LEFV(アウグスティヌス)の 詳細解説
1L・2E・3F・4V|第4セクスタ

LEFVは、第1機能に論理、第2機能に感情、第3機能に物質、第4機能に意志の側面がくるタイプです。原典の象徴名はアウグスティヌスで、交際の才能と子ども好きが、いちばん目につく特徴とされています。
- 言葉の機能が上にある: 話し言葉の機能である論理と感情が第1と第2にあり、考えとイメージに富んだ話し相手になるとされています。
- 真理を探し続ける: 懐疑主義の時期のあとも否定にとどまらず、真理を探し続けたことが、1Lの性分として描かれています。
- 体の楽しみをめぐる迷い: 3Fの迷いの中心は性にあり、楽しみを断てという要求と、色や音を求める欲求のあいだで生涯揺れたとされています。
- 導いてくれる相手を求める: 4Vのために、幼い頃の友人や母、マニ教、キリスト教の神へと、自分の意志を預ける相手を次々に求めたとされています。
- 子ども好き: 3Fは子どもをつくって世話をすることを好み、4Vは子どもたちの中に理想の仲間を見いだすとされています。
- 控えめな人柄: 愛らしく臆病で物思いがちな、大きな野心を持たない人として描かれ、同じタイプとしてダーウィンが挙げられています。
LEFVを理解するには、次の4つのポイントがあります。
第一章LEFVの4つの位置
LEFVでは、論理が1L、感情が2E、物質が3F、意志が4Vの位置にあります。上の段の1Lと2Eは強い機能で、下の段の3Fは弱く、4Vは本人が重きを置かない機能とされています。
また、1Lと4Vは結論を大事にする結果型、2Eと3Fはやりとりを大事にするプロセス型です。このタイプでは、上の段で考えて伝え、下の段で体と意志をめぐる迷いを抱えると読めます。
1L「教条主義者」
1Lは、考えた末の結論を、確かなものとして示す位置です。アファナシエフは、懐疑主義の時期を経たアウグスティヌスを、こう書いています。
しかし、純粋な否定のうえに長く生きることは、アウグスティヌスの、またその第1論理の性分ではなく、魂は真理に飢え、彼は探求を続けた。この時点から、アウグスティヌスの生涯の、最後の決定的な時期が始まる。
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Однако долго жить голым отрицанием было не в характере Августина и его 1-й Логики, душа алкала истины, и он продолжил поиск. С этого момента начинается последний окончательный период жизни Августина. Здесь не место перечислять все обстоятельства, повлиявшие на его последний выбор. Главное, — тридцати трех лет от роду он принимает крещение, спустя несколько лет рукополагается в сан священника, а после смерти своего наставника епископа Иппонийского Валерия наследует его кафедру.
上の引用にある純粋な否定は、どの説も確かではないとする懐疑主義の立場のことです。つまり、1Lの人は、疑うだけで答えの出ない状態に長くとどまれないということです。この探求の先で、アウグスティヌスは33歳で洗礼を受け、のちにヒッポの司教になりました。
2E「俳優」
2Eは、その場に見合った感情を、思いどおりに表せる位置です。原典は、食べすぎや香りとの闘いを取り上げたあとで、耳と目についてこう書いています。
アウグスティヌスにとって、聴覚と視覚との関係はより複雑だった。それらは感情的な情報の導管であり、彼の第2感情にとって、これらの通路を無理に塞ぐことは、事実上不可能なことであった。そのため、感覚的な喜びを断てという思弁的な要求(第1論理+第3物質)と、色と音の体験を求める切実な感情的・身体的な欲求(第2感情+第3物質)のあいだで揺れ動いて、ヒッポの司教の全生涯は過ぎた。
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Сложнее складывались отношения у Августина со слухом и зрением. Они — проводники эмоциональной информации, и для его 2-й Эмоции принудительная закупорка этих каналов — вещь практически нереальная. Поэтому в шатании между умозрительным требованием отказа от чувственных радостей (1-я Логика+3-я Физика) и настоятельной эмоционально-телесной потребностью (2-я Эмоция+3ья Физика) в красочном и звуковом переживании прошла вся жизнь Иппонийского епископа.
言い換えると、2Eにとって音と色は感情を受け取る道なので、自分から閉じることができないということです。そのため、楽しみを断とうとする1Lと、音楽や光に惹かれる2Eのあいだで、迷いが生涯続いたとされています。
3F「潔癖家」
3Fは、体への刺激に敏感で、自分の体を強く気にかける位置です。アファナシエフは、アウグスティヌスの3Fをこう書いています。
第4意志と並行して、アウグスティヌスの第3物質も、それ自身の生を生きていた。この機能の通例のとおり、性が、アウグスティヌスの内なる肉の闘いの中心になった。ほかの感覚的な快楽は、少しずつ抑えられ、この戦いの周縁にとどまった。
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Параллельно 4-й Воле собственной жизнью жила 3-я Физика Августина. И как в обыкновение для этой функции, секс оказался в центре Августиновской внутренней плотской борьбы. Все остальные чувственные удовольствия, понемногу смиряемые, оказались на периферии этой битвы.
ここでいう肉の闘いとは、体の欲求を抑えようとする、本人の中の争いのことです。3Fの迷いは性に集まり、食べ物などのほかの楽しみは、少しずつ抑えられていったということです。原典は、性が3Fの闘いの中心になるのを、この位置のふつうの形と見ています。
4V「農奴」
4Vは、自分で決めるより、人に導かれるほうを楽に感じる位置です。アファナシエフは、アウグスティヌスの生涯を、4Vからこう読んでいます。
「しかし私は、自分が意志に反して犯した行いのなかに、行為する原理というよりむしろ受苦の原理の現れを見ており、それらを罪でなく罰とみなしていた」と、アウグスティヌスはまったく正しく書いた。実際、彼は苦しむ側であり、自分の行いに責任を負わない側だったのである。彼自身を操る人形遣いを探し求める歴史こそ、ヒッポの司教の知的生活の歴史の主題である。幼い頃の友人たち、母、マニ教の闇の王、キリスト教の神—すべてが次々に、彼の意志につながる糸を握り、このきわめて個人的な経験を、人が自分から他人を判断する習いのとおり、アウグスティヌスは全世界に広げ、意志の弱さを宇宙の原理に高めた。
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Я видел, однако, в поступках, совершаемых мною против воли, проявление скорее страдательного, чем действенного начала, и считал их не виной, а наказанием,”- совершенно справедливо писал Августин, будучи, действительно, стороной страдающей и за свои поступки не отвечающей. История поиска того Кукловода, что манипулирует им, есть главная тема в истории интеллектуальной жизни епископа Иппонийского. Друзья детства, мать, манихейский князь Тьмы, христианский Бог — все они последовательно держались за ниточки, ведущие к его воле, и этот сугубо личный опыт, по обыкновению людей судить по себе, Августин распространил на весь мир, возвел слабохарактерность в космический принцип.
上の引用にある人形遣いは、自分の意志を外から動かす相手のたとえです。言い換えると、4Vのアウグスティヌスは、自分の意志を預ける相手を、生涯を通じて次々に求めたということです。原典は、意志の不自由を説いた彼の教えも、この個人的な経験を世界全体へ広げたものと見ています。
第二章原典が描く「アウグスティヌス」
アファナシエフは、この章を、ヒッポの司教アウグスティヌスの生涯と著作で組み立てています。取り上げられるのは、少年時代の梨の盗み、『告白』の書き方、人柄と子ども好きなどです。
1人ではしなかった梨の盗み
16歳のアウグスティヌスは、仲間と梨を盗み、のちに『告白』での悔い改めをこの出来事から始めました。本人は、そのときのことをこう書いています。
「私一人ではこれをしなかっただろう、決して一人ではしなかっただろう。主よ、あなたの前で、私は自分の状態をありありと思い起こす。私一人では、この盗みをしなかっただろう。そこで私が好んだのは、盗んだものではなく、盗みそのものだった。一人で盗むことを、私は好まなかっただろうし、盗まなかっただろう。ああ、敵意ある友情よ、とらえどころのない知性の堕落よ、笑いと戯れのために害をなしたがる渇望よ。自分の利益を追うこともなく、仕返しの渇望もなく、ただ『行こう、やろう』と言われるからというだけで、他人の損害を求める気持ち…」
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я один не сделал бы этого, никак не сделал бы один. Вот, Господи, перед Тобой живо припоминаю я состояние свое. Один бы я не совершил этого воровства, в котором мне нравилось не украденное, а само воровство; одному воровать мне бы не понравилось, я бы не стал воровать. О, враждебная дружба, неуловимый разврат ума, жажда вредить на смех и забаву! Стремление к чужому убытку без погони за собственной выгодой, без всякой жажды отомстить, а просто потому, что говорят: пойдем, сделаем…”
本人の分析では、盗んだのは物が欲しかったからではなく、仲間に「やろう」と言われたからだということです。原典は、この一件に表れた操られやすさこそが、自分を見つめるアウグスティヌスに恐れを抱かせたと書いています。
『告白』の書き方
アウグスティヌスの著作のなかで、原典がとくに取り上げるのは『告白』です。アファナシエフは、この本をこう評しています。
福者アウグスティヌスの創作のなかで特別な位置を占めるのは『告白』であり、最も人気があり、最もよく翻訳され、最もよく出版されている著作である。『告白』は、無思慮な崇敬から自由な読者に、感動と重苦しさの両方の印象を与える。感動させるのは、驚くべき詩、力強いパトス、熱烈で子供のように素直な信仰である。重苦しくさせるのは、絶対者の前に自分を平たく押しつぶそうとする懸命さ、起こることすべてを、細かな事柄に至るまで、絶対者に転嫁しようとする幼児的な傾きである。アウグスティヌスの歯が神の意志で痛みだし、同じく神の意志で痛みが去りうると読むのは、少なくとも奇妙である。
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Особое место в творчестве блаженного Августина занимает “Исповедь”, самое популярное, чаще всего переводимое и чаще всего издаваемое сочинение. “Исповедь”, на читателя, свободного от бездумного пиетета, производит одновременно умилительное и тягостное впечатление. Умиляет в ней удивительная поэзия, могучий пафос, восторженная и по-детски искренняя вера. Тяготит же какое-то старательное расплющивание себя перед лицом Абсолюта, инфантильная тяга перекладывания на Него всего происходящего, вплоть до мелочей: по меньшей мере странно читать, что у Августина по божьей воле могли заболеть зубы и по божьей же воле боль могла пройти.
原典の見方では、『告白』の詩と信仰は読む人を感動させる一方で、歯の痛みのような小さな事柄まで神の意志にゆだねる書き方が、読む人を重苦しくさせるということです。原典は、細かな後見を求めることも、告白という形を選んだことも、4Vの直接の結果としています。
話し相手としての「アウグスティヌス」
最後は、このタイプの人柄です。アファナシエフは、いちばん目につく特徴を2つ挙げています。
「アウグスティヌス」の人柄でいちばん目につく特徴は、交際の才能と、まれに見る子煩悩である。言葉の機能が上位にあるので(第1論理+第2感情)、考えとイメージに満ちた「アウグスティヌス」との交際は、本当の喜びをもたらす。このタイプの子煩悩も二つの面から成り立つ。第3物質は子供をつくり、世話をするのを熱愛し、第4意志は、幼児的な「アウグスティヌス」の心理にとって理想的なパートナーを子供の社会に見いだす。
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Наиболее заметными чертами натуры “Августина” являются талант общения и редкое чадолюбие. Так как речевые функции его находятся вверху (1-я Логика+2-я Эмоция), то и общение с “Августином”, насыщенное мыслями и образами, доставляет истинное удовольствие. Чадолюбие данного типа так же проходит по двум статьям: 3-я Физика обожает делать детей и заботиться о них, 4-я Воля находит в детском обществе идеальных партнеров для инфантильной “Августиновской” психики.
つまり、このタイプでは、上の段の機能から話のうまさが、下の段の機能から子ども好きが出るということです。アウグスティヌス自身も子どもたちを愛し、死ぬまで彼らと手紙をやりとりしました。
また、原典はこのタイプを、愛らしく臆病で物思いがちな人として描いています。私生活でも社会でも、大きな野心は持たないとされています。同じタイプとして挙げられるのは、アウグスティヌスのほかにはダーウィンだけです。
第三章LEFVとLEVFの違い
LEVFは、パスカルを象徴名とするタイプです。LEFVとLEVFは、1Lと2Eが同じなので、考えを確かな結論にして、それを感情のこもった言葉で伝える点で似て見えます。原典は、LEVFも思慮深く感じやすい「交際の人」と書いています。
ですが、下の段の2つは入れ替わっています。LEFVは物質が3Fで意志が4V、LEVFは意志が3Vで物質が4Fです。第3機能は弱く本人が気にし、第4機能には重きを置かないので、2つのタイプは気にかける側面が逆になります。
LEFVの3Fについて、アファナシエフは、アウグスティヌスの祈りをこう取り上げています。
アウグスティヌスの偽善的な叫び「貞潔を私に与えたまえ、しかし今ではなく」は、性の側面に対する第3物質の状態と態度を、模範的に伝えている。
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Ханжеский вопль Августина “Дай мне целомудрие, но не сейчас!”- эталонно передает состояние и отношение 3-й Физики к сексуальной стороне жизни.
つまり、LEFVは、体の欲求を断ちたいと願いながら、すぐには手放せないということです。意志は4Vなので、その迷いを自分の意志で断ち切るより、導いてくれる相手に預けやすいと読めます。
一方、LEVFの3Vについて、原典はパスカルの『パンセ』のこの一節を引いています。
「…栄誉は人間の大切な目標であり、彼はつねに抗いがたくそれを目指し、いかなる力も、それを達成したいという欲望を彼の心から根絶できない。そして、たとえ人間が自分と同じ者たちを軽蔑し、動物と同列に置いたとしても、やはり自分自身に反して、万人の承認と賛嘆を得ようとするだろう」
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…Почет — заветная цель человека, он будет всегда неодолимо стремиться к ней, и никакая сила не искоренит из его сердца желания ее достичь. И даже если человек презирает себе подобных и приравнивает их к животным, все равно, вопреки самому себе, он будет добиваться всеобщего признания и восхищения.”
言い換えると、LEVFは、人を低く見ていても、人から認められたいという望みを捨てられないということです。LEFVの迷いが体の楽しみに出るのに対して、LEVFの迷いは自分の価値と人の評価に出ます。物質は4Fなので、暮らしの水準には強くこだわらないとされています。
第四章LEFVの関係
完全アガペー:VFEL(トヴァルドフスキー)
- VFELの2FはLEFVの3Fと共同で生活・身体・快適さを扱い、LEFVの不安を具体的な行動へ変えます。
- LEFVの2EはVFELの3Eに働きかけ、感情を安全に表現するプロセスを支えます。
- 結果型機能では、LEFVの1LとVFELの4L、VFELの1VとLEFVの4Vが交差します。
- 原典は、完全アガペーを最終的で理想的な愛の体系とし、最も実りのある関係と見る一方で、人間関係のなかでこれほど重苦しいものはないとも書いています。相手の中に自分と似たところがほとんど見えないため、逃げ出そうとする試みがこの関係にはほぼ付きものだとされます。
完全エロス:FVLE(ゲーテ)
第4セクスタの4タイプ
第1機能と第4機能が同じ組になる4タイプです。
- LEFV アウグスティヌス 1L・2E・3F・4V
- LFEV ベルティエ 1L・2F・3E・4V
- VEFL トルストイ 1V・2E・3F・4L
- VFEL トヴァルドフスキー 1V・2F・3E・4L
引用索引
- [1]アファナシエフ『愛の構文』(原題:Синтаксис любви、1987–1997)第二部「アウレリウス・アウグスティヌス」 本文へ
- [2]アファナシエフ『愛の構文』(原題:Синтаксис любви、1987–1997)第二部「アウレリウス・アウグスティヌス」 本文へ
- [3]アファナシエフ『愛の構文』(原題:Синтаксис любви、1987–1997)第二部「アウレリウス・アウグスティヌス」 本文へ
- [4]アファナシエフ『愛の構文』(原題:Синтаксис любви、1987–1997)第二部「アウレリウス・アウグスティヌス」 本文へ
- [5]アファナシエフ『愛の構文』(原題:Синтаксис любви、1987–1997)第二部「アウレリウス・アウグスティヌス」 本文へ
- [6]アファナシエフ『愛の構文』(原題:Синтаксис любви、1987–1997)第二部「アウレリウス・アウグスティヌス」 本文へ
- [7]アファナシエフ『愛の構文』(原題:Синтаксис любви、1987–1997)第二部「アウレリウス・アウグスティヌス」 本文へ
- [8]アファナシエフ『愛の構文』(原題:Синтаксис любви、1987–1997)第二部「アウレリウス・アウグスティヌス」 本文へ
- [9]アファナシエフ『愛の構文』(原題:Синтаксис любви、1987–1997)第二部「ブレーズ・パスカル」 本文へ
