、「内面では常に自分に確信があるわけではない」(Gulenko)、「自分の能力や才能を評価されることを好まない」(Bukalov)、「下手をすると、うまくいかないかもしれない」(Karpenko)
ただし、この一致を独立した観測の収束と呼ぶことはできません。アウシュラ以後の研究者は同じ理論共同体に属し、用語も先行記述も相互に継承しているからです(ユングとKempinskiからアウシュラへ、アウシュラから後続研究者とWikisocion系の編纂へ、という継承の系譜は02章のとおりです)。3つ目については上流がさらに手前にあり、外に出る手段を持たないために冷たさと読まれるという記述は、ユングの内向的感情型の側に既に置かれていました。正確には、相互に参照し合う文献系列の中で、論者・時期・記述様式を変えて反復されてきたモチーフであり、その意味でESI記述の共有された部分と見てよい範囲です。
観測点の食い違い
一方で、単純に合成できない食い違いもあります。
第一に、規範に対する向きです。アウシュラはESIを、その時代に最もよく対応する倫理的関係を意識的に普及させる者とし、「新しい、進歩的な倫理的諸関係を教える専門家」「宣伝者」と書きます。Filatovaは同じ対象に「守護者」の名を与え、「道徳的な基盤の守り手」であり「不確実性を恐れる」ため「あらかじめ定められた規則の枠内にいるときの方が」自信を持てると書きます。Gulenkoの独自体系ではタイプ名そのものが「守護者」で、Prokofievaは「社会の道徳的基盤の守護者」と書きます。Bukalovだけが道徳規範の創造者と守護者の両方を並べています。広める対象がその人の認めた関係に限られるなら、普及と防衛は同じ判定の表と裏として両立します。ただしそれは当サイトの整理であって、原典が相互参照しているわけではありません。
第二に、見立てが定まるまでの時間です。Stratiyevskayaは人物の表象が「まさに最初の印象によって形成される」とし、否定的な見解については「原則として間違わない」と書きます。Zamanskayaは「すぐに最終的な結論を出すことなく」行動を観察すると書き、Filatovaは伴侶の選択に「長い時間をかけ」ると書き、Gulenkoは近づいてから離れ「あらゆる側面からその個人を探る」順序を書きます。像がその場で立つことと、関係を結ぶ決定に確かめの手順が要ることを分ければ両立しますが、それも当サイトの整理です。同じ食い違いは1人の研究者の内側にも残っています。Stratiyevskayaの章には、「原則として間違わない」と「しばしば友人、相談相手、パートナーの選択で間違える」が並んでいます。
第三に、意志感覚がどこに出るかです。Reininはそれを「形式、行動、運動」とし、タイプの本質を「洗練され上品に装う女性」と書きます。Beskovaも「自信を持って美しく動き」姿勢と服装が整っているところから肖像を立てます。一方Yermakは同じ位置を「防御の手段としての意志的資質」と規定し、Bukalovは「長期的な意志的圧力に耐える」忍耐として、Gulenkoは敵意を示されたときに「攻撃者に圧力をかけ」ると書きます。形として現れる面と力として現れる面に分ければ両立しますが、Reininは踊りの好みまで同じ位置の話として書いており、要素の区別だけでは整理し切れない部分が残ります。これも当サイトの整理です。
第四に、主張の強さの水準です。Filatovaは本人写真の集合を添え、Meged & Ovcharovはまなざしと表情から記述を始め、Gulenkoは「特徴的な突き刺すような視線」で認識されると書き、Beskovaは体の使い方と服装から書き起こします。Voroschenkoは精神医学のアクセンチュエーションの枠をそのまま当てます。いずれも原理としては検証できる形の主張ですが、追試の記録は確認できません(23章)。同じ対象についてYermakは外見に触れず、要素の意味論とモデルからの演繹だけで書きます。
これらの食い違いは、3つの経路から生じていると読むことができます。1つは観測された場面の違いで、内輪か初対面か、平常時か敵意を向けられたときかで同じ人の現れは変わります。1つは用語の体系の違いで、Reininは機能を陰陽の番号で呼び、Filatovaは4つのチャンネルで書き、Gulenkoは独自のモデルと独自のタイプ名を使うため、同じ語が同じ位置を指すとは限りません。準備段階に時間と労力を奪われるという同じ観察を、Filatovaが著書ではTeの側に、別のタイプ記述ではTiの側に置いているのも、この経路にあたります。もう1つは継承の経路の違いで、アウシュラを直接読んだ層と編纂資料を経由した層では、受け取った記述の粒度が違います。いずれも文献の側の事情であって、観測された側の性質ではありません。
記述ジャンルの偏り
05〜13章の資料は、記述の様式が研究者ごとに違います。アウシュラは判定の基準と社会での役割の規定を並べ、そこへ当人の証言を差し込みます。Reininは機能ごとに領域の名を与えた定式を並べたうえで、「クライアント — コンサルタント」という設定で本人へ二人称で助言する節を別に置きます。Bukalovは進化のモジュールへの割り当てという理論の側と、テレビドラマの人物、1,072通の回答による調査を、同じ枠の中で使います。Stratiyevskayaは「極端主義者」のような強い断定と、友人の借金のためのローンやオーディションの待ち時間といった生活の具体を交互に置きます。Filatovaは4つのチャンネルの簡潔な枠に、小説の主人公と本人写真という2つの外部資料を添えます。Yermakは人物像を書かず、位置の連なりと発動の条件だけで型を並べ、同じ枠を民族の統合的なタイプへ当てます。Karpenkoは肖像を書かず、機能の位置を主題にした論文の例としてESIを置き、そこへ構え(自分・相手・周囲・世界を肯定的に見るか否定的に見るか)という条件を重ねます。Gulenkoは独自体系の内側で、視線と表情から人物像を組み立て、当人へ向けた助言の節まで置きます。その他の論者の資料はさらに幅が広く、一行の定式、まなざしからの肖像、判断の手順、機能ごとの短評、男女別の肖像と実話、名詞句の列挙、臨床の類型、標語から入る長編が並びます。演繹だけで書くYermakと、実話だけで書くBeskovaのあいだに、引用した論者はこの幅のどこかに位置します。どの様式の記述を読んでいるかを意識することが、原典を扱う最低限の作法になります。
この総括の使い方
ESIについて確からしいのは、複数の文献に反復して現れる5つの観測です。ただしこれは文献上の反復であって、独立した実証による確認とは区別が必要です(23章で扱います)。逆に、単一の研究者にしか現れない記述—写真による同定(Filatova)、構えごとに現れが変わるという条件づけ(Karpenko)、タイプの本質を「洗練され上品に装う女性」に置く規定(Reinin)、認知の形式の側から書く記述(Gulenko)、精神医学の類型の流用(Voroschenko)—は、その研究者の主張として帰属つきで扱う必要があります。個人ではなく集団の統合的なタイプへ当てる用法も、BukalovとYermakの2人に限られます。以降の章(15〜23章)は、この区別を前提に、二分法・次元性・クアドラ・関係という理論の各論へ入ります。
15二分法から見るESI
二分法は、16タイプを8対8に分ける切り口です。基礎になる4つ(外向—内向、直観—感覚、論理—倫理、合理—非合理)はユングに由来し、ESIは内向・感覚・倫理・合理に属します。Reininはこれを15の特性へ広げました。この章では基礎4つの原典定義、15特性でのESIの極、クラブ(小集団)を見ます。特性ごとの一般解説は二分法のページにあります。
基礎の4二分法—内向・感覚・倫理・合理
内向は、ユングが外向を定義したうえで反対側に置いた極です。
対象や客観的事実への指向性が非常に強く、最も頻繁に行われる重要な判断や行動が、主観的な価値観ではなく客観的な関係性によって決定される場合、これを外向的態度と呼ぶ。
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when the orientation to the object and to objective facts is so predominant that the most frequent and essential decisions and actions are determined, not by subjective values but by objective relations, one speaks of an extraverted attitude.
分かれ目は「主観的な価値観ではなく客観的な関係性によって決定される」の一句です。ESIはこの反対側で、判断の決め手は主観の側に残ります。02章で見た内向的感情の定義は、その感情版にあたります。
合理—非合理には、ソシオニクス側からの定義があります。
合理的人格タイプは合法則的なものに方向を定める—そのため彼らは周囲の環境と一貫して、計画的に、合法則性を観察しつつ、結論に基づいて相互作用する。あらかじめ自分の行動を考え、置かれる状況をあらかじめプレイし、何より重要なのは、そこからの出口を考え抜こうとする傾向で区別される。(中略)非合理タイプは予測不能、振る舞いの自発性で区別され、即興の状況においてよりよく感じ、合法則性ではなく偶然性に多く方向を定める。
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Рациональные типы личности ориентируются на закономерное — поэтому они взаимодействуют с окружающей средой последовательно, планомерно, наблюдая закономерности и основываясь на выводах. Отличаются стремлением заранее продумывать свои действия, заранее проигрывать ситуацию, в которую они попадут, а главное — продумывать выход из нее. […] Иррациональный тип отличается непредсказуемостью, спонтанностью поведения, он лучше себя чувствует в импровизированной ситуации, больше ориентируется на случайности, а не на закономерности.
ESIが置かれるのは前半です。先に組み立てられるのは段取りだけでなく、相手とどこまで付き合うかの判断でもあります。合理が指すのは判断機能が主導だという構造で、慎重さの多寡ではありません。
残る感覚と倫理は自我の2機能の組で、感覚は第二の要素の側に来ます。アウシュラはその配置の現れを書いています。
第二要素の位置に感覚をもつ個体は、受け入れられた秩序からのいかなる逸脱も過大に鋭く察知する。彼らの眼差しが多くの人に不快で棘があり悪意あるものに見えるのはおそらくそのためだろう。家庭の秩序(特に心理的に補完する者が周囲にいないとき)を規範にし、時間や体力のコストを惜しまない。
要になっているのは「いかなる逸脱も」の範囲です。物の配置から人の振る舞いまで対象が切れ目なく続くので、当人には見張っている自覚がありません。眼差しへの言及は、その気づきが表情に出るという観察です。
15特性でのESIの極
Reininはユング由来の4つに11を足しました。ESIの極は、基礎の4つに果敢・客観主義・民主主義・質問・静的・戦術・構成主義・資源・臨機応変・結果・否定が加わります。以下は、このうち散文の記述が残る4つです。
静的—動的から。
A.アウグスティナヴィチューテによれば、静的タイプは対象の不変的特性により多くの注意を払い、適応する必要があるときには、より柔軟で能動的である。動的タイプは対象の変化する特性により多くの注意を払い、可動性が低く、観察を好む。この特性は、心理的可動性の度合いに従ってソシオンを2つの部分に分割する。すなわち、8つの静的タイプ、8つの動的タイプである。
名前と中身が逆に見えます。静的の側が「より柔軟で能動的」とされ、動的の側に「可動性が低く、観察を好む」が当てられている。ESIは静的で、注意が向くのは変わらないほうの性質です。
戦術—戦略では、アウシュラがESIを戦術の側に置き、待ち時間への反応として書いています。
ESI〔原文: クライド〕は本物の戦術家として、待つことだけでなく、待つことを恐れる。たとえば、もし彼が知っているなら、チケットを買って、一週間後には演劇に行かねばならない、神経質になる、束縛を感じ、不自由を。
一週間先の予定が決まっていること自体が拘束として体験される、という観察です。戦術の側が、能力としてではなく、先に置かれた枠へ自分を合わせられない負担の形で書かれています。
構成主義—情緒主義は、関係の始め方の違いに置かれています。
この分割は、関係性の確立の異なる方法に基づいてなされる。「構築型」の人々は「ビジネス」会話を気軽に始め、対話のかなりの部分をビジネスに捧げる(たとえビジネスがまったくないとしても、彼/彼女は連絡を取り続けるための理由を考え出すだろう)。「情動型」の人々にとっては、対話の感情的側面が非常に重要であり、関係を始めるのにそれだけで十分である。構築型の人物は、ビジネス上の理由でのみ誰かに近づく。情動型の人物は、感情が誰かに近づくのに十分な理由であると考える。
引用の「構築型」は構成主義の別訳で、ESIはこちらです。書かれているのは冷たさではなく手続きで、近づくには理由が要り、無ければ理由のほうを作る。倫理が主導のタイプが感情の側に来ないのは、名前の印象と逆です。
否定—肯定には、Gulenkoが社会的な現れまで続けた記述があります。
否定タイプ は状況を評価するに際し、そこに欠けている性質を識別する。例えば「天気は悪くない、空に雲がない」。(中略)社会的レベルでは、肯定/否定は、知り合いの初期段階における他者への信頼の度合いとして現れる。肯定タイプは、否定タイプよりもはるかに見知らぬ人を信頼する。否定タイプは信じやすくなく、用心深い。
評価が不足の側から立ち上がる、という説明です。ESIは否定の側で、初対面の相手を信じにくいという現れが同じ特性の続きに置かれます。用心深さを性格ではなく認識の順序に帰した点が力点です。
極の実測と、15特性の使いどころ
BukalovとKarpenkoらは、15特性と性別の結びつきを集団のデータで調べています。
レイニン特性 [3, 5, 10] と性別との結びつきの分析は、たった一つの特性—論理‐倫理—が「男性‐女性」特性と十分に高い度合で相関することを確認している。すなわち女性の68%は倫理タイプ、男性の71%は論理タイプである。
15のうち性別と相関したのは1つだけ、という結果です。残る14の極は男女で分かれません。同じ著者たちは、この1軸を含む形でESIを名指しします。
同時に、タイプ ESI (ドライザー) —倫理、静的、民主、感覚—は、より多く女性ステレオタイプ行動に対応する。これは [10] でなされた、「父‐男性」と「母‐女性」のタイプ的イメージに関する結論と一致し、タイプの「男性性‐女性性」議論に新たな転回を与える。
4つの極が並べて書かれています。ただし前の引用に照らせば、対応を支えるのは倫理の1軸で、静的・民主・感覚は寄与しません。結ばれているのも当人の性別ではなく、職業集団で期待される行動の型です。
一覧の使い道については、Karpenkoが手続きの側から書いています(引用中のTIMは情報代謝タイプ)。
逆に、異なるTIMの代表者の間に現実に観察される類似は、その任意のペアで15のうち8つのレイニン特性が一致するという事実を通して、形式的表現を得る。タイプ判定を行うエキスパートは、この類似を見て取り、形式的に名指す可能性を得る。そのうえ、類似した2タイプの現れを区別するのに必要な細部をどの領域で探すべきか—すなわち残りの7つのレイニン特性の中で—についての明晰な表象を得る。まさにこのゆえに、レイニン特性の意味論の精密化は、ソシオニクスの今後の発展にとって非常に大きな意義をもつのである。
支点は「15のうち8つ」という数です。どの2タイプでも半分以上の極は同じなので、ESIとEII・SEI・LSIのように似て見える相手との差は残る7つにしかありません。一覧はタイプを当てる道具ではなく、違いを探す場所を絞る道具です。
クラブ—社交者(SF)
論理—倫理と直観—感覚の2軸の組み合わせは、16タイプを4つのクラブ(小集団)に分けます。ESIは感覚と倫理の組です。
社交者: 感覚型かつ倫理型(SF)、すなわちSEE、SEI、ESE、ESI。
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Socials: sensing and ethical (SF), or SEE, SEI, ESE, and ESI.
ESIの双対LIEはここにいません。LIEが属するのは直観と論理の研究者クラブ(NT)で、双対のペアはクラブを異にします。強い2要素が完全に入れ替わることは、18章の双対の記述を読む前提になります。
小括します。ESIの位置は内向・感覚・倫理・合理で、基礎の4軸からReininの15特性まで、確認した範囲では資料間の食い違いがありません。動いているのは帰属ではなく、極の名前と中身の対応です。静的の側が適応時にはより能動的だとされ、倫理が主導のタイプが「構築型」に置かれ、「否定」が用心深さの説明になる—名前から中身を推すと外れます。統計で性別と相関したのは論理—倫理の1軸だけで、ESIに付きまとう女性像はここに由来します。特性を1つずつ当てて像を組むより、似たタイプとの差が残り7つのどこにあるかを探すほうが、この一覧の使い道に近いと考えることもできます。
16機能の次元性とESI
機能の次元性は、各機能位置が参照できる情報の幅を1〜4次元で記述する後代の拡張理論です。提唱者はBukalovで、Yermakがパラメータの定式化を整備しました。通説では、位置1と位置8が4次元、位置2と位置7が3次元、位置3と位置6が2次元、位置4と位置5が1次元とされ、ESIではFiとSiが4次元、SeとFeが3次元、TiとNiが2次元、NeとTeが1次元に当たります。この章では、起源の主張、パラメータの定義、次元の割り当ての根拠、そしてESIへの適用を原典で確認します。
起源—Bukalovの主張と8つの位置への配分
著者によって1990年に発見された、情報代謝機能(心的機能)の情報処理パラメータの次元性 [9] は、人間の思考と行動の特徴、特定の型間関係のニュアンスを正確に記述することを可能にし、国際ソシオニクス研究所のスタッフおよび他のソシオニクス専門家による専門家・コンサルティング業務において実用上の重要な応用を持つ [10, 14]。
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Обнаруженная автором в 1990-м году мерность параметров обработки информации психических функций или функций информационного метаболизма [9], позволяет точно описывать особенности мышления и поведения человека, нюансы конкретных интертипных отношений и имеет значительные практические приложения, используемые на практике в экспертно-консультационной работе как сотрудников Международного института соционики, так и других специалистов по соционике [10, 14].
Bukalov自身は発見を1990年と書いています。裏づけとして置かれているのは理論の導出ではなく、専門家業務での使い勝手です。配分そのものは、同じ著者が別の論文で8つの位置すべてについて書いています。
最初から始めるなら、もちろん思い出すのは、人間 ― より正確にはその情報代謝タイプ ― には、第1機能 ― 4次元、第2 ― 3次元、第3 ― ロール、2次元、第4 ― 機能は1次元、あるいは「最も抵抗の少ない場所」とも比喩的に呼ばれる:つまり弱く非常に敏感な機能。第5機能 ― 暗示的、または示唆の機能、第6 ― 活性化、活性化の機能、第7 ― コントロールし、第8 ― デモンストレーションのもの。
数の割り当てと同じ文の中で、第4機能には「最も抵抗の少ない場所」という別名が与えられています。配分は強さの序列であると同時に、負荷のかかる位置の指定でもあります。ESIでそこに置かれるのはNeで、第5から第8には数ではなく役割の名が与えられています。
4つのパラメータ—Yermakの定義
次元を数えるための4項目を、Yermakは経験・規範・状況・時間の順に定義します。
Ex(英語 experience から)—経験のパラメータ —出生時からの、人生を通じて意思決定と影響の執行の過程で人間が獲得した、個人的(Ex)または人格的(社会的)経験(Ex*)の特徴。(中略)Nr(規範 norm から)—規範のパラメータ —意思決定または管理影響の執行の過程で遵守すべき規範、規則、習慣、認められた手法、基準(個人的—Nr または社会的—Nr*)の特徴。(中略)St(英語 situation から)—「状況」のパラメータ —意思決定または管理影響の執行の条件、「情況」(個人的 St または社会的 St*)の特徴。(中略)Tm(英語 time から)—パラメータ的時間 —意思決定または執行がなされる、過去・現在・未来の個人的(Tm)または社会的(Tm*)時間の瞬間。
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® Нх (от англ. ехриепсе) — параметры опыта — характеристика индивидуального (Ех) или личностного (социального) опыта (Ех*), полученного от рождения и наработанного человеком в течение жизни в процессе принятия решения и исполнения воздействий ; (中略) ® М (от англ. погт) —- параметры норм - характеристика норм, правил, обычаев, принятых приёмов и стандартов (индивидуальных — Мг или социальных — Мг *), которых следует придерживаться в процессе принятия решения или исполнения управляющих воздействий “; (中略) ® 5 (от англ. 5ИлаНоп) — параметры “ситуации” - характеристика условий, "обстановки" (индивидуальной 51 или социальной 5*) принятия решения или исполнения управляющих воздействий; (中略) ® Тт (отангл. ите) - параметрическое время — момент индивидуального (Ти) или социального (Ти\*) времени в прошлом, настоящем или будущем относительно которого принимается или исполняется соответственно индивидуальное или социальное решение; иными словами, время как точка на шкале времени, т.е. как параметр "привязки" обработки информации к некоторому моменту в прошлом, настоящем или будущем.
1次元は経験、2次元は経験と規範、3次元は状況まで、4次元は時間までを参照する積み上げです。ESIで1次元に当たる位置4のNeと位置5のTeは、この読み方では自分が経験した範囲の外へ出にくいことになります。Bukalov側は同じ4つを別の語彙で呼びます。
次元性を考慮した情報代謝機能の一般構造を、グローバル性、状況、規範、個人的経験のベクトルによって図的に表されるとおり、思い出しておこう。
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Напомним общую структуру функций информационного метаболизма с учетом мерностей, графически выражаемых векторами глобальности, ситуации, норм и личного опыта.
Yermakの「時間」に対応する4本目のベクトルを、Bukalovは「グローバル性」と呼びます。同じ理論の内部でも語彙が統一されていない点は、原典を読むときの注意点です。
次元の割り当て—規範のベクトルとその上
経験の次に加わる規範のベクトルが何を指すかを、Bukalovは管理のレジームという言い方で説明します。
それでは2次元管理レジームを考察する。管理空間内の個別経験のベクトルに加えて、新たなパラメータ—規範のベクトル—が現れる。これは他ならぬ情報代謝タイプ(TIM)そのもののステレオタイプ的反応である。(中略)すなわちTIMの働きの自動的テンプレートである。
規範と呼ばれているのは、外から与えられた規則ではなくそのタイプ自身の自動的な反応です。ESIで2次元に当たるのは位置3のTiと位置6のNiで、この読み方では、そこで出るのは筋道や見通しの検討ではなく型どおりの応じ方になります。3次元より上を、Yermakは時間パラメータの有無で言い直します。
知性の機能(「知性」—第1機能)は4次元—受容される社会的に有意な(人格的)情報を全面的に処理し(アイデア、課題の解決などを探す)、これには時間パラメータについて(過去、現在、未来において)の処理も含まれる;(中略)社会的創造の機能(「創造」—第2機能)は3次元—「創造する」、すなわち過去、現在、未来のある時間の瞬間に対して知性の機能が見出した社会的に有意な決定、アイデア、思考を実現する。ここから社会的経験、状況、規範の考慮が現れるが、創造機能は時間パラメータについて不変(独立)である
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– функция интеллекта («интеллект» — ф.1) четырѐхмерна — всесторонне обрабатывает воспринимаемую социально значимую (личностную) информацию (ищет идею, решение задачи и т. п.), в том числе и по параметру времени (в прошлом, настоящем или будущем), функция социального творчества («творческая» — ф.2) трѐхмерна — «творит», т. е. реализует социально значимые решения, идею, мысль, которые найдены функцией интеллекта относительно некоторого момента времени в прошлом, настоящем или будущем — отсюда учѐт социального опыта, ситуаций и норм, но инвариантность (независимость) функции творчества по параметру времени (функция «творит» в той точке или в том периоде на временной шкале, которые ей определила функция интеллекта (ф.1));
分かれ目に置かれているのは処理の量ではなく、時間パラメータを扱うかどうかです。ESIに当てはめると、Fiは過去に築いた関係も、いま目の前にある関係も、この先どうなるかも同じ枠で扱い、Seは時間から独立に、そのつどの場面に対して働くという区別になります。
ESIへの適用—4次元のFiと規範の論理
4次元の第1機能に何ができるとされるかを、Karpenkoは次のように書きます。
第1機能の四次元性はその包括的な性格を与え、その持ち主に、対応するアスペクトにおいて、状況や規範、さらには個人的経験が課す枠や制限を乗り越えることを可能にする。(中略)この機能の四次元性は、世界の慣れ親しんだ幾何学を「引き裂き」、新しい地平を開き、アイデアと発見と予見を贈り届ける。
Karpenkoが第1機能に与えているのは処理の正確さではなく、枠を越える性格です。ESIでその位置に入るのはFiなので、越える対象は誰とどうつき合うかについての状況・規範・自分の経験になります。この対応づけは当サイトの整理で、Karpenkoは要素を特定していません。
何らかの平均的な経理を取れば、通例どんな経理にも非常に多くの合理的倫理タイプがいる。なぜか?経理は ― 計算、計算、論理圏のように見えるのに、なぜかそこには多くの倫理タイプの人格がいる。だが答えは単純であることが分かる:機能には創造的 ― 多次元と、規範的 ― 低次元のものがある。そしてあらゆる経理は99%、非常に厳格に規定された規範的活動分野で、何かを思いつく必要はなく、ただ厳密に指示に従うだけ。(中略)それで、すべての合理的倫理タイプは、実際そこで穏やかに働く、彼らには規範的な2次元論理がある。
ここでBukalovは、次元の数を職業の向き不向きにそのまま接続しています。ESIの論理は位置3のTiで2次元に当たり、規定が細かく定まっている場ほど負担が小さいという読みになります。強い機能ではなく、規範までで足りる機能のほうが持ち場を得るという向きです。
強い主張への注記
次元性理論には、検証手続きが示されないまま数値を伴う強い主張も含まれます。
心的機能の次元性の階層は、注意・記憶・思考の容量の階層を定める。生物種が違えばこれらの容量は大きく異なりうる。我々が示したとおり、人間にとって次元性の階層は、記憶・注意・思考の容量に関する「ブカロフの魔術的列」を定める:7±2、10±1、17±1、27±1。最初の数はミラーの「マジカル・ナンバー」7±2および作業記憶(オペレーショナルメモリ)の容量に対応する。心的機能の次元性に結びつけられた各ベクトルに、それぞれの注意・思考・記憶の容量を対応させることができる [6–13]。
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Иерархия мерностей психических функций задает иерархию объемов внимания, памяти и мышления. Для разных биологических видов эти объемы могут очень сильно различаться. Так для человека, как было показано нами, иерархия мерностей задает «магический ряд» Букалова для объемов памяти, внимания и мышления: 6(±1), 10(±1), 16(±1), 26(±1), в котором первое число соответствует «магическому числу» Миллера и объему оперативной памяти. Каждому вектору, связанному с размерностью психической функции, можно сопоставить свой объем внимания, мышления и памяти [6–13].
接続先はMillerの7±2で、これは認知心理学の古典的な作業記憶の目安です。そこから10±1、17±1、27±1という系列を導き、次元の階層と対応させています。この系列を支える独立の実験データは、当サイトが確認した範囲では引用文献の外に示されていません。
小括します。次元性は、ESIの強いFi・Siと弱いNe・Teを、参照できるパラメータの数として言い直す装置です。関係の評価を過去から先までひと続きに扱えるという記述と、目新しい見立てが自分の経験の外へ出にくいという記述が、同じ軸の両端に並びます。一方で、4本目のパラメータの呼び名は著者ごとに違い、次元の数を外から測る手続きも示されていません。理論運用上の弱点は23章でまとめます。
17ガンマ・クアドラのESI
ESIは、SEE・ILI・LIEとともにガンマクアドラを構成します。4タイプが共有する価値要素は、内向倫理(Fi)・外向感覚(Se)・外向論理(Te)・内向直観(Ni)です。この章では、原典の定義、呼び名の揺れ、ガンマの気風の記述、そのなかでESIに割り当てられた持ち分を確認します。相手ごとの関係の向きは18章です。
クアドラとは何か—アウシュラの規定
クアドラという単位を最初に定義したのはアウシュラです。
クアドラ。 クアドラとはソシオンの4分の1であり、四つの情報代謝タイプから構成される。そのうち互いに活性化する二つの双対ダイアドのうち、一方は一つの社会的進歩の環に、他方はもう一つの環に属する。クアドラの参加者を結びつけるのは一定の関心の共通性であり、そして最も重要なことに—紛争の可能性の不在である。互いにつねに理解し合い、言葉の背後にも行為の背後にも何ら不快なことを気づかない。際立って実り多く生産的な共同作業。
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Квадра. Квадра — одна четвертая социона,' об-` разованная из четырех типов ИМ или двух активи- зирующих друг друга диад, одна из которых отно- сится к одному, другая — к другому кольцу соци- ального прогресса. Участников квадры объединяет определенная общность интересов, а главное — от- сутствие возможностей конфликта. Друг друга они всегда понимают, за словами и поступками не заме- чают ничего обидного. Исключительно нлодотворна и производительна совместная работа.
条件として挙がっているのは、関心の共通性と、紛争の可能性の不在の2つです。どちらも個人の資質ではなく、4人が揃ったときの関係の状態を指しています。ガンマの中身はこの定義では決まらず、後代の研究者がそれぞれの語で埋めます。
呼び名の揺れ—「第二」とガンマ
アウシュラの同書はクアドラをギリシャ文字ではなく順序数で呼び、ESIを含む組は「第二」として登場します。
第二。 論理直観外向と倫理感覚内向、感覚倫理外向と直観論理内向。
列挙は情報要素の組み合わせで書かれ、ESIは最初の対の後半「倫理・感覚的イントロティム」に当たります。4タイプはLIE・ESI・SEE・ILI、いまガンマと呼ばれる組です。同じ著者の別の著作には、ギリシャ文字の名で呼ぶ記述もあります。
悲劇主義と感情的高所恐怖症への傾性が、ベータとガンマのクアドラに固有である、また — 最も真面目なものをファルスとコメディに転じる傾性 — アルファとデルタのクアドラに。
番号とギリシャ文字が、同じ著者の中で併存しています。呼び名は資料間で揺れるため、クアドラの照合は構成タイプで行うのが安全です。内容の側では、悲劇主義でガンマと組になるのはベータで、後で見る民主・貴族の軸とは相棒が入れ替わります。
気風の記述—実利の基準と関係の倫理
Gulenkoは、ガンマで何が認められるかを一語で置きます。
γクアドラの根本価値は実利主義である。ご存じのように、それはアングロサクソン諸国の伝統的イデオロギーに基づく。実利主義の哲学においては、利益をもたらすすべてのものだけが本当に認められる。絶対的真理、あるいはそれへの欲求さえ拒否される。
Gulenkoはガンマを情報要素ではなく、既存の哲学の名で押さえます。認める基準は利益に置かれ、絶対的真理もそれへの欲求も拒否されます。では実利で測れない人と人との関係はどう扱われるのか。Karpenkoはそこに次元数で答えます。
しかし関係の倫理(▽(Fi))に目を向ければ、別の絵が見えてくる。第3クアドラ(ガンマ)はこのアスペクトで真の革新者ぶりを見せることができる。γクアドラには、通例にない、伝統に沿わない関係の形態への寛容と忍耐の精神が君臨している。それでいて、現実の人々とその関係は、厳しい批判と非難にさらされることがある。実のところ、情報アスペクトの多次元性は、個別に取り上げた事実や出来事についてこのアスペクトで言い表しうる判断の、多次元性と多様性を前提とするのである。
判断が分かれる語は「寛容」と「厳しい批判」です。許容されるのは関係の形態のほうで、目の前の人とその関係は評価の対象になる、という分け方になっています。Karpenkoはこの幅を、アスペクトの次元数の高さから説明します。意志感覚にも彼は同じ順位を与えます。
他方、意志感覚(●(Se))のアスペクトでは、第3クアドラ(ガンマ)の代表者はソシオン全体にハンデをやれるほどである。力の配置を評価し、相手の弱点を見抜き、それに付け込み、それでいて他のタイプの意志的・力的な要求を屈託なく無視するか軽蔑的に退けることにかけて、彼らに勝る者はいない。(中略)力の相互作用の枠の外では、第3クアドラの黒い感覚は、一方では世話をし、守り、庇護のもとに置こうとする志向に、他方では周囲の空間の形と色との活発な相互作用に現れる。
「ソシオン全体にハンデをやれる」という比較が、この段落の評価の中心です。押し引きの場面だけでなく、世話をし、守り、庇護のもとに置こうとする志向も同じアスペクトの現れとして並びます。力の側で終わらせない点が、Karpenkoの扱いの特徴です。
Reininは、同じクアドラを関係様式の軸から特徴づけます。
民主的なクアドラは2つある。アルファクアドラとガンマクアドラである。貴族的なクアドラも2つある — ベータクアドラとデルタクアドラである。(中略)ガンマクアドラは「思想の民主主義者」であり、彼らの思想は民主的だが、彼らの関係性においてはやや距離を置き「ボタンを締めて」いる。
Reininの割り当てでは、ガンマは民主の側です。ただし「思想の民主主義者」という限定がつき、民主的なのは思想で、関係の側ではやや距離を置くと書かれています。思想と関係で振る舞いが分かれるのがこの記述の要点です。Stratiyevskayaは距離の中身を書きます。
第三クアドラ(ガンマ)の代表者は実際に非常に信じやすく、コミュニケーションにおいて単純で、本質的に民主的な人々である。(中略)彼らは個人的な共感と反感のみに導かれて、人々を「身内」と「他人」に分ける権利が自分にあると考えている。まさにこの「区分」が彼らの倫理的防御である。理由?—「可能性の直観」が弱いからである—それはここで排斥された価値であり、それゆえ頼られない。しかし疑い深さもここでは尊ばれない—支配的な「関係の倫理」がこれを許さない。しかし用心深さ、ある程度の距離の保持は禁じられず、まったく許容されると考えられる。
距離の手立てとして置かれているのは、人々を「身内」と「他人」に分ける区分です。彼女はこれを倫理的防御と呼び、理由を2つ挙げます—可能性の直観が弱く頼れない、疑い深さは関係の倫理が許さない。残るのが用心深さと距離の保持だ、という消去法です。
ガンマのなかでESIが担うもの
4人の持ち分を最も細かく分けているのはBukalovです。
クアドラγの社会的役割は人間活動のあらゆる領域における事物の現状の批判—その中にはクアドラβの仕事も含まれる—にある。(中略)感覚倫理外向(SEE)は、他者の主観的過誤を批判的に再考し、修正しようとする。(中略)その双対、直観論理内向(ILI)は、世界の現実に懐疑的に関わる;(中略)倫理感覚内向(ESI)は、風俗の批判者、道徳の擁護者である;(中略)論理直観外向(LIE)は、有害な習慣、外的環境汚染等の批判者である。
批判という一つの役割を、Bukalovは4つの対象へ割り振ります。SEEは他者の過誤、ILIは世界の現実、LIEは習慣と環境で、ESIだけが風俗と道徳という規範の側です。的の種類だけが分かれ、役割そのものは4人に共通します。Karpenkoは、その規範の厳しさをデルタと並べます。
第4クアドラ(デルタ)では関係の倫理(▽(Fi))の次元数は3に等しい。(中略)だから赦しも、γクアドラよりδクアドラでのほうが得やすい—過ちが抗しがたい条件の、外的または内的な条件の影響下で犯されたのだと説明できさえすれば。たとえば▽(Fi)▲(EII)は、過ちには弁明が見つかりうる(中略)と非常によく言う。同様の状況での▽(Fi)●(ESI)の見解はより断固としている:「人が一度つまずいたのなら—気の毒に思うこともある。だがそれが常態なら—そういう人間は私に何の感情も呼び起こさない。そういう状況で私は容赦しない」
対比の焦点は赦しの得やすさです。デルタでは過ちを条件から説明できれば赦されうるのに対し、ESIの発言は一度か常態かで線を引きます。気の毒に思うこともあるという留保も同じ発言の中にあり、線は情の有無ではなく反復の有無に引かれています。
Stratiyevskayaは、このクアドラの価値をESIの具体的な行動に結びつけます。
ESI〔原文: ドライザー〕は自分の時間を大切にする。なぜならこれは彼のダイアドの価値観の一つだけでなく、クアドラ的価値観でもある — できるだけ多くを成し遂げる志向、自分の潜在能力を実現する志向。これらすべてが、ESI〔原文: ドライザー〕にとって時間の要因を特に重要なものにしている。
時間を惜しむ理由が、個人の性向ではなくクアドラの価値に帰されています。できるだけ多くを成し遂げ、潜在能力を実現する志向は、4人が共有するものとして書かれます。双対ペアとクアドラの2層を重ねるのが、彼女の帰属のしかたです。共有物には負担の側もあります。
第三クアドラ(ガンマ)の代表者は「人生から外される」のを大変嫌う—この状態は彼らを殺す。(中略)彼らは自身の創造を部外者の目から守り、「自分のためだけに」創造し始める—「『けちな騎士』のコンプレックス」が発展する。しかもこの現象は第三クアドラの内向—ILI〔原文: バルザック〕とESI〔原文: ドライザー〕—に、より特徴的である。
「けちな騎士」のコンプレックスは、ガンマの内向の2人により特徴的だと限定されます。創造を部外者の目から守り、自分のためだけに作り始める—出す前に閉じる形の負担です。クアドラのコンプレックスはStratiyevskaya独自の用語で、診断名ではありません。
小括します。ガンマの構成—Fi・Se・Te・Niを共有するESI・SEE・ILI・LIEの4タイプ—は研究者間で一致します。呼び名は「第二」とガンマが同じ著者の中で併存し、番号での照合は成り立ちません。気風では力点が分かれ、Gulenkoは実利主義を根本価値に置き、Karpenkoは関係の倫理と意志感覚を最も次元数の高いアスペクトとして扱います。ESIの持ち分では、Bukalovの風俗の批判者・道徳の擁護者が最も具体的で、Karpenkoの引く発言とStratiyevskayaの区分がこれに重なります。負担の側は「けちな騎士」が内向の2人に限定されています。
18タイプ間の関係のなかのESI
タイプ間の関係の理論では、ESIの主要な相手は、双対=LIE、活性化=ILI、鏡像=SEE(以上ガンマ)、衝突=ILE、監督する相手=SLE、監督される相手=IEE、恩恵を与える相手=IEI、恩恵を受ける相手=SLIなどです。関係ごとの一般解説は関係のページにあります。この章では、ESIを名指しした原典記述を、双対を中心に集めます。
双対関係の一般定式
この種類の関係においては、当該タイプの弱い機能が、他方のタイプ(双対、完全に補完的なタイプ)の強い機能の領域にある。補完的なタイプの人物こそが最良の教師である。(中略)双対タイプは私の弱い機能を保護し、同時に、私の弱い機能の領域においてさえ成功に至る行動プログラムを提供してくれる。
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In this type of relationships the weak functions of the type are in the zone of strong functions of the other type (dual, completely complementary type). A person of the complementary type is the best teacher. […] The dual type protects my weak functions, at the same time providing a behavioral program for me to reach success even in the area of my weak functions.
ESIに当てはめれば、弱い機能はTeとNiで、双対LIEの主導・創造がそのまま同じ2つです。選ばれている語が教師である点は、双対を情緒の相性ではなく技能の受け渡しで見る立場を示します。この向きの偏りを、Bukalovは統計の側から書きます。
論理タイプは同一関係と鏡像関係で優勢である。明らかに、倫理タイプにとっては補完性、すなわち「対極が結びつく」という考えのほうが近い。一方、論理タイプは完全な類似、近親、相互理解、感受性の隣接—深くはないが、即時的なもの—をより頻繁に求める。
力点は関係の良し悪しではなく、成立しているペアにどの関係が多いかにあります。倫理タイプであるESIの側に「対極が結びつく」が置かれるので、双対への志向は理論の要請ではなく観測された傾向として書かれます。
ESIとLIE—アウシュラの記述
ESIの双対はLIEです。アウシュラは、ESIが自分では埋められない側から書き始めます。
自分の労働と、それが何に至るかを、価値づけることが、彼にはまったくできない。彼は誰を愛するかというと、彼に何もかも間に合うと言ってくれる者である。(中略)そして、まさにそのような自身の価値の称賛ゆえに、彼は気を強く張る。双対が彼を驚かせるのは、彼の働きぶり、忍耐、巧みさだ。(中略)ESI〔原文: クライド〕へ最高の賛辞は、彼に何でも間に合うと言うときである。
判断の中心は「価値づけることが、彼にはまったくできない」の一句です。双対が驚くのは結果ではなく働きぶり、忍耐、巧みさだ、と書かれるので、外から入る評価の対象は成果ではなく過程です。時間の側でも、欠けている範囲が先に置かれます。
倫理感覚内向は明日のことを考えず、今日だけを生き、期待を好まない。今日できることは明日に延ばすな。そして今日できることは今やったほうがよい。このタイプは頑固で妥協を知らず、だから論理直観外向—今日ではなく今あるもの、すなわちかつて何があり何が起こるかに関心をもつ、今日の出来事に注意を向けない人物—と見事に友情を結ぶ。
ESIの側に与えられているのは今日だけです。双対に結びつく理由は、性格の似通いではなく、自分の注意が届かない範囲を相手が持つことに置かれます。「頑固で妥協を知らず」は難点ではなく前提の側に並びます。境目は、能力の見せ方にも出ます。
ESI〔原文: クライド〕は、自分の潜在的諸能力を自慢しないし、他者がそうするのに耐えられない、第一に、その第一自我要素 ▲(Ne) — つまり直観論理外向 および 直観倫理外向 がそうである人々 — に対しても。一方、自身の能力を双対 — 論理直観外向 — の誇示的開示は、彼の魂を、自分自身の不確かさ、煩悶、良心の呵責から救い出す香膏となる。
線を引くのは誇示そのものではなく、誰の何が開かれるかです。可能性を第一に置くILE・IEEの誇示は耐えられない側に、業務論理を第一に置くLIEの誇示は「香膏」の側に分かれます。受け取れる範囲が要素の単位で切られています。
後代の研究者によるESI-LIE
Stratiyevskayaは、ESIがLIEから受け取る情報に条件をつけます。
ESI〔原文: ドライザー〕は絶えず業務論理のアスペクトの情報を得る必要がある。「何をすべきか?」「どうすべきか?」という問いに対して、明確で、自分の倫理プログラムに矛盾しない答えを必ず知らねばならない。そして彼の双対のLIE〔原文: ジャック〕だけが、彼を完全に満足させる形ですべての指示とすべての説明を与えられる。
条件が2つ重ねられています。答えが明確であることと、自分の倫理プログラムに矛盾しないことです。業務の指示が倫理の側の審査を通らなければ受け取られません。時間の見積もりも、同じ分担の形で書かれます。
十分に充実した時間体制で、ESI〔原文: ドライザー〕は自分の必要性を感じる。しかし最良なのは、彼の双対が「テンポを設定する」ときである — 彼だけが、ESI〔原文: ドライザー〕の問題ある直観(自分の仕事のテンポを過小評価または過大評価する)を考慮してそれをできる。
直観の弱さが過小評価または過大評価という誤差の形で特定されています。時間が見えないのではなく、見積もりが両方向にずれます。アウシュラが今日だけを生きる傾向として書いた場所が、ここでは分担の設計になっています。反対向きの記述は、遠い距離の扱い方に置かれます。
遠い距離で見知らぬ人と交流する際、LIE〔原文: ジャック〕たちは時に、明らかな理由なく「とげを出す」。(中略)そのような「とげとげしいLIE〔原文: ジャック〕」に優しい言葉で接近するには、並外れた倫理的勇気が必要である。幸いなことに、彼の双対のESI〔原文: ドライザー〕にとってこれは何の問題もない。彼はLIE〔原文: ジャック〕の外面的なとげとげしさの背後に、特別に細心の取り扱いを要する深く傷つきやすい魂だけを見る。
必要とされる資質が倫理的勇気と名指され、ESIの側にはそれが要らない、と書かれます。とげとげしさを敵意ではなく取り扱いの指示として読むので、近づく前の判断が省かれます。Karpenkoは、こうした双対の記述そのものに脚注で留保をつけます。
ソシオニクスの初期の仕事はとりわけ、双対関係の理想化(および他のすべての関係の絶対化)という罪を犯している。どんな関係にもそれ自身の動態が、それ自身の問題があり、双対どうしもまた、相補性を獲得するために少なからぬ力を注がなければならないのである。
向けられているのは個々の観測ではなく、関係の型が結果を保証するかのように読まれることです。相補性を獲得するという語で、補完は初めから備わるものではなく、力を注いだ先に置かれます。
活性化—ESIとILI
同じガンマクアドラのILIとの関係は活性化と呼ばれます。Stratiyevskayaはこの組を、ESI側の限界を名指す形で書きます。
実践が示すように、他のいかなる倫理タイプも、彼にクアドラ的に最も近いESI〔原文: ドライザー〕ですら、ILI〔原文: バルザック〕的「倫理パズル」を上手く解決することはできない。
「クアドラ的に最も近い」と「ですら」が同じ文に並びます。同じクアドラに属することが倫理の噛み合いを保証しない、という限定で、活性化は双対の弱い版としては書かれていません。抑圧と受け取られるかどうかの分かれ目も、同じ著者が書き分けます。
(倫理的操作によって実現されるSEE〔原文: カエサル〕の意志的影響力は、彼によって自分自身の人格の抑圧として知覚されない。それに対して、SLE〔原文: ジューコフ〕、LSI〔原文: マクシム・ゴーリキー〕、ESI〔原文: ドライザー〕の直線的な意志的影響力 — 「●(Se)」 — や、ESE〔原文: ヒューゴー〕の誇示的な押しの強さは、彼を抑圧する。)
分け目は要素の種類ではなく届け方です。倫理的操作を経由するSEEのSeは抑圧と受け取られず、直線的なESIのSeは抑圧として受け取られます。関係の線を守る場面で前に出す資質が、活性化の相手の側では負担になります。
衝突—ESIとILE
反対の極として、ESIの衝突相手はILEです。Bukalovは噛み合わない場所を、行動のまとまりの単位に置きます。
それでは、行動様式において完全に対立するモジュール同士の相互作用の結果としての、潜在的に衝突する関係を検討してみよう。(中略)新しいものの探索モジュール(ILE、▲(Ne)□(Ti))、新しい領土の探索および確立された行動の無視を含む、と、ESI(▽(Fi)●(Se))モジュール、これは権利、義務、それらの違反の感覚、確立された行動規範と領土、物理的・心理的境界の違反を含む。
対立の単位が性格ではなくモジュール、つまり行動のまとまりです。ILE側には確立された行動の無視が、ESI側にはその違反を検知する働きが入るので、一方が普段どおり動くだけで他方の側では違反になります。Reininは同じ関係を、一つの場面が二重に見える形で書きます。
二人の人物が衝突関係にある場合を想像してみよう。夫はILE〔原文: ドン・キホーテ〕で、妻はESI〔原文: ドライザー〕である。(中略)友人が訪ねてくるとき、二人の人物はそれをまるで異なる二つの出来事を体験しているかのように、二つの異なる仕方で見る。一方は第三機能を通じて肯定的強化を受け、もう一方は客が残した混乱、汚れた皿、カーペットの泥の足跡を見る…。ここでの潜在的衝突は次の通りである。「あなたは私の問題を無視する。」
食い違うのは出来事ではなく、同じ出来事のどこが目に入るかです。片方には第三機能への肯定的強化が残り、もう片方には片づけの対象が残ります。「あなたは私の問題を無視する」は、悪意ではなく見えていないことへの申し立てです。
小括します。ESIの関係記述の中心は双対LIEで、自分の労働を価値づける言葉が外から入る(アウシュラ)、「何をすべきか」の答えが倫理の審査を通って受け取られる(Stratiyevskaya)、仕事のテンポを相手が設定する(同)という3つの定式が重なります。活性化ではクアドラの近さと倫理の噛み合いが切り離され、衝突ではBukalovが行動のまとまりの対立を、Reininが同じ場面の見え方の分岐を扱います。双対の記述が理想化に傾きやすいことはKarpenkoが脚注で名指しており、その実証は事例と自己報告に限られています。限界は23章で扱います。個別の組み合わせはタイプ間の関係のページで確認できます。
19MBTI®のISFPとの比較
当サイトはESIをISFPと併記しています。この章では、その対応の根拠と限界を短く整理します。詳しい一般解説はMBTIとの比較のページにあります。
対応の根拠—内向タイプのJ/Pスイッチ
ソシオニクスとMBTIは、どちらもユングの類型論から枝分かれした別の理論です。当サイトのESI=ISFPという併記は、両体系の機能配列が同一だとする仮定に基づきます。ソシオニクスのESIは位置1が内向倫理(Fi)、位置2が外向感覚(Se)です。これをMBTI側の主機能Fi・補助機能Seという並びに対応させると、ISFPになります。
末尾文字の定義は両体系で異なります。ソシオニクスの小文字j/pは、主導機能が判断機能か知覚機能かを示します。ESIは主導がFiで判断機能なので、4文字表記はISFjです。MBTIの大文字J/Pは、外界に向ける機能の種類を示します。ESIは内向タイプなので、外界に向くのは位置2のSe—知覚機能—であり、MBTI側の末尾はPになります。このため、ソシオニクスのISFjとMBTIのISFPでは末尾が反転します。この反転が起きるのは内向の8タイプ(LII・LSI・ESI・EII・ILI・IEI・SLI・SEI)で、外向の8タイプでは末尾がそのまま一致します。
ESIの場合、混線の条件がもう一つ重なります。ソシオニクス表記のISFjと字面が近いMBTIのISFJは、別のタイプ(SEI)への対応です。末尾の1文字だけを見て突き合わせると、ESIとSEIを取り違えます。この2つはモデルA上では準同一関係にあたり、記述も一見似た方向を向くため、表記の取り違えが内容の取り違えに直結しやすい組み合わせです。
外から見た関係—Bukalovの反論
心理学の側からソシオニクスがどう見えるかについて、Bukalov自身が書いています。
一方、たとえば類型論を専門とする心理学者は、ソシオニクスをマイヤーズ-ブリッグス類型論より良くも悪くもない単なるポストユング類型論として扱う。それは彼らの権利ではあるが、われわれは彼らがソシオニクスをタイプの抽出にのみ矮小化しており、それで打ち切ってしまっている、と考える。
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А, скажем, психологи-типологи рассматривают соционику всего лишь как постюнговскую типологию, не лучше и не хуже типологии Майерс-Бриггс. Это их право, но мы считаем, что они низводят соционику до выделения типов, да и только, и этим ограничиваются.
外部からは「MBTIと同水準のポストユング類型論の1つ」と見なされ、内部はそれを「タイプ抽出への矮小化」と反論する—両者の認識の溝がそのまま残っている構図です。ソシオニクス側が独自性の根拠に挙げるのは、モデルA、タイプ間の関係の理論、次元性などの理論装置です(その実証状況は23章)。
ESI読者への実務的な注意
MBTIでISFPと判定された人がこのページを読む場合、ESIの記述がそのまま自分に当てはまるとは限りません。ISFj⇄ISFPは、Fi・Seの配列が同じだとする体系間の対応であり、診断結果の互換ではないからです。また、字面の近いMBTIのISFJはSEIへの対応で、ESIではありません。末尾の見た目だけで判断せず、このページが扱う位置1のFi、位置2のSeを含む8位置全体と照合する必要があります。
小括します。ESI=ISFPは、機能配列同一の仮定と、内向タイプでは末尾が反転するJ/Pスイッチに基づく体系間の対応づけです。ソシオニクス表記のISFjとMBTIのISFPは対応しますが、同じ判定結果を保証するものではありません。字面の近いISFJが別タイプへの対応である点も、この章の実務上の注意になります。
20サブタイプとタイプ内変異
同じESIでも、人から受ける印象は大きく違います。この章は、その違いをタイプの内側の変異として説明しようとした後代の理論群—アウシュラの区別、Meged & Ovcharovの2分割、Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001年)第III部の2変種、Gulenko『64の肖像』(2019年)のDCNH—を読みます。いずれもモデルAへの後代の拡張で、相互に互換性はありません。見たいのは、研究者ごとに開いたESIの記述を変種の違いとして整理できるかどうかです。
アウシュラ—タイプと人格の区別
サブタイプ理論が前提にしている区別は、アウシュラ自身が書いています。
パーソナリティとパーソナリティタイプは、疑いなく同じものではない。同じパーソナリティタイプを持つ人間でも、わが国の文化と何らかのアステカ文化では、まったく異なるものである。
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Личность и тип личности, несомненно, не одно и то же. Человек с тем же самым типом личности в нашей культуре или в какой-либо ацтекской культуре — это что-то совершенно разное. Даже в нашем бесклассовом обществе найдете сколько угодно вариаций того же Дон Кихота2 или Дюма3.
この区別が置いているのは、タイプは人格の全体ではなく形式だという線引きです。同じ段落でアウシュラは、同じタイプの「変種」はいくらでも見つかる、とも書いています。後代のサブタイプ理論は、この形式の内側に残る幅をどう区分するかの試みとして現れます。
Meged & Ovcharov—接触型と惰性型
2分割の代表として名前が挙がるのが、Meged & Ovcharovの体系です。
接触型/惰性型サブタイプ(Contact/Inert)(中略)V. Meged と A. Ovcharov によって提唱されたシステム。
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Contact / Inert Subtypes(中略)This system of subtypes was proposed by V. Meged and A. Ovcharov.
強化されるのが惰性側(位置1・4・6・7)か接触側(位置2・3・5・8)かで分ける体系で、ESIならFi強化型とSe強化型です。ただし当サイトが確認できた範囲では、Meged & Ovcharov本人のESIの記述(13章)にサブタイプ論への言及はなく、整理はコミュニティ編纂資料に依っています。
Filatova—倫理サブタイプと感覚サブタイプ
Filatovaは16タイプを2変種ずつの32水準で記述します。ESIの2変種です。
倫理サブタイプ。 外見的には、穏やかで従順な人物という印象を与え、必要とあらば助けに駆けつける用意ができており、それを控えめに、押しつけがましくなく行う。(中略)しかし、その柔和な外見の裏には、誰にも破ることを許さない、確固たる原則の堅さが隠れている。時折、彼の努力が評価されていないと感じると、叫び声を上げたり、抑えの効かないヒステリーに陥ったりすることがある。というのも、彼は周囲が自分をどう扱うかに非常に敏感だからである。
感覚サブタイプ。 これは、硬い内面的な確信を持つ人物であり、かなり断定的で、対立においては非妥協的である。管理職の仕事に引かれ、秩序を厳しく守るが、それをいくぶん一本調子に行う。秘密主義的で疑い深い。内心では自信がなく傷つきやすいが、それを見せないように努め、彼の防御は、彼自身が従い、他人にもその遵守を求める、確固たる行動規範である。(中略)彼には、突き刺すような、厳しい、まるで断罪するかのようなまなざしが特徴的である。
2変種の差は硬さの量ではなく、硬さが表に出ているか裏に置かれているかです。倫理サブタイプでは穏やかさが外側の層になり、原則の堅さはその裏に隠れます。感覚サブタイプでは硬さが先に立ち、Filatovaはその由来まで書いています。行動規範は守るべきものであると同時に、傷つきやすさを見せないための防御でもある、という順序です。
まず何が目を引くだろうか。意志的感覚を感じさせる、特徴的な硬いまなざしである。もちろん、主導機能として意志的感覚を持つ者—SLE—にも、いくぶん似たまなざしが見られることがあるが、ここでは意志的感覚が第2チャンネルにあり、明らかに強化されている。
ここではSeの位置が切り分けの根拠に使われています。同じ硬いまなざしでも、主導にあるか第2チャンネルにあるかで表れ方が違う、という主張です。読み取り自体は観察者の側に残ります。
Gulenko—DCNHの4サブタイプ
Gulenkoの区分は2分割ではなく4分割です(12章のとおり、独自の体系として区別して扱います)。分け方は機能の強化で与えられます。
均衡‐安定的機能(L(Ti)と R)—□(Ti)と ▽(Fi) —の強化は、規範型サブタイプを作り出します。形式的規則の集合としての構造論理は、非公式の規範や伝統に導かれる関係倫理によって支えられます。
サブタイプが機能の強化として定義されている点が、ESIには直接効きます。ESIの主導はR(Fi)なので、規範型はその主導機能をそのまま強めた変種にあたり、4つのうち1つだけがタイプの素の形の延長線上に置かれます。
『64の肖像』の書名は16タイプ×4サブタイプ=64変種に由来します。GulenkoはESIを守護者と呼び、4変種に維持者(支配型)・装飾者(創造型)・糾弾者(規範型)・慰め人(調和型)の下位呼称を与えます。まず支配型の維持者です。
支配型ESIは、愛する者や友人と一緒のときには表情豊かでおしゃべりである。冗談を言ったり会話を盛り上げたりするのが好きである。態度を評価するためには、特定の応答を受ける必要がある。他者に同情を感じ、絆作りで率先することがあるが、関係が役に立たなくなると断ち切ることがある。価値あるパートナーと出会えば、高い生活水準を彼らに提供し、忠実な人生の伴侶となり、多くの犠牲を払うことができる。家族に忠実で、しばしば家族を率いることになる。
4変種の基準になる記述です。惜しみなく払う側と、「関係が役に立たなくなると断ち切る」が同じ段落に並びます。続けるか断つかの引き金が有用性で書かれているのがこの変種で、残る3つはこの引き金を別のものに替えます。
創造型ESIは人々に対する良い本能をもつ。表情やマナーを読み取ることで、不誠実さや、何かが間違っているときに振る舞いの変化を感じ取ることができる。この問題の感知は直観的ではなく、自分の経験によって駆動される。それゆえ、彼女を騙すのは難しい。(中略)横柄さや傲慢さを許容しない。適切な瞬間に、敵の最も脆弱な点を利用し、彼らを辱めたり嘲ったりすることができる。共感を、言葉ではなく、対人距離の収束を介した行動によって表現する。
人を読む働きの出どころに、Gulenkoは断りを付けています。「直観的ではなく、自分の経験によって」と書き、同じ観察力を直観の側には置きません。断つ動作はここでは、敵の脆弱点を突く形で出ます。
他者の短所に気づいているが、必要なしにそれを表明する傾向はない。人物の否定的な側面が耐えがたくなったときにのみ、彼らに対峙する必要を感じる。問題が解決されなければ、彼らとのすべての関係を終わらせるかもしれない。一般に、強い価値観を堅持する道徳家とみなされる。不正や非倫理的な振る舞いは彼女に大きく影響する。非常に敏感で、善には善を、悪には悪を返す。他者が彼女の勤勉さも専門性も気づかないとしばしば信じている。
規範型では引き金が有用性から耐えがたさへ替わります。短所に気づいていても表明しない抑制が先に置かれ、対峙はその後、関係の終了はさらに後です。応報の「善には善を、悪には悪を」も、有用性の計算とは別の基準です。
しばしば目標を変え、危機的な瞬間に過激な歩みを取ることがあり、それは後にしばしば後悔する。一般に、移動したり緊張したりしたくない。「我が家、我が城」の原則に従って自分の領域にいることを好む。独立して別々に住み、邪魔されたり他者を煩わせたりしないことを好む傾向がある。調和型ESIは周りの安らぎと休息を大いに高く評価する。突然の怒りと抵抗は、誰かが自分の領域に侵入したときにのみ現れる。
4変種で唯一、率いる・組織する側の語彙が出てきません。断つ動作も、領域への侵入という条件でだけ現れる「突然の怒りと抵抗」に縮んでいます。家族を率いる維持者から、別々に住むことを好む慰め人までの幅は、変異をよく捉えているとも、タイプ概念の識別力を薄めているとも読めます。
サブタイプ理論への批判
コミュニティ編纂資料自身が、批判点を記録しています。
タイプの誤判定を隠すために使われることがある
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Critics say that in many cases the basic type has been incorrectly diagnosed, and the addition of a “subtype” simply masks the contradiction.
この一文が突いているのは、判定が合わないときに説明を後から足せてしまうことです。この章の2分割も4分割も、率いる像から人目を避ける像までを同じタイプの内側に収めます。収まる幅が広いほど、外れた観測を変種として吸収する余地も広がる—反証されにくくする説明になりうるという批判で、23章の反証可能性の議論につながります。
小括します。変異の存在自体はアウシュラの時点で書かれていますが、区分は2分割(Meged & Ovcharov、Filatova)と4分割(Gulenko)が併存します。Filatovaは硬さが表に出ているかどうかで、Gulenkoは関係を断つ引き金の違いで分けており、分ける軸そのものが違います。サブタイプは観察の記述としては使えても、理論としては未統一の領域です。ESIの読者にとっての実用は、05〜13章の記述の開きを「どの変種を書いた記述なのか」という問いで整理できる点にあります。
21識別と誤同定
「この人はESIか」をどう決めるか。ESIは、誰と取り違えやすいかが具体的に名指されてきたタイプです。この章では、判定の手続き論と、ESI固有の識別手がかり・誤同定の実例を集めます。手続きそのものへの内部批判は23章で扱います。
手続き論—アウシュラとYermak
判定の手順を最初に書き留めたのはアウシュラ自身で、その基準はモデルが動くかどうかでした。
研究の第1段階は、K.G.ユングのモデルを全知人で検証することだった。それは絶対的に正しいことが分かり、それゆえモデルが作動するか作動しないかで、タイプが正しく確立されたかどうかが見えた。モデルが作動しなければ、タイプ診断の誤りを意味した。
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Первым этапом изучения была проверка модели К. Г. Юнга на всех знакомых людях. Она оказалась абсолютно правильно, и потому, срабатывает или не срабатывает модель, было видно, правильно ли установлен тип. Если модель не срабатывала, то это обозначало ошибку в диагнозе типа.
基準に置かれているのは、当人の申告でも面接の印象でもなく、モデルという外側の装置です。この文では、作動しなかった原因はタイプの取り違えの側に置かれます(モデルの側を疑う論点は23章)。Yermakはこれを2段階の手続きに書き直します。
心のTIMの 同定の手続き は、専門家による心のタイプの 仮説 の選択と、選ばれた心のタイプに対応する心のTIMモデルの 検証 からなる。
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Процедура идентификации ТИМ психики состоит из выбора экспертом гипотезы типа психики и верификации модели ТИМ психики, соответствующей выбранному типу психики.
先に候補を立て、後から確かめる—この順序がここで固定されます。アウシュラが知人全員で試したことは、この定式では検証の段に当たります。仮説をどこから得るかは、面接する側の判断に預けられたままです。
面接者の構え—Karpenko
その判断にあたる者にKarpenkoが求めたのは、両立しにくい2つの構えでした。
エキスパートは距離を置いた者ではありえない。彼はバイタルな衝動に応答することを余儀なくされ、義務づけられている。さもなければ彼とコミュニケーションすることは不可能になり、さもなければ被験者とのコンタクトは失われてしまう。注意深く、同情し、共感し、心から人々を愛し、しかし感情の、関係の、影響の遊びには巻き込まれていない—これがエキスパートの理想である。非巻き込まれ性は、ILEのエキスパートが、ESIがある考えの展開の中で発した、しかし事実上ILEに宛てられたフレーズ—「たとえば、あなたのことは、私、好きじゃありません」—に平静に対応することを可能にする。そう、分かっている—衝突である。しかしこれはインタータイプ関係であって、この2人の具体的な人間同士の関係ではない。
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Эксперт не может быть отстраненным, он вынужден, обязан откликаться на витальные импульсы, иначе с ним невозможно будет общаться, иначе контакт с испытуемым будет утрачен. Внимательный, сочувствующий, сопереживающий, искренне любящий людей, но не вовлеченный в игру эмоций, отношений, влияний — вот идеал эксперта. Невовлеченность позволяет эксперту-ИЛЭ спокойно отреагировать на фразу ЭСИ, произнесенную в развитие какой-то мысли, но адресованную фактически ИЛЭ: «Вот вы мне, например, не нравитесь». Да, понятно, — конфликт, но это интертипное отношение, а не отношение этих двух конкретных людей.
例に選ばれているのは、被験者のESIが面接者へ向けて発した拒絶の一言です。Karpenkoはそれを自分個人への評価ではなく、引用が衝突と呼ぶ組み合わせの効果として扱えと言います。面接する側の反応そのものが判定に混ざる、という前提です。
ESI固有の識別手がかり
外から先に見えるのは外見で、Filatovaはそこで起きる取り違えの向きを名指します。
なお、古典的な規範に照らすと、ESIの外見に倫理型らしさを見出すのは難しいことが多く、その冷たい眼差しゆえに論理型のように見えることが多いと言っておこう。しかし、この点は積み重ねた経験が助けとなる。
取り違えの向きが一方向に決まっている点が要です。眼差しの冷たさが内向倫理の現れとしてではなく論理の現れとして読まれるため、判定はまず論理型の側へ寄ります。Filatovaが挙げる対策は、別の手法ではなく判定者の経験の量です。
外見以外の手がかりとして、Reininは返答の言葉そのものを挙げます。
ESI〔原文: ドライザー〕が「いいえ」と言うなら、それは少なくとも「たぶん」または可能性として「はい」を意味する。異なるタイプにとっては、異なるタイプの心の中の単語の意味場は大きく異なりうる。
判定に使えるのは、ESIの「いいえ」が否定の最も強い側ではない、という一点です。額面どおりなら拒絶に見えるものが、実際は保留か肯定の側へ振れている。Reininは語の意味場の違いとして説明し、手がかりを語の使われ方の側へ移します。
同じ社交者(SF)の群にいるSEIと比べたとき、Karpenkoは判断の強さの側に線を引きます。
スタイルの感覚。何が何に合うか、どんな条件で何がふさわしいかについての観念。この種のテーマについての判断はSEEやESIほど断定的ではないが、観念そのものは十分に明確である。
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スタイルの感覚。何が何に合うか、どんな条件で何がふさわしいかについての観念。この種のテーマについての判断はСЭЭやЭСИほど断定的ではないが、観念そのものは十分に明確である。
効いているのは、観念の明確さではなくそれを述べるときの強さで分かれている点です。何がふさわしいかという観念自体はSEIも十分に持っており、違いが出るのは判断の語調の側になります。外から「趣味にうるさい」と見える水準では区別がつかず、断定の度合いを聞き分けることになります。
誤同定されやすい相手—EII
取り違えの相手として最も名前が挙がるのはEIIです。Stratiyevskayaは両者を、同じ倫理のプログラムを別の手段で実行する2つの型として分けます。
社会に倫理性を植えつけるにはさまざまなしかたがある。一つの場合、人間は力による影響の方法—強制、禁止、制限、罰、つまり「意志的(外向)感覚」のアスペクトの手段で教育される。そしてこの方法はおそらく感覚タイプの倫理的な者—より正確には倫理感覚内向(ESI)(プログラムは内向だ!)が用いるだろう。(中略)だが内向的・倫理的プログラムを実現するもう一つのしかた、直観的なしかたもある。(中略)この場合、彼に対して肯定的な例の提示という方法で影響が及ぼされる
分け目に置かれているのは、目的ではなく手段です。同じプログラムでも、強制・禁止・罰で通せばESI、肯定的な例の提示で通せばEIIになる。見るのは何を良しとするかではなく、それをどう通すかになります。対比は洞察の向きでも書かれます。
倫理直観内向(EII)—洞察力があり、忍耐強く、自制心のある楽観主義者であり、人々の性格における肯定的な傾向がよりよく見え、まさにそれに依拠して影響を及ぼす。倫理感覚内向(ESI)の洞察力は、ただちに根絶を必要とする否定的な傾向を識別することに向けられる。
同じ洞察力が、どちらの側の傾向へ向くかで分かれます。EIIは肯定的な傾向に乗って働きかけ、ESIの側は、ただちに取り除くべき否定的な傾向を先に見つける。相手のどこを先に見たかが、そのまま判定の材料になります。
Gulenkoは同じ2タイプを、論理の側から分けます。引用の守護者はESI、人道家はEIIを指し、機能LはTi(内向論理)です。
内的に感情的な人々であり、人間関係を深く経験するこれらのタイプは、外的には無関心と客観性を示す。しかしながら、この役割では、反対のサイン、論理(機能 L)もまた明確に区別できる。守護者は本性的に個人主義者であり、逸脱への拒絶を示し、すべての人にとって公正な単一の論理スキームを順守することを主張する。人道家は、集団主義者ではあるが、それでもなお、自分自身の論理、個人性、一つのスキームへの不服従に対する人権を擁護する。
判断の拠り所が、両者の強い側ではなく役割の側にあります。単一の論理スキームを全員に当てはめよと言うのがESI、そのスキームに従わない権利を擁護するのがEII。外に出る倫理の現れが似ていても、論理の扱いは逆を向きます。
誤同定の実例—公開実験での判定
誤同定が実際に起きた例は、機関誌の論争の中に残っています。批判者側が挙げた実演実験の報告と、それへのReininの返しです。
実践例から:2002 年 2 月、T. N. プロコフィエワがサンクトペテルブルクで実演実験を行った際、被験者について 4 つのユング特徴と残りの「レイニン特徴」が判定された(結果の信頼性を高める目的で)。にもかかわらず、後者の使用は、ユング尺度のうちの 2 つに最初に犯された誤りを修正することに何ら役立たなかった(実際は ESI なのに LSE と判定された)。(中略)ところでその際、何の機器によって ESI が信頼性をもって判定されたのか?私が思うに、ソシオニクスにおいて実演実験の時はまだ来ていないのである、残念ながら。
1つの事例が、2つの向きに使われています。批判者側は特性を足しても最初の誤りが直らなかった証拠として出し、Reininは、実際はESIだったと確かめた装置は何かと問い返す。誤同定の実例であり、同時に正解の側をどう決めるのかという問いです。
小括します。手続きは「仮説+モデル検証」に定式化されましたが、仮説の出どころは書かれず、面接する側の反応も材料に混ざります(Karpenko)。ESIの手がかりは、論理型の側へ寄せて読まれる冷たい眼差し(Filatova)と、額面どおりには取れない否定の言葉(Reinin)でした。取り違えの相手はEIIが最も多く、分け目は倫理のプログラムを力で通すか肯定的な例で通すか(Stratiyevskaya)、役割の論理をどう使うか(Gulenko)に置かれます。判定の正解を外から確かめる手段は、引用した原典の範囲では示されていません。
22著名人と思想のタイピング
著名人のタイピングは文献に長く残ってきた慣行ですが、本人に確かめる手立てがありません。この章は「誰がESIか」の正解表ではなく、誰が誰を挙げ、どこまで根拠を書いたかの記録です。ESIでは愛称そのものが実在の作家の名前なので、タイプの名前と人物本人の切り分けが先に要ります。章の最後に、当サイトの独自整理を1節だけ、試論と明示して置きます。
愛称「ドライザー」の由来
愛称の出どころはアメリカの作家セオドア・ドライサーですが、アウシュラがこのタイプに与えた名前は、その作家の小説の主人公のほうでした。
倫理感覚内向を本作では、ドライザーの長編『アメリカの悲劇』の主人公の名にちなみ、クライドと呼ぶことにする。T・ドライザー自身が倫理感覚内向であり、クライドの悲しい物語を語ることで、この情報代謝タイプに固有の疑念と煩悶を見事に示してみせた。
名前の根拠として書かれているのは、作品の主人公と作者が同じタイプだ、という一点です。先に立つのは作中人物のクライドで、作家の名は「本人も同じ」という補足です。後代に定着した「ドライザー」は、この補足のほうを採りました。作家の名がタイプに残った理由は、Bukalovが作品の主題から書きます。
ツルゲーネフは高い道徳性と義務への忠誠心によって特徴づけられる、卓越した女性像のギャラリーを生み出した。セオドア・ドライサーの小説もまた、大部分が道徳の問題に捧げられている。
挙がっているのは文体でも生涯でもなく、書かれた題材です。作品が何を主題に選んだかで同じ枠に入れる書き方です。同じ著者は、その主題の受け取られ方が割れてきたことにも触れます。
これに関連して、ドライザー(中略)の作品の大部分が人間関係に捧げられ、高度に倫理的な視点から書かれていることを指摘しておきたい。同時に多くの批評家が、これらの著作における性的要素の過大な役割を指摘していた。
一つの作品群に、倫理の高さと性的要素の過大さという逆向きの評が同時に立っています。Bukalovはどちらも退けず、並べたまま残しました。作品を根拠にタイプを言うとき、その作品の評価自体が定まらないことがある、という例です。
アウシュラが当てた人物と作中人物
アウシュラが実在の人物を挙げるのは、名簿の形ではなく、タイプの働き方を説明する途中です。
ESI〔原文: クライド〕は、社会において事実上行われている倫理的関係を、明らかにし解明する。彼は — これらの倫理的諸感情を作り出した者ではなく、むしろ、人々の目を、それらの本来の姿へ、その本質へと開く者である。(中略)マキャヴェッリ(T▽(Fi)●(Se))が、自分の時代の外交における倫理的諸法則性を記述したとき、彼が記述したのは、自分が見たものだけだった。
マキャヴェッリを挙げる根拠は、書いた内容ではなく書き方の側にあります。倫理の法則を作ったのではなく、実際にどうなっているかを記述しただけだ、という区別です。人物を先に選んで特徴を当てる順序ではありません。作中人物のほうは、脚注で4人まとめて割り当てられています。
クライドとドライサーは倫理感覚内向(T▯●(Se))、従兄のギルバートは感覚論理内向(T○(Si)■(Te))、ロベルタは直観倫理内向(T▲(Ne)▯)、ソンドラ・フィンチリーは論理直観外向(T■(Te)▲(Ne))。(著者注。)
1つの小説の主人公・従兄・恋人・令嬢に、それぞれ別のタイプが振られています。人物ごとの根拠は無く、結論だけが脚注にあります。登場人物を読み分ける道具としてタイプを使う書き方は、創始者の段階で既にありました。別の論考の著者注では、判定の手続きに断りが入ります。
ESI〔原文: ドライザー〕は全寛容を知らず、人物が一度愚かに誓ったら必ずその誓いを遂行すべきだと考える。将来の意味論的研究が私の予想を裏付けることを願う。私見では、人物がどんな思考タイプから働き書くかをチェックする方法は、意味論以外にない。
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**注**:作家Ф.М.ドストエフスキーの全小説が**◆思考**から書かれているわけではない。『悪霊』では◆と並んで**▯(ドライザー)**が聞こえる。ドライザーは**全寛容を知らず、人物が一度愚かに誓ったら必ずその誓いを遂行すべきだと考える**。将来の意味論的研究が私の予想を裏付けることを願う。私見では、**人物がどんな思考タイプから働き書くかをチェックする方法は、意味論以外にない**。
効いているのは最後の一文です。書き手のタイプを確かめる方法は言葉づかいの分析しかない、と本人が断っています。前半の特徴も、確かめられた結論ではなく、その分析を待つ予想という位置づけです。
後代の研究者が並べた名前
後代の研究者は、より長い名簿を残しました。Reininの16タイプ講義から。
このタイプの著名人:セオドア・ドライザー、フランシス・スコット・フィッツジェラルド、アレクサンドル・デュマ、イワン・ツルゲーネフ、ニコラ・マキャヴェッリ、リチャード・ニクソン、ベナジル・ブット、ナンシー・レーガン、ブリジット・バルドー。
9人のうち4人が作家、4人が政治に関わる人物です。マキャヴェッリはアウシュラの記述にも出ており、創始者の例を引き継いだ部分があります。アレクサンドル・デュマは作家本人で、同名の愛称を持つ別タイプとは関係がありません。
セオドア・ドライザー、レフ・トルストイ、イワン・トゥルゲーネフ、A.N.オストロフスキー、ハンス・クリスチャン・アンデルセン、シュテファン・ツヴァイク、O・ヘンリー、エヴゲニー・エフトゥシェンコ、シモン・ペレス、ナンシー・レーガン、ブリジット・バルドー、カトリーヌ・ドヌーヴ、ミケーレ・プラチド、イヴァル・カルニンシュ、アナスタシヤ・ヴェルチンスカヤ、リュドミラ・ヒテヤエワ、ソフィア・ロタル、イオシフ・コブゾン、イーゴリ・ヴェールニク
Reininと重なるのはドライザー・ツルゲーネフ・レーガン・バルドーの4人で、残りは新しい名前です。トルストイ・アンデルセン・ツヴァイクが加わり、作家の比重はさらに上がりました。重なる部分にも増えた部分にも、選び方の説明はありません。
Gulenkoの当てはめは、名簿ではなく外見の記述の中に置かれます。
ESIは特徴的な突き刺すような視線と、警戒心と抵抗の意志が書かれた顔の表情によって認識される。この特徴は、アメリカの女優ジェーン・フォンダにとてもよく辿れる。(中略)ESIの中では、バレエ(マイヤ・プリセツカヤなど)のように、非常に細く長い脚で伸びた体型がしばしば見られるか、またはがっしりして堂々として肩幅の広い体型である。
名前が出るのは、先に書いた特徴が誰に見えるかという順序です。挙げられた根拠は体つきと佇まいに限られ、経歴や作品には触れていません。
小説の登場人物へ当てる読み
実在の人物と並んで、小説の登場人物にもタイプが当てられてきました。Filatovaはトルストイの人物を材料にしています。
ソーニャ自身は、倫理感覚内向、守護者、ESI〔原文: ドライザー〕として描かれている。彼女は控えめで、物静かで、思いやりがあり、道徳の規範や伝統に非常に忠実である。ナターシャが家出をしようとしたときに、ソーニャがどれほど恐怖したかを思い出してほしい。そして、まさにソーニャが、当時娘たちが滞在していたモスクワのマリヤ・ドミトリエヴナにそのことを話すことで、ナターシャの家出を未然に防いだのである。
根拠に置かれているのは、性格の形容ではなく1つの行動です。家出を止めるのに本人を説得せず、家の年長者へ伝える手を選んだ。形容だけなら誰にでも当たりますが、行動が添えば読み手が確かめられます。Bukalovが挙げるのは、行動ではなく語り手の内側です。
このタイプの人物の内面世界はJ・D・サリンジャーの物語『ライ麦畑でつかまえて』に見事に描かれている。
指しているのは作者ではなく、作中で語る人物のほうです。文学作品をタイプの内側を見せる資料として扱う読み方が、著者をまたいで続いています。
根拠が書き残された例—フロイトのタイピング
この章の資料のうち、判定に使った材料が明記されているのは1件だけです。
伝記的データ、回想録および文書に基づき、A. V. ブカロフとO. B. カルペンコは、精神分析の創始者ジークムント・フロイトの心理学的ポートレートの詳細な分析を行った[31, 106, 107]。彼らは、Z. フロイトのソシオニクス・タイプが倫理感覚内向(ESI=ドライザー)であることを示し、もし精神分析が別のタイプの人間によって創られていたなら、精神分析とその実践はどのようなものになっていただろうか、という問題を論じた。
材料が3つ名指しされています。伝記的データ・回想録・文書で、名簿の並びには無かった部分です。そのうえで、別のタイプの人間が精神分析を作っていたらどうなっていたか、という問いが立てられます。タイピングを結論ではなく、思想の成り立ちを読む前提として使った例です。
名前の並びが示すもの—独自整理(試論)
以下はこの節だけ、引用ではなく当サイトの独自整理です。検証できないタイピングの上に載る、その程度の確からしさの見立てです。
研究者がESIに当ててきた顔ぶれは作家に偏り、しかもドライサー・ツルゲーネフ・トルストイ・アンデルセン・ツヴァイク・サリンジャーと、人の間で何が許され何が許されないかを書いた作家が並びます。政治の側のマキャヴェッリも、引かれているのは政策ではなく、人の振る舞いをどう見て書いたかです。04章の定義と突き合わせると、各研究者は「ESI的な観察の産物」の典型として、関係の可否を扱った作品という形を選んで例示してきた、と整理できます。これらの名簿は、実在の人物のタイプの記録としてより、研究者がESIという概念で何を指したかったかの記録として読むほうが、資料の性質に合っていると考えることもできます。
小括します。この章の資料に共通するのは、結論だけが残り、選び方が残っていないという形です。Reininの9人もStratiyevskayaの19人も、名前が並ぶだけで手続きは添えられていません。例外はフロイトの一件で、材料が名指しされ、そこから何を論じるかまで書かれています。愛称の由来にあたるドライサー本人の判定も、根拠は作品の主人公と同じタイプだという一点でした。名前の一致だけではタイプを確かめられないという前提は、23章の論点として残ります。
23先行研究への懸念点
最後の章は、ここまで引用してきた文献群への懸念の整理です。外部からの批判ではなく、できる限り研究者たち自身の言葉で、方法論の弱点がどこまで自覚されていたかを示します。
観察者依存—ユング自身の警告
出発点のユングに、すでに方法論的な自己言及があります。
ただし、このような心理状態について全く正反対の概念を持つことも同様に可能であり、それに基づいて説明することも認める。 私自身が異なる個性心理学を持っていたとしたら、無意識を「非合理的」と見なす観点から、合理的タイプの特徴を正反対の方法で記述していただろうと確信している。
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I am prepared to grant that we may equally well entertain a precisely opposite conception of such a psychology, and present it accordingly. I am also convinced that, had I myself chanced to possess a different individual psychology, I should have described the rational types in the reversed way, from the standpoint of the unconscious as irrational, therefore.
ユングの例は合理的タイプの記述で、ESIはその合理側に置かれます。警告の射程にそのまま入る位置です。ユング自身はこの型の冷たさを外からの誤解として書き(02章)、後代は同じ冷たさをESIを見分ける手がかりに使いました(21章)。同じ振る舞いが見る側の位置で反転する例です。
判定信頼性への内部批判
タイプ判定の信頼性は、学派内部で最も率直に語られてきた弱点です。
現在ソシオニクスが抱える最も痛切な問題は、心理タイプ判定の信頼性である。今のところ、これは科学というよりむしろ技芸に近い。
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самый больной вопрос соционики в настоящее время — это надежность определения психотипов. Пока это скорее искусство, чем наука.
人々は中立的な質問(たとえば「人々は…についてどう考えていると思うか?」)には自発的に回答するが、評価的質問(「あなたはこちらが好きか、それともあちらか?」または「自分自身を…と…のどちらと考えるか?」)は無意識の緊張を引き起こす。(中略)私は既存のテストは最大40%の精度しか許さないと考えている。
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People answer neutral questions (for example: "What do you think people think about …?") spontaneously, but an evaluative question ("Do you prefer this or that?" or "Do you think of yourself as of … or …?") causes an unconscious tension. […] I believe that existing tests allow for maximum of 40 % accuracy.
2つの見積もりが指しているのは、判定の結果を照合する相手が無いという条件です。このページのESI記述も、その手前に誰かの判定を置いた資料です。公開の実演実験でESIをLSEと判定した記録が機関誌に残り、そこではReininが、ではESIだと確かめたのは何かと問い返しています(21章)。
検証されない強い主張
このページで引用した記述には、確かめられる形をしているのに確かめた記録がない主張が含まれます。Bukalovがサブタイプの成り立ちを論じた箇所が、その代表です。
同様に、子供時代におけるサブタイプ形成の現象も説明される。両親のタイプに応じて、子供には、両親のタイプと双対あるいは同一なサブタイプが優勢に固定される。大人が、その情報的影響が両親や養育者の情報的影響に近い状況に陥ったとき、彼の中で対応するサブタイプの発現が「起動」する。
この主張は、親子の組で照合できる形をしています。何組を調べ、両親と子のタイプをどう判定したのかは示されていません。ESIで言えば、20章で見たサブタイプの分かれ目が、育った家の側から説明されることになります。まなざしや外見から型を読む記述(13章)も同じ形です。強い主張が積み上がる一方、それを落とす手続きが無い—ここが実証面での中心的な懸念です。
記述の継承の選択性
系譜の各段階を、ここで一度並べます。一見連続していますが、継承のたびに何を残し何を組み替えたかの検証は示されていません。
- 祖形の組み替え。ユングの内向的感情型では、思考が無意識の側へ退きます(02章)。ソシオニクスのESIはそこにSe(外向感覚)を位置2の創造機能として加え、Ti(位置3)とNe(位置4)を別々の位置へ振り分けます(03章)。最も弱い側は思考から直観へ移りました。1機能の優位から2機能の組へという変更は理論の再設計であって、ユングからの導出ではありません
- 代表像の入替え。ユングの内向的感情型は、外へ出る手段を持たないために冷たく見える側に書かれています(02章)。後代のESI記述の重心は、道徳の基盤を必要なら力ずくでも守る側の像です(08章・09章)。入替えを正当化する観察を示した文献は、確認した範囲では見つかっていません
- 臨床の枠の流用。系譜の起点には、Kempinskiが臨床の場で立てた情報代謝の概念があり、アウシュラは自分の定義にクレッチマーとリチコの類型論を並記しました(02章)。病理や気質の記述で作られた枠を健常者の類型へ転用することの妥当性は、引用した範囲では検証されていません
資料の非独立性—同一原稿の再録・別訳
このページの資料には、独立した証言として数えられない組があります。Reinin・Stratiyevskaya・Gulenkoには、著者の書籍として読める版と、Wikisocionに再録された「ESI」の版があります。当サイトが突き合わせた範囲では、後者はいずれも前者と同じ原稿の別訳でした。本ページは3人とも書籍の側から引き、Gulenkoだけ書籍に無い節を補っています。13章の小論者の記述とWikisocionの編纂資料も、同じ経路を通った資料です。同じ記述を2か所で見たことは、2人が別々に観測したことを意味しません。
逆の側もあります。Filatovaの「ESI」タイプ記述は『ソシオニクスの鏡の中の人格』のESI章とは別の文章で、構成も例示も重なりません。同じ観察の帰属先がTe(位置5)からTi(位置3)へ動いていたのは(09章)、この事情によります。
帰属の断りは、創始者自身の記述にも付いています。
特性記述に対し、エイギルダス・グジンスカス(T△(Ni)■(Te))の文章(私の訳)を添える。
書き手が別にいることを、アウシュラは自分で断っています。記号はその書き手のタイプです。創始者の章の中でも、どこまでが誰の観察かは一様ではないことになります。
学派の分裂と用語の混乱
体系間の互換性の欠如は、各章で繰り返し現れました。機能の番号だけでも、現行の位置番号とアウシュラ旧式の4機能(03章)、陰性の番号を含むReininの体系(06章)、Filatovaの4チャンネル(09章)、GulenkoのモデルG(12章)が併存し、番号や機能名だけで対応づけると別の概念を同じ位置に重ねることになります。MBTIとの対応表も割れています。当サイトはESIをISFPと併記しますが(19章)、Gulenkoが1996年にMBTIと比較した論文では、ESIがISFJ、SEIがISFPに置かれています。末尾の文字を反転させるかどうかで、当て先が入れ替わります。名づけそのものへの異論もあります。
V. D. エルマークはこの機能を「社会的経験の機能」と呼んでいる[5]。しかし私の観点からは、これは完全に正確とは言えない。個人的経験は、社会的接触の中でも獲得されるとはいえ、この経験の意義と価値は、何よりもまず個人的なものである。それは、万人に通用する社会的価値を持たない。そのような価値を獲得しうるのは、この機能による完成された「発言」だけ、つまり、対応するアスペクトについて人が自分の個性を表現したものだけである。
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В. Д. エルマクはこの機能を「社会的経験の機能」と呼んでいる[5]。しかし私の観点からは、これは完全に正確とは言えない。個人的経験は、社会的接触の中でも獲得されるとはいえ、この経験の意義と価値は、何よりもまず個人的なものである。それは、万人に通用する社会的価値を持たない。そのような価値を獲得しうるのは、この機能による完成された「発言」だけ、つまり、対応するアスペクトについて人が自分の個性を表現したものだけである。
争点は名前ではなく、そこに溜まるものが誰のものとして値を持つかです。Yermakは社会的経験の名を、Karpenkoは個人的経験の名を与えます。ESIでこの位置に入るのはNeで、名前が変われば何が溜まると読むかも変わります。
理論の外縁には、確かめにくい主張も現れます。Reininの晩年の見解です。
懐疑的である。検証する必要がある。タイプが何らかの形で遺伝で伝わるとは考えていない。ソシオンは、何らかの形で人間に体現されるノオスフェアの一般的構造かもしれない。A.ブカロフの仕事がこの点に光を当てているかもしれない。
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Скептически отношусь. Проверять надо. Я не думаю, что типы как-то по наследству передаются. Возможно, социон — это какая-то общая структура ноосферы, которая каким-то образом воплощается в людях. Пожалуй, работы А. Букалова проливают свет на это.
タイプの遺伝性には懐疑を示す一方、ノオスフェア(人類の思考圏)という検証の難しい仮説も提示しています。検証を求める姿勢と、検証しにくい概念への傾きが、同じ研究者の記述内に共存する例です。
制度化の主張と外部の視線
学派側は、普及の規模を示す数字を挙げます。
ソシオニクスが科学的方向性として広範に普及していることは、過去15年間にわたり、人文諸科学のあらゆる部門および一連の技術科学において、約800本の学位論文においてソシオニクスの諸概念および諸方法が用いられてきたという事実によって裏付けられている。これら学位論文を分野別および主題別に分析した。さらに、ソシオニクスに関する学術出版物の集合体を分析した。現時点において、ソシオニクスはロシア、ウクライナ、CIS諸国、ならびに欧州連合加盟諸国の150を超える大学で教授されている。
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Широкое распространение соционики как научного направления подтверждается тем, что за последние 15 лет соционические идеи и методы использованы примерно в 800 диссертациях по всем разделам гуманитарных наук и в ряде технических наук. Проведен анализ таких диссертационных работ по отраслям и темам. Проанализирован массив академических публикаций по соционике. В настоящее время соционика преподается более чем в 150 университетах России, Украины, стран СНГ и стран Европейского союза.
800本の学位論文、150超の大学という数字はBukalovらの集計であり、独立の確認はありません。また、利用の広がりは妥当性の証明とは別の事柄です。学派の自己認識の強さは、Stratiyevskayaの一節に典型的に現れます。
—残念ながら、まったくできない。なぜなら、この現代の発見に至るまで、人類は長く困難な道のりを歩んできたのであり、この発見そのものが、ソシオニクスと呼ばれる、新しく将来性のある科学の基礎となったからだ。ソシオニクスが伝統的心理学と異なるのは、化学が錬金術と異なるのと同じである—ソシオニクスには体系がある、構築的アプローチがある、それは既存の知識体系と矛盾せず、それどころか、最も多様な科学・領域で並行して行われている多くの研究によって裏づけられている、科学的方法に基づいている。
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— К сожалению, никак нельзя, поскольку к этому, современному нам открытию, человечество шло долгим и трудным путем, само это открытие явилось основанием новой и перспективной науки, получившей название соционики. От традиционной психологии соционика отличается так же, как химия от алхимии — в ней есть система, в ней есть конструктивный подход, она основана на научных методах, которые не противоречат существующей системе знаний, а, наоборот, подтверждаются многими исследованиями, проводимыми параллельно в самых различных науках и областях.
体系があるという主張と、そこから出た個々の判定が確かめられているかは、別の事柄です。このページで見た記述にも、外見からの識別、育ちによるサブタイプの固定、著名人の同定が含まれますが、どの手続きで確かめたかの記録は付いていません。最後に、判定する側の質の問題が、内部から指摘されています。
ソシオニクスに対する不信の、もう一つの原因は、この人間についての新しい知識領域に、専門的な訓練どころか、単純な人生経験さえ持たないことも少なくない、熱心な支持者たちの一大勢力が押し寄せたことに関係している。そして、そうした若者たちが、自分が正しいと絶対的な確信を持って、決して単純ではない心理的問題の解決策をあちらこちらで提示するとき、それが思慮深い研究者たちの十分に根拠のある批判を招かずにはいないのである。
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Другая причина недоверчивого отношения к соционике связана с тем, что в эту новую область знаний о человеке пришла большая армия энтузиастов, не имеющих зачастую не только специальной подготовки, но и простого жизненного опыта. И когда такие молодые люди с абсолютной уверенностью в своей правоте предлагают направо и налево рецепты решения совсем непростых психологических проблем, это не может не вызывать у вдумчивых исследователей вполне обоснованных нареканий.
小括します。懸念は5つに整理できます。
- 判定の信頼性:技芸に近いという内部評価、質問紙は最大40%という見積もり、実演実験に残った取り違えの記録
- 反証手続きの不在:サブタイプの固定や外見からの識別に、標本・比較群・追試が伴わないこと
- 継承の選択性:祖形の組み替えと臨床の枠の転用が、検証を示さないまま定着したこと
- 資料の非独立性:同一原稿の別訳・再録を、独立した証言として数えられないこと
- 体系の非互換:番号・名称・モデルが併存し、MBTIとの対応表も研究者で割れること
あわせて、このページ全体で扱ってきた主張の水準を区別しておきます。
-
文献上の事実:誰がいつ何を書いたか。索引と出典で確認できます。
-
理論内部の帰結:モデルを前提にした導出(例:ESIの位置4はNeで1次元)。モデル内で整合していても、モデル自体の妥当性は別の問題です。
-
文献系列内で反復される観察:14章の5つの観測。相互に参照し合う文献群での反復であり、独立した再現ではありません。
-
独立に実証された主張:測定・標本・追試を伴うもの。当サイトが確認した範囲では、この水準に達したESI記述は本ページにはありません。
これらの懸念の多くが研究者自身の言葉で残っていることは、少なくとも一部の研究者が弱点を自覚して書き残していた証拠であり、同時に未解決の課題の一覧でもあります。このページの引用群は、その両面を示すことを意図して選びました。
24ESIとは何か
最終章です。この章に新しい引用はありません。ここまでの各章の引用と、14章・23章で行った比較・整理だけを材料に、ESIというタイプの記述を1つのまとめへ再統合します。資料の提示ではなく、資料についての当サイトの解釈であるぶん、確からしさは各章の引用より一段下がります。
反復して現れる記述
14章では、研究者・時代・学派をまたいで繰り返される観測を5つに整理しました。第一・第二・第四は、判断が作られ、それが行動になるまでの一続きの記述です。材料は相手が実際に行ったことに置かれ、そこから出た像はあとから動かず、その像で引いた線が意志の発動する境になります。第三はその判断が外へ出るときの経路で、言葉ではなく視線と声の調子に移ります。第五だけが反対側で、対象が自分自身の可能性に向いたときには評価が定まりません。判断の材料が、すでに行われたことに限られる—5つのうち4つは、この一点から出ていると読むこともできます。他人の行いは材料として揃うので像は確定し、線を引くところまで進む。まだ行われていない自分の可能性には材料がなく、そこだけが定まらない。
01章に置いた一般像—関係に一貫した線を引く、守るために踏み込む、理屈での説明と先行きの見積もりに負担がある—は、この意味では文献に残ります。言い直されるのは2点です。1つは「時間をかけて相手を見てから距離を決める」の中身で、文献が書いているのは像が定まるまでの遅さではなく、関係を結ぶ決定に確かめの手順が要ることです。人物の表象は「まさに最初の印象によって形成される」(Stratiyevskaya)と書かれる一方、伴侶の選択には長い時間がかかり(Filatova)、近づいてから離れてあらゆる側面を探る順序が置かれます(Gulenko)。もう1つは「なぜそう決めたのかを説明する段になると言葉が出てこない」で、一般像はこれを説明の負担として1つにまとめていますが、文献では2つに分かれます。筋道を組み立てる負担は位置3のTi(内向論理)の側にあり、評価が言葉にならないのは主導Fiの側です。後者は不足の記述ではなく、出力の経路が別にあるという記述で、「言葉ではなく、視線とイントネーションによる」(アウシュラ)がその形です。
ただし、この反復を独立した観測の一致と呼ぶことはできません。アウシュラ以後の研究者は同じ理論共同体に属し、用語も先行する記述も相互に受け継いでいるからです(02章)。ESIの場合はさらに、Reinin・Stratiyevskaya・Gulenkoの「ESI」記述に同じ原稿の別訳が流通しており、13章の小論者の記述の多くも同じ編纂経路を通っています(23章)。反復の数がそのまま証言の数になりません。正確には、相互に参照し合う文献系列の中で、論者と様式を変えて反復されてきたモチーフです。その意味で、ESI記述の共有された部分と見てよい範囲にとどまります。
確定しない点と実証の限界
一方で、単純にまとめられない点もあります。規範に対する向きは研究者で食い違います。アウシュラはESIを、その時代に最もよく対応する倫理的関係を意識的に普及させる「宣伝者」と書き、Filatovaは同じ対象に「守護者」の名を与えました。Gulenkoの独自体系ではタイプ名そのものが守護者で、Bukalovだけが道徳規範の創造者と守護者の両方を並べています。広める対象がその人の認めた関係に限られるなら、普及と防衛は同じ判定の表と裏として両立しますが、それは当サイトの整理です(14章)。意志感覚の現れも同じで、Reininは「形式、行動、運動」として書きBeskovaは姿勢と服装から肖像を立てる一方、Yermakは同じ位置を「防御の手段としての意志的資質」と規定し、Gulenkoは敵意を示されたときの圧力として書きます。形として現れる面と力として現れる面を分ければ両立しますが、Reininは踊りの好みまで同じ位置の話として書いており、要素の区別だけでは整理し切れません。見立てが定まるまでの時間については、同じ食い違いが1人の研究者の記述の内側にも残ったままです(14章)。
記述の土台そのものにも懸念が残ります(23章)。タイプ判定の信頼性は学派の内部から技芸に近いと評価され、質問紙の精度には最大40%という見積もりが提唱者本人から出ています。ESIで目立つのは外見からの識別で、本人写真の集合(Filatova)、まなざしと表情(Meged & Ovcharov)、突き刺すような視線(Gulenko)、体の使い方と服装(Beskova)が判定の手がかりに挙がりますが、判定者を分けた照合の記録は確認できません。誤同定の実例は機関誌の論争に残っている一方、そこで問い返されたのは正解の側を何で確かめたのかでした(21章)。当サイトが確認した範囲では、測定・標本・追試を伴う水準で実証されたESI記述は、このページにはありません。
ESI像の要約
ここまでを、確実に間違いとは言えない範囲でまとめます。以下は当サイトの統合で、この形で書かれた文献が1つあるわけではありません。文献上のESIは、自我ブロックの主導機能にFi(内向倫理)、創造機能にSe(外向感覚)を置くタイプとして記述されます(03章)。Fiは担い手どうしの引力と反発を関係として知覚し、そこに価値を与える要素、Seは空間を力の側面から知覚し、意志を対置する要素とされます(04章)。ESIではこの2つが並列の技能として置かれるのではなく、Fiが守る対象を決め、Seがその防衛に使われる構成として説明されます(04章)。この構成の記述とは別に、複数の文献では、人と人のあいだの配置の知覚と評価の固定、行われたことを材料にする判断、視線と声の調子へ移る評価、線で区切られた守る範囲と防御に使われる意志、自分の可能性についての評価だけが定まらないことが反復して記述されています(14章)。
ただしこれは文献上の反復であって、独立した実証ではありません。ESIを短くまとめるなら、関係の質の判定と、その判定を通すための意志を強い側に持つと文献上は記述されるタイプ、となります。それが、当サイトが確実に間違いとは言えないと考える範囲です。
かみ砕いて言うと
最後に、同じまとめを、タイプ解説で一般的な語り口に寄せて書いておきます。変えたのは文体だけで、内容は前節と同じく、根拠はここまでの章の資料のみです。
ESIは、人と人のあいだに何が成り立っているかを見て、その相手と関係を続けられるかどうかを自分の基準で決めるタイプとして描かれてきました。材料になるのは言葉や説明ではなく、その人が実際に何をしたかで、一度そこから出た見立ては、あとから事情を足されても動きにくい、と繰り返し書かれています。評価そのものは言葉になりにくく、視線や声の調子のほうに出る、とも記述されます。守ると決めた範囲の内と外では扱いが変わり、その境に踏み込まれたときには、譲る側ではなく押し返す側の力が出てくる、という書き方が多くの文献にあります。ただし、その力が身のこなしや装いの形として現れると書く研究者と、防御の手段として現れると書く研究者がいて、どちらの面から書くかは一つではありません。自分の能力やこれから何ができるかについては、他人を測るときの明快さが働かず、内側では確信が持てないままだ、とも書かれます。
ただし、これらは相互に参照し合う文献のなかで繰り返されてきた記述であって、測定で確かめられた性質ではありません(23章)。そのうえで一文に圧縮するなら—ESIは、少なくとも「人と人のあいだの関係を行われたことで判定し、その判定で引いた線を守る側に意志を使う一方、まだ行われていない自分の可能性については評価が定まらない」と文献上繰り返し記述されてきたタイプだと言えるかもしれません。
25この記事の方法論
引用を用いる理由と範囲
ソシオニクスの文献では、同じESIというタイプについて、研究者ごとに観測点も語彙も評価も食い違います。食い違う記述を1つの要約にまとめると、どの研究者も書いていない「平均像」ができあがります。要約には書き手の解釈が混ざるため、研究者の記述は逐語の引用で示します。引用は本文で設定した論点の検討に必要な範囲にとどめ、当サイトの本文がその出典関係・記述の差異・適用範囲を分析します。各引用の位置づけの説明、各章末の小括、14章の横断比較、23章の懸念の整理が、このページの本文の役割です。14章の横断比較や22章・23章の整理など、本文の分析には当サイトの判断が入ります。最終の24章はその延長で、記事全体の資料をまとめ直す独自の統合です(位置づけは章の冒頭でも明示します)。
引用の逐語性と翻訳
引用の訳文は当サイトによる訳出です(ユングはドイツ語原著の英訳版から訳出しています)。掲載した引用文は、訳出した本文と逐語で一致することを機械的に検証しています。底本の綴りは各引用の「原文を表示」で確認できます。
引用内の愛称は、コード表記へ置換したうえで原語を併記します(例:「ESI〔原文: ドライザー〕」)。置換の方針は次節に書きます。
引用の位置づけも明記します。本ページの引用は、公表された著作物からの、批評・研究を目的とする引用です。引用部は引用ブロックで明瞭に区分し、すべてに出所を番号つきで明示しています。索引には著者・資料名と、確認できた範囲の刊行年・初出・該当箇所を掲載し、出所に留保が要る資料は注記で示します。本文と引用の関係は、本文の分析が主で、引用は各論点の根拠として示す資料です。出典・掲載についての指摘があれば対応します。
タイプ愛称の置換
ソシオニクスの原典には、16タイプを著名人や文学人物の名で呼ぶ愛称が頻出します。ESIの場合は「ドライザー」で、資料によっては「ドライサー」とも表記されます。当サイトはタイプをコード表記(ESI、LIEなど)で統一しているため、引用内の愛称は「ESI〔原文: ドライザー〕」の形式で置換します。愛称の由来と著名人タイピングの問題は22章で扱います。
索引の使い方
引用の末尾には初出順の番号が付きます。番号を押すと巻末の索引に移動し、著者・書名と、確認できた範囲の年・該当箇所を確認できます。索引の各項目からは、本文の引用位置へ戻れます。
注釈
+索引(引用文献)
- [1]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第11章 定義 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [2]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [3]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [4]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [5]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [6]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [7]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 外向的感覚型 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [8]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [9]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [10]Kempinski『Lęk(不安)』 本文へ
- [11]Kempinski『Lęk(不安)抜粋訳』(原題:Lęk) 「アナログ原理とデジタル原理」の節 死後刊行の著作。著者はAntoni Kępiński(1918–1972) 本文へ
- [12]Kempinski『Lęk(不安)抜粋訳』(原題:Lęk) 「アナログ原理とデジタル原理」の節 死後刊行の著作。著者はAntoni Kępiński(1918–1972) 本文へ
- [13]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) Kempinskiの抜粋訳内の再録(原出典はアウシュラ『ソシオニクス入門』) 本文へ
- [14]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998)著者序文 Kempinskiの抜粋訳内の再録(原出典はアウシュラ『ソシオニクス入門』) 本文へ
- [15]アウシュラ『ユング論考集(当サイト編纂アーカイブ)』(1984)第4篇「パーソナリティとパーソナリティタイプ」 心理学者エレナ・ドゥボヴァ宛書簡(1984年11月18日付)。機関誌『ソシオニクス、メンタロジー、人格心理学』2005年№4(通巻No.202)に再録 本文へ
- [16]Reinin「情報、その伝達、および情報代謝について」(原題:Об информации, её передаче и информационном метаболизме)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1-2(2021年) 機関誌への再録掲載 出典リンク 本文へ
- [17]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第I部 理論編 刊行年は底本(露語電子テキスト)に記載がなく未確認 本文へ
- [18]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001)前書き 本文へ
- [19]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей — Соционика: новый метод познания человека、2005)第1章 本文へ
- [20]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [21]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [22]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика) 「第1機能」の節(要約) 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [23]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика) 「第2機能」の節(要約) 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [24]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика) 「情報代謝モデル」の節 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [25]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [26]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [27]Composite『「ESI」編纂プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [28]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [29]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [30]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [31]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [32]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [33]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [34]Yermak『人を理解することを学ぶには』(2005) 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [35]Karpenko「世界のアスペクト知覚」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1995年) 本文へ
- [36]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998)第4章 1982年執筆「ソシオン、またはソシオニクスの基礎」の再録部からの引用 本文へ
- [37]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [38]Yermak「情報流のアスペクト辞典」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1998年) 出典リンク 本文へ
- [39]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(1998) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [40]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [41]Filatova『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [42]Karpenko「バーン=ブカロフによる構えがタイプの発現に及ぼす影響」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 本文へ
- [43]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [44]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [45]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [46]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [47]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [48]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [49]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [50]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [51]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [52]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [53]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [54]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [55]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [56]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [57]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [58]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [59]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成(第2部)」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2018年) 出典リンク 本文へ
- [60]Bukalov『「ESI」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [61]Bukalov『「ESI」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [62]Bukalov『「ESI」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [63]Bukalov『「ESI」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [64]Bukalov『「ESI」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [65]Bukalov『「ESI」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [66]Bukalov & Karpenko「学術分野としてのソシオニクス」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2013年) 出典リンク 本文へ
- [67]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [68]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [69]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [70]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [71]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [72]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [73]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [74]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [75]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [76]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [77]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [78]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [79]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [80]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [81]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [82]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [83]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [84]Filatova『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [85]Filatova『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [86]Yermak, Roslankina『人を理解することを学ぶには』(2005) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [87]Yermak, Roslankina『人を理解することを学ぶには』(2005) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [88]Yermak『ウクライナのための大統領』(2009) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [89]Yermak『ウクライナのための大統領』(2009) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [90]Karpenko「私たちは何を話しているのか?」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1995年) 本文へ
- [91]Karpenko「私たちは何を話しているのか?」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1995年) 本文へ
- [92]Karpenko「私たちは何を話しているのか?」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1995年) 本文へ
- [93]Karpenko「バーン=ブカロフによる構えがタイプの発現に及ぼす影響」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 本文へ
- [94]Karpenko「バーン=ブカロフによる構えがタイプの発現に及ぼす影響」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 本文へ
- [95]Karpenko「第4機能について」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1999年) 本文へ
- [96]Karpenko「第4機能について」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1999年) 本文へ
- [97]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [98]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [99]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [100]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [101]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [102]Gulenko『64の肖像』(2019)理論編 本文へ
- [103]Gulenko『64の肖像』(2019) DCNH編 本文へ
- [104]Gulenko『「守護者」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [105]Gulenko『「守護者」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [106]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [107]Prokofieva『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [108]Prokofieva『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [109]Meged & Ovcharov『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [110]Zamanskaya『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [111]Zamanskaya『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [112]socionics.ua『「ESI」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [113]socionics.ua『「ESI」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [114]Golihov『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [115]Golihov『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [116]Piatnitskiy『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [117]Beskova『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [118]Beskova『「ESI」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [119]Beskova『ESI男性の肖像』(2005) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [120]Beskova『ESI男性の肖像』(2005) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [121]Wikisocion『「ESI」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [122]Socioscope『「ESI」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [123]Socioscope『「ESI」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [124]Gulenko『認知の形式』(2005) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [125]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [126]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第I部 理論編 刊行年は底本(露語電子テキスト)に記載がなく未確認 本文へ
- [127]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [128]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [129]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [130]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [131]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [132]Bukalov, Karpenko & Chikirisova「夫婦ペアにおけるインタータイプ関係の統計」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 刊行年は底本に記載がなく未確認 本文へ
- [133]Karpenko, Bukalov & Chikirisova「レイニン特性: ジェンダー差と社会的期待」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2000年) 本文へ
- [134]Karpenko「レイニン特性: 起源・存在・応用」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 本文へ
- [135]Wikisocion『「Clubs」(コミュニティ編纂)』(2026) コミュニティ編纂。底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [136]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成」(原題:Эволюция человека: формирование структуры ФИМ и социона)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2018年) 出典リンク 本文へ
- [137]Bukalov「職業的成功とソシオニクス・タイプ」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2023年) 出典リンク 本文へ
- [138]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей — Соционика: новый метод познания человека、2005)第3章 本文へ
- [139]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成」(原題:Эволюция человека: формирование структуры ФИМ и социона)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2018年) 出典リンク 本文へ
- [140]Bukalov「意識機能の管理的役割」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2016年) 本文へ
- [141]Yermak「ソシオニクスにおける範疇〈時間〉」(原題:Категория «время» в соционике)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(2007年) 出典リンク 本文へ
- [142]Karpenko「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 本文へ
- [143]Bukalov「職業的成功とソシオニクス・タイプ」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2023年) 出典リンク 本文へ
- [144]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成」(原題:Эволюция человека: формирование структуры ФИМ и социона)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2018年) 出典リンク 本文へ
- [145]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [146]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [147]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [148]Gulenko『64の肖像』(2019)クアドラ論 本文へ
- [149]Karpenko「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 本文へ
- [150]Karpenko「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 本文へ
- [151]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [152]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [153]Bukalov「情報代謝機能の形成メカニズムについて—個体誕生過程における機能形成」(原題:О механизме формирования функций информационного метаболизма в процессе рождения индивидуума)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №168、pp. 19–34(1996年) 出典リンク 本文へ
- [154]Karpenko「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 本文へ
- [155]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [156]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [157]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010) 参照は2010年英語版(露語版の初出年は確認中) 本文へ
- [158]Bukalov, Karpenko & Chikirisova「夫婦ペアにおけるインタータイプ関係の統計」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 刊行年は底本に記載がなく未確認 本文へ
- [159]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [160]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [161]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [162]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [163]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [164]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [165]Karpenko「私たちは何を話しているのか?」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1995年) 本文へ
- [166]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [167]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [168]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成(第2部)」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2018年) 出典リンク 本文へ
- [169]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [170]Bukalov & Karpenko「学術分野としてのソシオニクス」(原題:Соционика как академическая научная дисциплина)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(2013年) 出典リンク 本文へ
- [171]アウシュラ『ユング論考集(当サイト編纂アーカイブ)』(1984)第4篇「パーソナリティとパーソナリティタイプ」 心理学者エレナ・ドゥボヴァ宛書簡(1984年11月18日付)。機関誌『ソシオニクス、メンタロジー、人格心理学』2005年№4(通巻No.202)に再録 本文へ
- [172]Wikisocion『「Subtypes」(コミュニティ編纂)』(2026) 2026-07-15閲覧 底本はWikisocion掲載の英訳テキスト。著者の原語初出は未確認 本文へ
- [173]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [174]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [175]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [176]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [177]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [178]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [179]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [180]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [181]Wikisocion『「Subtypes」(コミュニティ編纂)』(2026) 2026-07-15閲覧 底本はWikisocion掲載の英訳テキスト。著者の原語初出は未確認 本文へ
- [182]アウシュラ『ユング論考集(当サイト編纂アーカイブ)』第2篇「なぜユングを読むのは難しいか?」 執筆・初出は篇ごとに異なる編纂物(第2篇は機関誌2006年№4再録の論考) 本文へ
- [183]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей — Соционика: новый метод познания человека、2005)第9章 本文へ
- [184]Karpenko「エキスパートの立場」(原題:Позиция эксперта)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(1999年) 出典リンク 本文へ
- [185]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [186]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [187]Karpenko, Karjuk『感覚倫理内向型: 自然観察の試み』(2010) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [188]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [189]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [190]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [191]Reinin「レイニン特徴論議への覚書」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2003年) 本文へ
- [192]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [193]Bukalov『「ESI」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [194]Bukalov「個体誕生過程における情報代謝機能の形成メカニズムについて」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1996年) 本文へ
- [195]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [196]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [197]アウシュラ『女性の役割と社会』(1997) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [198]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [199]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [200]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [201]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [202]Bukalov『「ESI」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [203]Karpenko「ブカロフ・アレクサンドル・ヴァレンチノヴィチ:科学伝記 第2部」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2022年) 本文へ
- [204]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [205]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001)前書き 本文へ
- [206]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010) 参照は2010年英語版(露語版の初出年は確認中) 本文へ
- [207]Bukalov「TIMとソシオンの16成分モデル」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1996年) 本文へ
- [208]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [209]Karpenko『第4機能について』(1999) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [210]Reinin「ソシオンとその記述」(原題:Социон и его описания)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2008年) 出典リンク 本文へ
- [211]Bukalov & Karpenko「学術分野としてのソシオニクス」(原題:Соционика как академическая научная дисциплина)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(2013年) 出典リンク 本文へ
- [212]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第I部 理論編 刊行年は底本(露語電子テキスト)に記載がなく未確認 本文へ
- [213]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001)前書き 本文へ
