外向倫理(Fe) 超詳細解説
ソシオニクスの8つの情報要素の1つ・外向の倫理・感情の倫理
情報要素の外向倫理(Fe)を、ソシオニクスの研究文献からの引用をもとに解説する長編です。対象は、ユングの『心理学的類型』と、創始者のアウシュラ・アウグスティナヴィチューテ(Aushra Augustinaviciute)の著作です。さらに、レイニン、ストラティエフスカヤ、フィラトワ、イェルマーク、カルペンコ、グレンコ、ブカロフ、エグリトの記述を扱います。同じFeを、研究者ごとにどう呼び、何として定義したかを引用で示し、そのあとで、MBTIのFeとの比較、Fi・Te・Tiとの違い、当サイト独自の整理を分けて置きます。研究者をまたいで残るのは、Feが人と場のなかで動いている情動を受け取り、それに働きかける要素だという点です。
先に結論を知りたい方は、11章「研究者間で残る中核と食い違い」をご確認ください。
引用の扱い方(逐語性、訳出の方針、編集操作、索引の使い方)は、末尾の「引用と記述の方法」にまとめています。
01外向倫理(Fe)は一般にどう言われているか
外向倫理(Fe)は、一般には、ソシオニクスの8つの情報要素のうち人の気分や場の雰囲気を扱う要素と説明されます。「感情倫理」とも呼ばれ、その場に流れている空気を感じ取り、場を盛り上げたり和ませたりする要素だとされます。
よく言われるのは、その場の空気を読んで、みんなの気分を動かすという像です。沈んだ空気には明るい話題を出し、盛り上がりすぎた場は落ち着かせます。喜びや怒りを顔や声にはっきり出し、まわりを巻き込むのも得意だとされます。
一方で、感情の起伏が大きく見えるとも言われます。気分がすぐ顔に出て、さっきまで笑っていたのに急に怒る、という出方をすることがあるとされます。また、場の空気を優先して、自分の本音を後回しにしやすいと説明されることもあります。
同じ倫理の内向倫理(Fi)とは、Feは場全体の気分に、Fiは特定の相手との関係や好き嫌いに向く、と対にして説明されるのが定番です。おおよそ、これが一般に言われている像です。
タイプ別によく挙げられる例もあります。Feを1番の主導機能に持つESE(ESFJ)やEIE(ENFJ)は、ムードメーカーや場を動かす人として紹介されます。括弧の中は、MBTIで近いとされるタイプの表記です。また、Feが4番の脆弱機能に入るILI(INTJ)やSLI(ISTJ)は、その場で感情を表に出すよう求められると負担を感じやすいと言われます。
この像は、あとで見る研究者の記述がところどころ切り出されて広まったものです。人の気分、場の雰囲気、感情の表出、という中心はたいてい合っています。ですが、研究者ごとに呼び名も観測の角度も違い、「空気を読む」が定義そのものに書かれているわけではありません。このページでは、02章から研究者の記述を順に見て、17章でこの一般像のどこがそのまま残り、どこが言い直されるかに戻ります。
読この記事の読み方
想定読者は、外向倫理(Fe)の解説ページや8つの情報要素を読み終えて、出典まで確かめたい人です。長いページですが、読み方は単純です。各章で研究者の記述を引用で示し、そのすぐ下に当サイトの読み方(何が共通し、どこが違うか)を書きます。
流れは、01章が一般に言われている像、02章がユングの外向的感情です。03〜10章が研究者別の記述(このページの中心)で、11章が横断比較、12章がMBTIにおけるFe(マイヤーズの心理機能との比較)です。続く13〜15章は各論で、Fi・Te・Tiとの違い、よくある読み違い、モデルAの位置を扱います。16章が当サイト独自の整理で、17章が「外向倫理(Fe)とは、詰まるところ」のまとめです。引用には初出順の番号が付き、押すと巻末の索引へ飛び、索引から本文へ戻れます。引用の扱い方(逐語性、訳出、編集操作)は末尾の「引用と記述の方法」にあります。
ページ冒頭の「コピーしてAIで要約!」を押すと、要約用の指示文とこのページの本文がクリップボードに入ります。AIに渡すと、要約のほか引用の意味を聞く・研究者ごとの違いを整理させる・Fi・Te・Tiとの違いに絞って読み直す、といった使い方ができます(長すぎるときは、章を分けて渡すと扱いやすくなります)。
02ユングの外向的感情
Feの出発点は、ユングが『心理学的類型』で書いた外向的感情です。ソシオニクスの研究者は、この記述を読んだうえでFeを定義し直しています。そのため、先にユング本人の記述を確認します。
なお、ユングの語は「感情(feeling)」ですが、ソシオニクスではこの系統の要素を「倫理」と呼びます。呼び名は変わっても、同じ系統の要素です。
客観的なデータに方向づけられた感情
ユングは、外向の感情をまず次のように定義しています。
外向的態度における感情は、客観的データによって方向づけられる。(中略)感情をつねに主観的な事実として知ってきた人には、外向的感情の本性はすぐには理解されないだろう。それは主観的な要因からできるかぎり自由になり、代わりに、対象の影響へと全面的に従属しているからである。
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Feeling in the extraverted attitude is orientated by objective data〔中略〕If one has always known feeling as a subjective fact, the nature of extraverted feeling will not immediately be understood, since it has freed itself as fully as possible from the subjective factor, and has, instead, become wholly subordinated to the influence of the object.
言い換えると、外向的感情は、何をどう感じるかの基準を、自分の好みではなく対象の側に置く感情だということです。ユングは、感情を主観的なものだと思っている人には、この性質がすぐには分からないだろうとも書いています。
ここでいう「対象の側」は、目の前の物だけを指しているのではありません。このあとの引用で分かるとおり、ユングが具体的に書いているのは、その場にいる人々が共有している感情の状況です。
「美しい」と言う理由
ユングは、外向的感情の判断がどう働くかを、自分を例にして書いています。
たとえば私は、「美しい」とか「善い」という述語を使わずにはいられないと感じることがある。それは、自分の主観的な感情からその対象を「美しい」「善い」と思うからではなく、そう言うのがふさわしく、賢明だからである。そして実際にふさわしい。反対の意見を言えば、その場の全体の感情の状況を乱すことになるからである。このような感情の判断は、けっして見せかけや嘘ではなく、たんに適応の行為である。
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may feel constrained, for instance, to use the predicate 'beautiful' or 'good', not because find the object 'beautiful' or 'good' from my own subjective feeling, but because it is fitting and politic so to do ; and fitting it certainly is, inasmuch as a contrary opinion would disturb the general feeling situation. A feeling-judgment such as this is in no way a simulation or a lie it is merely an act of accommodation.
つまり、外向的感情で「美しい」と言うのは、自分がそう感じたからではなく、そう言うのがその場にふさわしいからだということです。反対のことを言えば、その場の全体の感情の状況が乱れます。
ユングは、これを見せかけや嘘ではなく「適応の行為」だと書いています。外向的感情が合わせている先は、つまりはその場の人々のあいだに流れている情動です。この「場の情動」は、このあと見るソシオニクスの研究者の定義の中心にもなります。
同じ段落で、ユングは例を続けています。
たとえば、ある絵が美しいと言われるのは、応接間に掛けられ、よく知られた署名のある絵は一般に美しいとされているからかもしれない。あるいは、「醜い」という述語が幸運な持ち主の家族の気を悪くしかねないからか、訪問客の側に心地よい感情の雰囲気をつくろうという好意があって、そのためにはすべてが快いものと感じられなければならないからかもしれない。
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A picture, for instance, may be termed beautiful, because a picture that is hung in a drawing-room and bearing a well-known signature is generally assumed to be beautiful, or because the predicate c ugly' might offend the family of the fortunate possessor, or because there is a benevolent intention on the part of the visitor to create a pleasant feeling-atmosphere, to which end everything must be felt as agreeable.
上の引用の3つの理由のうち、注目したいのは最後の1つです。訪問客は、心地よい感情の雰囲気をつくろうとして、すべてを快いものと感じようとします。外向的感情は、場の情動に合わせるだけでなく、場の雰囲気をつくる側にもなるということです。
劇場と社交を支える感情
ユングは、外向的感情が社会のなかで果たしている役割も書いています。
感情の作用から生じる価値づけは、客観的な価値と直接に対応するか、少なくとも、ある種の伝統的で一般に知られた価値の標準と調子を合わせる。この種の感情があるからこそ、実に多くの人が劇場へ、音楽会へ、教会へ足を運ぶ。(中略)たとえばこの感情がなければ、美しく調和のとれた社交というものは考えられないだろう。
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The valuations resulting from the act of feeling either correspond directly with objective values or at least chime in with certain traditional and generally known standards of value. This kind of feeling is very largely responsible for the fact that so many people flock to the theatre, to concerts, or to Church〔中略〕Without this feeling, for instance, a beautiful and harmonious sociability would be unthinkable.〔中略〕When extraverted feeling possesses the priority we speak of an extraverted feeling-type.
言い換えると、多くの人が劇場や音楽会や教会へ足を運ぶのは、この種の感情があるからだということです。
ここでの外向的感情は、1人の心の中の働きというより、人が集まる場そのものを成り立たせている働きとして書かれています。
周囲との強い感情のつながり
外向的感情型の人物像でも、ユングは同じ向きを書いています。
教育の結果、その感情は、意識による統御を受ける、適応した機能へと発達している。(中略)その人格は、客観的な条件に対して適応しているように見える。その感情は、客観的な状況と一般的な価値に対応している。
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As the result of education her feeling has become developed into an adjusted function, subject to conscious control.〔中略〕The personality appears to be adjusted in relation to objective conditions. feelings correspond with objective situations and general values.
上の引用にある「適応した機能」は、教育を通して身につき、意識で扱えるようになった機能のことです。言い換えると、外向的感情型は、感情が客観的な状況と一般的な価値に合うように育っているということです。
同じ人物像の後半で、ユングは、このタイプが何を何より重く見ているかを書いています。
その結果、見ている側は、どちらの判断もまともには受け取れなくなり、自分の意見を控え始める。だが、このタイプにとっては、周囲と強い感情のつながりを打ち立てることが何より重要なので、この控えを乗り越えるために、いっそうの努力が要るようになる。
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result of such an experience is that the observer is unable to take either judgment at all seriously. He begins to reserve his own opinion. But since, with this type, it is a matter of the greatest moment to establish an intensive feeling rapport with his environment, redoubled efforts are now required to overcome this reserve.
上の引用の前で、ユングは、このタイプの感情の判断が場面ごとに入れ替わると、まわりがそれを信用しなくなると書いています。それでも、このタイプにとっては、周囲と強い感情のつながりを打ち立てることが何より重要だとされます。そのため、まわりの控えた態度を乗り越えようと、いっそう努力することになります。
小括
ユングの外向的感情は、感じ方の基準を対象の側、つまりその場の人々が共有する感情の状況に置く感情です。その場にふさわしい感情の判断をし、心地よい雰囲気をつくろうとし、周囲と強い感情のつながりを求めます。
「場の全体の感情の状況」「感情の雰囲気」「周囲との感情のつながり」の3つは、このあと見るソシオニクスの研究者のFeの記述に、語を変えて引き継がれています。一方、ユングは外向的感情を「判断」として、つまり物事を良い・悪い、美しい・醜いと評価する働きとして書きました。この点は、研究者によって扱いが分かれます。その分かれ方は11章でまとめます。
03アウシュラの記述
創始者のアウシュラのFeの記述は、主に『ソシオニクス入門』にあります。この本で、Feは関係の知覚の4つのアスペクトの1つとして定義され、双対の節では、それが人物像として書かれています。
読むときの注意を1つだけ置きます。アウシュラの機能の番号は今のサイトと違うため、番号を含まない一節を選んでいます。引用の中の「アスペクト」は、ここでは情報要素とほぼ同じ意味です。
定義: 人間のなかで生じている情動的プロセス
アウシュラは、Feのアスペクトを次のように定義しています。
対象において生じているプロセスについての情報が知覚される。すなわちまず第一に、人間のなかで生じている情動的プロセス、その興奮あるいは抑圧、気分についての情報である(中略)この知覚のアスペクトは、たとえば何が人々を興奮させ何が抑制するかを見分ける能力を与える。それによって、自分の情動的状態を管理する能力あるいは無能力、また他の人々の情動的状態を管理する能力あるいは無能力が規定される
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Воспринимается информация о процессах, которые происходят в объектах: в пер- вую очередь, о происходящих в людях эмоциональ- ных процессах, их возбужденности или подавлен- ности, настроениях.〔中略〕Этот аспект восприятия дает способность разбираться в том, например, что лю- дей возбуждает, а что подавляет. Им определяется способность или неспособность человека управлять своим эмоциональным состоянием, а также эмоци- ональным состоянием других людей.
上の引用にあるプロセスは、時間のなかで動いていく出来事の流れのことです。つまり、アウシュラのFeは、人のなかで動いている情動、その高まりと沈み、気分についての情報だということです。
アウシュラは、この知覚が「何が人々を興奮させ何が抑制するか」を見分ける力を与えると書いています。そのうえで、自分の情動と他人の情動を扱えるかどうかも、この知覚で決まるとしています。受け取ることと扱うことが、最初から1つの知覚に入っています。
主導的なときの姿: 情動で感染させる
このアスペクトが主導的、つまり最も強く使われるときの人物像を、アウシュラは同じ箇所で書いています。
この知覚のアスペクトが主導的であるとき、人間は自分の気分を他者にも引き起こし、伝える、すなわち他の人々を自分の情動で感染させる能力によって際立つ。他の人々の精神生活を活性化し、彼らの活動に向けた情動面の準備を活性化する能力をもつ。こうした人間には「他者の気分を感染させ、他者に自分が当該人々の生活能力にとって有用と考えるまさにあの情動的状態を押しつける能力」があると言えるだろう
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Когда этот аспект восприятия ведущий, человек отличается способностью индуцировать или переда- вать свои настроения другим людям, заряжать дру- гих людей своими эмоциями: Способен активизиро- вать духовную жизнь других людей, их эмоцио- нальную готовность к активности. Можно сказать что у такого человека есть способность заражать других своими настроениями и склонность навязы- вать другим именно те эмоциональные состояния, которые он считает полезными для жизнедеятель- ности этих людей.
言い換えると、Feを主導にする人は、自分の気分を他人にも引き起こし、自分の情動で人を感染させるということです。人の心の動きを活気づけ、活動へ向かう気持ちの準備を整える力を持つとされます。
ここで目を引くのは、「押しつける」という強い語です。押しつけるのは、相手の生活にとって役に立つと本人が考える情動の状態だとされます。Feの働きが、情動を受け取るだけで終わらず、情動を人に移して動かす側に出ると書いている点が、アウシュラの記述の特徴です。
情動の発散と誘導
続けて、アウシュラは、情動が外に出るとはどういうことかを書いています。
陽気に笑う人間は、顔やからだ全体の特定の運動を通じて情動的エネルギー、興奮を吐き出している。(中略)しかしこれは意識的な方法でもありうる—(中略)自身の興奮の他の人々への誘導、すなわち他の人々の心における自分の内的興奮の誘発である。一方、たとえば怒りは、同様に過剰興奮の解消の方法ではあるが、通常は情動的興奮にではなく、他の人々の情動的抑圧と萎縮に、彼らの活動の縮減あるいはこの活動を厳格な方向に向けることに方向づけられている。
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Веселый человек, который смеется, выплескивает эмоциональный заряд, возбуждение в определен- ных движениях мышц лица и всего тела.〔中略〕Но это мо- жет быть и сознательным способом передачи своей〔中略〕возбужденности другим людям — индуцирование своего внутреннего возбуждения в психике других людей. А вот, например, гнев — тоже способ сня- тия перевозбуждения, но он, как правило, направ- лен не на эмоциональное возбуждение, а на эмоци- ональное подавление и опустошение других людей, на уменьшение их активности или направление этой активности по строгому руслу.
上の引用の要点は、陽気に笑うことは、たまった興奮を吐き出すことでもあり、自分の興奮を人に引き起こす意識的な方法でもあるということです。一方、怒りも興奮の吐き出し方の1つですが、こちらは相手の情動を抑え、活動を縮める方向に向かうとされます。
つまり、アウシュラのFeでは、情動は高めることにも抑えることにも使えるということです。定義にあった「興奮あるいは抑圧」の2つの向きが、笑いと怒りの例で書き分けられています。
倫理的外向型の情動: 強烈で、しかも制御されている
双対の節で、アウシュラはFeを主導に持つESEとEIEを「倫理的外向型」としてまとめて書いています。
倫理的外向型の情動は強烈で、色彩豊かで、印象的であり、しばしば権威的で支配的ですらある。情動を恥じず隠さない。体験の深さと多彩さこそが、他者の目に価値が測られるところの、自分のなかで最も貴重なものである。情動の表出形態を完成させようと努力する。
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Эмоции этических экстравертов сильные, коло- ритные, внушительные, с большой экспрессией, не- редко и властные. Эмоций не стесняются и не скры- вают. Глубина и разнообразие переживаний — са- мое ценное, что находят в себе, на основании чего ценят других людей. Формы выражения эмоций стараются усовершенствовать.
言い換えると、倫理的外向型の情動は強く鮮やかで、それを恥じず隠さないということです。体験の深さと多彩さが、自分のなかで最も大事なものとされ、情動の表し方を磨こうとします。
ただし、アウシュラは、この情動が気まぐれに出るものだとは書いていません。同じ箇所の続きです。
情動は管理され、意識によって制御される。気分とは自ら創り出すものであり、意識的願望なしに生じるものではない。(中略)理解し、感嘆し、認め、共感し、他者の立場に入ることができる。それによって周囲の者たちの率直さを促し、自分の情動を理解する手助けをする。是認する力によって自分の熱意を他者に伝染させ、その気分を高め、行動へと奮い立たせる。
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Эмоции управляются, направляются и контролируются сознанием. Настроение — то, что они сами творят, а не то, что с ними происходит без их сознательного желания.〔中略〕умеют понять, восхи- титься, одобрить, посочувствовать, войти в положе- ние другого. Тем самым поощряют в окружающих откровенность, помогают разобраться в своих эмо- циях. С помощью умения одобрять своим энтузи- азмом заражают других, поднимают их настроение, вдохновляют на действие.
つまり、倫理的外向型の情動は意識で制御されていて、気分は自分でつくり出すものだということです。理解し共感して相手の立場に入ることで、まわりの人が率直になるのを助けるとされます。自分の熱意を人に伝染させ、行動へ向かわせるとも書かれています。
ここは、一般像の「感情の起伏が大きい」と食い違うところです。アウシュラの倫理的外向型は、情動を強く出しながら、その出し方を自分で決めている人として書かれています。この点は14章でもう一度取り上げます。
論理的内向型から見たFe
同じ節で、アウシュラは、Feを主導に持つ人の双対の側からもFeを書いています。ESEの双対はLII、EIEの双対はLSIで、どちらもFeを5番の暗示機能に持ちます。
倫理的外向型の鮮やかな情動、あらゆる良いもの・美しいものを喜ぶ能力が、論理的内向型の生活の活力を高める。論理内向は無感覚ではないが、自分の情動がその場にふさわしいかどうか、いつも確信がない。倫理外向こそが、魂に蓄積されたものを巧みに表現する者なのだ。だからこそ彼を価値あるものとして大切にする。
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Яркие эмоции этического экстраверта, умение радо- ваться всему хорошему и красивому поднимают жиз- ненный тонус логического интроверта. Логический интроверт не бесчувствен, но он вечно не уверен: уместны ли его эмоции. Этический экстраверт — как раз тот, кто искусно выражает то, что накопи- лось в его душе. Поэтому его и ценят.
上の引用の論理内向はLIIのことです。言い換えると、LIIは情動を持たないのではなく、自分の情動がその場にふさわしいかどうかに、いつも確信がないということです。そのため、魂にたまったものを巧みに表してくれるESEを、価値ある相手として大切にするとされます。
ここでも、Feは情動がその場にふさわしいかという、場との関係で書かれています。LIIに欠けているのは情動そのものではなく、情動を場に合わせて出すことだと読めます。
小括
アウシュラのFeは、人のなかで動いている情動的プロセス、つまり情動の高まりと沈み、気分の知覚です。何が人を興奮させ、何が抑えるかを見分ける力と、自分と他人の情動を扱う力が、1つの知覚として書かれています。
人物像では、情動による感染、意識で制御された強い情動、熱意の伝染が書かれます。そして、Feを暗示機能に持つLIIは、自分の情動が場にふさわしいかに確信が持てないとされます。ユングが書いた「場の感情の状況」が、ここでは人を動かす情動の働きとして書き直されています。
04レイニンの記述
レイニンのFeの記述は、主に『ソシオニクス: 類型論・小集団』にあります。レイニンはFeを「黒い倫理」と呼び、要素の定義を短い語の列で書いています。そのうえで、タイプの節では、その要素がそのタイプの何を支えているかを書いています。
定義: 他の人々の感情と、外的な関係
レイニンは、2つの倫理の要素を並べて、次のように定義しています。
白い倫理。それは人々に対する私の態度。人/物事への好み/嫌悪。私が経験する感情。(中略)黒い倫理。それは外的な関係、他の人々との関係および彼らの私への態度。それは他の人々の感情である。
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Subjective ethics. It is my attitude to people. It is the liking/disliking of people/things. It is the emotions I experience.〔中略〕Objective ethics. It is the external relationship, the relationships between other people and their attitude towards me. It is the emotions of other people.
上の引用の前半の白い倫理はFi、後半の黒い倫理がFeです。言い換えると、レイニンのFeは自分の外にある関係、つまり人と人とのあいだの関係や、他人が自分に向ける態度だということです。そして最後に、それは他の人々の感情であると言い切っています。
ここで目を引くのは、「関係」の語がFeの側に入っていることです。ほかの多くの研究者は、関係をFiの側の語として書きます。この点は、この章の小括で取り上げます。
ESE: 「私が他者と関係を持っているならば、私は存在する」
レイニンの定義の意味は、タイプの節でよりはっきりします。Feを1番に持つESEの節で、レイニンはこう書いています。
「人間は関係の領域である。私が他者と関係を持っているならば、私は存在する」。このタイプは関係の中にあるとき、その本領を発揮する。ESE〔原文: ヒューゴー〕は、他人の自分への態度や互いに対する態度について何を考えていようと、関係に緊張を与えることは決してない。彼は誰の態度も尋ねる必要がない、なぜならそれが何かを知っているからだ。彼はこの領域で自信を持っている。(中略)ESE〔原文: ヒューゴー〕を電話線の切れた部屋に置いてみるといい! それは不安や攻撃性を引き起こすかもしれない。料金未払いで電話が切れるかもしれないと考えるだけで、彼はストレスを感じる。
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“Man is a realm of relationships. If I have relationships with other people, then I exist”. This type is in its element when in a relationship. A Hugo would never put a strain on a relationship no matter what he thinks about other people's attitudes to himself and each other. He does not need to inquire of anybody’s attitude because he knows what it is. He is confident in this area.〔中略〕Just try putting a Hugo in a room with a disconnected phone line! It may cause anxiety or aggression. Even thinking that his phone may be disconnected because he has not paid the bills stresses him out.
このように、ESEは、人とのつながりの中にいることで自分の存在を確かめているとされます。他人が自分や互いをどう思っているかも、尋ねなくても分かっていると書かれています。
レイニンは、電話線の切れた部屋に置かれたESEが不安になる、という例まで書いています。つながりの網そのものが、ESEの足場になっているということです。ここで扱われているのも、人と人のあいだに流れている情動の網だと読めます。
EIE: 観衆を求める
Feを1番に持つもう一方のタイプ、EIEの節でも、同じ形の記述が出てきます。
EIE〔原文: ハムレット〕の自信領域は外的関係性である。このタイプは原則としてこの領域でなんら問題を抱えない。関係性の安定が重要である。現在の関係性の安定が揺らぐと、強い感情的反応、ひいては攻撃的反応すら引き起こすことがある。(中略)「もし関係性がないなら、私は必要とされていない、私は存在しない」彼は関係性を必要とする — それが良いものであれ悪いものであれ — それがそこに存在する必要がある。このタイプは従業員や上司、友人や敵、顧客やビジネスパートナーとの関係性を切望する。そして彼が人生で何よりも望むのは観衆である。あらゆる関係性が、私がこの世界に存在することを私自身に確認させる。
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a Hamlet's zone of confidence is external relationships. This type does not have any problems in this sphere as a rule. Stability of relationships is important. If stability of current relationships is shaken it may cause a strong emotional reaction, even aggression.〔中略〕“If there are no relationships, then I am not needed, I do not exist.” He needs relationships - whether they are good or bad – they need to be there. This type craves relationships with employees and bosses, friends and enemies, customers and business partners; most of all in life he desires audience. Any relationships confirm to me that I exist in this world.
つまり、EIEにとっても、関係があることそのものが、自分がこの世界にいることの確認になるということです。良い関係でも悪い関係でも、そこにあることが要るとされます。
ESEとの違いは、関係の広げ方です。ESEはつながりが多いほど良いのに対し、EIEは親しい友人の輪が小さく、人前に立ち、見つめられることを何より求めるとされます。同じFeの主導でも、組み合わさる知覚の要素(ESEはSi、EIEはNi)で出方が変わる、ということです。
主観主義と客観主義
レイニンは、Feを大事にするクアドラを、二分法の1つで名付けています。
区別は現実に対する態度に従ってなされた。主観主義者は理解、説明、記述、概念により多く頼る。新しい課題が現れたときには、彼らは知識を拡張し、自身の立場を決定しようとする。彼らは「陽気な集まり」とラベル付けされうる。客観主義者は客観的世界、事実、権威、信頼できるデータにより集中している。彼らの代替的な名称は「深刻」である。
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The Subjectivists – the objectivists. Distinction was made according to the attitude to the reality. The subjectivists lean more on understanding, explanations, descriptions, and concepts. When a new task presents itself they try to extend their knowledge and determine their position. They may be labeled as the cheerful bunch. The objectivists are more focused on the objective world, facts, authorities, and reliable data. The alternative name for them is serious.
上の引用の主観主義者は、Feと内向論理(Ti)を大事にするアルファとベータのクアドラです。客観主義者は、Te(外向論理)とFiを大事にするガンマとデルタのクアドラです。言い換えると、主観主義者は理解や説明に頼り、客観主義者は事実や権威に頼るということです。当サイトの名前でも、主観主義と客観主義と呼びます。
レイニンは、この名前がどこから来たのかも書いています。
8タイプ(客観主義者)は客観的世界の論理によって導かれ、他の8タイプ(主観主義者)は主観的論理によって導かれる。主観的人々は陽気であり、客観的人々は深刻である。哲学的カテゴリに関しては、前者は世界の記述により集中し、後者は世界の絵により集中する。客観的人々はガンマおよびデルタクアドラに属する。主観的人々はアルファおよびベータクアドラに属する。
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Eight types (objectivists) are guided by the logic of the objective world, the other eight types (subjectivists) – are lead by the subjective logic. Subjective people are cheerful, objective people are serious. As far as philosophical categories are concerned the former are more focused on the description of the world, the latter - on the picture of the world. Objective people belong to gamma and delta quadras; subjective people belong to alpha and beta quadras.
つまり、主観主義と客観主義の名前は、論理の要素の名前から付けられているということです。主観主義者は主観的論理(Ti)に、客観主義者は客観的論理(Te)に導かれるとされます。
小括
レイニンのFeは、他の人々の感情と、人と人とのあいだの外的な関係の知覚です。ESEはつながりの網の中で、EIEは観衆の前で、自分の存在を確かめるとされます。
ここで、2つの点がほかの研究者と食い違って見えます。1つ目は、「関係」の語がFeに入っていることで、ほかの研究者が関係をFiの語として書くのと食い違って見えます。ですが、レイニンの体系の中では筋が通っています。レイニンは、他人が自分に向ける態度と人どうしの関係をFeに、自分が人に向ける態度をFiに置いています。分けているのは「関係かどうか」ではなく、その関係を外から見るか、自分の内から見るかです。Feの側の関係は、自分の外で動いている情動の網として書かれています。
2つ目は、Feが「客観的倫理」と呼ばれながら、主観主義の側に入っていることです。これも、レイニンの体系の中で説明がつきます。要素の名前の黒い・白いは外向・内向のことで、レイニンは黒い要素をObjective(客観的)、白い要素をSubjective(主観的)と呼んでいます。Feは外向なので「客観的」です。一方、二分法の主観主義・客観主義は、組になる論理の要素の名前から付けられています。そのため、客観的倫理のFeが、主観的論理のTiと組んで主観主義の側に入ります。2つの「客観」は、別の水準の語だということです。この違いは、11章と16章でもう一度取り上げます。
05ストラティエフスカヤの記述
ストラティエフスカヤのFeの記述は、主に『お別れしないために』にあります。第I部の理論編で要素を定義し、第II部で16タイプを書いています。ストラティエフスカヤの機能の番号は、今のサイトと同じです。
定義: 人間の「内的エネルギー」
ストラティエフスカヤは、Feを感情の倫理と呼び、見出しに「エネルギー」と添えて、こう定義しています。
人間の「内的エネルギー」—その感情、また他者の心の状態を見分ける能力、感情を再現する能力(芸術性)、他人の感情を操る能力—笑わせ、喜びや熱狂を吹き込み、あるいは逆に、恐怖、戦慄、不安、パニックを吹き込む能力。
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"Внутренняя энергетика" человека — его эмоции, а также умение распознавать душевное состояние других людей, умение воспроизводить эмоции (артистизм) и умение управлять чувствами других людей: смешить, вселять радость, энтузиазм, или наоборот — внушать страх, ужас, тревогу, панику.
言い換えると、ストラティエフスカヤのFeは、人の内側のエネルギー、つまり感情と、それを見分け、再現し、動かす力だということです。この「エネルギー」は、人のなかで動いている情動の言い換えです。
並んでいる力のうち、「見分ける」は受け取る側、「再現する」「操る」「吹き込む」は働きかける側です。アウシュラ(03章)と同じく、受け取ることと働きかけることが1つの要素に入っています。吹き込む先には、喜びや熱狂だけでなく、恐怖や不安やパニックも挙げられています。
ESE: 「感情の相互交換」が始まる
ESEの章では、Feが最も強い特徴として書かれます。
ESE〔原文: ヒューゴー〕には感情の最も激しい発現が特徴的だ。このタイプの代表者の誰かが現れるところでは、「感情の相互交換」、「自然界における感情の循環」が始まる。ESE〔原文: ヒューゴー〕は感情性が低下した状態に耐えられない。皆が自分の気分を抑え、ほとんど交流せず、ほとんど発言せず、自分を感情的に何も発現しないような環境は、明らかに彼向きではない—人々が何を考えているのか分からず、彼らが何で生き、何に心配しているのかも分からない。
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Для Гюго свойственно самое бурное проявление эмоций. Там, где появляется любой из представителей этого типа, начинается "эмоциональный взаимообмен", "круговорот эмоций в природе". Гюго не переносит состояния пониженной эмоциональности. Обстановка, где все подавляют свое настроение, где мало общаются, мало высказываются, никак эмоционально себя не проявляют, явно не для него — не поймешь, что у людей на уме, не знаешь, чем они живут и что их волнует.
上の引用の要点は、ESEが現れると、その場で感情のやりとりが始まるということです。逆に、皆が気分を抑え、話さず、感情を表に出さない環境には耐えられないとされます。人々が何を考え、何を心配しているかが分からないからです。
ESEにとって、場の情動が動いていることが、人を知る手がかりになっていると読めます。レイニンのESEが電話線の切れた部屋を嫌うこと(04章)と、同じ観察です。
ESE: 大事なのは気分を設定すること
続けて、ストラティエフスカヤは、ESEが場の気分をどう扱うかを、職場の逸話で書いています。
気分を盛り上げるためだけに、彼はしばしば何かを言ったり何かをしたりする。たとえば、出勤してきて、自分のすべての女性同僚にプレゼントを準備していると厳粛に宣言することができる—皆に三月八日(国際女性デー)のためにエプロンを縫っていて、すでに裁断されているのだ、と。(中略)重要なのは別のこと—心地よく高揚した気分を作り出すこと、祝祭の雰囲気を作り出すこと(プレゼントの話なのだから)、良好な関係の条件を作り出すこと、全体の承認を得ること、少なくとも一時的にでもその日の主役となること。しかし最も重要なのは、まさに気分を設定することであり、エプロンについては皆後でめでたく忘れてくれてかまわない。
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Он часто что-то говорит или делает только для того, чтобы поднять настроение. Например, может, придя на работу, торжественно объявить, что готовит для всех своих сослуживиц подарки — каждой шьет передники к 8 Марта, и они уже даже раскроены.〔中略〕Важно другое — создать приятное приподнятое настроение, создать атмосферу праздника (раз уж речь идет о подарках), создать условия для хороших отношений, получить общее одобрение, стать хотя бы ненадолго героем дня. Но самое главное — это именно задать настроение, а про передники все потом могут благополучно забыть.
言い換えると、ESEにとって大事なのはエプロンを本当に縫うことではなく、その場の気分を設定することだということです。その代わりに挙げられているのは、心地よく高揚した気分、祝祭の雰囲気、良い関係の条件をつくることです。
一般像の「場を盛り上げる」は、ここでのストラティエフスカヤの記述に近い形です。ただし、ストラティエフスカヤはそれを約束の中身より気分を優先するところまで書いています。
ESE: 現れる感情から人を見抜く
ESEのFeは、働きかけるだけではありません。同じ章で、ストラティエフスカヤは、受け取る側の働きも書いています。
ESE〔原文: ヒューゴー〕は人間の性格を見事に見抜く—まさに発現される感情を通じて。これによって彼は優れた心理学者となることができる。人間の感情状態を非常に正確に評価し、深く共感する。ESE〔原文: ヒューゴー〕の倫理的洞察力は完全に、人々が発現する感情を通じてその行動の動機を理解する能力に基づいている。
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Гюго великолепно видит характер человека — именно через выражаемые им эмоции. Это позволяет ему быть прекрасным психологом: очень точно оценивать эмоциональное состояние человека и глубоко ему сопереживать. Этическая проницательность Гюго целиком построена на умении понимать мотивы поступков людей через выражаемые ими эмоции.
つまり、ESEは、人が表に出す感情を通して、その人の性格と行動の動機を見抜くということです。人の感情の状態を正確に評価し、深く共感するとされます。
ここでの手がかりは、表に現れた感情です。Feが読むのは、人の内面の好き嫌いそのものより、表に出て場に流れている情動だと読めます。
EIE: 各人の周りにつくる感情の場
EIEの章では、Feが人に働きかける力として、より強い言葉で書かれます。
各人の周りにEIE〔原文: ハムレット〕はある感情の場を作り出す。それを自分の判断で時には肯定的に、時には否定的に「充電」しながら、人間の倫理的資質への自分の態度を絶え間なく表現する。しかも自分の個人的な印象としてではなく、ある共通の、すでに形成された意見として。
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Вокруг каждого человека Гамлет создает некое эмоциональное поле, которое по своему усмотрению "заряжает" то положительно, то отрицательно, постоянно выражая свое отношение к этическим качествам человека, причем не как свое личное впечатление, а как некое общее, уже сложившееся мнение
上の引用の要点は、EIEは相手ごとに感情の場をつくり、それを肯定的にも否定的にも「充電」するということです。そして、その評価を自分の個人的な印象としてではなく、共通の、すでにできあがった意見として示すとされます。
ここは、Feを考えるうえで大事な観察です。EIEが示す評価は、「私はこう感じる」ではなく「皆がそう思っている」の形をとります。Feの評価が、個人の好き嫌いではなく、場に共通するものとして出されるということです。
同じ章で、ストラティエフスカヤは、EIEをひとことで言い表しています。
EIE〔原文: ハムレット〕は—人間の感情の演出家、気分の演出家。誰の人にも、EIE〔原文: ハムレット〕はまさに必要だと思う気分を「設定する」。
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Гамлет — режиссер человеческих эмоций, режиссер настроений. Любому человеку Гамлет "задаст" именно то настроение, которое считает нужным задать.
つまり、EIEは人の感情と気分の演出家で、相手ごとに必要だと思う気分を設定するということです。この章のESEの節の「気分を設定する」と、同じ語が使われています。
小括
ストラティエフスカヤのFeは、人の内的エネルギー、つまり感情を見分け、再現し、動かす力です。ESEでは感情の相互交換と気分の設定、EIEでは相手ごとの感情の場と気分の演出として書かれます。
2つのタイプに共通するのは、場の気分を設定するという働きです。そして、EIEの記述では、その評価が個人の印象ではなく共通の意見として出されます。定義の見出しの「エネルギー」は、Fiの見出しの「エネルギー的関係」と対になっていて、Feは情動そのもの、Fiは情動のあいだの関係として書き分けられています。この違いは13章で続けます。
06フィラトワの記述
フィラトワのFeの記述は、『ソシオニクスの鏡の中の人格』にあります。フィラトワは、第II部の初めでユングの8つの機能の型を1つずつ説明し、そのあとで16タイプの記述を書いています。
外向倫理型: 開かれた感情の人
フィラトワは、Feが優勢な型を次のように書いています。
これは概して、開かれた感情の人であり、感情を容易に表現する。外向倫理型にとって決定的なのは、感情、気分、情動体験の領域である。自分自身が非常に情動的な人間であるだけに、他の人々の感情もみごとに理解し、必要なら操ることもできる。外向倫理型の気分は容易に正反対へと変わり、自分の感情を必ずしも隠す必要があるとは考えない。感情の自由な表出は、彼にとって自然な状態である。
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Это, как правило, человек открытых эмоций, которые он легко выражает. Для экстравертного этика определяющей является сфера чувств, настроений, переживаний. Он сам, будучи человеком очень эмоциональным, прекрасно понимает также чувства и других людей, может при необходимости ими управлять. Настроение экстравертного этика легко меняется на противоположное, свои чувства он не обязательно считает нужным скрывать: свободное их выражение — естественное для него состояние.
言い換えると、フィラトワの外向倫理型は感情を開いて表し、自分が情動的なぶん人の感情もよく理解し、必要なら動かせる人だということです。この型にとって決定的なのは、感情・気分・情動体験の領域だとされます。
フィラトワは、この型の代表として、トルストイ『戦争と平和』のアンドレイ公爵を挙げています。例に引くのは、アウステルリッツの会戦で軍旗を掲げ、退却する兵士たちを敵に向き直らせる場面です。Feが、情動を表に出して人を動かす力として書かれていることが分かります。
ここで目を引くのは、「気分は容易に正反対へと変わる」という一文です。アウシュラが倫理的外向型の情動を「意識によって制御される」と書いたこと(03章)とは、向きが違って見えます。この差は11章で取り上げます。
ESE: 最大の価値は肯定的な感情
16タイプの記述では、ESEの意識の構えを、フィラトワはこう書いています。
人間のあらゆる行動を動かす最も重要なものは感情であり、最大の価値は肯定的な感情である(外向倫理—プログラム機能)。そのためには、あらゆる可能な方法で周囲の人々に「ちょっとした喜び」をもたらす必要がある—健康を気遣い、おいしい食事を用意し、贈り物をし、周囲に美と快適さを作り出すことによって(内向感覚—プログラムの実現)。
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Главное, что движет людьми во всех их поступках — это эмоции; самая большая ценность — положительные эмоции (ЧЭ — программная функция), и для этого необходимо доставлять окружающим «маленькие радости» всеми возможными способами — заботиться о здоровье, готовить вкусную пищу, дарить подарки, создавать вокруг красоту и комфорт (БС — реализация программы).
上の引用のプログラム機能は、フィラトワの呼び方で主導機能のことです。つまり、ESEにとって人を動かす最も大事なものは感情で、最大の価値は肯定的な感情だということです。そのために、まわりの人に小さな喜びをもたらそうとします。健康を気づかい、食事を用意し、贈り物をする、という形です。
続けて、フィラトワはESEのFeをこう書いています。
ESEは非常に感情豊かである。彼は生のあらゆる現れを喜び、容易に自分自身と周囲の人々のために祝祭を作り出し、自らの熱意、エネルギー、高い活気で彼らを満たす。
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ЭСЭ очень эмоционален. Он радуется любому проявлению жизни, легко создает праздник себе и окружающим, заряжая их своим энтузиазмом, энергией, высоким тонусом.
言い換えると、ESEは自分とまわりの人のために祝祭をつくり、自分の熱意と活気で人を満たすということです。不快なものは投げ捨てればよい、人生は短いのだから、という考えも書かれています。
ストラティエフスカヤのESEが「祝祭の雰囲気」をつくろうとしていたこと(05章)と、ほぼ同じ観察です。ESEのFeは、場の情動を肯定的な側へ動かす働きとして、2人の研究者に書かれています。
EIE: 感情の領域を、指揮者のように
EIEの「意識の構え」と、強い機能のFeを、フィラトワはこう書いています。
人生は、そこに感情の高まり、体験のドラマ性が存在するときにこそ意味に満たされる(外向倫理—プログラム機能)。(中略)EIEにとって人生とは感情の領域であり、彼はそれを、指揮者がオーケストラを操るように巧みに操る。彼は自分の武器として、周囲に働きかける能力を持っている—その手段は、悲劇性や歓喜に満ちた強烈な爆発から、自分を傷つけた、あるいは侮辱したと思う相手を、その全身の様子で罰するかのように何日も「石のような顔」で過ごす能力まで、幅広い。
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Жизнь наполнена смыслом, если в ней присутствует эмоциональный накал, драматизм переживаний (ЧЭ — программная функция)〔中略〕Жизнь для ЭИЭ — это сфера эмоций, которыми он искусно управляет, как дирижер оркестром. Он имеет в своем арсенале способность воздействовать на окружающих широким диапазоном собственных чувств — от мощного взрыва, насыщенного трагизмом или восторгом, до способности несколько дней ходить с «каменным лицом», всем своим видом наказывая того, кто, как ему кажется, обидел или оскорбил его.
上の引用の要点は、EIEにとって人生は感情の領域で、それを指揮者がオーケストラを扱うように巧みに動かすということです。周囲に働きかける手段は、強い感情の爆発から、何日も「石のような顔」で過ごして相手を罰することまで、幅広いとされます。
ESEが場を肯定的な情動へ動かすのに対し、EIEの意識の構えに書かれているのは、感情の高まりと体験のドラマ性です。同じ章の続きで、フィラトワはその理由も書いています。
むしろ、状況が落ち着いた流れに入ると、EIEは自分から緊張を作り出すことを好む—周期的な感情の嵐がなければ、彼は手持ち無沙汰に感じる。なぜなら、穏やかな生活の中では、彼が人を操るためのてこが消えてしまうからである。
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Напротив, если ситуация входит в спокойное русло, ЭИЭ предпочитает создать напряженность сам — без периодических эмоциональных бурь он чувствует себя не у дел, поскольку в спокойной жизни исчезают рычаги для его манипуляций.
つまり、EIEは状況が落ち着くと、自分から緊張をつくり出すということです。穏やかな生活の中では、人に働きかけるための手がかりが消えてしまうからだとされます。グレンコの−E、つまり場の情動を張りつめさせる側(09章)と同じ向きの観察です。
小括
フィラトワのFeは、感情、気分、情動体験の領域で、自分の情動を開いて表し、人の情動を理解して動かす力です。ESEでは肯定的な感情と祝祭、EIEでは感情の高まりとドラマ性として書かれます。
同じFeの主導でも、ESEは場を明るい側へ、EIEは張りつめた側へ動かすと書き分けている点が、フィラトワの記述の特徴です。向きは違っても、どちらも場の情動を動かす働きとして書かれています。
07イェルマークの記述
イェルマークのFeの記述は、主に機関誌の論文「人間の心と周囲世界との相互作用—情報流のアスペクト構造」(1997年)にあります。イェルマークは、情報要素を「アスペクト」と呼び、その名前を1つずつ選び直しながら定義しています。Feのアスペクトの名前は感情です。
表情から状態を読み取る
イェルマークは、Feのアスペクトを、ふだんの言葉の例から説明しています。
人を見て、その表情、ジェスチャー、目の輝き、声の抑揚から、しばしばかすかな信号を読み取り、何らかの状態を確認する:「彼は興奮している」「彼は緊張が高い/低い」「彼は恋している」(愛は状態である)。同じことが周囲の空間にも当てはまる(「緊迫した状況」「情念が燃え立つ」「感情が沸騰する」等)。
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Глядя на человека, на его мимику, жесты, блеск глаз, интонацию голоса мы замечаем (считываем), часто едва уловимые, сигналы и констатируем некоторое состояние : “он возбужден”, “у него повышенный или пониженный тонус“, “он влюблен” (любовь состояние). То же относится и к окружающему пространству (” накаленная обстановка”, “кипят страсти”, “бурлят эмоции” и др.).
言い換えると、人は表情や身振り、目の輝き、声の抑揚から、その人の状態を読み取っているということです。「彼は興奮している」「彼は恋している」がその例です。
大事なのは、最後の一文です。同じことが周囲の空間にも当てはまるとされ、「緊迫した状況」「感情が沸騰する」が例に挙がります。イェルマークのFeは、人の状態だけでなく、場そのものの情動の状態も扱うということです。
「感情」という名前
続けて、イェルマークは、このアスペクトにどんな名前を付けるかを書いています。
エネルギー的、または人々の間で言われるところの感情的状態は、極めて情報量が多く、コミュニケーションでしばしば効果的に使われる: 情熱、喜び、悲しみ、パニック、興奮、熱意、劇性等。(中略)エネルギーとエネルギー状態についての情報構成要素(アスペクト)の意味論(意味)は、「感情」という用語で一般化できる。
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Энергетические или, как говорят между людьми, эмоциональные состояния очень информативны и часто эффективно используются в коммуникациях: страсть, радость, грусть, паника, азарт, энтузиазм, драматизм и др.〔中略〕Семантику (смысл) информационной составляющей (аспекта) об энергии и энергетических состояниях можно обобщить термином “ эмоции ”.
イェルマークによれば、エネルギーとエネルギー状態の情報を、「感情」という語でまとめられるということです。情熱、喜び、悲しみ、パニック、興奮、熱意、劇性が、その例として並びます。
イェルマークは、感情を「エネルギー状態」と言い直しています。ストラティエフスカヤの「内的エネルギー」(05章)と同じ方向です。イェルマークの「エネルギー状態」も、人と場のなかで動いている情動と同じものを指しています。
小括
イェルマークのFeは、人と周囲の空間のエネルギー状態、つまり情動についての情報です。人の表情や声から状態を読み取ることと、「緊迫した状況」のような場の状態を読み取ることが、同じアスペクトに入っています。
感情をエネルギーの状態として定義し、人の状態と場の状態を同じ語で扱っているのが、イェルマークの書き方の特徴です。同じ論文で、イェルマークはFiを「エネルギー状態の関係」と定義していて、その対比は13章で引用します。
08カルペンコの記述
カルペンコのFeの記述は、主に機関誌の論文「世界のアスペクト知覚」(1995年)と「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」(2002年)にあります。カルペンコは、Feを感情の倫理、または黒い倫理と呼びます。
SEIにとっての「感情の場」
1995年の論文で、カルペンコは、自分のタイプであるSEIの立場から、Feの知覚を描いています。
E(▼〔Fe〕)には、対応するアスペクトの知覚において、●〔Se〕と同じような巻き込まれが特徴的である。SEIにとって▼〔Fe〕は感情の場であり、物理的な場のあらゆる性質—強度、ポテンシャル、曲率(幾何学)—を備えている。視覚的には、感情の場は相対性理論の本に載っている重力場の絵にとてもよく似ている。柔軟で、弾力があり、伸縮する膜(オレンジ色の、金色の)が空間(部屋)に広がり、それを満たしている。中心は私、自我、私の心的なもの。他者は、この場の、強さの程度はさまざまな、変形である。
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Для E ( ) характерна такая же включенность, как для , в восприятии соответствующего аспекта. для СЭИ - поле эмоций, обладающее всеми свойствами физического поля - напряженностью, потенциалом, кривизной (геометрией). Зрительно поле эмоций очень похоже на картинки гравитационных полей в книгах по теории относительности. Гибкая, упругая, эластичная пленка (оранжевая, золотая), простирающаяся в пространстве (комнате), заполняющая его. Центр - Я, Эго, мое психическое; другой человек - деформация, той или иной силы, этого поля.
上の引用にあるEと▼はどちらもFeの記号で、●はSe(外向感覚)の記号です。つまり、カルペンコにとってFeは、部屋いっぱいに広がる「感情の場」だということです。場は強さや曲がり方を持ち、他者はその場のゆがみとして現れる、という像です。
冒頭の「巻き込まれ」は、知覚する人がその場の外にいるのではなく、場の中に入っていることを指しています。カルペンコの感情の場は、部屋の中に満ちている情動を、場の形で描いたものです。
同じ論文で、カルペンコは、その場がSEIにとってどう感じられるかを続けています。
SEIにとってこの場は物理的に感じ取れるものであり、他人の感情が引き起こすその変形は、ときに端的に耐えがたい。「SEI〔原文: デュマ〕」は決して仲裁者でも平和の使者でもない。なぜなら彼がそうしたことをするのは他人の利益のためでも、誰かを喜ばせるためでもなく、マイナスに張りつめた感情の場の中では—物理的な痛みに至るほどに—存在していられないからだ。早く、早く—立ち去るか、この感情をなだらかにするかしなければ。
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Для СЭИ это поле физически ощутимо, его деформации, вызываемые эмоциями других людей, бывают порой просто невыносимы. "Дюма" отнюдь не посредник, не миротворец, ибо все это он делает не для блага других, не для того, чтобы сделать кому-то приятное, а потому, что не может существовать в отрицательно напряженном эмоциональном поле - до физической боли. Скорее, скорее - или уйти, или сгладить эти эмоции.
言い換えると、SEIは、マイナスに張りつめた感情の場の中にはいられないので、その場を和らげようとするということです。カルペンコは、それは人のためでも誰かを喜ばせるためでもないと書いています。
ここでのFeは、場の情動の張りつめ方を体で感じ取る知覚として書かれています。SEIはFeを2番の創造機能に持つタイプで、場の情動を和らげる働きは、この位置のFeの使い方として読めます。
感情だけではない
2002年の論文で、カルペンコは、Feを「感情」と呼ぶことの限界を書いています。
実のところ、多次元の▼〔Fe〕機能の現れの中に、正真正銘の「感情」はそれほど多くない。言い換えれば、正真正銘の感情的成分は、それを汲み尽くすものではないのだ。たしかに、自我ブロックに黒い倫理を含むタイプの人々は、それがバイタルリングのブロックに配置されている人々よりも、たいていより感情的である。しかし意識的な、判断する、合理的な機能として、▼〔Fe〕はその意味論において感情的反応の枠をはるかに超え出る。
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Дело в том, что в проявлениях многомерных функций собственно «эмоций» не так уж много, или, иначе говоря, соб- ственно эмоциональная составляющая не является исчерпывающей. Да, действительно, люди, типы которых содержат в блоке Эго черную этику, обычно более эмоциональны, нежели те, у кого она располагается в блоках витального кольца. Однако как сознательная, судящая, рациональная функ- ция, по своей семантике выходит далеко за рамки эмоциональных реакций.
上の引用にある多次元は、その要素をどれだけ多くの手がかりで扱えるかを表す「次元」が大きいことです。バイタル環はバイタルリング、つまり意識しにくい下の側の位置(超イドとイド)のことです。要点は、多次元のFeの現れには、本当の意味での「感情」はそれほど多くないということです。たしかに、Feを自我に持つ人はたいてい感情豊かです。ですがカルペンコは、Feを意識的で合理的な判断の機能と呼び、その意味は感情の反応の枠をはるかに超えると書いています。
ここは、Feを「感情的な要素」と説明する一般像と食い違うところです。カルペンコのFeは、感情の反応にとどまらない、合理的な判断の機能として書かれています。同じ論文で、カルペンコは、その中に興奮、緊張、エネルギーの概念も入ると続けています。この点は11章で受けます。
クアドラごとのFeの扱い
同じ論文で、カルペンコは、クアドラごとにFeがどう扱われるかを書いています。まず、ベータクアドラです。
おそらく、感情の倫理(▼〔Fe〕)をグローバルと呼べるのは第2クアドラ(ベータ)においてだけである。ここではこのアスペクトの意味論のあらゆる色合いが発現している: 個々の人間の真に劇的な、深い、それどころか深層の感情から、人々の集団の、さらには民族やエトノスの感情状態まで。まさにこのゆえに、βクアドラの代表者はあれほど頻繁に俳優や芸術家となり、また同じくらい頻繁に、指導者や先導者となるのである。他人の情感と感情に働きかける腕前は、このクアドラでは芸術の水準にまで引き上げられている—この芸術は誇りの種であり、この腕前は活発に使われる。
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Наверное, только во второй квадре этику эмоций () можно назвать глобальной. Здесь про- явлены все оттенки семантики этого аспекта: от подлинно драматических, глубоких, глубинных да- же, эмоций отдельного человека до эмоциональных состояний групп людей, и даже народов и этно- сов. Именно поэтому представители β-квадры так часто оказываются актерами, артистами и, не менее часто, вождями и вожаками. Умение воздействовать на чувства и эмоции других людей в этой квадре поднято на уровень искусства — этим искусством гордятся, этим умением активно пользуются.
上の引用にあるグローバルは、その要素を最も多くの観点から扱えること、つまり4次元を指す語です。言い換えると、ベータクアドラのFeは、個人の深い感情から、集団や民族の感情状態までを扱うということです。そのため、ベータクアドラの人は、俳優や芸術家、指導者や先導者になることが多いとされます。
次に、アルファクアドラとベータクアドラを比べた箇所です。
(αクアドラの)▼(Fe)○(ESE)は、感情の奔出に—自分のものにも周囲の人々のものにも—落ち着いて接し、それを避けがたい生の現れとして受け取っていることに気づく。ところが▼(Fe)△(EIE)は、とくに男性は、感情の現れを統制下に置くという課題をしばしば自分に課し、この目的の実現のために特別な心理テクニックを習得する。(中略)私に言わせれば、第1クアドラ(アルファ)では黒い倫理は各人の私事であり、このアスペクトでどう自分を表すかは—各人が自分で決める。第2クアドラではこのアスペクトはむしろ、具体的な人間を通して(勝手に!)現れ、「その人を通して溢れ出る」。
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можно заметить, что (ЭСЭ) (из α-квадры) спокойно относится к эмоциональным всплескам, как собственным, так и окру- жающих, воспринимает их как неизбежное жизненное проявление. А вот (ЭИЭ), особенно муж- чины, нередко ставят перед собой задачу взять под контроль проявления эмоций и для осуществления этой цели обучаются специальным психологическим техникам.〔中略〕Я бы сказала, что в первой квадре черная этика — это частное дело каждого, как проявлять себя по этому аспекту — каждый решает сам. Во второй квадре этот аспект скорее проявляется (сам!) через конкретного человека, «изливает- ся через него».
言い換えると、同じFeの主導でも、アルファのESEは感情の噴出を自然なものとして落ち着いて受け止め、ベータのEIEは感情の表れを統制しようとするということです。カルペンコは、アルファクアドラではFeをどう表すかは各人が決める私事で、ベータクアドラではFeがその人を通して溢れ出るものだと書いています。
最後に、Feを大事にしないデルタクアドラです。
第4クアドラ(デルタ)の感情的な現れへの態度は、完全に規範化されている。感情を礼節の枠に、社会で受け入れられた規範が与える境界の内に抑えておこうとする志向が、はっきりと宣言され、執拗に実行される。δクアドラでは▼〔Fe〕は二次元である。
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Отношение к эмоциональным проявлениям в четвертой квадре совершенно нормировано. Стремление удерживать эмоции в рамках приличий, в границах, заданных принятыми в обществе нормами четко декларируется и настойчиво осуществляется. В δ-квадре двумерна.
つまり、デルタクアドラでは、感情を礼節と社会の規範の枠に収めようとするということです。カルペンコは、ガンマクアドラではFeが1次元、つまりいちばん少ない手がかりでしか扱えない段階になるとも書いています。そこでは、感情の多様さは弱さやしつけの欠如と受け取られるとされます。
4つを並べると、同じFeでも、クアドラによって情動の扱い方が違うことが分かります。ベータは個人から民族までの情動を扱い、アルファは各人の私事として扱い、デルタは規範の枠に収め、ガンマは1次元の要素として弱さの表れと受け取ります。アルファとベータはFeを大事だと感じるクアドラ、ガンマとデルタはそうでないクアドラです。
小括
カルペンコのFeは、部屋いっぱいに広がり、自分も他者もその中にいる「感情の場」です。そして、本当の意味での感情は多次元のFeの一部にすぎず、Feは場の興奮と緊張を扱う合理的な判断の機能だとされます。
また、クアドラごとにFeの扱い方が違うことを、4つのクアドラで書いています。同じFeの主導でも、ESEとEIEで感情の表れへの態度が違うという観察は、アウシュラ(03章)やフィラトワ(06章)と並べると、11章の差の所在につながります。
09グレンコの記述
グレンコのFeの記述は、主に『64の肖像』(2019年)の理論編にあります。グレンコは、Feを感情倫理と呼び、記号Eで表します。グレンコの体系では、情報要素は「心の状態」の名前としても使われます。
読むときの注意を1つだけ置きます。グレンコのEは要素の名前で、モデルの位置の名前ではありません。Eは外向倫理(Fe)のことで、内向倫理(Fi)はRと書きます。
感情の興奮の状態
グレンコは、状態Eを次のように書き始めています。
感情の興奮の状態にあるとき、人はその判断の客観的な厳密さを失い、主観的な好みと感情が激しく渦巻く中に飛び込む。彼の意識は非常に偏った評価を行い、それは対象や人間の自己にとっての価値の表現に過ぎない。
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Being in a state of emotional arousal, a person loses the objective rigor of his judgments and plunges into the stormy element of subjective preferences and feelings. His consciousness makes very partial assessments, which are just an expression of the value of an object or person for himself.
言い換えると、状態Eにある人は、冷静な判断の厳密さを離れて、好みと感情の渦の中に入るということです。グレンコは同じ段落で、そのときの考えは抑揚が強く、速く、誰かとの対話のように進むとも書いています。
グレンコが書いているのは、外から見たFeの定義ではなく、情動が高まっているときの人の内側です。ここでの「感情の興奮」も、つまりは高まった情動のことです。
感情的な参入者
続けて、グレンコは、状態Eの人が集団の中でどんな役割を担うかを書いています。
状態Eにある人は感情的な参入者という社会的役割を主張する。チームでは、彼は人々の気分に注意を払い、集団の感情の一般的レベルから外れる人々に積極的に影響を及ぼす。感情的な参入者の任務は、状況に応じて、皆の気を引き立てる、励ますあるいは鼓舞する、(中略)あるいは負の感情を引き起こす、不快に侮辱する、扇動することである。
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A person in state E claims the social role of an emotional entrant. On a team he pays attention to the mood of people and actively influences those who deviate from the general level of emotions of the group. The task of an emotional entrant, depending on the situation, is to raise everyone’s spirits, cheer or inspire, or cause〔中略〕negative emotions, unpleasantly offend, or agitate.
上の引用の要点は、状態Eの人は、集団の気分に注意を払い、その気分から外れた人に積極的に働きかけるということです。その働きかけは、皆を元気づけ、励ますことにも、反対に負の感情を引き起こし、扇動することにも向かうとされます。
ここで働きかけの基準になっているのは、「集団の感情の一般的レベル」です。グレンコのFeも、1人の感情ではなく、集団に共通する情動の水準に向いているということです。アウシュラの「興奮あるいは抑圧」(03章)と同じく、情動を上げる向きと下げる向きの両方が書かれています。
共感と、一面的な情熱
グレンコは、状態Eが心理的にどう表れるかも書いています。
心理的に、状態Eは人の強い欲望や情熱として表現される。それは嵐のような喜びや慰めようのない悲しみの形でこぼれ出ることがある。状態Eにおいて、人は他者の感情をあたかも自分自身のもののように感じる。これは共感の過程の本質であり、実践している心理学者にとって極めて必要なものである。状態Eは合理的である。それは人によって実現されるが、管理することは非常に難しい。情熱は、それが喜びであれ悲しみであれ、常に一面的である。それは人のすべての心的資源を1つの対象に集中させ、選択の機会を奪う。
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Psychologically, the state of E is expressed as a person’s strong desire or passion. It can spill out in the form of stormy joy or inconsolable grief. In state E, you feel the other person’s emotions as if they were your own. This is the essence of the process of empathy, which is so necessary for a practicing psychologist. The state of E is rational. It is realized by the person, but it is very difficult to manage. Passion, whether joy or sorrow, is always one-sided: it concentrates all the psychic resources of a person on one object and deprives him of the opportunity of choice.
言い換えると、状態Eの人は、他人の感情を自分の感情のように感じるということです。グレンコはこれを共感の本質と呼び、心理学者に欠かせないものだとしています。一方で、その情熱は喜びでも悲しみでも一面的で、すべての心の資源を1つの対象に集め、選ぶ余地を奪うとされます。
状態の中にいる本人の側から書いた記述は、ほかの研究者にはほとんどありません。共感と一面的な情熱を同じ状態の両面として書いているのは、グレンコの記述の特徴です。
表情と舞台
グレンコは、状態Eの外への表れも書いています。
状態Eに浸る人の身体的兆候はよく認識される。これらは大きく開いて燃え立つ目、豊かな表情、迅速で表現豊かな身振り、無作為に突発する動作、顔色の変化(赤面または青ざめ)である。状態Eに入る能力は、舞台で働くあるいは聴衆に話しかける誰にとっても必要である。俳優や話者の感情的な表現性は、聴衆に影響を与える主要な手段である。
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The physical signs of a person immersed in the state of E are well recognized. These are widely-flared burning eyes, rich facial expressions, rapid and expressive gestures, randomly gusting movements, and a change in face color (redness or blanching). The ability to enter state E is necessary for everyone who works on stage or speaks to an audience. Emotional expressiveness of the actor or speaker is the main means of influencing the audience.
つまり、状態Eは、燃えるような目や豊かな表情、すばやい身振りとして外に出るということです。グレンコは、この状態に入る力が、舞台に立つ人や聴衆に話す人に必要だと書いています。俳優や話し手の感情の表し方が、聴衆に影響を与える主な手段だからです。
ここでも、Feは情動を外に出して人に影響を与える働きとして書かれています。レイニンのEIEが観衆を求めていたこと(04章)とも重なります。
肯定的な感情と、劇的な感情
グレンコは、Feを肯定的な側と否定的な側の2つに分けて書いています。
+E(Fe) ― 肯定的感情の倫理: 喜ぶこと、熱意を示すこと、良い気分でいること、開かれて友好的に振る舞うこと。歓待を示し、人生を楽しむ熱狂者のように。(中略)-E(Fe) ― 否定的(劇的)感情の倫理: 憤慨すること、反逆すること、心配すること、嘲笑すること、感情的状況を緊張させ加熱すること。指導者のように。
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E — ethics of positive emotions: rejoice, show enthusiasm, be in a+ good mood, behave openly and friendly. As an Enthusiast, showing .hospitality and enjoying life〔中略〕E — ethics of negative (dramatic) emotions: to resent, to rebel, to- worry, to ridicule, to tense and heat the emotional situation, as the Mentor .does
言い換えると、グレンコのFeには、喜びと熱意で場を明るくする側と、憤りや心配で場を緊張させる側があるということです。
一般像の「場を盛り上げる」は、このうち+Eの側の話です。グレンコは、場の情動を張りつめさせることも同じFeの働きとして書いています。
小括
グレンコのFeは、感情の興奮、つまり高まった情動の状態です。その状態の人は、集団の気分の水準に注意を払い、そこから外れた人に働きかけ、他人の感情を自分のもののように感じます。
ここで、定義の冒頭の「主観的な好みと感情」は、内向倫理(Fi)の語にも見えます。ですが、グレンコの体系では筋が通っています。グレンコが書いているのは、状態Eにある人の内側で、冷静な判断が感情に押されている様子です。その状態の社会的な役割は、集団の感情の水準に合わせて人を動かすことで、向いている先は場の情動です。内側から見ると主観的な高まりで、外への働きは場の情動に向く、という2つの面を、グレンコは1つの状態として書いていると読めます。
10その他の論者の記述
ここまでの8人のほかに、Feについてまとまった記述を残した研究者が2人います。ブカロフと、システム・ソシオニクス学派のエグリトです。どちらも、Feを単独で長く書いたものではないため、1つの章にまとめます。
ブカロフ: アルファとベータの価値としての情動
ブカロフは、関係論の論文の中で、クアドラの価値を説明するときにFeを書いています。まず、アルファクアドラです。
他方、第1クアドラ(アルファ)にとって快適さ—快適さの感覚(○S(Si)i)、デザイン、心地よい感覚—は非常に重要である。環境は心地よい感情を与えるべきだ。第1クアドラのタイプには白い感覚(○S(Si)i)と黒い倫理(▼F(Fe)e)との情報的結びつきがある—これらの機能はモデル A の同一水平ブロックに入る。それゆえこのクアドラの代表者にもデザイン分野、芸術分野で働く人が多く、同じ理由から、料理、外食産業、概して社会的領域に従事する人もかなり多い。
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С другой стороны, для 1-й квадры очень важен комфорт, сенсорика комфорта ( ), дизайна, приятных ощущений. Окружение должно давать приятные эмоции. У типов первой квадры существует информационная связь между белой сенсорикой ( ) и черной этикой ( ) — эти функции попадают в один горизонтальный блок модели А, и поэтому среди представителей этой квадры также много людей, которые работают в области дизайна, в художественной сфере, и по тем же причинам довольно много людей, которые занимаются кулинарией, общественным питанием, вообще социальной сферой.
上の引用の要点は、アルファクアドラでは、快適さとFeが結びつき、環境が心地よい感情を与えるべきだとされるということです。上の引用にある「同一水平ブロック」は、モデルAで同じブロックに入ること、つまり内向感覚(Si)とFeが同じブロックに並ぶことを指しています。そのため、デザインや芸術、料理や外食、社会的な領域で働く人が多いとされます。
ベータクアドラについては、ブカロフは短くこう書いています。
他方、このクアドラには人間存在の感情的側面への大きな関心があり、感情は直観と結びついており、これは演劇分野への関心を生む。
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С другой стороны, у этой квадры большой интерес к эмоциональной стороне человеческого бытия, причем эмоции сопряжены с интуицией, и это дает интерес к области театра
つまり、ベータクアドラでは、人間の感情の側面への関心が直観と結びつき、演劇への関心を生むということです。ブカロフは、同じ論文の続きで、イデオロギーをFeと内向直観(Ni)の組み合わせとも書いています。
ここでは、Feが単独の要素ではなく、組になる知覚の要素と一緒にクアドラの価値として書かれています。アルファでは心地よさと、ベータでは時間の流れと組んだ情動です。カルペンコのクアドラの記述(08章)とも、向きがそろっています。
エグリト: エネルギー状態についての情報
エグリトは、自己観察の手引きの中で、8つの要素を短く定義しています。Feの定義は、Fiの定義と並べて書かれています。
黒い倫理、感情、感情の倫理—エネルギー状態についての情報。情熱、喜び、悲しみ、パニック、熱中、熱意、劇性、気分、抑うつ、霊感、恐れ、不安、哀しみ、悲嘆など。(中略)白い倫理、関係、関係の倫理—状態どうしの相関についての情報。人々の状態の比較。良い、親切な、意地の悪い、繊細な、礼儀正しい、寛容な、口論好きな、反感を抱かせる、残酷な、悪い、(関係としての)愛など。
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ЧЭ, эмоции, этика эмоций — информация об энергетических состояниях. Страсть, радость, грусть, паника, азарт, энтузиазм, драматизм, настроение, депрессия, вдохновение, страх, тревога, печаль, горе и т. д. БЭ, отношения, этика отношений — информация о соотношении состояний. Сравнение состояний людей. Хороший, добрый, злой, деликатный, вежливый, терпимый, склочный, антипатичный, жестокий, плохой, любовь (как отношения) и т. д.
言い換えると、エグリトのFeは、エネルギー状態についての情報で、Fiは状態どうしの相関についての情報だということです。Feの例には、情熱、喜び、パニック、熱意、気分、恐れなど、情動の名前が並びます。一方、Fiの例には、良い、親切な、礼儀正しい、残酷なといった、人を評価する語が並びます。
Feを「エネルギー状態」、Fiを「状態どうしの関係」とする書き方は、イェルマーク(07章)と同じです。エグリトの学派は、イェルマークの定義をそのまま受け継いでいると読めます。エグリトのFeも、情動の状態そのものの情報として定義されています。
同じ手引きの前のほうで、エグリトは、Feと、どの要素にも付いてくる感情とを分けています。
ここで大事なのは、黒い倫理(感情の倫理)の機能と、どの機能が情報を処理するときにも伴う感情の成分とを区別することだ。(中略)しかし、8つの機能のうち1つ(黒い倫理)は、ほかの機能のこうしたエネルギー状態を見分け、機能がどう反応しているかという信号を、私たちの「コンピュータ」、つまり心のある中枢へ伝えることができる。私たちは、機能のエネルギー状態について、また私たちの体全体のエネルギー状態について情報を受け取る。それだけでなく、この同じ黒い倫理の機能は、ほかの人々から同じような信号を読み取ることができ、私たちはその人たちの感情の状態についての情報を受け取る(黒い倫理)。
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В данном случае нам важно различить функцию ЧЭ (этика эмоций) и эмоциональную составляющую, сопровождающую обработку информации любой функции.〔中略〕Но одна из восьми функций (ЧЭ) умеет распознавать эти энергетические состояния у других функций и передавать в наш «компьютер», в некий центр психики сигнал о том, как реагирует функция. Мы получаем информацию об энергетическом состоянии функции, а также в целом об энергетическом состоянии нашего организма. Но кроме этого, эта же функция ЧЭ умеет считывать такие же сигналы от других людей, и мы получаем информацию об их эмоциональном состоянии (ЧЭ).
つまり、何かを受け取ったときに快や不快を感じることは、どの要素にも起きるということです。エグリトによれば、Feはその反応そのものではなく、その反応の状態を見分けて知らせる働きで、同じ働きがほかの人の感情の状態も読み取ります。
これは、Feを「感情」と呼ぶときに起きやすい混同を、定義の側から防ぐ書き方です。感情が動いたからといって、それだけでFeが働いたことにはならない、ということです。カルペンコが、本当の意味での感情はFeの一部にすぎないと書いたこと(08章)とも、向きがそろっています。
小括
ブカロフは、Feをアルファとベータのクアドラの価値として、知覚の要素と組んだ形で書いています。エグリトは、Feをエネルギー状態についての情報と定義し、イェルマークと同じ名前の付け方で、Fiと対にして書いています。そのうえで、どの要素にも伴う感情の反応と、それを見分けるFeとを分けています。どちらも短い記述ですが、11章の横断で、ほかの研究者と並べて扱います。
11研究者間で残る中核と食い違い
この章は、02〜10章の研究者別の記述を、当サイトの責任で突き合わせます。新しい引用は置かず、研究者を横断して残る中心・差の所在・差の由来の仮説の順に進み、最後に誰が何と言ったかを名指しで並べます。
研究者を横断して残る中心
第一に、Feは人と場のなかで動いている情動の知覚だということです。ユング(場の全体の感情の状況)、アウシュラ(人間のなかで生じている情動的プロセス)、レイニン(他の人々の感情)、ストラティエフスカヤ(内的エネルギー)がその例です。フィラトワ(感情、気分、情動体験の領域)、イェルマーク(エネルギー状態)、カルペンコ(感情の場)、グレンコ(感情の興奮)、エグリト(エネルギー状態)も、語を変えて同じことを書いています。
ここでいう情動は、反応としての感情に限らず、興奮や緊張、エネルギーの状態を含みます(08章のカルペンコ)。この意味では、研究者のあいだに食い違いがありません。呼び名はエネルギー、感情の場、興奮、気分と違っても、各章の言い直しを並べると、行き着く先はいつも情動です。
第二に、情動を受け取るだけでなく、情動に働きかけることです。アウシュラ(自分の情動で感染させる)とストラティエフスカヤ(喜びや恐怖を吹き込む、気分を設定する)がその例です。フィラトワ(必要なら操る、指揮者のように)とグレンコ(感情的な参入者)も、見分ける力と動かす力を1つの要素に入れています。
一般像の「空気を読む」では、この働きかける側が落ちやすくなります。Feは、場の情動を読むことと、その情動を動かすことがひと組の要素として書かれてきたということです。
第三に、1人の感情ではなく、場や集団に共通する情動に向くことです。ユング(場の全体の感情の状況)、グレンコ(集団の感情の一般的レベル)、イェルマーク(緊迫した状況)、カルペンコ(部屋に広がる感情の場)がその例です。ストラティエフスカヤのEIEが、評価を「共通の、すでに形成された意見」として示すことも、この向きを書いた観察です。
第四に、情動を上げる向きと下げる向きの両方を扱うことです。アウシュラの「興奮あるいは抑圧」と笑いと怒り、グレンコの+Eと−E、ストラティエフスカヤの喜びと恐怖が、これを書いています。フィラトワのESEが場を祝祭へ、EIEが緊張へ動かすことも、同じ要素の2つの向きとして書かれています。
第五に、表に出た情動を手がかりにすることです。イェルマークは表情と声の抑揚から状態を読み、グレンコは燃える目と豊かな表情を挙げ、ストラティエフスカヤのESEは表に現れる感情から人の性格を見抜きます。Feが扱うのは、内に隠れた好き嫌いより、外に現れて場に流れている情動だということです。
差の所在
差は、大きく3つあります。第一に、Feに「関係」を入れるかどうかです。ほとんどの研究者は、関係の語をFiの側に置きます。イェルマークとエグリトはFiを「状態どうしの関係」とし、ストラティエフスカヤはFiの見出しに「エネルギー的関係」と添えています。一方、レイニンは、人と人のあいだの外的な関係と、他人が自分に向ける態度をFeに入れています。
第二に、Feの情動の出方が、制御されているか、揺れやすいかです。アウシュラは、倫理的外向型の情動を「意識によって制御される」としています。IEIについても、いつ泣きいつ笑うかを本人が決めると書いています(15章)。一方、フィラトワは外向倫理型の気分が「容易に正反対へと変わる」と書き、グレンコは状態Eを「管理することは非常に難しい」としています。カルペンコは、同じ主導のFeでも、ESEとEIEで感情の表れへの態度が違うと書いています。
第三に、Feを感情として書くか、感情より広い判断として書くかです。グレンコは状態Eを感情の興奮として描きながら合理的とも書き、イェルマークは「感情」という名前を選びました。一方、カルペンコは、本当の意味での感情はFeの一部にすぎず、Feは合理的な判断の機能だとしています。ユングも、外向的感情を、場にふさわしい価値づけをする判断として書いていました。
また、記述の焦点にも差があります。アウシュラとストラティエフスカヤは人物像と関係、フィラトワは文学の人物、イェルマークは言葉の中の情報に焦点を置いています。カルペンコは知覚の像とクアドラ、グレンコは心の状態と身体の兆候に焦点を置いています。
差の由来についての仮説
当サイトの推測として、差の由来は3つ考えられます。第一に、要素の組み立て方の違いです。レイニンは、要素を黒い・白い、つまり外の対象か内の主体かで分ける体系です。そのため、自分の外で動いている関係の網は、黒い側、つまりFeに入ると考えることもできます。ほかの研究者は、情動の状態そのものと、状態どうしの関係を分けて、関係をFiに置いています。
第二に、どの水準を観測したかです。アウシュラが書いたのは、情動を出すかどうかを本人がどう扱うかという内側の水準で、フィラトワが書いたのは、外から見た気分の変わり方です。外から見て気分がすばやく変わることと、その変化を本人が意識してつくっていることは、両立しうると読めます。グレンコの「管理が難しい」は、状態の中に入っている本人の側から見た記述です。
第三に、どのタイプを主に見たかです。カルペンコは、同じ主導のFeでも、感情の表れへの態度がESEとEIEで違うと書いていました。ESEを見るかEIEを見るかで、Feの出方の書き方が変わる可能性があります。
誰が何と言ったか
- ユングは、外向的感情を感じ方の基準を対象の側に置く感情として定義しました。その場の全体の感情の状況を乱さない判断をし、心地よい雰囲気をつくり、周囲と強い感情のつながりを求めます。
- アウシュラは、Feを人間のなかで生じている情動的プロセス、その興奮と抑圧、気分の知覚と定義しました。主導のときは自分の情動で人を感染させ、倫理的外向型の情動は強く、しかも意識で制御されているとしました。
- レイニンは、Feを他の人々の感情と、外的な関係、他人が自分に向ける態度の語で定義しました。ESEはつながりの網の中で、EIEは観衆の前で存在を確かめるとし、Feを大事にするクアドラを主観主義と呼びました。
- ストラティエフスカヤは、Feを人の内的エネルギー、つまり感情を見分け、再現し、動かす力と定義しました。ESEでは感情の相互交換と気分の設定、EIEでは相手ごとの感情の場と気分の演出を書いています。
- フィラトワは、Feを感情、気分、情動体験の領域で、情動を開いて表し、人の情動を動かす力として書きました。ESEは場を祝祭へ、EIEは感情の高まりとドラマへ動かすとしています。
- イェルマークは、Feのアスペクトに「感情」の名前を選び、人と周囲の空間のエネルギー状態の情報と定義しました。
- カルペンコは、Feを自分も他者もその中にいる「感情の場」として描き、Feは感情の反応にとどまらない合理的な判断だとしました。クアドラごとにFeの扱い方が違うことも書いています。
- グレンコは、Feを感情の興奮の状態として書き、集団の気分に働きかける感情的な参入者と、共感、+Eと−Eの2つの向きを書いています。
- ブカロフはFeをアルファとベータの価値として、エグリトはエネルギー状態についての情報として、どの要素にも伴う感情の反応と分けて書いています。
12MBTIにおけるFe
この章では、MBTIの側のFeを見ます。MBTIにも、ユングの外向的感情から出た外向的感情(Fe)があります。引用するのは、MBTIをつくったマイヤーズの『Gifts Differing』(1980年)と、その後に出た『MBTI Manual』第3版(1998年)です。あわせて、The Myers & Briggs Foundation の公式サイトからも2本引きます。
読むときの注意を1つだけ置きます。MBTIのFeは心理機能、つまり人がどう判断するかの働きとして書かれます。一方、ソシオニクスのFeは情報要素、つまり受け取られる情報の種類として書かれます。当サイトは、2つが同じユングの8分割から出ていることから、1つずつ対応する8つとして扱っています。ただし、タイプの記述は体系をまたいで読み替えません。この章では、11章で確かめた中核の語「情動」が、MBTIの側でどこまで重なり、どこで分かれるかを見ます。
感情は価値で決める判断
マイヤーズは、2種類の判断のうち、感情をこう定義しています。
もう1つの判断である感情は、意図して個人的であり、個人の価値観に基づく。(中略)感情の判断は個人的だが、自己中心的とは限らず、最もよく働くときには、知りうるかぎり、あるいは推し量れるかぎり、ほかの人の感情も考えに入れる。感情を情動と混同してはならない。実際、ユングは感情を合理的な過程と呼んでいる。
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The other kind of judgment, feeling, is intentionally personal and is based on personal values.〔中略〕Although feeling judgment is personal, it is not necessarily egocentric, and at its best, it takes into account the feelings of others as far as they are known or can be inferred. Feeling should not be confused with emotions; in fact, Jung calls it a rational process.
言い換えると、マイヤーズの感情は、個人の価値観に基づいて決める判断だということです。そのうえで、最もよく働くときにはほかの人の感情も考えに入れるとし、感情を情動と混同してはならないと念を押しています。
『MBTI Manual』も、感情を価値で決める機能として定義しています。
感情とは、問題の相対的な価値と長所を比べ量ることで決定に至る機能である。感情は、個人の価値観と集団の価値観の理解に頼る。そのため、思考より主観的である。
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Feeling is the function by which one comes to decisions by weighing relative values and merits of the issues. Feeling relies on an understanding of personal values and group values; thus it is more subjective than Thinking.
上の引用の要点は、感情が問題の価値を比べ量って決める機能で、その拠り所に個人の価値観と集団の価値観の両方が入っていることです。MBTIの感情の一般の定義は、まず判断の機能として書かれ、情動の知覚としては書かれていません。外向と内向は、そのあと判断を向ける先で分けられます。
The Myers & Briggs Foundation の公式サイトは、外向的感情を1行でこう書いています。
外向的感情(Fe) ESFJ/ENFJ: 外の世界で、人との調和、人と人のあいだの調和を求める。対人関係と文化の価値観が大切である。人を励まし、人に関心をもつ。キーワード: 調和させる。
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Extraverted Feeling (Fe) ESFJ/ENFJ: Seeks harmony with and between people in the outside world. Interpersonal and cultural values are important. Encouraging and interested in others. Keyword: Harmonizing.
つまり、外向的感情は、外の世界で、人との調和と、人と人のあいだの調和を求める働きだということです。キーワードは「調和させる」です。
Feを主機能・補助機能に持つタイプ
MBTIでは、4文字のどのタイプがFeを使うかが、文字の決まりから出てきます。The Myers & Briggs Foundation の公式サイトは、ENFJを例にこう説明しています。
ENFJは、16のパーソナリティタイプの1つで、外向(E(Fe))、直観(N)、感情(F(Se))、判断(J)を好む。外向を好むので、主機能を外の世界で使う。タイプコードの最後の文字(判断の指向)が、何を外向させるかを教えてくれることを思い出してほしい。この場合、感情は判断の過程なので、彼らは感情を外向させる(Fe)ことになる。
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ENFJ, one of the 16 personality types, prefers Extraversion (E), Intuition (N), Feeling (F), and Judging (J). Since they prefer Extraversion, they use their dominant process in the outside world. Remember, that the last letter in the type code (Judging preference) tells us what we extravert, so in this case, they would extravert Feeling (Fe) since it is a judging process.
つまり、MBTIでは、外向型の最後の文字Jは、主機能が判断の機能であることを示すということです。ESFJとENFJは、感情を外に向けて使う外向的感情を主機能に持ちます。一方、『MBTI Manual』は、ISFJを「外向的感情を伴う内向的感覚」、INFJを「外向的感情を伴う内向的直観」と書いています。この2つのタイプでは、外向的感情が補助機能になります。
補助機能に外向的感情を持つINFJについて、マイヤーズはこう書いています。
INFJは、自然に人のことに心を配り、ときには外向型に見えるほどである。実際に外向しているのは、その人ではなく感情の過程なのだが、はっきり目に見える仲間意識と調和が、その人柄の土台のように見えることがある。
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INFJs naturally concern themselves with people, sometimes so much as to appear extraverted. It is actually the feeling process, not the individual, that is extraverted, although the very evident fellowship and harmony may appear to be the basis of their personalities.
上の引用の要点は、INFJでは外向しているのはその人ではなく、感情の過程だということです。内向型でも、補助機能の感情が外に向いているため、人に心を配る姿が前に出て、外向型に見えることがあるとされます。
この4タイプを、当サイトの対応で並べると次のようになります。対応は、1番目と2番目の機能が同じものどうしです。
| MBTI | Feの位置 | ソシオニクス | Feの位置 |
|---|---|---|---|
| ESFJ | 主機能 | ESE(ESFj) | 主導機能 |
| ENFJ | 主機能 | EIE(ENFj) | 主導機能 |
| ISFJ | 補助機能 | SEI(ISFp) | 創造機能 |
| INFJ | 補助機能 | IEI(INFp) | 創造機能 |
MBTIで主機能のFeはモデルAの主導機能に、補助機能のFeは創造機能に対応します。内向の2タイプは、ソシオニクスの4文字では末尾がpになります。2つの体系で末尾の文字が表すものが違うためで、MBTIとソシオニクスの対応で詳しく扱っています。
外向的感情型: ぶつかる意見のあいだに調和をつくる
マイヤーズは、外向的感情型(ESFJとENFJ)について、こう書いています。
彼らは、ほかの人の意見に価値を見いだす力が際立っており、意見がぶつかり合っているときでさえ、調和はどうにかして実現できると信じ、しばしば実際にそれを成し遂げる。ほかの人の観点に強く集中するあまり、自分の観点の価値を見失うこともある。人と話しているときにいちばんよく考え、話すことを楽しむ。
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They are remarkably able to see value in other people’s opinions, and even when the opinions are conflicting, they have faith that harmony can somehow be achieved and often manage to bring it about.〔中略〕Their intense concentration on other people’s viewpoints sometimes makes them lose sight of the value of their own. They think best when talking with people and they enjoy talk.
言い換えると、外向的感情型は、ほかの人の意見に価値を見いだし、意見がぶつかっていても調和をつくろうとするということです。ほかの人の観点に集中するあまり自分の観点を見失うことがあり、人と話しながら考える、とも書かれています。
『MBTI Manual』は、ENFJをこう書いています。
ENFJは、ほかの人の中にある成長の可能性を自然に見てとり、その人がそれを実現するのを助けることにエネルギーを注ぐ。彼らは繊細な進行役である。同僚、友人、家族のやりとりをまとめる役を引き受け、全員が加わり、調和が行き渡り、皆が楽しめるようにする。
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ENFJs naturally see the potential for growth in others and devote energy to help others achieve it. They are sensitive facilitators. ENFJs take responsibility to organize interactions of colleagues, friends, or family so that all are involved, harmony prevails, and people have fun.
ENFJは、同僚や友人、家族のやりとりをまとめ、全員が加わって調和が行き渡り、皆が楽しめるようにするとされています。これは、場の状態を見て、それを整えるよう働きかける記述です。11章の第二で見た「情動を受け取るだけでなく、情動に働きかける」と同じ形で、場全体に向かう点も、11章の第三と重なります。
共同体の判断に合わせる
マイヤーズは、外向的感情型の判断の出方を、次のように書いています。
彼らは、世の中を、たいていの決定がすでに下されている場所とみなしがちである。ふるまい、話し方、意見、信条の大半について、望ましいか望ましくないかは、あらかじめ明らかなことに思える。彼らはそれを自明の真理とみなす。そのため、あらゆることをすぐさま評価し、それを口に出したくなる。
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They tend to regard the world as a place where most of the decisions have already been made. The desirability or undesirability of most varieties of conduct, speech, opinion, and belief seems clear to them, a priori. They hold these truths to be selfevident. Thus, they are likely to have an immediate valuation of everything and an impulse to express it.
外向的感情型は、たいていのことの良し悪しがすでに決まっている世界に住んでいるように見え、あらゆることをすぐ評価して口に出したくなる、ということです。マイヤーズは、この評価がどこから来るかを、補助機能が育っていない場合について書いています。
釣り合いをとる補助機能をもたない外向的感情型も、感情の判断を何かに基づかせたいという差し迫った必要はもっている。彼らには、共同体がふさわしいと認める感情の判断の形を取り入れるほかに手がない。そのため、集団としての共同体には適応するが、知覚が足りないために、ほかの個人には適応できない。
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Extraverted feeling types without a balancing auxiliary have, nonetheless, an urgent need to base their feeling judgments on something.〔中略〕They have no recourse but to adopt the forms of feeling judgment that the community sanctions as suitable. Accordingly they adapt to the collective community, but their deficit of perception prevents them from adapting to other individuals.
上の引用の要点は、拠り所となる知覚が足りないと、外向的感情型は共同体がふさわしいと認める感情の判断の形を取り入れるということです。その結果、集団としての共同体には適応するが、ほかの個人には適応できないとされます。
ここでは、外向的感情の拠り所が、特定の誰かではなく共同体の側に置かれています。ユングが、外向的感情を、場や時代の慣習にかなう価値づけとして書いていたこと(02章)と同じ向きです。また、外向的感情が集団には合わせられても、1人ひとりには合わせにくいという書き方は、場の情動と二者の関係を分けるソシオニクスのFeとFiの違い(13章)にも近いと読めます。
ESFJ: 一人ひとりの必要と調和
『MBTI Manual』は、ESFJをこう書いています。
ESFJは、周りの一人ひとりが必要としていることに敏感で、実際的な世話をするのが得意である。彼らの喜びと満足の多くは、ほかの人の心地よさと喜びから来る。(中略)調和のために、ESFJはできるかぎりほかの人に同意する。しかし、強い価値観ももっていて、ふさわしいと思うときには、それをはっきりと自信をもって表に出す。
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ESFJs are sensitive to the needs of each individual in their environment and good at providing practical caring. Much of their pleasure and satisfaction comes from the comfort and pleasure of others.〔中略〕For the sake of harmony, ESFJs will agree with others when they can. However, they also have strong values, which they express clearly and confidently when they think it is appropriate.
ESFJは、周りの一人ひとりの必要に敏感で、実際的な世話をし、ほかの人の心地よさを自分の喜びにするとされています。調和のためにできるかぎり同意しながら、強い価値観も持ち、ふさわしいときにははっきり表に出す、とも書かれています。
ENFJの記述が場全体のやりとりに向かうのに対し、ESFJの記述は、周りの人の具体的な必要と心地よさに向かっています。主機能の外向的感情は同じでも、補助機能が直観か感覚かで、向かう先が変わるということです。ただし、05章で見たストラティエフスカヤは、逆にESEに場全体の感情の交換を、EIEに相手ごとの感情の場を書いていました。補助機能による分かれ方は、2つの体系で向きが一致していません。
劣等機能のFe: INTPとISTP
MBTIでは、主機能と反対の機能を、いちばん発達していない劣等機能と呼びます。マイヤーズは、内向的思考型(INTPとISTP)の劣等機能について、こう書いています。
内向的思考型でいちばん発達していない過程は、決まって外向的感情である。彼らは、言われないかぎり、ほかの人にとって感情の面で何が大事かを知りにくい。それでも、人は自分の長所を認められ、自分の観点を尊重して考えてもらうことを本当に気にかけている、という原則に沿って行動することはできるし、そうすべきである。
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The least-developed process of the introverted thinkers inevitably is extraverted feeling. They are not apt to know, unless told, what matters emotionally to another person, but they can and should act on the principle that people do care about having their merits appreciated and their point of view respectfully considered.
言い換えると、内向的思考型は、言われないかぎり、ほかの人にとって感情の面で何が大事かを知りにくいということです。そのうえでマイヤーズは、人は長所を認められ観点を尊重されることを気にかけている、という原則に沿って動くことを勧めています。
当サイトの対応では、INTPはLII(INTj)、ISTPはLSI(ISTj)です。この2つのタイプは、ソシオニクスではFeを5番の暗示機能に持ちます。MBTIの劣等機能とモデルAの暗示機能は、番号も定義も同じではありません。それでも、感情の面で何が大事かを自分では知りにくいという記述は、15章で見るレイニンのLIIやストラティエフスカヤのLSIの記述と、近いところにあります。
重なるところと分かれるところ
重なるところは3つです。第一に、ほかの人の感情に向き、それに合わせて働きかけることです。マイヤーズは、外向的感情型が意見のぶつかる場に調和をつくると書き、『MBTI Manual』は、ENFJが全員の加わるやりとりをまとめると書いています。11章で研究者を横断して残った「情動を受け取るだけでなく、情動に働きかける」と同じ形です。
第二に、1人ではなく、人と人のあいだ、場や共同体に向くことです。Foundation の「人と人のあいだの調和」、マイヤーズの「集団としての共同体」が、これと重なります。第三に、場や共同体の側に判断の拠り所を置くことです。どちらも、ユングの外向的感情の記述(02章)から引き継がれた点と読めます。場と人へ向かう働きの範囲では、2つのFeを別物と言い切れるほどの違いは見つかりません。
一方、分かれるところも3つあります。第一に、中心の語です。マイヤーズは、感情を情動と混同してはならないと書き、感情を価値で決める判断として定義しました。一方、ソシオニクスの研究者の多くは、Feの中心に情動を置いています。11章で残った中核の語は、MBTIでは定義から外され、タイプの記述(INTPの「感情の面で何が大事か」)の中に出てくる形になっています。ソシオニクスの側でも、カルペンコはFeを判断として書いていました(08章)。そのもとになったユングも同じです(02章)。中核の語の位置は、MBTIの定義とソシオニクスの大半の研究者とで違います。
第二に、情動の向きです。MBTIの外向的感情は、調和をつくる、保つという一方向で書かれます。一方、ソシオニクスでは、アウシュラの「興奮あるいは抑圧」やグレンコの+Eと−Eのように、情動を上げる向きと下げる向きの両方が書かれます。フィラトワのEIEは、場を緊張やドラマへも動かします。
第三に、記述の向きです。MBTIは、価値で判断する人の働きとして書き、ソシオニクスは、人と場の情動という情報として書きます。マイヤーズの「あらゆることをすぐ評価する」は人の判断の記述で、イェルマークやエグリトの「エネルギー状態についての情報」は、受け取られる情報の側の記述です。
小括
MBTIのFeは、場と人のあいだの調和へ向かう判断です。ほかの人の意見に価値を見いだし、ぶつかる場に調和をつくり、拠り所を共同体の側に置きます。ここまでは、ソシオニクスの研究者の記述とよく重なります。この重なりは、当サイトが2つの体系の機能を1つずつ対応させていることとも食い違いません。
一方で、MBTIは感情を情動と区別して価値の判断として定義し、調和という一方向で書きます。ソシオニクスの多くの研究者は、Feの中心に情動を置き、上げる向きと下げる向きの両方を書きます。重なるのは場と人へ向かう働きで、分かれるのは中心の語と、情動の向きだということです。
13Fi・Te・Tiとの違い
この章では、Feを、隣にある3つの要素—Fi(内向倫理)、Te(外向論理)、Ti(内向論理)—と比べます。FiとTeはFeと性質を1つずつ共有し、Tiは側面も向きも反対です。この3つとの違いで、Feの輪郭が決まります。
モデルAの公理では、Feの隣の要素は次の3つです。
- Fiは、Feと同じ倫理で、向きが内向に変わったものです。
- Teは、Feと同じ外向で、側面が論理に変わったものです。
- Tiは、側面も向きもFeと反対の要素です。
Feを1番の主導機能に持つタイプでは、Teが3番の規範機能、Tiが5番の暗示機能、Fiが7番の観察機能に入ります。つまり、3つとも、Feがどこにあるかで置き場所が決まる要素だということです。
Fi: 同じ倫理、場の情動と二者の関係
まず、同じ倫理のFiです。ユングは、内向的感情型の人物像を、外向の側と対照させて書いています。
その外への振る舞いは調和がとれていて目立たない。快いくつろぎと、共感しながら並んでいるような態度を見せるが、それは他人に作用しようとはせず、印象を与えることも、影響を及ぼすことも、何かを変えることも望まない。
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Their outward demeanour is harmonious and inconspicuous ; they reveal a delightful repose, a sympathetic parallelism, which has no desire to affect others, either to impress, influence, or change them in any way.
言い換えると、内向的感情型は、穏やかに寄り添っていても、他人に作用しようとはしないということです。印象を与えることも、影響を及ぼすことも、変えることも望まないとされます。02〜10章で見てきたFeの「働きかける」側が、ここでは逆の形で書かれています。
同じ人物像の中で、ユングは、外向と内向の感情の違いを、同情を例にして書いています。
彼女の感情は、外へ広がるのではなく、内へ強まる。深みへと育つのである。たとえば、外へ広がる同情は、ふさわしい場で言葉にも行いにも表れ、そうしてすぐにその印象から解き放たれる。一方、内へ強まる同情は、表現の手段をすべて断たれているために、世界の悲惨を抱え込み、ただ麻痺してしまうほどの情熱的な深さを得る。
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her feelings are intensive rather than extensive. They develop into the depth. Whereas, for instance, an extensive feeling of sympathy can express itself in both word and deed at the right place, thus quickly ridding itself of its impression, an intensive sympathy, because shut off from every means of expression, gains a passionate depth that embraces the misery of a world and is simply benumbed.
上の引用の要点は、外へ広がる同情は、その場で言葉や行いに表れ、内へ強まる同情は、表に出ないまま深まるということです。Feの情動は場に出て広がり、Fiの情動は内側で深まる、という対になります。
ソシオニクスの研究者は、この区別を「情動」と「関係」の区別として書き直しています。イェルマークは、Fiのアスペクトを次のように定義しています。
実際、「彼は悪い人だ」と言うなら、それによっておおむね次のことを確認している:彼と話すと、私の感情(エネルギー)状態(気分)が下がる、と。つまり、それを基準として気分が悪くも良くもなりうる、ある正常な状態がある、ということである。(中略)エネルギー状態の関係についての情報を含む情報構成要素(アスペクト)の意味論(意味)は、「関係」という用語で規定できる。
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Действительно, если вы говорите: ”он плохой человек”, то тем самым вы констатируете, примерно, следующее: при общении с ним мое эмоциональное (энергетическое) состояние (настроение) понижается; значит, есть некоторое нормальное состояние, относительно которого настроение может быть и плохим, и хорошим.〔中略〕Семантику (смысл) информационной составляющей (аспекта), который содержит информацию о соотношении энергетических состояний можно определить термином “отношение”.
つまり、イェルマークのFiは、エネルギー状態どうしの関係、つまり「この人と話すと自分の気分が上がるか下がるか」の情報だということです。Feが状態そのもの(07章)だったのに対し、Fiは状態と状態を比べた結果で、そこから「良い人」「悪い人」という評価が出てきます。
ストラティエフスカヤは、この2つのどちらを大事にするかで、人が2つに分かれると書いています。
永遠の問い—どちらが大切か、感情か関係か? もしこのテーマで議論を展開したら、意見は半分に分かれるだろう。なぜか? なぜなら、生活価値の体系によって、すべての人々はさらに二つのグループに条件的に分けられる。一方は最重要な価値に人間の感情と感受(アスペクト「感情の倫理」)を属させる人々、もう一方は何より関係の性格を理解することを重視する人々、関係の安定と整合性をまず第一に評価する人々、彼にとって感情は—あなたの言うように、それは来ては去るがゆえに第二義的価値だ。
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Извечный вопрос: что важнее — чувства или отношения? Если бы мы на эту тему развернули дискуссию, мнения бы разделились поровну. Почему? Потому, что по системе жизненных ценностей всех людей можно условно разделить еще на две группы — тех, кто к числу первостепенных ценностей относит эмоции и чувства человека (аспект "Этики эмоций"), и тех, кому намного важнее понять характер взаимоотношений, кто в первую очередь ценит стабильность и слаженность отношений, а чувства для него — это второстепенная ценность именно потому, что они, как вы говорите, приходят и уходят.
言い換えると、人の感情そのものを最も大事にする人と、関係の安定と整合を最も大事にする人がいるということです。後者にとって、感情は来ては去るので二義的な価値だとされます。
ストラティエフスカヤは、この違いをクアドラの単位でも書いています。
しかしまさに本質はここにある、第三クアドラ(ガンマ)にとって強い感情—それは良い関係の結果なのである(関係が一次、感情は二次)。一方、第一クアドラでは逆である:良い関係—それは強い感情の結果である(感情が一次、関係は二次)。
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Но в том-то и суть, что для третьей квадры сильные чувства — это следствие хороших отношений (отношения первичны, чувства — вторичны), а в первой квадре — наоборот: хорошие отношения — это следствие сильных чувств. (Чувства первичны, отношения — вторичны.)
上の引用の第一クアドラはアルファ、第三クアドラはガンマです。つまり、Feを大事にするアルファでは強い感情が良い関係を生み、Fiを大事にするガンマでは良い関係が強い感情を生むということです。どちらが先で、どちらが結果かが逆になっています。
3人の書き方をまとめると、Feは場に出て広がる情動そのもの、Fiは二者のあいだの関係と、そこから出る評価です。レイニンがFeに外的な関係を入れていたこと(04章)も、Fiを「自分の人々への態度」としていたことと合わせると、外から見た関係はFe、自分の内から見た関係はFiという分け方として読めます。
Te: 同じ外向、情動のプロセスと行為
次に、同じ外向のTeです。アウシュラは、Teのアスペクトを、Feの定義のすぐあとにこう書いています。
身体的活動、行為についての情報が知覚される。生きたもの、生きていないものの活動についての情報である。(中略)行為の過程のなかで起きていることを見分ける能力を与える。それによって、行為の方法を考案できるか、合理的な行為を非合理的な行為から区別できるか、他者の仕事を指揮できるかが規定される。
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Воспринимается информация о физической активности, поступках; о деятельнос- ти одушевленных и неодушевленных объектов.〔中略〕восприятие дает способность разбираться в проис- ‘ходящем. Им определяется знание и умение или неумение придумывать методы действия, отличать рациональные поступки от иррациональных, уме- ние или неумение руководить работой других.
上の引用の要点は、Teは行為、つまり生き物やものが何をしているかの情報だということです。Feの「対象において生じているプロセス、情動」(03章)と並べると、違いがはっきりします。
Feは対象の中で動いている情動に、Teは対象が外に向けて行っている行為に向く、ということです。同じ外の対象を見ていても、Feはその対象がどんな気分で動いているかを、Teはその動きが合理的かどうかを見ると読めます。
ユングは、外向的感情と外向的思考を、同じ向きのものとして書いています。
外向的思考が主観的な影響を取り除こうと努めるのとまったく同じように、外向的感情もまた、主観的な飾りをすべてはぎ取られるまでには、ある分化の過程を経なければならない。(中略)その限りで、外向的感情は外向的思考と同じく有益で、合理的に働く。
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precisely the same way as extraverted thinking strives to rid itself of subjective influences, extraverted feeling has also to undergo a certain process of differentiation, before it is finally denuded of every subjective trimming.〔中略〕So far extraverted feeling is just as beneficent and rationally effective as extraverted thinking.
ユングによれば、外向的感情も外向的思考も、主観的なものを取り除いて、対象に向けて働くということです。ユングは、その限りで外向的感情は外向的思考と同じく合理的に働くとしています。
ユングの書き方では、FeとTeを分けているのは、対象に向くかどうかではありません。どちらも外の対象に従いますが、Feは場の感情の状況に、Teは客観的な事実と考えに合わせます。カルペンコがFeを「合理的な機能」と呼んだこと(08章)とも、向きがそろっています。
Ti: 側面も向きも反対、それでも組になる要素
最後に、側面も向きも反対のTiです。FeとTiは、最も遠い要素でありながら、同じクアドラで一緒に大事にされる組です。アルファクアドラとベータクアドラは、FeとTiの両方を価値に持ちます。
アウシュラは、Tiの「論理的感情」を、次のように書いています。
論理的感情は、対象の認知性あるいは非認知性、比較可能性あるいは非比較性、それらのあいだの均衡の有無、そして空間における対象の位置についての情報を運ぶと言える。これらの感情は客観性によって際立つ。なぜなら、それらは人間自身の関心や欲求を考慮に入れず、客観的質の比率のみを考慮するからである。
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Можно сказать, что логические чувства несут информацию о познанности или непознанности, срав- нимости или несравнимости объектов, о наличии или отсутствии равновесия ‘между ними. Как и о пространстве и месте объекта в нем. Они отличаются объективностью, потому что не учитывают интересов и потребностей самого че- ловека, а лишь соотношение объективных качеств.
言い換えると、アウシュラのTiは、自分の関心や欲求を入れずに、対象どうしの釣り合いや位置関係を見る知覚だということです。Feが人のなかで動く情動に向くのに対し、Tiは対象どうしの関係を、自分の都合を外して測ります。
一方、ユングは、外向的感情型にとって思考がどういうものかを、こう書いています。
人が「正しく」感じられるのは、感情が他の何にも乱されないときだけである。しかし、思考ほど感情を乱すものはない。(中略)こうして、客観的な価値づけに対応するものはすべて善いものとなる。それらは愛され、大切にされる。残りのものは、ただ別の世界に存在しているだけのように見える。
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One can feel 'correctly ', however, only when feeling is disturbed by nothing else. But nothing disturbs feeling so much as thinking.〔中略〕And thus everything that corresponds with objective valuations is good: these things are loved or treasured; the rest seems merely to exist in a world apart.
上の引用の要点は、外向的感情型にとって、思考は感情を最も乱すものだということです。客観的な価値づけに合うものは善く、それ以外は別の世界にあるように見えるとされます。
ユングの記述では、感情と思考は同時には前面に立てない2つとして書かれていました。ソシオニクスでは、Feを主導に持つタイプはTiを5番の暗示機能に持ち、人から補ってもらいたい要素になります。アウシュラが、LIIは自分の情動が場にふさわしいか確信がないと書き(03章)、ESEとLIIを双対として組ませたことは、この組を反対の側から書いたものです。
4つを並べると
ここまでの比べ方を表にまとめると、次のようになります。「何に向くか」は当サイトの短いまとめで、「研究者の語」は本文で引いた記述から取っています。
| 要素 | 何に向くか | 研究者の語(例) |
|---|---|---|
| Fe | 場に出て動く情動 | 情動、感情の場 |
| Fi | 二者のあいだの関係 | 関係、好悪 |
| Te | 対象の行為と効率 | 行為、事実 |
| Ti | 対象どうしの関係 | 釣り合い、位置 |
表の4つは、Feを中心に「同じ倫理」「同じ外向」「どちらも反対」の関係で並んでいます。FiとTeはFeと1つずつ性質を共有し、Tiは何も共有しないのに、Feと同じクアドラで大事にされます。
小括
隣の3つの要素と比べると、Feの輪郭は次のようになります。Fiと比べると、Feは二者の関係ではなく、場に出て広がる情動そのものの知覚です。Teと比べると、対象の行為ではなく、対象の中で動いている情動の知覚です。
そしてTiとは、側面も向きも反対でありながら、アルファとベータで一緒に大事にされる組になります。Feは、この3つの「でない」で囲まれた位置にある、と言えます。この囲み方は、16章の当サイト独自の整理でも、もう一度使います。
14よくある読み違い
この章では、一般に言われているFeの像(01章)のうち、研究者の記述と照らして読み違いになりやすいものを5つ取り上げます。どれも全くの誤りではありませんが、研究者の記述のどこが切り出されて、どう変わったかを見ると、Feの輪郭がはっきりします。
「Feは空気を読む力」
一般像では、Feはその場の空気を読む力だとされます。場の情動を感じ取る面は、たしかに研究者の定義に入っています。ですが、研究者のFeの定義は、読むことだけで終わっていません。
アウシュラは主導のFeを「自分の情動で感染させる」力と書き(03章)、ストラティエフスカヤはESEとEIEが「気分を設定する」と書きました(05章)。グレンコの感情的な参入者も、集団の気分から外れた人に働きかけます(09章)。Feは、場の情動を読み、それを動かすところまでを含む要素として書かれてきたということです。
「Feの人は感情的で、気分屋」
一般像では、Feの強い人は感情の起伏が大きく、気分が変わりやすいと言われます。フィラトワの「気分は容易に正反対へと変わる」は、その根拠の1つです(06章)。
ですが、アウシュラは、倫理的外向型の情動は意識で制御され、気分は自分でつくり出すものだと書いていました(03章)。カルペンコも、Feは感情の反応にとどまらない合理的な判断の機能だとしています(08章)。11章で見たとおり、外から見た変化の速さと、本人がそれを意識して扱っていることは、両立しうると読めます。
「Feはまわりに合わせる力」
一般像では、Feは周りの雰囲気に合わせ、自分を抑えて同調する力だと説明されることがあります。ユングの「適応の行為」(02章)は、その根拠に近い記述です。ですが、ユング自身が、合わせすぎたときに起こることを書いています。
しかし、対象が過大な影響力をもつようになると、この有益な効果は失われる。そうなると外向的感情は、人格を対象のなかへ引き込みすぎる。つまり、対象が人を同化してしまい、感情の主な魅力である個人的な性格が失われる。感情は冷たく、即物的で、信頼できないものになる。
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But this salutary effect is lost as soon as the object gains an exaggerated influence. For, when this happens, extraverted feeling draws the personality too much into the object, i.e. the object assimilates the person, whereupon the personal character of the feeling, which constitutes its principal charm, is lost Feeling then becomes cold, material, untrustworthy.
言い換えると、対象に合わせすぎると、感情は人を対象の中へ引き込み、その人らしさを失って冷たくなるということです。ユングは、そうなった感情を信頼できないものとして書いています。
つまり、ユングにとって、外向的感情が働いているのは、その人の感情でありながら場に合っているときです。合わせることそのものがFeなのではなく、場の情動に向けて自分の感情を出すことが中心にあります。アウシュラの「押しつける」(03章)や、フィラトワのEIEが自分から緊張をつくること(06章)も、合わせるだけではないFeの面です。
「Feは優しさと共感」
一般像では、Feが人への優しさや共感と結びつけて説明されることがあります。グレンコは、状態Eで人は他人の感情を自分のもののように感じ、それが共感の本質だと書いています(09章)。
ですが、研究者がFeに入れているのは、明るく温かい情動だけではありません。ストラティエフスカヤは恐怖やパニックを吹き込む力を(05章)、グレンコは憤りや心配で場を緊張させる−Eを(09章)、アウシュラは相手の活動を縮める怒りを(03章)、Feの働きとして書いています。Feは情動を上げる向きにも下げる向きにも動かす要素で、優しさはその一方の向きだということです。
「Feが弱い人は冷たい」
一般像では、Feが弱い位置にあるタイプは、感情がない、冷たいと説明されることがあります。ですが、フィラトワは、Feを脆弱機能に持つILIについて、こう書いています。
この心理タイプにおいて感情が弱いチャンネルにあるという事実は、この人間が非感情的であることを意味するのだろうか。決してそうではない。私たちはすでに何度も述べてきたが、痛点チャンネルとは、それが占める機能の作用領域における不適切な振る舞いのチャンネルである。(中略)最初は外見上それに無関心であるかのようで、下劣なほのめかしにほとんど何の反応も示さないが、その後不意に爆発する。感情とは、彼が支配するものではなく、彼を支配するものなのである。
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Означает ли тот факт, что эмоции этого психотипа находятся в слабом канале, что этот человек неэмоционален? Ни в коем случае. Мы уже не раз упоминали о том, что болевой канал — канал неадекватного поведения в области действия той функции, которая его занимает.〔中略〕Вначале он внешне как будто равнодушен к ней, почти никак не реагирует на гнусные намеки, но потом неожиданно взрывается. Эмоции — это не то, чем владеет он, а то, что владеет им.
上の引用にある痛点チャンネルは、フィラトワの呼び方で脆弱機能のことです。言い換えると、Feが弱い位置にあることは、感情がないことではなく、感情の場面でふさわしく振る舞えないことだということです。フィラトワは、この記述の例にトルストイ『戦争と平和』のピエールを挙げています。はじめは無関心に見えて、そのあと突然爆発する人物です。
アウシュラも、Feを暗示機能に持つLIIは無感覚ではなく、自分の情動が場にふさわしいか確信がないと書いていました(03章)。Feが弱いことは、情動を持たないことではなく、情動を場に合わせて出すことが難しいこととして書かれています。
小括
5つの読み違いは、どれも研究者の記述の一部が切り出されたものです。「空気を読む」は受け取る側だけから、「気分屋」は外から見た変化の速さから、「合わせる力」はユングの適応の一面から来ていると読めます。また、「優しさ」は+Eの側だけから、「冷たい」はFeが弱い人の出方の表面から来ているのかもしれません。
切り出す前の記述に戻すと、Feは、人と場のなかで動いている情動を受け取り、それを上げる向きにも下げる向きにも動かす要素です。空気を読むことも、場を明るくすることも、その周りにある一部として説明できます。
15モデルAの8つの位置に入ったFe
この章では、FeがモデルAの8つの位置(機能位置)のそれぞれに入ったとき、研究者がどう書いているかを、要点だけ見ます。位置そのものの説明は、各位置の解説ページ(リンク先)にあります。
16のタイプのうち、Feが入る位置は次のとおりです。モデルAの定義から機械的に並べたものです。
| 位置 | タイプ |
|---|---|
| 主導機能 | ESE(ESFJ)・EIE(ENFJ) |
| 創造機能 | SEI(ISFJ)・IEI(INFJ) |
| 規範機能 | LIE(ENTJ)・LSE(ESTJ) |
| 脆弱機能 | ILI(INTJ)・SLI(ISTJ) |
| 暗示機能 | LII(INTP)・LSI(ISTP) |
| 動員機能 | ILE(ENTP)・SLE(ESTP) |
| 観察機能 | ESI(ISFP)・EII(INFP) |
| 実演機能 | SEE(ESFP)・IEE(ENFP) |
読むときの注意を1つだけ置きます。グレンコの引用は、グレンコ自身のモデル(モデルG)のタイプ記述から取っています。モデルGは機能の名前と番号の振り方が違うため、ここではモデルAで同じ要素が入る位置の節に置いています。
主導機能: ESE・EIE
02〜10章で見てきた記述の大部分は、主導機能のFeについてのものです。ここでは、グレンコのESEの記述から、1つだけ足します。
ESEの強みは人々への感情的な影響力である。彼は荒々しく鋭い感情を見せることで多くを成し遂げられる。他者はしばしば(中略)彼の感情的な圧力に耐えるのが困難だと感じる。彼は会話相手の感情状態を見分ける能力がある。ESEは自分自身と他者の気分を高揚させられる。(中略)自分の社交圏内でイベントや祝祭をうまく組織し、誰もが興味を持って関与するように手配し、人々を会話に引き込む。
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ESE’s forte is emotional influence on people. He is able to achieve much by showing his turbulent, sharp emotions.〔中略〕Other people often find it difficult to withstand his emotional pressuring. He is discerning of the emotional state of his conversation partners. ESE can raise his own mood and that of others.〔中略〕He organizes events and celebrations well within his social circle and sees to it that everyone is interested and involved, drawing people into conversation.
つまり、ESEの強みは人々への感情の影響力で、相手の感情の状態を見分け、自分と他人の気分を高められるということです。グレンコは、ESEが社交の輪でイベントや祝祭を組み、人々を会話に引き込むとも書いています。
ストラティエフスカヤとフィラトワのESEが祝祭の雰囲気をつくっていたこと(05・06章)と、同じ観察です。主導のFeは、場の情動を動かす力として、研究者をまたいで書かれています。
創造機能: SEI・IEI
創造機能のFeについて、レイニンはSEIの節でこう書いています。
SEI〔原文: デュマ〕の創造機能は関係を扱う — 自分に近い人々の関係、互いに対する、そして自分に対する彼らの態度である。これはまたリスクを取る領域でもある。SEI〔原文: デュマ〕は関係におけるリスクを愛する。(中略)彼は話のイントネーションと間の達人であり、何が起きているのか誰も気付かないままだ。(中略)SEI〔原文: デュマ〕は事実を歪曲はしないが、省略と偏ったコメントの達人である。だから彼らは陰謀、関係の管理を「売る」のだ。
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A Dumas' creative function deals with relationships – relationships of people close to him, their attitudes to each other and to him/her. This is also the area of taking risks. A Dumas loves risk in relationships. […] He is the master of intonation and pauses in speech, nobody even realizes what it happens. […] A Dumas does not misrepresent facts, but he is a master of omission and biased comments. So they “sell” intrigue, relationships management.
言い換えると、SEIは、話の抑揚と間で、誰も気づかないうちに人々の関係を動かすということです。レイニンは、SEIを省略と偏ったコメントの達人と呼んでいます。
アウシュラは、Feを2番に持つIEIの情動の出方を、こう書いています。
直観倫理内向の情動は、ブロックの受容的(アクセプト(受容))要素について十分な量の刺激‐信号があるおかげで現れる。ブロックの意識性は、生産物を、ブロックを養う受容要素から引き離せるという点に現れる。時間的に引き離せるのである。すなわち情動は、刺激(他人の情動)が「杯を溢れさせる」ときに現れるのではなく、個人がそれを必要だと考えるときに現れる。これは自律的な創造的外向倫理である。粗くいえば、いつ泣き、いつ笑い、どう笑うかを、個人自身が決めるということである。そして、自分のこれら純粋に意識的に調節される情動的表出に対して、彼は自分が完全に責任を負っていると感じ、それらを恥じない。
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Эмоции ИНТУИТИВНО-ЭТИЧЕСКОГО ИНТ- РОТИМА проявляются благодаря наличию доста- точного количества сигналов-раздражителей по ак- цептному элементу блока. Сознательность блока представляется в том, что продукцию можно ото- рвать от питающего блок акцептного элемента. Ото- рвать во времени. То есть эмоции проявляются не тогда, когда раздражители (эмоции других людей) «переполняют чашу», а тогда, когда индивид это считает нужным. Это автономная творческая экстравертная этика. Грубо говоря, это значит, что, когда плакать, когда смеяться и как смеяться, ин- дивид решает сам. И за эти свои чисто сознательно регулируемые эмоциональные проявления чувству- ет себя в полном ответе, не стесняется их.
上の引用にある「受容的(アクセプト)要素」は、ブロックの1番目の要素で、IEIでは内向直観(Ni)のことです。言い換えると、IEIの情動は、他人の情動に押されて溢れ出るのではなく、本人が必要だと考えたときに出るということです。いつ泣き、いつ笑うかを本人が決めるとされます。
創造機能のFeは、場の情動を、自分の目的に合わせて道具として使う姿として書かれています。カルペンコのSEIが、張りつめた場を和らげていたこと(08章)も、この位置の使い方の例です。
規範機能: LIE・LSE
規範機能のFeについて、ストラティエフスカヤは、LSEの記述でこう書いています。
不慣れな仲間内では、何ともいえない元気者、くじけない陽気者の役を演じようとする。冗談を言い、微笑む。すべての人と極めて丁寧で愛想よくあろうと努める。新しい知り合いを、それが彼に興味深いかどうかに関係なく、辛抱強く聞く — 相づちを打ち、同意し、共感を表す。(中略)LSE〔原文: シュティルリッツ〕には、自分の否定的感情を抑えるのが信じられないほど難しい。彼らは生涯これを学ぶ。しかもあまり成功せずに。何人もの近い友人、信頼できるパートナー、実行力のある社員を彼らは失い、ついに自分の中に節制を育てるのに成功する。
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В малознакомой компании старается разыгрывать роль этакого бодрячка, неунывающего весельчака, шутит, улыбается. Старается быть предельно вежливым и любезным со всеми. Нового знакомого терпеливо выслушивает, независимо от того, интересен он ему или нет, — поддакивает, соглашается, выражает сочувствие.〔中略〕Штирлицам неимоверно трудно сдерживать свои отрицательные эмоции. Они этому всю жизнь учатся, причем не особенно успешно. Сколько близких друзей, надежных партнеров и исполнительных работников они теряют, прежде чем им удается воспитать в себе сдержанность.
LSEは、慣れない場では明るく愛想のよい役を演じようとするが、自分の否定的な感情を抑えるのはとても難しいと書かれています。それを抑えられるようになるまでに、何人もの友人や仲間を失うとされます。
規範機能は、社会の規範に合わせて使おうとする弱い位置です。場の情動に合わせる振る舞いを意識して演じながら、内側の情動の扱いには苦労する、という書き方が、その位置の性質に沿っています。
脆弱機能: ILI・SLI
脆弱機能のFeについて、グレンコは、ILIの記述でこう書いています。
ILIは他者の自分への態度を、彼らの感情の表れから評価する。激しく押しつけがましい感情は彼女を苛立たせ、抑うつを引き起こす。極端な状況や、隠れた悪意を感じるときには、激発と鋭い要求で苛立ちを公然と示すことができる。皮肉屋であり、鋭く機知に富んだ発言を閃かせることができる。気分が悪ければ、ブラックユーモアで応える。
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ILI assesses others’ attitudes towards herself from the manifestations of their emotions. Stormy, intrusive emotions irritate her and cause depression. In an extreme situation or when she feels concealed ill will, she is able to openly show her irritation with flare-ups and sharp demands. She is ironic and can flash with a sharp and witty remark. If she feels bad, she will respond with black humor.
つまり、ILIは人の感情の表れから相手の態度を判断し、激しく押しつけがましい感情には苛立ち、気が滅入るということです。極端な状況では、苛立ちを激しい言葉で表すこともあるとされます。
脆弱機能のFeでは、他人の強く押しつけがましい情動を受けることが、最も負担になると書かれています。14章で見たフィラトワのILI(痛点チャンネルの感情)も、同じ位置の記述です。
暗示機能: LII・LSI
暗示機能のFeについては、記述が多く残っています。アウシュラのLII(03章)のほか、レイニンはLIIの節でこう書いています。
これは友、それは敵、ではあれは誰だ? 私は愛されたい。良い場所とは私が愛される場所だ。LII〔原文: ロベスピエール〕は否定的な態度を感じるとその場を去る。彼/彼女はしばしば、なぜその場や仲間を去ったのか客観的な理由を自覚していない:「私は愛されたいのだ、それだけだ!」
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This is a friend, that is a foe, and who is that one? I want to be loved. A good place is the place where I am loved. A Robespierre leaves because he/she feels the negative attitude, they are often unaware of the objective reasons why they left a place or a company: “I want to be loved, that's all!”
これは、レイニンの体系でLIIのFeの領域を書いた箇所です。言い換えると、LIIにとって良い場所とは自分が愛される場所で、否定的な態度を感じるとその場を去るということです。その理由を、本人はしばしば自覚していないとされます。
ストラティエフスカヤは、LSIの記述で、暗示のFeが満たされたときの姿を書いています。
LSI〔原文: マクシム〕は情緒的に明るく濃密に生きるのが大変好きである。落ち着きのない反逆的な魂を持ち、明るい情緒的体験を引き起こし、人生を強く、しかし快適な体験で満たすことのできる人々が彼は好きである—これらの体験なしに、LSI〔原文: マクシム〕はかなり早くしぼみ、堅苦しく退屈になる。時には自分が病気で、ぐったりとして、トーンを失ったように感じる。塞ぎこみ始め、心気症、人間嫌いに陥る。ところがEIE〔原文: ハムレット〕的な情緒的影響の下では、LSI〔原文: マクシム〕は素晴らしく感じる—雨に洗われた花のように開花するのである。文字通り情緒で輝き始める。
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Очень любит Максим жить эмоционально ярко и насыщенно. Ему нравятся люди с беспокойной и мятежной душой, способные задать яркие эмоциональные ощущения, наполнить жизнь сильными, но приятными переживаниями — без этих ощущений Максим довольно быстро скисает, становится чопорным и скучным. Иногда чувствует себя больным, вялым, лишенным тонуса; начинает хандрить, впадает в ипохондрию, мизантропию. Зато под гамлетовским эмоциональным воздействием Максим чувствует себя великолепно — расцветает как цветок, омытый дождем. Начинает буквально искриться эмоциями.
ここでのEIEは、LSIの双対です。つまり、LSIは明るく濃い情動を引き起こしてくれる人を好み、EIEの情動の影響の下で、雨に洗われた花のように開くということです。
暗示機能のFeについての記述は、自分では場の情動をつくれないが、人につくってもらうと満たされる要素という点でそろっています。愛されたい、情動で満たされたい、という形で書かれています。
動員機能: ILE・SLE
動員機能のFeについて、レイニンは、ILEの節で創始者自身の例を書いています。
ILE〔原文: ドン・キホーテ〕の自己価値感は、他人の自分への態度や、彼らの間の関係に依存している。おそらくまさにこの理由から、アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ(ILE〔原文: ドン・キホーテ〕)は、タイプ間関係を分析する精密なツールとしてソシオニクスを発展させたのだ。
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a Don Quixote's self-worth is based on other people’s attitude and their relationships. Perhaps for this very reason Aušra Augustinavičiūtė (a Don Quixote) developed socionics as a precise tool for the analysis of intertype relationships.
言い換えると、ILEの自己価値の感覚は、他人が自分に向ける態度と、人どうしの関係に左右されるということです。レイニンは、ILEのアウシュラがタイプ間関係を分析するためにソシオニクスを発展させたのは、そのためかもしれないと書いています。
Feを大事にしながら自分では扱いにくい位置にあるからこそ、関係の網を理解する道具をつくった、という読み方です。ソシオニクスという理論の成り立ちを、Feの位置で説明している点が、レイニンのこの記述の特徴です。
観察機能: ESI・EII
観察機能のFeについて、レイニンは、ESIの節でこう書いています。
関係の無視。ESI〔原文: ドライザー〕は観察者である。パーティでは彼女はほとんど黙って観察している。しかし彼女は喜んで踊るだろう(中略)彼女が考えるところによれば、踊りには仲間意識も関係性もないからである。ESI〔原文: ドライザー〕は他者の感情や態度を識別できないことがある。彼女がうっかりと足を踏みつけてしまえば、突然不平の集中砲火を受けるかもしれない。
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ignoring of the relationships. A Dreiser is an observer. At a party she is mostly quiet and observant. But she would dance with pleasure –〔中略〕there is no fellowship or relationship in a dance as she thinks. A Dreiser may fail to discern other people's feelings or attitudes. Her inadvertent stepping on toes may result in a sudden barrage of complaints.
ESIは、パーティでほとんど黙って観察し、仲間意識も関係もない踊りなら喜んで踊ると書かれています。他人の感情や態度を見分けられないこともあるとされます。
一方、ストラティエフスカヤは、EIIの記述で、同じ位置のFeを別の角度から書いています。
EII〔原文: ドストエフスキー〕の観察の領域は、人間の感情、感覚、心の状態である。EII〔原文: ドストエフスキー〕は常に非常に細やかに、人の気分、心の状態、感情、体験を捉える。その際、言葉そのものの意味は彼にとって何の意味も持たない。彼は、自分が個人的に観察するもの、すなわち人の表情と抑揚にのみ確信を抱く。
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Сфера наблюдения Достоевского — эмоции человека, его чувства, состояние его души. Достоевский всегда очень тонко подмечает настроение, душевное состояние, чувства и переживания человека. Смысл самих слов при этом для него никакого значения не имеет. Он убеждается только тем, что лично наблюдает, т. е. мимикой человека и его интонациями.
つまり、EIIは人の気分や感情を細やかに捉え、その手がかりは言葉ではなく表情と抑揚だけだということです。観察機能のFeは、ESIでは見分けにくいものとして、EIIでは細かく捉えるものとして書かれています。どちらでも、場に自分から情動を出す道具としては書かれていません。
実演機能: SEE・IEE
実演機能のFeについて、ストラティエフスカヤは、IEEの記述でこう書いています。
IEE〔原文: ハクスリー〕は無意識のうちに、感情的影響に痛切に敏感なSLI〔原文: ギャバン〕に方向付けられているため、自身の感情を、双対にとって最も受け取りやすい形で、すなわちあたかも演技のように、半ば真剣に、わずかに演劇的に表現する。(中略)すなわち、感情は、いわば書かれた台本に従って表現され、IEE〔原文: ハクスリー〕はあたかも自分自身の脚本家でも演出家でもあるかのようだ。
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Поскольку Гексли подсознательно сориентирован на болезненно восприимчивого к эмоциональному воздействию Габена, он выражает свои эмоции в той форме, в какой всего удобнее воспринимать их его дуалу, т. е. как бы понарошку, как бы полусерьезно и слегка театрально.〔中略〕То есть эмоции выражаются как бы по написанному сценарию, и Гексли вроде как сам себе и сценарист и режиссер.
ここでのSLIは、IEEの双対です。言い換えると、IEEは自分の情動を、演技のように、台本どおりに表すということです。IEEは自分自身の脚本家であり演出家であるかのようだ、とストラティエフスカヤは書いています。
実演機能は、強く使えるが本人が大事だと感じない位置です。情動を上手に出せるが、それを演技として扱う、という書き方が、その位置の性質に沿っています。
価値の側と、そうでない側
Feが入る8つの位置は、価値の側とそうでない側に4つずつ分かれます。主導機能・創造機能・暗示機能・動員機能の4つは、そのタイプが大事だと感じる位置です。ここに入るESE・EIE・SEI・IEI・LII・LSI・ILE・SLEは、どれもアルファかベータのクアドラに入ります。
一方、規範機能・脆弱機能・観察機能・実演機能の4つは、大事だと感じない側の位置です。ここに入るLIE・LSE・ILI・SLI・ESI・EII・SEE・IEEは、どれもガンマかデルタのクアドラです。この分かれ方は、モデルAの定義から決まります。
研究者の記述も、この分かれ方に沿って読めます。価値の側では、Feが強い位置(主導・創造)でも弱い位置(暗示・動員)でも、場の情動は大事なもの、求めるものとして書かれます。LIIは愛される場所を求め(レイニン)、LSIは情動で満たされることを求めます(ストラティエフスカヤ)。
反対に、価値でない側では、強い位置(観察・実演)でも弱い位置(規範・脆弱)でも、Feは自分から求めるものとしては書かれていません。LSEは場に合わせて演じ、ILIは激しい感情に苛立ち、ESIは関係のない踊りを好み、IEEは情動を演技として出します。カルペンコが書いたデルタの規範化とガンマの1次元の扱い(08章)は、この側をクアドラの単位で書いたものと読めます。
小括
同じFeでも、入る位置によって、研究者の書き方は大きく変わります。主導機能では場の情動を動かす中心の力、創造機能では目的に合わせて使う道具、規範機能では演じながら扱いに苦労するもの、脆弱機能では最も負担になるものとして書かれています。
そして、暗示機能では人につくってもらって満たされるもの、動員機能では自己価値を左右するものとして書かれます。観察機能では自分からは出さないもの、実演機能では演技として出すものです。また、価値の側の位置ではFeは求めるものとして書かれ、価値でない側ではそう書かれていません。
16原典の語のもとにあるイメージ(独自の整理)
ここからは当サイトの独自の整理です。16章は、研究者の定義ではなく、02〜15章の記述を踏まえた当サイトの読みです。研究者の引用で支えられるところだけ章をさかのぼって示し、それ以外は確かめられていない見立てとして書きます。
原典にあるのは語のほう
02〜10章で見たとおり、原典に書かれているのは、情動、興奮と抑圧、気分、感情の場、エネルギー、雰囲気、感染といった語です。研究者ごとに語は違いますが、11章で見たとおり、指しているものはかなり近いところにあります。
Feは判断の要素で、扱う情報が情動です。当サイトは、この語の並びを次のように読んでいます。研究者は、Feという判断のもとにある1つのイメージを、言葉にするならこう言うしかなかったのではないか、ということです。語を1つずつ覚えるより、そのもとにあるイメージをつかむほうが、なぜその語なのかが分かりやすくなります。
判断は、カメラをどこに置くか
当サイトは、判断の4つの要素を、物事を見るカメラをどこに置くかで整理しています。ここでいうカメラは、物事を評価するときの視点のことです。
1つは、カメラが誰か(主体)に付いている置き方です。自分の目の高さから、あるいは誰かの目の高さから物事を見ます。その主体は自分だけでなく、他人のこともあれば、会社や仕事のような概念のこともあります。TeとFiは、このカメラで判断する要素だと当サイトは考えています。
もう1つは、カメラがどの主体からも切り離されている置き方です。盤の全体を上から見るように物事を見て、その画角の中には自分も1つの駒として入っています。自分も他人も、会社のような概念も、誰かの発言も、同じ盤の上に並べて見ます。TiとFeは、このカメラで判断する要素です。ゲームで言えば、前者は主体の目から見る一人称の視点、後者は盤全体を上から見る俯瞰の視点です。
もとのイメージ: 自分も入った場全体の、情動の偏りを見る
当サイトの読みでは、Feのもとにあるイメージは、主体から切り離したカメラで、自分も含めた場全体の情動の状態を見ることです。見るのは、場の情動が片方や自分の側に寄りすぎていないか、自分だけが外れていないかです。つまり、場の情動の偏りと釣り合いです。
ここで大事なのは、その情動が「誰から見たものか」を決めていないことです。誰かの目から見た良し悪しではなく、どこにも寄らない場のエネルギーの状態として、熱があるか冷えているか、偏っているかを見ます。
その状態を言葉にすると、雰囲気や空気、気分になります。場の熱の量を言えば興奮や盛り上がり、熱が下がった状態を言えば抑圧や沈滞になります。偏りを直そうとして場に働きかければ、盛り上げる、和ませる、感情を移す、という語になります。
研究者の記述との対応
このイメージは、研究者の記述のいくつかとよく重なります。第一に、ユングは、外向的感情の判断がその場の全体の感情の状況を乱さないために下されると書いていました(02章)。判断の基準が、自分の好みではなく場の全体の状態に置かれている、と読めます。
第二に、カルペンコは、Feを部屋に広がる「感情の場」として描き、自分も他者もその場の中にあるものとして書いていました(08章)。場全体を1つのものとして見て、その中に自分も入っている、という点で、このイメージに近いと読めます。
第三に、アウシュラの「情動的プロセス、その興奮あるいは抑圧」(03章)と、イェルマークの「エネルギー状態」(07章)です。どちらも、情動を量と向きのある状態として書いています。熱があるか冷えているかを見る、というこのイメージと同じ方向です。
隣の3つの要素のイメージ
同じ読み方で、13章で比べた隣の3つの要素のもとにあるイメージも、次のように整理できます。いずれも、当サイトの読みです。
- Teのもとにあるイメージは、主体に付いたカメラで、その主体から見て物事がどれだけ動いているか、効率よく働いているかを見ることです。主体は自分のこともあれば、会社や仕事のこともあります。Feと同じくエネルギーの状態を見ますが、Feが誰にも寄らない場の状態を見るのに対し、Teは主体から見た動きと効率を見ます。
- Fiのもとにあるイメージは、主体に付いたカメラで、その主体と相手との関係を見ることです。「あなたと私」のように、誰かの目から見た関係になります。そのため、評価には、その主体から見た好き嫌いや良し悪しが入ります。
- Tiのもとにあるイメージは、主体から切り離したカメラで、自分も含めた物事どうしの関係を測ることです。Feと同じ置き方のカメラで、情動の状態ではなく、物と物の並び方や構造を見ます。
4つを並べると、判断の4つの要素は、カメラを主体に付けるTeとFi、カメラを主体から離すTiとFeの2つの組に分かれます。この分かれ方は、レイニンの二分法の客観主義(TeとFi)と主観主義(TiとFe)の組と重なります。
04章で見たとおり、レイニンはFeを「黒い倫理(客観的倫理)」と呼びながら、Feを大事にするクアドラを主観主義の側に置いていました。カメラの置き方で見ると、主観主義の側は、どの主体にも寄らないカメラで、自分の見方も1つの見方として盤に並べる側です。自分の見方も他人の見方もそれぞれ1つの記述として並びます。そのため、レイニンが主観主義者について書いた「理解、説明、記述、概念に頼る」とも矛盾しない、と当サイトは考えています。
すれ違いの形
カメラの置き方の違いは、すれ違いの形にも出る、と当サイトは見ています。カメラが主体に付いている側が物事を俯瞰するときは、主体ごと上の視点へ上がります。そのため、もう一方の側からは、上から言われている、説教くさいと受け取られることがあります。
反対に、カメラが主体から離れている側は、自分も駒の1つとして見ます。そのため、主体に付いたカメラの側からは、どこか他人事のように見ている、人としての温度がないと受け取られることがあります。
どちらのカメラが正しいかではなく、置いている場所が違うということです。前提が違うと見ているものがずれ、苛立ったり、着眼点が食い違ったりする、というのが当サイトの考えです。
小括
当サイトの読みでは、Feのもとにあるイメージは、主体から切り離したカメラで、自分も含めた場全体の情動の偏りと釣り合いを見ることです。その状態を言葉にしたものが、研究者の情動、興奮と抑圧、気分、感情の場、雰囲気という語だと考えています。
このイメージで並べると、判断の4つの要素は、カメラを主体に付けるTeとFi、主体から離すTiとFeの組に分かれます。FeとTeはどちらもエネルギーの状態を見ますが、Feは誰にも寄らない場の状態を、Teは主体から見た動きと効率を見ます。これは研究者の定義ではなく、当サイトの見立てとして置きます。
17外向倫理(Fe)とは何か
ここまで見てきたものを、当サイトの責任でまとめます。新しい引用は置きません。確からしさは、研究者章の引用より一段低くなります。最後は、「外向倫理(Fe)とは、詰まるところ何なのか」に落ち着けます。
反復して現れる記述
Feについて、研究者を横断して反復される記述は5つです。人と場のなかで動いている情動の知覚であること。そして、情動を受け取るだけでなく、情動に働きかけることです。
また、1人の感情ではなく、場や集団に共通する情動に向くこと。情動を上げる向きと下げる向きの両方を扱うこと。そして、表情や声のように、外に現れた情動を手がかりにすることです。
このうち第一は、ここで取り上げた研究者がそろって書いています。アウシュラは「情動的プロセス」、ストラティエフスカヤは「内的エネルギー」、イェルマークとエグリトは「エネルギー状態」と書きました。カルペンコは「感情の場」、グレンコは「感情の興奮」と呼びましたが、どれも人と場の情動の言い換えです。語は研究者ごとに違いますが、Feの中心はここで揺れていません。
隣の要素との違いで見ると
13章では、隣の3つの要素と比べてFeの輪郭を見ました。Fiと比べると、Feは二者の関係ではなく、場に出て広がる情動そのものの知覚です。ユングの外へ広がる同情と内へ強まる同情、イェルマークの「状態」と「状態どうしの関係」、ストラティエフスカヤの「感情か関係か」が、この違いを書いています。
Teと比べると、Feは対象の行為や成果ではなく、対象の中で動いている情動の知覚です。アウシュラの情動的プロセスと行為、ユングの場の感情の状況と客観的な事実が、この区別を書いています。
そしてTiとは、側面も向きも反対でありながら、アルファとベータで一緒に大事にされる組になります。16章では、この組をカメラを主体から離す組と呼びました。レイニンの主観主義が、この組の名前にあたります。
確定しない点
まず、Feに「関係」を入れるかどうかは確定していません。ほとんどの研究者は関係をFiの側に置きますが、レイニンは人と人のあいだの外的な関係と、他人が自分に向ける態度をFeに入れています。要素を黒い・白いで分ける組み立ての違いから来ている可能性はありますが、文献の上では決まっていません。
また、Feの情動が制御されたものか、揺れやすいものかも確定していません。アウシュラは意識で制御されると書き、フィラトワは容易に正反対へ変わると書きました。観測の水準の違いか、ESEとEIEの違いか、11章の仮説のどれが正しいかは、文献からは決められません。
さらに、Feを情動として書くか、価値で決める判断として書くかも分かれます。多くの研究者は情動を中心に置きますが、ユングとカルペンコは判断の機能として書き、MBTIのマイヤーズは感情を情動と混同してはならないと書いています(12章)。
Fe像の要約
文献上のFeは、人と場のなかで動いている情動の知覚です。1人の好き嫌いではなく、その場に共通して流れている気分や興奮、沈み込みに目が向きます。表情や声の調子から、その状態を読み取ります。
そのため、Feを強く持つ人は、場の情動を読むだけでなく、それを動かす側になりやすいとされます。場を盛り上げることも、張り詰めさせることもあります。自分の情動を出して、周りに移すことも含まれます。
一方で、二者のあいだの距離や好き嫌いを測るのは、Fiの役目です。また、物事が効率よく働いているかを見るのは、Teの役目です。Feは、この2つとは別の、場の情動という情報を受け持つ要素として書かれています。これが、研究者章を通して浮かび上がる像です。
外向倫理(Fe)とは、詰まるところ
いろいろな研究者の書き方を見てきましたが、最初の一般像(01章)からそう遠くには行きません。人の気分、場の雰囲気、感情の表出—ここは研究者をまたいで残ります。言い直したいのは2つです。「空気を読む」というより、場の情動を読み、それを動かすところまでがFeです。「感情的で気分屋」というより、情動を上げる向きにも下げる向きにも扱う要素で、その扱いを本人が意識していることもあります。Fiと対にして、Feは場全体に、Fiは相手との関係に向く、という一般像の説明は、研究者の大半の書き方と合っています。
かみ砕いて言えば、Feは、いまこの場の人たちがどんな気持ちでいるかに目が向く要素です。部屋に入れば、盛り上がっているか、冷えているか、誰かが沈んでいないかが気になります。人の顔や声の調子から、その人の気持ちの動きを読みます。そして、気になった場の状態を、話しかけたり、自分の気持ちを出したりして動かそうとします。ですが、2人のあいだの距離をじっくり測ることや、物事が効率よく進んでいるかを見ることは、Feの得意なところではありません。場の気持ちを読み、それを動かそうとする、と文献は書いています。
少なくとも、これだけは研究者をまたいで残ります。人と場の情動に目が向く。読むだけでなく動かす。1人より場に向く。上げる向きにも下げる向きにも動かす。Feは、おおよそそういう要素です。
18引用と記述の方法
引用を用いる理由と範囲
ソシオニクスの文献では、同じFeについて、研究者ごとに呼び名も定義の語も観測の角度も違います。違う記述を1つの要約にまとめると、どの研究者も書いていない「平均像」ができあがります。要約には書き手の解釈が混ざるため、研究者の記述は逐語の引用で示します。
引用は、本文で設定した論点の検討に必要な範囲にとどめます。そのうえで、当サイトの本文がその出典関係・記述の差異・適用範囲を分析します。各引用の位置づけの説明、各章末の小括、11章の横断比較、13〜15章の各論が、このページの本文の役割です。
また、11章の横断比較や14章の読み違いの整理など、本文の分析には当サイトの判断が入ります。16章は当サイト独自の整理で、17章はその延長で記事全体の資料をまとめ直す独自の統合です(位置づけは章の冒頭でも明示します)。
引用の逐語性と翻訳
引用の訳文は当サイトによる訳出です。ユングはドイツ語原著の英訳版から、エグリトは学派が公開する露語版と英語版から訳出しています。MBTIの原典(マイヤーズ、『MBTI Manual』、マイヤーズ&ブリッグス財団のサイト)は、英語の原文から訳出しています。底本の綴りは各引用の「原文を表示」で確認できます。
底本は、研究者本人の著書と機関誌論文を主とします。原文は、各引用の下の「原文を表示」に格納しています。なお、原文には誤字が残る可能性があることをあらかじめお伝えしておきます。
引用の位置づけも明記します。本ページの引用は、公表された著作物からの、批評・研究を目的とする引用です。引用部は引用ブロックで明瞭に区分し、すべてに出所を番号つきで明示しています。
また、索引には著者・資料名と、確認できた範囲の刊行年・初出・該当箇所を掲載し、出所に留保が要る資料は注記で示します。本文と引用の関係は、本文の分析が主で、引用は各論点の根拠として示す資料です。出典・掲載についての指摘があれば対応します。
引用への編集操作
引用への編集操作は、次の3点に限ります。第一に、タイプ愛称の置換です。ソシオニクスの原典には、16タイプを著名人の名で呼ぶ愛称が頻出します。当サイトはタイプをコード表記(ESE、EIEなど)で統一しているため、引用内の愛称は「ESE〔原文: ヒューゴー〕」の形式で置換します。
第二に、タイプ略号と研究者名のラテン文字への統一です。第三に、引用内の要素記号への要素コードの添え書きです。原文で要素記号が単独で要素を指す箇所には、記号のあとに要素コードを添えます(例: ▼〔Fe〕)。
一方、要素の名称には手を加えません。Feは研究者によって「外向的感情」「黒い倫理」「感情の倫理」「感情倫理」「感情」「E」などと呼ばれ、名前も記号も体系ごとに違います。そのため、引用内の名称はそのまま残し、対応は各研究者章の冒頭で示します。本文では、当サイトの名称である外向倫理(Fe)で統一します。
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+索引(引用文献)
- [1]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 外向的感情型 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [2]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 外向的感情型 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [3]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 外向的感情型 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [4]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 外向的感情型 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [5]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 外向的感情型 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [6]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 外向的感情型 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [7]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 「関係の知覚の四つのアスペクト」の節 本文へ
- [8]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 「関係の知覚の四つのアスペクト」の節 本文へ
- [9]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 「関係の知覚の四つのアスペクト」の節 本文へ
- [10]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 「倫理的外向型と論理的内向型」の節 本文へ
- [11]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 「倫理的外向型と論理的内向型」の節 本文へ
- [12]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 「倫理的外向型と論理的内向型」の節 本文へ
- [13]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)第1講 底本は英語版 本文へ
- [14]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)第2講「16タイプ」ESE節 底本は英語版 本文へ
- [15]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)第2講「16タイプ」EIE節 底本は英語版 本文へ
- [16]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)第III部「主観主義者 — 客観主義者」 底本は英語版 本文へ
- [17]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)第III部「なぜクアドラか」 底本は英語版 本文へ
- [18]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第I部 理論編 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [19]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 ESE章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [20]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 ESE章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [21]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 ESE章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [22]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 EIE章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [23]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 EIE章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [24]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第II部 第2章「ユングの機能」 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [25]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年) ESE章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [26]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年) ESE章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [27]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年) EIE章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [28]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年) EIE章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [29]Yermak「人間の心と周囲世界との相互作用—情報流のアスペクト構造」(原題:Взаимодействие психики человека с окружающим миром. Аспектная структура информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(1997年) 出典リンク 本文へ
- [30]Yermak「人間の心と周囲世界との相互作用—情報流のアスペクト構造」(原題:Взаимодействие психики человека с окружающим миром. Аспектная структура информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(1997年) 出典リンク 本文へ
- [31]Karpenko「世界のアスペクト知覚」(原題:Восприятие аспектов мира)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(1995年) 出典リンク 本文へ
- [32]Karpenko「世界のアスペクト知覚」(原題:Восприятие аспектов мира)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(1995年) 出典リンク 本文へ
- [33]Karpenko「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 出典リンク 本文へ
- [34]Karpenko「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 出典リンク 本文へ
- [35]Karpenko「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 出典リンク 本文へ
- [36]Karpenko「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 出典リンク 本文へ
- [37]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年)理論編 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [38]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年)理論編 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [39]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年)理論編 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [40]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年)理論編 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [41]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年)理論編 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [42]Bukalov「インタタイプ関係の記述」(原題:Описания интертипных отношений)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌「クアドラの価値観」の節(2012年) 出典リンク 本文へ
- [43]Bukalov「インタタイプ関係の記述」(原題:Описания интертипных отношений)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌「クアドラの価値観」の節(2012年) 出典リンク 本文へ
- [44]Eglit『ソシオニクス的自己観察の基礎』(原題:Основы соционического самонаблюдения、刊年不詳) 底本はシステム・ソシオニクス学派(School of System Socionics)公式サイトのロシア語原文。引用本文はその当サイト訳。刊行年は底本に記載がなく未確認 出典リンク 本文へ
- [45]Eglit『ソシオニクス的自己観察の基礎』(原題:Основы соционического самонаблюдения、刊年不詳) 底本はシステム・ソシオニクス学派(School of System Socionics)公式サイトのロシア語原文。引用本文はその当サイト訳。刊行年は底本に記載がなく未確認 出典リンク 本文へ
- [46]マイヤーズ『Gifts Differing』(原題:Gifts Differing: Understanding Personality Type、1980年)第19章「判断の二種」(pp.192-193) 原文欄は英語の原書の対応箇所。引用本文は当サイト訳 本文へ
- [47]マイヤーズ、マッコーリー、クエンク、ハマー『MBTI Manual』(原題:MBTI Manual: A Guide to the Development and Use of the Myers-Briggs Type Indicator、1998年)第3版、第3章「感情の判断(F)」 Consulting Psychologists Press 刊。原文欄は英語の原書の対応箇所。引用本文は当サイト訳 本文へ
- [48]The Myers & Briggs Foundation『The Processes of Type Dynamics』(刊年不詳) 公式サイトの記事(2026-07-31閲覧)。引用本文は当サイト訳 出典リンク 本文へ
- [49]The Myers & Briggs Foundation『The Processes of Type Dynamics』(刊年不詳) 公式サイトの記事(2026-07-31閲覧)。引用本文は当サイト訳 出典リンク 本文へ
- [50]マイヤーズ『Gifts Differing』(原題:Gifts Differing: Understanding Personality Type、1980年)第9章「感情に支えられた内向的直観」(p.112) 原文欄は英語の原書の対応箇所。引用本文は当サイト訳 本文へ
- [51]マイヤーズ『Gifts Differing』(原題:Gifts Differing: Understanding Personality Type、1980年)第9章「外向的感情型 ESFJ と ENFJ」(pp.92-93) 原文欄は英語の原書の対応箇所。引用本文は当サイト訳 本文へ
- [52]マイヤーズ、マッコーリー、クエンク、ハマー『MBTI Manual』(原題:MBTI Manual: A Guide to the Development and Use of the Myers-Briggs Type Indicator、1998年)第3版、第4章「ENFJ」 Consulting Psychologists Press 刊。原文欄は英語の原書の対応箇所。引用本文は当サイト訳 本文へ
- [53]マイヤーズ『Gifts Differing』(原題:Gifts Differing: Understanding Personality Type、1980年)第9章「外向的感情型 ESFJ と ENFJ」(p.93) 原文欄は英語の原書の対応箇所。引用本文は当サイト訳 本文へ
- [54]マイヤーズ『Gifts Differing』(原題:Gifts Differing: Understanding Personality Type、1980年)第9章「外向的感情型 ESFJ と ENFJ」(pp.93-94) 原文欄は英語の原書の対応箇所。引用本文は当サイト訳 本文へ
- [55]マイヤーズ、マッコーリー、クエンク、ハマー『MBTI Manual』(原題:MBTI Manual: A Guide to the Development and Use of the Myers-Briggs Type Indicator、1998年)第3版、第4章「ESFJ」 Consulting Psychologists Press 刊。原文欄は英語の原書の対応箇所。引用本文は当サイト訳 本文へ
- [56]マイヤーズ『Gifts Differing』(原題:Gifts Differing: Understanding Personality Type、1980年)第9章「内向的思考型 ISTP と INTP」(p.89) 原文欄は英語の原書の対応箇所。引用本文は当サイト訳 本文へ
- [57]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 内向的感情型 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [58]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 内向的感情型 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [59]Yermak「人間の心と周囲世界との相互作用—情報流のアスペクト構造」(原題:Взаимодействие психики человека с окружающим миром. Аспектная структура информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(1997年) 出典リンク 本文へ
- [60]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第I部 理論編 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [61]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 IEI章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [62]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 「関係の知覚の四つのアスペクト」の節 本文へ
- [63]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 外向的感情型 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [64]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 「関係の知覚の四つのアスペクト」の節 本文へ
- [65]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 外向的感情型 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [66]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 外向的感情型 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [67]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年) ILI章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [68]Gulenko『64の肖像』(2019年) 底本は英語版 本文へ
- [69]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010年) 底本は英語版 本文へ
- [70]アウシュラ『ソシオニクス 心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998年) IEI章 本文へ
- [71]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 LSE章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [72]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年) 底本は英語版 本文へ
- [73]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)第2講「16タイプ」LII節 底本は英語版 本文へ
- [74]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 LSI章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [75]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)第2講「16タイプ」ILE節 底本は英語版 本文へ
- [76]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)第2講「16タイプ」ESI節 底本は英語版 本文へ
- [77]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 EII章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [78]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 IEE章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
