観察機能 超詳細解説
モデルAの7番目の機能・イドブロック・バイタルリング
モデルAの観察機能(無視機能・制限機能・監視機能)を、ソシオニクスの研究文献からの引用をもとに解説する長編です。当サイトの通常ページは理論を短く言い換えて説明しますが、このページは研究文献からの引用を資料として示し、その比較と分析で構成します。対象は、創始者のアウシュラ・アウグスティナヴィチューテ(Aushra Augustinaviciute)から、レイニン、ブカロフ、ストラティエフスカヤ、フィラトワ、イェルマーク、カルペンコ、グレンコ、そしてシステム・ソシオニクス学派(エグリト、トゥモリスカヤ)までの各研究者です。強いのにあまり重んじられないとされる観察機能について、研究者ごとの呼び名・観測・記述を1つの要約にまとめず、引用で示して比較・分析します。
先に結論を知りたい方は、12章「研究者間で残る中核と食い違い」をご確認ください。
01観察機能とは何か
観察機能は、一般には、モデルAの7番目の機能で、強い機能なのに、本人はそれをあまり重んじないところと説明されます。「無視機能」「制限機能」「監視機能」「制御機能」といった別名や、番号で「第7機能」と呼ばれることもあります。
よく言われるのは、できるけれど、自分から進んでは使わないという像です。その領域のことは分かっていて、必要になれば使えます。ですが、本人には退屈に感じられ、それにこだわる人を少し軽く見ることもあるとされます。
また、観察機能は主導機能と同じ領域を、反対の向きから見る機能だとも言われます。主導機能が前に出ているあいだ、観察機能はその背景を見張り、危ないところに気づいて口を出す役を受け持つとされます。
例えば、Ne(外向直観)が主導のILEは、観察機能がNi(内向直観)です。ILEは時間の流れや先の見通しが分かっていながら、自分の時間の使い方にはあまり気を配らないと言われます。
また、Se(外向感覚)が観察機能のSEIは、ふだんは穏やかで押しの強さを見せないのに、追い詰められると強く押し返せるとされます。一方、Fe(外向倫理)が観察機能のESIは、場の感情の動きに合わせることはできても、それを自分から大事にすることは少ないと言われます。おおよそ、これが一般に言われている像です。
この像は、あとで見る研究者の記述がところどころ切り出されて広まったものです。強いが重んじない・背景にある・いざとなれば使える、という要素はたいてい合っています。
ですが、研究者ごとに呼び名も力点も違い、観察機能を「強い位置」と見るか「無視される場所」と見るかから分かれます。このページでは、03章から研究者ごとの記述を順に見て、18章でこの一般像のどこがそのまま残り、どこが言い直されるかに戻ります。
読この記事の読み方
想定読者は、モデルAの入口ページや観察機能の解説を読み終えて、出典まで確かめたい人です。長いページですが、読み方は単純です。各章で研究者の記述を引用で示し、そのすぐ下に当サイトの読み方(何が共通し、どこが違うか)を書きます。
流れは、01章が一般に言われている像、02章がユングの無意識の態度との関係、03〜11章が研究者別の記述(このページの中心)、12章が横断比較です。続く13〜17章が各論(暗示・規範・主導との比較、次元性、16タイプ、誤読、懸念)、18章が「観察機能とは、詰まるところ」の当サイトのまとめです。また、引用には初出順の番号が付き、押すと巻末の索引へ飛び、索引から本文へ戻れます。引用の扱い方(逐語性、訳出、編集操作)は末尾の「引用と記述の方法」にあります。
ページ冒頭の「コピーしてAIで要約!」を押すと、要約用の指示文とこのページの本文がクリップボードに入ります。AIに渡すと、要約のほか、引用の意味を聞く・研究者ごとの違いを整理させる・自分のタイプの観察機能に絞って読み直す、といった使い方ができます(長すぎるときは章を分けて渡してください)。
02ユングの無意識の態度との関係
観察機能には、ユングの類型論にそのまま対応する位置はありません。ユングの記述は主要機能・補助機能・劣等機能の区別が中心で、主要機能と同じ機能を反対の態度で持つ位置は立てていないためです。
それでも、観察機能の考え方に近い記述が1つあります。意識の態度とは反対の態度が無意識の側にあるという、ユングの無意識の態度の考え方です。そのため、先にこの記述を確認します。
無意識にも態度がある
ユングは『心理学的類型』の外向型の章で、無意識の態度をこう書いています。
私は無意識と意識の関係を補償的なものと考えている。この見方によれば、無意識も意識と同じだけ「態度」を持つと言ってよい。(中略)意識の外向的態度を実際に補うものとしての無意識の態度は、はっきりと内向的な性格を持つ。それはリビドーを主観的要因に、すなわち、あまりに外向的な意識の態度によって押し殺され、抑圧されるあらゆる欲求と要求に集中させる。
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I regard the relation of the unconscious to the conscious as compensatory. The unconscious, according to this view, has as good a claim to an ' attitude ' as the conscious.〔中略〕The attitude of the unconscious as an effective complement to the conscious extraverted attitude has a definitely introverting character. It focusses libido upon the subjective factor, i.e. all those needs and claims which are stifled or repressed by a too extraverted conscious attitude.
言い換えると、外向的な意識には、それを補う内向的な態度が無意識の側についているということです。意識が外の対象に引き寄せられるほど、押しのけられた自分の側の欲求が、無意識の態度に集まるとされます。
モデルAの観察機能は、主導機能と同じ側面を、指向だけ逆にした位置です。外向の主導機能を持つタイプなら、観察機能は同じ側面の内向になります。意識の態度と反対の態度が無意識にある、というユングの見方は、この組み立てと同じ形をしていると読めます。
補償は対立ではなく補足
ユングは、意識と無意識のこの関係を「補償」と呼びます。定義の章では、補償をこう説明しています。
意識の活動は選択的である。選択には方向が要る。そして方向は、関係のないものすべての除外を要する。したがって、意識の方向づけにある程度の一面性が生じるのは、ときに避けられない。選ばれた方向によって除外され、抑えられた内容は無意識へ沈み、そこで実際に存在しつづけることによって、意識の方向づけに対するはっきりした釣り合いのおもりとなる。(中略)無意識による補償は、通例、対立というよりは、意識の方向づけの水準合わせ、あるいは補足である。(中略)正常な状態では、補償は無意識的である。すなわち、補償は意識の活動を無意識のうちに調整する。
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The activity of the conscious is selective. Selection demands direction. direction requires the exclusion of everything irrelevant. On occasion, therefore, a certain onesidedness of the conscious orientation is inevitable. The contents that are excluded and inhibited by the chosen direction sink into the unconscious, where by ^virtue of their effective existence they form a definite counterweight against the conscious orientation.〔中略〕Compensation by the unconscious is, as a rule, not so much a contrast as a levelling up or supplementing of the conscious orientation.〔中略〕the normal condition the compensation is unconscious, i.e. it performs an unconscious regulation of conscious activity.
ユングの説明を平たく言えば、意識は1つの方向を選ぶので、選ばれなかったものは外されて無意識に沈み、そこで意識の偏りを釣り合わせるおもりになるということです。その働きは、ふつうは対立ではなく補足で、本人に気づかれないまま意識を調整します。
この「気づかれないまま調整する」という点は、のちの研究者の観察機能の記述と重なります。アウシュラは観察機能の要素を主導機能の「恒常的な背景」と書き(03章)、イェルマークは観察機能を含むブロックの働きを「自動的」で意識されないと書きます(08章)。
読むときの注意
同じ外向型の章で、ユングは無意識の側に入る機能をこう書いています。
ある習慣を外向的と呼べるのは、外向の機制が優勢であるときだけである。そのような場合、最も高度に分化した機能はつねに外向的に用いられ、劣等機能は内向の用に供される。すなわち、より価値を置かれた機能は、より意識的であるために、意識的な統制と目的にいっそう完全に従い、これに対して意識の度合いの低い機能、言い換えれば部分的に無意識的な劣等機能は、意識的な自由選択にはるかに小さな程度でしか従わない。
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A habitus can be called extraverted only when the mechanism of extraversion predominates. In such a case the most highly differentiated function has a constantly extraverted application, while the inferior functions are found in the service of introversion, i.e. the more valued function, because the more conscious, is more completely subordinated to conscious control and purpose, whilst the less conscious, in other words, the partly unconscious inferior functions are subjected to conscious free choice in a much smaller degree.
つまり、ユングの枠で内向の側に置かれるのは劣等機能のほうで、主要機能が向きだけ変えて無意識に入る、という書き方ではありません。最も分化した機能は外向のまま使われ、意識の度合いの低い機能ほど、自由な選択に従わないとされます。
そのため、ここで見たユングの記述は、観察機能の直接の起源ではなく、「意識と反対の向きの態度が無意識にある」という形の先例として読むのが妥当です。主導機能と同じ要素を逆の向きで持つ位置をはっきり立てたのは、ソシオニクスのモデルAです。
小括します。ユングでは、無意識は意識と反対の態度を持ち、気づかれないまま意識を補うものです。補償は対立よりも補足で、選ばれなかったものが釣り合いのおもりになります。
この反対の態度・背景・気づかれない調整の3点は、ソシオニクスの研究者がそれぞれの語彙で観察機能に書き込んでいきます。03章からはその書き方を順に見ます。
03アウシュラの記述
アウシュラの観察機能の記述は、主に『機能の理論(フンクツィオニカ)』の「第5機能」の節にあります。8つの機能を1つずつ説明した著作で、この機能は「強い・バイタル・アクセプト」の機能として置かれます。3標識とは、強弱・メンタルかバイタルか・受容(アクセプト)か生成かという、位置を分ける3つの目印のことです。
読むときの注意を1つだけ置きます。『機能の理論』の第5機能は、現行の観察機能(7番)です。引用に出る「第1アスペクト」は、現行の主導機能の要素のことで、こちらは番号が同じです。
第1アスペクトの恒常的な背景
『機能の理論』の第5機能の節は、主導機能との関係から書き始められています。アウシュラは、この機能をこう定義しています。
このアスペクトは第1アスペクトに対する恒常的な背景として知覚される。深い認識はなく、このアスペクトは「自分のもの」としてのみ存在すると言ってよい。他者のことはこのアスペクトについてきわめて稀にしか評価しない。あるがままに知覚する。
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Этот аспект воспринимается как постоянный фон при 1 аспекте . Глубокого познания нет , можно сказать , что этот аспект существует только "свой" . Другие по нему оцениваются крайне редко . Воспринимются такими , как они есть .
アウシュラの定義を平たく言えば、観察機能の要素は、主導機能の要素の背後にいつも流れている恒常的な背景として受け取られるということです。深く認識されることはなく、他人のことをこの要素で評価することもまれで、見えたものをそのまま受け取ります。
主導機能と観察機能は、側面が同じで指向だけが逆の組です。主導機能が要素を前に出して使うとき、同じ側面の反対の向きが、その背景として一緒に入ってくるという書き方です。一般像の「背景を見張る」(01章)は、ここから来ていると読めます。
周囲の「プログラム」が要る
続く文で、アウシュラはこの機能がどんなときによく働くかを書いています。
自分自身の表現において個体は、周囲の人々から多くを期待されるほど、また個人的・全球的問題について多く語られるほど、よりよく弁別する。この機能における成功した活動には、周囲の「プログラム」が必要である。このプログラムの存在は生活を助け、その不在は—個体に自分が不要であるという感覚を生じさせる。
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В своих собственных проявлениях индивид разбирается тем лучше , чем большего от него ожидают окружающие, чем больше рассказывают о личных и глобальных проблеммах . Для успешной деятельности по этой функции нужна "программа" окружающих. Наличие этой программы помогает жить, отсутствие - создает у индивида ощущение своей ненужности .
つまり、観察機能は、周りから期待され、何をすればよいかが外から示されているときによく働くということです。アウシュラはそれを周囲の「プログラム」と呼び、それが無いと自分は要らない人間だという感覚が生じると書いています。
強い機能なのに、自分で目標を立てて使うのではなく、外から与えられた課題に応える形で働くという性格づけです。これは、観察機能がバイタルリング(無意識の側)にあり、受容の機能であることと結びついています。
自分のニーズより他者のニーズ
同じ段落で、アウシュラは自分と他者の扱いの差を書いています。
自分自身のしかるべき部分のニーズはより無視される一方、他者のニーズは逆に鋭く知覚される。蓄積された情報と熟練は、社会の隙間を塞ぐ栓として用いられる。
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Более того , соответствующая часть своих собственных нужд в большей степени игнорируется , нужды других воспринимаются , напротив , остро . Накопленная информация и умения используются как затычка в прорехах социума .
観察機能の要素では、自分自身の必要はおろそかにされ、他人の必要はかえって鋭く感じ取られるということです。蓄えた情報と技能は、社会に空いた穴を埋めるのに使われるとされます。
一般像の「できるけれど、自分のためには使わない」(01章)は、この記述に近いものです。アウシュラは、それを本人の怠りではなく、他者の必要のほうへ向かう性質として書いています。
勝つ能力より負けない能力
アウシュラは、この機能の強さがどこにあるかも書いています。
この機能の強さは—社会の注文を遂行する能力にある。自身のニーズの観点からは、勝つ能力よりも負けない能力の方が特徴的である。社会への自身の貢献は出費に比例する。これらの出費が効果を上げれば—満足、上げなければ—「残念だが、仕方がない」。プログラムを遂行できなければ—「至らなかった」という深い不満。
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Сила этой функции в умении выполнять заказы общества . С точки зрения своих нужд здесь более харрактерно умениене проигрывать , чем умение выигрывать . Собственный вклад в общество пропорционален затратам . Если эти затраты дали эффект - удовлетворение , если нет - "жаль , но делать нечего . Если программу не удается выполнить - глубокая неудовлетворенность, что "недотянул" .
言い換えると、観察機能の強さは社会から頼まれたことをやり遂げる力にあり、自分の必要の面では勝つことより負けないことに表れる、ということです。貢献は出した分に比例し、頼まれたことを果たせないと「至らなかった」という深い不満が残るとされます。
アウシュラは主導機能について、最良の標準を知り、自分から指導することも厭わない、とも書いています。それに対して、観察機能の強さは守りと応答の強さとして書かれています。同じ「強い」でも、向きが違うことが分かります。
アウシュラは、節の終わりをこう要約しています。
要約:第5機能は社会のニーズの自覚化の弱い知覚と、それの意志的実現の機能。
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Резюме : - 1 функция млоасознанного восприятия потребностей социума и волевого их претворения .
この要約では、社会の必要をはっきり自覚しないまま受け取り、それを意志で実現する機能とされます。「自覚化の弱い知覚」は、恒常的な背景という最初の定義と同じことを言っています。
一方、「意志的実現」は、受け取ったものを実際の行いとして果たす側を指します。気づかないまま受け取り、頼まれたことは果たす、という二面がこの要約にまとめられています。
バイタル—議論せずに行う
アウシュラは、3標識の1つ「バイタル」を、一般的にこう定義しています。
もう一方のバイタル部分は、世界を有機体の内側から、何か連続的なもの、ひとつに溶け合った分かちがたいものとして反映する。(中略)バイタル機能は外的世界の個体内における反響である。(中略)メンタル機能は「行う」というよりは「議論する」のであり、バイタル機能は—逆である、と言える。
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Другая - витальная - отражает мир изнутри организма , как нечто непрерывное , слитое воедино , нераздельное .〔中略〕Витальные функции - эхо внешнего мира в индивиде .〔中略〕Можно сказать , что ментальные функции не столько действуют , сколько рассуждають , а витальные - наоборот.
ここでいうメンタルは、意識の側の機能のことです。つまり、バイタルの機能は、世界を外から対象として見るのではなく、自分の内側から一続きのものとして受け取り、議論するより行うということです。
観察機能はこのバイタルの側にあります。そのため、その要素について理屈を立てて語るより、黙って行うことに表れやすいと読めます。主導機能が「議論する」側の機能であるのと、同じ側面で対になっています。
ブロック「イド」—日常の労働
観察機能は、実演機能(8番)と組んでイドブロックを作ります。アウシュラは、ブロック「イド」をこう書いています。
自身のニーズを社会のニーズと同一視する。この同一視なしには生きる意味がない。自身のニーズは、それが注文に入っている場合に世話される。このブロックには洗練された戦略的創造はない。これは日常の労働のブロックであり、しかしそこでは最良の標準を用いようと努め、また用いる。
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Свои потребности отождествляет с потребностями общества , без этого отождествления незачем жить . О своих потребностях заботятся, если это входит в заказ . По этому блоку нет изощренного стратегического творчества , этот блок повседневного труда , в котором , однако , стремятся использовать и исполюзуют лучшие из стандартов .
アウシュラの説明では、イドブロックは自分の必要を社会の必要と重ね、頼まれた範囲で自分の世話もするブロックです。そこには洗練された戦略的創造はなく、日常の労働を最良の標準でこなすブロックだとされます。
第5機能の節の「社会の注文を遂行する能力」が、ブロックの単位では「日常の労働のブロック」として言い直されています。観察機能は、その労働の中で何をすべきかを受け取る側の機能です。
『ソシオニクス入門』—側面視の背景
『ソシオニクス入門』では、ILEの記述の中で、自我ブロックとイドブロックの関係が書かれています。
自我の情報収集において、特定の「明滅」の背景上の客体の構造に深入りする。この背景は—外部世界における出来事の知覚、すなわちイドのブロックに反映されるものだ。すなわち、自我が研究対象の構造に深入りするとき、個体は「側面視」で、きわめて不確定に、時間におけるこの構造の変化を視て感じる。(中略)かくして、もう一度確認されるのは、自我とイドのアクセプト(受容)的要素は同時に初発の情報を受け取るということだ
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При сборе информации ЭГО углубляются в структуру объекта на фоне определенного «мелька- ния». Этот фон -— ‘восприятие происходящего во внешнем мире’движения, то есть того, что отража- ется блоком.ИД. То есть, когда ЭГО углубляется в изучаемую им структуру, индивид «боковым зре- нием», то есть очень неопределенно, видит и изме- нение этой структуры во времени.〔中略〕Итак, еще раз подтверждается, что первичную информацию акцептные элементы ЭГО и ИД получают одновре- менно
上の引用にある「明滅」は、対象の構造の背後でちらちらと変わり続けるもの、という意味です。言い換えると、主導機能が対象の構造を深く探るとき、イドブロックがその構造の時間的な変化を「側面視」でぼんやり受け取っているということです。
ILEの主導機能はNe(外向直観)、観察機能はNi(内向直観)です。構造に入り込むNeの背後で、Niがその構造の時間的な変化を横目で見ているという描写で、『機能の理論』の「恒常的な背景」を1つのタイプで具体的に書いたものと読めます。
イドは称賛を待つ
同じ『ソシオニクス入門』で、アウシュラは自我ブロックとイドブロックを並べて、短く書いています。
ブロック 自我において新たな価値の創造が行われるなら、イドは忠実にかつ従順にすでに受容された社会的価値に奉仕する。自我で自慢するものがあるなら、イドでは称賛を待つ。
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Если на блоке ЭГО идет создание новых ценнос- тей, то ИД прилежно и бдительно служит уже при- нятым социальным ценностям. Если на ЭГО хвастаются сами, то на ИД ожи- дают похвал.
自我ブロックが新しい価値を作るのに対し、イドブロックはすでに受け入れられた社会の価値に忠実に仕えるということです。自我で自慢するものがあれば、イドでは褒められるのを待つ、とされます。
自分から誇るのではなく、評価が来るのを待つという受け身の形は、第5機能の節の「周囲のプログラムが要る」と同じ方向の記述です。
双対の超自我に従うことでプログラムされる
では、そのプログラムはどこから来るのか。アウシュラは、ソシオンの時間のリズムを論じる箇所でこう書いています。
しかし各個体はソシオンに服従し、それによってプログラムされなければならない。さもなければ自分を歓迎されない、不幸な、誰にも必要とされない、余計な人間と感じる。プログラミングはブロック イドが双対の超自我ブロックに服従することで行われる。
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Однако каждый индивид должен подчиняться со- циону и программироваться им. Иначе он чувствует себя неприкаянным, несчастным, никому не нуж- ным, лишним человеком. Программирование про- ‘исходит при подчинении блока ИД блоку СУПЕР- ЭГО дуала.
上の引用にあるソシオンは、16タイプ全体が作る社会の構造のことです。つまり、人はイドブロックで双対の相手の超自我ブロックに従うことで、何をすべきかを与えられるということです。それが無いと、自分は誰にも必要とされない余計な人間だと感じるとされます。
『機能の理論』の「その不在は自分が不要であるという感覚を生じさせる」と、ほぼ同じ言葉で同じことを言っています。観察機能に必要な「周囲のプログラム」は、アウシュラの体系では双対の相手から来ると書かれていることが分かります。
小括します。アウシュラの観察機能の記述の軸は、3つです。
第一に、主導機能の恒常的な背景としての定義です。深く認識されず、見えたものをそのまま受け取り、ILEの例では構造の時間的な変化を「側面視」で受け取ります。
第二に、頼まれたことを果たす強さです。自分の必要より他者の必要を鋭く感じ、強さは社会の注文を遂行する力と、勝つより負けない力に表れます。
第三に、外から与えられるプログラムです。プログラムが無いと自分が不要だと感じ、そのプログラムは双対の超自我に従うことで与えられます。背景・応答・双対からのプログラムが、アウシュラの観察機能の像です。
04レイニンの記述
ソシオニクス研究者のレイニンは、8つの機能を、第1〜第4と、それぞれと対になる第-1〜第-4の8つで呼びます(第-1は負の第1機能で、レイニン独自の表記です)。現行の観察機能(7番)になるのは、第1機能と対になる第-1機能で、レイニンはこれを「無視の領域」と呼びます。
番号の読み替えが要るのは、この章では2つだけです。レイニンの第1機能は現行の主導機能(1番)、第4機能は現行の暗示機能(5番)です。
この章で見るのは、レイニンが観察機能を、本人が見ないまま、ときに対立の火種になる領域として書いたことです。この章で引く範囲では、強い機能としての性格づけは出てきません。
理論編—見ないで閉め出す領域
レイニンは第1講で、第-1機能をこう定義しています。
無視の領域。ここで個人は不確実性を示す。この現実の部分を人は認識せず、無視する。したがって、その人の心理空間は限られている。この領域の要素が人の生活に明らかになる場合、それらは客観的な悪として知覚される。各類型は現実の特定の部分を無視し、それを意識から閉め出す。通常、それを見ない。
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The area of ignoring. Here an individual demonstrates uncertainty. This part of reality a person does not recognize, he ignores it; therefore his psychological space is limited. If elements of this area become apparent in person’s life they are perceived as objective evil. Each type ignores a certain part of reality, it bars it from consciousness. Usually it does not see it.
レイニンの定義では、観察機能の領域は、人が認識せず、意識から閉め出している現実の一部です。そこでは本人は不確かさを示し、その領域のことが生活の中に現れると、それは客観的な悪として受け取られるとされます。
アウシュラが同じ位置を「恒常的な背景」(03章)と書いたのに対し、レイニンは「通常、それを見ない」と書いています。背景として受け取ることと、見ないで閉め出すことは、同じ「意識の外にある」状態を、受け取る側から書くか、閉め出す側から書くかの違いと読めます。
予期せぬ対立が生じる場所
レイニンは、タイプ節の中の囲み記事で、無視の領域が人間関係にどう出るかをまとめています。
無視の領域とは、「予期せぬ」対立が生じる場所である。この心理的領域の特異性ゆえに、人物はこれまで耐えてきた身近な誰かから突如として不利な反応に直面することがある(中略)その人物は無害な些細なことで爆発するのである。
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The zone of ignoring is a place where the 'unexpected' conflicts arise. Due to the peculiarity of this psychological sphere the person may face sudden adverse reaction from someone close who has been putting up with things,〔中略〕the person explodes over an innocent minor thing.
言い換えると、無視の領域は、本人が気づかないうちに相手の我慢をためていき、ある日小さなことで爆発させる場所だということです。レイニンはそれを「予期せぬ」対立と呼んでいます。
本人には見えていない領域なので、相手にとって何が不満だったのかが、爆発の時点まで本人には分かりません。観察機能が対立の原因になるという観測は、このあと見るほかの研究者にはほとんど出てこない、レイニンに固有の論点です。
タイプ節—何が無視されるか
レイニンのタイプ節には、各タイプの第-1機能が、それぞれ1〜2段落で書かれています。何が無視されるかは、観察機能の要素によって違います。
例えば、ILEの観察機能はNi(内向直観)です。レイニンは、ILEの第-1機能をこう書いています。
ILE〔原文: ドン・キホーテ〕は自分自身の中に深く潜り込み、魂の内的メカニズムを探求するのが難しいと感じる。「『内的状況を分析する』ってどういう意味だ?」(中略)ILE〔原文: ドン・キホーテ〕に自分の内側を見るよう求められると、彼はそういう考え方をしないので途方に暮れる。
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A Don Quixote finds it hard to plunge deep into him/herself and search the inner mechanisms of the soul. "What do you mean, 'analyze the internal situation'?"〔中略〕When a Don Quixote is asked to look inside of him/herself, he is lost because he/she does not think this way.
つまり、ILEは自分の内側に深く潜って心の動きを探ることが苦手で、内省を求められると戸惑うということです。「『内的状況を分析する』ってどういう意味だ?」という台詞に、その戸惑いがそのまま出ています。
一方、LSIの観察機能はTe(外向論理)です。LSIの第-1機能について、レイニンはこう書いています。
時には、ビザ、交通規則、刑法、その他の社会的現実といった現実世界の概念が、無視領域に入ってしまうこともある。これは「予期せぬ」問題、ひいては服役さえも引き起こすかもしれない。社会は、あなたが定められた法律をどのように独自に解釈しているかとか、あなたの情報代謝のタイプとかは、考慮してくれない。
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Sometimes real-world notions like visas, traffic rules, criminal code and other social realities may fall in the zone of ignoring. This may cause 'unexpected' problems, even imprisonment. The society does not care take into consideration neither your unique interpretation of the established law nor your type of information metabolism.
LSIでは、ビザや交通規則や刑法といった、外の世界の実際の決まりが無視の領域に入りうるとされます。レイニンは、それが思いがけない問題、ときには服役さえ引き起こすかもしれないと書いています。
また、SLEの観察機能はSi(内向感覚)で、レイニンはSLEの第-1機能を健康の扱いとして書いています。
健康は無視の領域にある。SLE〔原文: ジューコフ〕は健康問題に「農夫的態度」をとる—「俺は畑の畝で倒れて死ぬまで耕し続けるんだ」。彼が病気になると(熱狂的な活動の中で全力を使い果たした結果)、他者に世話を任せる。
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health is in the area of ignoring. A Zhukov has a "farmer's attitude" in health issues: "I shall plough until I drop dead in my furrow." When he does get sick having spent all his strength in feverish activity) he allows others to take care of them.
つまり、SLEは体の調子を気にかけずに倒れるまで働き、病気になると世話を人に任せるということです。「俺は畑の畝で倒れて死ぬまで耕し続けるんだ」という農夫の台詞で、その態度が書かれています。
3つの例に共通するのは、その要素の領域で何が起きているかを、本人が自分から見に行かないことです。内省、外の決まり、体の調子と中身は違いますが、どれも放っておくと思いがけない問題になる、という形で書かれています。
関係の中の無視—幻想と超自我
レイニンは、関係の記述でも第-1機能を使っています。幻想関係については、こう書いています。
これらの関係において、一方のタイプの第一機能が他方のマイナス第一機能に対応する。「私はしばしばあなたに気づかず、あなたも私に気づかない。」これは相互無視である。
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In these relationships the first function of one type corresponds to the minus-first function of the other: “I often do not notice you, and you do not notice me”. This is mutual ignoring.
幻想関係では、一方の主導機能の要素が、相手の観察機能の要素になっているということです。そのため、互いに相手のいちばん大事なところに気づかず、それを「相互無視」と呼んでいます。
モデルAの定義から機械的に並べると、自分の観察機能の要素が相手の主導機能に入る関係は、幻想関係と消火関係の2つです。レイニンは、そのうち幻想関係の会話のすれ違いを、この相互無視で説明しています。
超自我関係の記述には、無視される側の台詞も出てきます。
「私が望むものはあなたの否定的価値である。あなたは絶えず私の願望を無視している。」「でもあなたが何を欲しているか見えないのに、どうして無視せずにいられる?!」
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"Things that I desire are your negative values. You are constantly ignoring my desires." – "But how can I not ignore them if I do not see what you want?!"
超自我関係では、自分の暗示機能の要素、つまりいちばん欲しいものが、相手の観察機能の要素になっているということです。相手からは、それが見えていないので「どうして無視せずにいられる?!」と返ってきます。
欲しがる側から見れば無視されている、無視する側から見ればそもそも見えていない、という同じ1つの要素の2つの見え方が、台詞の応酬として書かれています。暗示機能と観察機能の対は13章で扱います。
小括します。レイニンの観察機能(第-1機能)の記述の軸は、2つです。第一に、見ないで閉め出す領域としての定義です。本人は不確かさを示し、その領域のことが生活に現れると客観的な悪として受け取ります。
第二に、対立の火種としての書き方です。相手の我慢を気づかずにためて「予期せぬ」対立を生み、関係の中では相互無視やすれ違いの原因になります。強さよりも、見えていないことの帰結を書いている点で、レイニンは、観察機能を強い機能と見る書き方から、このページの研究者の中で最も離れています。
05ブカロフの記述
ブカロフは国際ソシオニクス研究所(キエフ)を率いる研究者で、機能の次元性の提唱者です。観察機能についての記述は、位置一覧の中の短い呼び名、強い活力的機能としての位置づけ、発達の順序、そして講演録の具体例に分かれます。
位置一覧の中の「コントロール」
晩年の講演で、ブカロフは8つの位置を順に挙げています。
最初から始めるなら、もちろん思い出すのは、人間 ― より正確にはその情報代謝タイプ ― には、第1機能 ― 4次元、第2 ― 3次元、第3 ― ロール、2次元、第4 ― 機能は1次元、あるいは「最も抵抗の少ない場所」とも比喩的に呼ばれる:つまり弱く非常に敏感な機能。第5機能 ― 暗示的、または示唆の機能、第6 ― 活性化、活性化の機能、第7 ― コントロールし、第8 ― デモンストレーションのもの。
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Если мы начнем с самого начала, то мы конечно вспомним, что у человека, точнее его типа информационного метаболизма, есть 1-я функция — 4-мерная, у него есть 2-я — 3мерная, 3-я — ролевая, 2-мерная, 4-я — функция 1-мерная, или, как ее образно еще называют, «место наименьшего сопротивления»: то есть функция слабая и очень чувствительная. 5я функция — суггестивная, или внушения, 6-я — активационная, функция активации, 7-я — контролирующая и 8-я — демонстрационная.
この一覧で、ブカロフは第7機能を「コントロールし」の一語で表し、コントロールする機能として挙げています。ほかの位置には「暗示的」「活性化」「デモンストレーション」と、それぞれの働きを表す語が当てられ、観察機能には「コントロールする」働きが当てられています。
何をコントロールするのかは、この一覧には書かれていません。ですが、カルペンコが観察機能の要素を「周囲のコントロール」と書き(09章)、グレンコがその要素の入るモデルGの位置を「制御機能」と呼ぶ(10章)ことから、呼び名の上では研究者のあいだで同じ語が続いていることが分かります。
強い活力的機能—社会に情報を発する
同じ講演で、ブカロフは観察機能を強い機能の側に置いています。
しかし重要なのは、我々がはっきり見ていることである:人間には創造的な ― 最も強い機能がある。さらに強い活力的機能 ― 第7と第8がある、なぜならこれらも多次元だからである。そしてこれらは、人間が社会に情報を発する機能であり、特に第1と第2によって、そして言語的・口頭的・非言語的・物理的などすべての形態において周囲の世界に能動的影響を及ぼす。
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Но важно, что мы видим четко: у человека есть творческие — самые сильные функции. Еще есть сильные витальные функции — 7-я и 8-я, потому что они тоже многомерные. И это те функции, по которым человек выдает информацию в социум, особенно по 1-й и 2-й, и оказывает активное воздействие на окружающий мир во всех формах — словесных, вербальных, невербальных, физических и т. д.
この引用で目を引くのは、第7と第8を「さらに強い活力的機能」と呼び、その理由を多次元であることに置いている点です。上の引用にある活力的機能は、バイタルリングの機能のことです。
ブカロフの分け方では、観察機能は主導・創造と並んで、社会へ情報を発し、周りに能動的に影響する側に入ります。レイニンが「無視の領域」と書いた位置(04章)を、ブカロフは強く、外へ働きかける機能として置いています。
機能は下から満たされる—第8と第7から
ブカロフは、子どもの発達の観察から、機能が働きはじめる順序を書いています。
そして多くの観察が証言するように、機能の充填あるいは研修が起こる。これは下から上へ ― つまり、活力的機能から、つまり第8と第7から始まる。(中略)運命の皮肉は、自我ブロックの形成が約23~24歳で終わることにある。そして学生が大学に入学するとき、彼はまだ超自我ブロックから自我への移行段階にある。
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И, как свидетельствуют многочисленные наблюдения, происходит наполнение или стажировка функции. Она происходит снизу вверх — начиная от витальных функций, то есть, 8-й и 7-й.〔中略〕Ирония судьбы заключается в том, что формирование блока Эго заканчивается приблизительно в 23–24 года. И когда школьник поступает в вуз, он находится еще на стадии перехода от блока СуперЭго к Эго.
ブカロフの観察では、機能に経験と知識が満たされていくのは、活力的機能の第8と第7からで、自我ブロックは最後の23〜24歳ごろにできあがるとされます。つまり、観察機能は、主導機能より先に満たされる機能です。
この順序は、観察機能が強いことの1つの説明にもなります。子どものころから先に中身が入り、使われてきた機能なので、本人には特別なことと感じられにくいと読めます(この読み方は当サイトのものです)。
非常時に主導機能を抑える
ブカロフは、極地の都市で起きた事故の夜の会議を、こう書いています。
解決すべき問題が権限と責任の領域に入っていた部長はSLE(●(Se))であった。だがこの状況で最も創造的だったのは、別の部の副部長SEI(○(Si))であった。彼はすばやく主導権を握り、「これと、これと、これをしなくてはならない」と言った。(中略)これはSEIの創造的振る舞いの瞬間で、彼は自身の意志感覚(●(Se)7)を非常に動員したため、それがSLEの意志感覚(●(Se)1)を抑えた—第7機能が第1機能を抑えたのである。(中略)すなわち動員状況では、役割は完全に交代しうる。
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Начальник отдела, в сферу компетенции и ответственности которого и входил решаемый вопрос, был СЛЭ ( ). Но креативней всех в этой ситуации оказался СЭИ ( ) — зам.начальника другого отдела. Он быстро перехватил инициативу, сказав: «Надо делать то, то и то».〔中略〕Это был момент креативного поведения СЭИ, который настолько мобилизовал свою волевую сенсорику ( 7), что она подавила волевую сенсорику СЛЭ ( 1) — 7-я функция подавила 1-ю.〔中略〕То есть в ситуации мобилизации роли могут совершенно поменяться.
上の引用にある意志感覚は、Se(外向感覚)のことです。SEIにとってSeは観察機能(7番)、SLEにとっては主導機能です。つまり、非常時に動員されたSEIの観察機能が、同じ要素を主導に持つSLEを抑えたということです。
ふだんは前に出ないはずの観察機能が、状況しだいでは、同じ要素を主導に持つ相手をしのぐほど働くという実例です。一般像の「いざとなれば使える」(01章)の、最もはっきりした具体例と言えます。同じSEIの観察機能の強さは、ストラティエフスカヤ(06章)とカルペンコ(09章)も書いています。
小括します。ブカロフの観察機能の記述の軸は、3つです。第一に、「コントロールする」機能という呼び名です。位置一覧で、観察機能には周りをコントロールする働きが当てられています。
第二に、強い活力的機能としての位置づけです。多次元であることを理由に、主導・創造と並んで社会へ情報を発する側に入り、発達の上では主導機能より先に満たされます。
第三に、講演録の実例が示す、非常時には主導機能をも抑えるという観察です。理論の位置づけと実例の両方で、観察機能を強い機能として書いている点で、ブカロフはレイニンと反対の端にいます。
06ストラティエフスカヤの記述
ヴェラ・ストラティエフスカヤは、16タイプを8位置ごとの長い場面記述で書いた著者です。主著『お別れしないために』の第I部(理論編)に、位置ごとの一般記述があります。ストラティエフスカヤは7番を「観察機能」と呼び、当サイトの名称と同じです。番号も現行と同じです。
この章で取り上げるのは、理論編のイド・レベルと観察機能の節、そして第II部のタイプ章から、観察機能の強さを本人がどう受け取っているかを書いた2つです。
イド・レベル—最も深いレベル
ストラティエフスカヤは、観察機能を含むイド・レベルを、まず双対との関係で定義しています。
イド・レベル—これは私たちの潜在意識の最も深いレベルである。それは高い自己献身、無謀な自己犠牲、完成への志向のレベルとして特徴づけることができる。(中略)わがモデルのイド・レベルに位置する第7機能と第8機能のアスペクトは、わが双対者の超自我・レベルに位置する第3アスペクトと第4アスペクトに対応する。まさにこれによって、イド・レベルに位置する機能の寛大で献身的な活動が説明される。
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Уровень ИД — самый глубокий уровень нашего подсознания. Его можно охарактеризовать как уровень высокой самоотдачи, безрассудного самопожертвования и стремления к совершенству.〔中略〕Аспекты седьмой и восьмой функций, расположенные на уровне ИД нашей модели, соответствуют третьему и четвертому аспектам, расположенным на уровне СУПЕРЭГО модели нашего дуала. И именно этим объясняется щедрая и самоотверженная деятельность функций, расположенных на уровне ИД:
ストラティエフスカヤの定義では、イド・レベルは潜在意識の最も深いレベルで、自分を惜しまない献身のレベルです。そして、自分のイド・レベルの第7・第8機能は、双対の相手の超自我レベルの第3・第4機能に対応するとされます。
イド・レベルが献身的に働くのは、双対の相手のいちばん不安な機能を支える位置にあるから、という説明です。アウシュラが、イドは双対の超自我ブロックに従うと書いた関係(03章)を、ストラティエフスカヤは支える側の献身として書いています。
その支え方について、ストラティエフスカヤはこう続けています。
なぜこの助けはこんなに良いのか? それは、寛大で押しつけがましくなく、いわゆる「心から」だからだ(なぜなら—無意識的だからだ)。人間は自分の労働の果実を誰かが用いること自体で、すでに幸せになる。
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Чем же так хороша эта помощь? Тем, что она щедрая и непритязательная, что называется "от души" (это потому что — неосознанная). Человек счастлив уже тем, что плодами его трудов кто-то пользуется.
イド・レベルの助けが心地よいのは、押しつけがましくなく「心から」で、それは無意識だからだということです。人は自分の働きの成果を誰かが使ってくれるだけで、もう幸せになるとされます。
無意識だから押しつけにならないという書き方は、ユングの「気づかれないまま調整する」補償(02章)と同じ向きです。観察機能の強さが本人に意識されないことを、ストラティエフスカヤは欠点ではなく、助けを受け取りやすくする性質として書いています。
観察機能—双対の規範機能を見守る
ストラティエフスカヤは、イド・レベルの第7機能をこう定義しています。
イド・レベルの第7機能は観察機能と呼ばれる。それはわが双対者の規範機能のアスペクトに対応し、彼が私たちに与えようと試みる印象を見守る—彼が自身の規範=役割機能で何らかの「役」を「演じている」ときに。
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Седьмая функция уровня ИД называется наблюдательной функцией. Она соответствует аспекту нормативной функции нашего дуала и следит за тем впечатлением, которое он пытается на нас произвести, когда "играет" по своей нормативно-ролевой функции какую-то "роль".
言い換えると、自分の観察機能は双対の相手の規範機能に対応し、相手がその機能で「役を演じている」ときの印象を見守るということです。上の引用にある規範=役割機能は、相手の3番の機能のことです。
モデルAの定義から機械的に並べると、双対関係では、自分の観察機能の要素が、相手の規範機能に入ります。ストラティエフスカヤはこの対応を、相手が社会向けの役を演じるのを横で見守るという場面に置き換えています。
続けて、その見守りが何をするかが書かれます。
彼がどんな役を、深い恥じらいから演じていたとしても、わが観察機能はその仮面の下に彼の本当の顔を見抜き、彼が自分自身でいるのを助けねばならない。実際それは、それをしている。
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Какую бы роль он от великого смущения ни разыгрывал, наша наблюдательная функция должна разглядеть под этой маской его настоящее лицо и помочь ему быть самим собой, что она, собственно, и делает.
ストラティエフスカヤの説明では、観察機能は相手が恥じらいから演じている役の下に、本当の顔を見抜き、相手が自分自身でいられるように助けるとされます。
規範機能は、社会の求めに合わせて振る舞う位置です。その振る舞いを仮面と見抜いたうえで、外させる役を受け持つのが観察機能だという書き方で、「観察」という名前の由来がこの見守りにあることが分かります。
自分自身への検閲者
観察機能は、相手だけでなく自分自身にも向けられます。ストラティエフスカヤは、こう書いています。
観察機能は情報を非常に念入りに集める。なぜなら、それは同時に、自身のモデルの「プログラム」のためにも「働く」、そこに得られた情報から必要なデータベースを渡すからだ(そしてわが「プログラム」は、ご存じのとおり、私たちに誤りを許さない)。それゆえ、わが観察機能は、自分自身に対する検閲者であり、自分自身に対する統制者である。
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Наблюдательная функция собирает информацию очень тщательно, поскольку в то же время она "работает" и на "программу" своей модели, передавая ей из полученных сведений необходимую базу данных (а наша "программа" нам, как известно, ошибок не прощает.) Поэтому наша наблюдательная функция сама себе цензор и сама себе контролер.
上の引用にある「プログラム」は、ストラティエフスカヤの語で主導機能(プログラム機能)のことです。言い換えると、観察機能は情報を念入りに集めて主導機能のためのデータベースとして渡すので、自分自身への検閲者の役も持つということです。主導機能は誤りを許さないので、そこへ渡す情報も念入りになる、という理屈です。
主導機能と同じ側面を逆の向きで扱う位置が、主導機能の判断を下支えする情報係として書かれています。一般像の「背景を見張る」(01章)に、誰のために見張るのかという答えを与えた記述と読めます。
強いのに、批判は痛い
ストラティエフスカヤは、イド・レベルの2つの機能について、こう書き添えています。
異論はない、第7と第8は十分に強い機能で、自分の仕事をかなりうまくこなす。それでもなお、これらのアスペクトに沿った批判は、私たちに非常に痛みをもって受容される。なぜなら、それを不公正なもの、それゆえ自分にとって傷つけるものと捉えるからだ。
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Спору нет, седьмая и восьмая — достаточно сильные функции и со своей работой неплохо справляются. И тем не менее, критику по этим аспектам мы воспринимаем очень болезненно, поскольку считаем ее несправедливой, а потому и обидной для себя.
第7と第8は十分に強い機能で仕事もかなりうまくこなすのに、そこへの批判はひどく痛く受け止められるということです。その批判を不公正で、自分を傷つけるものと受け取るからだとされます。
アウシュラは主導機能について、周囲の批判を平静に受け止めるとも書いています。その書き方とは、ここで向きが分かれます。ストラティエフスカヤの観察機能は、強いが意識されていないので、批判されたときの防御も用意されていないと読めます。
タイプ章—自分の強さに気づかない
第II部のタイプ章では、観察機能の強さを本人がどう受け取っているかが書かれます。SEIの観察機能はSe(外向感覚)です。ストラティエフスカヤは、SEIについてこう書いています。
自分の意志的資質について、SEI〔原文: デュマ〕はおおよそこのように語る。「私はつい最近気づいたんですが、どうやら私には大きな意志の力があるみたいです。」SEI〔原文: デュマ〕には意志の力が実際にあり、しかも実際に大きい。しかし彼は特別な必要なくしてそれを使うことを自分に許さない。
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О своих волевых качествах Дюма говорит примерно так: "Я только недавно понял, что у меня, оказывается, большая сила воли". Сила воли у Дюма действительно есть и действительно большая, но он не позволяет себе пользоваться ею без особой надобности.
上の引用にある意志的資質は、Seの領域の力のことです。つまり、SEIは最近になって自分に大きな意志の力があることに気づくが、その力は実際に大きく、特別な必要がなければ使わないということです。
同じSeを観察機能に持つSLIについても、ストラティエフスカヤは似たことを書いています。
SLI〔原文: ギャバン〕は、自身の意志的影響の力について観念を持っていない。彼らはそれを自覚せず、感じず、自身に説明できない。しばしば、自分自身、柔らかく従順な人物に思える。なぜ他者がこんなに早く自分に譲るのかを常に理解せず、通常これらの「譲歩」を「人間性の弱さ」のせいにするか、願望が偶然一致した結果と見なす。
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Этим же способом он пользуется для того, чтобы резко "сократить дистанцию" со своим вечно ускользающим дуалом Гексли. Габены не имеют представления о силе своего волевого воздействия. Они ее не осознают, не ощущают, не отдают себе в ней отчета. Часто сами себе они кажутся мягкими, покладистыми людьми. Не всегда понимают, почему другие им так быстро уступают, и обычно относят эти "уступки" за счет "слабости человеческой натуры" или приписывают их вероятному совпадению желаний.
SLIは、自分の意志的な影響の力を自覚せず、自分を柔らかく従順な人物だと思っているとされます。人がすぐ譲ってくれる理由が分からず、それを相手の弱さや偶然のせいにします。
2つのタイプの記述に共通するのは、観察機能の力が大きいのに、本人がそれに気づいていないことです。気づいたときの言葉が「どうやら私には大きな意志の力があるみたいです」で、強さと無自覚が同じ機能の上に並ぶことが、タイプ章の場面として書かれています。
小括します。ストラティエフスカヤの観察機能の記述の軸は、3つです。第一に、双対の規範機能を見守る機能としての定義です。相手が演じる役を見守り、仮面の下の本当の顔を見抜いて、相手が自分でいられるように助けます。
第二に、自分自身への検閲者としての役割です。情報を念入りに集めて主導機能に渡し、自分の判断を下支えします。
第三に、強いのに意識されないという性格です。助けは無意識だから押しつけにならず、本人は自分の力に気づかず、批判には不公正さと痛みを感じます。名前のとおり「観察」に力点を置いたのが、ストラティエフスカヤの像です。
07フィラトワの記述
エカテリーナ・フィラトワは、4チャンネルの枠組み(彼女は「モデル・ユング」と呼びます)でタイプを記述し、その後に8機能のモデルAへ進む順で主著を組んでいます。4チャンネルは主導機能から脆弱機能までの4つなので、観察機能(7番)にあたる枠はその中にありません。
そのため、フィラトワの観察機能の記述は、モデルAへ進んだ第III部の一般論と、タイプ間の関係(インタタイプ関係)の記述の中に分かれて出てきます。この章では、その2つを取り上げます。
下の環の機能も活性化する
フィラトワは第III部で、モデルAの下の環(バイタルリング)の機能について、こう書いています。
下の環の残り三つの機能については、それらもまた安定的に活性化しうることが明らかになっており、その結果、私たちは同じタイプの実にさまざまなバリエーションを手にすることになる。
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Что касается оставшихся трех функций нижнего кольца, то оказывается, что и они могут оказаться устойчиво активными, и в итоге мы имеем самые разные варианты одного типа.
言い換えると、観察機能を含む下の環の機能も、安定して前に出ることがあり、そのために同じタイプでもさまざまな違いが生まれるということです。
フィラトワはこの第III部で、同じタイプの人の違いを、どの機能が強められているかで説明しています。観察機能もその候補に入る、という位置づけで、観察機能を背景に固定されたものとしては扱っていません。
幻想の関係—「自分自身だけで十分強い!」
インタタイプ関係の章では、観察機能は、相手の主導機能との関係として出てきます。幻想の関係について、フィラトワはこう書いています。
しかし、彼らの第1機能もまた同じであるが、向きが異なる。第4機能についても同じことが言える。したがって、ここには弱い暗示機能への支えが存在せず、それがパートナーの強い資質に対するある種の過小評価につながる。なぜなら、パートナーの第1のプログラム・チャンネルの領域については、「自分自身だけで十分強い!」ということになるからである。
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Однако их первые функции также одинаковы, но имеют разную вертность; то же можно сказать и о четвертых функциях. Таким образом, здесь нет поддержки слабых суггестивных функций, что приводит к некоторой недооценке сильных качеств партнера, ведь в области его первого, программного канала «Я и сам силен!».
フィラトワの説明では、幻想の関係では2人の第1機能が同じ側面で向きだけ違うので、相手の主導機能の領域については「自分自身だけで十分強い!」と感じる、とされます。そのため、相手の強い資質を少し低く見積もることになります。
モデルAの言葉で言えば、自分の観察機能の要素が相手の主導機能に入っているということです。相手の最も強いところは、自分の主導機能と同じ側面で向きだけが違う要素です。そのため、自分もその側面には強いと感じて、相手の強さを特別なものと感じない、という書き方と読めます。一般像の「それにこだわる人を少し軽く見る」(01章)の、関係の場面での形です。
消火の関係—理解はないが対立もない
すべての機能が同じ側面で向きだけ逆になる組み合わせについて、フィラトワはこう書いています。
今から取り上げる場合には、すべてのチャンネルが、向きの正反対な同名の機能によって占められている。ここでは互いの良好な理解はほとんど期待できないが、しかし対立の特別な原因もまた存在しない。(中略)しかし仕事のためには、こうした接触はかなり実り豊かなものとなりうる。なぜなら、パートナー同士が問題を異なる側面から眺めるため、結果としてそれをかなりうまく解決することができるからである。
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В том случае, о котором у нас теперь пойдет речь, все каналы заняты одноименными функциями, имеющими противоположные вертности. Вряд ли здесь возможно хорошее понимание друг друга, хотя и особенных причин для конфликтов тоже нет.〔中略〕А для работы такие контакты могут оказаться и весьма плодотворными, поскольку партнеры смотрят на проблему с разных сторон, в результате чего она может быть решена достаточно успешно.
フィラトワによれば、消火の関係では互いをよく理解することはほとんど期待できないが、対立する特別な理由もないとされます。そして仕事では、同じ問題を違う側面から見るので、かえってうまく解決できることがあると書いています。
この関係でも、自分の観察機能の要素は相手の主導機能に入ります。レイニンが幻想関係で相互無視を書いた(04章)のに対し、フィラトワは理解の欠如と、対立の無さ、仕事での実りの3つをまとめて書いています。観察機能の領域が相手の中心にあることを、すれ違いの原因であると同時に、別の見方の供給源として書いている点が特徴です。
小括します。フィラトワは、観察機能を独立した節では論じていません。軸は2つです。第一に、下の環の機能も安定して活性化しうるという一般論で、観察機能が同じタイプの違いを生む候補に入ります。
第二に、関係の中の観察機能です。幻想と消火の関係では、自分の観察機能の要素が相手の主導機能に入り、相手の強さの過小評価や理解の欠如として表れる一方、仕事では別の側面からの見方として役に立つとされます。
08イェルマークの記述
ウラジーミル・イェルマークは、モデルAをシステム論の語彙で組み直した研究者です。8位置に固有の名と、情報処理のパラメータ(経験・規範・状況・時間)の数による次元を与えました。主著『人を理解することを学ぶには』では、観察機能を「機能7」と呼び、その働きを「個人的プログラム」(作業プログラム)と名づけています。番号は現行と同じです。
イェルマークは、イドブロックを執行ブロック1、超イドブロックを管理ブロック1と呼びます。この章では、イェルマークが観察機能を、自動的な執行、個性のイデオロギー、自我ブロックへの引き継ぎ、双対の相手への影響の4つからどう書いたかを見ます。
日常の課題は自動的に解かれる
イェルマークは、バイタルリングの機能が現実の生活でどう働くかを、こう書いています。
個人的活動の保証のための、習慣的かつ既知の、「日常的な」課題(個人的活動のスーパーブロック Vital)を、人間はいわば自動的に解決する—正常な条件のもとで、意思決定は「黙って」、外見上は気づかれずに行われ(管理ブロック1、超イド—機能5と6)、執行は「自動的」で、執行の瞬間には意識されず、ときには衝動的なように見える(執行ブロック1、イド—機能7と8)。
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Привычные и знакомые, "повседневные" задачи обеспечения индивидуальной жизнедеятельности (суперблок индивидуальной жизнедеятельности УиИа1) человек решает, как бы, автоматически — в нормальных условиях принятие решения происходит "молча", внешне незаметно (управляющий блок 1, суперИД — функции 5 и 6), а исполнение - “автоматическое”, в момент исполнения неосознаваемое, иногда как бы импульсивное (исполнительный блок 1, ИД - функции 7 и 8).
言い換えると、慣れた日常の課題は、決定も実行も外からは気づかれないまま、ほとんど自動的に片づけられるということです。観察機能を含む執行ブロック1の実行は、その瞬間には意識されず、ときには衝動的に見えるとされます。
ユングが補償を「気づかれないまま意識を調整する」と書いたこと(02章)、アウシュラが「深い認識はない」と書いたこと(03章)を、イェルマークは課題を解く手順の自動性として言い直しています。観察機能は、慣れた課題を処理するための手順の蓄えとして置かれています。
個性のイデオロギー
イェルマークは、機能7の作業プログラムと機能8の「道具一式」を合わせたものを「個性のイデオロギー」と呼び、自我ブロックの「人格のイデオロギー」と対にしています。そのうえで、こう書いています。
現実生活において個性のイデオロギーが存在するという事実は、しばしば過小評価され、我々はパートナーが自分の流儀で生き、行動する権利を否定し、彼の独自の個性を発揮する可能性を奪ってしまう。これは特に幼児期において、心にとって有害である
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Факт существования идеологии индивидуальности в〔中略〕реальной жизни часто недооценивается и мы отказываем партнёру в праве жить и действовать по своему, лишая его возможности проявить свою неповторимую индивидуальность. Особенно пагубно для психики это отражается в детском возрасте
つまり、人にはそれぞれ自分の流儀で生き、行動する権利があるのに、その存在はしばしば軽く見られ、相手の個性を発揮する機会が奪われるということです。イェルマークは、それがとくに幼児期の心に有害だと書いています。
自我ブロックの「人格のイデオロギー」が言葉で語られる信念であるのに対し、イドブロックの「個性のイデオロギー」は黙ってやっている自分のやり方です。観察機能はその中で、何をどの順にやるかという作業プログラムを受け持っています。観察機能が外から目立たないのは、それが語られないが確かにある流儀だからだと読めます。
プログラムが無ければ主導機能が考案する
慣れていない課題が来たときの流れも、イェルマークは書いています。
執行ブロック1(イド)の問題は、モデルの構造の連関(図6)に従って、執行ブロック2(自我)が解決を助ける。「作業プログラム」(機能7)がなければ—それを「考案」(機能1)せねばならず、「作業道具一式」(機能8)がなければ—それを「創造」(機能2)せねばならない。
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Проблемы блока исполнения 1 (ИД) в соответствии со связями в структуре модели (рис.6) помогает решать блок исполнения 2 (ЭГО). Так, если нет “рабочей программы” (функция 7) — её надо “придумать” (функция1), если нет “рабочего инструментария” (функция 8) - его надо “сотворить” (функция 2).
イェルマークの説明では、イドブロックで解けない問題は自我ブロックが助け、作業プログラム(機能7)が無ければ主導機能がそれを「考案」するとされます。道具一式(機能8)が無ければ、創造機能がそれを「創造」します。
同じ側面を逆の向きで持つ観察機能と主導機能が、手持ちの手順と新しい手順の考案という役割で結ばれています。自動では片づけられない課題が主導機能へ引き継がれる、というこの流れは、システム・ソシオニクス学派が実際のタイプ判定の記録から数えています(11章)。
双対の相手にも、すぐには合わせない
イェルマークは、双対関係を論じる章で、イドブロックの性格が相手にとって持つ意味を書いています。
バイタルリング全体、特にIDブロックの個別的、「オートマット的」、無意識的性格は、パートナーにとってある程度の危険を生み出す。たとえば、パートナーの個別「作業プログラム」(第七機能)と「作業道具立て」(第八機能)は、自動的に彼の個別的必要を「奉仕する」だけで、もう一方のパートナーの超自我ブロックの情報的影響に対して(パートナーの観点から必要であっても)即座に補正されない。
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индивидуальный, “автоматный”, неосознаваемый характер функционирования суперблока Витал в целом, и блока ИД, в частности ‚ может создать для партнёров изрядную опасность. Так, индивидуальные “рабочие программы” (седьмая функция) и “рабочий инструментарий” (восьмая функция) партнёра “автоматически обслуживают” его индивидуальные потребности и отнюдь не сразу корректируются (если это неоходимо с точки зрения партнёра) информационными воздействиями блока суперЭГО партнёра.
言い換えると、相手の作業プログラムと道具一式は自動的に本人の必要だけに仕え、こちらの超自我ブロックからの働きかけでは、すぐには修正されないということです。イェルマークは、それを相手にとっての「ある程度の危険」と書いています。
ストラティエフスカヤが、自分のイド・レベルは双対の超自我を献身的に支えると書いたのと(06章)、同じ双対の組み合わせを逆の向きから見た記述です。イドブロックが相手の超自我ブロックを支えることはあっても、相手の超自我ブロックからの指図にイドブロックが合わせるわけではない、という一方向の関係として読めます。
付録—否定的な事象を予防するプログラム
付録の「心のTIMモデルの記述」(TIMは情報代謝タイプのこと)では、16タイプそれぞれの機能7が短く書かれています。例えば、観察機能がNi(内向直観)のILEは、こう書かれています。
個別的作業プログラムの蓄積。パラメータ — 個別的経験、規範、状況。(中略)「自動的に」無意識的に、否定的事象(しばしばグローバルな)を予防するプログラム、過去の誤りを考慮し、日常の不快から「離れる」プログラムなどを実行する。
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накопление индивидуальных рабочих программ; параметры — три: индивидуальный опыт, индивидуальные НОрмы И индивидуальные ситуации;〔中略〕неосознанно (“автоматически”) реализует программу предотвращения (предупреждения) негативных событий (часто — глобальных), учета прошлых ошибок, "ухода" от неприятностей в повседневной жизни и т.п.
つまり、ILEの機能7は、過去の誤りを踏まえて、しばしば大きな規模の否定的な出来事を予防するプログラムを、自動的に無意識のうちに実行するということです。日常の不快から「離れる」プログラムも、そこに含まれます。
同じ付録のほかのタイプの項でも、機能7は「否定的事象の警告として」「批判的分析として」実現されると書かれる例が並びます。一般像の「危ないところに気づいて口を出す」(01章)は、イェルマークの付録の書き方にいちばん近いものです。
小括します。イェルマークの観察機能(機能7)の記述の軸は、3つです。第一に、慣れた課題を自動的に解く作業プログラムとしての定義です。実行はその瞬間に意識されず、ときに衝動的に見えます。
第二に、語られない個性の流儀としての位置づけです。機能8と合わせて個性のイデオロギーをなし、それが軽く見られると、人は自分の流儀で生きる機会を奪われます。
第三に、ほかのブロックとの受け渡しです。手持ちのプログラムで足りなければ主導機能が新しく考案し、双対の相手の超自我からの働きかけには、すぐには合わせません。付録では、否定的な事象への警告や批判的な分析として働く機能として書かれています。
09カルペンコの記述
オリガ・カルペンコは、キエフの国際ソシオニクス研究所でブカロフとともに活動してきた研究者です。機関誌の論文で、観察機能を「第7機能」と呼んでいます。番号は現行と同じです。
カルペンコは観察機能を独立した論文では扱っていませんが、構えの論文と、インタタイプ関係の論文、タイプの観察記の3か所で、観察機能の具体的な現れ方を書いています。
構え「私−」は第7機能にも出る
構えとは、心理学者エリック・バーンの交流分析に由来する考え方で、「私」「あなた」「彼ら」のそれぞれを肯定(+)で受けとめるか否定(−)で受けとめるかのことです。カルペンコは、自分を否定する構え「私−」が主導機能に表れると書いたうえで、こう続けています。
そのほか、「私−」は第7機能の一定の問題とも結びついている。第1機能ほど著しくはないが、それでも、「私−」の人を相手にすると、(中略)第7機能による判断は、その人のタイプには固有でないはずの硬さや鋭さ、非柔軟性で際立つ。
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Кроме того, «Я–» связан с определенными проблемами по 7-й функции. Не столь значительными, как по 1-й, но все же, когда мы имеем дело с человеком с «Я–», его сужде-〔中略〕ния по 7-й функции отличаются не свойственной для его типа жесткостью или резкостью, негибкостью.
カルペンコの観察では、自分を否定する構えの人は、観察機能による判断が、そのタイプらしくないほど硬く、鋭く、融通が利かなくなるとされます。主導機能ほど目立たないが、それでも表れる、と書かれています。
続けて、カルペンコはタイプごとの例を挙げています。
たとえば(SEI)は、原則として十分に柔軟で加減の効いたものであるはずの自分の黒い感覚( 7)を、鋭く衝動的な仕方で発現させることがある—そうすべきだった最初の時点で相手を柔らかく制する代わりに、相手がずっと先まで踏み込むのを許してしまい、その後で鋭い意志的な反撃を加えるのである。あるいは、たとえば「私−」の(IEI)では、可能性の直観( 7)による判断、すなわち自分のアイデアへの評価も他人のアイデアへの評価も、このタイプには特徴的でない有無を言わせぬ断定調で際立つようになる。「ああ、そんなのは愚かしい!」とか「ああ、それは創造的な仕事じゃない!」とか。聞いていて奇妙なのだが、実際にそうなるのである…。
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(СЭИ), например, свою черную сенсорику ( 7), которая у него, в принципе, до- статочно гибкая и дозированная, может проявлять резким, импульсивным образом — вместо того, чтобы мягко осадить человека в самом начале, когда стоило бы это сделать, он может позволить ему зайти гораздо дальше, а потом дать резкий волевой отпор. Или, например, у (ИЭИ) с «Я–» суждение по интуиции возможностей ( 7), то есть оценка как собствен- ных идей, так и идей других людей, будет отличаться нехарактерной для безапелляци- онностью: «А, это глупость!» или «О, это работа не творческая!». Странно это слышать, но так действительно происходит…
上の引用にある黒い感覚はSe(外向感覚)、可能性の直観はNe(外向直観)のことです。つまり、SEIは観察機能のSeで、最初に柔らかく止めるべきところを先まで許し、そのあとで鋭く反撃するということです。また、IEIは観察機能のNeで、アイデアの評価が有無を言わせない断定になるとされます。
同じ論文には、EIIの例も出てきます。
同じく(EII)も、普段は他の人々の感情の発現に寛容なのに、構え「私−」では突然、はるかに厳格で要求がましくなる。第7機能のコントロール的で乾いた性格が、より強く発現する。
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Так же и (ЭИИ), обычно терпимый к эмоциональным проявлениям других лю- дей, с установкой «Я–» вдруг оказывается гораздо более суровым и требовательным. Кон- тролирующий, сухой характер 7-й функции проявляется сильнее.
EIIの観察機能はFe(外向倫理)です。ふだんは人の感情の表し方に寛容なEIIが、構え「私−」でははるかに厳しく、要求がましくなるということです。カルペンコはそれを「第7機能のコントロール的で乾いた性格」が強く出ると書いています。
3つの例に共通するのは、ふだんは柔らかいか寛容な観察機能が、構えによって硬く、鋭くなることです。カルペンコは、観察機能がもともと「コントロール的」な性格を持っていて、構えがそれを強める、と読んでいると考えられます。ブカロフが位置一覧で第7機能に「コントロールする」を当てたこと(05章)と、語が重なります。
SEIの観察機能—周囲のコントロールと、限度の向こうの力
カルペンコは、共著者とSEIを観察した論文でも、観察機能の性格を書いています。
忘れてはならないのは、SEIの第7機能が意志の感覚(●(Se)7)であり、これは何よりも、このアスペクトについての周囲のコントロールを意味することである。見かけは完全に穏やかなSEIが、反撃もできれば、打たれ強くもある。(中略)SEIは「隅に追い詰められる」までは、ほとんど際限なく譲り、同意し、衝突を避ける。だから「柔らかくてふわふわ」、ほとんど意志薄弱とすら見えかねない。しかしそれはすべて、ある限度まで—である。その限度の向こうには、力も、不屈さも見つかる。
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Надо помнить, что 7-я функция СЭИ — волевая сенсорика ( 7), а это, кроме прочего, контроль окружения по данному аспекту. Совершенно мирный с виду СЭИ спосо- бен и дать отпор, и держать удар.〔中略〕До того как СЭИ «загнали в угол», он будет почти бесконечно уступать, соглашать- ся, уходить от конфликта, и может создаться впечатление, что он «мягкий и пушистый», ед- ва ли не безвольный. Но все это — до определенного предела. За этим пределом обнаружи- ваются и сила, и непреклонность.
ここでの意志の感覚も、Se(外向感覚)のことです。カルペンコの説明では、SEIの観察機能のSeは、何よりも周りの人の押しの強さをコントロールする働きです。そのため、穏やかに見えるSEIも反撃でき、打たれ強いとされます。
ふだんは際限なく譲って衝突を避けるので、意志が弱いとさえ見えますが、ある限度の向こうには力も不屈さもあるということです。この論文は、SEIどうしの2人の共著です。共著者のカリュクは、自分を意志の弱い人間だと思っていましたが、研修の場でやり遂げて「意志の力はやっぱりあるんです」と気づいたとコメントしています。
ストラティエフスカヤのSEIの「どうやら私には大きな意志の力があるみたいです」(06章)と、ブカロフの非常時のSEI(05章)が、これに並びます。3人の研究者が同じSEIの観察機能について、ふだんは見えない大きな力を書いていることが分かります。
消火の関係—メンタルとバイタルが同時に働く
インタタイプ関係の論文では、観察機能は消火の関係(完全対立)の説明の中に出てきます。カルペンコは、この関係がなぜ相手の働きを消してしまうのかを、こう説明しています。
タイプの正常な機能の働きのためには、優位(ドミナンタ)がそのメンタル・ブロックの上にあり、バイタル・ブロックは従属的な、抑えられるものとして働くことが必要だからである。ところが完全対立の関係では、対立する機能がタイプたちにおいて、まさに対立するブロックに置かれているために、メンタル・リングとバイタル・リングの両方の活性化と抑制が同時に起きる(機能1–7、2–8、3–5、4–6の間の結合)。
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для нормального функционирования типа необходимо, чтобы доминанта была на его ментальном блоке, а витальный блок выступал как субдоминантный, подавляемый. Однако в отношениях полной противоположности, за счѐт того, что противоположные функции у типов находятся в противоположных же блоках, происходит одновременно активизация и подавление как ментального, так и витального колец (связи между функциями 1–7, 2–8, 3–5, 4–6).
言い換えると、ふつうのタイプはメンタルリングが優位に立ち、バイタルリングは従って抑えられた形で働くということです。ところが消火の関係では、対立する機能が逆のリングに置かれているので、両方のリングの活性化と抑制が同時に起きるとされます。括弧の中の「機能1–7」は、主導機能と観察機能の結びつきのことです。
自分の主導機能の要素は、消火の関係の相手では観察機能に入ります。つまり、自分が前に出している要素を、相手はバイタルリングの抑えられた側で受け取ることになります。フィラトワが同じ関係を「理解はないが対立もない」と書いた(07章)ことに、カルペンコはリングの優位の食い違いという理由を与えていると読めます。
小括します。カルペンコの観察機能の記述の軸は、3つです。第一に、コントロール的な性格です。観察機能は周囲のその側面へのコントロールを意味し、自分を否定する構えではその性格が硬さ・鋭さとして強く出ます。
第二に、ふだん見えない力です。SEIの観察機能は、ふだんは譲って衝突を避けますが、限度を越えると力と不屈さを見せます。
第三に、関係の中のリングの優位です。消火の関係では、主導機能と観察機能が相手の逆のリングで結びつき、メンタルとバイタルの活性化と抑制が同時に起きます。
10グレンコの記述
ヴィクトル・グレンコは、キエフで「人道主義ソシオニクス」学派を主宰する研究者です。
読むときの注意です。グレンコの体系(モデルG)の位置の名と番号は、モデルAと一部しか対応しません。観察機能に入る要素は、モデルGでは第8「制御機能」に置かれ、ここは番号が一致しません(『64の肖像』のタイプ編の見出しで、16タイプとも観察機能の要素が第8の位置に入ることを確かめています)。
この章では、制御機能の定義、それが属するブロックの性格、モデルAのイドブロックの書き方、そしてタイプ編の例を取り上げます。
制御機能—制限を通じた制御
グレンコは、モデルGの8位置のうち第8「制御機能」を、こう定義しています。
制御機能 ― 主導的、安定的、内的。制限を通じた制御。最小抵抗の点、最も問題のある位置(言行不一致の問題、すなわち「分かってはいるが、できない」)。これは近接環境で起こることを統制し、支配し、自身の意見を押し付けるが、社会タイプの担い手はこの機能を介した行為を好まない。
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Controlling — leading, stable, internal. Control through restriction. The point of least resistance, the most problematic position (the problem of the divergence of words and deeds is “I know, but I cannot.”). It controls what is happening in a close environment, dominates, imposes its own opinion, but the carrier of the sociotype is not inclined to actions through this function.
上の引用にある「主導的」は、モデルGで位置を「主導的」と「駆動される」に分ける語で、主導機能のことではありません。言い換えると、制御機能は制限を加えることで周りを制御する機能で、身近なところで起きることを統制し、自分の意見を押しつけるということです。
一方で、グレンコはこの位置を「最小抵抗の点」「最も問題のある位置」とも呼び、「分かってはいるが、できない」という言行不一致の問題をここに置いています。ブカロフの「コントロールする」(05章)、カルペンコの「コントロール的」(09章)と同じ向きの呼び名ですが、強い機能としてではなく、問題の多い位置として書かれている点が違います。
問題(膨張)ブロック—最も弱いブロック
制御機能が属するブロックについて、グレンコはこう書いています。
これは最も弱いブロックであり、このブロック上の行為は多大な努力を要する一方で通常成功に終わらない。このブロック上で能動的に行為すると、膨張が起こる。エネルギーがますます消費され、システムが溢れエネルギー噴出が発生する(膨らんで弾けたシャボン玉に喩えられる)結果、システムのエネルギーは枯渇する(行為は最小効率で遂行される)。
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This is the weakest block, as the actions on it require a lot of effort and are usually not crowned with success. With active actions on this block, inflation occurs; more and more energy is expended until the system overflows and energy splash occurs (it can be compared with a blown and burst soap bubble), as a result of which the energy of the system is depleted (actions are carried out with minimal efficiency).
引用の「このブロック」は、制動機能(第7)と制御機能(第8)からなる第IVブロック、「問題(膨張)ブロック」のことです。つまり、モデルGでは、観察機能の要素は最も弱いブロックに入り、そこで能動的に動くと、努力の割に成果が出ず、エネルギーが尽きるということです。
モデルAでは、観察機能は強い機能です。同じ要素が、モデルGでは最も弱いブロックに置かれます。この違いは、モデルAが情報の受け取り方を、モデルGがエネルギーの使い方を描くモデルであることから来ていると読めます。グレンコは、制御機能を起動機能(第4)と組にして、どちらも最も極端な場合にだけ残りのエネルギーを使う「エネルギー悲観機能」とも呼んでいます。
モデルAのイドブロック—「できる」ブロック
一方、グレンコはモデルAの4ブロックも、自分の語彙で定義しています。イドブロックについては、こう書いています。
イド(ID)ブロックは、強いが弱く分化した二つの機能から成ります。背景的な解決ブロックと、社会の目標に従属する拡張ブロック(「できる(can)」ブロック)。
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The block ID consists of two strong but weakly differentiated functions: the background solution block〔中略〕and the block of expansion subordinated to the goals of society (the “can” block).
グレンコの定義では、モデルAのイドブロックは強いが分化の弱い2つの機能からなり、背景的な解決と社会の目標に従う拡張を受け持つ「できる(can)」ブロックです。自我ブロックの「知る(know)」と対になる呼び名です。
「強いが弱く分化した」という言い方は、アウシュラの「深い認識はない」(03章)を、ユング以来の分化の語で言い直したものと読めます。モデルGの「最も弱いブロック」と、モデルAの「強いブロック」を、グレンコ自身がモデルごとに書き分けていることが分かります。
タイプ編—ILEの時間
タイプ編では、各タイプのモデルGの8位置が書かれます。ILEの制御機能に入るのは、観察機能と同じNi(内向直観)です。グレンコは、こう書いています。
ILEは利用可能な時間を絶えず注視している。他者を急かしておきながら、自分や他人の時間を自分の思うがままに管理する。約束した時刻までに何かをする約束に遅れたり忘れたりすることが多い。あくせくしすぎることもあれば、悠長すぎることもある。平均的な生活ペースには合わせられない。なぜなら、彼は自分独自の時間理解で生きているからだ。
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ILE constantly monitors the time available. He urges other people, but he manages his own and others’ time as he sees fit. Often, he is late or forgets about his promises to do something by an appointed time. Sometimes he is too fussy, sometimes leisurely. The average pace of life cannot be adjusted because he lives according to his own understanding of time.
言い換えると、ILEはいつも残り時間を気にして人を急かすのに、自分は約束の時刻に遅れたり忘れたりし、平均的な生活の速さに合わせられないということです。その理由は、自分独自の時間の理解で生きているからだとされます。
「制限を通じた制御」が、人を急かすという形で表れ、「分かってはいるが、できない」が、自分の遅刻という形で表れています。カルペンコも、ILEの構え「私−」の例として、絶えず遅刻するのに待たされると腹を立てる、と書いています(09章の論文の同じ箇所)。
小括します。グレンコの体系では、観察機能の要素はモデルGの制御機能に置かれ、番号は一致しません。制御機能は制限を通じて周りを制御する一方、最小抵抗の点で、「分かってはいるが、できない」問題の位置とされ、最も弱いブロックに属します。
一方、モデルAのイドブロックは強いが分化の弱い「できる」のブロックと定義され、強さの評価は2つのモデルで逆になります。タイプ編の例では、その両面が人を急かしながら自分は遅れるという形で書かれています。
11その他の論者の記述
主要な研究者章に収まらない論者の記述を、この章にまとめます。取り上げるのは、イェルマークの体系を継ぐシステム・ソシオニクス学派のエグリトと、その共著者トゥモリスカヤです。学派は機能の次元を手がかりにタイプを判定し、その面接記録を論文にしています。原文はロシア語と英語で、引用は当サイトの訳です。
自動的に反応し、本人に追われない
エグリトは、機能の次元を論じた論文で、バイタルリングの3次元の機能7をこう書いています。
この機能には人の生活の個人的なプログラムが入っていて、その状況で本人にとって都合のよいように自動的に反応する。文章によるバーチャルなタイプ判定では、第7機能の次元を見つけ出すのが難しいことがある。本人がとくにその目的を立てないかぎり、その反応の自動性を本人が追っていないからである。(中略)そういう反応のしかたは自分個人に特有のもので、他の人がどうかは自分には重要でない、と本人が述べることも多い。また、第7機能による反応がありふれていること、繰り返されることも認められる。
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Эта функция содержит индивидуальные программы жизнедеятельности человека и автоматически реагирует так, как удобно человеку в данной ситуации. При виртуальном типировании по тексту бывает трудно выявить размерность седьмой функции, потому что автоматизм ее реакций человеком не отслеживается, если он специально не задается этой целью.〔中略〕Часто человек отмечает, что такой способ реагировать характерен для него лично, а как у других — ему не важно. Также отмечается обычность, повторяемость реакций по седьмой функции.
引用の「この機能」は、機能7、つまり観察機能のことです。エグリトの観察では、観察機能はその場で本人に都合のよいように自動的に反応し、本人はその自動性を追っていないので、判定の面接でも次元を見つけにくいとされます。
本人の話は、思い出した場面からの推測になり、記憶はぼんやりしています。また、「自分個人に特有のやり方で、ほかの人がどうかは自分には重要でない」と語られ、反応がありふれていて繰り返されることも特徴として挙げられています。
イェルマークの「自動的」(08章)を、面接で本人がどう語るかの観察に置き換えた記述です。「ほかの人がどうかは重要でない」という言い方は、イェルマークの「個性のイデオロギー」の、本人の口から出た形と読めます。
自我ブロックへの引き継ぎが多い
エグリトとトゥモリスカヤは、タイプ判定の面接記録の中で、ある機能の話から別の機能の話へ移る箇所を数えています。結論の1つに、こう書いています。
第7機能と第8機能の際立った特徴は、自我ブロックの機能への移行が多いことである。これは、バイタル・スーパーブロックの機能の自動性では非標準的な状況に必ずしも対処できず、その場合、課題が自我ブロックの高次元の機能へ移されるためである。
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Seventh and eighth functions distinctive feature is a larger number of transfers to the Ego block functions. This is because vital track functions automatism not always allows to handle non-standard situations and in this case task is transferred to high-dimensional functions of Ego block.
言い換えると、観察機能と実演機能の話は、自我ブロックの機能の話へ移ることが多く、それは自動的な機能では慣れない状況に対処しきれないからだということです。著者たちはこれを、課題が自我ブロックの高い次元の機能へ移されるためだと説明しています。
イェルマークが、作業プログラムが無ければ主導機能が考案すると書いたこと(08章)を、学派は面接記録の集計で確かめたという位置づけです。同じ論文の集計表では、観察機能から主導機能への移行が57件、創造機能への移行が36件で、超自我ブロック(規範機能・脆弱機能)への移行は0件と数えられています。
小括します。システム・ソシオニクス学派の観察機能の記述の軸は、2つです。第一に、自動的で、本人に追われない反応です。面接では次元を見つけにくく、本人は「自分のやり方」として語ります。
第二に、自我ブロックへの引き継ぎです。慣れない状況では課題が主導機能や創造機能へ移され、その移行の多さが面接記録で数えられています。イェルマークの理論を、判定の現場の記録で裏づけようとしたのが、この学派の書き方です。
12研究者間で残る中核と食い違い
この章は、03〜11章の研究者別の記述を、当サイトの責任で突き合わせます。新しい引用は置かず、研究者を横断して残る中核、差の所在、差の由来の仮説の順に進み、最後に誰が何と言ったかを名指しで並べます。小括は、この章では置きません。
研究者を横断して残る中核
第一に、本人に意識されないまま働くことです。アウシュラ(恒常的な背景、深い認識はない)、イェルマーク(自動的で、実行の瞬間に意識されない)、ストラティエフスカヤ(無意識だから押しつけにならない)、エグリト(本人に追われない)がこれを書いています。
レイニンの「通常、それを見ない」も、同じ状態を閉め出す側から書いたものと読めます。ユングの補償の「気づかれないまま意識を調整する」(02章)を含めて、この点は、このページの研究者の多くに共通する観測です。
第二に、外から与えられた課題に応えて働くことです。アウシュラは周囲の「プログラム」と社会の注文の遂行を書き、ストラティエフスカヤは双対の規範機能を見守る役を、イェルマークは慣れた課題の作業プログラムを書いています。
つまり、観察機能は自分で目標を立てる機能ではなく、示された課題を黙ってこなす機能として書かれています。アウシュラとストラティエフスカヤは、その課題の出どころを双対の相手の超自我に置いている点でも一致します。
第三に、コントロールと批判の向きです。ブカロフ(コントロールする)、カルペンコ(コントロール的で乾いた性格)、グレンコ(制限を通じた制御)は、同じ系統の語で呼んでいます。ストラティエフスカヤの「自分自身に対する検閲者」、イェルマークの付録の「批判的分析」「否定的事象の警告」も、同じ向きの記述として並びます。
第四に、主導機能との受け渡しです。イェルマークはプログラムが無ければ主導機能が考案すると書き、学派はその移行を57件数えました。ブカロフ(非常時の入れ替わり)とカルペンコ(消火の関係の1–7の結合)も、同じ側面の2つの位置の行き来を書いています。
差の所在
第一に、差は強い位置か、無視される場所かに集中しています。アウシュラ、ブカロフ、ストラティエフスカヤは観察機能を強い機能として書き、グレンコもモデルAのイドブロックは強いとしています。一方、レイニンは見ないで閉め出す領域として書き、グレンコのモデルGは同じ要素を最も弱いブロックに置きます。
同じ要素の同じ位置が、「十分に強い」とも「不確実性を示す」とも書かれるのが、観察機能の最大の食い違いです。主導機能や脆弱機能については、強いか弱いかの評価が研究者のあいだでほぼそろっています。
第二に、本人が気づいたときの扱いです。ストラティエフスカヤとカルペンコは、SEIが自分の意志の力に遅れて気づく場面を書いています。強さを見つけるという向きです。一方、レイニンは無視の領域の問題が生活に現れると客観的な悪として受け取られると書き、見つかるのは強さではなく不快だという向きです。
第三に、関係の中での向きです。ストラティエフスカヤは、自分のイドが双対の超自我を献身的に支えると書きます。一方、イェルマークは、イドは相手の超自我からの働きかけにすぐには合わせないと書きます。同じ双対の組み合わせが、支える向きと、合わせない向きの両方から書かれています。
第四に、名称と語彙です。アウシュラは『機能の理論』で第5機能、レイニンは第-1機能(無視の領域)、ブカロフとカルペンコは第7機能と呼びます。イェルマークは機能7(個人的プログラム)、ストラティエフスカヤは観察機能と呼び、グレンコはモデルGの第8(制御機能)に要素を置きます。
主導機能と違い、番号も名前も体系ごとに大きく割れる位置です。ただし、名前の違いは、書く面の違いでもあります。「観察」は見守る面、「無視」は見ない面、「コントロール」「制御」は周りへ働きかける面、「プログラム」は課題をこなす面に名前を付けています。
差の由来についての仮説
当サイトの推測として、差の由来は3つ考えられます。第一に、どの側から見るかです。観察機能は、本人には意識されず、外からは強く働いて見える位置です。
そのため、本人の自己報告や内省を手がかりにする書き方(04章のレイニンの記述)では「見ない」領域として現れます。一方、外からの行動の観察を手がかりにする書き方(ブカロフの会議の例、カルペンコのSEIの観察)では強い力として現れる、という見方ができます。
第二に、モデルが数える量の違いです。モデルAの「強い」は情報の量と処理の確かさを、モデルGの「最も弱い」はエネルギーの使い方を数えています。グレンコが同じ著作でイドブロックを「強いが弱く分化した」と書き、モデルGでは問題ブロックとしたことは、同じ位置を別の量で測ると評価が逆になることの例と読めます。
第三に、価値の側から書くか、能力の側から書くかです。レイニンの第1〜第-4は、「良い」「悪い」と評価の語でラベルを付ける体系です。観察機能は価値を置かれない側にあるので、能力の強さよりも、価値を置かないことの帰結(見ない、閉め出す、悪と感じる)が前に出ると考えられます。
誰が何と言ったか
- アウシュラは、観察機能(『機能の理論』の第5機能)を「強い・バイタル・アクセプト」の機能とし、主導機能の要素の「恒常的な背景」と定義しました。深い認識はなく、見えたものをそのまま受け取ります。強さは社会の注文を遂行する力と、勝つより負けない力にあり、周囲の「プログラム」が無いと自分が不要だと感じ、そのプログラムは双対の超自我に従うことで与えられるとしています。
- レイニンは、観察機能(第-1機能)を「無視の領域」と呼びました。人が認識せず意識から閉め出す現実の一部で、そこに現れたものは客観的な悪として受け取られ、相手の我慢をためて「予期せぬ」対立を生みます。幻想関係の相互無視、超自我関係で相手の願望が見えない場面も、この領域で説明しています。
- ブカロフは、位置一覧で第7機能を「コントロールする」機能と呼び、多次元であることを理由に、主導・創造と並ぶ強い活力的機能に置きました。発達の上では第8と第7から先に満たされ、非常時には動員されたSEIの観察機能がSLEの主導機能を抑えた例を書いています。
- ストラティエフスカヤは、7番を「観察機能」と呼び、双対の相手の規範機能を見守り、仮面の下の本当の顔を見抜く機能と定義しました。情報を念入りに集めて主導機能に渡す自分自身への検閲者でもあり、強いのに意識されないので、助けは押しつけにならず、批判は不公正で痛いものとして受け取られます。
- フィラトワは、4チャンネルの枠には観察機能を入れず、下の環の機能も安定して活性化しうると書きました。関係の記述では、幻想と消火の関係で自分の観察機能の要素が相手の主導機能に入り、相手の強さの過小評価や理解の欠如になる一方、仕事では別の側面からの見方になるとしています。
- イェルマークは、観察機能を「機能7」、その働きを「個人的プログラム」(作業プログラム)と呼びました。慣れた課題を自動的に解く執行ブロックの機能で、機能8と合わせて語られない「個性のイデオロギー」をなし、足りなければ主導機能が新しいプログラムを考案します。双対の相手の超自我からの働きかけには、すぐには合わせないとしています。
- カルペンコは、観察機能に「コントロール的」な性格を見ました。自分を否定する構えではそれが硬さ・鋭さとして強く出ます。SEIの観察機能は周囲のコントロールを意味し、限度の向こうに力と不屈さがあります。消火の関係では、主導機能と観察機能が相手の逆のリングで結びつくと説明しています。
- グレンコは、観察機能の要素をモデルGの第8「制御機能」に置きました。制限を通じて制御する一方、「最小抵抗の点」「分かってはいるが、できない」問題の位置で、最も弱い問題(膨張)ブロックに属します。モデルAのイドブロックは「強いが弱く分化した」「できる」のブロックと書いています。
- エグリトとトゥモリスカヤ(システム・ソシオニクス学派)は、観察機能を3次元の機能7として、自動的に反応して本人に追われず、「自分のやり方」として語られると書きました。面接記録では、観察機能から自我ブロックへの移行が多く、超自我ブロックへの移行は0件と数えています。
13暗示・規範・主導の各機能との比較
この章では、観察機能を、配置の公理による導出対である3つの位置—暗示機能、規範機能、主導機能—と比べます。3つとも、観察機能と要素の決まり方が直接つながっている位置です。
導出の公理では、観察機能は主導機能と同じ側面で指向だけを反転した要素です。暗示機能は観察機能と側面が逆で指向が同じ、規範機能は側面も指向も逆になります。公理の形で書くと、次のとおりです。
- 観察機能(7番)はイドブロック・バイタルリングに属し、3標識は「強・バイタル・受容」です。
- 配置の公理による導出対: 側面反転・指向維持=暗示機能(5番)/側面反転・指向反転=規範機能(3番)/側面維持・指向反転=主導機能(1番)。
加えて、同じブロックの相方である実演機能との対比を置きます。新しい引用は比較に要るものだけにとどめ、研究者章で引いた記述は章番号で参照します。
暗示機能との比較—同じバイタルの受容側で、強弱だけが逆
暗示機能と観察機能は、どちらもバイタルリングの受容側で、3標識のうち違うのは強弱だけです(要素は側面が反転します)。例えば、ILEの観察機能はNi、暗示機能はSiです。
関係の面では、自分の観察機能の要素が相手の暗示機能に入るのは、超自我関係と協力関係です。レイニンは超自我関係を、自分の望むものが相手の否定的価値になっている、という無視される側の台詞で書いていました(04章)。相手がいちばん欲しいものが、自分には見えていないという組み合わせです。
システム・ソシオニクス学派は、暗示機能から観察機能へ管理を移せば問題が解けるという考え方について、こう書いています。
問題解決のために管理を第5機能から第7機能へ、第6機能から第8機能へ移すという推奨は、バイタル・スーパーブロックの働きの自動的な性質のために、まったく実行できない。
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Recommendation to transfer control for purposes of problem solving from the fifth function to the seventh and from the sixth function to the eighth is totally unfeasible due to automatic nature of functioning of the vital track super-block.
ここで管理を移すとは、ある機能で解けない課題を別の機能に引き継ぐことです。つまり、暗示機能から観察機能へ意図して課題を移すことは、バイタルの機能が自動的に働く以上、できないということです。
同じ論文の集計では、暗示機能の話から観察機能の話への移行は17件、その逆は0件でした。同じバイタルの受容側に並ぶ2つの機能でも、弱い暗示機能から強い観察機能へは話が移ることがあり、強い観察機能から弱い暗示機能へは移らない、という記録です。
規範機能との比較—双対で受け渡される側面
規範機能は、観察機能と側面も指向も逆で、3標識では強弱と環が逆です(どちらも受容)。例えば、ILEの観察機能はNi、規範機能はSeです。
関係の面では、自分の観察機能の要素が相手の規範機能に入るのは、双対関係と準双対関係です。ストラティエフスカヤは、イド・レベルと超自我のレベルの対応を、理論編でこう一般化しています。
第5アスペクトが第1のアスペクトを補完するのと同じように、第6アスペクトは同じ徴標で第2を補完し、第7は第3を補完し、第8は第4アスペクトを補完するだろう。
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Так же как пятый аспект дополняет первый, шестой аспект по тем же признакам будет дополнять второй, седьмой дополнит третий, восьмой дополнит четвертый аспект.
上の引用は、双対の相手の機能どうしの対応を述べたものです。つまり、自分の第7の要素は、双対の相手の第3を補うということです。第5が第1を補うのと同じ形の補い合いが、4つの組で成り立つとされます。
この組み合わせは、3人の研究者が3つの向きで書いています。ストラティエフスカヤは、相手が規範機能で演じる役を見守り、本当の顔を見抜いて助けると書きました(06章)。アウシュラは、イドが双対の超自我に従うことでプログラムされると書きました(03章)。
一方、イェルマークは、イドは相手の超自我からの働きかけにすぐには合わせないと書いています(08章)。見守って助ける・従ってプログラムされる・すぐには合わせないの3つは、同じ受け渡しを、支える側、受け取る側、ずれる側から書いたものと読めます。
主導機能との比較—同じ側面で、背景と前景
主導機能は、観察機能と同じ側面で指向が逆で、どちらも強い受容側の機能です。違うのは環(メンタル/バイタル)です。例えば、ILEの主導機能はNe、観察機能はNiです。
アウシュラは観察機能を主導機能の要素の「恒常的な背景」と書き(03章)、レイニンは第-1機能を第1機能と対にして、「良い」に対する「悪い」の側の見ない領域として書きました(04章)。つまり、主導機能が前景で意識して使う向きなら、観察機能は同じ側面の、意識されない反対の向きです。
この2つは、ときに入れ替わります。イェルマークは作業プログラムが無いとき主導機能が考案すると書き(08章)、学派はその移行を57件数えました(11章)。逆に、ブカロフの例では、非常時に動員されたSEIの観察機能が、同じ要素を主導に持つSLEを抑えました(05章)。
関係の面では、自分の観察機能の要素が相手の主導機能に入るのは、消火関係と幻想関係です。レイニンは幻想関係を相互無視と呼びました(04章)。フィラトワは「自分自身だけで十分強い!」と相手の強さを低く見る場面を書き(07章)、カルペンコは消火関係でメンタルとバイタルの活性化と抑制が同時に起きると書いています(09章)。相手のいちばん強いところが、自分にとっては背景の向きになる組み合わせです。
ブロックの相方—実演機能
実演機能と観察機能は同じイドブロックにあり、一方は受容、他方は生成です。ストラティエフスカヤは、観察機能を「分析的」、実演機能(彼女の名では誇示機能)を「実現的」と呼び、観察機能が得た情報を実演機能が実現すると書いています。
イェルマークは、機能7を作業プログラム、機能8を道具一式とし、2つの総和を個性のイデオロギーと呼びました(08章)。また、機能7は時間のパラメータを持たず、機能8は持つとしています(14章)。学派の集計では、2つとも自我ブロックへの移行が多いことが結論に挙げられています(11章)。
このように、観察機能は何をするかの手順を受け取る側、実演機能はそれを道具で実行する側、という対比が、研究者間で共有されています。
小括します。導出対の3つとの比較から、3つのことが言えます。第一に、観察機能は暗示機能の強い側で、相手の欲しいものが見えない組み合わせを作ります。
第二に、規範機能を双対で補う側で、その補い方は見守る・従う・合わせないの3つの向きで書かれます。第三に、主導機能の背景で、同じ側面を意識されない反対の向きで持ちます。ブロックの相方である実演機能とは、手順と道具、分析と実現で書き分けられます。いずれも研究者章の記述を並べて得た当サイトの整理で、研究者自身が4つの位置を同時に比較しているわけではありません。
14次元性から見る観察機能
機能の次元性は、各位置が参照できる情報の幅を1〜4次元で記述する、後代の拡張理論です。提唱者はブカロフで、イェルマークがパラメータの定式化を整備しました。
観察機能は、一般の割り当てでは3次元です。強い機能の中では主導機能と実演機能(4次元)より1つ少なく、創造機能と同じ数です。この章では起源と定義を確認し、観察機能に関わる定義水準の違いを注記します。
起源とベクトル
ブカロフは、次元性の発見とその用途を、こう書いています。
著者によって1990年に発見された、情報代謝機能(心的機能)の情報処理パラメータの次元性 [9] は、人間の思考と行動の特徴、特定の型間関係のニュアンスを正確に記述することを可能にし、国際ソシオニクス研究所のスタッフおよび他のソシオニクス専門家による専門家・コンサルティング業務において実用上の重要な応用を持つ [10, 14]。
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Обнаруженная автором в 1990-м году мерность параметров обработки информации психических функций или функций информационного метаболизма [9], позволяет точно описывать особенности мышления и поведения человека, нюансы конкретных интертипных отношений и имеет значительные практические приложения, используемые на практике в экспертно-консультационной работе как сотрудников Международного института соционики, так и других специалистов по соционике [10, 14].
言い換えると、次元性は、人の考え方や行動、タイプ間の関係の細かな違いを記述する道具として、専門家の相談の実務で使われているということです。ブカロフは、発見を1990年と書いています(文献によっては1989年とも紹介されます)。
ブカロフは、4つの次元を4つのベクトルとして整理しています。
次元性を考慮した情報代謝機能の一般構造を、グローバル性、状況、規範、個人的経験のベクトルによって図的に表されるとおり、思い出しておこう。
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Напомним общую структуру функций информационного метаболизма с учетом мерностей, графически выражаемых векторами глобальности, ситуации, норм и личного опыта.
上の引用にあるベクトルは、判断のときに参照できる情報の種類のことです。観察機能は、このうち個人的経験・規範・状況の3つを持ち、グローバル性を持たない位置になります。
時間には不変—イェルマークのパラメータ
イェルマークは、観察機能の3つのパラメータを、イドブロックの働きと結びつけて書いています。
たとえば、執行ブロック1(イド)の「自動装置」的機能は、習慣的で既知の条件に向けられているため、経験(Ex)、状況(St)、規範(Nr)に依存しつつ、時間パラメータには不変な(機能7は時間パラメータから独立)、個人的「技術的」プログラムの集合をもつ必要があり、これによってそれらを任意の所与の時間の瞬間に利用できるようになる(機能8は時間パラメータを持つ)。
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Так, “автоматный” характер функционирования исполнительного блока 1 (ИД), ориентированного на привычные, знакомые условия, требует иметь набор индивидуальных “технологических” программ, определяющихся опытом (Ех), ситуациями (50 и нормами (№), но инвариантных к параметру времени (функция 7 независима от параметра времени) с тем, чтобы ими можно было воспользоваться в любой заданный момент времени (функция 8 имеет параметр времени).
Exは経験、Stは状況、Nrは規範のパラメータを表します。イェルマークの枠では、観察機能は慣れた条件に向けた手順の集まりなので、経験・状況・規範には依存するが、時間のパラメータは持たないということです。時間に縛られないので、どの時点でもその手順を取り出して使えるとされます。
一方、同じイドブロックの機能8は時間のパラメータを持ちます。手順は時間に関係なく持っておき、実行は特定の時点で行うという分担です。イェルマークは同じ箇所で、自我ブロックでは主導機能が時間のパラメータを持って考え、創造機能が時間の1点に固定して形にする、とも書いています。イドブロックは、その分担と時間の有無が逆になっていることが分かります。
個人的なパラメータと社会的なパラメータ
システム・ソシオニクス学派のエグリトは、同じ3次元の創造機能と観察機能を、パラメータの種類で書き分けています。
機能2(3次元)—社会的な経験(Ex*)、規範(Nr*)、状況(St*)のパラメータ。時間のパラメータ(Tm*)については、この機能は不変である。機能7(3次元)—個人的な経験(Ex)、規範(Nr)、状況(St)のパラメータ。時間のパラメータ(Tm)については、この機能は不変である。
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Функция 2 (трехмерная) — параметры социальных опыта (Ex*), норм (Nr*), ситуации (St*). По параметру времени (Tm*) функция инвариантна. Функция 7 (трехмерная) — параметры индивидуальных опыта (Ex), норм (Nr), ситуации (St). По параметру времени (Tm) функция инвариантна.
上の引用にある「*」の付いたパラメータは社会的なもの、付かないものは個人的なものです。言い換えると、創造機能と観察機能はどちらも3次元で時間には不変だが、創造機能は社会的な経験・規範・状況を、観察機能は個人的な経験・規範・状況を参照するということです。
メンタルリングの機能は社会のパラメータを、バイタルリングの機能は個人のパラメータを持つ、というイェルマークの体系の書き分けです。アウシュラが観察機能の要素を「自分のもの」としてのみ存在すると書いたこと(03章)は、この個人的なパラメータという定式と同じ向きの記述と読めます。
観察機能をめぐる定義水準の違い
観察機能を3次元とする点で、このページの次元性の記述はそろっています。ですが、3つの中身をどう呼ぶかは同じではありません。ブカロフは個人的経験・規範・状況のベクトル、イェルマークとエグリトは個人的な経験・規範・状況のパラメータと書きます。
また、観察機能の強さを次元で言うときと、3標識で言うときと、モデルGのエネルギーで言うときとで、「強い」の中身が違います。次元で言えば3次元で主導機能より1つ少なく、3標識で言えば主導機能と同じ「強」、モデルGで言えば最も弱いブロックです。観察機能の記述を原典で読むときは、どの水準の「強さ」かを保つ必要があります。
小括します。次元性は、観察機能を個人的な経験・規範・状況を参照し、時間には縛られない3次元の機能として定式化します。同じ3次元の創造機能とは、社会的か個人的かで分かれます。検証手続きの不在という理論運用上の問題は、17章で扱います。
1516タイプの観察機能
配置の公理から導かれる16タイプの観察機能の要素は、次のとおりです。
| 観察機能の要素 | タイプ |
|---|---|
| Ni(内向直観) | ILE・IEE |
| Se(外向感覚) | SEI・SLI |
| Fi(内向倫理) | ESE・EIE |
| Te(外向論理) | LII・LSI |
| Si(内向感覚) | SLE・SEE |
| Ne(外向直観) | IEI・ILI |
| Ti(内向論理) | LIE・LSE |
| Fe(外向倫理) | ESI・EII |
観察機能に入った要素は、位置と要素を合わせて「観察Fe」(外向倫理が観察機能に入る場合)のようにも呼ばれます。
このように、観察機能の要素が同じ2タイプは、主導機能の要素も同じで、創造機能の側面だけが違います。例えば、ILEとIEEはともにNeが主導でNiが観察機能、創造機能はILEがTi、IEEがFiです。
研究者章で触れたタイプ別の観測を、要素ごとに並べると次のようになります。まず、Ni(ILE・IEE)は、このページで最も多くの研究者が書いている要素です。アウシュラは主導機能の背後で構造の時間的な変化を「側面視」で受け取ると書き、レイニンは内省を求められると戸惑うと書いています。
また、グレンコは人を急かしながら自分は遅れるILEの時間の扱いを書き、カルペンコも同じ論文でILEの遅刻を例に挙げています。イェルマークは、ILEの機能7を否定的な事象を予防するプログラムと書いています。
次に、Se(SEI・SLI)は、ふだん見えない大きな力として書かれています。ブカロフは非常時のSEIの例を、ストラティエフスカヤはSEIとSLIが自分の意志の力に気づいていないことを、カルペンコは限度の向こうの力と、構えによる遅れた反撃を書いています。
さらに、Te(LII・LSI)はビザや交通規則や刑法といった外の決まり(レイニンのLSI)、Si(SLE・SEE)は倒れるまで働く健康の扱い(レイニンのSLE)として書かれています。Ne(IEI・ILI)はアイデアへの有無を言わせない評価(カルペンコのIEI)、Fe(ESI・EII)は他人の否定的な感情への厳しさ(カルペンコのEII)として書かれています。
一方、Fi(ESE・EIE)とTi(LIE・LSE)については、このページの研究者章では触れていません。同じ要素でも研究者によって書く面が違うことは、研究者章のとおりです。
各タイプの観察機能がどう働くかは、タイプ一覧から入れる各タイプの8機能の詳細解説に章があります。要素そのものの説明は、8つの情報要素の詳細解説にあります。この章では引用を置かず、観察機能の要素ごとの入口を示すにとどめます。
16誤読と誤同定
観察機能をめぐる読み違いのうち、研究者章の記述から指摘できるものを整理します。
「観察機能=できないこと」という読み
「無視の領域」という呼び名から、観察機能を苦手なこと、できないことと読む誤りがあります。レイニンは確かに、そこで人は不確かさを示すと書いています(04章)。
ですが、アウシュラ、ブカロフ、ストラティエフスカヤは、同じ位置を十分に強い機能として書き、ブカロフの例では非常時に主導機能をも抑えます(03章・05章・06章)。観察機能は、できないのではなく、ふだん自分から使わず、価値を置かない位置として書かれています。
脆弱機能との取り違え
観察機能と脆弱機能は、どちらも本人がふだん意識して使わない位置なので、混ぜて読まれやすい組み合わせです。ですが、モデルAでは観察機能は強く、脆弱機能は弱い機能で、3標識は強弱・環・受容と生成のすべてで違います。
この取り違えには、名前の衝突も絡みます。グレンコはモデルGの制御機能を「最小抵抗の点」と呼びますが(10章)、この語はモデルAでは脆弱機能の通称です。ILEで言えば、モデルAの脆弱機能の要素はFi(内向倫理)、グレンコの「最小抵抗の点」に入る要素はNi(内向直観)で、同じ語が別の要素を指しています。
主導機能との取り違え
観察機能は主導機能と同じ側面で、指向だけが逆です。そのため、観察機能が強く働いた場面だけを見て、主導機能と取り違えることがあります。ブカロフの会議の例では、SEIの観察機能のSeが、SLEの主導機能のSeをしのいで働きました(05章)。
両者は、意識して使い価値を置くかどうかで分かれます。主導機能はメンタルリングで本人に自覚され、観察機能はバイタルリングで本人に追われません(08章・11章)。強く出た場面ではなく、本人がそれを自分の中心と感じているかで見る必要があります。
実演機能との取り違え
実演機能(8番)も、観察機能と同じイドブロックの強い機能です。ですが、観察機能は3次元の受容側、実演機能は4次元の生成側で、イェルマークの枠では時間のパラメータの有無も逆です(14章)。
ストラティエフスカヤの言い方では、観察機能が分析し、実演機能が実現します(13章)。外から見えやすいのは、実現する側の実演機能なので、イドブロックの目立つ行動をすべて観察機能の要素で説明すると、実演機能と取り違えます。
名称の衝突
観察機能は、番号も名前も体系ごとに大きく割れる位置で、名称の衝突が起きやすい位置です。研究者ごとの呼び名と番号を一覧にすると、次のとおりです。
- アウシュラ『機能の理論』: 「第5機能」(強い・バイタル・アクセプト)。ブロック「イド」の1つ目の機能です。
- レイニン: 第-1機能「無視の領域」。第1機能と対になり、ラベルは「悪い」の側です。
- ブカロフ: 「第7機能」。位置一覧では「コントロールする」機能と呼ばれ、強い活力的機能に分類されます。
- ストラティエフスカヤ: イド・レベルの第7機能=「観察機能」。当サイトの名称と同じです。
- フィラトワ: 4チャンネル(モデル・ユング)には枠がありません。モデルAでは「下の環」の機能の1つです。
- イェルマーク: 「機能7」=「個人的プログラム」(作業プログラム)。付録では「個別プログラム機能」とも書かれ、パラメータは個人的な経験・規範・状況の3つです。
- カルペンコ: 「第7機能」。コントロール的な性格の機能として書かれます。
- グレンコ: モデルGの第8「制御機能」に要素が入ります。モデルGの第7は「制動機能」で、番号の7は別の位置です(10章)。
- エグリト、トゥモリスカヤ(システム・ソシオニクス学派): 「機能7」(3次元)。イェルマークの体系を継いでいます。
単一機能への還元
「この人はいつも時間に遅れるからNiが観察機能だ」のように、目に見える行動を1つの位置に還元する説明は、研究者章の記述からは支持されません。
カルペンコは、観察機能の硬さや鋭さが自分を否定する構えのときに強く出ると書き(09章)、フィラトワは、下の環の機能が強められる程度に個人差があると書いています(07章)。そのため、観察機能は行動の量ではなく、強いのに価値を置かず、本人に意識されないという位置の性格で見分けるものとして書かれています。
小括します。観察機能の読み違いは、5つに集約できます。できないことへの読み替え・脆弱機能との取り違え・主導機能との取り違え・実演機能との取り違え・単一機能への還元です。いずれも、要素と位置の意味で照合し、強さと価値と自覚を分けて見れば避けられる種類のものです。
17先行研究への懸念点
先行研究への懸念を、このページで扱った範囲に限って整理します。
定義水準の別と検証手続き
12章で見たとおり、観察機能は、強い機能とも無視の領域とも書かれています。さらにモデルGでは、同じ要素が最も弱いブロックに置かれます。そのため、観察機能の「強さ」を判定する手続きは、研究者ごとに違います。
このページの研究者の中で、観察機能の働きを面接記録の件数で示したのは、システム・ソシオニクス学派だけです。ストラティエフスカヤの「仮面の下の本当の顔を見抜く」、カルペンコのSEIの観察は、観察からの一般化として提示されており、その観察を第三者が再現する手続きは示されていません。
学派内の反復と独立性
「コントロール」の系統の呼び名(ブカロフ、カルペンコ、グレンコ)と、自動性と3次元の定式(イェルマーク、エグリト、トゥモリスカヤ)は、キエフ系の研究者の内部で共有された語彙です。学派の面接記録も、イェルマークの理論を前提に集計されています。
一方、アウシュラの「背景」、レイニンの「無視」、ストラティエフスカヤの「観察」は別系統です。つまり、12章の中核のうち「意識されない」は系統をまたいで現れ、「コントロール」は主にキエフ系の内部で反復しているということです。
名称の重なり
観察機能の名称は、「観察」「無視」「コントロール」「プログラム」と、互いにほとんど重ならない語で呼ばれています。それぞれ、見守る面、見ない面、働きかける面、課題をこなす面に名前を付けたものです。
名前だけを並べると、観察機能がよく見る機能なのか、見ない機能なのかが、体系によって逆に見えます。また、グレンコの「最小抵抗の点」はモデルAの脆弱機能の通称と衝突します(16章)。研究者間で突き合わせるときは、名前ではなく、要素で照合する必要があります。
モデルの限界
レイニンは、モデルとタイプの関係について、こう書いています。
歴史的にはソシオンはモデルの助けを借りて発見され、タイプの名称はモデルに由来するが、これは決してソシオンがモデルの帰結であることを意味しない。懐中電灯はそれが照らす対象を生み出しはしない。モデルはある対象領域を照らしているにすぎない。
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Исторически социон был обнаружен при помощи модели, и названия типов происходят из модели, но это вовсе не означает, что социон является ее следствием. Фонарь не занимается порождением предметов, которые освещает. Модели лишь освещают некоторую предметную сферу.
ソシオンは、16タイプがそろった全体のことです。この一文が言うのは、モデルはタイプの体系を発見する助けになったが、タイプはモデルから生まれたものではなく、モデルはその一部を照らしているにすぎないということです。レイニンは、これを懐中電灯にたとえています。
観察機能は、同じ要素を、モデルAは強い位置に、モデルGは最も弱いブロックに置く位置です。2つのモデルが同じ対象を別の光で照らしている、というレイニンの留保は、観察機能を読むときにとくに前提に置けます。
主張の4水準
このページの内容を、主張の水準で分けると、次のようになります。
- 文献上の事実—誰がどの位置をどう呼び、何を書いたか(研究者章の引用)。
- 理論内部の帰結—配置の公理による導出対、3標識、関係の中で観察機能の要素が相手のどこに入るか、次元性の割り当て(01章・13章・14章)。
- 文献系列内で反復される観察—本人に意識されないまま働く、外から与えられた課題に応える、コントロールと批判の向き、主導機能との受け渡し(12章)。
- 独立に実証された主張—このページの範囲では確認できません。学派の面接記録は、同じ学派の理論を前提にした集計です。
小括します。懸念は、定義水準の別、検証手続きの乏しさ、学派内の反復、名称の重なり、モデルの説明できる範囲の5つです。
いずれも観察機能に固有ではなく、ソシオニクスの位置論全体に及ぶ問題です。ただし観察機能は、強いか弱いかの評価そのものが研究者で割れる点で、位置論の中でも定義水準の差が最も大きく出る位置です。
18観察機能とは何か
ここまで見てきたものを、当サイトの責任でまとめます。新しい引用は置きません。確からしさは、研究者章の引用より一段低くなります。最後は、「観察機能とは、詰まるところ何なのか」に落ち着けます。
反復して現れる記述
観察機能について、研究者を横断して反復される記述は4つです。本人に意識されないまま働くこと。外から与えられた課題に応えて、黙ってこなすこと。
また、周りをコントロールし、批判し、警告する向きを持つこと。そして、同じ側面の主導機能と、ときに役割を受け渡すことです。
ただし、このうち第三はキエフ系の文献に特に多く、観測の非独立性を差し引いて読む必要があります。
分化で見ると—強いのに、粗く、語られない
「強い機能は分化し、弱い機能は未分化」という対比は、ユングが主要機能と劣等機能に与えたものです(02章)。観察機能は、この対比のどちらにもきれいには入りません。
その位置を言い当てているのが、グレンコのモデルAのイドブロックの定義、「強いが弱く分化した」です(10章)。アウシュラの「深い認識はなく」「あるがままに知覚する」(03章)も、同じことを書いています。強いのに分化が弱い、というのが観察機能の分化の状態です。
まず、受け取る側では、量は十分だが、細かくは見ないということです。主導機能の要素の背景として、見えたものをそのまま受け取り、他人をその要素で評価することもまれです。強さは十分にあるので、頼まれれば社会の注文をこなし、非常時には主導機能を抑えるほど働きます。
一方で、出す側では、語られず、自動的に出ることが書かれています。イェルマークは実行が意識されず、ときに衝動的に見えると書き、エグリトは本人が「自分のやり方」として語り、ほかの人がどうかは重要でないと答えると書いています(08章・11章)。
分化が弱いぶん、批判されたときの備えもありません。ストラティエフスカヤが、強いのに批判は不公正で痛く感じると書いたこと(06章)、カルペンコが構えによって判断が硬く鋭くなると書いたこと(09章)は、分化していない強さの出方として読めます。
確定しない点
まず、観察機能が強い位置か、無視される場所かは確定していません。アウシュラ、ブカロフ、ストラティエフスカヤの「強い」と、レイニンの「見ない」、モデルGの「最も弱いブロック」が並んでいます。
また、双対の相手との関係が支える向きか、合わせない向きかも、ストラティエフスカヤとイェルマークで分かれています。判定の手続きは学派の集計のほかには示されておらず、独立に実証された主張はありません。
観察機能像の要約
文献上の観察機能は、バイタルリングの強い受容側にある位置です。主導機能と同じ側面を逆の向きで受け取り、それは主導機能の背景として、深く認識されないまま入ってきます。
その領域では、自分の必要より他者の必要がよく見え、頼まれたことは黙ってこなし、負けない強さを持ちます。何をすべきかは外から与えられ、それが無いと自分が要らない人間だと感じます。
一方で、その働きは本人に意識されず、自分では強さに気づいていないことが多いとされます。周りをコントロールし、警告する向きを持ちますが、批判されると不公正に感じ、構えしだいで硬く鋭くなります。
また、観察機能は主導機能の背後にある予備の手順でもあります。手持ちの手順で足りなければ主導機能に引き継ぎ、非常時には主導機能を抑えるほど前に出ます。これが、研究者章を通して浮かび上がる像です。
観察機能とは、詰まるところ
いろいろな研究者の書き方を見てきましたが、最初の一般像(01章)からそう遠くには行きません。強いのに重んじない、背景にある、いざとなれば使える—ここは研究者をまたいで残ります。言い直したいのは2つだけです。「使わない」というより、本人がそれを使っていることに気づいていない(アウシュラ、イェルマーク、ストラティエフスカヤ、エグリト)。「軽く見る」というより、自分には当然のことで、自分のための価値を置いていない(アウシュラ、レイニン)。危ないところに気づいて口を出すのは、一般像のとおりです。
かみ砕いて言えば、観察機能は、主導機能と同じ領域を、反対の向きから見ている、意識されない強い機能です。その領域のことは十分に分かっていて、人に頼まれればきちんとこなしますし、追い詰められれば思いがけない力を出します。ですが、本人はそれを自分の得意なことだとは思っていません。自分のためにはあまり使わず、むしろ人の必要のほうがよく見えます。そのやり方は黙って自動的に出てくるので、人から批判されると、不公正で痛いと感じやすいところでもあります。そして、手持ちのやり方で足りないときは、主導機能が新しいやり方を考え出す、と文献は書いています。
少なくとも、これだけは研究者をまたいで残ります。強いのに、本人には意識されていない。頼まれたことは黙ってこなす。そして、主導機能のすぐ背後で、同じ領域を反対の向きから見ている。観察機能は、おおよそそういう位置です。
19引用と記述の方法
引用を用いる理由と範囲
ソシオニクスの文献では、同じ観察機能について、研究者ごとに呼び名も観測点も評価も食い違います。食い違う記述を1つの要約にまとめると、どの研究者も書いていない「平均像」ができあがります。要約には書き手の解釈が混ざるため、研究者の記述は逐語の引用で示します。
引用は、本文で設定した論点の検討に必要な範囲にとどめます。そのうえで、当サイトの本文がその出典関係・記述の差異・適用範囲を分析します。各引用の位置づけの説明、各章末の小括、12章の横断比較、17章の懸念の整理が、このページの本文の役割です。
また、12章の横断比較や16章・17章の整理など、本文の分析には当サイトの判断が入ります。最終の18章はその延長で、記事全体の資料をまとめ直す独自の統合です(位置づけは章の冒頭でも明示します)。
引用の逐語性と翻訳
引用の訳文は当サイトによる訳出です(ユングはドイツ語原著の英訳版から、システム・ソシオニクス学派は学派が公開するロシア語の原文と英語版から訳出しています)。底本の綴りは各引用の「原文を表示」で確認できます。
底本は、研究者本人の著書と機関誌論文を主とします。原文は、各引用の下の「原文を表示」に格納しています(図版由来で原文を収載できない箇所は索引に注記します)。なお、原文には誤字が残る可能性があることをあらかじめお伝えしておきます。
引用の位置づけも明記します。本ページの引用は、公表された著作物からの、批評・研究を目的とする引用です。引用部は引用ブロックで明瞭に区分し、すべてに出所を番号つきで明示しています。
また、索引には著者・資料名と、確認できた範囲の刊行年・初出・該当箇所を掲載し、出所に留保が要る資料は注記で示します。本文と引用の関係は、本文の分析が主で、引用は各論点の根拠として示す資料です。出典・掲載についての指摘があれば対応します。
引用への編集操作
引用への編集操作は、次の3点に限ります。第一に、タイプ愛称の置換です。ソシオニクスの原典には、16タイプを著名人の名で呼ぶ愛称が頻出します。当サイトはタイプをコード表記(ILE、SEIなど)で統一しているため、引用内の愛称は「ILE〔原文: ドン・キホーテ〕」の形式で置換します。
第二に、タイプ略号と研究者名のラテン文字への統一です。第三に、要素記号の読みの付記です。原文で要素記号が入る箇所は( )で表示し、引用内の要素記号と一文字の機能記号(□、●など)には、表示のときに要素コードの読みを添えます。
一方、位置の名称と番号には手を加えません。観察機能(7番)は研究者によって「第5機能」「無視の領域」「コントロールする機能」「観察機能」「個人的プログラム」などと呼ばれます。番号も体系によって違い、アウシュラの『機能の理論』では第5、レイニンでは第-1です。グレンコのモデルGでは、観察機能の要素が第8の位置に入ります。
そのため、引用内の名称と番号はそのまま残し、対応は各研究者章の冒頭と16章の一覧で示します。本文では、当サイトの名称である観察機能で統一し、番号が要るところは「観察機能(7番)」と書きます。
索引の使い方
引用の末尾には初出順の番号が付きます。番号を押すと巻末の索引に移動し、著者・書名と、確認できた範囲の年・該当箇所を確認できます。索引の各項目からは、本文の引用位置へ戻れます。
+索引(引用文献)
- [1]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [2]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第11章 定義「補償」 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [3]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921年)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [4]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика、刊年不詳) 「第5機能」の節(現行の観察機能、7番) 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [5]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика、刊年不詳) 「第5機能」の節(現行の観察機能、7番) 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [6]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика、刊年不詳) 「第5機能」の節(現行の観察機能、7番) 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [7]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика、刊年不詳) 「第5機能」の節(現行の観察機能、7番) 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [8]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика、刊年不詳) 「第5機能」の節(要約) 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [9]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика、刊年不詳) 「機能のメンタル性 ─ バイタル性」の節 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [10]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика、刊年不詳) 「ブロック「イド」」の節 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [11]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [12]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [13]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998年) 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [14]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010年)第1講 底本は英語版 本文へ
- [15]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010年)第2講「16タイプ」ESI節 底本は英語版 本文へ
- [16]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010年)第2講「16タイプ」ILE節 底本は英語版 本文へ
- [17]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010年)第2講「16タイプ」LSI節 底本は英語版 本文へ
- [18]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010年)第2講「16タイプ」SLE節 底本は英語版 本文へ
- [19]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010年) 16関係編「幻想関係」 底本は英語版 本文へ
- [20]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010年) 16関係編「超自我関係」 底本は英語版 本文へ
- [21]Bukalov「職業的成功とソシオニクス・タイプ」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2023年) 出典リンク 本文へ
- [22]Bukalov「職業的成功とソシオニクス・タイプ」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2023年) 出典リンク 本文へ
- [23]Bukalov「職業的成功とソシオニクス・タイプ」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2023年) 出典リンク 本文へ
- [24]Bukalov「意識機能の管理的役割」(原題:Управляющая роль функции сознания)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(2016年) 底本ではタイプと機能の記号が図版のため、原文欄では括弧の中が空になる 出典リンク 本文へ
- [25]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第I部 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [26]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第I部 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [27]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第I部 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [28]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第I部 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [29]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第I部 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [30]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第I部 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [31]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第II部 SEI章 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [32]Stratiyevskaya『お別れしないために』(刊年不詳) 本文へ
- [33]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第III部 第1部 本文へ
- [34]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第II部 インタタイプ関係「幻想の関係」 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [35]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001年)第II部 インタタイプ関係「消火の関係(完全対立)」 原文欄は著者の書籍(露語)の対応箇所 本文へ
- [36]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей、2005年)第3章 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [37]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей、2005年)第3章 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [38]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей、2005年)第3章 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [39]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей、2005年)第8章 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [40]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей、2005年)付録2「心のTIMモデルの記述」 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [41]Karpenko「バーン=ブカロフによる構えがタイプの発現に及ぼす影響」(原題:Влияние установок по Бёрну–Букалову на проявления типа)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2011年) 出典リンク 本文へ
- [42]Karpenko「構えがタイプの発現に及ぼす影響」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 本文へ
- [43]Karpenko「バーン=ブカロフによる構えがタイプの発現に及ぼす影響」(原題:Влияние установок по Бёрну–Букалову на проявления типа)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2011年) 出典リンク 本文へ
- [44]Karpenko & Karjuk「感覚倫理内向型: 自然観察の試み」(原題:Сенсорно-этические интроверты: опыт наблюдения в природе)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(2010年) 訳文のタイプ略号(露語のСЭИ)はSEIに転記した 出典リンク 本文へ
- [45]Karpenko「モデルAの内部結合とインタタイプ関係」(原題:Внутренние связи модели А и интертипные отношения)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2001年) 出典リンク 本文へ
- [46]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年)理論編 モデルG 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [47]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年)理論編 モデルG 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [48]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年) DCNH編 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [49]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019年) 16タイプ編 ILE「制御機能」 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [50]Eglit「機能の次元」(原題:Размерность функций)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №2(2007年) 原文は機関誌掲載のロシア語。システム・ソシオニクス学派公式サイトにも同じ本文が掲載されている。引用本文はその当サイト訳 出典リンク 本文へ
- [51]Eglit & Tumolska「モデルAにおける応答の情報要素の切り替えの研究」(原題:Research of Response Information Element Change in the A-Model)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(2012年) 底本はシステム・ソシオニクス学派(School of System Socionics)公式サイト掲載の英語版。引用本文はその当サイト訳 出典リンク 本文へ
- [52]Eglit & Tumolska「モデルAにおける応答の情報要素の切り替えの研究」(原題:Research of Response Information Element Change in the A-Model)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(2012年) 底本はシステム・ソシオニクス学派(School of System Socionics)公式サイト掲載の英語版。引用本文はその当サイト訳 出典リンク 本文へ
- [53]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались、刊年不詳)第I部 理論編「超イド・レベル」 本文へ
- [54]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成」(原題:Эволюция человека: формирование структуры ФИМ и социона)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2018年) 出典リンク 本文へ
- [55]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成」(原題:Эволюция человека: формирование структуры ФИМ и социона)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2018年) 出典リンク 本文へ
- [56]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей、2005年)第3章 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [57]Eglit「機能の次元」(原題:Размерность функций)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №2(2007年) 原文は機関誌掲載のロシア語。システム・ソシオニクス学派公式サイトにも同じ本文が掲載されている。引用本文はその当サイト訳 出典リンク 本文へ
- [58]Reinin「タイプとモデル」(原題:Типы и модели)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №4(2008年) 出典リンク 本文へ
