EII超詳細解説
EII(INFP)というタイプを、ソシオニクスの研究文献からの引用で読む長編解説です。当サイトの通常ページは理論を短く言い換えて説明しますが、このページは研究文献からの引用を資料として示し、その比較と分析で構成します。対象は、創始者アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ(Aushra Augustinaviciute)から、Reinin、Bukalov、Stratiyevskaya、Filatova、Yermak、Karpenko、Gulenkoまでの各研究者です。多数の研究者が同じEIIをどう記述したかを、1つの要約にまとめず、引用で示し、本文で比較・分析します。
01EIIは一般にどう言われているか
EII(INFP)は、一般に、人と人との関係の良し悪しに敏感で、穏やかな理想を持つ人として紹介されます。作家の名から「ドストエフスキー」と呼ばれることもあります。
主導機能のFi(内向倫理)では、誰が誰にどんな気持ちを向けているか、関係が良いか悪いかを、自分の内側で見分けるとされます。創造機能のNe(外向直観)は、人が持っている可能性や、関係を良い方へ向けるための道筋を見つけることに使われる、と説明されます。争いを好まず、自分の道徳的な信念は曲げない、というのがおおよその像です。
よく挙げられる場面はこうです。例えば、身近な人が悩んでいるときには話をじっくり聞き、その人の良いところや伸びしろを言葉にして励ます、と言われます。職場では、人間関係のもつれに早く気づき、表立たない形で間を取り持つ、とも紹介されます。
一方、声の大きい相手や強い圧力にさらされると、正面からは押し返せず、黙って距離を取る、と書かれます。締め切りや段取りの管理のような実務は、誰かに筋道を示してもらえると動きやすい、とも説明されます。そのため、控えめで受け身な人と見られる場面でも、本人の側には、押し返せない場面を耐える負担が残るとされます。
この像は、あとで見る研究者の記述から切り出されて広まったものです。関係の良し悪しに敏感である・人の可能性に目が向く・力による圧力に弱い、という要素は、研究者の記述にもおおむね出てきます。
ですが、研究者ごとに力点が違い、人を良い悪いに分けないのか、はっきり分けて譲らないのかは、研究者によって書き方が食い違います。24章で、この一般像のどこが残り、どこが言い直されるかに戻ります。
読この記事の読み方
想定読者は、EIIプロファイルなどの基礎ページを読み終えて、出典まで確かめたい人です。長いページですが、読み方は単純です。各章で研究者の記述を引用で示し、そのすぐ下に当サイトの読み方(何が共通し、どこが違うか)を書きます。一致と食い違いを確かめながら、EIIというタイプの輪郭を自分で考えていく構成です。
流れは、01章が一般に言われている像、02〜04章が土台(系譜、モデルA、情報要素)、05〜13章が研究者別の記述(このページの中心)、14章が横断比較、15〜23章が各論、24章が当サイトのまとめです。引用には初出順の番号が付き、押すと巻末の索引へ飛び、索引から本文へ戻れます。引用の扱い方(逐語性、訳出、編集操作)は末尾の「この記事の方法論」にあります。
ページ冒頭の「コピーしてAIで要約!」を押すと、要約用の指示文とこのページの本文がクリップボードに入ります。AIに渡して、要約のほか、引用の意味を聞く、研究者ごとの違いを整理させる、といった使い方ができます(長すぎるときは章を分けて渡してください)。
タイトルの「INFP」はMBTIに慣れた読者のための参照用の表記で、ソシオニクスのEIIとMBTIのINFPを同じタイプとして扱う趣旨ではありません(19章)。
02系譜 ユングから情報代謝へ
EIIという記述がどこから来たのかを、3つの原典で辿ります。ユング『心理学的類型』(1921年)の類型論、Kempinskiの情報代謝の概念、そしてアウシュラによる両者の接合です。この章の引用が、以降の全章の土台になります。
ユングの類型論(1921年)
ソシオニクスの16タイプは、スイスの精神科医カール・グスタフ・ユングの『心理学的類型』を出発点とするとされます。ユングは心の働きを4つの基本機能に分け、それぞれが外向・内向のどちらかの構えで働くと考えました。定義の章で、機能は次のように説明されます。
心理学的機能とは、さまざまな状況のもとでも理論上同一であり続ける、心的活動の特定の形式のことと私は理解している。(中略)私は全部で4つの基本機能を区別する。2つの合理的機能と、2つの非合理的機能である。
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By psychological function I understand a certain form of psychic activity that remains theoretically the same under varying circumstances.(中略)I distinguish four basic functions in all, two rational and two irrational
合理的な2つは思考・感情、非合理的な2つは感覚・直観です。そのうえでユングは、人によって最も分化した機能が違い、それが生活への適応の主役になると書きます。
まず特に注目すべきは、私が「内向型」と「外向型」と分類した2つの基本的なタイプについてである。(中略)個人の適応や人生への方向性において、最も発達した機能が主要な役割を果たすという特異性を持つ特定のタイプ
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my first concern must be with the two general types I have termed introverted and extraverted.(中略)those special types whose particularity is due to the fact that his most differentiated function plays the principal role in an individual's adaptation or orientation to life.
まず外向・内向という2つの一般類型があり、その内側に、最も分化した機能が主役を担う「機能類型」が置かれる、という二重の分類です。この組み合わせで8つの型が記述されました。ソシオニクスの文献では、この4機能×2構えの枠組みを「ユングの基底」と呼ぶことがあります。
ユングの内向的感情型
ソシオニクスのEIIの祖形とされるのが、第10章の内向的感情型の節です。Fi(内向倫理)を主導に置くタイプはEIIとESIの2つなので、この節はEIIとESIに共通の祖形になります。なお、ユングのこの節は、原文で女性の代名詞を主語にして書かれています。
ユングは、この型が外からどう見えるかについて、こう書いています。
表面的な判断は、いくぶん冷たく控えめな振る舞いに欺かれて、この型にはいっさい感情がないと言いかねない。しかしそうした見方はまったくの誤りである。実のところ、彼女の感情は外延的であるより内包的なのである。それは深さへと発展する。
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A superficial judgment might well be betrayed, by a rather cold and reserved demeanour, into denying all feeling to this type. Such a view, however, would be quite false; the truth is, her feelings are intensive rather than extensive. They develop into the depth.
上の引用の「外延的」は感情が外へ広がる向き、「内包的」は内へ深まる向きのことです。つまり、表に出る感情が少なくても、その感情は深さの方へ育っているということです。控えめな振る舞いから感情の欠如を推す見方を、ユングは「まったくの誤り」と退けています。
ユングは、この深さが外へ伝わりにくい理由を、感情の機能を論じた節で、表現の難しさからこう書いています。
思考のほうが一般に感情よりも分かりやすく表現できるという事実からすれば、この感情の本当の豊かさを、おおよそにでも外の世界へ示し伝えるには、並の程度を超えた記述の力か芸術的な力が求められる。主観的思考が、その関係の欠如のために適切な理解を呼び起こすのに大きな困難を覚えるのと同じことが、主観的感情にも、おそらくはさらに高い程度で当てはまる。
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the fact that thoughts can generally be expressed more intelligibly than feelings demands a more than ordinary descriptive or artistic capacity before the real wealth of this feeling can be even approximately presented or communicated to the outer world. Whereas subjective thinking, on account of its unrelatedness, finds great difficulty in arousing an adequate understanding, the same, though in perhaps even higher degree, holds good for subjective feeling.
言い換えると、感情は思考より言葉にしにくいので、内向的感情の豊かさを外へ伝えるには、並外れた記述の力か芸術の力が要るということです。主観的な思考が理解されにくいのと同じ困難が、主観的な感情にはおそらくもっと強く出る、とユングは見ています。
ユングは、この感情が本当に向かう先と、それが表に出る形について、型の節でこう書いています。
しかし、この感情の根底にある本当の対象は、正常な型にもぼんやりとしか察知されない。それは自らの目的と内容を、俗な目から不安げに守られた隠れた宗教性のうちに、あるいは不意打ちから同じように守られた内密な詩の形式のうちに表すことがある。そうした手段によって対象に対してある種の優位を得ようとする、ひそかな野心がないわけではない。
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But the underlying, real object of this feeling is only dimly divined by the normal type. may possibly express its aim and content in a concealed religiosity anxiously shielded from profane eyes, or in intimate poetic forms equally safeguarded from surprise; not without a secret ambition to bring about some superiority over the object by such means.
つまり、この感情の本当の対象は正常な型でもはっきりとはつかめず、人目から守られた宗教性や詩の形で表に出ることがある、ということです。引用の最後の「ひそかな野心」は、そうした形を通して対象に対して優位を得ようとする動きを指します。ユングはそれを、「ないわけではない」という控えめな言い方で添えています。
さらにユングは、この型が正常である条件を、同じ節の後半でこう書いています。
自我が、いわば無意識の主体の高みの下に住まわされていると感じ、感情が自我より高く力強い何かを示しているかぎり、この型は正常である。
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long as the ego feels itself housed, as it were, beneath the heights of the unconscious subject, and feeling reveals something higher and mightier than the ego, the type is normal.
言い換えると、感情が自我より高い何かを指していて、自我がその下にいると感じているかぎり、この型は正常だということです。ユングは正常を、自我と感情のこの上下の関係が保たれているあいだに限って認めています。
ユングの外向的直観型
EIIの2番目の機能Ne(外向直観)に対応する祖形は、同じ第10章の外向的直観型の節にあります。ただし、この型は直観を主機能に置く純粋型なので、EIIとは直観の位置が違います。ユングは、この型の輪郭をこう書いています。
直観が優位に立つとき、そこには特徴的で紛れもない心理学的傾向が現れる。直観は対象によって方向づけられるため、外部状況への明確な依存性が認められるが、その性質は感覚型の依存性とはまったく異なるものである。(中略)彼は未来の可能性を秘めた萌芽的な事象に対して鋭い嗅覚を持っている。
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The Extraverted Intuitive Type Whenever intuition predominates, a particular and unmistakable psychology presents itself. Because intuition is orientated by the object, a decided dependence upon external situations is discernible, but it has an altogether different character from the dependence of the sensational type.(中略)He has a keen nose for things in the bud pregnant with future promise.
ユングの描く外向的直観型は、まだ芽の段階にある物事の先行きに、いち早く気づく人です。外の状況に左右される点は感覚型と同じでも、左右のされ方はまったく違うとユングは書いています。
EIIではNeは主導ではなく、2番目の創造機能です。ユングは、外向的態度の直観を論じた箇所で、直観が主機能でない場合についても、こう書いています。
それゆえ、単なる補助的な機能としても(つまり優位の位置にないときでも)、直観は、絶望的に行き詰まった状況で、他のどの機能にも見つけられない出口へ向けて自動的に働く道具である。
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hence as a mere tributary function (viz. when not in the position of priority) it is also the instrument which, in the presence of a hopelessly blocked situation, works automatically towards the issue, which no other function could discover.
上の引用の補助的な機能とは、主機能を助ける2番目の機能のことです。つまり、直観は主機能でないときにも、行き詰まった状況で、ほかの機能には見つからない出口へ向けて働くということです。
EIIは判断の機能である感情を主導に、知覚の機能である直観を2番目に持ちます。そのため、ユングの記述のうち、外向的直観型の像そのものより、この補助の位置の直観のほうがEIIのNeに近いと読めます。
Kempinskiの「情報代謝」
「情報代謝(Information Metabolism)」の語は、ポーランドの精神科医Antoni Kempinski(アントニ・ケンピンスキー、1918〜1972)に由来するとされます。Kempinskiは著書『Lęk(不安)』で、心の情報処理を、生体と環境とのやりとりとして論じました。
Kempinskiは、神経系が刺激を伝える2つの原理と、情報代謝の2つの相を、こう書いています。
アナログ原理(緩電位)は刺激の量的な再現を可能にする。これにより「どの程度か」という問いへの答えが得られる。他方デジタル原理(スパイク電位)は「はい」か「いいえ」かの答えを可能にする。前者は本質的弁別、後者は差異的弁別と呼ばれる。
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Zasada analogowa (potencjały generacyjne) pozwala na ilościowe odtworzenie bodźca. Dzięki niej znajdujemy odpowiedź na pytanie: "w jakim stopniu". Natomiast zasada cyfrowa (potencjałów iglicowych) pozwala na odpowiedź: "tak" lub "nie". Pierwszą określa się jako essential discrimination, a drugą jako differential discrimination.
情報代謝は固有の脈動によって特徴づけられることになろう。すなわち第1相では生体の外部環境とも内部環境とも結合し、第2相ではそれに対して距離を取る。
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Metabolizm informacyjny charakteryzowałby się swoistą pulsacją: złączeniem się ze środowiskiem zarówno zewnętrznym, jak wewnętrznym ustroju w pierwszej fazie i nabraniem w stosunku do niego dystansu w drugiej.
1本目は、刺激の量を「どの程度か」で再現する原理と、「はい」か「いいえ」かで答える原理の対比です。2本目によれば、情報代謝は、環境と結びつく第1相と、そこから距離を取る第2相の往復として進みます。
ここまでのKempinskiの記述には、タイプの区別はまだ出てきません。ユングの内向的感情型と、Kempinskiの情報代謝は、この時点では別々の系譜にあります。
アウシュラによる接合
アウシュラ・アウグスティナヴィチューテ(Aushra Augustinaviciute、1927〜2005)は、この語を借りたことを自分で書いています。
「情報代謝」という用語はポーランドの精神医学の古典A.ケンピンスキーから借りたことを思い出してもらいたい。おそらく彼は、人間の心理的不快の基盤にはその情報代謝の障害が横たわっていると最初に語った人物である。
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Можно напомнить, что термин «информацион- ный метаболизм» мы заняли у классика польской психиатрии А. Кемпинского. По-видимому, он пер- вый заговорил о том, что в основе психологичес- кого дискомфорта человека лежит нарушение его информационного метаболизма.
ソシオニクスとは、ソシオンについて、人間のソシオン的本性と社会のソシオン的構造について、人々の情報代謝(情報代謝)のさまざまなタイプとそれらのあいだのさまざまな形態の相互関係についての学問であり、K.G.ユング、E.クレッチマー、A.E.リチコの類型論と、A.ケンピンスキーの情報代謝の理論を基盤として生まれた。
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Соционика — наука о соционе, соционной при- роде человека и соционной структуре общества, о разных типах информационного метаболизма (ИМ) людей и разных формах взаимоотноше- ний между ними — родилась на основе типологий К. Г. Юнга, Э. Кречмера, А. Е. Личко и теории ин- формационного метаболизма А. Кемпинского.
1本目で、アウシュラは語の借用元を明かし、Kempinskiを、心理的な不快の元に情報代謝の障害を見た最初の人物として挙げています。2本目のソシオニクスの定義では、ユング・クレッチマー・リチコの類型論と並んで、Kempinskiの情報代謝の理論が出発点に数えられています。
アウシュラは、情報代謝そのものを、身体のたとえを使ってこう説明しています。
パーソナリティタイプは、パーソナリティの形態、または人間の思考が収まる形態、彼の情報代謝の形態である。奇妙で慣れないが、身体が食物で養われエネルギーを生産するのと完全に同じく、心理は情報、受け取る信号、刺激で養われ、エネルギーを生産する。心的エネルギーまたは情報的エネルギーである。
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Итак: тип личности — это форма личности, или форма, в которую укладывается мышление человека, форма его информационного метаболизма. Как это ни странно и непривычно, но ровно так, как тело питается пищей и производит энергию, так психика питается информацией, получаемыми сигналами, раздражителями и тоже производит энергию. Психическую энергию или информационную энергию.
言い換えると、タイプとは、心が情報を取り込んでエネルギーに変える形のことです。身体が食物で養われるのと同じく心は情報で養われる、というたとえはアウシュラ自身のものです。
ソシオニクスでは、ユングが内向的感情と呼んだものは、情報要素の1つであるFi(内向倫理)として扱われます。EIIは、Fiを1番目に、Neを2番目に受け取るタイプとして置かれました。
ユングが型として描いたのは、主機能1つを軸にした純粋型で、内向的感情と外向的直観は別々の節に書かれていました。アウシュラのモデルでは、この2つが1つのタイプの1番と2番の機能として組み合わされます。
後代の研究者が語る系譜
この接合を、後の研究者はそれぞれの力点で語り直しています。Reininは、Kempinskiとアウシュラのあいだにある、情報の扱い方の違いを、こう対比しています。
アントニ・ケンピンスキーは精神科医として、各人がそれぞれ自分固有の世界に生きていることをよく理解していた(中略)概念を導入するにあたり、ケンピンスキーは純粋に物理的な類比—エネルギー代謝・物質代謝との類比—を用い、情報を諸対象が相互に交換する一種の実体として表象した(中略)アウシュラ・アウグスティナヴィチューテは(中略)自らの情報代謝タイプ理論を構築するにあたって、明らかに「情報」現象の仮想的性質を理解していた。
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Анатолий Кемпинский, будучи врачом психиатром, прекрасно понимал, что каждый человек живет в своем особенном мире [6]. […] При этом, вводя понятие «информационный метаболизм», Кемпинский воспользовался чисто физической аналогией с энергетическим и материальным метаболизмом, представляя информацию как некоторую субстанцию, которой обмениваются объекты [5]. […] Однако, Аушра Аугустинавичюте [1], […] создавая свою теорию типов информационного метаболизма, безусловно, понимала виртуальный характер феномена «информация».
つまり、Kempinskiは情報を物質やエネルギーのように交換される実体として扱い、アウシュラは情報の仮想的な性質を理解していた、という対比です。引用中の「アントニ」は訂正した表記です(Reininの原文では「アナトリー」ですが、Kempinskiの名はアントニ(Antoni)です)。
Stratiyevskayaは、転換を成し遂げたのは心理学者ではなく数学者だったと、こう書いています。
それでもなお、この領域における根本的な転換は、心理学者ではなく(本来そう期待されるはずだったのだが)、数学者によって(より正確には、心理学者というよりもむしろ数学者によって)成し遂げられた—それまで誰にも知られていなかったリトアニアの学者、アウシュラ・アウグスティナヴィチューテによってである。彼女ただ一人が、ユングのタイポロジー(類型論)を解読し、彼のタイポロジーへの「鍵」となる、構築的な心理学的モデルを開発し、自身のタイポロジーと自身の新しい、拡張され改良された人間心理の構造のモデル(「モデルA」)を創造することに成功した。
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И тем не менее кардинальный переворот в этой области был совершен не психологом (как этого следовало бы ожидать), а математиком (точнее, не столько психологом, сколько математиком) — дотоле никому не известным литовским ученым Аушрой Аугустинавичюте. Ей единственной удалось расшифровать типологию Юнга, разработать конструктивную психологическую модель, послужившую "ключом" к его типологии; создать свою типологию и свою новую, расширенную и усовершенствованную модель структуры человеческой психики ("Модель "А").
Stratiyevskayaの見立てでは、ユングの類型論への「鍵」になるモデルを作ったのは、数学者のアウシュラ1人です。転換を、心理学の外から来た無名の研究者の仕事として描いています。
Filatovaは、アウシュラとユングの出会いを本人の言葉ごと記録しています。
こうしてユングは、人間の一生を通じて保たれる安定した特徴によって互いに区別される、合計16の心理学的タイプを見出したのである。それから数十年後、リトアニアの研究者アウシュラ・アウグスティナヴィチューテが、さらに先へと歩を進めた。(中略)「ユングは私をたちまち引きつけた。なぜなら、彼は構造を提示していたからである。しかも16もの構造を!」
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Несколько десятилетий спустя исследователь из Литвы Аушра Аугустинавичюте пошла дальше. […] «Юнг заинтересовал меня сразу. Потому что предлагал структуру. И даже шестнадцать структур!»
アウシュラ本人の言葉によれば、ユングに惹かれた理由は、16もの構造が示されていたことでした。
Yermakは、系譜全体を1文に圧縮します。
こうして、A. アウグスタは、ユング流のタイポロジー(類型論)を、A. ケンピンスキーの心の情報代謝の理念の立場から研究して、心のモデルを創造し、N. メドヴェージェフは、心と世界の情報的相互作用のアスペクト構造の根拠を提示することで、モデル化に基づく特徴の「明晰化」と精緻化の基礎を据えた。
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Так, А.Аугустинавичюте, исследовав юнговскую типологию с позиций идеи А.Кемпинского об информационном метаболизме психики, создала модель психики, а Н.Медведев, предложив основания аспектной структуры информационного взаимодействия психики с миром, заложили основы “прояснения” и уточнения признаков на основе моделирования.
文中のメドヴェージェフ(N. Medvedev)は、情報の側面(アスペクト)構造の根拠づけに関わった人物として言及されています。
Yermakの1文は、ユングの類型論・Kempinskiの情報代謝・アウシュラの心のモデル・メドヴェージェフの側面構造を、順に積み重なる段階として並べています。
小括します。第一に、4機能×2構えの枠組みはユングに、情報代謝の語はKempinskiに由来し、両者を1つのモデルにまとめたのがアウシュラです。ここまでは各研究者の記述が一致します。
第二に、食い違うのは力点です。Reininは情報観の違いを、Stratiyevskayaは数学者による解読を、Filatovaは構造との出会いを、Yermakは段階の積み重ねを前に出しています。
第三に、EIIについては2点が以降の章の前提になります。1つは、祖形であるユングの内向的感情型が、外から見えにくい深さと、それを外へ伝える手段の難しさとして書かれていたことです。もう1つは、ユングが別々の型として書いた内向的感情と外向的直観が、ソシオニクスでは主導と創造の2つの機能として1つのタイプに組み合わされたことです。
03モデルAにおけるEII
モデルAは、8つの情報要素を8つの機能位置に配置した心の構造モデルです。当サイトが基準とするEIIの配置は次のとおりです。
- 1(主導機能):Fi(内向倫理)
- 2(創造機能):Ne(外向直観)
- 3(規範機能):Ti(内向論理)
- 4(脆弱機能):Se(外向感覚)
- 5(暗示機能):Te(外向論理)
- 6(動員機能):Si(内向感覚)
- 7(観察機能):Fe(外向倫理)
- 8(実演機能):Ni(内向直観)
この配置は、ユングの補助機能の考え方と、アウシュラの機能理論から来ています。以下、ユングの2機能構成、アウシュラの機能理論、EIIの自我ブロック、初期著作の旧式表記の順に、原典の記述を示します。
ユングの補助機能—2機能構成の原点
モデルAの中核である「強い2機能の組」は、ユングの補助機能論に遡るとされます。ユングは、主機能と同等の力を持つ第2の機能は存在できない、と書きます。
同等の力を持つ第二の機能が存在することは本来許されないことである。したがって、この第二の機能は必然的に二次的な重要性しか持ちえず(中略)補助的あるいは補完的な役割として作用するからである。
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the presence of a second function of equivalent power is naturally forbidden. This other function, therefore, can have only a secondary importance(中略)but comes into play more as an auxiliary or complementary function.
どの機能が補助になれるかの規則も、続けて明示されます。
経験的事実が示すところによれば、第二機能は常に、主導機能とは異なる性質を持ちながらも対立関係にはない機能である。例えば、主導機能が思考の場合、補助機能としては直観と容易に組み合わさることができるし、同様に感覚とも同等に組み合わせることが可能であるが、すでに述べたように、感情とは組み合わせることができない。
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the secondary function is always one whose nature is different from, though not antagonistic to, the leading function: thus, for example, thinking, as primary function, can readily pair with intuition as auxiliary, or indeed equally well with sensation, but, as already observed, never with feeling.
2本を合わせると、2番目の機能は1番目と同じ強さを持たず、1番目を補う役にとどまります。そのうえで、補助になれるのは、1番目と性質は違っても対立しない機能だということです。
例に挙がっているのは思考が主の場合です。感情が主なら、対立する思考が外れ、補助は直観か感覚になります。EIIの組は感情(Fi)と直観(Ne)なので、ユングの規則の範囲内に収まります。ソシオニクスの文献では、この2機能の組が自我ブロックの原型になったと説明されます。
ユングは同じ章で、無意識の側の機能のまとまりについて、こう書いています。
無意識の機能のまとまりも、意識の機能の関係に応じて生じる。たとえば、意識的な実践的知性に、無意識の直観‐感情的な態度が対応することがあり、その場合、感情の機能は直観よりも比較的強い抑制を受ける。
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A grouping of the unconscious functions also takes place in accordance with the relationship of the conscious functions. Thus, for instance, an unconscious intuitivefeeling attitude may correspond with a conscious practical intellect, whereby the function of feeling suffers a relatively stronger inhibition than intuition.
上の引用にある実践的知性は、思考と感覚が組になった意識のことです。つまり、思考と感覚を意識で使う人では、直観と感情が無意識の側で組になるということです。その組の中でも、思考と対立する感情のほうが、直観より強く抑えられます。
EIIが意識で使う組は、この引用で無意識の側に置かれている直観と感情の組です。ただし、ユングが書いているのは1人の心の中の、意識と無意識の対応です。意識の組が裏返しになった2人を組み合わせる後の双対の考え方と重ねて読む余地はありますが、ユング自身は2人の組み合わせには触れていません。
アウシュラの機能理論—第1機能と第2機能
アウシュラは機能位置の理論(フンクツィオニカ)で、各位置の性格を定式化しました。第1機能と第2機能の記述です。
要約:第1機能は人間の世界知覚、彼の「情報的職業」、イメージを規定する。人間はこの要素について最大限の情報を持っており、最も確信をもってそれを使用する。最も強い機能、「個人的恣意の領域」と言うことができる。
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Резюме : 1-я функция определяет мировосприятие человека , его "информсационную профессию" , имедж . Человек имеет по этому элементу максимум информации , наиболее уверенно ей пользуется ; можно сказать, что это самая сильная функция , "зона личного произвола".
要約:第2機能は創造機能であり、ここで人間は自分以前には知られていなかった新しいものを創造する。第1機能の目的の達成と自己肯定のための創造である。
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Резюме : 2 функция творческая , здесь человек создает новое , до него не пзвестное . Творчество ради достижения цели по первой и самоутверждения .
言い換えると、1番の機能は世界の受け取り方そのものを決め、いちばん確信をもって使う機能です。2番の機能は、1番の目的を果たすために、それまでに無かったものを作る機能とされています。
EIIに当てはめると、1番のFiでは、人と人のあいだにどんな関係が成り立っているかが「情報的職業」になります。2番のNeは、そのFiの目的を果たすための創造の側に置かれます。
さらにアウシュラは、機能が単独ではなく対で働くことを、こう書いています。
機能はモデルAの静的構造をなしている。それらは単独では働かず、常にペアで—ブロックとして働く。ブロックのアクセプト(受容)機能は可能な限り現実を反映し、プロダクティヴ(生成)機能は反応し、創造的に適応する。これはほぼ同時に起こり、機能が強く分化されているほど速い。
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Функции - составляют статическую структуру модели А. Они не работают по одиночке , но всегда парами - блоками . Акцептная функция блока по возможности отражает действительность , продуктивная реагирует , творчески приспосабливаясь . Происходит это почти одновременно , тем быстрее , чем более сильно дифференцирована функция.
上の引用にあるアクセプト機能は奇数番の受け取る位置、プロダクティヴ機能は偶数番の応える位置のことで、この2つの対がブロックです。つまり、EIIの自我ブロックでは、Fiが受け取ったものにNeが応えるという組み合わせになります。
EIIの自我ブロック—アウシュラの記述
アウシュラは『心理タイプ・テスト』のEII章で、自我ブロックの項に、EIIの知的な強みをこう書いています。
この情報代謝タイプの知的な強みは、自分自身および自分の親しい者たちにとって望ましい人間関係を、他者と築き上げる能力にある。(中略)誰が何を欲しているか、欲していないか、誰が誰になぜ好意を抱くか、抱かないかを見分けている。常に人々の本当の感情と、見せかけの感情とを判別できる。
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Интеллектуальная сила этого типа ИМ — в его, умении налаживать желательные ему и его близким отношения с другими людьми. 〔中略〕 Знает, чего его близкие люди хотят и чего не хотят, кому и почему симпатизируют, кому не симпатизируют. Всегда способен разобраться в настоящих и кажущихся чувствах людей.
アウシュラによれば、EIIの強みは、自分と身近な人にとって望ましい人間関係を、周りの人と築くことにあります。その手がかりとして、誰が誰に好意を持っているか、その感情が本物か見せかけかを見分けるとされています。
第1機能の「最大限の情報を持つ」領域が、EIIでは人と人のあいだの好意と、その感情の真偽として書かれていることになります。この引用に出てくるのは1番のFiの側で、2番のNeとの組み合わせは、あとで見るFilatovaの定式に書かれています。
Yermakの定式化でも、4ブロックの要素構成は自我=Fi・Ne、超自我=Ti・Se、超イド=Te・Si、イド=Fe・Niと、冒頭の基準配置と一致します。
モデルA自体は、どの機能も他を直接管理しない線形・対称の構造とされます(Bukalov)。機能ごとの処理能力の差は16章(次元性)で扱います。
アウシュラ旧式の4列表記
アウシュラの初期著作では、タイプは8つの位置ではなく4つの機能で記述されます。EIIの旧式表記は、I(主導)=Fi、II(プロダクティヴ)=Ne、III(MHC=最小抵抗の場)=Se、IV(サジェスティヴ)=Tiです。現行の8位置との対応は、I=位置1、II=位置2、III=位置4、IV=位置3になります。
旧式のIIIとIVは、現行の位置4・位置3と逆順に並ぶので、番号だけで照らし合わせると取り違えます。さらに、研究者ごとの独自番号もあります。
例えば、Filatovaは4つのチャンネルでEIIを記述し、IIIの最小抵抗のチャンネルにSe、IVの暗示のチャンネルにTeを置きます。FilatovaのIVは現行の位置5のことで、旧式のIV(Ti・位置3)とは別の位置です。Filatovaの枠組みは09章で、Reininの番号は06章で、Gulenkoの独自モデル(モデルG)は12章で扱います。
1番から2番への連鎖を「プログラムの実現」として書くFilatovaの定式は、旧式の2機能中心の書き方を引き継いだ形と読めます。Filatovaは、EIIの主導機能と創造機能をこう書いています。
この心理タイプの人間の意識の構えは次の通りである。正常な生活の条件とは、人間関係の調和、倫理・道徳・モラルの規範の遵守、伝統の大切な保持であり(内向倫理—プログラム機能)、そのためには道徳的な自己完成に努め、精神性を育み発展させ、人間の中に真の価値を探し求める必要がある(外向直観—プログラムの実現)。
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Установка сознания человека этого психотипа такова: Условие нормальной жизни — гармония человеческих отношений, соблюдение норм этики, морали и нравственности, бережное хранение традиций (БЭ — программная функция), поэтому необходимо заниматься нравственным усовершенствованием, воспитывать и развивать духовность, искать в человеке истинные ценности (ЧИ — реализация программы).
Filatovaによれば、EIIにとっての正常な生活とは、人間関係が調和し、倫理の規範と伝統が守られている状態です。そのために、自分を道徳的に高め、人の中にある本当の価値を探すことが、実現の側に置かれています。
何を目指すかはFiが決め、Neはそのための探索になるという順で、アウシュラの「第1機能の目的の達成のための創造」と並びが同じです。
小括します。EIIの8位置の配置(Fi・Ne・Ti・Se・Te・Si・Fe・Ni)は、アウシュラのブロック論からYermakの定式化まで、要素の中身が一致しています。そのうえで、EIIの自我ブロックは、アウシュラでは望ましい人間関係を築く強みとして、Filatovaでは人間関係の調和を目指すFiと、人の中の真の価値を探すNeの組として書かれています。
一方で、位置の番号づけと名称は、研究者・時期によって別体系が併存します。原典の記述は、番号ではなく「どの要素がどの意味の位置にあるか」で照らし合わせると取り違えません。
04情報要素から見るEII
EIIの自我ブロックはFi(内向倫理)とNe(外向直観)です。この章では、2つの要素が研究者ごとにどう定義されているかを比べ、最後に、EIIの記述ではNeが人と人との関係のために使われる点を扱います。各要素の一般解説はFi(内向倫理)とNe(外向直観)の詳細ページにあります。
感情と直観—ユングの定義
出発点として、ユングは定義の章で、感情をこう定義しています。
感情とは第一に、自我と与えられた内容とのあいだで起こる過程であり、しかもその内容に、受容か拒絶かという意味での明確な価値を与える過程である
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Feeling is primarily a process that takes place between the ego and a given content, a process, moreover, that imparts to the content a definite value in the sense of acceptance or rejection
ユングの定義では、感情は、受け取った内容に、受け入れるか拒むかの値を付ける働きです。何を受け取るかより、受け取ったものにどんな値を付けるかが、この機能の中身だということになります。
ユングは、この感情が内へ向かうときの現れを、第10章でこう書いています。
この感情の深さは推し量ることしかできず、はっきりと把握されることは決してない。それは人を寡黙にし、近づきがたくする。
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depths of this feeling can only be divined they can never be clearly comprehended. makes men silent and difficult of access ;
言い換えると、内向きの感情は、どれほど深いかを確かめる手段が推測しかないということです。そのうえユングは、この感情が人を口数の少ない、近寄りにくい人にするとまで書いています。この見えにくさは、あとで見るFilatovaの定義にも出てきます。
次に、ユングは直観をこう定義しています。
直観は、その内容の性質がどうであれ、一種の本能的な把握である。感覚(同項参照)と同じく、それは非合理的(同項参照)な知覚機能である。
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Intuition is a kind of instinctive apprehension, irrespective of the nature of its contents. Like sensation (q.v.) it is an irrational (q.v.) perceptive function.
つまり、直観は、内容が何であっても、本能に近い仕方でそれをつかむ知覚です。ユングは、これを感覚と並べて、非合理な知覚機能に分類しています。
2つの定義を並べると、EIIの自我ブロックでは、値を付ける感情と、知覚する直観が組になっていることが分かります。ソシオニクスの通説では、この感情を外向・内向に分けたものがFe・Fi、直観を分けたものがNe・Niに対応するとされます。
Fi(内向倫理)—各研究者の定義
アウシュラは、Fi(内向倫理)をこう定義しています。
これは、ポテンシャル・エネルギーまたは運動エネルギーの二つの担い手のあいだの主観的関係であり、ある対象あるいは主体の他の対象や主体への引力(あるいは反発)を示すものである。このIM要素のおかげで、人間はどの対象が自分を引きつけ、どれが反発するかを感じる。
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Это субъективное отношение между двумя носителями потенциальной или кине- тической энергии, показывающее притягиваемость (или отталкиваемость) одного объекта или субъек- та с другими объектами и субъектами. Благодаря этому элементу ИМ человек чувствует, какие объ- екты его притягивают, какие — отталкивают.
上の引用にあるIM要素は、情報要素のことです。言い換えると、Fiは2つの担い手のあいだで引き合うか反発するかという関係を扱う要素です。人はこの要素によって、どの対象に引かれ、どの対象に反発を覚えるかを感じます。
アウシュラの定義は、エネルギーや引力という物理の語で書かれていて、道徳の語は出てきません。
Stratiyevskayaは、理論編で、Fiをこう定義しています。
人間の間の関係を通じての世界の知覚、外交性、繊細さ、自分の行為に対する責任、寛容、寛大、愛、善意、慈しみ、憐れみ。
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Восприятие мира через отношения между людьми, дипломатичность, деликатность, ответственность за свои поступки, терпимость, снисходительность, любовь, доброта, милосердие, сострадание.
Stratiyevskayaは、Fiを、人と人との関係を通して世界を受け取ることから書き始めています。そのあとに並ぶのは外交性・寛容・慈しみといった資質の語で、関係の中での人の振る舞い方が定義に入っています。
Filatovaは、基本概念の章で、内向倫理型の意識をこう書いています。
内向的な意識は人間的価値の領域における自分自身の構えに依拠するから、ここで私たちが扱うのは、人々の交わりの領域に属する基準の評価である。彼らにとって第一に来るのは、モラル、道徳性、良心、公正、伝統の遵守といった概念—要するに、人類が何世紀もの歴史の中で練り上げてきた交わりの規則の総体である。内向性はこの人の情動性を内側へ向ける。だから彼は非常に抑制的に振る舞い、内側では文字どおり「煮えたぎって」いるかもしれない感情を、外には表さないことがある。
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Поскольку интровертное сознание опирается на собственную установку в области человеческих ценностей, то здесь мы имеем дело с оценкой критериев, относящихся к сфере общения людей. Для них на первом месте такие понятия, как мораль, нравственность, совесть, справедливость, соблюдение традиций — словом, весь тот набор правил общения, который выработало человечество на протяжении многовековой истории. Интровертность обращает эмоциональность этого человека внутрь, поэтому он может вести себя очень сдержанно, внешне не проявляя тех чувств, которые у него могут буквально «кипеть» внутри.
つまり、Filatovaは、Fiの評価の拠りどころを、道徳や良心、公正といった交わりの規則に置いています。後半では、内側で強く動いている感情を、外に表さないことがあると書いています。
これはユングの「推し量ることしかできない」と同じ向きの観測です。ただし、この一節は内向倫理型の意識一般についての記述で、Fiを主導に持つEIIとESIに共通します。
Yermakは、同じ側面(アスペクト)の意味を、1語にまとめています。
一定の関係はしばしば 愛 として定義される(愛—関係)。エネルギー状態の関係に関する情報を含む情報構成要素(アスペクト)の意味論は、「関係」という用語で定義することができる。憎しみ、道徳 などの語も、意味の上で、ある状態の関係に関する情報を含む。ソシオニクス文献では、このアスペクトの他の名称も見られる—内向倫理、関係倫理。
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Определенные отношения иногда определяются как любовь (любовь-отношение). Семантику (смысл) информационной составляющей (аспекта), который содержит информацию о соотношении энергетических состояний можно определить термином “отношение”. Такие слова, как ненависть, мораль и ряд других тоже по смыслу содержат информацию об отношении неких состояний. В литературе по соционике встречаются и другие наименования этого аспекта: интровертная этика и этика отношений.
Yermakによれば、この側面が運ぶのは「関係」の情報で、愛も憎しみも道徳も、同じ側面の情報に含まれます。好意と嫌悪という逆向きの評価を1つの側面にまとめている点で、アウシュラの引力と反発の定義と同じ組み立てです。
Karpenkoは、この要素が強い人の知覚の仕方を、こう書いています。
強いR(▽(Fi))をもつ人々には、他人の感情の直接的な知覚は難しく、必ず対置を立てなければならない: 私と彼、彼ら、私たちの間の関係、彼らの間の関係、というふうに。そして問いは「どうしたの?」ではなく、「なぜあなたは私に(彼に)そういう態度をとるの?」という形で立てられる。
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Для людей с сильной R ( ) непосредственное восприятие эмоций другого человека затруднено, обязательно нужно создать оппозицию: я и он, они, отношения между нами, между ними. И вопрос ставится не "что с тобой?", а "почему ты так ко мне (к нему) относишься?".
上の引用にあるR(▽)は、Fiを表す文字と記号です。つまり、Fiが強い人は、他人の感情をじかに感じ取るのが難しく、誰と誰のあいだの関係かを先に立てるということです。Karpenkoは、その違いを、人に尋ねるときの問いの形として観察しています。
このように、切り口は2者の関係(アウシュラ)・資質(Stratiyevskaya)・交わりの規則(Filatova)・「関係」の1語(Yermak)・問いの形(Karpenko)と分かれます。ですが、人と人とのあいだの関係を扱うという点は、5人の定義に共通しています。
Ne(外向直観)—各研究者の定義
アウシュラは、Ne(外向直観)をこう定義しています。
対象のポテンシャル・エネルギーについての情報が知覚される。たとえば、人間の身体的・心理的能力と可能性についての情報である。この知覚は、対象と現象の構造を理解し、その内的内容を見抜く能力を与える。
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Воспринимается информа- ция о потенциальной энергии объектов, например информация о физических и психических способ- ностях и возможностях человека. Это восприятие дает способность понимать структуру объектов и явлений, разобраться в их внутреннем содержании.
言い換えると、Neは、対象が内に持つ力と可能性についての情報を扱う要素です。アウシュラが例に挙げているのは、人間の身体的・心理的な能力と可能性です。例が人の能力である点は、最後の節で見るEIIの記述とつながります。
Stratiyevskayaは、理論編で、「可能性の直観」をこう定義しています。
人々の可能性を感じ取る能力、発展の見通しを見る能力、過程の統一性と相互関連の感覚、世界の総体的な知覚、過程そのものの本質の理解。
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— "интуиция возможностей" (время) — (экстравертная интуиция, ЧИ). Способность чувствовать возможности людей, умение видеть перспективы развития, ощущение единства и взаимосвязи процессов, целостное восприятие мира, понимание самой сути процессов.
Stratiyevskayaは、Neを、人々の可能性と、物事が発展していく見通しを感じ取る力としています。後半の語は、過程どうしのつながりや、世界を全体として知覚することまでを、この要素に含めています。
Filatovaは、基本概念の章で、外向直観型の人をこう書いています。
このタイプの代表者は、新しいもの、風変わりなもの、驚くべきものに常に開かれている。きわめて創造的な性格の持ち主である点で際立つ。頭の中には実にさまざまなアイデアが数多く湧き、しばしば彼は発明家、革新者、研究者、旅行家、ロマンチックな冒険家である。(中略)記号▲(Ne)の名称—可能性の直観。
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Представитель этого типа всегда открыт новому, необычному и удивительному. Он отличается чрезвычайно творческим складом характера. В его голове возникает множество самых разных идей, часто он — изобретатель, новатор, исследователь, путешественник, романтический авантюрист. […] Название символа — интуиция возможностей.
つまり、Neが意識の中心にある人は、新しいものや風変わりなものに開かれ、アイデアが次々に湧くということです。これはNeを1番に持つ人の像です。EIIではNeは2番の位置にあり、EIIのタイプ記述では、このNeが人の関係のために使われる場面が書かれます。
Yermakは、同じ側面(アスペクト)の意味を、こう名づけています。
心に対し、私たちの周囲世界の現実の可能性、能力(潜在的または事実的)についての情報を運ぶ情報構成要素(アスペクト)の意味論(意味)を最も正確に伝えるのは、「可能性」という用語である。(中略)文献ではこのアスペクトの他の名称も見られる: 外向的直観および可能性の直観。情報アスペクト「可能性」(「可能性の直観」)には、2つの記法が用いられる: 記号的—黒く塗りつぶされた(黒い)三角形 ▲(Ne)、および文字的—ラテン文字 I および i。
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Семантику (смысл) информационной составляющей (аспекта), которая несет для психики информацию о возможностях, способностях (потенциальных или фактических) реалий окружающего нас мира точнее всего передает термин “ возможности ”. […] В литературе встречаются и другие наименования этого аспекта: экстравертная интуиция и интуиция возможностей. Для информационного аспекта “возможности“ (“интуиция возможностей“) используют два обозначения: символическое – заштрихованный (черный) треугольник (и буквенное – латинские буквы I и i.
Yermakにとって、Neは、周りの世界にある、潜在的または実際の能力と可能性についての情報です。4人の定義は、語は違っても、対象の内に潜む可能性に向く要素という点でそろっています。アウシュラとStratiyevskayaは、その可能性の例として、まず人の能力と可能性を挙げています。
EIIにおけるFi・Neの結合
EIIのタイプ記述では、2つの要素が組になって現れます。Stratiyevskayaは、EII章の創造機能の節で、こう書いています。
EII〔原文: ドストエフスキー〕にとって、自分の「無対立な」関係体系を、矛盾に満ちたこの世界で実現することは非常に困難である。この高貴な分野で彼を救い、希望を与える特性は、生まれつきの楽観性と、強くしなやかな可能性の直観である。(中略)EII〔原文: ドストエフスキー〕はどんな人にも肯定的な倫理的潜在力を見いだし、明らかにしようと努める。この性質のゆえに、このタイプの代表者は教育学の分野で見事な働きをする。
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Достоевскому весьма затруднительно реализовать свою "бесконфликтную" систему отношений в нашем противоречивом мире. Свойства, которые выручают и обнадеживают его на этом благородном поприще, — природный оптимизм и сильная и гибкая интуиция возможностей.〔中略〕В каждом человеке Достоевский старается увидеть и выявить положительный этический потенциал — качество, благодаря которому представители этого типа великолепно работают в области педагогики.
上の引用にある「無対立な」関係体系は、争いの無い人間関係のあり方のことです。言い換えると、争いの無い関係という理想を、生まれつきの楽観性と可能性の直観が支えているということです。Neが向く先は、人の中にある倫理的な伸びしろで、Stratiyevskayaはそこから教育の分野での働きを導いています。
Filatovaは、主導ブロックの2つの機能の組み合わせを、こう書いています。
主導ブロックの機能の組み合わせは、しばしば、EIIが周囲の人々にとっての心理療法士になるという形で現れる。誰かの具合が悪いとき、EIIは自然に、その人の心の傷に対する一種の「心理的な絆創膏」となることに、最も直接的な形で関わっていき、その人の精神的な苦しみを和らげようとする。
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Сочетание функций ведущего блока часто проявляется в том, что ЭИИ становится психотерапевтом для окружающих. Если кому-то плохо, ЭИИ естественным образом принимает самое непосредственное участие в том, чтобы стать своего рода «психологическим пластырем» для душевных ран этого человека, старается облегчить его моральные страдания.
上の引用にある主導ブロックは、Filatovaの枠組みで1番と2番の機能の組、EIIではFiとNeのことです。つまり、2つが組になると、EIIは周りの人の心の傷を和らげることに自然に関わっていくということです。Filatovaは、その役を心理療法士や絆創膏にたとえています。
Stratiyevskayaが教育を、Filatovaが心の手当てを挙げているように、2人ともNeが人に向けて使われる場面を書いています。アウシュラとStratiyevskayaの定義で、人の能力と可能性が例の先頭にあったことと、この点は合っています。
この結合には、理論の側からの説明もあります。Karpenkoは、ブロックの内部の結合について、こう書いています。
私たちによく知られている最初の結合、それなしには情報代謝タイプのモデルAの存在を考えることができない結合—それは、自我、超自我、超イド、イドの各ブロックの内部の結合である。これらの結合は、周知の効果をもたらす—何か一つのアスペクト、たとえば黒い直観( )についての発言を得たいと思っても、それは常に混合された形で得られる。(ILE)のように白い論理( )の色合いを帯びるか、あるいは(IEE)の話であれば白い倫理( )の色合いを帯びるかである。つまり、何か一つのアスペクトについての純粋な発言を、私たちは端的に得ることができない。
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Эти связи приводят к известному эффекту, — если мы хотим получить высказывание по какому-нибудь одному аспекту, например, по чѐрной интуиции (), то мы его всегда получаем в смешанном виде: либо с оттенком белой логики (), как у (ИЛЭ), или — белой этики (), если речь идѐт об (ИЭЭ). То есть чистое высказывание по какому-нибудь одному аспекту мы получить попросту не можем.
引用中の空の( )には、原文では要素の記号が入ります。黒い直観はNe、白い論理はTi、白い倫理はFiのことです。言い換えると、1つの要素だけについての発言は得られず、同じブロックのもう1つの要素の色合いが混ざって出てくるということです。
引用の2つ目の例のIEEは、NeとFiを自我ブロックに持つタイプで、要素の組はEIIと同じです。この説明をEIIに当てはめると、EIIのFiについての発言も、Neの色合いを帯びて出てくることになります。StratiyevskayaとFilatovaの記述で、関係の理想が可能性の直観や人への働きかけと一緒に書かれていたのは、この結合の現れと読めます。
小括します。第一に、研究者の定義は語の違いを除けばまとまっていて、Fiは人と人とのあいだの関係を扱う要素、Neは対象に潜む可能性に向く要素です。第二に、Fiの感情は内側で動き、外からは見えにくいという観測が、ユングとFilatovaに共通しています。第三に、EII固有の論点は結合の仕方です。EIIのNeは、人の伸びしろや心の傷のために使われるものとして記述されます。
05アウシュラの記述
アウシュラは、EIIを、相手の感情に自分を重ねて支えるが、何が倫理的かの判断では周りに譲らない人として書いています。
底本は『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(1998年)のEII章と、その付録に収められたEII本人の手紙です。EII章は、4つのブロックごとに節を分けて書かれています。この章の節もその順に並べ、系譜・記号の定義・双対関係はほかの章に譲ります。
倫理の判断では断定的で、要求が強い
アウシュラは、自我・ブロックの節で、EIIの倫理的な判断について、こう書いています。
倫理直観内向は、人々に対するどのような感情・関係が良きものであり、どれを正すべきかという理解の点で、断定的、要求的、押しつけがましい。倫理的か非倫理的かについての自分の理解に、周囲のすべての人を従わせようとする。当然のことだ。各人は、自身の文化のレベルで行為するのである。
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В понимании того, какие чувства к людям и отношения с ними хороши, а какие нужно исправ- лять, ЭТИКО-ИНТУИТИВНЫЙ ИНТРОТИМ категоричен, требователен, навязчив. Своему пони- манию этичного и неэтичного старается подчинить всех окружающих людей. Естественно, каждый действует на уровне собственной культуры.
上の引用にある倫理直観内向タイプは、EIIのことです。言い換えると、どの感情や関係が良く、どれを正すべきかについて、EIIは自分の理解を周りにも求めるということです。
穏やかで争いを好まないという一般の像とは、向きの違う観測です。アウシュラはこれを「当然のこと」と書き、各人は自分の文化のレベルで行為すると理由を添えています。
相手の感情と「ユニゾン」に入る
アウシュラは、イド・ブロック(EIIではFe・Ni)の節で、EIIが悲しんでいる人にどう関わるかを、こう書いています。
彼は他者の悲しみへ入り込み、共感し、同じ感情状態が出現し、接触の可能性が生まれる。「ユニゾン(斉唱)」に入ることができたとき、自分と他者との間に区別を見ず、自身の身体的状態は消え、自分の身体感覚は消える。彼は他者を陽気にすることを自分の課題に置きはしない。理解と共感によって助けるのである。
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Он входит в горе второго, сочувствует ему, появ- ляется одинаковое эмоциональное состояние и воз- можность контактирования. Когда удается войти «в унисон», между собой и другим он не видит раз- ницы, собственное его физическое состояние исче- зает, исчезает чувство собственного тела. Он не ста- вит себе задачи развеселить другого. Он помогает пониманием и сочувствием.
ここでいうユニゾンは、相手と同じ感情の状態に入り、自分と相手の区別がなくなることです。つまり、EIIは相手を明るくさせるのではなく、同じ感情に入ることで助けるということです。
また、アウシュラは、この共感と援助の記述を、自我ではなくイド・ブロックの節に置いています。イドには位置7のFe(外向倫理)が入るので、相手の感情に合わせる働きは、Feの側の記述として書かれていると読めます。
援助の相手は多すぎないほうがよい
アウシュラは、同じ節で、この同一化がEIIに残す負担を、こう書いています。
ただ、自分を他者と完全に同一化することによって、彼ら自身がかなり強く疲労する。他者への援助は、(中略)それが限度を超え、つまり援助を与えるべき人々があまりに多くなれば、人は散漫になり、空虚になり、誰にもまったく入り込みきれなくなる。それゆえ、彼らは良き心理療法者であるとはいえ、彼らが奉仕する対象範囲はかなり厳格に限定されていることが望ましい。
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Только из-за полной идентификации себя с другим это их довольно сильно утомляет. Помощь дру- гим — 〔中略〕 если она не ограничена, то есть людей, которым ее следует давать, слишком много, человек распыля- ется, опустошается и просто не успевает проник- нуть в каждого. Поэтому, хоть они хорошие пси- хотерапевты, желательно, чтобы обслуживаемый ими контингент был достаточно строго ограни- ченным.
言い換えると、相手に自分を重ねるぶん疲れやすく、助ける相手が多すぎると誰の支えにもなれなくなるということです。
そのためアウシュラは、EIIを良い心理療法者と認めたうえで、関わる範囲を厳しく限るほうがよいと書いています。
褒め言葉を素直に受け取れない
アウシュラは、超自我・ブロック(EIIではTi・Se)の節で、EIIが自分への評価をどう受け取るかを、こう書いています。
意志的だと見なされるのは、自分に目的を立てそれを達成した者であって、「意志的人格」という褒め言葉は、「美しい人」「エレガントだ」と同様、疑わしいものである。すなわち、彼を意志的だと呼ぶのも無意志だと呼ぶのも、美しいと呼ぶのも醜いと呼ぶのも — 同じ程度に疑わしい褒め言葉であり、自分と周囲の世界との関係を揺さぶり直させるものである。彼に必要なのは、ただ無言の、あるいは控えめな承認だけである。
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Волевым считают того, кто поставил себе цель и добился ее, но комплимент «волевая личность», как и «красивый человек», «элегантный» — сомни- тельны. То есть если вы его назовете волевым или безвольным, красивым или некрасивым — это в одинаковой мере сомнительные комплименты, за- ставляющие перетряхивать свои отношения с окру- жающим миром. Ему нужно лишь молчаливое или негромкое признание.
つまり、意志が強い、美しいといった褒め言葉は、逆の言葉と同じくらいEIIを落ち着かなくさせるということです。EIIが求めるのは、言葉にしない、控えめな承認だとされます。
アウシュラによれば、褒め言葉も貶し言葉も、自分と周りの世界との関係を揺さぶるものです。そのため、評価を声高に言われないことが、EIIにとっての承認になります。
周りが休んでいても動き続ける
アウシュラは、超イド・ブロック(EIIではTe・Si)の節で、EIIの働き方をこう書いています。
EII〔原文: ドストエフスキー〕は自分自身もまた行動せずにはいられない。(中略)だが他者が無為のときにすら、彼は仕掛け時計のように、せかせかと動き回る。無為でいることは彼にとって常に居心地が悪く、良心の呵責を覚え、恥ずかしいことなのだ。
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ДОСТОЕВСКИЙ не может не действовать и сам. 〔中略〕 Но он суе- тится, как заведенный, и тогда, когда другие без- действуют. Быть в бездействии как-то неудобно, совестно, стыдно.
EIIは、周りが手を止めているときでも、仕掛け時計のようにせかせかと動くとされます。何もしないでいることは、EIIにとって居心地が悪く、良心が痛むことだということです。
超イドには位置5のTe(外向論理)が入ります。仕事や活動の側では、休むことに本人が負い目を感じる姿が書かれています。
アウシュラは、同じ節で、超イドの側で起きる「反良心」を、こう書いています。
それは、人を苛む罪悪感だが、自分自身の罪ではなく、周囲の罪を感じるものである。周囲があなたに対して罪を犯しているのだ、という感覚である。(中略)反良心の呵責は人柄を損なう。彼はぶつぶつ言う、不機嫌な、何もかもにつけて非難がましい人間と化していく。
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Загры- зающее человека чувство виновности, но не соб- ственной виновности, а виновности окружающих. Чувство, что окружающие перед тобой виноваты. 〔中略〕 Характер человека портят угрызения антисовести, он становится ворчливым, недовольным, всех и вся упрекающим.
ここでいう反良心は、自分の罪ではなく、周りが自分に対して罪を犯していると感じて苦しむ感覚のことです。前の引用の良心の呵責とは、責める先が自分ではなく周りに向く点が違います。
アウシュラは、ぶつぶつ言う不機嫌な態度を、周りの罪を感じて苦しむ内側の負担の表れとして書いています。
第一機能は「最も重い荷」—EII本人の手紙
アウシュラがEII章の付録に収めた、EII本人の手紙には、タイプごとの相手の選び方を比べた一節があります。書き手のA. B.は、こう書いています。
私は思う、第一機能 — それは最も重い荷である、と。SEI〔原文: デュマ〕は、性的魅力をもとにパートナーと長期的な関係を結ぶ。彼らはまったく放恣だが、自分の魅力を満足させてくれるパートナーのところで立ち止まる。LSE〔原文: シュチルリッツ〕は、自分の考えを共有する同志たちを、こだわりをもって選ぶ。あなたは — 興味深い始まりに熱中する戦友たちを。私は — ただ一人の、最終的に愛する者、その人のためなら命を捧げてもよい者を…
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Я полагаю, что первая функция — самое тяж- кое бремя. Вот ДЮМА устанавливают длительные отношения с партнером на основе сексуальной при- тягательности, они вполне распущены, но останав- ливаются на том партнере, который удовлетворя- ет их влечению. ШТИРЛИЦЫ пристрастно выби- рают единомышленников, разделяющих их идеи. Ты — соратников-энтузиастов интересного начина- ния. Я — единственного и окончательно любимо- го, которому можно было бы отдать жизнь...
上の引用にある第一機能は、1番の主導機能のことです。手紙の「あなた」は、宛先のアウシュラ(ILE)を指すと読めます。
書き手は、相手を選ぶ基準をタイプごとに並べ、自分については命を捧げてもよい、ただ一人の相手を選ぶと書いています。主導機能を「最も重い荷」と呼んだのは、その基準が一生の相手の選択にまで及ぶからだと読めます。
これはアウシュラの記述ではなく、EII本人の自己観察です。
小括します。アウシュラのEII記述の要点は3点です。
第一に、倫理の判断では、自分の理解を周りにも求めることです。穏やかという一般の像とは向きが違います。
第二に、相手と同じ感情に入って助けることです。アウシュラはこれをイド・ブロックの節に書き、関わる相手は限るほうがよいと付け加えています。
第三に、自分への評価と働き方では、周りの声や動きに揺さぶられやすいことです。褒め言葉を疑うこと、周りが休んでいても動くこと、周りの罪を感じて苦しむことが、その例です。
また、EII章の付録には本人の手紙が収められており、研究者の記述と当事者の自己観察を同じ章で読めるのが特徴です。この観察群を後の研究者がどう体系化し、どこで食い違ったかが、以降の章の主題になります。
06Reininの記述
Reininは、EIIを、感情の細かな濃淡を見分けることには自信を持ちながら、身近な人間関係には注意を向けないことが多いタイプとして書いています。Grigory Reininは数学者で、15の二分法特性(レイニン特性)と小集団理論の提唱者として知られます。EIIの記述は、主著『ソシオニクス:類型論・小集団』(英語版2010年)のタイプ記述と、同書の小集団の講義、第III部の状況別の助言にあります。
注意が1つあります。Reininは機能を、第1〜第4機能と、陰性の第-1〜第-4機能という独自の番号で呼びます。EIIでは第1がFi、第2がNe、第3がSi、第4がTe、第-1がFe、第-2がNi、第-3がSe、第-4がTiです。当サイトの位置番号とは体系が違い、Reininの第3機能(Si)は位置6、第-4機能(Ti)は位置3です。位置4(脆弱機能)のSeは、第-3機能に対応します。
信頼の領域—感情の濃淡を見分ける
Reininは、第1機能のFiを「信頼の領域」と呼び、こう書いています。
機能 #1 — 白い倫理(▽(Fi)):信頼の領域は、私の他者に対する態度である。このタイプの感情反応のスペクトルは独特なほど広い。EII〔原文: ドストエフスキー〕は他のタイプよりも感情の領域において自信を持っている。このタイプの人々は、他のタイプの代表者にとっては考えられないような感情の濃淡やニュアンスを感じ取り、識別する。たとえばSLE〔原文: ジューコフ〕が、EII〔原文: ドストエフスキー〕の感情世界において何を理解できるだろうか。前者の心の中にはそのような細部の概念すら存在しないというのに。人々はしばしば平行世界に生きており、形式的な接触というかなり狭い領域を除いては、何の共通点も持たないのだ。
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Function #1— subjective ethics ( ): the zone of confidence is my attitude to others. The spectrum of emotional reactions of this type is peculiarly large. A Dostoevsky is more confident in the sphere of emotions than other types. People of this type feel and discern shades and nuances of emotions unthinkable for representatives of the other types. What could, say, a Zhukov understand in a Dostoyevsky’s emotional world when even the notion of such details is absent in the psyche of the former? People often live in parallel worlds that have nothing in common except for rather narrow area of conventional (formal) contacts.
言い換えると、EIIは、他のタイプには考えられないほど細かく感情の濃淡を見分け、そこに自信を持っているということです。Reininは、この自信を、他のタイプと比べたときの差として書いています。
例に出るSLEは、EIIと衝突関係にあるタイプです。Reininは、SLEにはEIIの感情世界の細部の概念すら無いと書き、形式的な接触のほかには共通点を持たない「平行世界」という言い方で結んでいます。
無視の領域—人間嫌いの仮面
Reininは、陰性の第-1機能のFe(位置7)を「人間関係を無視する」領域とし、こう続けています。
何らかの理由で人が身近な人々の関係に特別な注意を払うならば、彼女はそれをはっきりと見ることができる。しかし大多数のEII〔原文: ドストエフスキー〕はそうではなく、この生活の側面を無視する傾向がある(時には意図的にそうし、人間嫌いの仮面を被ることを選ぶ)。これは「予期せぬ」問題を引き起こすことがある。内的世界がEII〔原文: ドストエフスキー〕のすべての注意を引く一方で、想像という濃いベールが外の世界を覆ってしまうのである。
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If a person pays special attention to the relationships of close people for some reason, then she can see them clearly; but this is not the case with the majority of the Dostoevskys who are prone to ignore this aspect of life (sometimes they do it intentionally, choosing to wear the mask of a misanthrope). This may cause "unexpected" problems. The inner world may draw all of a Dostoyevsky’s attention, while a dense veil of imagination may cover the outside world.
つまり、EIIの多くは、身近な人どうしの関係に注意を向けず、ときには自分から人間嫌いに見えるようにふるまうということです。注意を払えば関係ははっきり分かる、とReininは先に断っており、分からないのではなく注意が内的世界のほうへ向いているという説明です。
前の節と並べると、Reininは、自分の内側の感情と、人どうしの関係とを、別の領域として書き分けています。
創造の領域—作家ドストエフスキーの書き方
第2機能はNe(位置2)です。Reininは、この機能の例に作家ドストエフスキー本人の執筆法を挙げ、こう書いています。
機能 #2 — 黒い直観(▲(Ne)):外的世界の全一性、外的調和。F. M. ドストエフスキーはどのようにして自身の小説を書いたか。彼はまず未来の小説の構造を作り上げ、非常に詳細な計画を書いた。これには時に何ヶ月もの時間がかかった。そしてそのあと、小説は数週間で書き上げることができた。小説の登場人物たちは生命を得て、鋳型から飛び出してくることさえあった!
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Function #2 — objective intuition ( ): integrity of the outside world, external harmony. How did F.M.Dostoyevsky write his novels? First of all he would create the structure of his future novel, write a very detailed plan. This would take a lot of time, months sometimes. And after that the novel could be written in a couple of weeks. The novel’s characters would come to life and even beak out of the mold!
言い換えると、作家ドストエフスキーは、何か月もかけて小説の構造と計画を作り、そのあと数週間で書き上げたということです。Reininは、この執筆法を、外の世界の全体と調和を意識する第2機能の例として置いています。
「鋳型から飛び出して」くるという一句は、先に作った構造の中で、登場人物が生命を得て動き出すことを指しています。Neの内容を「外的世界の全一性、外的調和」と言い切る点が、Reininの書き方です。
Reininは、同じ作家の小説と、この機能を持つ人の職業への傾きを、こう結びつけています。
フョードル・ドストエフスキーは小説の中でこの世界を解剖し分析し、なぜそれがこれほど不調和なのかを理解しようとする。「美が世界を救う」という古い箴言は、ドストエフスキーの小説によってソビエト・ロシアで広まった。外的調和を志向する創造機能を持つ人々が、しばしば作家、音楽家、芸術家になるのはごく自然なことである。
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Fyodor Dostoevsky in his novels dissects and analyzes this world, trying to understand why it is so disharmonious. The ancient saying, ‘The beauty will save the world’, became popular in Soviet Russia due to Dostoyevsky’s novels. It is quite natural that people with the creative function aimed at the external harmony often become authors, musicians and artists.
つまり、外の世界の調和へ向かう創造機能を持つ人は、作家・音楽家・芸術家になりやすいということです。作家ドストエフスキーの小説は、世界がなぜ不調和なのかを理解しようとする試みとして書かれており、不調和への関心と調和への志向が、同じ機能の両面として扱われています。職業への傾きは、次の自己評価の領域にもう1つ出てきます。
規範の領域—2つか3つの習慣的な状態
Reininは、陰性の第-2機能のNi(位置8)を「規範の領域」と呼びます。当サイトの規範機能(位置3)とは別の語です。Reininは、この領域をこう書いています。
機能 #-2 — 白い直観(△(Ni)):規範の領域、内的世界の全一性。EII〔原文: ドストエフスキー〕には2つか3つの習慣的な状態があれば十分である。ここに多様性の必要はない。下降する螺旋状の鬱状態でさえ、彼らにはとても一般的である。その間、彼らは事実上環境から切り離され、周囲をほとんど知覚できない。
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Function #-2 — subjective intuition ( ): the zone of standards: integrity of the internal world. Two or three habitual states are more than enough for a Dostoevsky; there is no need for variety here. Even the state of the downward spiral of depression is very common with them. During that time they are practically disconnected from the environment, hardly perceiving the surroundings.
上の引用にある内的世界の全一性は、自分の内側の状態がまとまっていることです。Reininによれば、EIIの内側の状態は2つか3つの決まった型で足り、種類の多さを求めません。
気分が沈んでいく状態のあいだは周りからほとんど切り離される、という観察も、同じ領域に置かれています。無視の領域の人間嫌いの仮面と同じく、注意が内側へ向くと外の世界が遠のくという書き方が、ここでも続いています。
自己評価の領域—健康と、人を助ける職業
第3機能はSi(位置6)です。Reininは、ここにEIIの自己評価の根拠を置き、こう書いています。
機能 #3 — 白い感覚(○(Si)):彼女の自己評価は、性的親密さの経験や健康状態などに基づいている。このタイプの人々はしばしば医師、療法士、精神科医としてキャリアを築く。彼らは健康に多大な注意を払い、それは彼らにとって非常に重要である。そしておそらく、他人の問題に取り組み、彼らを助けるとき、彼らは自分自身の問題も解決している。
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Function #3 — subjective sensoring ( ): her self-esteem is based on her experience of sexual intimacy, and her health condition, etc. People of this type often make careers as physicians or therapists, psychiatrists. They pay a great deal of attention to their health, it is very important to them. And, most likely, when working with other people’s problems, helping them, they also solve problems of their own.
言い換えると、EIIの自己評価は、体の状態や親密さの経験といった感覚の領域から来るということです。Reininは、医師・療法士・精神科医という職業をこの領域と結びつけています。
さらに、他人を助けることが、自分の問題の解決にもなっていると続けます。「おそらく」という語のとおり、この部分は推測の形で書かれています。
暗示の領域と恐怖の領域—事実と説明
Reininは、第4機能のTe(位置5)について、こう書いています。
機能 #4 — 黒い論理(■(Te)):いわゆる「確立された事実」としてEII〔原文: ドストエフスキー〕に提示される情報は、彼女を操作するために利用されうる。なぜなら彼女は事実によって暗示にかかりやすいタイプだからだ。「事実をくれ。数字をくれ!」他の人々は「客観的」データを提示することで、EII〔原文: ドストエフスキー〕の意見を容易に操作する。
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Function #4 - objective logic ( ): information presented as a so-called well established fact to a Dostoevsky may be used to manipulate her because she is the type that can be suggested by facts. “Give me the facts. Give me the numbers/” Other people easily manipulate a Dostoyevsky’s opinion by presenting 'objective' data.
つまり、EIIは、事実や数字として示された情報を受け入れやすく、そのぶん意見を動かされやすいということです。「事実をくれ。数字をくれ!」という台詞は、事実を求める本人の声として置かれています。求めているものが、そのまま操作の手段にもなるという組み立てです。
同じ論理の要素は、陰性の第-4機能のTi(位置3)にも出てきます。Reininは、この機能を恐怖の領域と呼び、こう書いています。
機能 #-4 — 白い論理(□(Ti)):私の理解。あらゆるすべてを理解することへの恐怖。それゆえEII〔原文: ドストエフスキー〕の説明は時に他のタイプの代表者には曖昧で、混乱しているように見える。EII〔原文: ドストエフスキー〕はここで2つの極のいずれかへ向かうことがある。一方では神秘主義への傾倒、他方では統計や証拠への異常な信頼である。
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Function #-4 - subjective logic ( ): my understanding. Fear to understand all and everything. Therefore a Dostoyevsky’s explanations sometimes seem vague, confusing to the representatives of the other types. A Dostoevsky may go to one of the two extremes here: on the one hand there is a propensity to mysticism, on the other hand there is an unusual trust in statistics and evidences.
Reininによれば、EIIは物事を残らず理解することを恐れ、そのために説明が他人には曖昧に見えることがあります。そのうえでEIIは、神秘主義への傾倒か統計や証拠への並外れた信頼かという、正反対の2つの極のどちらかへ向かうことがあるとされます。
統計や証拠の側の極は、前の引用の事実への頼りやすさと同じ向きです。Reininは、事実は受け入れやすく、自分でする説明は伝わりにくいという対を、Te(位置5)とTi(位置3)に振り分けていると読めます。
社会的監督リングのなかのEII
Reininは、小集団の講義で、EIIを含む4人組の1つを、こう書いています。
このグループには3種類の関係が存在する:監督者、被監督者、超自我。3種類すべての関係が困難である。(中略)たとえば、ILE〔原文: ドン・キホーテ〕、LSI〔原文: マクシム〕、SEE〔原文: ナポレオン〕、EII〔原文: ドストエフスキー〕のグループを取ってみよう。それぞれが監督者と被監督者と超自我のパートナーを持つ。このグループ内には他の関係はない。彼らはプロジェクトに共に取り組めないだけでなく、10分以上同じ部屋にもいられない。彼らは一対一で互いに話すことはできるが、彼らが皆集まると恐ろしいことが…
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In this group three types of relationships are present: Controller, Servant and Superego. All three kinds of relationships are difficult.〔中略〕Take for example a group of a Don Quixote, a Maxim, a Napoleon and a Dostoevsky – each one of them has a Controller and a Servant and a Superego partner. There are no other relationships in this group. Not only they cannot work on a project together, but also they cannot even be in the same room for more than 10 minutes. They can talk one on one with each other, but it is a scary thing when they all get together…
上の引用にある監督者・被監督者・超自我は、タイプどうしの関係の名前です。つまり、ILE・LSI・SEE・EIIの4人が集まると、どの2人の間も難しい関係になり、同じ部屋に長くいられないということです。
EIIから見ると、SEEは自分を監督する側、ILEは自分が監督する側、LSIは超自我関係の相手です。Reininは、1対1なら話せるのに、4人がそろうと崩れると書き、2人の関係ではなく集団の組み合わせで起きることとして扱っています。
助言—感情をわかってもらうことへの期待
主著の第III部は、状況ごとに、相談に来た人へ二人称で助言する形式で書かれています。Reininは、EIIへの助言の1つを、こう書いています。
時々、あなたには、人々がもっと理解があり、自分の感情を評価し、長所を見るべきだと思える。残念ながら、それは深刻な誤りだ。人々は単に微妙さを見る時間がない。助言:もっと自信を持って自分を主張せよ。
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At times it seems to you that people should be more understanding, they should appreciate your feelings, and see your virtues. Alas, it is a grave mistake. People just do not have time to see the subtleties. Advice: assert yourself with more confidence.
言い換えると、Reininは、人々が自分の感情や長所を細かく評価してくれるはずだという期待を誤りとしています。人々には微妙さに気づく時間がないので、わかってもらうのを待つより、自分から主張するように、という助言です。
第1機能で書かれた感情の細かさが、ここでは周りとの食い違いの原因として出てきます。同じ細かさが、自信の源にも、期待外れの源にもなるという組み立てです。
小括します。ReininのEII記述には、3つの軸があります。
第一に、感情の細かな濃淡を見分ける自信を第1機能に置き、身近な人間関係への無関心を第-1機能に置いて、内側の感情と人どうしの関係を書き分けていることです。
第二に、作家と医療職という2つの職業への傾きを、創造機能のNeと自己評価のSiにそれぞれ結びつけていることです。
第三に、事実には暗示されやすく、すべてを理解することは恐れるという、論理の2つの要素の対比です。
記述の枠組みの面では、作家ドストエフスキー本人の執筆法をタイプの例に使い、小集団と状況別の助言まで書き込んでいる点が、Reininの特徴です。
07Bukalovの記述
Aleksandr Bukalovは、キエフの国際ソシオニクス研究所を率い、機関誌『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』を主宰してきた研究者です。BukalovはEIIを、人どうしの関係を重んじ、精神の世界に通じたタイプとして書いています。そのうえで、同じタイプをウクライナという民族の分析にも使っているのが特徴です。底本は、Wikisocionに再録されたBukalov名義のEIIプロファイルと、機関誌の論文です。愛称は、プロファイルでは「ワトソン」です。
関係を重んじ、教え育てる仕事へ
Bukalovは、職業とタイプを論じた論文で、EIIの第1位置と第2位置を、こう書いています。
IEEの鏡像タイプ ― 倫理直観内向(▽(Fi)▲(Ne)、EII) ― は第1位置に関係の倫理(▽(Fi)1)。これらの人々は実際、関係を非常に重視し、それについて話すか観察するのが大変好きである。彼らが第2に、実現的な可能性の直観(▲(Ne)2)を持つことを考慮すれば、彼らの中にはもちろん多くの教育者、教師、人文系傾向の人々がいる。もちろん、彼らは他の分野でも働く。
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Зеркальный типу ИЭЭ — этико-интуитивный интроверт (, ЭИИ) — на 1-м месте этика отношений (1). Эти люди, действительно, очень ценят отношения, очень любят говорить о них или наблюдать. Учитывая, что у них 2-я, реализационная интуиция возможностей (2), среди них много, конечно, воспитателей, педагогов, людей гуманитарного склада. Хотя, конечно, работают они и в других отраслях.
上の引用にある関係の倫理はFi(内向倫理)、実現的な可能性の直観はNe(外向直観)のことで、位置の番号は当サイトと同じです。つまり、EIIは人と人の関係を大事にし、それを話題にするのも眺めるのも好むということです。
そこへ可能性の直観が加わるので、Bukalovは教育者や教師、人文系の人が多いと見ています。ただし最後の1文で、ほかの分野で働くEIIもいると断っています。
「第1機能はどこにも隠せない」—元上司の例
Bukalovは同じ論文で、かつての上司だったEIIの経歴を、こう書いています。
私にはかつて上司がいた、倫理直観内向、物理数学候補で、後にドクターになった。(中略)そして我々の別の同志が彼について言った:「ペーチャはとても重要になり、近づけない」。すなわち倫理タイプは自分の目標を達成した。彼はそこで生涯、物理技術専門だから、様々な配線をはんだ付けし、専門家として、あらゆるセラミック・金属合金に従事していたが。だが第1機能はどこにも隠せず、人間は(中略)関係の倫理によって全員と関係を築き、数年後に彼は労働組合委員会議長にされた。
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У меня когда-то шеф был, этико-интуитивный интроверт, кандидат физикоматематических наук, потом он стал доктором. 〔中略〕 И, как сказал про него другой наш товарищ: «Петя стал такой важный, к нему не подойдешь». То есть этик своего добился. Хотя он там всю жизнь паял различные проводки, поскольку физико-техническая специальность, и занимался как специалист всякими керамическими и металлическими сплавами. Но 1-ю функцию никуда не спрячешь и человек по 〔中略〕 этике отношений выстроил так со всеми отношения, что его через несколько лет сделали председателем профкома.
物理数学候補とドクターは、旧ソ連の学位(準博士と博士)です。言い換えると、技術者として生涯を送るはずだった人が、周りの人たちと関係を築いて組合の議長になったということです。
Bukalovはこの経歴を、職業が技術の分野でも、主導機能のFiは表に出ることの例として挙げています。同僚の「近づけない」という言葉も、倫理タイプが目標を達したしるしとして受けています。
精神の世界に通じ、知っているものに当てはめる
Bukalovは、プロファイルで、小説のワトソン博士を借りてEIIの考え方を、こう書いています。
シャーロック・ホームズの友人であるワトソン博士は、人間のビジネス的・外面的な資質よりも、精神的な世界に最もよく通じている。そのためホームズの洞察力に驚き、感嘆する。「EII〔原文: ワトソン〕」はすべてをよく知られたもので完璧に説明し、「棚に並べる」ことができる。もし何かを知らなければ—困惑を経験し、何が起こっているのか調べようとする。そうすれば自信を持てるからだ。
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A friend of Sherlock Holmes - Dr. Watson is best versed in the spiritual world of man than in his business, external qualities, so therefore it surprises and delights insight Holmes. “Watson” perfectly explains how to lay all the well-known “on the shelves.” If something does not know - she is experiencing confusion and aims to find out what was going on, so you feel confident.
前半の2文は小説のワトソン博士の話で、「EII」から後がタイプの記述です。つまり、EIIは物事を、よく知っていることに当てはめて整理できるということです。一方で、知らないことに出会うと困惑し、自信を持つために調べると書かれています。
人のビジネス的・外面的な資質より精神の世界に通じる、という前半の対比は、EIIの関心が人の内側に向くことを、ワトソン博士の人物像で示したものと読めます。
義務を守り、傷つけられても見せない
Bukalovは、EIIが大事にするものと人への接し方を、こう書いています。
彼は最も重要なことは—正しい躾と自分の義務、道徳的義務を忠実に果たしたいという願望だと信じている。身体的暴力を好まず、部下に決して怒鳴らない。誰かと話す必要がある場合—一対一でそうしようとする。もし感情を傷つけられた場合、通常は加害者に対してそれを見せず、非常にしばしば許す。「EII〔原文: ワトソン〕」は明確に、簡潔に話すことができ、素早く美しく仕事ができる人々を好む。
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He believes that the most important thing - the right upbringing and desire to faithfully perform their duties, a moral duty. He does not like physical violence, never yelling at subordinates. If he needed to talk to someone - trying to do it alone. If it offended the feelings of their abuser usually does not show very often forgives him. “Watson,” like people who speak clearly, concisely, able to work quickly and beautifully.
言い換えると、EIIは義務を忠実に果たすことを最も大事にし、人を怒鳴らず、話は一対一でするということです。とくに、傷つけられても相手にそれを見せず、たいていは許すと書いています。
民族のタイプとしてのEII—ウクライナ
Bukalovが民族(エスノス)に割り当てたタイプのうち、ウクライナの同定がどう変わったかを、Yermakはこう書いています。
ほかの見解も存在する。たとえば、ロシアの「文化の状態あるいはTIM」をIEI、ウクライナのそれをESIとする同定は、1988〜89年に A. V. ブカロフと V. V. グレンコによって行われた。その後、A. V. ブカロフは自分の見解を見直し、ウクライナのITIMはEIIであり、ESIは—コミュニケーション・モデルであると考えている。
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Существуют и другие точки зрения. Так, «состояние или ТИМ культуры» России как ИЭИ и Украины как ЭСИ были идентифицированы в 1988—89 гг. А.В. Букаловым и В.В. Гуленко. Впоследствии А.В. Букалов пересмотрел свою точку зрения и считает ИТИМом Украины ЭИИ, а ЭСИ — коммуникативной моделью.
上の引用にあるTIMは情報代謝タイプ、ITIMは統合的なTIMのことで、国や民族の文化の状態を1つのタイプとして表したものです。つまり、Bukalovは1988〜89年にウクライナをESIとした同定を、のちにEIIへ改めたということです。
ESIとEIIは、どちらも位置1にFiを持つ同属の関係です。改めたのは位置2の要素で、SeからNeへの変更になります。
Bukalovは、そのEIIのウクライナについて、位置4の要素から、こう書いています。
ウクライナ民族集団の第 4 機能 ― 意志的感覚 ●(Se)4 ― について少し述べておく。ここでは強引さや攻撃で何も達成できない。(中略)だがこの特徴は日常でも観察できる。あるモスクワっ子(意志的感覚者)は驚きをもってこう述べた、「キエフの地下鉄では、肘で押し合っても進めない」と。日光の下の場所を何とか食いちぎるモスクワとは異なり、ここでは集中的な攻撃的な ―「肘での仕事」― は、概して状況を改善せず、時には悪化させすらする。
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Несколько слов о 4-й функции украинского этноса — о волевой сенсорике 4. Нахрапистостью и агрессией здесь ничего не добьёшься. 〔中略〕 Но эту особенность можно наблюдать и в повседневности. Один москвич (волевой сенсорик) с удивлением отметил: «В киевском метро работа локтями не помогает движению». В отличие от Москвы, где можно себе как-то место под солнцем выгрызть, здесь интенсивная агрессивная — «работа локтями», — в общем-то не улучшает, а иногда даже ухудшает ситуацию.
上の引用にある意志的感覚はSe(外向感覚)で、第4機能は当サイトの位置4(脆弱機能)と同じです。Bukalovによれば、ウクライナでは強引さや攻撃で物事は進まず、かえって悪くなることもあるということです。
地下鉄の感想は、それを日常で観察できる例として挙げたものです。個人のプロファイルにあった「身体的暴力を好まず、部下に決して怒鳴らない」と、同じ向きの記述を民族の水準でもしていることになります。
小括します。BukalovのEII像は、関係を重んじ、それを話題にするのも眺めるのも好むという第1位置の記述から始まります。そこに可能性の直観が加わって教育者や人文系の人が多いとし、技術者から組合の議長になった元上司を、主導機能が隠せない例に挙げています。
プロファイルでは、知っている枠に当てはめて整理し、知らないことは自信を持つために調べる姿と、傷つけられても見せずに許す姿を書いています。民族論では、ウクライナの同定をESIからEIIへ改め、強引さが通用しないという位置4の記述を、個人の記述と同じ向きで書いています。
08Stratiyevskayaの記述
Stratiyevskayaは、EIIを、周りの人のためには自分を顧みずに尽くす一方で、強く出ることには大きな努力が要る人として書いています。この章の底本は、著書『お別れしないために』第II部のEII章と、関係ごとに書かれたブログ記事です。書籍の記述は身近な場面の実例が多く、言い切りが強いのが特徴です。
病人の看病—自分を顧みない献身
Stratiyevskayaは、周りの人が病気になったときのEIIを、こう書いています。
もし周囲の誰かが病気になった場合、EII〔原文: ドストエフスキー〕は並外れた献身さで看病する。自身の力も、健康も、感染の危険性をも顧みない。(EII〔原文: ドストエフスキー〕が親族にいる家庭は、自分たちの健康について全く安心していられる。誰かが病気になれば、EII〔原文: ドストエフスキー〕は原則として直ちに自分の用事を全て放棄して病人を看護するし、しかもこの場合、親族関係の遠さは彼にとって意味をなさない。)
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Если, например, кто-либо из его окружения заболевает, Достоевский выхаживает его с исключительной самоотверженностью, не считаясь ни со своими собственными силами, ни со своим здоровьем, ни с опасностью возможного заражения. (Та семья, где есть родственник Достоевский, может быть совершенно спокойна за свое здоровье: стоит кому-нибудь захворать, Достоевский, как правило, тут же бросает все свои дела и выхаживает больного, причем дальность родства в данном случае для него значения не имеет.)
言い換えると、EIIは身近な人が病気になると、自分の用事や健康より看病を先にするということです。看病する相手は近い親族に限らず、遠い親戚でも変わらないとされています。
断定的に話せないこと
Stratiyevskayaは、EIIが自分のために強く出られない点を、こう書いています。
自分のために身を立てることは、EII〔原文: ドストエフスキー〕には過剰な努力と緊張を要する。彼にとって意志的な反撃を与えるのは途方もなく難しい。(中略)EII〔原文: ドストエフスキー〕は声に厳格な抑揚をつけることができない。断定的な形で発言することは、彼にとって大きな問題である。彼の柔らかさと譲歩は、厳格で断定的になる能力の欠如の結果と見なすこともできる。
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Необходимость постоять за себя требует от Достоевского чрезмерных усилий и напряжения. Ему неимоверно трудно дать волевой отпор.〔中略〕Достоевский не способен на жесткую интонацию в голосе. Высказаться в категоричной форме — для него большая проблема. Его мягкость и уступчивость можно рассматривать и как следствие неспособности быть жестким и категоричным.
つまり、EIIにとっては、自分のために言い返すことも、強い口調で話すことも大きな負担になるということです。
引用の最後の1文では、周りから見える柔らかさや譲る態度を、強く出る力が足りないことの結果としても説明しています。「見なすこともできる」とあるので、ほかの説明を退けてはいません。
道徳的な圧力には屈しない
Stratiyevskayaは、EIIが人の意志に従わされる場面を、こう書いています。
EII〔原文: ドストエフスキー〕にとって、誰かの意志と権力に依存する状況は完全に耐え難い。物理的依存ならば彼はしばらくの間我慢するだろう(ただし、状況によるが)、道徳的圧力には屈服しない—「自分の中に閉じこもり」、「心理的障壁」を築き、関係の外面的な体裁だけを維持する方法を見つけ、パートナーとの起こりうる断絶のために自身を準備する。
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С другой стороны, совершенно невыносима для Достоевского ситуация собственной зависимости от чьей- то воли и власти. И если физическую зависимость он еще какое-то время будет терпеть (хотя тоже, смотря по обстоятельствам), то моральному давлению не подчинится — "уйдет в себя", воздвигнет "психологический барьер", найдет способ сохранять только внешнюю видимость отношений, подготавливая себя для возможного разрыва с партнером.
Stratiyevskayaによれば、EIIは暮らしの面で人に頼ることはしばらく我慢しても、道徳の面から従わせようとする圧力には屈しません。そのときEIIは、表向きの関係だけを保ちながら、内側では相手との別れに備えます。
上の引用にある心理的障壁は、付き合いの体裁を続けながら、相手を自分の内側に入れない構えのことです。前の節と並べると、強く言い返すことは難しくても、相手に屈するわけではないことが分かります。
願望と現実—書籍とブログでの書き分け
Stratiyevskayaは、書籍で、EIIの見通しが外れる理由を、こう書いています。
EII〔原文: ドストエフスキー〕がどれほど強い直観を持っていても、彼の計算が常に的中するわけではない。事の全ての事情を見ることも知ることも彼にはできないからである。なおさら、彼はしばしば願望を現実と取り違え、現実ではなく想像上の事の運びを計算してしまう。すでに自身の中で形成されたステレオタイプに依拠してしまうのである。
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И тем не менее, какая бы сильная интуиция ни была у Достоевского, его расчеты далеко не всегда оказываются верны: ведь всех обстоятельств дела он ни видеть, ни знать не может; тем более, что часто он принимает желаемое за действительное и просчитывает иногда воображаемый ход событий, а не реальный, полагаясь на уже сложившиеся в его представлении стереотипы.
つまり、EIIの見通しは、こうなってほしいという願いを前提に計算するため、外れることがあるということです。書籍では、願望と現実の取り違えを、直観の計算が外れる原因の1つとして挙げています。
Stratiyevskayaは、同属の関係(ESI–EII)を論じたブログ記事で、同じ傾向を、こう書いています。
「現実を良いほうに考えなさい、そうすれば現実はあなたが見たいとおりのものになる!」(「私があなたを思い描いたのなら、私の望むとおりのあなたになって」)(中略)主観的観念論者であるEII、ドストエフスキーの考えでは、願望を現実と取り違えることは許されるし、そうすべきでもある。「夢を信じなければならない。現実の世界を想像の世界に(たとえ願望のなかだけでも)近づけながら。そうすれば夢は現実になる」。
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«Подумай о реальности хорошо, и она станет такой, какой ты хочешь её видеть!» («Если я тебя придумала, стань таким, как я хочу».)(中略)По мнению субъективного идеалиста ЭИИ, Достоевского принимать желаемое за действительное можно и нужно: «Надо верить в мечту, приближая (пусть даже только в желаниях) реальный мир к воображаемому, тогда мечта станет реальностью».
上の引用にある主観的観念論者は、心に思い描いたことが現実を形づくると考える人のことです。ブログでは、願望と現実を取り違えてよい、むしろそうすべきだという考えを、EII自身の信条として書いています。
書籍の引用と並べると、同じ傾向の扱いが、見通しの誤りの原因と、EIIの信条とに分かれています。同じ研究者でも、書く場によってEIIの記述の論調が違う例です。
時間へのこだわり—作家ドストエフスキーの一節
Stratiyevskayaは、EIIが時間を重んじる理由を、作家ドストエフスキーの小説を例に、こう書いています。
時間に関する事情に、EII〔原文: ドストエフスキー〕は特別な意義を付与する。なぜなら無意識のうちに、彼は自身の双対であるLSE〔原文: シュティルリッツ〕の弱い時間の直観を「奉仕」するよう召命されているからだ。(中略)F.M. ドストエフスキーの『おかしな人間の夢』から任意に取られた数行は、この心理的タイプの代表者にとっての時間要因の重要性を説得力をもって示す。「...真実を私が知ったのは、去年の十一月、それも十一月三日であり、その時から私は自分のあらゆる瞬間を覚えている。それは陰鬱な、もっとも陰鬱な夜であった。私は十一月三日、夜の十一時頃、家に戻りつつあり、まさに、これ以上に陰鬱な時間はあり得ないと考えた、と覚えている。」
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Обстоятельствам времени Достоевский придает особое значение, поскольку подсознательно он призван "обслуживать" слабую интуицию времени своего дуала Штирлица.〔中略〕Несколько строк, произвольно взятых из рассказа Ф. М. Достоевского "Сон смешного человека", убедительно иллюстрируют значимость фактора времени для представителей этого психологического типа: "...Истину я узнал в прошлом ноябре, и именно третьего ноября, и с того времени я каждое мгновение мое помню. Это было в мрачный, самый мрачный вечер, какой только может быть. Я возвращался тогда в одиннадцатом часу вечера домой, и именно, помню, я подумал, что уж не может быть более мрачного времени."
言い換えると、Stratiyevskayaは、EIIが時間を気にかけるのは、双対LSEの弱い時間の感覚を補う役目を無意識に負っているからだと見ています。その例として、作家ドストエフスキーの小説の語り手が、日付と時刻を細かく覚えている一節を挙げています。
これは、タイプの愛称になった作家の作品を、そのタイプの例に使うという形の例示です。
Stratiyevskayaは、同じ時間の感覚が日常に出る場面を、こう書いています。
夢想癖と気もそぞろなところがあるにもかかわらず、決して約束された会合や予定された用事を忘れない。それどころか、彼は他者にも、何をいつしなければならないかを絶えず思い出させる。時には、人間ではなく、「歩く時計」だと感じられることもある:(中略)「もう7時よ、薬を飲む時間よ!」
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При всей своей мечтательности и отрешенности, никогда не забывает о назначенных встречах и запланированных делах. Более того, он постоянно напоминает другим о том, что и когда нужно сделать. Иногда создается впечатление, что это не человек, а "ходячие часы":〔中略〕"Сейчас уже семь часов, тебе же пора принимать лекарство!"
つまり、夢見がちで上の空に見えても、約束や予定の時刻は忘れず、周りの人にも時刻を知らせるということです。「薬を飲む時間よ」という台詞のように、時刻を知らせることが、周りの人の世話の一部になっています。
小括します。StratiyevskayaのEII記述の特徴は3つあります。
第一に、人への配慮を、看病や時刻の声かけといった具体的な行動で描いていることです。
第二に、柔らかさと譲る態度を強く出る力の不足と結びつけながら、道徳的な圧力には心理的障壁を築いて屈しないという限度も書いていることです。
第三に、願望と現実の取り違えを、書籍では見通しの誤りの原因、ブログではEII自身の信条として書き分けていることです。記述の形では、実例を多く使い、作家の作品の一節も例に引き、「全く」「決して」といった言い切りが目立ちます。彼女の記述は、観察の中身と言い方の強さを分けて受け取ることができます。
09Filatovaの記述
Filatovaは、EIIを、関係の倫理規範を人生の中心に置き、その規範で自分を厳しく測る人物として書いています。底本は『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001年)のEII章で、レマルク『三人の戦友』のロベルトと、ミッチェル『風と共に去りぬ』のメラニーを例に書かれています。
この本は、強い機能2つと弱い機能2つの4つのチャンネル(I〜IV)で組まれています。EIIではI・II・III・IVにFi(内向倫理)・Ne(外向直観)・Se(外向感覚)・Te(外向論理)が入り、IIIは現行の位置4(脆弱機能)、IVは位置5(暗示機能)のことです。
関係の倫理規範—位置1のFi
Filatovaは、I(位置1)のFiについて、EIIが人生で何をいちばん大事にするかを、こう書いています。
EIIにとって人生で最も重要なのは、人類がその存在の歴史を通じて作り上げてきた、関係についての倫理的な規範である。彼は善悪の問題、道徳と不道徳の問題、伝統の保持、モラルの規範の遵守に関心を持つ。彼は、人々が互いに対して、また自分自身に対して抱く関係の、ごくわずかなニュアンスにも非常に敏感である。
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Для ЭИИ главным в жизни являются те этические нормы отношений, которые человечество выработало на протяжении истории своего существования. Его интересуют вопросы добра и зла, нравственности и безнравственности, сохранение традиций, соблюдение норм морали. Он очень чувствителен к самым незначительным нюансам отношений людей друг к другу и к нему самому.
言い換えると、EIIが人生の中心に置くのは、人と人との関係についての倫理の規範だということです。関心の向く先は善悪・道徳・伝統で、Filatovaはそこに、関係のごくわずかなニュアンスへの敏感さを並べています。
大きな規範と小さなニュアンスの両方に気持ちが向く、というのがFilatovaの描くEIIの出発点です。
表に出ない悲しみ—ロベルトの喪失
Filatovaは、『三人の戦友』の語り手ロベルトをEIIの例に挙げ、ロベルトの言葉を引いたあとで、こう書いています。
私は木のようにこわばっていた。(中略)これはEIIに非常に特徴的なことである—外見上は無関心であるかのようになり、「木のようにこわばり」、外面的には一切反応しない。私たちの前にいるのは論理型ではなく倫理型であるにもかかわらず、である。しかし、それによって喪失の痛みがかえって強まることに注意しておこう。泣いたり叫んだりする方が、心の痛みを乗り越えやすい。そして、涙として流されなかった悲しみは、心の中に長く生き続けるのである。
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Я одеревенел.〔中略〕Это очень характерно для ЭИИ — внешне становиться как бы безучастным, «деревенеть», никак внешне не реагировать, хотя перед нами не логик, а этик. Но, заметим, боль от утраты от этого только сильнее. Когда плачут и кричат, легче пережить душевную боль, а горе невыплаканное продолжает долго жить в душе.
上の引用の最初の一文は、小説の語り手ロベルトの言葉です。Filatovaによれば、EIIは深い悲しみの中でも、外からは無関心に見えるほど反応を表に出さないことがあります。そのうえで、表に出さないぶん、喪失の痛みはかえって長く残ると書いています。
「倫理型であるにもかかわらず」とわざわざ断っているのは、感情を表に出さない様子が論理型と取り違えられやすいことを、Filatova自身が意識しているためと読めます。反応の少なさを、感情の少なさとして読まないように、という注意書きになっています。
道徳的な理想と自己叱責—位置2のNe
Filatovaは、II(位置2)のNeについて、EIIが若いうちから持つ理想を、こう書いています。
人々との関係において調和を達成するために、EIIは人生における真の価値を探し求める。まだ若いうちから、彼は自分の想像の中に、到達しようと志す道徳的な理想を形作る。彼のプログラムの根底には、多くの場合、自分の中に義務感を育てることがある。自分の行動が、自ら受け入れた理想からほんのわずかでも逸脱すると、彼は苛烈な自己叱責に走ることがある。自分の行いについて、あらゆる人に対する消えることのない罪悪感が、彼の中で徐々に膨らんでいくこともある。
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Чтобы достичь гармонии в отношениях с людьми, ЭИИ ищет истинные ценности в жизни. Еще в юности он формирует в своем воображении нравственный идеал, которого стремится достичь. В основе его программы, чаще всего, лежит воспитание в себе чувства долга. При малейшем отклонении своего поведения от принятого им самим для себя идеала он способен к жестокому самобичеванию. Бывает так, что в нем постепенно нарастает непреходящее чувство вины перед всеми за свои поступки.
つまり、EIIは若いうちから道徳の理想を思い描き、そこから少しでも外れると自分を強く責めるということです。Filatovaは、可能性に向くNeの働きを、人生の真の価値を探し、あるべき自分を想像の中に形作る方向で書いています。
位置1で見た関係の規範は、ここでは自分の行いを測るものさしとして出てきます。罪悪感が「あらゆる人に対する」ものにまで膨らむと書いている点で、理想の高さがそのまま本人の負担になりうることまで、Filatovaは書き込んでいます。
暴力への苦痛と「べき」の重さ—位置4のSe
Filatovaは、III(位置4)のSeについて、まず暴力への反応を、こう書いています。
いかなる形であれ暴力に関わることはすべて、EIIには非常に苦痛に感じられる。喧嘩や殺人を目にすることは、たとえそれがテレビ映画で示されているだけであっても、彼には心理的に辛いことである。そうした光景は彼の中に、それを今すぐやめさせたいというただ一つの欲求を引き起こす。現実の生活でこうした出来事が起こると、彼の反応はさらに強くなる。とりわけ子供が罰を受けている場合はなおさらである。
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Все, что связано с насилием в любом виде, ЭИИ воспринимает очень болезненно. Ему психологически трудно видеть драки, убийства даже в том случае, если это всего лишь показано в телевизионном фильме. Такие зрелища вызывают у него единственное желание — прекратить это немедленно. Еще более сильна реакция на такие события в жизни, особенно если наказанию подвергаются дети.
言い換えると、EIIには、暴力を目にすることが、画面の中の作り事であっても辛いということです。見るのが辛いというだけでなく、今すぐやめさせたいという欲求が起きると書かれており、子どもが罰を受ける場面では反応がさらに強まるとされています。
Filatovaは同じ位置4の節で、自分を教育するときの厳しさを、こう書いています。
EIIは、誰もが自分自身を教育する義務があると考えているが、それを自分自身に対して行う際の厳しさは、時に度を越えている。彼は自分の行動を、確固たる姿勢と粘り強さという観点から評価し、様々な「べき」でもって自分自身を苛み、それが神経の消耗や失調にまで自分を追い込んでしまうこともある。
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ЭИИ считает, что каждый человек обязан сам себя воспитывать, но жесткость, с которой он это проделывает по отношению к себе, порой неадекватна. Он оценивает свои действия с точки зрения твердости и настойчивости, способен тиранить себя различными долженствованиями вплоть до того, что может довести себя даже до нервного истощения и расстройства.
Filatovaによれば、EIIは確固たる姿勢と粘り強さを自分の行動の評価の基準にし、「べき」で自分を追い詰めることがあります。確固さや粘り強さは、Seが扱う意志の強さにかかわる性質です。
位置2では理想からの逸脱が自己叱責を生んでいましたが、ここでは本人がいちばん扱いにくい位置4の基準で、自分を採点していることになります。Filatovaは、その行き着く先として神経の消耗や失調まで挙げ、この厳しさを本人の負担として書いています。
効率よく働くことの難しさ—位置5のTe
Filatovaは、IV(位置5)のTeについて、働き方を、こう書いています。
効率的に働く能力は、この心理タイプの代表者にとって身につけるのが難しく、この困難さは、自己完成への志向と矛盾する関係にある。そのため、彼は自分に「夜明けから日暮れまで」働くことを強いることがあり、他の人ならばずっと少ない労力で同じ仕事を済ませられるところで、疲れ果てるまで多くの力とエネルギーを費やしてしまう。
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Умение эффективно работать трудно дается представителям этого психотипа, и эта трудность вступает в противоречие со стремлением к самоусовершенствованию. Поэтому он может заставить себя трудиться «от зари до зари», изматываясь и тратя много сил и энергии там, где другой сделает то же дело с гораздо меньшими затратами.
つまり、効率よく働くやり方が身につきにくく、そのぶんを時間と力で補おうとするということです。Filatovaは、この難しさが自己完成への志向とぶつかると書いており、自己完成を求めるからこそ、疲れ果てるまで働く形になると説明しています。
ここでも、位置2・位置4の節と同じく、自分を高めようとする志向が本人に課す負担が記述の中心にあります。
メラニーの義務感—誰にでも好意的なわけではない
Filatovaは、『風と共に去りぬ』のメラニーもEIIの例に挙げ、その義務感を、こう書いています。
しかし、だからといって、EIIが常に、いかなる状況にもかかわらず、誰に対しても変わらず好意的であると考える必要はない。というのも、彼には肥大化した義務感が備わっているからである。それゆえメラニーは、アシュリーが命を守るために誓いを破るべきだというスカーレットの発言に、あれほど憤慨するのである。
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Но не надо при этом думать, что ЭИИ всегда и со всеми неизменно доброжелателен, невзирая на обстоятельства. Ведь ему присуще гипертрофированное чувство долга. Поэтому Мелани так возмущается высказыванием Скарлетт, чтобы Эшли ради сохранения жизни нарушил присягу
言い換えると、EIIの好意は無条件ではなく、誓いを軽んじる発言には強く憤るということです。冒頭の「しかし」で、Filatovaは、EIIを誰にでも好意的な人物と見る読み方を先に退けています。
Filatovaが憤りの理由として挙げているのは、肥大化した義務感です。命を守るためでも誓いを破るべきではない、というメラニーの反応を、Filatovaは規範を守ることへの強いこだわりの例として書いています。
「ヒューマニスト」という名と合う役割
Filatovaは、EIIの別名「ヒューマニスト」の由来と、本人に合う役割を、こう書いています。
不憫に思う気持ち、良心の呵責、恵まれない人々を助けようとする志向が、EIIの意味を持つ名称「ヒューマニスト」の基礎となった。もちろん、才能があれば、EIIもあらゆる芸術に長けることができる。しかし、内向型の抒情家と同様に、ヒューマニストにも、聴衆の前で演じる必要がある場合には深刻な問題が生じることがある。彼にとっては、心理学者、教師、精神的指導者としての役割を演じる方がはるかに自然である。
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Жалостливость, совестливость и стремление помочь обездоленным стало основой смысловому названию ЭИИ — Гуманист. Конечно, при наличии таланта ЭИИ также способен к любому виду искусства, однако, как и для интроверта — Лирика, у Гуманиста могут возникнуть серьезные проблемы при необходимости выступать перед аудиторией. Гораздо естественнее ему выступать в роли психолога, учителя, духовного наставника.
上の引用にある抒情家は、IEIの別名です。つまり、「ヒューマニスト」という名は、不憫に思う気持ちと、恵まれない人を助けようとする志向から来ているということです。
Filatovaは、芸術の才能がある場合でも、聴衆の前で演じることには深刻な問題が生じうると書いています。そのうえで、心理学者・教師・精神的指導者の役割の方がはるかに自然だとしています。
小括します。FilatovaのEII記述は、ロベルトとメラニーを例に、関係の倫理規範への関心と、その規範で自分を厳しく測る姿勢を組み合わせています。この姿勢は、位置2では理想からの逸脱への自己叱責として、位置4では「べき」による自己教育として、位置5では疲れ果てるまでの労働として出てきます。つまり、自分を高めようとする志向が生む負担が、強い機能の節にも弱い機能の節にも書かれています。
一方で、FilatovaはEIIを誰にでも好意的な人物としては書いていません。感情を表に出さない様子を論理型と取り違えないよう断り、義務感からの憤りも書き込むことで、無関心に見える外見の内側にある強い感情と規範を記述の中心に置いています。
10Yermakの記述
Vladimir Yermakは、EIIを、身近な人との関係を良くする手立てを探し、否定的なものからは離れるタイプとして書いています。タイプを情報代謝タイプ(TIM)と呼び、人物像ではなくモデルの位置ごとの働きから記述します。
資料は、『人を理解することを学ぶには』(2005年)の付録2「心のTIMモデルの記述」と、同書第5章のペンネーム一覧です。
1段落にまとめられるEII
付録2では、16のタイプそれぞれの冒頭に、社会的な特徴の1段落が置かれます。Yermakは、EIIの社会的な特徴を、こう書いています。
TIMの社会的(個人的)特性: 身近な周囲における良い関係によく通じており(中略)関係を良くするための可能性を、いたるところで見いだそうと努める(中略)それを行うのは、働く必要、何かをする必要に反応するときである(中略)しかも仕事を、自分と身近な周囲のための快適さ、何らかの便宜(物理的、心理的、情報的、および/またはその他の)をつくり出すことと理解している
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Социальная (личностная) характеристика ТИМ: хорошо разбирается в хороших отношениях в ближнем окружении(中略)и старается повсеместно находить возможности для того, чтобы улучшить отношения(中略)делает это, реагируя на необходимость работать, что-то делать(中略)причем работу понимает как создание комфорта, некоторых удобств (физических, психологических, информационных и/или др.) для себя и ближнего окружения
言い換えると、EIIは、身近な人との関係を良くする手立てを、どこでも探そうとします。その力が表に出るのは、働く必要や何かをする必要に応じるときです。しかも仕事は、自分と身近な人の快適さをつくることだと理解されています。
引用の前半の「良い関係」と「可能性」は自我ブロックのFiとNe、後半の「仕事」と「快適さ」は超イドブロックのTeとSiに対応すると読めます。EIIの社会での役割は、逸話も評価の語もなく、自我ブロックの働きと、表に出る条件だけで書かれています。
否定的なものから離れる
Yermakは、位置1(主導機能)のFiについて、こう書いています。
機能すること—情報アスペクト「関係」(「関係の倫理」)において。身近な心理的距離における、身近な周囲の具体的な肯定的関係をよく理解し、多面的に通じている。否定的な関係にはうまく方向を定められず、それを避けるので、いくらか距離を置いているように見えることがある。
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функция интеллекта ( первая функция модели )(中略)функционирование — в информационном аспекте «отношения» («этика отношений»); хорошо понимает, всесторонне разбирается в конкретных позитивных отношениях на близкой психологической дистанции, в ближнем окружении; в негативных отношениях ориентируется плохо, избегает их, из-за чего может выглядеть несколько отстраненным .
上の引用にある情報アスペクトは、Yermakが情報要素を呼ぶときの名前で、「関係」はFiのことです。Yermakによれば、EIIがよく分かっているのは、身近な距離の良い関係のほうです。否定的な関係では向きを定められずに避けるので、周りからは少し距離を置いた人に見えることがあります。
同じ向きは、位置7(観察機能)のFeの記述にも出てきます。Yermakは、こう書いています。
機能すること—情報アスペクト「感情」(「感情の倫理」)において。悪い感情、気分、状態から「離れ」、良い、肯定的な状態を選ぶ(探す)個人的なプログラム。否定的な状態の理解は、しばしば無意識のうちに悲しげな表情に現れる。
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программная функция (седьмая функция модели)(中略)функционирование — в информационном аспекте «эмоции»(«этика эмоций»); индивидуальная программа «ухода» от плохих эмоций, настроений, состояний, выбор (поиск) хороших, ПОЗИТИВНЫХ состояний; понимание негативных состояний часто неосознанно проявляется в скорбном выражении лица.
上の引用にある情報アスペクト「感情」は、Feのことです。つまり、EIIには、悪い気分や状態から離れ、良い状態を探す筋道があります。否定的な状態が分かっていることは、本人が意識しないまま、しばしば悲しげな表情として顔に出る、とされています。
位置1では関係、位置7では感情と扱う情報は違いますが、どちらも否定的なものから離れる向きで書かれています。規定が中心のYermakの記述で、ここでは外から見える姿まで書かれています。
「ワトソン」という呼び名
Yermakは、第5章のペンネーム一覧で、LSEとEIIをこう並べています。
論理感覚外向 —LSE— ペンネーム「ホームズ」; 倫理直観内向 —EII— ペンネーム「ワトソン」。
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логико-сенсорный экстраверт — ЛСЭ- псевдоним “Холмс”; этико-интуитивный интроверт — ЭИИ - псевдоним “Ватсон”.
ホームズとワトソンは、コナン・ドイルの小説の探偵と、その相棒の組です。LSEとEIIは双対の関係にあるので、ここでは、双対の2つのタイプが1組の人物の名で呼ばれています。
一方、アウシュラの記述では、EIIは作家の名から「ドストエフスキー」と呼ばれます。Yermakの一覧では、同じタイプに別の人物の名が付けられています。愛称は、正式名(倫理直観内向)と略号(EII)のあとに添える、「ペンネーム」という別名として扱われています。
小括します。YermakのEII記述は、付録2の社会的な特徴と位置ごとの規定で組まれ、人物の逸話はありません。その中でEIIは、身近な人との関係を良くする可能性を探すタイプです。
また、主導機能のFiでも観察機能のFeでも、否定的なものからは離れる向きが書かれています。その向きが、距離を置いた様子や悲しげな表情として外に出ることがある、というところまで記述されています。呼び名も、アウシュラの「ドストエフスキー」とは別に、双対のLSEと対になる「ワトソン」です。
11Karpenkoの記述
Karpenkoは、EIIを、史料から判定した歴史上の1人の人物の像として書いています。その人物は、ピョートル1世の息子である皇子アレクセイです。Olga Karpenkoは、キエフの国際ソシオニクス研究所でBukalovとともに活動し、機関誌の編集にも携わってきた研究者です。
この章の底本は、1996年の論文「ソシオニクスから見たピョートル1世の人格」のうちアレクセイを扱った箇所と、2002年のクアドラの順位づけの論文です。どちらの記述にも機能の番号は出てこず、Karpenkoは要素を関係の倫理(Fi)や意志的感覚(Se)のようなアスペクトの名で呼びます。
父ピョートルとの衝突関係
Karpenkoは、ピョートル1世とアレクセイの関係を、こう書いています。
ピョートルの伝記のなかで最も悲劇的な性格を帯びているのは、息子アレクセイとの相互関係である。衝突関係という複雑な心理的状況(アレクセイは(INFJ、EII)タイプ—(ESTP、SLE)タイプの衝突相手—に属していた)の上に、国の文化的・政治的生活における2つの潮流—ピョートルの諸改革を支持する潮流と、ロシアの民族文化的な姿の独自性を守ろうとする潮流—の対立が重なった。
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Наиболее трагический характер в биографии Петра носят его взаимоотношения с сыном Алексеем. На сложную психологическую ситуацию отношений конфликта (а Алексей принадлежал к типу (INFJ, ЭИИ) - конфликтеру типа (ESTP, СЛЭ)) наложилось противостояние двух течений в культурной и политической жизни страны - поддерживавшего петровские реформы и стремившегося сохранить самобытность этнокультурного облика России.
上の引用の(INFJ、EII)は、ソシオニクスの側で使われてきた4文字の表記で、MBTIのINFJを指すものではありません。当サイトの対応では、EIIはINFP相当です。
つまり、父と息子の衝突関係の上に、改革派と伝統派の対立が重なったということです。Karpenkoはアレクセイの悲劇を、タイプ間の関係と、国の政治的な対立の2つから説明しています。
史料に残る皇子の行動
Karpenkoは、判定の材料として、アレクセイについての史料の記述をこう引いています。
皇子は知識欲が旺盛だった。彼が自らの手で付けていた旅の出納帳から分かるのは、立ち寄ったすべての町で、彼がほとんど何よりも先に本を、それもかなりの金額で買っていたことである(中略)皇子は友人たちの運命に生き生きとした関心を寄せ、金銭で、助言で、しかるべき筋への取りなしで、彼らを助け、力になろうと努め、多くの施しを与えた。自分の誤りや行き過ぎを認める用意があった。
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Царевич был любознателен: от путевой расходной его собственноручной книжки мы видим, что во всех городах, где он останавливался, покупал почти прежде всего книги и на значительные суммы… 〔中略〕 Царевич принимал живое участие в судьбе своих друзей и старался им помогать и служить деньгами, советами, ходатайством в местах, подавал много милостыни. Готов был сознаваться в своих ошибках или увлечениях.
言い換えると、アレクセイは旅先の町でまず本を買い、友人を金銭や助言や取りなしで助けたということです。さらに、自分の誤りを認める用意があったことも挙げられています。これはKarpenko自身の観察ではなく、Karpenkoが根拠に選んだ史料の記述です。
Karpenkoは、同じ箇所で、ロシアの代理人ギュイセンの証言を引き、自分の記述を続けています。
彼は譲歩的で物静かな気質で、自分の養育において欠けていたものを、大いなる勤勉によって補いたいという願いを見せている。私は彼のなかに、敬虔さ、公正さ、実直さ、品行の清らかさへの大きな傾きを認める(中略)信仰心はアレクセイの深い資質であり、最も苦しい時—すでに獄中で—彼のほとんど唯一の願いは、(ピョートルには内密の)聴罪司祭を求める願いだった
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он уступчивого и тихого нрава и показывает желание пополнить большим прилежанием то, что было упущено в его воспитании. Я замечаю в нем большую наклонность к набожности, справедливости, прямоте и чистоте нравов… 〔中略〕 Религиозность была глубоким качеством Алексея, и в тяжелейшую минуту - уже в тюрьме - почти единственной его просьбой была просьба о духовнике (втайне от Петра)
つまり、ギュイセンの目には、アレクセイは譲歩的で物静かで、敬虔さと公正さに傾いた人物と映っていました。そのうえでKarpenkoは、信仰心をアレクセイの深い資質と書き、獄中での願いをその例に挙げています。
知識欲、友人への援助、誤りを認める用意、譲歩的な気質、信仰心という具体の行動が、このあとの判定の材料になります。
『虐げられた人びと』—立場と素因の重なり
Karpenkoは、アレクセイの置かれた状態を、作家ドストエフスキーの長編の題名に重ねて、こう書いています。
「忘れられ、追いつめられ、貶められた」—これは、彼の内的状態の特徴づけでもあり、家庭的・政治的環境における現実の立場の特徴づけでもあり、アレクセイの心理的な素因でもある(中略)ドストエフスキーの長編小説の題名—『虐げられた人びと』—を思い出さずにいられようか
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“Забытый, загнанный, униженный” - это характеристика и его внутреннего состояния, и реального положения в семейной и политической обстановке, и психологическая предрасположенность Алексея (как тут не вспомнить название романа Ф.М.Достоевского - «Униженные и оскорбленные»).
言い換えると、「忘れられ、追いつめられ、貶められた」という句は、アレクセイの内面と立場と素因を同時に表しているということです。Karpenkoはここで、作家ドストエフスキーの『虐げられた人びと』を思い出しています。
作家ドストエフスキーは、EIIの愛称に使われている名でもあります。EIIと判定した人物の描写に、愛称と同じ作家の作品が重なっていることになります。
判定の根拠—Fiの表出とSeの弱さ
Karpenkoは、ここまでの材料から、アレクセイの判定をこうまとめています。
ソシオニストの眼差しには、アレクセイの内向性も、直観性も、クアドラに特有の、古きもの・伝統・確立した秩序への愛着も、はっきり表出した関係の倫理(中略)も、同じくらいはっきりした意志的感覚(中略)の弱さも、明白である。ほんの数筆ではあるが、まったく明瞭に描き出された(中略)(INFJ、EII)の像である。
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Взгляду соционика очевидны и интроверсия, и интуитивность Алексея, и свойственная квадре приверженность к старине, традиции, установившемуся порядку, явно выраженная этика отношений и столь же явная слабая волевая сенсорика . Всего лишь несколькими штрихами, но вполне явственно прорисованный образ (INFJ, ЭИИ).
上の引用にある関係の倫理はFi(内向倫理)、意志的感覚はSe(外向感覚)のことです。つまり、Karpenkoは、Fiの表出と、同じくらいはっきりしたSeの弱さを、EIIと判定する根拠に挙げています。
EIIの配置では、Fiは位置1(主導機能)、Seは位置4(脆弱機能)に置かれています。強い位置と弱い位置の両方を判定に使っている点が、この判定の特徴です。伝統と確立した秩序への愛着も、Karpenkoはクアドラに特有のものとして根拠に加えています。
Karpenkoは、わずかな筆致でも像ははっきり描かれていると見ています。史料の短い記述から要素を読み取れるという判断です。
デルタクアドラの赦し—弁明を探す言い方
Karpenkoは、クアドラの順位づけの論文で、EIIの言い方を、同属のESIと並べてこう書いています。
第4クアドラ(デルタ)では関係の倫理(▽(Fi))の次元数は3に等しい。(中略)だから赦しも、γクアドラよりδクアドラでのほうが得やすい—過ちが抗しがたい条件の、外的または内的な条件の影響下で犯されたのだと説明できさえすれば。たとえば▽(Fi)▲(EII)は、過ちには弁明が見つかりうる(中略)と非常によく言う。同様の状況での▽(Fi)●(ESI)の見解はより断固としている:「人が一度つまずいたのなら—気の毒に思うこともある。だがそれが常態なら—そういう人間は私に何の感情も呼び起こさない。そういう状況で私は容赦しない」
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В четвертой квадре мерность этики отношений () равна трем. 〔中略〕 Поэтому и прощение легче получить в δ- квадре, нежели в γ, если только удастся объяснить, что проступок был совершен под влиянием непреодолимых условий, внешних или внутренних. Так, (ЭИИ) очень часто говорят, что про- ступку может быть найдено оправдание, 〔中略〕 Мнение (ЭСИ) в подобных ситуациях более категорично: «Если человек оступился один раз — мне может быть его жалко, но если это постоянно - у меня эмоций этот человек не вызывает, я в та- ких ситуациях беспощаден»
上の引用にある第4クアドラとδクアドラは、EIIの属するデルタクアドラのことです。言い換えると、デルタクアドラでは、過ちの事情が説明できれば、赦しが得やすいということです。EIIの「過ちには弁明が見つかりうる」という言い方は、その例として挙げられています。
一方、同じFiを主導に持つESIは、つまずきが常態になった人には容赦しないと言います。同じFi主導でも、クアドラによって赦しの条件が違うという対比です。
小括します。KarpenkoのEII記述は、皇子アレクセイという1人の歴史人物の判定に集まっています。第一に、アレクセイの悲劇を、父ピョートル(SLE)との衝突関係に時代の対立が重なったものとして書きました。第二に、史料が伝える知識欲・友人への援助・誤りを認める用意・譲歩的な気質・信仰心を材料に、Fiの表出とSeの弱さからEIIと判定しました。第三に、クアドラの論文では、過ちに弁明を探すEIIの言い方を、同属ESIの断固とした見解と並べています。Karpenkoの力点は、史料に残る行動から要素を読み取る手順にあります。
12Gulenkoの記述
Gulenkoは、EIIを、人の価値観に関心を向け、共感する力を持つタイプとして書いています。Viktor Gulenkoはキエフで「人道主義ソシオニクス」学派を主宰する研究者で、独自のモデルG、DCNHサブタイプ、独自のタイプ名を持つ体系を組みました。EIIに付けたタイプ名は人道家(Humanist)です。
Gulenkoの体系は標準のモデルAから大きく離れた後発の独自体系で、用語も標準体系と紛らわしいため、Gulenkoの記述はこの章にまとめ、他章の記述と混ぜません。底本は『64の肖像』(2019年)です。DCNHサブタイプは20章で扱います。
プロファイルから—価値観への関心と、人どうしの関係を見分ける目
Gulenkoは、EIIの主な資質を、こう書いています。
EIIの2つの主な特徴的な資質は、人間の価値観への関心と、共感のための発達した能力である。EIIは他者と安定した、好意的で友好的な関係を維持しようとする。人々に耳を傾け、彼らの感情的ストレスを和らげ、客観的でいながら論争を仲裁する。サポートを求めて頼ってくる者を快く助ける。侵害者や悪意ある者に注意を集中させ、悪い記憶を蓄積することを好まない。
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Two of Ell’s main distinguishing qualities are an interest in human values and a developed capacity for compassion. Eli tries to maintain stable, well-wishing, and friendly relations with others. She listens to people, alleviates their emotional stress, and reconciles arguments while remaining objective. She readily helps those who turn to her for support. She prefers not to focus attention on her offenders and ill-wishers and accumulate ill memories.
言い換えると、EIIの中心にあるのは、人の価値観への関心と、共感する力だということです。Gulenkoはそこから、人の話を聞いてストレスを和らげることや、論争の仲裁、頼ってくる人への手助けといった行動を並べています。
引用の最後では、悪い記憶を溜め込むことを好まないとも書いています。
一方で、Gulenkoは、EIIが人どうしの関係を見分ける力と、その力が自分に向いたときの見誤りを、こう書いています。
EIIは他者の人々の間にどのような関係が存在するかを鋭く識別する。誰が誰とうまくやっているか、誰が誰とうまくやっていないかを知っている。しかし、自分自身に向けられた態度、すなわち他者がどんな点で自分を評価しているかを正しく識別することは、それほど得意ではない。これゆえ、騙されやすすぎることで苦しむことがある。(中略)裏切りや背信を許さず、深刻に失望させた者とのすべての関係を断ち切る。しかし、侵害者が心から悔い改め、許しを乞う場合、許すことはあるかもしれない。
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Eli keenly discerns what kind of relationships exist between other people. She knows who does and doesn’t get along with whom; however, she is not as adept at correctly discerning the attitudes directed towards herself i.e. in what regard others hold her. Because of this, she may suffer by being too gullible.〔中略〕She does not forgive treachery and betrayals and will break off all relations with those who have seriously let her down. She may, however, forgive her offenders if they sincerely repent and ask for her forgiveness.
つまり、他人どうしの関係は鋭く見分けても、自分がどう評価されているかは見誤りやすいということです。Gulenkoは、騙されやすさをこの見誤りから出てくるものとして書いています。
裏切りについては、関係をすべて断つと書いています。そのうえで、相手が心から悔い改めて許しを乞うなら、許すことがあるかもしれないと、留保をつけています。
強制への反論と、身近な人への激発
Gulenkoは、EIIが人に圧をかけない一方で、圧をかけられると言い返すことを、こう書いています。
EIIは感情的に意識的で印象を受けやすく、無感覚さや厳しさを認めない。他者を強制し圧をかけて何かをさせることはできず、こうした断定性を見せるのを好まない。しかし、自分自身が圧をかけられると、鋭く反論することができる。時折自信がなく、率先性を失う。彼女の最も強い処罰の形式は、相手の人物を完全に無視することである。彼女が断るのが難しいと感じるため、他者が利用することがある。
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Eli is emotionally aware and impressionable; she disapproves of insensitivity and harshness. She is unable to coerce and pressure others to do things, and doesn’t like showing this kind of assertiveness; however, if she is pressured herself, she can deliver a sharp rebuke. At times, she is unsure of herself and loses initiative. Her strongest form of punishment is the complete disregard for another person. Others can take advantage of her because she finds it difficult to turn them down.
上の引用にある「彼女」は、EIIを指します。言い換えると、EIIは人に圧をかけて動かすことはしないが、自分が圧をかけられると鋭く反論するということです。
Gulenkoが最も強い処罰として挙げているのは、相手を完全に無視することです。同じ引用で、断るのが苦手なために利用されることがある、とも書いています。圧をかけない態度が、反論と無視という別の形で相手に示される、という観察です。
Gulenkoは、外に見せない内面の緊張について、こう書いています。
自分の経験は身近な者にだけ共有する。内面的には、感情的に緊張し神経質である。自分の感情を制御することはできるが、時折、感情の解放を必要とする。そうした場合、制御を失い、利己的な動機、嘘、無関心を非難して、友人や親族に怒りと憤りで激発する可能性がある。
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She only shares her own experiences with those who are close to her. Internally, she is emotionally strained and nervous. Although she is able to control her own emotions, she occasionally needs to have an emotional release. In such instances, she loses control and may lash out in anger and indignation at her friends and relatives, accusing them of selfish motives, lies and indifference.
Gulenkoによれば、EIIは感情を抑えることはできても、ときどき解放が要るということです。そのとき、友人や親族に向けて、利己的な動機や嘘、無関心を責める形で怒りが出ることがあると書いています。
怒りの向かう先が身近な人で、責める中身が利己心・嘘・無関心だという点が具体的です。友好的な関係を保とうとする姿と、身近な人への激発が、Gulenkoの記述の中では並んでいます。
自己改善の提言—「ノー」と言うこと
Gulenkoは、自己改善の節で、EIIの課題を二人称でこう書いています。
あなたを悩ませる主な問題は、決断力と断定性の欠如、他者に直接的・意志的な形で要求できないことである。あなたのアプローチには、ある程度の慎重さと臆病さが固有である。他者に感情的に敏感で、押しつけがましく見えたくない。(中略)あなたへの推薦は、自分を守る能力を発達させることである。すなわち、不満を率直に表明し、あなたを利用する者には慈悲を見せず、誰かの個人的な利益のために自分を使われることを許すな。「ノー」と言うことを学べ。見知らぬ人にあまり共感せず、身近な人々にもっと注意を払え。
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The main problem that worries you is your lack of resolution and assertiveness: an inability to make demands of others in a direct and willful form. There is a measure of caution and timidity that is inherent to your approach to some extent. You are emotionally sensitive to others and don’t want to seem obtrusive.〔中略〕A recommendation for you is to develop your ability to defend yourself: directly express your grievances, do not show mercy towards those who take advantage of you, and don’t allow yourself to be used for anyone’s personal gain. Learn to say “no.” Empathize less with strangers and pay more attention to the people who are close to you.
言い換えると、Gulenkoは、決断力の不足と、人に直接要求できないことをEIIの主な問題に挙げているということです。そのうえで、不満を率直に言い、利用する相手には慈悲を見せず、「ノー」と言えるようになるよう勧めています。
この提言は、断るのが苦手なために利用されることがある、という前の節の観察と同じ弱点に向けた処方です。見知らぬ人より身近な人に注意を向けよ、という最後の一文は、共感する力の使い道を絞るよう求めています。
モデルG—「人道家」の位置の並び
読むときの注意として、モデルGはモデルAと位置の意味が違い、EIIで要素が一致するのは位置1(Fi)と位置3(Ti)だけです。例えば、モデルAで位置2(創造機能)にあるNeは、モデルGでは顕示機能と呼ぶ位置5に置かれています。
Gulenkoは、この顕示機能の節で、EIIをこう書いています。
新しい普通でない物事は彼女を引きつける。自己教育を愛し、典型的に精神的または人道的分野で、様々な教えと理論の関係を見出そうとする。誰も彼女ほどに、宗教が人々の生活に与える影響を理解していない。
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New and unusual things attract her. She loves self-education and tries to find the relationship between different teachings and theories, typically in spiritual or humanitarian fields. Nobody else understands the impact of religion on people’s lives as much as her.
つまり、EIIは新しいものに引かれ、精神的・人道的な分野で、教えや理論どうしの関係を探すということです。この節の記号+IはNe(外向直観)を表します。
Gulenkoは、Neの位置の記述の中でも、新しさへの関心を、宗教や教えが人の生き方にどう関わるかという話に結び付けています。
Gulenkoは、関係倫理(+R)のうち「赦しの倫理」と呼ぶ型を、こう書いています。
人々を信頼し、赦し、悲しみ、慰め、よく扱うこと。そのような倫理は人道家にある。
Gulenkoは、人を信頼し、赦し、慰める倫理を、人道家の倫理と見ています。+RはモデルAのFi(内向倫理)を表す記号で、この要素はモデルGでもEIIの位置1に置かれています。
プロファイルで、心から悔い改めた相手なら許すことがあると書いていたことと、同じ向きの記述です。
人道主義ソシオニクスのレベル分けと、レイニン特性との違い
Gulenkoは自分の学派のアプローチを、レベルの重なりとして、こう説明しています。
人道主義ソシオニクスにおいて精神がどのように層が層の上に積み重なった立体的な体系として考えられているかを、より精確に見てみましょう—深い核、中間層、そして表層です。HSS のアプローチで考察される精神のすべての層の範囲は、次のようになります—ソシオタイプ(当サイトでいうタイプ)、サブタイプ、機能プロフィール、機能状態。
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Let’s look more precisely at how the psyche in Humanitarian Socionics is considered a volumetric system of layers stratified one upon another: the deep core, the middle layers, and the surface. The whole scope of the considered layers of the psyche in the HSS approach looks like this: sociotype, subtype, functional profile, functional state.
上の引用にあるHSSは、人道主義ソシオニクス学派の略称です。言い換えると、タイプの下にサブタイプ、さらに機能プロファイル・機能状態とレベルを重ねる構想です。人道家というタイプ名は、このうちソシオタイプのレベルの名前です。
そしてGulenko自身が、自分の二分法が標準のレイニン特性と一致しないことを、こう明言しています。
特に、安定的な組織的リーダーになるためには、ビジネス論理(P(Te))および/または力の感覚(F(Se))が機能プロファイルの中で強化されている必要があります。この場合、SLE(元帥)またはLSE(管理者)のタイプである必要はありません。このような機能の複雑性の強化は、どのタイプの代表者にも、レイニンの周知の特性とその意味において一致しない(あるいはむしろ部分的にしか一致しない)新しい二分法的特徴があるという事実につながりました。(中略)「機能的」と強調するのは、それらが特定のコミュニケーション環境での機能発揮の過程の中で生じ、標準的なソシオニクスのタイプが持つ生得的で不変の構造とは関連していないからです。
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Such an intensification of the complexity of functions led to the fact that representatives of any type had new dichotomous features that did not coincide (or rather, only partially coincided) in their meaning with Reynin’s well-known features. […] I emphasize functional, as they arise in the process of functioning in a specific communicative environment and are not related to the innate and unchanging structure that a standard socionic type has.
つまり、Gulenkoの新しい二分法は、レイニン特性と一致しない(部分的にしか一致しない)と、本人が書いているということです。リーダーに向くかどうかも、SLEやLSEといったタイプではなく、機能プロファイルで強化された要素で決まるという立場です。
この立場では、二分法の特徴は、タイプの構造ではなく機能プロファイルの水準の話になります。そのため、Gulenkoの構造の主張を標準体系のEII理解に流用すると、出所の違う主張が混ざります。
小括します。GulenkoのEII記述は、プロファイルの水準では、人の価値観への関心と共感、人どうしの関係を見分ける目を中心に置きます。そのうえで、自分への評価の見誤り、圧をかけられたときの反論、処罰としての無視、身近な人への激発、断れなさという、友好的な姿と並ぶ面も書いています。一方、モデルGの位置の並びと機能的二分法は、標準のモデルAとそのまま対応しません。そのためこの記事では、プロファイルの観察は「Gulenkoの観察」として扱い、構造の主張は別の体系のものとして出所を付けて扱います。
13その他の論者の記述
主要な研究者のほかにも、EIIのプロファイルは多くの論者が書いてきました。形式はばらばらですが、人の内面を見抜くことと、力で押すことへの抵抗は、系統の違う資料で繰り返し書かれています。一方で、人を良い悪いに分けるかどうかでは、資料どうしがはっきり食い違います。資料には、コミュニティのサイトや編纂資料の記述も含みます(出典行で区別できます)。
Weisband—行動で示す世話と、忠誠の要求
Weisbandは、アウシュラの資料をもとにした初期のハンドブックで、EIIがパートナーに求めるものを、こう書いています。
行為は最高のケア。彼のパートナーは、知性、論理、要求、保護する能力を通じて、彼が時々必要とする心地よい感情を提供できる。人は約束の時間に現れ、約束を果たし、礼儀正しく、思慮深くなければならず、愛のさらなる証拠やさらなる会話は必要ない。もし最も賢い対話者が短く決然とした定式化の代わりに思索の形で意見を説明するなら、EII〔原文: ドストエフスキー〕は彼と一緒にいて常に不満で不幸を感じる。そして彼がパートナーに求める主な要件は:忠誠である。彼は不貞を許さない。
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Deed is the best care. His partner can provide pleasant emotions he needs from time to time through intelligence, logic, demands, and ability to protect. One needs to show up for the rendezvous on time, fulfill promises, be polite, thoughtful, and there is no need in more proofs of love or further conversations. If the smartest interlocutor explains his opinion in the form of speculations, instead of short and resolute formulations, then Dostoyevsky feels permanently dissatisfied and unhappy of being together with him. And his main requirement to his partner is: faithfulness. He does not forgive infidelity.
言い換えると、EIIにとっては、約束の時間に来て約束を守ることが、愛情の何よりの証拠になるということです。求める条件の筆頭は忠誠で、不貞は許さないとされます。
言葉を重ねるより、相手が短く決然とした言い方で意見を示すことを求める、とも書かれています。論理や決然とした言い方をパートナーの側に求める点は、位置5(暗示機能)のTe(外向論理)を人から受け取るという配置と、同じ向きの記述と読めます。
Prokofieva—道徳の導き手と、義務を説く口ぐせ
Prokofievaは、EIIが人に向ける注意を、こう書いています。
EIIはあらゆる人格に注意を払う。なぜなら、彼はそれをそれ自体で一つの完全な世界、個人的な美しさが粗野さ、怒り、憎しみと入り混じった器として見るからである。TIM EIIは、この人の年齢に関係なく、精神的・道徳的な導き手であり、助言者である。心が乱れ悲しみに暮れた人々が、誰かの肩で泣きたい時、心が痛む時に、慰めを求めて彼のもとを訪れる。
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EII is attentive to every personality, for he sees it as an entire world in itself, a vessel, where personal beauty is intermixed with crudeness, anger, and hatred. TIM EII is a spiritual and moral shepherd, a mentor irrespective of this person’s age. Those who are distraught and in grief turn to him for consolation, when they need to cry on somebodys shoulder or their heart is aching.
上の引用にあるTIMは、情報代謝タイプ(ソシオニクスのタイプ)のことです。Prokofievaは、EIIは年齢にかかわらず、悲しむ人が慰めを求めて訪れる相手になると見ています。その理由には、人を、美しさと粗野さが混じり合った一つの世界として見ることが挙げられています。
続けて、Prokofievaは、EIIの欠点をこう書いています。
EIIの欠点の一つは、意志的感覚の欠如であり、それは暴力や物理的な力の行使に対する妥協を許さない態度として現れる。同時に、EIIのお気に入りの言い回しのほとんどは義務への呼びかけである。結果として、EIIは避けることができたはずの過度な大騒ぎを生み出してしまう。(中略)このタイプの代表者はしばしば理想や理念を擁護する一方で、豪華な服を着たい、贅沢な食事をしたいといった「ブルジョワ的」な表れを脇に退けて批判する。EIIの犠牲的な態度は、それを必要としていない人々に向けられることもある。
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One of EII’s shortcomings is deficiency of volitional sensing, which shows itself as an irreconcilable attitude towards violence and use of physical force. At the same time, most of EII’s favorite sayings - are appeals to obligation. As a result, the EII produces excessive fuss which could be avoided.〔中略〕Representatives of this type often defend ideals and ideas, while putting aside and criticizing “bourgeois” manifestations such as the desire to dress and to eat lavishly. EII’s sacrificial attitude may be aimed at people who have no need in it.
上の引用にある意志的感覚は、Se(外向感覚)の別名で、EIIでは位置4(脆弱機能)に入る要素です。Prokofievaは、Seの欠如が、力の行使に妥協しない態度となって現れると書いています。そこに義務を説く言い回しが重なって、避けられたはずの騒ぎを生むという見立てです。
贅沢を「ブルジョワ的」として退けることや、必要とされていない相手への犠牲的な態度も、同じ欠点の並びに置かれています。Prokofievaは、理想を守ろうとする姿勢の行き過ぎを欠点として並べていると読めます。
Meged & Ovcharov—柔らかいまなざしと「無言の非難」
MegedとOvcharovのプロファイルは、外見の描写から入ります。2人は、EIIのまなざしをこう書いています。
EIIのまなざしはしばしば注意深く、分析的で、鋭敏で見分ける力があるが、柔らかい。時にやや超然として散漫に見え、他の時には目の前の人を研究するように、内気で当惑したように見える。時折EIIの視線は、隠されて表現されていない思考や印象の結果として、無言の非難を表す。
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EII’s gaze is often attentive, analyzing, astute and discerning, but soft. Sometimes it seems a little detached and scattered, other times studying the person before him, shy and embarrassed. Now and then EII’s gaze expresses a silent reproach as a consequence of his concealed and unexpressed thoughts or impressions.
言い換えると、EIIの視線は注意深く鋭いが、柔らかいということです。ときに相手を研究するように当惑して見え、口に出さない思考や印象が、無言の非難として視線に出ることもあると書かれています。
Golihov—モットー式の機能記述
Golihovは、機能の位置に「良い」「したい」といった独自の名前を与え、各位置にひとことのモットーを添えます。番号づけは独自で、第4機能「したい」は、現行の位置5(暗示機能)に相当します。Golihovは、その第4機能を、こう書いています。
第4機能「したい」—客体の論理。「民間人が規約に従って暮らさないのは残念だ。」
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4 function of “I want” - the logic of the object. “It is a pity that civilians do not live according to the ordinance.”
上の引用にある客体の論理は、Teのことです。Golihovのモットーでは、位置5のTeは、決まった規約に沿って暮らすことへの憧れとして表されています。
位置5は、自分では扱いにくく、人から与えられると安心できる要素が入る位置とされます。規則が外から与えられることを望むという向きは、Weisbandが書いた、短く決然とした定式化を求める姿とも重なります。
socionics.ua—天性の心理学者と、同意しない相手への不寛容
ウクライナのソシオニクス系サイトのプロファイルです。socionics.uaは、EIIが人をどう見るかを、こう書いています。
EIIは誰かの人格の発展の可能な道筋を見る。潜在的な才能を探し、有望で興味深い個人に容易に魅了される。内面的な見積もりにおいて、具体的な行動との結びつきを求め、それに基づいて評価する。天性の心理学者である。
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EII sees the possible paths of development of someone’s personality. She searches for latent talents, gets easily captivated by promising and interesting individuals. In her inner estimates, she seeks links to concrete behaviors, and on these she bases her evaluations. She is a natural psychologist.
つまり、EIIは人の潜在的な才能と、その人が伸びていく道筋を見て、有望な人に惹かれるということです。内面の評価を具体的な行動と結びつけて下す点は、Weisbandの「行為は最高のケア」と同じ方向を向いています。
同じプロファイルは、EIIの評価に同意しない相手への態度を、こう書いています。
EIIはしばしば他者に対して愛想がよく思いやりがあり、褒め言葉を通じて好意を示すが、自分の好意的でない人物や、自分を阻害されたり脅かされたりしていると感じさせる人物に対しては、より多くの無神経さや粗野さを許容することがある。(中略)個人的・倫理的な事柄についての自分の評価、友情や愛に関する判断、性格や関係に関する問題について同意しない者に対して不寛容になる。そのような場合、冷静さを失い、怒り、強制的にさえなることがある。もし誰かに傷つけられたら、謝罪や補償を受けるまで休まない。
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EII is often amiable and compassionate towards others, shows her goodwill by compliments, though she may allow herself more insensitivity and crudeness towards people who are not in her good favor, or who make her feel thwarted or threatened. She is very sensitive towards remarks concerning her performance and abilities. She grows intolerant of those who do not agree with her evaluations of personal and ethical matters, her judgements on issues of friendship and love, character and relationships. In such instances she may lose her composure, become angry and even forceful. If someone has offended her, she won’t rest until she receives an apology or a compensation.
socionics.uaによれば、EIIは倫理的な評価に同意しない相手には不寛容になり、傷つけられれば謝罪か償いを得るまで引かないとされます。争いを好まないという一般像とは、向きの違う観察です。
Piatnitskiy—圧力をかける場面での困難
Piatnitskiyの短評は、ブロックごとに数行です。超自我ブロックについては、EIIが力を使う場面を、こう書いています。
意志的な圧力、プレッシャー、力の行使による影響の実行は、もっぱら個人的な経験に基づいてのみ行われる。必要に応じて、世界秩序の体系を擁護し、対話者に自分の見解を受け入れさせようとする。しかしながら、そのような圧力を遂行する必要がある時に困難を経験し、意志的な資質に関する批判、および暴力的であることの必要性に敏感になる。
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Implementation of volitional pressure, pressure, impact of the use of force only on the basis of personal experience. If necessary, it defends the system of world order, trying to force the interlocutor to accept his point of view. However, experiences difficulties when necessary to carry out such a pressure sensitive about criticism of volitional qualities, as well as the need to be violent.
つまり、EIIは圧力をかけるとき、自分の経験だけを頼りにし、いざその場面になると困難を覚えるということです。意志的な資質への批判に敏感になる、という一句は、Prokofievaが欠点に挙げた意志的感覚の欠如と、同じ所を指しています。
16章で見る次元性の整理では、位置4(脆弱機能)の要素は1次元で、個人の経験だけを手がかりにするとされます。「もっぱら個人的な経験に基づいてのみ」という一句は、この整理と同じ方向の記述です。
Beskova—「良心そのもの」に見つめられる
Beskovaは男女別に肖像を立て、外見の描写から入ります。男性のEIIについては、こう書いています。
若いINFjの男性は、控えめで、礼儀正しく、繊細であり、熱心な読書家であり、総じてインテリである。ほとんどの場合、細身の体型をしている。声は静かで、眼差しは穏やかで、微笑みは愛情深く、思考体系は精巧である。(中略)INFjの男性と話をすると、まるで良心そのものがあなたの目を見つめているかのように感じる。人を理解する才能がある。
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Young male INFj is modest, tactful, and delicate, an avid reader and generally an intellectual. Most frequently he has a slender build. He has a quiet voice, gentle gaze, affectionate smile and an elaborate system of thoughts.〔中略〕When you speak to male INFj it seems like the conscience itself is staring into your eyes. He has a gift for understanding people.
上の引用にあるINFjは、ソシオニクス式の4文字表記でEIIのことです(MBTIのINFJではありません)。Beskovaは、EIIの男性と話すと、良心そのものに見つめられているように感じると書いています。細身の体型や静かな声といった外見の一般化は、検証の難しい記述です。
一方で、対面の印象に道徳の評価が表れるという点では、Meged & Ovcharovの「無言の非難」と同じ所を見た記述と読めます。
その他の論者
Blohinのプロファイルは、キーワードと短い句を並べる形で書かれています。EIIの項目には、頼まれると断れないことや、不快な心理的雰囲気では働けないことが並び、「悪い平和は良い喧嘩に勝る」という諺が添えられています。
Voroschenkoの記述は、Wikisocionの要約の形で読めます。要約によれば、Voroschenkoは、EIIは粗野で厳しい感情を表すより、繊細な感情に敏感に深く反応すると見ています。
Golihov・Socioscope—人を「良い」と「悪い」に分けるか
最後に、系統の違う2つの資料が、正反対のことを書いている例です。Golihovは、第1機能「良い」のFi(内向倫理)の段で、EIIが人をどう分けるかを、こう書いています。
自分の感情や誰かに対する関係において非常に愛情深く保守的であり、一度誰かに対して抱いた感情に忠実である。(中略)人々を「良い」と「悪い」に非常に明確に分けている。「良い」人には完全な愛情で好み、「悪い」人には完全な憎しみで軽蔑する:しばしば隠されているが、時に公然と、特にその人が非常に強い否定的感情を引き起こす場合。
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Very affectionate and conservative in his feelings and relationships towards anyone, faithful once had the feeling to someone.〔中略〕They have a very clear division of people into ‘good’ and ‘bad’. “Good” like, as “bad” despise perfect hatred: often hidden, sometimes openly, especially if the person is very much a strong negative causes.
言い換えると、EIIは一度抱いた感情に忠実で、人を良い人と悪い人にはっきり分けて扱うということです。悪い側への軽蔑は、ふだんは隠されていても、強い否定の感情を引き起こされると表に出るとされます。
一方、Socioscopeは、同じ点をこう書いています。
EIIには人を理解する生来の才能があり、いかなる「仮面」の裏にも、人間の内面、その道徳的可能性を今すぐ見ることができる。しかし彼は人を「良い」と「悪い」に分けない。最も不道徳で残酷な人間にも常に善の金塊を見出せると信じているからだ。
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In EII innate gift of understanding people, for any "mask" he can now see the inside of man, his moral potential. But he does not divide people into "good" and "bad", as believed in the fact that even in the most immoral and cruel man can always find nuggets of goodness.
Socioscopeは、EIIは仮面の裏にある人の道徳的な可能性を見るので、どれほど残酷な人にも善の部分を見出せると信じていると書いています。人を分けるかどうかで、Golihovとは正反対の記述です。
ただし、Socioscopeは、許しには限界があることも、こう書いています。
EIIには尽きない愛とともに許しの揺るぎない限界がある。もし彼がすべての状況を修正する試みが結論に至らないことを見て、この人が彼を適切に理解しようとしないことを見れば、礼儀正しいけれども彼と何も関わりたくないという不可侵の壁で「フェンスを築く」ことになり、彼を近づけないだろう。
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In EII with his inexhaustible love is unshakeable limits of forgiveness. If he sees that all his attempts to fix the situation is inconclusive, that this person does not want to properly understand it, then it "fence off" from it by an impenetrable wall of polite reluctance to have any whatsoever with him and will not allow him close to you .
つまり、関係を直そうとしても相手が理解しようとしなければ、礼儀正しい壁を築いて近づけないということです。人を分けないとしたSocioscopeも、関わりを断つ相手がいることは認めています。
小括します。この章の資料は、初期のハンドブック、モットー、ブロックごとの短評、男女別の肖像、キーワードの列挙と、形式がばらばらです。それでも、中身には同じ観察が繰り返し現れます。
1つは、人の内面や可能性を見抜くという観察です。Prokofieva・socionics.ua・Beskova・Socioscopeが書いています。もう1つは、力で押すことへの抵抗と困難(位置4のSe)で、ProkofievaとPiatnitskiyが書いています。
一方で、人を良い悪いに分けるかどうかと、傷つけられたときにどう応じるかでは、資料どうしが食い違います。Golihovとsocionics.uaは評価の線をはっきり引くEIIを書き、Socioscopeは人を分けないEIIを書きながら、許しの限界も認めています。
14研究者間の差分を総括する
この章には新しい引用はありません。研究者ごとの章で示した記述を、当サイトの責任で突き合わせます。
反復して現れる観測
研究者・時代・学派をまたいで繰り返される観測は、次の5つに整理できます。
- 人と人との関係を細かく見分ける。相手の感情と同じ状態に入る(アウシュラ)、感情の細かな濃淡を見分ける自信(Reinin)、関係を話題にし眺めるのを好む(Bukalov)、他人どうしの関係を鋭く見分ける(Gulenko)、身近な人との良い関係に通じる(Yermak)
- 人の内面と可能性に目が向く。教育者・教師が多い(Bukalov)、道徳的な理想を若いうちから形作る(Filatova)、仮面の裏の道徳的可能性を見る(Socioscope)、人格の発展の道筋を見る(socionics.ua)
- 力で押すことが難しく、押されると抵抗する。強く出る力の不足と心理的障壁(Stratiyevskaya)、圧をかけられると鋭く反論する(Gulenko)、強引さが通用しない位置4(Bukalov)、Seの弱さを判定の根拠にする(Karpenko)、ProkofievaとPiatnitskiyの短評
- 感情を外に出さない。喪失の中でも外からは無関心に見える(Filatova)、傷つけられても相手に見せない(Bukalov)、距離を置いた様子や悲しげな表情(Yermak)、人間嫌いの仮面(Reinin)
- 規範と義務で自分を厳しく測る。規範で自分を測り自己叱責する(Filatova)、周りが休んでいても動き、周りの罪を感じて苦しむ(アウシュラ)、義務を忠実に果たすことを最も大事にする(Bukalov)
ただし、この一致を独立した観測の収束と呼ぶことはできません。アウシュラ以後の研究者は同じ理論共同体に属し、用語も先行記述も互いに受け継いでいます。ユングとKempinskiからアウシュラへ、アウシュラから後続の研究者とWikisocion系の編纂へ、という継承の系譜は02章のとおりです。正確には、互いに参照し合う文献の中で、論者と時期を変えて繰り返されてきたモチーフであり、その意味でEII記述の共有された部分と見てよい範囲です。
観測点の食い違い
一方で、単純に合わせられない食い違いもあります。
第一に、人を良い悪いに分けるかどうかです。Golihovは人を「良い」と「悪い」にはっきり分けるEIIを書き、Socioscopeは人を分けず、最も残酷な人間にも善を見出すEIIを書きます。1つのタイプの記述として、正反対の2つが並んでいます。
第二に、傷つけられたあとの応じ方です。Bukalovは相手に見せずにたいてい許すと書き、Gulenkoは最も強い処罰を相手の完全な無視とし、socionics.uaは謝罪か補償を得るまで休まないと書きます。Socioscopeは許しを書きながら、許しにも限度があることを認めています。許す場面と許さない場面という条件の違いとして両立させる読み方はできますが、それは当サイトの整理であって、原典どうしが参照し合っているわけではありません。
第三に、穏やかさの位置づけです。一般に言われる「争いを好まない穏やかな人」に対して、アウシュラは倫理の判断では自分の理解を周りにも求めるEIIを書いています。Stratiyevskayaも、書籍では見通しの誤りの原因として書いた願望と現実の取り違えを、ブログではEII自身の信条として書いています。同じ研究者の中でも、書く場によって論調が変わります。
記述ジャンルの偏り
研究者ごとの章の資料は、記述の様式が研究者ごとに違います。
例えば、アウシュラはブロックごとの記述に本人の手紙を添え、Reininは機能の番号ごとの領域と小集団・助言で書きます。Bukalovはプロファイルに論文の実例と民族論を加え、Stratiyevskayaは看病や時刻の声かけのような具体的な行動を言い切りで書きます。Filatovaは小説の人物を例に取り、Yermakは付録の規定だけで書きます。Karpenkoは史料から1人の歴史人物を判定し、Gulenkoは独自のモデルとサブタイプの体系で書きます。
EIIではとくに、作家ドストエフスキーと小説の人物に記述が寄っています。Reininは作家本人の執筆法を、Filatovaはメラニーやロベルトを、Stratiyevskayaは作家の作品の一節を例に使います。同じEIIの観察でも、実在の人物の観察か、作家や小説の人物の読み取りかで扱い方が変わります(この偏りは23章で扱います)。
確からしい観測と、単一の研究者の主張
EIIについて確からしいのは、複数の文献に繰り返し現れる5つの観測です。逆に、単一の研究者にしか現れない記述(ウクライナという民族のタイプ、小集団での監督リング、アレクセイの判定)は、その研究者の主張です。15〜23章では、この区別を前提に、二分法・次元性・クアドラ・関係という理論の各論を扱います。
15二分法から見るEII
二分法は、1つの基準で16タイプを8タイプずつの2群に分ける軸です。基礎になる4つ(外向—内向・直観—感覚・論理—倫理・合理—非合理)はユングの類型論に由来し、EIIは内向・直観・倫理・合理の側に属します。この4つの組み合わせだけで、16タイプのうち1つが決まります。
その後Reininが、この4つを含む15の特性へ広げました。追加の11の特性では、EIIは賢明・客観主義・貴族主義・宣言・静的・戦略・構成主義・資源・先見・プロセス・肯定の側に入ります。このうち構成主義の側への振り分けには、解説を書いたFilatova自身が、名前との食い違いを書き残しています。
基礎の4二分法
外向と内向について、ユングは外向の側をこう定義しています。
対象や客観的事実への指向性が非常に強く、最も頻繁に行われる重要な判断や行動が、主観的な価値観ではなく客観的な関係性によって決定される場合、これを外向的態度と呼ぶ。
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when the orientation to the object and to objective facts is so predominant that the most frequent and essential decisions and actions are determined, not by subjective values but by objective relations, one speaks of an extraverted attitude.
ユングの定義では、外向の構えのとき、判断や行動は客観的な関係で決まります。EIIはこの反対側の内向型に入ります。裏返すと、内向型では、判断や行動の決め手が、主観の側の価値観に置かれます。
Filatovaは、同じ本でEIIと判定しているマリヤ公爵令嬢(トルストイ『戦争と平和』)の関心の向きを、こう書いています。
では、マリヤ公爵令嬢の関心を引くものは何だろうか。彼女の主な関心は宗教に集中しているが、それは存在の意味を求める知的な探求ではなく、単純で誠実な信仰である。「人類のあらゆる複雑な法則は、彼女にとって、一つの単純で明快な法則—自らが神でありながら、愛をもって人類のために苦しんだ御方が私たちに教え給うた、愛と自己犠牲の法則—に集約されていた」。
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Что же интересует княжну Марью? Главные интересы ее сосредоточены в религии, но это не интеллектуальный поиск смысла бытия, это простая и искренняя вера: «Все сложные законы человечества сосредоточивались для нее в одном простом и ясном законе — в законе любви и самопожертвования, преподанном нам тем, который с любовью страдал за человечество, когда сам он — бог»
言い換えると、マリヤ公爵令嬢にとっては、世の中の複雑な法則が、愛と自己犠牲という1つの法則にまとまっています。論理と倫理の対比を扱う箇所に置かれたこの例では、判断の基準が、知的な探求ではなく愛と自己犠牲の側にあります。
合理と非合理の違いについて、Stratiyevskayaはこう書いています。
合理的人格タイプは合法則的なものに方向を定める—そのため彼らは周囲の環境と一貫して、計画的に、合法則性を観察しつつ、結論に基づいて相互作用する。あらかじめ自分の行動を考え、置かれる状況をあらかじめプレイし、何より重要なのは、そこからの出口を考え抜こうとする傾向で区別される。(中略)非合理タイプは予測不能、振る舞いの自発性で区別され、即興の状況においてよりよく感じ、合法則性ではなく偶然性に多く方向を定める。
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Рациональные типы личности ориентируются на закономерное — поэтому они взаимодействуют с окружающей средой последовательно, планомерно, наблюдая закономерности и основываясь на выводах. Отличаются стремлением заранее продумывать свои действия, заранее проигрывать ситуацию, в которую они попадут, а главное — продумывать выход из нее. […] Иррациональный тип отличается непредсказуемостью, спонтанностью поведения, он лучше себя чувствует в импровизированной ситуации, больше ориентируется на случайности, а не на закономерности.
Stratiyevskayaによれば、合理タイプは、置かれる状況を先に演じてみて、出口まで考え抜こうとします。EIIは、主導の要素Fi(内向倫理)が判断の要素なので、この合理の側に入ります。
Gulenkoは、ストレスへの耐え方で分けた群のうち、人道家(EIIの社会タイプ名)を含む4タイプをこう書いています。
(管理者、指導者、査察官、人道家)は、ストレス非耐性型ソシオタイプ(当サイトでいうタイプ)の群の一部を成している。彼らはあらゆるストレス、特に突発的な性質のものに対して最もひどく苦しむ。外的な不動心にもかかわらず、彼らには常に防御の弱い、脆弱な点があり、同時に、自分の足元に強い支えが必要である—その支えへの突然の打撃が彼らから抵抗力を奪うのである。ストレスの帯への引き込まれは、彼らに重大な疑念をもたらし、内的崩壊(「土の足の上のコロッスス」)へと至る。
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(Administrator, Mentor, Inspector, Humanist) are part of a group of stress-nonresistant sociotypes. They suffer the worst of all stress, especially of a sudden nature. Despite external stoicism, they always have a poorly protected, vulnerable point and at the same time — the need to have strong support under their feet, a sudden blow to which deprives them of resistance. Drawing into a stressful strip threatens them with serious doubts, leading to an internal breakdown (“the colloxen on clay feet”).
上の引用にある管理者・指導者・査察官は、Gulenkoの社会タイプ名で、それぞれLSE・EIE・LSIのことです。4タイプはいずれも合理型です。Gulenkoによれば、EIIを含むこの群は、外からは動じないように見えても、突然のストレスに最も苦しみます。
Stratiyevskayaが挙げた合理タイプの特徴(出口を先に考え抜く傾向)と並べると、この群の弱点は先に考えておけない突発の出来事にある、と読めます。
レイニン特性とEIIの極
Reininは、15の特性がどう生まれたかを、インタビューでこう振り返っています。
きっかけは、アウシュラの仕事『人間の双対的本性』でした。そこには「貴族/民主」という特徴が記述されていたのです。ここからすべてが始まりました。(中略)こうした特徴が11個あり、ユング的なものを合わせて全部で15個だ、ということでした。
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Толчком послужила работа Аушры «Дуальная природа человека». В ней был описан признак «аристократы-демократы». Вот с него все и началось. […] Математически оказалось, что таких признаков одиннадцать, а всего – вместе с юнговскими – пятнадцать.
つまり、レイニン特性は、アウシュラが記述した貴族/民主の特徴から始まりました。新しい11個にユング由来の4つを足して15個になった、というのがReinin本人の説明です。この出発点の特性では、EIIは貴族主義の側に入ります。
その貴族主義について、Reininは、同じ極に入るベータとデルタの違いを、こう書いています。
ベータクアドラは「形式的貴族」であり、彼らは地位と相互作用の貴族である。デルタクアドラは「精神の貴族」である。この特性はベータクアドラではより形式的、外面的な方法で明らかになり、デルタクアドラではより内面的、深層的、思想的に明らかになる。しかし両者とも距離を置いた垂直的関係を共有する。
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The beta-quadra are the 'formal aristocrats', they are the aristocrats of position and interaction. Delta-quadra is the 'aristocrats of spirit'. This attribute is revealed in beta-quadra in a more formal, external way whereas in delta-quadra – more internally, deeply and ideologically. But they both share distanced and vertical relationships.
EIIの属するデルタは、Reininの呼び方では「精神の貴族」です。言い換えると、デルタの貴族主義は、地位の上下ではなく、内面や思想の面で表れます。
ベータとデルタは、距離を置いた垂直的な関係を共有し、違うのはその表れ方です。同じ極に入る8タイプの中でも、表れ方はクアドラごとに違う、とReininは見ています。
Talanov論文のリストと用語論争
TalanovのモデルTは、いくつかのレイニン特性を、機能の強弱のつり合い(均衡性)から説明します。その解説論文で、Filatovaは各特性に16タイプを振り分けたリストを載せています。
Filatovaは、構成主義者に振り分けたタイプと、その群の特徴を、こう書いています。
構成主義者:ILE、ESE、SLE、EIE、ESI、ILI、EII、SLI。倫理の不均衡。感情・倫理的領域、気持ち、感情、倫理的評価の領域における抑制および神経過程のコントロールの不足。コミュニケーションの状況では、動機に乏しい感情の符号の切り替え、衝突性、焦燥、いら立ち、短気、そして過大な要求が特徴的である。
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КОНСТРУКТИВИСТЫ: ИЛЭ, ЭСЭ, СЛЭ, ЭИЭ, ЭСИ, ИЛИ, ЭИИ, СЛИ〔中略〕Неуравновешенность этики〔中略〕Дефицит торможения и контроля нерв-〔中略〕ных процессов в эмоционально-〔中略〕этической сфере, сфере чувств, эмоций и〔中略〕этических оценок.〔中略〕В ситуациях общения характерно мало-〔中略〕мотивированное переключение знака〔中略〕эмоций, конфликтность, нетерпеливость,〔中略〕раздражительность и вспыльчивость, а〔中略〕также завышенная требовательность.
EIIは、このリストの7番目に入っています。当サイトの二分法でもEIIは構成主義の側で、振り分けは一致します。Filatovaの説明では、この群をまとめているのは、感情と倫理的評価の領域で抑えが利きにくいことです。
ですが、同じ論文でFilatovaは、この名前がEIIを含む合理の4タイプに合うかを、こう問うています。
合理タイプ。B) ESE、EIE、ESI、EII。合理タイプでは、論理はどのタイプでもモデルAの弱い役割チャンネルに、モデルTでは第3ポジションに置かれている。この場合は一見すると、この特性を構成主義者と呼ぶことが矛盾しているように思われる。とりわけ、4タイプのどれにおいても、倫理が最も強いプログラム・チャンネルを占めているからである。
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У рациональных типов логика расположена везде в слабом, ролевом канале модели «А», в модели «Т» — в третьей позиции, и именно в этом случае, на первый взгляд, кажется противоречивым название признака конструктивисты особенно потому, что этика у всех четырех занимает самый сильный, программный канал.
上の引用にある役割チャンネルは位置3(規範機能)、プログラム・チャンネルは位置1(主導機能)のことです。つまり、倫理がいちばん強い位置にあるタイプを「構成主義者」と呼ぶのは、一見すると矛盾して見えます。EIIでも、位置1は倫理のFi、位置3は論理のTiです。
このように、振り分けは当サイトの二分法と一致したまま、名前の妥当性が、リストを載せた解説者自身から問われています。
クラブ—人文家(NF)
基礎の二分法のうち、直観—感覚と論理—倫理の2つを組み合わせると、16タイプは関心の土俵を同じくする4タイプずつのクラブに分かれます。EIIは直観と倫理の組です。
Wikisocionは、このクラブのメンバーと関心を、こう記述しています。
メンバー: IEE, IEI, EIE, EII(中略)直観型かつ倫理型(中略)人間の可能性と感情に焦点(中略)哲学、心理学、文学、芸術などに関心
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Humanitarians: intuitive and ethical (NF), or IEE, IEI, EIE, and EII.
EIIは、IEE・IEI・EIEとともに、このクラブに入ります。関心の中心は、人間の可能性と感情にあります。Filatovaの本では、このクラブは人文家と呼ばれています。
Filatovaは、同じ人文家のクラブに入るきょうだいを、外向と内向の対比の例に挙げて、こう書いています。
そして最後に人文家のペア—アンドレイ公爵とマリヤ公爵令嬢—では、外向―内向の対立がとりわけ明白な説得力をもって現れる。アンドレイ公爵は名誉を志向し、皆に愛されたい、周囲の皆に知られたいと望む。一方マリヤ公爵令嬢はひっそり生きることを好み、その思いのすべては、大切なのは善良さ、高い道徳性、精神性だという内的確信に結びついている。彼女はそれを絶えず実践するが、決してひけらかさない。かくして、アンドレイ公爵の外向性とマリヤ公爵令嬢の内向性もまた、十分な明瞭さで見出される。
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И, наконец, в паре Гуманитариев — князь Андрей и княжна Марья — альтернатива экстраверсии — интроверсии выступает с особенно очевидной убедительностью. Князь Андрей стремится к славе, хочет, чтобы его все любили и чтобы о нем узнали все вокруг. А княжна Марья предпочитает жить уединенно, и все ее помыслы связаны с внутренней убежденностью в том, что главное — это доброта, высокая нравственность и духовность, которые она постоянно проявляет, но никак не афиширует. Таким образом, экстравертность князя Андрея и интровертность княжны Марьи также обнаруживаются с достаточной наглядностью.
Filatovaは同じ本で、アンドレイ公爵をEIE、マリヤ公爵令嬢をEIIと判定しています。言い換えると、同じクラブのきょうだいでも、アンドレイ公爵は周囲に知られることを求め、マリヤ公爵令嬢は確信を内に保ったまま実践します。
EIEとEIIは、基礎の4二分法のうち外向—内向だけが違う組です。そのため、この対比では、ほかの3つをそろえたまま、外向と内向だけが比べられています。マリヤ公爵令嬢の内向は、何もしないこととしては書かれていません。善良さを絶えず実践しながら、それをひけらかさない、という形です。
小括します。EIIの基礎の4二分法は内向・直観・倫理・合理で、本章で引いた資料の範囲では、この帰属をめぐる異論は見られません。Filatovaは、マリヤ公爵令嬢の信仰とアンドレイ公爵との対比から、倫理と内向を場面の形で示しています。合理の側では、Gulenkoによれば、EIIを含む群は突然のストレスに最も苦しみます。
対照的にレイニン特性では、振り分けが一致していても、構成主義という名前が倫理の強いタイプに合うかを、解説者のFilatova自身が問うています。貴族主義も、Reininの整理ではデルタで内面的・思想的な形をとり、同じ極の中でも表れ方が違います。
16機能の次元性とEII
機能の次元性は、モデルAの各機能位置が参照できる情報の幅を1〜4次元で記述する後代の拡張理論です。提唱者はBukalovで、Yermakがパラメータの定式化を整備しました。
通説では、EIIの各位置の次元は、位置1のFi=4、位置2のNe=3、位置3のTi=2、位置4のSe=1、位置5のTe=1、位置6のSi=2、位置7のFe=3、位置8のNi=4とされます。つまり、EIIで4次元に置かれるのは、主導機能のFiと位置8のNiです。
この章では、起源とパラメータの定義とEIIの各位置への割り当てを原典の記述で扱います。最後に、Karpenkoがクアドラ単位で数えた次元を別の水準の数として並べます。
起源—Bukalovの主張とアウシュラの先駆的観察
Bukalovは、次元性の発見について、こう書いています。
著者によって1990年に発見された、情報代謝機能(心的機能)の情報処理パラメータの次元性 [9] は、人間の思考と行動の特徴、特定の型間関係のニュアンスを正確に記述することを可能にし、国際ソシオニクス研究所のスタッフおよび他のソシオニクス専門家による専門家・コンサルティング業務において実用上の重要な応用を持つ [10, 14]。
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Обнаруженная автором в 1990-м году мерность параметров обработки информации психических функций или функций информационного метаболизма [9], позволяет точно описывать особенности мышления и поведения человека, нюансы конкретных интертипных отношений и имеет значительные практические приложения, используемые на практике в экспертно-консультационной работе как сотрудников Международного института соционики, так и других специалистов по соционике [10, 14].
上の引用にある角括弧の数字は、原典の参考文献の番号です。言い換えると、Bukalovは次元性を1990年に自分が発見し、それによって人の思考と行動やタイプ間関係の細部を正確に記述できるようになったと書いています。
そのうえで、次元性を、国際ソシオニクス研究所のスタッフらが専門家としてのコンサルティングの実務で使うものとして位置づけています。
理論として定式化される前の先駆的な観察と読めるものが、アウシュラの特性論考にあります。アウシュラは、タイプごとに何に怖がらされるかを、こう書いています。
たとえばLSE〔原文: シュティルリッツ〕はいかなる軽率な偶然の音でも怖がらせられる(床に蓋が落ちた)。EIE〔原文: ハムレット〕—軽率な動き(講師が手を振る)。ILE〔原文: ドン・キホーテ〕—馴染みの対象の形の軽率な損傷。SEE〔原文: ナポレオン〕—構造の損傷。
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Например, Штирлица ( (ЛСЭ)) можно испугать любым необдуманным случайным звуком (на пол упала крышка), Гамлета ( (ЭИЭ)) — необдуманным движением (лектор размахивает руками), Дон Кихота ( (ИЛЭ)) — необдуманным повреждением формы знакомого объекта, Наполеона ( (СЭЭ))— повреждением структуры.
つまり、アウシュラは、同じ偶然の出来事でも、怖がらされる対象がタイプごとに違うと見ています。次元性の語彙はまだありませんが、機能ごとに扱える情報の範囲が違うという発想の萌芽として読めます。
ただし、この列挙にEIIは入っていません。EIIの各位置の次元は、後代の理論から割り当てられたものです。
4つのパラメータ—Yermakの定義
Yermakは、次元を数えるための4つのパラメータを、こう定義しています。
Ex(英語 experience から)—経験のパラメータ —出生時からの、人生を通じて意思決定と影響の執行の過程で人間が獲得した、個人的(Ex)または人格的(社会的)経験(Ex*)の特徴。(中略)Nr(規範 norm から)—規範のパラメータ —意思決定または管理影響の執行の過程で遵守すべき規範、規則、習慣、認められた手法、基準(個人的—Nr または社会的—Nr*)の特徴。(中略)St(英語 situation から)—「状況」のパラメータ —意思決定または管理影響の執行の条件、「情況」(個人的 St または社会的 St*)の特徴。(中略)Tm(英語 time から)—パラメータ的時間 —意思決定または執行がなされる、過去・現在・未来の個人的(Tm)または社会的(Tm*)時間の瞬間。
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® Нх (от англ. ехриепсе) — параметры опыта — характеристика индивидуального (Ех) или личностного (социального) опыта (Ех*), полученного от рождения и наработанного человеком в течение жизни в процессе принятия решения и исполнения воздействий ; (中略) ® М (от англ. погт) —- параметры норм - характеристика норм, правил, обычаев, принятых приёмов и стандартов (индивидуальных — Мг или социальных — Мг *), которых следует придерживаться в процессе принятия решения или исполнения управляющих воздействий “; (中略) ® 5 (от англ. 5ИлаНоп) — параметры “ситуации” - характеристика условий, "обстановки" (индивидуальной 51 или социальной 5*) принятия решения или исполнения управляющих воздействий; (中略) ® Тт (отангл. ите) - параметрическое время — момент индивидуального (Ти) или социального (Ти\*) времени в прошлом, настоящем или будущем относительно которого принимается или исполняется соответственно индивидуальное или социальное решение; иными словами, время как точка на шкале времени, т.е. как параметр "привязки" обработки информации к некоторому моменту в прошлом, настоящем или будущем.
上の引用にあるEx・Nr・St・Tmは、経験・規範・状況・時間を表す略号です。この章の後半で引くYermakの記述では、1次元の機能は経験だけを参照し、次元が上がるごとに規範・状況・時間を加えていく積み上げになっています。
EIIでは、4次元の位置1のFiが時間まで参照し、1次元の位置4のSeは経験だけを参照する位置になります。同じEIIの中で、参照できるパラメータの数が位置ごとに4つから1つまで開いています。
次元の割り当て
意識しやすい側の位置1〜4の次元は、Bukalovの論文で明示されています。Bukalovは、こう書いています。
機能の操作的心理情報空間の次元数の理論からは、第4機能は1次元的刺激・情報を知覚することが帰結する。それは情報的に1次元的(「はい/いいえ」の原理での判断)であり、自己の個人的経験から発する。モデルAのメンタルリングにおいて、第4機能は情報的に1次元、第3機能は2次元、第2機能は3次元、第1機能は4次元である。
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Из теории мерностей операционного психоинформационного пространства функций следует, что 4-я функция воспринимает одномерные стимулы или информацию. Она информационно одномерна (суждения по принципу «да-нет»), исходит из собственного личного опыта. В ментальном кольце модели А 4-я функция информационно одномерна, 3-я — двумерна, 2-я — трехмерна, а 1-я — четырехмерна.
言い換えると、メンタルリングと呼ばれる位置1〜4では、位置1から位置4へ向かって次元が4・3・2・1と下がるということです。EIIでは、この下がり方がFi・Ne・Ti・Seの順に並びます。
位置4についての「然り-否」の原理での判断は、この一般則からの帰結として書かれています。EIIにあてはめると、脆弱機能のSeは、はいかいいえかの二択で、自分の経験だけを頼りに判断する位置とされます。
EIIへの適用—4次元のFi
Yermakは、第1機能と第2機能の次元の違いを、時間の扱い方で説明しています。Yermakは、こう書いています。
知性の機能(「知性」—第1機能)は4次元—受容される社会的に有意な(人格的)情報を全面的に処理し(アイデア、課題の解決などを探す)、これには時間パラメータについて(過去、現在、未来において)の処理も含まれる;(中略)社会的創造の機能(「創造」—第2機能)は3次元—「創造する」、すなわち過去、現在、未来のある時間の瞬間に対して知性の機能が見出した社会的に有意な決定、アイデア、思考を実現する。ここから社会的経験、状況、規範の考慮が現れるが、創造機能は時間パラメータについて不変(独立)である
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– функция интеллекта («интеллект» — ф.1) четырѐхмерна — всесторонне обрабатывает воспринимаемую социально значимую (личностную) информацию (ищет идею, решение задачи и т. п.), в том числе и по параметру времени (в прошлом, настоящем или будущем), функция социального творчества («творческая» — ф.2) трѐхмерна — «творит», т. е. реализует социально значимые решения, идею, мысль, которые найдены функцией интеллекта относительно некоторого момента времени в прошлом, настоящем или будущем — отсюда учѐт социального опыта, ситуаций и норм, но инвариантность (независимость) функции творчества по параметру времени (функция «творит» в той точке или в том периоде на временной шкале, которые ей определила функция интеллекта (ф.1));
Yermakのいう知性の機能は位置1、社会的創造の機能は位置2です。つまり、4次元の位置1は過去・現在・未来の時間まで含めて情報を処理し、3次元の位置2は、そこで見出された決定を時間から独立に実現するということです。
EIIにあてはめると、人との関係を時間の流れの中で扱うのは位置1のFiです。位置2のNeは、Fiが見出した決定を実現する側に置かれます。
Yermakは、EIIの超自我ブロックの次元について、こう書いています。
超自我ブロックのもうひとつの特徴は、心的諸機能の次元の小ささである:第3機能(「構造の論理」)は二次元(二パラメータ—「個人的経験」と「社会的規範」)、第4機能(「意志的感覚」)は一次元(一パラメータ—「個人的経験」)である。このことは、このブロックで縮減された「状況」と「パラメトリック時間」のパラメータの行使に一定の困難を生じさせ、これはV.V.プーチンの自然な振る舞いを意味論的に分析するときにも目立つ
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Другой особенностью блока суперЭГО является маломерность психических функций: третья функция (“структурная логика”) – двумерная (два параметра – “личностный опыт” и “социальные нормы”), четвёртая функция (“волевая сенсорика”) – одномерная (один параметр – “личностный опыт”). Это вызывает определённые трудности в пользовании редуцированными в этом блоке параметрами “ситуаций” и “параметрического времени”, что также заметно при семантическом анализе естественного поведения В.В.Путина
言い換えると、構造の論理(位置3のTi)と意志的感覚(位置4のSe)からなるEIIの超自我ブロックは次元が小さく、状況と時間のパラメータを使うことに困難があるということです。4次元のFiが時間まで含めて関係を扱うのと並べると、強い側と弱い側の差が、参照できるパラメータの数の差として書かれていることが分かります。
この一節は、YermakがプーチンのタイプをEIIとする仮説を立てた新聞記事の中にあります。Yermakは、次元の小ささを、特定の人物の振る舞いを分析する手がかりとして使っています。
強い主張への注記
次元性理論には、検証手続きが示されないまま数値を伴う主張も含まれます。
BukalovとKarpenkoは、次元性と記憶の容量の関係を、こう書いています。
心的機能の次元性の階層は、注意・記憶・思考の容量の階層を定める。生物種が違えばこれらの容量は大きく異なりうる。我々が示したとおり、人間にとって次元性の階層は、記憶・注意・思考の容量に関する「ブカロフの魔術的列」を定める:7±2、10±1、17±1、27±1。最初の数はミラーの「マジカル・ナンバー」7±2および作業記憶(オペレーショナルメモリ)の容量に対応する。心的機能の次元性に結びつけられた各ベクトルに、それぞれの注意・思考・記憶の容量を対応させることができる [6–13]。
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Иерархия мерностей психических функций задает иерархию объемов внимания, памяти и мышления. Для разных биологических видов эти объемы могут очень сильно различаться. Так для человека, как было показано нами, иерархия мерностей задает «магический ряд» Букалова для объемов памяти, внимания и мышления: 6(±1), 10(±1), 16(±1), 26(±1), в котором первое число соответствует «магическому числу» Миллера и объему оперативной памяти. Каждому вектору, связанному с размерностью психической функции, можно сопоставить свой объем внимания, мышления и памяти [6–13].
BukalovとKarpenkoによれば、次元の段階が記憶・注意・思考の容量の段階を決め、その容量は7±2・10±1・17±1・27±1という数の列になります。最初の数は、認知心理学で作業記憶の目安とされるMillerの7±2に対応するとされます。
ですが、この系列を支える独立の実験データは、当サイトが確認した範囲では引用文献の外に示されていません。Yermakの時間処理の有無の区別についても、外から測定する手続きは示されていません。
クアドラ単位の次元—Karpenkoの別水準
Karpenkoは、個々のタイプの機能位置ではなく、クアドラ全体での情報要素の扱われ方に次元数を割り当てています。Karpenkoのいう第4クアドラは、デルタのことです。
Karpenkoは、デルタの関係の倫理について、こう書いています。
第4クアドラ(デルタ)では関係の倫理(▽(Fi))の次元数は3に等しい。これは、クアドラδが、家庭であれ、職場集団であれ、社会であれ、関係の構築と発展の問題に創造的に、関心をもって取り組むことを意味する。道徳と倫理の問題についての判断、さまざまな倫理的評価は、第4クアドラでは常に、具体的な生活状況に、人が置かれた条件に結びつけて定式化される。
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В четвертой квадре мерность этики отношений () равна трем. Это означает, что квадра δ творчески и заинтересованно относится к проблемам построения и развития отношений, будь то в семье, в коллективе или же в социуме. Суждения по вопросам морали и нравственности, разнообраз- ные этические оценки формулируются в четвертой квадре всегда с привязкой к конкретной жизнен- ной ситуации, к тем условиям, в которые попал человек.
Karpenkoのいう関係の倫理はFiです。Karpenkoは、デルタは関係の構築と発展に創造的に取り組み、倫理的な評価を具体的な生活状況に結びつけると見ています。デルタのFiが3次元であることを、そうした取り組み方の意味として説明しています。
この3次元は、デルタ全体の情報要素につけた数です。EIIの位置1のFiを4次元とするBukalov・Yermak系の配分とは、数えている対象が違います。二つの数は、タイプの位置とクアドラ全体という別の水準の値として読む必要があります。
Karpenkoは、時間の直観について、デルタのタイプとほかのタイプを比べて、こう書いています。
第4クアドラ(デルタ)では時間の直観は二次元で、規範化され、社会で受け入れられた規範に沿って組み立てられている。(中略)指摘しておきたいのは、これらのクアドラの他のタイプにとっても、時間の扱いの差はおおよそ同じだということだ: ○(Si)▼(SEI)は○(Si)■(SLI)より頻繁に遅刻するし、□(Ti)▲(LII)は、いくら几帳面さを志向しても、時間の流れの感じ取りではやはり▽(Fi)▲(EII)に劣るし、約束をした▲(Ne)□(ILE)を待つ時間は、▲(Ne)▽(IEE)を待つ時間より長くなるだろう。
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В четвертой квадре интуиция времени двумерна, нормирована, выстроена по нормам, принятым в социуме. 〔中略〕 хочу отметить, что и для других типов этих квадр разница в обращении со временем примерно такая же: (СЭИ) опаздывает чаще, чем (СЛИ), (ЛИИ) при всем стремлении к пунктуальности чувствует течение времени все же хуже, чем (ЭИИ), и (ИЛЭ), с которым назначена встреча, вам придется ждать дольше, чем (ИЭЭ).
ここでいう時間の直観はNiです。言い換えると、デルタでは時間の直観が二次元で、社会で受け入れられた規範に沿って組み立てられているということです。そのうえでKarpenkoは、LIIは几帳面さを志向しても、時間の流れの感じ取りではEIIに劣ると書いています。
比べられているSEI・LII・ILEは、いずれもデルタの外のタイプです。Karpenkoは、クアドラ単位の時間の扱いの差が、対になるタイプどうしにもおおよそそのまま表れると見ています。EIIの位置8のNiを4次元とする位置別の配分とは、ここでも別の水準の話です。
小括します。第一に、Bukalov・Yermak系の位置別の次元では、EIIの位置1のFiが4次元で、Yermakの説明では関係を過去・現在・未来の時間まで含めて扱う位置になります。
第二に、超自我ブロックのTiとSeは2次元と1次元で、Yermakは状況と時間を使いにくい点を、EIIとした人物の分析に用いています。
第三に、Karpenkoのクアドラ単位の次元はデルタ全体の情報要素につけた別の水準の数で、Fiは3次元、Niは2次元です。一方で、容量の数列や時間処理の区別には、外から確かめる手続きが示されていません。
17デルタ・クアドラのEII
EIIは、LSE・IEE・SLIとともにデルタクアドラを構成します。4タイプが大事だと感じる情報要素は、Ne(外向直観)・Fi(内向倫理)・Si(内向感覚)・Te(外向論理)です。このクアドラのなかでEIIは、言葉よりも日々の行いで倫理を示すタイプとして書かれています。
クアドラの定義—アウシュラ
創始者のアウシュラは、クアドラのまとまりを、こう定義しています。
クアドラ。 クアドラとはソシオンの4分の1であり、四つの情報代謝タイプから構成される。そのうち互いに活性化する二つの双対ダイアドのうち、一方は一つの社会的進歩の環に、他方はもう一つの環に属する。クアドラの参加者を結びつけるのは一定の関心の共通性であり、そして最も重要なことに—紛争の可能性の不在である。互いにつねに理解し合い、言葉の背後にも行為の背後にも何ら不快なことを気づかない。際立って実り多く生産的な共同作業。
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Квадра. Квадра — одна четвертая социона,' об-` разованная из четырех типов ИМ или двух активи- зирующих друг друга диад, одна из которых отно- сится к одному, другая — к другому кольцу соци- ального прогресса. Участников квадры объединяет определенная общность интересов, а главное — от- сутствие возможностей конфликта. Друг друга они всегда понимают, за словами и поступками не заме- чают ничего обидного. Исключительно нлодотворна и производительна совместная работа.
上の引用にあるソシオンは、16タイプがそろった全体のことです。言い換えると、クアドラは、関心が共通し、紛争の起こる可能性がない4タイプの集まりだということです。
デルタの場合、この4人組は双対2組(LSE-EIIとIEE-SLI)が活性化の関係で結ばれたものです。「紛争の可能性の不在」は強い定式で、構成の定義のほうは後代にも共有されています。
呼び方の変遷—「第一」から「デルタ」へ
アウシュラの同書はクアドラを順序数で呼び、EIIを含む組は「第一」として、こう列挙されています。
第一。 論理感覚外向と倫理直観内向、直観倫理外向と感覚論理内向。
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Первая. Логико-сенсорный экстратим и эти- ко-интуитивный интротим, интуитивно-этический экстратим и сенсорно-логический интротим.
上の引用にあるエクストラティムは外向型、イントロティムは内向型を指すアウシュラの語です。列挙されているのはLSE・EII・IEE・SLIで、いまデルタと呼ばれる4タイプです。
一方、Stratiyevskayaは、同じ組を「第四クアドラ」と呼び、双対の組み方をこう書いています。
第四クアドラ(デルタ)では以下の双対・ダイアドが形成される:(中略)合理ダイアド LSE〔原文: シュティルリッツ〕 — EII〔原文: ドストエフスキー〕(中略)そして非合理ダイアド IEE〔原文: ハクスリー〕 — SLI〔原文: ギャバン〕
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В четвертой квадре образуются следующие дуальные диады:〔中略〕рациональная диада Штирлиц — Достоевский〔中略〕и иррациональная диада Гексли — Габен
つまり、LSEとEIIが合理の双対、IEEとSLIが非合理の双対としてデルタを作るということです。
Filatovaも、同じ4タイプを「第4クアドラ」として、2組の双対に分けて並べています。アウシュラの「第一」は、StratiyevskayaとFilatovaでは「第四」「第4」になります。番号は資料によって揺れるため、クアドラは構成するタイプで照らし合わせると取り違えません。
デルタの価値—各研究者の記述
Stratiyevskayaは、デルタ(彼女の番号では第四クアドラ)が大事にする価値を、こう書いています。
社会的・政治的安定性の条件下でのみ、精神的・倫理的解放、人物の個性の認識、その内的世界への不干渉といった価値観が発達できる。そしてまさにそのような社会的条件下で、第四クアドラ(デルタ)の代表者は最も心地よく感じ、最も完全に自分を実現できる。
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в четвертой квадре она защищается позитивной этикой отношений — как право личности на индивидуальность и свободу самовыражения. Только в условиях социальной и политической стабильности могут развиваться такие ценности, как духовная и этическая раскрепощенность, признание индивидуальности человека и невмешательство в его внутренний мир. И именно в таких социальных условиях представители четвертой квадры чувствуют себя наиболее комфортно и могут реализовать себя наиболее полно.
言い換えると、デルタでは一人ひとりの個性を認め、その内面に立ち入らないことが価値とされるということです。そうした価値は社会が安定しているときにだけ育ち、安定した社会でこそデルタの人は最も心地よく過ごせると、Stratiyevskayaは書いています。
Stratiyevskayaは、この価値の裏にある恐れも、こう書いています。
外部からの不快な干渉から自分を守る志向が、第四クアドラ(デルタ)の代表者に絶えず自分の最小限の生活空間を守ることを強いる(「我が家は我が城」)。(中略)第四クアドラの代表者は、何らかの外的条件と状況によって縛られることを非常に恐れる。外部からの圧力を恐れ(意志感覚(-●(Se)=-Se)のアスペクトはここで押しのけられた価値観である)、自分の便利さ、自分の幸福、個人の権利、内的自由への侵害を恐れる。
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Стремление оградить себя от неприятного вмешательства извне постоянно вынуждает представителей четвертой квадры защищать свое минимальное жизненное пространство ("Мой дом — моя крепость")〔中略〕Представители четвертой квадры очень боятся быть стесненными какими-либо внешними условиями и обстоятельствами. Боятся давления извне (аспект волевой сенсорики (-ЧС) здесь вытесненная ценность), боятся покушения на свои удобства, свое благополучие, личные права и внутреннюю свободу.
つまり、デルタの人は外からの圧力や干渉を恐れ、自分の生活の場と内面の自由を守ろうとするということです。
上の引用で「押しのけられた価値観」とされているSe(外向感覚)は、EIIでは位置4の脆弱機能にある要素です。デルタが価値の外に置く要素が、EIIでは最も傷つきやすい位置にあることになります。
Megedは、デルタの標語と気風を、こう書いています。
第四クアドラ(デルタ)。標語:「守り、助けること」。(中略)このクアドラの精神の特徴は、身体的・道徳的な不快への鋭い反応である。それゆえ、あらゆる面での完全な調和への志向が、特別な意味をもつ。(中略)すべてにおける相互扶助。(中略)関係のわずかな不作法や行き違いも、抑圧的に働く。
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Четвёртая квадра Девиз: Оберегать и помогать.〔中略〕Особенность духа этой квадры — обострѐнная реакция на физический и моральный дискомфорт. Поэтому особое значение приобретает стремление к полной гармонии во всех аспектах жизни.〔中略〕Ценится взаимопомощь во всѐм.〔中略〕Малейшая бестактность или недоразумения в отношениях действуют угнетающе
Megedによれば、デルタの人は身体の不快にも道徳的な不快にも鋭く反応するため、あらゆる面の調和を求めます。関係のわずかな行き違いでも重くのしかかる、という記述は、Stratiyevskayaの書いた外からの干渉への恐れと同じ方向を向いています。
Bukalovは、デルタの性格と、ほかのクアドラとのつながりを、こう書いています。
クアドラδは楽観的実践家のクアドラである。(中略)クアドラδでは実用性とともに友好性、利他性、発明への志向などが支配的である。クアドラδはクアドラαの思想を受容するが、クアドラγの後継者として実践的に実現し、その思想を埋め込み、その隠れた可能性が完全に汲み尽くされるまで磨き上げる。
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Квадра д - это квадра оптимистических практиков. 〔中略〕 Наряду с практичностью в квадре д доминирует дружелюбие, альтруизм, стремление к изобретательству и т.д. Квадра воспринимает идеи квадры 6, но реализует их практически как преемник квадры г, занимаясь их внедрением и совершенствованием до полного исчерпания их скрытых возможностей.
上の引用にあるクアドラαはアルファ、クアドラγはガンマのことです。言い換えると、デルタは実用とともに友好と利他を重んじ、アルファの思想を受け取って、ガンマの後を継いで使える形になるまで磨き上げるということです。Bukalovは、この性格をまとめて「楽観的実践家」と呼んでいます。
Karpenkoは、デルタにとってのアイデアを、アルファと比べて、こう書いています。
クアドラαを、同じく「価値」の中に可能性の直観をもつ第4クアドラ(デルタ)と比べてみてほしい。クアドラδにとってアイデアとは、実用的価値をもつ何か、現実の生活に—その説明のためであれ、その変革のためであれ—適用できる何かである。まだ適用できないアイデアは、クアドラδにとっては仮説、おもちゃ、遊びにとどまる。(中略)第4クアドラにおける黒い直観(▲(Ne))の三次元性がはっきり見て取れる。
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Сравните квадру α с четвертой квадрой, среди «ценностей» которой тоже присутствует ин- туиция возможностей. Для квадры δ идея — это нечто, имеющее практическую ценность, то, что можно применить в реальной жизни, либо для ее объяснения, либо для преобразования. Идея, кото- рую пока еще нельзя применить, для квадры δ остается гипотезой, игрушкой, забавой. 〔中略〕 Явно видна трехмерность черной интуиции () в четвертой квадре.
つまり、デルタにとってアイデアは、現実の生活に使えてはじめて価値を持つということです。末尾の「三次元性」は、クアドラ全体の直観の扱い方についての言い方で、個々のタイプの位置の次元とは別の用法です。
アルファと同じNeを価値としながら、デルタではアイデアを実生活へ適用する向きが強いという比較です。Bukalovの「楽観的実践家」と、実用を重んじる側で一致しています。
クアドラのなかのEIIの役割
Stratiyevskayaは、デルタの価値のうち2つを、どのタイプが持ち込んだかを、こう書いています。
第四クアドラの業務論理 — それは進歩的な技術と高度に熟練した労働、安定した経済の条件下での発明性と合理化である。肯定的業務論理のアスペクトは、論理感覚外向(LSE〔原文: シュティルリッツ〕)によって第三クアドラにもたらされ、肯定的関係倫理のアスペクトは — 倫理直観内向(EII〔原文: ドストエフスキー〕)によってもたらされた。
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деловая логика четвертой квадры — это прогрессивные технологии и высококвалифицированный труд, изобретательность и рационализация в условиях стабильной экономики. Аспект позитивной деловой логики привнесен в третью квадру логико-сенсорным экстравертом (Штирлицем), аспект позитивной этики отношений — этико- интуитивным интровертом (Достоевским).
上の引用にある業務論理はTe(外向論理)、関係倫理はFi(内向倫理)のことです。言い換えると、肯定的な関係倫理を第三クアドラへもたらしたのはEIIで、肯定的な業務論理をもたらしたのは双対のLSEだということです。
合理の双対の2人が、それぞれ1つずつ価値を持ち込むという分担です。
Bukalovは、1995年の論文で、デルタで優勢な組を、こう書いています。
δクアドラは、理論を静的に発展させ(増分はわずか)、達成・物質化され定着した成果を動的に導入するクアドラであり、成果は改善・完成されるだけである(技術)。これは発明家と合理化者のクアドラである。現状が定着しているため、人間の精神生活に多くの注意が集中する。優勢ダイアドはLSE–EIIである。クアドラ特性は、現状に満足すること(同調主義)、決断性の欠如、内向性(人間の内面世界への集中による主観主義)である。
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Квадра d - квадра статичного развития теории (прирост незначителен) и динамичного внедрения достигнутых и материализованных, устоявшихся результатов, которые лишь улучшаются и совершенствуются (технология). Это квадра изобретателей и рационализаторов. Ввиду устоявшегося положения вещей, большое внимание сосредоточено на духовной жизни человека. Доминирующая диада - ЛСЭ-ЭИИ. Квадровые характеристики: довольствуется существующим положением вещей (конформизм), нерешительность, интротимность (субъективизм ввиду сосредоточенности на внутреннем мире человека).
Bukalovは、デルタで優勢なのはLSEとEIIの双対だと見ています。クアドラの特性として挙げる現状への満足・決断性の欠如・人の内面への集中は、Stratiyevskayaの書いた安定と内面の自由への志向と同じ方向です。
Gulenkoは、EIIの社会タイプ「人道家」を、ベータの「指導者」と比べて、こう書いています。
その礎石は、宣言的ではない、本物の人道主義である。この概念の背後にあるものは、βの社会タイプ指導者とδの社会タイプ人道家の比較によって明らかになる。指導者は普遍的道徳原理を言葉で説くが、実際にはそれらはしばしば違反される。人道家については、彼が成功した公的な説教者になることはありそうにない。なぜなら自然は彼に雄弁を与えなかったからだ。しかし日常的事柄においては、彼は他のいかなる社会タイプよりも、定言命法 ― 隣人に対して自分が望むことをせよ ― に近い。
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Its cornerstone is real — not declarative — humanism. What is behind this concept reveals a comparison of the beta sociotype Mentor with the delta sociotype Humanist. The Mentor preaches the universal moral principles with the word, yet in fact, they are often violated. With the Humanist, it is unlikely that he will be a successful public preacher, since nature did not endow him with eloquence, but in everyday affairs, he is closer than any other sociotype to the categorical imperative: do what you want your neighbor to do towards you.
人道家はEII、指導者はEIEを指すGulenkoの社会タイプ名です。Gulenkoによれば、人道家は人前で説く人にはなりにくい一方、日々の事柄では他のどの社会タイプよりも定言命法に近い人です。
言葉で原理を説く指導者と並べることで、Gulenkoは口先でない本物の人道主義をデルタの礎石に置いています。その担い手として名指しされているのがEIIです。
Stratiyevskayaも、2018年のブログで、デルタのEIIにとっての恐れを、こう書いています。
デルタクアドラの「切られた翼」のコンプレックスを持つEII、ドストエフスキーにとって、最も恐ろしいのは、道徳的優位を失い、それを自分の行い—高潔な振る舞い—によって確立する可能性を使い果たすことである。ここでは言葉はまったく余計で、場違いでさえありうる。客観主義者のクアドラであるデルタクアドラでは、正しさの証明になるのは言葉ではなく行いであり、客観的な事実だからである。
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для ЭИИ, Достоевского с его дельта -квадровым комплексом «подрезанных крыльев», самое страшное – это утратить нравственное превосходство и исчерпать возможности утвердить его своими делами – высоконравственными поступками, а слова здесь могут быть вообще излишни и неуместны: в дельта -квадре – квадре объективистов – доказательством правоты служат не слова, а дела, объективные факты.
上の引用にある「切られた翼」のコンプレックスは、Stratiyevskayaがデルタに結びつけた恐れの型の名前です。Stratiyevskayaによれば、EIIにとって最も恐ろしいのは、道徳的な優位を自分の行いで示す機会を失うことです。
デルタでは正しさを証明するのは言葉ではなく行いと事実だ、という理由づけは、雄弁ではないが日々の行いで定言命法に近い、というGulenkoの人道家と同じ側を書いています。
小括します。デルタの構成、つまりNe・Fi・Si・Teを大事だと感じるLSE・EII・IEE・SLIの4タイプは、番号の揺れを除けば研究者のあいだで一致します。
気風の記述では、StratiyevskayaとMegedが、内面の自由と、外からの干渉や不快を避ける志向を書いています。BukalovとKarpenkoは、アイデアを実用の形に磨く側を書いています。一方、紛争の不在(アウシュラ)や「切られた翼」(Stratiyevskaya)という強い定式は、それぞれの研究者の主張です。
その中でEIIは、LSEとともに優勢な双対をなし、肯定的な関係倫理を持ち込む側として書かれています。言葉よりも日々の行いで倫理を示すという点で、GulenkoとStratiyevskayaの記述は重なります。
18タイプ間の関係のなかのEII
原典がEIIの関係を名指しで書くとき、中心に置かれるのは双対のLSEで、EIIの迷いに、はっきりした線を引く相手として書かれています。タイプ間の関係の理論では、EIIの主要な相手は、双対=LSE、活性化=SLI、鏡像=IEE(以上デルタ)、衝突=SLEです。また、EIIが監督する相手はILE、EIIを監督する相手はSEEです。EIIが恩恵を与える相手はSEI、EIIに恩恵を与える相手はILIです。
関係ごとの一般解説は関係のページにあります。この章では、アウシュラ、Stratiyevskaya、Filatovaの著作を中心に、EIIを名指しした関係の記述を、双対から順に集めます。
双対関係の一般定式
Reininは、双対関係をこう説明しています。
この種類の関係においては、当該タイプの弱い機能が、他方のタイプ(双対、完全に補完的なタイプ)の強い機能の領域にある。補完的なタイプの人物こそが最良の教師である。(中略)双対タイプは私の弱い機能を保護し、同時に、私の弱い機能の領域においてさえ成功に至る行動プログラムを提供してくれる。
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In this type of relationships the weak functions of the type are in the zone of strong functions of the other type (dual, completely complementary type). A person of the complementary type is the best teacher. […] The dual type protects my weak functions, at the same time providing a behavioral program for me to reach success even in the area of my weak functions.
言い換えると、双対とは一方の弱い機能が、もう一方の強い機能の領域にある組み合わせです。その組み合わせでは、強い側が弱い側を守り、うまくいくやり方まで示すということです。
EIIでは、双対LSEの主導機能のTe(外向論理)と創造機能のSi(内向感覚)が、EIIの位置5(暗示機能)と位置6(動員機能)に入ります。EIIが自分では扱いにくい2つの要素を、LSEがいちばん得意としている配置です。
Gulenkoは、双対の2人が一緒にいるときの感じ方を、こう書いています。
双対関係は興味深く、もてなしに満ちたコミュニケーションを楽しめる関係であり、退屈することがありません。パートナー同士は互いを釣り合わせ合い、心理的な無重力状態のような感覚を生み出します。パートナーは自分の行動や言葉を統制する必要がなく、ただありのままの自分でいることができます。あらゆる活動において役割分担がほぼ自動的に行われるため、新しい課題に向けて多くのエネルギーを節約できます。
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Dual relationships enjoy an interesting and hospitable communication that is never boring. Partners counterbalance each other, creating a feeling of psychological weightlessness. Partners do not have to control their actions or words; they can just be themselves. Due to the fact that responsibilities in every activity are distributed almost automatically, a lot of energy is saved for new tasks.
つまり、2人とも振る舞いを取りつくろう必要がなく、役割分担にも力を使わずに済むということです。Reininが機能の配置から言った相補を、Gulenkoは一緒にいるときの体感として書いています。
EIIとLSE—アウシュラの記述
アウシュラは、EIIが共感を向ける相手の選び方について、双対LSEの役割をこう書いています。
関わりたいのは誰であれよいというのではなく、その感情が信頼に値する者、その感情に自分の参与を捧げるに値する者についてである。だが、そのような選別を自分でなし得ない。LSE〔原文: シュチルリッツ〕による補正が必要だ。LSE〔原文: シュチルリッツ〕は人々の感情生活をEII〔原文: ドストエフスキー〕よりもよく、客観的に見抜く。それゆえ、彼を、誰彼かまわず空虚な共感へと自分の力を散らすことから救ってくれるのである。
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хочется заниматься не любым челове- ком, а тем, эмоциям которого можно доверять, эмо- ции которого достойны его участия, но сам делать такой выбор он не способен. Необходима коррек- тировка ШТИРЛИЦА, который в эмоциональной жизни людей разбирается лучше ДОСТОЕВСКО- ГО, объективнее. И потому спасает его от разбра- сывания своих сил на пустое сопереживание со все- ми.
言い換えると、EIIは心を寄せる相手を選びたいと思っていても、その選別を自分ではうまくできないということです。アウシュラによれば、LSEは人々の感情生活をEIIより客観的に見抜くので、EIIが誰にでも共感して力を使い果たすのを防げます。
同じ構図は、EIIが自分で立てた順序や決まりについても書かれています。アウシュラは、こう書いています。
つまりEII〔原文: ドストエフスキー〕は、対象間の自分の秩序を — 一見、決然と大胆に確立しているように見えながら、(中略)常に確信を持てずにいる。彼の疑念に共感しうる人間が必要である。「自分が確立した」秩序を、必ず履行すべき法則として受けとめてくれる人間が、である。これがまさに、LSE〔原文: シュチルリッツ〕、つまり論理感覚外向である。
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Итак, несмотря на то что ДОСТОЕВСКИЙ как бы решительно и смело устанавливает свои порядки 〔中略〕 между объектами 〔中略〕 он в них постоянно не уверен. Нужен могущий сопере- живать этим его сомнениям человек. Человек, ко- торый «установленные им» порядки воспринимает как закон, обязательный к выполнению. Это, не- сомненно, ШТИРЛИЦ, или ЛОГИКО-СЕНСОР- НЫЙ ЭКСТРАТИМ.
上の引用にある対象間の秩序は、物事どうしの順序や決まりのことです。EIIは自分の決めた順序を大胆に打ち出しているように見えても、内心ではそれが正しいか確信を持てずにいる、とアウシュラは見ています。その順序を守るべき決まりとして受け取ってくれる相手として、アウシュラはLSEを挙げています。
双対の世話がよく見える場面として、アウシュラは、EIIが病気になったときのことを、こう書いています。
LSE〔原文: シュチルリッツ〕にとっては、不調 — これは、何かが正しくない仕方でなされた結果である。それゆえ、EII〔原文: ドストエフスキー〕が病気になれば、まず第一に、何が正しくない仕方でなされたかについての長い議論が始まる。EII〔原文: ドストエフスキー〕は、自分自身の世話を自分でしておらず、自分自身のためになすべきことをしていない、というLSE〔原文: シュチルリッツ〕の叱責を聞き入れる。彼にとっては、自分自身のために何かをする必要があるということを聞かされること自体が、極めて重要なのだ。
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Для ШТИРЛИЦА плохое самочувствие — ре- зультат того, что было сделано не так. Поэтому, если ДОСТОЕВСКИЙ заболел, во-первых, идет долгое обсуждение, что же было сделано не так. ДОСТОЕВСКИЙ слушает упреки ШТИРЛИЦА о том, как он о себе не заботится и не делает для себя самого то, что следует делать. Ему очень важ- но слышать то, что для себя нужно что-то делать.
つまり、LSEは不調をやり方の誤りの結果と考えて議論を始め、EIIはその叱責を、自分を大事にせよという言葉として聞き入れるということです。体の具合を扱うSi(内向感覚)は、EIIでは位置6(動員機能)、LSEでは位置2(創造機能)にあります。EIIが自分ではしていない体の世話を、LSEが言葉にして促す組み合わせです。
婚前交際を論じた章で、アウシュラはLSEとEIIを1組の双対として並べています。EIIの側について、アウシュラは、こう書いています。
論理的外向型に誰かを愛してもらうことが必要であるのと同様に、倫理直観内向には誰かの魅力が必要なのだ。彼自身は欲する勇気がなく、自分の魅力に不満で、それを抑えようとし、影響に屈しない。大胆さがゆっくりと訪れるのは、愛する人間への信頼とともに、そして魅力が滑稽に見えないこと、他者の目に彼を貶めないことへの確信とともにである。
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Равно как логическому экстраверту необходи- мо, чтобы его кто-то любил, а иначе он любить не умеет, так этико-интуитивному интроверту нужно чье-то влечение. Он сам желать не смеет, своим собственным влечением недоволен, старается его заглушить, не поддается его влиянию. Смелость приходит не скоро, вместе с верой в любимого че- ловека и уверенностью, что влечение не покажется смешным, не унизит его в глазах другого.
アウシュラの見方では、LSEに愛する相手が要るように、EIIには心を惹かれる相手の魅力が要ります。ただし、EII自身は自分の魅力に不満で、それを抑えようとします。大胆に振る舞えるようになるのは、相手を信頼できてからだということです。
後代の研究者によるEII-LSE
Stratiyevskayaは、EIIが双対に求める庇護を、こう書いています。
EII〔原文: ドストエフスキー〕は庇護を求めており、彼には保護者が必要であり、そして誠実な気持ちから差し出された助けを利用することを恥とは考えない。(中略)この点で最も調和のとれた相互理解は、EII〔原文: ドストエフスキー〕と彼の双対であるLSE〔原文: シュティルリッツ〕の間で生じる。LSE〔原文: シュティルリッツ〕は喜んで「自身の翼の下に取り込み」、行動でも助言でも非常に世話を焼くのを好む。EII〔原文: ドストエフスキー〕への世話の発揮の中で、LSE〔原文: シュティルリッツ〕の誇示的な意志のセンサーは最良の用途を見いだすのである。
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Достоевский ищет покровительства, ему нужен защитник и он не считает зазорным пользоваться помощью, предложенной от чистого сердца.〔中略〕Гармоничнее всего в этом плане происходит взаимопонимание Достоевского с его дуалом Штирлицем, который с готовностью "берет под свое крыло", очень любит опекать и делом, и советом. В проявлении заботы о Достоевском демонстративная волевая сенсорика Штирлица находит свое наилучшее применение.
上の引用にある誇示的な意志のセンサーは、LSEの位置8(実演機能)にあるSe(外向感覚)のことです。つまり、EIIは差し出された助けを恥じずに受け取り、LSEは世話を焼くことに自分の力の使い道を見つけるということです。
SeはEIIでは位置4(脆弱機能)にあります。EIIの最も弱い要素を、LSEの強い要素が支える配置で、Reininの言う弱い機能の保護と重なります。
同じ本のLSEの章で、Stratiyevskayaは逆向きに、EIIがLSEに与えるものを、こう書いています。
EII〔原文: ドストエフスキー〕はLSE〔原文: シュティルリッツ〕に寛大であること、許す術を心得ることを教える。彼はLSE〔原文: シュティルリッツ〕を「和らげ」、彼の関係の鋭い角を平らにする。LSE〔原文: シュティルリッツ〕は、あらゆる失望を毅然として耐え抜き、悪を持ち続けない術を心得ているEII〔原文: ドストエフスキー〕の倫理的模範を目の前にして、落ち着く。EII〔原文: ドストエフスキー〕の理想主義的原則は、LSE〔原文: シュティルリッツ〕がそれに従うとき、現実性を獲得する。
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Достоевский учит Штирлица быть великодушным, уметь прощать, он "смягчает" Штирлица, сглаживает острые углы его отношений. Штирлиц успокаивается, видя перед собой этический пример Достоевского, умеющего стойко переносить любые разочарования и умеющего не держать зла. Идеалистические принципы Достоевского обретают реальность, когда им следует Штирлиц.
言い換えると、EIIは寛大さと許し方を、自分の振る舞いで示してLSEに教えるということです。Fi(内向倫理)は、LSEでは位置5(暗示機能)にあります。最後の一文では、EIIの理想は、LSEが従うことで現実の形をとるとされ、ここでも2人は互いに足りないものを補っています。
Filatovaは『戦争と平和』のニコライ(LSE)について、EIEのアンドレイ公爵との関係にある圧力と比べながら、妻マリヤ(EII)との関係をこう書いています。
しかし、LSEであるニコライと、彼の妻である公爵令嬢マリヤが属する内向型の心理タイプEIIとの相互作用においては、このような圧力は存在しない。この場合、私たちがすでに知っている通り、彼らの関係は最も好ましいものとなる。ここでの違いはソシオニクス的に明白である—機能の指向性(EII対EIE)が異なっており、関係はまったく別の性格を帯びるのである。
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А вот при взаимодействии ЛСЭ — Николая с интровертным психотипом ЭИИ, к которому принадлежит его жена княжна Марья, такого давления нет. В этом случае их отношения, как мы уже знаем, наиболее благоприятны. Разница здесь соционически очевидна — отличается вертность функций (ЭИИ — ЭИЭ), и отношения принимают совершенно другой характер.
上の引用にある機能の指向性の違いは、要素の外向・内向の違いのことです。EIEはFe(外向倫理)とNi(内向直観)、EIIはFi(内向倫理)とNe(外向直観)を自我に持ち、倫理と直観の組は同じでも、外向と内向が入れ替わっています。Filatovaは、要素の向きの違いで、LSEとの関係がまったく別のものになることを、小説の人物で示しています。
活性化—EIIとSLI
同じデルタのSLIとの関係は、活性化と呼ばれます。Filatovaは、小説の登場人物ケステル(SLI)がロベルト(EII)を立ち直らせる場面を、こう解釈しています。
ロベルトは、どんなEIIとも同じように、非常に感情的な人間であり、困難な状況を重く受け止め、自分自身の力でその状態から抜け出すのは容易ではない。(中略)EII自身にとってそれはそれほど簡単なことではない。というのも、彼にとっては感覚も論理も弱い機能だからである。しかし、まさに感覚と論理こそが、「倫理」の極にあるエネルギーのすべてを、過剰な感情の高ぶりを鎮めるのに役立つ別の状態へと切り替えることができるのである。ケステルは、余計な話をすることなく、ただそれを手伝ってやるのである。
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Роберт, как любой ЭИИ, будучи человеком очень эмоциональным, тяжело переживает трудные ситуации, ему самому нелегко выйти из этого состояния.〔中略〕самому ЭИИ сделать не так-то просто, ведь и сенсорика, и логика у него — слабые функции. Но именно сенсорика и логика способны переключить всю энергию, находящуюся в полюсе «этика», в иные состояния, которые помогут погасить чрезмерное эмоциональное возбуждение. Кестер без лишних разговоров просто помогает это сделать.
Filatovaによれば、感情の高ぶりから自力で抜け出しにくいEIIを、SLIは余計な話をせず、感覚と論理の側から落ち着かせます。SLIの主導機能のSi(内向感覚)と創造機能のTe(外向論理)は、EIIの位置6と位置5に入ります。SLIは、双対のLSEと同じ2つの要素を、主導と創造を入れ替えて持つ相手です。
Filatovaは、同じことを実生活で見た例も、こう挙げています。
興味深いことに、著者の知人の一人(SLI型)も、まったく同様のことを行った。彼の娘(EII型)が家庭内のいざこざのためにストレス状態にあったとき、彼は単に、かなり荒れた海でモーターボートに乗ることを彼女に提案した。その結果、若い女性はすぐに落ち着きを取り戻し、困難な人生の状況を冷静に評価できるようになった。
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Интересно, что совершенно аналогично поступил один из знакомых автора (психотип СЛИ), когда его дочь (психотип ЭИИ), находилась в состоянии стресса из-за своих семейных неурядиц. Он просто предложил ей покататься на катере по достаточно бурному морю, в результате чего молодая женщина быстро успокоилась и стала трезво оценивать трудную жизненную ситуацию.
この例では、SLIの父が、荒れた海のモーターボートという体の体験で、娘の動揺を静めています。Filatovaは、ケステルとロベルトの場面と並べて、EIIの感情の高ぶりを感覚の体験で切り替えるところに、活性化の働きを見ています。
衝突—EIIとSLE
反対の極の衝突関係について、Filatovaは『風と共に去りぬ』のスカーレット(SLE)とメラニー(EII)を例に、こう書いています。
このような関係の十分に鮮やかな例は、スカーレットとメラニー—EIIとSLEというタイプ—の関係である。(中略)それゆえスカーレットは当初、メラニーの「地味な」外見、その華奢さ、ほとんど子供のような身体的な弱さと頼りなさを軽蔑的に評価する。(中略)しかし精神的な強靭さということになると—ここでは弱く華奢なメラニーのほうがリードし、スカーレットはメラニーの優位を認めるほかない。
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Достаточно ярким примером таких отношений являются отношения Скарлетт и Мелани, типов ЭИИ и СЛЭ〔中略〕Поэтому Скарлетт на первых порах презрительно оценивает и «невзрачную» внешность Мелани, ее хрупкость, почти детскую физическую слабость и беспомощность.〔中略〕Но вот когда дело доходит до духовной стойкости — тут уже лидирует слабая и хрупкая Мелани, и Скарлетт ничего не остается, как признать первенство Мелани.
言い換えると、スカーレットは、最初はメラニーの体の弱さを見下すが、心の強さではメラニーの優位を認めるということです。SLEの主導機能のSe(外向感覚)はEIIの位置4(脆弱機能)に入り、Fi(内向倫理)はSLEの位置4に入ります。互いの最も強い要素が、相手の最も弱い位置に入る組み合わせで、Filatovaの例では、見下しと敬意の両方が1組の人物に出ています。
Stratiyevskayaは、2008年のブログで、同じ衝突をEIIの側から、こう書いています。
平和を好むEII、ドストエフスキーには、SLE、ジューコフの嫌悪と苛立ちの理由が理解しにくい。なにしろ彼はいつも「皆にとって最善になるように」振る舞おうと努め、いつも人々に平和と善を願っているのだから。(中略)そして何よりもまず、彼は自分の環境、自分の最も身近な周囲のなかに衝突者を探し、見つけ出す。
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Миролюбивому ЭИИ, Достоевскому трудно понять причину неприязни и раздражения СЛЭ, Жукова: ведь он всегда старается поступать так, "как лучше для всех", всегда желает людям мира и добра.(中略)И прежде всего он ищет и находит конфликтёров в своей среде, в ближайшем своём окружении: кто-то косо взглянул, кто-то неделикатно ответил, холодно поздоровался, неприветливо встретил, заговорил на повышенных тонах
上の引用にある衝突者は、自分とぶつかる相手のことです。EIIは、皆にとって最善になるよう振る舞おうと努めているので、SLEの苛立ちの理由が分からない、とStratiyevskayaは書いています。EIIの寛大さを書いた書籍の記述に対し、このブログでは、EIIのほうが身近な人の中に衝突の相手を探し始める姿が書かれています。
小括します。EIIの関係記述の中心は双対LSEです。アウシュラは共感を向ける相手の選別・自分で決めた順序への確信・体の世話という3つの場面で、LSEがEIIを支えると書いています。Stratiyevskayaは、LSEの庇護とEIIの寛大さを両方向から書き、Filatovaはニコライとマリヤを最も好ましい組として挙げています。つまり、EIIが自分では決めきれないことを、LSEがはっきりした形にして返すという点で、3人の記述は重なっています。
活性化と衝突は、Filatovaの文学と実生活の例が中心です。活性化のSLIはEIIの感情の高ぶりを感覚の体験で静めます。衝突のSLEとは互いの強い要素が相手の弱い位置に入り、Filatovaの例では見下しと敬意の両方が現れています。Stratiyevskayaの後期のブログは、その衝突をEIIの側から書いています。個別の組み合わせはタイプ間の関係のページで確認できます。
19MBTI®のINFPとの比較
当サイトはEIIをINFPと併記しています。この章では、その対応の根拠と限界を短く整理します。詳しい一般解説はMBTIとの比較のページにあります。
対応の根拠—内向タイプのJ/Pスイッチ
ソシオニクスとMBTIは、どちらもユングの類型論から枝分かれした別の理論です。当サイトのEII=INFPという併記は、両体系の機能配列が同一だとする仮定に基づきます。ソシオニクスのEIIは位置1がFi(内向倫理)、位置2がNe(外向直観)です(03章)。これをMBTI側の主機能Fi・補助機能Neという並びに対応させると、INFPになります。
末尾文字の定義は、両体系で異なります。ソシオニクスの小文字j/pは、主導機能が判断機能か知覚機能かを示します。EIIは主導がFiで判断機能なので、4文字表記はINFjです。一方、MBTIの大文字J/Pは、外界に向ける機能の種類を示します。EIIは内向タイプなので、外界に向くのは位置2のNe、つまり知覚機能で、MBTI側の末尾はPになります。
そのため、ソシオニクスのINFjとMBTIのINFPでは末尾が反転します。この反転が起きるのは内向の8タイプ(LII・LSI・ESI・EII・ILI・IEI・SLI・SEI)で、外向の8タイプでは末尾がそのまま一致します。
EIIの場合、混線の条件がもう一つ重なります。ソシオニクス表記のINFjと字面が同じMBTIのINFJは、別のタイプ(IEI)への対応です。末尾の1文字だけを見て突き合わせると、EIIとIEIを取り違えます。この2つはモデルA上では準同一関係で、主導機能がFi(EII)とNi(IEI)、創造機能がNe(EII)とFe(IEI)です。どちらも内向の倫理と直観の組で記述が一見近いため、表記の取り違えが内容の取り違えに直結しやすい組み合わせです。
外から見た関係—Bukalovの反論
心理学の側からソシオニクスがどう見えるかについて、Bukalov自身が書いています。
一方、たとえば類型論を専門とする心理学者は、ソシオニクスをマイヤーズ-ブリッグス類型論より良くも悪くもない単なるポストユング類型論として扱う。それは彼らの権利ではあるが、われわれは彼らがソシオニクスをタイプの抽出にのみ矮小化しており、それで打ち切ってしまっている、と考える。
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А, скажем, психологи-типологи рассматривают соционику всего лишь как постюнговскую типологию, не лучше и не хуже типологии Майерс-Бриггс. Это их право, но мы считаем, что они низводят соционику до выделения типов, да и только, и этим ограничиваются.
外部からは「MBTIと同水準のポストユング類型論の1つ」と見なされ、内部はそれを「タイプ抽出への矮小化」と反論する—両者の認識の溝がそのまま残っている構図です。ソシオニクス側が独自性の根拠に挙げるのは、モデルA、タイプ間の関係の理論、次元性などの理論装置です(その実証状況は23章)。
EII読者への実務的な注意
MBTIでINFPと判定された人がこのページを読む場合、EIIの記述がそのまま自分に合うとは限りません。INFj⇄INFPは、Fi・Neの配列が同じだとする体系間の対応であり、診断結果の互換ではないからです。末尾の文字の見た目ではなく、位置1のFi、位置2のNeを含む8位置全体(03章)で照らし合わせると、自分とどこが重なるかを確かめられます。
小括します。EII=INFPは、機能配列同一の仮定と、内向タイプでは末尾が反転するJ/Pスイッチに基づく体系間の対応づけです。ソシオニクス表記のINFjはMBTIのINFPに対応し、字面の同じMBTIのINFJは準同一のIEIに対応します。
20サブタイプとタイプ内変異
同じEIIでも、内に沈んで禁欲的に見える人と、朗らかで周りの出来事に関心を向ける人がいる、という観察を扱うのがサブタイプ(タイプ内変異)の理論群です。いずれもモデルAへの後代の拡張で、相互に互換性はありません。この章では、アウシュラの区別から、Meged & Ovcharov、Filatova、GulenkoのDCNHまでを順に扱います。
アウシュラ—タイプと人格の区別
サブタイプ理論が前提にしている区別を、アウシュラ自身がこう書いています。
パーソナリティとパーソナリティタイプは、疑いなく同じものではない。同じパーソナリティタイプを持つ人間でも、わが国の文化と何らかのアステカ文化では、まったく異なるものである。
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Личность и тип личности, несомненно, не одно и то же. Человек с тем же самым типом личности в нашей культуре или в какой-либо ацтекской культуре — это что-то совершенно разное. Даже в нашем бесклассовом обществе найдете сколько угодно вариаций того же Дон Кихота2 или Дюма3.
言い換えると、同じタイプでも、文化が違えば人格はまったく違うものになるということです。この区別の中心にあるのは、タイプは人格の全体ではなく形式だという線引きです。同じ段落でアウシュラは、同じタイプの「変種」はいくらでも見つかるとも書いています。後代のサブタイプ理論は、この形式の内側に残る違いを、どの軸で区分するかの試みとして現れます。
Meged & Ovcharov—接触型と惰性型
2分割のサブタイプ理論の代表として名前が挙がるのが、Meged & Ovcharovの体系です。Wikisocionは、この理論をこう記録しています。
接触型/惰性型サブタイプ(Contact/Inert)(中略)V. Meged と A. Ovcharov によって提唱されたシステム。
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Contact / Inert Subtypes(中略)This system of subtypes was proposed by V. Meged and A. Ovcharov.
つまり、接触型と惰性型の区分は、MegedとOvcharovが提唱したものだということです。この理論は同じタイプを2つの変種に分けるもので、EIIならNe側が強い変種とFi側が強い変種になります。
ただし当サイトが確認できた範囲では、Meged & Ovcharov本人のEIIの記述(13章)には、サブタイプ論への言及がありません。この理論の整理は、コミュニティ編纂資料に依っています。
Filatova—倫理サブタイプと直観サブタイプ
Filatovaは、16タイプを2変種ずつの32水準で記述します。EIIの1つ目の変種である倫理サブタイプを、Filatovaはこう書いています。
自分自身の中に、自分の内面世界の中に深く沈み込んだ人物である。若い頃から、自分にも周囲の人々にも当てはめる高い道徳的基準を、自分の魂の中に形成していく。非常に感情的で傷つきやすいが、外見上はそれが目立つことは通例ない。(中略)非常に良心的であり、誰かの頼みを断らざるをえなかった場合、深く思い悩む。仕事には並外れて責任感を持って取り組み、自分自身に過大な要求を課すため、しばしば疲労困憊する。(中略)外見的には禁欲的に見え、まなざしは彼の存在の奥深くのどこかから出て、未知の彼方へと去っていく。
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Человек глубоко погруженный в себя, в свой внутренний мир. Смолоду он формирует в своей душе высокие моральные критерии, с которыми подходит как к себе, так и к окружающим людям. Очень эмоционален и раним, но внешне это, как правило, незаметно.〔中略〕Очень совестлив, сильно переживает, если пришлось отказать кому-то в его просьбе. К работе относится исключительно ответственно, предъявляет к себе завышенные требования, поэтому часто переутомляется.〔中略〕Внешне выглядит аскетичным, взгляд идет откуда-то из глубины его существа и уходит в неизвестную даль.
つまり、倫理サブタイプは、内面に深く沈み、自分にも他人にも高い道徳の基準を当てるということです。頼みを断らざるをえないと深く思い悩み、自分に課す要求の大きさで疲れ果てるという負担も書かれています。傷つきやすさは外に出ず、外見は禁欲的とされます。
もう1つの変種について、Filatovaはこう書いています。
倫理サブタイプよりも開放的で、外見的にも—朗らかである。周囲で起きていることに生き生きとした関心を持ち、接触の申し出には喜んで応じるが、自分からそれに向かうのは恥ずかしがる。自分がいるどんな集団の中でも、感情的な場をよく感じ取り、鋭い対立を和らげようと努める。しかし、それが常に容易であるとは限らないため、状況が受け入れがたいと思われる場合には、争うよりもむしろ立ち去ることを好む。
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Человек более открытый, чем подтип этический, и внешне — жизнерадостный. Он живо интересуется тем, что происходит вокруг, с удовольствием откликается на предложение контакта, хотя сам первый на него идти стесняется. Он прекрасно ощущает эмоциональное поле внутри любой группы, в которой находится, старается сгладить острые отношения. Однако не всегда это бывает легко, поэтому предпочитает лучше уйти, но не ссориться, если ситуация ему кажется неприемлемой.〔中略〕Может реализовать свои способности в преподавательской и научной работе, лучше — гуманитарного профиля.
言い換えると、直観サブタイプは、倫理サブタイプより開放的で朗らかだが、自分から接触を求めるのは恥ずかしがるということです。集団の感情の場を感じ取って対立を和らげようとし、受け入れがたいときは争わずに立ち去るとされます。
2変種の違いは、内へ沈むか、周りの出来事へ関心を向けるかです。倫理サブタイプの記述は、道徳の基準と、それを自分に課す負担が中心です。直観サブタイプの記述は、周囲への関心と、対立の中での身の処し方が中心になります。
さらにFilatovaは、顔写真の組を見分ける箇所で、直観の側が強いEIIの女性たちをこう書いています。
しかし彼女たちもまたEII心理タイプに属しており、ただ彼女たちのモデルAでは右ブロック、すなわち直観と論理のブロックが強化されている。つまり、彼女たちはEIIでありながら、ILE、ドン・キホーテのサブタイプに属していることになる。(中略)著者はこれらの女性の一人と非常に多く交流してきており、これも同じくEIIタイプであり、ただ可能性の直観が強化されているのだ、と確信を持って断言する。ここから、いくぶん「IEE〔原文: ハクスリー〕的な」ずる賢い笑みが生まれている。
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Однако они также принадлежат психотипу ЭИИ, только в их модели А усилен правый блок, блок интуиции и логики, получается, что они принадлежат к ЭИИ с подтипом ИЛЭ, Дон Кихота.〔中略〕Автор очень много общалась с одной из этих женщин и с абсолютной уверенностью утверждает, что это — также тип ЭИИ, только с усиленной интуицией возможностей. Отсюда — и несколько «гекслиная» лукавость улыбки.〔中略〕Надо заметить, что обе эти женщины — медицинские работники, обе работают в отделениях физиотерапии в разных центрах.
つまり、Filatovaは、直観と論理のブロックが強化されたEIIを、EIIのままILEのサブタイプに属すると見ています。長く交流してきた女性についても、FilatovaはEIIで可能性の直観が強化されていると断言し、そこからIEEに似た笑みが生まれると書いています。この記述では、変種の違いが、別のタイプに似て見えるほどの幅として扱われています。
Gulenko—DCNHの4サブタイプ
Gulenkoも、EII章の外見の節では、Filatovaと同じ倫理サブタイプと直観サブタイプの2つを使い、体型と服装をこう書いています。
倫理が強いEIIは、原則として、細く禁欲的な体型をもつ。動作では鋭くかなり機敏である。直観が強化されると、体型は豊満で曖昧で、動作はぎこちない。(中略)一方では、目立とうとせず、控えめだが上品な服装(特に倫理サブタイプ)を好む。他方では、ファッションに従って、オウムのように非常に明るく装うことができる。後者は直観サブタイプの男性に特徴的である。
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Eli with a strong ethic has, as a rule, a thin, ascetic figure. In movements, she is sharp and quite mobile. If intuition is strengthened, her figure is full and blurred with clumsy movements.〔中略〕On the one〔中略〕hand, she does not strive to stand out and prefers modest but tasteful clothing (especially in the ethical subtype); on the other hand, she can dress up very brightly, like a parrot, according to fashion. The latter is characteristic of men of an intuitive subtype.
言い換えると、倫理が強いEIIは細く禁欲的で動きが機敏、直観が強化されたEIIは豊満で動きがぎこちないということです。「禁欲的」の語は、Filatovaの倫理サブタイプの外見にも出てきます。2人の研究者が、倫理の側が強い変種の外見に同じ語を使っていることになります。
ですが、Gulenkoの区分の中心は、2分割ではなく4分割のDCNHです。『64の肖像』という書名は、16タイプ×4サブタイプ=64変種に由来します。GulenkoはEIIを人道家と呼びます。4変種の下位呼称は、一貫者(支配型D)・育む人(創造型C)・良心者(規範型N)・共感者(調和型H)です。支配型について、Gulenkoはこう書いています。
支配型EIIは、通常、社会的に有益な性格をもち、個人的な富への結びつきのない、割り当てられた目標を粘り強く達成する。長い道のりに固有の困難に決して屈しない。彼女の強みは、行動が自分のためでなく他者のためであるという動機づけにある。
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Humanist — Consistent Prototype: Volunteer for a charitable organization Dominant Eli persistently achieves assigned goals that are usually socially beneficial in character and without links to personal enrichment. She is never deterred by the inherent difficulties on the long road. Her strength is in the motivation that her actions are not for herself but for other people.
つまり、支配型のEIIは、個人の富と結びつかない目標を、他者のために粘り強く追います。Gulenkoは典型像として、慈善団体のボランティアを挙げています。4変種の基準になる記述で、困難に屈しない粘りが、次の創造型と比べる軸になります。
創造型について、Gulenkoはこう書いています。
創造型EIIは好奇心旺盛で、敵対的社会における人類の運命のような、道徳的・哲学的な問題に関心がある。様々なものの本質を理解し、自分独自の世界の絵を思い描こうとする。(中略)時間を配分することはできるが、すべての活動を所定の時間までに完成させる粘り強さと意志力に欠ける。
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Humanist — Nurturer Prototype: Someone who find the means to realize herself in spite of the circumstances Creative Eli is inquisitive and interested in moral and philosophical issues such as the fate of humanity in a hostile society. She tries to understand the essence of various things, envisioning her own picture of the world.〔中略〕Although able to allocate her time, she lacks the perseverance and willpower to complete all of her activities by a designated time
言い換えると、創造型のEIIは、道徳や哲学の問題に関心を向け、自分独自の世界像を描こうとするということです。一方で、活動を期限までに仕上げる粘り強さには欠けるとされます。支配型の「困難に決して屈しない」と並べると、同じ人道家の中で、粘りの向きが逆に書かれています。
規範型は、こう書かれています。
規範型EIIは人々の関係に踏み込む。対人衝突や誤解に耐えるのが難しく、状況を客観的に理解し、論争中の各当事者にどこが間違っていたかを説明しようとする。忠誠心において、かなり揺るぎない。
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Humanist — Conscientious Prototypes: Tolerant and obedient parishioner, the fairytale character Cinderella Normalizing Eli delves into the relationships between people. She has difficulty tolerating interpersonal conflicts and misunderstandings, and attempts to objectively understand a situation and explain to each of the disputing parties what they’ve done wrong. She is quite unwavering in her loyalties.
Gulenkoによれば、規範型のEIIは対人の衝突に耐えられず、自分から関係に入って各当事者の誤りを説明しようとします。典型像はシンデレラで、忠誠心の揺るがなさも挙げられています。ここで比べる軸は、他人どうしの衝突にどう関わるかに移ります。
調和型について、Gulenkoはこう書いています。
調和型EIIは、平和と調和を保つために妥協する能力のおかげで、相互理解と寛容を高く評価する。人々をありのままに受け入れ、彼らの弱さを許し、変えようとしない。不承認を口にすることはまれで、代わりに人々が罪を意識するようになるのを待つ。
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Humanist — Empath Prototype: Psychotherapist working with children’s trauma and other complexes Harmonizing Eli appreciates mutual understanding and tolerance, owing to her ability to compromise for the sake of keeping peace and harmony. She accepts people as they are, forgiving their weaknesses and not trying to change them. She rarely voices disapproval and instead waits for people to become aware of their guilt.
つまり、調和型のEIIは、人をありのまま受け入れ、不承認を口にせずに相手が自分の非に気づくのを待つということです。典型像は、子どものトラウマを扱う心理療法士です。規範型が当事者に誤りを説明しに行くのに対し、調和型は口にせず待つ側に書かれています。
このように4変種では、目標への粘りで支配型と創造型が、衝突への関わり方で規範型と調和型が、それぞれ逆の向きに書き分けられています。この幅は、変異をよく捉えているとも、タイプ概念の識別力を薄めているとも読めます。
サブタイプ理論への批判
コミュニティ編纂資料自身が、批判点をこう記録しています。
タイプの誤判定を隠すために使われることがある
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Critics say that in many cases the basic type has been incorrectly diagnosed, and the addition of a “subtype” simply masks the contradiction.
つまり、タイプの判定が合わないときに、サブタイプで後から説明を足せてしまうという批判です。この章でも、FilatovaはEIIのままILEのサブタイプに属する女性を挙げ、Gulenkoは粘る支配型と粘りに欠ける創造型を同じ人道家に収めています。区分の幅が広いほど、外れた観測を変種として吸収する余地も広がります。そのため、サブタイプは反証されにくくする説明になりえます。
小括します。変異の存在自体はアウシュラの時点で書かれていますが、区分は2分割(Meged & Ovcharov、Filatova)と4分割(Gulenko)が併存します。倫理の側が強い変種の外見を、FilatovaとGulenkoがともに「禁欲的」と書いている点は、2人の記述が重なるところです。
一方、分ける軸は研究者ごとに違います。Filatovaは内へ沈むか周りへ開くかで、Gulenkoは粘りと衝突への関わり方で書き分けており、相互の互換性はありません。サブタイプは、観察の記述としては使えても、理論としては未統一の領域です。
21識別と誤同定
EIIの判定について、研究者たちは、外から見えにくいEIIを何で見分け、何と取り違えるかを書いてきました。この章では、判定の手続き論と、EIIに固有の識別手がかり、取り違えられやすい相手、判定が見直された実例を扱います。
手続き論—アウシュラとYermak
創始者のアウシュラがタイプを確かめる基準は、モデルが実際の人で働くかどうかでした。アウシュラは、研究の第1段階をこう書いています。
研究の第1段階は、K.G.ユングのモデルを全知人で検証することだった。それは絶対的に正しいことが分かり、それゆえモデルが作動するか作動しないかで、タイプが正しく確立されたかどうかが見えた。モデルが作動しなければ、タイプ診断の誤りを意味した。
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Первым этапом изучения была проверка модели К. Г. Юнга на всех знакомых людях. Она оказалась абсолютно правильно, и потому, срабатывает или не срабатывает модель, было видно, правильно ли установлен тип. Если модель не срабатывала, то это обозначало ошибку в диагнозе типа.
言い換えると、アウシュラは、モデルが働かなければタイプの見立てのほうを誤りとしたということです。この基準は判定の現場では使いやすい一方で、モデル自体が誤っている可能性を検討の外に置いています。
Yermakは、判定の手続きを2つの段階に分けて、こう書いています。
心のTIMの 同定の手続き は、専門家による心のタイプの 仮説 の選択と、選ばれた心のタイプに対応する心のTIMモデルの 検証 からなる。
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Процедура идентификации ТИМ психики состоит из выбора экспертом гипотезы типа психики и верификации модели ТИМ психики, соответствующей выбранному типу психики.
上の引用にあるTIMは、情報代謝タイプのことです。つまり、まず「この人はEIIではないか」という見立てを立て、次にEIIのモデルどおりかを確かめるという2段階です。アウシュラの「モデルが作動するか」の確認は、このうちの2段目を先に実践していたと読めます。この章の最後で見るYermak自身の2例は、この2段目を欠いた判定として書かれています。
面接者の構え—Karpenko
判定する側の条件について、Karpenkoは、専門家の理想をこう書いています。
エキスパートは距離を置いた者ではありえない。彼はバイタルな衝動に応答することを余儀なくされ、義務づけられている。さもなければ彼とコミュニケーションすることは不可能になり、さもなければ被験者とのコンタクトは失われてしまう。注意深く、同情し、共感し、心から人々を愛し、しかし感情の、関係の、影響の遊びには巻き込まれていない—これがエキスパートの理想である。非巻き込まれ性は、ILEのエキスパートが、ESIがある考えの展開の中で発した、しかし事実上ILEに宛てられたフレーズ—「たとえば、あなたのことは、私、好きじゃありません」—に平静に対応することを可能にする。そう、分かっている—衝突である。しかしこれはインタータイプ関係であって、この2人の具体的な人間同士の関係ではない。
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Эксперт не может быть отстраненным, он вынужден, обязан откликаться на витальные импульсы, иначе с ним невозможно будет общаться, иначе контакт с испытуемым будет утрачен. Внимательный, сочувствующий, сопереживающий, искренне любящий людей, но не вовлеченный в игру эмоций, отношений, влияний — вот идеал эксперта. Невовлеченность позволяет эксперту-ИЛЭ спокойно отреагировать на фразу ЭСИ, произнесенную в развитие какой-то мысли, но адресованную фактически ИЛЭ: «Вот вы мне, например, не нравитесь». Да, понятно, — конфликт, но это интертипное отношение, а не отношение этих двух конкретных людей.
上の引用にあるインタタイプ関係は、2人のタイプの組み合わせから決まる関係のことです。Karpenkoによれば、専門家は相手に共感しつつ、感情のやり取りには引き込まれない位置に立つ必要があります。
引用の例はILEの専門家とESIの被験者ですが、EIIを判定する場面なら、衝突関係の相手はSLEの面接者です。Karpenkoが求めているのは、タイプの組み合わせから来る反応と、目の前の2人の関係を分けて受け止めることです。
EII固有の識別手がかり
EIIの手がかりとして研究者が挙げるものは、外見の眼差しと、困っている人への行動の2つに分かれます。
Filatovaは、EIIの外見のうち最初に目を引くものを、こう書いています。
まず真っ先に目を引くのは、EII型の眼差しである。その眼差しは、はるか遠くの無限のどこかから始まり、同じくどこか無限の彼方へと去っていくかのような印象を与える。多くの場合、禁欲的な体格で、痩せた顔、こけた頬(中略)を持ち、閉鎖的で物思いに沈んでいるように見える人々である。もっとも、注意深く見つめれば、彼らの中に秘められた自信のなさ、どこか病的なものを感じ取ることができる。
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Первое, на что хочется сразу обратить внимание, — это взгляд психотипа ЭИИ. Такое впечатление, что он начинается где-то далеко в бесконечности и уходит также куда-то в бесконечность. Чаще всего встречаются люди аскетического телосложения, с худыми лицами, впалыми щеками〔中略〕которые выглядят замкнутыми, погруженными в свои мысли. Правда, при внимательном взгляде на них можно почувствовать затаенную неуверенность в себе, что-то болезненное.
つまり、Filatovaが最初の目印にしているのは、遠くを見るような眼差しと、閉じて物思いに沈んだ印象です。そのうえで、外からは見えにくい自信のなさを、注意して見れば感じ取れるものとして書き添えています。
行動の面では、Gulenkoが、EIIを識別するのに役立つ特性をこう書いています。
EIIを識別するのに役立つひとつの特性は、身近な人々を、言葉だけでなく行動でも世話を見せて助ける用意ができていることである。これは特に困難な状況に陥った人々に当てはまる。EIIはしばしば人々の間を仲介しようとする。争っている当事者の間に身を置き、関係する誰とでも良い関係を維持しようとする。それによって、しばしば両側から自分に火を引きつけてしまう。
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One feature that helps to identify Eli is a readiness to be of help to people close to her, with her care shown not only by words but also by deeds. This is especially true of people who have gotten into difficult situations. Eli often tries to mediate between people. She puts herself between warring parties and attempts to keep good relations with everyone involved, by which she often draws fire to herself from both sides.
言い換えると、Gulenkoの手がかりは、困っている身近な人を、言葉だけでなく実際の手助けで支えることです。争う人のあいだに入って双方と良い関係を保とうとし、その結果両側から非難を向けられることも、同じ特性の一部として書かれています。
Filatovaが外見の静けさから入るのに対して、Gulenkoは人のあいだに入る行動から入ります。
誤同定されやすい相手—IEIとESI
EIIと取り違えられやすい相手として、ここではIEIとESIを取り上げます。EIIから見て、IEIとは準同一関係、ESIとは同属関係です。IEIとは名前の近さ、ESIとは外見の静けさが、取り違えのもとになりえます。
IEIは、主導機能がNi、創造機能がFeのタイプです。EIIと同じく、倫理と直観の組を自我に持つタイプです。ソシオニクス表記のINFjとMBTIのINFJの字面が同じことが取り違えを招く点は、19章で見ました。Stratiyevskayaは、この2タイプの違いを、クアドラの構成からこう書いています。
そして第四クアドラ(デルタ)の合理内向倫理-直観タイプであるドストエフスキー(EII)は、それに応じて、第二クアドラの非合理直観倫理内向であるセルゲイ・エセーニン(IEI)と垂直性とアスペクトの配置の両方で対立的である。
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А рациональный интроверт этик-интуит четвертой квадры Достоевский соответственно противоположен и по вертности и расположению аспектов иррациональному интуитивно-этическому интроверту второй квадры Сергею Есенину.
上の引用にある垂直性は、要素の外向・内向の向きのことです。つまり、EIIとIEIは、倫理と直観という同じ組でも、要素の向きと並ぶ順の両方が逆だということです。EIIは倫理が先に来る合理タイプ、IEIは直観が先に来る非合理タイプです。Stratiyevskayaは、名前の似た2タイプを、構造の上では2重に対立する組として書いています。
ESIは、主導機能がFi、創造機能がSeのタイプです。主導機能のFiは、EIIと共通です。Filatovaは、ESIとEIIに共通する見分けにくさを、こう書いています。
内向倫理型のESI(守護者)の場合と同様に、内向倫理型のEII(ヒューマニスト)でも、外見からすぐに倫理型であると見抜くのは難しい。というのも、両者とも外見上はあまり感情的でない人物に見え、感情はすべて内側に留められているからである。したがって、内向合理型の心理タイプを判定する際には、特に注意深くある必要がある。
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Так же как и в интровертном этике ЭСИ, Хранителе, в интровертном этике ЭИИ, Гуманисте, не сразу можно распознать этическую принадлежность, поскольку внешне и те и другие выглядят не очень-то эмоциональными людьми — все эмоции держатся внутри. Поэтому следует быть особенно внимательными при определении психотипов интровертных рационалов.
言い換えると、2つのタイプはどちらも感情を内側に留めるため、外見からは倫理型だと気づきにくいということです。Filatovaが内向の合理型の判定に特に注意を求めるのは、表情が手がかりになりにくいからです。
ESIとEIIを分ける点について、Stratiyevskayaは、準双対の関係を扱ったブログでこう書いています。
自我のプログラムとして道徳を擁護する—臨機応変・倫理型・道徳家・否定・質問・戦術の—ESI、ドライザーは、自我のプログラムとして道徳を教え諭す—先見・倫理型・道徳家・肯定・宣言・戦略の—EII、ドストエフスキーと違って、先回りして説教をしない(そして何よりもこの点で彼と異なる)。(中略)EII、ドストエフスキーと違って、ESI、ドライザーは善について論じず、「善」を教えも学びもしない。善とは何かをすでに知っていると考えているからである。
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ЭГО-программный поборник нравственности – беспечный-этик-моралист-негативист-квестим-тактик- ЭСИ, Драйзер, в отличие от ЭГО-программного нравучителя – предусмотрительного этика-моралиста-позитивиста-деклатима-стратега -ЭИИ, Достоевского не читает нравоучений впрок (и этим прежде всего от него отличается).(中略)В отличие от ЭИИ, Достоевского, ЭСИ, Драйзер не рассуждает о доброте, не учит и не учится «добру», считая, что и так знает, что это такое;
上の引用にある臨機応変・先見、否定・肯定、質問・宣言、戦術・戦略は、レイニン特性の対です。Stratiyevskayaによれば、ESIは道徳を守る側、EIIは道徳を教え諭す側に分かれます。善とは何かを論じて教え、自分も学ぼうとするのはEIIのほうです。同じFi主導でも、道徳を言葉にして人に向けるかどうかが識別点になるということです。
誤同定の実例—Yermakの2例
判定の誤りの実例として、Yermakは、EIIをめぐる2つの取り違えを書いています。1つはEIIが別のタイプに見えた例、もう1つは別のタイプがEIIと判定された例です。
1つめの例を、Yermakはこう書いています。
心のTIMがEII(「ドストエフスキー」)である人物が、KGB将校の祖父と父に育てられ、その後KGBに勤めた。問い: EII(「ドストエフスキー」)のイデオロギーは、KGBのような「力の」機構の規範と両立するか(中略)もちろん否である!.. だから彼はいまも、ロシア大統領の職にありながら、EIIの心のTIMの超自我ブロックに「座り」続けることを強いられている(中略)2次元と1次元の機能を4次元と3次元の機能から区別できないタイプ判定者たちは、LSIの心のTIMの発現を「見聞き」するのである。
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Человек, ТИМ психики которого ЭИИ («*достоевский*»,(中略)воспитывался дедом и отцом офицерами КГБ, а затем служил в КГБ. Вопрос: совместима ли идеология ЭИИ («*достоевский*»,(中略)с нормами такой «силовой» структуры как КГБ(中略)Конечно нет!.. Вот он и вынужден до сих пор, даже занимая пост Президента России, «сидеть» на блоке Суперэго ТИМ психики ЭИИ, т. е.(中略)Типировщики-типоведы, не умея отличить двух- и одномерные функции от четырёх- и трёхмерных, «видят и слышат» проявления ТИМ психики ЛСИ.
EIIの超自我はTi(2次元)とSe(1次元)で、LSIの主導・創造と同じ要素です。つまり、Yermakの見立てでは、組織の規範に合わせて超自我のTi・Seで振る舞い続けるEIIが、次元を見分けない判定者にはLSIに見えるということです。
引用では名前を出していませんが、職名からロシア大統領を指しており、この人物をEIIとするのもYermakの見立てです。どちらの判定が正しいかは、この引用だけでは決められません。
2つめの例を、Yermakはこう書いています。
心のTIMがEIE(「ハムレット」)である少年(16歳)(中略)これらの学生たちはタイプ判定に熱中しており、すぐさま彼をEII(「ドストエフスキー」)と判定した(中略)彼はあらゆるものから守られていた(「…ヴァイオリンだけ!」)。その結果、彼のヴァイタル超ブロックは「生活上の」情報でほとんど満たされず、彼は現実の生活空間に適応できなかった。もし「タイプ判定者たち」が心的機能の次元と記号の性質を知っていたなら、この神童の青年が自分の、EIEの、イドブロックで生きようとしていたことを突きとめられただろう
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Подросток (16 лет) ТИМ психики ЭИЭ («*гамлет*»,(中略)Эти студенты увлекались типирование и быстренько определили его как ЭИИ(中略)его ограждали от всего («...только скрипка!»), вследствие чего его суперблок Витал оказался практически ненаполнен «житейской» информацией и он не смог адаптироваться в реальном жизненном пространстве. Если бы «типировщики» знали размерности и свойства знаков психических функций, они моги бы установить, что парень-вундеркинд пытался жить на своём, ЭИЭ, блоке Ид
上の引用にあるヴァイタル超ブロックは、位置5〜8の要素のまとまりのことです。言い換えると、生活の情報を持たないまま育ったEIEの少年が、イドの要素で生きようとしていたために、EIIと判定されたということです。EIEのイド(位置7・8)はFi・Neで、EIIの自我と同じ要素の組です。
2例とも、見立てのあとの検証で次元を確かめなかったことが、誤りの原因とされています。
小括します。第一に、判定の手続きは、アウシュラの「モデルが作動するか」の確認と、Yermakの仮説と検証の2段階として書かれています。第二に、Karpenkoは、面接者にタイプの組み合わせから来る反応と個人の関係を分けることを求めています。第三に、EIIの手がかりとしては、Filatovaの遠くを見る眼差しと、Gulenkoの困っている人への手助けと仲介が挙がっています。第四に、IEIは構造の上で2重に対立する組として書かれています。ESIは感情を内に留める点で共通し、道徳を教え諭すかどうかで分けられています。第五に、Yermakの2例は、EIIがLSIに見えた例とEIEがEIIに見えた例で、どちらも次元の確認を欠いた判定とされています。
22著名人と思想のタイピング
研究者たちがEIIの例として繰り返し挙げてきたのは、作家ドストエフスキーと、その小説の人物たちです。著名人のタイピングはソシオニクス文献に長く続く習慣ですが、本人を検査した記録ではなく、検証がきかない領域でもあります。この章では、研究者が誰をEIIに挙げ、何を根拠にしたかを扱います。最後の1節だけは、当サイトの試論です。
愛称「ドストエフスキー」の由来
ソシオニクスでは、タイプを著名人や物語の人物の名で呼ぶ愛称が使われてきました。EIIの愛称「ドストエフスキー」は、19世紀ロシアの作家の名です。Bukalovは、EIIのプロファイルで、作家ドストエフスキーをこう紹介しています。
人間への愛の感情、高い人道主義が彼らの世界観を特徴づけている。F・M・ドストエフスキー(「EII〔原文: ワトソン〕」)はすべての作品において、人間の内面世界、その思考、感情、行動を明らかにしようとした。彼の理想はアリョーシャ・カラマーゾフとムイシュキン公爵であり、作家にとって最も光ある存在を代表している。
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The feeling of love for man, the high humanism characterize their outlook. FM Dostoevsky ( “Watson”) in all his works, trying to uncover the inner world of man, his thoughts, feelings and actions. His ideal - Alyosha Karamazov and Prince Myshkin, who represent the most light for the writer.
Bukalovは、作家ドストエフスキーを、どの作品でも人間の内面を描こうとした作家として、このタイプの代表に置いています。理想の人物としてアリョーシャ・カラマーゾフとムイシュキン公爵を挙げ、作家が何を最も尊いと見たかも根拠に加えています。
上の引用で作家の名に添えられた「ワトソン」は、EIIのもう1つの愛称です。Yermakも、EIIを「ワトソン」、双対のLSEを「ホームズ」と呼ぶ一覧を残しています(10章)。こちらは、双対の2人を探偵小説の相棒の組で呼ぶ命名です。
このように、EIIには、作家の名による「ドストエフスキー」と、物語の人物の名による「ワトソン」の2つの愛称が並んでいます。どちらを使うかは資料によって違い、EIIの愛称は1つに定まっていません。
アウシュラが挙げた人物
創始者のアウシュラは、『ソシオニクス: 心理タイプ・テスト』のEII章で、作家ドストエフスキーの小説から例を取っています。アウシュラは、EIIの物腰と、その挿絵になる人物を、こう書いています。
これは普通、物静かな人々であり、新しい仲間内では沈黙し観察する側に回るほうが多く、特別な活発さを示さない。しかし、彼らを過度に内気だとは言えない。彼らは他人が自分にどう接しているかを見ており、こちらが態度を改めるなら相手の態度もよくなることを知っているからだ。(中略)彼らへの優れた挿絵が、F・M・ドストエフスキーの長編『白痴』のムィシキン公爵、アリョーシャ・カラマーゾフ、あるいは『未成年』の主人公である。
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Это обычно тихие люди, которые в новой ком- пании больше молчат и наблюдают, не проявляя особой активности. Но их нельзя назвать и слиш- ком стеснительными, потому что видят, как к ним относятся другие, и знают, как это отношение улуч- шать. Прекрасная иллюстрация к этому — князь Мышкин из романа Ф. Достоевского «Идиот», Алеша Карамазов или главный герой «Подростка».
言い換えると、EIIは新しい場では黙って周りを観察しますが、過度に内気なわけではなく、自分の態度しだいで相手の態度も変わると知っているということです。アウシュラがその挿絵に選んだのは、ムイシュキン公爵やアリョーシャ・カラマーゾフなど、作家ドストエフスキーの小説の人物です。
作品の人物だけでなく、アウシュラは作家本人の経歴もEIIの例に使っています。アウシュラは、こう書いています。
この情報代謝タイプが自身の感情をその社会集団の感情と同一視する様子は、F・ドストエフスキーの例で辿ることができる。彼の感情が革命家たちの感情と同一化されているうちは、彼は革命家であった。(中略)社会的サークルの感情と同一化したとき、彼は保守的になった。
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То, как этот тип ИМ отождествляет свои эмоции с эмоциями своей социальной группы, можно про- следить на примере Ф. Достоевского. Пока его эмо- ции отождествлялись с эмоциями революционеров, он был революционером. Когда он те же эмоции 〔中略〕 отождествил с эмоциями другого социального кру- га, стал консервативным.
上の引用にあるIMタイプは、情報代謝タイプ、つまりソシオニクスのタイプのことです。アウシュラは、作家ドストエフスキーが革命家から保守へ移ったことを、自分の感情を属する集団の感情と重ねる性質で説明しています。根拠になっているのは、経歴に表れた行動の読み取りです。
こうして同じ章に、作家本人と作品の人物が、並んでEIIの例として出てきます。作家と作中人物を同じタイプに置くこの書き方は、後代の研究者にも引き継がれます。
後代のリスト
後代の研究者は、より長いリストを残しています。Reininは、EIIの節の冒頭に、著名人をこう並べています。
このタイプの著名人:フョードル・ドストエフスキー(作家、ロシア、19世紀)および小説『白痴』のムイシュキン公爵、フィンセント・ファン・ゴッホ、コンスタンチン・パウストフスキー、アレクサンドル・ソルジェニーツィン(作家、ロシア)、アレクサンドル・ソクーロフ、マリリン・モンロー、ヴィヴィアン・リー、カトリーヌ・ドヌーヴ、エリザベス・テイラー。
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Celebrities of this type: Fyodor Dostoyevsky (writer, Russia, XIX century) and prince Myshkin from the novel "Idiot", Vincent Van Gogh, Konstantin Paustovsky, Alexander Solzhenitsyn (writer, Russia), Alexander Sokurov, Marilyn Monroe, Vivien Leigh, Catherine Deneuve, Elizabeth Taylor.
Reininは、作家ドストエフスキーと『白痴』のムイシュキン公爵を並べ、ゴッホやソルジェニーツィンに加えて、マリリン・モンローら4人の女優まで挙げています。ここでも、作家本人と作中の人物が1つのリストに入っています。
Reininは、理論編で小説の人物について論じるなかで、作家ドストエフスキーの手紙に触れています。Reininは、こう書いています。
ドストエフスキーが妻に手紙で、新作小説がうまく進んでいるとき仕事は速く進むが、しばしばキャラクターが自分の意志で行動する、と書いたのは驚くべきことではない。(中略)偉大な作家は、人為的な状況を作り出す代わりに、登場人物が自分自身の「人生」の状況に従って動くのを許した。
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That is why it is no surprise that Dostoyevsky once wrote to his wife, that when all is going well with the new novel, the work progresses fast, but often the characters act on their own will.〔中略〕Great authors allowed their heroes to follow circumstances of their own 'life' instead of creating artificial circumstances.
Reininによれば、偉大な作家は人物を作家の都合で動かさず、人物が自分の「人生」に従って動くのに任せたということです。この見方に立てば、ムイシュキン公爵のような小説の人物を実在の人物と同じリストに置くことにも、Reininなりの筋があると読めます。
Stratiyevskayaは、EII章の冒頭で、このタイプの代表者をこう列挙しています。
F.M. ドストエフスキー、T.G. シェフチェンコ、S. レスコフ、コンスタンチン・パウストフスキー、アレクサンドル・ソルジェニーツィン、エドガー・ドガ、ディ自我・ベラスケス、フィンセント・ファン・ゴッホ、マリリン・モンロー、ヴィヴィアン・リー、ユーリ・ソロミン、アンドレイ・ミャーグコフ、ナターリヤ・ベロフヴォスチコワ、エヴゲーニヤ・シーモノワ。
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Ф.М. Достоевский, Т.Г. Шевченко, С. Лесков, Константин Паустовский, Александр Солженицын, Эдгар Дега, Диего Веласкес, Винсент ван Гог, Мэрилин Монро, Вивьен Ли, Юрий Соломин, Андрей Мягков, Наталья Белохвостикова, Евгения Симонова
つまり、Stratiyevskayaは、文学者や画家からモンローやリーのような女優まで、14人をEIIに挙げているということです。Reininのリストとは、作家ドストエフスキー、パウストフスキー、ソルジェニーツィン、ゴッホ、モンロー、リーの6人が重なります。
ただし、2つのリストには選定の根拠が添えられていません。書かれているのは、研究者の判定の結果だけです。
これに対し、Filatovaは、人物の振る舞いを根拠に添えてEIIの例を挙げています。Filatovaは、レマルクの小説の人物を、こう取り上げています。
周囲の人々に対するこうした態度の例として、レマルクが描いた三人の戦友の一人、ロベルト・ロカンプの振る舞いを挙げることができる。彼は友人たちと共に、しばしば小さな酒場で時間を過ごし、そこの常連たち—娼婦たちを含めて—を皆知っている。彼女たちの人生、彼女たちをそこへ導いた事情をよく理解しているロベルトは、彼女たちを人間として尊重しているがゆえに、容易に共通の言葉を見出す。
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Примером такого отношения к окружающим людям может послужить поведение Роберта Локампа, одного из трех товарищей, описанных Ремарком. Вместе со своими друзьями он часто проводит время в небольших кабачках и знает всех их обитателей, в том числе и проституток. Прекрасно понимая их жизнь, причины, которые привели их сюда, Роберт легко находит с ними общий язык, поскольку по-человечески уважает их.
言い換えると、ロベルトは酒場の常連の事情をよく知り、相手を人間として尊重するから、誰とでも話が通じるということです。Filatovaは、この振る舞いを、周囲の人に向けるEIIの態度の例として示しています。
Filatovaは、『風と共に去りぬ』のメラニーの描写も引き、こう書いています。
彼女は人間の中に、その最良の面だけを見ようと努め、常に人々について好意的に語った。(中略)ここに私たちは、この心理タイプの特徴的な性質の一つを見て取る—あらゆる人間の中に、まず何よりも肯定的な資質を見ようとする志向である。
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Она стремилась видеть в человеке только лучшие его стороны и всегда доброжелательно отзывалась о людях.〔中略〕Здесь мы видим одно из характерных свойств этого психотипа — стремление в каждом человеке увидеть прежде всего положительные качества.
つまり、Filatovaは、メラニーがどの人にもまず良い面を見ようとするところに、このタイプの特徴を見ています。小説の描写を先に示し、そこから特徴を引き出すという順序が、名前だけのリストとの違いです。
Stratiyevskayaは、衝突の関係を論じた文章で、歴史上の人物もEIIの例にしています。Stratiyevskayaは、こう書いています。
たとえば、「僭称者」偽ドミトリー1世、グリゴーリー・オトレピエフ(EII、ドストエフスキー)は、ロシア国家の存立そのものを危険にさらした(中略)同じように、一世紀後、皇太子アレクセイ(EII、ドストエフスキー)も振る舞おうとしていた。父である皇帝ピョートル1世(SLE、ジューコフ)に対する公然たるボイコットと、はっきり表に出た衝突によって、父が推し進める改革への抗議を表しながら
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Так, например, "самозванец" Лжедмитрий I, Григорий Отрепьев (ЭИИ, Достоевский) поставил под удар само существование Государства Российского(中略)Аналогичным образом, спустя столетие, готов был поступить царевич Алексей (ЭИИ, Достоевский), выражая посредством откровенного бойкота и ярко выраженного конфликта со своим отцом, царём Петром I (СЛЭ, Жуковым), свой протест против проводимых им реформ
言い換えると、Stratiyevskayaは偽ドミトリー1世と皇太子アレクセイをEIIとし、アレクセイは父ピョートル1世(SLE)との衝突を通して、父の改革に抗議しようとしたと見ています。こちらは、衝突の関係という筋道を添えたタイピングです。
皇太子アレクセイは、Karpenkoも史料をもとにEIIと見た人物です(11章)。2人の研究者が、同じ人物をEIIに置いていることになります。
研究者のまわりのEII
EIIの資料には、研究者の身近にいたEII本人の声も残っています。アウシュラの本のEII章の付録には、EIIの寄稿者A. B.の書簡が収められています。A. B.は、アウシュラに宛てて、こう書いています。
関係の立場からどう説明したらよいか分からないが、私 — あなたの監督役 — はあなたを非常に高く評価し、接触を失うことを恐れている。(中略)私には思える、彼ら全員が関係において非常に選り分け好みなのだ、と。関係はすぐには結ばれず、選びはきわめて偏執的だが、ひとたび選べば — それは生涯にわたる。あるEII〔原文: ドストエフスキー〕が私にそう言ったことがある: 私は友を生涯にわたって守り抜く、と。
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Не знаю, как это пояснить с позиции отно- шений, но я — твой контролер — очень тебя ценю и боюсь потерять контакт.〔中略〕Мне кажется, что ДО- СТОЕВСКИЕ могли бы сказать, что все они очень избирательны в отношениях: отношения устанавли- ваются не скоро, выбор очень пристрастный, но потом он — на всю жизнь. Мне одна моя ДОСТО- ЕВСКАЯ так и сказала: я храню друзей всю жизнь.
上の引用にある「監督役」は、監督の関係で、相手を監督する側に立つ人のことです。EIIが監督する相手はILEなので、A. B.は、アウシュラをILEと見たうえで自分を監督役と呼んでいることになります。
書簡の後半で、A. B.は、関係はすぐには結ばれないが、選べば生涯続くと書き、1人のEIIの言葉を添えています。研究者の観察ではなく、EII本人が関係の結び方を語った記録です。
Gulenkoは、MBTIとソシオニクスを比べた論文で、両者の創設者たちのタイプをこう書いています。
socioanalysisの言語で言えば、タイプ理論は、創設者であるイザベル・マイヤーズとキャサリン・ブリッグス(INFPとINFJ)を含む人文系(NFタイプ ― 表3参照)、およびその支持者の多くによって発展させられた。対照的に、ソシオニクス学派の創設者と最も活動的なソシオニストの大部分は、A. アウグスティナヴィチューテ自身のように、科学者(NTタイプ ― 表3参照)グループに属する。
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Speaking the language of socioanalysis, the type theory has been developed by Humanitarians (NF types – see Tab. 3), including the founders, Isabel Myers and Catherine Briggs (INFP and INFJ)), and many of their adherents. By contrast, founders of socionic schools and most of active socionists belong, like A.Augustinavičiūtė herself, to the group of Scientists (NT types – see Tab. 3).
つまり、Gulenkoは、MBTIを発展させたのはマイヤーズとブリッグスを含む人文系(NF)で、ソシオニクスを発展させたのはアウシュラを含む科学者系(NT)だと見ています。Gulenkoは2人をMBTIの表記で書いており、当サイトのMBTI対応では、INFPはEII、INFJはIEIに当たります。
思想の様式について—独自整理(試論)
以下はこの節だけ、引用ではなく当サイトの独自整理です。検証できないタイピングを材料にした、仮説の見立てです。
研究者たちがEIIに挙げてきた人物には、作家・画家・女優と、小説の人物が多く含まれます。根拠が添えられた例を並べると、選ばれた理由は業績の形よりも、人に向ける態度の側にあります。Bukalovは、人間の内面を描こうとした作家の姿勢を根拠にしています。アウシュラは相手の態度を見て自分の態度を改める物腰を、Filatovaは相手を人間として尊重し良い面を見ようとする振る舞いを、根拠にしています。
歴史上の人物でも、皇太子アレクセイは、父の改革への抗議という、父である皇帝との関係のなかでの振る舞いから例に選ばれています。つまりこれらの例は、実在の人物のタイプの記録としてより、研究者たちがEIIという概念で人への態度の型を指そうとした記録として読む方が、資料の性質に合っています。
小括します。第一に、EIIの例は作家ドストエフスキーとその小説の人物を中心に挙げられ、アウシュラからBukalov・Reinin・Stratiyevskayaへと引き継がれました。愛称も「ドストエフスキー」と「ワトソン」の2つが並び、1つに定まっていません。
第二に、ReininとStratiyevskayaの長いリストは6人が重なる一方、選定の根拠を持っていません。根拠を添えた例(アウシュラの挿絵、Filatovaの文学例、Stratiyevskayaの歴史例)は、主に人への態度や関係のなかの振る舞いを根拠にしています。
第三に、A. B.の書簡は、EII本人が創始者との関係を語った資料として、この章の資料のなかで性質が異なります。
23先行研究への懸念点
最後の章は、ここまで引用してきた文献群への懸念の整理です。外部からの批判ではなく、できる限り研究者たち自身の言葉で、方法論の弱点がどこまで自覚されていたかを示します。
観察者依存—ユング自身の警告
出発点のユングに、すでに方法論的な自己言及があります。
ただし、このような心理状態について全く正反対の概念を持つことも同様に可能であり、それに基づいて説明することも認める。 私自身が異なる個性心理学を持っていたとしたら、無意識を「非合理的」と見なす観点から、合理的タイプの特徴を正反対の方法で記述していただろうと確信している。
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I am prepared to grant that we may equally well entertain a precisely opposite conception of such a psychology, and present it accordingly. I am also convinced that, had I myself chanced to possess a different individual psychology, I should have described the rational types in the reversed way, from the standpoint of the unconscious as irrational, therefore.
言い換えると、記述する側の心理学が違えば、同じタイプが正反対に書かれうるとユング自身が認めているということです。ユングの区分では感情は合理的な機能で、EIIの祖形である内向的感情型は、この警告がそのまま向かう合理的タイプの側にあります。
EIIの記述には、書き手によって向きが逆になる箇所があります。Golihovは、EIIが人を「良い」と「悪い」にはっきり分けると書き、Socioscopeは、EIIは人を良い悪いに分けないと書いています(13章)。同じタイプの同じ振る舞いについて、書き手によって正反対の像が出ていることになります。
書き手とEIIの関係も、記述にかかりえます。創始者アウシュラはILEとされ、EIIはILEを監督する側に立つタイプです。アウシュラが付録に収めた書簡では、EIIの書き手A. B.が自分をアウシュラの監督役と書いています(22章)。アウシュラをILEとするなら、EII記述の出発点は、EIIに監督される側の書き手が書いたものになります。
判定信頼性への内部批判
タイプ判定の信頼性は、学派内部で最も率直に語られてきた弱点です。
現在ソシオニクスが抱える最も痛切な問題は、心理タイプ判定の信頼性である。今のところ、これは科学というよりむしろ技芸に近い。
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самый больной вопрос соционики в настоящее время — это надежность определения психотипов. Пока это скорее искусство, чем наука.
つまり、Filatovaは、タイプの判定を、決まった手順より判定者の技量に頼る段階と見ています。Reininは、質問紙のテストについて、こう書いています。
人々は中立的な質問(たとえば「人々は…についてどう考えていると思うか?」)には自発的に回答するが、評価的質問(「あなたはこちらが好きか、それともあちらか?」または「自分自身を…と…のどちらと考えるか?」)は無意識の緊張を引き起こす。(中略)私は既存のテストは最大40%の精度しか許さないと考えている。
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People answer neutral questions (for example: "What do you think people think about …?") spontaneously, but an evaluative question ("Do you prefer this or that?" or "Do you think of yourself as of … or …?") causes an unconscious tension. […] I believe that existing tests allow for maximum of 40 % accuracy.
言い換えると、評価を問う質問は答える人を緊張させるので、既存のテストの精度は最大40%にとどまるとReininは考えています。15特性を立てた本人も、質問紙による判定を低く見積もっていることになります。
判定の確かさは、判定の一致を根拠にした研究の読み方にもかかわります。Filatovaは、同じ書籍で、一卵性双生児の研究をこう紹介しています。
イワノフは一卵性双生児の研究において、どのペアも同一の心理タイプに属することを発見した。
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Д. И. Иванов при изучении однояйцевых близнецов обнаружил, что каждая пара принадлежит к одному психотипу
つまり、一卵性の双子はどの組も同じタイプと判定されたという報告です。Filatovaの紹介では、7組中4組がEII同士でした。ただし、誰がどの手順で判定したかは紹介に書かれていません。判定を技芸に近いと書いた同じ本の中で、この一致が判定のしかたにどこまで左右されたかは確かめられません。
検証されない強い主張
このページで引用した記述には、確かめる手続きを持たないまま断定の形で書かれた主張があります。代表は、実在の国家元首をEIIとした例です。Yermakは、ロシア大統領のタイプについて、こう書いています。
ロシア大統領 V. V. プーチンの心の TIM について、私は再三発言してきた—今日までに我々が手元の情報に基づいて到達した、ロシア大統領ヴラジーミル・ヴラジーミロヴィチ・プーチンの心の TIM の作業仮説は、倫理直観内向(EII、「EII〔原文: ドストエフスキー〕」)の歪められた(変形された)TIM である。(中略)それゆえ彼は、たとえば、自分がすでに大統領であることを一瞬忘れた「LSI〔原文: マクシム〕」(LSI)に似たり、自分にあまり自信のない「LII〔原文: ロベスピエール〕」(LII)に似たりするのである。他の仮説はあまり可能性がない…もっとも、信頼できる検証のためには、それなりの調書を集める必要があったろう…
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По поводу ТИМа психики Президента России В. В. Путина я уже высказывался неоднократно — наша рабочая гипотеза ТИМ психики Президента России Владимира Владимировича Путина, к которой мы пришли на сегодняшний день на основании имеющейся информации, — искажѐнный (деформированный) ТИМ этико-интуитивного интроверта (ЭИИ, «Достоевский»). 〔中略〕 Из-за этого он и похож, например, на «Максима» (ЛСИ), на минуточку забывшего, что он уже Президент, или не вполне уверенного в себе «Робеспьера» (ЛИИ). Другие гипотезы маловероятны… Впрочем, для достоверной верификации необходимо было бы собрать соответствующее досье…
上の引用にあるTIMは、情報代謝タイプ(ソシオニクスのタイプ)のことです。Yermakは、手元の情報から、プーチンを歪められたEIIとする作業仮説を立て、LSIやLIIに似て見える場面もあると書いています。同じ引用の末尾で、信頼できる検証には調書を集める必要があったと、Yermak自身が書き添えています。
断定の形は、関係の記述にも現れます。Stratiyevskayaは、衝突関係を扱ったブログの記事で、EIIについてこう書いています。
EII、ドストエフスキーは、世界に衝突が存在するかぎり、衝突者たちと戦い続けるだろう。(中略)EII、ドストエフスキーは、他者に対する自分自身の専制に「気づかない」。自分自身の高慢さ、支配欲、残酷さに気づかない。
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ЭИИ, Достоевский будет воевать с конфликтёрами, пока в мире существует конфликт.(中略)ЭИИ, Достоевский НЕ ЗАМЕЧАЕТ собственной тирании, не замечает собственной высокомерия, собственной властности и жестокости по отношению к другим. Не замечает того, что сам же и становится возбудителем агрессии, источником их конфликтного отношения с окружающим миром
Stratiyevskayaによれば、EIIは自分の側の支配的な振る舞いに気づかないということです。この主張は、本人が否定しても、それを「気づいていない」ことの表れとして扱える形をしています。反証になりうる本人の証言を、はじめから数えない形の主張です。
このように、強い主張が積み上がる一方で、それを落とす手続きが用意されていません。ここが実証面での中心的な懸念です。
記述の偏り—作家像への依存
EIIの記述は、作家とその作品に多くを拠っています。愛称は作家F.M.ドストエフスキーから取られ、アウシュラは作家本人と、その小説の人物をEIIの例に挙げています(22章)。Reininは、創造機能Neの例に作家ドストエフスキーの書き方を使いました(06章)。Filatovaは、『三人の戦友』のロベルト、『風と共に去りぬ』のメラニー(09章)、『戦争と平和』のマリヤ(15章・18章)をEIIとして読んでいます。
小説の人物からタイプ像を組む方法の限界は、Filatova自身が書いています。Filatovaは、作家と登場人物の関係について、こう書いています。
どの作家も、自分が関心を持つ観点から自分の登場人物について語るのであり、それによって作品のテーマも、筋書きの選択も規定される。それゆえ、ある特定の心理タイプが、ある一人の作者において、たとえ見事に見て取れるとしても、常に全面的に描き出されるとは限らない。(中略)そこで、『風と共に去りぬ』のメラニーを例に、この心理タイプの不足している特徴づけを補うことにしよう。
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Каждый писатель рассказывает о своих героях с позиций, которые его интересуют, этим определяется и тема произведения, и выбор сюжетов. Поэтому определенный психотип у одного автора не всегда оказывается описанным всесторонне, хотя и прекрасно угадывается.〔中略〕Поэтому добавим недостающую характеристику этого психотипа на примере Мелани из романа «Унесенные ветром».
言い換えると、作家は自分の関心から人物を描くので、1人の人物にタイプの全体は描かれないということです。Filatovaは、足りない面を別の作家の人物で補っています。人物を足しても、それぞれの作家の関心で選ばれた面の組み合わせであることは変わりません。
同じことは、作家ドストエフスキーとその小説にも言えます。愛称の作家と作品に拠るほど、EII像はその作家の関心が向いた面に寄りうると読めます。
記述の継承の選択性
系譜の各段階を、ここで一度並べます。EII記述の系譜は一見連続していますが、継承のたびに何を残し何を組み替えたかの検証は示されていません。
- 祖形の分割。ユングの内向的感情型は、ソシオニクスではESIとEIIの2つのタイプの祖形になっています(02章)。ユングは、第二機能は主導機能と対立しない機能だとしています(03章)。感情が主導なら、感覚と直観のどちらも補助になりえます。ソシオニクスは、この補助の違いで1つの型を2つのタイプに分けました。ユングの記述のどこをEIIのものとするかを決めたのは後代の側で、ユングからの導出ではありません
- 補助の直観の意味の移動。ユングは、補助機能としての直観を、行き詰まった状況で出口へ向けて働く道具として書きました(02章)。後代のEII記述では、Neは人の中の肯定的な可能性を見いだす働きとして書かれます(04章)。状況の出口から人の可能性へ、対象が移っています。この移動を説明した文献は、当サイトが確認した範囲では見つかっていません
- 同じ著者の中での像の入れ替わり。Stratiyevskayaの書籍はEIIを寛容と自己犠牲の側から書き、2008年以降のブログは道徳的な優位を求める側から書いています(08章)。検証されない強い主張の節で見た「気づかない」という断定も、ブログの側です。書き替えの理由を示した箇所は、引用した範囲にはありません
資料の非独立性—同一原稿の再録・別訳
このページの資料には、独立した証言として数えられない組があります。SocioscopeのEII記述(13章)は、Blohinの記述とほぼ同じ文です。良心を魂の特別な状態と言い換える箇所があり、同じ諺も別の訳で両方に出てきます。どちらかが他方を下敷きにしたか、共通の元があると考えられます。
Stratiyevskayaの書籍のEII章と、Wikisocionに再録された「EII」タイプ記述は、同じ原稿の別訳です。このページは書籍の側から引いています。Weisbandの記述はアウシュラの原典を要約したもので、要約の段階で原典より強い言い方に変わった箇所があります(13章)。Bukalov & BoikoのEIIプロファイル(07章)はWikisocionの再録で、愛称は「ワトソン」です。
逆の側もあります。FilatovaのWikisocion版「EII」記述は、書籍のEII章に無い記述を多く含む別の文章です(09章)。つまり、同じ記述を2か所で見たことは、2人が別々に観測したことを意味しません。同じ著者名の資料でも、版によって中身が違うことがあります。
学派の分裂と用語の混乱
体系間の互換性の欠如は、EIIの記述でも各章に現れました。機能の番号だけでも、現行の位置番号とアウシュラ旧式の4列(03章)、陰性の番号を含むReininの体系(06章)、Filatovaの4チャンネル(09章)が併存します。アウシュラ旧式の第3列はSeで、現行の位置4(脆弱機能)です。Reininが「恐怖の領域」と呼ぶのはTiで、現行の位置3(規範機能)の要素です。位置4(脆弱機能)のSeとは別です(06章)。同じ「弱い所」が、体系によって別の要素を指すことになります。
位置の呼び名も揃いません。Stratiyevskayaが動員機能と呼ぶのは第4の位置で、当サイトの脆弱機能です。当サイトの動員機能は位置6です。同じ名前が別の位置を指していることになります。
GulenkoのモデルG(12章)で、要素の位置がモデルAと一致するのは、位置1のFiと位置3のTiだけです。愛称も、アウシュラ系の「ドストエフスキー」に対し、Yermakは「ワトソン」と呼びます(10章)。クアドラの番号づけでは、アウシュラはデルタを「第一」とし、Stratiyevskayaは「第四」と呼びます(17章)。呼び名と番号の対応を取り違えると、別の記述が同じものとして重なります。
理論の外縁には、確かめにくい主張も現れます。Reininは晩年、タイプの遺伝について、こう述べています。
懐疑的である。検証する必要がある。タイプが何らかの形で遺伝で伝わるとは考えていない。ソシオンは、何らかの形で人間に体現されるノオスフェアの一般的構造かもしれない。A.ブカロフの仕事がこの点に光を当てているかもしれない。
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Скептически отношусь. Проверять надо. Я не думаю, что типы как-то по наследству передаются. Возможно, социон — это какая-то общая структура ноосферы, которая каким-то образом воплощается в людях. Пожалуй, работы А. Букалова проливают свет на это.
タイプの遺伝性には懐疑を示す一方、ノオスフェア(人類の思考圏)という検証の難しい仮説も提示しています。検証を求める姿勢と、検証しにくい概念への傾きが、同じ研究者の記述内に共存する例です。
判定信頼性の節で見た一卵性双生児の報告と並べると、タイプと遺伝の関係でも、研究者の見方は揃っていません。
制度化の主張と外部の視線
学派側は、普及の規模を示す数字を挙げます。
ソシオニクスが科学的方向性として広範に普及していることは、過去15年間にわたり、人文諸科学のあらゆる部門および一連の技術科学において、約800本の学位論文においてソシオニクスの諸概念および諸方法が用いられてきたという事実によって裏付けられている。これら学位論文を分野別および主題別に分析した。さらに、ソシオニクスに関する学術出版物の集合体を分析した。現時点において、ソシオニクスはロシア、ウクライナ、CIS諸国、ならびに欧州連合加盟諸国の150を超える大学で教授されている。
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Широкое распространение соционики как научного направления подтверждается тем, что за последние 15 лет соционические идеи и методы использованы примерно в 800 диссертациях по всем разделам гуманитарных наук и в ряде технических наук. Проведен анализ таких диссертационных работ по отраслям и темам. Проанализирован массив академических публикаций по соционике. В настоящее время соционика преподается более чем в 150 университетах России, Украины, стран СНГ и стран Европейского союза.
800本の学位論文、150超の大学という数字はBukalovらの集計であり、独立の確認はありません。また、利用の広がりは妥当性の証明とは別の事柄です。学派の自己認識の強さは、Stratiyevskayaの一節に典型的に現れます。
—残念ながら、まったくできない。なぜなら、この現代の発見に至るまで、人類は長く困難な道のりを歩んできたのであり、この発見そのものが、ソシオニクスと呼ばれる、新しく将来性のある科学の基礎となったからだ。ソシオニクスが伝統的心理学と異なるのは、化学が錬金術と異なるのと同じである—ソシオニクスには体系がある、構築的アプローチがある、それは既存の知識体系と矛盾せず、それどころか、最も多様な科学・領域で並行して行われている多くの研究によって裏づけられている、科学的方法に基づいている。
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— К сожалению, никак нельзя, поскольку к этому, современному нам открытию, человечество шло долгим и трудным путем, само это открытие явилось основанием новой и перспективной науки, получившей название соционики. От традиционной психологии соционика отличается так же, как химия от алхимии — в ней есть система, в ней есть конструктивный подход, она основана на научных методах, которые не противоречат существующей системе знаний, а, наоборот, подтверждаются многими исследованиями, проводимыми параллельно в самых различных науках и областях.
つまり、Stratiyevskayaは、ソシオニクスと従来の心理学の差を、化学と錬金術の差にたとえています。同じ学派の中で、Filatovaは判定を技芸に近いと書いていました。学問としての位置づけについて、研究者の自己評価は割れています。
最後に、判定する側の質の問題も、内部から指摘されています。Filatovaは、こう書いています。
ソシオニクスに対する不信の、もう一つの原因は、この人間についての新しい知識領域に、専門的な訓練どころか、単純な人生経験さえ持たないことも少なくない、熱心な支持者たちの一大勢力が押し寄せたことに関係している。そして、そうした若者たちが、自分が正しいと絶対的な確信を持って、決して単純ではない心理的問題の解決策をあちらこちらで提示するとき、それが思慮深い研究者たちの十分に根拠のある批判を招かずにはいないのである。
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Другая причина недоверчивого отношения к соционике связана с тем, что в эту новую область знаний о человеке пришла большая армия энтузиастов, не имеющих зачастую не только специальной подготовки, но и простого жизненного опыта. И когда такие молодые люди с абсолютной уверенностью в своей правоте предлагают направо и налево рецепты решения совсем непростых психологических проблем, это не может не вызывать у вдумчивых исследователей вполне обоснованных нареканий.
言い換えると、訓練も経験も乏しい支持者が確信をもって解決策を示したことが、ソシオニクスへの不信を招いたとFilatovaは見ています。問題にされているのは、理論の中身より、それを使って人を判定し助言する側の質です。
小括します。懸念は5つに整理できます。
- 判定の信頼性:技芸に近いという内部評価、質問紙は最大40%という見積もり、判定の手順が示されない双生児の報告
- 反証手続きの不在:国家元首のタイプの作業仮説と、本人の否定を数えない「気づかない」という断定
- 記述の偏り:作家ドストエフスキーと小説の人物に多くを拠ったEII像
- 継承の選択性:祖形の分割、補助の直観の意味の移動、同じ著者の中での像の入れ替わりが、検証を示さないまま進んだこと
- 体系の分裂:番号・位置の呼び名・モデルG・愛称・クアドラの番号が研究者で揃わないこと
あわせて、このページ全体で扱ってきた主張の水準を区別しておきます。
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文献上の事実:誰がいつ何を書いたか。索引と出典で確認できます。
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理論内部の帰結:モデルを前提にした導出(例:EIIの位置1のFiは4次元)。モデル内で整合していても、モデル自体の妥当性は別の問題です。
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文献系列内で反復される観察:14章の5つの観測。相互に参照し合う文献群での反復であり、独立した再現ではありません。
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独立に実証された主張:測定・標本・追試を伴うもの。当サイトが確認した範囲では、この水準に達したEII記述は本ページにはありません。
これらの懸念の多くが研究者自身の言葉で残っていることは、少なくとも一部の研究者が弱点を自覚して書き残していた証拠であり、同時に未解決の課題の一覧でもあります。このページの引用群は、その両面を示すことを意図して選びました。
24EIIとは何か
この章には新しい引用はありません。ここまでの各章の引用と、14章・23章などで行った当サイトの比較・整理を、1つのまとめへ再統合します。この章は資料の提示ではなく、資料についての当サイトの解釈です。引用に直接書かれた内容より、確からしさを一段低く見積もる必要があります。
反復して現れる記述
複数の研究者が、論者や時期を変えて繰り返し書いてきた記述があります。14章で5つに整理したとおりです。第一は人と人との関係を細かく見分けること、第二は人の内面と可能性に目が向くこと、第三は力で押すことが難しく、押されると抵抗することです。第四は感情を外に出さないこと、第五は規範と義務で自分を厳しく測ることです。
ただし、この反復を独立した観測の一致と呼ぶことはできません。アウシュラ以後の研究者は同じ理論共同体に属し、用語も先行する記述も互いに受け継いでいるからです(02章)。正確には、互いに参照し合う文献の中で、書き手と様式を変えて繰り返されてきたモチーフです。その意味で、EII記述の共有された部分と見てよい範囲にとどまります。
確定しない点と実証の限界
一方で、単純にまとめられない点もあります。人を良い悪いに分けるかどうかは、研究者で正反対に書かれています。Golihovははっきり分けるEIIを、Socioscopeは分けないEIIを書きました。傷つけられたあとの応じ方も、たいてい許す(Bukalov)、完全に無視する(Gulenko)、謝罪か補償を得るまで休まない(socionics.ua)と分かれます(14章)。Stratiyevskayaの記述も、書籍とブログで論調が違います(08章)。
さらに、記述の前提そのものにも懸念が残ります(23章)。タイプ判定の信頼性は学派の内部から低く評価され、国家元首のタイプを作業仮説で示すような強い主張にも、反証の手続きが示されていません。EII像が作家ドストエフスキーと小説の人物に多くを拠ってきたことや、機能の番号・愛称・クアドラの番号が研究者で揃わない問題も指摘されています。
EII像の要約
ここまでを、確実に間違いとは言えない範囲でまとめます。文献上のEIIは、自我ブロックの主導機能にFi(内向倫理)、創造機能にNe(外向直観)を置くタイプとして記述されます(03章)。Fiは人と人とのあいだの関係を扱う要素、Neは対象に潜む可能性に向く要素とされます(04章)。EIIではNeが、人の伸びしろや心の傷のために使われるものとして書かれています(04章)。この構成の記述とは別に、複数の文献では、関係を細かく見分けること、人の可能性に目が向くこと、力で押す場面の難しさ、感情を外に出さないこと、規範で自分を測ることが繰り返し記述されています(14章)。
EIIを短くまとめるなら、関係の良し悪しを見分けることと、人の可能性を見ることを強い側に持つと文献上は記述されるタイプ、となります。それが、当サイトが確実に間違いとは言えないと考える範囲です。
かみ砕いて言うと
最後に、同じまとめを、タイプ解説で一般的な語り口に寄せて書いておきます。変えたのは文体だけで、内容は前節と同じく、根拠はここまでの章の資料のみです。
EIIは、誰が誰にどんな気持ちを向けているかを細かく見分け、人の中にある良い面や伸びしろに目を向けるタイプとして描かれてきました。困っている人がいると、言葉だけでなく実際の世話で支えようとする、とも書かれています。
一方で、自分のために強く言い返すことや、力で押し通すことには大きな負担がかかると繰り返し書かれています。ただし、道徳の面から従わせようとする圧力には屈しない、とも記述されています。感情は外に出にくく、傷ついても相手に見せないことが多い、とされます。
ただし、これらは互いに参照し合う文献のなかで繰り返されてきた記述であって、測定で確かめられた性質ではありません(23章)。そのうえで一文に圧縮するなら—EIIは、少なくとも「人と人との関係を細かく見分け、人の可能性に目を向ける側が強く、力で押す場面には大きな負担を感じる」と文献上繰り返し記述されてきたタイプだと言えるかもしれません。
25この記事の方法論
引用を用いる理由と範囲
ソシオニクスの文献では、同じEIIというタイプについて、研究者ごとに観測点も語彙も評価も食い違います。食い違う記述を1つの要約にまとめると、どの研究者も書いていない「平均像」ができあがります。要約には書き手の解釈が混ざるため、研究者の記述は逐語の引用で示します。引用は本文で設定した論点の検討に必要な範囲にとどめ、当サイトの本文がその出典関係・記述の差異・適用範囲を分析します。各引用の位置づけの説明、各章末の小括、14章の横断比較、23章の懸念の整理が、このページの本文の役割です。14章の横断比較や22章・23章の整理など、本文の分析には当サイトの判断が入ります。最終の24章はその延長で、記事全体の資料をまとめ直す独自の統合です(位置づけは章の冒頭でも明示します)。
引用の逐語性と翻訳
引用の訳文は当サイトによる訳出です(ユングはドイツ語原著の英訳版から訳出しています)。掲載した引用文は、訳出した本文と逐語で一致することを機械的に検証しています。底本の綴りは各引用の「原文を表示」で確認できます。
底本は研究者本人の著書と機関誌論文を主とし、Wikisocionなどのコミュニティ編纂資料は補助として使います。どちらの資料かは、出典の表示で区別できます。原文は、各引用の下の「原文を表示」で確かめられます。原文には誤字が残っている場合があります。
引用の位置づけも明記します。本ページの引用は、公表された著作物からの、批評・研究を目的とする引用です。引用部は引用ブロックで明瞭に区分し、すべてに出所を番号つきで明示しています。索引には著者・資料名と、確認できた範囲の刊行年・初出・該当箇所を掲載し、出所に留保が要る資料は注記で示します。本文と引用の関係は、本文の分析が主で、引用は各論点の根拠として示す資料です。出典・掲載についての指摘があれば対応します。
タイプ愛称の置換
ソシオニクスの原典には、16タイプを著名人の名で呼ぶ愛称が頻出します。EIIの場合は「ドストエフスキー」です。当サイトはタイプをコード表記(EII、LSEなど)で統一しているため、引用内の愛称は「EII〔原文: ドストエフスキー〕」の形式で置換します。ただし、作家F.M.ドストエフスキー本人や作品への言及は置換しません。EIIの資料には、タイプの愛称と作家本人の話が同じ段落に並ぶ箇所が多いためです。愛称の由来と著名人タイピングの問題は22章で扱います。
索引の使い方
引用の末尾には初出順の番号が付きます。番号を押すと巻末の索引に移動し、著者・書名と、確認できた範囲の年・該当箇所を確認できます。索引の各項目からは、本文の引用位置へ戻れます。
注釈
+索引(引用文献)
- [1]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第11章 定義 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [2]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [3]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [4]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [5]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [6]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [7]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 外向的直観型 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [8]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [9]Kempinski『Lęk(不安)抜粋訳』(原題:Lęk) 「アナログ原理とデジタル原理」の節 死後刊行の著作。著者はAntoni Kępiński(1918–1972) 本文へ
- [10]Kempinski『Lęk(不安)抜粋訳』(原題:Lęk) 「アナログ原理とデジタル原理」の節 死後刊行の著作。著者はAntoni Kępiński(1918–1972) 本文へ
- [11]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) Kempinskiの抜粋訳内の再録(原出典はアウシュラ『ソシオニクス入門』) 本文へ
- [12]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998)著者序文 Kempinskiの抜粋訳内の再録(原出典はアウシュラ『ソシオニクス入門』) 本文へ
- [13]アウシュラ『ユング論考集(当サイト編纂アーカイブ)』(1984)第4篇「パーソナリティとパーソナリティタイプ」 心理学者エレナ・ドゥボヴァ宛書簡(1984年11月18日付)。機関誌『ソシオニクス、メンタロジー、人格心理学』2005年№4(通巻No.202)に再録 本文へ
- [14]Reinin「情報、その伝達、および情報代謝について」(原題:Об информации, её передаче и информационном метаболизме)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1-2(2021年) 機関誌への再録掲載 出典リンク 本文へ
- [15]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第I部 理論編 刊行年は底本(露語電子テキスト)に記載がなく未確認 本文へ
- [16]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001)前書き 本文へ
- [17]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей — Соционика: новый метод познания человека、2005)第1章 本文へ
- [18]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [19]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [20]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [21]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика) 「第1機能」の節(要約) 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [22]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика) 「第2機能」の節(要約) 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [23]アウシュラ『機能の理論(フンクツィオニカ)』(原題:Теория функций. Функционика) 「情報代謝モデル」の節 執筆年の明示がない著作(推定1980年代後半〜1990年代初頭)。サミズダートで流通したのち電子化されたもので、初出媒体は未確認 本文へ
- [24]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [25]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [26]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [27]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921) 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [28]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第11章 定義「直観」 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [29]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [30]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [31]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [32]Yermak『人を理解することを学ぶには』(2005) 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [33]Karpenko「世界のアスペクト知覚」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1995年) 本文へ
- [34]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998)第4章 1982年執筆「ソシオン、またはソシオニクスの基礎」の再録部からの引用。原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [35]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第I部 理論編 刊行年は底本(露語電子テキスト)に記載がなく未確認 本文へ
- [36]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001)第II部 本文へ
- [37]Yermak「人間の心と周囲世界との相互作用—情報流のアスペクト構造」(原題:Взаимодействие психики человека с окружающим миром. Аспектная структура информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(1997年) 出典リンク 本文へ
- [38]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [39]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [40]Karpenko「モデルAの内部結合とインタタイプ関係」(原題:Внутренние связи модели А и интертипные отношения)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2001年) 出典リンク 本文へ
- [41]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [42]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [43]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [44]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [45]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [46]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [47]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [48]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [49]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [50]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [51]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [52]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [53]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [54]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [55]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [56]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [57]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [58]Bukalov「職業的成功とソシオニクス・タイプ」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2023年) 出典リンク 本文へ
- [59]Bukalov「職業的成功とソシオニクス・タイプ」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2023年) 出典リンク 本文へ
- [60]Bukalov『「EII」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト。底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 出典リンク 本文へ
- [61]Bukalov『「EII」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト。底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 出典リンク 本文へ
- [62]Yermak『ウクライナのための大統領』(2009) 底本はシステム的ソシオニクス学派サイトの論文庫 本文へ
- [63]Bukalov「民族のメンタリティ」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 本文へ
- [64]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [65]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [66]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [67]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [68]Stratiyevskaya『同属の関係』(2009) 底本は著者のブログ記事(露語)。和訳は当サイト訳 本文へ
- [69]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [70]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [71]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [72]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [73]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [74]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [75]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [76]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [77]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [78]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [79]Yermak『人を理解することを学ぶには』(2005) 本文へ
- [80]Yermak『人を理解することを学ぶには』(2005) 本文へ
- [81]Yermak『人を理解することを学ぶには』(2005) 本文へ
- [82]Yermak『人を理解することを学ぶには』(2005) 本文へ
- [83]Karpenko「ソシオニクスから見たピョートル1世の人格」(原題:Личность Петра I с точки зрения соционики)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №4(1996年) 出典リンク 本文へ
- [84]Karpenko「ソシオニクスから見たピョートル1世の人格」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1996年) 本文へ
- [85]Karpenko「ソシオニクスから見たピョートル1世の人格」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1996年) 本文へ
- [86]Karpenko「ソシオニクスから見たピョートル1世の人格」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1996年) 本文へ
- [87]Karpenko「ソシオニクスから見たピョートル1世の人格」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(1996年) 本文へ
- [88]Karpenko「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 本文へ
- [89]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [90]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [91]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [92]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [93]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [94]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [95]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [96]Gulenko『64の肖像』(2019)理論編 本文へ
- [97]Gulenko『64の肖像』(2019) DCNH編 本文へ
- [98]Weisband『初期ハンドブック(アウシュラ資料準拠)「EII」』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト。底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 出典リンク 本文へ
- [99]Prokofieva『「EII」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト。底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 出典リンク 本文へ
- [100]Prokofieva『「EII」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト。底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 出典リンク 本文へ
- [101]Meged & Ovcharov『「EII」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト。底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 出典リンク 本文へ
- [102]Golihov『「EII」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト。底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 出典リンク 本文へ
- [103]socionics.ua『「EII」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト。底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 出典リンク 本文へ
- [104]socionics.ua『「EII」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト。底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 出典リンク 本文へ
- [105]Piatnitskiy『「EII」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト。底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 出典リンク 本文へ
- [106]Beskova『「EII」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト。底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 出典リンク 本文へ
- [107]Golihov『「EII」タイプ記述』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト。底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 出典リンク 本文へ
- [108]Socioscope『「EII」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト。底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [109]Socioscope『「EII」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト。底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [110]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [111]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [112]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第I部 理論編 刊行年は底本(露語電子テキスト)に記載がなく未確認 本文へ
- [113]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [114]Reinin「二分法的特徴の理論の創造について」(原題:О создании теории дихотомических признаков)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2006年) インタビュー記事 出典リンク 本文へ
- [115]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Соционика: Типология. Малые группы、2010) 底本は英語版 本文へ
- [116]Filatova「タラノフのモデルとレイニン特性 第1部」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 原文は機関誌No.144/145の露語 本文へ
- [117]Filatova「タラノフのモデルとレイニン特性 第1部」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2011年) 原文は機関誌No.144/145の露語 本文へ
- [118]Wikisocion『「Clubs」(コミュニティ編纂)』(2026) 2026-07-16閲覧 底本はWikisocion掲載の英訳テキスト。著者の原語初出は未確認 本文へ
- [119]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [120]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成」(原題:Эволюция человека: формирование структуры ФИМ и социона)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2018年) 出典リンク 本文へ
- [121]アウシュラ『レイニン特性の理論』(原題:Теория признаков Рейнина、1998)連載第5部 機関誌『ソシオニクス、メンタロジー、人格心理学』1998年№5(通巻№186)掲載の連載(全6回・古典欄)第5部 本文へ
- [122]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей — Соционика: новый метод познания человека、2005)第3章 本文へ
- [123]Bukalov「意識機能の管理的役割」(原題:Управляющая роль функции сознания)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(2016年) 出典リンク 本文へ
- [124]Yermak「ソシオニクスにおける範疇〈時間〉」(原題:Категория «время» в соционике)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №5(2007年) 出典リンク 本文へ
- [125]Yermak「プーチンのソシオタイプ、仮説: ヒューマニスト(倫理直観内向)」『ソシオニクス新聞』誌 No.13(16)(2003年) 和訳は露語原文からの当サイト訳 本文へ
- [126]Bukalov & Karpenko「人類の進化—情報代謝機能構造とソシオンの形成」(原題:Эволюция человека: формирование структуры ФИМ и социона)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2018年) 出典リンク 本文へ
- [127]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [128]Karpenko「情報流のアスペクトによるクアドラの順位づけについて」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2002年) 本文へ
- [129]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 本文へ
- [130]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [131]Stratiyevskaya『お別れしないために』第II部 本文へ
- [132]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第II部 本文へ
- [133]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第II部 本文へ
- [134]Valentina Meged「クアドラのエロス的プログラム」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №134、pp. 56–58(2001年) 本文へ
- [135]Bukalov「情報代謝機能の形成メカニズムについて—個体誕生過程における機能形成」(原題:О механизме формирования функций информационного метаболизма в процессе рождения индивидуума)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №168、pp. 19–34(1996年) 原文には誤字が残る可能性がある 出典リンク 本文へ
- [136]Karpenko「情報流アスペクトによるクアドラ順位づけについて」(原題:О ранжировании квадр по аспектам информационного потока)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №154、pp. 28–39(2002年) 出典リンク 本文へ
- [137]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第II部 本文へ
- [138]Bukalov「4つの進化段階とクアドラ交替の法則について」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №165(1995年) 本文へ
- [139]Gulenko『64の肖像』(2019)クアドラ論 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [140]Stratiyevskaya『恩恵の関係』(2018) 底本は著者のブログ記事(露語)。和訳は当サイト訳 本文へ
- [141]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010) 参照は2010年英語版(露語版の初出年は確認中) 本文へ
- [142]Gulenko『64の肖像』(2019) 16関係編 本文へ
- [143]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [144]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [145]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [146]アウシュラ『ソシオニクス入門』(原題:Соционика: Введение、1998) 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [147]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [148]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [149]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [150]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [151]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001)第2部第3章第2節 本文へ
- [152]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [153]Stratiyevskaya『衝突の関係』(2008) 底本は著者のブログ記事(露語)。和訳は当サイト訳 本文へ
- [154]Bukalov & Karpenko「学術分野としてのソシオニクス」(原題:Соционика как академическая научная дисциплина)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(2013年) 出典リンク 本文へ
- [155]アウシュラ『ユング論考集(当サイト編纂アーカイブ)』(1984)第4篇「パーソナリティとパーソナリティタイプ」 心理学者エレナ・ドゥボヴァ宛書簡(1984年11月18日付)。機関誌『ソシオニクス、メンタロジー、人格心理学』2005年№4(通巻No.202)に再録 本文へ
- [156]Wikisocion『「Subtypes」(コミュニティ編纂)』(2026) 2026-07-15閲覧 底本はWikisocion掲載の英訳テキスト。著者の原語初出は未確認 本文へ
- [157]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [158]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [159]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [160]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [161]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [162]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [163]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [164]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [165]Wikisocion『「Subtypes」(コミュニティ編纂)』(2026) 2026-07-15閲覧 底本はWikisocion掲載の英訳テキスト。著者の原語初出は未確認 本文へ
- [166]アウシュラ『ユング論考集(当サイト編纂アーカイブ)』第2篇「なぜユングを読むのは難しいか?」 執筆・初出は篇ごとに異なる編纂物(第2篇は機関誌2006年№4再録の論考) 本文へ
- [167]Yermak『人を理解することを学ぶには』(原題:Как научиться понимать людей — Соционика: новый метод познания человека、2005)第9章 本文へ
- [168]Karpenko「エキスパートの立場」(原題:Позиция эксперта)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(1999年) 出典リンク 本文へ
- [169]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [170]Gulenko『64の肖像』(原題:64 портрета, или Калейдоскоп в новом свете、2019) 底本は英語版 本文へ
- [171]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [172]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [173]Stratiyevskaya『準双対の関係』(2009) 底本は著者のブログ記事(露語)。和訳は当サイト訳 本文へ
- [174]Yermak『心のTIMの歪みと同定の信頼性』 底本はシステム的ソシオニクス学派サイトの論文庫。和訳は当サイト訳 本文へ
- [175]Yermak『心のTIMの歪みと同定の信頼性』 底本はシステム的ソシオニクス学派サイトの論文庫。和訳は当サイト訳 本文へ
- [176]Bukalov『「EII」プロファイル』 底本はWikisocion掲載の英訳系テキスト。底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 出典リンク 本文へ
- [177]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [178]アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 本文へ
- [179]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [180]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(2010) 底本は英語版 本文へ
- [181]Stratiyevskaya『お別れしないために』 本文へ
- [182]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [183]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [184]Stratiyevskaya『衝突の関係』(2008) 底本は著者のブログ記事(露語)。和訳は当サイト訳 本文へ
- [185]A. B. の書簡(アウシュラ『ソシオニクス:心理タイプ・テスト』(原題:Соционика: Психотипы. Тесты、1998) 原文には誤字が残る可能性がある 本文へ
- [186]Gulenko『異なる言語を話し、同じものを目指す』(1996) 底本は英語版。引用本文はその当サイト訳。原文トグルは英語版本文 本文へ
- [187]ユング『心理学的類型』(原題:Psychologische Typen、1921)第10章 原著は独語(1921年)。底本はH. G. Baynes英訳(1923年) 本文へ
- [188]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001)前書き 本文へ
- [189]Reinin『ソシオニクス: 類型論・小集団』(原題:Socionics: Typology. Small Groups.、2010) 参照は2010年英語版(露語版の初出年は確認中) 本文へ
- [190]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [191]Yermak「ソシオニクスの理論的基盤の『美しさ』とその基礎の堅牢性について」『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌(2004年) 機関誌、2004年 本文へ
- [192]Stratiyevskaya『衝突の関係』(2008) 底本は著者のブログ記事(露語)。和訳は当サイト訳 本文へ
- [193]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(2001) 本文へ
- [194]Reinin「ソシオンとその記述」(原題:Социон и его описания)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №6(2008年) 出典リンク 本文へ
- [195]Bukalov & Karpenko「学術分野としてのソシオニクス」(原題:Соционика как академическая научная дисциплина)『ソシオニクス、メントロジー、パーソナリティ心理学』誌 №1(2013年) 出典リンク 本文へ
- [196]Stratiyevskaya『お別れしないために』(原題:Как сделать, чтобы мы не расставались)第I部 理論編 刊行年は底本(露語電子テキスト)に記載がなく未確認 本文へ
- [197]Filatova『ソシオニクスの鏡の中の人格』(原題:Личность в зеркале соционики、2001)前書き 本文へ
