MBTI心理機能、 マイヤーズ本人と いざないで 比較してみた!
本稿では、イザベル・ブリッグス・マイヤーズが執筆した『Gifts Differing』と、日本では『MBTIへのいざない』として知られている、ロジャー・R・ペアマン、サラ・C・アルブリットンによる『I'm Not Crazy, I'm Just Not You(※以下いざない)』を読み比べ、両書における8つの心理機能の定義と記述の差異を整理する。
同じ8機能だが、記述がかなり違う
『Gifts Differing』と『いざない』を読み比べると、最も重要な論点は次の一点である。
『Gifts Differing』は「機能そのものの生成規則」と「その機能が主機能となったタイプの表現型」を章立て上かなり明確に分けている。これに対し『いざない』は、主機能タイプとして現れた際の複合的な行動特性を、かなり直接的に機能名の下へ取り込んでいる。
二書が書いている層。表現型の側にだけ、主機能であること・外向内向・J/P・補助機能・発達が混ざる
したがって、後者は観察しやすく実用的だが、純粋な機能定義として読むと、E/I、J/P、補助機能、主機能ポジションによる特性が混入している。 Pearmanら自身も、記述は主として主機能使用を捉えたもので、補助機能の場合に当てはまるのは半分から3分の2程度だとしている。
1. Te:外向的思考
『Gifts Differing』
Teはまず、思考の妥当性を思考者の外部にある事実・客観的データ・既存の観念に依存させる過程として定義される。目的は、実際的問題の解決、事実の発見と分類、既存観念の批判と修正、計画や公式の作成である。
主機能タイプの記述になると、外界を組織・批判・規制し、結論に従って自他の行動を統治する実務家的な像が加わる。ただしMyersは、ESTJの具体性・手順・ルーティン志向は補助感覚から、ENTJの全体像・複雑な問題・長期的可能性への関心は補助直観から来る、と切り分けている。
『いざない』
Teは、外界における因果論理、複雑な問題の解決、モデル、全体目標、能力、論理に注意を向ける機能とされる。また、経験や情報を能動的に分析し、その分析を活発に表現し、世界を管理・改善するための計画やモデルを持つ、と説明される。
差分
中心となる「外界を論理的判断によって組織する」という部分は共通している。
ただし定義軸が、
- 『Gifts Differing』:何が判断の妥当性を決めるか—外部事実、方法、共有可能な基準
- 『いざない』:その判断を何に使うか—外界の管理、問題解決、改善、目標達成
へ移っている。
後著の「モデル」「全体目標」「複雑な問題」「高い志向性」は、Myersの整理では特にENTJの補助直観が寄与する性質である。したがって後著のTeは、Te単体というより、Te主機能タイプ、特にENTJ的な表現を部分的に一般化したものである。
2. Ti:内向的思考
『Gifts Differing』
Tiは、主観的・無意識的な源泉、原型、抽象的観念を決定要因とする思考である。事実は観念や理論を例証する材料として扱われる。
その目的は、問いの定式化、理論の創造、洞察の生成、具体例間の類似性の抽出、外的事実を理論的枠組みに位置づけることである。一方、理論に合う事実だけを選び、事実を観念へ強制的に適合させる危険も明記されている。
主機能タイプの記述では「世界を運営するためではなく分析するために思考を使う」「事物そのものより根底の原理に集中する」と説明される。なお、ISTPの具体的事実志向は補助感覚、INTPの抽象理論志向は補助直観によるものである。
『いざない』
Tiは、静かで距離を置いた好奇心、ほぼあらゆるものへの内的分析、独立した「物事がどう機能するか」のモデルとして記述される。
さらに、データ・理論・経験を説明する原理や「メガモデル」、判断基準、証拠規則、検証可能なデータを重視し、問題が複雑であるほど活性化する、とされる。
差分
共通核はかなり強く、どちらもTiを、
内部の原理・モデルによって経験を分析し、説明体系を構成する思考
として扱っている。
ただし後著では、『Gifts Differing』に残っていた「無意識」「原型」「主観的観念」というユング的語彙が消え、代わりに「証拠規則」「検証可能なデータ」が入る。
これは単なる平易化ではない。『Gifts Differing』のTiは、理論が事実を従属させる危険を含むのに対し、後著のTiは、内部モデルを持ちながら証拠にも厳格な、成熟した分析実践として再規定されている。
したがって、後著ではTeとTiの差は「事実対理論」ではなく、
- Te:モデルを外界の管理・改善へ適用する
- Ti:モデル自体の原理・整合性・証拠基準を吟味する
という適用方向の差へ移っている。
3. Fe:外向的感情
『Gifts Differing』
Feは、客観的要因、環境の理想、慣習、習俗、共同体の集合的価値によって決定される感情判断である。個人を客観的状況へ適応させ、「その状況で正しく感じる」ことを可能にする。
目的は、他者との容易で調和的な感情関係を形成・維持し、感情を表現して類似した感情を他者に喚起することである。ただし、個人的視点を抑圧しすぎることで、不誠実、形式的、気取っているように見える危険がある。
主機能タイプの記述では、調和、人間的接触、協力、社交的適切さ、称賛と批判への敏感さ、他者の意見に価値を見いだす能力として展開される。
『いざない』
Feは、協力、個人的な招きかけ、相互性、開かれた共有、容易な接続を特徴とする。 対立時には、それぞれの意見に含まれる肯定的部分を見つけようとする。
さらに、社会的包摂を求める、共感的・友好的に関与する、問題に素早く対応する、人間の状態を改善する理想的目標へ向かう、と記述される。
差分
共通しているのは、価値判断を外部に表現し、人々のあいだで感情的な調整を行うことである。
一方で後著は、『Gifts Differing』における、
- 慣習的に正しい感情
- 集合的理想への適応
- 個人的視点の抑制
- 社会的形式への同調
という側面を大幅に後退させている。代わりに、
- 相互性
- 包摂
- 協力
- 対立調停
- 肯定的な関係形成
という現代的・肯定的な対人能力へ置き換えている。
つまり、Feは 「集合的価値に従う判断」から「関係を協働的に形成する機能」へ再構成されている。前者と後者は接続可能だが、同一ではない。また「活発」「素早く行動」「表情豊か」は、Feだけでなく外向性やJ的表現の混入と見るべきである。
4. Fi:内向的感情
『Gifts Differing』
Fiは、主観的要因によって決定される感情的な受容・拒絶の過程である。個人を状況へ適応させるのではなく、受容できないものを排除・無視することで、状況を個人の価値体系に適応させる。
愛、忠誠、宗教、愛国心などの抽象的理想に依存し、広範というより深く情熱的である。目的は、強烈な内的感情生活を育成・保護し、その理想を可能な限り外界で実現することである。
主機能タイプの記述では、内なる道徳法、他者の判断からの独立、価値の階層、深い忠誠、内的確信として説明される。ただし、外見上の柔軟性・適応性は、Fi自体ではなく、外界を担当する補助感覚または補助直観から生じると明記されている。
『いざない』
Fiは、静かで控えめ、環境に敏感で、最初に他者を受容し、相手が快適でいられるようエネルギーを使う傾向として記述される。
典型的な成熟形は、価値とコミットメントへの情熱的確信、優れた適応性、深く保持する価値に結びついた活動への大きなエネルギーである。
差分
内的価値、忠誠、確信、静かな情熱という核は共通している。 ただし、対人面には明確な緊張がある。
- 『Gifts Differing』:受容/拒絶を内部基準で決め、受容不能なものを排除する
- 『いざない』:まず相手を受容し、相手を快適にする
完全な論理矛盾ではない。後者を「表面的な初期対応」、前者を「最終的な価値判断」と読めば両立する。しかし、少なくとも強調点は逆方向である。
さらに後著の「驚くべき適応性」は、Myersが明確に補助知覚機能へ帰属させていた性質である。したがって後著のFiには、Fi主機能タイプであるINFP/ISFPの表現型がFi単体へ逆輸入されていると判断できる。
5. Se:外向的感覚
『Gifts Differing』
Seは、感覚印象の主観的要素を抑え、対象をそのままの具体的現実として知覚する過程である。物事を写真のように捉え、「現在そこに顕在しているもの」を、それ以上でも以下でもなく把握する。
最も強い外的刺激に注意を捕らえられ、具体的享受、直接経験、外界の出来事に向かう。
主機能タイプの記述では、現実主義、直接経験、事実への適応、計画に固執せず現在の状況を利用する能力、具体的享受、機械や現実的問題への適性として展開される。重要なのは、持続的努力、方法論、決断性はSe自体の長所ではなく、発達した判断機能によって初めて生じる、とMyersが明記していることである。
『いざない』
Seは、現実的で具体的な経験への確固たる注意、即時的問題への対応、人物や機械を含む状況を巧みに扱う能力とされる。
また、速いテンポで事実的・実用的に報告し、行動志向で、仕事を完了させるため効率的かつ力強く動き、問題は解決可能だと捉える傾向として記述される。
差分
「現在の具体的現実を直接把握する」という知覚核は共通している。
しかし後著では、
- 受容・享受・適応
- 対象をそのまま捉える
- その場に応じて計画を変える
という知覚過程が、
- 力強く行動する
- 仕事を終わらせる
- 問題を解決する
- 人や機械を巧みに操作する
という実行能力へ変換されている。
Myers自身が、方法論・持続性・決断性は判断機能によって生じると書いている以上、Pearmanらの「reliable」「thorough」「forceful」「getting the job done」をSe単体の定義とするのは無理がある。
これは Se主機能タイプ+外向性+補助判断機能の表現型である。後著では、Seが「外的現実の直接知覚」から「現場での即応的実行力」へ拡張されている。
6. Si:内向的感覚
『Gifts Differing』
第8章におけるSiは、現代MBTIで流通するSi像とはかなり異なる。
Siは、対象そのものではなく、対象が主体内部に引き起こす主観的感覚印象を重視する過程である。外的対象は契機にすぎず、そこから無意識的な意味、意義、原型的背景が浮上する。注意は内的関心によって極端に選択的となり、他者には理解しにくい個人的・風変わりな知覚になりうる。
ところが第9章のSi主機能タイプになると、体系性、徹底性、勤勉、細部、ルーティン、事実の蓄積、現在と過去の比較、実務性、安定性が現れる。ただしMyersは、これらを「Si単体」ではなく、内向+感覚+判断的態度+外向的補助判断の相互作用として説明している。同時に、その背後には鮮やかで予測不能な私的感覚反応があるとも述べている。
『いざない』
Siは、具体的・特定的な細部へ引きつけられ、慎重に反応し、現在きちんと一貫して作業することで将来の修正コストを減らす「努力の経済」を信じる機能とされる。
成熟形では、現実の正確で徹底した像、実用的な解決策、細部への丹念さ、期限、正確な仕様、最後まで完遂する一貫性と持続性が列挙される。
差分
8機能中、最も意味変化が大きいのがSiである。
『Gifts Differing』第8章のSiは、
外的刺激によって喚起される、主観的・象徴的・原型的な感覚印象
である。
後著のSiは、
正確な細部把握、実用的手順、期限、仕様、持続性、完遂
である。
後者は、実質的には『Gifts Differing』第9章のISTJ/ISFJ表現型をSiの機能定義へ格上げしたものである。しかしMyersの説明では、期限、責任、完遂、安定性にはJと外向的判断が明確に関与している。
したがって、現代MBTIで一般的な「Si=記憶・細部・ルーティン・正確性」という像は、Myersの純粋なSi定義ではなく、Si主機能タイプの複合像を機能へ圧縮したものと見るのが妥当である。
7. Ne:外向的直観
『Gifts Differing』
Neは、外的対象や状況のなかに生まれつつある可能性を発見する過程である。現在の状況を閉塞として捉え、外的状況を変化させることによってそこから脱出しようとする。
可能性を発見すると、他のものを犠牲にしてでもそこへ向かい、新しい事業・活動・プロジェクトを開始する。自己表現は容易だが、判断機能が不足すると、活動を選別・評価・完遂できない。
主機能タイプの記述では、多数の可能性への警戒、独創性、イニシアチブ、プロジェクトの連続、障害への刺激、ルーティン嫌悪、霊感、新規事業として展開される。
『いざない』
Neは、外的可能性への巨大な欲求、会話中の素早い観念追跡、速い情報探索、状況に応じて変化する対人スタイルとして記述される。
成熟形では、経験と事実のあいだに接続を作り、新しい接続がさらに新しい接続を刺激し、既存プロジェクトへ洞察を加え、人や観念との関係を豊かにする機能とされる。
差分
8機能のなかでは、Neは比較的連続性が高い。
共通核は、
外界にある未実現の可能性を発見し、異なる事実や経験を接続して新しい展開を生み出すこと
である。
ただし後著では、「外的対象に宿る可能性への取り憑かれ」「他のすべてを犠牲にする」「可能性が実現すると関心を失う」というMyersの強い動態が弱まり、代わりに、
- 情報をつなぐ
- 会話が速い
- 対人適応が高い
- 楽しく活発
- 経験を豊かにする
という協調的・創造的な像に整理されている。
「友好的」「陽気」「速いテンポ」「抑制が少ない」は、Neそのものというより、外向性およびEP型の表現である。したがって意味の中心は維持されているが、後著は Neの強迫的・非完遂的側面を弱め、連想ネットワークとして再記述したといえる。
8. Ni:内向的直観
『Gifts Differing』
Niは、外的状況を内的理解のための契機として用い、状況についての主観的理解を根本的に変える過程である。
外的な可能性そのものに留まらず、人生を見て理解するための新しい視角を探求する。最大の価値は、新しい事業の開始ではなく、人生の解釈と理解にある。ヴィジョンを他者へ伝え、現実的有用性へ変換するには、外向的判断が必要である。
主機能タイプの記述では、内的ヴィジョン、観念と象徴の意味、無意識へのアクセス、想像力、独創性、「ありうるもの」のヴィジョンとして説明される。一方、目標追求、再組織化、対人協力などの外的成果は、思考または感情の補助機能によって形作られるとされる。
『いざない』
Niは、未来と可能性へ向かう「内なる眼」、現在あるものではなく「ありうるもの」への集中、問題の中心を見抜くこと、長い会話を一文へ要約する能力として記述される。
成熟形では、経験についての霊感的理解、意味の理論やモデル、既存理論を新しい観念に合わせて組み替えること、独立的な革新、目標志向、困難への挑戦として説明される。
差分
共通しているのは、
外的契機を内側で統合し、意味・構造・全体像を一つのヴィジョンへ変換すること
である。
ただし、区別の軸が変化している。
『Gifts Differing』では、
- Ne:外的状況そのものを変える
- Ni:外的状況についての主観的理解を変える
という、変化が起こる場所の差である。
後著では、
- Ne:多数の外的可能性を速く接続する
- Ni:未来へ向かう一つの内的ヴィジョンへ集中する
という、拡散対収束、速度対集中の差へ変わっている。
また、後著の「目標志向」「困難ほど機会」「目的を追い続ける」は、MyersではNi単体ではなく、特にINTJ/INFJの判断的態度と補助判断機能が作る表現型である。したがって後著はNiを、解釈的・観照的な機能から、戦略的・革新的・目的追求的な機能へ拡張している。
後著で追加されたもう一つの層:補償的劣等機能
『いざない』の特徴は、8機能を通常状態だけでなく、主機能が消耗した際に反対機能が「補償的劣等機能」として現れる状態まで記述する点である。
整理すると次のようになる。
- Te優位 → Fiが過度に個人的・傷つきやすくなる
- Ti優位 → Feが承認を求めて感情を過剰表出する
- Fe優位 → Tiが自己疑念と「正解を持つ専門家」探しになる
- Fi優位 → Teが独裁的・還元的・細部詮索的になる
- Se優位 → Niが暗い幻想や不吉な未来予測になる
- Ne優位 → Siが身体感覚・衛生・細部への過剰固着になる
- Ni優位 → Seが単一の事実から破局的結論を引き出す
- Si優位 → Neが根拠のない不吉な可能性や陰謀的解釈を作る
これは『Gifts Differing』の「影の側」を、機能対ごとの具体的エピソードへ発展させたものである。ただしPearmanら自身が、この「Teacher/劣等機能」について経験的データはほとんどなく、事例から過度に一般化するのは不適切と認めている。したがって、これは確立した実証的定義ではなく、発達論的・臨床的な仮説モデルとして読むべきである。
全体差分を4対で要約すると
Te/Ti
『Gifts Differing』では、外部事実を決定因とするTe/内部観念を決定因とするTiである。
後著では、外界を管理・改善するTe/内部モデルと証拠基準を精査するTiである。
つまり「事実対理論」から「外的適用対内的検証」へ変わっている。
Fe/Fi
『Gifts Differing』では、集合的・慣習的価値へ適応するFe/主観的価値によって受容・拒絶するFiである。
後著では、包摂・協働・相互性を作るFe/個人的価値・コミットメントに忠実なFiである。
「社会規範対内的理想」から「関係調整対価値的一貫性」へ変わっている。
Se/Si
『Gifts Differing』では、対象をそのまま知覚するSe/対象が引き起こす主観的感覚印象を知覚するSiである。
後著では、速く行動して現在へ対応するSe/慎重・正確・持続的に細部を処理するSiである。
「客観的感覚印象対主観的感覚印象」から「即応対精密・安定」へ大きく変わっている。
Ne/Ni
『Gifts Differing』では、外的状況の可能性を実現するNe/外的状況についての内的理解を変えるNiである。
後著では、多方向へ接続を広げるNe/一つの内的ヴィジョンへ意味を収束させるNiである。
「外的変化対内的再解釈」から「拡散的連想対収束的洞察」へ変わっている。
テキスト上の意味変化が大きい順
定量評価ではなく、原文の意味構造を比較した判断だが、概ね次のようになる。
最大:Si
主観的・原型的な感覚印象から、細部・記憶・手順・正確性・期限・完遂へほぼ別物に移行している。
大:Se、Fi
Seは知覚・享受から現場実行力へ、Fiは受容/拒絶の内的価値判断から、受容的・適応的な対人姿勢へ拡張されている。
中〜大:Te、Ni
Teは外部事実中心からモデルによる管理へ、Niは内的解釈から戦略的未来ヴィジョンへ移っている。
中:Ti、Fe
基本構造は残っているが、Tiは実証的分析へ、Feは慣習的適応から包摂的協働へ再評価されている。
比較的小:Ne
外的可能性という核は維持されている。ただし、強迫的な新規可能性追跡から、連想・接続・イノベーションへ表現が整えられている。
両書の最大公約数としての8機能定義
仮に両書を矛盾なく統合する場合行動特性を削り、次の定義に置くことで最大公約数的に意味を保存可能である。
Te 外部で共有・検証可能な事実、基準、方法に照らして、判断・行為・制度を組織し修正する過程。
Ti 内部の原理と整合基準によって、事実・経験を説明するモデルを構成し、その論理的一貫性を吟味する過程。
Fe 外部の関係、共有価値、慣習、感情反応を参照し、感情的評価を表現・調整・共有する過程。
Fi 内部の価値階層に照らして対象を受容・拒絶し、個人的意味、忠誠、コミットメントを形成する過程。
Se 現前する外的・具体的現実を、主観的付加を抑えて直接把握し、現在の状況へ適応する過程。
Si 外的刺激が主体内部に生じさせる感覚印象を保持・照合し、個人的な意味と安定した知覚へ組織する過程。
Ne 外的対象や状況のなかに生じつつある複数の可能性・連関を発見し、新しい展開へ開く過程。
Ni 外的契機を内部で統合し、状況の意味、方向、全体像を新しい一つの視座またはヴィジョンへ変換する過程。
端的に言えば、『Gifts Differing』は機能を「世界を何によって、どちら向きに処理するか」 という生成規則として書き、『いざない』は機能を「その人が実際にどう見え、どう働くか」 という観察可能な表現型として書いている。
後者は利用しやすい一方、歴史的・理論的な機能定義を確定する資料としては、主機能タイプの複合特性を逐一分離して読む必要がある。
さて、ここまでの比較を踏まえ次に当サイトの観点として挙げたいのは、このような記述差を持っている心理機能とソシオニクスの情報要素が、中核においてどこまで異なるのかという点である。
心理機能と情報要素は、中核においてどこまで異なるのか
通常、両者は別々の理論体系に属する概念として区別される。MBTIにおける心理機能は「個人がどのように知覚し、判断することを好むか」 を表し、ソシオニクスにおける情報要素は「現実のどの側面に関する情報を、どのように処理するか」 を表す、と説明されることが多い。しかし、この区別は主として記述の主語と分析単位の違いであり、8種類それぞれが指し示す情報処理の核まで別物であるかは検討の余地がある。
同じ核を、人がどう扱うかの側から呼べば心理機能、扱われている情報が何かの側から呼べば情報要素になる
心理機能は、その主体の側から記述される傾向にある。
その人は、何に注意を向け、何を根拠に知覚し、どのような基準によって判断するのか。
情報要素は、処理される情報の側から記述される傾向にある。
その情報は、現実のどの側面に属し、どのような関係・変化・状態・可能性を表しているのか。
したがって両者の違いは、同じ過程を、
- 主体の認知様式として記述するか
- 対象となる情報領域として記述するか
という視点の違いとして解釈可能ではないだろうか。
たとえば、外向的直観を「外界に存在する未実現の可能性を知覚する心理機能」と記述する場合と、「対象の潜在性、代替可能性、新しい展開に関する情報要素」と記述する場合とでは、文章上の主語は異なる。しかし、どちらも扱っているのは、現に実現している状態を越えて、対象が別様になりうる余地を捉えることである。
同様に、内向的思考を「内部の原理や論理的一貫性によって経験を整理する機能」と記述する場合と、「構造、分類、論理的関係、体系内部の整合性に関する情報要素」と記述する場合にも、中心的な処理内容はほぼ一致する。
8種類について対応関係を最小限に整理すれば、次のようになる。
Te/外向論理は、外部で確認可能な事実、方法、作用、効率、結果に基づいて、対象を運用・評価する。
Ti/内向論理は、対象間の論理的関係、分類、原理、体系内部の整合性を把握し、構造化する。
Fe/外向倫理は、外部に表出された感情状態、感情的反応、場の情動、共有される評価を把握し、調整する。
Fi/内向倫理は、人や対象との心理的距離、個人的価値、好悪、受容と拒絶、関係の質を評価する。
Se/外向感覚は、現在そこに存在する対象の具体的状態、物理的実在、影響力、占有、圧力、行為可能性を直接把握する。
Si/内向感覚は、対象が主体内部にもたらす感覚状態、快不快、身体的・感覚的調和、状態変化を把握する。
Ne/外向直観は、対象が持つ潜在性、代替可能性、未実現の性質、新しい組み合わせや展開を知覚する。
Ni/内向直観は、出来事の時間的推移、意味の連続、方向性、帰結、状況全体が向かう流れを知覚する。
※この8つの対応は、8つの情報要素の各ページで原典の記述を並べたうえで取っています。良かったらこちらもどうぞ。
この水準で、両者はほぼ同じ8分割を行っているように観察できる。少なくとも、「心理機能と情報要素は名称が似ているだけで、本質的には異なる概念である」とまで主張する根拠は弱いと考えることが自然であろう。
むしろ記述差が大きくなるのは、8種類の意味そのものではなく、それらがどのような構造へ配置されるかである。
MBTI系統では、心理機能は主として、
- 主機能
- 補助機能
- 第三機能
- 劣等機能
- 外向/内向の態度
- 発達と補償
という個人内の力動として配置される。
ソシオニクスでは、情報要素はモデルA上の、
- 主導機能
- 創造機能
- 役割機能
- 脆弱機能
- 暗示機能
- 動員機能
- 観察機能
- 実演機能
という異なる処理位置に配置され、さらに強弱、価値/非価値、意識/無意識、受容/産出などの構造的条件を与えられる。
したがって、両体系における記述の本来の差は、
Neとは何か、Tiとは何か、Fiとは何か
という情報処理の基本的意味よりも、
その要素が人格構造のどの位置にあり、どの程度安定して使用され、どのような動機と対人要求を伴うのか
という配置から導き出される力動論にある可能性が高い。
この観点から見ると、『Gifts Differing』と『いざない』のあいだで心理機能の記述が変化している事実も重要である。 後者に見られる「行動志向」「適応性」「完遂力」「協力性」「目標志向」などは、機能の純粋な意味だけでなく、主機能であること、外向型または内向型であること、J/P、補助機能、発達状態といった複数の条件を含んでいる。
ソシオニクスの用語でいえば、これは情報要素の意味と機能位置の性質を混ぜて記述している状態に近い。
たとえば、
- Siを細部、責任、期限、ルーティン、完遂として記述する
- Seを力強さ、実行、問題解決として記述する
- Niを目標志向、戦略、困難への挑戦として記述する
- Fiを適応性、他者受容、相手を快適にする態度として記述する
といった説明には、それぞれ純粋な知覚・判断内容だけでなく、主機能タイプの行動特性や補助機能の効果が入り込んでいる。
この混入部分を取り除き、各概念を「何について、どのような情報処理を行うか」という最小単位まで戻すと、心理機能と情報要素の対応はより克明になる。
したがって、現時点で最も妥当な整理は、次のようなものになる。
心理機能と情報要素は、同一のユング的8分割を、異なる記述視点と理論構造から定式化した概念である。
心理機能は主体の認知的な好みと発達を中心に記述し、情報要素は対象となる情報の性質と、それを処理する機能位置を中心に記述する。両者を完全に同一視することはできないが、差異の中心は8種類の意味内容ではなく、主体/対象の記述方向、機能/情報の名目上の単位、そしてモデル上の配置規則にある。
より端的に言えば、
心理機能は「人がその情報をどう扱うか」という側から見た名称であり、情報要素は「扱われている情報が何であるか」という側から見た名称である。
両者は別の対象を指しているというより、同じ情報代謝過程の両側面を記述していると考えるほうが、原典上の意味内容にも、8種類の一対一対応にも、より整合的である。
このため、MBTIとソシオニクスの差異を論じる際には、「心理機能と情報要素は別物である」と概念段階で切断するよりも、まず共通する8つの処理核を認めたうえで、
- どの記述が純粋な要素意味なのか
- どの記述が主機能タイプの表現型なのか
- どの記述が補助機能やJ/Pの効果なのか
- どの記述がモデルAの機能位置に由来するのか
- どの記述が後代の著者による意味拡張なのか
を分解する必要がある。
結局のところ、両体系の比較で問うべきなのは、「NeとNeは同じか、そうでないか」という二択ではない。
より正確な問いは、
共通するNeという情報処理の核に対して、Myers、Pearman、Aushra、その後のMBTI・ソシオニクス研究者が、それぞれどのような主体性、機能位置、発達、価値、行動表現を付加したのか
である。
このように比較すれば、心理機能と情報要素のあいだに横たわっているように見えた大きな断絶の相当部分は、概念そのものの差ではなく、記述レベルの混同と理論上の注釈としての差であったことが見えてくる。
ただし、ここでさらに論点となるのは、実際の記述差をそのまま概念核の差とみなしてよいのか、という点である。
記述の差異は、そのまま概念核の差異を意味しない
心理機能と情報要素の比較では、個別の記述がどれほど似ているかだけでなく、それぞれの概念が意味論上のどの位置を占有していて、どのように座標として配置されているかを見る必要がある。
Neを例に取れば、その中核は単に「可能性を見る」「アイデアが多い」といった性格記述の集積ではない。Neが何であるかは、NeがSeではなく、Niでもなく、Siでもないという、他概念との対立関係によっても規定される。
すなわち、Neは少なくとも、
- 現前する具体的実在を直接把握するSeとは異なる
- 時間的推移や一つの方向へ意味を収束させるNiとは異なる
- 対象が主体内部にもたらす感覚状態を捉えるSiとも異なる
という意味論空間上における区分のなかに置かれている。
このように、各機能・情報要素を個別の形容語ではなく、複数の対立軸が交差する意味論的座標空間上の位置として抽象化するならば、MBTI系統の心理機能とソシオニクスの情報要素には、相当に共有部分が存在しうることは十分に検討できる。
重要なのは、概念の意味は、その概念について直接書かれた文章だけで決まるわけではないという点である。概念は、同じ体系内の他概念との境界によっても定義される。
Neについて「新しい可能性」「外的対象の潜在性」「複数の展開」「新しい接続」など、著者ごとに異なる記述が与えられていたとしても、それが一貫してSe、Ni、Siとは異なる位置を占めているならば、その概念核は一定程度保存されていると考えられる。
逆に、二つの著作で同じ言葉が使われていても、他概念との対立関係が異なり、意味論上の座標位置が異なるならば、実質的には別の概念である可能性がある。
したがって、比較すべきなのは単語や説明文の表面的な一致率ではない。見るべきなのは、
その概念が何を捉え、何を捉えず、隣接する概念からどのように分離されているか
である。
この水準において、心理機能と情報要素は、同じユング的系譜から派生しながら、共通性の高い意味論的分割を保持している。
私たちに届いているのは「概念そのもの」ではなく、多層的に加工された"記述"である
心理機能と情報要素を比較するとき、現在読める文章を、そのまま概念そのものと同一視することはできない。
私たちのもとに届いている記述には、少なくとも次の三つの層が重なっている。
私たちが読んでいるのは、この積み重なりの最終形である
第一に、理論基盤そのものの差異がある。
MBTI系統では、心理機能は個人内の指向、主機能と補助機能、発達、劣等機能による補償などを説明するために使われる。一方、ソシオニクスでは、情報要素は情報代謝モデルの構成単位として、モデルA上の機能位置、強弱、価値性、意識性などと組み合わされる。
第二に、理論基盤の差異によって生じる、各機能・要素の記述差異がある。
同じNeであっても、個人の認知的指向を説明する文脈では「可能性を好む」「新しい観念に惹かれる」と書かれやすい。情報代謝を説明する文脈では、「対象の潜在的性質」「未実現の可能性」「代替的展開に関する情報」と書かれやすい。
両者は文法上も分析単位上も異なるが、必ずしも異なる現象を指しているわけではない。
第三に、それらの理論をもとに書かれた個々の著作・論文・解説者による記述差異がある。
同じ理論体系に属する著者同士であっても、機能記述は一致しない。著者はそれぞれ異なる目的、読者、観察事例、時代背景、応用領域を持つからである。
理論書では定義的に書かれ、一般向け著作では行動的に書かれ、組織開発の文献では職務能力として書かれ、カウンセリング文献では発達課題やストレス反応として書かれる。
したがって、我々が実際に比較している文章は、
ユング的な抽象概念 +それを再構成した理論モデル +モデル上の位置づけ +著者による解釈 +著作の目的に応じた具体化 +翻訳と用語選択
という複数の層が絡み合った最終的な表現である。
記述は人間によって書かれている。
それは自明なようでいて、類型論の比較ではしばしば忘れられる。記述には、観察対象だけでなく、観察者の理論的関心、語彙、分類方針、教育目的、さらには何を典型例として選んだかまで入り込む。
そのため、記述の差異から直ちに概念核の差異を導くことはできない。
「異なる概念である」という判断が適切になる水準
心理機能と情報要素を「異なる概念」と呼ぶこと自体が、全面的に誤りであるわけではない。
それぞれは異なる理論体系の内部に置かれ、異なる定義文、モデル上の位置、推論規則、関連概念を持つ。その意味では、理論上の概念として区別することは適切である。
たとえば、MBTIにおけるNiとソシオニクスにおけるNiでは、
- どのタイプのどの位置に配置されるか
- 他機能とどのように組み合わされるか
- 発達や補償がどのように説明されるか
- 対人関係や情報代謝にどのような効果を持つか
が一致しない。
したがって、両者を無条件に置換可能な同一概念として扱うこともできない。
この意味で、
「心理機能と情報要素は異なる」
という説明は、理論をある程度学んだ段階では有用である。MBTIの機能配列とモデルAを混同したり、一方のタイプ記述をそのまま他方へ移植したりする誤りを防げる効果はある。
しかしながら、それは主として理論的運用上の区別である。
そこからさらに、
「両者は中核的意味においても明確に異なる」 「名称だけが同じで、本質的には無関係である」 「対応関係を考えること自体が誤りである」
と断言するには、より強い論証が必要になる。
なぜなら、両者は共通してユングの心理学的機能に由来し、8種類の概念をほぼ一対一で保持し、それぞれが近接概念から区別される意味論的位置にも大きな重なりを示す(もしくは完全に直交することも証明できない)ためである。
理論上の取り扱い方が異なることは、概念核が異なることの十分条件ではない。
同じ概念が、異なる理論のなかで異なる役割を与えられることは珍しくない。ある理論では個人の認知的指向として扱われ、別の理論では情報の分類単位として扱われたとしても、それだけで両者が異なる現象を指すとは断言はできない。
中核的な差異については、断定よりも保留が妥当である
心理機能と情報要素の関係について、最も慎重かつ説明力の高い立場は、完全同一説でも完全分離説でもない。
両者は、
- 理論体系としては異なる
- モデル上の使用法も異なる
- 機能位置や発達論も異なる
- 具体的なタイプ記述にも差がある
一方で、
- 共通のユング的系譜を持つ
- 8種類の対応関係を保持する
- 各概念が占める意味論的位置に大きな重なりがある
- 他の7概念との境界によって形成される概念核も相当に共有されうる
という関係にある。 したがって、現段階で妥当なのは次の整理である。
心理機能と情報要素は、理論的には区別されるが、その中核的意味まで明確に異なると断言することは保留すべきである。
より正確には、
両者は、共通する抽象的な意味論的座標を、それぞれ異なる理論言語、分析単位、モデル構造によって記述した概念である可能性が高い。
これは「両者は完全に同じである」という主張ではない。
同じ座標を共有していても、そこに付与される構造的役割は異なりうる。
比較する層を揃える。概念核を比べるなら①どうしで比べる
区別すべきなのは、
- 要素そのものの意味
- その要素が置かれる構造的位置
- 位置によって生じる使用特性
- それらをまとめて描いたタイプ記述
である。
この四つを分離せず、最終的なタイプ記述だけを比較すると、「心理機能と情報要素は違う」という結論にも、「まったく同じだ」という結論にも容易に到達できてしまう。
しかし、そのどちらも、比較するレイヤーを揃えていない。
概念核を比較するのであれば、行動特性、発達段階、機能位置、補助機能、価値性などをいったん排除して、各概念が意味論空間上で何を分割しているのかを確認する必要がある。
その抽象化を行ったとき、NeはなおNeとして、Se、Ni、Siから区分される。TiはTe、Fi、Feから異なる位置を占める。各体系の説明文が異なっていても、この基本的な直交関係が保存されている限り、両者が共通する概念核を持つ可能性は高い。
ゆえに、「心理機能と情報要素は異なる」という説明は、理論間の混同を防ぐための中間的説明としては適切である。しかし、概念の最深部にまで踏み込んだ最終結論としては、不十分かもしれない。
最終的に問うべきなのは、
両者の記述が同じかどうかではなく、異なる記述の背後で、同じ意味論的区別が保存されているかどうか
である。
そして、少なくとも現在確認できる心理機能と情報要素の対応を見る限り、その区別には大きな共有部分がある。
理論基盤の差異、それに伴う機能・要素の記述差異、さらに個々の著作や研究者による解釈差をすべて剥がした後に残る中核について、両者は明確に別物であると断言するよりも、同一の抽象的対象を異なる方向から記述している可能性を残しておくほうが、現状では妥当である。
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参考・出典
- イザベル・ブリッグス・マイヤーズ『Gifts Differing』(1980)第8章・第9章
- ロジャー・R・ペアマン/サラ・C・アルブリットン『I'm Not Crazy, I'm Just Not You』(邦題『MBTIへのいざない』)
- Aushra『ソシオニクス入門』(Соционика: Введение、1998)
