SEI超詳細解説
SEI(ISFJ)というタイプを、ソシオニクスの研究者がどう観測し記述したかを、原典の引用で比べる論考です。このページは研究文献からの引用を資料として示し、その比較と分析で構成します。対象は、創始者のアウシュラ・アウグスティナヴィチューテ(Aushra Augustinaviciute)と、後に続く研究者です。後続の研究者は、Reinin、Bukalov、Stratiyevskaya、Filatova、Yermak、Karpenko、Gulenkoです。
先に結論を知りたい方は、14章「研究者間の差分を総括する」をご確認ください。
01SEIは一般にどう言われているか
SEI(ISFJ)は、一般に、いま感じている心地よさに敏感なタイプと紹介されます。部屋の空気や食事、服の肌ざわりが、判断の基準になるとされます。「仲介者」「平和をつくる人」、原典の愛称から「デュマ」と呼ばれることもあります。
いちばん自然に働く主導機能はSi(内向感覚)、次に使う創造機能はFe(外向倫理)です。そのため、感じ取った快・不快が、そのまま場の雰囲気の調整に向かうと説明されます。例えば、声を張るのではなく、冗談を言う、お茶を出すといったやり方で場を和ませます。
よく挙げられるのは、次のような場面です。例えば、職場で「数字で示して」「根拠を出して」と求められると手が止まり、伝えたいことがあっても資料にまとめるのに時間がかかります。また、険悪な空気の場に居続けること自体が負担で、和ませるか、その場を離れます。数年先の計画を立てる話になると落ち着かず、目の前の用事を先に片づけてしまう、という場面もあります。いずれも、外から見た不足ではなく、本人の負担として語られます。
この像は、あとで見る研究者の記述からところどころ切り出されて広まったものです。心地よさの感じ分け、場の空気の調整、穏やかさという要素は、たいてい合っています。
ただ、研究者ごとに力点が違い、何を強い側と見るかも一つではありません。24章で、この一般像のどこが残り、どこが言い直されるかに戻ります。
読この記事の読み方
想定読者は、SEIプロファイルなどの基礎ページを読み終えて、出典まで確かめたい人です。各章で研究者の記述を引用で示し、そのすぐ下に当サイトの読み方(何が共通し、どこが違うか)を書きます。
流れは、01章が一般に言われている像、02〜04章が前提(系譜、モデルA、情報要素)、05〜13章が研究者別の記述(このページの中心)、14章が横断比較、15〜23章が各論、24章が当サイトのまとめです。引用には初出順の番号が付き、押すと巻末の索引へ飛び、索引から本文へ戻れます。引用の扱い方(逐語性、訳出、編集操作)は末尾の「この記事の方法論」にあります。
ページ冒頭の「コピーしてAIで要約!」を押すと、要約用の指示文とこのページの本文がクリップボードに入ります。AIに渡して、要約のほか、引用の意味を聞く、研究者ごとの違いを整理させる、といった使い方ができます。長すぎるときは、章ごとに分けて渡す方法もあります。
タイトルの「ISFJ」は、MBTIで近いとされるタイプの表記です(19章)。
02系譜 ユングから情報代謝へ
SEIという記述は、3つの原典から来ています。ユング『心理学的類型』(1921年)の類型論、Kempinskiの情報代謝の概念、そしてアウシュラによる両者の接合です。
ユングの類型論(1921年)
ソシオニクスの16タイプは、スイスの精神科医カール・グスタフ・ユングの『心理学的類型』を出発点とするとされます。ユングは心の働きを4つの基本機能に分け、それぞれが外向・内向のどちらかの構えで働くと考えました。定義の章で、機能は次のように説明されます。
心理学的機能とは、さまざまな状況のもとでも理論上同一であり続ける、心的活動の特定の形式のことと私は理解している。(中略)私は全部で4つの基本機能を区別する。2つの合理的機能と、2つの非合理的機能である。
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By psychological function I understand a certain form of psychic activity that remains theoretically the same under varying circumstances.(中略)I distinguish four basic functions in all, two rational and two irrational
合理的な2つは思考・感情、非合理的な2つは感覚・直観です。そのうえでユングは、人によって最も分化した機能が違い、それが生活への適応の主役になると書きます。
まず特に注目すべきは、私が「内向型」と「外向型」と分類した2つの基本的なタイプについてである。(中略)個人の適応や人生への方向性において、最も発達した機能が主要な役割を果たすという特異性を持つ特定のタイプ
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my first concern must be with the two general types I have termed introverted and extraverted.(中略)those special types whose particularity is due to the fact that his most differentiated function plays the principal role in an individual's adaptation or orientation to life.
まず外向・内向という2つの一般類型があり、その内側に、最も分化した機能が主役を担う「機能類型」が置かれる、という二重の分類です。この組み合わせで8つの型が記述されました。ソシオニクスの文献では、この4機能×2構えの枠組みを「ユングの基底」と呼ぶことがあります。
ユングの内向的感覚型
ソシオニクスのSEIの祖形とされるのが、第10章の内向的感覚型です。ユングはこの型を非合理型に分類し、その方向づけを外向的感覚型との対比で書きます。
内向的感覚の優位性は、特定の性格類型を生み出す。この類型はいくつかの独特な特徴によって特徴づけられる。これは非合理的なタイプと言える。(中略)一方、外向的感覚タイプは客観的刺激の強度によって決定されるのに対し、内向的タイプは客観的刺激によって引き起こされる主観的感覚構成要素の強度によって方向性が定まる。
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The priority of introverted sensation produces a definite type, which is characterized by certain peculiarities.
言い換えると、内向的感覚型は、刺激そのものの強さより、刺激が自分の中に引き起こす感覚の強さで方向が決まるということです。後の研究者がSEIのSiを記述するときの原型が、ここにあると読めます。
また、ユングは、この型が外から見えにくいことも明確に書いています。
もし感覚の強さに見合う程度の表現能力と準備が存在していれば、このタイプの非合理性はきわめて明白に現れるだろう。(中略)むしろ彼は、その落ち着き払った態度や受動的な振る舞い、あるいは理性的な自己制御によって、むしろ際立って見えることさえあるのである。
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If there were present a capacity and readiness for expression in any way commensurate with the strength of sensation, the irrationality of this type would be extremely evident〔中略〕the contrary, he may actually stand out by the very calmness and passivity of his demeanour, or by his rational self-control.
つまり、内側の感覚過程は非合理的に進むのに、外面は落ち着きと受動性、理性的な自己制御として現れるということです。この内外のずれは、後の章で見る「SEIの識別の難しさ」(21章)を読むときの背景になります。
ユングは、この型の内的世界の性質について、次のようにも書いています。
実際のところ、彼の思考世界は神話的な領域にあり、人間や動物、鉄道、家屋、河川、山々などが、時には慈愛に満ちた神々として、また時には悪意ある悪魔として現れる。
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Actually he moves in a mythological world, where men animals, railways, houses, rivers, and mountains appear partly as benevolent deities and partly as malevolent demons.
人や動物、鉄道や山といった日常の対象が、神々や悪魔として現れるとされています。言い換えると、この型では身の回りの対象が、自分にとっての意味を帯びたものとして知覚されるということです。
さらにユングは、この型の無意識について、こう書いています。
彼の無意識は主に直観の抑圧によって特徴づけられ、その結果、直観は外向的で原始的な性質を帯びるようになる。(中略)この古風な外向的直観は、現実の背景に潜むあらゆる曖昧で陰鬱、汚らわしく、危険な可能性に対して驚くべき感受性を発揮する。
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Whereas true extraverted intuition has a characteristic resourcefulness, and a ' good nose ' for every possibility in objective reality, this archaic, extraverted intuition has an amazing flair for every ambiguous, gloomy, dirty, and dangerous possibility in the background of reality.(中略)The neurosis arising from this sequence of events is usually a compulsion neurosis, in which the hysterical characters recede and are obscured by symptoms of exhaustion.
つまり、主機能が内向的感覚のとき、無意識の側には古風な外向的直観が置かれるということです。これは、主機能に対する補償の構造です。
一方、モデルAはSEIの位置5(暗示機能)にNe(外向直観)を置きます(03章)。ユングの補償構造とモデルAの位置5は理論の枠組みが違うため同一視はできませんが、主機能の対極に外向的直観を見るという方向は重なります。
また、ユングの記述は臨床観察の語彙で書かれています。そのため、後代のソシオニクスのSEI記述(快適さ・調和・対人的な柔らかさが中心)とは、語彙も力点も違います。
ユングの外向的感情型
SEIの2番目の機能Fe(外向倫理)に対応する祖形は、同じ第10章の外向的感情型の節にあります。ユングは、この型をこう書いています。
外向的感情が優位を占めるとき、われわれは外向的感情型について語る。(中略)その人格は、客観的条件との関係のなかで調整されているように見える。感情は、客観的状況と一般的価値に対応する。
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### 4. The Extraverted Feeling-Type(中略)When extraverted feeling possesses the priority we speak of an extraverted feeling-type.(中略)The personality appears to be adjusted in relation to objective conditions. feelings correspond with objective situations and general values.
言い換えると、外向的感情は、その場の状況と、みんなが認める価値に合わせて感情を整える働きだということです。
ユングは、この型における思考の位置づけも書いています。
感情をこれほどかき乱すものは、思考のほかにない。(中略)したがって、この型が思考をできるかぎり抑圧するのは、ただちに了解できることである。(中略)この型の人は多くのことを、しかも有能に考えることさえあるかもしれない。しかしその思考は、決してそれ自体として自立したものではなく、実際には感情に付き従うエピメテウス的な付属物である。
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nothing disturbs feeling so much as thinking. is at once intelligible, therefore, that this type should repress thinking as much as possible.(中略)she may even think a great deal and very ably, but her thinking is never sui generis; it is, in fact, an Epimethean appendage to her feeling.
上の引用にあるエピメテウス的な付属物は、あとから付いてくるもの、という意味です。つまり、この型の人も多くのことを考えますが、思考はいつも感情のあとに従うということです。
ですが、ソシオニクスのSEIは、感情(Fe)を主導ではなく2番目の創造機能として持ちます。ユングの純粋型は主機能が1つで、ソシオニクスの2機能構成とは前提が違います(03章)。
Kempinskiの「情報代謝」
「情報代謝(Information Metabolism)」の語は、ポーランドの精神科医 Antoni Kempinski(アントニ・ケンピンスキ、1918〜1972)に由来するとされます。著書『Lęk(不安)』では、生命は環境とのエネルギーと情報の交換を続ける開放系であり、交換の維持そのものが生命の条件だと論じられます。
そのうえで、情報の処理は2つの相に分けられます。第1相は環境への基本的な感情的定位で、意識の閾より下で進むとされます。第2相は活動形態の選択で、おおむね意識的とされます。この2つの相を支えるものとして、Kempinskiは神経系の2つの原理を対比します。
アナログ原理(緩電位)は刺激の量的な再現を可能にする。これにより「どの程度か」という問いへの答えが得られる。他方デジタル原理(スパイク電位)は「はい」か「いいえ」かの答えを可能にする。前者は本質的弁別、後者は差異的弁別と呼ばれる。
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Zasada analogowa (potencjały generacyjne) pozwala na ilościowe odtworzenie bodźca. Dzięki niej znajdujemy odpowiedź na pytanie: "w jakim stopniu". Natomiast zasada cyfrowa (potencjałów iglicowych) pozwala na odpowiedź: "tak" lub "nie". Pierwszą określa się jako essential discrimination, a drugą jako differential discrimination.
言い換えると、神経系には、刺激の量を段階で受け取る働きと、有無で受け取る働きの2つがあるということです。
このうち「どの程度か」を測るアナログ側の弁別について、Kempinskiは具体例を挙げています。
アナログ原理(緩電位)は刺激の量的な再現を可能にする。(中略)他方デジタル原理(スパイク電位)は「はい」か「いいえ」かの答えを可能にする。(中略)前者はある質の強度を意味する(例: 白い、より白い、等)。後者は質そのものを意味する(白か黒か、等)。第1の種類の弁別の場合、生体は特定の質を受け取る構えにあり、その強度だけを確定する。ここでは刺激とのより緊密な結合がある。反応の強さは刺激の強さに対応する。
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Pierwsza oznacza nasilenie danej jakości, np. białe, bielsze itp., druga - samą jakość: białe czy czarne itp. W wypadku pierwszego rodzaju różnicowania ustrój jest nastawiony na odbiór określonej jakości, określa tylko jej nasilenie. Jest tu ściślejsze związanie się z bodźcem. Siła reakcji odpowiada sile bodźca.
言い換えると、アナログ側の弁別は、白か黒かではなく、「白い、より白い」という強さの段階を感じ分ける働きだということです。この働きは、後の章で見るSEIの記述(快・不快の細かな段階を感じ分ける)と語り口が近い箇所です。ただし、Kempinski自身はタイプの話をしていません。
Kempinskiは、情報代謝そのものの動きを、次のように書いています。
情報代謝は固有の脈動によって特徴づけられることになろう。すなわち第1相では生体の外部環境とも内部環境とも結合し、第2相ではそれに対して距離を取る。
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Metabolizm informacyjny charakteryzowałby się swoistą pulsacją: złączeniem się ze środowiskiem zarówno zewnętrznym, jak wewnętrznym ustroju w pierwszej fazie i nabraniem w stosunku do niego dystansu w drugiej.
つまり、心の情報処理は、環境と結びつく相と、距離を取って行動を選ぶ相の往復だということです。このように、Kempinskiの著作にあるのは、心を情報の交換系として扱う視点です。
アウシュラによる接合
アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ(Aushra Augustinaviciute、1927〜2005)は、この語を借りたことを自分で書いています。
「情報代謝」という用語はポーランドの精神医学の古典A.ケンピンスキから借りたことを思い出してもらいたい。おそらく彼は、人間の心理的不快の基盤にはその情報代謝の障害が横たわっていると最初に語った人物である。
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Можно напомнить, что термин «информацион- ный метаболизм» мы заняли у классика польской психиатрии А. Кемпинского. По-видимому, он пер- вый заговорил о том, что в основе психологичес- кого дискомфорта человека лежит нарушение его информационного метаболизма.
言い換えると、情報代謝という語は、アウシュラ自身がケンピンスキからの借用だと明記しているということです。アウシュラは、ソシオニクスという学問そのものを、次のように定義しています。
ソシオニクスは、ソシオン、人間のソシオン的本性、社会のソシオン的構造についての学であり、人々の情報代謝のさまざまなタイプと、そのあいだのさまざまな関係の形についての学である。ソシオニクスは、K. G. ユング、E. クレッチマー、A. E. リチコの類型論と、A. ケンピンスキの情報代謝の理論をもとに生まれた。
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Соционика — наука о соционе, соционной при- роде человека и соционной структуре общества, о разных типах информационного метаболизма (ИМ) людей и разных формах взаимоотноше- ний между ними — родилась на основе типологий К. Г. Юнга, Э. Кречмера, А. Е. Личко и теории ин- формационного метаболизма А. Кемпинского.
つまり、ソシオニクスの定義そのものに、Kempinskiの情報代謝の理論が、元になった考えとして挙げられているということです。同じ定義には、ユング、クレッチマー、リチコの類型論も並んでいます。
アウシュラは、情報代謝としてのタイプを、次のように説明しています。
パーソナリティタイプは、パーソナリティの形態、または人間の思考が収まる形態、彼の情報代謝の形態である。奇妙で慣れないが、身体が食物で養われエネルギーを生産するのと完全に同じく、心理は情報、受け取る信号、刺激で養われ、エネルギーを生産する。心的エネルギーまたは情報的エネルギーである。
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Итак: тип личности — это форма личности, или форма, в которую укладывается мышление человека, форма его информационного метаболизма. Как это ни странно и непривычно, но ровно так, как тело питается пищей и производит энергию, так психика питается информацией, получаемыми сигналами, раздражителями и тоже производит энергию. Психическую энергию или информационную энергию.
身体が食物で養われるのと同じく、心は情報で養われてエネルギーを生むとされています。言い換えると、タイプとは人格の中身そのものより、情報を取り込んでエネルギーとして産み出す形式だということです。
そのうえでアウシュラは、先行する類型論がすべて同じ実在のタイプ群を別名で記述してきた、という立場を取りました。そのため『ソシオニクス入門』には、各著者のタイプ名を並べた比較表があります。アウシュラは、この表を次のように紹介しています。
表3では、すべての情報代謝タイプが双対ペアに組まれている。そこには、同じタイプがほかの著者のもとで何と呼ばれているか、つまりどのようなアクセンチュエーションや精神病質の名の下に隠れているかも示されている。
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В табл. 3 все типы ИМ спарены в диады. Там же показано, как те же типы ИМ называются у других авторов, то есть за какими акцентуациями или психопатиями они у них спрятаны.
この表で SEI(感覚倫理内向)の行を見ると、ユングの内向感覚型、リチコの発揚・不安定型、レオンハルトの顕示・発揚型が並び、ケンピンスキの欄は空いています。つまり、健常な性格の類型と、性格の偏りの類型が、同じタイプの別名として並べられているということです。
そのため、健常な性格類型と、精神医学の類型(性格の偏りの類型であるアクセンチュエーションや、精神病質)を同一の実在の別名として扱ってよいかは、それ自体が論点として残ります(23章)。
後代の研究者が語る系譜
この接合を、後の研究者はそれぞれの力点で語り直しています。Reininは、Kempinskiとアウシュラのあいだにある情報観の質的な違いを対比します。
アントニ・ケンピンスキは精神科医として、各人がそれぞれ自分固有の世界に生きていることをよく理解していた(中略)概念を導入するにあたり、ケンピンスキは純粋に物理的な類比—エネルギー代謝・物質代謝との類比—を用い、情報を諸対象が相互に交換する一種の実体として表象した(中略)アウシュラ・アウグスティナヴィチューテは(中略)自らの情報代謝タイプ理論を構築するにあたって、明らかに「情報」現象の仮想的性質を理解していた。
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Анатолий Кемпинский, будучи врачом психиатром, прекрасно понимал, что каждый человек живет в своем особенном мире [6]. […] При этом, вводя понятие «информационный метаболизм», Кемпинский воспользовался чисто физической аналогией с энергетическим и материальным метаболизмом, представляя информацию как некоторую субстанцию, которой обмениваются объекты [5]. […] Однако, Аушра Аугустинавичюте [1], […] создавая свою теорию типов информационного метаболизма, безусловно, понимала виртуальный характер феномена «информация».
言い換えると、ケンピンスキは情報を物のようにやりとりされる実体として考えたのに対し、アウシュラは情報という現象を仮想的な性質のものとして理解していたということです。Reininは、同じ「情報代謝」の語でも、2人の情報の考え方は違うと見ています。
なお、引用中の「アントニ」は訂正した表記です(Reininの原文では「アナトリー」と書かれていますが、この章のKempinskiの節で述べたとおり、Kempinskiの名は実際にはアントニ(Antoni)です)。
また、Stratiyevskayaは、転換を成し遂げたのは心理学者ではなく数学者だったと書きます。
それでもなお、この領域における根本的な転換は、心理学者ではなく(本来そう期待されるはずだったのだが)、数学者によって(より正確には、心理学者というよりもむしろ数学者によって)成し遂げられた—それまで誰にも知られていなかったリトアニアの学者、アウシュラ・アウグスティナヴィチューテによってである。彼女ただ一人が、ユングのタイポロジー(類型論)を解読し、彼のタイポロジーへの「鍵」となる、構築的な心理学的モデルを開発し、自身のタイポロジーと自身の新しい、拡張され改良された人間心理の構造のモデル(「モデルA」)を創造することに成功した。
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И тем не менее кардинальный переворот в этой области был совершен не психологом (как этого следовало бы ожидать), а математиком (точнее, не столько психологом, сколько математиком) — дотоле никому не известным литовским ученым Аушрой Аугустинавичюте. Ей единственной удалось расшифровать типологию Юнга, разработать конструктивную психологическую модель, послужившую "ключом" к его типологии; создать свою типологию и свою новую, расширенную и усовершенствованную модель структуры человеческой психики ("Модель "А").
つまり、ストラティエフスカヤは、ユングの類型論を解読してモデルAを作ったのは、数学者のアウシュラ1人の仕事だと見ているということです。
Filatovaは、アウシュラとユングの出会いを本人の言葉ごと記録しています。
それから数十年後、リトアニアの研究者アウシュラ・アウグスティナヴィチューテが、さらに先へと歩を進めた。(中略)「ユングは私をたちまち引きつけた。なぜなら、彼は構造を提示していたからである。しかも16もの構造を!」
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Несколько десятилетий спустя исследователь из Литвы Аушра Аугустинавичюте пошла дальше. […] «Юнг заинтересовал меня сразу. Потому что предлагал структуру. И даже шестнадцать структур!»
つまり、アウシュラをユングへ引きつけたのは、16の型が構造として示されていたことだったということです。Filatovaは、アウシュラ本人の言葉を添えて、その出会いを書いています。
Yermakは、系譜全体を1文でまとめています。
こうして、A. アウグスタは、ユング流のタイポロジー(類型論)を、A. ケンピンスキの心の情報代謝の理念の立場から研究して、心のモデルを創造し、N. メドヴェージェフは、心と世界の情報的相互作用のアスペクト構造の根拠を提示することで、モデル化に基づく特徴の「明晰化」と精緻化の基礎を据えた。
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Так, А.Аугустинавичюте, исследовав юнговскую типологию с позиций идеи А.Кемпинского об информационном метаболизме психики, создала модель психики, а Н.Медведев, предложив основания аспектной структуры информационного взаимодействия психики с миром, заложили основы “прояснения” и уточнения признаков на основе моделирования.
上の引用にあるA. アウグスタは、アウシュラのことです。言い換えると、アウシュラは、ユングの類型をケンピンスキの情報代謝の考え方で読み直してモデルを作ったということです。
文中のメドヴェージェフ(N. Medvedev)は、情報の側面(アスペクト)構造の根拠づけに関わった人物として言及されています。
小括します。4機能×2構えの枠組みはユングに、情報代謝の語はKempinskiに由来し、両者を1つのモデルに接いだのがアウシュラである—ここまでは各研究者の記述が一致します。
SEIについて言えば、祖形はユングの内向的感覚型と外向的感情型の組です。この組の記述には、刺激の主観側の強度に方向づけられること、外面の落ち着きのために内側の非合理な知覚過程が外から見えにくいことがあります。さらに、無意識の側に古風な外向的直観が置かれること、感情が客観的状況に合わせて調整されることも書かれています。
この4点は、後の章で見るモデルAのSEI配置(主導Si・創造Fe・暗示Ne)や識別問題と突き合わせる価値のある記述です。
03モデルAにおけるSEI
モデルAは、8つの情報要素を8つの機能位置に配置した心の構造モデルです。当サイトが基準とするSEIの配置は次のとおりです。
- 1(主導機能):Si(内向感覚)
- 2(創造機能):Fe(外向倫理)
- 3(規範機能):Ni(内向直観)
- 4(脆弱機能):Te(外向論理)
- 5(暗示機能):Ne(外向直観)
- 6(動員機能):Ti(内向論理)
- 7(観察機能):Se(外向感覚)
- 8(実演機能):Fi(内向倫理)
この配置の元になった原典の記述は、ユングの2機能構成、アウシュラの機能理論、初期著作の旧式表記の3つです。
ユングの補助機能—2機能構成の原点
モデルAの中核である「強い2機能の組」は、ユングの補助機能論に遡るとされます。ユングは、主機能と同等の力を持つ第2の機能は存在できない、と書きます。
同等の力を持つ第二の機能が存在することは本来許されないことである。したがって、この第二の機能は必然的に二次的な重要性しか持ちえず(中略)補助的あるいは補完的な役割として作用するからである。
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the presence of a second function of equivalent power is naturally forbidden. This other function, therefore, can have only a secondary importance(中略)but comes into play more as an auxiliary or complementary function.
言い換えると、2番目の機能は1番目と同じ力を持てず、補助にとどまるということです。
どの機能が補助になれるかの規則も、続けて明示されます。
経験的事実が示すところによれば、第二機能は常に、主導機能とは異なる性質を持ちながらも対立関係にはない機能である。例えば、主導機能が思考の場合、補助機能としては直観と容易に組み合わさることができるし、同様に感覚とも同等に組み合わせることが可能であるが、すでに述べたように、感情とは組み合わせることができない。
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the secondary function is always one whose nature is different from, though not antagonistic to, the leading function: thus, for example, thinking, as primary function, can readily pair with intuition as auxiliary, or indeed equally well with sensation, but, as already observed, never with feeling.
つまり、補助になれるのは、主機能と性質は違うが対立しない機能だけです。裏返せば、感覚が主機能の場合の補助は思考か感情です。SEIの構成(感覚が主、感情が補助)は、この規則の範囲内にあります。ソシオニクスの文献では、この2機能の組が自我ブロックの原型になったと説明されます。
アウシュラの機能理論—第1機能と第2機能
アウシュラは機能位置の理論(フンクツィオニカ)で、各位置の性格を定式化しました。第1機能と第2機能については、こう書いています。
第1機能は人間の世界知覚、彼の「情報的職業」、イメージを規定する。人間はこの要素について最大限の情報を持っており、最も確信をもってそれを使用する。最も強い機能、「個人的恣意の領域」と言うことができる。
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Резюме : 1-я функция определяет мировосприятие человека , его "информсационную профессию" , имедж . Человек имеет по этому элементу максимум информации , наиболее уверенно ей пользуется ; можно сказать, что это самая сильная функция , "зона личного произвола".
言い換えると、第1機能は、その人の世界の見方そのもので、いちばん確信をもって使える機能だということです。アウシュラは、続けて第2機能をこう書いています。
第2機能は創造機能であり、ここで人間は自分以前には知られていなかった新しいものを創造する。第1機能の目的の達成と自己肯定のための創造である。
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Резюме : 2 функция творческая , здесь человек создает новое , до него не пзвестное . Творчество ради достижения цели по первой и самоутверждения .
つまり、第2機能は、第1機能の目的を果たすための創造の場だということです。
SEIに当てはめると、第1機能はSiで、世界を感じと快適さの側面から知覚する「情報的職業」です。第2機能はFeで、その目的のために感情の状態を作り出す創造です。
さらにアウシュラは、機能は単独ではなく、対で働くと書いています。
機能はモデルAの静的構造をなしている。それらは単独では働かず、常にペアで—ブロックとして働く。ブロックのアクセプト(受容)機能は可能な限り現実を反映し、プロダクティヴ(生成)機能は反応し、創造的に適応する。これはほぼ同時に起こり、機能が強く分化されているほど速い。
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Функции - составляют статическую структуру модели А. Они не работают по одиночке , но всегда парами - блоками . Акцептная функция блока по возможности отражает действительность , продуктивная реагирует , творчески приспосабливаясь . Происходит это почти одновременно , тем быстрее , чем более сильно дифференцирована функция.
上の引用にあるアクセプト機能は奇数位置の受容機能、プロダクティヴ機能は偶数位置の生成機能のことです。つまり、2つの機能が1組のブロックになり、一方が現実を受け取り、もう一方が応えるということです。SEIの自我ブロックなら、Siが受け取り、Feが応答します。
また、Yermakの定式化でも、4ブロックの要素構成は自我=Si・Fe、超自我=Ni・Te、超イド=Ne・Ti、イド=Se・Fiで、冒頭の基準配置と同じです。
Bukalovは、モデルAを、どの機能もほかの機能を直接は管理しない線形・対称の構造として書いています。機能ごとの処理能力の差は16章(次元性)で扱います。
アウシュラ旧式の4列表記
アウシュラの初期著作では、タイプは8つの位置ではなく4つの機能で記述されます。SEIの旧式表記は、I(主導)=Si、II(生成)=Fe、III(最小抵抗の場、MHC)=Te、IV(暗示)=Neです。現行の8位置との対応は、I=位置1、II=位置2、III=位置4、IV=位置5になります。
旧式の番号を読むときは、2つの点に注意が要ります。1つは、旧式の4列には現行の位置3(規範機能)が入らず、IIIが位置4、IVが位置5にあたることです。
もう1つは、名前の重なりです。旧式のIVの名称(暗示。原語の音写では「サジェスティヴ」)は、現行のモデルAの位置5の名称(暗示機能)と同じ語で、指している位置も同じです。ですが、アウシュラは『機能の理論』では位置3(規範機能。SEIではNi)も「サジェスティヴな機能」と要約しています。そのため、名称だけで照合すると要素を取り違えます。
また、研究者ごとの独自番号もあります。例えば、Filatovaは主導・創造・脆弱・暗示の4機能でSEIを記述し、その第4のチャンネル(暗示機能)にNeを置きます。これは現行の位置5で、旧式のIVと同じ位置です。どちらの記述も、要素そのものと位置の意味で照合すれば、冒頭の基準配置と一致します。ほかに、Reininの符号付きの番号(06章)と、Gulenkoの独自モデルであるモデルG(12章)も、それぞれ別の番号づけを使います。
主導から創造への連鎖を「プログラムの実現」として書くFilatovaの定式は、旧式の2機能中心の伝統を引き継いだ形と読めます。Filatovaは、SEIの主導ブロックの2つの機能を、こう書いています。
この心理タイプの意識の構えも、他のタイプと同様に、主導ブロックの機能の種類と順序によって規定される。
人は、周囲の世界の美、快適さ、清潔さから喜びと満足を味わうために生きる(内向感覚—プログラム機能)が、これらすべてが意味を持つのは、周囲の人々がこの感覚の喜びをあなたと共に分かち合うときだけである(外向倫理—プログラムの実現)。
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Установка сознания этого психотипа, так же, как и остальных, определяется видом и последовательностью функций ведущего блока: Человек живет ради того, чтобы испытать удовольствие и наслаждение от красоты, комфорта и чистоты окружающего мира (БС — программная функция), но все это имеет смысл только тогда, когда окружающие люди разделят радость этого ощущения вместе с тобою (ЧЭ — реализация программы).
言い換えると、SEIが美しさや快適さから味わう喜びは、周りの人と分かち合えたときに意味を持つということです。1番のSiの目的を、2番のFeが人とのあいだで実現する形と読めます。
小括します。SEIの8位置の配置(Si・Fe・Ni・Te・Ne・Ti・Se・Fi)は、アウシュラのブロック論からYermakの定式化まで要素の中身が一致しています。一方で、位置の番号づけと名称は、研究者・時期によって別の体系が並んでいます。そのため、原典を読むときは、番号や名称ではなく「どの要素がどの意味の位置にあるか」で照合するのが安全です。
04情報要素から見るSEI
SEIの自我ブロックはSi(内向感覚)とFe(外向倫理)です。この章では、2つの要素についての研究者の定義と、SEIで2つが結びついて現れる記述を、SEIの構成に関わる範囲で並べます。各要素の一般解説はSi(内向感覚)とFe(外向倫理)の詳細ページにあります。
感覚—ユングの定義(内向的態度)
出発点として、ユングの第10章から。ユングは感覚の定義そのものが、内向的態度のもとで変容すると書きます。
感覚は、その本質に従って対象と客観的刺激に関わるものであるが、内向的態度においては大きな変容を経験する。(中略)内向的な態度においては、感覚は明確に知覚の主観的側面に基づいて成立するのである。
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Sensation, which in obedience to its whole nature is concerned with the object and the objective stimulus, also undergoes a considerable modification in the introverted attitude.
言い換えると、内向的な感覚は、対象そのものより、知覚する側の主観に基づいて成り立つということです。ユングは、そこで決め手になるものを、こう続けています。
決定的なのは対象の現実性ではなく、主観的要素の現実性、すなわち原初的なイメージ群である。これらのイメージは全体として、心理的な鏡像世界を表現している。
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decisive thing is not the reality of the object, but the reality of the subjective factor, i.e. the primordial images, which in their totality represent a psychic mirror-world.
つまり、内向的な感覚で決め手になるのは、対象が現実にどうあるかより、自分の内側にあるイメージのほうだということです。ユングは、外向的な感覚との違いも書いています。
内向的感覚が伝えるイメージは、対象そのものを再現するというよりも、むしろその対象に、太古からの主観的経験と未だ生まれていない未来の出来事から生じる輝きの層をまとわせるような効果を持っている。 つまり、単なる感覚印象が意味の深みへと発展していくのに対し、外向的感覚は物事の単なる瞬間的で表面的な存在しか捉えられないのである。
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Introverted sensation conveys an image whose effect is not so much to reproduce the object as to throw over it a wrapping whose lustre is derived from age-old subjective experience and the still unborn future event. Thus, mere sense impression develops into the depth of the meaningful, while extraverted sensation seizes only the momentary and manifest existence of things.
言い換えると、内向的な感覚は、対象の表面をそのまま写すのではなく、対象が自分の中に引き起こす知覚に、経験から来る意味を重ねて受け取るということです。一方、外向的な感覚は、その瞬間の表面の姿を受け取るとされています。
ソシオニクスの通説では、この感覚を外向・内向に分けたものがSe・Si、感情を分けたものがFe・Fiに対応するとされます。
Si(内向感覚)—各研究者の定義
アウシュラ自身によるSi(内向感覚)の定義です。
対象における内的状態は、互いを条件づけ合う出来事間の関係として考察される。この知覚の要素によって、プロセスが内的状態にいかに反映されるかについての情報が知覚される。これは自分の体調と感情、すなわちこの相互条件性によって呼び起こされる人々の感情である。(中略)たとえば、痛みの感覚は、機能する有機体とその何らかの部分で進行しているプロセスとの関係の脳への反映にほかならず、このプロセスはその機能を妨げている。
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Внутреннее состояние в объекте мы рассматриваем как отношение между событиями, которые обуславливают друг друга. Этим элементом воспринимается информация о том, как процесс отражается на внутреннем состоянии. Это самочувствие и чувства людей, которые этой взаимообусловленностью вызываются. (中略) Допустим, чувство боли — это не что иное, как отражение в мозгу человека отношения между функционирующим организмом и происходящим в какой-то его части процессом, который этому функционированию мешает.
上の引用では、痛みの感覚が例に挙がっています。言い換えると、Siは、体の調子や人の感情として感じられる変化から、ものごとの内側の状態を知る要素だということです。
Stratiyevskayaの理論編は、同じ要素をこう定義します。
― 「感覚の感覚」(空間的感覚)—(内向感覚、○(Si))。
リラックスし、人生を楽しむ能力、繊細で洗練された喜びを得る能力。性を感覚の調和として知覚すること。美を創造し、知覚する能力。デザインの能力、高い内的品質への志向、清潔で過密でない空間、居心地、快適さ、美学、美しさ、健康な身体への志向。
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— "сенсорика ощущений" (пространственные ощущения) — (интровертная сенсорика, БС). Умение расслабляться и наслаждаться жизнью, умение получать тонкие и изысканные удовольствия. Восприятие секса как гармонии ощущений. Умение создавать и воспринимать прекрасное. Способность к дизайну, стремление к высокому внутреннему качеству, к чистому, неперегруженному пространству, уюту, комфорту, эстетике, красоте и здоровому телу.
つまり、ストラティエフスカヤは、リラックスして楽しむ力から、美の創造・デザイン・清潔な空間まで、快適さに関わる能力を1つの要素にまとめているということです。
一方、Filatovaは基本概念の章で、この要素を持つタイプの組を、次のように分けています。
まず、感覚に関わる違いを見ていこう。第1の組であるESE(ユーゴー)とSEI(デュマ)—両者とも感受の感覚(内向感覚)の持ち主であるのに対し、第2の組であるSEE(ナポレオン)とESI(ドライザー)は、意志の感覚(外向感覚)の持ち主である。
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Рассмотрим вначале отличия, связанные с сенсорикой. В первой паре ЭСЭ (Гюго) и СЭИ (Дюма) — оба являются обладателями сенсорики ощущений, в то время как во второй паре СЭЭ (Наполеон) и ЭСИ (Драйзер) — волевой сенсорики.
引用中の「ユーゴー」「デュマ」「ナポレオン」「ドライザー」は、各タイプの愛称です(当サイト表記ではESE・SEI・SEE・ESI)。つまり、Filatovaは、ESEとSEIを内向感覚の「感受の感覚」の組、SEEとESIを外向感覚の「意志の感覚」の組として分けているということです。この引用は、Siの中身の定義ではなく、Siを持つタイプの組分けです。
Yermakは、この側面(アスペクト)の意味論を1語に圧縮します。
空間関係の心理的意味を一般化すれば、対応する情報アスペクトの意味論を「快適」という概念で規定できる。不快適という対案、また同じ意味で用いられる一連の他の単語、概念、語句も考慮する [6]。このアスペクトの他の名称も見られる: 内向的感覚および感じの感覚。情報アスペクト「快適」(「感じの感覚」)には、2つの記法が用いられる: 記号的—塗りつぶされていない(白い)円 ○(Si)、および文字的—ラテン文字 S および s。
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Обобщая психологический смысл пространственных соотношений можно определить семантику соответствующего информационного аспекта понятием “комфорт”, учитывая также и альтернативу – дискомфорт, а также целый ряд других слов, понятий и языковых оборотов, употребляемых в том же смысле [6]. Встречаются и другие наименования этого аспекта: интровертная сенсорика и сенсорика ощущений. Для информационного аспекта “комфорт” (“сенсорика ощущений”) используются два обозначения: символическое – незаштрихованный (белый) круг и буквенное – латинские буквы S и s.
言い換えると、Yermakは、この要素が扱う意味を「快適」と「不快適」の1語にまとめているということです。名称は「内向的感覚」「感じの感覚」「快適」と揺れますが、指している側面は同じで、記号は○です。
このように、主観の側に現れる感じと快適さを知覚するという点は、ユングの定義と、アウシュラ、Stratiyevskaya、Yermakの定義に共通しています。この要素をSEIの側から現象として書いたKarpenkoの記述は、11章で見ます。
Fe(外向倫理)—各研究者の定義
Fe側も同じ順で見ます。アウシュラの定義です。
対象において生じているプロセスについての情報が知覚される。すなわちまず第一に、人間のなかで生じている情動的プロセス、その興奮あるいは抑圧、気分についての情報である(中略)この知覚のアスペクトは、たとえば何が人々を興奮させ何が抑制するかを見分ける能力を与える。
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Воспринимается информация о процессах, которые происходят в объектах: в пер- вую очередь, о происходящих в людях эмоциональ- ных процессах, их возбужденности или подавлен- ности, настроениях.〔中略〕Этот аспект восприятия дает способность разбираться в том, например, что лю- дей возбуждает, а что подавляет. Им определяется способность или неспособность человека управлять своим эмоциональным состоянием, а также эмоци- ональным состоянием других людей.
つまり、Feは、人のなかで起きている興奮や抑えこみ、気分の動きを知覚する要素だということです。例えば、何が人を盛り上げ、何が人を沈ませるかを見分ける力になるとされています。
Stratiyevskayaの理論編の定義です。
― 「感情の倫理」(エネルギー)—(外向倫理、▼(Fe))。
人間の「内的エネルギー」—その感情、また他者の心の状態を見分ける能力、感情を再現する能力(芸術性)、他人の感情を操る能力—笑わせ、喜びや熱狂を吹き込み、あるいは逆に、恐怖、戦慄、不安、パニックを吹き込む能力。
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— "этика эмоций" (энергия) — (экстравертная этика, ЧЭ). "Внутренняя энергетика" человека — его эмоции, а также умение распознавать душевное состояние других людей, умение воспроизводить эмоции (артистизм) и умение управлять чувствами других людей: смешить, вселять радость, энтузиазм, или наоборот — внушать страх, ужас, тревогу, панику.
言い換えると、ストラティエフスカヤは、他者の心の状態を見分ける能力と、感情を再現し操る能力を、同じ要素に置いています。芸術性と並んで、恐怖やパニックを吹き込む能力まで同じ要素に数えている点が、この定義の幅です。
Yermakは、同じ側面の意味論を1語に圧縮します。
エネルギーとエネルギー状態についての情報構成要素(アスペクト)の意味論(意味)は、「感情」という用語で一般化できる。(中略)文献ではこのアスペクトの他の名称も見られる: 外向的倫理および感情。情報アスペクト「感情」には、2つの記法が用いられる: 記号的—黒く塗りつぶされた(黒い)三角 ▼(Fe)、および文字的—ラテン文字 E および e。
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Семантику (смысл) информационной составляющей (аспекта) об энергии и энергетических состояниях можно обобщить термином “ эмоции ”.〔中略〕В литературе встречаются и другие наименования этого аспекта: экстравертная этика и эмоции. Для информационного аспекта “эмоции” используются два обозначения: символическое – заштрихованный (черный) уголок и буквенное – латинские буквы E и e.
つまり、Yermakは、エネルギーとその状態についての要素を「感情」の1語でまとめているということです。なお、外向倫理の記号は、アウシュラの原典ではL字(本サイトの表示)ですが、Yermakは黒い三角を用います。
名称は「外向的倫理」「感情」「感情の倫理」と揺れ、記号は▼です。このように、人々の感情状態という場を知覚し、働きかけるという点が、3人の定義に共通します。この要素をSEIの側から書いたKarpenkoの記述も、11章で見ます。
SEIにおけるSi・Feの結合
SEIのタイプ記述では、この2要素が組みで現れます。アウシュラのSEI記述です。
感覚倫理内向は感情と情動の世界において自分をきわめてよく感じている。他者の感情に注意深い。愛し、美と調和を創造する。するものはすべて感情と趣味で行う。日常の労働の各対象をも、他者と自分自身を驚嘆させるべき芸術の創造物のように見ている[^81]。
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Сенсорно-этический интроверт очень хорошо чувствует себя в мире чувств и эмоций. Внимателен к чувствам других. Легко различает, кто-и насколь- ко его любит и жалеет. Это тип художника, кото- рый оценивает жизнь во всех ее разновидностях.81 Любит красоту и гармонию. Творит их. Если что делает, делает с чувством и вкусом. На каждый объект труда смотрит как на творение искусства, которое должно восхищать других и самого себя.
上の引用にある感覚倫理内向は、SEIのことです。「するものはすべて感情と趣味で行う」とあるように、感じの質(Si)と感情の場(Fe)が、行動のレベルで分けられずに書かれているということです。
Karpenkoは、位置1と位置2の直結を、観察例で書きます。
SEIでは美的感覚(○(Si)1)が感情の倫理(▼(Fe)2)と直接つながっているので、自然から受けた感覚は、彼らにおいてはある種の感情的な感嘆となってあふれ出す。「なんてきれい!」「ああ、いい気持ち!」という声は、静かな夕焼けを前にしても、荒れはじめた海を前にしても、野生の近寄りがたい岩山のただ中でも、SEIの口をついて出る。
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Поскольку у СЭИ эстетическая сенсорика ( 1) непосредственно связана с этикой эмоций ( 2), то ощущения от природы выливаются у них в некие эмоциональные восклица- ния. При этом возгласы «Как красиво!» и «Хорошо-то как!» вырываются у СЭИ и при виде тихого заката, и у разыгравшегося моря, и среди диких и неприступных скал.
例えば、夕焼けでも荒れた海でも、SEIは「なんてきれい!」と声に出します。つまり、Siの知覚(美しい・心地よい)が、そのままFeの表出(感嘆の声)として出てくるということです。
小括します。Siは「主観の側に現れる感じ・快適さの知覚」、Feは「人々の感情状態という場の知覚と操作」として、ユングからYermakまで指す内容が一致します。名称は研究者ごとに揺れ、Siは内向的感覚・感じの感覚・快適、Feは外向的倫理・感情・感情の倫理と呼ばれます。SEIではこの2つが別々に現れず、感じの知覚がそのまま感情の表出になる、というのがアウシュラとKarpenkoに共通する観察です。
05アウシュラの記述
創始者のアウシュラは、SEIを、知覚の細かさ、温かい外見と見えにくい内面、双対のILEとの対比から書いています。この章では、そのうち人物像の中心になる記述を並べます。底本は『ソシオニクス入門』(1998年)、『レイニン特性の理論』(1998年)、機関誌に再録された書簡です。双対関係の記述は18章、著名人タイピングは22章で扱います。
内部から発する音への感度—身体で感じる知覚
アウシュラのSEI像でまず強調されるのは、知覚の細かさです。アウシュラは、レイニン特性の情緒主義者の組の例として、SEIをこう書いています。
1)情緒主義者 SEI(感覚倫理内向)と IEI(直観倫理内向)(中略)鍵をなくした金庫を開けられるのはSEIだけだろう。なぜなら彼だけが、機構の内部から発するあらゆる音を考慮できるからである。
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1) Эмотивисты (СЭИ) и (ИЭИ), у которых — 4/1.〔中略〕Наверняка только (СЭИ) способен открыть сейф, ключ от которого потерян, потому что только он способен считаться с каждым звуком, который удается извлечь изнутри механизма.
鍵を失った金庫を開けられるのはSEIだけだという一文は、誇張を含む比喩です。言い換えると、SEIは、対象の内部から出る細かな信号まで、判断に入れることができるとアウシュラは見ています。
また、同じ論考でアウシュラは、SEIが自分の潜在的可能性についても、考えて導くのではなく身体の感覚として持つと書いています。強い側の知覚である感覚を通して、弱い側の要素の内容を受け取るという書き方と読めます。
「最も温かい顔」
人物像の入口に置かれるのは、外見の記述です。アウシュラは、『ソシオニクス入門』で、内向型の顔をこう書いています。
外向型の顔はより動きがあり拘束が少なく、人間が何を命令し要求しうるかが見て取れる。内向型は額の特別な穏やかさで際立つ。まるで「第三の目」で世界を見守っているような印象を時に与える。興味深いことに、最も温かい顔も最も冷たい顔も内向型のものである。最も温かいのは感覚倫理内向の顔であり、冷たいのは倫理感覚内向と倫理直観内向の顔である。
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Интересно, что. самые теплые, как и самые холод- ные, лица у интровертов. Самые теплые у сенсор- но-этического интроверта, холодные — у этико- сенсорного и этико-интуитивного интровертов.
上の引用にある感覚倫理内向は、SEIのことです。つまり、アウシュラは、内向型の中でもSEIの顔を最も温かいと見ているということです。これは外見から型を読むアウシュラ独自の観察手法による記述で、性格特性そのものの記述とは分けて扱います。
一方、『レイニン特性の理論』では、約束や時間の不足を「間に合わなかったのよ」の一言で片づける例が、SEIの側に置かれます。動揺の対象にならない領域が広いという向きの記述です。
本当の感情は「七重の鍵」の下
対象の内部の音には感度が高く記述される一方、自分自身の内面は外から読み取りにくいものとして記述されます。アウシュラは、レイニン特性の陽気と深刻を論じる箇所で、こう書いています。
口頭ブロックは個別に実現される。だからこそ外からは、深刻の人たちが本当に愛しているときや働いているときに気づきにくい。陽気の人たちについては、たとえば、彼らが実際に何を体験しているかが見えない。本質的に、本当の、自分自身の感情、たとえばSEI〔原文: デュマ〕のものは、七重の鍵の下にある。
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Вербальные блоки реализуются индивидуально. Потому именно со стороны трудно заметить, когда серьезные по-настоящему любят или работают. Что касается веселых, то не видно, например, что они на самом деле переживают. По сути дела настоящие, собственные эмоции, например, Дюма ( (СЭИ)) — под семью замками.
上の引用にある口頭ブロックは、アウシュラの用語で、自我と超イドの2つのブロックのことです。アウシュラは、このブロックの働きは人前でなく1人で実現されると書いています。また、陽気と深刻はレイニン特性の1つで、SEIは陽気の側です(15章)。
言い換えると、SEIは明るく見えても、本当の感情は外からほとんど分からないということです。外から見える温かさと、外から見えない内面があり、前の節の外見記述と合わせると、アウシュラのSEI像は最初から表と裏の落差を含んでいます。
各タイプは何かを「貯める」—SEIは物質手段
アウシュラは、1984年のReinin宛書簡で、タイプどうしを何を貯めるかで比べています。
「SEI〔原文: デュマ〕は金を稼ぐ。ILE〔原文: ドン・キホーテ〕は時間を稼ごうとする。(中略)総じて、各タイプは何か物質的なものを貯めると言える。SEI〔原文: デュマ〕=物質手段、ILE〔原文: ドン・キホーテ〕=時間、LSI〔原文: ゴーリキー〕=直接的な労働支出。(中略)なぜ我々は、SLE〔原文: ジューコフ〕というこれほど近いタイプにとって、こうも分かりにくいのか。彼らは白い感覚—良い自己感覚—を貯める。つまり、自分個人の感覚的利益を決して忘れない。SLE〔原文: ジューコフ〕は、感覚面で得をしないことをしない。我々は、時間で得をしないことをしない」
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Дюма зарабатывает деньги. Дон Кихот старается заработать время.(中略)В общем, можно сказать, что каждый тип копит что-то материальное. Дюма — материальные средства, Дон Кихот — время, Горький — непосредственные трудовые затраты(中略)Почему мы так непонятны такому близкому к нам типу как Жуков? Потому, что они копят белую сенсорику, хорошее самочувствие, то есть никогда не забывают своих личных сенсорных интересов. Жуков не делает того, от чего он не выигрывает сенсорно. Мы — того, от чего не выигрываем во времени.
つまり、アウシュラは、SEIが貯めるのはお金などの物質手段で、ILEが貯めるのは時間だと見比べているということです。末尾の「我々」はILEを指し、創始者が自分の側から他タイプを見比べていることが文面に出ています。
この定式は理論から導いたものではなく、本人の観察メモです。創始者がSEIをどの軸で他タイプと分けていたかを示す資料になります。
「校正者」という位置づけ
アウシュラは、対象について事前にどこまで知ろうとするかでタイプを分け、SEIを、先に確かめておきたい側に置いています。
LSE、LII、SEIは、新しい物を買ったとき、まず説明書を読む。なぜなら正確にすべてを知らねばならないから—そうでなければ校正者になれない。EIIは、ILEと同じく、まず対象そのものを手にとり、何も上手くいかなくなった後で説明書を読む。校正者SEI〔原文: デュマ〕はあらゆる紙切れを「役に立つ」ことが書いてあるかも、という期待で読む。LSE〔原文: シュティルリッツ〕も同様。
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(ЛСЭ), (ЛИИ) или (СЭИ), купив какой-то новый предмет, прежде всего читает инструкцию, потому что точно должен все знать — иначе он не будет корректором. (ЭИИ), как и (ИЛЭ), сразу берется за сам объект и только после того, как ничего не получается, читает инструкцию. Корректор Дюма ((СЭИ)) читает любую бумажку в надежде на то, что там может оказаться что-то «полезное», как и Штирлиц ((ЛСЭ)).
上の引用にある校正者は、アウシュラが、すべてを自分や他人に対して確かめ、細かく詰める傾向のあるタイプを呼んだ名前です。言い換えると、SEIは、新しい物を使う前に説明書を読んで、すべてを知っておこうとするということです。
このように、説明書を先に読むか、うまくいかなくなってから読むかで、SEIとILEが同じ場面の反対側に置かれます。あらゆる紙切れを役に立つかもしれないと思って読む、という描写は、06章でReininが書く「専門家の電話番号で埋まったアドレス帳」と同じ方向の観察です。
集まりの主、あるいは追い出すべき相手—私信の筆致
同じReinin宛の私信で、アウシュラは、研究者の集まりに招くタイプについて、より率直にこう書いています。
「できればILI〔原文: バルザック〕抜きで。LII〔原文: ロベスピエール〕ならまだ我慢できる、LIE〔原文: ジャック・ロンドン〕は霊感を与える、そして自分のタイプこそが本物の科学の本物の人間だ。SEI〔原文: デュマ〕については、こうした集まりには主人役のSEI〔原文: デュマ〕が1人必要だ。ほかのSEI〔原文: デュマ〕は主人に従うという条件でなら我慢できる。さもなければ追い出したほうがよい。そして感覚倫理の人の頭を、外向であれ内向であれ、科学でいっぱいにするのは、彼らにとってもこちらにとっても本物のドラマだ。そういうセッションを1度やると、彼らはもう自分の妻や夫にしがみつき…その人のことは諦めるしかない」
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желательно без Бальзаков. Робеспьера можно еще терпеть, Джек — вдохновляет, а собственный тип только и есть настоящим человеком от настоящей науки. Что касается Дюм, то на такое сборище нужен один Дюма-хозяин. Всех прочих можно терпеть при условии, что они подчиняются хозяину. Иначе их лучше выгнать. А наукой засорять голову сенсорно-этическому — то ли экстраверту, то ли интроверту — самая настоящая драма и для них, и для тебя. После одного такого сеанса они уже вцепляются в собственных жен или мужей и… списывай человека.
これは、最初の研究者向けセミナー開催を前にした私信で、招待客の構成を検討した一節です。言い換えると、SEIについては場を取り仕切る主人役が1人要り、それ以外のSEIは主人に従う場合だけ加えてよいということです。続けて、感覚倫理型の頭に科学を詰め込むのは双方にとってドラマだとも書かれています。
つまり、創始者は、SEIを場をもてなす役としては欠かせないが、理論の場に複数入れる相手ではないと見ていました。そのことが、身内宛ての筆致でそのまま出ている一節です。
小括します。アウシュラのSEI記述の軸は3つです。第一に、対象の内部から発する信号への感度が知覚の中心に置かれ、自分の可能性まで身体の感じとして受け取ると書かれること。第二に、外から見える温かさと、外からは読み取れない内面という落差が、外見記述と特性記述の両方に現れること。第三に、双対のILEとの対比が、蓄えの対象・説明書の読み方・セミナーの座組という複数の場面で繰り返し書かれることです。記述の多くは書簡や特性論考に由来し、体系的な定式化というより観察の記録に近い書き方です。
この章の要点は、研究者ごとのページに短くまとめています。
06Reininの記述
Grigory Reininは数学者で、15の二分法特性(レイニン特性)と小集団理論の提唱者として知られます。SEIの記述は、主著『ソシオニクス:類型論・小集団』(英語版2010年)の第2講のSEI節と、Part IIIの状況別助言にあります。この章では、機能位置ごとの記述と助言形式の記述を並べます。二分法特性と小集団の分割は15章、関係の記述は18章で扱います。
読む前に1つ注意があります。Reininは機能を第1〜第4機能と陰性の第-1〜第-4機能という独自の番号で呼びます。番号は強さの順位ではなく、同じ知覚・判断ファミリーの対(+n/−n)ごとの割り振りです。
SEIでは、第1=Si/第-1=Se、第2=Fe/第-2=Fi、第3=Ti/第-3=Te、第4=Ne/第-4=Niです。当サイトの位置番号(位置3=Ni、位置6=Ti)とはラベルの体系が違うため、以下の引用の「第3機能」は位置3ではなく位置6の要素です。同様に、「第-4機能」は位置4ではなく位置3の要素です。
存在原理—確信の領域と無視の領域
Reininは、第2講のSEI節で、SEIの第1機能をこう書き出します。
確信の領域。SEIは自分自身の感覚と状態をよく認識している。自分に何か問題があるかどうかをよく知っており、これについて他者の意見を必要としない。(中略)「私の感覚と内的印象は私の人生である。何も感じなければ、私は存在しない。私は感じる、ゆえに存在する。」(中略)彼/彼女のモットーは「生きなきゃ!」である。
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the area of confidence. A Dumas knows his feelings well and is aware of his weaknesses. A Dumas knows well what is wrong with his/her body and does not need other's opinion.(中略)“My feelings are my life. If I don’t feel anything then I am dead. I feel, therefore I exist”.(中略)his motto is: “Got to live!”
Siの内容を「快適さ」ではなく「確信の領域」と言い切る点が、Reininの特徴です。言い換えると、SEIにとっては、感じていること自体が存在の条件だということです。自分の状態は自分がいちばんよく知っているので、他者の意見を必要としない領域として書かれます。
対になるのが第-1機能、位置7のSeです。Reininは、こう書いています。
このタイプの人々にとって、行為と外見は無視の領域にある。SEI〔原文: デュマ〕にとって、これは時に外的形式を無視することとして現れる。SEI自身の外見において、何かが魅力的で見栄えの良いものでないことがある。このタイプの人は流行に合った服装をしていないことがある。
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deeds and appearance are in the area of ignoring. A Dumas sometimes simply ignores external forms: fashion; image.
つまり、SEIは、流行の服や見栄えといった外見の形を気にかけないことがある、ということです。自分自身の内的な感覚は確信の対象になり、外見という外的な表現は無視の対象になります。このように、同じ感覚のファミリーの中で、向きの違いがそのまま扱いの差になるという書き方です。
実現の場—関係の管理を「売る」
第2機能Feは創造の領域で、Reininは、これを関係の操作としてこう書きます。
SEI〔原文: デュマ〕の創造機能は関係を扱う — 自分に近い人々の関係、互いに対する、そして自分に対する彼らの態度である。これはまたリスクを取る領域でもある。SEI〔原文: デュマ〕は関係におけるリスクを愛する。(中略)彼は話のイントネーションと間の達人であり、何が起きているのか誰も気付かないままだ。(中略)SEI〔原文: デュマ〕は事実を歪曲はしないが、省略と偏ったコメントの達人である。だから彼らは陰謀、関係の管理を「売る」のだ。
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A Dumas' creative function deals with relationships – relationships of people close to him, their attitudes to each other and to him/her. This is also the area of taking risks. A Dumas loves risk in relationships. […] He is the master of intonation and pauses in speech, nobody even realizes what it happens. […] A Dumas does not misrepresent facts, but he is a master of omission and biased comments. So they “sell” intrigue, relationships management.
言い換えると、SEIは、身近な人どうしの関係を扱い、事実は曲げずに、言わないことやコメントの偏りで関係を動かすということです。話の抑揚と間の取り方で、周りが気づかないうちに関係が変わるとも書かれています。
「売る」はReininが活性化関係の説明で使う言い方で(18章)、そのタイプが社会に差し出すものを指します。09章でFilatovaが書く外向倫理の能動面を、別の観察から書いた記述と読めます。
恐怖の領域—整合性の破綻と内省
Reininの体系で「恐怖の領域」と呼ばれるのは、SEIでは第-4機能=Ni(当サイトの位置番号では位置3の要素)です。まず、対になる第4機能Ne(位置5)の記述から見ます。
外的状況の整合性の破綻はSEI〔原文: デュマ〕にストレスを与えたり呆然状態に陥らせたりすることがある。ILE〔原文: ドン・キホーテ〕やIEE〔原文: ハクスリー〕は予期しないことやスケジュール外のことに直面しても平気でいる。(中略)SEI〔原文: デュマ〕は同様の状況で呆然状態に陥る。外の世界から切り離された石のようになる。(中略)数年前、我々は民間航空パイロットの緊急時の行動を研究した。(中略)熟練した経験豊富なパイロットは、予測された状況のいずれにおいても優れた成績を収めた。しかし予期せぬ状況に直面すると、彼は無力であり、対処できなかった。
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A breach in the integrity of the external situation may stress a Dumas out or put him in a stupor. A Don Quixote and a Huxley take it easy when facing the unexpected or the unscheduled.(中略)While a Dumas lapses into a stupor in a similar situation. They turn into a stone detached from the external world.(中略)Several years ago we studied behavior of civil aircraft pilots in emergency situations.(中略)Skillful experienced pilots did great in any of the anticipated situations. But facing the unforeseen circumstances he was helpless, unable to cope.
つまり、予定していなかった事態が起きると、SEIは固まって動けなくなることがあるということです。この停止反応の記述には、民間航空パイロットの研究という実地の事例が添えられています。ILEとIEEを対照に置く書き方は、15章で見る同じ特性の反対側の記述と対応します。
一方、恐怖の領域そのものを、Reininは内省への抵抗として書いています。
内的状況の整合性はこの機能の「織物」である。それは自分の心を探ること、自分の精神の中を掘ることへの恐れである。内省はSEI〔原文: デュマ〕にとってうまくいかない。他のいくつかのタイプは内省に熱心に取り組むが、SEI〔原文: デュマ〕もSLI〔原文: ガーベン〕もそれを楽しまない。(中略)ここで無謬性コンプレックスが再び作動する:SEI〔原文: デュマ〕は内的問題を無視することで逃れる:「私は大丈夫」。
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The integrity of internal situation is the "fabric" of this function; it is the fear of searching one’s heart, digging in one’s mind. Introspection does not go well with a Dumas. Some other types eagerly engage in introspection, but neither a Dumas nor a Gaben enjoy it.(中略)Here the infallibility complex comes into action again: a Dumas escapes internal problems by ignoring them: “I am OK".
言い換えると、SEIにとっては自分の内面を深く探ること自体が怖く、内側の問題には「私は大丈夫」と目を向けないで済ませるということです。外の予定が崩れると止まり、内を掘る作業は避けます。このように、2つの引用は、同じ知覚のファミリーの正負が別々の形で負担になることを書いています。
第3機能(自尊心)と、知ることによる解決
Reininの第3機能は自尊心に関わる領域とされ、SEIではTi(位置6)です。Reininは、SEIのこの領域をこう書いています。
SEI〔原文: デュマ〕は常に防御態勢にある(某博士を引用するなど)、出版された情報源やその他の権威に言及する。それが安心感を与える。(中略)「もちろん読みましたが、意味がありません」、あるいは「ええ、読みましたが、今議論している主題とは何の関係もありません」(中略)この領域で防衛しているとき、SEI〔原文: デュマ〕はしばしば優越コンプレックスを発達させる:「私は大丈夫!」
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A Dumas is always on defense (he quotes Dr. So-and-so, etc.), he gives references to published sources and other authorities. It makes him feel safe.(中略)“Sure I have read it, but it does not make any sense”, or: “Yes, I have read it, but it has nothing to do with the subject we are discussing right now.”(中略)When on defense in this area a Dumas often develops a “superiority complex”: “I am OK!"
言い換えると、SEIは、理屈の領域で身を守るとき、本や専門家などの権威を引き合いに出すということです。そのように防衛するあいだに育つものを、Reininは優越コンプレックスと呼んでいます。
対になる第-3機能Teについて、Reininは、同じ知ることの問題を解決の側から書きます。
主たる問題は理解の問題である。解決は知ることだ。何かを知らなければ、それを見つけ出し、調査をし、本を読み、専門家に相談する必要がある。SEI〔原文: デュマ〕のアドレス帳は様々な分野の最高の専門家の電話番号で埋まっている。彼はその大多数と友人である。それでも自分の車を自分で修理することも気にしない。
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the main problem is that of understanding; the solution is to know. If he does not know something, he needs to find out, do a research, read a book, and consult an expert. A Dumas' Adress Book is full of phone numbers of the best experts in various fields; he is friends with most of them. Nevertheless he does not mind fixing his own vehicle.
つまり、SEIは、知識そのものを自前で持つより、知っている人との関係を持つということです。権威を引く防衛の隣に、専門家の電話番号で埋まったアドレス帳が置かれ、それでも車は自分で直す、という結びに行動の幅が出ています。16章でBukalovが書く経理部長の実話と、同じ経路の記述です。
タイプへの助言という体裁
主著のPart IIIは、状況ごとにタイプへ二人称で助言する形で書かれ、SEIには衝突について次の助言があります。
突然、喧嘩の始まりを見逃したと気づいた場合、不必要な衝突を中断する十分なスキルを持っているはずだ。それが大きなものに発展するのを許さない。あなたのタイプの人々は、原則として感情的相互作用の領域でかなり熟練している。
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If you suddenly understand that you have missed the beginning of a quarrel, you should have enough skill to suspend the unnecessary conflict, you do not let it develop into something huge. People of your type, as a rule, are rather skilful in the sphere of emotional interactions.
つまり、SEIは、衝突が大きくなる前に止める力を持っているとReininは見ています。衝突の沈静化は、このように肯定で書かれます。
一方、次の一節は警告です。しかも字面だけ見ると、SEIが非合理型とされることと食い違います。
奇妙なことに、あなたのタイプの人々は時に、過度の合理主義のために異性関係で失敗する。一部のものはまったく理解のために設計されていないことを忘れてはならない。人生の論理は時に、人間の論理を超えた行動を必要とする。助言:少しの無謀さは害にならない。
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Strangely enough, people of your type sometimes fail in relationships with the opposite sex due to an excessive rationalism. Do not forget that some things are not designed for understanding at all; the logic of life sometimes requires acts beyond human logic. Advice: a little recklessness would do you no harm.
言い換えると、異性関係では考えで割り切りすぎて失敗することがあり、少しの無謀さがあってよいという助言です。
SEIは通説では非合理型に分類されます。それにもかかわらず、Reininはここで「過度の合理主義」という語を使います。この語がSEIの分類とどう関係するかは、この一節からは分かりません。
小括します。ReininのSEI記述の軸は3つです。第一に、感覚のファミリーの中の非対称です。内的な感覚は確信の領域、外的な形式は無視の領域とされます。また、位置6のTiでは優越コンプレックス、位置3のNiでは無謬性コンプレックスという2つの防衛が書かれます。第二に、外的な整合性への依存です。予定の破綻に対する呆然状態には、民間航空パイロットの研究という実地の事例まで添えられます。第三に、二人称の助言記述という体裁です。過度の合理主義という、SEIが非合理型とされることと字面が緊張する記述も、この助言のなかに現れています。
この章の要点は、研究者ごとのページに短くまとめています。
07Bukalovの記述
Aleksandr Bukalovは、キエフの国際ソシオニクス研究所を率い、機関誌『ソシオニクス、メントロジーとパーソナリティ心理学』を主宰してきた研究者です。理論面の貢献は、機能の次元性(1990年)と、意識機能を加えたモデルB(1989年)に代表されます。この章では、BukalovがSEIという型そのものに触れた記述を並べます。Wikisocion経由の直接プロファイル、独自の理論に置き直されたSEI像、動員状態の実例の3つです。次元性は16章、クアドラ論は17章、関係の実例は18章で扱います。
感覚の鋭敏さと他者の感情への配慮—プロファイルから
Bukalovは、SEIのプロファイルで、感覚の鋭さと他者の感情への配慮を次のように書いています。
このタイプの人々は、家でも職場でも、快適さ・調和・居心地のよさが呼び起こす繊細な感覚を通じて、世界をとてもよく知覚する。自然や、絵画・建築・音楽・文学といった芸術作品は、繊細な美的感覚を呼び起こす。匂い、音、映像、色は生涯にわたって記憶される。このタイプの人は、空間の中にうまく「身を落ち着ける」すべ、最も不利な条件の中でも快適さを作り出すすべを知っている。たとえ山に登る登山家であっても、「地形のひだに収まろう」とし、それを彼以上にうまくやれる者はいない。「SEI〔原文: デュマ〕」は、自分の体の状態も、周りの人々の状態もよく感じ取る。他人の気分をとても繊細に感じ取り、人々の感情を上手に扱い、いつでも慰め、優しい言葉をかけ、苛立ちを鎮め、元気づけることができる。
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Люди этого типа прекрасно воспринимают мир через тонкие ощущения, вызываемые комфортом, гармонией, уютом как в доме, так и на работе. Природа и произведения искусства - картины, архитектура, музыка, литература - вызывают тонкие эстетические ощущения, а запахи, звуки, образы и краски запоминаются на всю жизнь. Человек этого типа умеет "устроиться" в пространстве, создать комфорт в самых невыгодных условиях: даже если это альпинист в горах, то стремится "вписаться в складки местности", и лучше него этого никто не сделает. "Дюма" прекрасно ощущает как состояние своего собственного тела, так и состояние окружающих. Очень тонко чувствует чужое настроение) прекрасно управляет эмоциями людей, может всегда утешить, сказать доброе слово, снять раздражение, развеселить.
言い換えると、SEIは、美しいものや匂い・音・色を鋭く感じ取り、周りの人の苛立ちにも気づいて慰めるということです。前半の美的反応と長期の記憶がSi、後半の感情の察知と慰めの言葉がFeの書き方です。
また、「地形に適応する」「最適な場所を見つける」という言い方は、快適さを作るより、すでにある条件の中から選び取る働きとして書かれています。
食物のモジュール—進化史に置き直された位置1・2
Bukalovは、モデルAの8位置理論とは別の「進化モジュール」という理論枠でも、同じ組み合わせを記述しています。
- 食物:何が食用に適するか。このモジュールは、その進化的発達において、最大限に発達した4次元的な健康のセンサリー、食物組成の認識、繊細な感覚、快適さと、この情報を周囲に伝え、彼らの感情状態を調整する倫理的能力との組み合わせに結びついている。食物の成分を細かく区別し、新しい食物を含む食物の食用適性度を評価できる、感覚倫理内向(SEI、○(Si)▼(Fe))に対応する。
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7. Еда: что годится в пищу. Этот модуль в своем эволюционном развитии связан с максимально развитой, четырехмерной сенсорикой здоровья, распознаванием состава пищи, тонкими ощущениями, комфорта в сочетании с этической способностью сообщать эту информацию окружающим, регулировать их эмоциональные состояния. Соответствует сенсорно-этическому интроверту (СЭИ, ), умеющему тонко дифференцировать ингредиенты пищи, оценивать степень съедобности пищи, в том числе новой.
つまり、Bukalovは、SEIを、食べ物が食べられるかを細かく見分け、その情報を周りに伝えて人の感情を整える役として、人類の進化の中に置いているということです。健康の感覚と食物の成分の見分け、他者の感情状態を調整する能力という組み合わせは、SEIのモデルA配置(1:Si・2:Fe)と重なります。プロファイルで「繊細な感覚」と書いたものが、こちらでは食用適性の判定という具体的な機能として現れます。
動員状態—位置7が位置1を代行する実例
Bukalovは、ガス管の事故の場でSEIが指揮をとった例を、次のように書いています。
ある夜、街から150 km離れたタイガのどこかで、配管の弁が外れた。ガスの噴流が上に噴き出したが、火災にはならなかった。(中略)解決すべき問題が権限と責任の領域に入っていた部長はSLE(●(Se))であった。だがこの状況で最も創造的だったのは、別の部の副部長SEI(○(Si))であった。彼はすばやく主導権を握り、「これと、これと、これをしなくてはならない」と言った。そして皆が彼に従った—彼が最も上位ではなく、この問題で最も責任ある者でもなかったが、彼は状況をよりよく理解した。これはSEIの創造的振る舞いの瞬間で、彼は自身の意志感覚(●(Se)7)を非常に動員したため、それがSLEの意志感覚(●(Se)1)を抑えた—第7機能が第1機能を抑えたのである。(中略)すなわち動員状況では、役割は完全に交代しうる。
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Однажды ночью где-то в тайге, за 150 км от города, на трубопроводе сорвало заслонку. Струя газа рванула вверх, но без пожара. Индикаторы диспетчерской это видят, поэтому диспетчер тут же собирает совещание, вызывает начальников отделов. Мы стали свидетелями этих событий, так как иногда работали ночью. Начальник отдела, в сферу компетенции и ответственности которого и входил решаемый вопрос, был СЛЭ ( ). Но креативней всех в этой ситуации оказался СЭИ ( ) — зам.начальника другого отдела. Он быстро перехватил инициативу, сказав: «Надо делать то, то и то». И все его послушались, хотя он был не самый главный, и не самый ответственный по этому вопросу, но он лучше понял ситуацию. Это был момент креативного поведения СЭИ, который настолько мобилизовал свою волевую сенсорику ( 7), что она подавила волевую сенсорику СЛЭ ( 1) — 7-я функция подавила 1-ю. И СЛЭ даже не протестовал по этому поводу, а просто выполнял указания СЭИ, поскольку у СЛЭ была более нормированная структура. То есть в ситуации мобилизации роли могут совершенно поменяться.
言い換えると、緊急の場面では、SEIの位置7の意志感覚(Se)が強く働き、SLEを抑えて場を仕切ったということです。SLEは、位置1にSeを持つタイプです。Bukalovは、この場面を、動員状況では役割が入れ替わりうる例として挙げています。
06章でReininが極限状況の停止反応を書いたのと同じ条件下で、Bukalovは反対向きの現象を記録していることになります。ただし、これは1事例の観察記述で、SEIの通常の行動傾向として一般化されてはいません。
大洋的恍惚—Grofの周産期マトリクスに置き直されたSEI
Bukalovには、心理学者S.グロフの周産期マトリクス(BPM)理論をソシオニクスに結びつけた独自の論考もあります。ガンマクアドラの4タイプをBPM-IIIの「火山的恍惚」に対応づける文脈で、その対極にSEIが置かれます。
同時に「火山的恍惚」体験は、このまとまった自我ブロックに正確に対応し、機能上対立する—「大洋的恍惚」体験を特徴とするクアドラαの感覚倫理内向(SEI)の自我ブロックとは対照的である。
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При этом, переживание "вулканического экстаза" в точности соответствует этому цельному блоку ЭГО, в отличие от противоположного по функциям блоку ЭГО сенсорно-этического интроверта (СЭИ) из квадры 6, который характеризуется переживаниями "океанического экстаза".
つまり、Bukalovは、SEIの自我ブロックを「大洋的恍惚」の体験で特徴づけ、ガンマの「火山的恍惚」と機能のうえで対立する極に置いているということです。Bukalovは同じ論考で、アルファクアドラを、グロフの第一周産期マトリクス(BPM-I)に結びつけています。グロフによれば、「大洋的恍惚」はBPM-Iに典型的な平穏な体験です。
この記述は、プロファイルで書いた「最も不利な条件の中でも快適さを作り出すすべを知っている」という観察を、出生前後の体験の型という座標に置き換えたものと読めます。
理論的貢献の位置—モデルBと次元性
Bukalov自身のSEI個別記述は上のプロファイルが中心で、主要な仕事はモデルの拡張にあります。Bukalovは、意識機能を導入した経緯をこう書いています。
このように、標準的な線形情報モデルには上位の管理する意識機能が欠けている。そのため著者は1989年に、情報代謝諸機能の活動を管理し修正する上位審級機能としての「意識機能」概念を導入した[5]。
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Таким образом, в стандартной линейной информационной модели психики не хватает вышестоящей управляющей функции сознания. Поэтому автором в 1989 году было введено понятие функции сознания, как функции верхней инстанции, которая управляет и корректирует деятельность функций информационного метаболизма [5].
言い換えると、モデルAの8機能には全体を管理する機能が無いので、Bukalovはその上に「意識機能」を置いたということです。この拡張(モデルB)が1989年、機能の次元性の発見が1990年と、それぞれ本人の年代つきの起源主張があります。次元性はSEIの各位置の「能力の幅」を記述する考え方で、16章で詳しく扱います。
小括します。BukalovのSEI記述は、感覚の鋭敏さと他者の感情への配慮という直接プロファイルを中心に、同じ組み合わせを2度、別の理論に置き直しています。進化史の「食物モジュール」と、グロフの周産期マトリクスです。どちらもSEIの位置1・2(Si・Fe)というモデルAの配置と重なりますが、配置から導いたものではありません。これらと別に、動員状態の実例は、SEIの位置7(Se)が極限状況で他者(SLE)の位置1機能を一時的に代行するという、プロファイルには無い観察を加えています。
この章の要点は、研究者ごとのページに短くまとめています。
08Stratiyevskayaの記述
Vera Stratiyevskayaは、16タイプの長文プロファイルと、クアドラ・関係中心の著書『お別れしないために』で知られる研究者です。この章では、SEIの人物像の記述を並べます。筆致は断定が強く、能力の有無ではなく本人が内側で感じる負担の側から書くのが特徴です。理論編の要素定義は04章、双対(ILE)との関係記述は18章、クアドラの記述は17章で扱います。
なお、Stratiyevskayaは、SEIをソシオニクス式の4文字表記でISFpと書きます(19章)。以下の引用のISFpは、SEIのことです。
現実主義者—最も基本的で自然な価値
Stratiyevskayaは、SEIのプロファイルを、双対のILEとの対比から書き出しています。
ISFpはリアリストである(そうでなければ、ILE〔原文: ドン・キホーテ〕のような直観的な「夢想家」をどうやって補完できるだろうか?)。このタイプの人々は典型的に、人生の最も基本的で自然な価値観に方向づけられている:家族の安寧と繁栄、住みやすい家の維持、他者との良好な関係の保持である。
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Дюма — реалист. (А иначе, как бы он дополнял такого мечтателя и фантазера, как Дон-Кихот?) Дюма сориентирован на самые простые и естественные ценности: благополучие семьи, уютный дом, добрые отношения.
つまり、SEIは、家族の安寧や住みやすい家、人との良い関係といった生活の基本を大事にする現実的な人だとStratiyevskayaは見ています。位置1のSiが、具体的な快適さへ意識を向けさせると読めます。
また、定義から入らず、双対のILEを「夢想家」と置いて対比から書き出す点に、Stratiyevskayaの筆の運びが出ています。
対立の緩衝と「シャトル外交」
Stratiyevskayaは、口論の場でのSEIの振る舞いを、こう書いています。
深刻な口論や論争が始まった場合、ISFpは状況を和らげ、争っている人々の気をそらしたり、彼らを落ち着かせようとする。(この特性は、しばしば口論に巻き込まれ、それが喧嘩に発展する双対のILE〔原文: ドン・キホーテ〕の問題のある倫理的側面に向けられている。)もちろん、ISFp自身も対立する側との口論に引き込まれることがあるが、それでも敵意の状態は彼にとって根本的に不快である。まさにこの理由から、SEIは対立する当事者間の連結リンクとして行動することを好む(「シャトル外交の達人」)。SEIは和解し、説得し、誰かを納得させる機会を持てることを常に喜ぶ。SEIは非公式な手段で自分の事柄を取り計らったり、解決したりするのに長けている。
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Если при нем затевается ссора или спор, всегда старается разрядить обстановку, старается отвлечь спорщиков или успокоить их. (Качество, рассчитанное на проблематичную этику его дуала Дон-Кихота, постоянно затевающего спор, переходящий в ссору.) Разумеется, Дюма и сам может втянуться в ссору со своим конфликтером и тем не менее состояние вражды ему очень неприятно. Именно поэтому предпочитает выступать связующим звеном между враждующими сторонами. ("Мастер челночной дипломатии".) Всегда радуется возможности кого-то помирить, уговорить, убедить. Хорошо устраивает свои дела неофициальным образом.
言い換えると、SEIが争う人のあいだに立って和らげるのは、敵意のある状態そのものが根本的に不快だからということです。仲裁を美点としてではなく、居られない場から抜け出す動きとして説明する筋です。16章でKarpenkoが「マイナスに張りつめた感情の場の中では存在していられない」と書く記述と、同じ向きです。
仕事は「厄介な必要性」
Stratiyevskayaは、SEIの仕事への向き合い方を、こう書いています。
いかなる来たるべき仕事に対しても、好きな仕事でも、慣れ親しんだ絶えず行っている仕事でもあっても、ISFpはある種の厄介な必要性として見る—そしてこれがこのタイプの人々の最も深刻な問題の一つである。ISFpが創造的衝動の波に乗り、インスピレーションの影響下で、仕事の一部を容易に素早く完了させたとしても、それでも彼はそれを仕上げ、すべての細部を仕上げ、最終結果を確認しなければならず、そしてこれらすべてはもはや恐ろしい必要性なのである。
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На любую предстоящую ему работу, даже любимую, даже привычную и постоянную, Дюма смотрит как на обременительную необходимость — и это одна из его серьезнейших проблем. Даже если часть работы он уже выполнил легко, в творческом порыве, под влиянием вдохновения, все равно ему еще предстоит ее завершать, прорабатывать детали, проверять конечный результат, а все это — уже необходимость.
つまり、SEIにとって負担になるのは、仕事を始めることより、細部を仕上げて最終結果を確認する工程だということです。好きな仕事でも例外ではない、と全称で書くのがStratiyevskayaの断定の型です。超自我ブロックの位置4にTeがあることが、生活の水準で現れた形と読めます。
「私はどうなるのか」—将来への苦悩する考察
Stratiyevskayaは、SEIが将来について抱える問いを、こう書いています。
自分自身の将来、家族の将来、国の将来、社会の将来—これらはISFpを常に心配させるテーマである。しかも、ISFpはこの側面について具体的なプログラムを提示することができない。「私はどうなるのか?私たちはどうなるのか?」というタイプの質問は、SEIにとって未解決のまま残り、しばしば彼の考察のテーマとなるように思われる。苦悩する考察である。(例として、エルダール・リャザーノフの映画『約束された天国』と『予言』がある。)
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Его собственное будущее, будущее его семьи, его страны, его общества — тема, которая его постоянно волнует. Причем конкретной программы по этому аспекту Дюма предложить не может. Вопрос "Что же с нами будет?" всегда остается для него неразрешимым, всегда остается областью его размышлений. Его мучительных размышлений. (Пример: фильмы Эльдара Рязанова "Небеса обетованные" и "Предсказание".)
言い換えると、SEIは、自分や家族、社会の将来をいつも気にかけながら、その答えを具体的な計画として出せないということです。Stratiyevskayaは、これを能力の欠如としてではなく、本人が内側で抱え続ける問いとして書いています。
末尾でリャザーノフの映画2本が例に挙がるのは、Stratiyevskayaが映画や戯曲の場面をタイプ記述の例に使う手法の一例です。
外面と内面の落差—社交場での秘匿
Stratiyevskayaは、あまり親しくない場でのSEIを、こう書いています。
あまり親しくない社交場では、SEI〔原文: デュマ〕は特に自分に注意を引かないように努め、行動するよりも観察する方が多い。外面的には常に穏やかで、均衡が取れ、自信を持っているように見える。表面的な開放性に反して、内面的には秘密主義で疑り深い。しばしば「腹に一物ある」人物の印象を与える。実際、SEI〔原文: デュマ〕は自分について余計なことを口走ることを恐れている。
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В малознакомом обществе Дюма старается не привлекать к себе особого внимания, больше наблюдает, чем действует. Внешне всегда кажется спокойным, уравновешенным, уверенным в себе. При кажущейся открытости внутренне скрытен и недоверчив. Часто производит впечатление человека "себе на уме". И действительно, Дюма боится сболтнуть о себе что-нибудь лишнее.
つまり、SEIは、外面は穏やかで自信があるように見えても、内面は秘密主義で疑り深いということです。対立を和らげる側に立つ人物が、親しくない場では観察する側へ退きます。05章でアウシュラが「真の自分自身の感情は七重の鍵の下」と書いた記述と、同じ方向を向いた観察です。
小括します。StratiyevskayaのSEI記述の特徴は3つあります。第一に、快適さも仲裁も、価値や美点としてではなく、そうでない状態に居続けられないという負担の側から書くことです。第二に、弱いとされる領域を能力の欠如で説明せず、仕上げの工程の負担や「私はどうなるのか」という問いの持続に置き換えることです。第三に、双対のILEとの対比から書き出し、映画の場面を例に挟む手法です。断定の強い文体は他の研究者より目立ちますが、そのぶん観察の粒度も細かくなっています。
この章の要点は、研究者ごとのページに短くまとめています。
09Filatovaの記述
Ekaterina Filatovaは、簡潔な4機能の枠組みと、写真資料を併用したタイプ記述で知られる研究者です。彼女はSEIを主導(Si)・創造(Fe)・脆弱(Te)・暗示(Ne)の4機能で記述します。IIIとIVは、現行の位置4・位置5です(03章)。この章では、『ソシオニクスの鏡の中の人格』のSEI章から、人物像の記述を並べます。サブタイプは20章、識別問題は21章で扱います。
体調こそが何より重要
Filatovaは、SEIの主導機能の内容を、こう書いています。
SEIにとって、体調こそが何より重要である。この概念には、自分の身体感覚、自身の健康・不健康、食べ物とその調理に関わるすべて、職場を含めた周囲の環境の快適さと美しさ、衣服の着心地とその美的側面が含まれる。
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Для СЭИ самочувствие — самое главное. В это понятие входит и ощущение своего тела, собственного здоровья и нездоровья, все, что касается пищи и ее приготовления, комфортность и красота окружающей обстановки, в том числе и на работе, удобство и эстетичность одежды.
言い換えると、SEIにとっては、体の感覚や健康、食べ物、身の回りの心地よさ、服の着心地が、何より大事なことに含まれるということです。
また、Filatovaはこの節で、身体を快楽を得るための自然からの贈り物と捉えるとも書いています。そのため、体調への注意は、自己管理の義務というより、受け取ったものを活かす態度として位置づけられます。食についても、満腹のためではなく味わい楽しむ対象として、美的な仕上げまで含めて書かれます。
感情面の美食家と、「仲介者」という名の由来
創造機能の外向倫理(Fe)を、Filatovaは対立への態度から、こう書きます。
関係における緊張状態はどのようなものであれSEIにとって辛いものであり、そのためあらゆる手を尽くしてそれを避けようとする。彼の面前で対立が激化すれば、彼は仲介者となり、対立する双方を和解させようと最大限の努力を払う。もし圧力をかけられれば、あらゆる問題を穏便に収めるためにいったんは引き下がるが、その後は結局のところ自分のやり方で、最小限の損失で目的を達成する。彼は不快な思いをすることをひどく嫌うため、自分の不幸に囚われすぎない術を心得た人を評価する。
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Любую напряженность в отношениях СЭИ переживает тяжело, поэтому всеми силами старается ее избежать. Если в его присутствии разгорается конфликт, он приложит максимум усилий, чтобы стать посредником, примирить враждующие стороны. Если на него пытаются надавить — идет на попятную, лишь бы все проблемы уладить миром, но потом все равно действует по-своему, достигая цели с наименьшими потерями. Он очень не любит огорчений, поэтому ценит в людях умение не сосредоточиваться на своих бедах.
言い換えると、SEIは、対立を和らげようといったん引き下がっても、最後には自分のやり方で目的を果たすということです。仲裁に入る行動と自分のやり方を通す行動が同じ段落に並び、従順さだけの記述にはなっていません。
また、書籍の別の箇所では、この能動面がさらに強く書かれます。他人の感情を自分に有利なようにさりげなく操る力や、自分の平穏を脅かす存在を取り除こうとする動きまで含まれます。
Filatovaは、この対立緩和の働きから、SEIが「仲介者」という通称を得たと説明します。名が行動記述の側から与えられている点は、12章でGulenkoが同じ語をSEI記述の中心に据えることとも重なります。
実務論理の弱さと、金銭の帰属論争
脆弱(III)の外向論理(Te)について、Filatovaは職場での振る舞いをこう書きます。
実務論理(外向論理)の弱さは、時間と労力の消費を抑えつつ、考え抜かれた合理的なやり方で行動することが不得手な点に現れる。職場の環境において、SEIは望みをかなえるためにしばしば個人的な関係に頼る。上司とは可能な限り距離を置こうとし、コミュニケーションにおいて必要な距離感を見事に選び取る。可能な限り、実務の領域でも倫理型としての自分の強みを活用する。仕事の状況が思わしくない場合、彼が強引に押し通すことは決してなく、むしろ自分のやり方を通すための迂回路を探そうとする。そして、その仕事がどうしても気に入らない場合には、単にそれをサボってしまう。これは、アンヌがセシルを、教科書に向かってではなく鏡の前でくるくる回っているところで見つける、次の小説の一場面に、かなり説得的に描かれている。
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Слабость деловой логики проявляется в неумении действовать продуманно, рационально, с малой затратой времени и сил. В служебной обстановке СЭИ часто опирается на личные отношения, чтобы добиться желаемого. Начальства старается, по возможности, избегать, прекрасно умеет выбрать необходимую дистанцию в общении. Где это только возможно, в деловой сфере использует свои сильные качества этика. Если обстановка на работе складывается неблагоприятно, он никогда не пойдет напролом, а постарается найти обходные пути, чтобы сделать все по-своему, а если работа ему категорически не нравится — просто отлынивает от нее. Достаточно убедительно это описано в следующем эпизоде романа, когда Анна застает Сесиль в ее комнате не за учебниками, а вертящейся перед зеркалом:
つまり、SEIは、合理的に段取りを組むのが苦手なぶん、人との関係や倫理型としての強みで補うということです。上司との距離の取り方、迂回路の探索、個人的な関係への依存は、いずれもその具体例です。
引用の末尾が指す小説の場面は、サガン『悲しみよこんにちは』で、セシルはその登場人物です。Filatovaは同じ人物を主導ブロックの例にも使っています。
また、この位置づけから、Filatovaは金銭の扱いをめぐる学派内の論争にも加わっています。
ソシオニクス研究者の間では時折、お金をどちらの機能に帰属させるべきか—論理か、それとも感覚か—という論争が起こる。実務論理が弱い領域に属するSEIの実利性から判断すると、お金や損をしない術は、むしろ感覚の領域に属するように思われる。
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Иногда между социониками возникает спор по поводу того, к какой из функций следует отнести деньги — к логике или к сенсорике. Судя по практичности СЭИ, у которого деловая логика принадлежит к слабой сфере, деньги, умение не прогадать относятся больше к сенсорной области.
言い換えると、Filatovaは、実務論理が弱いSEIでも金銭には実利的なことを根拠に、お金を扱う力は論理より感覚に属すると考えているということです。金銭をどの機能に帰属させるかは決着していない、とFilatova自身が明示したうえでの見方です。このように、タイプ記述が要素の定義そのものの議論に使われています。
今を生きる構えと、その内側にある将来への配慮
Filatovaは、暗示機能の外向直観(Ne)の節で、SEIの将来への構えをこう書いています。
快楽主義者であり、陽気な人間で、「いい気分を味わう」機会を逃さないSEIは、今この瞬間を生きており、周囲に対しては将来の問題など何もない人物であるかのように振る舞う。しかし、それが実際には彼を不安にさせていないとは言えない。この不安は多くの場合、自分の子供たちを人生のあらゆる浮き沈みに対して最善の形で備えさせようとする姿勢として現れる。その際、多くのSEIは、成功し安定した生活の最大の保証は良い教育を受け、将来性のある職業を身につけることだ、と正しく考えている。
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Эпикуреец, человек жизнерадостный, не упускающий возможности «словить кайф», СЭИ живет настоящим, играя для окружающих роль того, у кого нет проблем в будущем. Однако нельзя сказать, что оно его действительно не тревожит. Часто эта тревога проявляется в том, чтобы наилучшим образом подготовить своих детей ко всем превратностям жизни, при этом многие СЭИ справедливо полагают, что главная гарантия успешной и обеспеченной жизни — получить хорошее образование, приобрести перспективную профессию.
言い換えると、SEIは今を楽しんでいるように見えても、将来への不安を持ち、それを子どもの教育という形で表すということです。「将来の問題など何もない人物であるかのように振る舞う」という外面と、「実際には彼を不安にさせていないとは言えない」という内面が、同じ段落に並べて置かれます。
つまり、可能性を先取りする外向直観(Ne)が弱いチャンネルにあっても、将来への配慮そのものは消えません。08章でStratiyevskayaが「私はどうなるのか」という問いとして書いた領域を、Filatovaは行動の側から書いています。
実現の場—サービス業と芸術
Filatovaは、SEIに向く活動を、こう挙げています。
SEIに最も適した活動は、サービス業という概念の最も広い意味においてである。このタイプの人々の中には、優れた俳優、音楽家、画家も見られ、医療や教育活動にも成功裏に携わることができる。SEIはまた、デザイン、服飾デザイン、料理の分野でも自分の可能性をよく発揮する。
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Самая подходящая деятельность для СЭИ — сфера услуг в самом широком смысле этого понятия. Среди людей этого типа можно встретить и великолепных артистов, музыкантов, художников, они могут успешно заниматься медициной и преподавательской деятельностью. СЭИ также хорошо реализуют свои возможности в области дизайна, моделирования одежды, в кулинарии.
つまり、Filatovaは、体の心地よさや人の気持ちを整えることにつながる仕事に、SEIが向くと見ているということです。俳優・音楽家・画家・医療・教育・デザイン・料理は、いずれも身体的・感覚的な快や対人的な調整の延長線上に置ける領域です。22章で見る著名人リストが画家・作曲家・歌手・俳優に偏るのも、この適職記述と同じ発想から来ていると読めます。
外見の手がかり—柔らかく丸みを帯びた線
Filatovaはタイプ記述に本人写真の集合を添える手法を採り、外見にタイプの共通性が現れるという立場を取りました。SEIの外見記述はこう始まります。
この心理タイプの多くの代表者においては、自然があらゆる鋭い角を取り去り、全体の輪郭に非常に柔らかい線を与えたかのような印象を受けることがある(写真121、122、123)。そのためSEIは、顔と体型の柔らかく丸みを帯びた線によって特徴づけられる。
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Иногда создается впечатление, что Природа у многих представителей этого психотипа убрала все резкие углы, придав всему облику очень мягкие очертания (121, 122, 123), поэтому СЭИ характеризуется мягкими округлыми линиями лица и фигуры.
括弧内の写真番号は原書の図版参照です。言い換えると、SEIの顔と体型は、角のない柔らかく丸い線で見分けられるとFilatovaは見ています。この記述は、13章でMeged & Ovcharovが書く柔らかいまなざし、Beskovaが書く角のない動きと同じ方向を向いています。この方法論の評価は21章と23章で扱います。
小括します。FilatovaのSEI記述は、主導ブロックを体調・食・感情という具体的な生活領域で示します。また、弱チャンネルを能力の欠如としてではなく、倫理型としての強みによる代替戦略や、今を生きる構えの内側にある将来への配慮として書き直します。この章に固有の観察点は3つです。1つ目は、「仲介者」という通称の由来を対立緩和の行動に結びつけたことです。2つ目は、金銭の機能帰属という学派内論争に、タイプ記述を論拠として持ち込んだことです。3つ目は、同一の文学例を主導ブロックと弱チャンネルの双方で用いたことです。
この章の要点は、研究者ごとのページに短くまとめています。
10Yermakの記述
Volodymyr Yermakは、ソシオニクスをシステム工学の言葉で再定式化した研究者です。タイプを「情報代謝タイプ」と呼び、人物像ではなくモデルの帰結としてタイプを記述します。Yermakは、クアドラの一般的な特性を先に置き、そこから各タイプを1段落で書きます。この章では、その定式化の書き方と、彼の用語法を並べます。4ブロックの構成は03章、Si・Feの意味論は04章、系譜の要約は02章、次元性のパラメータは16章にあります。
1つの式で書かれるSEI
Yermakと共著者Roslankinaは、1999年の論文で、所属クアドラの社会的特性を先に置き(17章に引用)、そこから各タイプの節へ降ります。SEIの節の冒頭は次の1段落です。
心のTIM の社会的(人格的)特性:他人の気分を巧みに操り、快適な感情的かつ/もしくは身体的環境をよく理解し感じとり、自分の周囲に巧みに作り出す。これを行うのは、ある種の事物・現象の多様な可能性の中からポジティブで潜在的に好ましいものを見つけ出すために、明晰で論理的なシステム、近しい周囲を整えたいという欲求からである。
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Социальная (личностная) характеристика ТИМ: хорошо понимает и чувствует комфортную эмоциональную и/или физическую обстановку и умело создает ее вокруг себя, манипулируя настроениями других людей; делает это из желания привести в порядок ясную, логичную систему, ближнее окружение, чтобы среди множества различных возможностей найти позитивные, потенциально-предпочтительные.
上の引用にあるTIMは、情報代謝タイプのことです。言い換えると、SEIは、人の気分と身の回りの心地よさを整えることを社会での特性としているということです。その動機は、良い可能性を見つけ出して、近しい周囲を筋道立てて整えたいという欲求だと書かれています。
前半が自我ブロック(Si→Fe)、後半が超イドブロック(Ne→Ti)の活性化条件です。逸話も評価語もなく、要素の連鎖式と発動条件だけでSEIを規定します。アウシュラの一人称的な筆致(05章)や、Stratiyevskayaの映画の例(08章)と並べると、同じタイプについて何を書くかの選択そのものが研究者ごとに違うことが分かります。
「ペンネーム」という呼び方
Yermakは、2005年の単行本で、SEIの節の見出しを次のように立てています。
感覚倫理内向 —SEI— ペンネーム「デュマ」
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сенсорно-этический интроверт — СЭИ - псевдоним “Дюма”,
つまり、Yermakは愛称のデュマを「ペンネーム」と呼び、正式名(感覚倫理内向)と略号(SEI)の後に補足として置いています。愛称をタイプの本名ではなく便宜的な別名として位置づける用語法で、22章で見る愛称批判と方向がそろっています。
小括します。YermakのSEI記述には、人物像の描写がほとんどありません。あるのは、クアドラの一般式からタイプ固有の一段落への演繹と、正式名・略号・ペンネームという3通りの名称の整理です。なお、2005年の単行本『人を理解することを学ぶには』の付録にもSEIの節があります。ですが、ここまで引いた1999年の機関誌論文と同一原稿の異なる訳出である可能性が高いため、独立した2つの証言としては数えません(23章)。
この章の要点は、研究者ごとのページに短くまとめています。
11Karpenkoの記述
Olga Karpenkoは、キエフの国際ソシオニクス研究所でBukalovとともに活動し、機関誌の編集にも携わってきた研究者です。この章の主軸は、彼女がLissa Karjukとの共著で発表した「感覚倫理内向:自然観察の試み」(第25回国際ソシオニクス会議報告、キエフ2009年/機関誌2010年)です。
ここまでの研究者の記述は、いずれも16タイプの一項としてSEIを扱ってきました。一方、この論文は、SEIだけを主語にして直接観察から書かれた専論です。なお、彼女の機能番号は現行の位置番号と同じ対応です(第1機能=Si、第4機能=Te)。次元性の実例は16章、フィリモノフ由来のサブタイプは20章、否定と宣言の特性は15章、クアドラの時間感覚は17章で扱います。
アスペクト知覚—言葉にならない感じ
Karpenkoは1995年の機関誌論文で、8つの情報の側面(アスペクト)を、それを主導に持つタイプの側から描いています。Si(○)の節はSEIの一人称に近い筆致で書かれます。
感じ—これこそSEIの母なる元素である。会話中の活発な身ぶりでさえ、感じ取る表面積を増やそうとする試みなのだ。忘れてはならないのは、SEIにとってイメージは現実の直接の反映ではないということである(視覚的イメージ、ましてや言語的イメージ—絵や記述—の話である)。私たちの言語に言葉がない自分の感じ—濡れて冷たい窓ガラスに触れたとき手が何を感じるかを、どう説明すればいいのか—外は夕方で、雨で、タイヤがアスファルトをぴしゃぴしゃ打ち、街灯が水たまりに映っている、と語るほかない—これは全部、それとは別のことであり、同時にまさにそのことでもある—こうした感じは「絵」で説明するしかなく(絵を描ける者は幸いである)、そのうえでその絵を語るのだ。
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Ощущение - вот родная стихия СЭИ. Даже активная жестикуляция в разговоре - попытка увеличить ощущающую поверхность. Нужно помнить, что для СЭИ образы - не прямое отражение реальности (речь идет о зрительных, а тем более вербальных образах - картинках, описаниях). Свои ощущения, для которых нет слов в нашем языке - ну как объяснить, что чувствует рука, прикасаясь к мокрому, холодному оконному стеклу - только рассказать, что на улице вечер, дождь, шины шлепают по асфальту, фонари отражаются в лужах - это все не о том и о том же - ощущения эти приходится объяснять "картинками" (счастлив, умеющий рисовать), а затем рассказывать эти картинки.
言い換えると、SEIの感じは言葉にしにくく、伝えるには、そのときの周りの情景を語るしかないということです。04章で見たYermakの「快適」という1語の定義に対し、Karpenkoは同じ側面を伝達の困難の側から書きます。同じ論文でFeは「強度と曲率を持つ感情の場」として描かれ、その場のイメージは16章で見る位置2の3次元という割り当てに接続します。
記述の不足という出発点—専論の問題提起
SEI専論の冒頭で、Karpenkoは何年も繰り返してきたという指摘から書き起こします。
SEI(○(Si)▼(Fe))タイプはソシオニクスで十分に記述されていない—私はもう何年もこれを繰り返している。既存の記述はしばしばこのタイプを「彼は何の役に立ちうるか?」という立場から眺める。(中略)セルバンテスのサンチョ・パンサも、トールキンのサムも、見事に描かれてはいるが、不可避的に自分の双対—ドン・キホーテとフロド—の影に退く。ソシオニクスの記述でも、おおよそ同じことが起きている。
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Не первый год я повторяю, что тип СЭИ ( ) недостаточно описан в соционике. […] Санчо Панса Сервантеса или Сэм у Толкиена хоть и описаны блестяще, но неизбежно отступают в тень своих дуалов — Дон Кихота и Фродо. Примерно то же происходит и в соционических описаниях.
つまり、これまでの記述は、SEIを双対や周囲にとって何の役に立つかという立場からしか見てこなかったとKarpenkoは批判しています。サンチョ・パンサとサムという文学上の従者役への言及は、SEIが記述の主語ではなく、双対や周囲を補う脇役として書かれてきたことのたとえです。この専論は、その欠けたところを直接観察で埋める試みとして書かれています。
構えがタイプの発現に及ぼす影響—位置4と位置1
Karpenkoは2011年の論文で、バーンの交流分析に由来する4つの構え(私・あなた・彼ら・これ、それぞれ±)を、機能位置の発現条件として使います。第4機能Teについて、Karpenkoは次の例を挙げています。
例: (SEI)、第4機能はビジネス論理(■(Te)4)。両替所の前の状況で、お金を替えなければならない。ご存じのとおり、そこにあるのはややこしい端数だらけの数字である。「これ−」の人は、金額を概算してみようとさえしない。「計算してみて」と言われても—「いや、私は計算はしない。できないから」。
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Пример: (СЭИ), 4-я функция — деловая логика ( 4), ситуация у обменного пунк- та, надо поменять деньги, а сами знаете, какие там сложно-дробные числа. Человек с «Это–» даже не пытается прикинуть сумму: «Посчитай», — ему говорят. «Нет, я не считаю, у меня не получается».
引用中の「これ−」は事物への否定的な構えの記号です。言い換えると、事物に否定的な構えを持つSEIは、位置4のTeで扱う計算を、試しもせずに断ってしまうということです。
また、1999年の第4機能論では、同じ位置4に「ずっと経理部長になることを夢見ていた」という憧れの例も置かれています。そのため、弱い機能は失敗の場所であると同時に、個人的価値の隠し場所でもある、と書かれます。
さらに、構えは強い側の位置の働き方も変えます。Karpenkoは、位置1についてこう書いています。
構え「私−」の人々をかなり鮮明に特徴づける第一の特性(中略)それは、第1機能の発現における一定の自信のなさである。(中略)たとえば「私−」の(SEI)は、白い感覚(○(Si)1)による評価において—自分の資質についても周囲の人々の資質についても—一定の慎重さを示すことが見いだされる。つまり、そのような人は、このアスペクトについて他の人々に助言することにあまり積極的ではなく、その判断には、まさに白い感覚による評価が話題になるとき、仮定法がずっと頻繁に現れる。同じことが(IEI)や(ILI)—第1機能が白い直観(△(Ni)1)—にも起きる。彼らは、状況の展開について自分の意見を述べることを避けるか、きわめて慎重にそれを行うようになる。
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Первая особенность, характеризующая достаточно ярко людей с установкой «Я–», что, возможно, и привело Бёрна к мнению, что установка «Я–» — патологическая, — это определенная неуверенность в проявлениях 1-й функции. Эта фраза может показаться странной, и тем не менее, если мы посмотрим на таких людей и сравним их поведение с по- ведением тождиков, то обнаружим, что, например (СЭИ) с установкой «Я–» проявляют определенную осторожность в оценках по белой сенсорике ( 1) как своих качеств, так и ка- честв окружающих. То есть, такой человек не очень активен в советах другим людям по этому аспекту, в его суждениях гораздо чаще встречается сослагательное наклонение, когда речь идет об оценках именно по белой сенсорике. То же самое происходит с (ИЭИ) или (ИЛИ), у которых первая функция — белая интуиция ( 1), — они будут уклоняться от высказывания своих мнений по поводу развития ситуации или делать это крайне осторожно
つまり、「私−」の構えのSEIは、得意なはずの位置1のSiでも、人に助言するときに慎重になるということです。言い方も、仮定の形が多くなります。位置4では計算そのものを拒み、位置1では強さは変わらないまま発言に慎重さが増します。06章でReininが第1機能を「確信の領域」と書いたのと同じ位置に、条件つきの自信のなさが記述されることになります。
このように、構えは特定の側面への態度を一様に決めるのではなく、位置ごとの機能の働き方に応じて別の形で現れる、というのがKarpenkoの主張です。
快適さとは何か—専論の定義
専論の本体では、自然・快適さ・話し方という主題でSEI像が描かれます。その中心にある快適さを、Karpenkoはこう定義しています。
多様で心地よい感覚的体験と肯定的な感情的刺激に満ちた生活—これこそSEIがめざす状態、理想であり、彼が力の及ぶかぎり作り出すものである。「快適さ(コンフォート)」—この言葉はSEIについて実によく使われる。しかしこのタイプの代表者たちの口では、「快適さ」とは外的な状況でも、しつらえでも、生活・交際・仕事の条件でもなく、何よりも、その条件が好ましい感情的雰囲気の創出と維持にどれだけ寄与するかである。生きる喜びの感覚が生まれるか?それは続くか?イエスなら—どんなに「つましい」条件でも快適である。ノーなら—どんな物質的「達成」も嬉しくない。
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Насыщенность жизни разнообразными приятными сенсорными переживаниями и положительными эмоциональными стимулами — вот то состояние, тот идеал, к которому стремится СЭИ, который он по мере своих сил создает. «Комфорт» — это слово очень часто применяется по отношению к СЭИ. Но в устах представителей этого типа «комфорт» — не внешние обстоятельства, не обстановка, не условия жизни, общения и работы, а, прежде всего, то, насколько эти условия способствуют созданию и поддержанию благоприятной эмоциональной атмосферы. Возникает ли ощущение радости жизни? Длится ли оно? Да — и даже самые «скромные» условия будут комфортными. Нет — и никакие материальные «до- стижения» не радуют.
言い換えると、SEIにとっての快適さは、物の条件より、生きる喜びを感じられる雰囲気がそこにあるかどうかだということです。位置1の感覚的体験と位置2の感情的雰囲気が、快適さという1つの状態として一体に扱われています。
また、同じ専論には、自然のなかでこそ感覚器官が全力で働くという観察や、思考の基本要素がイメージであり言葉は最後に来るという観察も置かれます。そのため、発話中に生じる休止は、言い淀みではなく、像から言葉への変換にかかる時間として説明されます。
理論面—ブロック結合と鏡像関係
Karpenkoの理論面の仕事は、モデルAの内部結合と小集団の構造にあります。Karpenkoは、鏡像関係を、SEIとESEを例にこう説明しています。
すなわち、ブロック結合には鏡像関係が対応する(図1.4)。(中略)対応するアスペクトによる絶えざる情報交換が起きることによって、その人ではブロック結合が活性化される、と言うことができる。たとえば(SEI)と(ESE)の間では、感覚的(○(Si))および感情的(▼(Fe))情報の交換が絶えず進行している。水平ブロックにある機能ペアの活動性は、いくらか平準化される。(中略)それゆえ、この種のスキームは、鏡像関係だけでなく、この関係にあるTIMたちの状態をも表現している。
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Так, блочным связям соответствуют зеркальные отношения (рис. 1.4)〔中略〕Можно сказать, что у него активируются блочные связи за счѐт того, что происходит постоянный обмен информацией по соответствующим аспектам. У (СЭИ) и (ЭСЭ), к примеру, постоянно идѐт обмен сенсорной () и эмоциональной () информацией. Активность пары функций, находящихся в горизонтальных блоках, несколько выравнивается.〔中略〕Поэтому такого рода схема выражает не только зеркальные отношения, но и состояние ТИМов, находящихся в этих отношениях.
上の引用にあるTIMは、情報代謝タイプのことです。言い換えると、SEIとESEのような鏡像の2人のあいだでは、感覚と感情の情報がいつもやりとりされ、同じブロックの2つの機能の働きの差が小さくなるということです。
このように、Karpenkoは関係の記述を、タイプの性質の話ではなく、モデル内部の機能の活動性の変化として書きます。18章で見る関係記述の、理論の前提になる考え方です。
方法の選択と、既存記述への反論—専論の結び
論文の冒頭でKarpenkoは、このテーマをなぜ自分で引き受けたかを説明する中で、記述の方法についても立場を明らかにしています。
同僚たちのもっともな指摘—なら自分で書けばいい—に対して、私は「タイプを『自分から』書くわけにはいかないでしょう」と答えてきた。そこへ運命が私に、自分の2人の同一タイプの相手(と自分自身)の振る舞いを、近い距離から、かなり長い時間観察する機会を贈ってくれた。自然は白い感覚型にとって最も自然な環境だから、状況は、タイプ特徴のまさに自然な、強いられていない発現に味方していた。(中略)私が語りたかったことは、モデルAの枠に収めて、ブロックからブロックへ、機能から機能へと順に解剖していくこともできたはずである。しかし私はそうしなかった。まずスライド・フィルムができて、テキストは写真に結びつき、論理的ではなく連想的な順序に従った。倫理型なら分かってくれるだろうし、論理型は自分で情報を構造化できる。
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На резонные замечания коллег: вот возьми и напиши, я отвечала, что не станешь же писать тип «с себя». И тут судьба мне подарила возможность наблюдать поведение своих двух тождиков (и свое собственное) с близкого расстояния и довольно длительное время. Природа — наиболее естественная среда для белых сенсориков, так что обстоятельства бла- гоприятствовали именно естественным, не вынужденным проявлениям типных особенно- стей. Так появилось название, затем идея стала обрастать текстом, вспомнились многие жизненные и рабочие ситуации. В размышления о типе СЭИ вошел весь мой опыт общения с представителями этого типа в повседневной ли жизни или в процессе экспертно- консультационной работы, а также информация из бесед с коллегами и из литературы. В итоге сложилось сообщение на конференции [5]. По форме это сообщение, я надеюсь, не очень походило на доклад. То, что я хотела рассказать, можно было бы уложить в рамки мо- дели А и последовательно разобрать, переходя от блока к блоку, от функции к функции. Но я не стала этого делать. Вначале появился слайд-фильм, текст оказался привязан к фотогра- фиям и следовал ассоциативной, а не логической последовательности. Этики поймут, а ло- гики в состоянии структурировать информацию сами.
つまり、Karpenkoは、同じタイプの2人と自分自身を自然のなかで長く観察し、その記述をモデルAの順ではなく連想の順に並べたということです。冒頭の問題提起(既存記述はSEIを「何の役に立ちうるか」の側から見てきた)と対になる選択で、機能の一覧に当てはめない書き方そのものが、この専論の主張の一部になっています。「自分の2人の同一タイプの相手(と自分自身)」という一節は、書き手自身がSEIであることを示す自己言及でもあります(22章)。論文の結びでは、この専論を書く動機に直結する実例が示されます。
M. ドリョーミナ(G. シュリーマンへの手紙[8]から):「SEI〔原文: デュマ〕は〈一部のソシオニクス記述では〉、なんだか出来そこないの、無骨な間抜けです、失礼。SEI〔原文: デュマ〕の女性は、理由もなく大笑いするか涙をこぼすかする、頭のゆるい、跳ねまわるおでぶちゃん(中略)要するに、はすっぱな小娘、田舎者、乳と尻のドゥルシネーア。そして女性らしさ、柔らかさ、流れるようなしなやかさ、可塑性、共感性、駆け引きと美しいバーチャルなロマンスへの傾き—こういう資質は、あたかも繊細な直観型の専有物だというのです。感覚型はエキストラとスポーツ選手にしか向かない、と」。
残念ながら、この発言の論争的な鋭さにもかかわらず、この種の反応には理由がある。
もしかすると問題は、SEIが、自分は実際よりも単純な人間なのだと、自分から信じ込む用意があることなのかもしれない。
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М. Дремина (из письма Г. Шульману [8]): «Дюма <в некоторых соционических опи- саниях> — какой-то недоделанный неотёсанный идиот, извините. Женщина-Дюма — какая- то «тыркня», хохочущая или пускающая слезу беспричинно, тупенькая такая толстушка- попрыгушка, изображающая ничего-на-самом-деле-не-значащий восторг по поводу «ум- ных» высказываний. В общем, озорная девка, деревенщина, Дульсинея с титями и попищей. А такие качества как женственность, мягкость, текучесть, пластичность, эмпатичность, склонность к интриге и к красивому виртуальному роману — это, якобы, удел утончённых интуитов. Сенсорики годятся только в статисты и в спортсмены». Увы, несмотря на полемическую остроту этого высказывания, причины для такой реакции есть. Возможно, проблема в том, что СЭИ готовы сами поверить в то, что они проще, чем есть на самом деле.
Karpenkoがここで引くのは、別の書き手による怒りの一節です。既存のソシオニクス記述の一部がSEIをどこまで戯画化してきたかを列挙した告発で、批判の対象としてそのまま提示されています。
これに対しKarpenkoが書き添えるのは、反論ではなく留保です。この種の反応には理由がある、と認めたうえで、原因の仮説として、SEIが自分は実際よりも単純な人間なのだと自分から信じ込む用意があることを挙げます。冒頭の「十分に記述されていない」という指摘が、ここで具体的な戯画の一覧として示され、しかも記述する側だけの責任にはされていません。
小括します。この章の主張は1つです。SEIは長いあいだ双対の影として書かれてきた、とKarpenkoは名指しし、その穴を直接観察で埋めようとしました。冒頭の問題提起、快適さの定義の書き直し、連想的な叙述順序の選択、結びの告発への留保は、すべてこの1点でつながっています。1995年の側面論と2011年の構え論は、その前後に置かれた別の仕事で、感じの伝達の困難と、位置ごとに違う構えの発現を書いています。関係論の側では、ブロック結合と鏡像関係の対応という理論的な整理を残しています。
この章の要点は、研究者ごとのページに短くまとめています。
12Gulenkoの記述
Viktor Gulenkoは、キエフで「人道主義ソシオニクス」学派を主宰する研究者です。読む前に、この章の位置づけをはっきりさせます。Gulenkoの体系は標準のモデルAから大きく離れた後発の独自体系で、独自のモデルG、DCNHサブタイプ、独自のタイプ名(SEIは「調停者」)を持ちます。影響力は大きい一方、用語が標準体系と紛らわしいため、この記事では本章に分離し、他章の記述と混ぜない方針を取ります。底本は『64の肖像』(2019年)と、Gulenko自身が執筆しwikisocionに掲載された「調停者」プロファイルの2系統です。DCNHサブタイプは20章で扱います。
プロファイルから—中庸という立ち位置
『64の肖像』のSEI概観は、特定の立ち位置の記述から始まります。
SEIは通常、コミュニケーションにおいて親しみやすく、感じが良い。彼女は自分自身と他者の快適さや楽しさを非常に大切にする。身近な人々に対しては配慮深く面倒見が良い。仕事のグループの中ではしばしば「黄金の中庸」の立場をとる。美しい物や形象、見慣れた快適な雰囲気を愛する。
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SEI is usually friendly and pleasant in communication. She is very considerate of her own comfort and enjoyment, and those of others. She is attentive and caring in relation to those close to her. She often takes the position of the “golden mean” in a work group. She loves beautiful objects and images, and a familiar, comfortable atmosphere.
つまり、SEIは、人づきあいでは親しみやすく、グループの中では目立ちすぎず沈みすぎない中ほどに立つとGulenkoは見ています。「黄金の中庸」は、Gulenkoが書籍とwikisocionプロファイルを通じて繰り返し使う語です。
Gulenkoは、この立ち位置を、SEIを見分ける手がかりとしても書いています。
SEIを同定するもうひとつの行動の特徴は、中間にとどまる傾向である—一番の中で自分を際立たせもしないが、最悪の中にいることもしない。この理由で、彼女は人を声に出して批判するのを嫌い、議論に介入せず、上司から離れていようとし、誰とでも親しい。彼女は自分自身のために、自分自身の目標に向かって働くときに限り、生産的に働ける。それ以外の場合、彼女は仕事で自分を過剰に負担せず、骨の折れる肉体的努力を避け、何も自分に強要しない。後者の場合、SEIは「才能ある怠け者」という評判を得るかもしれない。
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Another feature of behavior that identifies an SEI is the propensity to stay in the middle; to not distinguish herself among the best, but also not to be among the worst. For this reason she dislikes criticizing people aloud, does not intervene in arguments, tries to stay away from her bosses, and is friendly with all. She can work productively only if she is working for herself, towards her own goals. In all other cases, she doesn’t overburden herself with work, avoids strenuous physical exertion, and doesn’t force herself to do anything. In the later case, SEI may earn the reputation of being a “talented slacker.”
言い換えると、SEIは、自分の目標のために働くときはよく働き、そうでないときは無理をしないということです。中庸から、声に出して批判しない、議論に介入しない、上司から離れているといった行動が導かれます。さらに、そうでない働き方の場合には「才能ある怠け者」という評判を得るかもしれない、と条件つきで書かれます(引用の末尾)。
ここで書かれた条件を、Gulenkoは次の記述で反対側から補っています。
SEIは他の人々が彼女の援助を待っているとき、生産的に働く。彼女は自分の努力が気付かれ評価されることを非常に必要としている。賞賛されない場合や、自分の仕事の結果が肯定的な関係によって認められない場合、内面的に侮辱を感じる—もっとも、それを表に出さないかもしれないが。彼女は勤勉な人物である。
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SEI works productively if other people are waiting for her assistance. She very much needs her efforts to be noticed and appreciated. If she is not praised and the results other work are not acknowledged by positive relations, she feels offended internally, though she may not show this. She is an industrious person.
つまり、SEIは、人に頼られ、その努力が認められるときには勤勉に働くということです。同じ人物が、条件しだいで「才能ある怠け者」にも「勤勉な人物」にもなるという書き方で、その働き方を分ける条件は、他者からの承認だと読めます。評価が得られない場合の反応は内面の動きとして記述され、表に出す動きとは切り離されています。
向いているとされる分野も、同じ条件の延長にあります。Gulenkoは、こう書いています。
調停者は社会分野で最もよく自己実現する。有益なビジネスコンタクトの確立と維持が得意である。特定の個人のニーズに目を配る必要がある分野で成功する。SEIは社会のインフラストラクチャーの作成と維持の専門家である。彼は最高の供給者、小規模卸売の商人、小さな会社の責任者、マネージャー-外交官である。調停者は広告と出版、医療とサービスの分野でよく働く。品質評価者、デザイナー、オーガナイザーとしても優れている。
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The Mediator best realizes himself in the social sphere. He is well capable of establishing and maintaining beneficial business contacts. Successful in spheres where he needs to look out for needs of a specific individual. SEI is a specialist in creating and maintaining the infrastructure of society. He is the best supplier, trader of small wholesale, director of a small company, the manager-diplomat. Mediators work well in advertising and publishing, medical and service spheres. They make good quality evaluators, designers, and organizers.
言い換えると、SEIは、一人ひとりの必要に目を配り、人とのつながりを作って保つ仕事に向くということです。供給・小規模卸売・品質評価・広告は、いずれも人と人のあいだに立って需要を読む職種と読めます。
また、同じプロファイルは期待すべきでない点として、持続的な精力の発揮・高い一貫性・大規模チームの指揮・攻撃的な作戦への参加を挙げており、2つの一覧は表裏をなします。「調停者」というタイプ名が、この表裏の要約になっています。
モデルG—位置の意味づけが違う独自モデル
Gulenkoの体系がここまでの研究者と分かれる点はモデルGです。Gulenkoは、モデルGでのSEIの8つの位置を、次のように並べています。
- 管理 -S(Si) — 快適感覚 ○(中略)2. 創造 +R(Fi) — 関係倫理 ▽(中略)3. 役割 -T(Ni) — 時間直観 △(中略)4. ランチャー +L(Ti) — 構造論理 □(中略)5. 実演 -E(Fe) — 感情倫理 ▼(中略)6. 操作 +I(Ne) — 機会直観 ▲(中略)7. ブレーキ -P(Te) — ビジネス論理 ■(中略)8. 統制 +F(Se) — 力の感覚 ●(Se)
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1. Command Function -S — Comfort Sensation〔中略〕2. Realization Function +R — Relations Ethics〔中略〕3. Role Function -T — Temporal Intuition〔中略〕4. Triggering Function +L — Structural Logic〔中略〕5. Demonstrative Function -E — Emotional Ethics〔中略〕6. Dual Function +1 — Opportunity Intuition〔中略〕7. Braking Function —P — Business Logic〔中略〕8.Controlling Function +F — Force Sensation
記号の対応は、I=Ne、P=Te、F=Se、E=Fe、L=Ti、S=Si、R=Fi、T=Niです。つまり、モデルGでは、SEIの1番目が快適感覚(Si)、2番目が関係倫理(Fi)、5番目が感情倫理(Fe)という並びになるということです。
標準のモデルA(03章:Si・Fe・Ni・Te・Ne・Ti・Se・Fi)と並べると、一致するのは位置1(Si)と位置3(Ni)だけで、残り6つの位置は要素の割り当て自体が違います。ですが、番号の違いが中身の違いでないことは、5番目の本文を読むと分かります。Gulenkoは、この5番目の感情倫理を、こう書いています。
SEIは人間の感情の原因を理解する。さまざまな人をどう元気づけるか、どう怒らせるかを心得ている。気軽にコミュニケーションをとるとき、彼女は変わることなく親しみやすく楽天性を示す。親しい友人の輪の中で楽しむのを好む。ジョーク、ほのめかし、機知に富んだ言葉で、周りの人々を元気づけようと努める。彼女の思考は周囲の人々からポジティブな感情を引き出す方法に向けられる。論争、不一致、関係の解明を避け、誰とでも平和に暮らしたいと望む。対立の中心からは安全な距離を保つ。さまざまな噂、ゴシップ、センセーショナルな、あるいは興味深い情報の断片を集め、友人と共有する。彼女は常に自分のサークルの噂を知っているという具合になる。
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SEI understands the causes of human emotions. She knows how to cheer or anger different people. When communicating casually, she is invariably friendly and demonstrates optimism. She likes to have fun in a close circle of friends. She strives to cheer others around her with jokes, innuendo, and witticisms. Her thoughts are aimed at ways to produce positive emotions from those around her. She avoids disputes, disagreements or clarifying the relationship, and wants to live in peace with everyone. She keeps a safe distance from the center of conflict. She gathers and shares with friends different rumors, gossip, and pieces of sensational or curious information. She always happens to know the rumors of her circle.
言い換えると、SEIは、人の感情の原因を分かっていて、冗談や気のきいた言葉で周りを元気づけ、対立からは距離を置くということです。この内容は、標準体系のFe創造機能(位置2)の記述と重なります。
つまり、同じ観察が、モデルGでは位置5という別の番号に置かれています。番号で照合すると別物に見え、中身で照合すると同じ、という実例です。
精神のレベルを重ねたモデルと、標準体系から離れるという宣言
Gulenkoは、自分の学派のアプローチを、レベルの重なりとしてこう説明します。
人道主義ソシオニクスにおいて精神がどのように層が層の上に積み重なった立体的な体系として考えられているかを、より精確に見てみましょう—深い核、中間層、そして表層です。HSS のアプローチで考察される精神のすべての層の範囲は、次のようになります—ソシオタイプ(当サイトでいうタイプ)、サブタイプ、機能プロフィール、機能状態。
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Let’s look more precisely at how the psyche in Humanitarian Socionics is considered a volumetric system of layers stratified one upon another: the deep core, the middle layers, and the surface. The whole scope of the considered layers of the psyche in the HSS approach looks like this: sociotype, subtype, functional profile, functional state.
上の引用にあるHSSは、Gulenkoの人道主義ソシオニクス学派のことです。言い換えると、Gulenkoは、タイプの下にサブタイプ、さらに機能プロファイルと機能状態を重ねて、人の精神を捉えようとしているということです。
特に、安定的な組織的リーダーになるためには、ビジネス論理(P(Te))および/または力の感覚(F(Se))が機能プロファイルの中で強化されている必要があります。この場合、SLE(元帥)またはLSE(管理者)のタイプである必要はありません。このような機能の複雑性の強化は、どのタイプの代表者にも、レイニンの周知の特性とその意味において一致しない(あるいはむしろ部分的にしか一致しない)新しい二分法的特徴があるという事実につながりました。(中略)「機能」を強調するのは、これらのタイプが、ある特定のコミュニケーションの環境の中で機能する過程で生じるもので、標準的なソシオニクスのタイプが持つ、生まれつきの変わらない構造とは結びついていないからである。
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Such an intensification of the complexity of functions led to the fact that representatives of any type had new dichotomous features that did not coincide (or rather, only partially coincided) in their meaning with Reynin’s well-known features. […] I emphasize functional, as they arise in the process of functioning in a specific communicative environment and are not related to the innate and unchanging structure that a standard socionic type has.
つまり、Gulenkoの二分法は、特定の環境で機能を使うなかで生じるもので、レイニン特性とは一部しか一致しないと本人が書いているということです。そのため、Gulenkoの記述を標準体系のSEI理解に流用すると、出所の違う主張が混ざります。この記事が本章を他章と分けているのも、この本人の申告に従ったものです。
小括します。GulenkoのSEI記述の中心にあるのは中庸で、そこから承認への依存と仲介職への適性が派生します。ただし書籍もwikisocionプロファイルも同一著者の筆によるもので、複数資料での一致は独立した証言の一致ではありません。その下部構造であるモデルGの位置の並びは、標準のモデルAと一致するのが8位置中2位置だけです。中身が同じ観察でも番号が違うため、本章の記述を他章と混ぜて読むと出所が分からなくなります。
この章の要点は、研究者ごとのページに短くまとめています。
13その他の論者の記述
主要な研究者以外にも、SEIのプロファイルは多くの論者が書いてきました。この章では、記述の系譜を補完する小さめの資料を著者ごとに短く引用します。記述の確度・知名度には幅があり、コミュニティサイトや複数の呼び名を編纂した資料も含まれます(出典行で区別できます)。目的は網羅ではなく、観察の一致点と記述ジャンルの多様さを示すことです。
Weisband—初期ハンドブックの記述
Weisbandは、アウシュラの資料に基づく初期のハンドブックで、SEIをこう書いています。
彼は友好的で、常に楽観的で機嫌が良く見える。彼は他者に自分の意志を押し付けず、本当の気持ちを隠す。彼は常に同様に温かく、思いやりがあり、微笑んでいる。彼は頼みごとをすること、まして要求することを好まず、自分自身の努力でニーズを満たそうとする。
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He is amicable, always appears optimistic and in a good spirits. He does not impose his will on others, hiding his real feelings. He is always equally warm, caring, smiling. He does not like to ask and moreover to demand favors, and strives to satisfy his needs through his own efforts.
言い換えると、SEIはいつも温かく機嫌よく見えますが、本当の気持ちは隠し、人に頼まずに自分の努力で必要を満たすということです。自分で満たそうとする姿勢は、主導機能とされるSiの自足的な満たし方と重なる例と読めます。
Prokofieva—強みと弱点を対で示す記述
Prokofievaは、SEIの強みを次のように書いています。
感覚倫理型内向(SEI) は、合意と妥協の達人と呼ぶことができる。彼の人生の信条は、他の人々が同じことをするのを邪魔せずに、自分の人生を十分に楽しむという可能性の中にある。原則として、このタイプの代表者たちは居心地よく整えられた家を持ち、そこで心も魂も、そして身体もくつろぐことを好む(感覚の感覚が基盤機能)。(中略)友人たちとの会話や交流の中で、SEIはしばしばその場の盛り上げ役、冗談を飛ばす人、社交の進行役になる(感情の倫理が創造機能)。
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Сенсорно-этического интроверта (СЭИ) можно назвать мастером компромиссов. Жизненное кредо СЭИ заключается в возможности полнокровно наслаждаться жизнью и не мешать это делать другим.
つまり、SEIは、居心地のよい家でくつろぐことを好み、人と集まる場では盛り上げ役になるということです。Prokofievaは、同じ記述の中で弱点も書いています。
SEIの欠点は、重要な戦略的決断を下す能力が弱いことにある。SEIはしばしば、重大なプロジェクトや仕事に取り組むための忍耐力、粘り強さ、先見性が不足している。SEIはその日暮らしであるため、将来に向けた長期的な結論に到達することが特に困難である(時間の直観と行動の論理が弱い機能)。
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СЭИ является отсутствие способности принимать важные, стратегические решения. Он не обладает упорством, настойчивостью и дальновидностью в ответственных делах. СЭИ живет одним днем, любые выводы на будущее для него особо мучительны (интуиция времени и логика действий " слабые функции).
言い換えると、SEIは目の前の日々を生きるので、長い先を見通した大きな決断が苦手だということです。強みの側は主導機能Siと創造機能Feに、弱点の側は弱いとされるNi・Teに、著者自身が括弧書きで対応づけています。「合意と妥協の達人」は、対立を避け場を和らげる働きを短く言い表した言葉と読めます。
Meged & Ovcharov—まなざしの記述
サブタイプ理論(20章)の提唱者でもある2人のプロファイルは、視覚的な描写から入ります。Meged & Ovcharovは、SEIのまなざしをこう書いています。
SEIは典型的に柔らかく、親切で、受容的なまなざしを持ち、それはかなり表情豊かである。時にその視線は素早く動き回り、すべてを注意深く観察する。時には注意深くまばたきもせず誰かを見つめ、また時には遊び心があり狡猾である。
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Appearance: The SEI typically has a soft, kind, receptive gaze that is quite expressive. Sometimes his gaze quickly moves around, carefully taking note of everything; sometimes it is attentive, staring at someone without blinking; and other times it is playful and sly.
つまり、SEIのまなざしは柔らかく受け入れる感じで、ときに素早くあちこちを見て、ときにじっと人を見つめ、ときにいたずらっぽくなるということです。同じ目の使い方を3通りに書き分けて型の手がかりにしており、外見からの同定を目指す記述です。その妥当性は21章で扱います。
Golihov—モットー式の機能記述と独自の番号体系
Golihovは8つの機能位置に「良い」「すべきこと」「欲しい」といった独自の名前を与え、各位置に一言のモットーを添えます。第1機能は、次のように書かれます。
第1機能「良い」― 主観的感覚。「私は自分の好みには詳しい」(中略)感覚的な生活の喜びに生き、あらゆるところでそれを自分のために探し求める:美味しい食べ物、快適な椅子、さまざまな心地よい生理的感覚。
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1 функция «Хорошо» - субъектная сенсорика. «Я – товарищ на вкус и цвет». Живут сенсорными радостями жизни и ищут их везде для себя: вкусная еда, удобное кресло, различные приятные физиологические ощущения.
言い換えると、SEIは、おいしい食べ物や座り心地のよい椅子など、生活の感覚的な喜びをあらゆるところで探して生きるということです。第2機能は、次のように書かれます。
第2機能「すべきこと」― 客観的倫理。「ええ、人を喜ばせる方法を知っていますし、もし誰かが誰かを好きでなくても、取り組みます」(中略)非常に巧みで繊細な人の感情の操縦者であり、策略家、心理学者であり、人を喜ばせることができ、それを自分の使命と見なしている。
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2 функция «Надо» - объектная этика. «Да, я умею нравиться людям, а если даже и не нравлюсь кому-то – то буду работать над этим». Очень умелый и тонкий манипулятор чувствами людей, интриган, психолог, умеет нравиться и видит в этом свое предназначение.
つまり、SEIは人の感情を巧みに扱い、人を喜ばせることを自分の役目と感じているということです。第1・第2の番号とラベルは、モデルAの主導Si・創造Feと一致するとされています。
一方、著者が「第4機能」と呼ぶ位置は、次のように記述されます。
第4機能「欲しい」― 客観的直観。「ああ、あなたにはもう調和のとれた完璧な世界があるの?家族も仕事も与えてくれて、あなたのところに行くわ!」(中略)外的な対立がなく、外的な調和があり、ポジティブな雰囲気がある場所を探し、それがない場所は避ける。
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4 функция «Хочу» - объектная интуиция. «Ах, у вас уже есть гармоничный, идеальный мир? Бросаю семью, работу и иду к вам!» Ищет себе место пребывания, где нет внешних конфликтов, где есть внешняя гармония, позитивная атмосфера и избегает мест, где этого нет.
言い換えると、SEIは、争いがなく雰囲気のよい場所を探し、そうでない場所を避けるということです。内容は引用の「客観的直観」、つまりNeで、SEIのモデルAでは位置5(暗示機能)です。そのため、著者の番号の「第4機能」は、モデルAの位置4とは別の位置を指しています。
socionics.ua—コミュニティサイトのプロファイル
ウクライナのソシオニクス系サイトのプロファイルは、SEIの他者への姿勢をこう書いています。
批判したり、強制的に他者を変えようとしたりすることはない—そばにいるだけで十分なのである。他の人々だけでなく、他の生き物にも自分自身を適応させることができる稀有な才能を持っている。生きて、生かす—これがSEIの基本原則である。
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He is not given to criticize or to forcefully try to change others –– it is enough for him to be near them. Possesses a rare gift of being able to adjust himself to other people, as well as to other living beings. Live and let live – this is the basic principle of SEI.
つまり、SEIは、人を批判したり変えようとしたりせず、そばにいるだけで足りると考えるということです。「生きて、生かす」という結語は、他者を変えようとしない姿勢を一言にした表現と読めます。
また、批判もしない、強制もしない、そばにいれば足りるという書き方は、他の論者が能力や技術として書いてきた対人的な調整を、原則の側から述べたものとも読めます。
Piatnitskiy—ブロック単位の記述
Piatnitskiyのプロファイルは、自我・超自我・超イド・イドの4ブロックに分けて記述する構成を取ります。超自我ブロックは、次のように書かれます。
超自我。 見通しを評価し、予測を行い、展開を予想する能力は、身につけたステレオタイプや、そのような問題を解決するための借用した手法に基づいている。時間や所要時間をステレオタイプ的に設定し、特定の状況に応じた期限の依存関係を常に考慮できるわけではない。(中略)そのため、事業活動の表現方法や作業の組織に関する批判には敏感になる。
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Super-Ego. Ability to evaluate the prospect, make a prediction, to anticipate developments based on the turned stereotypes borrowed techniques to solve such problems. The time and turnaround time appoint stereotypically, can not always take into account the dependence of the terms of the particular situation.〔中略〕So sensitive about criticism of the way of expressing the business activity and the organization of work.
言い換えると、SEIは、先の見通しや期限の設定を、自分で組み立てるより、身につけた型や借りてきたやり方で行うということです。弱いとされる機能(Ni・Te)が働かないのではなく、既製の枠組みを当てはめる形で働くという書き方です。そのため、仕事の組織や進め方を批判されると敏感になる、と続きます。この記述は、その借り物の枠組みが突かれる場面として置かれていると読めます。
Beskova—男女別の外見記述
Beskovaは、女性のSEIの外見を、こう書いています。
女性SEIは従来の女性らしさを体現している—礼儀正しく、柔らかく、魅力的である。「彼女が普段着を着ているときでさえ、異常なエレガンスが彼女の姿と立ち振る舞いに浸透している。」彼女の動きは角張ったり急だったりせず、優雅に流れる。
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Kind, courteous, soft - these are just a few of the adjectives that can be used to describe a typical female DUMAS. A charming femininity is characteristic for her, that would be complimented well by exquisite furs and headwear. Unusual elegance permeates her figure and bearing, even when she is dressed in her usual, daily clothing, since there is no angularity or abruptness in her movements. All her motion is graceful, softened, and smooth.
つまり、女性のSEIは、普段着でも優雅で、動きに角がなく流れるようだとBeskovaは見ています。Beskovaは男女それぞれを、外から見える徴候の側から描きます。角のない流れるような動きという記述は、09章でFilatovaが書いた「鋭い角が取り去られた輪郭」と同じ方向です。ただし、外見や体格、性役割への一般化を含む記述で、検証は困難です。
その他の論者
Blohinはキーワード列挙型のプロファイルで、肯定面(心地よい仲間、美しさ、心の平和、もてなし)と弱点面(激しい仕事活動の達成しにくさ、日常の仕事を他の人に任せること)を同列に並べます。12章でGulenkoが条件つきで使う評語と同じ言い回しが、弱点面の先頭にも置かれます。系統の違う資料に同じ語が現れる例です。
Voroschenkoは、モデルAを使わずに、精神医学でいう性格の偏り(アクセンチュエーション)の枠でSEIを記述します。この章で唯一の方式です。健常者の類型と臨床類型の対応づけという論点は23章で再論します。
Compositeは、複数の呼び名を冒頭に並べ、8つの機能位置を1から8までの通し番号で記述する編纂資料です。SEIの説明を、自我ブロックの2要素の連動として、こう書きます。
SEIは自我にSiとFeを持っており、これは自分の身体の内的雰囲気と、日常生活における周囲の外的雰囲気に極めて同調していることを意味する。これは実際には、SEIがSiによって与えられる人々やグループの身体的状態を感じ取る能力に基づいて、グループや個人の気分を高めるためにいつFeを使うべきかを知っていることを意味する。この組み合わせにより、対人関係に特に熟練している。
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SEIs have Si and Fe in their ego, which means that they are extremely attuned to the internal atmosphere of their bodies, and the external atmosphere around them in daily lives. This in effect means that an SEI knows when to use Fe to raise the mood of a group or an individual on account of their ability to sense physical states of people and groups gifted by Si. This pairing makes them especially skilled with interpersonal relationships.
言い換えると、SEIは、Siで人やグループの身体的な状態を感じ取り、それを手がかりにFeで気分を高めるときを選ぶということです。2つの要素を並べて列挙するのではなく、片方が片方の入力になるという順序で書いている点が、この資料の特徴です。ここまでの研究者が「仲介」「中庸」と呼んできた振る舞いについて、その働き方の側を説明した記述と読めます。
Zamanskaya・Socioscope—内面世界を語る記述
Zamanskayaは、SEIと内面世界のつながりを、こう書いています。
SEI〔原文: デュマ〕は、ソシオンの他のどの代表者よりも、自らの内面世界とのつながりがはるかに緊密である。このTIMは、生まれながらにして充実した本質を持ち、物理的世界のあらゆる側面と陰影に対する繊細な感覚を備えている。現実と直接的かつ感覚的に接触することで、SEI〔原文: デュマ〕は自らの知覚の豊かさを維持し向上させる。
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Связь Дюма со своим внутренним миром гораздо более тесная, чем у любого другого представителя социона. Этот ТИМ от природы обладает полнокровным и тонким ощущением всех граней и оттенков физического мира. Входя в контакт с окружающей действительностью непосредственно и чувственно, Дюма сохраняет и совершенствует богатство своего восприятия.
上の引用にあるTIMは、情報代謝タイプのことです。言い換えると、SEIは、自分の内面世界と強く結びつき、物の世界の細かな陰影まで感じ取る力を生まれつき持っているとZamanskayaは見ています。同じプロファイルは、その充実が日常でどう現れるかも書きます。
このタイプのほとんどの人々は創造的な性格であり、灰色の日々をシンプルで日常的な喜びと美の歓喜、そして人間のコミュニケーションの贅沢を含む人生の喜びに変える能力を持っている。デュマが「恋愛のアーティスト」と呼ばれるのは故なきことではない。
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Большинство людей этого типа " творческие натуры, обладающие способностью превращать серые будни в жизнь с удовольствием, включающем в себя и простые житейские радости, и наслаждение прекрасным, и роскошь человеческого общения. Не зря Дюма называют «художниками в любви».
つまり、SEIは、平凡な毎日を、ささやかな喜びや美しさ、人との交流で楽しいものに変えられるということです。「灰色の日々を人生の喜びに変える」という言い方は、09章でFilatovaが「感情面の美食家」と書いた面と重なります。文中の「デュマ」はSEIの愛称です。
もっとも文学的な一人称のプロファイルを書くのはSocioscopeです。
私は感覚の塊のようなものだ。私の体は感覚と感情だけで織られている。この「塊」は自然の中で超微細なものだ。だから私は特別でユニークな世界—原始的な調和の世界にいる。「黒い」衝動、悪、憎しみ、破壊的な要素—これらは私の調和の世界には馴染まないカテゴリーだ。そしてこれは単なる言葉ではない—それは心の状態だ。許してほしいが、感情はあるか、ないかであり、時々心がするように嘘をつくことはできない。
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I - like a bunch of feelings. My body is woven only of sensations and emotions. This “lump” - hyperfine of nature. So I’m in a special and unique world - a world of pristine harmony. “Black” impulses, evil, hatred, destructive element - categories that are alien to my world harmony. And it’s not just words - it’s a state of mind. Excuse me, but the feelings or is, or not, to lie, as it does sometimes mind, they can not.
言い換えると、SEIの内面は感覚と感情でできた調和の世界で、悪意や破壊はそこになじまないということです。Zamanskayaが内面世界との結びつきを説明的に述べるのに対し、Socioscopeは一人称の独白でそれを演じるように書きます。両者とも、主導機能Siの内的な感覚経験という同じ観察点を、異なる文体で扱っていると読めます。
小括します。小論者の記述は形式こそばらばらですが(モットー式、通し番号式、男女別、精神医学枠、キーワード列挙、一人称の独白)、中身には共通のモチーフが繰り返し現れます。快適さと調和を志向する主導機能Siの働き、対人的な気分の調整として表出する創造機能Fe、そして戦略的判断や見通しの弱さです。主要研究者の記述(05〜12章)と突き合わせると、観察の中身は重なります。一方で、機能の番号づけが著者ごとに食い違う例(Golihov)や外見・性別への一般化、臨床ラベルの流用など、方法論的に検証が難しい記述の伝統も、この小論者の資料群に集中しています。
14研究者間の差分を総括する
この章には新しい引用はありません。05〜13章で示した記述を、当サイトの責任で突き合わせます(根拠は各章の引用番号のとおりです)。
反復して現れる観測
研究者・時代・学派をまたいで繰り返される観測は、次の5つに整理できます。
- 感じ・快適さの知覚が中心にある。ユングの「主観的感覚構成要素の強度」、アウシュラの「感情と趣味で行う」、Yermakの快適な環境を作り出すという記述、Karpenkoの「母なる元素」、Filatovaの体調・食・環境の記述。語彙は違っても、引用した論者の多くがここから記述を始めます
- 感情の場の調整と対立の緩和。仲裁役・シャトル外交(Stratiyevskaya)、仲介者となり和解させる(Filatova)、対立の中心から距離を保つ(Gulenko)、衝突の早期沈静化(Reinin)
- 事務的・形式論理の領域が高コスト。仕事は「厄介な必要性」(Stratiyevskaya)、職場で個人的関係に頼る(Filatova)、経理・財務の回避と倫理を通した補い(Bukalov)、金額概算の困難(Karpenko)、論理の不均衡と補償(Talanov経由のFilatova解説)
- 外面の落ち着きと内面の見えにくさ。落ち着いた受動的な外見のために非合理な内的過程が外から見えにくい(ユング)、真の感情は容易に見せない(アウシュラ)、控えめな微笑み(Filatova)、脚光を避ける中庸の位置(Gulenko)
- 見通し・時間の領域の不安。「私はどうなるのか」という漠然とした不安(Stratiyevskaya)、予定破綻時の呆然(Reinin)、将来問題がないように振る舞う構え(Filatova)、時間直観の弱さ(Prokofieva)
ただし、この一致を独立した観測の収束と呼ぶことはできません。アウシュラ以後の研究者は同じ理論共同体に属し、用語も先行記述も相互に継承しているからです。継承の系譜は、ユングとKempinskiからアウシュラへ、アウシュラから後続研究者とWikisocion系の編纂へ、という02章のとおりです。
つまり、この5つは、相互に参照し合う文献系列の中で、論者・時期・記述様式を変えて反復されてきたモチーフです。その意味で、SEI記述の共有された部分と見てよい範囲です。
観測点の食い違い
一方で、単純に合成できない食い違いもあります。
第一に、受動と動員の扱いです。Gulenkoは中間にとどまる傾向と、消極的に評価される場合がある他者評(12章の引用)を記録し、Reininは極限状況での凍結を書きます。
他方で、Bukalovはガス管破損の実話で位置7(Se)の一時的な代行を、Karpenkoは否定と宣言の特性によるSEIの号令・動員能力を書きます。平常時・危機時という条件の違いとして両立させる読み方はできます。ですが、それは当サイトの整理で、原典どうしが互いを参照しているわけではありません。
第二に、「合理主義」の語をめぐる字面上の緊張です。SEIは基礎二分法では非合理型に置かれますが(15章)、Reininの助言記述には「過度の合理主義」が恋愛で裏目に出るという一節があります。日常語の合理主義(計算・慎重さ)と類型区分の合理/非合理は語の水準が異なると読む余地があり、Reinin自身は両者の関係を説明していません。
第三に、記述の量と質の偏りです。Karpenkoは「SEIはソシオニクスで十分に記述されていない」と明言し、既存記述が「彼は何の役に立ちうるか」という視点に偏ってきたと批判します。この批判自体が、05〜13章で見た記述の薄さ・双対文脈への依存と整合しています(23章で再論します)。
記述ジャンルの偏り
05〜13章の資料は、記述の様式が研究者ごとに違います。何を、どの様式で書いたかを並べると、次のようになります。
- アウシュラ: ブロック構造と双対文脈を、一人称と逸話で
- Reinin: 符号付き機能番号と状況別助言を、観察と助言で
- Bukalov: 実務場面の実話と独自モジュール論を、プロファイルと理論で
- Stratiyevskaya: 負担の在り処と生活例を、長文の断定と映画の場面で
- Filatova: 生活領域(体調・食・感情)を、簡潔な記述と写真で
- Yermak: モデルからの演繹を、定式だけで
- Karpenko: 微細な行動観察(SEI専論)を、論文と現象学で
- Talanov: 特性グループの均衡性(Filatova経由)を、心理測定(別体系)で
- Gulenko: エネルギーと役割を、独自体系で
演繹だけで書くYermakと、一人称の独白で書くSocioscopeのあいだに、引用した論者はこの幅のどこかに位置します。そのため、どの様式の記述を読んでいるかを意識することが、原典を扱う最低限の作法になります。
この総括の使い方
SEIについて確からしいのは、複数の文献に反復して現れる5つの観測です。逆に、単一の研究者にしか現れない記述(大洋的恍惚、写真による同定、無意識の神話的世界)は、その研究者の主張として帰属つきで扱う必要があります。
15二分法から見るSEI
二分法は、16タイプを8対8に分ける切り口です。基礎になる4つ(外向—内向、直観—感覚、論理—倫理、合理—非合理)はユングの類型論に由来し、SEIは内向・感覚・倫理・非合理に属します。その後Reininが、この4つを含む15の特性へ拡張しました。
基礎の4二分法
ユングは、外向をこう定義しています。
対象や客観的事実への指向性が非常に強く、最も頻繁に行われる重要な判断や行動が、主観的な価値観ではなく客観的な関係性によって決定される場合、これを外向的態度と呼ぶ。
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when the orientation to the object and to objective facts is so predominant that the most frequent and essential decisions and actions are determined, not by subjective values but by objective relations, one speaks of an extraverted attitude.
言い換えると、外向とは、判断や行動が、自分の価値観より客観的な関係で決まる構えだということです。SEIの「内向」は、この定義の対になる構えで、判断と行動が客観的関係より主観的要因に方向づけられます。02章・04章で見た「主観的感覚構成要素の強度」が、その感覚版でした。
ユングは、非合理という語について、定義の章でこう断っています。
私がこの語を使うとき、それは理性に反するものではなく、理性の領分の外にあるもの—したがってその本質が理性によっては基礎づけられないもの—を指している。
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As I make use of this term it does not denote something contrary to reason, but something outside the province of reason, whose essence, therefore, is not established by reason.
つまり、非合理とは、理性に反することではなく、理性で基礎づけられる範囲の外にあるものだということです。SEIが非合理型であるとは、判断機能(Fe)ではなく知覚機能(Si)が主導だという構造の記述で、不合理という評価語ではありません。
ソシオニクス側の定義として、Stratiyevskayaは、合理型と非合理型をこう書いています。
合理的人格タイプは合法則的なものに方向を定める—そのため彼らは周囲の環境と一貫して、計画的に、合法則性を観察しつつ、結論に基づいて相互作用する。あらかじめ自分の行動を考え、置かれる状況をあらかじめプレイし、何より重要なのは、そこからの出口を考え抜こうとする傾向で区別される。(中略)非合理タイプは予測不能、振る舞いの自発性で区別され、即興の状況においてよりよく感じ、合法則性ではなく偶然性に多く方向を定める。
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Рациональные типы личности ориентируются на закономерное — поэтому они взаимодействуют с окружающей средой последовательно, планомерно, наблюдая закономерности и основываясь на выводах. Отличаются стремлением заранее продумывать свои действия, заранее проигрывать ситуацию, в которую они попадут, а главное — продумывать выход из нее. […] Иррациональный тип отличается непредсказуемостью, спонтанностью поведения, он лучше себя чувствует в импровизированной ситуации, больше ориентируется на случайности, а не на закономерности.
言い換えると、非合理型は、計画して結論から動くより、その場の偶然や即興に合わせて動くとされています。SEIも、この非合理型の側に入ります。
また、Stratiyevskayaは、4つの二分法の組み合わせからSEIを導く行を、タイプの一覧の中に残しています。
- 非合理、内向、感覚、倫理—「デュマ」(SEI)
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8. Иррациональный, интровертный, сенсорный, этический — "Дюма"
つまり、非合理・内向・感覚・倫理の4つの組み合わせが、そのままSEIになるということです。引用中の「デュマ」は、SEIの愛称です。
レイニン特性の誕生と、SEIの帰属
15特性への拡張の経緯を、Reinin本人が一人称で語っています。
きっかけは、アウシュラの仕事『人間の双対的本性』でした。そこには「貴族/民主」という特徴が記述されていたのです。ここからすべてが始まりました。(中略)こうした特徴が11個あり、ユング的なものを合わせて全部で15個だ、ということでした。
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Толчком послужила работа Аушры «Дуальная природа человека». В ней был описан признак «аристократы-демократы». Вот с него все и началось. […] Математически оказалось, что таких признаков одиннадцать, а всего – вместе с юнговскими – пятнадцать.
言い換えると、レイニン特性は、アウシュラが書いた「貴族/民主」の特徴から始まり、ユングの4つと合わせて15になったということです。
アウシュラ自身も、この特性群についての論考を残しています。次の引用は、その中のタイプの括りから、SEIが入る行を抜き出したものです。
民主主義者オクターブ:(中略)実践的活動家・実務家のクラブ:SEE, ESE, SEI, ESI
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В октаве демократов есть:〔中略〕Клуб практичных деятелей или деловых людей
つまり、アウシュラは、SEIを民主主義者の側の「実践的活動家・実務家」のクラブに入れているということです。貴族/民主の民主側と、感覚倫理の4タイプの括りが重ねられています。アウシュラはこの4タイプを、非実践的理論家のクラブ(ILEを含むNT側)と対比して「実践的活動家・実務家」と呼びます。
SEIの個別の特性への帰属で、名指しの記述が残っているものもあります。KarpenkoのSEI専論は、2つの特性を明示的に挙げます。
感覚的な観察力と否定の構えの結果、SEIは状況の発生前からすでに状況への備えができている。宣言タイプ的な発話の流儀も一定の役割を演じる。いま何をすべきかを明確に号令できる能力ひとつだけでも、人々を混乱から引き出し、動員できることがある。
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Сенсорная наблюдательность и негативизм приводят к тому, что СЭИ оказывается готов к ситуации еще до ее возникновения. Да и деклатимная манера высказываний играет определенную роль. Порой одна лишь способность четко скомандовать, что именно следует сейчас делать, выводит из замешательства и мобилизует людей.
言い換えると、先に悪い場合に備える否定の特性と、はっきり言い切る宣言の特性のために、SEIは危機のときに号令をかけて人を動かせるということです。
否定側の生活例は、同じ論文の双対比較に出てきます。
たとえば市内の移動時間の見積もりに交通機関の遅延や運休の可能性を決して入れないILE(▲(Ne)□(Ti))と違って、SEIは常にその確率を織り込む。
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В отличие от ИЛЭ ( ), который, например, в расчет времени поездки по городу никогда не включает возможные задержки и опоздания транспорта, СЭИ всегда учитывает такую вероятность.
つまり、肯定のILEと否定のSEIの差は、移動時間の見積もりという小さな行動にも現れるということです。SEIは、遅延や運休の確率を先に入れて見積もります。
Filatovaによるタラノフのモデルの解説と用語論争
Viktor Talanovは大規模な質問紙調査から独自のモデルTを提唱した研究者ですが、Talanov本人によるSEIの記述は当サイトの資料にありません。ここで見るのは、Filatovaがそのモデルと質問紙の結果を解説した論文です。論文には各特性の16タイプの振り分けリストが載っており、次の行はそのうち、SEIが2番目に挙がる資源の側の一覧です。
資源タイプ: ILE、SEI、SLE、IEI、ESI、LIE、EII、LSE
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УСТУПЧИВЫЕ: ИЛЭ, СЭИ, СЛЭ, ИЭИ, ЭСИ, ЛИЭ, ЭИИ, ЛСЭ,
つまり、この一覧では、SEIは資源の側の8タイプに入るということです。
ただし、リストはタイプ名の列挙だけで、なぜSEIが資源の側なのかはここには書かれていません。説明は、同じ論文がグループ単位で置く観察にあります。
A)SEI、IEI、SEE、IEE(中略)そしてこの場合、非合理タイプが情緒主義者に属することには何の矛盾もない。彼らの強い創造の倫理が主導ブロックにあるからである。それゆえ、これらの心理タイプが、第1チャネルに倫理を持つ倫理型とは違って、時に名人芸的な操作的資質を発揮するのは驚くことではない(中略)しかしここでは—論理は不均衡であるだけでなく、そのうえ痛点でもある。そのため(内向型より外向型に多いが)、論理の領域での自信のなさを補おうとして、自信ありげに多弁になり、自分の知性を強調し、「学者ぶった」言葉を好んで使うことがある。
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А) СЭИ, ИЭИ, СЭЭ, ИЭЭ(中略)И в этом случае для иррациональных типов нет никакого противоречия принадлеж-ности их к эмотивистам, поскольку сильная творческая этика их находится в ведущем бло-ке. Неудивительно поэтому, что эти психотипы проявляют подчас виртуозные манипуля-тивные качества, в отличие от этиков по первому каналу(中略)Но здесь — логика не только неуравновешенная, она еще к тому же и болевая. Поэтому бывает (у экстравертов чаще, чем у интровертов), что они в стремлении компенсировать свою неуверенность в логической сфере, много говорят с апломбом, подчеркивая свой интеллект, любят употреблять «ученые» слова.
言い換えると、創造機能に倫理を持つ4タイプは、人の感情を巧みに扱える一方、論理が痛いところなので、自信のなさを学者ぶった言葉で補うことがあるということです。06章でReininが書いた「権威への言及が安心を与える」という防衛と、同じ現象を別の語彙で書いた記述です。
資源の側についても、同じ形の説明があります。
B)SEI、IEI、ESI、EII(中略)グループB)に入ったのはすべて内向タイプで、その際、グループA)と違って、倫理はここでは主導ブロックにある。したがって、それは十分はっきりと発現すると期待でき、しかも—それはとても敏感で、かろうじて捉えられるほどの信号を受け取り、生み出すことができる。(中略)そのため彼らは譲歩することに比較的穏やかに構える。そして繊細な倫理型は、そのうえ内向型でもあり、全タイプ中で最もストレス耐性が低い。だから彼らにとっても、頑固になるより譲歩するほうが楽なのである。
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Б) СЭИ ИЭИ ЭСИ ЭИИ(中略)В группе Б) оказались все интровертные типы, при этом, в отличие от группы А), этика здесь — в ведущем блоке. Соответственно, можно ожидать, что она должна прояв-ляться достаточно выражено, при этом — она очень чуткая, способная принимать и проду-цировать едва уловимые сигналы.(中略)поэтому они спокойнее относятся к тому, чтобы уступить, а трепет-ные этики, к тому же и интроверты — самые стрессонеустойчивые из всех, поэтому им лег-че также уступить, чем упрямиться.
つまり、主導ブロックに倫理を持つ内向型は、ストレスに弱いため、頑固になるより譲るほうが楽だということです。譲ることを、価値観ではなくストレス耐性の低さから説明する書き方です。
解説者のFilatova自身は、この論文で用語の妥当性に異論も書いています。
B)SEI、SLI、ESI、LSI(中略)彼らの無頓着さは何によって規定されるのか。直観は—粗く、陰影がなく、彼らをあまり納得させない。他方で感覚は—きわめて分化していて、敏感で、傷つきやすく、いわば「体に近い」。だからこの人々にとって主要なのは、いま起きていることであり、後のことは—後で見ればよい。そのうえ直観は彼らの弱いチャネルにある。「無頓着」という用語そのものが不正確である。というのも、ここにはESIやLSIが入ることになるが、彼らを無頓着と呼ぶことは現実にはとてもできないからだ。(中略)非合理のSLIとSEIは—より落ち着いており、そしてSEIだけは、多少の無理を承知でなら「無頓着」と形容することもできる。
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Б) СЭИ СЛИ ЭСИ ЛСИ(中略)Чем же определяется их беспечность? Интуиция — грубая, без оттенков, не сильно их убеждает, а вот сенсорика — очень уж дифференцированная, чуткая, ранимая, она, что называется, — «ближе к телу». Так что главное для этих людей — это то, что происходит сейчас, а что будет потом — потом и увидим; к тому же интуиция у них в слабых каналах. Сам термин «беспечные» — неточен, ибо получается, что сюда относятся ЭСИ, ЛСИ, которых никак беспечными реально не назовешь.(中略)Иррациональные же СЛИ и СЭИ — более спокойны, и только СЭИ и можно с некоторой натяжкой охарактери-зовать как «беспечного».
上の引用にある「無頓着」は、当サイトの表記では臨機応変の側の特性名です。言い換えると、直観が弱く感覚が鋭いSEIたちは、いま起きていることを大事にし、先のことは後で考えるとFilatovaは書いています。
そのうえで、Filatovaは、ESIやLSIまで「無頓着」と呼ぶのは不正確だと異論を述べ、SEIだけは無理を承知でなら無頓着と形容できると但し書きを付けています。このように、特性の振り分け自体は共有しつつ、名前の妥当性が争われている構図です。いずれもSEIだけの記述ではなく、同じ群に入るタイプをまとめた観察です。
クラブ—社交者SF
基礎二分法の組み合わせのうち、感覚×倫理の4タイプはクラブ(小グループ)として括られます。Wikisocionは、このクラブを次のように定義しています。
社交者: 感覚型かつ倫理型(SF)、すなわちSEE、SEI、ESE、ESI。
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Socials: sensing and ethical (SF), or SEE, SEI, ESE, and ESI.
つまり、SEIはSF(社交者)クラブに属します。前の節で見たアウシュラの「実践的活動家・実務家のクラブ」と、同じ4タイプの括りです。理論を作るILEと、生活の実務に強いSEIという双対の分業(18章)が、クラブの水準にも現れている書き方です。
小括します。基礎の4二分法(SEI=内向・感覚・倫理・非合理)は、本章で引用した資料の範囲では、定義をめぐる大きな対立が見られません。レイニン特性では、SEIの名指し記述が確認できたのは否定・宣言(Karpenko)だけで、譲歩を含む他の特性は、SEIを含むリスト・サブグループ単位の記述にとどまります。用語そのものへの異論も、解説者のFilatova自身から出ています。クラブ(SF=実務家)は、アウシュラとWikisocionの資料で同じ4タイプ(SEE・ESE・SEI・ESI)が確認できますが、これも文献間の継承の範囲を出ません。
16機能の次元性とSEI
機能の次元性は、各機能位置が参照できる情報の幅を1〜4次元で記述する後代の拡張理論です。提唱者はBukalovで、Yermakがパラメータの定式化を整備しました。通説では、SEIの各位置の次元は、位置1のSi=4、位置2のFe=3、位置3のNi=2、位置4のTe=1、位置5のNe=1、位置6のTi=2、位置7のSe=3、位置8のFi=4とされます。
起源—Bukalovの主張
Bukalovは、次元性の発見と、その使い道を次のように書いています。
著者によって1990年に発見された、情報代謝機能(心的機能)の情報処理パラメータの次元性 [9] は、人間の思考と行動の特徴、特定の型間関係のニュアンスを正確に記述することを可能にし、国際ソシオニクス研究所のスタッフおよび他のソシオニクス専門家による専門家・コンサルティング業務において実用上の重要な応用を持つ [10, 14]。
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Обнаруженная автором в 1990-м году мерность параметров обработки информации психических функций или функций информационного метаболизма [9], позволяет точно описывать особенности мышления и поведения человека, нюансы конкретных интертипных отношений и имеет значительные практические приложения, используемые на практике в экспертно-консультационной работе как сотрудников Международного института соционики, так и других специалистов по соционике [10, 14].
言い換えると、次元性は、Bukalovが1990年に見つけたとする考え方で、人の考え方や行動、タイプどうしの関係の細かな違いを説明するために使われているということです。文献によっては1989年とも紹介されます。07章で見たモデルBの導入(1989年)と合わせて、どちらも本人の年代つきの起源主張です。
4つのパラメータ—Yermakの定義
次元を数えるための4パラメータを、Yermakは次のように定義します。
Ex(英語 experience から)—経験のパラメータ —出生時からの、人生を通じて意思決定と影響の執行の過程で人間が獲得した、個人的(Ex)または人格的(社会的)経験(Ex*)の特徴。(中略)Nr(規範 norm から)—規範のパラメータ —意思決定または管理影響の執行の過程で遵守すべき規範、規則、習慣、認められた手法、基準(個人的—Nr または社会的—Nr*)の特徴。(中略)St(英語 situation から)—「状況」のパラメータ —意思決定または管理影響の執行の条件、「情況」(個人的 St または社会的 St*)の特徴。(中略)Tm(英語 time から)—パラメータ的時間 —意思決定または執行がなされる、過去・現在・未来の個人的(Tm)または社会的(Tm*)時間の瞬間。
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® Нх (от англ. ехриепсе) — параметры опыта — характеристика индивидуального (Ех) или личностного (социального) опыта (Ех*), полученного от рождения и наработанного человеком в течение жизни в процессе принятия решения и исполнения воздействий ; (中略) ® М (от англ. погт) —- параметры норм - характеристика норм, правил, обычаев, принятых приёмов и стандартов (индивидуальных — Мг или социальных — Мг *), которых следует придерживаться в процессе принятия решения или исполнения управляющих воздействий “; (中略) ® 5 (от англ. 5ИлаНоп) — параметры “ситуации” - характеристика условий, "обстановки" (индивидуальной 51 или социальной 5*) принятия решения или исполнения управляющих воздействий; (中略) ® Тт (отангл. ите) - параметрическое время — момент индивидуального (Ти) или социального (Ти\*) времени в прошлом, настоящем или будущем относительно которого принимается или исполняется соответственно индивидуальное или социальное решение; иными словами, время как точка на шкале времени, т.е. как параметр "привязки" обработки информации к некоторому моменту в прошлом, настоящем или будущем.
つまり、1次元の機能は経験(Ex)だけを、2次元は経験と規範(Nr)を、3次元は状況(St)まで、4次元は時間(Tm)までを使って判断できるということです。パラメータが1つずつ積み上がる形になっています。
一方、Bukalovは、同じ4つを別の語で呼びます。
次元性を考慮した情報代謝機能の一般構造を、グローバル性、状況、規範、個人的経験のベクトルによって図的に表されるとおり、思い出しておこう。
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Напомним общую структуру функций информационного метаболизма с учетом мерностей, графически выражаемых векторами глобальности, ситуации, норм и личного опыта.
言い換えると、Yermakの「時間」に対応する4次元目を、Bukalovは「グローバル性」と呼んでいるということです。このように、同じ理論の内部でも語が統一されていない点は、原典を読むときの注意点です。
次元の割り当て
メンタルリング(位置1〜4)の次元を、Bukalovはこう書いています。
機能の操作的心理情報空間の次元数の理論からは、第4機能は1次元的刺激・情報を知覚することが帰結する。それは情報的に1次元的(「はい/いいえ」の原理での判断)であり、自己の個人的経験から発する。モデルAのメンタルリングにおいて、第4機能は情報的に1次元、第3機能は2次元、第2機能は3次元、第1機能は4次元である。
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Из теории мерностей операционного психоинформационного пространства функций следует, что 4-я функция воспринимает одномерные стимулы или информацию. Она информационно одномерна (суждения по принципу «да-нет»), исходит из собственного личного опыта. В ментальном кольце модели А 4-я функция информационно одномерна, 3-я — двумерна, 2-я — трехмерна, а 1-я — четырехмерна.
つまり、位置4の機能は、はいかいいえかの1次元でしか判断できず、自分の個人的な経験だけを頼りにするということです。SEIに当てはめると、Si(位置1)=4次元、Fe(位置2)=3次元、Ni(位置3)=2次元、Te(位置4)=1次元です。
Yermakの共著論文は、SEIの位置ごとにパラメータ数を明記します。位置1は、次のように書かれます。
○S(Si)+(知性の機能、第1機能)
- 役割:個人的思考、意識、知性的活動
- パラメータは4つ:社会的(個人的)経験、社会における状況、社会規範、社会発展のパラメータとしての時間
- 機能の仕方:快適な感情的かつ/もしくは身体的環境をよく理解し、感じとる。自分の周囲、近しい周囲に快適さ、居心地よさを作り出し、空間を便利に整える術を心得ている。不快さについては考えないようにする。
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функция интеллекта (первая функция модели); назначение — личностное мышление, сознание, интеллектуальная деятельность; параметры — четыре: социальный (личностный) опыт, ситуации в социуме, социальные нормы, время как параметр развития социума; функционирование — хорошо понимает и чувствует комфортную эмоциональную и/или физическую обстановку, знает как создать вокруг себя, в ближнем окружении комфорт, уют, удобно обустроить пространство; о дискомфорте старается не думать.
言い換えると、SEIの位置1のSiは、4つのパラメータすべてを使い、快適な環境を感じ取って、身の回りを居心地よく整えるということです。同じ資料で位置2のFeは3パラメータで、Bukalovの一般則と一致します。
また、同じ資料では、位置4のTeは1パラメータ、位置5のNeも1パラメータです。同じ1次元でも、位置4はもっぱら個人的経験に基づく場所、位置5は情報に魅了され、それを望む場所として書き分けられます。
SEIへの適用—感情の場は3次元
3次元の位置2が体験としてどう現れるかを、Karpenkoは仲裁の説明で書きます。
SEIにとってこの場は物理的に感じ取れるものであり、他人の感情が引き起こすその変形は、ときに端的に耐えがたい。SEI〔原文: デュマ〕は決して仲裁者でも平和の使者でもない。なぜなら彼がそうしたことをするのは他人の利益のためでも、誰かを喜ばせるためでもなく、マイナスに張りつめた感情の場の中では—物理的な痛みに至るほどに—存在していられないからだ。早く、早く—立ち去るか、この感情をなだらかにするかしなければ。SEIにおいてこの機能は三次元である: 現実の物理的三次元空間の中に配置された場。感情の場の三次元的イメージ。ESE〔原文: ヒューゴー〕ではそうではない。感情は価値である。なぜならすべての感情的状況は同権で、同スケールで、評価にかからず、いかなる論理的分類にも従わないからだ。
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Для СЭИ это поле физически ощутимо, его деформации, вызываемые эмоциями других людей, бывают порой просто невыносимы. "Дюма" отнюдь не посредник, не миротворец, ибо все это он делает не для блага других, не для того, чтобы сделать кому-то приятное, а потому, что не может существовать в отрицательно напряженном эмоциональном поле - до физической боли. Скорее, скорее - или уйти, или сгладить эти эмоции. У СЭИ эта функция трехмерна: поле, расположенное в реальном физическом трехмерном пространстве. Трехмерный образ эмоционального поля. У ЭСЭ ("Гюго") это не так, эмоции - ценность, потому что все эмоциональные ситуации равноправны, равномасштабны, не оцениваемы, не поддаются никакой логической классификации.
上の引用にある「この場」は、感情の場のことです。言い換えると、SEIが争いを和らげるのは、人のためというより、張りつめた感情の場を体で感じてしまい、そこに居続けられないからだということです。
このように、08章・09章で反復された仲裁・調停の行動が、ここでは位置2の知覚の性質から説明し直されています。他者のための美徳ではなく、機能構成の帰結として書く点で、次元性理論の使い方の典型例です。
弱い側の1次元—弱い機能を強い機能で肩代わりする
1次元のTeが実生活でどう現れ、どう補われるかについて、Bukalovは経理の実話を残しています。
または感覚倫理内向(○(Si)▼(Fe)、SEI)の経理部長を想像しよう。(中略)そしてここで感覚倫理内向、彼女には事務的論理 ― 1次元(■(Te)4)。すなわち規則は彼女は知っている、習得した、しかしそれでも経理部長 ― 彼女はときに何らかの非定型課題も解決しなければならない。彼女は自分の強い機能をどう使うか?非常に簡単 ― 彼女は税務局に行き、皆と知り合いになり、倫理的に合意し、そこで「これこれについて話し」、― 皆彼女の知人で、皆彼女に助言してくれ、皆彼女と良好な関係。
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Или представим себе главного бухгалтера — сенсорно-этического интроверта (, СЭИ).〔中略〕И вот сенсорноэтический интроверт, а у нее деловая логика — 1-мерная (4). То есть правила она знает, усвоила, но все-таки главный бухгалтер — ей иногда приходится решать и какие-то неординарные задачи. Как она использует свои сильные функции? Очень просто — она идет в налоговую инспекцию, со всеми знакомится, договаривается этически, там «поговорит о том, о сем», — все у нее знакомые, все ее проконсультируют, все с ней в хороших отношениях.
言い換えると、1次元のTeで解けない課題を、3次元のFeで人との関係の課題に置き換えて解くということです。Teは規則を知っていても非定型の課題で行き詰まり、Feは関係を作って情報と助けを引き寄せます。
Bukalovは続けて、これはそれほどしばしばあるわけではない観察例で、SEIタイプの大多数は経理や財務に関わる活動そのものを避ける、と自ら断りを入れます。観察をそのまま法則にしない筆致です。09章でFilatovaが書いた「実務の領域でも倫理型としての強みを活用する」という代替戦略と、同じ現象の別記録になります。
強い主張への注記
次元性理論には、検証手続きが示されないまま数値を伴う強い主張も含まれます。Bukalovは、次元性から記憶や注意の容量の数値を導いています。
心的機能の次元性の階層は、注意・記憶・思考の容量の階層を定める。生物種が違えばこれらの容量は大きく異なりうる。我々が示したとおり、人間にとって次元性の階層は、記憶・注意・思考の容量に関する「ブカロフの魔術的列」を定める:6(±1)、10(±1)、16(±1)、26(±1)。この列の最初の数はミラーの「マジカル・ナンバー」および作業記憶(オペレーショナルメモリ)の容量に対応する。心的機能の次元性に結びつけられた各ベクトルに、それぞれの注意・思考・記憶の容量を対応させることができる [6–13]。
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Иерархия мерностей психических функций задает иерархию объемов внимания, памяти и мышления. Для разных биологических видов эти объемы могут очень сильно различаться. Так для человека, как было показано нами, иерархия мерностей задает «магический ряд» Букалова для объемов памяти, внимания и мышления: 6(±1), 10(±1), 16(±1), 26(±1), в котором первое число соответствует «магическому числу» Миллера и объему оперативной памяти. Каждому вектору, связанному с размерностью психической функции, можно сопоставить свой объем внимания, мышления и памяти [6–13].
つまり、Bukalovは、次元性の階層から、記憶・注意・思考の容量を6(±1)、10(±1)、16(±1)、26(±1)という数の列として導き、それを「魔術的列」と呼んでいるということです。最初の6(±1)は、Millerが示した作業記憶の目安(認知心理学の古典)の7±2に対応するとされます。
この系列を支える独立の実験データは、当サイトが確認した範囲では引用文献の外に示されていません。SEIの位置1のSiが4次元だという記述も、この理論の内部での帰結として読む範囲にとどまります。
小括します。次元性は、SEIの「強いSi・Fe」と「弱いTe・Ne」を、参照できるパラメータの数として言い直す理論です。この語彙を使うと、仲裁は美徳ではなく3次元の感情場の知覚の帰結になり、事務論理の回避と倫理経由の補償は1次元と3次元の落差の帰結になります。説明としてはよくできていますが、提唱年のずれと測定手続きの不在という運用上の弱点はそのまま残り、23章の主題になります。
17アルファ・クアドラのSEI
クアドラ。クアドラはソシオンの4分の1で、4つの情報代謝タイプ、つまり互いを活性化する2つの双対ペアからなる。2つの双対ペアの一方は一方の社会的進歩リングに、もう一方はもう一方の環に属する。クアドラの成員を結びつけるのは一定の関心の共通性であり、何よりも衝突の起きる余地がないことである。成員は互いをいつも理解し、言葉や行いの裏に傷つくものを何も見ない。共同の仕事はきわめて実り多く、生産的である。
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Квадра. Квадра — одна четвертая социона,' об-` разованная из четырех типов ИМ или двух активи- зирующих друг друга диад, одна из которых отно- сится к одному, другая — к другому кольцу соци- ального прогресса. Участников квадры объединяет определенная общность интересов, а главное — от- сутствие возможностей конфликта. Друг друга они всегда понимают, за словами и поступками не заме- чают ничего обидного. Исключительно нлодотворна и производительна совместная работа.
言い換えると、クアドラは、関心が共通し、おたがいの言葉や行動に不快なものを感じないので、争いが起きにくい4タイプの組だということです。「衝突の起きる余地がない」という強い定式です。双対2組(ILE-SEIとESE-LII)が活性化関係で結ばれる4人組、という構成の定義はその後も共有されています。
呼び方の変遷—「第三」から「アルファ」へ
アウシュラの同書は、クアドラをギリシャ文字ではなく順序数で呼び、SEIを含む組を「第三」としてこう書いています。
第三。 倫理感覚外向と論理直観内向、直観論理外向と感覚倫理内向。
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Третья. Этико-сенсорный экстратим и логи- ко-интуитивный интротим, интуитивно-логический экстратим и сенсорно-этический интротим.
つまり、列挙されているのはESE・LII・ILE・SEI、現在アルファと呼ばれる4タイプです(引用中の感覚倫理内向がSEIです)。
一方、後代のFilatovaは、同じ組を「第1クアドラ」と書きます。
ソシオニクスの伝統では、LII、ESE、ILE、SEIの4人組は第1クアドラ(アルファ)と呼ばれ、もう一つの4人組—EII、LSE、SLI、IEE—は第4クアドラと呼ばれる。
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По соционической традиции четверка ЛИИ, ЭСЭ, ИЛЭ, СЭИ носит название 1-й квадры, а другую четверку — ЭИИ, ЛСЭ, СЛИ, ИЭЭ — называют квадрой 4-й.
言い換えると、同じ4タイプの組が、資料によって「第三」とも「第1」とも番号づけられているということです。ギリシャ文字名(アルファ)は後年に定着した慣用で、番号は資料間で揺れます。そのため、クアドラは番号ではなく、含まれる4タイプで照合するのが安全です。
アルファの価値—SEIが持ち込むもの
アルファの価値記述のうち、SEIの側(Si・Fe)に関わる記述を並べます。まず、Reininは、関係の様式の面からアルファをこう特徴づけます。
アルファクアドラは関係性における民主主義によって特徴づけられる。これらの人々は明らかに民主的な話し方や服装に傾く。「私はスーツを着るのが嫌いだ。それは不快である。着なければならないなら着る」とILE〔原文: ドン・キホーテ〕は言うかもしれない。
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alpha-quadra is characterized by democracy in relationships. These people are obviously inclined to democratic style of speech, clothes. "I hate wearing a suit, it is uncomfortable, I will if I have to wear it”, - might a Don Quixote say.
つまり、アルファの人たちは、関係でも話し方や服装でも、形式ばらない民主的なやり方を好むということです。例に置かれているのは双対のILEですが、15章で見た「民主主義者」というSEIの帰属も同じ特性を指します。
また、Bukalovは、世界観の水準でアルファを特徴づける際、SEI・ESE側に「情緒的・美的体験の豊かさ」を割り当てます。
クアドラαは世界の調和性・秩序性の感覚(ILE、▲(Ne)23▲(Ne)24; LII、□(Ti)25□(Ti)26)、情緒的・美的体験の豊かさ(SEI、○(Si)27○(Si)28; ESE、▼(Fe)29▼(Fe)30)を特徴とする。クアドラαの代表者がしばしば自身と周囲世界との一体性を強調するのは偶然ではなく、なかには宇宙的調和を感受する者もいる。アインシュタイン、ツィオルコフスキー、ヴェルナツキーを思い起こせば十分だろう。(中略)この事情から、クアドラαは革命的である—現実の世界の不完全さがその世界観と鋭く対比して見えるため、クアドラαやその個々の代表者は当然ながら現存の事物秩序を変えたいと欲する。「これまで哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきたにすぎない。問題は、それを変革することである」—マルクス。
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Квадра б характеризуется ощущением гармоничности мира, его упорядоченности (ИЛЭ, Ж23[]24; ЛИИ, [25 26), насыщенностью эмоциональных и эстетических переживаний (СЭИ, 02728; ЭСЭ, №. 29030). Не случайно представители квадры © часто подчеркивают свое единство с окружающим миром, а некоторые ошущают космическую гармонию. Достаточно вспомнить А.Эйнштейна, К.Э.Циолковского, В.И.Вернадского.(中略)В силу этого обстоятельства квадра 6 является революционной: видя несовершенство реально существующего мира, резко контрастирующего с ее миропониманием, квадра 6, ее отдельные представители хотят, естественно, изменить существующий порядок вещей. "До сих пор философы лишь различным образом объясняли мир, но дело заключается в том, чтобы изменить его", - К.Маркс.
引用中の「○27○28」のような番号は、BukalovのモデルB内部の通し番号で、モデルAの位置番号とは別のものです。言い換えると、アルファは、世界の調和と秩序を感じるILE・LII側と、感情と美の体験が豊かなSEI・ESE側の2つの価値を合わせ持つということです。
Stratiyevskayaは、クアドラの価値の由来をタイプごとに割り当てる書き方で、SEIの寄与をこう明示します。
プラス記号付きの「感覚の感覚」のアスペクトは、感覚倫理内向(SEI)・アレクサンドル・デュマによって第一クアドラ(アルファ)に持ち込まれた。そして言うまでもなく、それは第一クアドラの代表者の人生を大いに飾り、心地よく多様化させる—彼らだけでなく。
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Аспект положительной "сенсорики ощущений" привнесен в первую квадру сенсорно-этическим интровертом Александром Дюма. И надо сказать, он очень украшает и приятно разнообразит жизнь представителей первой квадры и не только их.
つまり、アルファの4つの価値のうち、心地よい感覚(Si)の価値を持ち込んだのはSEIで、それがクアドラの人たちの生活を豊かにしているということです。「アレクサンドル・デュマ」は、ここではタイプの愛称として使われています。
Filatovaは、同じクアドラの感覚倫理2タイプの共通の構えを、こう書きます。
ユーゴーとデュマは、身体的・感情的な快適さを最優先に置き、彼らの構えは「すべては人のために」であり、両者とも感覚的な快楽を求め、人生が祝祭のようなものであってほしいと望んでいる。
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Гюго и Дюма во главу угла ставят комфорт физический и эмоциональный, их установка — «все для человека», оба стремятся к сенсорному удовольствию, им хочется, чтобы жизнь была похожа на праздник.
引用中の「ユーゴー」「デュマ」は、ESE・SEIの愛称です。つまり、ESEとSEIは、体と気持ちの心地よさをいちばんに置き、人生が祝祭のようであってほしいと望むとFilatovaは見ています。
Yermakは、同じ二本立てを、クアドラの社会的特性として1文にまとめます。
クアドラの社会的特性(機能的志向と価値観)—直観 ‐ 分析的および感情 ‐ 感覚的な思考、アイデアおよびシステム・プロジェクトの生成、理論化と周囲現実の抽象的把握への傾向、心理的快適さとポジティブな感情への志向。
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Социальная характеристика квадры (функциональная ориентация и ценности) — интуитивноаналитическое и эмоционально-сенсорное мышление, генерирование идей и системных проектов, склонность к теоретизированию и абстрактному осмыслению окружающей действительности, психологическому комфорту и позитивным эмоциям.
言い換えると、前半のアイデアや理論を生み出す志向がILE-LII側、後半の心理的な快適さと肯定的な感情への志向がSEI-ESE側の価値です。10章で見たとおり、Yermakはこの一段落からSEI固有の一段落へ降りていきます。
Gulenkoのクアドラ表も、同じ構図を別の語彙で書きます。次の引用は、その表のアルファの欄から、価値の項目とSEIの行を抜き出したものです。
クアドラ1、α(アルファ)(中略)周辺性(中立)、家族‐認知的価値、個人主義、民主主義、活気、無秩序(混沌)(中略)感覚倫理内向=デュマ
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Quadra 1, Alpha〔中略〕Peripherality (neutrality), family- Intuitive Logical Sensory Ethical Ethical Logical cognitive values, Individualism Democracy Extravert (ILE) Introvert (SEI) Sensory Intuitive Vivacity Anarchy (chaotic) Extravert(ESE) Introvert (Lll)
つまり、Gulenkoは、アルファの価値を「家族‐認知的価値」と呼び、民主主義や活気を挙げているということです。「家族‐認知的価値」は、快適さ・親密さ(家族側=Si・Fe)と認知・理論(認知側=Ne・Ti)の二本立てを1語にした形と読めます。民主主義という語が、Reininの記述と同じくここにも現れます。
クアドラのなかのSEIの位置
クアドラ内の分業の記述では、SEIが働く場も書かれます。Bukalovは、職掌をこう割り当てています。
第1クアドラ(アルファ)はどこか? 新規開発—新製品のデザイン、設計のあるところ、まさにそこで分析家(□(Ti)▲Ti-Ne、LII、ロベスピエール)、熱狂者(▼(Fe)○Fe-Si、ESE、ヒューゴー)、芸術家(○(Si)▼Si-Fe、SEI、デュマ)が働き、第1クアドラはまたコンピュータ・ネットワークと情報サービスを担当する。
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А где же 1-я квадра? Там, где новые разработки — дизайн новых изделий, конструирование, вот там-то работают Аналитики ( , ЛИИ), Энтузиасты ( , ЭСЭ), Художники ( , СЭИ), также 1-я квадра занимается компьютерными сетями и информационным обслуживанием.
引用中の「分析家」「熱狂者」「芸術家」は各タイプの役割名、「ロベスピエール」「ヒューゴー」「デュマ」は愛称です。言い換えると、SEIには「芸術家」の役割名が与えられ、新製品のデザインや設計などの新規開発の場に置かれているということです。
同じBukalovの別の理論では、SEIは進化の側の輪に置かれます。
右の輪は、▲(ILE)と ○(SEI)から ■(LSE)と ▽(EII)までの双対ディアードである。左の輪は、△(IEE)と ●(SLI)から ▼(ESE)と □(LII)までである。右の「進化的」輪のタイプは、徐々に、可能な限り合法的に行動するのを好み、すべてを一気に達成しようとはしない。
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Правое кольцо — дуальные диады от (ИЛЭ) и (СЭИ) к (ЛСЭ) и (ЭИИ). Левое — от (ИЭЭ) и (СЛИ) к (ЭСЭ) и (ЛИИ). Типы правого, «эволюционного», кольца отличаются тем, что они предпочитают действовать постепенно, по возможности законным образом и не пытаются достичь всего и сразу.
つまり、Bukalovは、ILEとSEIの双対を、一気に変えず少しずつ、なるべく合法的に進める「進化的な右の輪」に置いているということです。これはBukalovの民族ソシオニクス理論(独自の拡張)の一節で、モデルAの標準理論ではなく、彼の理論の内部での位置づけです。
KarpenkoのSEI専論には、クアドラ水準の時間感覚の観察があります。
小さな、あるいは大きな「〜したい」なら、SEIはかなりあっさり手放す。だが目標への道から彼を弾き出すのは難しい。ここでは彼は粘り強く、しつこい。「道のりの時間」はあまり彼を悩ませない。「今日でなければ、明日」「別に急いでいない」。ついでに言えば、これも第1クアドラ(アルファ)の特徴のひとつである—彼らの心理的時間はかなりゆっくり流れる、「子ども時代のように」。
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От маленьких и больших «хочу» СЭИ довольно легко отказывается, но сбить его с пути к цели трудно. Тут он упорен и настойчив. «Время пути» его не слишком тревожит: «не сегодня, так завтра», «мы никуда не торопимся». Кстати, это еще одна особенность пер- вой квадры — их психологическое время течет довольно медленно, «как в детстве».
言い換えると、SEIは、小さな望みはあっさり手放しますが、目標への道からは外れにくく、急がずに粘り強く進むということです。Karpenkoは、心理的時間がゆっくり流れることを、アルファ全体の特徴としても挙げています。
Gulenkoは、クアドラ内の世話の分業を、こう書きます。
ソシオンにおいて最も家族的なタイプは、仲介者(SEI)と熱狂者(ESE)である。家族内で個人的な世話を最も必要とするタイプは、分析家(LII)と探求者(ILE)である。
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The most familial types in a socion are the Mediator (SEI) and the Enthusiast (ESE). The types most in need of individual care within the family are the Analyst (LII) and the Searcher (ILE).
引用中の「仲介者」などはGulenkoの独自タイプ名です(12章で見る「調停者」と同じ呼称の別訳です)。つまり、SEIは、家族の中で世話をする側に置かれるということです。ILE・LIIが必要とする世話を、SEI・ESEが供給するという、クアドラ内部の相補の記述です。
小括します。本章で引用した各研究者は、アルファの価値を理論・思考の自由(Ne・Ti側)と、快適さ・肯定的感情(Si・Fe側)の二本立てで書きます。そのうえで、SEIを後者の担い手に置きます(Stratiyevskayaの「感覚の感覚を持ち込んだ」、Bukalovの「情緒的・美的体験の豊かさ」、Gulenkoの「最も家族的」)。役割名は「芸術家」(Bukalov)と「仲介者」(Gulenko)で割れますが、指している内容は、場を快適にし、人の世話をする位置という点で重なります。
18タイプ間の関係のなかのSEI
タイプ間の関係の理論では、SEIは双対関係の代表例として記述されてきました(関係表が慣習的にILE起点で組まれるため、その双対であるSEIは最初の双対ペアの片割れとして頻出します)。SEIの主要な相手は、双対=ILE、活性化=LII、鏡像=ESE(以上アルファ)、衝突=LIEです。また、SEIが監督する相手はEIE、SEIを監督する相手はLSE、SEIが恩恵を与える相手はLSI、SEIに恩恵を与える相手はEIIです。
この章では、SEIを名指しした原典記述を、双対を中心に並べます。関係ごとの一般解説は関係のページにあります。
双対関係の一般定式
Reininは、双対関係をこう定式化しています。
この種類の関係においては、当該タイプの弱い機能が、他方のタイプ(双対、完全に補完的なタイプ)の強い機能の領域にある。補完的なタイプの人物こそが最良の教師である。(中略)双対タイプは私の弱い機能を保護し、同時に、私の弱い機能の領域においてさえ成功に至る行動プログラムを提供してくれる。
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In this type of relationships the weak functions of the type are in the zone of strong functions of the other type (dual, completely complementary type). A person of the complementary type is the best teacher. […] The dual type protects my weak functions, at the same time providing a behavioral program for me to reach success even in the area of my weak functions.
言い換えると、双対の相手は、自分の弱い機能の領域を強い機能で守り、その領域でもうまくいくやり方を示してくれるということです。
Gulenkoも、体感の水準で同じ構図を書いています。
双対関係は興味深く、もてなしに満ちたコミュニケーションを楽しめる関係であり、退屈することがありません。パートナー同士は互いを釣り合わせ合い、心理的な無重力状態のような感覚を生み出します。パートナーは自分の行動や言葉を統制する必要がなく、ただありのままの自分でいることができます。あらゆる活動において役割分担がほぼ自動的に行われるため、新しい課題に向けて多くのエネルギーを節約できます。
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Dual relationships enjoy an interesting and hospitable communication that is never boring. Partners counterbalance each other, creating a feeling of psychological weightlessness. Partners do not have to control their actions or words; they can just be themselves. Due to the fact that responsibilities in every activity are distributed almost automatically, a lot of energy is saved for new tasks.
つまり、双対の2人は、無理に振る舞いを整えなくてもありのままでいられ、役割も自然に分かれるということです。引用の「役割分担がほぼ自動的に行われる」は、Reininの「行動プログラムの提供」を、関係の内側から見た言い方と読めます。次のアウシュラの記述は、同じ相補を知覚の水準で書いたものです。
SEIとILE—アウシュラの記述
SEIの双対はILEです。アウシュラはILEの記述の中で、2つのタイプの知覚の相補を簡潔に書きます。
ILE〔原文: ドン・キホーテ〕の双対—感覚倫理内向(SEI〔原文: デュマ〕)—は反対に、人々の欲求とその動機の体系を見て、喜んで皆に働きかけ、説得する。見えていないのは、もう一方のもの—潜在的可能性—だけである。
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Дуал Дон Кихота — СЕНСОРНО-ЭТИЧЕС- КИЙ ИНТРОТИМ (Дюма) — наоборот, видит по- требности людей, систему их мотивации, с удоволь- ствием всех агитирует и уговаривает. Не видит лищь другого — потенциальных возможностей.
言い換えると、SEIは、人の必要や動機がよく分かり、人を励まして説得できるが、先の可能性には向かないということです。ILEの記述の中に置かれた一節なので、可能性に向くILEとは、欠けている面がちょうど互い違いになる説明と読めます。
婚前交際の章には、ILEがパートナーに求めるものの記述と、愛の表現形式の記述があります。アウシュラは、ILEについてこう書いています。
直観論理外向はパートナーの客観的な可能性を見る(しかし感情は見ない)。不注意が他者の生活活動を弱めうる場面ではきわめて敏感である。頑固で、自分が何を望んでいるかをよく知っていて、それでいて陽気で温かく穏やかな感覚内向を好む。約束を守る人間であり、たとえ不利になっても約束したことはすべて果たす。彼の情熱は、他者の生活活動のための条件をつくる世話である。
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Интуитивно-логический экстраверт видит объек- тивные возможности своих партнеров (но не их чувства). Является исключительно чутким там, где неосторожность может ослабить жизненную актив- ность другого человека. Любит упрямых, очень хо- рошо знающих, чего они хотят, и вместе с тем веселых, теплых, спокойных сенсорных интровер- тов. Он человек слова, выполняющий все, что по- обещал, если даже это оказывается невыгодным. Его страсть — забота о создании условий для жиз- ненной активности других.
上の引用にある直観論理外向は、ILEのことです。つまり、ILEは、自分の望みをよく知る頑固さと、陽気で穏やかな様子をあわせ持つ感覚的内向型の相手を好むということです。アウシュラは続けて、ILEの愛の表し方をこう書いています。
直観論理外向は「愛している」とも「私のものになって」とも言わない。(中略)自分が奈落の縁に立ち、人格に完全な破局が迫っていると感じるとき、「お前が必要だ」と言う。そして—神よ許したまえ—何かで相手を欺くことのないよう、相手が中身を確かめずに買うことのないよう、自分の欠点をすべて相手に打ち明ける。「必要だ」という言葉は、自分の情動なら有り余るほどある感覚倫理内向の耳にだけ説得力をもって響く。感覚倫理内向にとってこの言葉は、自分の人格についてありうる評価のなかで最良のものなのだ。
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Интуитивно-логический экстраверт не говорит ни «я тебя люблю», ни «будь моей». (中略) Когда чув- ствует, что стоит на грани пропасти и его личности грозит полная катастрофа, говорит «ты мне ну- жен», и чтобы — прости господи — не обмануть в чем-то другого, открывает ему глаза на все свои недостатки, чтобы тот не покупал кота в мешке. «Мне нужно» убедительно звучит только для уха сенсорно-этического интроверта, которому своих эмоций хватает за глаза, для которого эти слова — лучшая из возможных оценок его личности.
つまり、ILEの愛の言葉は「愛している」ではなく「お前が必要だ」で、それがSEIにだけ説得力をもって響くということです。自分の情動で足りているSEIには、この言葉が人格への最良の評価として受け取られるとされます。
同じ章のSEI側の記述では、ふさわしいパートナー像と世話の傾向が書かれます。
パートナーとしてはもっぱら友好的で、常に上機嫌で、楽観的な感覚倫理内向(中略)が完全にふさわしい。(中略)感覚的内向型はすべての者のなかで最も快楽主義者であり、それゆえ自分の身体的実存の現実をきわめてよく感じる。パートナーにとってきわめて配慮があり世話好きである。(中略)感覚倫理内向は感情と情動の世界において自分をきわめてよく感じている。他者の感情に注意深い。愛し、美と調和を創造する。
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В партнеры полностью подходит только дружелюбный, постоянно хорошо и оптимистично настроенный сенсорно-этический интроверт(中略)Сенсорный интроверт является гедонистом более всех других и поэтому исключительно хорошо чувствует реальность своей физической экзистенции.
原文はこの箇所で、俳優レオーノフとデュマ父を例に挙げます。言い換えると、SEIは友好的で上機嫌、体の感覚をよく感じる快楽主義者で、パートナーをよく世話するということです。ILE側の記述(相手の活動の条件づくりへの世話)とは世話の向きが逆で、対になっています。
後代の研究者によるSEI-ILE
Stratiyevskayaは、双対のILEとの関係からSEIをこう書いています。
SEI〔原文: デュマ〕は現実主義者である。(さもなければ、彼はどうやってILE〔原文: ドン・キホーテ〕のような夢想家、空想家を補完できるだろうか?)SEI〔原文: デュマ〕は最もシンプルで自然な価値—家族の幸福、居心地の良い家、良好な関係—に方向づけられている。
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Дюма — реалист. (А иначе, как бы он дополнял такого мечтателя и фантазера, как Дон-Кихот?) Дюма сориентирован на самые простые и естественные ценности: благополучие семьи, уютный дом, добрые отношения.
つまり、SEIは、生活の基本の価値を大事にする現実主義者なので、夢想家のILEを補えるということです。08章の冒頭で見た一節と同じ箇所で、ここでは双対を補う条件として読めます。
Weisbandのハンドブック(アウシュラ資料準拠)は、ILE側の行動様式との噛み合わせを、こう書きます。
彼は、ある状況では同じく口論せず、ただドアをバタンと閉めて出て行くパートナーを必要とする。彼の双対であるILE〔原文: ドン・キホーテ〕は、まさにそう行動する。
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He needs a partner, who under certain circumstances will also not quarrel, but just slam the door and leave. This is just how his dual, Don Quixote, will act.
言い換えると、SEIには、口論を続けずにドアを閉めて去るような、感情の場を張りつめさせない相手が合うということです。16章で見た「張りつめた感情の場の中では存在していられない」という説明が、双対の条件として書かれた形になります。
活性化—SEIとLII
同じクアドラのLIIとの関係は活性化と呼ばれます。Reininは、活性化を「売り買い」のたとえで説明します。
活性化関係の場合、私が売るものを私の活性化相手は買い、その逆もまたそうである。われわれは通常、自身の第二機能に関わるものを売る。(中略)これらのタイプは互いを刺激し、活性化する。これらの関係は、何らかの負のエネルギーの交換のリスクを伴う。両パートナーは絶え間なく増大するユーフォリアを体験しうる。(中略)互いの関心、酩酊させるような対話、ユーフォリアは現実との接触を失わせるかもしれない。
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In case of stirring relationships the things I sell my activator buys, and vice versa. We usually sell things pertaining to our second function.(中略)These types stir and activate each other. These relationships run a risk of exchanging some negative energy. Both partners may experience a constantly increasing euphoria(中略)Their mutual interest, intoxicating dialogue and euphoria may lead to losing touch with reality.
言い換えると、活性化の2人は、自分の2番目の機能で出すものを相手が喜んで受け取るので、互いに高揚しやすいということです。ただし、その高揚は現実から離れる危うさも伴うとされます。
Reininの説明例はILEとESEの組で、SEIとLIIの組を名指しした独立の記述は、確認した範囲では見つかりませんでした。Bukalovは活性化の機構を双対と並べて書き、アルファの4タイプでは活性化をILE-ESEとSEI-LIIの間に置きます。
第1機能と第2機能は相手の第5機能と第6機能に当たるが、もう順序が異なる。第1機能が第6機能に、第2機能が第5機能に、というふうに。双対関係では情報を発する4次元の第1機能が、4次元の受信機能=第5機能に作用するのに対し、活性化関係では4次元の第1機能が、3次元の受信機能=第6機能に作用する。すなわち、第1機能が第6機能=活性化機能を多少なりとも過負荷にする、と言える。(中略)活性化ペアでは実際に、人々は相互の活気・エネルギーの増大という感覚を経験する。(中略)これは概して、非常に祝祭的な関係であり、人々をエネルギーと力で満たすが、しかしどんな祝祭でもそうであるように、長く続けば疲労を引き起こす。
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В активационной паре люди действительно испытывают ощущения взаимного повышения тонуса или увеличения энергетики.(中略)Вообще это очень праздничные отношения, они наполняют людей энергией и силой, но, как и любой праздник, если он длится очень долго, вызывают утомление.
つまり、双対では位置1が相手の位置5へ働くのに対し、活性化では位置1が相手の位置6へ働き、受け手の次元が1つ低いぶん、高揚と疲労が対になるということです。
衝突—SEIとLIE
反対の極として、Reininは、衝突関係(SEI-LIE)の機構をこう説明します。
創造機能。私にとって「必要」なものは、相手の恐れの領域である。ジャック・ロンドンは野生の中でひとり、長期間にわたり容易に暮らすことができる。このタイプの人々は大集団を必要としない。むしろ群衆の中では居心地悪く感じる。デュマは、ジャックが必要とし、楽しみ、渇望し、それなしでは生きていけないものを恐れる。一方が自身の創造機能を活発に発揮し始めるとすぐに、もう一方は恐れの苦悩を体験する。「やめて、それは私を怖がらせる!」自己表現の余地はない。厳しい状況だ。
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The creative function: what for me is "necessary" is the other's zone of fears. A Jack London can easily live alone out in the wild for long periods of time. People of this type do not need large companies; on the contrary, they feel uncomfortable in a crowd. A Dumas is afraid of the things that a Jack needs, enjoys, craves, and cannot live without. As soon as one begins to actively demonstrate his/her creative function, the other is experiencing pangs of fear: “Do not do that, it scares me!” There is no room for self-expression. Tough situation.
引用中の「ジャック・ロンドン」はLIEの、「デュマ」はSEIの愛称です。言い換えると、LIEが創造機能で求めるものは、SEIが恐れるものなので、一方が力を出すほど、もう一方は怖くなるということです。衝突の説明を、性格の不一致ではなく機能位置の対応で行う書き方です。Reininは同じ箇所で、自尊心の領域(第三機能)でも「説明が欲しい」と「事実が欲しい」が食い違うと続けます。
小括します。SEIの関係記述の中心は双対ILEで、需要と可能性の互い違いの知覚、「お前が必要だ」が響く相手(アウシュラ)、弱い機能の保護と行動プログラム(Reinin)、口論を続けない相手への要求(Weisband)という3つの定式が重なります。活性化と衝突の記述は、いずれも機能配置から関係の質を導く形式です。そのため、性格の相性論とは水準が違います。ただし、これらの関係記述の実証は事例と自己報告に限られており、その限界は23章で扱います。個別の組み合わせはタイプ間の関係のページで確認できます。
19MBTI®のISFJとの比較
当サイトはSEIをISFJと併記しています。詳しい一般解説はMBTIとの比較のページにあります。
対応の根拠—機能配列同一の仮定と末尾の反転
ソシオニクスとMBTIは、どちらもユングの類型論から枝分かれした別の理論です。SEI=ISFJという対応は、通説では両者の機能配列が同一だという仮定に基づきます。ソシオニクスのSEIは位置1がSi・位置2がFe(03章)、MBTIのISFJは主機能Si・補助機能Feとされ、上位2機能の並びが一致します。
ただしSEIは内向タイプのため、末尾文字の読み替えが生じます。ソシオニクスの4文字表記はISFpで、末尾の小文字は主導機能が知覚(非合理)側であることを示します。MBTIの末尾のJ/Pは、通説では外向面に出る機能が判断か知覚かを示すとされます。内向タイプでは主導機能が内向側にあるため、外向面に出るのは補助機能—SEIならFe(判断機能)—となり、表記はJに反転します。ISFp(ソシオニクス)とISFJ(MBTI)は、同じ機能配列の仮定の上で末尾だけが逆になる対応です。
この読み替えを知らないまま4文字を突き合わせると、ISFpをMBTIのISFPと取り違えます。実際、ソシオニクスの文献にはこの取り違えを誘発する表記があり、Gulenkoは愛称批判の文脈で「デュマ父はISFP」と書いています(22章に引用)。そこでの「ISFP」はソシオニクスの4文字表記ISFpを大文字化したもので、MBTIのISFPを指しません。このように、SEIの場合、ソシオ表記ISFp、MBTI対応ISFJ、そして字面だけ似たMBTIのISFPという3つの似た表記が並ぶことになります。
当サイトがコード表記(SEI)を主とし、MBTI対応(ISFJ)を仮定つきの併記に留めるのは、この混線を避けるためです。
また、この対応は表記の翻訳であって、判定の一致を保証しません。定義体系(情報代謝の8位置モデルと、選好指標の4文字)も、判定の道具も違います。そのため、同じ人がソシオニクスでSEI、MBTI系の検査でISFJ以外と出る場合があります。通説の対応表は、「概念上の近さ」の主張です。
外から見た関係—Bukalovの反論
心理学の側からソシオニクスがどう見えるかについて、Bukalov自身が書いています。
一方、たとえば類型論を専門とする心理学者は、ソシオニクスをマイヤーズ-ブリッグス類型論より良くも悪くもない単なるポストユング類型論として扱う。それは彼らの権利ではあるが、われわれは彼らがソシオニクスをタイプの抽出にのみ矮小化しており、それで打ち切ってしまっている、と考える。
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А, скажем, психологи-типологи рассматривают соционику всего лишь как постюнговскую типологию, не лучше и не хуже типологии Майерс-Бриггс. Это их право, но мы считаем, что они низводят соционику до выделения типов, да и только, и этим ограничиваются.
言い換えると、Bukalovは、ソシオニクスをタイプを判定するだけの理論とみなす外部の評価に反対しているということです。
外部からは「MBTIと同水準のポストユング類型論の1つ」と見なされ、内部はそれを「タイプ抽出への矮小化」と反論する—両者の認識の溝がそのまま残っている構図です。ソシオニクス側が独自性の根拠に挙げるのは、モデルA、タイプ間の関係の理論、次元性などの理論装置です(その実証状況は23章)。
SEI読者への実務的な注意
MBTIでISFJと判定された人がこのページを読む場合、SEIの記述がそのまま自分に当てはまるとは限りません。このページの記述群は、あくまでソシオニクスの体系内でのSEI像です。順番としては、対応表より先に、03章の8位置の配置と04章の要素定義と照合することを推奨します。
小括します。SEI=ISFJは、機能配列同一の仮定に基づく表記の対応です。内向タイプのため末尾文字が反転し(ISFp⇄ISFJ)、ソシオ4文字の大文字表記(ISFP)との取り違えという固有の混線源もあります(22章)。外部からの「ポストユング類型論の1つ」という評価と、内部の「タイプ抽出への矮小化」という反論の溝は、対応表の上には現れません(23章で再論します)。
20サブタイプとタイプ内変異
同じSEIでも人によって印象が大きく違う—この観察を扱うのがサブタイプ(タイプ内変異)の理論群です。いずれも後代の拡張理論で、相互に互換性はありません。理論には、Meged & Ovcharovに帰属される2分割、Filatovaの2変種、Filimonovの意味論区分、GulenkoのDCNHがあります。
アウシュラ—タイプと人格の区別
サブタイプ理論の前提になる区別を、アウシュラ自身がこう書いています。
パーソナリティとパーソナリティタイプは、疑いなく同じものではない。同じパーソナリティタイプを持つ人間でも、わが国の文化と何らかのアステカ文化では、まったく異なるものである。
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Личность и тип личности, несомненно, не одно и то же. Человек с тем же самым типом личности в нашей культуре или в какой-либо ацтекской культуре — это что-то совершенно разное.
同じタイプでも、育った文化が違えば、人格としてはまったく違う人になるということです。同じ段落で彼女は、同じタイプの「変種」はいくらでも見つかる、とも書いています。
つまり、タイプは人格の全体ではなく形式で、形式の内側に文化・個人差の変異が残ります。後のサブタイプ理論は、この内部変異を記述する試みとして現れます。
Meged & Ovcharov—接触型と惰性型
2分割のサブタイプ理論の代表は、Meged & Ovcharovに帰属されます。Wikisocionは、この理論を次のように紹介しています。
接触型/惰性型サブタイプ(Contact/Inert)(中略)V. Meged と A. Ovcharov によって提唱されたシステム。
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Contact / Inert Subtypes(中略)This system of subtypes was proposed by V. Meged and A. Ovcharov.
つまり、接触型と惰性型の2つに分ける理論を、Meged & Ovcharovの提唱としているということです。Wikisocionの同じ項目によると、この理論は、強化される機能が位置1側か位置2側かで2変種を区別するもので、SEIならSi強化型とFe強化型に分かれます。当サイトが確認できた範囲では、Meged & Ovcharov本人のSEIプロファイル(13章)にはサブタイプ論の直接の記述がなく、この理論の整理はコミュニティ編纂資料に依っています(帰属の確度に留保つき)。
Filatova—感覚サブタイプと倫理サブタイプ
Filatovaは16タイプを2変種ずつの32水準で記述します。SEIの1つ目の変種は、次のように書かれます。
感覚サブタイプ。 このサブタイプにとって最も重要なのは、良好な体調である。彼にとって、平穏と快適さは生きていく上での必要条件である。このサブタイプの人々は、素朴な日常の喜びを大切にし、美味しく食べることを好み、通例—見事な料理人であり、その際、味わいの質だけでなく、出来上がった料理の美しさにも気を配る。自分自身の体の欲求も、他人の欲求もよく感じ取ることができ、そのためしばしば医療の分野に自分の天職を見出す。応用芸術の分野でも成功裏に活動する。
彼らの動きは急がず、顔つきは笑みをたたえ、体型はふくよかになりやすい。自分の健康と外見に気を配る。
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Сенсорный подтип. Для этого подтипа главное — хорошее самочувствие. Для него покой и комфорт — жизненная необходимость. Люди этого подтипа ценят простые житейские радости, любят вкусно поесть, как правило — прекрасные кулинары, при этом заботятся не только о вкусовых качествах, но и об эстетике приготовленного блюда. Хорошо ощущают как потребности собственного тела, так и других людей, поэтому часто находят свое призвание в медицине. Успешно занимаются также прикладными видами искусства. Их движения неторопливы, лица — улыбчивы, фигура склонна к полноте. Следят за своим здоровьем и внешним видом.
言い換えると、感覚サブタイプは、体調と穏やかな快適さを何より大事にし、料理や医療に向くということです。2つ目の変種は、次のように書かれます。
倫理サブタイプ。 非常に社交的で感情豊かな人物であり、外向型のように見える。仲間との集まりや宴会を大いに好む。冗談好きであり、いたずらを溺愛する。あらゆる種類の芸術に容易に心を動かされ、とりわけ音楽と歌を好む—彼にはポピュラー音楽のジャンルの方が近しい。恋愛においては芸術家であり、異性を大いに好み、見事な口説き方を心得ている。このサブタイプの代表者の多くは、劇場の舞台やポピュラー音楽の世界に自分の天職を見出す。同じように、ビジネスにおいても、顧客とのあらゆる行き違いを難なく解決しながら、うまく自分を発揮することができる。
外見は、感覚サブタイプほど彼にとって重要ではない。服装においては、洗練さよりもむしろ快適さを好む。
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Этический подтип. Человек очень общительный, эмоциональный, кажется экстравертным. Большой любитель компаний, застолий. Шутник, обожает розыгрыши. Легко откликается на все виды искусства, особенно любит музыку и пение — ему ближе эстрадный жанр. Художник в любви, большой любитель представителей противоположного пола, умеет красиво ухаживать. Многие представители этого подтипа находят свое призвание на сцене театра, эстраде. Так же успешно они могут проявить себя и в бизнесе, легко улаживая все недоразумения с клиентами. Внешний вид для него не так важен, как для сенсорного подтипа. В одежде предпочитает не столько изысканность, сколько удобство.
つまり、倫理サブタイプは、外向型に見えるほど社交的で、舞台や接客で力を出すということです。前者がSi強化型、後者がFe強化型です。
このように、静かな快適さの管理者と、外向型に見えるほど社交的な感情の表現者という2変種があります。05〜13章で見た記述の振れ幅(脚光を避ける中庸の位置と、場を盛り上げる役、という開き)の一部は、この2変種の違いとして説明される場合があります。倫理サブタイプが「外向型のように見える」ことは、識別問題(21章)に直結します。
Filimonov—白い感覚の意味論区分
KarpenkoのSEI専論は、Filimonovに帰属される別の2分割を、こう使っています。
A. フィリモノフ[7]による白い感覚(○(Si))の意味論の区分を思い出すなら、「快適」型のSEIは各種の「楽しみ」—飲み食いから視覚的・性的刺激まで—により多くの注意を向け、「生命活動」型のSEIは健康状態—自分のも他人のも—により注意深い。しかしどちらのタイプも、相手がこのアスペクトについて自分がやっていけることを示し、責任をすべて自分で引き受ける用意を伝えてくれば、感覚的コントロールをあっさり「手放す」。子どもがSEIの親に「この状況では世話は要らない」と言うだけでも、親は引き下がるほかない。そしてこれが、SEIを第2機能の白い感覚型—(■(Te)○(Si))(LSE)や(▼(Fe)○(Si))(ESE)—から区別する。彼らは、完全に健康とは思えない相手を「手放さない」。SEIは譲る—自分の意見を保ち、心配し続けるかもしれないが、もう黙って、である。
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Если вспомнить деление семантики белой сенсорики ( ) по А. Филимонову [7], то те СЭИ, у кого «комфорт», больше внимания уделяют разного рода «удовольствиям» — от еды и питья до визуальных и сексуальных стимулов, а те, у кого «жизнедеятельность», бо- лее внимательны к состоянию здоровья — и своего, и других людей. Но и те и другие легко «отпускают» сенсорный контроль, если человек демонстрирует свою состоятельность по этому аспекту и сообщает о своей готовности взять всю ответственность на себя. Даже если ребенок заявляет родителю-СЭИ, что не нуждается в опеке в данной ситуации, тому ничего не остается, как отступить. И это отличает СЭИ от белых сенсориков по второй функции — от (ЛСЭ) и (ЭСЭ) — те «не отпустят» человека, которого считают не вполне здоро- вым. СЭИ уступает, хотя и может сохранить свое мнение и продолжать беспокоиться, но уже молча.
言い換えると、SEIには、飲食や見た目などの楽しみに向く「快適」型と、自分や他人の健康に向く「生命活動」型があるということです。機能位置の強化(Meged & Ovcharov、Filatova)ではなく、主導要素Siの意味論の内訳で分ける第3の区分です。
また、この引用は、サブタイプの違いを超えてSEIに共通する行動(相手が責任を引き受けるなら感覚的コントロールを手放す)を、Siが創造機能のタイプ(LSE・ESE)との識別点として提示しています。
Gulenko—DCNHの4サブタイプ
Gulenkoは、2分割ではなく4分割です。Gulenkoは、4つのサブタイプを3つの極性の組み合わせで、こう定義しています。
接触・終結的・接続的 = 支配型サブタイプ(D / Dominant)(中略)接触・開始的・無視的 = 創造型サブタイプ(C / Creative)(中略)遠隔・終結的・無視的 = 規範型サブタイプ(N / Normalizing)(中略)遠隔・開始的・接続的 = 調和型サブタイプ(H / Harmonizing)
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• Contact, terminal, connective — dominant subtype (D) • Contact, initial, ignorative — creative subtype (C) • Distant, terminal, ignorative — normalizing subtype (N) • Distant, initial, connective — harmonizing subtype (H)
つまり、接触か遠隔か、終結的か開始的か、接続的か無視的かの組み合わせで、4つのサブタイプが決まるということです。レイニン特性とは別体系である旨は、Gulenko自身が明言しています(12章)。
Gulenkoは、SEIの4変種それぞれに、見出しとプロトタイプを付けています。まず、支配型です。
支配型サブタイプ(SEI-D:支配型SEI)(中略)仲介者 — 配分者(Dominant)(中略)プロトタイプ:人々の交渉を助ける便利な仲介者
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Dominant Subtype Mediator — Distributor Prototype: A convenient mediator helping people negotiate
支配型のSEIは、人々の交渉を助ける仲介者として書かれます。次は創造型です。
創造型サブタイプ(SEI-C:創造型SEI)(中略)仲介者 — 作曲者(Creative)(中略)プロトタイプ:対立する当事者を結束させられる多元主義者
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Creative Subtype Mediator — Composer Prototype: Pluralists able to unite opposing parties
創造型のSEIは、対立する人たちをまとめられる人として書かれます。次は規範型です。
規範型サブタイプ(SEI-N:規範型SEI)(中略)仲介者 — 結集者(Normalizing)(中略)プロトタイプ:思いやりのある親、家族のコミュニケーションの中心
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Normalizing Subtype Mediator — Rallying Prototype: A caring parent, the center of the family’s communication
規範型のSEIは、家族の中心になる思いやりのある親として書かれます。最後に調和型です。
調和型サブタイプ(SEI-H:調和型SEI)(中略)仲介者 — 解決者(Harmonizing)(中略)プロトタイプ:黄金の中庸の規則によって生きる美学家
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Harmonizing Subtype Mediator — Resolver Prototype: Aestheticist living by the rule of the golden mean
調和型のSEIは、黄金の中庸で生きる美学家として書かれます。『64の肖像』という書名は、16タイプ×4サブタイプ=64変種に由来します(「仲介者」はこの訳書でのGulenkoのSEI呼称で、12章の「調停者」と同じ語の別訳です)。
つまり、交渉の仲介者(D)、当事者を結束させる調整者(C)、家族の中心(N)、中庸の美学家(H)と、同じSEIの記述でも、能動的な配分者から受容的な美学家まで幅があるということです。この幅の広さは、変異をよく捉えているとも、タイプ概念の識別力を薄めているとも読めます。
サブタイプ理論への批判
コミュニティ編纂資料のWikisocion自身が、サブタイプへの批判点をこう記録しています。
タイプの誤判定を隠すために使われることがある
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Critics say that in many cases the basic type has been incorrectly diagnosed, and the addition of a “subtype” simply masks the contradiction.
判定が合わないときに「サブタイプのせい」と説明を後づけできてしまう—反証されにくくする説明になりうるという批判です(23章の反証可能性の議論につながります)。
小括します。SEIのタイプ内変異には、機能位置の強化による2分割(Meged & Ovcharov、Filatova)と、主導要素の意味論による2分割(Filimonov)があります。さらに、極性の組み合わせによる4分割(Gulenko)もあります。少なくとも3系統の区分が併存し、相互の互換性はありません。そのため、05〜13章の記述の振れ幅(静かな快適さの管理者か、外向型に見える社交家か)は、「どの変種の記述を読んでいるのか」という問いで整理できます。とりわけFilatovaの倫理サブタイプの「外向型のように見える」という記述は、次章の識別問題に直接つながります。
21識別と誤同定
「この人はSEIか」をどう決めるか。タイプ判定の方法論は、ソシオニクスの主要な方法論上の課題とされてきた領域です。この章では、判定の手続き論と、SEIに固有の識別手がかり・誤同定の経路を並べます。数字つきの内部批判は23章で扱います。
手続き論—アウシュラとYermak
アウシュラ自身の検証手続きは、モデルの作動チェックでした。アウシュラは、研究の始まりをこう書いています。
研究の第1段階は、K.G.ユングのモデルを全知人で検証することだった。それは絶対的に正しいことが分かり、それゆえモデルが作動するか作動しないかで、タイプが正しく確立されたかどうかが見えた。モデルが作動しなければ、タイプ診断の誤りを意味した。
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Первым этапом изучения была проверка модели К. Г. Юнга на всех знакомых людях. Она оказалась абсолютно правильно, и потому, срабатывает или не срабатывает модель, было видно, правильно ли установлен тип. Если модель не срабатывала, то это обозначало ошибку в диагнозе типа.
言い換えると、アウシュラは、ユングのモデルが知人に当てはまらなければ、モデルではなくタイプの診断が誤っていると考えたということです。この基準は、運用上は実際的ですが、論理的にはモデル自体の誤りという選択肢を排除しています(この論点は23章)。
Yermakは、まず用語の側から手続きを定義します。
同定 という用語(羅 identificare — 同一視する、つまり、ある意味で同一視、近似化、対等化)は、私たちが具体的な人物の心のTIMを決定するときに行うことを、最も正確に表す。他の用語 — 診断、テスト、タイプ判定 — はあまり成功していない[80]。
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Термин идентификация (лат. 14епийсаге — отождествлять, т.е. отождествление, уподобление, приравнивание в определённом смысле) наиболее точно обозначает то, что мы делаем, когда определяем ТИМ психики конкретного человека. Другие термины -— диагностика, тестирование, типирование — менее удачны [80].
つまり、Yermakは、人のタイプを決める作業を、診断でもテストでもなく「同定」と呼ぶのがいちばん正確だと考えているということです。手続きそのものは、次のように2段階に定式化されます。
心のTIMの 同定の手続き は、専門家による心のタイプの 仮説 の選択と、選ばれた心のタイプに対応する心のTIMモデルの 検証 からなる。
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Процедура идентификации ТИМ психики состоит из выбора экспертом гипотезы типа психики и верификации модели ТИМ психики, соответствующей выбранному типу психики.
言い換えると、タイプの同定は、専門家がタイプの仮説を立て、そのタイプのモデルで確かめる2段階でできているということです。アウシュラの実践を明文化した形です。
Yermakはさらに、誤同定が起きる機構も書いています。
自我ブロックの「ブロッキング」では(中略)心理機能の二次元性(機能3 — 「社会的規範」)と一次元性(機能4 — 「社会的経験」)では、ブロックは心の特徴的歪み—社会(ソシウム)における人間の 規範的=不確実な行動 —につながる
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при “блокировке” блокаЭГО блок принятия решений суперЭГО вынужден функционировать как исполнительный блок суперблока Мега1, что при двумерности (функция 3 — “социальных норм”) и одномерности (функция 4 — “социального опыта”) психических функций блока ведёт к характерному искажение работы психики, которое выглядит как нормативно-неуверенное поведение человека в социуме
言い換えると、自我ブロックが抑え込まれた人は、超自我(SEIならNi・Te)で動くしかなく、規範どおりだが自信のない振る舞いが表に出るということです。観察されるのは本来の強い機能ではなく状態によって変わる姿で、そのまま判定すると別タイプに見える可能性がある、という指摘です。08章でStratiyevskayaが書いた「仕事は厄介な必要性」という負担の記述は、この超自我で動いている状態と読めます。
面接者の構え—Karpenko
診断面接をする側の条件について、Karpenkoはエキスパートの理想をこう書きます。
エキスパートは距離を置いた者ではありえない。彼はバイタルな衝動に応答することを余儀なくされ、義務づけられている。さもなければ彼とコミュニケーションすることは不可能になり、さもなければ被験者とのコンタクトは失われてしまう。注意深く、同情し、共感し、心から人々を愛し、しかし感情の、関係の、影響の遊びには巻き込まれていない—これがエキスパートの理想である。非巻き込まれ性は、ILEのエキスパートが、ESIがある考えの展開の中で発した、しかし事実上ILEに宛てられたフレーズ—「たとえば、あなたのことは、私、好きじゃありません」—に平静に対応することを可能にする。そう、分かっている—衝突である。しかしこれはインタータイプ関係であって、この2人の具体的な人間同士の関係ではない。
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Эксперт не может быть отстраненным, он вынужден, обязан откликаться на витальные импульсы, иначе с ним невозможно будет общаться, иначе контакт с испытуемым будет утрачен. Внимательный, сочувствующий, сопереживающий, искренне любящий людей, но не вовлеченный в игру эмоций, отношений, влияний — вот идеал эксперта. Невовлеченность позволяет эксперту-ИЛЭ спокойно отреагировать на фразу ЭСИ, произнесенную в развитие какой-то мысли, но адресованную фактически ИЛЭ: «Вот вы мне, например, не нравитесь». Да, понятно, — конфликт, но это интертипное отношение, а не отношение этих двух конкретных людей.
つまり、判定する専門家は、相手に共感しながらも、タイプどうしの関係から来る感情には巻き込まれないのが理想だということです。面接者自身のタイプが判定に影響する(ここではILEの面接者とESIの被験者の衝突関係)ことを織り込み、関係の効果と個人の関係を切り分ける訓練を求める記述です。ユング自身が合理・非合理の判定は観察者に依存しうると書いていたこと(23章で引用)と同じ問題系です。
SEI固有の識別問題—見えにくさ
SEIの識別には、ユングの祖形の時点から外面と内面のずれという固有の困難が記述されています。落ち着いた受動的な外見と理性的な自己制御のために、内側の非合理的な知覚過程が外から見えにくい、という02章の記述です。
一方、SEI、仲介者、デュマの笑みは、まったく異なる(写真142〜144)。それはいくぶん控えめで、それほどあからさまではなく、むしろ、本格的な努力が求められる場面では容易に物陰に退くことのできる人物の、柔らかな微笑みに近い。彼はどちらかといえば、全般的な好意は示すものの、すぐさま助けに駆けつける用意があるわけではない。
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А вот улыбка СЭИ, Посредника, Дюма — совсем иная (142—144). Она немного скрытная, не так откровенна, скорее, это мягкая полуулыбка человека, который легко умеет уйти в тень, если от него требуется приложение серьезных усилий. Он, скорее, демонстрирует общую доброжелательность, но не готовность немедленно броситься на помощь.
「仲介者」「デュマ」は、SEIの名称と愛称です。言い換えると、SEIの微笑みは、ESEの笑顔より控えめで、いつでも一歩引ける柔らかさがあるとFilatovaは書いています。同じ快活さでも笑みの質が違う、という識別の手がかりです。
誤同定の経路—社交性を外向性と読み違える
サブタイプ論(20章)で見た「外向型に見える倫理サブタイプ」について、Filatova自身が、写真を示しながら判定の注意を添えています。
それでは、3列目の男性ペア(写真341—342)を見てほしい。もし右側の男性に「コーカサス風」の口ひげと、左側の男性の眉をつけたとしたら、両者はおそらく互いにまったく見分けがつかなくなるのではないだろうか。このSEIのサブタイプは非常にコミュニケーション能力が高く、おそらくこれは強化された外向倫理と関係している。こうした人々は、社交性だけが外向性の性質であるとするなら、しばしば外向型という印象を与える。まさに第2機能が能動的で活動的なものであることを思い出そう。それゆえ、SEIの多くの倫理サブタイプは、明らかな外向型のように見える。しかし、私たちはこうした場合の結論については慎重でなければならない—彼らの笑顔の柔らかさ、行動の順応性、「仲良く暮らしたい」という願望、そしてまさにSEIを特徴づける他の多くの点に注目する必要がある。
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А теперь взгляните на пару мужчин в третьем ряду (341—342). Как вам кажется, если бы мужчине справа приклеить «кавказские» усы и брови мужчины слева, то оба, наверное, ничем бы не отличались друг от друга. Этот подтип СЭИ очень коммуникабелен, скорее всего, это связано с усиленной экстравертной этикой. Такие люди часто производят впечатление экстравертов, если бы свойством экстраверсии была исключительно общительность. Напомним, что именно вторая функция бывает активной, действующей, поэтому многие этические подтипы СЭИ кажутся явными экстравертами. Но мы должны быть в таких случаях осторожны в выводах, необходимо обратить внимание на мягкость их улыбки, конформность их поведения, желание «жить дружно» — и многое другое, что характеризует именно СЭИ.
つまり、SEIの倫理サブタイプは、2番目のFeが能動的に働くので社交的で、社交性を外向性と読み違えると外向型に見えるということです。Filatovaは、そうした場合も笑顔の柔らかさや順応性などを見て、結論は慎重に出すよう求めています。このように、03章の位置の理論が、そのまま判定上の誤認要因の説明になっています。同じ第III部でFilatovaは、感覚サブタイプ側の外見的な手がかり(官能的な唇、柔らかいまなざし、鋭くない眉)も挙げます。外見とタイプの結びつきは、Filatova(写真)、Meged & Ovcharov(まなざし)、Beskova(男女別の外見)と複数の論者が採用した手法ですが、いずれも統制された検証は示されていません。
双対不在という状況要因—アウシュラ
アウシュラは、単独で観察されたSEIが誤解される機構を書いています。
すなわち、ドン・キホーテが行動するあいだに彼の行動をデュマが説明すべきなのだ。(同様にデュマの人々との関係をドン・キホーテが説明すべきであり、さもなければデュマは狡猾なエゴイストとして語られるが、これはまったく真実に対応しない。)デュマがいないとき、ドン・キホーテは奇行で身を隠さざるをえない。それは自家製のデュマのかかしのようなものだ。
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То есть, в то время как Дон Кихот действует, его поступки должен объяснять Дюма. (В равной мере отноше- ния Дюма с людьми должен объяснять Дон Кихот, иначе о Дюма будут говорить как о хитром эгоис- те, что совершенно не соответствует правде.) Когда Дюма нет, Дон Кихот вынужден прикрываться чу- дачеством. Это похоже на чучело Дюма собствен- ного производства.
引用中の「ドン・キホーテ」「デュマ」は、ILE・SEIの愛称です。言い換えると、双対のILEが人との関係を説明してくれないと、SEIは実際とは違って「狡猾なエゴイスト」と受け取られるということです。タイプの性質ではなく、観察される状況(双対の不在)が印象をゆがめるという指摘です。誤同定の原因を観察対象でなく観察環境に求める、この文献群では珍しい形の記述です。
小括します。SEIの識別困難は、構造的な理由が繰り返し記述されています。第一に、外面の落ち着きのために、内面の非合理過程が外から見えにくいこと(ユング)。第二に、能動的な第2機能Feが社交性として現れ、外向型と読み違えられること(Filatova。サブタイプでその傾向が強まります)。第三に、双対不在の状況で否定的に誤読されること(アウシュラ)。弁別点として提案されているのは、笑みと順応性の質です。
22著名人と思想のタイピング
著名人のタイピングは、ソシオニクス文献の目立つ伝統であると同時に、検証がきかない領域です。この章は「誰がSEIか」の正解表ではありません。研究者が誰を挙げ、どんな根拠づけをし、どこで食い違ったかの記録です。章の最後に、当サイトの独自整理を1節だけ、試論と明示して置きます。
愛称「デュマ」の由来と、命名法の内幕
SEIの愛称は、『三銃士』の作者アレクサンドル・デュマ(父)に由来します。Filatovaは命名法の趣旨をこう説明します。
これは著名な人物たち—作家、国家的活動家、文学の登場人物で、対応する心理タイプの特徴がはっきり現れていた人々の名前である: デュマ、バルザック、ナポレオン、ドン・キホーテ、シュティルリッツ…。
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Это имена известных личностей — писателей, государственных деятелей, литературных героев, у которых были явно выраженные черты соответствующего психотипа: Дюма, Бальзак, Наполеон, Дон Кихот, Штирлиц...
引用中の人名は、各タイプの愛称の列挙です。つまり、愛称は、そのタイプの特徴がはっきり現れていた実在の人物や作中人物の名前から取られているということです。
ILEの愛称が架空の人物(ドン・キホーテ)であるのに対し、SEIの愛称は実在の作家で、しかも同名の作家が親子で2人います。Filatova自身、タイプ一覧の見出しにその断りを添えています。
10. Si-Fe 感覚倫理内向(SEI、デュマ、仲介者)
〔デュマ父のこと。〕
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10. БС-ЧЭ Сенсорно-этический интроверт (СЭИ, Дюма, Посредник). [Дюма-отец.]
つまり、愛称が指すのは父(Alexandre Dumas père、1802〜1870)で、息子(同名の劇作家、『椿姫』の作者)とは別人です。
実在の人物を愛称に使うこの命名法は、後に学派内の批判対象になりました。Gulenkoは、こう書いています。
残念ながら、旧ソ連では誤解を招くペンネームのシステムがまだ使われており、有名人によってタイプを命名する(たとえば作家:デュマ父はISFP、ゴーリキーはISTJを表す;書籍の主人公 ― ホームズはESTJ、ドン・キホーテはENTPを表す;ロシア外で知られていない人物さえいる)。何人かのソシオニスト [17, 18] は、機能的名前への移行傾向を無視して、依然そのようなペンネームを使っている。(中略)ばかげた用語の使用をやめるよう私が繰り返し訴えたが、長い間無視された;ついに状況は変わったが、私との対話の試みの代わりに、キエフのソシオニストたちが彼ら自身の代替名前システムを提案した。論争と敵意の種が蒔かれた。
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Unfortunately in the former USSR a misleading system of pseudonyms is still in use of naming types by celebrities (e.g. writers: Dumas-father stands for ISFP, Gorky for ISTJ; book heroes – Holmes stands for ESTJ, Don Quixote for ENTP; there are even persons unknown outside Russia). Several socionists [17, 18] still use such pseudonyms ignoring the trend of transition to functional names. […] My repeated appeals to stop using ridiculous terminology have been ignored for a long; finally, the situation changed, but instead of attempts to a dialog with me, the socionists in Kiev offered their own alternative system of names. Seeds of controversies and hostilities have been sown.
言い換えると、Gulenkoは、有名人の名前でタイプを呼ぶ方式は誤解を招くとして、機能に基づく名前への切り替えを訴えてきたということです。その批判の先頭に挙がるのが、まさにデュマ父です。文中の「ISFP」はソシオニクスの4文字表記ISFpの大文字化で、MBTIのISFPではありません(19章)。
このように、愛称が誤解を招くという批判、機能的名前への移行、命名をめぐる学派対立があり、愛称の廃止はソシオニクス内部からの提案でもあります。当サイトがコード表記を採る判断(末尾の「この記事の方法論」)は、この系譜に沿っています。
創始者と初期資料が挙げた人物
アウシュラ自身のSEIタイピングは、『ソシオニクス入門』の記述に残っています。アウシュラは、ILEのパートナー像の中で、こう書いています。
パートナーとしてはもっぱら友好的で、常に上機嫌で、楽観的な感覚倫理内向^80が完全にふさわしい。
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В партнеры полностью подходит только друже- любный, постоянно хорошо и оптимистично настро- енный сенсорно-этический интроверт (киноактер Леонов, Дюма-отец).
つまり、ILEの理想のパートナー像という文脈で、俳優のエヴゲニー・レオーノフとデュマ父その人が、SEIの実例に挙げられているということです。愛称の由来人物が、そのタイプの実例でもあるという、自己言及的な構図です。
同書の人名対照リストには、より長い列挙があります。
感覚倫理内向:1)マルタン・デュ・ガール、M.ショーロホフ、デュマ=ペール、ルノワール;2)E.レオーノフ、O.タバコフ、L.ブロネヴォイ。
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Сенсорно-этический интротим: 1) Мартен Дю Гар, М. Шолохов, Дюма-отец, Ренуар; 2) Е. Леонов, О. Табаков, Л. Броневой.
上の引用にある感覚倫理内向は、SEIのことです。挙がっているのは、作家(デュ・ガール、ショーロホフ、デュマ父)、画家(ルノワール)、俳優(レオーノフ、タバコフ、ブロネヴォイ)です。
初期ハンドブック(Weisband編纂)には、デュマ父の伝記的逸話まで記録されています。
興味深い事実:アレクサンドル・デュマ・ペールが「三銃士」「モンテ・クリスト伯」その他多くの本を書き始める前に、彼の秘密の共著者マックスがそれらの草稿を書いた。
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An interesting fact: before Alexander Dumas The Father began writing “The Three Musketeers”, “The Count of Monte-Cristo” and many other books, his secret co-author Max wrote their drafts.
つまり、ハンドブックは、デュマ父の本の草稿を共著者が先に書いていたという逸話を、SEIの実例の話として伝えているということです。「マックス」は、史実ではオーギュスト・マケ(Auguste Maquet)を指すと考えられます。草稿を共著者が用意し、デュマが仕上げたという分業の逸話が、タイプ記述の文脈に置かれています(逸話の史実性の検証はこの文献にはありません)。
後代のリスト
後代の研究者は、より長いリストを残しています。Reininは、SEIの節の著名人欄に、次の人物を挙げています。
このタイプの著名人:アレクサンドル・デュマ父、ポルトス(デュマの『三銃士』の登場人物)、ピーテル・パウル・ルーベンス、ピエール=オーギュスト・ルノワール、マルタン・デュ・ガール、オー・ヘンリー、イワン・アイヴァゾフスキー、アレクサンダー・ハミルトン、グリゴリー・コトフスキー、ニキータ・フルシチョフ、ミハイル・ショーロホフ、チャーリー・チャップリン
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Celebrities of this type: Alexander Dumas-father, Porthos, a character from Dumas' Three Musketeers, Peter-Paul Rubens, Pierre, Augusts Renoir, Martin due Guard, O'Henry, Ivan Ivazovsky, Alexander Hamilton, Grigory Kotovsky, Nikita Khrushchev, Michael Sholokhov, Charlie Chaplin
つまり、Reininのリストは、画家が3人(ルーベンス、ルノワール、アイヴァゾフスキー)、作家が4人(デュマ父、デュ・ガール、オー・ヘンリー、ショーロホフ)です。ほかに、政治家や軍人が3人(ハミルトン、コトフスキー、フルシチョフ)、喜劇俳優(チャップリン)、デュマ父の作中人物ポルトスが並びます。
Stratiyevskayaのリストは、音楽家・歌手へ大きく広がります。
アレクサンドル・デュマ(父)、ヤロスラフ・ハシェク、ジョアキーノ・ロッシーニ、ジョルジュ・ビゼー、オーギュスト・ルノワール、ボリス・クストーディエフ、ルチアーノ・パヴァロッティ、モンセラート・カバリエ、エヴゲニー・レオーノフ、オレグ・タバコフ、ブラート・オクジャワ、ユーリ・ヴィズボル、エリダル・リャザーノフ、レオニード・ブロネヴォイ、レオニード・クラヴリョフ、ナターリャ・グンダリョワ、イリーナ・ムラヴィヨーワ、ヴァレンチン・ユダシキン、アレクサンドル・カリャーギン、ラリーサ・ドリーナ、ロマン・カルツェフ、スタニスラフ・サダリスキー、ヴャチェスラフ・ネヴィンヌィイ。
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Александр Дюма (отец), Ярослав Гашек, Джоаккино Россини, Жорж Бизе, Огюст Ренуар, Борис Кустодиев, Лючано Паваротти, Монтсерат Кабалье, Евгений Леонов, Олег Табаков, Булат Окуджава, Юрий Визбор, Эльдар Рязанов, Леонид Броневой, Леонид Куравлев, Наталья Гундарева, Ирина Муравьева, Валентин Юдашкин, Александр Калягин, Лариса Долина, Роман Карцев, Станислав Садальский, Вячеслав Невинный
言い換えると、23名中、作曲家・歌手が5人前後(ロッシーニ、ビゼー、パヴァロッティ、カバリエ、オクジャワら)、俳優が10人前後を占めるということです。デュマ父・ルノワール・レオーノフ・タバコフ・ブロネヴォイはアウシュラ/Reininのリストと重なりますが、どのリストにも選定の根拠は添えられていません。
文学の登場人物では、Socioscopeがロシア文学の系譜を挙げます。
ロシア文学はこのタイプの人々の興味深いイメージに富んでいる:クリム、有名なオブローモフ、そして永遠に「余計者」のエフゲニー・オネーギン。そして異なる著者による多くの複雑な問題は、この主人公の人生における場所を探すという一つの大きな問題を提起している。
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Russian literature is rich with interesting images of people of this type: it Clim, and the famous master Oblomov, and forever “superfluous man” Eugene Onegin. And by different authors of the many complex issues raised one big question Search this hero’s place in life.
つまり、Socioscopeは、ゴンチャロフのオブローモフやプーシキンのオネーギンといった19世紀ロシア文学の「余計者」の系譜を、SEIの文学的なイメージとしているということです。これはコミュニティ寄りの資料の解釈です。21章で見た「双対不在の状況で否定的に誤読される」という記述と合わせて読む必要があります。
なお、Reininの別タイプのプロファイル(ESI)には修飾語のない「アレクサンドル・デュマ」が単独で記載されており、SEI側のリストが明示する「デュマ父」と同一人物を指すのか、息子を指すのかは資料からは判別できません。このように、「デュマ」という名だけでは、人物もタイプも特定できません。愛称と人名の運用の紛らわしさを示す実例です。
記述者自身のタイプ—Karpenkoの自己言及
このページで最も特殊な帰属は、SEIについて書いた研究者自身のものです。11章で引いたSEI専論の一節で、Karpenkoは「タイプを『自分から』書くわけにはいかないでしょう」と答えてきたと述べています。そのうえで、「自分の2人の同一タイプの相手(と自分自身)の振る舞いを、近い距離から、かなり長い時間観察する機会」を得たと書きます。同一タイプの相手を観察したという言い方は、書き手自身がSEIであることを前提にしています。専論が既存記述の戯画化への抗議を結びに置き、モデルAのブロック別の解剖を選ばなかったと明記したことも、この立場と対になっています。
ILEの側では、創始者アウシュラとReininがILEを自認していたことが複数の資料で確認できます。SEIについては、当サイトが確認した範囲で自認の明示はKarpenkoの一節だけです。SEI記述の多くがILEの双対という文脈で書かれてきたこと(11章・23章)と、SEIを主語にした専論をSEIの書き手が書いたことは、記述の偏りを読むときに合わせて見る材料になります。
思想の様式について—独自整理(試論)
以下はこの節だけ、引用ではなく当サイトの独自整理です。検証不能なタイピングの上に載る、その程度の確からしさの仮説的な見立てです。
研究者たちがSEIに割り当ててきた人物群は、画家・作曲家・歌手・俳優・料理と生活の描写に長けた作家に大きく偏っています。ILEの超詳細解説で見るILEのリストが、物理学者と体系の創設者に偏っていたのと対照的です。
共通するのは、業績の形が感覚的な質の制作と再現だという点です。例えば、色彩(ルーベンス、ルノワール)、旋律と声(ロッシーニ、パヴァロッティ)、身体の演技(チャップリン、レオーノフ)です。作中人物では、生活の質感そのもの(オブローモフ)が挙がります。04章の定義(主観の側に現れる感じ・快適さの知覚+感情の場の操作)と突き合わせると、各研究者は「SEI的な知覚の産物」の典型として、感覚の質を扱う仕事を選んで例示してきた、と整理できます。つまりこれらのリストは、実在の人物のタイプの記録としてより、研究者たちがSEIという概念で何を指したかったかの記録として読む方が、資料の性質に合っています。
小括します。SEIの著名人リストは、画家・作曲家・歌手・俳優への偏りという形をとり、物理学者と体系の創設者に偏るILEのリストと対照的です。ただしどのリストにも選定の根拠は添えられておらず、判定の手続きは追えません。この章に固有の論点は2つあります。愛称の由来人物であるデュマ父がそのままタイプの実例に置かれている自己言及的な構図と、「デュマ」という名だけでは父と息子のどちらを指すかも帰属タイプも特定できないという運用上の紛れです。実在の人物名を愛称に使う命名法の副作用として、この章で見たGulenkoの批判と併せて読めます。
23先行研究への懸念点
この章は、ここまで引用してきた文献群への懸念の整理です。外部からの批判ではなく、できる限り研究者たち自身の言葉で、方法論の弱点がどこまで自覚されていたかを示します。
観察者依存—ユング自身の警告
出発点のユングに、すでに方法論的な自己言及があります。
ただし、このような心理状態について全く正反対の概念を持つことも同様に可能であり、それに基づいて説明することも認める。 私自身が異なる個性心理学を持っていたとしたら、無意識を「非合理的」と見なす観点から、合理的タイプの特徴を正反対の方法で記述していただろうと確信している。
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I am prepared to grant that we may equally well entertain a precisely opposite conception of such a psychology, and present it accordingly. I am also convinced that, had I myself chanced to possess a different individual psychology, I should have described the rational types in the reversed way, from the standpoint of the unconscious as irrational, therefore.
言い換えると、ユングは、自分が別の心理学を持っていたら、同じタイプを正反対に記述していただろうと認めているということです。類型の記述そのものが、記述者のタイプに依存しうるという自己言及です。
SEIの記述には、この問題が二重にかかります。創始者アウシュラは、蓄えの対象を双対で比べた書簡で、ILEの側を「我々」と書いています(05章)。この書簡のように、SEIを双対のILEの側から書いた記述が多いと読めます。例外はKarpenkoのSEI専論で、書き手自身がSEIであることを前提に、同一タイプの相手と自分自身の観察から書かれました(11章・22章)。既存記述への抗議を結びに置いたのが、この唯一の内側からの記述だったことになります。
判定信頼性への内部批判
タイプ判定の信頼性は、学派内部で最も率直に語られてきた弱点です。
現在ソシオニクスが抱える最も痛切な問題は、心理タイプ判定の信頼性である。今のところ、これは科学というよりむしろ技芸に近い。
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самый больной вопрос соционики в настоящее время — это надежность определения психотипов. Пока это скорее искусство, чем наука.
つまり、タイプの判定は、まだ科学より職人の技に近いとFilatovaは見ています。Reininも、質問紙による判定について、こう書いています。
人々は中立的な質問(たとえば「人々は…についてどう考えていると思うか?」)には自発的に回答するが、評価的質問(「あなたはこちらが好きか、それともあちらか?」または「自分自身を…と…のどちらと考えるか?」)は無意識の緊張を引き起こす。(中略)私は既存のテストは最大40%の精度しか許さないと考えている。
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People answer neutral questions (for example: "What do you think people think about …?") spontaneously, but an evaluative question ("Do you prefer this or that?" or "Do you think of yourself as of … or …?") causes an unconscious tension. […] I believe that existing tests allow for maximum of 40 % accuracy.
言い換えると、自分をどう評価するかを尋ねる質問は無意識の緊張を生むので、今あるテストの精度は最大でも40%ほどだとReininは考えています。このように、15特性の提唱者自身が、質問紙による判定に低い評価を与えています。SEIについては、これに21章で見た固有の誤同定経路(社交的な倫理サブタイプが外向型に見える、双対不在時の否定的誤読)が重なります。
検証されない強い主張
このページで引用した記述には、検証可能な形をしているのに検証記録がない主張が含まれます。クアドラ定義の「衝突の起きる余地がない」(17章のアウシュラ)、次元性から導かれる「魔術的列」(16章のBukalov)、緊急時のパイロット研究への言及(06章のReinin。研究の出典・標本は示されません)が代表です。
また、双対・クアドラ内関係の質についての強い定式(「心理的な無重力状態」等)も、事例と自己報告の水準にとどまり、当サイトが確認した範囲で追試はありません。同じ問題は、資料の内部からも指摘されています。Stratiyevskayaは、SEIは身体的な過負荷に向くと自分では思っておらず、高い持久力が要る条件に身を置くのを好まない、と書いています。その記述に、Wikisocionの編集者は次の注を付けています。
編集者注:この記述は完全に正確ではない。一部のISFpは学校でスポーツに取り組み、後の人生でもスポーツを始め、プロのアスリートになる者さえいる。なぜなら、このタイプの人々にとって感覚はまだ自信の領域にあるからである。
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Editor’s note: This description is not entirely accurate. Some ISFps do engage in sports in school and take them up later in life, and some even become professional athletes, since sensing is still in the area of confidence for people of this type.
言い換えると、編集者は、スポーツに取り組み、プロの選手になるSEIもいるとして、Stratiyevskayaの記述を不正確だとしているということです。訂正の根拠は「感覚は自信の領域にある」というモデル内の理屈で、観察データではありません。強い主張が、別の強い主張で置き換えられている形です。
このように、理論の内部では強い主張が蓄積される一方、それを反証するための手続きが用意されていない—ここが実証面の中心的な懸念です。
記述の偏り—SEIはILEの影に置かれてきた
記述の量と質がタイプ間で均等でないことは、SEIの場合、内部から名指しで指摘されています。
KarpenkoのSEI専論は「SEIはソシオニクスで十分に記述されていない」という問題提起から始まり(11章冒頭の引用)、既存記述が「彼は何の役に立ちうるか」という視点—双対ILEの側から見た有用性—に偏ってきたと批判します。同じ専論が結びに引く抗議の手紙(既存記述がSEIを戯画に落としてきたことへの告発。11章)は、記述の偏りが読み手の反発を招く水準に達していたことを示す資料です。専論がモデルAのブロック別解剖ではなく連想的な記述形式を選んだ立場表明(11章)も、既存の記述様式への対処として読めます。
他方で、一般化に自分から限定をかける書き方も資料の内部に残っています。Bukalovは、SEIが弱い機能の課題を強い機能で処理し直す実例を記録したうえで、これはそれほどしばしばあるわけではないと自ら断りを入れました(16章)。観察をそのまま法則に昇格させない筆致が残っているのは、この文献群の健全な側面と読むこともできます。
記述の継承の選択性
SEI記述の系譜にも、継承の各段階で何を残し、何を組み替えたかの検証が示されないまま進んだ箇所があります。
- ユングの祖形との距離。ユングの内向的感覚型は、神話的な内的世界と表現手段の乏しさを持つ臨床的な像でした(02章)。ソシオニクスのSEIは、快適さの創出と感情の場の調整に長けた生活者の像です。「表現手段が乏しい」から「感情表現の達人(Fe創造)」への転回は理論の再設計であって、ユングの記述からの導出ではありません
- 臨床類型の流用。アウシュラの対照表は、SEIにユングの内向感覚型と並べて、リチコの発揚・不安定型やレオンハルトの顕示・発揚型を対応づけました(02章)。精神医学の類型と健常類型の同一視の妥当性検証は、引用した範囲の文献には示されていません
- 双対文脈への依存。SEIの初期記述の多く(05章のアウシュラ、13章のWeisband系)は、ILEとの双対関係の文脈で書かれています。SEI単体の観察として読めるのか、双対理論の要請(ILEに欠けるものの供給者)が記述に混ざっているのか、原文からは切り分けられません。Karpenkoの専論(11章)は、まさにこの偏りへの対処として2009年—アウシュラの最初の記述から四半世紀後—に書かれました
資料の非独立性—同一原稿の再録・別訳
このページの資料には、独立した証言と数えられない組があります。10章で注記したとおり、Yermakの1999年機関誌論文と2005年単行本の付録は同一原稿の再録・別訳の可能性が高く、両者で同じ記述が確認できても証言は1つです。また、08章と18章で引いたStratiyevskayaの「現実主義者」の一節も、同じ原文の別訳です。GulenkoのSEI記述(12章)は『64の肖像』とWikisocion掲載プロファイルの2系統がありますが、同一著者の記述であり、相互の一致は独立の確認になりません。「複数の資料で同じ記述を確認した」と言うためには、資料の系譜をまず確認する必要がある—このページが索引に資料の種別を明記しているのは、この理由によります。
学派の分裂と用語の混乱
このページの各章で繰り返し注意したとおり、体系間の互換性の欠如は現役の問題です。機能番号だけでも、次の番号づけが併存します。
- 現行の位置番号(03章)
- アウシュラ旧式(03章)
- Reininの符号付き番号(06章)
- Filatovaの4機能(09章)
- Golihovの独自番号(13章)
- GulenkoのモデルG(12章)
- TalanovのモデルT(15章)
SEIの場合はさらに、「サジェスティヴ」という同名の語が、『機能の理論』の第4機能(位置3のNi)と旧式のIV(位置5のNe)という別の位置を指す紛れが加わります(03章)。クアドラの番号も資料間で揺れ(17章)、愛称の存廃では学派対立まで起きました(22章)。
加えて、理論の外縁には思弁的な主張も現れます。Reininは2008年の機関誌で、タイプの由来についてこう答えています。
懐疑的である。検証する必要がある。タイプが何らかの形で遺伝で伝わるとは考えていない。ソシオンは、何らかの形で人間に体現されるノオスフェアの一般的構造かもしれない。A.ブカロフの仕事がこの点に光を当てているかもしれない。
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Скептически отношусь. Проверять надо. Я не думаю, что типы как-то по наследству передаются. Возможно, социон — это какая-то общая структура ноосферы, которая каким-то образом воплощается в людях. Пожалуй, работы А. Букалова проливают свет на это.
つまり、Reininは、タイプが遺伝で伝わるとは考えず、ソシオンは人類の思考圏の構造かもしれないと答えているということです。
Reininは、タイプの遺伝性には懐疑を示す一方、ノオスフェア(人類の思考圏)という検証の難しい仮説も提示しています。検証を求める姿勢と、検証しにくい概念への傾きが、同じ研究者の記述内に共存する例です。
制度化の主張と外部の視線
学派側は、普及の規模を示す数字を挙げます。
ソシオニクスが科学的方向性として広範に普及していることは、過去15年間にわたり、人文諸科学のあらゆる部門および一連の技術科学において、約800本の学位論文においてソシオニクスの諸概念および諸方法が用いられてきたという事実によって裏付けられている。これら学位論文を分野別および主題別に分析した。さらに、ソシオニクスに関する学術出版物の集合体を分析した。現時点において、ソシオニクスはロシア、ウクライナ、CIS諸国、ならびに欧州連合加盟諸国の150を超える大学で教授されている。
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Широкое распространение соционики как научного направления подтверждается тем, что за последние 15 лет соционические идеи и методы использованы примерно в 800 диссертациях по всем разделам гуманитарных наук и в ряде технических наук. Проведен анализ таких диссертационных работ по отраслям и темам. Проанализирован массив академических публикаций по соционике. В настоящее время соционика преподается более чем в 150 университетах России, Украины, стран СНГ и стран Европейского союза.
言い換えると、Bukalovらは、約800本の学位論文でソシオニクスが使われ、150を超える大学で教えられていることを、普及の根拠に挙げているということです。
800本の学位論文、150超の大学という数字はBukalovらの集計であり、独立の確認はありません。また、利用の広がりは妥当性の証明とは別の事柄です。学派の自己認識の強さは、Stratiyevskayaの一節に典型的に現れます。
ソシオニクスが伝統的心理学と異なるのは、化学が錬金術と異なるのと同じである—ソシオニクスには体系がある、構築的アプローチがある、それは既存の知識体系と矛盾せず、それどころか、最も多様な科学・領域で並行して行われている多くの研究によって裏づけられている、科学的方法に基づいている。
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От традиционной психологии соционика отличается так же, как химия от алхимии — в ней есть система, в ней есть конструктивный подход, она основана на научных методах, которые не противоречат существующей системе знаний, а, наоборот, подтверждаются многими исследованиями, проводимыми параллельно в самых различных науках и областях.
つまり、Stratiyevskayaは、ソシオニクスと伝統的な心理学の違いを、化学と錬金術の違いにたとえているということです。体系と構築的な方法があり、多くの研究で裏づけられている、という自己評価です。
この「化学と錬金術」という自己評価と、外部の「MBTIと同水準のポストユング類型論」という評価(19章のBukalovの引用)のあいだには、大きな開きがあります。最後に、判定者の質の問題も内部から指摘されています。
ソシオニクスに対する不信の、もう一つの原因は、この人間についての新しい知識領域に、専門的な訓練どころか、単純な人生経験さえ持たないことも少なくない、熱心な支持者たちの一大勢力が押し寄せたことに関係している。そして、そうした若者たちが、自分が正しいと絶対的な確信を持って、決して単純ではない心理的問題の解決策をあちらこちらで提示するとき、それが思慮深い研究者たちの十分に根拠のある批判を招かずにはいないのである。
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Другая причина недоверчивого отношения к соционике связана с тем, что в эту новую область знаний о человеке пришла большая армия энтузиастов, не имеющих зачастую не только специальной подготовки, но и простого жизненного опыта. И когда такие молодые люди с абсолютной уверенностью в своей правоте предлагают направо и налево рецепты решения совсем непростых психологических проблем, это не может не вызывать у вдумчивых исследователей вполне обоснованных нареканий.
言い換えると、専門の訓練も人生経験もない熱心な支持者が、確信をもって心の問題に答えを出すことが、ソシオニクスへの不信の原因になっているとFilatovaは見ています。
ここまでの懸念は、5つに整理できます。
- 判定の信頼性:技芸・最大40%・SEI固有の誤同定経路(外向に見える・双対不在時の誤読)
- 反証手続きの不在:強い主張(衝突の余地がない・無重力状態)が落とせない
- 記述の偏りと戯画化:ILE起点の座標系のなかで、SEIは「役に立つ双対」として、時に戯画として書かれてきた(内部からの抗議と専論による対処が2009年)
- 継承の選択性と非独立性:祖形の組み替え・臨床枠の転用・同一原稿の再録が、検証や明示を欠いたまま定着
- 体系の分裂:番号・名称・モデルの非互換(SEIでは「サジェスティヴ/暗示」の同名異義が加わる)
あわせて、このページ全体で扱ってきた主張の水準を区別しておきます。
- 文献上の事実:誰がいつ何を書いたか。索引と出典で確認できます。
- 理論内部の帰結:モデルを前提にした導出(例:SEIのTe=1次元)。モデル内で整合していても、モデル自体の妥当性は別の問題です。
- 文献系列内で反復される観察:14章の5つの観測。相互に参照し合う文献群での反復であり、独立した再現ではありません。
- 独立に実証された主張:測定・標本・追試を伴うもの。当サイトが確認した範囲では、この水準に達したSEI記述は本ページにはありません。
これらの懸念の多くが研究者自身の言葉で残っていることは、少なくとも一部の研究者が弱点を自覚して書き残していた証拠であり、同時に未解決の課題の一覧でもあります。このページの引用群は、その両面を示すことを意図して選びました。
24SEIとは何か
この章には新しい引用はありません。ここまでの各章の引用と、14章・23章などで行った当サイトの比較・整理を、1つのまとめへ再統合します。この章は資料の提示ではなく、資料についての当サイトの解釈です。引用に直接書かれた内容より、確からしさを一段低く見積もる必要があります。
反復して現れる記述
複数の研究者が、論者や時期を変えて繰り返し書いてきた記述があります。14章で5つに整理したとおりです。第一は感じ・快適さの知覚が記述の中心に置かれること、第二は感情の場の調整と対立の緩和、第三は事務的・形式論理の領域が高いコストを伴うことです。第四は外面の落ち着きと内面の見えにくさ、第五は見通し・時間の領域の不安です。
ただし、この反復を独立した観測の一致と呼ぶことはできません。アウシュラ以後の研究者は同じ理論共同体に属し、用語も先行する記述も相互に受け継いでいるからです(02章)。SEIの場合はさらに、同一原稿の再録・別訳が複数の資料に見える形で流通しており(23章)、反復の数がそのまま証言の数にならない事情があります。正確には、相互に参照し合う文献系列の中で、書き手と様式を変えて反復されてきたモチーフです。その意味で、SEI記述の共有された部分と見てよい範囲にとどまります。
確定しない点と実証の限界
一方で、単純にまとめられない点もあります。受動と動員の扱いは研究者で食い違います。
Gulenkoは中間にとどまる位置と消極的な他者評(12章)を記録し、Reininは極限状況での凍結を書き、BukalovとKarpenkoは危機時の代行や号令・動員の観察を書きました。平常時と危機時の条件の違いとして両立させる読み方はできますが、それは当サイトの整理です(14章)。
また、非合理型の帰属と「過度の合理主義」という助言記述の字面上の緊張(06章・15章)も、別語義(日常語の慎重さ/類型区分の用語)と読む余地はあるものの、原典側に説明はありません。
さらに、記述の前提そのものにも懸念が残ります(23章)。タイプ判定の信頼性は学派の内部から低く評価され、SEIには外向型と読み違えられる固有の誤同定経路が指摘されています。記述の多くがILEの双対という文脈で書かれ、戯画化への内部からの抗議と、それに応えるSEI専論の登場が2009年—最初の記述から四半世紀後—だったという経緯も、資料の偏りとして残ります。その専論だけが、書き手自身がSEIである立場から書かれました(11章・22章)。当サイトが確認した範囲では、測定・標本・追試を伴う水準で実証されたSEI記述は、このページにはありません。
SEI像の要約
ここまでを、確実に間違いとは言えない範囲でまとめます。記述の祖形はユングの2つの型にあります。内向的感覚型—刺激そのものの強さではなく、刺激が主観の側に引き起こす感覚の強さが行動を方向づける型—と、外向的感情型—感情が客観的状況と一般的価値に合わせて調整される型—です(02章)。文献上のSEIは、この2つを自我ブロックに重ねたタイプ、すなわち主導機能にSi(内向感覚)、創造機能にFe(外向倫理)を置くタイプとして記述されます(03章)。Siは主観の側に現れる感じ・快適さを知覚する要素、Feは感情状態の場を知覚し働きかける要素とされます(04章)。SEIではこの2つが別々に働くのではなく、Siの知覚がFeの表出と一体になって現れると説明されます(04章)。この構成の記述とは別に、複数の文献では、快適さの創出、対立の緩和、事務的論理の高コスト、外面の落ち着きと内面の見えにくさ、見通しの領域の不安が反復して記述されています(14章)。
SEIを短くまとめるなら、感じ・快適さの知覚と感情の場の調整を強い側に持つと文献上は記述されるタイプ、となります。それが、当サイトが確実に間違いとは言えないと考える範囲です。
かみ砕いて言うと
最後に、同じまとめを、タイプ解説で一般的な語り口に寄せて書いておきます。変えたのは文体だけで、内容は前節と同じく、根拠はここまでの章の資料のみです。
まず、01章で見た一般的な像に戻ります。心地よさの感じ分け、場の空気の調整、数字や根拠を求められたときの負担は、研究者の記述にも繰り返し現れます。一方、場を和ませる振る舞いは、美点としてより、張りつめた場に居続けられないことから来ると説明し直されます(08章・16章)。
SEIは、いま・ここの心地よさを感じ分けるところから動き出すタイプとして描かれてきました。場の空気が張りつめると、そこに居続けること自体の負担が大きく、なだめる・和ませる・その場を離れるといった調整が自然に始まるとされます。事務手続きや形式的な論理の工程には高いコストが伴い、経験したことのある範囲ではこなせても、非定型の課題では人間関係の側から解決の材料を集めやすい、と繰り返し書かれています。外からは落ち着いて受動的に見え、社交的な変種は外向タイプと見分けがつきにくいとされます。将来の見通しを立てる領域には漠然とした不安が残りやすく、可能性や展望の情報は信頼できる相手から受け取ることを好む、と記述されています。
ただし、これらは相互に参照し合う文献のなかで繰り返されてきた記述であって、測定で確かめられた性質ではありません(23章)。そのうえで一文に圧縮するなら—SEIは、少なくとも「感じ・快適さの知覚と感情の場の調整が強く、事務的・形式的な工程には高いコストが伴う」と文献上繰り返し記述されてきたタイプだと言えるかもしれません。
25この記事の方法論
引用を用いる理由と範囲
ソシオニクスの文献では、同じSEIというタイプについて、研究者ごとに観測点も語彙も評価も食い違います。食い違う記述を1つの要約にまとめると、どの研究者も書いていない「平均像」ができあがります。要約には書き手の解釈が混ざるため、研究者の記述は逐語の引用で示します。引用は、本文で設定した論点の検討に必要な範囲にとどめます。そのうえで、出典の関係・記述の違い・当てはまる範囲を、当サイトの本文で分析します。各引用の位置づけの説明、各章末の小括、14章の横断比較、22章・23章の整理がこのページの本文で、ここには当サイトの判断が入ります。最終の24章はその延長で、記事全体の資料をまとめ直す独自の統合です。
引用の逐語性と翻訳
引用の訳文は当サイトによる訳出です(ユングはドイツ語原著の英訳版から訳出しています)。底本の綴りは各引用の「原文を表示」で確認できます。
底本は研究者本人の著書と機関誌論文を主とします。コミュニティ編纂資料(Wikisocionなど)も補助として使いますが、出典表示で区別できるようにしています。原文は、テキストで示せる引用について各引用の下の「原文を表示」に格納しています。図表由来などで原文テキストを収載できないものは、索引の注記に示します。原文には誤字が残る可能性があることをあらかじめお伝えしておきます。
本ページの引用は、公表された著作物からの、批評・研究を目的とする引用です。引用部は引用ブロックで明瞭に区分し、すべてに出所を番号つきで明示しています。索引には著者・資料名と、確認できた範囲の刊行年・初出・該当箇所を掲載し、出所に留保が要る資料は注記で示します。本文と引用の関係は、本文の分析が主で、引用は各論点の根拠として示す資料です。出典・掲載についての指摘があれば対応します。
タイプ愛称の置換
ソシオニクスの原典には、16タイプを著名人の名で呼ぶ愛称が頻出します。SEIの場合は「デュマ」です。当サイトはタイプをコード表記(SEI、ILEなど)で統一しているため、引用内の愛称は「SEI〔原文:デュマ〕」の形式で置換します。愛称の由来と著名人タイピングの問題は22章で扱います。
索引の使い方
引用の末尾には初出順の番号が付きます。番号を押すと巻末の索引に移動し、著者・書名と、確認できた範囲の年・該当箇所を確認できます。索引の各項目からは、本文の引用位置へ戻れます。
注釈
- ※1MBTIとの対応は機能の並びの解釈にもとづく便宜的なものです。詳しくはMBTIとの違い、MBTIとソシオニクスのタイプはどう対応するのかをご確認ください。
+索引(引用文献)
- [1]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第11章 定義 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [2]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [3]ユング『心理学的類型』(1921)第10章 内向的感覚型 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [4]ユング『心理学的類型』(1921)第10章 内向的感覚型 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [5]ユング『心理学的類型』(1921)第10章 内向的感覚型 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [6]ユング『心理学的類型』(1921)第10章 内向的感覚型 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [7]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 節見出し「4. The Extraverted Feeling-Type」直下。見出しは(中略)で省略 本文へ
- [8]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原文の主語は女性代名詞(1920年代の記述文脈。23章参照) 本文へ
- [9]Kempinski『Lęk(不安)抜粋訳』(原題:Lęk) 「アナログ原理とデジタル原理」の節 死後刊行の著作。著者はAntoni Kępiński(1918–1972) 本文へ
- [10]Kempinski『Lęk(不安)抜粋訳』 死後刊行。底本は『Lęk』 本文へ
- [11]Kempinski『Lęk(不安)抜粋訳』(原題:Lęk) 「アナログ原理とデジタル原理」の節 死後刊行の著作。著者はAntoni Kępiński(1918–1972) 本文へ
- [12]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) Kempinskiの抜粋訳内の再録(原出典はアウシュラ『ソシオニクス入門』) 本文へ
- [13]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998)著者序文 Kempinskiの抜粋訳内の再録(原出典はアウシュラ『ソシオニクス入門』) 本文へ
- [14]アウシュラ『ユング論考集(当サイト編纂アーカイブ)』(1984)第4篇「パーソナリティとパーソナリティタイプ」 心理学者エレナ・ドゥボヴァ宛書簡(1984年11月18日付)。機関誌『ソシオニクス、メンタロジー、人格心理学』2005年№4(通巻No.202)に再録 本文へ
- [15]アウシュラ『ソシオニクス入門』(1998) 本文へ
- [16]Reinin「情報、その伝達、および情報代謝について」(原題:Об информации, её передаче и информационном метаболизме)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1-2(2021年) 機関誌への再録掲載 出典リンク 本文へ
- [17]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第I部 理論編 刊行年は底本(露語電子テキスト)に記載がなく未確認 本文へ
- [18]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001)前書き 本文へ
- [19]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей — Соционика: новый метод познания человека、2005)第1章 本文へ
- [20]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [21]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [22]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика) 「第1機能」の節(要約) 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [23]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика) 「第2機能」の節(要約) 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [24]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика) 「情報代謝モデル」の節 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [25]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) SEI章 本文へ
- [26]ユング『心理学的類型』(1921) 内向的態度。原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [27]ユング『心理学的類型』(1921) 内向的態度。原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [28]ユング『心理学的類型』(1921) 内向的態度。原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [29]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998)第4章 1982年執筆「ソシオン、またはソシオニクスの基礎」の再録部からの引用 本文へ
- [30]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、1997)第I部 理論編 露語原典。底本は当サイト編纂の完訳アーカイブ 本文へ
- [31]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001)第II部 本文へ
- [32]Yermak『人間の心と周囲世界との相互作用』(1997) 本文へ
- [33]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998)第4章 1982年執筆「ソシオン、またはソシオニクスの基礎」の再録部からの引用 本文へ
- [34]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、1997)第I部 理論編 露語原典。底本は当サイト編纂の完訳アーカイブ 本文へ
- [35]Yermak『人間の心と周囲世界との相互作用』(1997) 本文へ
- [36]アウシュラ『ソシオニクス入門』(1998) 本文へ
- [37]Karpenko & Karjuk「感覚倫理内向型: 自然観察の試み」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2010年) 機関誌、2010年 本文へ
- [38]アウシュラ『レイニン特性の理論』(1998) 原文はWeb公開版(1985年稿のHTML)からの逐語 本文へ
- [39]アウシュラ『ソシオニクス入門』(1998) p.128 本文へ
- [40]アウシュラ『レイニン特性の理論』(1998) 原文中の空括弧()は印刷面のタイプ・機能図像が落ちた箇所。原文は機関誌1998年№6掲載の連載回からの逐語 本文へ
- [41]アウシュラ「アウシュラ—レイニン往復書簡断片」(原題:Фрагменты переписки А. Аугустинавичюте и Г.Р. Рейнина)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №4(2006年) 1984年12月25日付書簡 出典リンク 本文へ
- [42]アウシュラ『レイニン特性の理論』(1998) 原文はWeb公開版(1985年稿のHTML)からの逐語 本文へ
- [43]アウシュラ「Reinin宛書簡」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1987年) 1987年5月6日付、機関誌2006年再録 本文へ
- [44]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010)第2講「16タイプ」SEI節 底本は英語版。引用訳は別の英訳に拠るため語句が英語版本文と一部異なる(内容は同一) 本文へ
- [45]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010)第2講「16タイプ」SEI節 底本は英語版。引用訳の後半2文(外見が見栄えしないことがある・流行に合った服装をしないことがある)は、英語版本文では「external forms: fashion; image」の一句に圧縮されている 本文へ
- [46]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [47]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010)第2講「16タイプ」SEI節 底本は英語版 本文へ
- [48]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010)第2講「16タイプ」SEI節 底本は英語版 本文へ
- [49]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010)第2講「16タイプ」SEI節 底本は英語版 本文へ
- [50]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [51]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) Part III 底本は英語版 本文へ
- [52]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) Part III 底本は英語版 本文へ
- [53]Bukalov & Boiko『SEIタイプ記述』(原題:Дюма (Букалов, Бойко)) 原文欄は socioniko.net 収録の露語テキスト。同ページの帰属表記はブカロフ・ボイコ『Почему ошибся Саддам Хуссейн, или Что такое соционика』 出典リンク 本文へ
- [54]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成(第2部)」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2018年) 機関誌、2018年 本文へ
- [55]Bukalov「意識機能の管理的役割」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2016年) 機関誌、2016年 本文へ
- [56]Bukalov「個体誕生過程における情報代謝機能の形成メカニズムについて」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1996年) 機関誌、1996年 本文へ
- [57]Bukalov「意識機能の管理的役割」(原題:Управляющая роль функции сознания)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(2016年) 出典リンク 本文へ
- [58]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第II部 SEI章 第1ポジション 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [59]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第II部 SEI章 第2ポジション 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [60]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第II部 SEI章 第4ポジション 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [61]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第II部 SEI章 第3ポジション 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [62]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [63]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) SEI章 本文へ
- [64]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) SEI章 本文へ
- [65]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) SEI章 本文へ
- [66]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) SEI章 本文へ
- [67]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) SEI章 本文へ
- [68]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) SEI章 本文へ
- [69]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) SEI章 外見の一般的特徴 本文へ
- [70]Yermak, Roslankina「心のTIMモデルの記述—ソシオニクス教程の一節(第1部)」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1999年) 機関誌、1999年 本文へ
- [71]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей — Соционика: новый метод познания человека、2005)第5章 本文へ
- [72]Karpenko「世界のアスペクト知覚」(原題:Восприятие аспектов мира)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(1995年) 機関誌 出典リンク 本文へ
- [73]Karpenko & Karjuk「感覚倫理内向型: 自然観察の試み」(原題:Сенсорно-этические интроверты: опыт наблюдения в природе)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(2010年) 出典リンク 本文へ
- [74]Karpenko「構えがタイプの発現に及ぼす影響」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 機関誌、2011年 本文へ
- [75]Karpenko「構えがタイプの発現に及ぼす影響」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 機関誌、2011年 本文へ
- [76]Karpenko & Karjuk「感覚倫理内向型: 自然観察の試み」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2010年) 機関誌、2010年 本文へ
- [77]Karpenko「モデルA 機能論」(原題:Внутренние связи модели А)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 機関誌 本文へ
- [78]Karpenko & Karjuk「感覚倫理内向型: 自然観察の試み」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2010年) 機関誌、2010年 本文へ
- [79]Karpenko & Karjuk「感覚倫理内向型: 自然観察の試み」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2010年) 機関誌、2010年 本文へ
- [80]Gulenko『64の肖像』(2019) 16タイプ編 底本は英語版 本文へ
- [81]Gulenko『64の肖像』(2019) 16タイプ編 底本は英語版 本文へ
- [82]Gulenko『64の肖像』(2019) 16タイプ編 底本は英語版 本文へ
- [83]Gulenko『「調停者」プロファイル(Wikisocion再録)』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [84]Gulenko『64の肖像』(2019) 16タイプ編 底本は英語版 本文へ
- [85]Gulenko『64の肖像』(2019) 16タイプ編 底本は英語版 本文へ
- [86]Gulenko『64の肖像』(2019)理論編 本文へ
- [87]Gulenko『64の肖像』(2019) DCNH編 本文へ
- [88]Weisband『初期ハンドブック(アウシュラ資料準拠)「SEI」』 アウシュラ資料準拠。底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [89]Prokofieva『SEIタイプ記述』 原文欄は socioniko.net 収録の露語テキスト 出典リンク 本文へ
- [90]Prokofieva『SEIタイプ記述』 原文欄は socioniko.net 収録の露語テキスト 出典リンク 本文へ
- [91]Meged & Ovcharov『「SEI」タイプ記述(Wikisocion再録)』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [92]Golihov『SEIタイプ記述』 原文欄は socioniko.net 収録の露語テキスト 出典リンク 本文へ
- [93]Golihov『SEIタイプ記述』 原文欄は socioniko.net 収録の露語テキスト 出典リンク 本文へ
- [94]Golihov『SEIタイプ記述』 原文欄は socioniko.net 収録の露語テキスト 出典リンク 本文へ
- [95]socionics.ua『「SEI」プロファイル(Wikisocion再録)』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [96]Piatnitskiy『「SEI」タイプ記述(Wikisocion再録)』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [97]Beskova『「SEI」タイプ記述(Wikisocion再録)』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [98]Composite『「SEI」プロファイル(Wikisocion再録)』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [99]Zamanskaya『SEIタイプ記述』 原文欄は socioniko.net 収録の露語テキスト 出典リンク 本文へ
- [100]Zamanskaya『SEIタイプ記述』 原文欄は socioniko.net 収録の露語テキスト 出典リンク 本文へ
- [101]Socioscope『「SEI」プロファイル(Wikisocion再録)』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [102]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [103]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第11章 定義「非合理」 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [104]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第I部 理論編 刊行年は底本(露語電子テキスト)に記載がなく未確認 本文へ
- [105]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [106]Reinin「二分法的特徴の理論の創造について」(原題:О создании теории дихотомических признаков)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2006年) インタビュー記事 出典リンク 本文へ
- [107]アウシュラ『レイニン特性の理論』(1998) クラブ名に続くタイプ列は印刷面ではタイプ図像。和訳のタイプ名列挙(СЭЭ, ЭСЭ, СЭИ, ЭСИ)は図像の読み取りによる。原文は機関誌1998年№6掲載の連載回からの逐語 本文へ
- [108]Karpenko & Karjuk「感覚倫理内向型: 自然観察の試み」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2010年) 機関誌、2010年 本文へ
- [109]Karpenko & Karjuk「感覚倫理内向型: 自然観察の試み」(原題:Сенсорно-этические интроверты: опыт наблюдения в природе)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(2010年) 出典リンク 本文へ
- [110]Filatova「タラノフのモデルとレイニン特性」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 機関誌、2011年 本文へ
- [111]Filatova「タラノフのモデルとレイニン特性」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 機関誌、2011年 本文へ
- [112]Filatova「タラノフのモデルとレイニン特性」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 機関誌、2011年 本文へ
- [113]Filatova「タラノフのモデルとレイニン特性」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 機関誌、2011年 本文へ
- [114]Wikisocion『「Clubs」(コミュニティ編纂)』(2026) コミュニティ編纂。底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [115]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成」(原題:Эволюция человека: формирование структуры ФИМ и социона)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2018年) 出典リンク 本文へ
- [116]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей — Соционика: новый метод познания человека、2005)第3章 本文へ
- [117]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成」(原題:Эволюция человека: формирование структуры ФИМ и социона)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2018年) 出典リンク 本文へ
- [118]Bukalov「意識機能の管理的役割」(原題:Управляющая роль функции сознания)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(2016年) 出典リンク 本文へ
- [119]Yermak, Roslankina「心のTIMモデルの記述」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1999年) 機関誌、1999年 本文へ
- [120]Karpenko「世界のアスペクト知覚」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1995年) 機関誌、1995年 本文へ
- [121]Bukalov「職業的成功とソシオニクス・タイプ」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2023年) 機関誌、2023年 本文へ
- [122]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成」(原題:Эволюция человека: формирование структуры ФИМ и социона)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2018年) 出典リンク 本文へ
- [123]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [124]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [125]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001)第II部 本文へ
- [126]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010) 参照は2010年英語版(露語版の初出年は確認中) 本文へ
- [127]Bukalov「個体誕生過程における情報代謝機能の形成メカニズムについて」(原題:О механизме формирования функций информационного метаболизма в процессе рождения индивидуума)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(1996年) 出典リンク 本文へ
- [128]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [129]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001)第II部 本文へ
- [130]Yermak, Roslankina「心のTIMモデルの記述—ソシオニクス教程の一節(第1部)」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1999年) 機関誌、1999年 本文へ
- [131]Gulenko『64の肖像』(2019)理論編 底本は英語版。和訳中の対応愛称「デュマ(Dumas)」は英語版原文には現れない(英語版は役割名のみ使用) 本文へ
- [132]Bukalov「インタータイプ関係の記述」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2012年) 機関誌、2012年 本文へ
- [133]Bukalov「民族のメンタリティ」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 機関誌、2011年 本文へ
- [134]Karpenko & Karjuk「感覚倫理内向型: 自然観察の試み」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2010年) 機関誌、2010年 本文へ
- [135]Gulenko『64の肖像』(2019)理論編 本文へ
- [136]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010) 参照は2010年英語版(露語版の初出年は確認中) 本文へ
- [137]Gulenko『64の肖像』(2019) 16関係編 本文へ
- [138]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [139]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [140]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [141]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998)婚前交際の章 本文へ
- [142]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第II部 刊行年は底本(露語電子テキスト)に記載がなく未確認 本文へ
- [143]Weisband『初期ハンドブック(アウシュラ資料準拠)「SEI」』 アウシュラ資料準拠。底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [144]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010) 16関係編 底本は英語版 本文へ
- [145]Bukalov「インタータイプ関係の記述」(原題:Описания интертипных отношений)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(2012年) 原文欄は同じ段落の後半のみ 出典リンク 本文へ
- [146]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [147]Bukalov & Karpenko「学術分野としてのソシオニクス」(原題:Соционика как академическая научная дисциплина)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(2013年) 出典リンク 本文へ
- [148]アウシュラ『ユング論考集(当サイト編纂アーカイブ)』(1984)第4篇「パーソナリティとパーソナリティタイプ」 心理学者エレナ・ドゥボヴァ宛書簡(1984年11月18日付)。機関誌『ソシオニクス、メンタロジー、人格心理学』2005年№4(通巻No.202)に再録 本文へ
- [149]Wikisocion『「Subtypes」(コミュニティ編纂)』(2026) 2026-07-15閲覧 底本はWikisocion掲載の英訳テキスト。著者の原語初出は未確認 本文へ
- [150]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001)第III部 本文へ
- [151]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001)第III部 本文へ
- [152]Karpenko & Karjuk「感覚倫理内向型: 自然観察の試み」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2010年) 機関誌、2010年 本文へ
- [153]Gulenko『64の肖像』(2019) DCNH編 本文へ
- [154]Gulenko『64の肖像』(2019) 16タイプ編 底本は英語版 本文へ
- [155]Gulenko『64の肖像』(2019) 16タイプ編 底本は英語版 本文へ
- [156]Gulenko『64の肖像』(2019) 16タイプ編 底本は英語版 本文へ
- [157]Gulenko『64の肖像』(2019) 16タイプ編 底本は英語版 本文へ
- [158]Wikisocion『「Subtypes」(コミュニティ編纂)』(2026) 2026-07-15閲覧 底本はWikisocion掲載の英訳テキスト。著者の原語初出は未確認 本文へ
- [159]アウシュラ『ユング論考集(当サイト編纂アーカイブ)』第2篇「なぜユングを読むのは難しいか?」 執筆・初出は篇ごとに異なる編纂物(第2篇は機関誌2006年№4再録の論考) 本文へ
- [160]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей — Соционика: новый метод познания человека、2005)第9章 本文へ
- [161]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей — Соционика: новый метод познания человека、2005)第9章 本文へ
- [162]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей — Соционика: новый метод познания человека、2005)第9章 本文へ
- [163]Karpenko「エキスパートの立場」(原題:Позиция эксперта)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(1999年) 出典リンク 本文へ
- [164]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001)第II部 本文へ
- [165]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001)第III部 本文へ
- [166]アウシュラ『ソシオニクス入門』(1998) 本文へ
- [167]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001)第II部 本文へ
- [168]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001)第II部 本文へ
- [169]Gulenko『異なる言語を話し、同じものを目指す—ソシオニクスとアメリカ・タイプ理論の比較』(1996) 英語論文。1996年執筆、2001年著者改訂(D. Lytov協力の改訂版から訳出)。初出媒体は確認中 本文へ
- [170]アウシュラ『ソシオニクス入門』(1998) 本文へ
- [171]アウシュラ『ソシオニクス入門』(1998) 本文へ
- [172]Weisband『初期ハンドブック(アウシュラ資料準拠)「SEI」』 アウシュラ資料準拠。底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [173]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010)第2講「16タイプ」SEI節 底本は英語版 本文へ
- [174]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [175]Socioscope『「SEI」プロファイル(Wikisocion再録)』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [176]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [177]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001)前書き 本文へ
- [178]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010) 参照は2010年英語版(露語版の初出年は確認中) 本文へ
- [179]Wikisocion『SEIタイプ記述への編集者注』 コミュニティ編纂資料の編集者による注記。著者本人の記述ではない。底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト 本文へ
- [180]Reinin「ソシオンとその記述」(原題:Социон и его описания)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2008年) 出典リンク 本文へ
- [181]Bukalov & Karpenko「学術分野としてのソシオニクス」(原題:Соционика как академическая научная дисциплина)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(2013年) 出典リンク 本文へ
- [182]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第I部 理論編 刊行年は底本(露語電子テキスト)に記載がなく未確認 本文へ
- [183]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001)前書き 本文へ

