LIE超詳細解説
LIE(ENTJ)というタイプを、ソシオニクスの研究文献からの引用で読む長編解説です。当サイトの通常ページは理論を短く言い換えて説明しますが、このページは研究文献からの引用を資料として示し、その比較と分析で構成します。対象は、創始者アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ(Aushra Augustinaviciute)から、Reinin、Bukalov、Stratiyevskaya、Filatova、Yermak、Karpenko、Gulenkoまでの各研究者です。多数の研究者が同じLIEをどう記述したかを、1つの要約にまとめず、引用で示し、本文で比較・分析します。
01LIEは一般にどう言われているか
LIE(ENTJ)は、一般にはこんなふうに紹介されます。目標を決めて、そこへ最短で届く道を探す人。主導機能はTe(外向論理)で、何がどれだけの手間で何を返すかを事実と数字で測り、創造機能のNi(内向直観)が「今か、まだか」「この先どうなるか」の見通しを添える。結論から話し、前置きを好まない。ジャック・ロンドンと呼ばれることもあります—おおよそこんな像です。
よく挙げられる場面はこうです。仕事では締切と手持ちの資源を先に見て、効率の悪い手順があれば作り替える、と言われます。動きの止まった事業に入ると、何を切って何に賭けるかを決めて進める、とも紹介されます。一方、自分の体調や休息は後回しになり、限界を超えてから気づく、と書かれます。相手が言葉にしない好意や距離の取り方については、能力や成果を測るときの明快さが働きません。押しの強い人と見られる場面でも、本人の側には、測れないものを扱う負担が残ります。
この像は、あとで見る研究者の記述から切り出されて広まったものです。成果で測る・時機を読む・身体の要求が後回しになる、という要素はたいてい合っています。ただ、研究者ごとに力点が違い、この行動力を事業の才として書くか、休みなく走り続ける負担として書くかも一つではありません。02〜04章で系譜とモデルAの土台を置き、05〜13章で研究者ごとの記述を順に見ます。14章が横断比較、24章ではこの一般像のどこが残り、どこが言い直されるかに戻ります。
読この記事の読み方
想定読者は、LIEプロファイルなどの基礎ページを読み終えて、出典まで確かめたい人です。長いページですが、読み方は単純です。各章で研究者の記述を引用で示し、そのすぐ下に当サイトの読み方(何が共通し、どこが違うか)を書きます。一致と食い違いを確かめながら、LIEというタイプの輪郭を自分で考えていく構成です。
流れは、01章が一般に言われている像、02〜04章が土台(系譜、モデルA、情報要素)、05〜13章が研究者別の記述(このページの中心)、14章が横断比較、15〜23章が各論、24章が当サイトのまとめです。引用には初出順の番号が付き、押すと巻末の索引へ飛び、索引から本文へ戻れます。引用の扱い方(逐語性、訳出、編集操作)は末尾の「この記事の方法論」にあります。
ページ冒頭の「コピーしてAIで要約!」を押すと、要約用の指示文とこのページの本文がクリップボードに入ります。AIに渡して、要約のほか、引用の意味を聞く、研究者ごとの違いを整理させる、といった使い方ができます(長すぎるときは章を分けて渡してください)。
タイトルの「ENTJ」はMBTIに慣れた読者のための参照用の表記で、ソシオニクスのLIEとMBTIのENTJを同じタイプとして扱う趣旨ではありません(19章)。
02系譜 ユングから情報代謝へ
LIEという記述がどこから来たのかを、3つの原典で辿ります。ユング『心理学的類型』(1921年)の類型論、Kempinskiの情報代謝の概念、そしてアウシュラによる両者の接合です。この章の引用が、以降の全章の土台になります。
ユングの類型論(1921年)
ソシオニクスの16タイプは、スイスの精神科医カール・グスタフ・ユングの『心理学的類型』を出発点とするとされます。ユングは心の働きを4つの基本機能に分け、それぞれが外向・内向のどちらかの構えで働くと考えました。定義の章で、機能は次のように説明されます。
心理学的機能とは、さまざまな状況のもとでも理論上同一であり続ける、心的活動の特定の形式のことと私は理解している。(中略)私は全部で4つの基本機能を区別する。2つの合理的機能と、2つの非合理的機能である。
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By psychological function I understand a certain form of psychic activity that remains theoretically the same under varying circumstances.(中略)I distinguish four basic functions in all, two rational and two irrational
合理的な2つは思考・感情、非合理的な2つは感覚・直観です。そのうえでユングは、人によって最も分化した機能が違い、それが生活への適応の主役になると書きます。
まず特に注目すべきは、私が「内向型」と「外向型」と分類した2つの基本的なタイプについてである。(中略)個人の適応や人生への方向性において、最も発達した機能が主要な役割を果たすという特異性を持つ特定のタイプ
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my first concern must be with the two general types I have termed introverted and extraverted.(中略)those special types whose particularity is due to the fact that his most differentiated function plays the principal role in an individual's adaptation or orientation to life.
まず外向・内向という2つの一般類型があり、その内側に、最も分化した機能が主役を担う「機能類型」が置かれる、という二重の分類です。この組み合わせで8つの型が記述されました。ソシオニクスの文献では、この4機能×2構えの枠組みを「ユングの基底」と呼ぶことがあります。
ユングの外向的思考型—LIEの祖形
LIEの祖形として後代に参照されたのが、第10章の外向的思考型です。ユングはまず、この型が成立する条件を書きます。
心理学的諸機能のなかで優位が思考に与えられるとき、すなわち個人の生がおもに反省的な思考によって支配され、重要な行動がいずれも知的に考量された動機から出てくるとき、あるいは少なくともそうした動機に従おうとする傾向があるとき、私たちはこれを思考型と呼んでよいだろう。
この型の条件は、重要な行動の出所が知的に考量された動機であることです。ユングは続けて、その思考が何に方向づけられるかを書きます。
まず、外向的思考タイプを論じよう。その定義に従えば、純粋な型であるかぎり、その生の活動全体を、最終的には常に客観的なデータ—客観的な事実であれ、一般に妥当する観念であれ—によって方向づけられた知的な結論との関係へと持ち込むことを、恒常の目標とする人間を、私たちは思い描かねばならない。この型の人間は、自分ひとりについてだけでなく周囲の人々を代表しても、現実の客観的な実在か、あるいはそれを客観的に方向づけた知的な公式のいずれかに、決定権を与える。
判断の拠り所が主観の価値ではなく、客観的な実在か、それを整理した公式に置かれます。後の研究者がLIEのTe(外向論理)を記述するときの原型が、ここにあります。ユングは、この思考の働き方についても書いています。
その思考は、新しい事実へ、あるいはばらばらな実験材料の包括的な概念へと導く。その判断はおおむね総合的である。分析するときでさえ構築している。分析を越えて新しい結合へ、すなわち分析された材料を新しい仕方で結び直すか、与えられた材料に何かを付け加える、さらなる概念へと、つねに進んでいくからである。
分析しながら構築するという記述です。同じ節でユングは、この型で後退する側についても書きます。
まず第一に、この型では、感情に依存する生の営みがすべて抑圧される。たとえば美的な活動、趣味、芸術的な感覚、友情の技術などである。
思考が優位に立つぶん、感情に依存する営みが後退する、という純粋型の記述です。ここは注意が要る箇所で、ソシオニクスのLIEは、この思考にNi(内向直観)を2番目に強い機能として加えた構成で書かれます。ユングの純粋型と2機能の組は、この点で単純には重なりません(23章で再論します)。
ユングの内向的直観
LIEの2番目の機能Ni(内向直観)に対応する祖形は、同じ第10章の内向的直観の節にあります。
このようにして内向的直観は、外向的感覚が外的な対象を感じ取るのとほとんど同じ明瞭さで、意識の背景で進む過程のすべてを知覚する。したがって直観にとって、無意識の像は物あるいは対象としての位を得る。
直観が向かうのは外界に現れた対象ではなく、意識の背景で進む過程です。ユングはこの知覚を元型との関係に進め、先を見通す働きとその根拠まで書きます。
さらには、新たな可能性をより明確な形で予見することも可能であり、後に実際に起こる事象さえも予見することができるのである。 その予言的な予見能力は、すべての経験可能な事象の法則的展開を表す元型との関係性によって説明される。
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represented which since primeval time have happened on this planet. Their archetypal distinctness is the more marked, the more frequently and intensely they have been experienced. archetype would be to borrow from the noumenon of the image which intuition perceives and, in perceiving, creates. Since the unconscious is not just something that lies there, like a psychic caput mortuum, but is something that coexists and experiences inner transformations which are inherently related to general events, introverted intuition, through its perception of inner processes, gives certain data which may possess supreme importance for the comprehension of general occurrences: it can even foresee new possibilities in more or less clear outline, as well as the event which later actually transpires. Its prophetic prevision is to be explained from its relation to the archetypes which represent the law-determined course of all experienceable things.
予見の対象として、新たな可能性と、後に実際に起こる事象の2つが挙げられています。根拠は元型との関係に置かれます。事象の展開には法則にかなった筋があり、直観はその筋を知覚する、という説明です。Te(外向論理)が客観的な実在と公式へ向かうのに対し、この直観は事象の展開の筋へ向かいます。後代のLIE記述で「見通し」と呼ばれる部分の祖形が、この機能にあたるとされます。
Kempinskiの「情報代謝」
「情報代謝(Information Metabolism)」の語は、ポーランドの精神科医Antoni Kempinski(アントニ・ケンピンスキー、1918〜1972)に由来するとされます。Kempinskiが扱ったのはタイプごとの機能配置ではなく、生体が環境から情報を受け取り、反応を選ぶ一般の過程です。著書『Lęk(不安)』では、その過程を支える神経系の2つの原理が対比されます。
アナログ原理(緩電位)は刺激の量的な再現を可能にする。これにより「どの程度か」という問いへの答えが得られる。他方デジタル原理(スパイク電位)は「はい」か「いいえ」かの答えを可能にする。前者は本質的弁別、後者は差異的弁別と呼ばれる。
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Zasada analogowa (potencjały generacyjne) pozwala na ilościowe odtworzenie bodźca. Dzięki niej znajdujemy odpowiedź na pytanie: "w jakim stopniu". Natomiast zasada cyfrowa (potencjałów iglicowych) pozwala na odpowiedź: "tak" lub "nie". Pierwszą określa się jako essential discrimination, a drugą jako differential discrimination.
情報代謝は固有の脈動によって特徴づけられることになろう。すなわち第1相では生体の外部環境とも内部環境とも結合し、第2相ではそれに対して距離を取る。
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Metabolizm informacyjny charakteryzowałby się swoistą pulsacją: złączeniem się ze środowiskiem zarówno zewnętrznym, jak wewnętrznym ustroju w pierwszej fazie i nabraniem w stosunku do niego dystansu w drugiej.
量を連続的に捉える働きと、可否を二値で分ける働き。この2つの上に、環境と結びつく第1相と、そこから距離を取って行動を選ぶ第2相の反復が置かれます。ここで書かれているのは人間一般の情報処理で、タイプの区別も、ユングの型との対応づけもまだありません。ユングの類型論とこの情報代謝の概念を1つの理論に接いだのがアウシュラです。
アウシュラによる接合
アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ(Aushra Augustinaviciute、1927〜2005)は、この語を借りたことを自分で書いています。
「情報代謝」という用語はポーランドの精神医学の古典A.ケンピンスキーから借りたことを思い出してもらいたい。おそらく彼は、人間の心理的不快の基盤にはその情報代謝の障害が横たわっていると最初に語った人物である。
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Можно напомнить, что термин «информацион- ный метаболизм» мы заняли у классика польской психиатрии А. Кемпинского. По-видимому, он пер- вый заговорил о том, что в основе психологичес- кого дискомфорта человека лежит нарушение его информационного метаболизма.
ソシオニクスとは、ソシオンについて、人間のソシオン的本性と社会のソシオン的構造について、人々の情報代謝(情報代謝)のさまざまなタイプとそれらのあいだのさまざまな形態の相互関係についての学問であり、K.G.ユング、E.クレッチマー、A.E.リチコの類型論と、A.ケンピンスキーの情報代謝の理論を基盤として生まれた。
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Соционика — наука о соционе, соционной при- роде человека и соционной структуре общества, о разных типах информационного метаболизма (ИМ) людей и разных формах взаимоотноше- ний между ними — родилась на основе типологий К. Г. Юнга, Э. Кречмера, А. Е. Личко и теории ин- формационного метаболизма А. Кемпинского.
アウシュラの自己定義では、ユング・クレッチマー・リチコの類型論とKempinskiの情報代謝理論が同じ基盤に並びます。彼女自身によるタイプの定義は次のとおりです。
パーソナリティタイプは、パーソナリティの形態、または人間の思考が収まる形態、彼の情報代謝の形態である。奇妙で慣れないが、身体が食物で養われエネルギーを生産するのと完全に同じく、心理は情報、受け取る信号、刺激で養われ、エネルギーを生産する。心的エネルギーまたは情報的エネルギーである。
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Итак: тип личности — это форма личности, или форма, в которую укладывается мышление человека, форма его информационного метаболизма. Как это ни странно и непривычно, но ровно так, как тело питается пищей и производит энергию, так психика питается информацией, получаемыми сигналами, раздражителями и тоже производит энергию. Психическую энергию или информационную энергию.
タイプを人格の中身ではなく、思考が収まる形態として置いた定義です。この定義があるため、以降の章で研究者が書くLIEの記述は、性格の分類ではなく情報の扱い方の記述として読めます。彼女はユングの発見そのものも、同じ枠で読み替えています。
ユングの発見とは、心によって知覚されるシグナルの選別メカニズムの発見である。このメカニズムを、情報代謝(情報代謝)のコード、あるいは情報の伝達に用いられる言語の規則と呼ぶことができる。
ユングが見つけたのは機能の分類ではなく、心が受け取る信号を選り分ける仕組みだ、という読み替えです。この読み替えを通すと、ユングの8つの型の記述は、情報の処理の規則の記述として読み直せます。読み直しの要点は、どの要素が主導するかの置き方にあります。
IMモデルの基礎となったのは、ユングが心的機能と呼んだ諸要素の組み合わせという独特の構造である。個々のモデル間の差異は、どの要素が主導的役割を果たすかにある。第一に、第一機能と第二機能の役割である。
ユングが主機能を強調したのに対し、アウシュラは第1機能と第2機能の組をモデル間の差異の基準に置きます。LIEがTe(外向論理)とNi(内向直観)の組として書かれるのは、この基準に従った結果です。ユングの側では別々の節に置かれていた外向的思考と内向的直観が、ここで1つのタイプの1番目と2番目になります。
後代の研究者が語る系譜
この接合を、後の研究者はそれぞれの力点で語り直しています。Reininは、Kempinskiとアウシュラのあいだにある情報観の質的な違いを対比します。
アントニ・ケンピンスキーは精神科医として、各人がそれぞれ自分固有の世界に生きていることをよく理解していた(中略)概念を導入するにあたり、ケンピンスキーは純粋に物理的な類比—エネルギー代謝・物質代謝との類比—を用い、情報を諸対象が相互に交換する一種の実体として表象した(中略)アウシュラ・アウグスティナヴィチューテは(中略)自らの情報代謝タイプ理論を構築するにあたって、明らかに「情報」現象の仮想的性質を理解していた。
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Анатолий Кемпинский, будучи врачом психиатром, прекрасно понимал, что каждый человек живет в своем особенном мире [6]. […] При этом, вводя понятие «информационный метаболизм», Кемпинский воспользовался чисто физической аналогией с энергетическим и материальным метаболизмом, представляя информацию как некоторую субстанцию, которой обмениваются объекты [5]. […] Однако, Аушра Аугустинавичюте [1], […] создавая свою теорию типов информационного метаболизма, безусловно, понимала виртуальный характер феномена «информация».
引用中の「アントニ」は訂正した表記です。Reininの原文では「アナトリー」と書かれていますが、Kempinskiの名は実際にはアントニ(Antoni)です。Stratiyevskayaは、この転換を成し遂げた人物のほうに力点を置きます。
それでもなお、この領域における根本的な転換は、心理学者ではなく(本来そう期待されるはずだったのだが)、数学者によって(より正確には、心理学者というよりもむしろ数学者によって)成し遂げられた—それまで誰にも知られていなかったリトアニアの学者、アウシュラ・アウグスティナヴィチューテによってである。彼女ただ一人が、ユングのタイポロジー(類型論)を解読し、彼のタイポロジーへの「鍵」となる、構築的な心理学的モデルを開発し、自身のタイポロジーと自身の新しい、拡張され改良された人間心理の構造のモデル(「モデルA」)を創造することに成功した。
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И тем не менее кардинальный переворот в этой области был совершен не психологом (как этого следовало бы ожидать), а математиком (точнее, не столько психологом, сколько математиком) — дотоле никому не известным литовским ученым Аушрой Аугустинавичюте. Ей единственной удалось расшифровать типологию Юнга, разработать конструктивную психологическую модель, послужившую "ключом" к его типологии; создать свою типологию и свою новую, расширенную и усовершенствованную модель структуры человеческой психики ("Модель "А").
Filatovaは、アウシュラとユングの出会いを本人の言葉ごと記録しています。
こうしてユングは、人間の一生を通じて保たれる安定した特徴によって互いに区別される、合計16の心理学的タイプを見出したのである。それから数十年後、リトアニアの研究者アウシュラ・アウグスティナヴィチューテが、さらに先へと歩を進めた。(中略)「ユングは私をたちまち引きつけた。なぜなら、彼は構造を提示していたからである。しかも16もの構造を!」
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Несколько десятилетий спустя исследователь из Литвы Аушра Аугустинавичюте пошла дальше. […] «Юнг заинтересовал меня сразу. Потому что предлагал структуру. И даже шестнадцать структур!»
Yermakは、系譜全体を1文に圧縮します。
こうして、A. アウグスタは、ユング流のタイポロジー(類型論)を、A. ケンピンスキーの心の情報代謝の理念の立場から研究して、心のモデルを創造し、N. メドヴェージェフは、心と世界の情報的相互作用のアスペクト構造の根拠を提示することで、モデル化に基づく特徴の「明晰化」と精緻化の基礎を据えた。
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Так, А.Аугустинавичюте, исследовав юнговскую типологию с позиций идеи А.Кемпинского об информационном метаболизме психики, создала модель психики, а Н.Медведев, предложив основания аспектной структуры информационного взаимодействия психики с миром, заложили основы “прояснения” и уточнения признаков на основе моделирования.
文中のメドヴェージェフ(N. Medvedev)は、情報の側面(アスペクト)構造の根拠づけに関わった人物として言及されています。
4人は同じ出来事の別の面を書いています。Reininは情報という概念の質の変化を、Stratiyevskayaはモデルを作った人物を、Filatovaはユングの16の構造との出会いを、Yermakは類型論からモデルとアスペクト構造へ進む段階を記録します。
小括します。4機能×2構えの枠組みはユングに、情報代謝の語はKempinskiに由来し、両者を1つのモデルに接いだのがアウシュラである—ここまでは各研究者の記述が一致します。食い違うのは力点です。LIEについて言えば、祖形は第10章の外向的思考型で、そこには客観的な実在と公式への定位、分析しながら構築する思考、そして感情に依存する営みの後退が並びます。2番目のNiに対応する内向的直観は、ユングでは別の節に置かれた機能でした。祖形にあるのは要素の中身であって、位置の配列ではない—配列を持ち込んだのは、第1機能と第2機能の組をモデルの差異の基準に据えたアウシュラです。この2点が、以降の全章の前提になります。
03モデルAにおけるLIE
モデルAは、8つの情報要素を8つの機能位置に配置した心の構造モデルです。当サイトが基準とするLIEの配置は次のとおりです。
- 1(主導機能):Te(外向論理)
- 2(創造機能):Ni(内向直観)
- 3(規範機能):Fe(外向倫理)
- 4(脆弱機能):Si(内向感覚)
- 5(暗示機能):Fi(内向倫理)
- 6(動員機能):Se(外向感覚)
- 7(観察機能):Ti(内向論理)
- 8(実演機能):Ne(外向直観)
この章では、この配置を支える原典記述を確認します。順序は、ユングの2機能構成、アウシュラの機能理論、LIEの自我ブロック、イドブロックの中身、そして初期著作の旧式表記です。
ユングの補助機能—2機能構成の原点
モデルAの中核である「強い2機能の組」は、ユングの補助機能論に遡るとされます。ユングは、主機能と同等の力を持つ第2の機能は存在できない、と書きます。
同等の力を持つ第二の機能が存在することは本来許されないことである。したがって、この第二の機能は必然的に二次的な重要性しか持ちえず(中略)補助的あるいは補完的な役割として作用するからである。
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the presence of a second function of equivalent power is naturally forbidden. This other function, therefore, can have only a secondary importance(中略)but comes into play more as an auxiliary or complementary function.
どの機能が補助になれるかの規則も、続けて明示されます。
経験的事実が示すところによれば、第二機能は常に、主導機能とは異なる性質を持ちながらも対立関係にはない機能である。例えば、主導機能が思考の場合、補助機能としては直観と容易に組み合わさることができるし、同様に感覚とも同等に組み合わせることが可能であるが、すでに述べたように、感情とは組み合わせることができない。
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the secondary function is always one whose nature is different from, though not antagonistic to, the leading function: thus, for example, thinking, as primary function, can readily pair with intuition as auxiliary, or indeed equally well with sensation, but, as already observed, never with feeling.
LIEの構成は、この一節が例に挙げた組み合わせそのものです。主導が思考(Te)、補助が直観(Ni)で、思考と対立するとされた感情は補助に来ません。ソシオニクスの文献では、この2機能の組が自我ブロックの原型になったと説明されます。
アウシュラの機能理論—第1機能と第2機能
アウシュラは機能位置の理論(フンクツィオニカ)で、各位置の性格を定式化しました。第1機能と第2機能の記述です。
要約:第1機能は人間の世界知覚、彼の「情報的職業」、イメージを規定する。人間はこの要素について最大限の情報を持っており、最も確信をもってそれを使用する。最も強い機能、「個人的恣意の領域」と言うことができる。
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Резюме : 1-я функция определяет мировосприятие человека , его "информсационную профессию" , имедж . Человек имеет по этому элементу максимум информации , наиболее уверенно ей пользуется ; можно сказать, что это самая сильная функция , "зона личного произвола".
要約:第2機能は創造機能であり、ここで人間は自分以前には知られていなかった新しいものを創造する。第1機能の目的の達成と自己肯定のための創造である。
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Резюме : 2 функция творческая , здесь человек создает новое , до него не пзвестное . Творчество ради достижения цели по первой и самоутверждения .
LIEに当てはめると、第1機能=Te(世界を仕事と手順として知覚する「情報的職業」)、第2機能=Ni(その目的のために出来事の順序を読み、時機を作る創造)です。そして機能は単独ではなく、対で働くとされます。
機能はモデルAの静的構造をなしている。それらは単独では働かず、常にペアで—ブロックとして働く。ブロックのアクセプト(受容)機能は可能な限り現実を反映し、プロダクティヴ(生成)機能は反応し、創造的に適応する。これはほぼ同時に起こり、機能が強く分化されているほど速い。
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Функции - составляют статическую структуру модели А. Они не работают по одиночке , но всегда парами - блоками . Акцептная функция блока по возможности отражает действительность , продуктивная реагирует , творчески приспосабливаясь . Происходит это почти одновременно , тем быстрее , чем более сильно дифференцирована функция.
引用のアクセプト機能・プロダクティヴ機能は、奇数位置の受容機能・偶数位置の生成機能にあたります。この2つの対がブロックです。LIEの自我ブロックなら、Teが受け取り、Niが応答します。
LIEの自我ブロック—外向論理と内向直観の組
アウシュラは『ソシオニクス入門』で、どの要素とどの要素が組になるかの規則を、記号の対で書いています。
各プロセスは、空間内で生じている他のプロセスとの関係の観点から(■(Te)○(Si)または ○(Si)■(Te))、あるいは先行するプロセスや後続するプロセスとの関係の観点から(■(Te)△(Ni)または △(Ni)■(Te))考察されうるからである。
記号は■がTe(外向論理)、○がSi(内向感覚)、△がNi(内向直観)です。同じ外向論理でも、内向感覚と組めば過程は空間の中の位置関係として見られ、内向直観と組めば先行と後続の関係として見られる、という区別になります。LIEの自我ブロックは後者の■△です。仕事の進め方を、先行する出来事と後続する出来事の関係で見る組です。■○はLSE、△■はILIの組にあたり、同じTeでも相手の要素が変われば過程の見方が変わるという書き方です。
イドブロックの中身—アウシュラの対比
自我以外のブロックについても、アウシュラはタイプごとの違いを書きます。双対のESIを論じた章で、LIEに触れた箇所です。
なぜなら、論理直観外向のイドブロックは、ただ自分自身の能力だけを誇示し(中略)直観論理外向および直観倫理外向にとって、自分の潜在的諸能力の披露の手段は、他者の潜在的諸可能性のあばき出しとなる。
論理直観外向タイプがLIE、直観論理外向タイプがILE、直観倫理外向タイプがIEEです。イドブロックは位置7・位置8で、LIEではTi(内向論理)とNe(外向直観)が入ります。そこで示されるのは自分の能力の側だとされ、ILEとIEEでは同じ誇示が他者の可能性を引き出す手段になる、と書き分けられています。ブロックは位置の組なので、中身の要素が変わればそこから出てくるふるまいの向きも変わる、という読み方になります。
Yermakの定式化でも、4ブロックの要素構成は自我=Te・Ni、超自我=Fe・Si、超イド=Fi・Se、イド=Ti・Neと、冒頭の基準配置と一致します。
モデルA自体は、どの機能も他を直接管理しない線形・対称の構造とされます(Bukalov)。機能ごとの処理能力の差は16章(次元性)で扱います。
アウシュラ旧式の4列表記
アウシュラの初期著作では、タイプは8つの位置ではなく4つの機能で記述されます。LIEの旧式表記は、I(主導)=Te、II(プロダクティヴ)=Ni、III(MHC=最小抵抗の場)=Si、IV(サジェスティヴ)=Feです。現行の8位置との対応は、I=位置1、II=位置2、III=位置4、IV=位置3になります。旧式のIIIとIVは、現行の位置4・位置3と逆順に並ぶので、番号だけで照合すると取り違えます。
主導から創造への連鎖を「プログラムの実現」として書くFilatovaの定式は、旧式の2機能中心の伝統を引き継いだ形です。
最も重要なのは、自分の行動において事実的な現実に依拠することである(外向論理〈Te ■(Te)〉—主導機能)。そしてそのためには、それを自在に操り、加工し、空想し、発明し、改良すること、また時間を最大限に有利に活用することを身につけることが役に立つ(内向直観〈Ni △(Ni)〉—プログラムの実現=創造機能)。
事実に依拠する構えが主導機能のTe、時間を有利に使う技術が創造機能のNiで、後者は前者の目的のための手段として書かれています。ただしFilatova自身の4機能の番号は旧式とは別で、そのIV(暗示)はFi(内向倫理)を指し、旧式のIV(Fe)とは違う位置です。
小括します。LIEの8位置の配置(Te・Ni・Fe・Si・Fi・Se・Ti・Ne)は、アウシュラのブロック論からYermakの定式化まで要素の中身が一致しています。一方で、位置の番号づけと名称は研究者・時期によって別体系が併存します。原典を読むときは、番号ではなく「どの要素がどの意味の位置にあるか」で照合するのが確実です。
04情報要素から見るLIE
LIEの自我ブロックはTe(外向論理)とNi(内向直観)です。この章では、この2要素の定義を研究者横断で確認し、最後にLIE固有の論点(Niの見通しがTeの利益に従って使われる結合)を見ます。各要素の一般解説はTe(外向論理)とNi(内向直観)の詳細ページにあります。ここでは、LIEの構成に関わる範囲に絞ります。
思考と直観—ユングの定義
出発点として、ユングの定義の章から。まず思考です。
思考とは、それ自身の法則に従って、与えられた表象を概念的な連関へと持ち込む心理学的機能である。
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Thinking is that psychological function which, in accordance with its own laws, brings given presentations into conceptual connection.
判断の中身ではなく、与えられた表象を概念の連関へ持ち込む働きが思考だ、という定義です。材料を外と内のどちらから取るかは、この定義には入っていません。次に直観です。
直観(intueri=中を見る・注視する、に由来)は、私の見解では、基本的な心理学的機能の一つである(「機能」の項参照)。直観は、知覚を無意識的な仕方で伝達する心理学的機能である。
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Intuition (from intueri = to look into or upon) is, according to my view, a basic psychological function (v. Function). is that psychological function which transmits perceptions in an unconscious way.
直観は、その内容の性質がどうであれ、一種の本能的な把握である。感覚(同項参照)と同じく、それは非合理的(同項参照)な知覚機能である。
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Intuition is a kind of instinctive apprehension, irrespective of the nature of its contents. Like sensation (q.v.) it is an irrational (q.v.) perceptive function.
感覚と並ぶ「非合理な知覚機能」という分類は、15章で見る非合理二分法の源流です。ソシオニクスの通説では、この思考を外向・内向に分けたものがTe・Ti、直観を分けたものがNe・Niに対応するとされます。
Te(外向論理)—各研究者の定義
アウシュラ自身によるTe(外向論理)の定義です。
身体的活動、行為についての情報が知覚される。生きたもの、生きていないものの活動についての情報である。(中略)行為の過程のなかで起きていることを見分ける能力を与える。それによって、行為の方法を考案できるか、合理的な行為を非合理的な行為から区別できるか、他者の仕事を指揮できるかが規定される。
知覚されるのは対象の行為で、そこから行為の合理性を見分ける働きが導かれます。だから自分の仕事と他者の仕事が同じものさしに乗り、他者の仕事を指揮する技能まで同じ要素の範囲に入ります。
Stratiyevskayaの理論編は、同じ要素を「理性的行動の論理」と呼びます。
理性的行動の論理—これは労働を人生上の価値とみなす—技術、過程、方法、規則、アルゴリズム、原因と結果。事業性、節約的で効率的な行動。合理化、技術性、創意工夫。合目的性、健全な分別。
定義の先頭に置かれているのは、労働を人生上の価値とみなすという構えです。行為の組み立てと、その評価に使う語が、1つの定義に収まっています。
Filatovaの基本概念章の定義も並べます。
外向タイプの論理型は、主要な注意を周囲世界の物質的な対象に向ける。彼が興味を持つのは生産の過程、テクノロジー、工業製品や農業生産物の利用の効率である。何かを自分の手で作るのが好きで、機械や機構の動作原理を理解するのは彼には容易である。自分の行動においてはもっぱら事実に依拠し、事実を真理の根本的な基準と考える。
注意の向かう先を、周囲世界の物質的な対象と生産の過程に置いた定義です。末尾の一文が判断の基準を明示し、アウシュラの定義と、基準を外に置く点で向きが揃います。
Yermakは同じ側面(アスペクト)の意味論を1語に圧縮します。
こうして、明らかに、我々にとってオブジェクトの唯一の重要な特性は、作業的、技術的過程(これらの語の広い意味で)における利用である。それゆえ、オブジェクトに関する情報の本質的構成要素(アスペクト)の意味論は、「仕事」という概念で一般化することができ、言語で同じか近い意味で用いられる一連の語によって詳細化できる。ソシオニクス文献では、このアスペクトの他の名称が見られる—外向論理、または A. アウグスティナヴィチューテによってかつて導入され、ほぼ正統化されつつある名称、ビジネス論理(以下、こうした参照の2番目の名称はすべて、今日ソシオニクスで受け入れられているものを指す)。
対象について残す情報を、作業と技術の過程で使えるかどうかに絞り、その全体を「仕事」という語で一般化しています。名称は「外向論理」「ビジネス論理」「理性的行動の論理」と揺れますが、指している側面は同じです。行為とやり方の合理性を外の事実で確かめるという点は、4人の定義に共通しています。
Ni(内向直観)—各研究者の定義
Ni側も同じ順で見ます。アウシュラの定義です。
時間とは、互いに連続する出来事間の関係である。この知覚のアスペクトは、出来事や人々の行為の連鎖性についての情報、その因果的相互連関性についての(中略)情報を与える。
時間を、互いに連続する出来事の関係として知覚する要素、という定義です。
Stratiyevskayaの理論編は「時間の直観」をこう定義します。
矛盾の理解と世界の可変性の感覚、瞬間の重要性の感覚、危険の予感、過去の過ちの経験を考慮に入れること、寛容、夢想性、より良きものへの希望、時間内における過程を統御する能力、迅速な反応、リスクを冒す能力。
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Понимание противоречий и ощущение изменчивости мира, ощущение значимости момента, предчувствие опасности, учет опыта прошлых ошибок, терпимость, мечтательность, надежда на лучшее, умение управлять процессами во времени, быстрая реакция, умение рисковать.
危険の予感と、過去の過ちの経験を勘定に入れることが同じ列に並びます。末尾には過程を統御する能力とリスクを冒す能力が置かれ、知覚だけでなくその知覚を使った操作まで定義に入っています。
Filatovaの基本概念章の定義です。
強い内向直観の持ち主は、時間の中での出来事の流れを自分の想像の中で容易にモデル化し、この出来事の流れの中に自分を感じ、起きているすべての全体性と、その全体の小さな一部としての自分を感じ取る。彼の意識が向けられる主要な焦点は、彼自身の想像が作り出したイメージである。(中略)内向直観型の中には哲学者や詩人がいる。このタイプの人は、進行中の出来事の結果を、直接的な仕方で見て取って予見することができる。(中略)記号△(Ni)の名称—時間の直観。
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Обладатель сильной интровертной интуиции легко моделирует в своем воображении течение событий во времени, чувствует себя в этом потоке событий, ощущает целостность всего происходящего и себя — частичкой этого целого. Главный фокус, на который направлено его сознание — образ, созданный его собственным воображением. […] интровертных интуитов встречаются философы и поэты. Такой человек способен предвидеть результат текущих событий, усмотрев его прямым образом. […] Название символа — интуиция времени.
出来事の流れを想像の中でモデル化し、その流れの中に自分を置く働きとして書かれます。ここでも扱われているのは個々の出来事ではなく、出来事が連なった全体です。
Yermakは同じ側面の意味論を「出来事」の語に集約します。
可能性、能力、才能—これらすべては利用できることもあれば、できないこともある…それに、可能性は可能性によって違うし、能力や才能は言うまでもない…したがって、可能性の関係は、特に予測のために、重要かつ必要な情報である。(中略)したがって、世界の現実の変化に関連する可能性の関係は、主観的にはポジティブまたはネガティブな出来事として知覚される。「…時間の中で生じ、より長いまたはより短い時間の経過後に消滅し、過去の領域へと退いていくあらゆる事態を、『出来事』という言葉で呼ぶことに合意しよう」(ロスキー N.O. [7])。(中略)文献ではこのアスペクトの他の名称も見られる: 内向的直観または時間の直観。
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Возможности, способности, талант – всем этим можно воспользоваться, а можно и нет... Да и возможность возможности рознь, не говоря уж о способностях и талантах... Следовательно, соотношение возможностей – информация важная и нужная, особенно, для прогнозирования.〔中略〕Следовательно, соотношение возможностей, связанное с изменениями реалий мира, субъективно воспринимается нами как событие позитивное или негативное. “...Условимся называть словом “событие” всякое состояние вещей, возникающее во времени, и после большего или меньшего промежутка времени исчезающее, отходящее в область прошлого”(Лосский Н.О. [7]).〔中略〕В литературе встречаются и другие названия этого аспекта : интровертная интуиция или интуиция времени.
名称は「内向直観」「時間の直観」と揺れますが、指している側面は同じで、記号は△です。現在の一点ではなく、出来事が前後のどちらへ動いているかを知覚するという点が、4人の定義に共通しています。
LIEにおけるTe・Niの結合
LIEのタイプ記述では、この2要素が組みで現れます。StratiyevskayaのLIE記述から、まずTe側です。
合理的で道理ある自分の力の配分によって高い効率を達成することを好む。まさにこのため、このタイプの代表者は新技術の開発と導入、作業プロセスの合理的で効果的な組織化において並ぶ者がない。興味深い合理化のアイデアを見事に生み出し、多くの先進技術と方法論の作者である。
効率は結果としてではなく、力の配分をどう決めるかから出るものとして書かれています。並ぶのは新技術の導入と作業プロセスの組織化で、どれもすでにある手順を作り替える側の仕事です。同じ著者は、時間の扱いをこの仕事の側から説明します。
同時に、彼の合理性のすべてにおいて、LIE〔原文: ジャック〕が自分の作成した予定表を厳格に守ると考えるのは素朴であろう — 彼は十分に動的で、状況の変化に容易に適応する。彼の時間直観は仕事の利益、合理性の利益に従属しており、それゆえ絶えず自分の一日の予定に修正を加える。
時間直観が仕事の利益に従属するという言い方は、2つの要素が並列に置かれていないことを示します。Filatovaは、同じ組み合わせを、Niを主導に持つILIとの対比から説明します。
LIE〔原文: ジャック〕は時間の扱いに創造性を発揮する—必要なところでは急ぎ、必要なところでは行動を緩める。これに対しILI〔原文: バルザック〕は、むしろ時間に従う方である。これは、両者において時間を扱う機能が異なるチャンネルに位置していることに起因する—LIE〔原文: ジャック〕では創造チャンネルに、ILI〔原文: バルザック〕ではプログラムチャンネルに。
時間の扱いに手を入れる側と、時間に従う側という差が、要素の同一性ではなく位置から説明されています。TeとNiの組み合わせは、2つの要素を足したものではなく、Niがどの位置でTeと組むかまで含んだ記述だ、ということになります。
小括します。Teは「行為とやり方の合理性を外の事実で確かめること」、Niは「出来事の連続と変化の過程を知覚すること」で、研究者間の定義は語彙の揺れを除けば収束しています。LIE固有の論点は結合の向きです。TeとNiは並列の2技能ではなく、Niが読んだ見通しがTeの利益に従って使われる構成として記述されます。弱い側の要素(Fe・Si・Fi・Se)の記述は、各研究者章と16章(次元性)で扱います。
05アウシュラの記述
創始者アウシュラのLIE記述は、このページの複数の章に分かれて登場します。系譜と情報代謝の定義は02章、モデルAのブロック記述は03章、TeとNiの定義は04章、双対関係の記述は18章、著名人タイピングは22章にあります。この章では、それ以外の人物像の中心になる記述を集めます。底本は『ソシオニクス入門』(1998年)、『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(1998年)、機関誌に再録された書簡です。
不要な混入物から科学を浄化する
アウシュラがLIEをまとまった長さで書いたのは、科学・国家・芸術の指導者を論じた章です。そこでの記述は、対象への向かい方から始まります。
論理直観外向は、別のタイプの仕事に向かう傾向がある。彼はあたかも実験家—不要な混入物から科学を浄化する者—のようである。まさに彼が、絶えず科学的なものを非科学的なものから分離しようと努めている。(中略)論理直観外向は逆に、非常に大きな忍耐をもって、いかなる科学的・非科学的理論をも検証する。
アウシュラは同じ箇所で、ILEは非科学的なものに憤慨するか、より科学的な理論を代わりに提案する側だと書き分けています。LIEは代案を出す前に検証を通す側に置かれます。主導のTe(黒い論理)を、対象を検証にかける構えとして書いていると読めます。「非常に大きな忍耐をもって」という条件が付いている点も、この規定の一部です。
研究所を率いうるのは二つのタイプだけ
同じ章でアウシュラは、指導者になれる場所をタイプごとに割り振ります。
研究所の指導者となりうるのは、直観論理外向のみである。例えばメンデレーエフがそうであった。あるいは論理直観外向。例えばランダウがそうであった。
この直前では、論理感覚外向や感覚論理外向として育った人物は、国家機関や企業では優れた指導者になるが研究所には向かないとされます。理由は、意志的な活動スタイルがまだ固まっていない科学的思考に向かないことに置かれます。研究所という場所に限って、指導者になれるタイプが二つに絞られている点が要になります。
第一の発見者と、検証する者
検証を役割とするタイプが率いると、研究所そのものの性格も変わる、とアウシュラは続けます。
論理直観外向は、別のタイプの仕事に向かう傾向がある。(中略)非科学的なものを批判し、科学的なものを生活に導入するためにである。それゆえ、この人格タイプが指導する研究所は、科学において別の役割を演じる傾向にある。しかし、科学における第一の発見者、すなわち直観論理外向は、そのような研究所においては通常、良好な状態にある。
発見する者と検証する者を別のタイプへ割り当てたうえで、両者が同じ場所で働けると書いている点が、この記述の特徴です。LIEが率いる研究所は、新しいものが最初に生まれる場所ではなく、生まれたものを検証し生活へ導入するまでを担う場所になります。向き不向きが個人の能力としてではなく、科学という営みの中の位置として書かれています。
未来の人々のための事業と、快適さへの非難
働く理由の側は、タイプ間関係を論じた章の例示に書かれています。
論理直観外向(T■(Te)▲(Ne))と倫理感覚外向(T▯●(Se))。前者は喜んで、たとえば科学やその他のあらゆる客観的な事業に従事する—それが身近な者に何かをもたらし、さらに良くは未来のすべての人々に何かをもたらすような事業に。そして、自分がすべてを仕事に捧げていないこと、快適さを享受していること、肉体的快楽を求めていることへの非難を恐れる。愛さえも快適さの一形態として危険である。
仕事の宛先が身近な者から未来のすべての人々まで伸びている点と、そこへ恐れが対で置かれている点が要になります。恐れの対象は失敗ではなく、仕事に全部を捧げていないと見られることです。「愛さえも快適さの一形態として危険である」は、基準を最後まで延ばしたときに出てくる一文で、アウシュラはこれを、愛と享楽を喜びの源泉とする別のタイプとの対で書いています。
見せたい感情だけを見せる
1988年のメモには、感情の出方についての短い観察があります。
自分が見せたい感情だけ見せる。願望と異なる行動をした時だけ良心が痛む。
出す感情を本人が選んでいる、という観察です。外から見える情動は、そのときの状態の写しにはならないことになります。良心が痛む条件は、前の節の「非難を恐れる」とは向きが逆で、判断の基準が自分の側にある書き方です。アウシュラのLIE記述には、この両方が並んでいます。
小括します。アウシュラのLIE記述の骨格は3点です。第一に、対象を検証にかけること—科学的なものと非科学的なものを分け、忍耐をもって理論を確かめる。第二に、その役割ゆえに研究所を率いうる二つのタイプの一方に数えられ、発見する者と検証する者という分担で書かれること。第三に、仕事の宛先が未来の人々まで伸びる一方で、快適さを享受していることへの非難を恐れる、という対です。書き方は、科学の現場の配置論と個人の恐れの観察が同じ文章に同居する形で、体系的な定式化よりも観察の記録に近くなっています。この観察群を後の研究者がどう体系化し、どこで食い違ったかが、以降の章の主題になります。
06Reininの記述
Grigory Reininは数学者で、15の二分法特性(レイニン特性)と小集団理論の提唱者として知られます。LIEの記述は、主著『ソシオニクス:類型論・小集団』(英語版2010年)の第2講「16タイプ」と、状況別に助言を並べたPart IIIに残っています。二分法特性そのものは15章で、関係の記述は18章で扱い、この章では人物像の記述を集めます。
読む前に1つ注意があります。Reininは機能を第1〜第4機能と陰性の第-1〜第-4機能という独自の番号で呼びます。強い順のランクづけで、LIEでは第1=Te、第2(創造)=Ni、第3=Se、第4=Fi、第-1=Ti、第-4=Feに対応します。当サイトの位置番号(位置3=Fe、位置6=Se)とはラベルの体系が違うため、以下の引用の「第3機能」を位置3と読まないでください(03章の注意の実例です)。
存在原理—世界の秩序
主著の第2講は、LIEの記述を第1機能の内容の定式から始めます。
機能 #1 — 黒い論理(■(Te)):LIE〔原文: ジャック〕は事物の世界と社会的構造についての知識に自信をもち、彼女はあらゆる交通規則、法典、技術、統計、自動車整備をよく知っている。彼女にとって、周囲の世界の安定性と世界一般の秩序は重要である。「私の世界には秩序がある、ゆえに私は存在する」。
Teの内容を「仕事」や「効率」ではなく「周囲の世界の安定性と世界一般の秩序」と置くのが、Reininの定式です。交通規則、法典、技術、統計という並びは社会が現に動いている手続きの知識で、最後の一文はデカルトの命題を借りて、秩序が保たれていること自体を存在の条件に置いています。
その秩序を何で確かめるかも、続けて書かれます。
このタイプの人物は決して「これらの事物を私に説明してくれ」とは言わない。彼らは言う—「これらの事物を私に実証してくれ、事実を見せてくれ」。LIE〔原文: ジャック〕は自分が頼ることのできる客観的データを必要とする—これが彼らの人格類型の組織化の水準である。
説明を求めるのではなく実証を求める、という書き分けです。Reininはタイプの発言をそのまま記述の単位にしていて、締めの一文では、これを求め方の癖ではなく人格類型の組織化の水準の問題として扱っています。
理論より実践
Teの裏側にあたる第-1機能(Ti)を、Reininは「無視の領域」と呼びます。
機能 #-1 — 白い論理(□(Ti)):無視の領域。LIE〔原文: ジャック〕は生まれつきの実験家、実業家、実践家である。このタイプは誰かの説明を聞くよりもむしろ、自分自身で問題を研究することを好む。LIE〔原文: ジャック〕は実践によって証明されるまで、決して理論を信じない。
実験家、実業家、実践家という3語で、Teが向かう先が示されます。無視の領域とは、扱う論理を検証済みのものに限るという限定で、第1機能で世界の秩序を求める構えと裏返しの対になっています。
創造機能—内側の作業と単独の時間
第2機能(創造機能)はNi、Reininの記号では白い直観です。
機能 #2 — 白い直観(△(Ni)):創造性は内的状況の自由な操作の中で発現する。たとえば、表面的にはLIE〔原文: ジャック〕は何もせずに座っており、明らかに何もしていないように見えるが、実際には彼女は内側で何かと格闘している。
創造機能の働きが、外から見えないものとして書かれます。座っているだけに見える時間に内側で作業が進んでいる、という観察で、行動の量ではなく内的状況の操作のほうが創造の場所だとされます。
Reininはこの記述に続けて、単独で過ごす時間の長さに触れます。
LIE〔原文: ジャック〕は4ヶ月間野生地に狩りに出かけるかもしれない、それは彼にとって自然なことなのである(ジャック・ロンドンの小説はその特徴を描写している)。彼らは野生の困難な状況—渇き、飢え、寒さ—に毅然と耐える。彼らはそこで仲間を必要としない。このタイプは他のどのタイプよりも自給自足的である
「他のどのタイプよりも自給自足的である」は、16タイプ全体を見渡したうえでの位置づけです。愛称の由来である作家の小説を、その特徴の描写として傍らに置く点も、この著者の書き方です。
第3機能(自己評価)—技能と身体
Reininの第3機能は自己評価の源になる領域とされ、LIEではSe(黒い感覚)にあたります。
機能 #3 — 黒い感覚(●(Se)):彼女の自己評価は、形式、活動、手仕事をする能力をその源としている。私の外見、私の技能、私の活動。(中略)LIE〔原文: ジャック〕はほとんどいつでも非常に熟練した職人である。
自己評価の源を外見・技能・活動に置く、という定式です。「非常に熟練した職人である」の一文は、手を動かして作れることが自己評価に直結する、という観察になります。
同じ領域の具体として、身体と金銭が挙げられます。
しばしばLIE〔原文: ジャック〕は運動神経が良く、スポーツを愛する。彼女は体型が良くしなやかであり、優れた水泳家、運転手、射手であるかもしれない。(中略)もう一つの細部—LIE〔原文: ジャック〕は常にいくらかのお金をもっている。そしてそれは自己評価の原理に結びついている—私は強ければ良い、私は熟練していれば良い、私はお金をもっていれば良い。
水泳・運転・射撃という技能の列挙のあとに、「常にいくらかのお金をもっている」が並びます。Reininはこの3つを自己評価の同じ原理の下にまとめていて、金銭は経済の話ではなく自己評価の材料として出てきます。
倫理の二つの側
Reininの体系では、倫理の2要素がLIEの弱い側に並びます。第4機能はFi(白い倫理)で、他者の判断に開かれた領域とされます。
LIE〔原文: ジャック〕は自分の意見を形成するための堅固な基礎を必要とする。それゆえ彼女は、自分の外側に客観的データ、信頼できる情報、良き情報源を必要とする—「人々のほうがよく知っている」。(中略)親族はLIE〔原文: ジャック〕の態度に強く影響を与える可能性があり、彼らはそれを利用して彼女をかなり首尾よく操作する。
自分の意見を持つために外側の情報源が要る、という記述です。第1機能で客観的データを求める構えが、人の判断についても働くと読めます。Reininはそのうえで、親族がその構えを使って首尾よく操作しうる、と続けます。
もう一方のFeは、Reininが「恐怖の領域」と呼ぶ第-4機能にあたります(当サイトの位置番号では位置3の要素)。
機能 #-4 — 黒い倫理(▼(Fe)):外的関係に対する恐怖。LIE〔原文: ジャック〕は野生で長期間一人でいることができる。これらすべての関係…ご存知の通り…それらはトラブル以外の何ももたらさない。
一人でいられることが、創造機能の節では自給自足の能力として、ここでは関係を避けた結果として、二度書かれます。第4機能で他者の判断を必要としながら、第-4機能で関係そのものから距離を取る。倫理の2要素が、預ける側と避ける側に分かれて配置されています。
タイプへの助言という体裁
主著のPart IIIは、状況ごとに二人称で助言する形式で書かれています。LIE向けの節は、仕事の力量を認める文から始まります。
プロにどんな推奨を出せるだろうか。私たちはむしろ、社会の中で生き残り勝利するスキルをあなたから学びたい。実情の知識、時間因子と社会の客観的法則を考慮に入れる能力は、他人の羨望を呼ぶ。他の人が不可能と思う冒険的事業で成功できる。
助言を出す側が「あなたから学びたい」と書き出します。ここまでは全面的な肯定です。
そのすぐあとに、警告が続きます。
しかし、考えてほしい。この領域に夢中になりすぎていないだろうか。家族のことを忘れないで。自分の家には経済的支援とアイデアだけでなく、あなた自身の存在も必要である。
得意な領域に入り込みすぎることへの注意で、名指しされるのは家族です。出せるものの先に、そこに居ることが要る、という注意です。長所を認めてから、その長所が届かない場所を1文で指す形です。
小括します。ReininのLIE記述の軸は3つです。第一に、Teの内容を世界の秩序と定義し、説明ではなく実証を求める構えとして書いたこと。第二に、内側での作業、単独でいられること、技能・身体・金銭を自己評価の源とする観察で、いずれも行動の水準まで下ろされていること。第三に、倫理の2要素を判断を預ける側と関係を避ける側に分けて配置したこと。強度ランク式の独自番号と、読者本人へ二人称で助言するPart IIIの体裁も、この著者を他の研究者から分けています。
07Bukalovの記述
Aleksandr Bukalovは、キエフの国際ソシオニクス研究所を率い、機関誌『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』を主宰してきた研究者です。この章の底本は、Bukalov名義のLIEプロファイルと、機関誌に発表された本人の論文です。機能の次元性をめぐる主張は16章、MBTIとの対応をめぐる論争は19章、学術分野としての位置づけは23章で扱い、ここではLIEの人物記述と、Bukalovが名前を挙げて書き留めた実例を見ます。引用中の「第4機能」「第6機能」は、当サイトが位置4・位置6と呼ぶものと同じです。
人のビジネス的資質と金の扱い
プロファイルは、事務的論理が何に向くかを二つの対象で名指しするところから始まります。
このタイプに属する人々は、人々のビジネス的資質や仕事の能力に精通している。お金や資本の扱い方を知っているか、それらを手に入れる方法を知っている。ジャック・ロンドン自身がユーコンの鉱夫たちの中にいたことは偶然ではなく、彼の多くの作品はこのテーマに捧げられている。
挙がる対象は人の仕事の能力と金と資本の二つで、どちらも原理ではなく手元で動かせるものとして書かれています。「精通している」「扱い方を知っている」という言い方は、知識の量ではなく運用の勘を指しています。愛称のもとになった作家ジャック・ロンドン自身が鉱山の現場にいた経歴を、Bukalovは記述の裏づけとして持ち出します。人物の経歴や行動を根拠に置く書き方は、この章の後半でも繰り返されます。
抽象ではなく事実に基づいた具体
同じプロファイルは、思考の質を科学者の名前で示します。
「LIE〔原文: ジャック〕」の中には多くの著名な科学者がいる—ニュートン、L・ランダウ、ジョン・フォン・ノイマン、リチャード・ファインマン。彼らの思考は抽象的ではなく、事実に基づいた具体的なものである。「仮説を発明するな」—アイザック・ニュートンはこう言い切った。
並ぶのは物理学者と数学者で、理論の規模ではなく、思考が何に基づくかを見せるために置かれています。抽象的ではなく、事実に基づいた具体的という対比が、Bukalovの見立ての中心にあります。ニュートンの「仮説を発明するな」は、その対比を本人の言葉で裏づける例として引かれています。名前そのもののタイピングは22章でまとめます。
展開の方向を見て次々に始める
時間の直観の側は、まず行動の記述として書かれます。
「LIE〔原文: ジャック〕」は物事の展開の方向性、冒険的な事業の見通しを完璧に見て、それらに触発される。一カ所にじっと座っているのが好きではない—「時間は待ってくれない!」次々と新しいことを始め、前のことを終わらせないこともある。
見えるのは物事の展開の方向であって、いまある状態ではありません。Bukalovは「時間は待ってくれない!」を口ぐせとして置き、じっとしていられないことと、前の仕事が終わる前に次を始めることを、同じ一つの理由から説明します。
第2位置の時間の直観とリスクの計算
機関誌の論文では、同じ性質が機能位置に結びつけて書かれます。
さらに、このタイプは論理であるだけでなく直観でもあり、第 2 位置には時間直観(△(Ni)2)が立つ ― すなわち、自分の金融的・企業活動の結果を予測する能力。この時間直観はまた、リスクの直観でもある ― 「リスクを冒さない者は勝てない」。それゆえこのタイプには、金融や他のいくつかの契機と「戯れる」傾向がある。
第2位置の時間の直観を、Bukalovはまず自分の事業の結果を予測する能力と言い換えます。続けて同じ機能をリスクの直観と呼び、予測と賭けを一つの働きの両面として扱います。「リスクを冒さない者は勝てない」は、その両面が本人の中では分かれていないことを示す一句です。金融と「戯れる」傾向という言い方には、計算と遊びが地続きになる場合までが含まれています。
知人の起業家に見た位置6と位置4
Bukalovの記述の特徴は、身近な人物の行動を機能位置に割り当てて見せるところにあります。
もう一つ活性化機能の例:私には起業家の同志がいる、タイプ的には論理直観外向(■(Te)△(Ni)、LIE)。彼は起業家であることに加えて、ハンターでもあり、こうして自分のために、いわば第6機能の活性化を獣狩り、獲物狩りなどの形で組織する。職場では彼は事務的論理と時間の直観で働く ― そこで何かを計算し、何らかの取引を進め、コンサルティングする。そして週末には彼は有名なハンターである。
平日の仕事と週末の狩りを、Bukalovは別々の趣味ではなく一続きの構造として読みます。職場で使うのは主導と創造の二つ、週末に本人が自分で用意するのが位置6の活性化で、放っておくと満たされないから自分で場を作る、という筋です。獣狩りという具体が、この人にとって位置6が何を求めているかを名指ししています。
同じ人物について、Bukalovは逆側の記録も残しています。
だが彼は一度第4機能(○(Si)4)で最も強いストレスを経験した。(中略)一般に、彼はもう完全なストレスの中だ ― これは結局、第4機能、健康のセンサリーへの一撃である。そして彼はもう、実生活では強い男だが、文字通り放心状態にある。(中略)私の同志は2~3日で正気を取り戻した、なぜなら彼は1次元機能による恐怖から最も強いショックを経験したから。
位置4に一撃が入ったときに起きたのは、判断が止まることでした。Bukalovは、実生活での強さと、この場面での放心とを並べて記しています。回復までは2〜3日で、その短さも含めて位置の弱さに由来する恐怖として説明されます。位置6の例と並べると、機能位置を、能力の高低ではなく、その人が何を自分で用意し、何に不意を突かれるかを言うために使っていることが分かります。
小括します。BukalovのLIE記述は、事務的論理が向く先を人の仕事の能力と金と資本に置き、思考の質を事実に基づいた具体と規定するところから始まります。時間の直観については、展開の方向が見えることと、それが予測とリスクの両面になることを、行動と機能位置の両方から書きます。そして知り合いの起業家の平日と週末、および位置4への一撃という二つの記録で、機能位置が日常のどこに現れるかを示します。人物像の列挙より、名前と場面のある実例に重心があるのが、この章で読んだBukalovの書き方です。
08Stratiyevskayaの記述
Vera Stratiyevskayaは、16タイプの長文プロファイルと、クアドラ・関係中心の著書『お別れしないために』で知られる研究者です。理論編の要素定義は04章、双対(ESI)との関係記述は18章、クアドラの記述は17章で扱います。この章では、LIEの人物像の記述を集めます。書籍のLIE章は仕事の資質から書き起こし、時間の扱い、感情、感覚、倫理へと順に進む構成で、この章もその順に追います。筆致は具体例が多く断定が強いのが特徴で、その強さも含めて引用します。
業務的資質の使い道—「最大の災い」
StratiyevskayaのLIE記述は、能力そのものではなく、その能力に使い道があるかどうかから始まります。
LIE〔原文: ジャック〕にとって、自分の業務的資質に然るべき活用法を見出せないことより大きな災いはない。彼の人生全体は、自分の力、知性、能力を興味深く有望な活動の中で最大限に実現する可能性の探求である。
「最大の災い」に置かれているのは、失敗でも敗北でもなく使い道が見つからないことです。人生全体を「最大限に実現する可能性の探求」と書くとき、探す対象は仕事の中身よりも、自分の力が入る場所ということになります。では、使い道が無いとは何を指すのか。Stratiyevskayaはそれを、職場の手続きと報酬の側から書きます。
官僚的な煩雑さを最大の悪と知覚する — それは彼を極度に苛立たせ、彼の業務的活動性を殺し、抑圧された状態に陥れるものである。自分の業務的資質が活用されない、自分の労働が相応の報酬を得られない条件下で生きる必要は、LIE〔原文: ジャック〕を抑圧する。
煩雑な手続きが「最大の悪」と書かれる理由は、それが業務的活動性を殺すところに置かれています。労働に見合わない報酬も同じ扱いで、どちらも本人の側からは抑圧として体験される、と続きます。
時間を働かせる術と、待たされる時間
時間の扱いについては、技能としての記述と、その技能が効かない場面の記述が対になっています。
時間を自分のために働かせる術を心得ている。何をいつやることに意味があるかを正確に知っている。急ぐ術を心得ており、待つ術も心得ている。決断的に行動すべきとき、忍耐を蓄え待つべきときを知っている。
「急ぐ術」と「待つ術」が同じ一つの能力として並べられます。中心にあるのは速さそのものよりも、いつ動くかの判断だと読めます。だから待つこと自体は問題として書かれません。負担が生じるのは、待機に次の条件が付いたときです。
LIE〔原文: ジャック〕は、自分にコントロールできない理由による余儀なくされた無為と待機の期間を憎む: それは文字通り彼を平常から外す。そのような期間に彼は他の仕事に必ずしも切り替えられない — 彼は、あらゆる合理的な人間と同様、仕事の重複、混乱、混迷を不便と思うからだ。
憎むと書かれているのは待機一般ではなく、自分に理由を握られていない待機です。しかも空いた時間を別の仕事で埋めることも、重複と混乱を嫌う性質のためにできない、と続きます。Bukalovが事業の進め方の側から書いた性急さを、Stratiyevskayaは待たされる側の負担から書いています。
感情の発現は仕事の利益に従う
感情については、外に出る形と内側の状態が分けて書かれます。
「仕事の利益のために」、LIE〔原文: ジャック〕は自分の感情をまったく見せないか、あるいは今体験していることと反対のものを表現することができる。
感情を見せるか見せないかが、仕事の利益という別の基準で決まる、という書き方です。今体験しているのと反対のものを表現できる、という観察は、感情の薄さの指摘というより、表に出る量が本人の体験とは別に決まっているという指摘です。では、その基準が通じない場面ではどうなるか。
自分への感情的圧力をLIE〔原文: ジャック〕は耐えられない — より正確には、自然災害として耐える: 自分のすべての意志を一つの拳に集め、この試練が終わるまで忍耐強く待つ。
感情的な圧力を受けた場面で書かれているのは、終わるまで耐える姿勢です。「自然災害として耐える」という書き方は、相手を説得する、あるいはその場を離れるという選択肢が視野に入っていないことを示します。外から見れば動じていない姿ですが、内側では試練が終わるまでの時間を数えていることになります。
趣味と外見に確信を持てない
仕事ぶりの評価は即座に下るのに対して、自分自身が好ましいかどうかについては判断が止まる、と書かれます。
LIE〔原文: ジャック〕は自分自身の趣味、自分の外見の美しさ、自分の行動のマナーにほぼ確信を持つことがない。それがちなみに、彼を過度の内気さ、緊張、「とげとげしさ」に導くのである。周囲の自分への好意・不好意をよく感じない。共感を呼べたり愛されたりできるとは確信していない(そしてこれは彼の巨大な思い違い!)。自分の魅力を感じない。自分自身を好ましく思っていない。
趣味・外見・マナーという、正解を事実で確かめられない領域が並びます。確信の無さが内気さ・緊張・とげとげしさという外向きの形で出る、という筋で、周囲から硬いと見える態度の理由がここに置かれます。Stratiyevskayaは観察に「巨大な思い違い」という判定を書き添えており、記述と評価がひと続きになるのは彼女の文体の特徴でもあります。
倫理的な働きかけ—気づくが返し方が分からない
好意や敵意の扱いでは、気づくことと返すことが分けて書かれます。
LIE〔原文: ジャック〕は、自分が倫理的に操作されようとされているとき、常に気づく。別の話だが、それにどう反応すべきか必ずしも分からない。(中略)もっとも原則的には、LIE〔原文: ジャック〕はどんな倫理ゲームも認めない: 彼は偽善、二枚舌、見せかけ、不誠実を憎む。
気づかないのではなく、気づいたうえで返し方が定まらないという記述です。同じ箇所に「どんな倫理ゲームも認めない」と続き、扱いに困ることと拒否の強さが同居しています。偽善・二枚舌への嫌悪が強いほど、気づいてから扱いを決めるまでの負担は重くなる、と読めます。
5歳の菜園—情報源を確かめる
Stratiyevskayaは、事実と情報源の扱いを一つの場面で見せます。
5歳の子供のLIE〔原文: ジャック〕は初めておばあさんの菜園に行き、そこでカブの畝を見せられた。しかもカブは、彼の予想に反して、非常に小さく見え、彼はそれを自分の力で引き抜いてみることに決めた。それは彼に容易にできた。そしてさらに彼は、現実の事実と情報源の間の矛盾に陥った。情報源には、カブを家族全員で引っ張ったが引き抜けなかったと書かれていたのだ。LIE〔原文: ジャック〕は、やはり事実を確認しなければと決め、畝のすべてのカブを引き抜いてしまうまで自分の経験を繰り返した。
昔話と目の前のカブが食い違ったとき、疑いが向かったのは情報源の側でした。1回で確かめて終わらず、畝のカブを全部引き抜くまで繰り返す、というところまで書かれています。定式で説明せず、場面を一つ置いて見せるのがStratiyevskayaの書き方です。
小括します。StratiyevskayaのLIE記述には3つの特徴があります。第一に、能力ではなく能力が使われる条件から書き起こします。業務的な資質は条件しだいで発現し、条件が欠けると抑圧に変わる、という順序で並びます。第二に、外に出る形と内側の状態を対で書きます。感情を見せないことと圧力を耐えていることが同じ節に置かれ、外から見える姿だけを切り取ると読み違える構造になっています。第三に、事実で確かめられない領域—自分の趣味や外見、相手の好意の測り方—を負担として名指します。「最大の災い」「最大の悪」といった強い言い方が続くので、読むときは表現の強さと観察の内容を分けて受け取ると使いやすくなります。
09Filatovaの記述
Ekaterina Filatovaは、簡潔な4機能の枠組みと、写真資料を併用したタイプ記述で知られる研究者です。彼女はLIEを主導(Te)・創造(Ni)・脆弱(Si)・暗示(Fi)の4機能で記述します(番号の対応は03章で整理したとおり、彼女の第III・第IVチャンネルは現行の位置4・位置5にあたります)。系譜の記述は02章、Te・Niの一般定義は04章、サブタイプは20章、識別問題は21章で扱います。この章は『ソシオニクスの鏡の中の人格』から、LIEの人物像の記述を集めます。
事物と時間を見積もる
FilatovaがLIEの起点に置くのは、手持ちのものと自分の動きを見積もる能力です。
LIEは非常に活動的な人間であり、最もダイナミックなタイプの一つであって、素早い反応と主導性を備えている。彼は周囲の世界にある事物の可能性を見事に理解し感じ取り、それらを最良の形で活用する方法を心得ている。彼は自分の行動を正確に見積もることができ、経済的であることができる。(中略)何が自分にとって主要で何が二次的かを明確に理解しているLIEは、些細なことが自分の考える本質的なことの妨げにならないよう、自分の優先事項の範囲を正確に定めようとする。
活動量の記述に見えて、後半は選別の記述です。何を主要とし何を二次とするかを先に決め、その範囲の外を入れないという手順が、行動の速さの前に置かれています。「経済的であることができる」も倹約の話ではなく、自分の行動を正確に見積もれることの言い換えとして置かれています。同じ見積もりが時間に向けられたときの記述が、これに続きます。
合理的に行動するために、LIEは仕事をうまく計画し、時間を無駄にしないことを特に重要だと考える。一分一分が必要なことのために使われなければならず、彼にとって時間とは、他人にとっての物質的価値に等しいものである。(中略)プログラムの実現チャンネルにおける内向直観は、時間を操る機構としても現れることに注意しよう。LIEは文字通り戯れるように時間を操り、その最も効率的な活用を実現し、一つの好機も逃さない。
時間を物質的価値と同じ単位で数えるという比較が、Filatovaの定式です。時間が資源として数えられるなら、使わなかった一分は損失として現れます。引用中の「プログラムの実現チャンネル」は創造機能の位置を指します。そこのNiを、先の見通しではなく時間を配分する機構として説明するのが、この章の特徴です。
マーチン・イーデン—実務とロマンの同居
Filatovaはタイプ記述に文学作品の主人公を当てる書き方を採ります。LIEに選ばれたのは、ジャック・ロンドンの小説『マーチン・イーデン』の主人公です。
誰も彼の才能を信じず、皆それを単なる気まぐれとみなし、彼らの見地からもっと現実的で確実な収入をもたらす何かを見つけるよう彼に勧める。しかし、マーチン・イーデンが属するLIEという心理タイプの人間にとって、創造性のない型通りの労働は考えられないことに思われる。
周囲が勧めるのは確実な収入で、本人が退けるのは創造性のない労働です。Filatovaがこの場面から取るのは、損得を数える姿と、割に合わない仕事を選ぶ姿が同じ人物の中で両立するという点です。前節の「経済的」との落差は、彼女の次の一文で名指しされます。
LIEにとって、実務主義とロマン主義の組み合わせがいかに有機的なものであるかに注目しよう。まさにこれこそが彼の主導機能ブロック、外向論理―内向直観のブロックなのである。
実務とロマンを対立させず、一つのブロックの二面として読む。これがFilatovaの文学例の使い方で、小説の筋を追うためではなく、自分の枠組みではこの二つが矛盾しないことを示すために主人公を持ち出しています。彼女のLIE記述では、実利の計算のほうだけを取り出しても、反対にロマンのほうだけを取り出しても、人物像は残らないことになります。
感情の扱い—説明を求める
対人面の記述は、感情をどう出すかの判断から入ります。
LIE自身にとって、あれこれの感情を表すことの適切さを理解することは難しいため、彼は多くの場合「気さくな仲間」のイメージに対応するような、ある種のイメージを守ろうとする。
どの場面でどの感情を出すのが適切かの判断が難しいので、場面ごとに判断する代わりに一つのイメージを保つ、という順序で書かれています。「気さくな仲間」は性格の描写ではなく、判断を省くための既定値として置かれています。この記述は、相手の側が黙っているときにも及びます。
この心理タイプの人間は、不満の無言の表明にうまく耐えられず、そのような場合には落ち着いてこう言うことがある。「何があったのか説明してくれ、ふくれっ面をするくらいなら、一緒にはっきりさせようじゃないか!」社交界的な交流の機微は彼を惹きつけず、彼には単に興味がない。
沈黙で示される不満に耐えられない、という記述です。求めているのは言葉による説明であって、態度からの読み取りを引き受けることではありません。末尾の「単に興味がない」では、機微を読めるかどうかではなく、関心が向くかどうかが理由に置かれています。
感受の領域—思い悩むほうが書かれる
快適さや体調の領域について、Filatovaは弱さの所在と、その弱さが本人にどう感じられるかを分けて書きます。
LIEは、美的なもの、日常の快適さ、心身の調子、健康に関わるすべてのことをあまりよく理解していない。上流社会の応接間にいるよりも、船の甲板の上にいるほうが、彼ははるかに自信を感じる。(中略)しかしそれがLIEの人間である場合(彼にとって感受の感覚は痛点機能である)、彼は自分のぎこちなさや不器用さを特に強く思い悩む。彼は、周囲がそれをどう受け止めているかということにしか、目印を求めることができない。
引用中の「痛点機能」はSiが置かれた位置4を指します。記述の中心は後半にあり、扱いの苦手さそのものより、それを本人が強く思い悩むことに置かれています。自分の側に基準を持てないため、周囲の反応が唯一の目印になる—Filatovaはこの領域の負担を、能力の不足ではなく参照先の不足として書いています。
実現の場—状況が動くところ
状況のごくわずかな変化を感じ取る能力、素早い反応、主導性、そして創造的な素質と結びついた実務性が、LIEを優れた起業家、経営者にする。彼は事業を効果的に組織することができ、これはとりわけ不安定な状況においてうまくいく。
職業の適性を、資質の列挙ではなく条件つきで書いている点が目を引きます。うまくいくのは安定した組織ではなく、状況が動く場面だとされます。前提が変わるたびに見積もりを引き直す手順は、安定した場では余分な工程になりますが、前提が動く場ではそのまま利点になる、という読み方です。Filatovaがこのタイプに与えた「起業家」という名称も、この条件と対応しています。
探るまなざしと止まらない動き
Filatovaはタイプ記述に本人写真の集合を添える手法を採り、外見にタイプの共通性が現れるという立場を取りました。
外向的なLIE、起業家、LIE〔原文: ジャック〕(写真103〜105)は開放的な印象を与え、その目は周囲を探るように見つめ、時に「目の中に小悪魔」を宿す。彼は非常に動的で、じっとしていられず、突っかかるような態度を見せることもある。「ポスター的な」顔立ち、スポーティーな服装のスタイルが特徴的である。
括弧内の「写真103〜105」は原書の図版参照です。まなざし・動き・服装の3点が並べられ、いずれも顔立ちの形ではなく動きの量を指しています。「目の中に小悪魔」のような語は彼女の印象の記述であり、写真による識別という手法自体の評価は、21章(識別)と23章(懸念)で扱います。
小括します。FilatovaのLIE記述は、事物と時間を同じ資源として見積もり、主要と二次を先に選別する手順を土台に置いています。その上に、実務とロマンを矛盾として扱わない読み、感情の扱いをイメージの保持と説明の要求という具体的な運用で書くこと、感受の領域の負担を参照先の不足として読むことが重なります。人物像を支えているのは、文学作品の主人公と本人写真という二つの外部資料で、この二つの扱いが後の章での論点になります。
10Yermakの記述
Vladimir Yermakは、人物評の集積ではなく、情報代謝タイプ(TIM)のモデルからLIEを記述します。底本は2005年の単行本『人を理解することを学ぶには』です。4ブロックの構成は03章で整理しました。機能パラメータ(次元性)は16章、同定の手続きは21章、学派ごとの用語法への批判は23章で扱います。この章で確認するのは、彼がLIEを記述するときの様式そのものです。
要素の意味論だけで書かれるLIE
付録「心のTIMモデルの記述」では、16の型が同じ枠で並び、機能の位置ごとに1文が割り当てられます。LIEの第1機能はこう書かれます。
機能すること—情報アスペクト「仕事」(「実務論理」)において。あらゆる過程の論理(方法、技術)、さまざまな作業の仕方、その効率、経済性、事業の組織一般をよく理解する。
書かれているのは、その位置が何の情報を扱うかだけです。有能さの度合いも、その人がどう振る舞うかも出てきません。第2機能も同じ枠で続きます。
機能すること—情報アスペクト「出来事」(「時間の直観」)において。肯定的な予測、良い出来事を生み出すための好機の予知。その際、否定的な出来事は許容されない、ありえないものとみなされる。
好機の予知に続けて、否定的な出来事は「許容されない、ありえない」とみなされる、と書き添えられます。予測が肯定的な側へ寄るという指摘で、これも能力の高低ではなく、その位置が何を扱い何を扱わないかの規定です。Stratiyevskayaの逸話(08章)やKarpenkoの生活場面(11章)と並べると、同じタイプを記述する様式の幅が見えます。
「ペンネーム」という呼び方
Yermakは第5章で16の型の一覧を掲げ、各型を3つの呼び名で並べます。
論理直観外向 —LIE— ペンネーム「ジャック・ロンドン」
正式名の論理直観外向、略号のLIE、その後に補足として愛称が置かれ、愛称には「ペンネーム」の語が当てられます。要素の構成から決まる名が先にあり、人名は後置の別名として扱われるという順序です。LIEの愛称に使われているのは実在の作家の名で、その経歴や作品からタイプ像を読み取る読み方も出てきますが、Yermakの並べ方では型の同定は要素構成の側にあり、作家の名はそこに含まれません。22章で見る愛称批判とも方向が揃っています。
小括します。YermakのLIE記述に人物像はほとんど出てきません。あるのは、モデルAの構造(03章)、要素の意味論、パラメータの次元(16章)、同定の手続き(21章)で、タイプの性格描写はその演繹の結果に過ぎない、という立場です。記述の検証可能性を重視する読者には扱いやすく、行動の具体例を求める読者にとっては具体例の少ない体系だと読めます。
11Karpenkoの記述
Olga Karpenkoは、キエフの国際ソシオニクス研究所でBukalovとともに活動し、機関誌の編集にも携わってきた研究者です。LIEについての記述は、クアドラ単位で時間の知覚を測る整理と、食事の支度から演壇での演説までを拾う生活場面の観察という、粒度の違う2種類に分かれます。彼女の機能番号は現行の位置番号と同じ対応です(第3機能=Fe、第4機能=Si、第5機能=Fi、第6機能=Se)。引用中の丸括弧に入った数字が、この位置番号です。引用の多くは、バーンの交流分析から取り入れた構え(自分・相手・世界への肯定的・否定的な構え。「これ−」のように書かれます)を条件に置いた論文からのもので、同じタイプでも構えが違えば現れ方が変わる、というのがその論文の枠組みです。クアドラ単位の順位づけそのものは17章、タイプ判定の手続きは21章で扱います。
時間は差配するものとして感じ取られる
Karpenkoは、時間の直観の現れをクアドラ単位で比べます。LIEを含むガンマクアドラについて書いた箇所です。
彼らは現実の時間—差配すべき時間、計画できる時間—をみごとに感じ取り、実際それを鮮やかにやってのける。だが彼らの変化や出来事の動態の知覚はより「醒めて」おり、合理主義的で、聖なる性格、神秘的な性格、世界を超え出る性格を欠いている。
時間を扱う力があるかないかではなく、扱い方の質を書いた記述です。Karpenkoはこれを「醒めて」いると呼び、神秘的な色合いが無いことをわざわざ数え上げます。見通しの力を、遠くを見通す性質としてではなく、手元の日程に落ちる性質として置いた書き方だと読めます。
ビジネス活動は隣からどう映るか
LIEの働きぶりを、Karpenkoは本人の内側からではなく、双対にあたるESIの反応から書きます。
ほかのクアドラの観点からはいくらか微笑ましい、おなじみの葛藤がある—硬い道徳的原則を持つ(ESI)と、山師的で投機的な気質を持つその双対(LIE)である。普段の(ESI)は、(LIE)流のビジネス活動の発現のヴァリエーションにかなり平静に接し、概して「あら、面白い! どうやってそんなことを思いついたのかしら?!」というふうに反応する。
気質への形容は、ほかのクアドラの側から出たものとして置かれています。Karpenkoが書きとめているのは、その形容が葛藤にならずに済む場合があることのほうです。原則を固く持つ相手が、平静に、しかも面白がって受け取る。同じ振る舞いが、受け取る側の構え次第で葛藤にも興味にもなるという、条件つきの観察になっています。
感情は「こう発現すべきだ」として語られる
位置3のFeについて、Karpenkoは沈黙ではなく饒舌のほうを書きます。
それが(LIE)なら、彼は、感情はどう発現すべきか( 3)、こういうふうに微笑むべきだ、ああいうふうに反応すべきだ、と語り始める。感情をどう発現しうるかについての彼の観念が、経験と規範という2つのベクトルに限られており、それ以上ではないことを、私たちはよく理解しているにもかかわらず、である。
感情の話題を避けるのではなく、規範の形で語り出すという観察です。Karpenkoはその参照源を「経験と規範という2つのベクトル」と数え、そこから外へは出ないとします。扱えないから黙るのではなく、手持ちの2つで組み立てられる範囲を語る。位置3の働きを、欠落としてではなく参照源の少なさとして描いた書き方です。
関係の情報をはねつける
同じ論文は、位置5のFiについて、受け取り方の癖を書いています。
(LIE)は、関係の発現( 5)に対してはるかに警戒的になる。感情において彼が押しつけがましく批判的になるのと同じように、関係についての情報においても、彼は過剰に警戒して振る舞い始め、このアスペクトの情報をはねつける。まるで、騙されるのを恐れているかのように。
暗示にあたる位置が、受け取る側ではなく身構える側になるという記述です。Karpenkoは理由を推測の形で1つだけ添えます。騙されることへの警戒です。関係についての情報が、贈られるものではなく値踏みの対象になる、という読み方が示されています。Karpenkoがこれを置くのは、相手への否定的な構えを扱った節です。
台所では動かず、演壇では論じる
構えを「これ−」に取ると、位置4と位置6の現れが逆の向きに出る、とKarpenkoは書きます。
(LIE)では、第4機能は白い感覚( 4)である。構え「これ−」を持つと、一方では、彼は白感覚的な欲求の確保に関わること—食事の支度に始まり—に驚くべき無力さを示す。(中略)だが他方では、彼は、たとえばトイレの状態を追跡し、高い演壇から「ロシアではこれがひどい、それに比べてアメリカでは—良い」と論じ、なぜこれがそれほど重要かを詳しく説明することができる。
白い感覚はSiにあたります。自分の生活を整える側では手が止まり、同じ領域を公の場で論じる側では詳しく語れる。扱えるかどうかではなく、どの位置から扱うかで結果が変わるという観察です。台所と演壇という落差の大きい2つを並べたところに、Karpenkoの観察の粒度が出ています。
「これ−」の(LIE)は、意志の感覚( 6)によって活発になる。彼がボクシングか何かその種のことをやっていても、私たちは驚かないだろう。
同じ構えの下で、位置6のSeのほうは反対に活発になるとされます。1行の観察ですが、位置4で止まった動きが位置6では出るという対比になっており、構えは全体を一様に抑えるのではなく、位置ごとに違う向きへ働くと読めます。
設定を突き抜けて出るもの
Karpenkoは研修の場で、参加者に役を割り当てたロールプレイを観察しています。
そのとき、ゲームの状況設定にもかかわらず、SLI‐IEEのペアは、LIEの登場に対して「それで、私たちに何を提供してくれるんですか?」という質問で反応した。(中略)この一筋縄ではいかないインタータイプ関係において距離を広げようとする志向は、姿勢にも、口調にも、プレイヤーたちが発する質問にも、あらゆるところに読み取れた。
与えられた設定より、その場の相互作用のほうが強く出たという記録です。Karpenkoが数え上げるのは台詞だけでなく、姿勢と口調にまで及びます。LIEの現れを本人の申告からではなく、居合わせた人の反応の総体から読む—タイプ判定を質問紙ではなく観察に置く立場が、この一場面に出ています。
小括します。KarpenkoのLIE記述は、時間の知覚を「醒めて」いると呼ぶクアドラ水準の整理から、食事の支度・演壇・ロールプレイでの一言まで、粒度の幅が大きく取られています。そして記述のほとんどに構えという条件が付いており、タイプだけでは現れ方が決まらないという枠組みが通っています。LIEを一つの像に固めるのではなく、どの位置から、どの構えの下で見た現れなのかをそのつど添える。これがKarpenkoの書き方です。
12Gulenkoの記述
Viktor Gulenkoは、キエフで「人道主義ソシオニクス」学派を主宰する研究者です。この章では、Gulenkoが『64の肖像』(2019年)でLIEをどう描いたかを読みます。Gulenkoの体系は標準のモデルAから離れた独自の体系で、独自のモデルG、DCNHサブタイプ、独自のタイプ名(LIEは「起業家」)を持ちます。機能に付された記号も位置の番号も標準体系と同じ意味では読めないため、本章では番号の対応には立ち入らず、人物像として何が書かれているかを追います。DCNHサブタイプは20章で扱います。
何に火が点くか
Gulenkoの人物紹介は、能力の一覧ではなく、この人物が動き出すところから始まります。
LIEは、文字通り、自分のしていることに「火がつく」ことができる進取の人物である。革新の素質をもち、新しいアイデアや理論に注目し、それらの実用的な応用を見出すことを目指す。
冒頭の一文が「火がつく」です。新しいアイデアや理論に注目するところで止めず、実用的な応用を見出すまでを続けて書いているため、着想と応用が一続きの動きとして提示されています。関心の対象を挙げるのではなく、関心の持ち方の形を先に置く書き出しです。
行動の特徴をまとめた節では、同じ点が見分けの手がかりに格上げされます。
LIEの行動の特異性のうち最も注目すべきは、関心のあるプロジェクトや事業に関与しているときに火がつく能力である。LIEが何かに従事しているとき、他のすべてを忘れる。小さなことから始めて何か大きなものに切り替え、関心の輪は絶えず拡大する。
「最も注目すべき」と順位を付けている点が特徴です。Gulenkoが手がかりに使うのは何に取り組むかではなく、取り組んでいる間の状態—ほかが見えなくなること、始点が小さいこと、対象が広がり続けること—です。「小さなことから始めて何か大きなものに切り替え」という順序が添えられているので、対象が次々に移ること自体は逸脱ではなく、拡大の過程として書かれています。
火が点く側には条件が付きます。
絶望と無望に耐えるのは難しい。成功を確信している限り、彼は喜んで何の活動にも従事する。様々な活動で自分を試すことを好み、それゆえ、求めるものを見つけるまで、しばしば趣味、職業、職場などを変える。(中略)実験することを好み、無検査で進み、発明家として行動する。(中略)彼は虚栄心が強い。能力が評価されないと、他者と対立する傾向がある。
「成功を確信している限り」という条件が置かれています。見込みが立っている間はどんな活動にも入っていける一方、絶望と無望には耐えにくい、という非対称です。趣味や職業を変えることは、移り気としてではなく、求めるものが見つかるまでの試行として書かれます。末尾の虚栄心と対立は、能力の評価という条件が外から満たされないときに何が起きるかの記述です。
有用性を基準にした判断
Gulenkoは、LIEが何かを受け入れるかどうかの基準を有用性に置いて書きます。
LIEはあらゆるアイデアや提案を、その有用性と応用の観点から考察する。実際の見返りを得ようとし、実用主義を目指す。(中略)バイオフィールド、カルマ、テレパシー、UFOなどの神秘主義や非合理現象には非常に懐疑的である。(中略)彼はステレオタイプ的なアメリカ人ビジネスマンに例えることができる。
有用性の基準が、取り組む対象を選ぶ場面だけでなく、何を信じないかの側にも及ぶという書き方です。神秘主義や非合理現象を具体名まで挙げて懐疑の対象に置いた記述はGulenkoの特徴で、実用の基準が世界観の水準にも出ることを示しています。末尾の例えは、読者が既に持っている像を1つ当てて輪郭を示す、Gulenkoの人物描写の作りです。
同じ基準は、他人の仕事の評価にも向きます。
新しいビジネス事業の機会を容易に見出す。物事を有形の利益をもたらすように回す術を知っている。彼の観点から、無用な理論に従事する者を批判する。(中略)プロジェクトの能力が枯渇すれば、素早く新しい方向に切り替える。財政を扱う術を知っており、市場や投資を通じてプレイしながら、自分の金を循環させ続けたい。
「無用な理論に従事する者を批判する」は、有用性が自分の選択の基準にとどまらず、他者の仕事の評価にも適用されることを示す一文です。プロジェクトの能力が枯渇したら切り替える、という判断は、対象への愛着ではなく見返りの有無で区切られています。前の節の「成功を確信している限り」と同じ条件が、事業の水準で書き直されたものと読めます。
当人が抱える負担
同じ人物像の中に、当人が困る側面も書き込まれます。
楽観主義者であるLIEは良いユーモアの感覚をもつ。しかし、彼のジョークは必ずしも適切ではない。信頼できる関係について問題を経験する。人脈作りでの見識の欠如のため、疑わしい事業に引き込まれることがある。
楽観、ユーモア、信頼、人脈の順に4つの文が並びます。ユーモアがあること自体は認めたうえで、その場に合うかどうかは別だと書かれています。最後の一文は、人を見立てるときの負担が対人関係の内側で終わらず、関わる事業の側に出る経路を書いたものです。
次の記述を、Gulenkoは自分の体系で最も問題が出るとした位置の節に置いています。
LIEは規律に従い、作成された計画に従うよう努める。しかし、プロセスの規制とモニタリングは効果的でない。状況や問題の理解において頑固である。発展をあまりに機械的に予測するため、彼の輝かしい計画はしばしば失敗する。
計画を立てないのではなく、計画に従おうとするところから書き始めている点が要点です。躓きの所在は、途中経過を見張る手続きと、先行きの読みの粗さの2つに置かれています。「機械的に予測する」は、条件が途中で変わる可能性を織り込まないまま先を引く、という意味に読めます。計画そのものは「輝かしい」と書かれているので、着想の質ではなく運用の側の記述です。
「起業家」として並べられるLIE
Gulenkoは自分の体系でLIEを「起業家」、LSEを「管理者」と呼びます。次の引用の「機能 E」は、当サイトの表記ではFe(感情倫理)に当たります。
これらのソシオタイプ(当サイトでいうタイプ)は自分の実用主義と業務志向を、感情の異なる発現(機能 E)とバランスさせようとする。しかしながら、役割の感情性の特性は反対である。起業家が積極的な感情、冗談、楽観主義を進んで示す一方、管理者ははるかに大きな悲観主義者であり、そこでの感情はドラマチックで苛立ちを伴う。
実用主義と業務志向を共有する2つのタイプを、表に出る感情の質で分ける記述です。LIEの側には積極的な感情、冗談、楽観主義が置かれ、概要の「良いユーモアの感覚をもつ」と同じ観測が、見分けの場面で使い直されています。人物像を単独で描くのではなく、近いタイプとの差で示すのがGulenkoの書き方です。
小括します。GulenkoのLIE記述は、火が点く条件を先に置き、そこから有用性を基準にした判断、人の見立てと途中経過の管理という負担へ降りる順序で組まれています。この水準の観察は他の章と突き合わせて読める一方、「起業家」というタイプ名も、機能に付された記号も、Gulenkoの体系の内側のものです。
13その他の論者の記述
前章までの主要な研究者のほかにも、LIEのプロファイルは多くの論者が書いてきました。この章では、記述の系譜を補う小さめの資料を、著者ごとに短く引用します。書き手の知名度にも記述の確度にも幅があり、個人の著作ではないサイト由来の編纂資料も含みます(出典行で区別できます)。狙いは網羅ではなく、書き方の形式がこれだけ違っても観察の中身がどこで一致するかを見ることです。
Weisband・Aushra—双対の側から説明する初期資料
アウシュラの資料に基づく初期の普及ハンドブックは、双対相手との噛み合いを軸にLIEを5項目で書きます。
「時間は待ってくれない!」。彼は仕事、科学、その他将来客観的な結果をもたらすあらゆることに疲れを知らない。彼はすべてを非常に迅速に行い、仕事は彼の手元で沸騰する。彼の歩き方さえ非常に特徴的で、跳ねるように歩き、できれば走ることを好む。
第一の項目に置かれているのが「時間は待ってくれない!」という標語です。疲れを知らない対象は「仕事、科学、その他将来客観的な結果をもたらすあらゆること」と限定され、速さの理由が対象の選び方の側に置かれています。歩き方まで書き込むのは、肖像記述の系統に属する書き方です。
「うっかり教授」。よく発達した抽象的思考のおかげで、彼は常に外見に注意を払うわけではない。(中略)同じ理由で、彼は他者がじろじろ見ることを許容しない(これが彼のデュアル(双対者)、守護者がしばしば対話者の目を直接見ることを避ける理由である)。
文中の「守護者」は、LIEの双対にあたるESIを指す呼称です。外見への注意が向かないことから、他者にじろじろ見られるのを許容しないという反応を導き、さらに双対の側がなぜ相手の目を直接見ないのかまでを同じ理由で説明します。確認した範囲では、相手側の振る舞いを説明に使う書き方はこの資料だけに見られます。
Prokofieva—二面を比喩で言い切る
Prokofievaのプロファイルは2段落と短く、比喩でひと息に言い切ります。
LIEの頭脳の働きはコンピュータを思わせる(強い基盤論理)。彼らは物事の核心を把握し、すべての関連する側面を計算し、問題を解決する最適な方法を見出すことができる(直観の発現)。同時に、このタイプの代表者は旅行、冒険、リスクに傾倒する筋金入りのロマンチストでもある。
頭脳の働きをコンピュータに喩えたうえで、同じ人物を「筋金入りのロマンチスト」として並べます。最適な方法を計算することと、旅行・冒険・リスクへ傾くことは、別々の資質として書かれることが多いのですが、ここでは同じ肖像の表と裏として置かれています。括弧内の「強い基盤論理」「直観の発現」は、記述をモデルの機能に結び直すための注記です。
LIEはまた、感情の表出に独特の唐突さを持っている(弱い感情の倫理)。それは突然の滝に喩えることができる。そのような瞬間、周囲の人々にとって彼らは「過剰すぎる」ように映るのである。
弱い側を「無神経」や「冷淡」といったラベルで書かず、感情の表出が唐突であることとして定式化しています。滝の比喩が指しているのは量ではなく現れ方で、普段は出ていないものが一度に出るために周囲には「過剰すぎる」と映る、という順序で書かれています。
Meged & Ovcharov—まなざしから入る記述
外見・視線・話し方から入る構成を取り、視覚的な同定を志向します。
LIEのまなざしは開放的で、まっすぐであり、時に検査するようで、長い間会話相手に留まる。時にその視線は、人を見ていようが物を見ていようが関係なく、超然としたものになる。そのような場合、会話相手はLIEが自分の話を聞いているのではなく、何か自分自身のことを考えているという印象を受ける。
開放的でまっすぐ長く相手に留まる視線と、人にも物にも向いていない超然とした視線を、同じ人物の二つの状態として書きます。後者については、会話相手の側が「聞いていない」という印象を受けるところまで書き下ろしています。外見の記述が、相手にどう受け取られるかの記述へ接続している例です。こうした外見からの同定がどこまで使えるかは21章で扱います。
Beskova—場面の再現で書く肖像
Beskovaは男女別に肖像を立て、本人や周囲の証言を地の文に混ぜます。
LIEの男性の実生活より:「ある時、夫と休暇に出かけました。1階の部屋を借りました。突然真夜中に、誰かが窓から入り込んでくる音が聞こえました。怖くなって、彼を起こし始めました。やっと彼を起こして何が起こっているか説明すると、彼は振り返って丁寧にこう尋ねました:『すみません、何かご用でしょうか?』」
深夜に起こされ、何が起こっているかの説明を受けたうえで、侵入者に用件を尋ねたという逸話です。危険への反応より先に用件の確認が出る、という書き方になっています。ほかの論者が機能の位置の働きとして書くものを、Beskovaは場面の再現で書きます。
しかし、LIEの女性は従来の意味で休むことを知らない。単にビーチに横になって何もしないのは退屈である。病気になるのも好きではない。おそらく熱がかなり高くなって初めて家にいることを決め、そこで初めて自分の健康に何か問題があることに気づく。
女性の肖像からは休み方の記述です。自分の状態への気づきが後から来るという観察は、この章のほかの資料にも別の形で出てきます。
Golihov—価値としない側を本人の言い分で書く
Golihovは価値とする機能を第1〜第4、価値としない機能を-1〜-4と数える独自の番号体系を使いますが、要素の割り当ては標準の配置と一致します。記述は位置ごとに、生活の場面と本人の言い分の形を取ります。
外部の関係を恐れる。これは、本当の関係を暗示するこれらすべてのステータスを好まないことを意味する:友人、仲間、妻、いとこ。(中略)彼らにとって最良の選択肢は ― 関係のない関係である。今日は一緒、明日は一緒でない、明後日はまた一緒。
友人、仲間、妻、いとこといった確定した肩書を恐れる、という書き方です。関係そのものを避けるのではなく、関係に名前がつくことを避ける。「今日は一緒、明日は一緒でない、明後日はまた一緒」という言い方は、関係の継続ではなくその都度の合意として付き合いを捉えていることになります。
Piatnitskiy—位置の働きに条件をつける
Piatnitskiyの短評はブロックごとに数行で、位置の働きだけを削ぎ落として書きます。
困難を克服し意志的な資質を発揮する必要がある時に活性化され、特にそれが善の勝利に貢献するという自身の見方においてそうなる。意志的な資質に対するポジティブな評価を必要としている。
困難の克服と意志の発揮で活性化する、という観察に、それが「善の勝利」に貢献すると本人が見なす場合という条件がついています。加えて、発揮した意志に対する肯定的な評価を必要とする、と書かれています。力を出せるかどうかではなく、その行使を正当だと確認できるかどうかに条件を置く書き方です。
Wikisocion編纂—「会話のための会話」の難しさ
著者名のない編纂プロファイルは、モデルAの8つの位置を順に追う構成を取ります。
LIEは丁寧な会話とスモールトークの必要性を認識している。しかし、彼らは必然的に、通常気づかないうちに、「スモールトーク」を真剣なトピックについての情報交換に変えてしまう。LIEは交換される発言の事実的正確性があまり重要ではない、会話のための会話という概念に非常に困難を抱えている。
丁寧な会話とスモールトークの必要は認識している、と断ったうえで、それが気づかないうちに情報交換へ変わると書きます。困難の所在を、話題の選択ではなく「事実的正確性があまり重要ではない、会話のための会話という概念」に置いているのが、この記述の独自な点です。会話に情報の授受以外の目的があること自体が扱いにくい、という整理になります。
socionics.ua—職場での判断として書く
職業活動での現れに寄せた記述で、具体的な判断の例が並びます。
生産とシステム維持の方法として、また各人のニーズを満たすための十分な物質的手段としてのお金の重要性を理解している。例えば、給与を上げてほしいという要求を断らない—専門家を失わないため、また競合企業で働かせないためである。
お金を生産とシステム維持の方法として理解する、という前提から、昇給の要求を断らないという判断が導かれています。理由も専門家を失わないため、競合企業で働かせないためと、人材の移動まで含めて書かれます。同じ振る舞いを気前のよさとして書かず、損得の計算として書いているところが、この資料の角度です。
Voroschenko—精神医学の類型で書く
Voroschenkoは、モデルAを使わずに精神医学のアクセンチュエーション(性格の際立ち)の枠でLIEを記述します。
「自己暗示への傾向はない」が「野心」を「仕事と創造的パフォーマンスへの優れた推進力」として持つと記されている。人生の早い段階でしばしば「様々な分野での卓越した業績」をもたらし、「ゼロから始めて成功する」能力を繰り返し持つ。
「自己暗示への傾向はない」「野心」といった臨床の枠の用語をそのまま当て、後者を仕事と創造的な働きぶりの推進力として書きます。ゼロから始めて成功する能力を繰り返し持つという観察は、この章のほかの資料が新規の事業や冒険への傾きとして書くものと重なります。健常者の類型に臨床の類型を当てることの是非は23章で扱います。
その他の論者
Blohinはキーワードの列挙だけで肖像を作る形式で、LIEの語群には冒険とリスクの側の語が集まります。ギャンブル、幸運、山登り、未踏のトレイル、計算された無謀さ、生命力といった語が並び、困難な状況で落胆せず気を落とさない能力も同じ列に置かれます。散文の説明がないため何をどう観察したのかは追えませんが、語の選び方そのものが、この形式のプロファイルが何を中心に据えていたかを示します。
Socioscope—逆境の陽気さを防御反応と読む
見出しに台詞や格言を置く長編のプロファイルで、生活の細部が濃く書かれます。最後に、他者からはそのまま受け取られやすい振る舞いを、書き手が読み替える例を見ます。
気分が悪い時、かわいそうがられるのを好まない。もし困難であっても、それを見せないし、泣き言を決して言わない。(中略)事態がさらに悪くなると、さらに元気になり、陽気で、快活で、幸せにさえ見える。(中略)これが彼が独力では対処できない人生の逆境に対する防御反応の表れなのだ。
事態が悪くなるほど元気で陽気に見える、という観察に対して、Socioscopeはそれを独力では対処できない逆境への防御反応と読みます。見えている陽気さと本人の状態を別のものとして扱い、他者の目に映る姿をそのまま性格と見なしていません。同じ振る舞いを強さとしても無理としても書かない読み方です。
小括します。形式はばらばらです。双対軸の5項目、2段落の短文、外見からの記述、生活の逸話、位置ごとの短評、キーワードの列挙、臨床の類型、台詞を見出しにした長編。それでも中身には同じ観察が繰り返し現れます。速さの理由を対象の選び方に置くこと、外見や身のまわりへの注意が薄いこと、関係や会話に情報の授受以外の形式が加わると扱いにくくなること、感情の表出が普段は出ずに一度に出ること、そして自分の状態への気づきが後から来ること。確認した範囲では、ここに出てくる観察が前章までの主要な研究者の記述と正面から食い違う箇所はありません。一方で、外見からの同定や臨床の類型の流用といった、方法論の側で検証が難しい記述の伝統も、この層に集中しています。
14研究者間の差分を総括する
この章には新しい引用はありません。05〜13章で示した記述を、当サイトの責任で突き合わせます(根拠は各章の引用番号のとおりです)。
反復して現れる観測
研究者・時代・学派をまたいで繰り返される観測は、次の5つに整理できます。
- 説明ではなく事実を求める。「不要な混入物から科学を浄化する」(アウシュラ)、「これらの事物を私に実証してくれ、事実を見せてくれ」「実践によって証明されるまで、決して理論を信じない」(Reinin)、「抽象的ではなく、事実に基づいた具体的」(Bukalov)、情報源と食い違ったカブを畝ごと引き抜く5歳(Stratiyevskaya)、神秘主義と非合理現象への懐疑(Gulenko)
- 時間が配分の対象になり、止まっている時間が負担になる。「時間とは、他人にとっての物質的価値に等しい」(Filatova)、「急ぐ術を心得ており、待つ術も心得ている」「余儀なくされた無為と待機の期間を憎む」(Stratiyevskaya)、「時間は待ってくれない!」(Bukalov、Weisband)、「差配すべき時間、計画できる時間」(Karpenko)、「好機の予知」(Yermak)、「ビーチに横になって何もしないのは退屈」(Beskova)
- 感情の表出が、そのときの状態とは別の基準で決まる。「自分が見せたい感情だけ見せる」(アウシュラ)、「仕事の利益のために」反対のものを表現できる(Stratiyevskaya)、「気さくな仲間」のイメージを守る(Filatova)、「感情はどう発現すべきか」と語り出す(Karpenko)、「突然の滝」に喩えられる唐突さ(Prokofieva)、事態が悪くなるほど陽気に見えるのを防御反応と読む(Socioscope)
- 関係についての情報が、預ける側と退ける側に割れる。「人々のほうがよく知っている」と外側の情報源を要する一方で「外的関係に対する恐怖」(Reinin)、「このアスペクトの情報をはねつける。まるで、騙されるのを恐れているかのように」(Karpenko)、気づくが返し方が定まらない(Stratiyevskaya)、肩書のつかない「関係のない関係」(Golihov)、「会話のための会話」の扱いにくさ(Wikisocion編纂)、信頼できる関係での問題(Gulenko)
- 身のまわりと体調への気づきが後から来る。「驚くべき無力さ」を食事の支度から数える(Karpenko)、快適さと健康を「あまりよく理解していない」うえ「ぎこちなさや不器用さを特に強く思い悩む」(Filatova)、自分の外見とマナーに確信を持てない(Stratiyevskaya)、熱がかなり高くなって初めて不調に気づく(Beskova)、「うっかり教授」(Weisband)、位置4への一撃で放心状態に入る(Bukalov)
ただし、この一致を独立した観測の収束と呼ぶことはできません。アウシュラ以後の研究者は同じ理論共同体に属し、用語も先行記述も相互に継承しているからです(ユングとKempinskiからアウシュラへ、アウシュラから後続研究者とWikisocion系の編纂へ、という継承の系譜は02章のとおりです)。正確には、相互に参照し合う文献系列の中で、論者・時期・記述様式を変えて反復されてきたモチーフであり、その意味でLIE記述の共有された部分と見てよい範囲です。
観測点の食い違い
一方で、単純に合成できない食い違いもあります。
第一に、感覚領域の観測の向きです。Reininは自己評価の源を黒い感覚に置き、「ほとんどいつでも非常に熟練した職人である」「運動神経が良く、スポーツを愛する」と書きます。Filatovaは快適さや心身の調子を苦手な領域として書き、Stratiyevskayaは自分の外見とマナーに確信を持てないと書き、Karpenkoは食事の支度で手が止まると書きます。外へ向かうSeと自分の状態へ向かうSiを分ければ、強い側と弱い側として両立します。ただしReininが自己評価の材料に挙げるのは「私の外見、私の技能、私の活動」で、外見は他の3人が確信の持てない領域として挙げた場所と重なります。要素の区別だけでは整理し切れない部分が残ります。
第二に、見通しが当たるかどうかです。Stratiyevskayaは「何をいつやることに意味があるかを正確に知っている」と書き、Filatovaは「一つの好機も逃さない」と書き、Bukalovは第2位置の時間の直観を自分の事業の結果を予測する能力と規定します。一方Yermakは同じ位置について「否定的な出来事は許容されない、ありえないものとみなされる」と書き、Gulenkoは「発展をあまりに機械的に予測するため、彼の輝かしい計画はしばしば失敗する」と書きます。予測が肯定的な側へ寄るなら上振れの機会は拾えて下振れは勘定に入らない、という読み方で両立させることはできますが、それは当サイトの整理であって、原典が相互参照しているわけではありません。
第三に、代表例に選ばれる像です。アウシュラは研究所を率いうる二つのタイプの一方にLIEを置き、Bukalovはニュートン、ランダウ、フォン・ノイマン、ファインマンを並べます。Filatovaは「優れた起業家、経営者」と書き、Gulenkoはタイプ名そのものを「起業家」とし「ステレオタイプ的なアメリカ人ビジネスマン」に喩えます。ReininとFilatovaは愛称のもとになった作家の小説から、野生地での長い狩りとマーチン・イーデンを引きます。科学者・実業家・冒険者という三つの像は、同じ資質が別の場面に出たものとして読めますが、どれを代表に選ぶかは研究者と時期で分かれています。ユングの外向的思考型は客観的な実在と知的な公式に決定権を与える側に書かれており、後代の実業家像とは重心が違います(23章で扱います)。
第四に、主張の強さの水準です。Filatovaは本人写真の集合を添えて外見にタイプの共通性が現れるとし、Meged & Ovcharovもまなざしと話し方から記述を始めます。Voroschenkoは精神医学のアクセンチュエーションの枠をそのまま当てます。いずれも原理としては検証できる形の主張ですが、追試の記録は確認できません(23章)。同じ対象についてYermakは外見に触れず、要素の意味論とモデルからの演繹だけで書きます。
これらの食い違いは、3つの経路から生じていると読むことができます。1つは観測された場面の違いで、職場か生活か、平常時か危機かで同じ人の現れは変わります。1つは用語の体系の違いで、Reininは強い順のランクで機能を番号づけ、Gulenkoは独自のモデルと独自のタイプ名を使うため、同じ語が同じ位置を指すとは限りません。もう1つは継承の経路の違いで、アウシュラを直接読んだ層と編纂資料を経由した層では、受け取った記述の粒度が違います。いずれも文献の側の事情であって、観測された側の性質ではありません。
記述ジャンルの偏り
05〜13章の資料は、記述の様式が研究者ごとに違います。アウシュラは科学の現場での役割分担と個人の恐れを、章立ての配置論と書簡のメモで書きます。Reininは機能ごとの定式を並べたうえで、読者本人へ二人称で助言する節を別に置きます。Bukalovはプロファイルの規定に、名前と場面のある実例—知人の起業家の平日と週末—を重ねます。Stratiyevskayaは「最大の災い」「最大の悪」といった強い断定と、5歳の菜園のような生活場面を交互に置きます。Filatovaは4機能の簡潔な枠に、小説の主人公と本人写真という二つの外部資料を添えます。Yermakは人物像を書かず、要素の意味論だけで型を並べます。Karpenkoは観察のほとんどに構え(自分・相手・世界への肯定的・否定的な構え)という条件を付け、クアドラ水準の整理から台所の一言までを同じ論文に収めます。Gulenkoは独自体系の内側で、火が点く条件から人物像を組み立てます。その他の論者の資料はさらに幅が広く、双対の側から説明する5項目、2段落の比喩、外見からの記述、生活の逸話、キーワードの列挙、臨床の類型、台詞を見出しにした長編が並びます。演繹だけで書くYermakと、逸話だけで書くBeskovaやSocioscopeのあいだに、引用した論者はこの幅のどこかに位置します。どの様式の記述を読んでいるかを意識することが、原典を扱う最低限の作法になります。
この総括の使い方
LIEについて確からしいのは、複数の文献に反復して現れる5つの観測です。ただしこれは文献上の反復であって、独立した実証による確認とは区別が必要です(23章で扱います)。逆に、単一の研究者にしか現れない記述—熟練した職人としての技能(Reinin)、写真による同定(Filatova)、構えごとに現れが変わるという条件づけ(Karpenko)、位置6の活性化を狩りの形で自分に用意する例(Bukalov)—は、その研究者の主張として帰属つきで扱う必要があります。以降の章(15〜23章)は、この区別を前提に、二分法・次元性・クアドラ・関係という理論の各論へ入ります。
15二分法から見るLIE
二分法は、16タイプを8対8に分ける切り口です。基礎になる4つ(外向—内向、直観—感覚、論理—倫理、合理—非合理)はユングの類型論に由来し、LIEはそのすべてで論理・直観・外向・合理の側に置かれます。Reininはこの4つを含む15の特性へ拡張しました。この章では、基礎4つの定義を原典で確かめ、拡張された特性のどこにLIEが入るのか、その割り当てに考案者と解説者がどんな評価を与えているのかを見ます。
基礎4二分法—論理・直観・外向・合理
まず外向から。ユングの定義はこうです。
対象や客観的事実への指向性が非常に強く、最も頻繁に行われる重要な判断や行動が、主観的な価値観ではなく客観的な関係性によって決定される場合、これを外向的態度と呼ぶ。
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when the orientation to the object and to objective facts is so predominant that the most frequent and essential decisions and actions are determined, not by subjective values but by objective relations, one speaks of an extraverted attitude.
LIEの外向はこの意味です。何を基準に決めるかが、内側の価値づけではなく、外にある対象と事実の側にあるという構えを指します。合理の側も、ユングは定義章で短く説明しています。
合理的とは、理にかなったもの、理性に一致するものである。理性は、思考・感情・行動を客観的な価値に合致するよう形づくることを原理とする構え、と捉える。
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rational is the reasonable, that which accords with reason. conceive reason as an attitude whose principle is to shape thought, feeling, and action in accordance with objective values.
理性とは、思考も感情も行動も客観的な価値に合わせて形づくる構えのことだ、という定義です。外向と合理が重なると、基準の置き場所も、その基準に合わせにいく対象も、どちらも外側になります。ソシオニクス側の定義では、外向の重心の置き方がもう少し具体的に書かれます。
外向—これは世界知覚の一定の立場であり、人間(または客体)の質的特徴記述に第一義的な意義が与えられ、人間の(または客体間の)相互関係はすでに第二義的(従属的)な価値となる。外向の構えにおいては、関係は客体の自身の質の変化に応じて変わるのであり、外向タイプにとってこの客体の質のほうが、客体自身との相互関係よりもはるかに大きな関心を引く。
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Экстраверсия — это такая позиция мировосприятия, при которой первостепенная значимость придается качественной характеристике людей (или объектов), в то время как взаимоотношения между людьми (или объектами) являются уже второстепенной (подчиненной) ценностью. По экстравертной установке отношения меняются в соответствии с изменением собственного качества объекта, которые представляют для экстраверта значительно больший интерес, чем его взаимоотношения с самим объектом.
関係が先に動くのではなく、対象の質が変わったからその関係も変わる、という順序で読む立場です。同じ理論編には、合理と非合理の対比があります。
合理的人格タイプは合法則的なものに方向を定める—そのため彼らは周囲の環境と一貫して、計画的に、合法則性を観察しつつ、結論に基づいて相互作用する。あらかじめ自分の行動を考え、置かれる状況をあらかじめプレイし、何より重要なのは、そこからの出口を考え抜こうとする傾向で区別される。(中略)非合理タイプは予測不能、振る舞いの自発性で区別され、即興の状況においてよりよく感じ、合法則性ではなく偶然性に多く方向を定める。
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Рациональные типы личности ориентируются на закономерное — поэтому они взаимодействуют с окружающей средой последовательно, планомерно, наблюдая закономерности и основываясь на выводах. Отличаются стремлением заранее продумывать свои действия, заранее проигрывать ситуацию, в которую они попадут, а главное — продумывать выход из нее. […] Иррациональный тип отличается непредсказуемостью, спонтанностью поведения, он лучше себя чувствует в импровизированной ситуации, больше ориентируется на случайности, а не на закономерности.
LIEが入るのは前半です。偶然の側ではなく合法則性の側に方向を定める、という記述で、09章でFilatovaが書いた計画と時間の扱いと同じ場所を指しています。残る論理と直観の組は、この2つを組み合わせて扱う節が章の最後にあります。
レイニン特性の誕生—本人の証言
15特性への拡張の経緯を、Reinin本人が一人称で語っています。
きっかけは、アウシュラの仕事『人間の双対的本性』でした。そこには「貴族/民主」という特徴が記述されていたのです。ここからすべてが始まりました。(中略)こうした特徴が11個あり、ユング的なものを合わせて全部で15個だ、ということでした。
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Толчком послужила работа Аушры «Дуальная природа человека». В ней был описан признак «аристократы-демократы». Вот с него все и началось. […] Математически оказалось, что таких признаков одиннадцать, а всего – вместе с юнговскими – пятнадцать.
アウシュラの「貴族—民主」の記述が出発点で、そこから11個の特性が導かれ、ユング由来の4つと合わせて15個になった、という成立史です。基礎の4つが観察から立てられたのに対し、残る11個は組み合わせの操作から出てきたことになります。この出自の違いは、後の節で名前と根拠が問題になるときに効いてきます。
15特性のなかのLIE—戦略・資源・情緒主義
拡張された特性のうち、LIEの側が資料で名指しされるものを順に見ます。まず戦術と戦略の対で、LIEは戦略の側です。
戦略型は戦略的助言を与える傾向があり、彼らはエネルギーと時間を提供する。彼らは妥協の領域においてはそれほど柔軟ではない。彼らは状況を一目で全体として把握できる。
差し出すものが、目の前の作業への助言や短期の手当てではなく、時間とエネルギーそのものになる、という書き方です。そのぶん妥協の幅では柔軟でなくなり、状況は部分の積み上げではなく一度に全体として捉えられる。同じPart IIIには、資源と利益の対の記述もあります。LIEは資源の側です。
資源タイプは衝突を避ける傾向があり、勤勉で、良好な関係を求めて努力する。利益タイプは「攻撃は最良の防御である」というモットーを持ち、容易には譲歩しない。
資源の側は衝突そのものを避け、関係を保つほうへ動く。対する利益の側は、先に攻めることを防御とみなす、と対比されています。この対でLIEがどう現れるかを、Filatovaは書籍のLIE記述で具体的に書いています。
もっとも内面的には、彼は非常に独立心の強い人間であり、自らを隷属させることはない。望めば彼は容易に対立を避ける。というのも衝突からは何の益も得られず、また衝動性は彼の特徴ではないからである。しかし誰かが彼に圧力をかけ、服従させようとするなら、たとえ相手が自分より強くても、LIEは即座に反撃する。
衝突からは何も得られないので避ける、しかし服従を求められた場合は相手の強弱に関わらず反撃する。避けることと退かないことが同居している書き方で、Reininの言う「衝突を避ける」と、圧力への反応とが別の層に置かれています。構成主義と情緒主義の対については、Talanovのモデルによる振り分けを、Filatovaが解説論文で扱っています。
合理タイプ(中略)B) LII, LSI, LIE, LSE(中略)合理タイプでは、構成主義者と同様、一見すると感情性がはっきり現れることはないはずである。彼らの倫理はモデルAでは接触的で弱い役割チャンネルに、モデルTでは第3ポジションにあるからだ。内向のLIIとLSIは実際、感情性が非常に弱い。だが外向のLSEとLIEは、この性質をかなりはっきり示す。
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Рациональные типы Б) ЛИИ, ЛСИ, ЛИЭ, ЛСЭ н ЛвнИнвЭввСн нЛвнСнвЭввИн вЛнвИвнЭннСв вЛнвСвнЭннИв Для рациональных типов, так же, как и для конструктивистов, казалось бы, эмотив- ность не должна проявляться явно, поскольку их этика — в контактном, слабом ролевом канале модели «А», а в модели «Т» — в третьей позиции. Интроверты ЛИИ и ЛСИ дей- ствительно очень слабо эмотивны, а вот экстраверты — ЛСЭ и ЛИЭ — вполне отчетливо проявляются в этом качестве.
倫理が弱い位置に置かれる4タイプなので情緒の現れは表に出ないはずだ、という予測から入り、内向の2タイプは予測どおりだがLSEとLIEは違う、と観察で結んでいます。振り分けの理屈と観察が食い違ったところを、解説者が観察の側で埋めている構図です。この対の名前そのものについては、考案者本人が別の評価を残しています。
名前と根拠への留保—考案者本人の評価
LIEを置いている特性のいくつかについて、Reinin自身が留保をつけています。構成主義と情緒主義の対から。
実験では精確な差異は見出せませんでしたが、おそらく命名はモデルに大きく依拠しています。(中略)私はこれは外面的な現れであり、いちばん本質的なところではないと思います。
現れは外面的で本質ではないという評価です。前の節でFilatovaが観察を書き足していたのは、この対です。戦術と戦略、臨機応変と先見についても、同じインタビューで続けて述べています。
「タクシス/タクト(戦術/戦略)」。これはかなり思弁的(中略)です。アイデアは思弁的にモデルAから導かれました。(中略)「無頓着/慎重(中略)」。これについては何も申せません。アウシュラの用語で、実践的というより理論的なものですね。
LIEを戦略の側に、臨機応変の側に置いている特性は、考案者本人の評価ではこの水準のものです。振り分けそのものが取り下げられているわけではなく、その根拠として実験を挙げられない、という限定です。
クラブ—直観論理の4タイプ
基礎二分法の組み合わせのうち、直観と論理の組は、クアドラとは別のタイプ集団として括られます。
研究者: 直観型かつ論理型(NT)、すなわちILE、ILI、LIE、LII。
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Researchers: intuitive and logical (NT), or ILE, ILI, LIE, and LII.
LIEはこのNTクラブに入ります。Filatovaも論理と直観がともに強い群を「研究者」と呼び、書籍ではLIEの記述をその群の章に収めています。基礎の4つのうち残っていた論理と直観は、単独の軸としてではなく、組み合わせの単位で扱われることになります。
小括します。基礎の4二分法(LIE=論理・直観・外向・合理)は、ユングの定義からStratiyevskayaの理論編まで、LIEが置かれる側が動きません。拡張された15特性でも、側そのものは資料のあいだで一致しています。動いているのは、その側に付けられた名前と、なぜそちら側なのかという根拠のほうです。構成主義と情緒主義の対は考案者が外面的な現れと評し、戦術と戦略はモデルからの思弁的な導出だと本人が書いています。それでも解説者は、その名前の下でLIEに当たる観察を書き足していました。特性の一覧でLIEの側を確かめるときは、側の一致と、根拠の弱さを分けて読むことになります。
16機能の次元性とLIE
機能の次元性は、各機能位置が参照できる情報の幅を1〜4次元で記述する後代の拡張理論です。提唱者はBukalovで、Yermakがパラメータの定式化を整備しました。通説では、位置1と位置8が4次元、位置2と位置7が3次元、位置3と位置6が2次元、位置4と位置5が1次元とされ、LIEではTeとNeが4次元、NiとTiが3次元、FeとSeが2次元、SiとFiが1次元に当たります。この章では、起源の主張、パラメータの定義、次元の割り当ての根拠、そしてLIEへの適用を原典で確認します。
起源—Bukalovの主張とYermakの但し書き
著者によって1990年に発見された、情報代謝機能(心的機能)の情報処理パラメータの次元性 [9] は、人間の思考と行動の特徴、特定の型間関係のニュアンスを正確に記述することを可能にし、国際ソシオニクス研究所のスタッフおよび他のソシオニクス専門家による専門家・コンサルティング業務において実用上の重要な応用を持つ [10, 14]。
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Обнаруженная автором в 1990-м году мерность параметров обработки информации психических функций или функций информационного метаболизма [9], позволяет точно описывать особенности мышления и поведения человека, нюансы конкретных интертипных отношений и имеет значительные практические приложения, используемые на практике в экспертно-консультационной работе как сотрудников Международного института соционики, так и других специалистов по соционике [10, 14].
Bukalov自身は発見を1990年と書いています。効用として挙げられるのは、思考と行動の特徴や型間関係の細部を正確に記述できることで、その裏づけは専門家業務での使い勝手に置かれています。同じ概念を、Yermakは自分の用語法と区別したうえで導入します。
心のTIMモデルの機能の次元の概念は、ブカロフ A.V. によって1989年にソシオニクスに導入された。ここで提示する次元の用語法と意味論(エルマーク V.D. とセニュク G.B.、1993年)は、ブカロフ A.V. が提案したものとはいくぶん異なる。
導入の年は、Bukalov本人が1990年、Yermakが1989年と書いており、文献のあいだで1年ずれています。さらにYermakは、自分の使う用語法と意味論はBukalovの案とは異なる、と先に断ります。次元性は一つの理論の名前で呼ばれますが、起点の年も語彙も、著者ごとに別々に置かれているということになります。
4つのパラメータ—Yermakの定義
Yermakは次元を構成する項目を、経験・規範・状況・時間の順に定義します。
Ex(英語 experience から)—経験のパラメータ —出生時からの、人生を通じて意思決定と影響の執行の過程で人間が獲得した、個人的(Ex)または人格的(社会的)経験(Ex*)の特徴。(中略)Nr(規範 norm から)—規範のパラメータ —意思決定または管理影響の執行の過程で遵守すべき規範、規則、習慣、認められた手法、基準(個人的—Nr または社会的—Nr*)の特徴。(中略)St(英語 situation から)—「状況」のパラメータ —意思決定または管理影響の執行の条件、「情況」(個人的 St または社会的 St*)の特徴。(中略)Tm(英語 time から)—パラメータ的時間 —意思決定または執行がなされる、過去・現在・未来の個人的(Tm)または社会的(Tm*)時間の瞬間。
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® Нх (от англ. ехриепсе) — параметры опыта — характеристика индивидуального (Ех) или личностного (социального) опыта (Ех*), полученного от рождения и наработанного человеком в течение жизни в процессе принятия решения и исполнения воздействий ; (中略) ® М (от англ. погт) —- параметры норм - характеристика норм, правил, обычаев, принятых приёмов и стандартов (индивидуальных — Мг или социальных — Мг *), которых следует придерживаться в процессе принятия решения или исполнения управляющих воздействий “; (中略) ® 5 (от англ. 5ИлаНоп) — параметры “ситуации” - характеристика условий, "обстановки" (индивидуальной 51 или социальной 5*) принятия решения или исполнения управляющих воздействий; (中略) ® Тт (отангл. ите) - параметрическое время — момент индивидуального (Ти) или социального (Ти\*) времени в прошлом, настоящем или будущем относительно которого принимается или исполняется соответственно индивидуальное или социальное решение; иными словами, время как точка на шкале времени, т.е. как параметр "привязки" обработки информации к некоторому моменту в прошлом, настоящем или будущем.
1次元は経験、2次元は経験と規範、3次元は状況まで、4次元は時間までを参照する積み上げです。LIEで言えば、位置4のSiは自分が経験した範囲だけを手がかりにし、位置1のTeは先の見通しまでを手がかりにできる、という配分になります。Bukalov側は同じ4つを別の語彙で呼びます。
次元性を考慮した情報代謝機能の一般構造を、グローバル性、状況、規範、個人的経験のベクトルによって図的に表されるとおり、思い出しておこう。
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Напомним общую структуру функций информационного метаболизма с учетом мерностей, графически выражаемых векторами глобальности, ситуации, норм и личного опыта.
Yermakの「時間」に対応する4本目のベクトルを、Bukalovは「グローバル性」と呼びます。Yermakが先に置いていた但し書きの中身は、こういう形で現れます。同じ理論の内部でも語彙が統一されていない点は、原典を読むときの注意点です。
次元の割り当て—LIEのメンタルリング
メンタルリング(位置1〜4)の次元は、Bukalovの論文で明示されます。
機能の操作的心理情報空間の次元数の理論からは、第4機能は1次元的刺激・情報を知覚することが帰結する。それは情報的に1次元的(「はい/いいえ」の原理での判断)であり、自己の個人的経験から発する。モデルAのメンタルリングにおいて、第4機能は情報的に1次元、第3機能は2次元、第2機能は3次元、第1機能は4次元である。
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Из теории мерностей операционного психоинформационного пространства функций следует, что 4-я функция воспринимает одномерные стимулы или информацию. Она информационно одномерна (суждения по принципу «да-нет»), исходит из собственного личного опыта. В ментальном кольце модели А 4-я функция информационно одномерна, 3-я — двумерна, 2-я — трехмерна, а 1-я — четырехмерна.
LIEのメンタルリングは、位置1のTeから位置4のSiまでです。第4機能の「然り-否」の原理での判断は、Siについての観察から取り出されたものではなく、次元の一般則からの帰結として書かれています。導出の向きが、記述から理論へではなく理論から記述へ向いている、ということです。Yermakは同じ配分を、時間パラメータの有無で言い直します。
知性の機能(「知性」—第1機能)は4次元—受容される社会的に有意な(人格的)情報を全面的に処理し(アイデア、課題の解決などを探す)、これには時間パラメータについて(過去、現在、未来において)の処理も含まれる;(中略)社会的創造の機能(「創造」—第2機能)は3次元—「創造する」、すなわち過去、現在、未来のある時間の瞬間に対して知性の機能が見出した社会的に有意な決定、アイデア、思考を実現する。ここから社会的経験、状況、規範の考慮が現れるが、創造機能は時間パラメータについて不変(独立)である
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– функция интеллекта («интеллект» — ф.1) четырѐхмерна — всесторонне обрабатывает воспринимаемую социально значимую (личностную) информацию (ищет идею, решение задачи и т. п.), в том числе и по параметру времени (в прошлом, настоящем или будущем), функция социального творчества («творческая» — ф.2) трѐхмерна — «творит», т. е. реализует социально значимые решения, идею, мысль, которые найдены функцией интеллекта относительно некоторого момента времени в прошлом, настоящем или будущем — отсюда учѐт социального опыта, ситуаций и норм, но инвариантность (независимость) функции творчества по параметру времени (функция «творит» в той точке или в том периоде на временной шкале, которые ей определила функция интеллекта (ф.1));
LIEに当てはめると、Teは過去・現在・未来の処理を含む全パラメータを扱い、Niは時間パラメータについては独立に働く、という区別になります。ここで語が交差します。LIEの創造機能は時間の直観であり、一方でYermakの言う時間はパラメータのTmです。名前は同じ「時間」でも、片方は情報の側面につけられた名、もう片方は処理の深さを数える軸の名で、定義の水準が違います。重ねて読むと、時間を扱う機能が時間から独立だという読みにくい文になりますが、指しているものは別です。
LIEへの適用—4次元のTe
4次元の第1機能に何ができるとされるかを、Karpenkoは次のように書きます。
第1機能の四次元性はその包括的な性格を与え、その持ち主に、対応するアスペクトにおいて、状況や規範、さらには個人的経験が課す枠や制限を乗り越えることを可能にする。(中略)この機能の四次元性は、世界の慣れ親しんだ幾何学を「引き裂き」、新しい地平を開き、アイデアと発見と予見を贈り届ける。
Karpenkoが第1機能に与えているのは、処理の正確さや量ではなく枠を越える性格です。LIEでその位置に入るのはTeなので、越える対象は仕事のやり方をめぐる状況・規範・自分の経験になります。08章で見たStratiyevskayaの記述—官僚的な煩雑さを「最大の悪」と知覚し、それが業務的活動性を殺す—は、同じ関係を反対の側から書いたものと読めます。規範の枠を越えられる位置にあるからこそ、枠のほうが強い場では働きが止まる、という筋です。ただしこの対応づけは当サイトの整理で、Karpenkoはここでは要素を特定せず、第1機能一般の性質として書いています。
強い主張への注記
次元性理論には、検証手続きが示されないまま数値を伴う強い主張も含まれます。
心的機能の次元性の階層は、注意・記憶・思考の容量の階層を定める。生物種が違えばこれらの容量は大きく異なりうる。我々が示したとおり、人間にとって次元性の階層は、記憶・注意・思考の容量に関する「ブカロフの魔術的列」を定める:7±2、10±1、17±1、27±1。最初の数はミラーの「マジカル・ナンバー」7±2および作業記憶(オペレーショナルメモリ)の容量に対応する。心的機能の次元性に結びつけられた各ベクトルに、それぞれの注意・思考・記憶の容量を対応させることができる [6–13]。
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Иерархия мерностей психических функций задает иерархию объемов внимания, памяти и мышления. Для разных биологических видов эти объемы могут очень сильно различаться. Так для человека, как было показано нами, иерархия мерностей задает «магический ряд» Букалова для объемов памяти, внимания и мышления: 6(±1), 10(±1), 16(±1), 26(±1), в котором первое число соответствует «магическому числу» Миллера и объему оперативной памяти. Каждому вектору, связанному с размерностью психической функции, можно сопоставить свой объем внимания, мышления и памяти [6–13].
Millerの7±2は認知心理学の古典的な作業記憶の目安です。そこから10±1、17±1、27±1という系列を導き、次元の階層と対応づける主張ですが、この系列を支える独立の実験データは、当サイトが確認した範囲では引用文献の外に示されていません。
小括します。次元性は、LIEの強いTe・Niと弱いSi・Fiを、参照できるパラメータの数として言い直す装置です。事実で正解を確かめられない領域—自分の趣味や外見、周囲からの好意—で確信が持てないという記述は、経験だけを手がかりにする位置の説明として並べ直せます。一方で、導入の年も4本目のパラメータの呼び名も著者ごとに違い、次元の数を外から測る手続きは示されていません。理論運用上の弱点は23章でまとめます。
17ガンマ・クアドラのLIE
LIEは、SEE・ILI・ESIとともにガンマクアドラを構成します。4タイプが共有する価値要素は、外向論理(Te)・内向直観(Ni)・内向倫理(Fi)・外向感覚(Se)です。この章では、クアドラという概念の原典定義、番号の揺れ、ガンマの気風についての各研究者の記述、そのなかでLIEに割り当てられた持ち分を確認します。
クアドラとは何か—創始者の規定
まず創始者の定義です。
クアドラ。 クアドラとはソシオンの4分の1であり、四つの情報代謝タイプから構成される。そのうち互いに活性化する二つの双対ダイアドのうち、一方は一つの社会的進歩の環に、他方はもう一つの環に属する。クアドラの参加者を結びつけるのは一定の関心の共通性であり、そして最も重要なことに—紛争の可能性の不在である。互いにつねに理解し合い、言葉の背後にも行為の背後にも何ら不快なことを気づかない。際立って実り多く生産的な共同作業。
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Квадра. Квадра — одна четвертая социона,' об-` разованная из четырех типов ИМ или двух активи- зирующих друг друга диад, одна из которых отно- сится к одному, другая — к другому кольцу соци- ального прогресса. Участников квадры объединяет определенная общность интересов, а главное — от- сутствие возможностей конфликта. Друг друга они всегда понимают, за словами и поступками не заме- чают ничего обидного. Исключительно нлодотворна и производительна совместная работа.
「紛争の可能性の不在」という強い定式です。双対2組(LIE-ESIとSEE-ILI)が活性化関係で結ばれる4人組、という構成の定義はその後も共有されています。結びつきの根拠は、個人の資質ではなく、4人が揃ったときの条件として書かれています。
番号の揺れ—「第二」と「第三」
アウシュラの同書はクアドラをギリシャ文字ではなく順序数で呼び、LIEを含む組は「第二」として登場します。
第二。 論理直観外向と倫理感覚内向、感覚倫理外向と直観論理内向。
列挙されているのはLIE・ESI・SEE・ILI、つまり現在ガンマと呼ばれる4タイプです。一方、後代のStratiyevskayaは同じ組を「第三クアドラ」と呼び、そのなかでのLIEの位置をこう書きます。
第三クアドラ(ガンマ)の直観・論理タイプは合理的外向、論理直観外向LIE〔原文: ジャック・ロンドン〕によって代表される(第一クアドラの非合理的外向、直観・論理タイプであるILE〔原文: ドン・キホーテ〕とは異なり)。
同じ4タイプ組が、資料によって「第二」とも「第三」とも番号づけられている、ということです。ギリシャ文字名(ガンマ)は後年に定着した慣用で、番号は資料間で揺れます。クアドラを番号で照合するのは危険で、構成タイプで照合するのが安全です。引用の後半でStratiyevskayaがILEを引き合いに出しているとおり、直観・論理のクラブはアルファとガンマの両方にあり、2タイプを分けるのは合理か非合理かです。
気風の記述—突破力と実利、その裏面
Stratiyevskayaは、ガンマとアルファが同じ2つのクラブでできていながら、支配する側面が逆になると書きます。
第三クアドラ(ガンマ)の特徴。(中略)第三クアドラは「直観・論理タイプ」と「倫理・感覚タイプ」によって代表される—この点で、それは第一クアドラに非常に似ている。しかし、第三クアドラで支配的な側面は、第一クアドラで支配的な側面と垂直性(外向/内向)において対立しており、そこで排斥され、抑圧された側面に対応している。(中略)第三クアドラでは支配的なのは:「黒」論理(■(Te) Te)、「白」倫理(▽(Fi) Fi)、「黒」感覚(●(Se) Se)、「白」直観(△(Ni) Ni)である。
引用中の「黒/白」は情報要素の外向/内向を表す同書の表記です。ガンマの支配的側面として挙がるTe・Fi・Se・Niは、章頭に置いた価値要素と一致します。顔ぶれのクラブは同じで、価値の向きが逆というのが、彼女のアルファとガンマの対比の要点です。Bukalovは、同じ4人組を段階の名で呼びます。
クアドラγは「疾風怒濤」のクアドラであり(中略)感覚意志的圧力(●(Se)51)に内向的情動(▽(Fi)52)、動的論理(■(Te)53)、時間感覚(△(Ni)54)が組み合わさり、極めて動的かつ抑えがたい世界感覚と行動のクラスターを形成する。(中略)クアドラγは、設定された目標を巨大な突破力で達成し、達成された成果に対して批判的態度を取ることを特徴とする。
引用中の数字はBukalovが自身のモデルで使う通し番号です。「疾風怒濤」という名は、目標を巨大な突破力で達成することと、達成された成果に批判的態度を取ることの両方に掛かっています。推進と自己批判が同じクアドラの中で対になっている、という書き方です。Gulenkoは、同じ気風をイデオロギーの語に置き換えます。
γクアドラの根本価値は実利主義である。ご存じのように、それはアングロサクソン諸国の伝統的イデオロギーに基づく。実利主義の哲学においては、利益をもたらすすべてのものだけが本当に認められる。絶対的真理、あるいはそれへの欲求さえ拒否される。
利益をもたらすものだけが認められ、絶対的真理もそれへの欲求も拒否される。Gulenkoはこれをガンマの根本価値と呼び、由来をアングロサクソン諸国の伝統的イデオロギーに求めます。Bukalovが成果への態度として書いたものを、彼は何を認めるかの基準そのものとして書いていることになります。Stratiyevskayaは、この基準の裏面をガンマ固有の負担として定式化しています。
第三クアドラ(ガンマ)の代表者は「人生から外される」のを大変嫌う—この状態は彼らを殺す。(中略)「『けちな騎士』のコンプレックス」が発展する。(中略)「『けちな騎士』のコンプレックス」—これは抜け出すのが非常に難しい罠である:決定的な瞬間に、自身の「宝物」を一般の議論—もしかすると、糾弾—のために開くのが恐ろしくなるのである。
「人生から外される」ことと、決定的な瞬間に自分の「宝物」を開けなくなること。この2つがガンマの負担として置かれます。「クアドラのコンプレックス」はStratiyevskaya独自の用語で、診断名ではありません。ここまでの引用が推進と実利の側を書いていたのに対し、こちらは同じ場で何が出しにくくなるかを書いています。
ガンマのなかでLIEが担うもの
ガンマで何が評価されるのかを、Stratiyevskayaはアルファとの対比で書きます。
第一クアドラ(アルファ)とは異なり、独創的な観念、成功した着想、新鮮な発案が高く評価される功績とされる第一クアドラと比べ、第三クアドラでは観念そのものよりも、その実現が評価される。
評価されるのは観念そのものではなく、その実現である、という基準です。この基準を置いたうえで、彼女は栄誉の集まる先を名指しします。
おそらくそれゆえに、すべての栄誉、すべての名誉、すべての褒賞は、ここでは外向・実装者、論理直観外向LIE〔原文: ジャック・ロンドン〕に最も多く与えられる(その社会的機能は現時点ではB.N.エリツィンが果たしている)。
「外向・実装者」がここでLIEに与えられた呼び名で、栄誉・名誉・褒賞が最も多く与えられる先として置かれます。評価の基準が実現に置かれているなら、実装を担う位置に評価が集まるのは基準の帰結です。括弧内の政治家は同書の執筆時点の例で、タイプ帰属そのものは22章で扱います。実装の中身も、続けて書かれています。
社会の技術的・経済的変革は第三クアドラ(ガンマ)の論理・直観タイプ:外向・実装者「LIE〔原文: ジャック・ロンドン〕」(プログラム的側面—業務論理(■(Te) Te))と直観論理内向ILI〔原文: バルザック〕(プログラム的側面—ポジティブな「時間の直観」)によって実施される。まさにこれらの側面の組み合わせが、生まれつつある資本主義関係の時期に、必要な技術的・経済的基盤を作ることを可能にするのである。
社会の技術的・経済的変革を実施するのはLIEとILIの2タイプだ、という割り当てです。ガンマの4人の中で、この2人の側面の組み合わせが資本主義関係の生まれる時期に必要な基盤を作る、と書かれ、LIEの持ち分は経済と技術の側に置かれます。Bukalovの役割論では、同じ4人組の持ち分が別の軸で分けられます。
クアドラγの社会的役割は人間活動のあらゆる領域における事物の現状の批判—その中にはクアドラβの仕事も含まれる—にある。(中略)感覚倫理外向(SEE)は、他者の主観的過誤を批判的に再考し、修正しようとする。(中略)その双対、直観論理内向(ILI)は、世界の現実に懐疑的に関わる;(中略)倫理感覚内向(ESI)は、風俗の批判者、道徳の擁護者である;(中略)論理直観外向(LIE)は、有害な習慣、外的環境汚染等の批判者である。
ガンマの社会的役割は現状の批判で、その対象にはベータの仕事も含まれます。しかも4タイプそれぞれに批判の担当領域が振られており、LIEに割り当てられているのは有害な習慣と外的環境汚染の批判です。Stratiyevskayaが実装の側からLIEを書いたのに対し、Bukalovは何を批判の的にするかの側から書いていることになります。Gulenkoの役割名では、ILIが批評家、LIEが起業家です。この2人について彼はこう書きます。
彼らは科学的発見と発明の有益な使用という刺激によって動機づけられる。批評家と起業家は、短期的課題を解決するために典型的な、機動的なアプローチでよりよく自己を示す。
ガンマの4人のうち、この2人が応用の側で組になるという記述です。Stratiyevskayaの実装、Bukalovの批判の的、Gulenkoの応用は、いずれもLIEを、すでにあるものを現実に当てる側に置いています。
小括します。ガンマの構成—Te・Ni・Fi・Seを共有するSEE・ILI・LIE・ESIの4タイプ—は研究者間で一致します。気風の記述で重なるのは、成果と実現を基準に置く点です。Bukalovは突破力と自己批判、Gulenkoは実利主義、Stratiyevskayaは実現の評価と「けちな騎士」の負担として、それぞれ別の語で同じ側を書きます。呼び方は「第二」「第三」「ガンマ」と資料間で揺れるため、構成タイプでの照合が必要です。LIEの持ち分としては、Stratiyevskayaの「外向・実装者」—栄誉が最も多く集まる位置であり、技術的・経済的変革を実施する側—が最も具体的な記述で、Bukalovの批判の分業とGulenkoの応用の組がこれに重なります。
18タイプ間の関係のなかのLIE
タイプ間の関係の理論では、LIEの主要な相手は、双対=ESI、活性化=SEE、鏡像=ILI(以上ガンマ)、衝突=SEI、監督する相手=IEI、監督される相手=SLI、恩恵を与える相手=SLE、恩恵を受ける相手=IEEなどです。関係ごとの一般解説は関係のページにあります。この章では、LIEを名指しした原典記述を、双対を中心に集めます。
双対関係の一般定式
この種類の関係においては、当該タイプの弱い機能が、他方のタイプ(双対、完全に補完的なタイプ)の強い機能の領域にある。補完的なタイプの人物こそが最良の教師である。(中略)双対タイプは私の弱い機能を保護し、同時に、私の弱い機能の領域においてさえ成功に至る行動プログラムを提供してくれる。
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In this type of relationships the weak functions of the type are in the zone of strong functions of the other type (dual, completely complementary type). A person of the complementary type is the best teacher. […] The dual type protects my weak functions, at the same time providing a behavioral program for me to reach success even in the area of my weak functions.
弱い機能の保護と行動プログラムの提供、という双対の定式です。Gulenkoの記述は、同じ構図を体感の水準で書きます(12章の方針どおり、彼の観察として引きます)。
双対関係は興味深く、もてなしに満ちたコミュニケーションを楽しめる関係であり、退屈することがありません。パートナー同士は互いを釣り合わせ合い、心理的な無重力状態のような感覚を生み出します。パートナーは自分の行動や言葉を統制する必要がなく、ただありのままの自分でいることができます。あらゆる活動において役割分担がほぼ自動的に行われるため、新しい課題に向けて多くのエネルギーを節約できます。
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Dual relationships enjoy an interesting and hospitable communication that is never boring. Partners counterbalance each other, creating a feeling of psychological weightlessness. Partners do not have to control their actions or words; they can just be themselves. Due to the fact that responsibilities in every activity are distributed almost automatically, a lot of energy is saved for new tasks.
引用の「役割分担がほぼ自動的に行われる」は、Reininの「行動プログラムの提供」を関係の内側から見た言い方と読めます。次のアウシュラの記述は、同じ相補をLIEとESIの組で書いたものです。
LIEとESI—アウシュラの記述
LIEの双対はESIです。アウシュラは婚前交際の章で、この2つが噛み合う理由を、注意の向く時間の違いに置きます。
倫理感覚内向は明日のことを考えず、今日だけを生き、期待を好まない。今日できることは明日に延ばすな。そして今日できることは今やったほうがよい。このタイプは頑固で妥協を知らず、だから論理直観外向—今日ではなく今あるもの、すなわちかつて何があり何が起こるかに関心をもつ、今日の出来事に注意を向けない人物—と見事に友情を結ぶ。
「このタイプ」はESIを指します。LIE側に与えられているのは、目の前の一日ではなく、かつて何があり、これから何が起こるかへ向く注意です。噛み合う根拠が、性質の似通いではなく、注意の届く範囲の違いに置かれています。同じ章でアウシュラは、LIEが相手に何を求めるかを書きます。
論理直観外向の強い面もまた論理である。発達した抽象的思考のため、パートナーの外見には無頓着で、それにあまり注意を払わない。しばしば容姿のいいパートナーは邪魔ですらある。必要なのは自分にとって最も美しい者ではなく、むしろ自分を最も美しいと思ってくれる者である。
「最も美しい者ではなく、自分を最も美しいと思ってくれる者」という対句で、求める対象が相手の容姿から自分へ向けられた評価へ移されます。容姿のいい相手が邪魔にもなりうるとまで書かれる以上、ここでのLIEは見る側ではなく見られる側に立っています。同じ関係を双対の側から書いた箇所もあります。アウシュラはESIを論じた章で、LIEの能力の見せ方がESIに何をもたらすかに触れています。
ESI〔原文: クライド〕は、自分の潜在的諸能力を自慢しないし、他者がそうするのに耐えられない(中略)一方、自身の能力を双対 — 論理直観外向 — の誇示的開示は、彼の魂を、自分自身の不確かさ、煩悶、良心の呵責から救い出す香膏となる。
他者の誇示には耐えられないのに、双対の誇示だけが別に扱われる、という書き分けです。同じふるまいが、相手が誰かによって正反対の受け取られ方をすることになります。LIEの側から見れば、能力を開いて見せる行為が、相手の不確かさを鎮める働きを持つ場合がある、と読めます。ここまでのアウシュラの記述は交際の場面に寄りますが、後代の研究者は同じ組を役割の分担として書きます。
後代の研究者によるLIE-ESI
Stratiyevskayaは、LIEとESIが関係の中で何を引き受けるかを、領域ごとに分けて書きます。
そして関係の形成のプロセスでも、LIE〔原文: ジャック〕は潜在意識的に、すべての主導権をパートナーが取ることを当てにする。そしてESI〔原文: ドライザー〕は実際、すべての倫理的・意志的主導権を取る傾向がある(もちろん、偏見であまりにも縛られていない場合だが)。自分の側からは、LIE〔原文: ジャック〕は関係の発展におけるすべての業務的主導権を喜んで引き受ける: 彼は常にあらゆる障害、あらゆる距離を克服する方法を見つける — 主要なのは、自分のパートナーが何の困難や不便も体験しないことである。
分担は、倫理と意志の主導権をESIが、業務の主導権をLIEが取るという形で書かれます。LIEの担当が「あらゆる障害、あらゆる距離を克服する方法を見つける」ことに置かれている点は、関係そのものを進める役ではなく、進行を妨げる条件を外す役という切り分けです。主導権を相手に預ける記述と、業務では自分が全部引き受ける記述が、同じ段落に並びます。
業務の主導権を引き受けるLIEに、現実的で時宜にかなった目標を渡す役を、Stratiyevskayaは双対の側に置きます。
そしてまさにそのような目標を、彼に双対のESI〔原文: ドライザー〕が与える(ESI〔原文: ドライザー〕は展望を見ることはできないが、時に何らかの発案の無展望性を非常にはっきりと見て、LIE〔原文: ジャック〕をあまりにも遠く非現実的な計画に固執させない。さまざまな意志的影響力の手法を創造的に操作して、ESI〔原文: ドライザー〕はLIE〔原文: ジャック〕をより現実的で時宜的な課題に切り替えさせる)。
ESIは展望そのものは見ないが、ある発案に展望が無いことは見える、という書き方です。だから働きは「より現実的で時宜的な課題に切り替えさせる」という限定の形をとります。Reininの言う行動プログラムの提供が、ここでは計画の射程を縮める側から書かれています。反対向きの記述は、Stratiyevskayaが章の締めに置いています。
自分の生活力、楽観、生命愛好、健康な冒険心、空想力、思考の独創性で、LIE〔原文: ジャック〕は自分の双対のESI〔原文: ドライザー〕に明日への確信を与え、彼を多くの人生の袋小路から引き出し、冒険への味覚を植え付け、人生を喜ぶことを教え、彼の前に新しい未知の可能性を開き、彼の人生をより豊かに、より興味深く、喜ばしい出来事で満たされたものにする。
直前の引用でESIがLIEの計画の射程を縮める側に立っていたのに対し、ここではLIEがESIの視野を先へ延ばす側に立ちます。狭める働きと広げる働きが、同じ1つの組で向かい合っていることになります。
活性化—LIEとSEE
同じガンマクアドラのSEEとの関係は活性化と呼ばれます。Bukalovは活性化とは何かの説明そのものに、この組を使います。
活性化関係とはどのようなものか。批評家(ILI、ILI〔原文: バルザック〕)に対して諸機能が鏡像反転に置かれているタイプ—起業家タイプ(■(Te)△T(Ni)e-Ni、LIE、LIE〔原文: ジャック・ロンドン〕) —に目を向ければ、政治家(●(Se)▽S(Fi)e-Fi、SEE、SEE〔原文: ナポレオン〕)と起業家との情報的相互作用は、双対関係に何かしら似ているが、相違もあることが分かる。
目印は「双対関係に何かしら似ているが、相違もある」に置かれます。SEEはLIEの双対ESIと同じ2要素を主導と創造に持ち、順序だけが入れ替わります。似ていると書かれる根拠はここにあり、相違はどちらの要素が先に届くかに現れる、と読めます。Bukalovはこの近さを、事業の現場の観察で裏づけます。
起業家、ビジネスパートナー、生産現場のパートナーの間にも、活性化ペアが極めて頻繁に見られ、非常に効果的に働く—たとえば起業家(■(Te)△T(Ni)e-Ni、LIE) ─政治家(●(Se)▽S(Fi)e-Fi、SEE)、または元帥(●(Se)□S(Ti)e-Ti、SLE) ─イデオロギスト(▼(Fe)△F(Ni)e-Ni、EIE)。
観察の場が家庭や交際ではなく、起業家・ビジネスパートナー・生産現場に置かれています。頻度と有効性はBukalov自身の判断で、根拠となる件数は示されていません。それでも、活性化の記述が家庭ではなく仕事の場から立てられている点は、双対の記述との違いとして残ります。
衝突—LIEとSEI
反対の極として、LIEの衝突相手はSEIです。Filatovaは、この関係の名を機能の対応から説明します。
この名称自体からすでに明らかなように、この対称的な関係は、最も好ましくないものに属する。それは、一方のパートナーの強いプログラム機能が、他方の痛点機能へと向かうことによって特徴づけられる。
根拠に置かれるのは性格の不一致ではなく、強い機能の向かう先が相手の痛点にあたるという位置の対応です。LIEとSEIでは、一方の主導機能と他方の脆弱機能(位置4)が同じ要素になり、それが双方向で起きます。Gulenkoは同じ関係を、援助が成り立たない側から書きます。
最悪なのは、衝突関係で結ばれたパートナーは、実際的な相互援助を持たないことです。彼らは外部からの攻撃に対して互いをまったく守りません。これは言葉での防御ではなく、弱い機能のために明らかに自分の力を超えている部分の仕事を、パートナーに代わって行う能力のことです。
「弱い機能のために明らかに自分の力を超えている部分の仕事を、パートナーに代わって行う能力」という規定は、章頭のReininの定式にあった弱い機能の保護をそのまま裏返したものです。双対と衝突が、同じ1つの基準で測られていることになります。関係の質の差を、当事者の相性ではなく、弱い機能を誰が引き受けるかで説明する形式です。
小括します。LIEの関係記述の中心は双対ESIで、注意の届く時間の違い(アウシュラ)、業務の主導権と倫理・意志の主導権の分担(Stratiyevskaya)、遠すぎる計画を現実的な課題へ切り替える働き(同)という3つの定式が重なります。活性化ではBukalovが事業の現場での頻度と有効性を、衝突ではFilatovaが機能位置の対応を、Gulenkoが実際的な援助の不在を扱います。いずれも機能配置から関係の質を導く形式で、性格の相性論とは水準が違います。ただし、これらの関係記述の実証は事例と自己報告に限られており、その限界は23章で扱います。個別の組み合わせはタイプ間の関係のページで確認できます。
19MBTI®のENTJとの比較
当サイトはLIEをENTJと併記しています。この章では、その対応の根拠と限界を短く整理します。詳しい一般解説はMBTIとの比較のページにあります。
対応の根拠—Te・Niの並びと末尾の一致
ソシオニクスとMBTIは、どちらもユングの類型論から枝分かれした別の理論です。当サイトのLIE=ENTJという併記は、両体系で同じ機能配列を持つタイプを対応づける方法に基づきます。ソシオニクスのLIEは、位置1がTe(外向論理)、位置2がNi(内向直観)です(03章)。この並びをMBTI側の主機能Te・補助機能Niに対応させると、ENTJになります。
末尾文字の決まり方は両体系で異なります。ソシオニクスの小文字j/pは主導機能の種類を示し、MBTIの大文字J/Pは外界に向く機能の種類を示します。LIEは外向タイプなので、外界に向く機能は位置1のTeです。そのため、ソシオニクスのENTjとMBTIのENTJは末尾が一致し、J/Pスイッチは起きません。末尾が反転するのは内向8タイプだけです。
4文字は4つとも重なります。ただし同じ文字が同じものを指すとは限らないことを、Gulenkoは1996年の比較論文で名指ししています。
残念ながら、この理由でいくつかの文字は全く異なる意味を持つ:F: 力のセンサリー(私のソシオニクス記号システム)とMBTIの感情を比較せよ; I ― 潜在の直観(ソシオニクス)と内向; T ― 時間の直観(ソシオニクス)と思考。
ソシオニクスの記号でTが指すのは時間の直観、つまりLIEの位置2にあるNiです。ENTJのTは思考を指し、LIEでいえば位置1のTeの側に当たります。同じ1文字が、体系によって位置2の直観にも位置1の論理にも読めるわけです。文字の並びが一致していても、その文字を読む規則までは共有されていません。
ケアシーとの食い違い—LIEとLSEをめぐる論争
Bukalovは、ともに位置1にTeを持ち、位置2がNiかSiかで分かれるLIEとLSEを比べたうえで、この2つをめぐるアメリカ側の逸話を置いています。
そして今は、論理直観外向(■(Te)△(Ni)、LIE)と論理感覚外向(■(Te)○(Si)、LSE)を比較しよう。(中略)これら2つのタイプとアメリカの類型論者には滑稽な事件があった:マイヤーズ=ブリッグス類型論を普及させ同時にそれと議論したケアシー教授は、自分の最終版でいわば事実上マイヤーズ=ブリッグスと論争する:「これらのタイプをどうして比較できようか?この2つのタイプは全く異なる:一方は実用的、他方はそのように直観的、思弁的など ― どうやって比較できるのか?」。ソシオニクスの観点からは、これはもちろんおかしい、なぜならこれらのタイプは親類だからである。
ケアシーは一方を実用的、他方を直観的・思弁的と分け、比較の対象にならないほど違うと述べています。ソシオニクスでは同じ2つが、位置1のTeを共有して位置2だけが分かれる同属関係にあたります(18章)。MBTIの4文字でもENTJとESTJは1文字しか違いません。文字の重なりの多さと、それぞれの体系で測られるタイプの近さは、別々に決まっているということです。
外から見た関係—Bukalovの反論
心理学の側からソシオニクスがどう見えるかについて、Bukalov自身が書いています。
一方、たとえば類型論を専門とする心理学者は、ソシオニクスをマイヤーズ-ブリッグス類型論より良くも悪くもない単なるポストユング類型論として扱う。それは彼らの権利ではあるが、われわれは彼らがソシオニクスをタイプの抽出にのみ矮小化しており、それで打ち切ってしまっている、と考える。
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А, скажем, психологи-типологи рассматривают соционику всего лишь как постюнговскую типологию, не лучше и не хуже типологии Майерс-Бриггс. Это их право, но мы считаем, что они низводят соционику до выделения типов, да и только, и этим ограничиваются.
外部からは「MBTIと同水準のポストユング類型論の1つ」と見なされ、内部はそれを「タイプ抽出への矮小化」と反論する—両者の認識の溝がそのまま残っている構図です。ソシオニクス側が独自性の根拠に挙げるのは、モデルA、タイプ間の関係の理論、次元性などの理論装置です(その実証状況は23章)。
LIE読者への実務的な注意
MBTIでENTJと判定された人がこのページを読む場合、LIEの記述がそのまま自分に当てはまるとは限りません。ENTj=ENTJは、Te・Niの配列に基づく対応であって、判定の互換ではないからです。4文字がそろって一致するぶん、対応が強いものに見えやすい点には注意が要ります。照合の順としては、対応表よりも先に、このページが扱う8つの機能位置と、04章の要素の定義に当たることを推奨します。
小括します。LIE=ENTJは、機能配列同一の仮定に基づく表記の対応であって、判定の互換ではありません。LIEは外向タイプなので末尾のJ/Pスイッチは起きず、ソシオニクスのENTjとMBTIのENTJは4文字とも一致します。ただし、同じ文字が体系によって別の機能を指すことも、隣り合うタイプの近さの判断が食い違うことも、外部からの「ポストユング類型論の1つ」という評価と内部からの「タイプ抽出への矮小化」という反論の溝も、この4文字の一致の上には現れません(23章で再論します)。
20サブタイプとタイプ内変異
同じLIEでも、人から受ける印象は大きく違います。この章は、その違いをタイプの内側の変異として説明しようとした後代の理論群を読みます。読むのは、タイプと人格を分けたアウシュラの記述、Meged & Ovcharovの2分割を整理したコミュニティ編纂資料、Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001年)第III部が書くLIEの2変種、Gulenko『64の肖像』(2019年)のDCNHです。いずれもモデルAに後から足された拡張で、相互に互換性はありません。ここで見たいのは体系そのものの当否ではなく、研究者ごとに開いたLIEの記述を、変種の違いとして整理できるかどうかです。
アウシュラ—タイプと人格の区別
サブタイプ理論が前提にしている区別は、アウシュラ自身が書いています。
パーソナリティとパーソナリティタイプは、疑いなく同じものではない。同じパーソナリティタイプを持つ人間でも、わが国の文化と何らかのアステカ文化では、まったく異なるものである。
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Личность и тип личности, несомненно, не одно и то же. Человек с тем же самым типом личности в нашей культуре или в какой-либо ацтекской культуре — это что-то совершенно разное. Даже в нашем бесклассовом обществе найдете сколько угодно вариаций того же Дон Кихота2 или Дюма3.
タイプは人格の全体ではなく形式であり、形式の内側に文化と個人差の変異が残るという区別です。同じ段落でアウシュラは、同じタイプの「変種」はいくらでも見つかる、とも書いています。この見方に立てば、LIEについて05〜13章で読んだ記述の開きは、まず同一の形式の内側にある幅として置かれます。後代のサブタイプ理論は、その幅をどう区分するかの試みとして現れます。
Meged & Ovcharov—接触型と惰性型
2分割の代表として名前が挙がるのが、Meged & Ovcharovの体系です。
接触型/惰性型サブタイプ(Contact/Inert)(中略)V. Meged と A. Ovcharov によって提唱されたシステム。
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Contact / Inert Subtypes(中略)This system of subtypes was proposed by V. Meged and A. Ovcharov.
強化される機能が位置1側か位置2側かで2変種を区別する発想で、LIEならTe強化型とNi強化型に分かれます。当サイトが確認できた範囲では、Meged & Ovcharov本人によるLIEの記述(13章)にサブタイプ論の直接の言及はなく、この体系の整理はコミュニティ編纂資料に依っています(帰属の確度に留保つき)。
Filatova—論理サブタイプと直観サブタイプ
Filatovaは16タイプをそれぞれ2変種に分け、32水準として記述します。LIEの2変種は、強化される機能の名で呼ばれます。
論理サブタイプ。 最も活動的なタイプの一つであり、論理サブタイプのLIEは非常に精力的で、反応が速く、イニシアチブに富む。(中略)周囲の人々を、輝かしい展望を描き出すことで自分の事業に巻き込むすべを心得ている。その際、彼らが自ら進んで、彼が必要としていることをやりたいと思うように、彼らの関心を引き、鼓舞しようと努める。見事なユーモアのセンスと、大きな楽観主義のエネルギーを持つ。
精力・反応の速さ・イニシアチブが先に置かれ、そのあとに人を巻き込む手つきが書かれます。巻き込み方は指示ではなく、輝かしい展望を描いて関心を引き、相手が自分から動きたくなる状態を作る、という順序で説明されています。ユーモアと楽観も、性格の彩りではなく人を動かす手段の側に置かれています。
直観サブタイプ。 このLIEのサブタイプは、論理サブタイプよりも抑制的で動じない。彼は落ち着いて、しかし非常に生産的に働き、何もせず座っているところを見つけるのは難しい。その一方で、自分の活動の展望をよく見通し、合理的であることができる。(中略)人々とは落ち着いて、敬意を持って接し、状況がそうせざるをえなくさせない限り、支配しようとしたり、競争しようとしたり、自らイニシアチブを握ろうとしたりはしない。
こちらは「働き続ける」という同じ観測を、精力ではなく落ち着きの語で書いています。展望を見通す点は2変種に共通で、違うのは人に向かうときの構えです。支配・競争・イニシアチブを自分から取りにいかないことに、状況が求めない限りという条件が付いています。Filatovaの2変種の差は活動量ではなく、人との間での出方に置かれていると読めます。注意したいのは、09章で読んだFilatovaのLIEの一般像—「非常に活動的」「最もダイナミックなタイプの一つ」「素早い反応と主導性」—が、語彙のうえで論理サブタイプの記述とほぼ重なることです。一般像そのものが2変種の一方に寄っており、直観サブタイプはそこから引き算する形で書かれています。12章のGulenkoが「他のすべてを忘れる」と書いた状態との開きも、別の変種を見ているためだと説明される場合があります。
Gulenko—DCNHの4サブタイプ
Gulenkoの区分は2分割ではなく4分割です(12章のとおり、独自の体系として区別して扱います)。定義は3つの極性の組み合わせで与えられます。
接触・終結的・接続的 = 支配型サブタイプ(D / Dominant)(中略)接触・開始的・無視的 = 創造型サブタイプ(C / Creative)(中略)遠隔・終結的・無視的 = 規範型サブタイプ(N / Normalizing)(中略)遠隔・開始的・接続的 = 調和型サブタイプ(H / Harmonizing)
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• Contact, terminal, connective — dominant subtype (D) • Contact, initial, ignorative — creative subtype (C) • Distant, terminal, ignorative — normalizing subtype (N) • Distant, initial, connective — harmonizing subtype (H)
『64の肖像』という書名は、16タイプ×4サブタイプ=64変種に由来します。GulenkoはLIEの4変種に、推進者・革新者・設計者・冒険者という呼び名を与えて書き分けます。まず支配型です。
このサブタイプは自分の領域で非常に冒険的で活動的だが、実際の利益をもたらす活動にのみ真剣に従事する。実利的・計算的で、需要がなければ空想や概念にあまり関心をもたない。決定を素早く下し、即座に実施に進む。即座の見返りを期待せずに、困難でリスキーな事柄を引き受ける。
4変種の基準になる記述です。冒険的・活動的という語と、需要がなければ関心を持たないという限定が同じところに並びます。着手の速さと、着手対象の絞り込みが対になっていて、最後の一文は、その絞り込みが短期の見返りで引かれているのではないことを断っています。以降の3変種は、この対をそれぞれ別の方向へずらします。
これは肯定的な思考で代替的な活動を選び、創造的な発議を発展させるサブタイプである。新しいアイデアを実践に導入し、即座の機会をつかむ。しばしば遠大な(必ずしも十分に練られていない)計画を立てる。(中略)主な思考を一貫して説得力ある仕方で提示するのが難しいことがある。彼の思考はかなり混沌としている。
支配型が利益で対象を絞ったのに対し、創造型では選択肢を増やす側に振れます。即座の機会をつかむ点は共通で、違うのは計画の練り具合と、思考をまとめて出せるかどうかです。「混沌としている」は思考の中身ではなく、それを一貫した形で提示する段の負担として書かれています。
規範型LIEは新しいシステムを包括的に研究し、主要な原理とその実施方法を見出そうとする。実践でアイデアをテストし、決定に誤りがないという確実性を持つことを好む。(中略)ただし、発展を過度に単純化する傾向があり、彼の平坦なモデルが否定する重要な細部を見失う。
前の2変種が着手と発案の側にあったのに対し、規範型では包括的な研究と検証が前に出ます。誤りがないという確実性を求める点が特徴に挙げられ、その裏面として、単純化した見取り図に収まらない細部を取りこぼす負担が置かれます。同じ実践志向が、確かめる手続きの側から書かれている変種です。
調和型LIEは落ち着きがなく気まぐれだが、同時に本性は親切である。子供と動物を好む。なだめやすく、回避的な性格をもち、彼と喧嘩するのは難しい。(中略)冒険的傾向をもち、素早く荷造りして旅に出ることができる。長距離を旅することを進んで行い、途中ではほとんど何にも頼らない。
4変種で唯一、事業と利益の語彙がほとんど出てきません。冒険的という語は支配型と共通ですが、向かう先が事業から旅に替わっています。「推進者」から「冒険者」までの幅は、タイプ内の変異をよく捉えているとも、タイプ概念の識別力を薄めているとも読めます。
サブタイプ理論への批判
コミュニティ編纂資料自身が、批判点を記録しています。
タイプの誤判定を隠すために使われることがある
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Critics say that in many cases the basic type has been incorrectly diagnosed, and the addition of a “subtype” simply masks the contradiction.
判定が合わないときに「サブタイプのせい」と後づけできてしまう、という指摘です。LIEについて言えば、この章で読んだ2分割も4分割も、精力的な像から落ち着いた像までを同じタイプの内側に収めます。収まる幅が広いほど、外れた観測を変種として吸収する余地も広がります。反証されにくくする説明になりうるという批判で、23章の議論につながります。
小括します。タイプの内側に変異があること自体はアウシュラの時点で書かれていますが、区分の仕方は2分割(Meged & Ovcharov、Filatova)と4分割(Gulenko)が併存し、相互の互換性はありません。LIEについて言えば、Filatovaは人との間での出方で2つに分け、Gulenkoは事業への構えで4つに分けており、分ける軸そのものが違います。サブタイプは観察の記述としては使えても、理論としては未統一の領域です。LIEの読者にとっての実用は、05〜13章の記述の開きを「どの変種を書いた記述なのか」という問いで整理できる点にあります。
21識別と誤同定
「この人はLIEか」をどう決めるか。この章では、判定の手続きがどう定式化されたか、面接する側に何が要ると書かれてきたか、LIEについてどんな識別手がかりと取り違えが報告されているかを、アウシュラ、Yermak、Karpenko、Filatova、Bukalovの記述から集めます。手続きそのものへの内部批判は23章で扱います。
手続き論—アウシュラとYermak
アウシュラ自身の検証手続きは、モデルの作動チェックでした。
研究の第1段階は、K.G.ユングのモデルを全知人で検証することだった。それは絶対的に正しいことが分かり、それゆえモデルが作動するか作動しないかで、タイプが正しく確立されたかどうかが見えた。モデルが作動しなければ、タイプ診断の誤りを意味した。
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Первым этапом изучения была проверка модели К. Г. Юнга на всех знакомых людях. Она оказалась абсолютно правильно, и потому, срабатывает или не срабатывает модель, было видно, правильно ли установлен тип. Если модель не срабатывала, то это обозначало ошибку в диагнозе типа.
判定の正しさを、当人の申告でも面接の印象でもなく、モデルが作動するかどうかで決める。基準としては操作的ですが、作動しなかったときの原因を、タイプの取り違えの側だけに置く書き方でもあります(モデルの側を疑う論点は23章)。Yermakは、この作業を2段階の手続きとして書き直しています。
心のTIMの 同定の手続き は、専門家による心のタイプの 仮説 の選択と、選ばれた心のタイプに対応する心のTIMモデルの 検証 からなる。
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Процедура идентификации ТИМ психики состоит из выбора экспертом гипотезы типа психики и верификации модели ТИМ психики, соответствующей выбранному типу психики.
仮説を選び、その仮説に対応するモデルで検証する。先に候補を立て、後から確かめるという順序が、ここで手続きとして固定されます。アウシュラが知人全員で試したことは、この定式では検証の段に当たります。その検証がどこまで当てになるかについて、Yermakは条件を書き添えています。
原則として、現代のソシオニクスで採用され、心のTIMモデルの検証に基づく 同定方法論 は、任意に与えられた信頼性で、実質的に任意の正常な人間の心のTIMを決定することを可能にする — すべては専門家の資格レベルと同定条件に依存する。
「任意に与えられた信頼性で」決定できるという主張と、「すべては専門家の資格レベルと同定条件に依存する」という留保が、1つの文の中に並びます。上限は方法の側ではなく、実施する側と場面の側にある、という書き方です。そうなると判定の質を決めるのは、面接する人の条件ということになります。
面接者の構え—Karpenko
Karpenkoは、判定にあたる者(エキスパート)に何が要るかを書いています。
エキスパートは距離を置いた者ではありえない。彼はバイタルな衝動に応答することを余儀なくされ、義務づけられている。さもなければ彼とコミュニケーションすることは不可能になり、さもなければ被験者とのコンタクトは失われてしまう。注意深く、同情し、共感し、心から人々を愛し、しかし感情の、関係の、影響の遊びには巻き込まれていない—これがエキスパートの理想である。非巻き込まれ性は、ILEのエキスパートが、ESIがある考えの展開の中で発した、しかし事実上ILEに宛てられたフレーズ—「たとえば、あなたのことは、私、好きじゃありません」—に平静に対応することを可能にする。そう、分かっている—衝突である。しかしこれはインタータイプ関係であって、この2人の具体的な人間同士の関係ではない。
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Эксперт не может быть отстраненным, он вынужден, обязан откликаться на витальные импульсы, иначе с ним невозможно будет общаться, иначе контакт с испытуемым будет утрачен. Внимательный, сочувствующий, сопереживающий, искренне любящий людей, но не вовлеченный в игру эмоций, отношений, влияний — вот идеал эксперта. Невовлеченность позволяет эксперту-ИЛЭ спокойно отреагировать на фразу ЭСИ, произнесенную в развитие какой-то мысли, но адресованную фактически ИЛЭ: «Вот вы мне, например, не нравитесь». Да, понятно, — конфликт, но это интертипное отношение, а не отношение этих двух конкретных людей.
距離を置いた観察者ではいられない、しかし感情や関係の遊びには巻き込まれない。両立しにくい2つを同時に求める記述です。例に挙がるのは、面接する側と被験者のタイプの組み合わせが場に直接出てくる場面で、そこで起きたことを個人どうしの好き嫌いと取るか、タイプ間関係の効果として切り分けるかで、判定に混ざる誤差が変わります。面接する側の反応そのものが判定の材料に混ざっている、というのがこの記述の前提です。
LIEを見分ける手がかり
LIEについて、Filatovaは外見の観察から、起きやすい取り違えを名指しします。
LIE、起業家、LIE〔原文: ジャック〕は、その具体的な眼差しゆえに、時に感覚型のように見えることがある。しかしこれは通常、この心理タイプの主導機能である実務論理(外向論理)の現れである。
まなざしが具体的だから感覚型に見える、という指摘です。見えているものが同じでも、その現れを感覚の側に帰すか実務論理の側に帰すかで、たどり着くタイプが変わる。外見という手がかりは、現れそのものではなく現れを何に帰すかのところで判定を分ける、ということになります。まなざしを手がかりに挙げるのはFilatovaだけではありません(Meged & Ovcharovの記述は13章)。ただし、この手法の当否を検証した記述は、本ページで引用した原典の範囲では確認できません。Bukalovは、どの特性が読み取りやすいかという別の角度から、同じ問題に触れています。
LIE (ジャック・ロンドン)タイプに属することは必ずしも明白でないとしても、彼の動性、可動性は明白に見えうる。(中略)「論理」「合理」「直観」「外向」特性での現れは「動的」特性での現れほど一義的でない、というケースのとおりである。
引用中の括弧内はLIEの愛称です。論理・合理・直観・外向は、二分法の名前としては分かりやすいのに、現れとしては一義的でない。それに対して動きの多さは、外から明白に見える。タイプの名前を構成する特性ほど読み取りにくく、名前に出ない特性のほうが見えやすいことがある、という観察です。何から見るかの順序を、タイプ名の並びとは別に立てている箇所です。
取り違えの起きる相手—ILEとLSE
取り違えの相手として名前が挙がるのはILEとLSEで、理論上の違いは、ILEとは主導の要素(NeかTe)、LSEとは創造の要素(NiかSi)にあります。Karpenkoは、描画テストを使う場面で、ILEとLIEの仮説が競合したときの切り方を書いています。
この特性の判定は、被験者のタイプについて立てられた仮説のうち、絵から見つかったこの特性の極に合わないものを捨てるのに、とても役に立つ。たとえばタイプ判定の過程で仮説IL(ILE)とPT(LIE)の間の選択に直面していて、絵が明白な動態を示すなら、これはタイプPT(LIE)を支持する追加の論拠を与える。
引用中の「IL」「PT」は原文の略号で、括弧内が当サイトのコード表記です。手続きとしては、絵から読み取った極に合わない仮説を捨てる消去法で、動態は残っている仮説を1つ減らす追加の論拠として置かれます。単独で決め手にする書き方ではありません。読み取りやすい特性から入るという点で、前のBukalovの観察と使いどころが重なります。
もう一方のLSEについては、Bukalovが2つのタイプを並べています。
LIEが何らかの直観的発見ができ、非常にしばしば予知し、ときにギャンブラーまたは財務家として未来や投資などに関わる側面を計算するならば、LSEのセンサリーは実用性、今日この日への、「ここと今」への志向を与える。
どちらも仕事の運びを扱うタイプとして書かれるので、扱う対象では分かれず、対象を見る時間の幅で分かれる、という整理です。
小括します。手続きとしては「仮説を立て、モデルで検証する」という定式がありますが、その信頼性は実施する側の資格と場面の条件に預けられ(Yermak)、面接する側の反応も材料に混ざります(Karpenko)。LIEについて挙げられてきた手がかりは、具体的なまなざし(Filatova)、外から見える動きの多さ(Bukalov)、描画に出る動態(Karpenko)で、いずれも単独では決め手にしない位置づけで書かれています。取り違えの相手として名前が挙がったのは、感覚型、ILE、LSEでした。手がかり1つで判定を確定させる書き方は、本ページで引用した原典の範囲では確認できません。
22著名人と思想のタイピング
著名人のタイピングは、本人への検査や追試で確かめられない領域です。この章は「誰がLIEか」の正解表ではありません。各研究者が誰をLIEに帰属させ、その名をどう使ったかを記録します。LIEの名称は実在の作家の名前なので、以下では人名がタイプの名称と人物の名の両方を担う場面が繰り返し出てきます。国家や時代に与えられた「統合タイプ」は、個人のタイピングとは別水準の帰属として分けて扱い、章の最後に当サイトの独自整理を1節だけ、試論と明示して置きます。
名称「ジャック・ロンドン」の由来—小説の主人公と役割名
まず、名の付き方です。Stratiyevskayaは、人名型の名称がどういう事情で使われるようになったかを書いています。
ペンネームの体系はソシオニクスのなかで多少は混沌としたしかたで成立した(中略)そういうわけで、何らかのソシオタイプ(当サイトでいうタイプ)を念頭に置く際、そのソシオタイプの最も特徴的な徴標を備えた、誰にでもよく知られた人物または文学的人物を方向決定の参考にすることが提案されたのである。
名称は判定の結果ではなく、方向決定の目印として後から当てられたものだという説明です。条件として挙がっているのは「誰にでもよく知られた人物または文学的人物」であることだけで、選定の手続きは書かれていません。LIEに当てられたのは、米国の作家ジャック・ロンドン(1876-1916)です。Filatovaは、その作家のどこを参照しているかまで書いています。
この心理タイプの人間の主な特徴を例示するために、ジャック・ロンドンの小説『マーチン・イーデン』の主人公の描写を用いることができる。
参照先は作家の伝記ではなく、代表作の主人公です。名称が指しているのは作家その人ではなく、小説の中で描かれた人物像だと読めます。同じ著者は、もう一方の名づけ方—記述の要約から取った役割名—の由来も書いています。
外向的で、動的で、楽観的なLIE・ジャックは非常に進取の気性に富んでおり、そこから彼の意味づけとしての名称—起業家—が生まれた。彼はビジネスの世界で自分をうまく実現することができる。お金を貯め込むことはせず、すぐさま運用に回そうとし、緩慢で穏やかな安定した生活よりも、正当なリスクを取ることを選ぶ。
役割名「起業家」は、進取の気性という記述の要約から取られています。人名型の名称が小説の人物像に由来するのに対し、役割名はタイプ記述そのものを圧縮した呼び名です。同じタイプに、由来の異なる2系統の名前が並んでいることになります。人名を使う命名法そのものは、学派の内側から批判されました。
残念ながら、旧ソ連では誤解を招くペンネームのシステムがまだ使われており、有名人によってタイプを命名する(たとえば作家:デュマ父はISFP、ゴーリキーはISTJを表す;書籍の主人公 ― ホームズはESTJ、ドン・キホーテはENTPを表す;ロシア外で知られていない人物さえいる)。何人かのソシオニスト [17, 18] は、機能的名前への移行傾向を無視して、依然そのようなペンネームを使っている。(中略)ばかげた用語の使用をやめるよう私が繰り返し訴えたが、長い間無視された;ついに状況は変わったが、私との対話の試みの代わりに、キエフのソシオニストたちが彼ら自身の代替名前システムを提案した。論争と敵意の種が蒔かれた。
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Unfortunately in the former USSR a misleading system of pseudonyms is still in use of naming types by celebrities (e.g. writers: Dumas-father stands for ISFP, Gorky for ISTJ; book heroes – Holmes stands for ESTJ, Don Quixote for ENTP; there are even persons unknown outside Russia). Several socionists [17, 18] still use such pseudonyms ignoring the trend of transition to functional names. […] My repeated appeals to stop using ridiculous terminology have been ignored for a long; finally, the situation changed, but instead of attempts to a dialog with me, the socionists in Kiev offered their own alternative system of names. Seeds of controversies and hostilities have been sown.
愛称の廃止はソシオニクス内部からの提案でもあります。当サイトがコード表記を採る判断(末尾の「この記事の方法論」)は、この系譜に沿っています。
アウシュラの帰属—付録に置かれた人物一覧
創始者の帰属は、2冊の付録の一覧に残っています。一覧は職業別の番号で区切られ、LIEの欄には政治家(2)、作家(3)、文学上の人物(6)が並びます。
2)ジョン・ケネディ; 3)ジャック・ロンドン、A.ド・サン=テグジュペリ、S.エイゼンシテイン; 6)ギャツビー(『グレート・ギャツビー』F.S.フィッツジェラルド)。
作家の欄の先頭に、名の由来になった作家本人が置かれています。一覧の中では作家は判定の対象の一人として扱われ、タイプの名称としての用法とは役割が違います。政治家はケネディ、文学上の人物はギャツビーで、いずれにも判定の根拠は添えられていません。もう1冊の付録では、同じ欄がより長い一覧に更新されています。
ニュートン、L. ランダウ、ヴォルテール、バサナヴィチュス、ジュ. ケネディ、チャールズ・ディケンズ、ウォルター・スコット、ジャック・ロンドン、アーサー・ミラー、アンデルセン、ベケット、ペトラス・ツヴァルカ、A. ミシキニス、C. アイゼンシュテイン、L. シェピチコ。(中略)A. ロマシン、ボリソワ、A. ヴェルチンスカヤ、シルヴィント。(中略)ゲッツビー、エラ・ダーウィン(ダーウィンの妻)。
物理学者、啓蒙期の著述家、政治家、小説家、映画人、俳優が同じ欄に並びます。ここでもジャック・ロンドンは名前の一つとして置かれ、名称としてではなく判定の対象として数えられています。この一覧から共通の職業群を取り出すことはできません。取り出せるのは、創始者が科学、政治、文学、映画のいずれの分野からも例を挙げたという事実までです。
後代の一覧—重なる名前と、判定の留保
後代の研究者も、同じ形式の一覧を残しています。ReininのLIE節の末尾です。
このタイプの著名人:ジャック・ロンドン、ジョンとロバートのケネディ兄弟、ロバート・ウッド、アーネスト・ヘミングウェイ、アナスタシア・フィリポヴナ(ドストエフスキーの『白痴』の登場人物)、セルゲイ・エイゼンシュテイン、アーネスト・ヘミングウェイ、ソフィア・ローレン。マルボロの広告に登場する人気のあるアメリカ人タイプである。
実在の人物と小説の登場人物が同じ欄に置かれ、最後に広告の人物像が加わります。「マルボロの広告に登場する人気のあるアメリカ人タイプ」が指すのは個人ではなく、広告が流通させた像です。一覧が実在の人物の判定だけで組まれているわけではないことが、この1行に出ています。同じ著者は、別の箇所でその作家を作家として論じています。
ロシアの作家アントン・チェーホフもまた、典型的に二つの対型のキャラクターを創造する傾向があり、ジャック・ロンドンは通常二つか三つを創造した。
ここでのジャック・ロンドンは作家本人で、作中人物のタイプの幅を数える文脈に置かれています。同じ本の中で、同じ名前がタイプの名称としても作家の名としても使われている、ということです。Stratiyevskayaの一覧は、科学者から俳優まで広がります。
ジャック・ロンドン、ウォルター・スコット、H・G・ウェルズ、R.L.スティーヴンソン、ロバート・バーンズ、アルカジー・ガイダル、アイザック・ニュートン、レフ・ランダウ、ロバート・ウッド、ジョン・ケネディ、ロナルド・レーガン、ボリス・エリツィン、セルゲイ・エイゼンシュテイン、アニー・ジラルド、ロバート・レッドフォード、ジュリア・ロバーツ、エヴゲニー・ミローノフ、ボリス・シチェルバコフ、イリーナ・クプチェンコ、エレナ・サフォーノワ、アンドレイ・タシコフ、イワン・デミドフ、クセーニヤ・ストリジ(クシューシャ)
Reininの一覧と重なるのはジャック・ロンドン、ケネディ、ウッド、エイゼンシュテインで、そこに作家、科学者、政治家、俳優が加わります。名前は重なりますが、重なりの理由を説明した箇所はどちらの著者にもありません。一覧を載せる側が、その限界を書き添えている例もあります。
ただし、これらの人々について言えば、彼らがどのタイプに属するかについては、あくまで推測を行うことしかできない、ということに注意していただきたい。というのも、理由は明らかだが、直接尋ねてそれを確かめることができないからである。それゆえ、この種のいかなる判定も、あくまで著者による一つの見方として受け止めていただきたい。
Filatovaは、著名人の判定を自著の主張としてではなく「著者による一つの見方」として提示しています。理由は本人に直接確かめられないことに置かれ、資料の性格が判定の性格を決めるという整理になっています。研究者間で名前が重なることをどう扱うかも、この前置きの下では合意の証拠にはなりません。
個人を超えた帰属—時代と国家への拡張
LIEをめぐる帰属は、個人にとどまりません。Bukalovは、ソ連崩壊後のロシアを政治指導者のタイプの名で区切ります。
ソ連崩壊後、ロシアには(中略)エリツィン(起業家、■(Te)△T(Ni)e-Ni、LIE)の時代—純粋に経済改革、「市場の軌道」への切り替えの時代—が訪れた。(中略)90年代のロシアにあったこと—一方では崩壊、他方では市場経済の確立、一定の混沌、地域分離独立の試みさえ—これらすべては、第2クアドラ(ベータ)の作ったシステムとの闘争に入った第3クアドラの精神に結びついている。
個人への帰属と、時代の性格づけが1つの文で接続されています。政治指導者のタイプが「時代」の名になり、その時代の出来事はクアドラの語で説明されます。帰属の対象が、個人から期間へ移っているわけです。Stratiyevskayaは、対象を国民の規模へ広げます。
(この理由で、たとえばLIE〔原文: ジャック・ロンドン〕とESI〔原文: ドライザー〕は—アメリカにおいて最も普及しているソシオタイプ(当サイトでいうタイプ)であり、開拓者のディアードである。)
LIEと、その双対にあたるESIの組が、米国で最も広く分布するとされています。個人の一覧では名前が結論でしたが、ここでは分布そのものが主張の中身になっています。数えた手続きは示されていません。同じ拡張は、国家という単位そのものにも当てられています。
米国のインテグラル・タイプについて詳細な分析を行い、インテグラル・タイプ(LIE=LIE〔原文: ジャック・ロンドン〕)のモデルから導かれる、この国家の内政・外交の一連の特徴を体系的に説明した
米国の統合タイプをLIEとし、そのモデルから内政・外交の特徴を導いた、というBukalovの仕事の紹介です。帰属したのはBukalov、それを記述したのはKarpenkoです。Stratiyevskayaが国民の分布として書いたことを、ここでは国家1つのモデルとして扱っています。Reininが一覧の末尾に置いた「アメリカ人タイプ」の一行とも向きは同じですが、個人の一覧と国家のモデルでは対象の水準が違います。
名前が担う4つの役割—当サイトの独自整理(試論)
ここからは引用ではなく、当サイトの独自整理です。個々の人物をLIEと認定する試みではありません。
この章の資料では、「ジャック・ロンドン」という1つの名前が4通りに使われています。名の由来になった小説『マーチン・イーデン』の主人公、一覧に並ぶ作家本人、タイプそのものを指す理論用語、そして国家に当てられた統合タイプの名です。読むときに混ざりやすいのは、2番目と3番目です。一覧に並ぶ名は判定の対象になった人物を指し、StratiyevskayaやKarpenkoが国民・国家の水準で使う名はタイプそのものを指します。同じ表記が、資料によって別のものを指しています。
一覧に並ぶ職業を1つに絞ることはできませんが、人物の選ばれ方には方向があります。事業の実行、改革の遂行、実験と検証、成果の評価—実務の結果に結びつく語でLIE像を例示する傾向が、ここまでの節に共通しています。したがってこれらの一覧は、人物のタイプを確定する資料というより、研究者がLIEという概念で何を指したかったかの記録として読む方が、資料の性質に合っています。
小括します。この章の資料に共通するのは、帰属の結論だけが残り、選定の手続きが残っていないという形です。ReininとStratiyevskayaの一覧は名前が重なりますが、独立した追試は示されていません。Filatovaは自著の一覧について、判定が推測にとどまることを前置きしています。名称の側にも2系統あり、小説の主人公に由来する人名型はGulenkoの批判を受け、記述を圧縮した役割名「起業家」が併用されています。時代や国家への帰属は、個人のモデルAとは対象の水準が異なる後代の拡張です。ここで確認できるのは人物のタイプではなく、誰が何をLIEに帰属させたかという文献上の事実です。
23先行研究への懸念点
最後の章は、ここまで引用してきた文献群への懸念の整理です。外部からの批判ではなく、できる限り研究者たち自身の言葉で、方法論の弱点がどこまで自覚されていたかを示します。
観察者依存—ユング自身の警告
出発点のユングに、すでに方法論的な自己言及があります。
ただし、このような心理状態について全く正反対の概念を持つことも同様に可能であり、それに基づいて説明することも認める。 私自身が異なる個性心理学を持っていたとしたら、無意識を「非合理的」と見なす観点から、合理的タイプの特徴を正反対の方法で記述していただろうと確信している。
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I am prepared to grant that we may equally well entertain a precisely opposite conception of such a psychology, and present it accordingly. I am also convinced that, had I myself chanced to possess a different individual psychology, I should have described the rational types in the reversed way, from the standpoint of the unconscious as irrational, therefore.
ユングが例に挙げているのは合理的タイプの記述で、LIEはその合理側に置かれます。警告の射程にそのまま入る位置です。14章で並べた食い違いのうち、代表例に科学者を置くか実業家を置くか冒険者を置くかという分かれ方は、観測された側の性質ではなく、書き手がLIEの中心をどこに見たかの違いとして読めます。記述の評価は、観察者がどちら側から見るかで反転しうる—ユングは、その可能性を自分の記述について認めていたことになります。
判定信頼性への内部批判
タイプ判定の信頼性は、学派内部で最も率直に語られてきた弱点です。
現在ソシオニクスが抱える最も痛切な問題は、心理タイプ判定の信頼性である。今のところ、これは科学というよりむしろ技芸に近い。
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самый больной вопрос соционики в настоящее время — это надежность определения психотипов. Пока это скорее искусство, чем наука.
人々は中立的な質問(たとえば「人々は…についてどう考えていると思うか?」)には自発的に回答するが、評価的質問(「あなたはこちらが好きか、それともあちらか?」または「自分自身を…と…のどちらと考えるか?」)は無意識の緊張を引き起こす。(中略)私は既存のテストは最大40%の精度しか許さないと考えている。
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People answer neutral questions (for example: "What do you think people think about …?") spontaneously, but an evaluative question ("Do you prefer this or that?" or "Do you think of yourself as of … or …?") causes an unconscious tension. […] I believe that existing tests allow for maximum of 40 % accuracy.
Filatovaは判定を技芸に近いと言い、Reininは質問紙の精度に最大40%という値を置きます。15特性を提唱した本人が、判定の道具をこう見積もっていることになります。その道具が日常の場面へ持ち出されると何が起きるかは、鑑定を仕事にしてきたKarpenkoが書いています。
そしてこの分類は、しばしば習慣的な営みになる。地下鉄の乗り合わせ客が、祝いの食卓の同席者が、行列で隣に立つ人が、隣の階段口に住む人が、判定されていく。しかもこの判定は無体系に進み、タイプについての仮説を検証する試みは、なされさえしない。このようにして誤りが蓄積され、この種のぞんざいな「テスティング」が多く行われるほど、誤りの水準は高くなる。
判定が習慣になると、立てた仮説を確かめる手続きを飛ばしたまま結論だけが積み上がり、誤りの水準が上がる、という指摘です。Filatovaが技芸と呼び、Reininが精度に上限を置いたのと同じ問題を、Karpenkoは判定が行われる場面の側から書いています。このページが読んできたLIE記述も、その手前に誰かの判定を置いた資料です。
検証されない強い主張
このページで引用した記述には、確かめられる形をしているのに確かめた記録がない主張が含まれます。Bukalovが国家の統合タイプを論じた箇所が、その代表です。
論理が 4 次元的であり、米国が外向構造であるため、もちろん、事業論理を備える外向者の活動と関心の領域は世界中の事業プロセス、すなわち地球全体である。ドルはこの 4 次元的事業論理の延長であり道具である。
個人の位置1に当てられる次元性の読みを国家へ移し、そこから活動の範囲を地球全体、通貨をその機能の道具として導いています。国家をひとつのタイプで代表させる手続きも、通貨をある機能の延長と見る根拠も、この記述には示されていません。同じ種類の問題は、外見にタイプの共通性が現れるとする主張(09章のFilatova、13章のMeged & Ovcharov)にもあります。写真やまなざしから型を読む手法は、判定者を分けた照合という形で確かめられる主張ですが、その記録は確認できません。理論の内部では強い主張が積み上がる一方、それを落とすための手続きが用意されていない—ここが実証面での中心的な懸念です。
記述の継承の選択性
ここまでの章で予告した論点をまとめます。LIE記述の系譜は一見連続していますが、継承の各段階で何を残し、何を組み替えたかの検証は示されないまま進んでいます。
- 祖形の組み替え。ユングの外向的思考型では、感情に依存する営みがまとめて後退する側に置かれていました(02章)。ソシオニクスのLIEは、そこにNi(内向直観)を位置2の創造機能として加え、Fe(位置3)とFi(位置5)を別々の位置へ振り分けます(03章)。1機能の優位から2機能の組へという変更は理論の再設計であって、ユングの記述からの導出ではありません
- 代表像の入替え。ユングの外向的思考型は、客観的な実在か、それを整理した公式に決定権を与える側に書かれています(02章)。後代のLIE記述で重心が置かれるのは、起業家・経営者・ビジネスマンの像です(09章・12章)。この入替えを正当化する観察を示した文献は、当サイトが確認した範囲では見つかっていません
- 臨床の枠の流用。系譜の起点には、Kempinskiが臨床の場で立てた情報代謝の概念があり(02章)、13章のVoroschenkoは精神医学のアクセンチュエーションの枠でLIEを書きます。病理の記述で作られた枠を健常者の類型へ転用すること自体の妥当性の検証は、引用した範囲の文献には示されていません
資料の非独立性—同一原稿の再録・別訳
このページの資料には、独立した証言として数えられない組があります。StratiyevskayaのLIE記述とReininのLIE記述には、著者の書籍として読める版と、Wikisocionに再録された版があります。当サイトが突き合わせた範囲では、後者は前者と同じ原稿の別訳で、Stratiyevskayaの側は8つの位置の並びまで対応し、Reininの側は細部の訳し方を除いて内容が一致しました。本ページはどちらも書籍の側から引いています。07章のBukalovのプロファイルと、13章の小論者の記述(Meged & Ovcharov、Socioscope、socionics.uaなど)はWikisocion経由の資料で、同じ編纂経路を通っています。Weisbandの初期ハンドブックはアウシュラ資料に準拠します。同じ記述を2か所で見たことは、2人が別々に観測したことを意味しません。資料の系譜を先に確認する必要があります。
学派の分裂と用語の混乱
体系間の互換性の欠如は、このページの各章で繰り返し現れました。機能の番号だけでも、現行の位置番号(03章)、アウシュラ旧式の4機能(03章)、Reininの強度ランク式の独自番号(06章)、Filatovaの4チャンネル(09章)、Gulenkoの独自体系(12章)、Golihovの独自番号(13章)が併存します。同じ「次元性」の語についても、導入の年をBukalov本人は1990年、Yermakは1989年と書き、用語法と意味論も別だと断られています(16章)。番号や機能名だけで対応づけると、別の概念を同じ位置に重ねることになります。特性の名称そのものにも異論が残ります。FilatovaはTalanov論文で、直観が主導ブロックに入る4タイプ—LIEはその1つです—を臨機応変と呼ぶ用語は明らかに失敗だと書きました。見通しを支える強い直観を持つタイプを臨機応変の側に置くのは無理がある、という理由です。Yermak自身も、この状況を序文で名指ししています。
ソシオニクスには未解決の問題、未練磨の仮説が多くある。社会科学・人文学・自然科学の境界に位置するソシオニクスの位置は、現代の科学活動の過渡期において相変わらず存在する「ソ連流マフィア気質(クラン気質)」のもとで、異なる学派や学者の相互理解、ならびにソシオニクスの正当化を強く妨げている…。だからこそ、科学における好戦的な無知と妥協することは許されない!
未解決の問題と練り上げられていない仮説が多いことを自分から認めたうえで、学派どうしの相互理解が妨げられている事情を、学問の外側の要因として書いています。用語の非互換は、訳語や表記の問題としてだけでなく、学派の関係の問題としても記録されてきたということです。加えて、理論の外縁には思弁的な主張も現れます。Reininの晩年の見解です。
懐疑的である。検証する必要がある。タイプが何らかの形で遺伝で伝わるとは考えていない。ソシオンは、何らかの形で人間に体現されるノオスフェアの一般的構造かもしれない。A.ブカロフの仕事がこの点に光を当てているかもしれない。
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Скептически отношусь. Проверять надо. Я не думаю, что типы как-то по наследству передаются. Возможно, социон — это какая-то общая структура ноосферы, которая каким-то образом воплощается в людях. Пожалуй, работы А. Букалова проливают свет на это.
タイプの遺伝性には懐疑を示す一方、ノオスフェア(人類の思考圏)という検証の難しい仮説も提示しています。検証を求める姿勢と、検証しにくい概念への傾きが、同じ研究者の記述内に共存する例です。
制度化の主張と外部の視線
学派側は、普及の規模を示す数字を挙げます。
ソシオニクスが科学的方向性として広範に普及していることは、過去15年間にわたり、人文諸科学のあらゆる部門および一連の技術科学において、約800本の学位論文においてソシオニクスの諸概念および諸方法が用いられてきたという事実によって裏付けられている。これら学位論文を分野別および主題別に分析した。さらに、ソシオニクスに関する学術出版物の集合体を分析した。現時点において、ソシオニクスはロシア、ウクライナ、CIS諸国、ならびに欧州連合加盟諸国の150を超える大学で教授されている。
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Широкое распространение соционики как научного направления подтверждается тем, что за последние 15 лет соционические идеи и методы использованы примерно в 800 диссертациях по всем разделам гуманитарных наук и в ряде технических наук. Проведен анализ таких диссертационных работ по отраслям и темам. Проанализирован массив академических публикаций по соционике. В настоящее время соционика преподается более чем в 150 университетах России, Украины, стран СНГ и стран Европейского союза.
800本の学位論文、150超の大学という数字はBukalovらの集計であり、独立の確認はありません。また、利用の広がりは妥当性の証明とは別の事柄です。学派の自己認識の強さは、Stratiyevskayaの一節に典型的に現れます。
—残念ながら、まったくできない。なぜなら、この現代の発見に至るまで、人類は長く困難な道のりを歩んできたのであり、この発見そのものが、ソシオニクスと呼ばれる、新しく将来性のある科学の基礎となったからだ。ソシオニクスが伝統的心理学と異なるのは、化学が錬金術と異なるのと同じである—ソシオニクスには体系がある、構築的アプローチがある、それは既存の知識体系と矛盾せず、それどころか、最も多様な科学・領域で並行して行われている多くの研究によって裏づけられている、科学的方法に基づいている。
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— К сожалению, никак нельзя, поскольку к этому, современному нам открытию, человечество шло долгим и трудным путем, само это открытие явилось основанием новой и перспективной науки, получившей название соционики. От традиционной психологии соционика отличается так же, как химия от алхимии — в ней есть система, в ней есть конструктивный подход, она основана на научных методах, которые не противоречат существующей системе знаний, а, наоборот, подтверждаются многими исследованиями, проводимыми параллельно в самых различных науках и областях.
体系があるという主張と、その体系から出た個々の判定が確かめられているかどうかは、別の事柄です。このページで見た記述にも、外見からの識別、国家へのタイプの帰属、人物の同定が含まれますが、どの手続きで確かめたかの記録は付いていません。最後に、判定する側の質の問題が、内部から指摘されています。
ソシオニクスに対する不信の、もう一つの原因は、この人間についての新しい知識領域に、専門的な訓練どころか、単純な人生経験さえ持たないことも少なくない、熱心な支持者たちの一大勢力が押し寄せたことに関係している。そして、そうした若者たちが、自分が正しいと絶対的な確信を持って、決して単純ではない心理的問題の解決策をあちらこちらで提示するとき、それが思慮深い研究者たちの十分に根拠のある批判を招かずにはいないのである。
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Другая причина недоверчивого отношения к соционике связана с тем, что в эту новую область знаний о человеке пришла большая армия энтузиастов, не имеющих зачастую не только специальной подготовки, но и простого жизненного опыта. И когда такие молодые люди с абсолютной уверенностью в своей правоте предлагают направо и налево рецепты решения совсем непростых психологических проблем, это не может не вызывать у вдумчивых исследователей вполне обоснованных нареканий.
小括します。懸念は5つに整理できます。
- 判定の信頼性:技芸に近いという内部評価、質問紙は最大40%という見積もり、仮説を確かめないまま日常の場面で判定が繰り返されること
- 反証手続きの不在:国家や人物へのタイプの帰属、外見からの識別に、標本・比較群・追試が伴わないこと
- 継承の選択性:ユングの祖形の組み替えと臨床の枠の転用が、検証を示さないまま定着したこと
- 資料の非独立性:同一原稿の別訳・再録を、独立した証言として数えられないこと
- 体系の非互換:番号・名称・モデルが併存し、特性の名称にも内部から異論があること
あわせて、このページ全体で扱ってきた主張の水準を区別しておきます。
-
文献上の事実:誰がいつ何を書いたか。索引と出典で確認できます。
-
理論内部の帰結:モデルを前提にした導出(例:LIEの位置4はSiで1次元)。モデル内で整合していても、モデル自体の妥当性は別の問題です。
-
文献系列内で反復される観察:14章の5つの観測。相互に参照し合う文献群での反復であり、独立した再現ではありません。
-
独立に実証された主張:測定・標本・追試を伴うもの。当サイトが確認した範囲では、この水準に達したLIE記述は本ページにはありません。
これらの懸念の多くが研究者自身の言葉で残っていることは、少なくとも一部の研究者が弱点を自覚して書き残していた証拠であり、同時に未解決の課題の一覧でもあります。このページの引用群は、その両面を示すことを意図して選びました。
24LIEとは何か
最終章です。この章に新しい引用はありません。ここまでの各章の引用と、14章・23章で行った比較・整理だけを材料に、LIEというタイプの記述を1つのまとめへ再統合します。資料の提示ではなく、資料についての当サイトの解釈であるぶん、確からしさは各章の引用より一段下がります。
反復して現れる記述
14章では、研究者・時代・学派をまたいで繰り返される観測を5つに整理しました。第一の「説明ではなく事実を求める」と第二の「時間が配分の対象になる」は、どちらも判断の材料に入る情報の側の記述です。残る3つは反対側で、感情の表出はそのときの状態とは別の基準で決まり、関係についての情報は預ける側と退ける側に割れ、身のまわりと体調は気づきが後から来ます。確かめられる領域と、確かめようのない領域とで、扱いが分かれる—5つが指しているのはこの一点です。
01章に置いた一般像—事実と数字で測る、時機を読む、体調が後回しになる、相手が言葉にしない好意には成果を測るときの明快さが働かない—は、この意味では文献に残ります。言い直されるのは2点です。1つは「体調が後回しになる」の中身で、文献が書いているのは優先順位の選択ではなく気づく順番です。熱がかなり高くなって初めて不調に気づく(Beskova)という書き方は、我慢の記述ではありません。もう1つは「結論から話し、前置きを好まない」で、話し方の癖として紹介されるこの特徴を、文献は何を出して何を出さないかの基準として扱います。仕事の利益のために反対のものを表現できる(Stratiyevskaya)という記述は、率直さの側にもその反対側にも同じ位置3の働きが現れることを示しています。
ただし、この反復を独立した観測の一致と呼ぶことはできません。アウシュラ以後の研究者は同じ理論共同体に属し、用語も先行する記述も相互に受け継いでいるからです(02章)。LIEの場合はさらに、StratiyevskayaとReininの記述に同一原稿の別訳が流通しており(23章)、反復の数がそのまま証言の数になりません。正確には、相互に参照し合う文献系列の中で、論者と様式を変えて反復されてきたモチーフです。その意味で、LIE記述の共有された部分と見てよい範囲にとどまります。
確定しない点と実証の限界
一方で、単純にまとめられない点もあります。見通しが当たるかどうかの評価は研究者で食い違います。Stratiyevskayaは何をいつやることに意味があるかを正確に知っていると書き、Filatovaは一つの好機も逃さないと書く一方、Yermakは同じ位置について否定的な出来事が許容されないと書き、Gulenkoは輝かしい計画がしばしば失敗すると書きました。予測が肯定的な側へ寄るなら上振れの機会は拾えて下振れは勘定に入らない、という読み方で両立させることはできますが、それは当サイトの整理です(14章)。感覚領域も同じで、Reininが熟練した職人としての技能を書く一方、Filatova・Stratiyevskaya・Karpenkoは快適さ・外見・身のまわりの手当てを確信の持てない領域として書きます。外へ向かうSeと自分の状態へ向かうSiを分ければ両立しますが、外見はどちらにも出てきます。代表例に置かれる像も科学者(Bukalov)・起業家(Filatova・Gulenko)・冒険者(Reinin・Filatova)に分かれ、祖形のユングが書いた外向的思考型との重心のずれも残ったままです(23章)。
これらの食い違いが場面・用語体系・継承経路の3つから生じているという読みは、14章に書いたとおりです。記述の土台そのものにも懸念が残ります(23章)。タイプ判定の信頼性は学派の内部から技芸に近いと評価され、質問紙の精度には最大40%という見積もりが提唱者本人から出ています。戦術/戦略の対はモデルAからの思弁的な導出だと同じ研究者が述べ、外見からの識別や国家へのタイプの帰属といった、原理としては確かめられる形の主張には、照合や追試の記録が確認できません。当サイトが確認した範囲では、測定・標本・追試を伴う水準で実証されたLIE記述は、このページにはありません。
LIE像の要約
ここまでを、確実に間違いとは言えない範囲でまとめます。以下は当サイトの統合で、この形で書かれた文献が1つあるわけではありません。文献上のLIEは、自我ブロックの主導機能にTe(外向論理)、創造機能にNi(内向直観)を置くタイプとして記述されます(03章)。Teは行為とやり方の合理性を外の事実で確かめる要素、Niは出来事の連続と変化の過程を知覚する要素とされます(04章)。LIEではこの2つが並列の技能として置かれるのではなく、Niが読んだ見通しがTeの利益に従って使われる構成として説明されます(04章)。この構成の記述とは別に、複数の文献では、事実による確認の要求、時間の配分と待機の負担、状態とは別の基準で決まる感情の表出、関係についての情報の受け取りの割れ、身のまわりと体調への気づきの遅れが反復して記述されています(14章)。
ただしこれは文献上の反復であって、独立した実証ではありません。LIEを短くまとめるなら、事実で測れる成果と時間の配分を強い側に持つと文献上は記述されるタイプ、となります。それが、当サイトが確実に間違いとは言えないと考える範囲です。
かみ砕いて言うと
最後に、同じまとめを、タイプ解説で一般的な語り口に寄せて書いておきます。変えたのは文体だけで、内容は前節と同じく、根拠はここまでの章の資料のみです。
LIEは、目標を決めたら、そこへ届くのにどれだけの手間がかかって何が返ってくるかを、事実と数字で測るところから動き出すタイプとして描かれてきました。時間は待つか動くかを選ぶ対象として扱われ、急ぐ術も待つ術も心得ている一方、何も進まない待機の時間が本人には負担になる、と繰り返し書かれています。感情の出し方は、そのときの気分よりも、その場で何を通したいかで決まりやすく、事態が悪いときほど陽気に見えることがある、とも記述されます。人の好意や距離の取り方については、成果を測るときの明快さが働かず、周りの見立てに預ける書き方と、その情報を退ける書き方の両方が残っています。自分の体調や身のまわりについては、後回しにしているというより、気づく順番が後になる—熱がかなり高くなってから不調に気づく—という形で書かれます。
ただし、これらは相互に参照し合う文献のなかで繰り返されてきた記述であって、測定で確かめられた性質ではありません(23章)。そのうえで一文に圧縮するなら—LIEは、少なくとも「事実で測れる成果と時間の配分を判断の中心に置き、測りようのない領域では気づきが後から来る」と文献上繰り返し記述されてきたタイプだと言えるかもしれません。
25この記事の方法論
引用を用いる理由と範囲
ソシオニクスの文献では、同じLIEというタイプについて、研究者ごとに観測点も語彙も評価も食い違います。食い違う記述を1つの要約にまとめると、どの研究者も書いていない「平均像」ができあがります。要約には書き手の解釈が混ざるため、研究者の記述は逐語の引用で示します。引用は本文で設定した論点の検討に必要な範囲にとどめ、当サイトの本文がその出典関係・記述の差異・適用範囲を分析します。各引用の位置づけの説明、各章末の小括、14章の横断比較、23章の懸念の整理が、このページの本文の役割です。14章の横断比較や22章・23章の整理など、本文の分析には当サイトの判断が入ります。最終の24章はその延長で、記事全体の資料をまとめ直す独自の統合です(位置づけは章の冒頭でも明示します)。
引用の逐語性と翻訳
引用の訳文は当サイトによる訳出です(ユングはドイツ語原著の英訳版から訳出しています)。掲載した引用文は、訳出した本文と逐語で一致することを機械的に検証しています。底本の綴りは各引用の「原文を表示」で確認できます。
引用内の愛称は、コード表記へ置換したうえで原語を併記します(例:「LIE〔原文: ジャック・ロンドン〕」)。置換の方針は次節に書きます。
引用の位置づけも明記します。本ページの引用は、公表された著作物からの、批評・研究を目的とする引用です。引用部は引用ブロックで明瞭に区分し、すべてに出所を番号つきで明示しています。索引には著者・資料名と、確認できた範囲の刊行年・初出・該当箇所を掲載し、出所に留保が要る資料は注記で示します。本文と引用の関係は、本文の分析が主で、引用は各論点の根拠として示す資料です。出典・掲載についての指摘があれば対応します。
タイプ愛称の置換
ソシオニクスの原典には、16タイプを著名人や文学人物の名で呼ぶ愛称が頻出します。LIEの場合は「ジャック・ロンドン」で、短く「ジャック」とも書かれます。当サイトはタイプをコード表記(LIE、ESIなど)で統一しているため、引用内の愛称は「LIE〔原文: ジャック・ロンドン〕」の形式で置換します。愛称の由来と著名人タイピングの問題は22章で扱います。
索引の使い方
引用の末尾には初出順の番号が付きます。番号を押すと巻末の索引に移動し、著者・書名と、確認できた範囲の年・該当箇所を確認できます。索引の各項目からは、本文の引用位置へ戻れます。
注釈
+索引(引用文献)
- [1]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第11章 定義 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [2]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [3]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [4]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [5]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [6]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [7]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [8]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 内向的直観 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [9]Kempinski『Lęk(不安)抜粋訳』(原題:Lęk) 「アナログ原理とデジタル原理」の節 死後刊行の著作。著者はAntoni Kępiński(1918–1972) 本文へ
- [10]Kempinski『Lęk(不安)抜粋訳』(原題:Lęk) 「アナログ原理とデジタル原理」の節 死後刊行の著作。著者はAntoni Kępiński(1918–1972) 本文へ
- [11]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) Kempinskiの抜粋訳内の再録(原出典はアウシュラ『ソシオニクス入門』) 本文へ
- [12]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998)著者序文 Kempinskiの抜粋訳内の再録(原出典はアウシュラ『ソシオニクス入門』) 本文へ
- [13]アウシュラ『ユング論考集(当サイト編纂アーカイブ)』(1984)第4篇「パーソナリティとパーソナリティタイプ」 心理学者エレナ・ドゥボヴァ宛書簡(1984年11月18日付)。機関誌『ソシオニクス、メンタロジー、人格心理学』2005年№4(通巻No.202)に再録 本文へ
- [14]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [15]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [16]Reinin「情報、その伝達、および情報代謝について」(原題:Об информации, её передаче и информационном метаболизме)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1-2(2021年) 機関誌への再録掲載 出典リンク 本文へ
- [17]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第I部 理論編 刊行年は底本(露語電子テキスト)に記載がなく未確認 本文へ
- [18]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001)前書き 本文へ
- [19]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей — Соционика: новый метод познания человека、2005)第1章 本文へ
- [20]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [21]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [22]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика) 「第1機能」の節(要約) 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [23]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика) 「第2機能」の節(要約) 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [24]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика) 「情報代謝モデル」の節 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [25]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [26]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [27]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [28]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第11章 定義「思考」 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [29]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第11章 定義「直観」 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [30]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第11章 定義「直観」 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [31]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [32]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [33]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [34]Yermak『人を理解することを学ぶには』(2005) 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [35]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998)第4章 1982年執筆「ソシオン、またはソシオニクスの基礎」の再録部からの引用 本文へ
- [36]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第I部 理論編 刊行年は底本(露語電子テキスト)に記載がなく未確認 本文へ
- [37]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001)第II部 本文へ
- [38]Yermak「人間の心と周囲世界との相互作用」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1997年) 出典リンク 本文へ
- [39]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [40]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [41]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [42]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [43]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [44]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [45]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [46]アウシュラ『書簡(『機関誌記事集』所収)』(1988) 本文へ
- [47]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [48]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [49]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [50]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [51]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [52]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [53]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [54]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [55]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [56]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [57]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [58]Bukalov『「LIE」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [59]Bukalov『「LIE」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [60]Bukalov『「LIE」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [61]Bukalov「社会政治過程の予測」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 本文へ
- [62]Bukalov「職業的成功とソシオニクス・タイプ」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2023年) 出典リンク 本文へ
- [63]Bukalov「職業的成功とソシオニクス・タイプ」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2023年) 出典リンク 本文へ
- [64]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [65]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [66]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [67]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [68]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [69]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [70]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [71]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [72]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [73]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [74]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [75]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [76]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [77]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [78]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [79]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [80]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [81]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [82]Yermak『人を理解することを学ぶには』(2005) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [83]Yermak『人を理解することを学ぶには』(2005) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [84]Yermak『人を理解することを学ぶには』(2005) 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [85]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [86]Karpenko「構えがタイプの発現に及ぼす影響」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 本文へ
- [87]Karpenko「構えがタイプの発現に及ぼす影響」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 本文へ
- [88]Karpenko「構えがタイプの発現に及ぼす影響」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 本文へ
- [89]Karpenko「構えがタイプの発現に及ぼす影響」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 本文へ
- [90]Karpenko「構えがタイプの発現に及ぼす影響」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 本文へ
- [91]Karpenko「弟子、研修生、エキスパート」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2007年) 本文へ
- [92]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [93]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [94]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [95]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [96]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [97]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [98]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [99]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [100]Weisband『初期ハンドブック(アウシュラ資料準拠)「LIE」』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [101]Weisband『初期ハンドブック(アウシュラ資料準拠)「LIE」』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [102]Prokofieva『「LIE」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [103]Prokofieva『「LIE」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [104]Meged & Ovcharov『「LIE」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [105]Beskova『「LIE」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [106]Beskova『「LIE」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [107]Golihov『「LIE」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [108]Piatnitskiy『「LIE」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [109]Wikisocion『「LIE」プロファイル(コミュニティ編纂)』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [110]socionics.ua『「LIE」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [111]Voroschenko『「LIE」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 出典リンク 本文へ
- [112]Socioscope『「LIE」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [113]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [114]ユング『心理学的類型』(1921)第11章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [115]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第I部 理論編 刊行年は底本(露語電子テキスト)に記載がなく未確認 本文へ
- [116]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第I部 理論編 刊行年は底本(露語電子テキスト)に記載がなく未確認 本文へ
- [117]Reinin「二分法的特徴の理論の創造について」(原題:О создании теории дихотомических признаков)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2006年) インタビュー記事 出典リンク 本文へ
- [118]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [119]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [120]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [121]Filatova「タラノフのモデルとレイニン特性 第1部」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 機関誌No.144、2011年 本文へ
- [122]Reinin「二分法的特徴の理論の創造について」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2006年) Mironovによるインタビュー 本文へ
- [123]Reinin「二分法的特徴の理論の創造について」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2006年) Mironovによるインタビュー 本文へ
- [124]Wikisocion『「Clubs」(コミュニティ編纂)』(2026) 2026-07-15閲覧 底本はWikisocion掲載の英訳テキスト。著者の原語初出は未確認 本文へ
- [125]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成」(原題:Эволюция человека: формирование структуры ФИМ и социона)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2018年) 出典リンク 本文へ
- [126]Yermak『人を理解することを学ぶには』(2005) 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [127]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей — Соционика: новый метод познания человека、2005)第3章 本文へ
- [128]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成」(原題:Эволюция человека: формирование структуры ФИМ и социона)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2018年) 出典リンク 本文へ
- [129]Bukalov「意識機能の管理的役割」(原題:Управляющая роль функции сознания)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(2016年) 出典リンク 本文へ
- [130]Yermak「ソシオニクスにおける範疇〈時間〉」(原題:Категория «время» в соционике)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(2007年) 出典リンク 本文へ
- [131]Karpenko「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 本文へ
- [132]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成」(原題:Эволюция человека: формирование структуры ФИМ и социона)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2018年) 出典リンク 本文へ
- [133]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [134]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [135]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [136]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第II部 本文へ
- [137]Bukalov「情報代謝機能の形成メカニズムについて—個体誕生過程における機能形成」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №168、pp. 19–34(1996年) 本文へ
- [138]Gulenko『64の肖像』(2019)クアドラ論 本文へ
- [139]Stratiyevskaya『お別れしないために』第II部 本文へ
- [140]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第II部 本文へ
- [141]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [142]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [143]Bukalov「情報代謝機能の形成メカニズムについて—個体誕生過程における機能形成」(原題:О механизме формирования функций информационного метаболизма в процессе рождения индивидуума)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №168、pp. 19–34(1996年) 出典リンク 本文へ
- [144]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [145]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010) 参照は2010年英語版(露語版の初出年は確認中) 本文へ
- [146]Gulenko『64の肖像』(2019) 16関係編 本文へ
- [147]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [148]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [149]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [150]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [151]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [152]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [153]Bukalov「インタタイプ関係の記述」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2012年) 出典リンク 本文へ
- [154]Bukalov「インタタイプ関係の記述」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2012年) 出典リンク 本文へ
- [155]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [156]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [157]Gulenko『異なる言語を話し、同じものを目指す』(1996) 本文へ
- [158]Bukalov「職業的成功とソシオニクス・タイプ」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2023年) 出典リンク 本文へ
- [159]Bukalov & Karpenko「学術分野としてのソシオニクス」(原題:Соционика как академическая научная дисциплина)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(2013年) 出典リンク 本文へ
- [160]アウシュラ『ユング論考集(当サイト編纂アーカイブ)』(1984)第4篇「パーソナリティとパーソナリティタイプ」 心理学者エレナ・ドゥボヴァ宛書簡(1984年11月18日付)。機関誌『ソシオニクス、メンタロジー、人格心理学』2005年№4(通巻No.202)に再録 本文へ
- [161]Wikisocion『「Subtypes」(コミュニティ編纂)』(2026) 2026-07-15閲覧 底本はWikisocion掲載の英訳テキスト。著者の原語初出は未確認 本文へ
- [162]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [163]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [164]Gulenko『64の肖像』(2019) DCNH編 本文へ
- [165]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [166]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [167]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [168]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [169]Wikisocion『「Subtypes」(コミュニティ編纂)』(2026) 2026-07-15閲覧 底本はWikisocion掲載の英訳テキスト。著者の原語初出は未確認 本文へ
- [170]アウシュラ『ユング論考集(当サイト編纂アーカイブ)』第2篇「なぜユングを読むのは難しいか?」 執筆・初出は篇ごとに異なる編纂物(第2篇は機関誌2006年№4再録の論考) 本文へ
- [171]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей — Соционика: новый метод познания человека、2005)第9章 本文へ
- [172]Yermak『人を理解することを学ぶには』(2005) 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [173]Karpenko「エキスパートの立場」(原題:Позиция эксперта)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(1999年) 出典リンク 本文へ
- [174]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [175]Karpenko, Bukalov & Chikirisova「レイニン特性: ジェンダー差と社会的期待」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2000年) 本文へ
- [176]Karpenko「「静態-動態」特性、グラフィックと描画テストにおいて」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2016年) 本文へ
- [177]Bukalov「職業的成功とソシオニクス・タイプ」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2023年) 出典リンク 本文へ
- [178]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [179]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [180]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [181]Gulenko『異なる言語を話し、同じものを目指す—ソシオニクスとアメリカ・タイプ理論の比較』(1996) 英語論文。1996年執筆、2001年著者改訂(D. Lytov協力の改訂版から訳出)。初出媒体は確認中 本文へ
- [182]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [183]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [184]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [185]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [186]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [187]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [188]Bukalov「タイプ間関係の記述(続編)」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2012年) 出典リンク 本文へ
- [189]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [190]Karpenko「Bukalov 科学伝記」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2022年) 本文へ
- [191]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [192]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001)前書き 本文へ
- [193]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010) 参照は2010年英語版(露語版の初出年は確認中) 本文へ
- [194]Karpenko「エキスパートの立場」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1999年) 本文へ
- [195]Bukalov「社会政治過程の予測」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 本文へ
- [196]Yermak『人を理解することを学ぶには』(2005) 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [197]Reinin「ソシオンとその記述」(原題:Социон и его описания)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2008年) 出典リンク 本文へ
- [198]Bukalov & Karpenko「学術分野としてのソシオニクス」(原題:Соционика как академическая научная дисциплина)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(2013年) 出典リンク 本文へ
- [199]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第I部 理論編 刊行年は底本(露語電子テキスト)に記載がなく未確認 本文へ
- [200]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001)前書き 本文へ
