内向倫理(Fi) 超詳細解説
ソシオニクスの8つの情報要素の1つ・内向の倫理・関係の倫理
情報要素の内向倫理(Fi)を、ソシオニクスの研究文献からの引用をもとに解説する長編です。対象は、ユングの『心理学的類型』と、創始者のアウシュラ・アウグスティナヴィチューテ(Aushra Augustinaviciute)の著作です。さらに、レイニン、ストラティエフスカヤ、フィラトワ、イェルマーク、カルペンコ、グレンコ、ブカロフ、エグリトの記述を扱います。同じFiを、研究者ごとにどう呼び、何として定義したかを引用で示し、そのあとで、MBTIのFiとの比較、Te・Fe・Tiとの違い、当サイト独自の整理を分けて置きます。研究者をまたいで残るのは、Fiが対象と対象のあいだの関係、つまり引き寄せ合うか退け合うかの情報だという点です。
先に結論を知りたい方は、11章「研究者間で残る中核と食い違い」をご確認ください。
引用の扱い方(逐語性、訳出の方針、編集操作、索引の使い方)は、末尾の「引用と記述の方法」にまとめています。
01内向倫理(Fi)は一般にどう言われているか
内向倫理(Fi)は、一般には、ソシオニクスの8つの情報要素のうち人と人との関係や、好き嫌いを扱う要素と説明されます。相手との距離感、誰と誰が親しいか、何が良くて何が悪いかを、自分の内側の物差しで感じ分ける倫理だとされます。
よく言われるのは、表には出さないが、内側では好き嫌いがはっきりしているという像です。相手との距離を見て、近い人には誠実に尽くし、合わない人とは静かに距離を置きます。礼儀や筋を大事にし、裏切りを許さない人として紹介されることもあります。
同じ倫理の外向倫理(Fe)とは、Feはその場の感情や雰囲気を動かし、Fiは一対一の関係と距離を見る、と対にして説明されるのが定番です。おおよそ、これが一般に言われている像です。
タイプ別によく挙げられる例もあります。Fiを1番の主導機能に持つESI(ISFP)やEII(INFP)は、道徳や誠実さを大事にする人として紹介されます。括弧の中は、MBTIで近いとされるタイプの表記です。また、Fiが4番の脆弱機能に入るILE(ENTP)やSLE(ESTP)は、人との距離感や気持ちの機微がつかみにくいと言われます。
この像は、あとで見る研究者の記述がところどころ切り出されて広まったものです。好き嫌いと距離、という中心はたいてい合っています。ですが、研究者ごとに呼び名も観測の角度も違い、「道徳」や「誠実さ」が定義に入っているかどうかも研究者によって分かれます。このページでは、02章から研究者の記述を順に見て、17章でこの一般像のどこがそのまま残り、どこが言い直されるかに戻ります。
読この記事の読み方
想定読者は、内向倫理(Fi)の解説ページや8つの情報要素を読み終えて、出典まで確かめたい人です。長いページですが、読み方は単純です。各章で研究者の記述を引用で示し、そのすぐ下に当サイトの読み方(何が共通し、どこが違うか)を書きます。
流れは、01章が一般に言われている像、02章がユングの内向的感情です。03〜10章が研究者別の記述(このページの中心)で、11章が横断比較です。12章では、MBTIの側のFiと比べます。続く13〜15章は各論で、Te・Fe・Tiとの違い、よくある読み違い、モデルAの位置を扱います。16章が当サイト独自の整理で、17章が「内向倫理(Fi)とは、詰まるところ」のまとめです。引用には初出順の番号が付き、押すと巻末の索引へ飛び、索引から本文へ戻れます。引用の扱い方(逐語性、訳出、編集操作)は末尾の「引用と記述の方法」にあります。
ページ冒頭の「コピーしてAIで要約!」を押すと、要約用の指示文とこのページの本文がクリップボードに入ります。AIに渡すと、要約のほか引用の意味を聞く・研究者ごとの違いを整理させる・Te・Fe・Tiとの違いに絞って読み直す、といった使い方ができます(長すぎるときは、章を分けて渡すと扱いやすくなります)。
02ユングの内向的感情
Fiの出発点は、ユングが『心理学的類型』で書いた内向的感情です。ユングの「感情」は、喜びや怒りの情動ではなく、物事に価値を与える判断の機能として定義されています。ソシオニクスの研究者は、この記述を読んだうえで倫理の要素を定義し直しているため、先にユング本人の記述を確認します。
受け入れるか退けるかを決める過程
ユングは、定義の章で、感情をまず次のように書いています。
感情とは第一に、自我と与えられた内容とのあいだで起こる過程であり、しかもその内容に、受容か拒絶かという意味での明確な価値を与える過程である
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Feeling is primarily a process that takes place between the ego and a given content, a process, moreover, that imparts to the content a definite value in the sense of acceptance or rejection
言い換えると、ユングの感情は、自我とある内容のあいだに起こり、その内容を受け入れるか退けるかを決める過程だということです。英語版では、受け入れと拒絶に「好き」「嫌い」の語が添えられています。関係という語は出てきませんが、自我と内容のあいだの関係に値を付ける働きとして書かれていると読めます。
ユングは、同じ章で、感情を判断の一種だと続けています。
それゆえ感情もまた一種の判断である。ただし知性的な判断とは異なり、知性的な連関を打ち立てることを目指すのではなく、もっぱら受容か拒絶かの主観的な基準を立てることに関わる。
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Hence feeling is also a kind of judging, differing, however, from an intellectual judgment, in that it does not aim at establishing an intellectual connection but is solely concerned with the setting up of a subjective criterion of acceptance or rejection.
つまり、感情は、知的なつながりをつくる思考とは別の種類の判断だということです。何が筋道どおりにつながるかではなく、何を受け入れ何を退けるかの基準を立てます。この区別は、13章で見る内向論理(Ti)との違いの出発点になります。
主観的な要因で決まる
内向的感情について、ユングはこう書いています。
それは第一に主観的な前提条件によって制御され、対象には二次的にしか関わらないため、この感情ははるかに表面に現れにくく、通例、誤解される。(中略)それは見かけのうえで対象を低く見積もる感情であり、それゆえふつうは否定的な現れ方によって気づかれる。(中略)肯定的な感情の存在は、いわば間接的にしか推し量れない。
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Since it is primarily controlled by subjective pre-conditions, and is only secondarily concerned with the object, this feeling appears much less upon the surface and is, as a rule, misunderstood.〔中略〕is a feeling which apparently depreciates the object ; hence it usually becomes noticeable in its negative manifestations.〔中略〕existence of a positive feeling can be inferred only indirectly, as it were.
上の引用にある「それ」は、内向的感情のことです。言い換えると、内向的感情は、対象よりも主体の側の前提で決まるため、外からは見えにくいということです。外に出るときは対象を低く見るような否定的な形になりやすく、肯定的な感情は、あることを間接的に推し量るしかないとされます。
この「否定の側が先に見える」という観察は、のちの研究者にも出てきます。アウシュラのESI(03章)と、エグリトが載せたESIの自己報告(10章)は、悪い関係のほうがはっきり見えると書いています。
オジギソウのように身を引く
内向的感情が外の対象とどう向き合うかを、ユングはたとえで書いています。
オジギソウのような感じやすさをもって、それは対象の粗暴さから身を縮め、そのぶん主体の深みへと広がっていく(中略)自己防衛の手立てとして、それは否定的な感情判断を差し出すか、深い無関心の様子を装う。
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with the sensitiveness of the mimosa, it shrinks from the brutality of the object, in order to expand into the depths of the subject〔中略〕It puts forward negative feeling-judgments or assumes an air of profound indifference, as a measure of self-defence.
上の引用にあるオジギソウは、触れると葉を閉じる植物です。つまり、内向的感情は、対象の粗さから身を引き、そのぶん自分の内側を深めていくということです。身を守るために、否定的な判断を出すか、深い無関心を装うとされます。
ユングは、この無関心に見える態度を、感情がないことと取り違えてはいけないとも書いています。
表面的な判断は、いくぶん冷たく控えめな振る舞いに欺かれて、この型にはいっさい感情がないと言いかねない。しかしそうした見方はまったくの誤りである。実のところ、彼女の感情は外延的であるより内包的なのである。それは深さへと発展する。
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A superficial judgment might well be betrayed, by a rather cold and reserved demeanour, into denying all feeling to this type. Such a view, however, would be quite false; the truth is, her feelings are intensive rather than extensive. They develop into the depth.
言い換えると、内向的感情は外へ広がらず、深さへ向かうということです。冷たく控えめな振る舞いは、感情がない証拠ではないとされます。フィラトワがEIIについて書く「外からは冷たく見える」(06章)も、この一節とよく重なります。
主体にだけ責任を負う自由
内向的感情が対象から離れていく先について、ユングはこう書いています。
対象との関係から絶えず自らを解き放ちながら、この感情は、行為の自由と良心の自由をともに作り出す。それは主体に対してのみ責任を負う自由であり、伝統的な価値のすべてを放棄することさえありえる。
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Continually emancipating itself from the relation to the object, this feeling creates a freedom, both of action and of conscience, that is only answerable to the subject, and that may even renounce all traditional values.
ここでいう自由は、好き勝手にふるまうことではありません。良心の基準を、外の慣習ではなく主体の側に置くということです。その基準は、伝統的な価値を捨てることにまで及ぶとユングは書いています。
外の標準に合わせる外向的感情(13章で引用)とは、この点で反対になります。内向的感情の基準は主体の側に、外向的感情の基準はその場の標準の側にあるということです。
小括
ユングの内向的感情は、自我と対象のあいだに起こる、受け入れるか退けるかの判断で、その基準を主体の側に置く機能です。外には否定的な形でしか見えにくく、冷たく見えても深さへ向かい、良心の基準を自分の側に持ちます。
「受け入れるか退けるか」「否定が先に見える」「冷たく見えるが深い」の3つは、このあと見るソシオニクスの研究者のFiの記述に引き継がれています。一方、ユングの感情は主体と対象のあいだのもので、他人どうしの関係までは書かれていません。この広がりは、アウシュラ(03章)から加わります。
03アウシュラの記述
創始者のアウシュラのFiの記述は、主に『ソシオニクス入門』と『ソシオニクス 心理タイプ・テスト』にあります。前者でFiは白い倫理として定義され、後者ではESIとEIIの人物像として書かれています。
読むときの注意を1つだけ置きます。アウシュラの機能の番号は今のサイトと違うため、番号を含まない一節を選んでいます。引用の中の「アスペクト」「情報要素」は、ここではどちらも情報要素と同じ意味です。
定義: 二つの担い手のあいだの主観的関係
アウシュラは、Fiの白い倫理を次のように定義しています。
これは、ポテンシャル・エネルギーまたは運動エネルギーの二つの担い手のあいだの主観的関係であり、ある対象あるいは主体の他の対象や主体への引力(あるいは反発)を示すものである。この情報要素のおかげで、人間はどの対象が自分を引きつけ、どれが反発するかを感じる。
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Это субъективное отношение между двумя носителями потенциальной или кине- тической энергии, показывающее притягиваемость (или отталкиваемость) одного объекта или субъек- та с другими объектами и субъектами. Благодаря этому элементу ИМ человек чувствует, какие объ- екты его притягивают, какие — отталкивают.
上の引用にあるポテンシャル・エネルギーと運動エネルギーは、物理学の語で、ここでは物と人のどちらも指しています。言い換えると、アウシュラのFiは、2つの対象のあいだの、引き寄せ合うか退け合うかという関係の情報だということです。
注目したいのは、定義の中に「主観的関係」という語が入っていることです。この関係は、物と物の距離のように外から測るものではなく、引きつけられるか反発するかとして感じられるものだとされます。この「主観的」の語は、04章のレイニンの名前の付け方とも関わります。
主導的なときの姿
このアスペクトが主導的なときの人物像を、アウシュラは同じ箇所でこう書いています。
世界についての自分の主観的認識を他者の認識に対置し、自分の願望を他者の願望に対置する能力をもつ。自分自身のみならず他の人々の願望をも形成し変更する技能によって際立つ。自分に必要な人間関係を確保する技能と、他者に影響を与えられるという自分の可能性への確信によって際立つ。
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Способен про- тивопоставлять свое познание субъективного мира познанию других, свои желания желаниям других. Отличается умением формировать и изменять не только свои желания, но и желания других людей. Он отличается и умением обеспечивать себя нуж- ными отношениями с людьми, и уверенностью в своих возможностях влиять на других людей.
つまり、Fiを主導にする人は、自分の願望と他人の願望を見比べ、自分に必要な人間関係を確保するということです。世界についての自分の受け取り方を、他人の受け取り方に対置するとされます。
この一節では、Fiが関係を感じ取るだけでなく、他人の願望を形づくり変える働きまで含めて書かれています。関係に働きかける側まで1つの要素に入れている点が、アウシュラの記述の特徴です。
ESI: 人々のあいだの倫理的な関係を感じ取る
『心理タイプ・テスト』のESIの章で、アウシュラはFiの働きをこう書いています。
個人は、人々の間の倫理的諸関係を明瞭に感じ取る。誰がどのような感情を経験しており、彼が誰に対していかなる感情 — 愛、憎しみ、共感、軽蔑等々 — を呼び起こしているかを、過誤なく知っている。
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Индивид отчетливо чувствует этические отноше- ния между людьми. Безошибочно знает, кто какие чувства испытывает и какие сам вызывает у дру- гих — любовь, ненависть, симпатию, пренебреже- ние и т. д.
言い換えると、ESIは、誰がどんな感情を抱き、自分が他人にどんな感情を呼び起こしているかを知っています。つまり、人と人とのあいだの関係を間違えずに知っているということです。愛・憎しみ・共感・軽蔑といった感情が、ここでは誰から誰へ向いているかとして書かれています。
ここで、Fiの範囲が自分と相手の関係から、他人どうしの関係にまで広がっています。ユング(02章)の感情が主体と対象のあいだの過程だったのに対し、アウシュラのFiは、人と人との関係の網の全体を見る情報として書かれています。
悪人は死後でさえ悪人
同じESIの章には、アウシュラたちがESIの1人から聞いた言葉が採られています。
「悪い人物を許してはならない、たとえ謝罪してきたとしても。ただ、力がないだけだ。許すことはできるが、どうやって忘れるのか?(中略)「死者に関しては、よく語るか、何も語らないかだ」という諺は正しくない。悪人については、死後でさえ — 悪人だ」
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Прощать плохого нельзя, если даже он изви- няется. Просто нет сил. Простить можно, но как забыть?〔中略〕Не пра- вильна пословица, что про умершего или хорошо, или ничего: негодяй и после смерти негодяй
上の引用の話し手はESIです。謝られても許さず、許せても忘れられない、と話しています。つまり、一度つけた関係の評価は、相手が死んでも変わらないということです。
ユングの内向的感情が否定的な形で気づかれる(02章)のと、よく重なる言葉です。レイニンもESIについて態度を永久に固定しておきたいと書いていて(04章)、評価が長く変わらないことは、カルペンコとグレンコも書いています(08章・09章)。
EII: 望ましい人間関係を築く
EIIの章では、同じFiが別の向きで書かれています。
この情報代謝タイプの知的な強みは、自分自身および自分の親しい者たちにとって望ましい人間関係を、他者と築き上げる能力にある。(中略)身近な人々が何を望み何を望まないか、誰にどうして好意を抱き、誰に抱かないかを知っている。人々の本当の感情と見せかけの感情とを、常に見分けることができる。
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Интеллектуальная сила этого типа ИМ — в его, умении налаживать желательные ему и его близким отношения с другими людьми. 〔中略〕 Знает, чего его близкие люди хотят и чего не хотят, кому и почему симпатизируют, кому не симпатизируют. Всегда способен разобраться в настоящих и кажущихся чувствах людей.
言い換えると、EIIの強みは、自分と身近な人にとって望ましい関係を、他人とのあいだに築くことだということです。身近な人の好意がどこへ向いているかを知り、本当の感情と見せかけの感情を見分けるとされます。
ESIが悪い関係を見抜いて固定するのに対し、EIIは望ましい関係をつくる側として書かれています。同じFiを主導に持つ2つのタイプの違いは、05章のストラティエフスカヤがはっきり書いています。
主観的だが、劣らず客観的
アウシュラは、のちの連載『レイニン特性の理論』で、論理と倫理の違いをこう書いています。
しかしこれらタイプの思考をより客観化していくと、論理的タイプはエクソゲニックな過程・関係を扱い、倫理的タイプは劣らず客観的なエンドゲニックな過程・関係を扱うことが分かるので、前者をexogenic、後者をendogenicと呼ぶことができる。前者はエクソゲニックな過程を研究し、それを外的状況で説明する。後者はエンドゲニックな過程を研究し、それを内的状況、欲動、必要、引力で説明する。
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Но так как при большей объективизации мышления этих типов оказывается, что логические занимаются экзогенными процессами и экзогенными отношениями, а этические не менее объективными эндогенными процессами и эндогенными отношениями, то первых можно назвать экзогениками, а вторых — эндогениками. Первые изучают экзогенные процессы и объясняют их внешними обстоятельствами, вторые — эндогенные процессы и объясняют их внутренними обстоятельствами, влечением, потребностями, притягательной силой.
上の引用の2つの語は、外から生じる(外因的)、内から生じる(内因的)という意味です。言い換えると、倫理は内側の過程と関係を扱うが、それも論理と同じくらい客観的なものだということです。欲動、必要、引力は、本人の気分ではなく、実際に起きている過程として書かれています。
『入門』の定義には「主観的関係」とありました。2つを並べると、アウシュラは主観的なのは関係の感じ方であって、扱う過程そのものではないと考えていたと読めます。この区別は、04章でレイニンの名前の付け方を読むときの手がかりになります。
小括
アウシュラのFiは、2つの対象のあいだの主観的な関係、つまり引き寄せと反発の情報です。ESIでは人々のあいだの感情の向きを間違えずに知る力として、EIIでは望ましい関係を築く力として書かれます。
ユングの感情が主体と対象のあいだに限られていたのに対し、アウシュラは他人どうしの関係までFiの範囲に入れています。また、倫理の扱う過程は、論理と同じく客観的なものだとしています。
04レイニンの記述
レイニンのFiの記述は、主に『ソシオニクス: 類型論・小集団』にあります。レイニンはFiを「白い倫理」と呼び、英語の要素名ではSubjective ethics(主観的倫理)と書いています。タイプの節では、その要素が入る位置ごとの「領域」として書いています。
定義: 人々に対する私の態度
レイニンは、白い倫理を次のように定義しています。
▽〔Fi〕 白い倫理。それは人々に対する私の態度。人/物事への好み/嫌悪。私が経験する感情。
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Subjective ethics. It is my attitude to people. It is the liking/disliking of people/things. It is the emotions I experience.
つまり、レイニンのFiは、人や物に対する「私」の態度、つまり自分と相手の関係を好きか嫌いかで受け取る情報だということです。関係を他人どうしのものとしてではなく、自分から相手へ向かう態度として定義しています。
同じ箇所で、レイニンは黒い倫理(Fe)を、外の関係と、他の人々の私への態度として書いています(13章で引用)。Fiは私から人へ、Feは人から私へという向きで、2つの倫理を分けていることになります。
ESI: 態度を永久に固定したい
Fiを主導に持つESIの節で、レイニンはこう書いています。
機能 #1 — 白い倫理(▽〔Fi〕):何かや誰かに対する人物の態度が自信の領域にある。この領域では人物の関係は最も重要でなく、しばしばそれらは彼に全く関係しない。ここでは彼の態度のほうがはるかに重要であり、彼はむしろそれを永久に固定しておきたいと願う。もしESI〔原文: ドライザー〕が誰かについて良い意見を形成したならば、それを変えるには何か大きな要因が必要となるであろう。彼の悪い態度や意見はなおさら変えにくい。(中略)態度自体は変わるかもしれないが、その領域は非常に深いため、言葉でほとんど描写できない。他者や外的世界に対する個人的態度のこの領域は、強く感じられているが、貧弱にしか言語化されていない。
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Function #1- subjective ethics ( ): the person’s attitude to something or somebody is in the area of confidence. In this area person’s relationships are of the least importance, often they do not concern him at all. His attitude is much more important here, and he would rather have it permanently fixed. If a Dreiser has formed a good opinion of someone, it would take some major factors to make it change. Even more so his bad attitude or opinion is hard to change.〔中略〕The attitude itself may change, but its realm is so deep, that can hardly be described with words. This realm of personal attitudes to other people and the external world is strongly felt but poorly verbalized.
上の引用にある「自信の領域」は、モデルAの主導機能のことです。つまり、ESIにとって大事なのは人どうしの関係より自分の態度で、その態度は一度できると変えにくいということです。良い意見を変えるには大きな理由が要り、悪い意見はなおさら変わらないとされます。
レイニンは、この領域が強く感じられているのに、言葉にはほとんどならないとも書いています。Fiの評価が外から見えにくいことは、ユングの「表面に現れにくい」(02章)と同じ観察です。
EII: 感情の濃淡を感じ分ける
EIIの節では、同じ白い倫理が別の面から書かれています。
機能 #1 — 白い倫理(▽(Fi)):信頼の領域は、私の他者に対する態度である。このタイプの感情反応のスペクトルは独特なほど広い。EII〔原文: ドストエフスキー〕は他のタイプよりも感情の領域において自信を持っている。このタイプの人々は、他のタイプの代表者にとっては考えられないような感情の濃淡やニュアンスを感じ取り、識別する。たとえばSLE〔原文: ジューコフ〕が、EII〔原文: ドストエフスキー〕の感情世界において何を理解できるだろうか。前者の心の中にはそのような細部の概念すら存在しないというのに。人々はしばしば平行世界に生きており、形式的な接触というかなり狭い領域を除いては、何の共通点も持たないのだ。
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Function #1— subjective ethics ( ): the zone of confidence is my attitude to others. The spectrum of emotional reactions of this type is peculiarly large. A Dostoevsky is more confident in the sphere of emotions than other types. People of this type feel and discern shades and nuances of emotions unthinkable for representatives of the other types. What could, say, a Zhukov understand in a Dostoyevsky’s emotional world when even the notion of such details is absent in the psyche of the former? People often live in parallel worlds that have nothing in common except for rather narrow area of conventional (formal) contacts.
言い換えると、EIIは、他のタイプには区別できないほど細かい感情の濃淡を、他者への態度の中に感じ分けるということです。レイニンは、SLEの心にはそうした細部の概念すらないと書き、人どうしが「平行世界」に生きていると続けています。
ESIの節が態度の固さを書いていたのに対し、EIIの節は態度のきめの細かさを書いています。どちらも「私の他者に対する態度」という同じ定義から出た記述です。
二分法: 客観主義者はガンマとデルタ
レイニンは、要素とは別に、クアドラを分ける二分法も書いています。そのうちの1つが、主観主義者と客観主義者です。
第2の基準、現実の知覚の方法による:陽気と深刻(主観主義者と客観主義者)。8タイプ(客観主義者)は客観的世界の論理によって導かれ、他の8タイプ(主観主義者)は主観的論理によって導かれる。主観的人々は陽気であり、客観的人々は深刻である。哲学的カテゴリに関しては、前者は世界の記述により集中し、後者は世界の絵により集中する。客観的人々はガンマおよびデルタクアドラに属する。主観的人々はアルファおよびベータクアドラに属する。
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The second criterion, by the way of perception of reality: the cheerful and the serious (subjectivists and objectivists). Eight types (objectivists) are guided by the logic of the objective world, the other eight types (subjectivists) – are lead by the subjective logic. Subjective people are cheerful, objective people are serious. As far as philosophical categories are concerned the former are more focused on the description of the world, the latter - on the picture of the world. Objective people belong to gamma and delta quadras; subjective people belong to alpha and beta quadras.
レイニンの区別では、客観主義者は客観的世界の論理に、主観主義者は主観的論理に導かれます。そして、Fiを大事にするガンマとデルタのクアドラが、客観主義者の側に置かれています。
ここで、読んでいて引っかかるところがあります。レイニン自身はFiを「主観的倫理」と呼んでいました。それなのに、Fiを大事にするクアドラは「客観主義者」になっています。
名前は不適切だと認める
この二分法の別名「陽気/深刻」について、レイニンはのちに機関誌でこう答えています。
私の見解からすれば、これは 主観主義者/客観主義者 の特徴である。すなわち、「陽気」とは記述・理論・説明に方向づけられている者である。「深刻」とは客観的世界の論理に方向づけられている者である。本件における名称が不適切であることに同意する。日常的理解はここで議論されている二分法からあまりにかけ離れている。
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С моей точки зрения — это признак субъективисты–объективисты. Т. е. «веселые» — это те, кто ориентируется на описание, теорию, объяснение. «Серьезные» — ориентированы на логику объективного мира. Согласен, что название в данном случае неудачное. Обыденное понимание слишком далеко от обсуждаемой дихотомии.
つまり、この二分法は、記述や理論に向くか、客観的世界の論理に向くかの区別だということです。レイニンは、陽気と深刻という名前が日常の意味からかけ離れていて、不適切だと認めています。
一方、主観と客観の語はそのまま残しています。この二分法の定義には、倫理についての語が1つも出てきません。定義の語は、どれも論理の側の語です。
小括
レイニンのFiは、人や物に対する「私」の態度、つまり好きか嫌いかの情報です。ESIでは一度できると変わらない態度として、EIIでは他人には見えない感情の濃淡として書かれます。
ここで、主観と客観のねじれを整理しておきます。要素の名前では、FiはSubjective ethics(主観的倫理)です。アウシュラの『入門』の定義(03章)でも、Fiは「主観的関係」でした。この点では、2人は一致しています。
ところが、二分法では、Fiを大事にするガンマとデルタが客観主義者になります。理由は、上で見た定義の語にあります。レイニンは主観主義者と客観主義者を、「主観的論理」「客観的世界の論理」という論理の語だけで定義しています。レイニンの要素名では、主観的論理はTi(白い論理)、客観的論理はTe(黒い論理)です。つまり、この二分法は、そのクアドラが大事にする論理の側で名前を付けているということです。
Fiは、価値になるとき必ずTeと組みます(13章)。そのため、Fiを大事にするクアドラは、Teの側の名前、つまり客観主義者と呼ばれることになります。反対に、Ti(主観的論理)と組むFe(客観的倫理)を大事にするアルファとベータは、主観主義者です。名前の上では、主観的倫理のクアドラが客観主義者に、客観的倫理のクアドラが主観主義者になる、という逆転が起きています。
アウシュラの体系の中でも、筋は通っています。アウシュラは、Tiを「人間自身の関心や欲求を考慮に入れない」客観性で定義していました(13章で引用)。そのうえで、倫理の扱う過程も「劣らず客観的」だと書いていました(03章)。要素の「主観・客観」は情報の性質を言う語で、二分法の「主観主義・客観主義」は大事にする論理の向きを言う語です。
同じ語が別のレベルに付いているため、ねじれて見えます。ですが、どちらの体系の中でも筋は通っていると読めます。レイニン自身は、このねじれについて説明を残していません。
05ストラティエフスカヤの記述
ストラティエフスカヤのFiの記述は、『お別れしないために』にあります。この本は、タイプごとの恋愛と結婚を主題にしています。そのため、Fiは人と人とのあいだの関係のつくり方として、くわしく書かれています。
定義: 人間の間の関係を通じた世界の知覚
ストラティエフスカヤは、Fiを関係の倫理と呼び、次のように定義しています。
人間の間の関係を通じての世界の知覚、外交性、繊細さ、自分の行為に対する責任、寛容、寛大、愛、善意、慈しみ、憐れみ。
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Восприятие мира через отношения между людьми, дипломатичность, деликатность, ответственность за свои поступки, терпимость, снисходительность, любовь, доброта, милосердие, сострадание.
言い換えると、ストラティエフスカヤのFiは、世界を人と人とのあいだの関係を通して知覚することだということです。そのあとに並ぶ外交性、繊細さ、寛容、慈しみなどは、関係の中で表れる性質です。
この定義には、自分の行為に対する責任も入っています。関係の情報を、感じ取るものとしてだけでなく、自分がどう振る舞うかの基準としても書いていることになります。この点は、フィラトワ(06章)の道徳の記述につながります。
ESI: 否定的な傾向を見つけて根絶する
Fiを主導に持つESIについて、ストラティエフスカヤはこう書いています。
ESI〔原文: ドライザー〕のプログラムは、まず第一に存在する否定的倫理傾向を見出し、それらを完全な根絶までと闘うことを自分の課題とする。(中略)最も多くは、ESI〔原文: ドライザー〕の人々との関係は二つの戒律に基づいて構築される: 「自分にして欲しくないことを他人にもするな」と「目には目を、歯には歯を」。つまり、ある人があなたに何も悪いことをしていないなら、あなたはその人に悪く接する権利がない。しかしその人が悪い行為をする能力があると予想するなら、その人を信頼しない権利があり、さらに、他人に警告するのはあなたの義務である。
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Программа Драйзера ставит своей задачей в первую очередь выявить существующие негативные этические тенденции и бороться с ними до полного их искоренения.〔中略〕Чаще всего взаимоотношения с людьми у Драйзера строятся на двух заповедях: "Не делай другим того, чего не желаешь себе" и "Око за око, зуб за зуб". То есть, если человек не сделал тебе ничего плохого, ты не имеешь права к нему плохо относиться, но если ты в нем предполагаешь способность совершить дурной поступок, твое право ему не доверять, и, более того, твоя обязанность — предостеречь других.
上の引用にある「プログラム」は、主導機能のことです。言い換えると、ESIのFiは、人間関係の中の悪い傾向を見つけて、なくすまで闘うことを自分の課題にしているということです。人との関係は、「自分にして欲しくないことを他人にもするな」と「目には目を」の2つの決まりで組まれるとされます。
ここでのFiは、好き嫌いを感じ取るだけの要素ではありません。関係の良し悪しを判定し、悪いものに対処する規則として書かれています。相手が悪い行為をしそうなら、ほかの人に警告するのが義務だとまで書いています。
ESI: 最初の印象で動機を見抜く
同じESIの章で、ストラティエフスカヤは見抜く力をこう書いています。
初めて自分の視野に入った各人物を、ESI〔原文: ドライザー〕はあたかも自分の貫くような「レントゲン的」視線で「解剖する」かのようである。その視線の下では、ほとんど誰も居心地よく感じない。人物の「倫理性」、彼の行動の動機についての最も正確な表象が、ESI〔原文: ドライザー〕にはまさに最初の印象によって形成される。形成された否定的見解において、彼は原則として間違わない。
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Каждого человека, впервые оказавшегося в поле его зрения, Драйзер как бы "препарирует" своим пронизывающим, "рентгеновским" взглядом, под которым мало кто себя чувствует уютно. Самое точное представление об "этичности" человека, о мотивах его поведения складывается у Драйзера именно по первому впечатлению.〔中略〕В сложившемся негативном мнении он, как правило, не ошибается
つまり、ESIは、初めて会った人の倫理性と行動の動機を、最初の印象でほぼ正確につかむということです。とくに否定的な見立ては、ほとんど外れないとされます。
アウシュラのESIも、人どうしの感情を「過誤なく知っている」と書かれていました(03章)。ストラティエフスカヤは、その見立てが見られる側の居心地を悪くするほど鋭いことまで書いています。
EII: 悪い和解は良い諍いに勝る
EIIについて、ストラティエフスカヤはこう書いています。
EII〔原文: ドストエフスキー〕は、彼の理解における最も調和的で最も人道的な、すなわち、ある一個人の他者への抑圧を排し、対立、不和、相互不信を排除した倫理的関係の形を作り出そうと努める。「悪い和解は良い諍いに勝る」—これが彼の倫理的戦略の基本形である。(中略)実のところ、彼の譲歩には合理的な限度がある。そしてパートナーの要求が許容範囲を超えると、EII〔原文: ドストエフスキー〕は感情的な抵抗を示し、自身と幻滅させた相手との間に不可侵の心理的障壁を築き上げる。
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Достоевский стремится создать самую гармоничную, самую гуманную, в его представлении, форму этических отношений, исключающую подавление одной личности другой, исключающую конфликты, раздор, недопонимание, взаимное недоверие. "Худой мир лучше доброй ссоры" — основная форма его этической стратегии.〔中略〕На самом же деле, его уступчивость имеет разумные пределы. И если требования партнера переходят допустимые границы, Достоевский оказывает эмоциональное сопротивление, воздвигая между собой и разочаровавшим его субъектом непроницаемый психологический барьер.
言い換えると、EIIは、対立や不信のない調和した関係をつくろうとし、そのためには自分から譲るということです。ただし譲るのには限度があり、相手がそれを越えると、越えられない心理的な壁を築くとされます。
ESIが悪い傾向と闘うのに対し、EIIは調和を守るために譲り、限度を越えると距離を置くという形で関係を扱います。どちらも、関係の良し悪しを判定している点では同じです。
強制か、肯定的な例か
ESIとEIIの違いを、ストラティエフスカヤは理論編で、2つ目の要素の違いとして説明しています。
一つの場合、人間は力による影響の方法—強制、禁止、制限、罰、つまり「意志的(外向)感覚」のアスペクトの手段で教育される。そしてこの方法はおそらく感覚タイプの倫理的な者—より正確には倫理感覚内向(ESI)(プログラムは内向だ!)が用いるだろう。(中略)この場合、彼に対して肯定的な例の提示という方法で影響が及ぼされる—「教えられたとおりに行動せよ、そうすればあなたはすべて良くなる」。(中略)そしてまさにこの方法は、直観タイプの倫理的な者—倫理直観内向(EII)が好んで用いる。
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в одном случае человека воспитывают методами силового воздействия — принуждением, запретами, ограничениями, наказаниями, т. е. средствами аспекта "волевой (экстравертной) сенсорики". И этим методом скорее всего воспользуется сенсорный этик, точнее — этико-сенсорный интроверт (программа-то интровертная!)〔中略〕В этом случае на него воздействуют методом демонстрации положительных примеров: "поступай так, как тебя учат, и все у тебя будет хорошо".〔中略〕И именно такой метод охотнее всего использует интуитивный этик — этико- интуитивный интроверт.
上の引用にある意志的(外向)感覚はSeのことで、ストラティエフスカヤは同じ箇所で、肯定的な例の提示を外向直観(Ne)のやり方と書いています。言い換えると、同じFiのプログラムを、ESIはSeの強制や罰で、EIIはNeの肯定的な例で実現するということです。
この一節は、Fiそのものの違いではなく、Fiを何で実現するかの違いとしてESIとEIIを分けています。グレンコがESIを「非難」、EIIを「赦し」の倫理で分けるとき(09章)も、同じ違いを別の語で書いていると読めます。
小括
ストラティエフスカヤのFiは、人と人とのあいだの関係を通して世界を知覚することです。ESIでは悪い傾向を見抜いて闘う規則として、EIIでは調和を守るために譲り、限度で壁を築く態度として書かれます。
ストラティエフスカヤは、Fiを関係を感じ取る情報であると同時に、関係の中でどう振る舞うかの基準として書いています。このページの研究者章で、Fiの定義に道徳や責任の語が出てくるのは、この章が最初です。
06フィラトワの記述
フィラトワのFiの記述は、『ソシオニクスの鏡の中の人格』にあります。フィラトワは、ユングの機能を説明する章でFiを内向倫理型として定義し、タイプの章ではESIとEIIの人物像として書いています。
定義: 人間的価値の領域での自分の構え
フィラトワは、内向倫理型を次のように定義しています。
内向的な意識は人間的価値の領域における自分自身の構えに依拠するから、ここで私たちが扱うのは、人々の交わりの領域に属する基準の評価である。彼らにとって第一に来るのは、モラル、道徳性、良心、公正、伝統の遵守といった概念—要するに、人類が何世紀もの歴史の中で練り上げてきた交わりの規則の総体である。内向性はこの人の情動性を内側へ向ける。だから彼は非常に抑制的に振る舞い、内側では文字どおり「煮えたぎって」いるかもしれない感情を、外には表さないことがある。
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Поскольку интровертное сознание опирается на собственную установку в области человеческих ценностей, то здесь мы имеем дело с оценкой критериев, относящихся к сфере общения людей. Для них на первом месте такие понятия, как мораль, нравственность, совесть, справедливость, соблюдение традиций — словом, весь тот набор правил общения, который выработало человечество на протяжении многовековой истории. Интровертность обращает эмоциональность этого человека внутрь, поэтому он может вести себя очень сдержанно, внешне не проявляя тех чувств, которые у него могут буквально «кипеть» внутри.
言い換えると、フィラトワのFiは、人間的価値の領域で、自分の構えに頼って交わりの基準を評価することだということです。そこで第一に来るのは、モラル、良心、公正、伝統の遵守といった、人と人との交わりの規則だとされます。
フィラトワの定義では、Fiの中心が引き寄せと反発より、交わりの規則と道徳の側に置かれています。ストラティエフスカヤ(05章)の「自分の行為に対する責任」を、さらに前に出した書き方です。また、情動を内側へ向けるので外には表さない、という点はユング(02章)と同じです。
ESI: モラリスト
ESIの章で、フィラトワはこう書いています。
ESIは、道徳の規範について、人間同士のコミュニケーションのルールについて、そして彼の見地からすれば人間にふさわしいと言えるのはこれだけだという、ある特定の生き方を送る必要性についての、指導的な理念に導かれている。彼は、人々が互いに対して、また自分に対して抱く関係のニュアンスや、その気分を非常に繊細に感じ取る。ごく幼い頃から、何が良くて何が悪いかを理解しており、自分の倫理の正しさを確信している。(中略)彼はモラリストであり、行動に関する一定の規則と、コミュニケーションにおける道徳的規範が明文化されるべきだと考えている。
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ЭСИ руководствуется ведущей идеей о нормах морали, о правилах человеческого общения, о необходимости вести определенный образ жизни, который, с его точки зрения, лишь и является достойным человека. Он очень тонко чувствует оттенки отношений людей друг к другу, к нему самому, их настроения. С самого раннего возраста он понимает, что хорошо, а что — дурно, уверен в справедливости своей этики〔中略〕Он моралист и находит правильным, чтобы были сформулированы определенные законы поведения и нравственные нормы общения.
つまり、ESIは、道徳の規範とコミュニケーションの規則に導かれ、人どうしの関係の細かな違いを敏感に感じ取るということです。何が良くて何が悪いかを幼いころから分かっていて、行動の規則は明文化されるべきだと考えるとされます。
ここでも、関係を感じ取る力と、関係を規則として整えようとする志向が並んでいます。アウシュラとストラティエフスカヤのESIが悪い関係を見抜いたのと、同じ面を規則の側から書いたものと読めます。
EII: すべての人に良い性質を想定する
EIIの章では、同じFiが次のように書かれています。
EIIにとって人生で最も重要なのは、人類がその存在の歴史を通じて作り上げてきた、関係についての倫理的な規範である。彼は善悪の問題、道徳と不道徳の問題、伝統の保持、モラルの規範の遵守に関心を持つ。彼は、人々が互いに対して、また彼自身に対して抱く関係の、ごくわずかなニュアンスにも非常に敏感である。(中略)この心理タイプの人々の特徴的な性質は、あらゆる人の中に良い、善良な性質を見出し、想定することである。誰かが悪意から行動したのだということを、彼はなかなか信じられないことがある。EIIはむしろ、人々の行いを正当化する傾向にある。
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Для ЭИИ главным в жизни являются те этические нормы отношений, которые человечество выработало на протяжении истории своего существования. Его интересуют вопросы добра и зла, нравственности и безнравственности, сохранение традиций, соблюдение норм морали. Он очень чувствителен к самым незначительным нюансам отношений людей друг к другу и к нему самому.〔中略〕Характерное свойство людей этого психотипа — во всех видеть и предполагать хорошие, добрые свойства натуры. Ему бывает трудно поверить в то, что кто-то поступил по злой воле. ЭИИ склонен скорее оправдать поступки людей.
言い換えると、EIIにとって最も大事なのは関係についての倫理的な規範で、人どうしの関係のわずかなニュアンスにも敏感だということです。そのうえで、EIIは誰の中にも良い性質を見ようとし、人の行いを正当化しやすいとされます。
ESIが悪い傾向を見抜くのに対し、EIIは良い性質を想定する側に立っています。ストラティエフスカヤの「否定的な傾向」と「肯定的な傾向」の対(05章)と、同じ形の分かれ方です。
EII: 外からは冷たく見える
フィラトワは、EIIの感じやすさが外に出ないことも書いています。
EIIは非常に傷つきやすく、感情豊かであるが、この性質は周囲の人々には決して常に気づかれるわけではない。外見上、彼は落ち着いた冷たい人間(内向型)のようにさえ見えることがあるが、これは誤った印象である。というのも、人間同士の関係や、彼自身に関わる、たとえささいな出来事であっても、それは彼の心に深い跡を残し、長く彼の中で反芻され続けるからである。
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ЭИИ очень раним и эмоционален, но это качество отнюдь не всегда заметно окружающим. Внешне он может даже выглядеть спокойным и холодным человеком (интроверт), но это — обманчивое впечатление, поскольку даже мелкое событие, связанное с отношениями между людьми и к нему самому, оставляет в его душе глубокий след и долго им переживается.
上の引用にある「内向型」は、ユングの内向型のことです。つまり、EIIは内側では深く傷つき感情豊かなのに、外からは落ち着いた冷たい人に見えることがあるということです。人どうしの関係の小さな出来事も、長く心の中で反芻されるとされます。
これは、ユングが内向的感情について書いた「冷たく控えめな振る舞いに欺かれて」(02章)と、ほぼ同じ観察です。外から見えないことが、感情がないことと取り違えられる、という点で2人は一致しています。
小括
フィラトワのFiは、人間的価値の領域での自分の構え、つまり交わりの規則と道徳を評価する働きです。ESIはモラリストとして、EIIは誰の中にも良い性質を見る人として書かれ、どちらも感情を外に出しません。
ここで取り上げた研究者の中で、フィラトワはFiの中心を道徳と規範の側に最も強く寄せています。引き寄せと反発という語は前に出ませんが、規範はどれも人と人との関係についての規範として書かれています。
07イェルマークの記述
イェルマークは、情報要素を「情報流のアスペクト」として、日常の言葉の意味から定義し直した研究者です。Fiのアスペクトには関係という名前を付けています。
「彼は悪い人だ」が意味するもの
イェルマークは、関係のアスペクトを、ふだんの言い方から説明しています。
実際、「彼は悪い人だ」と言うなら、それによっておおむね次のことを確認している:彼と話すと、私の感情(エネルギー)状態(気分)が下がる、と。(中略)さらに、図らずも比較していることになる:話すことで自分の状態が上がる人々がいる—そのような人々については、良い、感じの良い、優しい、寛容な、繊細な、礼儀正しい、倫理的または他の人々と言うであろう。(中略)エネルギー状態の関係についての情報を含む情報構成要素(アスペクト)の意味論(意味)は、「関係」という用語で規定できる。
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Действительно, если вы говорите: ”он плохой человек”, то тем самым вы констатируете, примерно, следующее: при общении с ним мое эмоциональное (энергетическое) состояние (настроение) понижается〔中略〕Кроме того, оказывается, вы невольно сравниваете: есть люди, общение с которыми поднимает ваше состояние –о таких людях вы скажете, что это хорошие, симпатичные, добрые, терпимые, деликатные, вежливые, этичные или др. люди,〔中略〕Семантику (смысл) информационной составляющей (аспекта), который содержит информацию о соотношении энергетических состояний можно определить термином “отношение”.
言い換えると、「彼は悪い人だ」という言い方は、彼と話すと自分の気分が下がる、という確認だということです。気分が上がる人を「良い」「優しい」と言い、下がる人を「悪い」と言うとき、人は気分の状態どうしを比べています。その比べた結果の情報を、イェルマークは「関係」と呼んでいます。
この定義では、Fiは2つのエネルギー状態のあいだの関係です。良い人か悪い人かの評価は、相手そのものの性質ではなく、相手と自分の状態の関係として書かれています。アウシュラの「二つの担い手のあいだの主観的関係」(03章)を、日常の語で言い直したものと読めます。
実体の情報と関係の情報
イェルマークは、のちの『情報流のアスペクト辞典』で、倫理のアスペクトをこう書いています。
マクロアスペクト「エネルギー」(「倫理」) — 心と世界との相互作用の情報流の一部であり、世界の物質的(現実の、物理的、他の人々を含む)または仮想的(抽象的、観念的)現実の物理的(エネルギー的)または仮想的(「エネルギー的」、感情的)状態についての実体的および/または関係的情報を担う。
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Макроаспект – ―Энергия» ( «Этика») — часть информационного потока взаимодействия психики с миром, несущая сущностную и/или отношенческую информацию о физических (энергетических) или виртуальных ( «энергетических», эмоциональных) состояниях вещественных (реальных, физических, в том числе других людей) или виртуальных (абстрактных, умозрительных) реалий мира.
上の引用にある「実体的」と「関係的」が、倫理の2つの要素を分ける語です。つまり、エネルギーの状態そのものの情報がFe、状態どうしの関係の情報がFiだということです。辞典では、ほかのアスペクトについても、実体の側と関係の側を同じように分けています。
エグリト(10章)も同じ語で、Feを「実体の側面」、Fiを「関係の側面」と書いています。FeとFiを、同じ状態を実体として見るか関係として見るかで分けるのが、イェルマークとエグリトの書き方です。
発言の中のFi
イェルマークは、人の発言の中からアスペクトを読み取る練習も示しています。
「小集団への志向、近しい者との限られた範囲での静かで親密な交流、悪意を持つ者への非攻撃的な反発—これは正常であり、いまウクライナで起きていることである…」 / 著名なウクライナの社会・政治家 /ここでは、関係をよく理解し、外部環境との悪い関係から自分の防護された円へと逃れ、それによって自分と近しい者を受動的に擁護しようとする傾向が明確に読み取れる—意味的にアスペクト「関係」(「関係の倫理」、▽〔Fi〕、R)と「意志」(「意志的感覚」、●(Se)、F)に非常に近い。
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“Стремление к малым группам, тихое, интимное общение в ограниченном кругу близких по духу людей, неагрессивный отпор недоброжелателям – это нормально, это сейчас и имеет место в Украине...” / известный украинский общественно-политический деятель / здесь ясно просматривается хорошее понимание отношений, стремление избежать, уйти от плохих отношений с внешним окружением в некий защищенный, свой круг и, тем самым, пассивно отстаивать себя и своих близких – очень похоже по смыслу на аспекты “отношения” (“этика отношений”, , R) и “воля” (“волевая сенсорика” ”, , F).
上の引用にある●とFは、Se(意志的感覚)の記号です。言い換えると、この発言には、関係をよく理解し、悪い関係から身内の輪へ退こうとする傾向が読み取れるということです。イェルマークは、この発言をFiとSeに近いと読んでいます。
ここでのFiは、誰とは近く、誰とは距離を置くかという、関係の距離の情報として表れています。Seが加わっているのは、身内を守るという意志の面があるためです。
小括
イェルマークのFiは、エネルギー状態のあいだの関係の情報です。良い人か悪い人かという評価を、相手と自分の気分の関係として説明し、Feの「状態そのもの」と対にしています。
イェルマークは、Fiを評価の語(良い、優しい、悪い、不寛容な)の意味から定義した点で、ほかの研究者と違います。それでも、行き着くのは「関係」の語です。
08カルペンコの記述
カルペンコのFiの記述は、機関誌の論文に分かれてあります。要素の知覚のしかた、静と動の区別、クアドラごとの扱い方の違いを、それぞれ別の論文で書いています。
「どうしたの?」ではなく「なぜ私に?」
カルペンコは、Fiが強い人の知覚を、問いの立て方で書いています。
強いR(▽(Fi))をもつ人々には、他人の感情の直接的な知覚は難しく、必ず対置を立てなければならない: 私と彼、彼ら、私たちの間の関係、彼らの間の関係、というふうに。そして問いは「どうしたの?」ではなく、「なぜあなたは私に(彼に)そういう態度をとるの?」という形で立てられる。
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Для людей с сильной R ( ) непосредственное восприятие эмоций другого человека затруднено, обязательно нужно создать оппозицию: я и он, они, отношения между нами, между ними. И вопрос ставится не "что с тобой?", а "почему ты так ко мне (к нему) относишься?".
カルペンコがRと書いているのは、Fiのことです。Fiが強い人は、相手の感情をそのまま受け取るより、必ず「私と彼」「彼らのあいだ」という関係に置き直して受け取るということです。問いは「どうしたの?」ではなく、「なぜ私にそういう態度をとるのか」という形になるとされます。
この一節は、Fiが感情を関係の形で受け取ることを、はっきり書いています。相手の気分そのものはFeの情報で(13章)、Fiはそれを誰から誰への態度として受け取る、ということです。
関係は静的、感情は動的
カルペンコは、静と動の区別を、倫理の2つの要素でこう説明しています。
感情の倫理Eは動的アスペクトである。感情とは私たちに起きていることであり、絶え間なく変化し、生まれ、消え、ひとつの状態から別の状態へ流れ移る。関係の倫理Rは静的アスペクトである。なぜなら関係とは、何か定着した、できあがった、自分の歴史をもつ、それほど速くは変わらないものだからである。
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Этика эмоций E — это динамический аспект. Эмоции — это то, что с нами происходит, они меняются непрерывно, возникают, исчезают, перетекают из одного состояния в другое. Этика отношений R — это статический аспект. Потому что отношения — это нечто устоявшееся, сложившееся, имеющее свою историю и не так быстро меняющееся.
EはFe、RはFiを指します。カルペンコの言い方では、感情は生まれては消えて流れ移りますが、関係は定着していて自分の歴史をもち、すぐには変わらないということです。カルペンコは、この理由でFeを動的、Fiを静的なアスペクトとしています。
関係が静的だという見方は、アウシュラのESIが評価を死後まで変えないこと(03章)、レイニンのESIが態度を永久に固定したがること(04章)と、同じ方向の観察です。
クアドラごとのFiの扱い
カルペンコは、クアドラごとにFiの次元、つまり判断できる範囲の広さが違うと書いています。ガンマクアドラについては、こうです。
しかし関係の倫理(▽〔Fi〕)に目を向ければ、別の絵が見えてくる。第3クアドラ(ガンマ)はこのアスペクトで真の革新者ぶりを見せることができる。γクアドラには、通例にない、伝統に沿わない関係の形態への寛容と忍耐の精神が君臨している。それでいて、現実の人々とその関係は、厳しい批判と非難にさらされることがある。実のところ、情報アスペクトの多次元性は、個別に取り上げた事実や出来事についてこのアスペクトで言い表しうる判断の、多次元性と多様性を前提とするのである。
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Но если обратиться к этике отношений (), то мы увидим иную картину. Третья квадра мо- жет показать себя подлинным новатором по этому аспекту. В γ-квадре царит дух толерантности и терпимости по отношению к необычным, нетрадиционным формам отношений. При этом реальные люди и их отношения могут подвергаться суровой критике и осуждению. Дело в том, что многомер- ность информационного аспекта предполагает многомерность и многообразие суждений, которые могут быть высказаны по этому аспекту относительно отдельно взятого факта или события.
言い換えると、ガンマクアドラは、通例にない関係の形には寛容なのに、現実の人とその関係には厳しいということです。カルペンコは、これをFiの多次元性、つまり1つの出来事を多くの面から判断できることから説明しています。
デルタクアドラについては、こう書いています。
第4クアドラ(デルタ)では関係の倫理(▽(Fi))の次元数は3に等しい。(中略)だから赦しも、γクアドラよりδクアドラでのほうが得やすい—過ちが抗しがたい条件の、外的または内的な条件の影響下で犯されたのだと説明できさえすれば。たとえば▽(Fi)▲(EII)は、過ちには弁明が見つかりうる(中略)と非常によく言う。同様の状況での▽(Fi)●(ESI)の見解はより断固としている:「人が一度つまずいたのなら—気の毒に思うこともある。だがそれが常態なら—そういう人間は私に何の感情も呼び起こさない。そういう状況で私は容赦しない」
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В четвертой квадре мерность этики отношений () равна трем. 〔中略〕 Поэтому и прощение легче получить в δ- квадре, нежели в γ, если только удастся объяснить, что проступок был совершен под влиянием непреодолимых условий, внешних или внутренних. Так, (ЭИИ) очень часто говорят, что про- ступку может быть найдено оправдание, 〔中略〕 Мнение (ЭСИ) в подобных ситуациях более категорично: «Если человек оступился один раз — мне может быть его жалко, но если это постоянно - у меня эмоций этот человек не вызывает, я в та- ких ситуациях беспощаден»
つまり、デルタクアドラでは、関係の判断が具体的な事情に結びつけられ、赦しが得やすいということです。同じ場面で、ガンマのESIは「それが常態なら容赦しない」と言います。同じFiを大事にするクアドラでも、赦すかどうかの線の引き方が違うことを、カルペンコは2人の言葉で書いています。
関係の理論は脆弱機能から
カルペンコは、Fiを4番の脆弱機能に持つILEについて、こう書いています。
第4機能の特殊性は、特定のタイプの持ち主にとって、このアスペクトについての自分の行為への周囲の側からの評価を無視することが非常に難しいという点だけにあるのではなく、対応する情報を蓄積する必要から人が身を引き離すことができないという点にもある。むろん、この欲求はさまざまに発現するのだが、(LIE)が危険でエクストリームなスポーツ種目へと突き進むのは、(ILE)をソシオニクスへ、(EIE)を造形芸術へ、(IEI)をプログラミングへ、そして(SEI)を経理へと押しやるのと同じ理由によってなのである。(中略)A. アウグスティナヴィチューテのインタータイプ関係理論1もまた、関係の第4機能 – を持つ(ILE)の志向から生まれた。
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Специфика четвертой функции состоит не только в том, что для носителя определенного типа очень трудно игнорировать оценки своих действий по этому аспекту со стороны окружающих, но и в том, что от необходимости накопления соответствующей информации человеку не удается отстраниться. Конечно, потребность эта проявляется по-разному, но (ЛИЭ) устремляется к опасным, экстремальным видам спорта по той же причине, какая толкает (ИЛЭ) в соционику, (ЭИЭ) в изобразительное искусство, (ИЭИ) в программирование, а (СЭИ) в бухгалтерию. […] И теория интертипных отношений А. Аугустинавичюте [1] (все же — отношений, взаимодействий между людьми) тоже возникла из устремления (ИЛЭ) с четвертой функций отношений — .
上の引用にある第4機能は、今のサイトの番号と同じで、脆弱機能のことです。言い換えると、カルペンコは、アウシュラのタイプ間関係の理論は、Fiを脆弱機能に持つILEの志向から生まれたと見ているということです。人は苦手で気になる面について、情報を集めずにいられないとされます。
ソシオニクスの創始者が、自分の苦手な関係の情報を、理論として組み立てたという読みです。タイプどうしの関係の理論そのものが、Fiの扱いにくさから出てきたことになります。
小括
カルペンコのFiは、感情を「私と彼」の関係に置き直して受け取る、静的な情報です。感情は流れ移るが、関係は歴史をもって定着している、という区別でFeと分けています。
クアドラの記述では、ガンマは関係の形に寛容で人には厳しく、デルタは事情を見て赦す、と書き分けています。Fiを大事にするクアドラのあいだでも、関係の判断のしかたは同じではないということです。
09グレンコの記述
グレンコのFiの記述は、『64の肖像』にあります。グレンコは情報要素を文字で書き、FiをR(関係倫理)と呼んでいます。要素は、人の心の状態として、知的・心理的・身体的なレベルごとに書かれています。
倫理を感情と関係に分ける
グレンコは、用語集で倫理をこう定義しています。
倫理は人々の内面的な魂の世界への関与に基づく主観的判断や評価の精神的機能である。ソシオニクスでは一般倫理が、感情・体験・興奮を意味する感情倫理(▼(Fe)感情倫理 E)と、愛着・習慣・傾向を意味する関係倫理(▽(Fi)関係倫理 R)に分けられる。
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Ethics is the mental function of subjective judgment or assessment based on involvement in the inner soul world of people. In socionics, the general ethics is divided into the emotional ethics (E), i.e. feelings, experiences, excitements, and the relations ethics (R) — attachments, habits, and inclination.
上の引用にあるEはFe(感情倫理)、RはFi(関係倫理)です。言い換えると、グレンコは倫理を人の内面への関与にもとづく主観的な判断とし、それを感情・体験・興奮のEと、愛着・習慣・傾向のRに分けているということです。
グレンコの書き方では、FeもFiも主観的です。主観と客観で2つの倫理を分けたレイニン(04章)とは、分け方の軸が違います。グレンコがFiに当てた語は、愛着、習慣、傾向という、時間をかけてできる結びつきの語です。
隠された評価
Rの状態が考えや話し方にどう出るかを、グレンコはこう書いています。
Rの知的・コミュニケーション的アスペクトは、ヴェールに覆われた、隠された評価として現れる。R形式で論じるとき、その人は、ある対象を他の対象より好むことを自分自身に認めることを恐れる。この状態において、論理上は完全に等価な2つの選択肢の間で選択がなされる。R思考にはもう1つの戦略がある。すなわち、自分が本当に望むものの反対を意識的に選ぶことである。したがって、R判断は合理的、すなわち独自の原因を持つ。たとえそれが隠されていても、絶対的に非論理的である。
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R — The intellectual and communicative aspect of R is manifested as veiled, hidden estimates. Arguing in R-form, this person is afraid to admit to himself that he prefers one object to another. In this state, a choice is made between two completely equivalent options in terms of logic. There is another strategy of R-thinking: a conscious choice of the opposite of what we really want. Thus, R-judgments are rational, or they have their own cause, even if it is hidden, but absolutely illogical.
つまり、Rの評価はヴェールに覆われていて、本人もある対象を好むことを認めるのを恐れるということです。理屈の上では同じ2つから選んだり、本当に望むものと反対を選んだりするとされます。
グレンコは、この判断を、原因はあるが論理では説明できないものとして書いています。ユングの「表面に現れにくい」(02章)、レイニンの「言葉にはほとんどならない」(04章)と同じく、Fiの評価は外から見えにくいという観察です。
羅針盤の針
心理的なレベルのRを、グレンコはこう書いています。
心理的に、R状態は誰かや何かへの内的な引き寄せとして、深い愛着として体験される。興味深いことに、この状態は感情的ではない。それには表現はないが、道徳的・倫理的な性質の長期にわたる依存がある。R状態は関係における忠誠の保証である。それは羅針盤の針のようなもので、その本体を回そうとするどのような試みにおいても、その固有の北の方向に戻る。Rのおかげで、私たちは人々、場所、時を、自分のもの・身近なものとして、あるいは見知らぬもの・外来のものとして知覚する。
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Psychologically, the state of Ris experienced as an inner attraction to someone or something as a deep affection. It is interesting that this condition is not emotional. There is no expression in it, but there is a long- term dependence of the moral and ethical nature. The state of R is a guarantee of loyalty in a relationship. It is like the arrow of a compass, which, in any attempt to turn its body, returns to its native northern direction. Thanks to R, we perceive people, places and times as our own, native or as strangers, alien.
言い換えると、Rは、誰かや何かへの内的な引き寄せで、感情的な興奮のない、長く続く愛着だということです。グレンコは、それを、本体の向きを変えようとしても北に戻る羅針盤の針にたとえています。
この記述では、Fiは関係の中の忠誠を支えるものです。人や場所や時を、自分のものと見知らぬものに分けて知覚するのもRだとされます。自分の側か、外の側かという距離の分け方が、ここでFiの働きとして書かれています。
赦しの倫理と非難の倫理
グレンコは、同じRを主導に持つ2つのタイプを、符号で分けています。
- +R(Fi) ― 赦しの倫理: 人々を信頼し、赦し、悲しみ、慰め、よく扱うこと。そのような倫理は人道家にある。
- -R(Fi) ― 非難の倫理: 距離を保ち、信頼せず、悪を非難し、機嫌を損ねること。守護者のように。
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R — ethics of forgiveness: trusting people, forgiving them, grieving,+ .comforting, treating well. Such an ethics is in the Humanist R — ethics of condemnation: to keep a distance, not to trust, to— .condemn evil, to take offense. Like the Guardian
上の引用にある人道家はEII、守護者はESIの、グレンコの呼び名です。言い換えると、EIIのRは信頼して赦す倫理、ESIのRは距離を保って悪を非難する倫理だということです。
ストラティエフスカヤ(05章)が、ESIは否定的な傾向を見つけて根絶し、EIIは肯定的な例で人を動かすと書いたのと、同じ分かれ方です。同じFiでも、関係のどちらの面に向くかで、2つのタイプが分かれるということです。
小括
グレンコのFiは、愛着、習慣、傾向からなる関係倫理です。評価は隠されていて論理では説明できず、羅針盤の針のように長く同じ向きを保ちます。
グレンコは、Fiを時間をかけてできる結びつきの語で書いています。カルペンコの「関係は静的」(08章)と同じ方向で、Fiを一時の感情から分けています。
10その他の論者の記述
最後に、ほかの2人の研究者の記述を短く見ます。ブカロフとカルペンコは人類の進化を論じた論文でESIのFiを「正義」のモジュールとして書き、エグリトはFiの定義とESIの自己報告を載せています。
ブカロフ: 「正義」のモジュール
ブカロフとカルペンコは、人の心の16のモジュールを16のタイプに対応させ、その1つをこう書いています。
正義:権利、義務、それらの違反の感覚、怒りと復讐の感情を含む。モジュールは、行動の正しさ・誤りを評価する(つまり道徳的評価)倫理的多次元機能と、違反に対する厳しい感覚的処罰の可能性との組み合わせに結びついている。倫理感覚内向(ESI、▽〔Fi〕●(Se))に対応する。このタイプの代表者はしばしば、社会における行動の「道徳規範」の創造者・守護者、不道徳な行動の批判者、厳しい道徳家として登場する。
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Справедливость: чувство права, обязанности и их нарушения, включая эмоции ярости и мести. Модуль связан с этической многомерной функцией оценки правильностинеправильности поведения (то есть нравственной оценки) в сочетании с возможным жестким сенсорным наказанием за нарушения. Соответствует этико-сенсорному интроверту (ЭСИ, ). Представители этого типа нередко выступают как суровые моралисты, критики безнравственного поведения, создатели и хранители «морального кодекса» поведения в социуме.
ここでいう倫理的多次元機能は、ESIの主導機能のFiのことです。言い換えると、ブカロフたちは、行動の正しさと誤りを評価する倫理と、違反への厳しい処罰の組み合わせをESIに対応させているということです。ESIはしばしば道徳規範の守護者として現れるとされます。
ストラティエフスカヤ(05章)とフィラトワ(06章)のESIと同じく、ここでも関係の評価が規範の側で書かれています。
エグリト: 状態どうしの相関
エグリトは、FiとFeの違いを次のように書いています。
つまり、黒い倫理の実体の側面とはエネルギー状態についての情報であり、白い倫理の関係の側面とはエネルギー状態どうしの相関についての情報である。当然ながら、関係(白い倫理)を観察する(表す)とき、人は同時に感情、つまりエネルギー状態(黒い倫理)も観察している(表している)。
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Так, сущностный аспект ЧЭ — это информация об энергетическом состоянии, а отношенческий аспект БЭ — информация о соотношении энергетических состояний. Естественно, что, наблюдая (проявляя) отношения (БЭ), человек одновременно наблюдает (проявляет) и эмоции, или энергетическое состояние (ЧЭ).
白い倫理はFi、黒い倫理はFeを指します。つまり、Feはエネルギー状態そのものの情報、Fiはエネルギー状態どうしの相関の情報だということです。関係を観察するとき、人は同時に感情も観察しているとされます。
これは、イェルマーク(07章)の「実体的」「関係的」と同じ区別です。Fiは、感情と切り離されたものではなく、感情どうしを比べたときに見えるものとして書かれています。
エグリト: 悪い関係はすぐ見える
エグリトは、モデルAの機能の符号を調べた論文で、ESIの自己報告を載せています。
ついでに、もう一つ。私は悪い関係をとてもよく感じ取る。自分に向けられたものでも、人と人とのあいだのものでも。すぐに見えるし、決して間違えない。ところが、良い関係のほうはかなり見当がつかない…。おととい、ボーイフレンドが私の女友達を自分の友人に引き合わせようとした。私はひと晩じゅうその2人を観察していたが、彼女が本気で彼に気に入られたのかどうか、とうとう分からなかった。悪い関係のしるしはなかった。けれども、良い関係がどの程度なのかは見積もれなかった。
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Кстати, вот еще один момент: я очень хорошо чувствую плохое отношение — к себе или между людьми. Вижу сразу и никогда не ошибаюсь. А вот в хороших отношениях ориентируюсь довольно плохо... Позавчера мой бойфренд сватал мою подружку своему другу. Я весь вечер наблюдала за этой парочкой, но так и не поняла, понравилась она ему всерьез или нет. Признаков плохого отношения не было, но вот оценить степень хорошего отношения я не сумела.
つまり、このESIは、悪い関係はすぐに間違えずに見えるのに、良い関係の程度は見積もれないと書いています。友人どうしを引き合わせた夜、悪い関係のしるしがないことは分かっても、どれほど好かれたかは分からなかったということです。
ユングの内向的感情が否定の側から気づかれること(02章)、アウシュラのESIが悪人を死後まで悪人とすること(03章)と、同じ偏りを本人が言葉にした記録と読めます。グレンコの「非難の倫理」(09章)とも重なります。
小括
ブカロフは、ESIのFiを、正しさと誤りを評価し、違反を罰する「正義」の役割として書いています。エグリトは、Fiをエネルギー状態どうしの相関と定義し、ESIの自己報告から、悪い関係が先に見える偏りを示しています。
11研究者間で残る中核と食い違い
この章は、02〜10章の研究者別の記述を、当サイトの責任で突き合わせます。新しい引用は置かず、研究者を横断して残る中心・差の所在・差の由来の仮説の順に進み、最後に誰が何と言ったかを名指しで並べます。
研究者を横断して残る中心
第一に、Fiは対象と対象のあいだの関係、つまり引き寄せ合うか退け合うかの情報だということです。ユング(受け入れるか退けるか)・アウシュラ(引力と反発)・レイニン(好みと嫌悪)・ストラティエフスカヤ(人間の間の関係)がその例です。イェルマーク(状態の関係)・カルペンコ(私と彼の関係)・グレンコ(引き寄せと拒絶)・エグリト(状態どうしの相関)も、語を変えて同じことを書いています。
この点では、研究者のあいだに食い違いがありません。呼び名は白い倫理、関係の倫理、関係倫理、関係と分かれますが、行き着く先はいつも関係です。
第二に、Fiの評価は外から見えにくいことです。ユング(表面に現れにくい)、レイニン(言葉にほとんどならない)、フィラトワ(外からは冷たく見える)、グレンコ(隠された評価)がその例です。内側では強く感じられているのに、外には出ないという書き方が、研究者をまたいで続いています。
第三に、一度できた関係の評価は長く変わらないことです。アウシュラのESI(死後でさえ悪人)・レイニンのESI(永久に固定したい)・カルペンコ(関係は静的で歴史をもつ)・グレンコ(羅針盤の針と長く続く愛着)が、これを書いています。
第四に、否定の側が先に見えることです。ユング(否定的な現れ方)、アウシュラとストラティエフスカヤのESI(悪い関係を間違えずに見抜く)、エグリトが載せたESIの自己報告(悪い関係はすぐ見える)がその例です。ただし、EIIの記述はむしろ良い性質を想定する側に立っていて、これはESIに寄った観察と言えます。
差の所在
差は、大きく3つあります。第一に、関係の当事者に「私」が入るかです。ユングは自我と内容のあいだ、レイニンは「人々に対する私の態度」と、自分から相手への関係として書きます。一方、アウシュラとストラティエフスカヤは、人と人とのあいだの関係、つまり他人どうしの関係までFiに入れています。
第二に、道徳と規範まで含めるかです。フィラトワはFiの中心にモラル、良心、交わりの規則を置き、ストラティエフスカヤは自分の行為への責任を定義に入れました。ブカロフは、ESIを「正義」に対応させています。一方、アウシュラ、イェルマーク、カルペンコの定義には、道徳の語は出てきません。
第三に、主観と客観の呼び方です。アウシュラとレイニンは、Fiを要素として主観の側に置きます。ですが、レイニンの二分法では、Fiを大事にするクアドラが客観主義者になります(04章)。グレンコは倫理全体を主観的な判断とし、アウシュラは倫理の扱う過程を「劣らず客観的」としました。同じ語が、研究者ごとに別のレベルに付いています。
また、記述の焦点にも差があります。アウシュラとストラティエフスカヤは関係の網と人物像、フィラトワは道徳、イェルマークとエグリトは言葉と状態の比較に焦点を置いています。カルペンコはクアドラの比較、グレンコは心の状態と愛着に焦点を置いています。
差の由来についての仮説
当サイトの推測として、差の由来は2つ考えられます。第一に、どちらのタイプを主に観測したかです。Fiを主導に持つのはESIとEIIです。ESIを中心に書くと、悪い関係を見抜く力、規則、正義が前に出ます。EIIを中心に書くと、調和、譲歩、良い性質の想定が前に出ます。道徳と規範の語は、ESIの記述から定義の側へ入ってきたと考えられます。
第二に、語そのものの意味です。ロシア語で「倫理」と訳される語は、道徳や行為の規範の意味でも使われます。研究者がFiを「関係の倫理」と呼ぶとき、関係の情報という意味と、道徳の規範という意味が、同じ語の中に重なっているとも考えられます。フィラトワの定義は、その道徳の側を強く取った書き方と読めます。
誰が何と言ったか
- ユングは、感情を自我と内容のあいだで受け入れるか退けるかを決める過程と定義し、内向的感情はその基準を主体の側に置くとしました。外には否定的な形で見え、冷たく見えても深さへ向かいます。
- アウシュラは、Fiを2つの担い手のあいだの主観的関係、引力と反発と定義しました。ESIは人々のあいだの感情の向きを間違えずに知り、EIIは望ましい関係を築くとし、倫理の扱う過程は論理に劣らず客観的だとしました。
- レイニンは、Fiを人々に対する私の態度、好みと嫌悪と定義し、要素名をSubjective ethicsとしました。一方、二分法では、Fiを大事にするガンマとデルタを客観主義者と呼んでいます。
- ストラティエフスカヤは、Fiを人間の間の関係を通じた世界の知覚と定義しました。ESIは悪い傾向を見つけて闘い、EIIは調和のために譲るとし、同じFiをSeの強制とNeの肯定的な例で実現し分けると書いています。
- フィラトワは、Fiを人間的価値の領域での自分の構えと定義し、モラルと交わりの規則を中心に置きました。ESIはモラリスト、EIIは誰にでも良い性質を見る人で、どちらも感情を外に出しません。
- イェルマークは、Fiのアスペクトを「関係」と名づけ、エネルギー状態の関係の情報と定義しました。「彼は悪い人だ」を、話すと自分の気分が下がるという確認として説明しています。
- カルペンコは、Fiが強い人は感情を「私と彼」の関係に置き直して受け取ると書き、関係を静的なアスペクトとしました。クアドラごとの関係の判断の違いも書いています。
- グレンコは、Fiを愛着・習慣・傾向の関係倫理Rとし、隠された評価、羅針盤の針、赦しと非難の符号で書きました。
- ブカロフはESIのFiを「正義」のモジュールとして、エグリトはFiをエネルギー状態どうしの相関として書いています。
12MBTIにおけるFi
この章では、MBTIの側のFiを見ます。MBTIにも、ユングの内向的感情から出た内向的感情(Fi)があります。引用するのは、MBTIをつくったマイヤーズの『Gifts Differing』(1980年)と、その後に出た『MBTI Manual』第3版(1998年)です。あわせて、The Myers & Briggs Foundation の公式サイトからも1本引きます。
読むときの注意を1つだけ置きます。MBTIのFiは心理機能、つまり人がどう判断するかの働きとして書かれます。一方、ソシオニクスのFiは情報要素、つまり受け取られる情報の種類として書かれます。当サイトは、2つが同じユングの8分割から出ていることから、1つずつ対応する8つとして扱っています。ただし、タイプの記述は体系をまたいで読み替えません。この章では、11章で確かめた中核の語「関係」が、MBTIの側でどこまで重なり、どこで分かれるかを見ます。
感情は価値で判断する
マイヤーズは、思考と感情の違いをこう書いています。
一つは思考を用いる仕方であり、これは非個人的な発見を目指す論理的過程によるものである。もう一つは感情による仕方であり、これは評価によるもの—すなわち、物事に個人的で主観的な価値を与えることによる方法であり、独自の流儀で等しく合理的である。(中略)その考えが喜ばしいかどうか、あるいは既に大切にしている考えを支えるか脅かすかを最初に意識する読者は、感情判断を用いている。
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One way is by the use of thinking, that is, by a logical process, aimed at an impersonal finding. The other is by feeling, that is, by appreciation—equally reasonable in its fashion—bestowing on things a personal, subjective value.〔中略〕A reader who is conscious first that the ideas are pleasing or displeasing, supporting or threatening ideas already prized, is using feeling judgment.
言い換えると、マイヤーズの感情は、物事に個人的で主観的な価値を与えて判断する働きだということです。その考えが好ましいか、すでに大事にしている考えを支えるか脅かすかを先に意識する読者は、感情で判断しているとされます。
『MBTI Manual』は、感情をもう少し細かく定義しています。
感情は、問題の相対的な価値と長所を比べ量ることによって決定に至る機能である。感情は個人の価値と集団の価値の理解に頼るので、思考より主観的である。それでも、「感情は思考と同じく合理機能である。価値一般は理性の法則に従って与えられるからである」(ユング、1921/1971、p.435)。価値は主観的で個人的なものなので、感情の機能で判断する人は、自分の価値と感情だけでなく、他者の価値と感情にも同調しやすい。
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Feeling is the function by which one comes to decisions by weighing relative values and merits of the issues. Feeling relies on an understanding of personal values and group values; thus it is more subjective than Thinking. Nevertheless, "Feeling, like thinking, is a rational function, since values in general are assigned according to the laws of reason" (Jung, 1921/1971, p. 435). Because values are subjective and personal, persons making judgments with the Feeling function are more likely to be attuned to the values and feelings of others as well as to their own values and feelings.
上の引用の要点は、感情が価値と長所を比べ量って決める、合理的な機能だということです。価値は主観的で個人的なものなので、感情で判断する人は、他人の価値と感情にも同調しやすいとされます。
ここでの感情は、外向と内向を分ける前の一般の定義です。ユングの「受け入れるか退けるか」(02章)と同じく、中心にあるのは価値づけで、情動ではありません。
Fiを主機能・補助機能に持つタイプ
MBTIでは、4文字のどのタイプがFiを使うかが、文字の決まりから出てきます。The Myers & Briggs Foundation の公式サイトは、8つの主機能の一覧の中で、Fiをこう説明しています。
内向的感情(Fi)ISFP/INFP: 行動と考えが、個人の価値と調和していることを求める。その価値をいつも言葉にするとは限らない。共感的で、敏感で、理想主義的。キーワード: 価値づけ。
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**Introverted Feeling** (Fi) ISFP/INFP: Seeks harmony of action and thoughts with personal values. May not always articulate those values. Empathetic, sensitive, and idealistic. Keyword: Valuing.
つまり、主機能がFiのタイプはISFPとINFPで、その中心は行動と考えが個人の価値と調和していることだということです。キーワードは「価値づけ」とされています。
『MBTI Manual』は、この2つのタイプの呼び方を、次のように決めています。
主機能とその態度を共有するのは2つのタイプだけである。たとえば、ISFPとINFPは、主機能が内向的感情のタイプと呼ばれる。一方、同じ態度と機能への選好を共有するタイプは4つある。たとえば、ISFP、ISFJ、INFP、INFJは内向と感情への選好を共有している。私たちは、この4つのタイプを、内向と感情を選好するタイプと呼ぶ。
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Only two types share the same dominant function and attitude. For example, ISFP and INFP are referred to as the dominant introverted Feeling types. However, four types share a preference for the same attitude and function. For example, ISFP, ISFJ, INFP, and INFJ share a preference for Introversion and Feeling; we refer to these four types as having a preference for Introversion with Feeling.
言い換えると、ISFPとINFPだけが、主機能が内向的感情のタイプだということです。内向と感情を好む4つのタイプ(ISFP・ISFJ・INFP・INFJ)とは、呼び方で区別されています。
一方、ESFPとENFPは、『MBTI Manual』で「内向的感情を伴う外向的感覚」「内向的感情を伴う外向的直観」と書かれ、内向的感情が補助機能になります。この4つのタイプを、当サイトの対応で並べると次のようになります。対応は、1番目と2番目の機能が同じもの同士です。
| MBTI | Fiの位置 | ソシオニクス | Fiの位置 |
|---|---|---|---|
| ISFP | 主機能 | ESI(ISFj) | 主導機能 |
| INFP | 主機能 | EII(INFj) | 主導機能 |
| ESFP | 補助機能 | SEE(ESFp) | 創造機能 |
| ENFP | 補助機能 | IEE(ENFp) | 創造機能 |
MBTIで主機能のFiはモデルAの主導機能に、補助機能のFiは創造機能に対応します。内向の2つのタイプは、ソシオニクスの4文字では末尾がjになります。2つの体系で末尾の文字が表すものが違うためで、MBTIとソシオニクスの対応で詳しく扱っています。
内向的感情: 受け入れるか退けるか
マイヤーズは、内向的感情の特徴を、外向的感情と並べた図にまとめています。
主として主観的要因によって決定され、人生の様々な側面の感情的受容または拒絶への指針として奉仕する。(中略)受容できないものを排除または無視する単純な過程によって、客観的状況を個人に適応させる。(中略)抽象的感情—愛、愛国心、宗教、忠誠といった理想—に依存し、広範というよりは深く情熱的である。
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Is determined chiefly by the subjective factor and serves as a guide to the emotional acceptance or rejection of various aspects of life.〔中略〕Adapts the objective situation to the individual by the simple process of excluding or ignoring the unacceptable.〔中略〕Depends upon abstract feeling— ideals such as love, patriotism, religion, and loyalty, and is deep and passionate rather than extensive.
上の引用は、図の内向的感情の欄から3つの項目を引いたものです。言い換えると、マイヤーズの内向的感情は、主観的な要因で決まり、人生のさまざまな面を受け入れるか退けるかの指針になるということです。受け入れられないものは、排除したり無視したりするとされます。
これは、ユングの定義(02章)をほぼそのまま引き継いだ記述です。「受け入れるか退けるか」の語は、アウシュラの「引力と反発」と重なります。一方、マイヤーズは、その感情が愛、愛国心、宗教、忠誠といった抽象的な理想に向くと書いています。
内向的感情型: 温かさを内側に着る
マイヤーズは、主機能が内向的感情のタイプを、こう書いています。
内向的感情型は、豊かな温かさと熱意を持つが、誰かをよく知るまではそれを見せないかもしれない。毛皮の裏地のコートのように、温かい側を内側に着る。感情への依存は、彼らを個人的価値によってすべてを判断する方向に導く。何が自分にとって最も重要か知っており、それを何としてでも守る。感情が内向しているため、彼らは主として好まれる知覚的過程—感覚か直観—で外的生活を送る。これは彼らを開かれた心、柔軟、適応的にする—自分が最も深く価値とすることの一つが危険にさらされているように見えるまで、そのとき彼らは適応することをやめる。
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Introverted feeling types have a wealth of warmth and enthusiasm, but they may not show it until they know someone well. They wear their warm side inside, like a fur-lined coat. Reliance on feeling leads them to judge everything by personal values; they know what is most important to them, and they protect it at all costs. As their feeling is introverted, they conduct their outer lives mainly with their preferred perceptive process, either sensing or intuition. This makes them open-minded, flexible, and adaptable—until one of the things they value most deeply seems in danger: Then they stop adapting.
内向的感情型は、温かさを内側に持ち、自分にとって最も大事なものを何としてでも守るとされています。外の生活は知覚の機能で柔軟に運びますが、最も深く大事にしているものが危うくなると、順応をやめると書かれています。
『MBTI Manual』は、INFPについて、その順応をやめるときをこう書いています。
INFPは、構造や規則を窮屈に感じ、自律して働くことを好む。何かが内なる価値を侵すまでは、順応的で柔軟である。侵されると、順応するのをやめる。そのとき出てくる価値判断の表現は、周りが驚くほどの強さを帯びることがある。INFPは、最も深く抱いている価値と感情を人に打ち明けることについては控えめで、相手を選ぶ。深さ、本物であること、真のつながり、互いの成長に基づく関係を大事にする。INFPが最も大事にするのは、自分の価値と目標を時間をかけて理解してくれる人である。
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INFPs find structures and rules confining and prefer to work autonomously. They are adaptable and flexible until something violates their inner values. Then they stop adapting. The resulting expression of value judgments can emerge with an intensity that is surprising to others. INFPs tend to be reserved and selective about sharing their most deeply held values and feelings. They value relationships based on depth, authenticity, true connection, and mutual growth. INFPs prize most those who take time to understand their values and goals.
つまり、INFPは、内なる価値が侵されるまでは柔軟で、侵されると周りが驚くほどの強さで価値判断を表すということです。最も深い価値は、相手を選んでしか打ち明けないとされます。
外からは見えにくく、内側では強く守られている、という点は、11章の第二(外から見えにくい)とよく重なります。順応の線を越えると強く出るという書き方は、ストラティエフスカヤのEIIが「限度を越えると壁を築く」(05章)のと同じ形です。
補助機能のFi: ESFPとENFP
補助機能に内向的感情を持つESFPを、『MBTI Manual』はこう書いています。
ESFPは、個人の価値を使って決める。感情による判断を内側で使い、他者に自分を重ね、共感することによって決める。人とのやりとりが得意で、しばしば調停役を務める。
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ESFPs make decisions by using their personal values. They use their Feeling judgment internally to make decisions by identifying and empathizing with others. They are good at interpersonal interactions and often play the role of peacemaker.
ESFPは、個人の価値を使い、相手に自分を重ねて共感することで決めるということです。人とのやりとりが得意で、調停役になることが多いとされます。ENFPについては、次のように書いています。
ENFPは調和と善意を大事にする。他者を喜ばせることを好み、できるかぎり他者の必要と望みに合わせる。ENFPは主に感情を内側で使い、他者に自分を重ね、共感することを通じて個人の価値を当てはめて決める。
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ENFPs value harmony and goodwill. They like to please others and will adapt to others' needs and wishes when possible. ENFPs primarily use Feeling internally, making decisions by applying personal values through identification and empathy with others.
ENFPも、感情を内側で使い、相手への同一化と共感を通じて個人の価値を当てはめるとされています。調和と善意を大事にし、できるかぎり相手に合わせると書かれています。
補助機能のFiは、主機能の知覚(SeかNe)で外の生活を運びながら、決めるときには内側の価値を使う、という形で書かれています。ソシオニクスのSEEとIEEの記述は、これとはかなり違います。15章で、SEEが兵士に態度を表明する場面と、IEEが相手ごとに「合鍵」を選ぶ場面を見ます。
主機能のFiと、感情一般の区別
『MBTI Manual』は、理論の課題として、主機能のFiについてこう書いています。
たとえば、主機能の内向的感情の特徴は、すべての感情型に共通する感情の側面とは異なり、別個のものである。こうした違いをはっきり述べた著者は少ない(例外はMyers & Kirby, 1994)。これはタイプ論の中で、今後の展開に開かれた領域の1つである。それでも現時点では、理論はこうした違いが実在し、観察できると仮定している。
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The characteristics of dominant introverted Feeling, for example, are different and separate from those facets of Feeling that are shared among all Feeling types. Few authors have spelled out such differences explicitly (an exception is Myers & Kirby, 1994). This is one area of type theory that is open for future development. Nevertheless, at present the theory presumes that such differences are real and can be observed.
言い換えると、主機能の内向的感情には、感情型すべてに共通する面とは別の特徴があると、理論は仮定しているということです。ただし、その違いをはっきり書いた著者は少ないとされます。
ソシオニクスの研究者は、FiとFeを最初から別の要素として定義しています(13章)。MBTIでは、判断の種類としての感情と、その向きとしての内向が、まず分けて書かれます。そのため、内向的感情に固有の特徴は、今後の課題として残っていると読めます。
重なるところと分かれるところ
重なるところは3つです。第一に、受け入れるか退けるかで判断することです。マイヤーズの図も、ユングの定義も、アウシュラとレイニンの定義も、Fiの中心に好きか嫌いかの判断を置いています。
第二に、外からは見えにくく、内側で強く守られること、第三に、大事な人と価値に忠実で、限度を越えると強く出ることです。どちらも、11章で研究者を横断して残った記述と同じ形です。
一方、分かれるところは2つあります。第一に、何と何の関係を見るかです。MBTIのFiは、本人の行動と考えが、本人の価値と調和しているかを見ます。Foundation の説明も、主に自分の内側の一致を書いています。
ソシオニクスのFiは、対象と対象のあいだ、人と人とのあいだの関係を見ます。アウシュラのESIが感じ取っていたのは、人々のあいだの倫理的な関係、つまり外の人どうしの関係でした(03章)。自分の内側の一致とは、見ている範囲が違います。
第二に、記述の向きです。MBTIは、価値を守る人の働きとして書き、ソシオニクスは、引き寄せと反発という情報として書きます。マイヤーズの「最も重要なものを何としてでも守る」は人の側の動機の記述で、アウシュラの「二つの担い手のあいだの主観的関係」は対象の側の記述です。
小括
MBTIのFiも、中心は受け入れるか退けるかの価値づけです。主観的な要因で決まり、外からは見えにくく、大事なものを守るときには強く出ます。ここまでは、ソシオニクスの研究者の記述とよく重なります。当サイトが2つの体系の機能を1つずつ対応させているのも、この重なりによります。
一方で、MBTIは自分の価値との一致を、ソシオニクスは対象どうしの関係を中心に置いています。重なるのは価値づけの形で、分かれるのは関係の範囲だということです。
13Te・Fe・Tiとの違い
この章では、Fiを、隣にある3つの要素—Fe(外向倫理)、Ti(内向論理)、Te(外向論理)—と比べます。FeとTiはFiと性質を1つずつ共有し、Teは側面も向きも反対です。この3つとの違いで、Fiの輪郭が決まります。
モデルAの公理では、Fiの隣の要素は次の3つです。
- Feは、Fiと同じ倫理で、向きが外向に変わったものです。
- Tiは、Fiと同じ内向で、側面が論理に変わったものです。
- Teは、側面も向きもFiと反対の要素です。
Fiを1番の主導機能に持つタイプでは、Tiが3番の規範機能、Teが5番の暗示機能、Feが7番の観察機能に入ります。つまり、3つとも、Fiがどこにあるかで置き場所が決まる要素だということです。
Fe: 同じ倫理、関係と感情
まず、同じ倫理のFeです。ユングは、外向的感情を、内向的感情と反対の向きのものとしてこう書いています。
具体的な対象の質からある程度独立しているように見えるときでさえ、それはなお、何らかの伝統的な、あるいは一般に通用する標準の支配下にある。たとえば私は、ある対象を「美しい」とか「よい」とか呼ばざるをえないと感じることがある。それは、自分の主観的な感情からその対象を「美しい」「よい」と思うからではなく、そう言うのがふさわしく、角が立たないからである。そして、そう言うのは確かにふさわしい。反対の意見を言えば、その場の感情の状況全体を乱すことになるからである。このような感情判断は、けっして偽装でも嘘でもない。ただの順応の行為である。
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Even where it seems to show a certain independence of the quality of the concrete object, it is none the less under the spell of traditional or generally valid standards of some sort may feel constrained, for instance, to use the predicate 'beautiful' or 'good', not because find the object 'beautiful' or 'good' from my own subjective feeling, but because it is fitting and politic so to do ; and fitting it certainly is, inasmuch as a contrary opinion would disturb the general feeling situation. A feeling-judgment such as this is in no way a simulation or a lie it is merely an act of accommodation.
言い換えると、外向的感情は、自分の主観的な感情ではなく、その場の標準に合わせて「美しい」「よい」と判断するということです。ユングは、これを偽装でも嘘でもない「順応の行為」と書いています。
内向的感情が良心の基準を主体の側に置いていた(02章)のと比べると、Feの基準はその場と世の中の標準、Fiの基準は主体の側にあるということです。
レイニンは、2つの倫理を、主観的と客観的の名前で並べています。
▼〔Fe〕 黒い倫理。それは外的な関係、他の人々との関係および彼らの私への態度。それは他の人々の感情である。
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Objective ethics. It is the external relationship, the relationships between other people and their attitude towards me. It is the emotions of other people.
黒い倫理は、レイニンの呼ぶFeです。レイニンのFeは、外の関係と、相手から私への態度、つまり他の人々の感情の情報だということです。白い倫理(Fi)が「人々に対する私の態度」だった(04章)のと、向きが逆になっています。
ストラティエフスカヤは、FeとFiのどちらが先に来るかを、クアドラの違いとして書いています。
たとえば、第一クアドラ(アルファ)の代表者には、良好な関係の利益のために、何らかの絶え間ない譲歩をパートナーにし、何かを絶えず犠牲にすることがどうしてできるのか理解できない。「いったいどんな『良い関係』だ?! まあ、せめて何らかの強い感情(▼(Fe) Fe)があるならまだしも、ただの—関係(▽(Fi) Fi)じゃないか! 関係—それが自己目的なのか?!」しかしまさに本質はここにある、第三クアドラにとって強い感情—それは良い関係の結果なのである(関係が一次、感情は二次)。一方、第一クアドラでは逆である:良い関係—それは強い感情の結果である(感情が一次、関係は二次)。
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Например, представителю первой квадры непонятно, как можно в интересах добрых отношений делать какие-то постоянные уступки партнеру и чем-то постоянно жертвовать. "Что же это за "хорошие отношения" такие? ! Ладно, были бы какие-то сильные чувства (ЧЭ), а то ведь всего-навсего — отношения! (БЭ) Разве отношения — самоцель?!" Но в том-то и суть, что для третьей квадры сильные чувства — это следствие хороших отношений (отношения первичны, чувства — вторичны), а в первой квадре — наоборот: хорошие отношения — это следствие сильных чувств. (Чувства первичны, отношения — вторичны.)
上の引用にある第一クアドラはアルファ、第三クアドラはガンマのことです。つまり、Feを大事にするアルファでは強い感情が先で良い関係はその結果、Fiを大事にするガンマでは良い関係が先で強い感情はその結果だということです。アルファの人から見ると、ただの関係のために譲り続けるのは理解できない、とされます。
アウシュラは、2つの倫理の違いを、夜中の電話という場面で書いています。
T▼(Fe)△(Ni)と対立する情報代謝タイプ — T▼(Fe)△(Ni)、倫理直観外向(EIE〔原文: ハムレット〕)もまた人々に共感し、助けようとする。しかし、観察が示すように、EIE〔原文: ハムレット〕には共感を求めて夜中でも電話をしてよいが、EII〔原文: ドストエフスキー〕には、いけない。(中略)EIE〔原文: ハムレット〕は言葉では「ええ、起こされました」と言うが、その言葉を打ち消す口調で言う。
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Противоположный ТЫ тии ИМ — ТМА, ЭТИКО-ИНТУИТИВНЫЙ ЭКСТРАТИМ (ГАМ- ЛЕТ) тоже сочувствует людям и старается им по- мочь. Но, как показывают наблюдения, к ГАМЛЕ- ТУ в поиске сочувствия можно позвонить и ночью. ДОСТОЕВСКОМУ — нет.〔中略〕ГАМЛЕТ словами говорит: «Да, раз- будил», но говорит он тоном, опровергающим ска- занное.
上の引用で倫理直観外向タイプと書かれているのが、EIEです。言い換えると、共感を求めて夜中に電話してよいのは、Feを主導に持つEIEで、Fiを主導に持つEIIではないということです。アウシュラはこのあと、EIIは「いえ、何でもありません」と答えると続けています。その口調があまりに無関心なので、電話をかけた人は自分の無作法を悟るとされます。
この場面では、Feは今の気分に応じて受け入れ、Fiは関係の距離と礼儀を守る、という違いが出ています。同じ「共感する」倫理でも、応じ方が違うということです。
ブカロフたちは、夫婦の統計から、この2つの違いをこう書いています。
自我ブロックに情動倫理(▼F(Fe)e)を持つタイプは、自我ブロックに関係倫理(▽F(Fi)i)を持つタイプ全体に比べて、配偶者を(インタータイプ関係の観点から)よりうまく選ぶ。おそらく前者はより大きく、ペア内の感情的雰囲気に向き、現在状況での—毎瞬の—心理的快適さに傾き、不利なインタータイプ関係から発生する感情的に張り詰めた、不快な、不協和な相互作用を避ける。彼らとは異なり、自我ブロックに関係倫理(▽F(Fi)i)を含むタイプの人々は、必要な関係を将来において創造する、その修正と改善という賭けに出る。
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The types with emotive ethics () in the EGO block more successfully (in terms of intertype relations) select the partners in whole, than types with relational ethics () in this block. Probably, the first ones in the greater degree orient on an emotional climate in the couple, tend to psychological comfort in a present situation — each minute — and avoid emotionally intense, unpleasant, unresonant interactions, which are originated in unfavorable intertype relations. Unlike them the people, which types contain relational ethics () in the EGO block, bargain on creating the necessary relations in the future, their correction and improvement.
情動倫理はFe、関係倫理はFiの、この論文での呼び方です。つまり、Feを自我に持つタイプは今の感情の快適さで相手を選び、Fiを自我に持つタイプは、関係を将来つくり直せることに賭けるということです。カルペンコの「感情は動的、関係は静的」(08章)と、同じ区別を統計の側から書いたものと読めます。
5人の書き方をまとめると、Feは今その場で起きている感情と雰囲気、Fiはそれらを比べたときの関係とその歴史の情報です。イェルマークとエグリトの「実体と関係」(07章・10章)も、同じ区別を別の語で書いたものと読めます。
Ti: 同じ内向、主観的な関係と客観性
次に、同じ内向のTiです。アウシュラは、Fiの定義のすぐ前で、白い論理(Ti)をこう書いています。
これらの感情は客観性によって際立つ。なぜなら、それらは人間自身の関心や欲求を考慮に入れず、客観的質の比率のみを考慮するからである。この知覚のアスペクトによって、対象間あるいはそれらの構成部分間の客観的な論理的関係を見る能力あるいは無能力が規定される。
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Они отличаются объективностью, потому что не учитывают интересов и потребностей самого че- ловека, а лишь соотношение объективных качеств. Этим аспектом восприятия определяется способ- ность или неспособность человека видеть объектив- ные, логические отношения между объектами или их составными частями.
言い換えると、アウシュラのTiは、人間自身の関心や欲求を入れずに、対象どうしの論理的な関係を見るということです。Fiが「二つの担い手のあいだの主観的関係」(03章)だったのと並べると、同じ「関係」でも、Tiは欲求を外した客観的な関係、Fiは引き寄せと反発という主観的な関係になります。
ストラティエフスカヤは、内向そのものを次のように書いています。
内向—これは世界知覚の一定の立場であり、最重要な、支配的な価値であるのはまさに客体間の相互関係であり、すでに第二義的な価値であるのは客体そのものの質である。ここでは関心はまさに関係の体系に向けられ、客体の質的特徴記述はそれに応じて変わる。ここでは客体は関係の体系に従属し、与えられた関係を維持する能力で評価される。
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Интроверсия — это такая позиция мировосприятия, при которой важнейшей и доминирующей ценностью являются именно взаимоотношения между объектами, а уже второстепенной ценностью — качества самих объектов. Здесь интерес направлен именно на систему взаимоотношений, а качественные характеристики объектов уже меняются в зависимости от нее. Здесь уже объект подчиняется системе отношений, а оценивается по умению поддерживать заданные отношения.
つまり、内向の要素では、客体そのものの質より、客体どうしの相互関係が大事だということです。TiとFiは、どちらもこの意味で内向の要素です。ですが、関係を論理の秩序として見るか、好き嫌いと距離として見るかで分かれる、と読めます。
ユングも、感情を「知的な連関を打ち立てる」思考とは別の判断としていました(02章)。Tiはつながりが正しいかを、Fiはつながりを受け入れるかを判断する、という分け方です。
Te: 側面も向きも反対、それでも組になる要素
最後に、側面も向きも反対のTeです。FiとTeは、最も遠い要素でありながら、同じクアドラで一緒に大事にされる組です。ガンマクアドラとデルタクアドラは、FiとTeの両方を価値に持ちます。
グレンコは、この組を、クアドラの性質としてこう書いています。
他方、降クアドラは共通の優先事項PとRを持っており、それら自体は動機ではない。事業論理Pは、以前に蓄積されたエネルギーによる動きであり、関係の倫理Rは、確立された関係体系への愛着を象徴する。これらの情報アスペクトは、惰性的、すなわち時間をかけて消えていく過程のカテゴリーに属する。それゆえ、両クアドラとも社会の自己運動を遅らせ、生命を衰退と未来の放棄へ向ける。それは、人間が人生の道の後半において起こることと同様である。
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On the other hand, the descending quadras have common priorities P and R, which in themselves are not motive: the business logic P is the movement because of the previously stored energy, and the ethics of the relationship R symbolizes attachment to the established system of relationships. These information aspects belong to the category of inertial, that is, processes dying out over time. Therefore, both quadras slow down the self-movement of the society, turning life to decline and abandonment .of the future, as it happens to a person in the second half of his life path
上の引用にあるPはTe(事業論理)、RはFi(関係倫理)です。言い換えると、ガンマとデルタは、以前に蓄えた力による動きと、確立した関係への愛着を共通の優先事項に持つということです。グレンコは、どちらも時間をかけて続く惰性の過程だとしています。
カルペンコは、FiとTeが双対どうしでどう組むかを、ESIとLIEの場面で書いています。
ほかのクアドラの観点からはいくらか微笑ましい、おなじみの葛藤がある—硬い道徳的原則を持つ(ESI)と、山師的で投機的な気質を持つその双対(LIE)である。普段の(ESI)は、(LIE)流のビジネス活動の発現のヴァリエーションにかなり平静に接し、概して「あら、面白い! どうやってそんなことを思いついたのかしら?!」というふうに反応する。ところが、構え「彼ら−」を持つ(ESI)は、「みんな盗んでいる」「仕事はそんなふうにやるものではない」「それは不品行だ」「それは不正直だ」と語り始めることが見いだされる。彼の道徳家的資質が、全力でビジネス論理のアスペクト( 5)に向けられるのである。
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Привычная, хотя и, с точки зрения других квадр, немножко забавная кол- лизия — с жесткими моральными установками и его дуал (ЛИЭ) с авантюрной, спе- кулятивной жилкой. И вдруг мы обнаруживаем, что , который обычно достаточно спо- койно относится к -вариациям проявления деловой активности и как правило на них от- зывается примерно так: «Ой, как интересно! Как это он так придумал?!», обладая установ- кой «Они–» начинает рассказывать, что «все воруют», «так дела не делают», «Это непоря- дочно», «Это нечестно». Его морализаторские качества со всей силой обращаются на аспект деловой логики ( 5).
上の引用にある構え「彼ら−」は、カルペンコが使う構えの分類の名前です。( 5)は記号が抜けた箇所で、LIEの5番の暗示機能に入るTe(ビジネス論理)のことです。言い換えると、ESIの道徳家としてのFiは、ふだんは双対のLIEの商売のやり方を面白がって見ています。ですが、ほかの人に否定的な構えになると、そのTeに厳しい目を向けるということです。
レイニンが、LIEは自分の態度を決めるのに外の客観的データを必要とすると書いていること(15章で引用)は、Teの側からFiを支える組として読めます。
4つを並べると
ここまでの比べ方を表にまとめると、次のようになります。「何を見るか」は当サイトの短いまとめで、「研究者の語」は本文で引いた記述から取っています。
| 要素 | 何を見るか | 研究者の語(例) |
|---|---|---|
| Fi | 対象どうしの好き嫌いと距離 | 引力と反発、関係、態度 |
| Fe | その場の感情と雰囲気 | 気分、情動、他人の感情 |
| Ti | 対象どうしの論理の秩序 | 客観性 |
| Te | 行為と成果 | 事業論理、客観的データ |
表の4つは、Fiを中心に「同じ倫理」「同じ内向」「どちらも反対」の関係で並んでいます。FeとTiはFiと1つずつ性質を共有し、Teは何も共有しないのに、Fiと同じクアドラで大事にされます。
小括
隣の3つの要素と比べると、Fiの輪郭は次のようになります。Feと比べると、Fiは今の感情そのものではなく、感情を比べたときの関係とその歴史の情報です。Tiと比べると、欲求を外した論理の秩序ではなく、引き寄せと反発という主観的な関係です。
そしてTeとは、側面も向きも反対でありながら、ガンマとデルタで組になり、外の成果と内の好悪を分け持ちます。Fiは、この3つの「でない」で囲まれた位置にある、と言えます。この囲み方は、16章の当サイト独自の整理でも、もう一度使います。
14よくある読み違い
この章では、一般に言われているFiの像(01章)のうち、研究者の記述と照らして読み違いになりやすいものを5つ取り上げます。どれも全くの誤りではありませんが、研究者の記述のどこが切り出されて、どう変わったかを見ると、Fiの輪郭がはっきりします。
「Fiは自分の気持ち」
一般像では、Fiは自分の内側の感情や気持ちだと説明されることがあります。ですが、研究者のFiの定義の中心は、気持ちそのものではなく関係です。
気持ちの動きそのものは、カルペンコの書き方ではFeの側で、Fiはそれを「私と彼」の関係に置き直したものでした(08章)。イェルマークとエグリトも、Feを状態そのもの、Fiを状態どうしの関係としていました(07章・10章)。「自分の気持ち」より「自分と相手の距離」と言うほうが、研究者の定義に近いということです。
「Fiの人はみんなに優しい」
一般像では、Fiを大事にする人は誰にでも優しく、思いやりがあると言われることがあります。ですが、研究者の記述は、誰にでも同じではなく、近い人と遠い人を分けるほうに重心があります。
グレンコは、Rのおかげで人々を「自分のもの」と「見知らぬもの」に分けて知覚すると書いていました(09章)。イェルマークの発言の例も、身内の輪へ退く傾向でした(07章)。その場の全員に向けて雰囲気をよくするのは、むしろFeの側の働きとして書かれています(13章)。
「Fiは道徳や正義のこと」
一般像では、Fiが道徳や正義感と結びつけて説明されます。これは、フィラトワの定義(06章)やブカロフの「正義」(10章)に近い説明です。ですが、アウシュラ、イェルマーク、カルペンコの定義には、道徳の語は出てきません。
11章で見たとおり、道徳と規範の語は、主にESIの記述から入ってきたと読めます。同じFiを主導に持つEIIは、規則で裁くより、良い性質を想定して赦す側に立っていました(06章・09章)。Fiの中心は関係で、道徳はその関係を守る規則として表れたものと考えられます。
「Fiの人は主観的で自分勝手」
一般像では、Fiは主観的な判断なので自分勝手だ、と言われることがあります。ですが、アウシュラは、倫理の扱う過程は論理に劣らず客観的だと書いていました(03章)。また、レイニンの二分法では、Fiを大事にするクアドラはむしろ客観主義者です(04章)。
ここでの「主観的」は、関係が主体の側から感じられるという意味です。ユングの「主体に対してのみ責任を負う自由」(02章)も、良心の基準を外の慣習でなく自分の側に置くという意味で書かれていました。好き勝手にふるまうことと同じではありません。
「Fiが弱い人は冷たい」
一般像では、Fiを大事にしないタイプは、人に冷たいと説明されることがあります。ですが、アウシュラはFiを脆弱機能に持つILEについて、感情の表し方が慎重で臆病で、自分が人を本当に愛しているか確信がないと書いています(15章)。冷たいのではなく、関係の評価に自信がない、という書き方です。
逆に、冷たく見えるのは、むしろFiが強い側の観察として書かれています。グレンコは、身体のレベルのRについて、こう書いています。
身体的に、R状態は同定するのが非常に難しい。なぜなら、その中で真の関係が無関心の背後に、あるいは反対物の背後に隠されているからである。それは、通常のコミュニケーションにおける微妙な不一致と小さな乱れによって検出されうる。彼の声はわずかに震え、顔色が変わり、まぶたが瞬いて通常の位置を取る。これらすべては関係の信頼できる信号である。間接的に発現する好意‐反感、人物への引き寄せまたは拒絶は、わずかな内的な興奮を伴い、状態Rを観察していることを身体的に示す。
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Physically, the state R is very difficult to identify precisely because in it the true relationship is hidden either for indifference or for the opposite. It can be detected by subtle discrepancies and minor disruptions in ordinary communication. His voice trembles slightly, his complexion changes, his eyelids flutter and take their usual position: all these are reliable signals of relationships. Indirectly manifested sympathies-antipathies, attraction to or repulsion from a person, accompanied by a slight inner excitement, physically indicate that you are observing the state of R.
言い換えると、Rの状態では、本当の関係は無関心か、その反対の態度の後ろに隠れるということです。声のわずかな震えや顔色の変化で、やっと見分けられるとされます。ユングとフィラトワも、Fiの強い人が冷たく見えると書いていました(02章・06章)。
小括
5つの読み違いは、どれも研究者の記述の一部が切り出されたものです。「自分の気持ち」はFeとの区別を落としたところから、「みんなに優しい」はFeの働きを取り違えたところから来ていると読めます。また、「道徳や正義」はESIの記述から、「自分勝手」は主観の語から、「弱い人は冷たい」は外から見えにくいという観察の取り違えから来ていると考えられます。
切り出す前の記述に戻すと、Fiは、対象どうしの引き寄せと退けを、主体の側から感じ分ける要素です。道徳も、優しさも、冷たく見えることも、その周りにある派生として説明できます。
15モデルAの8つの位置に入ったFi
この章では、FiがモデルAの8つの位置(機能位置)のそれぞれに入ったとき、研究者がどう書いているかを、要点だけ見ます。位置そのものの説明は、各位置の解説ページ(リンク先)にあります。
16のタイプのうち、Fiが入る位置は次のとおりです。モデルAの定義から機械的に並べたものです。
| 位置 | タイプ |
|---|---|
| 主導機能 | ESI(ISFP)・EII(INFP) |
| 創造機能 | SEE(ESFP)・IEE(ENFP) |
| 規範機能 | LII(INTP)・LSI(ISTP) |
| 脆弱機能 | ILE(ENTP)・SLE(ESTP) |
| 暗示機能 | LIE(ENTJ)・LSE(ESTJ) |
| 動員機能 | ILI(INTJ)・SLI(ISTJ) |
| 観察機能 | ESE(ESFJ)・EIE(ENFJ) |
| 実演機能 | SEI(ISFJ)・IEI(INFJ) |
研究者の記述は、位置によって量に偏りがあります。主導機能・脆弱機能・暗示機能の記述が多く、ほかの位置は1本ずつ扱います。レイニンの『ソシオニクス: 類型論・小集団』は、8つの位置すべてについてFiを書いているため、この章では多く引いています。
主導機能: ESI・EII
02〜10章で見てきた記述の大部分は、主導機能のFiについてのものです。ESIは悪い関係を見抜いて規則で対処します(ストラティエフスカヤ・フィラトワ・ブカロフ)。EIIは望ましい関係を築き、調和のために譲ります(アウシュラ・ストラティエフスカヤ)。グレンコは、この2つを非難の倫理と赦しの倫理で分けていました(09章)。
どちらにも共通するのは、関係の評価が内側で強く感じられ、外には出にくいことです。レイニンのESIの「強く感じられているが、貧弱にしか言語化されていない」(04章)と、フィラトワのEIIの「外からは冷たく見える」(06章)が、その両面を書いています。
創造機能: SEE・IEE
創造機能のFiについて、レイニンはSEEの節でこう書いています。
これは創造機能であるため、否定的な極も肯定的な極も彼にとって容易にアクセス可能である。SEE〔原文: ナポレオン〕は自分の軍隊を見つめてただこう言うことができる—「兵士諸君、私は諸君を愛している!」。10000人がいる—彼は彼ら全員を愛しているのか?事実、彼らは彼が本当に彼らを愛していると知っており、彼らは彼を信頼し、彼に従う。
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Since this is the creative function, both negative and positive poles are easily accessible to him. A Napoleon can just look at his troops and say: “Soldiers, I love you!” There are ten thousand people; does he love them all? The fact is they know he really does love them, and they trust him, and they follow him.
言い換えると、SEEは、人々への態度を、相手に伝わる形で容易に表明できるということです。1万人の兵士に「愛している」と言い、兵士はそれを本当だと知って従う、とレイニンは書いています。
主導のFiが内側で強く感じて外に出しにくかったのに対し、創造のFiは態度を外に表明する道具として書かれています。IEEについて、ストラティエフスカヤはこう書いています。
IEE〔原文: ハクスリー〕の関係の倫理の特徴的な性質は、対話相手に適応する能力、彼の「波長に合わせる」能力である。これは、ほとんどあらゆる人物、最も非社交的な人物の好意さえも勝ち取り、自身の関心を満足させるのに必要なだけ深く「魂の中をのぞき込む」ことを可能にする性質である。(中略)IEE〔原文: ハクスリー〕は、各人物、各魂—最も閉ざされ、神秘的なものであっても—に「合鍵」を選び取る性質を授けられている。そしてそのために、彼には数多くの手段と方法がある。
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Характерная черта этики отношений Гексли — умение приспосабливаться к собеседнику, умение "настроиться на его волну": качество, помогающее ему добиться расположения практически любого, даже самого некоммуникабельного человека и позволяет "заглянуть в душу" настолько глубоко, насколько это нужно для удовлетворения его собственного интереса.〔中略〕Гексли наделен свойством "подбирать отмычки" к каждому человеку и к каждой душе — даже самой закрытой и загадочной. И для этого у него есть масса средств и способов.
つまり、IEEのFiは、相手の波長に合わせ、一人ひとりに合った「合鍵」を選ぶ働きだということです。最も閉ざされた人の好意も勝ち取れるとされます。
SEEは態度を表明して人を動かし、IEEは相手に合わせて心を開かせます。どちらも、関係を1番の要素(SeかNe)の目的のために使う形で書かれています。
規範機能: LII・LSI
規範機能のFiについて、レイニンはLIIの節でこう書いています。
LII〔原文: ロベスピエール〕の恐怖領域は、自分自身の他者への態度である。それについてなぜ語る必要があるのか?何を言うべきというのか?彼らは、愛情、あるいは人・物・出来事に対する自分自身の態度を表明することへの恐怖を抱いている。(中略)これらの問いはLII〔原文: ロベスピエール〕を怖がらせる。そして自分の態度を直接語る必要に迫られると、大きな騒ぎを起こすこともある。一般にLII〔原文: ロベスピエール〕は、距離を置いた、抑制された対話の仕方を好む。彼らは自分の意見を、ほのめかしたり冗談めかしたりして、暗黙のうちに表現しようとする。しばしば理解されない。なぜなら、他人も自分と同じように考えているはずだと前提しているからである。
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Function #-4 - subjective ethics ( ): in a Robespierre's zone of fears is his/her own attitude. Why talk about it? What is there to say? They have a fear of expressing love, or their own attitude to a person/a thing/an event. “What is your opinion? What do you think about it?” these questions frighten a Robespierre. And when they are faced with a necessity to speak directly about their attitude they may put up a huge fuss. In general a Robespierre is inclined to a detached, constrained manner of dialogue. He/she tries to express opinions implicitly, hinting or joking. Frequently they are not understood, because they assume that others think in the same way as they do.
上の引用にある恐怖領域は、レイニンの呼び方で、モデルAの規範機能のことです。言い換えると、LIIは、自分の態度や愛情を口に出すことを怖がり、ほのめかしや冗談で伝えようとするということです。そのため、しばしば理解されないとされます。
規範のFiは、求められれば使うが、自分から表明したくはない位置として書かれています。レイニンは、LIIが他人も自分と同じように考えていると前提するために伝わらない、とも書いています。
脆弱機能: ILE・SLE
脆弱機能のFiについて、アウシュラはILEの章でこう書いています。
客体への感情そのものと、それらに対する態度の表現はきわめて慎重で、思慮深く、同時にきわめて臆病だ。いつでも個体は、周囲の環境の感知できるかろうじて感知できる圧力のもとでも、感情を呼び起こす客体の圧力のもとでも、それらの放棄に用意がある。このような個体は自分が誰かを真に愛しているか嫌っているか、決して確信がない。単に知らない、自分にその権利があるかどうかを。
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Как само чувство к объек- там, так и выражение отношения к ним очень ос- торожны, обдуманны и вместе с тем очень пугливы. В каждую минуту индивид готов от них отказаться как под еле ощутимым давлением окружения, так и под давлением чувства. вызывающих объектов. Такой индивид никогда не уверен в том, что он всерьез кого-то любит или ненавидит. Он просто нс знает, есть ли у него на это право или нет.
言い換えると、ILEは、感情の表し方が慎重で臆病で、自分が人を本当に愛しているか嫌っているか確信がないということです。その感情は、周りのかすかな圧力でもすぐに引っ込められる、とアウシュラは書いています。
カルペンコは、まさにこの苦手な位置から、アウシュラの関係の理論が生まれたと読んでいました(08章)。SLEについて、ストラティエフスカヤはこう書いています。
朝から晩までSLE〔原文: ジューコフ〕に、彼がどれほど善良で良い人かを話す必要がある:これこそ、彼が自身の倫理的問題に対処するのを助ける唯一の可能性である。
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Нужно с утра до вечера говорить Жукову о том, какой он добрый и хороший: это единственная возможность помочь ему справиться со своими этическими проблемами.
つまり、SLEには、自分が善良で良い人だと言われ続けることが、倫理の問題に対処する唯一の助けになるということです。同じ章で、SLEは自分の倫理的な資質に幻想を持たず、心理的な距離を縮めることを恐れると書かれています。
ILEは関係の評価に確信がなく、SLEは自分の倫理的な評価に自信がありません。どちらも、関係の評価を自分では決めきれないという形で書かれています。
暗示機能: LIE・LSE
暗示機能のFiについて、レイニンはLIEの節でこう書いています。
ここで人物は暗示に対して開かれている—「他の人々が、私の何かや誰かに対する態度について私に教えるべきだ。私が何かを好きなのか好きでないのか—他の人々のほうが私に何が起こっているのかについてよりよい考えをもっており、彼らがそれについて私に教えるべきだ。私は知らない、私は確信がない」。LIE〔原文: ジャック〕は自分の意見を形成するための堅固な基礎を必要とする。それゆえ彼女は、自分の外側に客観的データ、信頼できる情報、良き情報源を必要とする—「人々のほうがよく知っている」。
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here the person is open for suggestions: “Other people should tell me about my attitude to something or to somebody. Do I like something or do I not – other people have a better idea what’s going on with me, and they should tell me about it. I do not know; I am not sure.” A Jack needs a firm foundation for the forming of her opinion. Therefore she needs objective data, reliable information and good sources of information outside of herself: “People know better”.
言い換えると、LIEは、自分が何を好きか嫌いかは他人のほうがよく知っていて、教えてほしいと感じているということです。自分の意見をつくるために、外の客観的なデータや信頼できる情報を必要とするとされます。
ここでは、Fiの判断を、Teのデータで支えようとしていることが分かります。13章で見たTeとFiの組を、LIEの側から書いた一節です。LSEについては、エグリトが本人の報告を載せています。
夫の兄弟が冷蔵庫を運ぶのを手伝いに来てくれた。冷蔵庫を所定の場所に置くと、彼はすぐに帰ろうとした。もう夜で、彼はまだ別の場所へ時間までに行かなければならなかったのだ。それで私は、彼が戸口を出るまでに「ありがとう」を5回くらい言った。あとになって、どうしてあんなことをしたのかと考えた。そして、心から感謝を伝えたかったのだと分かった。でも「ありがとう」のほかに、どうやって伝えればいいのか分からない。1回では、あまり説得力がない気がする。それで5回になった。私の場合、それは「決まり文句を言っているのではなく、手伝ってもらって本当にありがたい」という意味だった。
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Брат мужа приехал помочь перетаскивать холодильник. Поставили они холодильник на место, он быстренько уезжать — вечер, а ему еще куда-то нужно успеть. Так вот я ему «спасибо» раз 5 сказала, пока он не вышел за дверь. А потом думаю, чего это я? И понимаю, что мне хотелось искренне выразить благодарность. А кроме «спасибо» я не знаю, как еще можно это сделать. Один раз — вроде не очень убедительно. Вот так и получилось 5 раз. Это в моем исполнении означало: «Я действительно очень благодарна за помощь, а не дежурную фразу говорю».
つまり、このLSEは、心から感謝を伝えたいのに、「ありがとう」以外の伝え方を知らず、5回くり返したということです。エグリトは、この報告を1次元の白い倫理、つまり扱える範囲の狭いFiの例として挙げています。
暗示のFiは、大事だと感じているのに、自分では表し方が分からない位置です。LIEは他人に態度を教えてほしいと言い、LSEは感謝の表し方に迷います。
動員機能: ILI・SLI
動員機能のFiについて、レイニンはILIの節でこう書いています。
自己評価の原理:もし私が誰かを愛しているならば、それは私自身に対して良き態度をもつのに十分な理由である、すなわち、もし私が誰かを愛しているならば、私は良い人間である。ILI〔原文: バルザック〕は第3機能に従って自分自身を保護する必要があるとき、対象から距離を置き、抽象の領域へと退却する。彼はむしろ自分の愛情の対象がどこか遠くに、遠征中、海外出張中であってほしいと願う。あらゆる弱点をもつ実在の人物よりも、自分の心の中の理想像を愛するほうが常に楽である。実在の人々は完璧ではなく、われわれを失望させる。もし私が失望するならば、私は愛していないことになる。それゆえ私は悪い。
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The principle of self-esteem: if I love somebody it is a good reason to have a good attitude to myself, i.e. if I love somebody, then I am a good person. A Balzac is distancing himself from the object, withdrawing into the realm of abstractions, when he needs to protect himself according to the third function. He would rather have his object of affection be some place far away, in an expedition, on a business trip abroad. It is always easier to love an ideal image in your mind than a real person with all their weaknesses. Real people are not perfect; they disappoint us. If I am disappointed, then I do not love. Therefore I am bad.
上の引用にある第3機能は、レイニンの番号で、モデルAの動員機能のことです。言い換えると、ILIは、「誰かを愛しているなら私は良い人間だ」という形で、関係を自己評価に結びつけるということです。失望を避けるために、実在の人より心の中の理想の像を愛するほうが楽だとされます。
動員のFiは、大事だが弱く、うまくいくと自分を肯定できる位置として書かれています。ILIが愛情の対象に遠くにいてほしいと願うのは、関係を理想のまま保つためと読めます。
観察機能: ESE・EIE
観察機能のFiについて、レイニンはEIEの節でこう書いています。
EIE〔原文: ハムレット〕の人々への態度は、自分自身の眼から見て重要ではない。彼らは他人の自分への態度を、自分自身の他人への態度よりも上に置く。彼らの人々との関係性は常に第一の位置を占める。「自分の人々への態度」は、どこか背景にあり、しばしば自分自身からさえも隠されている。(中略)EIE〔原文: ハムレット〕は、まるで舞台上で演じるかのように容易に感情や情動を表現できる一方で、自分の態度はうまく隠す — たとえば、自分の創造的第2機能を通じて態度を表現するSEE〔原文: ナポレオン〕やIEE〔原文: ハクスリー〕とは違って。EIE〔原文: ハムレット〕にとっては仮面をかぶる方がより容易なのだ。
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A Hamlet's attitude to people is not important in his/her own eyes; they put other people’s attitude higher than their own. Their relationships with other people always take the first place. 'My attitude to people' is somewhere in the background, often hidden even from myself.〔中略〕A Hamlet can easily express his feelings and emotions through acting as if on stage, while hiding his attitude well – unlike, for example, a Napoleon or a Huxley who express their attitudes through their creative second function. It is easier for a Hamlet to wear a mask.
言い換えると、EIEにとって、自分の人々への態度は大事ではなく、他人の自分への態度のほうが上に置かれるということです。感情は舞台のように表現できるのに、自分の態度は隠し、仮面をかぶるほうが楽だとされます。
観察のFiは、強いが大事だと感じない位置です。EIEは関係の情報を十分に扱えるのに、それを自分の態度として表に出すことを大事にしない、と読めます。13章で見たFeとFiの違いが、1つのタイプの中で表れた記述です。
実演機能: SEI・IEI
実演機能のFiについて、グレンコはSEIの節でこう書いています。
好きな人々との関係において、彼女は相互応酬で応え、非常に注意深く、助けになる。彼女の好意は言葉ではなく、行動によって示される。自分のために何かを尋ねたり求めたりすることは、彼女には不便である。他者の依頼によって、彼女ははるかに多くのことができる。しかし、彼女は容易に乗じられることはない。物事をうまく機能させるためには、誰が彼女に良くしてくれるかを認識する必要がある。残りは技術の問題である。警戒心や悪い態度は、彼女の働く能力を奪う。
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In relations with people she likes, she responds with reciprocity, being very attentive and helpful. Her sympathies are demonstrated〔中略〕not by word, but by deed. It is inconvenient for her to ask or seek anything for herself. At the request of other people, she is able to do much more; however, she is not taken advantage of easily. To make things work, she needs to recognize who is good to her. The rest is a matter of technique. Alertness and a bad attitude deprive her of her capacity for work.
上の引用にある彼女はSEIのことです。言い換えると、SEIは、好きな人には言葉でなく行動で好意を示し、誰が自分に良くしてくれるかを見分けるということです。警戒や悪い態度があると、働けなくなるとされます。
実演のFiは、強く働くが、それ自体を目的にしない位置です。SEIは、関係を、物事をうまく進めるための前提として使っています。
価値の側と、そうでない側
Fiが入る8つの位置は、価値の側とそうでない側に4つずつ分かれます。主導機能・創造機能・暗示機能・動員機能の4つは、そのタイプが大事だと感じる位置です。ここに入るESI・EII・SEE・IEE・LIE・LSE・ILI・SLIは、どれもガンマかデルタのクアドラに入ります。
一方、規範機能・脆弱機能・観察機能・実演機能の4つは、大事だと感じない側の位置です。ここに入るLII・LSI・ILE・SLE・ESE・EIE・SEI・IEIは、どれもアルファかベータのクアドラです。この分かれ方は、モデルAの定義から決まります。
研究者の記述も、この分かれ方に沿って読めます。価値の側では、Fiが強い位置でも弱い位置でも、関係は大事なもの、求めるものとして書かれます。LIEが態度を人から教えてほしいと言い、ILIが愛することで自分を良い人間と感じるのが、弱い位置の例です。
反対に、価値でない側では、強い位置(観察・実演)でも弱い位置(規範・脆弱)でも、自分の態度を表明することは求めるものとして書かれていません。EIEは態度を隠し、SEIは関係を仕事の前提として使い、LIIは態度を語るのを怖がります。ストラティエフスカヤが書いたアルファの「ただの関係じゃないか」(13章)は、この側をクアドラの単位で書いたものと読めます。
小括
同じFiでも、入る位置によって、研究者の書き方は大きく変わります。主導機能では内側で強く感じる関係の評価、創造機能では態度を表明して人を動かす道具、規範機能では口に出すのが怖いもの、脆弱機能では自分では決めきれない評価として書かれています。
そして、暗示機能では人に教えてほしいもの、動員機能では自己評価の支えとして書かれます。観察機能では隠しておく態度、実演機能では仕事の前提です。また、価値の側の位置ではFiは求めるものとして書かれ、価値でない側ではそう書かれていません。
16原典の語のもとにあるイメージ(独自の整理)
ここからは当サイトの独自の整理です。16章は、研究者の定義ではなく、02〜15章の記述を踏まえた当サイトの読みです。新しい引用は置かず、研究者の記述で支えられるところは該当する章を示し、それ以外は確かめられていない見立てとして書きます。
原典にあるのは語のほう
02〜10章で見たとおり、原典に書かれているのは、関係、態度、好みと嫌悪、引力と反発、愛着、評価といった語です。研究者ごとに語は違いますが、11章で見たとおり、指しているものはかなり近いところにあります。
当サイトは、この語の並びを次のように読んでいます。研究者は、Fiという判断のもとにある1つのイメージを、言葉にするならこう言うしかなかったのではないか、ということです。語を1つずつ覚えるより、そのもとにあるイメージをつかむほうが、なぜその語なのかが分かりやすくなります。
もとのイメージ: 主体に付いたカメラから見る
当サイトは、判断の4つの要素を、物事を見るカメラをどこに置くかの違いとして整理しています。ここでいうカメラは、物事を見る視点のことです。
当サイトの読みでは、Fiのもとにあるイメージは、カメラが必ず誰かの主体に付いていて、その主体から見て対象がどうかを判定することです。主体は自分とは限りません。相手でも、ほかの誰かでも、会社や社会のような概念でもかまいません。ですが、どの主体から見たかというフィルターが、評価に必ず入ります。
そのフィルター越しの評価を言葉にすると、良い・悪い、好き・嫌い、近い・遠い、成熟している・未熟だ、になります。そして、評価がいつも「誰から見て」の形をとるので、それを1つの語で言うと関係になります。あなたと私の関係、アイドルと私の関係、会社と社員の関係です。
Tiとの違い: 主体から切り離したカメラ
同じ内向の判断のTiは、カメラの置き方が反対です。当サイトの読みでは、Tiのもとにあるイメージは、カメラを主体から切り離し、自分もその画面の中の1つの要素として俯瞰することです。どの主体にも寄らない視点から、対象どうしのつながりを判定します。
アウシュラは、Tiを「人間自身の関心や欲求を考慮に入れず」と定義し、Fiを「主観的関係」と定義していました(13章・03章)。この2つの定義は、カメラを主体から切り離すか、主体に付けるかの違いと重なります。アウシュラたちが一方を「論理」、もう一方を「関係」と呼んだのは、この違いを言葉にしたもの、とも読めます。
隣の3つの要素のイメージ
同じ読み方で、隣の3つの要素のもとにあるイメージも、次のように整理できます。いずれも、当サイトの読みです。
- Tiは、主体から切り離したカメラで、自分を含めた全体を俯瞰する判断です。対象どうしの位置と筋が通っているかを判定します。
- Feは、主体を決めずに、場のエネルギーの状態を見る判断です。その場が盛り上がっているか、沈んでいるかを判定します。
- Teは、主体に付いたカメラで、その主体がどれだけ動き、働いているかを見る判断です。効率よく稼働しているか、成果が出ているかを判定します。
4つを並べると、判断の4つの要素は2つの組に分かれます。TiとFeは、カメラが主体から離れている組、TeとFiは、カメラが主体に付いている組です。同じ主体に付いたカメラで、Fiは関係を見て、Teは稼働を見る、ということです。
この組は、レイニンの二分法の主観主義(TiとFe)と客観主義(TeとFi)に重なります(04章)。04章の小括で見たとおり、この名前はそのクアドラが大事にする論理の側で付けられています。主体に付いたカメラの組は、主体の外の事実と成果を見るTeの側から、客観主義と呼ばれたと考えられます。
言葉の出方としてのFi
このイメージからは、Fiが言葉にどう出るかについても、1つの見立てが出てきます。カメラが主体に付いているので、Fiは「〜としては」「〜から見ると」「自分の感覚では」という、誰から見たかを示す言い方に出やすいと当サイトは見ています。
俯瞰するときも、Fiのカメラは主体から離れません。主体ごと上に行くか、より上の考えに判断を任せる形になります。主体を連れたまま上から全体を語ると、「普通はこうだ」「人としてこうあるべきだ」という言い方になり、聞く側には説教くさく聞こえることがある、と当サイトは見ています。
反対に、Fiの側から見ると、Tiの言い方は、主体のない、人の温度のない言い方に見えることがあります。どちらも、相手のカメラの置き場所が自分と違うことへの反応だと読めます。
イェルマークが「彼は悪い人だ」を「彼と話すと私の気分が下がる」という確認として読んだこと(07章)は、この見立てと同じ方向です。評価の文の中に「私から見て」が隠れている、という読みです。ただし、誰から見たかを示す言い方は、相手への配慮やその場の立場からも出てきます。1つの言い方だけでFiと決めることはできず、ほかの要素の言い方と比べて初めて見分けられる、というのが当サイトの考えです。
小括
当サイトの読みでは、Fiのもとにあるイメージは、カメラが必ず誰かの主体に付いていて、その主体から見て対象がどうかを判定することです。その「誰から見て」の評価を言葉にしたものが、研究者の関係、態度、好みと嫌悪、引力と反発という語だと考えています。
このイメージで並べると、TiとFeはカメラが主体から離れた組、TeとFiはカメラが主体に付いた組に分かれます。Fiは主体に付いたカメラで関係を見て、Teは同じカメラで稼働を見るという読みです。これは研究者の定義ではなく、当サイトの見立てとして置きます。
17内向倫理(Fi)とは何か
ここまで見てきたものを、当サイトの責任でまとめます。新しい引用は置きません。確からしさは、研究者章の引用より一段低くなります。最後は、「内向倫理(Fi)とは、詰まるところ何なのか」に落ち着けます。
反復して現れる記述
Fiについて、研究者を横断して反復される記述は4つです。対象どうしの関係、つまり引き寄せと退けの情報であること。そして、その評価は外から見えにくいことです。
また、一度できた関係の評価は長く変わらないこと。否定の側が先に見えることも、くり返し書かれています。ただし、最後のものはESIに寄った観察です。
このうち第一は、ここで取り上げた研究者がそろって書いています。ユングは「受け入れるか退けるか」、アウシュラは「引力と反発」、レイニンは「好みと嫌悪」と書きました。イェルマークは「状態の関係」、グレンコは「愛着」と呼びましたが、どれも関係の言い換えです。語は研究者ごとに違いますが、Fiの中心はここで揺れていません。
隣の要素との違いで見ると
13章では、隣の3つの要素と比べてFiの輪郭を見ました。Feと比べると、Fiは今の感情そのものではなく、感情を比べたときの関係とその歴史の情報です。カルペンコの動的と静的、イェルマークとエグリトの実体と関係、ストラティエフスカヤの感情が先か関係が先かが、この区別を書いています。
Tiと比べると、Fiは欲求を外した論理の秩序ではなく、引き寄せと反発という主観的な関係です。アウシュラの客観性と主観的関係、ユングの知的な連関と受け入れか拒絶かが、この区別を書いています。
そしてTeとは、側面も向きも反対でありながら、ガンマとデルタで組になります。グレンコは、この組を、蓄えた力による動きと、確立した関係への愛着として書きました。
確定しない点
まず、Fiが道徳と規範をどこまで含むかは確定していません。フィラトワ、ストラティエフスカヤ、ブカロフは道徳と規範を前に出し、アウシュラ、イェルマーク、カルペンコの定義には道徳の語がありません。
また、主観と客観の呼び方もそろっていません。アウシュラとレイニンは要素としてのFiを主観の側に置き、レイニンの二分法はFiを大事にするクアドラを客観主義者とし、グレンコは倫理全体を主観的とします(04章・09章)。このねじれについて、レイニン自身の説明は見つかりませんでした。
さらに、否定の側が先に見えるという観察が、Fi一般のものか、ESIのものかも、文献の上では分けられていません。
Fi像の要約
文献上のFiは、対象と対象のあいだの関係、つまり引き寄せ合うか退け合うかの情報です。人と人とのあいだでは、誰が誰にどんな感情を向け、誰と誰が近いかとして表れ、自分と相手のあいだでは、好きか嫌いか、近いか遠いかとして表れます。
そのため、Fiを強く持つ人は、関係の評価を内側で強く感じ、それを長く保ちます。外からは冷たく見えることがあり、評価はなかなか言葉になりません。その力は、良い関係を築く側にも、悪い関係を見抜く側にも向かいます。
一方で、関係の評価を成果や事実で支えるのは、Teの役目です。また、その場の感情を動かすのは、Feの役目です。Fiは、この2つと組み合わさって初めて、関係を外に表せる要素として書かれています。これが、研究者章を通して浮かび上がる像です。
内向倫理(Fi)とは、詰まるところ
いろいろな研究者の書き方を見てきましたが、最初の一般像(01章)からそう遠くには行きません。好き嫌い、距離感、表には出さない—ここは研究者をまたいで残ります。言い直したいのは2つです。「自分の気持ち」というより、自分から見て、対象どうしがどんな関係にあるか。「道徳や正義」というより、関係を守る規則として、道徳が出てくることがある。誠実さを大事にする点は、一般像のとおりです。
かみ砕いて言えば、Fiは、物事を「誰から見て、近いか遠いか、好きか嫌いか」で感じ分ける判断です。人を見れば、その人と自分、その人とほかの人がどんな距離にあるかが気になります。そのため、関係の小さな変化にも気づき、一度決めた評価は簡単には変えません。ですが、その評価を誰にでも分かる形で示すことや、その場の雰囲気をつくることは、Fiの得意なところではありません。内側では強く感じていても、外には静かにしか出ない、と文献は書いています。
少なくとも、これだけは研究者をまたいで残ります。対象どうしの引き寄せと退けに目が向く。その評価は外から見えにくい。一度できた評価は長く変わらない。Fiは、おおよそそういう要素です。
18引用と記述の方法
引用を用いる理由と範囲
ソシオニクスの文献では、同じFiについて、研究者ごとに呼び名も定義の語も観測の角度も違います。違う記述を1つの要約にまとめると、どの研究者も書いていない「平均像」ができあがります。要約には書き手の解釈が混ざるため、研究者の記述は逐語の引用で示します。
引用は、本文で設定した論点の検討に必要な範囲にとどめます。そのうえで、当サイトの本文がその出典関係・記述の差異・適用範囲を分析します。各引用の位置づけの説明、各章末の小括、11章の横断比較、13〜15章の各論が、このページの本文の役割です。
また、11章の横断比較や14章の読み違いの整理など、本文の分析には当サイトの判断が入ります。16章は当サイト独自の整理で、17章はその延長で記事全体の資料をまとめ直す独自の統合です(位置づけは章の冒頭でも明示します)。
引用の逐語性と翻訳
引用の訳文は当サイトによる訳出です。ユングはドイツ語原著の英訳版から、エグリトは学派が公開する露語版と英語版から訳出しています。MBTIの原典(マイヤーズ、『MBTI Manual』、マイヤーズ&ブリッグス財団のサイト)は、英語の原文から訳出しています。底本の綴りは各引用の「原文を表示」で確認できます。
底本は、研究者本人の著書と機関誌論文を主とします。原文は、各引用の下の「原文を表示」に格納しています。なお、原文には誤字が残る可能性があることをあらかじめお伝えしておきます。
引用の位置づけも明記します。本ページの引用は、公表された著作物からの、批評・研究を目的とする引用です。引用部は引用ブロックで明瞭に区分し、すべてに出所を番号つきで明示しています。
また、索引には著者・資料名と、確認できた範囲の刊行年・初出・該当箇所を掲載し、出所に留保が要る資料は注記で示します。本文と引用の関係は、本文の分析が主で、引用は各論点の根拠として示す資料です。出典・掲載についての指摘があれば対応します。
引用への編集操作
引用への編集操作は、次の3点に限ります。第一に、タイプ愛称の置換です。ソシオニクスの原典には、16タイプを著名人の名で呼ぶ愛称が頻出します。当サイトはタイプをコード表記(ESI、EIIなど)で統一しているため、引用内の愛称は「ESI〔原文: ドライザー〕」の形式で置換します。
第二に、タイプ略号と研究者名のラテン文字への統一です。第三に、引用内の要素記号への要素コードの添え書きです。原文で要素記号が単独で要素を指す箇所には、記号のあとに要素コードを添えます(例: ▽〔Fi〕)。
一方、要素の名称には手を加えません。Fiは研究者によって「白い倫理」「関係の倫理」「関係倫理」「関係」などと呼ばれ、名前も記号も体系ごとに違います。そのため、引用内の名称はそのまま残し、対応は各研究者章の冒頭で示します。本文では、当サイトの名称である内向倫理(Fi)で統一します。
索引の使い方
引用の末尾には初出順の番号が付きます。番号を押すと巻末の索引に移動し、著者・書名と、確認できた範囲の年・該当箇所を確認できます。索引の各項目からは、本文の引用位置へ戻れます。
+索引(引用文献)
- [1]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [2]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第11章 定義「感情」 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [3]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 内向的態度「感情」 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [4]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 内向的態度「感情」 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [5]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [6]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 内向的態度「感情」 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [7]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [8]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 「関係の知覚の四つのアスペクト」の節 本文へ
- [9]アウシュラ『ソシオニクス 心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998年) ESI章 本文へ
- [10]アウシュラ『ソシオニクス 心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998年) ESI章 本文へ
- [11]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998年) 本文へ
- [12]アウシュラ『レイニン特性の理論』(原題:Теория признаков Рейнина、1998年)連載第3部 機関誌『ソシオニクス、メンタロジー、人格心理学』1998年№3(通巻№183)掲載の連載(全6回・古典欄)第3部。原文欄は掲載誌の露語版の対応箇所 本文へ
- [13]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)第1講 底本は英語版 本文へ
- [14]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)第3講「16タイプ」ESI節 底本は英語版 本文へ
- [15]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010年) 底本は英語版 本文へ
- [16]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)第IV部 クアドラ 底本は英語版 本文へ
- [17]Reinin「レイニン特徴の議論についての若干の所見」(原題:Некоторые замечания по дискуссии о признаках Рейнина)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №2(2003年) 出典リンク 本文へ
- [18]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第I部 理論編 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [19]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 ESI章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [20]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 ESI章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [21]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 EII章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [22]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第I部 理論編 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [23]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001年) 本文へ
- [24]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年) ESI章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [25]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年) EII章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [26]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年) EII章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [27]Yermak「人間の心と周囲世界との相互作用—情報流のアスペクト構造」(原題:Взаимодействие психики человека с окружающим миром. Аспектная структура информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(1997年) 出典リンク 本文へ
- [28]Yermak「情報流のアスペクト辞典」(原題:Словарь аспектов информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1998年) 出典リンク 本文へ
- [29]Yermak「人間の心と周囲世界との相互作用—情報流のアスペクト構造」(原題:Взаимодействие психики человека с окружающим миром. Аспектная структура информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(1997年) 出典リンク 本文へ
- [30]Karpenko「世界のアスペクト知覚」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1995年) 本文へ
- [31]Karpenko「「静態-動態」特性、グラフィックと描画テストにおいて」(原題:Признак «статика-динамика» в графике и рисуночных тестах)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №3(2016年) 出典リンク 本文へ
- [32]Karpenko「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 出典リンク 本文へ
- [33]Karpenko「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 本文へ
- [34]Karpenko「第4機能について」(原題:Несколько слов о четвертой функции)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №4(1999年) 出典リンク 本文へ
- [35]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年)理論編 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [36]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年)理論編 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [37]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年)理論編 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [38]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年)理論編 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [39]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成」(原題:Эволюция человека: формирование структуры ФИМ и социона)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2018年) 出典リンク 本文へ
- [40]Eglit「モデルAにおける心理機能の符号」(原題:Знаки психических функций в модели А)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(2007年) 底本はシステム・ソシオニクス学派(School of System Socionics)公式サイトの再録(露語)。引用本文はその当サイト訳 出典リンク 本文へ
- [41]Eglit「モデルAにおける心理機能の符号」(原題:Знаки психических функций в модели А)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(2007年) 底本はシステム・ソシオニクス学派(School of System Socionics)公式サイトの再録(露語)。引用本文はその当サイト訳 出典リンク 本文へ
- [42]マイヤーズ『Gifts Differing』(原題:Gifts Differing: Understanding Personality Type、1980年)第1章「判断の二つの仕方」(p.3) 原文欄は英語の原書の対応箇所。引用本文は当サイト訳 本文へ
- [43]マイヤーズ、マッコーリー、クエンク、ハマー『MBTI Manual』(原題:MBTI Manual: A Guide to the Development and Use of the Myers-Briggs Type Indicator、1998年)第3版、第3章「感情判断(F)」(p.24) Consulting Psychologists Press 刊。原文欄は英語の原書の対応箇所。引用本文は当サイト訳 本文へ
- [44]The Myers & Briggs Foundation『The Processes of Type Dynamics』(刊年不詳) 公式サイトの記事(2026-07-31閲覧)。引用本文は当サイト訳 出典リンク 本文へ
- [45]マイヤーズ、マッコーリー、クエンク、ハマー『MBTI Manual』(原題:MBTI Manual: A Guide to the Development and Use of the Myers-Briggs Type Indicator、1998年)第3版、第3章「用語」(p.37) Consulting Psychologists Press 刊。原文欄は英語の原書の対応箇所。引用本文は当サイト訳 本文へ
- [46]マイヤーズ『Gifts Differing』(原題:Gifts Differing: Understanding Personality Type、1980年)第8章 図29「内向的感情」(p.79) 原文欄は英語の原書の対応箇所。引用本文は当サイト訳 本文へ
- [47]マイヤーズ『Gifts Differing』(原題:Gifts Differing: Understanding Personality Type、1980年)第9章「内向的感情型」(p.96) 原文欄は英語の原書の対応箇所。引用本文は当サイト訳 本文へ
- [48]マイヤーズ、マッコーリー、クエンク、ハマー『MBTI Manual』(原題:MBTI Manual: A Guide to the Development and Use of the Myers-Briggs Type Indicator、1998年)第3版、第4章「INFP」(p.95) Consulting Psychologists Press 刊。原文欄は英語の原書の対応箇所。引用本文は当サイト訳 本文へ
- [49]マイヤーズ、マッコーリー、クエンク、ハマー『MBTI Manual』(原題:MBTI Manual: A Guide to the Development and Use of the Myers-Briggs Type Indicator、1998年)第3版、第4章「ESFP」(p.72) Consulting Psychologists Press 刊。原文欄は英語の原書の対応箇所。引用本文は当サイト訳 本文へ
- [50]マイヤーズ、マッコーリー、クエンク、ハマー『MBTI Manual』(原題:MBTI Manual: A Guide to the Development and Use of the Myers-Briggs Type Indicator、1998年)第3版、第4章「ENFP」(p.79) Consulting Psychologists Press 刊。原文欄は英語の原書の対応箇所。引用本文は当サイト訳 本文へ
- [51]マイヤーズ、マッコーリー、クエンク、ハマー『MBTI Manual』(原題:MBTI Manual: A Guide to the Development and Use of the Myers-Briggs Type Indicator、1998年)第3版、第9章「妥当性」(p.204) Consulting Psychologists Press 刊。原文欄は英語の原書の対応箇所。引用本文は当サイト訳 本文へ
- [52]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 外向的態度「感情」 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [53]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)第1講 底本は英語版 本文へ
- [54]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 第三クアドラ 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [55]アウシュラ『ソシオニクス 心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998年) EII章 本文へ
- [56]Bukalov, Karpenko & Chikirisova「夫婦ペアにおけるインタータイプ関係の統計」(原題:Statistics of intertype relationships in married couples)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(刊年不詳) 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。刊行年は底本に記載がなく未確認 本文へ
- [57]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 「関係の知覚の四つのアスペクト」の節 本文へ
- [58]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第I部 理論編「外向と内向」 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [59]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年)理論編 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [60]Karpenko「バーン=ブカロフによる構えがタイプの発現に及ぼす影響」(原題:Влияние установок по Бёрну–Букалову на проявления типа)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2011年) 出典リンク 本文へ
- [61]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年)理論編 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [62]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010年) 底本は英語版 本文へ
- [63]Stratiyevskaya『お別れしないために』(刊年不詳) 本文へ
- [64]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010年)第2講「16タイプ」LII節 底本は英語版 本文へ
- [65]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) ILE章 本文へ
- [66]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 SLE章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [67]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)第3講「16タイプ」LIE節 底本は英語版 本文へ
- [68]Eglit「機能の次元性」(原題:Размерность функций)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №2(2007年) 底本はシステム・ソシオニクス学派(School of System Socionics)公式サイトの再録(露語)。引用本文はその当サイト訳 出典リンク 本文へ
- [69]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010年) 底本は英語版 本文へ
- [70]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)第2講「16タイプ」EIE節 底本は英語版 本文へ
- [71]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年) 16タイプ編 SEI 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
