LVFE(老子)の 詳細解説
1L・2V・3F・4E|第2セクスタ

LVFEは、第1機能に論理、第2機能に意志、第3機能に物質、第4機能に感情の側面がくるタイプです。原典の象徴名は老子で、放心しがちで人づきあいの少ない、典型的な知識人とされています。
- 老子とヘラクレイトス: 原典は、このタイプを「老子=ヘラクレイトス」の2人の名で呼ぶほうがよかったとし、2人の記録を合わせて描いています。
- 反論を想定しない教義: 1Lのため、『道徳経』は対話ではなく、全体を受け入れるか退けるかしかない教義として書かれたとされています。
- 階層のない世界観: 2Vのため、存在を上下ではなく水平に並べ、対立する2つの始原が互いに移り変わるものとして見るとされています。
- 体への不信: 3Fは直接の記録が少なく、ヘラクレイトスの「視覚は嘘である」という言葉から推定されています。
- 芸術に党派がない: 4Eのため、固有の美学を持たず、芸術では何でも受け入れるとされています。
- 稀な知識人の型: かなり稀なタイプで、マルクス・アウレリウスやモンテーニュ、スピノザ、サハロフなどの名が挙げられています。
LVFEを理解するには、次の4つのポイントがあります。
第一章LVFEの4つの位置
サイコソフィアでは、論理・意志・感情・物質の4つの機能を、人ごとに第1から第4の順位に並べます。LVFEでは、上の段の強い機能が論理と意志、下の段の弱い機能が物質と感情です。
また、第1と第4の機能は結果型、第2と第3の機能はプロセス型とされています。つまり、LVFEは論理と感情では人を必要とせず、意志と物質では人とのやりとりを求めるということです。
1L「教条主義者」
1Lは、考えた末の結論を確かなものとして示す位置です。アファナシエフは、老子の1Lを『道徳経』の書き方に見ています。
老子の第1論理を示すものはほかにもある。『道徳経』は結果であって、プロセスではない。この論考に述べられた中国の哲学者の見解は議論の対象ではなく、全体を受け入れるか全体を退けるかのどちらかしかない教義である。『道徳経』には対話の気配すらない。
原文を表示
На 1-ю Логику Лао-цзы кроме этого указывает то, что “Дао де дзин” — результат, а не процесс. Взгляды китайского философа, изложенные в трактате, не предмет для дискуссий, но догма, которую можно либо целиком принять, либо целиком отвергнуть. Диалогом в “Дао де дзин” и не пахнет.
言い換えると、『道徳経』は読者と議論するための本ではなく、考え抜いた結論を示す本だということです。原典は、独白の形と、あらゆるものに同じように使える原理を求める姿勢を、1Lの最も目立つ特徴としています。
2V「貴族」
2Vは、人と話し合いながら決め、支配も服従もしない位置です。原典は、その見方が老子とヘラクレイトスの哲学のやり方にまで表れているとしています。
この心理タイプの第2意志は、老子とヘラクレイトスに、その哲学のやり方そのものまで指示していた。二人はともに弁証家である。すなわち、存在のあらゆる要素は、二人の体系では階層的な垂直ではなく水平に並べられており、存在するものは、対等で、対立し、たがいに浸透しあう二つの始原(光と闇、善と悪、男と女など)から生じたものである。宇宙で絶えず起きているあらゆる動きは、まさにこうした相互浸透、相互転化の産物であり、それは一方の始原が他方へ完全に転化するところまで至る。
原文を表示
2-я Воля данного психотипа диктовала Лао-цзы с Гераклитом и сам принцип их философствования. Оба они диалектики, т. е. все элементы бытия выстроены в их системах не по иерархической вертикали, а по горизонтали: сущее есть производное двух равноправных, противостоящих и взаимопроницаемых начал (свет-тьма, добро-зло, мужчина-женщина и т. д.). Всякое шевеление, постоянно происходящее во вселенной, — плод как раз такого взаимопроникновения, взаимоперетекания, доводящего до полного превращения одного начала в другое.
上の引用にある始原は、ものごとが生まれる元のことです。つまり、2人の哲学では、どちらかが上に立つことなく、対立する2つが互いに移り変わるということです。原典は、階層を設けないことを「貴族」の典型的な特徴とし、2人はそれを1Lで宇宙の原理にまで高めたと見ています。
3F「潔癖家」
3Fは、体への刺激に敏感で、自分の体や見た目を強く気にかける位置です。老子とヘラクレイトスの3Fについて、アファナシエフはこう書いています。
老子とヘラクレイトスに第3物質があったことを示す明確な指摘は、文献には残っていない。おそらくヘラクレイトスの「視覚は嘘である」という言葉だけが、それを直接に証している。というのも、人が最も大きな不信を抱くのは、まさに下位の機能の産物に対してであり、第3機能に関わるすべてに対して、これ見よがしに攻撃的に不信を示すからである。したがって、ヘラクレイトスが視覚、つまり肉体の感覚に向けた荒々しい弾劾は、彼の物質が傷つきやすかったという推定を支える重い論拠である。
原文を表示
Каких-либо ясных указаний на наличие у Лао-цзы и Гераклита 3-й Физики в литературе не сохранилось. Пожалуй, только высказывание Гераклита, что “зрение — ложь” прямо свидетельствует об этом. Так как именно к продуктам деятельности низкостоящих функций человек испытывает наибольшее недоверие и подчеркнуто, агрессивно недоверчив ко всему, что связано с Третьей функцией. Поэтому грубая филиппика Гераклита в адрес зрения — чувства телесного — весомый аргумент в пользу предположения о ранимости его Физики.
言い換えると、人は自分の弱い機能から出てくるものを、いちばん強く疑うということです。そのため、ヘラクレイトスが視覚を嘘として退けたことが、物質の側面の傷つきやすさを推定する手がかりとされています。
4E「見物人」
4Eは、感情を自分から生み出すより、人の感情を受け取る側に立つ位置です。原典は、LVFEの芸術への態度をこう書いています。
知的な領域というデリケートな部分に関わらないことでは、「老子」は開かれており、近づきやすく、寛容である。自分に固有の美学はなく(第4感情)、そのため芸術では何でも受け入れ、その芸術批評は党派性がない。「老子」の豊かな魂と乏しい財布はいつも隣人に開かれており、ボナヴェントゥラを知る人々が「ボナヴェントゥラ兄弟を見ていると、アダムは罪を犯さなかったのではないかと思われる」と言ったのにも、一理ある。
原文を表示
Во всем же, что не касается щекотливой интеллектуальной сферы “Лао-цзы” открыт, доступен, терпим. Собственной эстетики у него нет (4-я Эмоция), поэтому в искусствах он всеяден и художественная критика его беспартийна. Богатая душа и тощий кошелек “Лао-цзы” всегда открыты для ближнего, и есть своя правда в словах знавших Бонавентуру людей, когда они говорили:”По брату Бонавентуре можно думать, что Адам не согрешил”.
つまり、LVFEは自分の好みで芸術を選り分けないため、どの作品にも公平に向き合えるということです。引用にあるボナヴェントゥラは、同じタイプとされる中世の神学者です。原典は、知的な領域の外では、このタイプが寛容で人に開かれているとも書いています。
第二章原典が描く「老子」
アファナシエフは、このタイプを中国の哲学者老子の名で呼びます。老子の生涯はほとんど知られていないため、同じ機能の順序を持つギリシャの哲学者ヘラクレイトスの記録も合わせて描いています。
求められて書いた1冊
老子について知られているのは、晩年に西へ向かう途中、国境の税関吏に求められて『道徳経』を書いたことだけとされています。原典は、この成立の話をこう読んでいます。
『道徳経』—老子の唯一の著作—の成立の経緯は、真実でないにせよ、もっともらしい。そこで確からしく見えるのは、老子が自らを、いわば通りがかりに、ほとんど強制されて不朽にしたという点である。そうなり得たのは、「教条主義者」がおよそ人づきあいの乏しい人間であり、最も根本的な問題を自分の中で解決してしまうと、たいていはそこで落ち着き、得たものを必要もなく人に分けないからである。
原文を表示
История создания “Дао де дзин” — единственного произведения Лао-цзы если не правдива, то правдоподобна. Достоверно в ней выглядит то, что Лао-цзы увековечил себя как бы мимоходом, почти принудительно. И так могло быть, потому что “догматик” — вообще человек малокоммуникабельный, и, решив для себя капитальнейшие вопросы, он обычно успокаивается на этом, в дальнейшем добытым без нужды не делясь.
言い換えると、「教条主義者」は答えを自分の中で出すと満足し、人に広めようとしないということです。そのため、たった1冊の著作しか残っていないこと自体が、このタイプの寡黙さを示すと読めます。
王座を断った哲学者
2Vの特徴は、ヘラクレイトスの暮らしにも表れたとされています。
ヘラクレイトスは実生活でも、まったく「貴族らしく」ふるまった。彼は王家の出であったが、故郷エフェソスの住民が、空いた王座に彼を就けようと考えたとき、市の代表団は、ヘラクレイトスが子どもたちと骨遊びをしているところに行き当たり、このうえなく魅力的な申し出にまったく耳を貸さない彼を見た。
原文を表示
В жизни Гераклит также вел себя вполне “по-дворянски”. Он принадлежал к царскому роду, но, когда жители родного Эфеса надумали усадить его на освободившийся трон, то городская делегация застала Гераклита играющим с детьми в бабки и совершенно глухим к столь соблазнительному предложению.
上の引用にある骨遊びは、動物の骨を使う子どもの遊びです。ヘラクレイトスは、王の地位の申し出よりも、子どもとの遊びを選んだことになります。人の上に立つことを求めない2Vの姿と読めます。
断定的だが耳を閉ざさない
アファナシエフは、このタイプの人柄を次のようにまとめています。
あらゆる特徴から見て、「老子」は典型的な知識人である。放心しがちで、人づきあいが少なく、いつも自分の考えに沈み込んでいるが、美的な欲求と無縁ではない。原則には堅いが、細かいことには譲歩し、寛容で、好意的で、誠実である。外見はたいてい冴えず、偽善、禁欲、無抵抗、平和主義に傾くが、空想の中ではまれに見る喧嘩好きで放蕩者である。あらゆる「教条主義者」と同様、「老子」は付き合いにかなり骨が折れ、断定的で、話は難解で、結論には思いやりがないが、その「教条主義」が「貴族」の色に染まっているため、自分の本来の領域である理屈の世界にいるときでさえ、他人の意見に、予想されるほど絶望的には耳を閉ざしておらず、総じて内面的、知的にまったくのびやかな人間であり、知的な冷笑家とさえ言える。
原文を表示
По всем своим характеристикам “Лао-цзы” типичный интеллигент: рассеянный, малообщительный, вечно погруженный в свои мысли, хотя и не чуждый эстетическим запросам. Он тверд в принципах, но по мелочам уступчив, терпим, доброжелателен, честен. Внешность у него обычно невзрачна, он склонен к ханжеству, аскетизму, непротивленчеству, пацифизму, хотя в мечтах редкий драчун и повеса. Как всякий “догматик”, “Лао-цзы” довольно тяжел в общении, безапелляционен, темен в речах и не деликатен в выводах, но так как “догматизм “ его окрашен “дворянством”, то, даже оказавшись в родной для себя стихии рассудочности, он не так безнадежно глух к чужим мнениям, как можно было ожидать, и вообще внутренне умственно совершенно раскованный человек, если не сказать — интеллектуальный циник.
つまり、LVFEは1Lで断定的に話しながら、2Vのために他人の意見にも耳を傾けるということです。原典は辛辣な評も加えていますが、原則には堅く、細かいことには譲る人柄として描いています。
第三章LVFEとLVEFの違い
LVEF(アインシュタイン)は、LVFEと同じく1Lと2Vを持つタイプです。そのため、どちらも1人で考え抜いた結論を示し、人を支配も服従もしない知識人として似て見えます。
ですが、下の段の2つは入れ替わっています。LVFEは物質が第3機能(3F)で感情が第4機能(4E)、LVEFは感情が第3機能(3E)で物質が第4機能(4F)です。第3機能は弱いうえに本人が強く気にする機能、第4機能は本人がほとんど重きを置かない機能とされています。
アファナシエフは、老子とヘラクレイトスの第3機能が感情ではないことを、こう確かめています。
間接的には、消去法によって、二人に第3物質があったことを確かめることができる。二人にとって感情は、明らかに第3ではなかった。二人は自分の感情の表現においてあまりに自由で、臆するところがなく、乾いた抽象的な哲学的範疇を伝えるのにあまりに多産で、見事な形象がたやすく浮かぶので、どんな「堅物」にもできないほどである。ならば、老子とヘラクレイトスの機能の順序は正しく推定されたことになる。第3物質と第4感情である。
原文を表示
Косвенно же подтвердить наличие у обоих философов 3-й Физики можно, руководствуясь методом исключения. У них Эмоция явно Третьей не была. Оба так свободны, беззастенчивы в выражении своих чувств, так плодовиты и легки на блистательные образы при передаче сухих, отвлеченных философских категорий, как никаким “сухарям” не под силу. А значит порядок функций Лао-цзы и Гераклита угадан верно:3-я Физика и 4-я Эмоция.
上の引用にある「堅物」は、3Eの呼び名です。言い換えると、LVFEは感情を表すことにためらいがなく、3EのLVEFとはそこで分かれるということです。
一方、LVEFでは感情が第3機能になります。アインシュタインの芸術への態度について、原典はこう書いています。
アインシュタインの第3感情の潰瘍はあまりに深く、彼はロマン主義—あらゆる「堅物」が非難するが、必ずしもみなが公然とは非難しない潮流—に公然と反対した。彼は言った。「哲学においても芸術においてもロマンティシズムは一種の不正な手口だと私は思う。あまり骨を折らずにより深い理解を得るために、人はこれに頼るのだ」。さらにアインシュタインは、科学における美の必要性を否定し、本来から乾いている人間活動の領域さえも、そうして干からびさせた。
原文を表示
Язва по 3-й Эмоции Эйнштейна была столь глубока, что он открыто выступал против романтизма — течения, всеми “сухарями” осуждаемого, но не всеми осуждаемого открыто. Он говорил:” По-моему, в философии, так же как в искусстве, романтика — это своего рода незаконный прием, к которому прибегают, чтобы, не слишком утруждая себя, добиться более глубокого восприятия”.Более того, Эйнштейн отрицал необходимость красоты в науке, тем самым засушивая даже ту сферу человеческой деятельности, что суха по самой своей природе.
LVFEが4Eのために芸術を何でも受け入れるのに対し、LVEFは3Eのために、感情に訴える表現そのものを退けます。つまり、同じ芸術に向き合っても、LVFEは選り分けず、LVEFは感情に訴えるものを警戒するということです。
第四章LVFEの関係
第2セクスタの4タイプ
第1機能と第4機能が同じ組になる4タイプです。
- EFVL プーシキン 1E・2F・3V・4L
- EVFL パステルナーク 1E・2V・3F・4L
- LFVE プラトン 1L・2F・3V・4E
- LVFE 老子 1L・2V・3F・4E
引用索引
- [1]アファナシエフ『愛の構文』(原題:Синтаксис любви、1987–1997)第二部「老子」 本文へ
- [2]アファナシエフ『愛の構文』(原題:Синтаксис любви、1987–1997)第二部「老子」 本文へ
- [3]アファナシエフ『愛の構文』(原題:Синтаксис любви、1987–1997)第二部「老子」 本文へ
- [4]アファナシエフ『愛の構文』(原題:Синтаксис любви、1987–1997)第二部「老子」 本文へ
- [5]アファナシエフ『愛の構文』(原題:Синтаксис любви、1987–1997)第二部「老子」 本文へ
- [6]アファナシエフ『愛の構文』(原題:Синтаксис любви、1987–1997)第二部「老子」 本文へ
- [7]アファナシエフ『愛の構文』(原題:Синтаксис любви、1987–1997)第二部「老子」 本文へ
- [8]アファナシエフ『愛の構文』(原題:Синтаксис любви、1987–1997)第二部「老子」 本文へ
- [9]アファナシエフ『愛の構文』(原題:Синтаксис любви、1987–1997)第二部「アルベルト・アインシュタイン」 本文へ
