内向感覚(Si) 超詳細解説
ソシオニクスの8つの情報要素の1つ・内向の感覚・快適の感覚
情報要素の内向感覚(Si)を、ソシオニクスの研究文献からの引用をもとに解説する長編です。対象は、ユングの『心理学的類型』と、創始者のアウシュラ・アウグスティナヴィチューテ(Aushra Augustinaviciute)の著作です。さらに、レイニン、ストラティエフスカヤ、フィラトワ、イェルマーク、カルペンコ、グレンコ、ブカロフ、エグリトの記述を扱います。同じSiを、研究者ごとにどう呼び、何として定義したかを引用で示し、そのあとで、MBTIのSiとの比較、Se・Ni・Neとの違い、当サイト独自の整理を分けて置きます。研究者をまたいで残るのは、Siが体と身の回りの状態を、快適か不快かとして受け取る知覚だという点です。
先に結論を知りたい方は、11章「研究者間で残る中核と食い違い」をご確認ください。
引用の扱い方(逐語性、訳出の方針、編集操作、索引の使い方)は、末尾の「引用と記述の方法」にまとめています。
01内向感覚(Si)は一般にどう言われているか
内向感覚(Si)は、一般には、ソシオニクスの8つの情報要素のうち体の感覚と心地よさを扱う要素と説明されます。「白い感覚」「体感覚」とも呼ばれ、体調、健康、味や肌ざわり、部屋の居心地のような、身近な感覚に目が向く要素だとされます。
よく言われるのは、自分の体調や部屋の空気の小さな変化にすぐ気づくという像です。暑い・寒い・疲れた、といった体の訴えを早くつかみ、無理を重ねる進め方を長くは続けません。料理や服の着心地、インテリアにこだわり、自分の周りを心地よく整えるのが得意だとされます。
また、自分だけでなく周りの人の居心地にも気を配ると言われます。誰かが寒そうなら上着を差し出し、疲れていそうなら休ませる、という世話好きの姿で紹介されることがよくあります。一方で、急な変化や、力ずくで押し切る場面は苦手だとされます。
同じ感覚の外向感覚(Se)とは、Seは外の現実に力で働きかけ、Siは内側に生じる感覚を受け取って心地よい状態を保つ、と対にして説明されるのが定番です。おおよそ、これが一般に言われている像です。
タイプ別によく挙げられる例もあります。Siを1番の主導機能に持つSEI(ISFJ)やSLI(ISTJ)は、暮らしを心地よく整える人、手仕事の職人として紹介されます。括弧の中は、MBTIで近いとされるタイプの表記です。また、Siが4番の脆弱機能に入るEIE(ENFJ)やLIE(ENTJ)は、体調管理や生活の細かな快適さを求められると負担に感じやすいと言われます。
この像は、あとで見る研究者の記述がところどころ切り出されて広まったものです。体の状態と心地よさ、という中心はたいてい合っています。ですが、研究者ごとに呼び名も観測の角度も違い、「受け身」「世話好き」が定義そのものに書かれているわけではありません。このページでは、02章から研究者の記述を順に見て、17章でこの一般像のどこがそのまま残り、どこが言い直されるかに戻ります。
読この記事の読み方
想定読者は、内向感覚(Si)の解説ページや8つの情報要素を読み終えて、出典まで確かめたい人です。長いページですが、読み方は単純です。各章で研究者の記述を引用で示し、そのすぐ下に当サイトの読み方(何が共通し、どこが違うか)を書きます。
流れは、01章が一般に言われている像、02章がユングの内向的感覚です。03〜10章が研究者別の記述(このページの中心)で、11章が横断比較です。12章では、MBTIの側のSiと比べます。続く13〜15章は各論で、Se・Ni・Neとの違い、よくある読み違い、モデルAの位置を扱います。16章が当サイト独自の整理で、17章が「内向感覚(Si)とは、詰まるところ」のまとめです。引用には初出順の番号が付き、押すと巻末の索引へ飛び、索引から本文へ戻れます。引用の扱い方(逐語性、訳出、編集操作)は末尾の「引用と記述の方法」にあります。
ページ冒頭の「コピーしてAIで要約!」を押すと、要約用の指示文とこのページの本文がクリップボードに入ります。AIに渡すと、要約のほか引用の意味を聞く・研究者ごとの違いを整理させる・Se・Ni・Neとの違いに絞って読み直す、といった使い方ができます(長すぎるときは、章を分けて渡すと扱いやすくなります)。
02ユングの内向的感覚
Siの出発点は、ユングが『心理学的類型』で書いた内向的感覚です。ソシオニクスの研究者は、この記述を読んだうえでSiを定義し直しています。そのため、先にユング本人の記述を確認します。
同じ風景を、違うふうに描く
ユングは、内向的な感覚を、外向的な感覚との違いから説明しています。
感覚もまた主観的な要因をもつ。感覚される対象のかたわらには感覚する主体がいて、客観的な刺激に自分の主観的な素質を付け加えるからである。内向的態度において、感覚は明確に、知覚の主観的な部分に基づいている。それが何を意味するかは、芸術における対象の再現が最もよく示している。たとえば何人かの画家が、同じ一つの風景を忠実に再現しようと誠実に努めて描くとしても、それぞれの絵はやはりほかの絵と違ったものになる。それは技量の差によるだけでなく、主として見え方が違うからである。
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It, too, has a subjective factor, for beside the object sensed there stands a sensing subject, who contributes his subjective disposition to the objective stimulus. the introverted attitude sensation is definitely based upon the subjective portion of perception. What is meant by this finds its best illustration in the reproduction of objects in art When, for instance, several painters undertake to paint one and the same landscape, with a sincere attempt to reproduce it faithfully, each painting will none the less differ from the rest, not merely by virtue of a more or less developed ability, but chiefly because of a different vision;
言い換えると、内向的感覚では、感じ取る側の主観が知覚のもとになるということです。感覚は本来、外の対象から来る刺激を受け取る働きです。ですが、そこには感じ取る主体がいて、自分の素質を刺激に付け加えます。
例えば、同じ風景を忠実に描こうとしても、画家ごとに絵は違ったものになります。ユングは、その差が技量より、主として見え方の違いから来ると書いています。
表面より、背景をとらえる
ユングは、内向的感覚が対象のどこをとらえるかも書いています。
主観的な感覚は、物理的な世界の表面よりも、むしろその背景をとらえる。決定的なのは対象の現実ではなく、主観的な要因の現実、つまり原初的な像であり、それらは全体として心の鏡の世界をなしている。ただしそれは、意識のいまの内容を、見慣れたいつもの形ではなく、いわば永遠の相のもとに、百万年を経た意識が見るように映し出すという、独特の力をもった鏡である。
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Subjective sensation apprehends the background of the physical world rather than its surface. decisive thing is not the reality of the object, but the reality of the subjective factor, i.e. the primordial images, which in their totality represent a psychic mirror-world. is a mirror, however, with the peculiar capacity of representing the present contents of consciousness not in their known and customary form but in a certain sense sub specie aeternitatis, somewhat as a million-year old consciousness might see them.
上の引用にある原初的な像は、ユングの用語で、人の心の奥に昔から共通して備わっている像のことです。つまり、内向的感覚がとらえるのは物の表面ではなく、その背景だということです。決め手になるのは対象の現実より、それを受け取る主観の側の現実だとされます。
ユングは、その主観を「鏡」にたとえています。ただし、ありのままではなく、人の心に昔から備わっている像を通して映す鏡です。同じ節で、ユングは外向的感覚との違いをこう続けています。
内向的感覚が伝えるイメージは、対象そのものを再現するというよりも、むしろその対象に、太古からの主観的経験と未だ生まれていない未来の出来事から生じる輝きの層をまとわせるような効果を持っている。 つまり、単なる感覚印象が意味の深みへと発展していくのに対し、外向的感覚は物事の単なる瞬間的で表面的な存在しか捉えられないのである。
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Introverted sensation conveys an image whose effect is not so much to reproduce the object as to throw over it a wrapping whose lustre is derived from age-old subjective experience and the still unborn future event. Thus, mere sense impression develops into the depth of the meaningful, while extraverted sensation seizes only the momentary and manifest existence of things.
上の引用の要点は、内向的感覚は対象に、経験から来る意味を重ねて受け取るということです。一方、外向的感覚は、その瞬間に表に見えている姿をつかみます。この対比は、13章のSeとの違いでもう一度使います。
外からは読めない、内側の強さ
内向的感覚型の人物像について、ユングは次のように書いています。
外向的感覚型が客観的な影響の強度によって決まるのに対し、内向型は、客観的な刺激によって解き放たれた主観的な感覚成分の強度によって方向づけられる。したがって、対象と感覚のあいだには釣り合いの関係がまったくなく、見たところまったく不規則で気まぐれなものがあるだけである。そのため、外から判断するかぎり、何が印象を残し、何が残さないかを予測することは実質的に不可能である。(中略)むしろ、その人は落ち着いた受け身の物腰や、理性的な自制によって目立つことさえある。
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Whereas, the extraverted sensa* tion-type is determined by the intensity of the objective influence, the introverted type is orientated by the intensity of the subjective sensation-constituent released by the objective stimulus. Obviously, therefore, no sort of proportional relation exists between object and sensation, but something that is apparently quite irregular and arbitrary. Judging from without, therefore, it is practically impossible to foretell what will make an impression and what will not.〔中略〕he may actually stand out by the very calmness and passivity of his demeanour, or by his rational self-control.
ここでは、外向的感覚型と比べて、内向型を動かすのは対象の強さではなく、それが内側に起こした感覚の強さだと書かれています。そのため、何が印象に残り、何が残らないかは、外からはほとんど予測できません。
最後の一文にあるように、この型は外からは落ち着いた受け身の人に見えることがあります。ユングは、その見え方が内側の感覚の強さを隠している、と書いています。
必要な範囲に保つ
この型が対象とどう付き合うかについて、ユングはこう書いています。
対象の影響がすっかりは入り込めないところでは、その影響は好意的な中立に出会う。そこには共感はほとんど見られないが、なだめ、ととのえようとする努力がたえず働いている。低すぎるものは少し上げられ、高すぎるものは少し低くされる。熱狂は冷まされ、過剰は抑えられ、異常なものは「正しい」型のなかへ収められる。これらはすべて、対象の影響を必要な範囲内に保つためである。
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But, where the influence of the object does not entirely succeed, it encounters a benevolent neutrality, disclosing little sympathy, yet constantly striving to reassure and adjust The too-low is raised a little, the too-high is made a little lower; the enthusiastic is damped, the extravagant restrained ; and the unusual brought within the ' correct ' formula : all this in order to keep the influence of the object within the necessary bounds.
言い換えると、内向的感覚型は、対象の影響を必要な範囲に収めておこうとするということです。高すぎるものは下げ、低すぎるものは上げて、その範囲に戻します。
この「必要な範囲」は、内向的感覚型にとって落ち着いていられる幅のことです。ユングは快適という語を使っていませんが、つまりは自分にとって快適な範囲に、外からの影響をととのえる働きとして読めます。この点は、このあと見る研究者の「快適」の語につながります。
小括
ユングの内向的感覚は、対象そのものより、それが内側に起こした感覚をとらえる知覚です。物の表面ではなく背景をとらえ、経験から来る意味を重ねて受け取ります。そして、外からの影響を必要な範囲にととのえます。
「主観の側の感覚」「表面より背景」「外からは読めない強さ」「必要な範囲に保つ」の4つは、このあと見るソシオニクスの研究者のSiの記述に、形を変えて引き継がれています。一方、ユングが書いた原初的な像や神話的な世界の話は、ソシオニクスの研究者にはほとんど引き継がれていません。その扱いの差は11章でまとめます。
03アウシュラの記述
創始者のアウシュラのSiの記述は、主に『ソシオニクス入門』にあります。この本で、Siは知覚のアスペクトの1つとして定義され、主導的なときの人物像も同じ箇所に書かれています。
読むときの注意を1つだけ置きます。アウシュラの機能の番号は今のサイトと違うため、番号を含まない一節を選んでいます。引用の中の「アスペクト」は、ここでは情報要素とほぼ同じ意味です。
定義: 内的な状態への反映
アウシュラは、Siのアスペクトを次のように定義しています。
対象における内的状態は、互いを条件づけ合う出来事間の関係として考察される。この知覚の要素によって、プロセスが内的状態にいかに反映されるかについての情報が知覚される。これは自分の体調と感情、すなわちこの相互条件性によって呼び起こされる人々の感情である。
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Внутреннее состояние в объекте мы рассматриваем как отношение между событиями, которые обуславливают друг друга. Этим элементом воспринимается информация о том, как процесс отражается на внутреннем состоянии. Это самочувствие и чувства людей, которые этой взаимообусловленностью вызываются.
言い換えると、アウシュラのSiは、起きているプロセスが、内側の状態にどう映るかについての情報だということです。その情報とは、具体的には人の体の状態と感情で、出来事どうしの結びつきによって呼び起こされるものだとされます。
アウシュラは、この定義の続きで、「映る」とはどういうことかを例で書いています。
空間における相互作用は、ある対象の他の対象への反映にほかならない。対象は他の対象のなかに反映され、互いに特定の感情を呼び起こす。直接的な情報を外部から個体は、起きていることからの感情として意識化する。たとえば、痛みの感覚は、機能する有機体とその何らかの部分で進行しているプロセスとの関係の脳への反映にほかならず、このプロセスはその機能を妨げている。
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Взаи- модействие в пространстве — не что иное, как от- ражение одного объекта в другом. Объекты отра- жаются в объектах, вызывая друг в друге опре- деленные чувства. Непосредственную информацию извне индивид осознает как чувства от происходя- щего. Допустим, чувство боли — это не что иное, как отражение в мозгу человека отношения между функционирующим организмом и происходящим в какой-то его части процессом, который этому функ- ционированию мешает.
ここで例に挙げられているのは、痛みの感覚です。つまり、体のどこかで進む不調が、「痛い」という不快な感覚として内側に映るということです。対象どうしは互いの中に映り合い、そのとき互いに特定の感情を呼び起こします。人は外からの情報を、起きていることからの感情として受け取る、とアウシュラは書いています。
主導的なときの姿
このアスペクトが主導的なときの人物像を、アウシュラは同じ箇所で書いています。
この知覚のアスペクトが主導的であるとき、人間は周囲の空間の質とそこにいる人々の体調を変える能力をもつ。(中略)身体的不快を避けること、そして他者をそれから守ることに長けている。これは、かつて経験した審美的感情を再構成する能力によって規定される。
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Когда этот аспект восприятия ведущий, чело- век способен изменять качества окружающего про- странства и самочувствие находящихся в нем лю-〔中略〕дей. Он умеет избегать физического дискомфорта и охранять от него других. Это определяется спо- собностью воссоздать однажды пережитые эстети- ческие чувства.
つまり、Siを主導にする人は、周りの空間の質と人の体の状態を変える力をもつということです。体の不快を避け、人をそれから守るともされます。ここで「変える」と書かれていることに注意が要ります。感じ取るだけでなく、空間や人の状態を変える側に出る、という書き方です。
アウシュラは、その力が「かつて経験した審美的感情を再構成する能力」から来ると書いています。この能力の中身は、次の一節で具体的になります。
かつての感じを、もう一度つくる
アウシュラは、審美的感情の再構成を、画家と料理の例で説明しています。
優れた例はルーベンス(●(Se)▯)であり、彼は自分の絵画を自然からではなく、かつて経験した審美的感情の記憶から制作した。(中略)同じ情報代謝タイプの個体が料理をするとき、完成する料理の味がどんなものかを想像するところから始める。こうした人々はかつて経験した審美的感情を新しい感情から区別する能力に長けている。それらをコレクションし記憶する能力がある。
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Отличным примером является Ру- бенс (®Г-), который создавал свои картины не с натуры, а по памяти о когда-то пережитых эстети- ческих чувствах.〔中略〕Когда индивид с тем же типом ИМ стряпает, он тоже начинает с того, что представляет себе, какой вкус будет иметь изготавливаемое блюдо. Эти люди способны отли- чать однажды пережитые эстетические чувства от новых. Умеют их коллекционировать и помнить.
上の引用にある●▯は、ルーベンスのタイプをアウシュラの記号2つで書いたものです。要点は、一度経験した感じを覚えておき、それを手がかりにもう一度つくるということです。ルーベンスは実物を前にして描くのではなく、記憶にある審美的な感情から絵を描きました。料理をするときも、まず完成した料理の味を思い浮かべるところから始めます。
最後の2文で、アウシュラはかつての感情と新しい感情を区別し、集めて記憶する能力を書いています。今の感じを、覚えている感じと比べて見分ける、ということです。この点は、16章で扱う当サイト独自の整理とも関わります。
快適の基準を、人に押しつける
同じ段落の終わりで、アウシュラはこの知覚の別の面を書いています。
これはまた、自分の審美的=感覚的欲求を他の人々の欲求に対置する能力でもあり、その充足のために闘う技能であり、自分自身のみならず他者のより完成された審美的嗜好や習慣をも形成し変更する技能である。彼らを際立たせているのは、自分の審美観と快適な生活の理解を他の人々に押しつける能力であると言えるだろう。
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Это и способность противопоставлять свои эстетико-сен- сорные потребности соответствующим потребнос- тям других людей, умение бороться за их удовле- творение, умение формировать и изменять .на более совершенные не только свои собственные эстетичес- кие вкусы и привычки, но и вкусы и привычки других людей. Можно сказать, что их отличает спо- собность навязывания своего понимания эстетики и комфортабельной жизни другим людям.
言い換えると、Siが主導的な人は、自分の美的・感覚的な欲求を人の欲求にぶつけ、自分の快適の基準を人に押しつけることもあるということです。アウシュラは、人の好みや習慣まで形づくり、より完成されたものへ変えていく技能だと書いています。
一般像では、Siは受け身で穏やかな要素として語られがちです。ですが、アウシュラの記述では、快適の基準を守るために闘い、周りに広げるところまでが同じ知覚に入っています。この両面の関係は、14章の読み違いで取り上げます。
最も快楽主義的なタイプ
アウシュラは、パートナー選びを論じた節で、感覚的内向型をこう書いています。
感覚的内向型はすべての者のなかで最も快楽主義者であり、それゆえ自分の身体的実存の現実をきわめてよく感じる。パートナーにとってきわめて配慮があり世話好きである。
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Сенсорный интроверт является гедонистом более всех других и поэтому исключительно хорошо чув- ствует реальность своей физической экзистенции.〔中略〕Поэто- му очень считается с удобством других людей, вни- мателен и заботлив.
上の引用にある感覚的内向型は、Siを主導にするSEIとSLIのことです。つまり、この2つのタイプは心地よさを最も求め、そのぶん自分の体の状態をよく感じるということです。そして、気配りがあり、世話好きだとされます。
アウシュラは、快楽を求めることと、体の現実をよく感じることを、「それゆえ」で1つにつないでいます。心地よさを求めるから体の状態に敏感になる、という順番の書き方です。
SLIの「責任」
アウシュラは『心理タイプ・テスト』で、SLIに一人称で語らせています。
SLI〔原文: ギャバン〕は言う。「私は、私に委ねられた人々の体調(Si)に責任を負い、この方向で、私の知性の及ぶかぎりのことをする。私は、私の手の届くすべての人々の平穏な感情生活 Ni に責任を負い、それを妨げるすべての者に攻撃性を示す。私は、自分が他者の可能性 Ne を覆い隠さないこと、他の人間の発達を妨げないことに責任を負う。私は、私を信頼する主体たちと自分の対象たちの外的形式 Se に責任を負う」。
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Потому ГАБЕН говорит: «Я ответстве- нен за самочувствие (О) вверенных мне людей и в этом направлении делаю все, доступное моему ин- теллекту. Я ответственен за мирную эмоциональ- ную жизнь А всех досягаемых мне людей и прояв- ляю агрессию ко всем, кто этому мешает. Я ответ- ственен за то, чтобы не заслонить собою возможностей А, не помешать развитию другого человека. Я ответственен за внешнюю форму ® до- веряющих мне субъектов и своих объектов».
上の引用では、SLIが4つの要素について、自分が何に責任を負うかを述べています。1つ目がSiで、任された人々の体調に責任を負うという言い方です。
ここでのSiは、自分の心地よさではなく、人の体調を引き受けるものとして書かれています。アウシュラの記述では、Siの快適は、はじめから自分と周りの両方に向いているということです。
小括
アウシュラのSiは、プロセスが内側の状態に映ったもの、つまり体調と感情の知覚です。主導的な人は、空間の質と人の体調を変え、かつて経験した感じを覚えておいて再構成し、自分の快適の基準を人に押しつけることもあります。
アウシュラのSiの定義は、「出来事」「関係」の語が入っているため、一見するとNi(内向直観)の定義に近く見えます。アウシュラはNiを「互いに連続する出来事間の関係」、つまり時間として定義しているからです。
これは、アウシュラの体系では、○(Si)と△(Ni)がどちらも対象どうしの関係を受け取る側の知覚だからです。2つは「プロセスのなかの対象」をとらえる組として並べられていて、そのため定義に同じ語が使われています。Niはその関係を時間の上の前後として、Siはそれを内側の状態として受け取る、と書き分けられています。モデルAの定義でも、SiとNiはどちらも内向で、違うのは感覚か直観かという側面だけです。
04レイニンの記述
レイニンのSiの記述は、主に『ソシオニクス: 類型論・小集団』にあります。レイニンはSiを「白い感覚」と呼び、要素の定義を短い語の列で書いています。そのうえで、タイプの節ではSiを「自信の領域」として一人称で書いています。
定義: 私の内的感覚と、快と不快
レイニンは、白い感覚を次のように定義しています。
白い感覚。私の内的感覚:味覚、触覚、性感覚。健康状態。快いものと不快なものを識別する能力。
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Subjective sensoring. My inner feelings: gustatory sense, tactile sensoring, and sexual sensoring. State of health. Ability to discern between the pleasant and the unpleasant.
言い換えると、レイニンのSiは、自分の内側の感覚、健康の状態、そして快いものと不快なものを見分ける力だということです。挙がっている例は、味覚、触覚、性の感覚です。
ここで「私の」と書かれていることが大事です。外の誰かと共有される感覚ではなく、自分の内側に生じる感覚として定義されています。そして、レイニンのSiの中心には、快いか不快か、つまり快適かどうかの見分けが置かれています。
レイニンは、第III部で、白い感覚を正と逆の2つの向きに分けています。
正の主観的感覚(+ ○〔Si〕)。 さまざまな身体的感覚:強く健康的であるという感覚、味、色、匂い。浄化や治癒のテクニック、食事療法の実践。健康への関心。健康分野での流行への追従。(中略)逆の主観的感覚(- ○〔Si〕)。 不調、痛み、空腹、疲労、その他の不快な感覚。
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Positive subjective sensing (+ ). Various bodily sensations: that of being strong and healthy, taste, color, smells. The practice of cleansing and healing techniques and diets; attention to health. Following fashions in the area of health.〔中略〕Inverse subjective sensing (- ). Indisposition, pain, hunger, fatigue, unpleasant sensations of other origin.
正の向きは、強く健康だという感覚、味・色・匂い、健康への関心です。逆の向きは、不調、痛み、空腹、疲労などの不快な感覚です。つまり、快適な側と不快な側の両方が、同じSiの中身だということです。
SEI: 私は感じる、ゆえに私は存在する
タイプの節で、レイニンはSiを主導に持つSEIをこう書いています。
SEI〔原文: デュマ〕は自分の感覚をよく知っており、自分の弱点を意識している。SEI〔原文: デュマ〕は自分の身体のどこに何があるかをよく知っており、他人の意見を必要としない。(中略)SEI〔原文: デュマ〕は感覚を渇望する:味覚的・触覚的、その他諸々である。「私の感覚が私の人生だ。何も感じられないなら、私は死んだも同然だ。私は感じる、ゆえに私は存在する」。感覚は彼のエネルギーを高める。様々な感覚の豊富さがSEI〔原文: デュマ〕の存在を確認する。
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A Dumas knows his feelings well and is aware of his weaknesses. A Dumas knows well what is wrong with his/her body and does not need other's opinion.〔中略〕A Dumas craves sensations: gustatory, tactile, etc. “My feelings are my life. If I don’t feel anything then I am dead. I feel, therefore I exist”. Feelings boost his energy. An abundance of different sensations confirms a Dumas' existence.
上の引用にあるのは、自分の体の状態をよく知っていて、他人の意見を必要としないというSEIの姿です。SEIは感覚を求め、「私は感じる、ゆえに私は存在する」と言います。さまざまな感覚が豊かにあることが、SEIの存在を確かにするとされます。
この一人称の台詞は、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」をもじったものです。レイニンは、SEIにとっては、感じることが考えることと同じ役目を持つと書いていることになります。
SLI: 自信を持てる領域は健康状態
もう一方のSi主導のタイプ、SLIの節でも、同じ形の言葉が出てきます。
信頼の領域は健康状態である。ここに自身の感じ方への自信がある。彼は通常自分が病気かそうでないかを正確に知っており、感覚を説明する優れた能力を持つ。ここでは外的な影響は何の効果も持たない。SLI〔原文: ギャバン〕は特定の病気に対してどんな治療法が最良かをよく知っている。「我感じる、ゆえに我あり」。このタイプの人々の感覚は広範囲にわたって変動しうる。彼らは他のどのタイプよりも新しい食べ物に容易に適応する。性についてはSLI〔原文: ギャバン〕はむしろ保守的である。
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the zone of confidence is the health condition. Here lies confidence about his feelings, he usually knows exactly if he is sick or not, he has an excellent ability to explain sensations. No external influences have any effect here. A Gaben knows well what treatment is best for a particular illness. “I feel, therefore I exist.” Sensations of people of this type may vary over a wide range. They easier adapt to new foods than any other types. In sex a Gaben is rather conservative.
つまり、SLIは自分の健康状態と感じ方に自信があり、外からの影響では揺らがないということです。自分が病気かどうかを正確に知り、どんな治療がよいかもよく知っているとされます。ここでも「我感じる、ゆえに我あり」の言い方が使われています。
SEIとSLIに共通するのは、自分の体の感覚を、人に言われなくても確かに知っていることです。レイニンにとってSiは、何が快く何が不快かを、自分の内側から判定する要素だと読めます。
小括
レイニンのSiは、自分の内側の感覚と健康状態、そして快と不快を見分ける力です。タイプの節では、SEIとSLIが自分の感覚を確かに知っている姿として書かれます。
ここで、レイニンのNiの定義と並べると、一見すると不思議なことがあります。
白い直観。内的な調和。状態、気分、時間感覚。出来事、人々の行動・道徳に対する個人的評価。
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Subjective intuition. The inner harmony. A state, a mood, and a sense of time. Personal evaluation of events, of people's actions and morals.
上の引用は、レイニンの白い直観、つまりNiの定義です。内的な調和、状態、気分という、読者がSiに期待しそうな語がNiの側に入っています。一方、レイニンのSiは、味覚・触覚・健康状態と、快と不快の見分けに絞られています。
この線引きは、レイニンの体系の中では筋が通っています。レイニンは、二分法の賢明と果敢を、2つの統合性の違いとして書いています。外的状況の統合性が客観直観(Ne)、内的状況の統合性が主観直観(Ni)です。内側の状態をひとまとまりの調和として感じることは、Niの側の仕事とされ、Siには体の感覚そのものが残ります。
SLIの節の恐怖の領域(Ni)の記述が、この線引きを裏から示しています。SLIは内的状態を「健康状態という医学的な用語でしか考えることができない」と書かれています(13章で引用)。つまり、レイニンのSiは状態を体の感覚として受け取り、Niは同じ状態を気分や調和として受け取るという分け方です。
レイニンは、感じた状態を1つの調和にまとめる働きをNiに、感じたままの体の状態をSiに置いています。この分け方は、16章で述べる保存する知覚(Si・Ne)と推し進める知覚(Ni・Se)の分かれ方とも重なると読めます。
05ストラティエフスカヤの記述
ストラティエフスカヤのSiの記述は、主に『お別れしないために』にあります。第I部の理論編で要素を定義し、第II部で16タイプを書いています。ストラティエフスカヤの機能の番号は、今のサイトと同じです。
定義: 楽しむ力と、美と居心地
ストラティエフスカヤは、Siを感覚の感覚と呼び、こう定義しています。
リラックスし、人生を楽しむ能力、繊細で洗練された喜びを得る能力。性を感覚の調和として知覚すること。美を創造し、知覚する能力。デザインの能力、高い内的品質への志向、清潔で過密でない空間、居心地、快適さ、美学、美しさ、健康な身体への志向。
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— "сенсорика ощущений" (пространственные ощущения) — (интровертная сенсорика, БС). Умение расслабляться и наслаждаться жизнью, умение получать тонкие и изысканные удовольствия. Восприятие секса как гармонии ощущений. Умение создавать и воспринимать прекрасное. Способность к дизайну, стремление к высокому внутреннему качеству, к чистому, неперегруженному пространству, уюту, комфорту, эстетике, красоте и здоровому телу.
言い換えると、ストラティエフスカヤのSiは、リラックスして人生を楽しむ力と、美と居心地をつくる力だということです。並んでいる語は、繊細な喜び、美の創造、デザイン、清潔で混み合っていない空間、居心地、快適さ、健康な体です。
ここでも快適さと居心地が、定義の中心に並んでいます。ストラティエフスカヤは、体の心地よさから空間のデザインまでを、1つの要素にまとめています。
なお、ストラティエフスカヤはこの見出しに「(空間的感覚)」と添えています。外向感覚(Se)の見出しには「(空間)」と添えているため、同じ「空間」の語が2つの感覚に付いています。中身は、Seが空間を統制する力、Siが空間の居心地と美で、別々に書かれています(13章で引用)。
SEI: 快適と不快、健康と病
SEIの章では、Siが日々の心配事として書かれます。
SEI〔原文: デュマ〕にとって、快適、心の平安、良好な体調、良好な気分の感覚は非常に重要である。これらの感覚のいずれかが欠如することは、彼を本格的に心配させる。例えば、もし状況が、昼食休憩にどこかへ食事に行く可能性がなく、定期的に乾パン食をせざるを得ないように展開するなら、それは彼を非常に心配させる—「だってこれは胃炎を発症させかねない…」。(中略)快適と不快、健康と病、幸福と不幸、生と死—これらが彼の論議の基本テーマである。
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Для Дюма очень важно ощущение комфорта, душевного покоя, хорошего самочувствия и хорошего настроения. Отсутствие какого-либо из этих ощущений его серьезно обеспокоит. Например, если обстоятельства складываются так, что он не имеет возможности в обеденный перерыв пойти куда-то пообедать и вынужден регулярно питаться всухомятку, это его будет очень беспокоить: "Так ведь недолго и гастрит нажить..."〔中略〕Комфорт и дискомфорт, здоровье и болезнь, счастье и несчастье, жизнь и смерть — основные темы его рассуждений.
つまり、SEIにとって、快適、心の平安、良好な体調、良い気分の感覚が欠けることは、本気の心配事になるということです。昼食に出られず、乾いたものだけで食事を済ませる日が続くと、胃炎を心配し始めます。快適と不快、健康と病が、SEIの話題の基本のテーマだとされます。
同じ章で、ストラティエフスカヤは、SEIが人の不快にどう気づくかも書いています。
他人が体験している不快な感覚に気づくことができる。例えば、誰かが暑がっていたり、寒がっていたり、窮屈だったり、息苦しかったり、靴がきつくて痛がっていることにすぐに気づく。誰かが痛みの感覚を体験している時に気づく。常にそれが何によって引き起こされているかを知っており、その原因を取り除こうと努める。
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Умеет замечать неприятные ощущения, испытываемые другими людьми. Например, сразу же заметит, что кому-то жарко, холодно, тесно, душно, кому-то жмет обувь. Замечает, когда кто-то испытывает болевые ощущения. Всегда знает, чем они вызваны, и стремится устранить их причину.
言い換えると、SEIは、人が感じている不快にすぐ気づき、その原因を取り除こうとするということです。誰かが暑がっている、窮屈そうだ、靴がきつくて痛そうだ、ということにすぐ気づきます。
自分の快適と人の快適が、同じ注意の中に入っています。Siの快適は、自分の体と周りの人の体の両方に向いている、という書き方です。アウシュラが「他者をそれから守る」と書いたこと(03章)と同じ観察です。
SLI: 快楽は感覚の調律
SLIの章では、快楽に対する考え方が、本人の言葉で書かれます。
快楽への志向は、SLI〔原文: ギャバン〕にとってむしろ人生の規範である:「快楽を求めない者などいるか? え、生きるなら必ず苦しまなければならないのか? もし私に10の生があれば、一つは母の望むように、もう一つは妻の望むように生きるだろう...しかし私には一つの生しかなく、私はそれを自分が望むように生きる。」(中略)彼の理解では、快楽とは主観的感覚の個人的調律である。快楽を受け取るために自分を調律する能力は、彼の主観的能力であり、彼の個人的功績である。
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Стремление к удовольствиям для Габена — это скорее норма жизни: "А кто не стремится к〔中略〕удовольствиям? А что, нужно жить и обязательно мучиться? Если бы у меня было десять жизней, я бы одну прожил так, как хочет мама, другую — как хочет жена... Но у меня одна жизнь и я ее проживаю так, как я хочу."〔中略〕Удовольствие в его понимании — индивидуальный настрой субъективных ощущений. Умение настраиваться на получение удовольствия — это его субъективная способность, его индивидуальная заслуга.
上の引用の要点は、SLIにとって快楽を求めるのは人生の規範であり、快楽とは自分の感覚を快適に調律することだということです。代償を払うべきものではなく、自分を調律する能力は本人の功績だとされます。
「調律」の語には、楽器の音を合わせるように、感覚をちょうどよい状態に合わせるという意味があります。ユングの「必要な範囲内に保つ」(02章)とも重なる言い方です。
SLI: 心地よい記憶へ去る
同じ章で、ストラティエフスカヤは、SLIが不快からどう身を守るかを書いています。
このタイプの代表者には、不快な感覚から自身を守ろうとする志向が特徴的である。居心地の良い、快適な隔絶へ去ること。心地よい交友、軽くて何の義務も伴わない関係を許す「温かい仲間」へ去ること。(中略)一度経験して長く記憶に留めた心地よい印象を鮮やかに正確に再現する追憶へ去ること。(「私は今でも、生涯で初めて立ったサッカーグラウンドの、刈ったばかりの草の匂いを覚えている...」)
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Для представителей этого типа характерно стремление оградить себя от неприятных ощущений. Уйти в уютное, комфортное уединение, уйти в приятное общество, в "теплую компанию", допускающую легкие и ни к чему не обязывающие отношения;〔中略〕уйти в воспоминания, ярко и точно воссоздающие приятные впечатления, однажды пережитые и надолго запомнившиеся. ("Я как сейчас помню запах свежескошенной травы футбольного поля, на которое я вышел первый раз в жизни...")
言い換えると、SLIは不快な感覚から身を守るために、居心地のよい隔たり・気楽な仲間・心地よい記憶へ去るということです。三つ目の追憶は、一度経験して長く覚えている心地よい印象を、鮮やかに正確に再現するものだとされます。
例に出てくる「刈ったばかりの草の匂い」は、何十年も前の感覚がそのまま残っていることを示しています。アウシュラの「かつて経験した審美的感情を区別し記憶する」(03章)と同じ方向の観察です。
アルファの +○、デルタの −○
ストラティエフスカヤは、クアドラの価値としてのSiを、符号の違いで書き分けています。まず、アルファクアドラです。
性、心地よい感覚、喜びの多様性は、ここでは最も広く議論されるテーマであり、これは偶然でない。なぜなら、このクアドラの第4の価値は—プラス記号付きの感覚の感覚のアスペクト(+○〔Si〕)だからだ。これは享楽への志向と、生活から最大の喜びを得る能力であり、最高水準の美学と快適さであり、喜び、楽しみ、あらゆる心地よい感覚の洗練であり、人生が贈ることのできる喜びたち—家庭の幸せと安らぎ、近しい者の健康と幸福でもある。
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Секс, приятные ощущения, разнообразие удовольствий является здесь темой самого широкого обсуждения, и это не случайно, ведь четвертая ценность этой квадры — аспект сенсорики ощущений со знаком плюс (+БС) — это и стремление к наслаждению, и умение получать максимум удовольствия от жизни, это эстетика и комфорт высочайшего уровня, это изысканность наслаждений, удовольствий и всевозможных приятных ощущений, это и те радости, которые может подарить жизнь, — счастье и покой семейного очага, здоровье и благополучие близких.
つまり、アルファクアドラのSiは、享楽を求め、生活の快適と喜びを最大にする向きだということです。美学と快適さ、心地よい感覚の洗練、家庭の幸せと安らぎが並んでいます。
次に、デルタクアドラです。
そして第四クアドラ(デルタ)の最後の支配的価値観は — 「○(Si)」のアスペクト — 感覚論理内向(SLI〔原文: ギャバン〕、SLI)のプログラム・アスペクトである。第四クアドラではこのアスペクトは否定的方向を獲得する。なぜならその社会的課題は、社会を感覚的不快感、不快な感覚と不便から解放することに発現するからである。このアスペクトのそのような方向は、肯定的業務論理 — 道理ある消費の論理 — との結合の中でのみ可能である。まさにそれによってこのアスペクトは何より実現される。例えば、便利な労働条件の創出、一度確立した秩序を変えたくないという気持ち、不快な感覚を最小限に抑える志向としてである。
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И последняя доминирующая в четвертой квадре ценность — аспект "сенсорики ощущений" (БС) — программный аспект сенсорно-логического интроверта (Габена). В четвертой квадре этот аспект получает негативное направление, поскольку его социальная задача проявляется в том, чтобы избавить общество от сенсорного дискомфорта, от неприятных ощущений и неудобств. Такое направление этого аспекта возможно только в сочетании с позитивной деловой логикой — логикой разумного потребления. Именно ею в первую очередь и реализуется этот аспект, как, например, создание удобных условий труда, нежелание менять раз заведенный порядок, стремление сводить неприятные ощущение к минимуму.
言い換えると、デルタクアドラのSiは、社会を不快な感覚と不便から解放する向きだということです。便利な労働条件をつくること、一度確立した秩序を変えたくないこと、不快を最小限にすることが、その表れとされます。
2つを並べると、アルファは快適を増やす側、デルタは不快を減らす側から同じSiを扱っています。どちらも、快適という同じ物差しの上で、向きだけが違う書き方です。
小括
ストラティエフスカヤのSiは、楽しむ力と、美と居心地と快適さをつくる力です。SEIでは自分と人の不快への敏感さ、SLIでは感覚の調律と心地よい記憶への退避として書かれます。
クアドラの価値としては、アルファの +○ が快適を増やす向き、デルタの −○ が不快を減らす向きです。快適と不快の物差しで、Siのすべての記述が組み立てられているのが、ストラティエフスカヤの書き方の特徴です。
06フィラトワの記述
フィラトワのSiの記述は、『ソシオニクスの鏡の中の人格』にあります。フィラトワは、第I部でユングの4機能のレベルから感覚を説明しています。第II部では、内向感覚型の人物像と16タイプの記述を書いています。
今ここに生き、小さな変化に気づく
フィラトワは、第I部で感覚型をこう書いています。
感覚型、すなわちセンソリックとは、心理学者たちが言うところの「今ここに生きる」人間である。彼の知覚はきわめて具体的であり、彼は、そばにある物、日常の環境、街路、周囲の人々の服装における、大きな変化だけでなく、ごく些細な変化にも容易に気づく。時には、ちらりと見ただけの光景さえ、写真のように正確に再現できることもある。感覚型は、自分自身の身体だけでなく、他人の身体の要求も見事に感じ取る。彼は快適さと心地よさに敏感であり、通例、それを自分の周りに容易に作り出す(まさにそれを目指しているからである)。
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Сенсорный тип, или сенсорик — это тот, кто, как говорят психологи, «живет здесь и теперь». Его восприятие исключительно конкретно, он легко замечает не только крупные, но и самые мелкие изменения в предметах, находящихся рядом, в бытовой обстановке, на улице, в одежде окружающих его людей. Бывает, что он фотографически точно может воспроизвести даже мельком увиденную картину. Сенсорик прекрасно ощущает потребности не только собственного тела, но и других людей. Он чувствителен к комфорту и уюту, которые, как правило, легко организует вокруг себя (поскольку к этому стремится).
上の引用にあるセンソリックは感覚型のことです。フィラトワの感覚型は、「今ここに生き」、身の回りのごく小さな変化にも容易に気づく人とされています。自分と人の体の要求をよく感じ取り、快適さと心地よさに敏感で、それを周りにつくり出します。
「ちらりと見ただけの光景さえ、写真のように正確に再現できる」という書き方は、アウシュラの「記憶する能力」(03章)とも重なります。細かな変化に気づくことと、前の状態を正確に覚えていることが、1つの能力として書かれているのが目を引きます。
内向感覚型: 調和の基準は心地よい感覚
第II部の内向感覚型の節で、フィラトワはこう書いています。
このタイプの人にとって非常に重要なのは、周囲世界の調和、美、釣り合いについての内的な観念である。この調和の基準は、彼が体験し、絶えず追い求める心地よい感覚である。そして彼は、この欲求に応える環境を自分の周りに作り出すすべを心得ている。快適さと居心地のよさ—日常の場面で彼が真っ先に注意を向けるのは、まさにそれである。また自分の身体の要求を敏感に受けとめ、身体のごく小さな不調もよく感じ取る。同じことは周囲の人々にも向けられる。
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Для человека этого типа очень важным является внутреннее представление о гармонии, красоте и соразмерности в окружающем мире. Критерий этой гармонии — приятные ощущения, которые он испытывает и к которым постоянно стремится. И он умеет создать вокруг себя обстановку, отвечающую этой потребности: комфорт и уют — это именно то, на что он в первую очередь обращает внимание в бытовой ситуации. Он также чутко воспринимает потребности своего тела, хорошо ощущает в нем малейшие неполадки. То же относится и к окружающим людям.
つまり、内向感覚型にとって大事なのは周りの世界の調和と美であり、その調和の基準は、自分が体験する快適な感覚だということです。そして、その欲求に合う環境を自分の周りにつくり出します。日常で真っ先に注意を向けるのは、快適さと居心地のよさです。
フィラトワは、自分の体のごく小さな不調を感じ取ることと、同じ注意を周りの人に向けることを、続けて書いています。自分の体に向く注意が、そのまま周りの人にも向く、という書き方です。
SEIとSLI
16タイプの記述では、SEIとSLIのSiがそれぞれ書かれます。まずSEIです。
SEIにとって、体調こそが何より重要である。この概念には、自分の身体感覚、自身の健康・不健康、食べ物とその調理に関わるすべて、職場を含めた周囲の環境の快適さと美しさ、衣服の着心地とその美的側面が含まれる。
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Для СЭИ самочувствие — самое главное. В это понятие входит и ощущение своего тела, собственного здоровья и нездоровья, все, что касается пищи и ее приготовления, комфортность и красота окружающей обстановки, в том числе и на работе, удобство и эстетичность одежды.
上の引用の要点は、SEIにとって体調が何より重要で、その中に体の感覚、健康、食べ物、環境の快適さと美しさ、服の着心地まで入るということです。体調という1語の中に、身の回りの快適がまとめて入っています。
次に、SLIです。
感覚論理内向にとって、その主導機能に応じて最も重要なのは、美しさ、調和、清潔さ、快適さの感覚、そしてそれに伴うよい心身の調子である。すべてはよくバランスが取れていなければならず、その際、美しいものは必ず合目的的なものと結びついていなければならない—仕事においても、人との関係においても、家庭用品の選択においても、そして身体的に健康な肉体の全面的な発達においてもそうである。
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Главное для сенсорно-логического интроверта, в соответствии с его программной функцией — это ощущение красоты, гармонии, чистоты, удобства и связанного с этим хорошего самочувствия. Все должно быть хорошо сбалансировано, и при этом прекрасное непременно должно сочетаться с целесообразным — и в работе, и в отношениях с людьми, и в подборе предметов домашнего обихода, и во всестороннем развитии физически здорового тела.
言い換えると、SLIがまず求めるのは、美しく清潔で、快適で、体の調子もよい状態だということです。ただし、SLIにとっての美しいものは、目的にかなう役に立つものでなければならない、とフィラトワは書いています。
SEIとSLIは、同じSi主導でも、組み合わさる判断の要素が違います。SEIはFe(外向倫理)、SLIはTe(外向論理)です。フィラトワの書き方では、SEIの快適は体調と楽しみに、SLIの快適は美しさと役に立つことの結びつきに向かうと読めます。
内向の実務家は、直観型に見える
フィラトワは、第II部の写真の注記で、内向感覚型の見え方について書いています。
外向型の感覚性は教科書通りのものであり、外向型の実務家は実際に、自分の目の前にあるものを具体的に見ている(中略)しかし内向型の実務家は、あたかも自分自身に耳を澄ませ、自分の内側に沈潜しているかのように見えるため、しばしば直観型のように見えることがある。そのまなざしは決して常に具体的であるとは限らず、直観型に特有であるような、焦点の合っていない様子に見えることもある
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сенсорность экстравертов — хрестоматийная, практик-экстраверт смотрит действительно конкретно на то, что перед его глазами〔中略〕А вот практик-интроверт часто может показаться интуитом, поскольку как бы прислушивается к себе, погружен в себя, и его взгляд отнюдь не всегда конкретен, может выглядеть и расфокусированным, как это бывает свойственно интуитам
上の引用にある実務家は、フィラトワの分類で論理と感覚を強く持つタイプの群のことです。つまり、内向の感覚型は、自分の内側に耳を澄ませているように見えるため、外からは直観型に見えることがあるということです。
これはSiの定義の話ではなく、Siを強く持つ人が、外からは直観型に見えるという観察です。感覚の向きが内側の状態に向いているので、外の物を見ているまなざしにならない、と読めます。ユングが書いた「落ち着いた受け身の物腰」(02章)とも重なります。
小括
フィラトワのSiは、心地よい感覚を基準にして、調和と快適さを身の回りにつくる力です。感覚型は今ここに生き、小さな変化にも気づきます。SEIでは体調、SLIでは美しさと合目的性の結びつきとして書かれます。
快適の基準が自分の体の感覚にあり、それが周りの人へも向くという点で、フィラトワはアウシュラやストラティエフスカヤと同じ像を書いています。一方、見え方についての注記は、Siを強く持つ人が外からどう見えるかという、ほかの研究者にはない観察です。
07イェルマークの記述
イェルマークのSiの記述は、主に機関誌の論文「人間の心と周囲世界との相互作用—情報流のアスペクト構造」(1997年)にあります。イェルマークは、情報要素を「アスペクト」と呼び、その名前を1つずつ選び直しながら定義しています。Siのアスペクトの名前は快適です。
足に合う靴と、スツール
イェルマークは、Siのアスペクトを、空間とその関係から説明しています。
空間の意味論が私たちの心にとって力の特性と結びついているとすれば、空間特性の関係は当然、私たちにとって使いやすさ—使いにくさ、快適—不快適、心地よさ、安らぎ等々の概念と結びついている。(中略)便利な靴とは何か? それは靴の空間が足にぴったり合うものである。なぜ柔らかい家具は「快適」という概念と結びつくのか? それは私たちの身体の形(空間)を取り、身体を変形させる影響が最小限であるからだ。一方、スツールは快適という概念とは結びつかない—身体を変形させる。
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Если уж семантика пространства для нашей психики связана с силовыми характеристиками, то отношение пространственных характеристик совершенно естественно связано для нас с понятиями удобство – неудобство, комфорт – дискомфорт, уют, покой, и т.п.〔中略〕Что такое удобная обувь? Это обувь, пространство которой точно соответствует ноге. Почему мягкая мебель ассоциируется с понятием “комфорт”? Потому, что она принимает форму (пространство) нашего тела, и воздействия, деформирующие наше тело, минимальны. А вот с табуреткой понятие комфорт как-то не ассоциируется – она деформирует наше тело.
言い換えると、空間の性質が力と結びつくなら、空間どうしの関係は、使いやすさ、快適さ、心地よさと結びつくということです。イェルマークは、ここで空間そのもの(Se)と、空間どうしの関係(Si)を分けています。
例として挙げられているのが、靴と柔らかい家具です。靴の空間が足にぴったり合えば使いやすく、家具が体の形を受け取って体を変形させなければ快適です。スツールは体を変形させるので、快適とは結びつきません。つまり、イェルマークの快適は、自分の体と周りの空間がぴったり合っていて、体に無理な力がかからない状態のことです。
SEIの第1機能
イェルマークは、共著者のロスランキナと、タイプごとのモデルを書いた論文で、SEIの第1機能のSiをこう書いています。
快適な感情的かつ/もしくは身体的環境をよく理解し、感じとる。自分の周囲、近しい周囲に快適さ、居心地よさを作り出し、空間を便利に整える術を心得ている。不快さについては考えないようにする。
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хорошо понимает и чувствует комфортную эмоциональную и/или физическую обстановку, знает как создать вокруг себя, в ближнем окружении комфорт, уют, удобно обустроить пространство; о дискомфорте старается не думать.
上の引用の要点は、SEIの主導のSiが、快適な感情的・身体的環境をよく理解し、自分の周りに快適さと居心地をつくるということです。空間を便利に整えることも、同じ働きとして書かれています。最後の一文で、SEIは不快さについては考えないようにする、と書かれています。
イェルマークは、Siを快適の側から書く一方で、不快を見ないようにすることも同じ機能の働き方に入れています。快適な状態を保つことと、不快を意識から外すことが、1つの働き方として書かれていると読めます。
小括
イェルマークのSiは、空間どうしの関係、つまり体と周りの空間が合っているかどうかの情報で、その意味を1語で言えば「快適」です。靴、柔らかい家具、スツールの例で、快適を体に無理な力がかからない状態として説明しています。
空間そのものはSe、空間どうしの関係はSiという分け方は、イェルマークの書き方の特徴です。13章のSeとの違いで、この分け方をもう一度使います。名前を「快適」に決めた一文は、16章で引用します。
08カルペンコの記述
カルペンコのSiの記述は、主に機関誌の論文「世界のアスペクト知覚」(1995年)と「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」(2002年)にあります。カルペンコは、Siを「S」や「白い感覚」と呼び、SEIの側から見た感覚として書いています。
言葉より、しぐさ
カルペンコは、Siの説明を次のように始めています。
さて、S(○(Si))から始めよう。これは、その完全な、本来の意味での感覚である—すべての感じ: 音、色、匂い、味、そしてもちろん—何よりもまず—触覚である。(中略)— 私たちはね、感覚型なんだよ。— それってどういうこと?— ほら、こう! /手で、指で、手のひらでのしぐさ/— ああ、なるほど!言葉は要らない—身ぶりや動きのほうが、言葉より正確なのだ。
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Итак, начнем с S ( ). Это сенсорика в ее полном, изначальном смысле - все ощущения: звук, цвет, запах, вкус и, конечно, - и прежде всего - тактильные ощущения.〔中略〕- Мы с тобой сенсорики. - А как это ? - Вот так ! /жест рукой, пальцами, ладонью/ - Да, конечно ! Слов не надо - жест, движение точнее слов.
つまり、カルペンコのSiは、音、色、匂い、味、そして何より触覚という、本来の意味での感覚だということです。同じタイプの相手に「感覚型ってどういうこと?」と聞かれ、手のひらのしぐさで「ほら、こう!」と答えれば通じる、という会話が添えられています。
カルペンコは、身ぶりや動きのほうが言葉より正確だと書いています。Siの情報は、言葉にする前の体の感じそのものだ、ということです。この点は、16章の当サイト独自の整理でも取り上げます。
受動的で、立ち止まる感覚
同じ論文で、カルペンコはSiの受け取り方を形容しています。
S(○(Si))は受動的な、観察する、距離をおいた、瞑想的な感覚である。SEIにおいてそれは快い感情の色を帯びている: 心地よい—夏の日、お日さま、その光のぬくもり、背中の下の草の感じ。感じることは心地よい!—これがSEIの信条である。(中略)感覚はあらゆる方向から来る。ある感じ取る表面: 球面あるいは円周。内なるもの(体、「私」)と外の世界との境界。(中略)感じ取り、そこに立ち止まる。結論を出さず、何かを変えようともせずに。自分の感じの、その距離をおいたありようを感じ取ること。
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S ( ) - сенсорика пассивная, наблюдающая, отстраненная, медитативная. У СЭИ она приятно эмоционально окрашена: это приятно - летний день, солнышко, тепло его лучей, ощущение травки под спиной. Ощущать - это приятно! - вот кредо СЭИ.〔中略〕Ощущения со всех сторон. Некая ощущающая поверхность: сфера или окружность. Граница между внутренним (телом, "Я") и внешним миром.〔中略〕ощутить и остановиться на этом, не делая выводов, не стремясь что-либо изменить. Ощущать отстраненность своих ощущений.
言い換えると、Siは距離をおいて観察する受動的な感覚で、感じ取ったところで立ち止まり、何も変えようとしないということです。SEIにとっては、感じること自体が心地よいとされます。
カルペンコは、○の記号がこの感覚の形を表していると書いています。感覚はあらゆる方向から来て、円の縁、つまり体と外の世界との境界で受け取られる、という説明です。
アウシュラは、Siを主導にする人が快適の基準を人に「押しつける」と書いていました(03章)。カルペンコの「受動的」は、それとは逆の向きに見えます。ですが、カルペンコが書いているのは感じ取り方で、アウシュラが書いているのはその基準をどう扱うかです。この2つの関係は、14章で取り上げます。
快適さとは何か
カルペンコは、共著者のカリュクとSEIを論じた論文で、SEIの言う快適さの中身を書いています。
多様で心地よい感覚的体験と肯定的な感情的刺激に満ちた生活—これこそSEIがめざす状態、理想であり、彼が力の及ぶかぎり作り出すものである。「快適さ(コンフォート)」—この言葉はSEIについて実によく使われる。しかしこのタイプの代表者たちの口では、「快適さ」とは外的な状況でも、しつらえでも、生活・交際・仕事の条件でもなく、何よりも、その条件が好ましい感情的雰囲気の創出と維持にどれだけ寄与するかである。生きる喜びの感覚が生まれるか?それは続くか?イエスなら—どんなに「つましい」条件でも快適である。ノーなら—どんな物質的「達成」も嬉しくない。
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Насыщенность жизни разнообразными приятными сенсорными переживаниями и положительными эмоциональными стимулами — вот то состояние, тот идеал, к которому стремится СЭИ, который он по мере своих сил создает. «Комфорт» — это слово очень часто применяется по отношению к СЭИ. Но в устах представителей этого типа «комфорт» — не внешние обстоятельства, не обстановка, не условия жизни, общения и работы, а, прежде всего, то, насколько эти условия способствуют созданию и поддержанию благоприятной эмоциональной атмосферы. Возникает ли ощущение радости жизни? Длится ли оно? Да — и даже самые «скромные» условия будут комфортными. Нет — и никакие материальные «до- стижения» не радуют.
上の引用の要点は、SEIにとっての快適さは、外の条件ではなく、生きる喜びが続くかどうかで決まるということです。喜びの感覚があれば、どんなにつましい条件でも快適です。なければ、どんな物質的な達成も嬉しくありません。
ここでカルペンコは、快適の基準を物の条件ではなく、内側の感覚に置いています。ユングの「主観の側の感覚」(02章)と、フィラトワの「調和の基準は心地よい感覚」(06章)と同じ向きの定義です。
クアドラごとのSiの扱い
もう1本の論文で、カルペンコは、クアドラごとに白い感覚がどう扱われるかを書いています。まず、アルファクアドラです。
第1クアドラ(アルファ)では白い感覚はより状況的で、より具体的である。ここでそれは、快適さ、便利さ、健康、楽しみにより多く関わる。その現れは通常、具体的な状況に条件づけられており、特定の時間と特定の場所でこそふさわしい。第1クアドラのタイプにとって白い感覚は、なんらかの社会的欲求のためというより、むしろ「自分のための楽しみ」、あるいは近しい人々の小さな輪のための楽しみを保証するものである。
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В первой квадре белая сенсорика более ситуативна, более конкретна. Здесь она в большей ме- ре касается комфорта, удобства, здоровья, удовольствия. Ее проявления обусловлены, как правило, конкретной ситуацией, они уместны в определенное время и в определенном месте. Для типов первой квадры белая сенсорика скорее обеспечивает «удовольствие для себя» или для небольшого круга близких людей, нежели какие-то общественные потребности.
上の引用の要点は、アルファクアドラの白い感覚は、具体的な状況に結びついた快適さ、便利さ、健康、楽しみに関わるということです。社会のためというより、自分や近しい人の小さな輪の楽しみを保証するものだとされます。
次に、ベータクアドラです。
第2クアドラ(ベータ)の白い感覚のアスペクトへの態度はまったく別物である。その現れを画一化し、規範化し、秩序づけようとする志向が、あらゆるところに透けて見える: 制服の着用から幾何学式庭園の造成まで、河川転流の計画から、科学的に根拠づけられた住居面積と食事配分の規範(実のところは—最低限)の導入まで。そのような感覚は、二次元的、平板と呼ぶほかない。
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Во второй квадре отношение к аспекту белой сенсорики совсем иное. Стремление унифици- ровать, нормировать, упорядочить ее проявления сквозит во всем: от ношения униформы до разбивки регулярных парков, от проектов поворота рек до введения научно обоснованных норм (а по сути — минимумов) жилой площади и рациона питания. Иначе как двумерной, плоской такую сенсорику и не назовешь.
言い換えると、ベータクアドラは快適さを画一化し、最低限の規範に収めようとするということです。制服、幾何学式の庭園、住居面積や食事の配分の規範が例に挙がり、カルペンコはそれを「二次元的、平板」と呼んでいます。
最後に、デルタクアドラです。
白い感覚(○(Si))がもっとも強力に現れるのは第4クアドラ(デルタ)のタイプにおいてである。まさにこのクアドラでこの機能は芸術の高みにまで引き上げられており、美的—という規定が完全な度合いで当てはまる。花咲く木を、流れる水を、道端のただの苔むした石を、心の休息と精神的な充溢のほかにはどんな利得もどんな効用も期待せずに眺めて愛でる—そのためには四次元の白い感覚さえあれば足りる。(中略)しかし空間とその中にあるすべてのものの改善、完成は—自己目的ではなく、四次元の白い感覚の働きの「副産物」にすぎない。
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Наиболее мощно белая сенсорика () проявляет себя у типов четвертой квадры. Именно в этой квадре эта функция поднята на высоту искусства, и ей в полной мере соответствует определение — эстетическая. Для того, чтобы любоваться цветущим деревом, бегущей водой, просто замшелым камнем у дороги, не ожидая никакой выгоды и никакой пользы, кроме душевного отдыха и духовно- го наполнения, для этого довольно лишь четырехмерной белой сенсорики.〔中略〕Но улучшение, совершенствование пространства и всего, что в нем находится, — не само- цель, а лишь «побочный продукт» действия четырехмерной белой сенсорики.
つまり、デルタクアドラでは白い感覚が最も強く表れ、芸術の高みにまで引き上げられるということです。花咲く木や苔むした石を、利得を期待せずに眺めて愛でることが、その例として書かれています。周りの空間の改善は、その働きの副産物にすぎないとされます。
3つを並べると、同じSiでも、クアドラによって快適の扱い方が違うことが分かります。アルファは状況ごとの楽しみとして、デルタは眺めて愛でる美として、Siを大事にします。一方、ベータはSiを規範に収めます。アルファとデルタはSiを大事だと感じるクアドラ、ベータはそうでないクアドラです。
小括
カルペンコのSiは、言葉より先にある体の感じそのものを、受動的に、立ち止まって受け取る感覚です。SEIにとっての快適さは、外の条件ではなく、生きる喜びの感覚が続くかどうかで決まります。
また、クアドラごとにSiの扱い方が違うことを、アルファ・ベータ・デルタで書いています。○の記号を体と世界の境界として説明する書き方は、13章のSeとの違いで、●の記号の説明と並べて引用します。
09グレンコの記述
グレンコのSiの記述は、主に『64の肖像』(2019年)にあります。グレンコは、Siを快適感覚と呼び、記号Sで表します。グレンコの体系では、情報要素は「心の状態」の名前としても使われます。
読むときの注意を1つだけ置きます。グレンコのSとFは要素の名前で、モデルの位置の名前ではありません。Sは内向感覚(Si)、Fは外向感覚(Se)のことです。
2種類の感覚
グレンコは、感覚の2つの種類を次のように分けています。
ソシオニクスでは感覚を2種類に区別する。すなわち、力の感覚(●(Se)力の感覚 F)は権力的圧力、他者を自己の意志に従属させる能力、他者に何かを行わせる能力を意味する。安らぎの感覚(○(Si)快適感覚 S)は安らぎ、味、身体感覚、健康を捉える能力である。(中略)内向感覚(○(Si)快適感覚)。食事、睡眠、衣服、住居等、身体の実体的な要求を世話することを司る心理の機能。
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Socionics identifies two types of sensation: force sensing (F), meaning power pressure, the ability to subordinate others to your will, to make others do something, and comfort sensing (S), catching comfort, taste and body sensations, health.〔中略〕introverted sensing; function of the psyche responsible for the care of the substantive requirements of the body: such as eating, sleeping, clothing, accommodation and so on.
グレンコの快適感覚は、安らぎ、味、体の感覚、健康をとらえる力で、食事、睡眠、衣服、住居といった体の実際の要求を世話する機能とされます。もう一方の力の感覚(F)は、権力による圧力、人を自分の意志に従わせる力です。
ここでのSiは、つまりは体を快適な状態に保つための世話のことです。グレンコは、Siを知覚の働きとしてだけでなく、食べる、眠る、着る、住むという日々の世話の働きとして定義しています。
状態S: 身体全体で考える
グレンコは、Sの状態が頭の中でどう進むかも書いています。
状態Sにおける知的活動は、すべての感覚から到来する信号の処理である。状態Sにおいて、人は外界からのすべての影響 ― 音、匂い、触感、温度 ― を吸収し、それらを単一の感覚的複合体において知覚する。(中略)状態Sにおいて、人もまた言葉でも絵でもなく、自分の身体全体で考える。
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Intellectual activity in state S is the processing of signals coming from all senses. In the state S, a person absorbs all the influences from the outside world — sounds, smells, touches, temperature — and perceives them in a single sensory complex.〔中略〕In the state S the person also thinks not with words and not with pictures, but with his whole body.
言い換えると、状態Sでは、音、匂い、触感、温度などすべての感覚を吸収し、1つの感覚のまとまりとして受け取るということです。人は言葉でも絵でもなく、自分の体全体で考える、とグレンコは書いています。
カルペンコの「言葉より、しぐさ」(08章)と同じく、グレンコもSiの情報を言葉の前にあるものとして書いています。
+S と −S: 職人と仲介者
グレンコは、Sを正と逆の2つの向きに分けています。
都合よく置かれること、自分のために環境を調整すること、自分の領土を自律的にすること。職人はそのような感覚を持つ。(中略)病気を治療したり、家庭内の不快を排除したりすること、また不快の中で生き残ること。これは仲介者であり、不快な極端から離れて中庸を占めることができる。
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it means to be placed conveniently, to adjust+ the environment for oneself, to make your territory autonomous. The .Craftsman has such a sensing〔中略〕this means treating the disease or- eliminating discomfort in the home, and also to survive during discomfort. This is a Mediator who can walk away from unpleasant extremes and .occupy the golden mean
上の引用で、正の向き(+S)は、自分のために環境を調整し、自分の領土を整える向きです。SLIの役割名「職人」は、この向きの名前とされます。逆の向き(−S)は、病気を治して家庭の不快を取り除き、不快な極端から離れて中庸をとる向きです。SEIの役割名「仲介者」は、こちらの名前です。
レイニンの +○/−○(04章)と同じく、グレンコも快適を整える向きと、不快を取り除く向きの2つでSiを書いています。ストラティエフスカヤのアルファの +○ とデルタの −○(05章)とは、どのタイプにどの符号を当てるかが違いますが、快適と不快の物差しで分ける点は同じです。
SEIとSLIの肖像
16タイプ編では、SEIとSLIのSiがそれぞれ書かれます。まずSEIです。
SEIは現実生活の楽しみと素朴な日々の喜びの人である。他者の習慣と快適さに非常に注意深く、誰かの安らぎを侵害しない。(中略)物の世界を研究し、物体を手に取り、それに触れて物理的特性を感じるのを好む。感覚を長い間記憶している。
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SEI is a person of real-life pleasures and simple everyday joys. She is very attentive to the habits and comfort of others and does not violate someone else’s peace.〔中略〕She studies the world of things and likes to take an object in hand to touch it and feel its physical qualities. She remembers sensations for a long time.
つまり、SEIは日々の素朴な楽しみの人で、人の習慣と快適さに気を配り、誰かの安らぎを乱さないということです。物を手に取ってその性質を感じるのを好み、感覚を長く記憶している、と書かれています。
次に、SLIです。
SLIは感覚を通じて世界を知る。自然の調和を乱すあらゆることに鋭敏で、すべての人工性、歪曲、不健康な本能を拒絶する。(中略)人物が疲れている、または具合が悪いと見れば、即座にその援助に駆けつける。
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SLI knows the world through sensations. She is acutely sensitive to everything that violates natural harmony, rejecting all artificiality, contortion, and unhealthy instincts.〔中略〕If she sees that a person is tired or does not feel well, she immediately comes to their aid.
言い換えると、SLIは感覚を通じて世界を知り、自然の調和を乱すあらゆるものに敏感で、疲れや不調といった人の体の状態を見ればすぐに助けに行くということです。人工的なもの、ゆがんだもの、不健康なものを拒むとされます。
SEIの「感覚を長い間記憶している」と、SLIの「自然の調和を乱すあらゆることに鋭敏」は、前の状態を覚えていて、そこからのずれに気づくという点で近い観察です。この点は16章で扱います。
小括
グレンコのSiは、安らぎ、味、体の感覚、健康をとらえる快適感覚で、体の要求を世話する機能です。状態としては、すべての感覚を1つのまとまりとして受け取り、体全体で考える状態です。
+S と −S で、快適を整える職人と、不快を取り除く仲介者を書き分けているのが、グレンコの書き方の特徴です。肖像では、SEIの感覚の記憶と、SLIの調和の乱れへの鋭さが書かれます。
10その他の論者の記述
ここまでの8人のほかに、Siについてまとまった記述を残した研究者が2人います。ブカロフと、システム・ソシオニクス学派のエグリトです。どちらも、Siを単独で長く書いたものではないため、1つの章にまとめます。
ブカロフ: アルファクアドラの価値としての快適さ
ブカロフは、関係論の論文の中で、クアドラの価値を説明するときにSiを書いています。
他方、第1クアドラ(アルファ)にとって快適さ—快適さの感覚(○S(Si)i)、デザイン、心地よい感覚—は非常に重要である。環境は心地よい感情を与えるべきだ。第1クアドラのタイプには白い感覚(○S(Si)i)と黒い倫理(▼F(Fe)e)との情報的結びつきがある—これらの機能はモデル A の同一水平ブロックに入る。それゆえこのクアドラの代表者にもデザイン分野、芸術分野で働く人が多く、同じ理由から、料理、外食産業、概して社会的領域に従事する人もかなり多い。
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С другой стороны, для 1-й квадры очень важен комфорт, сенсорика комфорта ( ), дизайна, приятных ощущений. Окружение должно давать приятные эмоции. У типов первой квадры существует информационная связь между белой сенсорикой ( ) и черной этикой ( ) — эти функции попадают в один горизонтальный блок модели А, и поэтому среди представителей этой квадры также много людей, которые работают в области дизайна, в художественной сфере, и по тем же причинам довольно много людей, которые занимаются кулинарией, общественным питанием, вообще социальной сферой.
言い換えると、アルファクアドラにとって、快適さ、デザイン、心地よい感覚はとても重要で、環境は心地よい感情を与えるべきだということです。ブカロフは、このクアドラでSiがFe(外向倫理)と結びついていることを指摘しています。そのため、デザインや芸術、料理や外食の分野で働く人が多い、と書いています。
ここでは、Siが単独の要素ではなく、Feと組んだクアドラの価値として書かれています。心地よい環境と、心地よい感情の雰囲気がひと組になる、という書き方です。カルペンコのアルファクアドラの記述(08章)とも一致します。
同じ論文で、ブカロフは、デルタクアドラの価値が社会に広がった例として、ある逸話を挙げています。
最初の障害は冷たいプール、フル装備で泳ぎ抜き、その後、急斜面の壁を登り、続いて3キロのさまざまな障害物を抜ける。インド人は一度ではないにせよ、全員一斉ではなかったが、指揮官の強制で抜けた。一方、ドイツの特殊部隊員、ヨーロッパ人は、そのプールを見て…拒否した。それで終わり。人々はもう「あの段階に達した」のだ。戦いたくない、特殊部隊でも—しかも軍のエリートであるのに! 彼らは今や快適さの感覚(○S(Si)i)が価値観で支配的になっている。
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Первое препятствие — холодный бассейн, проплыть его надо в полном снаряжении, потом забраться по крутой стенке и дальше три километра двигаться через разные заграждения. Индийцы не с первого раза, но прошли, не все сразу, но их командиры заставили. А немецкие спецназовцы, европейцы, посмотрели на этот бассейн и… отказались. Всё, люди уже «дошли до той стадии», что не хотят воевать, даже спецназ — а это же элита армии! У них сенсорика комфорта теперь доминирует в ценностях
上の引用は、特殊部隊の訓練番組の話です。インドの隊員は指揮官の強制で冷たいプールを泳ぎ抜けましたが、ドイツの隊員はプールを見て拒否しました。ブカロフは、快適さの感覚が価値観で支配的になった社会の例として、これを書いています。
ブカロフはこの論文で、デルタクアドラの価値をSeではなくSiに置いています。快適を価値とする社会では、力で押し切ることより、不快を避けることが優先されるという観察です。
エグリト: 空間の性質と、空間的な相互の関係
エグリトは、自己観察の手引きの中で、8つの要素を短く定義しています。Siの定義は、Seの定義と並べると分かりやすくなります。
黒い感覚、意志、意志的感覚—空間の性質についての情報。空間には境界があり、境界の変化は力によって起こり、空間は力の特性をもつ。(中略)白い感覚、快適、感じの感覚—空間的な相互の関係についての情報。便利と不便、快適と不快、居心地、調和、デザイン、美しさなど。
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ЧС, воля, волевая сенсорика — информация о свойствах пространства. Пространство имеет границы, изменение границ происходит силовым путем, пространство имеет силовые характеристики.〔中略〕БС, комфорт, сенсорика ощущений — информация о пространственных соотношениях. Удобство—неудобство, комфорт—дискомфорт, уют, гармония, дизайн, красота и т. д.
言い換えると、エグリトのSeは空間の性質、Siは空間的な相互の関係についての情報だということです。Siの例には、便利と不便・快適と不快・居心地・調和・デザイン・美しさが並びます。エグリトは、Seの例として防御・攻撃・力・圧力なども挙げています。エグリトのSiも、快適と不快の情報として定義されています。
空間の性質(Se)と空間どうしの関係(Si)という分け方は、イェルマーク(07章)と同じです。エグリトの学派はイェルマークの名前の付け方を受け継いでいて、Siを「快適」とも呼んでいます。
小括
ブカロフは、Siをアルファクアドラの価値として、Feと組んだ形で書き、デルタの価値が社会に広がった例も挙げています。エグリトは、Siを空間的な相互の関係、つまり快適と不快の情報と定義し、イェルマークと同じ分け方でSeと対にしています。どちらも短い記述ですが、11章の横断で、ほかの研究者と並べて扱います。
11研究者間で残る中核と食い違い
この章は、02〜10章の研究者別の記述を、当サイトの責任で突き合わせます。新しい引用は置かず、研究者を横断して残る中心・差の所在・差の由来の仮説の順に進み、最後に誰が何と言ったかを名指しで並べます。
研究者を横断して残る中心
第一に、Siは体と身の回りの状態を、快適か不快かとして受け取る知覚だということです。アウシュラ(快適な生活の理解)・レイニン(快いものと不快なもの)・ストラティエフスカヤ(居心地と快適さ)・フィラトワ(快適さと居心地のよさ)がその例です。イェルマーク(快適)・カルペンコ(快適さとは生きる喜びが続くか)・グレンコ(快適感覚)・ブカロフ(快適さの感覚)・エグリト(快適と不快)も、語を変えて同じことを書いています。
この点では、研究者のあいだに食い違いがありません。快適の語を使っていないユングも、外からの影響を必要な範囲に保つ、と書いていました。各章の言い直しを並べると、呼び名は違っても、行き着く先はいつも快適です。
第二に、快適の中身が体の状態になっていることです。アウシュラ(体調と感情、痛みの感覚)とレイニン(健康状態、味覚、触覚)がその例です。フィラトワ(体調こそが何より重要)とグレンコ(食事、睡眠、衣服、住居の世話)も、Siの例としてまず体を挙げています。
一般像の「心地よさ」だけでは、この面が少し薄くなります。Siの快適は、気分の良さより先に、体がどういう状態にあるかの知覚として書かれてきたということです。
第三に、自分の快適と周りの人の快適が、同じ注意の中に入っていることです。アウシュラ(他者を不快から守る、人の体調を変える)とストラティエフスカヤ(人の不快にすぐ気づく)がその例です。フィラトワ(同じことは周囲の人々にも向けられる)とグレンコ(具合が悪いと見れば助けに行く)も、この形で書いています。
第四に、前の感じを覚えていて、今の感じと比べることです。アウシュラは「かつて経験した審美的感情を新しい感情から区別し、記憶する」と書いています。ストラティエフスカヤの「長く記憶に留めた心地よい印象」と、グレンコの「感覚を長い間記憶している」も、これを書いています。フィラトワの「ごく小さな変化にも気づく」も、前の状態を覚えているから気づける観察です。
第五に、言葉にする前の、体の感じそのものを扱うことです。カルペンコの「身ぶりや動きのほうが、言葉より正確」、グレンコの「言葉でも絵でもなく、身体全体で考える」がその例です。ユングも、内向的感覚型に特徴的な表現の難しさを書いていて、同じ方向にあります。
差の所在
差は、大きく3つあります。第一に、Siを受け取る側から書くか、整える側から書くかです。カルペンコは、Siを受動的で、立ち止まり、何も変えようとしない感覚として書きます。一方、アウシュラは、空間の質と人の体調を「変える」力、快適の基準を「押しつける」力として書いています。
グレンコの世話、ストラティエフスカヤの美の創造、イェルマーク・ロスランキナの「快適さをつくる」は、その中間にあります。受け取った感じを手がかりに、周りを整える、という書き方です。
第二に、状態をどこまでSiに入れるかです。アウシュラは体調と感情をSiに入れます。一方、レイニンは、内的な調和や気分をNiの側に置き、Siを体の感覚と快・不快の見分けに絞ります。同じ「内側の状態」の語が、研究者によってSiに入ったりNiに入ったりします。
第三に、空間の扱いです。イェルマークとエグリトはSiを空間どうしの関係として定義し、ストラティエフスカヤは見出しに「空間的感覚」と添えます。一方、アウシュラ、レイニン、グレンコの定義には、空間の語がほとんど出てきません。Siを体の側から書くか、体と周りの空間の関係から書くかが分かれています。
また、記述の焦点にも差があります。アウシュラとストラティエフスカヤは人物像と関係、レイニンは一人称の存在原理、フィラトワは人物の見え方に焦点を置いています。イェルマークは語の意味、カルペンコはクアドラと感じ方の比較、グレンコは心の状態と世話に焦点を置いています。
差の由来についての仮説
当サイトの推測として、差の由来は2つ考えられます。第一に、感じ取り方と、その使い方のどちらを観測したかの違いです。カルペンコは自分の記述を、感覚・倫理のタイプの主観的な感じ方の記述として書いています。感じ方の内側から書けば、Siは受け取って立ち止まるものに見えます。一方、アウシュラは主導的なタイプがSiをどう使うかを外から書いていて、そこでは基準を守り広げる働きが目に入りやすいのかもしれません。
第二に、体系の中での要素の分け方です。レイニンは二分法から要素の性格を組み立てる体系で、内側の調和を主観直観(Ni)の側に置いています。イェルマークとエグリトは、意味論の上で実体と関係を分ける体系で、Seを空間の性質、Siを空間の関係に置いています。どこで線を引くかが体系ごとに違うため、同じ現象が別の要素の語で書かれる、と読めます。
誰が何と言ったか
- ユングは、内向的感覚を対象そのものより、それが内側に起こした感覚をとらえる知覚として定義しました。物の表面ではなく背景をとらえ、外からの影響を必要な範囲にととのえます。
- アウシュラは、Siをプロセスが内側の状態に映ったもの、つまり体調と感情の知覚と定義しました。主導的な人は空間の質と人の体調を変え、かつての感じを記憶して再構成し、自分の快適の基準を人に押しつけることもあるとしました。
- レイニンは、Siを私の内的感覚、健康状態、快いものと不快なものを見分ける力と定義しました。SEIとSLIを、自分の感覚を確かに知っているタイプとして書いています。
- ストラティエフスカヤは、Siを楽しむ力と、美と居心地と快適さをつくる力と定義しました。SEIでは人の不快への敏感さ、SLIでは感覚の調律と心地よい記憶を書き、アルファの +○ とデルタの −○ を分けています。
- フィラトワは、Siを心地よい感覚を基準にして、調和と快適さを身の回りにつくる力として書きました。感覚型は今ここに生き、小さな変化に気づくとしています。
- イェルマークは、Siのアスペクトに「快適」の名前を選び、空間どうしの関係、つまり体と周りの空間が合っているかどうかの情報と定義しました。
- カルペンコは、Siを受動的に、立ち止まって受け取る、言葉より先にある体の感じと書きました。SEIの快適さを、生きる喜びの感覚が続くかどうかで説明しています。
- グレンコは、Siを体の要求を世話する快適感覚とし、+S(職人)と −S(仲介者)に分けました。状態Sでは体全体で考えると書いています。
- ブカロフはSiをアルファクアドラの価値として、エグリトは空間的な相互の関係、快適と不快の情報として書いています。
12MBTIにおけるSi
MBTIにも、Si(内向的感覚)があります。MBTIの心理機能とソシオニクスの情報要素は、どちらもユングの8分割から出ています。説明の言葉は違いますが、指している中身は互いに遠いものではない、と当サイトは考えています(MBTIとソシオニクスの対応)。
この章では、MBTIの側のSiを、心理機能としての書き方と、Siを持つタイプの書き方の2面から見ます。そのうえで、11章で見たソシオニクスのSi(快適)と、どこで重なり、どこで分かれるかを確かめます。MBTIの側の原典は、マイヤーズの『Gifts Differing』(1980年)と『MBTI Manual』第3版(1998年)です。あわせて、マイヤーズ&ブリッグス財団(The Myers & Briggs Foundation)のサイトも引きます。
MBTIでSiを持つタイプ
マイヤーズは、『Gifts Differing』で、タイプの呼び方をこう決めています。
同様に、内向的感覚型とはIS-Jのタイプを指し、外向的感覚型とはES-Pのタイプを指す。ほかも同じである。これらは、ユングがもともと立てた8つのタイプの正式な名前である。
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Similarly, introverted sensing type refers to an IS—J and extraverted sensing type means an ES-P, and so on. These are the formal names of Jung’s original eight types.
言い換えると、MBTIでSiを主機能に持つのは、IS-Jの2タイプ、つまりISTJとISFJだということです。末尾のJは、外に向けて使う機能が判断の機能(思考か感情)であることを表します。
補助機能をどちらの向きで使うかは、『MBTI Manual』がこう書いています。
外向型では、第一の機能、つまり主機能は外向的に使われ、第二の機能、つまり補助機能は、ふつうは内側の世界で使われる。内向型では、第一の機能、つまり主機能は内向的に使われ、第二の機能、つまり補助機能は、ふつうは外の世界で使われる。
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For Extraverts, the first, or dominant, function will be extraverted, and the second, or auxiliary, function will typically be used in the inner world. For Introverts, the first, or dominant, function will be introverted, and the second, or auxiliary, function will typically be used in the outer world.
つまり、外向型の補助機能は内側で使われます。そのため、ESTJとESFJは、外向の判断の機能を主機能に、内向的感覚を補助機能に持つことになります。財団のサイトのタイプの表も、ISTJとISFJの主機能と、ESTJとESFJの補助機能を、内向的感覚としています。
当サイトは、MBTIとソシオニクスのタイプを、1番目と2番目の機能の組で対応づけています。この決まりでは、ISTJ・ISFJ・ESTJ・ESFJが、それぞれSLI・SEI・LSE・ESEと対応します。ソシオニクスでは、SLIとSEIがSiを1番の主導機能に、LSEとESEが2番の創造機能に持ちます。内向の2タイプでは、末尾の文字が逆になります(ISFJはソシオニクスの4文字ではISFp)。これは、2つの体系でJ/Pの定義が違うために起きる、表記の上だけの違いです。
心理機能としてのSi
まず、機能そのものの書き方です。マイヤーズは、外向的感覚と内向的感覚を左右に並べた図で、内向的感覚をこう書いています。
感覚印象のうち、客観的な要素をできるかぎり抑える。対象そのものよりも、対象によって呼び起こされた主観的な印象を重んじる。対象そのものには、本人はほとんど気づいていないこともある。(中略)ひどく風変わりで個人的な内面を育てる。その内面は、ほかの人には見えないものを見ていて、ひどく非合理に見えることもある。
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Suppresses as far as possible the objective element of the sense impression. Values the subjective impression released by the object rather than the object itself, of which the individual may hardly be aware.〔中略〕Develops an extremely eccentric and individual inner self, which sees things other people do not see, and may appear very irrational.
言い換えると、マイヤーズの内向的感覚は、対象そのものより、対象が内側に呼び起こした主観的な印象を受け取る働きだということです。そのため、ほかの人には見えないものを見る、風変わりで個人的な内面が育つとされます。02章で見たユングの「対象そのものより、それが内側に起こした感覚」と、ほとんど同じ書き方です。
ところが、1998年の『MBTI Manual』の表では、書き方が変わります。
エネルギーを内側へ向け、外の現実と、内側の考えや経験の両方について、事実と細部を蓄える。
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Directing energy inwardly and storing the facts and details of both external reality and internal thoughts and experiences
上の引用は、主機能としての内向的感覚の説明です。言い換えると、外の現実も内側の考えや経験も、事実と細部として蓄えていく働きだということです。主観的な印象の語は表から消え、蓄えることが中心に来ています。
財団のサイトでは、説明がさらに過去の側へ寄ります。
いまの事実や状況を、過去の経験と比べる。具体的な細部を思い出す力に優れる。過去を信頼し、覚えている。自分にとって大事な感覚のデータを、あとで使うために蓄える。キーワードは「思い出すこと」。
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Compares present facts and situations to past experience. Excellent recall for specific details. Trusts and remembers the past. Stores sensory data that is important to them for future use. Keyword: Remembering.
つまり、財団のSiは、いまを過去の経験と比べ、細部をよく思い出し、過去を信頼する働きです。キーワードは「思い出すこと」とされています。
3つを並べると、MBTIのSiの書き方は、主観的な印象から、蓄えた事実と過去との比較へ移っています。マイヤーズ本人の機能の説明はユングに近く、のちの『Manual』と財団の説明は、Siを主機能に持つタイプの姿に近づいている、と読めます。
Siを主機能に持つタイプ: ISTJとISFJ
マイヤーズは、Siを主機能に持つ2タイプをまとめて、こう書いています。
内向的感覚型は、その指向の組み合わせによって顕著に信頼できるものとなる。内的生活において好まれる過程である感覚を用い、記憶された印象の深く堅固な蓄積に基づいて観念を置く。これは彼らに、ほとんど揺るぎない観念を与える。
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Introverted sensing types are made remarkably dependable by their combination of preferences. They use their favorite process, sensing, in their inner life, and they base their ideas on a deep, solid accumulation of stored impressions, which gives them some almost unshakable ideas.
言い換えると、ISTJとISFJは内側で感覚を使い、蓄えた印象をもとに考えるので、ほとんど揺るがない考えも持つということです。
マイヤーズは、その安定がどこから来るかも書いています。
内向、感覚、判断的態度の3つが組み合わさって、彼らにきわめて高い安定性を与える。(中略)経験の使い方も、彼らの安定に役立っている。彼らは、いまの状況を過去の状況と比べることを習慣にしている。
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The interaction of introversion, sensing, and the judging attitude gives them extreme stability.〔中略〕Their use of experience contributes to their stability. They habitually compare present and past situations.
上の引用にある判断的態度は、MBTIの末尾のJのことです。つまり、ISTJとISFJの安定は、Siだけでなく、内向と判断的態度との組み合わせから来るとされます。そのうえで、いまの状況を過去の状況と比べる習慣が、安定を支えていると書かれています。
一方で、マイヤーズは、2タイプの内側にあるものを、こう書いています。
彼らの感覚印象は、感じ取った物事の本質に対して、鮮やかな私的な反応を引き起こす。その反応はまったく彼ら自身のもので、予測できない。
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Their sense impressions cause a vivid private reaction to the essence of the thing sensed. The reaction is all their own and unpredictable.
言い換えると、外からは事実に即して見えても、内側では感覚印象に対するその人だけの反応が起きているということです。図の「風変わりで個人的な内面」が、タイプの記述の中に残っている箇所です。
ISFJについては、仕事の例で、体の状態への注意が書かれています。
これは家庭医に向いたタイプである。患者と接するときに感情を使うことで、患者が求める温かさと安心が与えられる。そして高度に磨かれた感覚は、どんな症状も見落とさず、正確で百科事典のような記憶を頼りにできる。
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This is a fine type for a family doctor. The use of feeling in contacts with patients supplies the warmth and reassurance they crave, and the highly-cultivated sensing neglects no symptom and is able to draw on an accurate and encyclopedic memory.
つまり、ISFJの感覚は、どんな症状も見落とさないとされます。『MBTI Manual』のISFJの記述は、覚えている細部の中身を書いています。
彼らは感覚を主に内側で使い、そこに豊かな情報を蓄えている。声の調子や表情のように、自分にとって個人的な意味のある物事の細部を、はっきりと覚えている。
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They use their Sensing primarily internally, where they have a wealth of stored information. They remember clearly the details of things that have personal meaning for them, such as tones of voice or facial expression.
ISFJが覚えているのは、声の調子や表情のように、自分にとって意味のある細部だということです。
Siを補助機能に持つタイプ: ESTJとESFJ
ESFJについて、マイヤーズは、医療の仕事に就く理由をこう書いています。
思いやりと、体の状態への気づかいから、彼らはしばしば医療の仕事、とくに看護の仕事に就く。そこで彼らは、献身的な世話とともに、温かさと安らぎを与える。
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Their compassion and concern for physical conditions often take them into health professions, particularly nursing, where they provide warmth and comfort as well as devoted care.
ESFJの思いやりも、まず人の体の状態に向いているということです。
『MBTI Manual』のESFJの記述は、快適の語をそのまま使っています。
ESFJは、身の回りの一人ひとりの必要に敏感で、実際的な世話をするのが得意である。彼らの喜びと満足の多くは、ほかの人の快適さと喜びから来る。
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ESFJs are sensitive to the needs of each individual in their environment and good at providing practical caring. Much of their pleasure and satisfaction comes from the comfort and pleasure of others.
つまり、ESFJの喜びと満足の多くは、ほかの人の快適さと喜びから来るとされます。
ESTJについては、過去の経験の使い方が書かれています。
彼らは、関わりのある過去の経験を当てはめ、手直しして問題に対処する。そして、結果がすぐに、目に見える形で、手に取れる形で出る仕事を好む。
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They apply and adapt relevant past experience to deal with problems, and they prefer jobs where results are immediate, visible, and tangible.
言い換えると、ESTJは過去の経験を当てはめて問題に対処し、目に見える結果を好むということです。ここでは、補助機能のSiは、体の状態ではなく、経験の蓄えとして書かれています。
重なるところ
ソシオニクスのSiと重なるところは、3つあります。第一に、体の状態への注意です。ISFJの「どんな症状も見落とさない」、ESFJの「体の状態への気づかい」は、11章で見たソシオニクスの第二の中心、快適の中身がまず体の状態になっていることと重なります。
第二に、自分と周りの人の快適です。『MBTI Manual』のESFJの「ほかの人の快適さと喜び」は、11章の第三の中心、自分の快適と周りの人の快適が同じ注意の中に入っていることと、ほとんど同じ書き方です。ソシオニクスでも、フィラトワは、ESE(ESFJ)とSEIが身体的・感情的な快適さを最優先に置くと書いています(13章で引用)。
第三に、前の感じと比べることです。マイヤーズの「いまの状況を過去の状況と比べる」、財団の「いまの事実や状況を過去の経験と比べる」は、11章の第四の中心、前の感じを覚えていて今の感じと比べることと重なります。16章で述べる当サイトの見立て(Siにとっての過去は、保っている前の状態)とも、同じ方向にあります。
加えて、マイヤーズ本人の機能の説明は、対象そのものより内側に起きた印象を受け取るという点で、02章のユングとも03章以降のソシオニクスの研究者とも近い場所にあります。
分かれるところ
分かれるところは、対で書けます。第一に、何を受け取り、何と比べるかです。MBTIのSiが蓄えるのは、外の現実と内側の考えの両方にわたる事実と細部で、それを過去と比べます。一方、ソシオニクスのSiが受け取るのは、体と身の回りの状態で、それを快適か不快かで受け取ります。MBTIでは記憶と事実が、ソシオニクスでは快適が、Siの説明の中心に来ている、と言えます。
第二に、Siを主にするタイプの姿です。MBTIのISTJとISFJは、揺るがない考えを持ち、きわめて安定した姿で書かれます。一方、ソシオニクスのSLIとSEIは、03章のアウシュラのように、心地よさを最も求める姿で書かれます。ただし、ISTJとISFJの安定は判断的態度との組み合わせから来る、とマイヤーズ自身が書いていました。MBTIのタイプの姿には、Siのほかに、外に向ける判断の機能とJの性質が入っていると読めます。
第三に、ほかの人には見えないものを見る、という面です。マイヤーズは、内向的感覚が風変わりで個人的な内面を育てると書きます。ソシオニクスの研究者のSiには、この面はほとんど出てきません。ソシオニクスのSiは、むしろ人の体調や居心地の悪さにもすぐ気づく、周りの人の状態にも向く感覚として書かれています。
小括
MBTIのSiとソシオニクスのSiは、体の状態への注意、自分と周りの人の快適、前の感じと比べることで重なります。とくに、『MBTI Manual』のESFJの記述は、ソシオニクスの快適とほとんど同じ語を使っています。
一方、MBTIは、Siを事実と細部を蓄え、過去と比べる働きとして書く方へ移ってきました。ソシオニクスは、Siを快適か不快かとして受け取る働きとして書いています。同じSiを、MBTIは蓄えて比べる側から、ソシオニクスは快適を受け取る側から書いている、と考えることもできます。どちらの書き方も、ユングの「対象が内側に起こした感覚」から出ていて、ここで見た原典の範囲では、別物と言い切るほどの違いは見当たりません。
13Se・Ni・Neとの違い
この章では、Siを、隣にある3つの要素—Se(外向感覚)、Ni(内向直観)、Ne(外向直観)—と比べます。SeとNiはSiと性質を1つずつ共有し、Neは側面も向きも反対です。この3つとの違いで、Siの輪郭が決まります。
モデルAの公理では、Siの隣の要素は次の3つです。
- Seは、Siと同じ感覚で、向きが外向に変わったものです。
- Niは、Siと同じ内向で、側面が直観に変わったものです。
- Neは、側面も向きもSiと反対の要素です。
Siを1番の主導機能に持つタイプでは、Niが3番の規範機能、Neが5番の暗示機能、Seが7番の観察機能に入ります。つまり、3つとも、Siがどこにあるかで置き場所が決まる要素だということです。
Se: 同じ感覚、そのまま保つか、押し進めるか
まず、同じ感覚のSeです。アウシュラは、Seのアスペクトを、こう定義しています。
対象の「運動エネルギー」と呼べるものについての情報が知覚される。たとえば、人間の外的組織性についての情報、その身体的・エネルギー的データ、自分の意志を使いこなし、地位・立場を利用し、自分の意志を他の人々の意志に対置する能力についての情報である。この知覚は、このまたはあの人間が「運動エネルギー」のどのような蓄えをもっているか、そしてどれだけ仕事において有用でありうるかを見る能力を与える。
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Воспринимается информа- ция о том, что можно назвать «кинетической энер- гией> объектов, например: информация о внешней организованности человека, его физических и энер- гетических данных, умении пользоваться своей во- лей, служебным положением, противопоставлять свою волю воле других людей. Это восприятие.дает способность видеть, какими запасами «кинетичес- кой энергии> отличается тот или иной человек и насколько он может быть полезным в деле.
上の引用の要点は、Seは対象の「運動エネルギー」、つまり今その人や物が持っている力と意志の知覚だということです。自分の意志を人の意志にぶつける力についての情報だとされます。
これをアウシュラのSiの定義(03章)と並べると、違いがはっきりします。Seは力を外へ向けて押し出し、Siは起きたことを内側の状態として受け取ります。
ストラティエフスカヤも、Seの定義を、Siの定義(05章)と同じ形で書いています。
空間を統制し、影響圏を獲得する能力。目的志向性、動員、支配性、規律性、勝利への意志、外的圧力への抵抗と自身の利益の擁護、力による対抗、相手の力と抵抗能力を評価する能力。
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Способность контролировать пространство и завоевывать сферу влияния. Целеустремленность, мобилизация, властность, дисциплинированность, воля к победе, отпор внешнему давлению и защита собственных интересов, силовое противостояние, умение оценить силу противника и его способность к сопротивлению.
言い換えると、ストラティエフスカヤのSeは、空間を統制し、影響の及ぶ範囲を広げ、力で対抗する能力だということです。Siの定義に並んでいた居心地、快適さ、美とは、同じ空間を扱っていても、向かう先が逆になっています。
カルペンコは、2つの感覚の違いを、記号の形から説明しています。
他方でF—●(Se)—はまさに円であり、いやむしろ球—ゴム製の、重い、弾力のあるボール—であり、その内部である。●(Se)への働きかけはどれも、ある種の求心的な運動、中心への引き絞りを呼び起こし、応答・反応の必要を生む。(中略)○(Si)には常に対立がある: 私と世界、円の中心とその縁。●(Se)にはそのような対立がない—球の中心はその内部に埋まり込んでいる。
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В то же время F - - именно круг, еще лучше - шар, резиновый, тяжелый, упругий мячик, его внутренность. Каждое воздействие по вызывает некое центростремительное движение, стягивание к центру, порождает необходимость ответа, реакции.〔中略〕Для всегда есть оппозиция: я и мир, центр окружности и ее обод; для такой оппозиции нет - центр шара завяз в его внутренности.
つまり、●(Se)は中身の詰まった球で、働きかけられると中心へ引き絞られ、応答や反応が要るようになるということです。一方、○(Si)には、私と世界、円の中心と縁という対立がある、とカルペンコは書いています。
08章で見たとおり、カルペンコのSiは、体と世界の境界で感じ取り、立ち止まる感覚でした。Seは働きかけに反応して動き、Siは感じ取って止まります。ここに、押し進める知覚と、そのまま保つ知覚の違いが、記号の説明の形で出ています。
フィラトワは、SiとSeを持つタイプの組を比べています。
ESE〔原文: ユーゴー〕とSEI〔原文: デュマ〕は、身体的・感情的な快適さを最優先に置き、彼らの構えは「すべては人のために」であり、両者とも感覚的な快楽を求め、人生が祝祭のようなものであってほしいと望んでいる。(中略)意志の感覚の持ち主であるSEE〔原文: ナポレオン〕とESI〔原文: ドライザー〕は、粘り強さと意志の力を発揮し、自分たちの考えでは違った振る舞いをすべきだと思う相手に対して、力による働きかけを行うことができる。
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Гюго и Дюма во главу угла ставят комфорт физический и эмоциональный, их установка — «все для человека», оба стремятся к сенсорному удовольствию, им хочется, чтобы жизнь была похожа на праздник.〔中略〕Обладатели волевой сенсорики Наполеон и Драйзер проявляют настойчивость и волю, способны силовым образом воздействовать на тех, кто, по их мнению, должен вести себя иначе.
上の引用の「意志の感覚」はSeのことです。前半のESEとSEIはSiを、後半のSEEとESIはSeを、主導か創造に持つタイプです。言い換えると、Siを持つESEとSEIは快適さを最優先し、Seを持つSEEとESIは意志の力で相手に働きかけるということです。
Siは今の状態を快適なまま保ち、Seは今の状態を力で動かす、ということです。どちらも「今ここ」の感覚ですが、Siはそこにあるものの心地よさを守り、Seはそこにあるものを自分の意志の向きへ押します。
Ni: 同じ内向、今の状態か、流れの行き先か
次に、同じ内向のNiです。ユングは、内向的直観を内向的感覚と比べて、めまいの例で書いています。
内向的感覚が、主として無意識を通じて個々の神経支配の現象を知覚することにとどまり、そこから先へ出ないのに対し、直観は主観的要因のこの側面を抑え、その神経支配を実際に引き起こした像を知覚する。たとえば、ある男が心因性のめまいの発作に襲われたとする。感覚は、この神経支配の乱れの特有の性格に引きとめられ、その性質のすべて、強さ、一時的な経過、起こり方と消え方を細部まで知覚する。だが、その乱れを生んだものの本性については少しも問わず、その内容について何も持ち出さない。
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Whereas introverted sensation is mainly confined to the perception of particular innervation phenomena by way of the unconscious, and does not go beyond them, intuition represses this side of the subjective factor and perceives the image which has really occasioned the innervation. Supposing, for instance, a man is overtaken by a psychogenic attack of giddiness. Sensation is arrested by the peculiar character of this innervationdisturbance, perceiving all its qualities, its intensity, its transient course, the nature of its origin and disappearance in their every detail, without raising the smallest inquiry concerning the nature of the thing which produced the disturbance, or advancing anything as to its content.
言い換えると、内向的感覚は、めまいの性質、強さ、経過、起こり方と消え方を細部まで知覚し、そこで止まるということです。そのめまいを生んだものが何かは問いません。一方、内向的直観は、感覚からきっかけだけを受け取り、その現象を生んだ内側の像のほうへ進みます。
つまり、ユングにとって、今起きている体の状態を細部まで受け取るのがSi、その奥の意味へ進むのがNiだということです。
アウシュラは、SiとNiを、時間の向きで分けています。
人間のあらゆる活動は四アスペクト的である。そこには必ず戦術的(現在との関係—○〔Si〕)、戦略的(未来との関係—△〔Ni〕)、技術的(自然との関係—□〔Ti〕)、倫理的(人々との関係—▽〔Fi〕)のアスペクトがある。
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Любая деятельность человека четырехаспектна. В ней неизменно имеется тактический (отношение с настоящим — О), стратегический (отношение с будущим — А), технический (отношение с приро- дой — [П) и этический (отношение с людьми — [Ы) аспекты.
上の引用で、アウシュラは人の活動の4つのアスペクトを挙げ、Siを現在との関係(戦術)、Niを未来との関係(戦略)としています。Siは今の状態を、Niはそれがこの先どうなるかを扱う、という分け方です。
レイニンは、SLIの恐怖の領域(Ni)を、こう書いています。
内的世界の全一性は恐怖の領域にある。瞑想プロセスの用語を用いれば、彼は自己の内へ入り、内なる自己を研究することを恐れていると言える。瞑想するとき、彼の恐怖は増大する可能性がある。彼は自分の内的状態について、健康状態という医学的な用語でしか考えることができない。SLI〔原文: ギャバン〕は内的状態と気分とをほとんど区別しない。それゆえこのタイプの人々はしばしば、まるでいつもまったく同じ一つの状態に住んでいるかのように、温厚な気質に見える。SLI〔原文: ギャバン〕は制御できない状態を避ける。
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the integrity of the inner world is in the zone of fears. Using the terms of a meditative process, we can say that he has a fear of going within himself, and study the inner self. His fear may grow when he meditates. He is able to think about his inner state only in medical terms of health condition. A Gaben hardly differentiates the inner states and moods. This is why people of this type often seem to be even-tempered, as if they are always living in just one and the same state. A Gaben avoids the states he cannot control.
つまり、SLIは内側の状態を、健康状態という医学の語でしか考えられず、さまざまな内的状態や気分の違いをほとんど見分けないということです。04章で見たとおり、レイニンの体系では、内側の調和や気分はNiの側にあります。Siを強く持つSLIは、それを体の感覚として受け取る、という書き方です。
グレンコは、Siを主導に持つSEIとSLIが、Niをどう扱うかを書いています。
これらのタイプは客観的な世界に関与し、具体的感覚をもって生きる。彼らは自分の感覚への熱中を、時間の動きと結びついた理想主義的な哲学化(役割機能 T)によって補償する。両者の違いは、避けがたい変化をどう解釈するかにある。職人にとって、すべての良いものは過去に残されており、未来は悲観的な色調で描かれる。仲介者にとって、過去は失敗が残されている場所であり、未来は積極的な変化をもたらす。
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These types are involved in the objective world, living with concrete sensations. They compensate for their sensing infatuation with idealistic philosophizing connected with the movement of time (role function T). The difference between them lies in how they interpret inevitable changes. For the Craftsman, all good things are left in the past, and the future is painted in a pessimistic tone. For the Mediator, the past is where failures〔中略〕are left, and the future brings positive changes
上の引用にある「役割機能 T」は、モデルGの3番の機能のことで、モデルAの3番の規範機能に入る要素と同じNiが入ります。言い換えると、SEIとSLIは今の感覚に生き、時間の流れについてはそれを補うように哲学的に考えるということです。職人(SLI)にとって良いものはすべて過去にあり、仲介者(SEI)にとって未来は良い変化をもたらす、とされます。
4人の書き方をまとめると、Siは「今の体と周りの状態」、Niは「その状態の行き先と意味」の知覚です。めまいの細部と奥の像、現在と未来、体の感覚と内面の調和という対は、同じ1つの区別を別々の語で書いたものと読めます。
Ne: 側面も向きも反対、それでも組になる要素
最後に、側面も向きも反対のNeです。SiとNeは、最も遠い要素でありながら、同じクアドラで一緒に大事にされる組です。アルファクアドラとデルタクアドラは、SiとNeの両方を価値に持ちます。
ユングは、内向的感覚型の無意識について、こう書いています。
彼の無意識は主に直観の抑圧によって特徴づけられ、その結果、直観は外向的で原始的な性質を帯びるようになる。(中略)この古風な外向的直観は、現実の背景に潜むあらゆる曖昧で陰鬱、汚らわしく、危険な可能性に対して驚くべき感受性を発揮する。
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Whereas true extraverted intuition has a characteristic resourcefulness, and a ' good nose ' for every possibility in objective reality, this archaic, extraverted intuition has an amazing flair for every ambiguous, gloomy, dirty, and dangerous possibility in the background of reality.(中略)The neurosis arising from this sequence of events is usually a compulsion neurosis, in which the hysterical characters recede and are obscured by symptoms of exhaustion.
言い換えると、内向的感覚型では、直観が無意識に押し込められ、外向的で原始的な性質を帯びるということです。その直観は、現実の背景にある、あいまいで暗い、危険な可能性に敏感になるとされます。
ユングのモデルでは、最も抑えられた機能は優位の機能の反対側に来ます。内向的感覚型では、それが外向的直観です。ソシオニクスのモデルAとは組み立てが違いますが、Siを主導にするタイプにとって、Neが自分では扱いにくい側に来る点は重なっています。
アウシュラは、ILEとSEIの双対を、こう書いています。
ILE〔原文: ドン・キホーテ〕の双対—感覚倫理内向(SEI〔原文: デュマ〕)—は反対に、人々の欲求とその動機の体系を見て、喜んで皆に働きかけ、説得する。見えていないのは、もう一方のもの—潜在的可能性—だけである。
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Дуал Дон Кихота — СЕНСОРНО-ЭТИЧЕС- КИЙ ИНТРОТИМ (Дюма) — наоборот, видит по- требности людей, систему их мотивации, с удоволь- ствием всех агитирует и уговаривает. Не видит лищь другого — потенциальных возможностей.
上の引用で、アウシュラは、SEIが人々の欲求と動機の体系を見て働きかける一方、潜在的可能性だけが見えていないと書いています。SEIにとってNeは5番の暗示機能で、ILEの1番のNeがそれを補う、という双対の組み立てです。
ブカロフは、関係論の論文の中で、SiとNeのつながりを社会の単位で書いています。
あまりに良く生きるとは—白い感覚(○S(Si)i)が多いということ。白い感覚が多いとは、新しい思想(▲Ne)を生成できるということ。
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Слишком хорошо живет — значит, много белой сенсорики ( ), много белой сенсорики — значит, можно генерировать новые идеи
つまり、ブカロフの書き方では、快適が満ちた状態から、新しい思想が生まれるということです。SiとNeは反発し合うだけでなく、Siの満ち足りた状態がNeの働く条件になる、という見方です。
4つを並べると
ここまでの比べ方を表にまとめると、次のようになります。「何に向くか」は当サイトの短いまとめで、「研究者の語」は本文で引いた記述から取っています。
| 要素 | 何に向くか | 研究者の語(例) |
|---|---|---|
| Si | 今の状態の快適 | 快適、体調 |
| Se | 今働いている力 | 運動エネルギー、統制 |
| Ni | 状態の行き先と意味 | 未来、戦略、像 |
| Ne | これから何になりうるか | 可能性、思想 |
表の4つは、Siを中心に「同じ感覚」「同じ内向」「どちらも反対」の関係で並んでいます。SeとNiはSiと1つずつ性質を共有し、Neは何も共有しないのに、Siと同じクアドラで大事にされます。
小括
隣の3つの要素と比べると、Siの輪郭は次のようになります。Seと比べると、Siは今の状態を力で動かすのではなく、快適なまま保つ知覚です。Niと比べると、状態の行き先や意味ではなく、今の体と周りの状態そのものの知覚です。
そしてNeとは、側面も向きも反対でありながら、同じクアドラで組になります。Siは、この3つの「でない」で囲まれた位置にある、と言えます。この囲み方は、16章の当サイト独自の整理でも、もう一度使います。
14よくある読み違い
この章では、一般に言われているSiの像(01章)のうち、研究者の記述と照らして読み違いになりやすいものを5つ取り上げます。どれも全くの誤りではありませんが、研究者の記述のどこが切り出されて、どう変わったかを見ると、Siの輪郭がはっきりします。
「Siは受け身なだけ」
一般像では、Siは受け取るだけの穏やかな要素だとされることがあります。たしかに、カルペンコはSiを「受動的な、観察する」感覚と書いていました(08章)。ですが、研究者のSiの記述は受け身だけではありません。
アウシュラは、Siを主導にする人が空間の質と人の体調を「変える」力をもち、自分の快適の基準を人に「押しつける」と書いていました(03章)。グレンコの世話、ストラティエフスカヤの美の創造も、周りに働きかける側の記述です。
当サイトの読みでは、カルペンコの「受動的」は感じ取り方の話で、アウシュラの「押しつける」はその基準の扱い方の話です。感じ取るときは立ち止まり、その感じを快適な状態に保つためには周りへ働きかける、と書き分けられています。
「Siは快楽主義で、怠ける」
一般像では、Siの強い人は心地よさを優先して、楽なほうへ流れると言われることがあります。アウシュラも、感覚的内向型を「最も快楽主義者」と書いていました(03章)。ですが、同じアウシュラは、SLIについてこうも書いています。
自身の安寧については、他者の安寧の世話の合間にやっているかのように関わる。自分のことだけ気遣わねばならないとき、SLI〔原文: ギャバン〕 はしばしば単なる怠け者に見える。近しい人々の世話においては、大きな企業性、勤勉、そして最もありえないような状況で帳尻を合わせる手腕を発揮する。
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Собственным благополучием занимаются как бы между прочим при заботе о благополучии других. Когда приходится заботиться лишь о себе, ГАБЕ- НЫ часто кажутся просто лентяями. При заботе о близких проявляют большую предприимчивость, трудолюбие и умение свести концы с концами в самых невероятных ситуациях.
言い換えると、SLIは自分のことだけなら怠け者に見えるが、近しい人を世話するときは、驚くほど勤勉で手際がよいということです。自分の安寧は、人の世話の合間にやっているかのように扱うとされます。
研究者の記述では、Siの快適は、自分だけのものではなく、周りの人の快適と結びついています(11章)。快楽主義という言い方は、そのうち自分に向く面だけを切り出したものと読めます。
「Siは健康と体調のことだけ」
一般像では、Siは体調や健康の要素だと短く説明されます。研究者の定義にも、体調(アウシュラ)、健康状態(レイニン)が出てきます。ですが、Siの記述は体の中だけで終わっていません。
ストラティエフスカヤは、美の創造・デザイン・清潔で混み合っていない空間をSiに入れていました(05章)。イェルマークも、体と周りの空間が合っているかどうかをSiに入れていました(07章)。カルペンコのデルタクアドラは、花咲く木を眺めて愛でる美を書いています(08章)。
つまり、Siの対象は、体を出発点にして、体を取り巻く空間の居心地と美しさまで広がっているということです。体調は、その中で最も近くにあるものとして書かれている、と読めます。
「Siは過去の記憶にこだわる」
MBTIの解説では、Siが過去の経験や記憶を基準にする機能として説明されることがあり、その説明がソシオニクスのSiにも持ち込まれることがあります。ソシオニクスの研究者も、Siと記憶の結びつきを書いています。
アウシュラは「かつて経験した審美的感情を区別し、記憶する」、ストラティエフスカヤは「長く記憶に留めた心地よい印象」、グレンコは「感覚を長い間記憶している」と書いていました。ですが、研究者が書いている記憶は、手順や出来事の記憶ではなく、感覚の記憶です。
覚えているのは、ある匂い、ある味、ある心地よさです。それは今の感じを比べて見分けるための手がかりとして書かれています。記憶は、今の状態の快適を見分けるためにある、と読めます。
「Siが弱い人は体に無頓着」
一般像では、Siを大事にしないタイプは、健康や生活の快適さに無頓着だと説明されることがあります。ですが、15章で見るように、Siが弱い位置にあるタイプの記述は一様ではありません。
レイニンは、LSIの異常に高い痛覚閾値と、IEIの「畑の畝で倒れて死ぬまで耕しつづける」を書いています。一方、LIIは感覚の領域で200%の安全を必要とし、EIEは問題が起こると健康に細やかに気を配る、とも書いています。無頓着に見える場合と、気にしすぎる場合の両方があるということです。
つまり、Siが弱い位置にあることは、体に関心がないことと同じではないということです。快適を大事だと感じないか、自分では見積もりにくいか、という違いとして書かれています。
小括
5つの読み違いは、どれも研究者の記述の一部が切り出されたものです。「受け身なだけ」はカルペンコの感じ取り方の記述から、「怠ける」はアウシュラの快楽主義の記述から、「健康のことだけ」は体調の語から来ていると読めます。また、「過去にこだわる」は感覚の記憶の記述から、「弱い人は無頓着」は一部のタイプの記述から来ていると考えることもできます。
切り出す前の記述に戻すと、Siは、体と身の回りの今の状態を快適か不快かとして受け取り、快適な状態に保とうとする知覚です。受け身に見えることも、快楽を求めることも、記憶に頼ることも、その周りにある派生として説明できます。
15モデルAの8つの位置に入ったSi
この章では、SiがモデルAの8つの位置(機能位置)のそれぞれに入ったとき、研究者がどう書いているかを、要点だけ見ます。位置そのものの説明は、各位置の解説ページ(リンク先)にあります。
16のタイプのうち、Siが入る位置は次のとおりです。モデルAの定義から機械的に並べたものです。
| 位置 | タイプ |
|---|---|
| 主導機能 | SEI(ISFJ)・SLI(ISTJ) |
| 創造機能 | ESE(ESFJ)・LSE(ESTJ) |
| 規範機能 | IEI(INFJ)・ILI(INTJ) |
| 脆弱機能 | EIE(ENFJ)・LIE(ENTJ) |
| 暗示機能 | ILE(ENTP)・IEE(ENFP) |
| 動員機能 | LII(INTP)・EII(INFP) |
| 観察機能 | SLE(ESTP)・SEE(ESFP) |
| 実演機能 | LSI(ISTP)・ESI(ISFP) |
レイニンは、16タイプの節のすべてで、Siがその位置でどう表れるかを書いています。そのため、どの位置にも研究者の記述があります。
主導機能: SEI・SLI
02〜10章で見てきた記述の大部分は、主導機能のSiについてのものです。ここでは、カルペンコがSEIのSiを空間の側から書いた一節を、1つだけ足します。
タイプのモデルの第1の位置にある○(Si)は、空間の知覚を担っている。もっと正確には空間-時間、まさに相対性理論が扱うあの空間-時間—ただし空間座標が4つの—と言うほうがよい。(中略)ESE(「ヒューゴー」)やLSE(「シュティルリッツ」)には空間(建築)を構成し、創造する欲求があるのに対し、SEIにとっては、構成しうるすべての空間はすでに存在している。いま存在しており、その可能な変化もすべてすでにあるのだが、ただしこの空間-時間の異なる時間点においてなのである。
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на первом месте в модели типа отвечает за восприятие пространства. Еще лучше говорить: пространства- времени, того самого, которым оперирует теория относительности, но с четырьмя пространственными координатами.〔中略〕Если для ЭСЭ ("Гюго") или ЛСЭ ("Штирлица") есть потребность конструировать, создавать пространство (архитектуру), то для СЭИ все те пространства, которые можно сконструировать, уже существуют, существуют сейчас, все их возможные изменения уже есть, но в разных временных точках этого пространства- времени.
つまり、SEIにとって、つくりうる空間はすべてすでに存在していて、あとはそれが今どの時点にあるかだけだということです。ESEやLSEには空間を組み立て、新しくつくる欲求があるのに対し、SEIにはその必要がない、とカルペンコは書いています。
主導のSiにとって、世界は組み立て直すものではなく、すでにそこにあるものとして受け取られると読めます。この見方は、16章の当サイト独自の整理とも関わります。
創造機能: ESE・LSE
創造機能のSiについて、レイニンは、ESEの節でこう書いています。
第2機能 — 白い感覚(○(Si)):様々な感覚。 ここには広いスペクトルの選択肢がある。ESE〔原文: ヒューゴー〕は感覚を実験せずにはいられない:新しい食べ物やアルコールを味わう(ESE〔原文: ヒューゴー〕は酔うために飲むのではなく、味を取りたくて飲む必要がある)。新しい匂いを嗅ぎ、新しい音を聴く、等々をしなければならない。このタイプは食事の実験を好み、新しい味と様々な感覚を味わい「シェア」することを好む
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Function #2 — subjective sensoring ( ): various feelings. Here is a broad spectrum of choices. A Hugo has to experiment with sensations: taste new foods and alcohol drinks (a Hugo will not drink to get drunk, but will have to have a taste). He has to smell new smells, listen to a new sound, etc. This type likes to experiment with food, to relish and “share” new tastes and various sensations
上の引用の要点は、ESEは感覚を実験せずにはいられず、新しい味や匂いや音を試し、それを人と「シェア」したがるということです。主導のSEIが自分の感覚を確かに知っているのに対し、創造のESEは、感覚を広げて試し、人にも勧める側に出ます。
カルペンコが書いた「ESEやLSEには空間を構成し創造する欲求がある」(上の主導機能の引用)も、同じ方向です。2番の創造機能のSiは、快適を人のために新しくつくり出す道具として書かれています。
規範機能: IEI・ILI
規範機能のSiについて、ストラティエフスカヤは、ILIの記述でこう書いています。
ILI〔原文: バルザック〕は自分の生活環境の整備のために必要な全てを行おうとする。ILI〔原文: バルザック〕の家は彼の城塞であるだけでなく、彼の精神的・知的「オアシス」でもあり、そこには必ず彼の愛する大切なもの — 愛する本、愛する音楽、壁の愛する肖像画と写真、棚の愛する「思い出の贈り物」 — が置かれていなければならない。(中略)それにもかかわらず、感覚のセンソリック(○(Si)=Si)はILI〔原文: バルザック〕が一般的に受け入れられているレベルまで自分の中に発展させようと努める領域である。この分野での彼の成功は、彼の上手く行った双対化の保証である。
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Бальзак старается сделать все необходимое для устройства собственного быта. Дом Бальзака — не только его крепость: это и его духовный и интеллектуальный "оазис", где непременно должны находиться его любимые и дорогие ему вещи — любимые книги, любимая музыка, любимые портреты и фотографии на стенах, любимые "памятные подарки" на полках.〔中略〕Тем не менее сенсорика ощущений — это та область, которую Бальзак старается в себе развивать до общепринятого уровня. Его успехи на этом поприще — залог его успешной дуализации
上の引用にある双対化は、双対の相手と補い合う関係がうまくいくことです。言い換えると、ILIは生活環境の居心地を整えることに力を注ぎ、Siを一般に受け入れられている水準まで伸ばそうと努めるということです。家には愛する本や音楽、思い出の品が置かれていなければならないとされます。
3番の規範機能は、周りで受け入れられている水準に合わせようとする位置です。Siの快適を、自分の感覚からではなく、一般の水準に追いつく形で整えるという書き方になっています。
脆弱機能: EIE・LIE
脆弱機能のSiについては、エグリトの学派の聞き取り調査に、EIEの観察記録があります。
「先日、感覚におけるEIE(「ハムレット」)の恐れを観察した。隣人(EIE)が歯痛を抱えていた。彼は1週間それに苦しんだが、医者には行かなかった。鎮痛剤をたくさん飲んだ。(中略)つまり、彼は痛みを恐れている。だがそれを認めない。なぜ医者に行かないのかを、本人も説得力のある形で説明できない。」
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"Watched the other day fear of EIE ("Hamlet") at sensing. A neighbor (EIE) had a toothache. He suffered with it for a week, but did not go to the doctor. He ate a bunch of analgesics.〔中略〕So, he is afraid of pain. But he does not admit it. He can not convincingly explain by himself, why he does not go to the doctor.
上の引用は、学派の会員が隣人のEIEについて書いたものです。つまり、EIEは歯の痛みを1週間我慢して医者に行かず、体の不快を恐れているのに、それを認めないということです。なぜ医者に行かないのかを、本人も説得力のある形では説明できないとされます。
次に、ストラティエフスカヤは、LIEをこう書いています。
LIE〔原文: ジャック〕は不快な感覚を体験するときに苛立つ。それを恥ずかしく思うために苛立つのである。彼自身、極限的状況下では忍耐力を発揮するのに、なぜ通常の条件下ではそんな細々したことに敏感になるのか分からない。LIE〔原文: ジャック〕は自分の感覚の度合いをよく感じない。だから彼には、彼の代わりにそれを感じるパートナーが必要である。彼の好み、彼の習慣を知っているパートナー、LIE〔原文: ジャック〕が次の瞬間にどんな感覚を体験するか、あらかじめ気にかけてくれるパートナーが。
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Джек раздражается, когда испытывает неприятные ощущения. Раздражается потому, что стыдится их. Он сам не понимает, почему, например, проявляя выносливость в экстремальных ситуациях, в обычных условиях он становится восприимчив к таким мелочам. Джек плохо чувствует меру своих ощущений. Поэтому ему нужен партнер, который бы чувствовал это за него, который бы знал его вкусы, его привычки; который бы заранее побеспокоился о том, какие ощущения Джек испытает в следующую секунду.
言い換えると、LIEは不快な感覚に苛立ち、その苛立ちを恥じ、自分の感覚の度合いがよく分からないということです。そのため、自分の代わりに感じてくれるパートナー、次の瞬間にどんな感覚を体験するかを先に気にかけてくれるパートナーが必要だとされます。
脆弱機能のSiでは、Siを主導に持つタイプが最も確かに知っていること、つまり自分の体の感覚が、最も分かりにくいこととして書かれています。
暗示機能: ILE・IEE
暗示機能のSiについては、記述が多く残っています。まず、アウシュラは、ILEのSiをこう書いています。
それゆえILE〔原文: ドン・キホーテ〕の超イドの信号=刺激は主として自分の身体からのみ受け取る、すなわち自分の体調についてのみ何かを知る。これは第一信号系のレヴェルの未分化な知だ。自分の体調を理解することは彼にはできない。(中略)ILE〔原文: ドン・キホーテ〕の気分と情動は体調によって規定される、すなわち感覚的知覚と体験の複合だ。体調がよければ気分もよく、悪ければ悪い。
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Потому СУПЕРИД Дон Кихота сигналы-раздражители в основном по- лучает лишь из своего тела, то есть узнает что-то лишь про свое самочувствие. Это недифференциро- ванное знание на уровне первой сигнальной систе- мы. Разобраться в своем самочувствии он не может.〔中略〕Настроения и эмоции Дон Кихота определяют- ся самочувствием, то есть комплексом сенсорных чувств и переживаний. При хорошем самочувствии настроение хорошее, при плохом — плохое.
上の引用にある第一信号系は、言葉になる前の、体の感覚の段階の知のことです。言い換えると、ILEは自分の体の状態を感じてはいても理解できず、気分も体調に左右されるということです。
アウシュラはこのあとで、SEIがILEの不明確な感覚を分化させ、楽しませると書いています。自分では分からない体の感覚を、人に言葉にしてもらいたい要素、という書き方です。
ストラティエフスカヤは、同じILEのSiを、本人の苛立ちの側から書いています。
ILE〔原文: ドン・キホーテ〕は、自分自身の快適さについて自ら気を配らねばならないことに極めて苛立つ。なぜなら、それは彼が考え、働くのを妨げ、他のより重要な事柄から気を逸らすからである。それゆえILE〔原文: ドン・キホーテ〕は、自分の快適さの問題が彼の関与なしに何らかの形で解決されるように、パートナーとの関係を組織しようと努める。
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Дон-Кихота крайне раздражает необходимость самому заботиться о собственном комфорте, поскольку это мешает ему думать, работать и отвлекает от других более важных дел. Поэтому Дон-Кихот старается организовать отношения с партнером таким образом, чтобы вопрос его комфорта решался как-нибудь без его участия.
つまり、ILEは自分の快適さに自分で気を配らなければならないことに苛立ち、それがパートナーとの関係の中で解決されるように関係を組み立てるということです。考えることや働くことの妨げになるからだとされます。
暗示機能のSiについての記述は、自分では扱えないが、人から整えてもらいたい要素という点でそろっています。
動員機能: LII・EII
動員機能のSiについて、ストラティエフスカヤは、LIIの記述でこう書いています。
LII〔原文: ロベスピエール〕には、パートナーからの絶え間ない世話を感じ取ることが非常に重要だ。彼の理解では、愛するとは—世話をすることだ。もしパートナーが彼の感覚、便宜、快適への(LII〔原文: ロベスピエール〕の意見における)然るべき注意を示さなければ、LII〔原文: ロベスピエール〕はそのようなパートナーの感情を信じない。(中略)LII〔原文: ロベスピエール〕は、生活、快適、心地よさの組織化を自分でしなければならない必要に極めて苛立つ—それは彼をより重要な創造的な仕事から逸らす。
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Робеспьеру очень важно чувствовать постоянную заботу со стороны партнера. В его понимании любить — значит заботиться. Если партнер не проявляет должного (по мнению Робеспьера) внимания к его ощущениям, удобствам и комфорту, чувствам такого партнера Робеспьер не верит.〔中略〕Робеспьера крайне раздражает необходимость самому заниматься организацией быта, комфорта, уюта — это отвлекает его от более важной, творческой работы.
言い換えると、LIIにとって愛するとは世話をすることで、パートナーが自分の快適に注意を払わなければ、その感情を信じないということです。一方で、生活や快適さを自分で整えなければならないことには苛立つとされます。
6番の動員機能は、大事だと感じるが、自分では十分に扱えない位置です。人に快適を整えてもらうことが、愛情の証しになるという書き方です。
観察機能: SLE・SEE
観察機能のSiについて、レイニンは、SLEの節でこう書いています。
健康は無視の領域にある。SLE〔原文: ジューコフ〕は健康問題に「農夫的態度」をとる—「俺は畑の畝で倒れて死ぬまで耕し続けるんだ」。彼が病気になると(熱狂的な活動の中で全力を使い果たした結果)、他者に世話を任せる。
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health is in the area of ignoring. A Zhukov has a "farmer's attitude" in health issues: "I shall plough until I drop dead in my furrow." When he does get sick having spent all his strength in feverish activity) he allows others to take care of them.
つまり、SLEは健康を無視の領域に置き、体の状態を気にかけずに病気になるまで働き、病気になると世話を人に任せるということです。「畑の畝で倒れて死ぬまで耕し続ける」という台詞は、規範機能にSiを持つIEIについても、ほぼ同じ形でレイニンが書いています。
7番の観察機能は、1番の要素の裏側にあって、大事だと感じない位置です。SLEの1番はSeです。力で押し進めているあいだ、体のことは背景に置かれると読めます。
実演機能: LSI・ESI
実演機能のSiについて、レイニンは、LSIの節でこう書いています。
健康は規範領域にある。このタイプは異常に高い痛覚閾値を持つ。時には自虐的になり、ジムやレーストラックで長時間身体を疲労困憊させることもある。LSI〔原文: マクシム〕は難しい技を、疲労、空腹、寒さ、暑さにもかかわらず、何時間でも完璧に仕上げることができる。LSI〔原文: マクシム〕は食事や性的嗜好において保守的であり、多様性を求めない。
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health is in the area standards. This type has unusually high pain threshold. At times they may be masochistic, exhausting themselves physically for a long time in a gym or at the racetrack. A Maxim is able to perfect a difficult trick for hours despite of exhaustion, hunger, cold or heat. A Maxim is conservative in food and sex preferences, they do not seek variety.
上の引用の要点は、LSIは痛覚の閾値が異常に高く、疲労、空腹、寒さ、暑さといった体の不快をものともせずに、難しい技を何時間でも仕上げられるということです。食事や性の好みは保守的で、変化を求めないとされます。
8番の実演機能は、本人の意識にのぼらないまま強く働く位置です。体の状態をよく分かっていながら、それを快適のためではなく、耐える力として使っていると読めます。
価値の側と、そうでない側
Siが入る8つの位置は、価値の側とそうでない側に4つずつ分かれます。主導機能・創造機能・暗示機能・動員機能の4つは、そのタイプが大事だと感じる位置です。ここに入るSEI・SLI・ESE・LSE・ILE・IEE・LII・EIIは、どれもアルファかデルタのクアドラに入ります。
一方、規範機能・脆弱機能・観察機能・実演機能の4つは、大事だと感じない側の位置です。ここに入るIEI・ILI・EIE・LIE・SLE・SEE・LSI・ESIは、どれもベータかガンマのクアドラです。この分かれ方は、モデルAの定義から決まります。
研究者の記述も、この分かれ方に沿って読めます。価値の側では、Siが強い位置(主導・創造)でも弱い位置(暗示・動員)でも、快適は大事なもの、求めるものとして書かれます。ILEが快適の問題をパートナーとの関係で解決しようとし(ストラティエフスカヤ)、LIIが世話を愛情の証しとする(同)のが、弱い位置の例です。
反対に、価値でない側では、強い位置(実演)でも弱い位置(規範・脆弱)でも、快適は自分から求めるものとしては書かれていません。LSIは体の感覚を耐える力として使い、SLEは健康を無視し、EIEは痛みを恐れながら医者に行かず、ILIは一般の水準に追いつこうと努めます。カルペンコが書いたベータクアドラの扱い方(08章)は、この側をクアドラの単位で書いたものと読めます。
小括
同じSiでも、入る位置によって、研究者の書き方は大きく変わります。主導機能では体と周りの状態を確かに知る力、創造機能では快適を人のために新しくつくる道具として書かれています。規範機能では一般の水準に追いつこうとするもの、脆弱機能では自分の体の感覚が最も分かりにくい領域です。
そして、暗示機能と動員機能では人から整えてもらいたいもの、観察機能では背景に置かれるもの、実演機能では耐える力として使われるものとして書かれます。また、価値の側の位置では快適は求めるものとして書かれ、価値でない側ではそう書かれていません。
16原典の語のもとにあるイメージ(独自の整理)
ここからは当サイトの独自の整理です。16章は、研究者の定義ではなく、02〜15章の記述を踏まえた当サイトの読みです。研究者の引用で支えられるところだけ引用を添え、それ以外は確かめられていない見立てとして書きます。
原典にあるのは語のほう
02〜10章で見たとおり、原典に書かれているのは、快適、体調、健康、居心地、美しさ、快と不快といった語です。研究者ごとに語は違いますが、11章で見たとおり、指しているものはかなり近いところにあります。
当サイトは、この語の並びを次のように読んでいます。研究者は、Siという知覚のもとにある1つのイメージを、言葉にするならこう言うしかなかったのではないか、ということです。語を1つずつ覚えるより、そのもとにあるイメージをつかむほうが、なぜその語なのかが分かりやすくなります。
もとのイメージ: 何も足さず、あるものをあるままに感じ取る
当サイトの読みでは、Siのもとにあるイメージは、対象に何も足さず、あるものをあるままに感じ取ることです。意味を付けず、動かさず、押さず、そこにある状態をそのまま受け取ります。
いちばん近くにある、あるがままのものは、自分の体です。そのため、あるままに感じ取ったものを言葉にすると、まず体調になります。体を取り巻く空間に広げれば、居心地や美しさになります。あるままに保つことを言い換えれば、保存や安定になります。
そして、あるままの状態が自分にとって心地よいかどうかを言葉にすると、快適になります。イェルマークは、Siのアスペクトの名前を選ぶときに、こう書いています。
空間関係の心理的意味を一般化すれば、対応する情報アスペクトの意味論を「快適」という概念で規定できる。
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Обобщая психологический смысл пространственных соотношений можно определить семантику соответствующего информационного аспекта понятием “комфорт”
言い換えると、イェルマークは、空間どうしの関係の意味を一般化して、その名前を「快適」に決めたということです。07章で見たように、その「関係」とは、体と周りの空間がぴったり合っていて、体に無理な力がかからない状態のことでした。
当サイトは、この選び方を、あるものがあるままに保たれている状態を、1語で言い表す語を探した跡として読んでいます。体を変形させるスツールが快適でないのは、あるままの体に力を加えるからだ、と読むこともできます。
前と少し違う、という気づき
あるものをあるままに受け取り、保っているので、Siは前の状態をそのまま持っているとも言えます。そのため、状態が少しでも変わると、「前とちょっと違う」「あれ、なんかおかしくない?」という違和感で気づくことになります。
当サイトは、Siにとっての過去は、こうして保っている前の状態のことだと見ています。手順や出来事を覚えているのではなく、ある状態の感じを覚えていて、今の感じをそれと比べる、という意味での過去です。
このイメージは、研究者の記述のいくつかとよく重なります。第一に、アウシュラは、Siが主導的な人がかつて経験した審美的感情を新しい感情から区別し、集めて記憶すると書いていました(03章)。前の感じを持っているから、今の感じとの違いが分かる、と読めます。
第二に、フィラトワの感覚型は、身の回りのごく小さな変化にも容易に気づき、ちらりと見た光景を写真のように再現できるとされていました(06章)。ストラティエフスカヤのSLIの「刈ったばかりの草の匂い」(05章)、グレンコのSEIの「感覚を長い間記憶している」(09章)も、前の感じがそのまま残っていることを示す記述です。
第三に、ユングは、内向的感覚型が対象の影響を必要な範囲内に保つと書いていました(02章)。高すぎるものを下げ、低すぎるものを上げるのは、前の落ち着いた状態からずれたものを元の幅に戻すことだ、と読めます。
研究者の記述との対応
このイメージは、ほかの記述とも重なります。カルペンコは、Siを感じ取り、そこに立ち止まり、結論を出さず、何かを変えようともしない感覚と書いていました(08章)。何も足さずに受け取ることを、カルペンコはSEIの内側の感じ方として書いた、と読めます。
また、カルペンコは、SEIにとってつくりうる空間はすべてすでに存在していると書いていました(15章)。組み立て直すのではなく、すでにそこにあるものとして世界を受け取る、という書き方です。あるがままを受け取るイメージと同じ方向にあります。
一方、アウシュラの「押しつける」(03章)は、このイメージと逆に見えます。ですが、あるままの状態が乱されれば、それを元に戻すために動くことになります。保つために働きかけると読めば、受け取ることと押しつけることは同じイメージの両面だと考えることもできます。
隣の3つの要素のイメージ
同じ読み方で、13章で比べた隣の3つの要素のもとにあるイメージも、次のように整理できます。いずれも、当サイトの読みです。
- Seのもとにあるイメージは、向きと量を持った力、つまりベクトルを持っていることです。その量を言葉にすると力、力の及ぶ範囲を言えば場や影響圏、相手の向きを自分の向きに従わせれば支配になります。Siから見ると、Seはあるままの状態を押して変える働きです。
- Niのもとにあるイメージは、対象に意味を与えて、終点を1つ置くことです。点を置くと、今とそこまでのあいだに前と後ができ、それを言葉にすると時間や出来事になります。意味付けをしながら物事をとらえると、ありのままの状態は見えにくくなります。反対にNiから見ると、ありのままの状態には意味が付いていないので、終点が置けないことになります。
- Neのもとにあるイメージは、1つの対象のまわりに観測点をいくつも置いたまま、どれか1つに決めないことです。対象はまだ何にでもなりうる状態のまま残り、それを言葉にすると可能性になります。
4つを並べると、SiとNeは保存する知覚、NiとSeは推し進める知覚に分かれます。Siは何も足さずに対象をあるままに保存し、Neは観測点を開いたまま対象の可能性を保存します。一方、Niは終点を置き、Seは始点から押して、対象を1つの方向へ進めます。
この分かれ方は、13章で見たように、SiとNeが同じクアドラで一緒に大事にされることと重なります。レイニンの二分法でいえば、SiとNeの組は賢明、NiとSeの組は果敢です。04章で見たように、レイニンが内側の状態を1つの調和にまとめる働きをNiに置き、Siには感じたままの体の状態を残したのも、この分かれ方を外から書いたものと読めます。保存する知覚の2つは、見ているものは違っても、対象に手を加えずに残しておく点で近い、というのが当サイトの読みです。
言葉の出方としてのSi
このイメージからは、Siが言葉にどう出るかについても、1つの見立てが出てきます。意味付けをせず、感じたままを置いておくので、Siは「〜な感じ」「〜っぽい」「なんか嫌な感じ」「いい感じ」という、感じたままの言い方に出やすいと当サイトは見ています。
反対に、Niの「〇〇は、つまり△△なんです」のように意味を1つに定める言い方は、対象に何かを足します。Seの「それは違う」「これは強い」のように意志を押し出す言い方も同じです。Siの言い方は、対象に意味も力も足さずに自分に起きた感じだけを置く言い方で、これらと比べて見分けられるということです。
カルペンコが、Siの情報は言葉より身ぶりのほうが正確に伝わると書いたこと(08章)は、この見立てと同じ方向です。ただし、「〜な感じ」という言い方は、Siだけでなく、その場の遠慮や話し方の癖からも出てきます。1つの言い方だけでSiと決めることはできず、ほかの要素の言い方と比べて初めて見分けられる、というのが当サイトの考えです。
小括
当サイトの読みでは、Siのもとにあるイメージは、対象に何も足さず、あるものをあるままに感じ取り、そのまま保つことです。その感じを言葉にしたものが、研究者の体調、居心地、快適という語だと考えています。保っている前の状態からのずれに気づくことが、Siにとっての過去だ、とも見ています。
このイメージで並べると、SiとNeは保存する知覚、NiとSeは推し進める知覚に分かれます。研究者の語がばらばらに見えても、もとのイメージは1つだという読みです。これは研究者の定義ではなく、当サイトの見立てとして置きます。
17内向感覚(Si)とは何か
ここまで見てきたものを、当サイトの責任でまとめます。新しい引用は置きません。確からしさは、研究者章の引用より一段低くなります。最後は、「内向感覚(Si)とは、詰まるところ何なのか」に落ち着けます。
反復して現れる記述
Siについて、研究者を横断して反復される記述は5つです。体と身の回りの状態を、快適か不快かとして受け取る知覚であること。その快適の中身が、まず体の状態になっていることです。
また、自分の快適と周りの人の快適が、同じ注意の中に入っていること。前の感じを覚えていて、今の感じと比べること。そして、言葉にする前の、体の感じそのものを扱うことです。
このうち第一は、ここで取り上げた研究者がそろって書いています。アウシュラは「快適な生活の理解」、レイニンは「快いものと不快なもの」、ストラティエフスカヤとフィラトワは「快適さと居心地」と書きました。イェルマークはアスペクトの名前そのものを「快適」に決め、グレンコは「快適感覚」、エグリトは「快適と不快」と書いています。ユングの「必要な範囲内に保つ」も、快適な範囲に保つことの言い換えとして読めます。語は研究者ごとに違いますが、Siの中心はここで揺れていません。
隣の要素との違いで見ると
13章では、隣の3つの要素と比べてSiの輪郭を見ました。Seと比べると、Siは状態を押して変えるのではなく、今ある状態を感じ取って保つ知覚です。アウシュラの運動エネルギーと内側の状態、ストラティエフスカヤの統制と居心地、カルペンコの●と○の記号の説明が、この区別を書いています。
Niと比べると、Siは流れの行き先ではなく、今の状態の知覚です。ユングのめまいの細部と奥の像、アウシュラの現在と未来、レイニンの健康状態と内的な調和が、この区別を書いています。
そしてNeとは、側面も向きも反対でありながら、対象に手を加えずに残しておく側として組になります。アウシュラのILEとSEIの双対と、快適が満ちた状態から新しい思想が生まれるというブカロフの記述が、この組を書いています。
確定しない点
まず、体の状態と気分の境目は確定していません。アウシュラは体調と感情をSiに入れますが、レイニンは内的な調和や気分をNiの側に置き、Siを体の感覚と快・不快の見分けに絞っています。
また、受け取る働きと整える働きの比重も確定していません。カルペンコはSiを受動的で何も変えようとしない感覚として書き、アウシュラは人の体調を変え、快適の基準を押しつける力として書いています。14章で見たように、保つために働きかける、と読めば両者は両立しますが、文献の上でそう書いた研究者はいません。
さらに、空間をSiの定義に入れるかどうかも分かれています。イェルマークとエグリトは空間どうしの関係として定義し、アウシュラ、レイニン、グレンコの定義には空間の語がほとんど出てきません。
Si像の要約
文献上のSiは、自分の体と身の回りの状態を、快適か不快かとして受け取る知覚です。体の調子、味、肌ざわり、部屋の居心地、身の回りの美しさに目が向きます。人に向けば、その人の体調や居心地の悪さにすぐ気づきます。
そのため、Siを強く持つ人は、自分と周りの人が心地よくいられる状態を整え、それを保とうとします。前の感じをよく覚えていて、小さな変化に気づきます。不快や無理な負担からは身を引き、ときには自分の快適の基準を人に広げます。
一方で、状態を力で押して変えるのは、Seの役目です。また、今の状態がどこへ向かうかを読むのは、Niの役目です。Siは、この2つとは逆向きに、今ある状態を感じ取って保つ要素として書かれています。これが、研究者章を通して浮かび上がる像です。
内向感覚(Si)とは、詰まるところ
いろいろな研究者の書き方を見てきましたが、最初の一般像(01章)からそう遠くには行きません。体の感覚、心地よさ、居心地—ここは研究者をまたいで残ります。言い直したいのは2つです。「心地よさを好む」というより、体と身の回りの状態を、快適か不快かという物差しで受け取る。「受け身」「世話好き」というより、その物差しで今の状態を保とうとし、保つためには自分から整えに行く。急な変化や力ずくの進め方を避けがちな点は、一般像のとおりです。
かみ砕いて言えば、Siは、今の自分と周りが「快適な状態にあるかどうか」に目が向く知覚です。部屋に入れば、暑さや明るさや座り心地がまず気になります。人を見れば、その人が疲れていないか、寒くないかが分かります。前の感じを覚えているので、「前とちょっと違う」という小さな変化にも気づきます。ですが、状態を力で押して変えることや、今の感じを置いて先のことばかり考えることは、Siの得意なところではありません。快適な状態を感じ取り、それを保つ、と文献は書いています。
少なくとも、これだけは研究者をまたいで残ります。体と身の回りの状態を感じ取る。快適か不快かで受け取る。自分にも周りの人にも向く。前の感じと比べて変化に気づく。Siは、おおよそそういう要素です。
18引用と記述の方法
引用を用いる理由と範囲
ソシオニクスの文献では、同じSiについて、研究者ごとに呼び名も定義の語も観測の角度も違います。違う記述を1つの要約にまとめると、どの研究者も書いていない「平均像」ができあがります。要約には書き手の解釈が混ざるため、研究者の記述は逐語の引用で示します。
引用は、本文で設定した論点の検討に必要な範囲にとどめます。そのうえで、当サイトの本文がその出典関係・記述の差異・適用範囲を分析します。各引用の位置づけの説明、各章末の小括、11章の横断比較、13〜15章の各論が、このページの本文の役割です。
また、11章の横断比較や14章の読み違いの整理など、本文の分析には当サイトの判断が入ります。16章は当サイト独自の整理で、17章はその延長で記事全体の資料をまとめ直す独自の統合です(位置づけは章の冒頭でも明示します)。
引用の逐語性と翻訳
引用の訳文は当サイトによる訳出です。ユングはドイツ語原著の英訳版から、エグリトは学派が公開する露語版と英語版から訳出しています。MBTIの原典(マイヤーズ、『MBTI Manual』、マイヤーズ&ブリッグス財団のサイト)は、英語の原文から訳出しています。底本の綴りは各引用の「原文を表示」で確認できます。
底本は、研究者本人の著書と機関誌論文を主とします。原文は、各引用の下の「原文を表示」に格納しています。なお、原文には誤字が残る可能性があることをあらかじめお伝えしておきます。
引用の位置づけも明記します。本ページの引用は、公表された著作物からの、批評・研究を目的とする引用です。引用部は引用ブロックで明瞭に区分し、すべてに出所を番号つきで明示しています。
また、索引には著者・資料名と、確認できた範囲の刊行年・初出・該当箇所を掲載し、出所に留保が要る資料は注記で示します。本文と引用の関係は、本文の分析が主で、引用は各論点の根拠として示す資料です。出典・掲載についての指摘があれば対応します。
引用への編集操作
引用への編集操作は、次の3点に限ります。第一に、タイプ愛称の置換です。ソシオニクスの原典には、16タイプを著名人の名で呼ぶ愛称が頻出します。当サイトはタイプをコード表記(SEI、SLIなど)で統一しているため、引用内の愛称は「SEI〔原文: デュマ〕」の形式で置換します。
第二に、タイプ略号と研究者名のラテン文字への統一です。第三に、引用内の要素記号への要素コードの添え書きです。原文で要素記号が単独で要素を指す箇所には、記号のあとに要素コードを添えます(例: ○〔Si〕)。
一方、要素の名称には手を加えません。Siは研究者によって「内向的感覚」「白い感覚」「感覚の感覚」「感受の感覚」「快適」「快適感覚」「S」などと呼ばれ、名前も記号も体系ごとに違います。そのため、引用内の名称はそのまま残し、対応は各研究者章の冒頭で示します。本文では、当サイトの名称である内向感覚(Si)で統一します。
索引の使い方
引用の末尾には初出順の番号が付きます。番号を押すと巻末の索引に移動し、著者・書名と、確認できた範囲の年・該当箇所を確認できます。索引の各項目からは、本文の引用位置へ戻れます。
+索引(引用文献)
- [1]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 感覚(内向的態度) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [2]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 感覚(内向的態度) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [3]ユング『心理学的類型』(1921年) 内向的態度。原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [4]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 内向的感覚型 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [5]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 内向的感覚型 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [6]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年)第4章「IM要素の記号体系」 本文へ
- [7]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 本文へ
- [8]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 本文へ
- [9]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 本文へ
- [10]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 本文へ
- [11]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 本文へ
- [12]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998年) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [13]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)第1講 底本は英語版 本文へ
- [14]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)第III部 底本は英語版 本文へ
- [15]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)第2講「16タイプ」SEI節 底本は英語版 本文へ
- [16]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010年) 底本は英語版 本文へ
- [17]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)第1講 底本は英語版 本文へ
- [18]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、1997年)第I部 理論編 露語原典。底本は当サイト編纂の完訳アーカイブ 本文へ
- [19]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 SEI章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [20]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 SEI章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [21]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 SLI章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [22]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 SLI章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [23]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 アルファクアドラ 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [24]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 デルタクアドラ 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [25]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第I部 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [26]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第II部 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [27]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001年) SEI章 本文へ
- [28]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001年) 本文へ
- [29]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001年) 本文へ
- [30]Yermak「人間の心と周囲世界との相互作用—情報流のアスペクト構造」(原題:Взаимодействие психики человека с окружающим миром. Аспектная структура информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(1997年) 出典リンク 本文へ
- [31]Yermak & Roslankina「心のTIMモデルの記述—ソシオニクス教程の一節(第1部)」(原題:Описания моделей ТИМ психики. Раздел пособия по соционике. Часть 1)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 SEI節(1999年) 出典リンク 本文へ
- [32]Karpenko「世界のアスペクト知覚」(原題:Восприятие аспектов мира)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(1995年) 出典リンク 本文へ
- [33]Karpenko「世界のアスペクト知覚」(原題:Восприятие аспектов мира)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(1995年) 出典リンク 本文へ
- [34]Karpenko & Karjuk「感覚倫理内向型: 自然観察の試み」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2010年) 機関誌、2010年 本文へ
- [35]Karpenko「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 出典リンク 本文へ
- [36]Karpenko「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 出典リンク 本文へ
- [37]Karpenko「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 出典リンク 本文へ
- [38]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年)理論編 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [39]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年)理論編 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [40]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年)理論編 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [41]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年) 16タイプ編 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [42]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年) 16タイプ編 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [43]Bukalov「インタタイプ関係の記述」(原題:Описания интертипных отношений)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(2012年) 出典リンク 本文へ
- [44]Bukalov「インタタイプ関係の記述」(原題:Описания интертипных отношений)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(2012年) 出典リンク 本文へ
- [45]Eglit『ソシオニクス的自己観察の基礎』(原題:Основы соционического самонаблюдения、刊年不詳) 底本はシステム・ソシオニクス学派(School of System Socionics)公式サイトのロシア語原文。引用本文はその当サイト訳。刊行年は底本に記載がなく未確認 出典リンク 本文へ
- [46]マイヤーズ『Gifts Differing』(1980年)第3章 Isabel Briggs Myers with Peter B. Myers, Gifts Differing: Understanding Personality Type。引用本文は英語の原書からの当サイト訳。原文は原書の画像を文字に起こしたもので、誤字が残る可能性がある 本文へ
- [47]マイヤーズほか『MBTI Manual』(原題:MBTI Manual: A Guide to the Development and Use of the Myers-Briggs Type Indicator, Third Edition、1998年)第3章 著者は Isabel Briggs Myers, Mary H. McCaulley, Naomi L. Quenk, Allen L. Hammer。第3版、Consulting Psychologists Press。引用本文は英語の原書からの当サイト訳 本文へ
- [48]マイヤーズ『Gifts Differing』(1980年)第8章 図30 Isabel Briggs Myers with Peter B. Myers, Gifts Differing: Understanding Personality Type。引用本文は英語の原書からの当サイト訳。原文は原書の画像を文字に起こしたもので、誤字が残る可能性がある 本文へ
- [49]マイヤーズほか『MBTI Manual』(原題:MBTI Manual: A Guide to the Development and Use of the Myers-Briggs Type Indicator, Third Edition、1998年)第3章 表3.1 著者は Isabel Briggs Myers, Mary H. McCaulley, Naomi L. Quenk, Allen L. Hammer。第3版、Consulting Psychologists Press。引用本文は英語の原書からの当サイト訳 本文へ
- [50]The Myers & Briggs Foundation『The Processes of Type Dynamics』(刊年不詳) 財団の公式サイトの記事(2026年7月31日に取得)。「The Eight Dominant Processes」の節。引用本文はその当サイト訳 出典リンク 本文へ
- [51]マイヤーズ『Gifts Differing』(1980年)第9章 本文へ
- [52]マイヤーズ『Gifts Differing』(1980年)第9章 Isabel Briggs Myers with Peter B. Myers, Gifts Differing: Understanding Personality Type。引用本文は英語の原書からの当サイト訳。原文は原書の画像を文字に起こしたもので、誤字が残る可能性がある 本文へ
- [53]マイヤーズ『Gifts Differing』(1980年)第9章 Isabel Briggs Myers with Peter B. Myers, Gifts Differing: Understanding Personality Type。引用本文は英語の原書からの当サイト訳。原文は原書の画像を文字に起こしたもので、誤字が残る可能性がある 本文へ
- [54]マイヤーズ『Gifts Differing』(1980年)第9章 Isabel Briggs Myers with Peter B. Myers, Gifts Differing: Understanding Personality Type。引用本文は英語の原書からの当サイト訳。原文は原書の画像を文字に起こしたもので、誤字が残る可能性がある 本文へ
- [55]マイヤーズほか『MBTI Manual』(原題:MBTI Manual: A Guide to the Development and Use of the Myers-Briggs Type Indicator, Third Edition、1998年)第4章 ISFJ 著者は Isabel Briggs Myers, Mary H. McCaulley, Naomi L. Quenk, Allen L. Hammer。第3版、Consulting Psychologists Press。引用本文は英語の原書からの当サイト訳 本文へ
- [56]マイヤーズ『Gifts Differing』(1980年)第9章 Isabel Briggs Myers with Peter B. Myers, Gifts Differing: Understanding Personality Type。引用本文は英語の原書からの当サイト訳。原文は原書の画像を文字に起こしたもので、誤字が残る可能性がある 本文へ
- [57]マイヤーズほか『MBTI Manual』(原題:MBTI Manual: A Guide to the Development and Use of the Myers-Briggs Type Indicator, Third Edition、1998年)第4章 ESFJ 著者は Isabel Briggs Myers, Mary H. McCaulley, Naomi L. Quenk, Allen L. Hammer。第3版、Consulting Psychologists Press。引用本文は英語の原書からの当サイト訳 本文へ
- [58]マイヤーズほか『MBTI Manual』(原題:MBTI Manual: A Guide to the Development and Use of the Myers-Briggs Type Indicator, Third Edition、1998年)第4章 ESTJ 著者は Isabel Briggs Myers, Mary H. McCaulley, Naomi L. Quenk, Allen L. Hammer。第3版、Consulting Psychologists Press。引用本文は英語の原書からの当サイト訳 本文へ
- [59]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 「関係の知覚の四つのアスペクト」の節 本文へ
- [60]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第I部 理論編 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [61]Karpenko「世界のアスペクト知覚」(原題:Восприятие аспектов мира)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(1995年) 出典リンク 本文へ
- [62]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第II部 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [63]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 内向的直観 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [64]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 本文へ
- [65]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010年) 底本は英語版 本文へ
- [66]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年) 底本は英語版 本文へ
- [67]ユング『心理学的類型』(1921年)第10章 内向的感覚型 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [68]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 本文へ
- [69]Bukalov「インタタイプ関係の記述」(原題:Описания интертипных отношений)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(2012年) 出典リンク 本文へ
- [70]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998年) SLI章 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [71]Karpenko「世界のアスペクト知覚」(原題:Восприятие аспектов мира)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(1995年) 出典リンク 本文へ
- [72]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010年) 底本は英語版 本文へ
- [73]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 ILI章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [74]Eglit & Piatnitski『一次元機能における恐れの研究』(原題:Research of fears in one-dimensional functions、刊年不詳) 底本はシステム・ソシオニクス学派(School of System Socionics)公式サイトの英語版。引用本文はその当サイト訳。刊行年は底本に記載がなく未確認 出典リンク 本文へ
- [75]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 LIE章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [76]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 本文へ
- [77]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 ILE章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [78]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 LII章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [79]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010年)第2講「16タイプ」SLE節 底本は英語版 本文へ
- [80]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Соционика: Типология. Малые группы、2010年)第2講「16タイプ」LSI節 底本は英語版 本文へ
- [81]Yermak「人間の心と周囲世界との相互作用—情報流のアスペクト構造」(原題:Взаимодействие психики человека с окружающим миром. Аспектная структура информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(1997年) 出典リンク 本文へ
